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2022
6月
03
ヴァン・クライバーンコンクールが始まりました!
“ヴァン・クライバーンコンクールの取材のため、テキサス、フォートワースにやってきました。今回も優れたピアニストたちがたくさん。しかも各ステージの課題はほとんど自由なリサイタル、ファイナルまでにコンチェルトも3曲と、聴きごたえたっぷりです。 6/2、初日が始まったところですが、みんな自分の得意技で勝負してくるので、プログラムも多彩だし本当に楽しい! 本日からはじまった予選では、審査員も務めるスティーヴン・ハフの委嘱作品が課題に入っていますが、これがまたそれぞれ印象が違って面白い。 演奏順はこちらから。 もちろん配信がありますが、アメリカのこのコンクールならではの華やかな雰囲気を楽しめるのではないかなと思います。 ライブ配信だと時差的に大変かもしれませんが(テキサスは日本からマイナス14時間)、アーカイブでも聴けますのでぜひ素敵なピアニストとの出会いを楽しみに、演奏を聴いてみてください。 今回も、ぶらあぼONLINEで速報的レポートを、その他、web ONTOMOでは、現地取材にもとづく読み物を執筆する予定です。 さらにそこに書ききれなかったこぼれ話や、ピアノ、調律師さんに関するお話は、こちらの「ピアノの惑星」にアップしていきますので、どうぞお楽しみに。 コンクールの会場、これまでは予選からバス・パフォーマンスホールでしたが、今回から、予選、クウォーターファイナルは、テキサス・クリスチャン大学のホール。そしてコンチェルトが入るセミファイナルとファイナルがバス・パフォーマンスホールです。 こちらは予選が行われているホール。 クライバーンコンクール、予選の会場は、テキサス・クリスチャン大学の中に最近できたばかりのヴァン・クライバーンホール。音がよくまわる感じ。 フォートワースの警察官は、普通にテンガロンハット。 pic.twitter.com/ErBnGv5AFy — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) June 2, 2022   ところで配信をご覧の方はお気づきの通り、このコンクールではスタインウェイのピアノのみが使われます。とはいえ、スタインウェイから2台のピアノ…ニューヨークスタインウェイとハンブルクスタインウェイが用意されていて、そのうちの一台を選んでいるそう。 今日チラッとお話を聞いたコンテスタントは、ニューヨークはブリリアント、ハンブルクの方が落ち着きがあって、自分が弾くドイツものに合うと思ってハンブルクのほうを選んだ、とのこと。もう一人のニューヨークの方を選んだコンテスタントは、メフィスト・ワルツを弾くからそれに合うと思って選んだと言っていました。そうやって、それぞれが個性やプログラムにあったピアノを選んでいるようです。 ピアノ選び、メーカーの種類や台数が増えるほど、選択肢は広がっていいと同時に、短い時間で選択しなくてはならないことがけっこうなストレスになるところもあるようなので、スタインウェイのみ2台からというのも逆に良かったりするようです。いつもお世話になっているあのメーカー選ばないといけないかな、なんていう気遣いも感じずにすみますしね…。 ところでアメリカ、もう誰もマスクしてないよとは聞いていましたが、屋外でマスクをしている人はほぼゼロ。 ホールの中のお客さんも、マスクをしているのは一割くらいでしょうか。もうみんなマスクしてないんだねーと地元の人に言うと、うん、ここはテキサスだからね、という答えが返ってくる。(テキサスだから何なんだ?) 行きのアメリカン航空の機内の中からすでに、CAさんもマスクをしていなかったのにはさすがに驚きました。逆に心配になっちゃう。 マスクをしない人は搭乗拒否、なんていうのはもう過去の話なのでしょうかね。  ”
第16回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール
“2022年6月2日~18日、アメリカ、テキサス州フォートワースで開催される 第16回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールについて、 ピアニストたちの様子や舞台裏での出来事、取材中に感じたことから、 ちゃんとした媒体で書ききれなかった情報をご紹介します。 コンクールで使用されているスタインウェイのピアノに注目した情報もご紹介します。 【Web上ではこちらで記事を執筆します】 Web ぶらあぼ ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール ・第16回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール 6/2開幕! ・コンクールスタート。亀井聖矢、吉見友貴が登場! ・予選の結果発表 ・クオーターファイナル振り返り ・亀井聖矢さんのホームステイ先を訪問! ・セミファイナル振り返り ・個性的な6人が2曲の協奏曲で競うファイナルを終えて ・INTERVIEW|第1位 イム・ユンチャン ・緊迫の国際情勢のなか出場したゲニューシェネ(ロシア)&チョニ(ウクライナ)に聞く ・マリン・オルソップ審査委員長が語るコンクールと審査 Web ONTOMO  ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール  ・ヴァン・クライバーンとはどんな人物? アメリカの英雄の人生 ・注目のコンテスタントに直撃!~ティアンス・アン ・予選を終えた亀井聖矢、吉見友貴、マルセル田所に直撃取材! ・注目のコンテスタントに直撃!~ケイト・リウ、オソキンス ・コンクールはセミファイナルへ!これまでの振り返りと今後の聴きどころ ・マルセル田所の音楽を育んだもの ♣アーカイヴ配信(medici.tv) ◆現地レポートアーカイヴ一覧 ヴァン・クライバーンコンクールが始まりました! 6/2 クライバーンコンクールのスタインウェイ…ハンブルク?NY? 6/7 クライバーンコンクール、セミファイナル3日目に思う 6/11 スタインウェイの担当調律師、ベルナーシュさん 6/16 クライバーンコンクールが終わって…まずは日本のお三方のお話 6/27 クライバーンコンクール、印象的なコンテスタントたちのお話 6/28 クライバーンコンクールこぼれ話 7/4  ♣公式ピアノ ...”
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クライバーンコンクールのスタインウェイ…ハンブルク?NY?
“6月6日現在、クライバーンコンクールはクオーターファイナル進行中。 コンクールが始まって数日はわりと過ごしやすかったのですが、クオーターファイナルが始まったあたりから、またものすごく暑くなってきました。本日は最高気温36度。今週末には38度までいくようです。焦げますね。 (予選、クオーターファイナルの会場、テキサス・クリスチャン大学のヴァン・クライバーンホールとその周辺。午後5時過ぎでも太陽ギラギラ、36度!) 基本的にはカラッとしているのでまだ過ごしやすいですが、突然大雨が降ったりするので、そのあとは湿度が爆上がりです。ピアノの状態が心配になりますが、先日話を聞いたコンテスタントのゲオルギス・オソキンスさんは(ハンブルクスタインウェイを選択)、「自分の演奏の前にも雨が降ったから心配していたんだけど、このピアノはいろいろな場所を移動しているから、環境の変化に強くて安定していたよ」とのこと。 さて、そんなスタインウェイのピアノ。先日の記事で書いた通り、このコンクールではスタインウェイのみが使用され、今回はニューヨークとハンブルクの2台のピアノから、それぞれが使用するピアノを選んでいます。 (このコンクールではレアな、ピアノチェンジの場面) これがまた、かなりキャラクターの違うピアノです。配信でどのくらいそれが伝わっているかわかりませんが、特に強めに鍵盤を叩いたときに、はっきり違いがあらわれる印象です。 今回予選に参加した30人のコンテスタントのうち、9割がハンブルクの方を選んでいます。こちらを選んだピアニストは、ほとんど迷わなかったという人ばかり。 「ハンブルクの方が深い音色をもっていると思った」「あたたかい音がする」「絶対こっちだと思った」などと、みんな“推し”の誰かをすすめてくるかのようなノリで語っていました。 ちなみに前述のオソキンスさんは、15分のセレクションの際、ニューヨークのほうには10秒しか触らずあとはハンブルクを弾いていたといい、「こっちのほうがリッチで熟した音がすると思った。より想像力をかきたてるの」と話していました。 …想像力をかきてるピアノ、いいですね。 一方で、ニューヨークの方を選んだのはわずか3人だったわけですが、こちらを選ぶ人は、自分のプログラムと照らしてこちらが求める音だということで決断を下していた模様。そして気づけば、3人ともアメリカ人またはアメリカで勉強しているピアニストだという。偶然か必然か。そういえば逆にハンブルクを選んでいる人の一部は、ドイツで勉強しているからこちらのほうに慣れている、と言っていましたね。 例えばティアンス・アンさん(彼は中国人ですが、カーティス音楽院で勉強中です)は、メフィストワルツや「ソ連の鉄のイメージで弾いた」というグバイドゥリーナを念頭に、ブリリアントな音を持つニューヨークスタインウェイのほうを選んだとのこと。 また興味深かったのは、クレイトン・スティーブンソンさんのコメント。予選のゴドフスキー「喜歌劇〈こうもり〉による交響的変容」のシアターモードな感じのサウンド、プロコフィエフのソナタ7番の轟くような音といい、ただきれいという感じでもない強烈な音がインパクト大でして。 (ニューヨークの方を選んでいるピアニストは、パワフルにピアノを叩く方が多い気がします) どうしてこのピアノを選んだのか、他にほとんどニューヨークを選んでいる人がいないけどどう思った?と聞いたら、こんな回答が。 「まあ、そうでしょうね。鍵盤がとても重いんですよ(笑)、それが問題なんだと思います。私は、音質と弾き心地のよさでどちらをとるか迷って、結局音質が好みの方を選びました。 私の先生は、心にしっかりと音楽のイメージがあれば、鍵盤の問題は考える必要がなくなるものだといつもいっていました。その考えにそった選択です。 このニューヨークスタインウェイは音質がとてもおもしろい。思っている音を出すためにはとても努力が必要だけれど、でも頑張る価値があったかなと思います」 心に出したい音色のイメージがあれば、少し弾きにくいピアノでも、指が勝手に動いてコントロールしてくれる…いいピアニストがよく言ってるやつ。かっこいい。 結局、クオーターファイナルには、ニューヨークを選んだ3人のうち、前述のスティーブンソンさんと、アンドリュー・リさんのお二人が進みました。 お二人とも初日に登場していますので、あらためて他のピアノと聴き比べてみるとおもしろいかもしれません。 逆に2日目のほうは全員ハンブルクスタインウェイでした。完全に同じピアノを、同じ環境で別のピアニストが弾くところを続けて聴き比べられるのは、コンクールならではです。ぜひご注目を! ”
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クライバーンコンクール、セミファイナル3日目に思う
“セミファイナルが始まって3日目。折り返しです。 今日はあまり演奏と関係ない現地の様子を少しご紹介しようかなと思います。 セミファイナルからは会場がバス・パフォーマンスホールに移り、コンクールが行われています。 こちらのセキュリティチェックが結構厳しい。大きくてかわいい警察犬も常駐しています。 ノートパソコンの入ったバックパックを持って入ろうとしたら、入口のセキュリティの人に、大きいバックパックは持ち込めない、どこかに置いてこいと言われてしまいます。鞄のサイズに制限があるのかなと思って、どの大きさまでなら持ち込めるの?と聴くと、大きさはなんでもいい、バックパックがだめなんだ、と。 え、形の問題?と聞くと、わかりませーん、のポーズで、そこにいたセキュリティの人たち全員黙るという…。 そんなわけで、翌日からは普通のショルダーバッグに荷物を入れて無事に入っていますが、これって、どういうルールなんでしょうね?爆弾はだいたいリュックで背負ってくるものっていうセキュリティ界の常識でもあるんでしょうか。 以前インドのタージマハルで、ワイヤーっぽいものは持ち込みNGといわれ、イヤホンとか充電器とか全部預けさせられたことを思い出します。ワイヤーの先に爆弾ついてなきゃ大丈夫だろと思うんだけど、そういう問題でもないんでしょうか。 そのわりに、街中にもホールの入口付近にも、至るところに大きなゴミ箱があります。テロ対策の名目で、駅にすら一つもゴミ箱がない日本とは大違い。日本人は黙って持って帰るけど、アメリカの場合、そんなふうにゴミ箱を撤去したらそこらじゅうにみんなが捨ててしまうからなのかもね。 そしてこちらがロビー。 バルコニーには歴代の優勝者の懸垂幕が。格闘技の会場みたい。 コンテスタントの各ラウンドの演奏が、デジタルアルバムとして$5で販売されています(この写真はTCUの会場のロビーです)。 どういうシステムで販売されているのかわかりませんが、休憩中、買っていく人を割と見かけますよ。 *** ところで、やっぱり少しはコンクールの話を。 セミファイナルでは、モーツァルトのピアノ協奏曲が演奏されています。 モーツァルトは、シンプルだからこそめちゃくちゃむずかしいし、こわい、とはよく言われること。奏者の技術も音楽性も丸裸になる。それはピアニストだけでなくどの楽器奏者にとってもおなじことです。 その意味で、例えばコンチェルトで管楽器のメロディとピアノが掛け合いをするなんていう場面は、普通のコンチェルト以上に、うまくいったりいかなかったり、それがはっきり聴き手の耳に届いてしまいます。 今回は、全体的にみて、このモーツァルトでオーケストラとの合わせに苦戦している人が多い印象…。全体にどの曲でも、オーケストラがゆったり動きがちだからかもしれません。オーケストラとうまくアンサンブルをしていたマルセル田所さんは、自分のペースよりだいぶテンポを落としたといっていました。逆に、オーケストラを置いて先に走ってしまったかも…と思い返している方もいました。 今セミファイナル3日目まで終わったところでは、なんとなくマルセルさんやアナ・ゲニューシェネさんなど、アラサー組がうまくオーケストラとの掛け合いをこなしている印象です。きっといろいろな成功と失敗を繰り返して、アンサンブルの能力というのは磨かれていくのでしょう。モーツァルトには遊び心や無邪気さが求められ、一方でそういう経験値も求められるのですから、やっぱり難しい課題なのですね。 その意味では、これから演奏する18歳のユンチャンさんあたりがどんなふうにモーツァルトを弾くのか、結構楽しみです。 指揮者、オーケストラの皆さんもハードなスケジュールのなかで大変ですが、ここはひとつ、若いピアニストたちをうまくサポートする方向でがんばってほしいところであります。 ”
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スタインウェイの担当調律師、ベルナーシュさん
“ここまでの記事でも触れた通り、ヴァン・クライバーンコンクールでは、スタインウェイのピアノのみが使われています。そして同じスタインウェイでも、タイプの違うニューヨークスタインウェイとハンブルクスタインウェイが用意され、各コンテスタントが自分のレパートリーなどを考慮しつつ、選択するスタイル。ラウンドはもちろんコンチェルトによってピアノを変えるコンテスタントもいますが、そこは、多くのピアニストがホールで弾き慣れ、信頼を寄せるスタインウェイのみの状態だからこそ気軽にできること、なのかもしれません。 今回は、ソロのみの予選とクウォーターファイナルまでがテキサス・クリスチャン大学(TCU)、コンチェルトも入ってくるセミファイナルからがバス・パフォーマンスホールと、途中で会場が移る形です。 そしてセミファイナルの会場ではまた別のハンブルクスタインウェイとニューヨークスタインウェイが用意され、事前に15分間のピアノ選定が行われました。 セミファイナル以降のピアノの準備と調律を担当しているのは、5年前同様、ニューヨーク・スタイウェイに在籍する、ベルナーシュさん。お話を聞こうと声をかけると、「去年の秋日本に行ったよ、内田光子の日本ツアーの調律を担当したんだ。隔離期間があったから大変だったけど」とのこと! ここぞとばかりにその辺りのお話も伺いつつ、今回のピアノの特徴や調律において心掛けていることをお聞きしました。(ちなみにベルナーシュさんの予定が合わなかったこともあり、TCUではTCUの技術者さんが調律を担当していたそうです) Joel Bernacheさん *** --今回の2台のスタインウェイのそれぞれの特徴はどのようなものですか? どちらも私が事前の準備をしたピアノですが、特にハンブルクのほうは新品だったので、調整にかなり手をかける必要がありました。 一般にも言われることですが、ハンブルクのほうは音がより早く出てくるというか、音がすぐによく鳴ります。 ただニューヨークのほうは、強くフォルテシモを弾いたとき、ハンブルクよりも大きな音…ブライトというわけではないんだけど、豊かなボリュームの音を鳴らすことができます。ただ、そのためには鍵盤をしっかり押し込まないといけません。 オーケストラとの共演もあるセミファイナルから、より多くのピアニストたちがNYのほうを選んだのは、そのためだと思います。 —特にモーツァルトの20番を弾いたピアニストが、もともとハンブルクを弾いていても、セミファイナルからNYを選んでいたのが興味深かったです。作品の性格を考えてのことでしょうか。 そうだと思います。おもしろいですね。 ちゃんと準備されたピアノならばどんなレパートリーにも合うように弾けるとは思いますけれど、でも、どちらもいいピアノだったら、より合う方を選ぶというのは当然だと思います。 今回はその多くがハンブルクスタインウェイが主流のヨーロッパや東アジアからのコンテスタントでしたから、音に慣れているということで、そちらを選ぶ人が多かったのは当然だと思います。セレクションの時間はたった15分ですし。それにハンブルクのほうが、クリアで透明感のある音がします。 NYスタインウェイは、たくさんの色彩を持っていますけれど、それがちょっと変わっている…直接的でない感じというか、フォーカスした音でないというか…でも、それをおもしろいと思う人は選ぶのでしょう。複雑な音を求めている人がNYを選びがちかもしれません。 —コンクールでピアノを調律するときに一番気をつけることは? まずはパワーのあるピアノにすること。特にファイナルでは大編成のオーケストラとの共演になりますから。たとえどんなに美しい音がしても、どんなに上手に演奏していても、聞こえなければ何にも意味がありません。最大限に力の出せる楽器である必要があります。もちろん音が汚くならないギリギリのところで。それから予測を立てること心掛けています。 —ここは大きな会場なので大変では? いえ、ステージ上ではけっこうよく反響してくるので、悪くないですよ。 —良い調律師に求められる資質はなんでしょうか? オープンマインドであることですね。常に音楽家から学ぶ気持ちでいなくてはなりません。ピアニストが音楽的に気にかかっていると話すことは、技術的な視点から読み替えることがとても難しいこともあります。それでも、辛抱強くいられるようでないといけません。 私たち技術者は、それぞれに自分が普段やる手続やプロセスを持っていますけれど、ときには音楽的な問題をクリエイティヴなアイデアで解決するため、従来のパラメーターを外して考える必要があります。 —ピアニストからのリクエストは抽象的なこともあるでしょうね。 そうですね。一部の調律師は、そういう言葉をうけても、ピアニストは自分でも何を話しているのかわかっていないのだろうとまともに聞き入れずに済ましてしまう人もいます。でも私は、それは間違っていると思います。そういうピアニストは、単にその希望をどう伝えたらいいかわかっていないだけなのです。むしろ、そういう言葉を技術的な感覚に置き換えることも私の仕事の一部だと思っています。 そこには、かなりのクリエイティヴィティが求められますけれどね。 —昨年秋の内田光子さんの日本ツアーで調律をされたということですが、彼女のピアノを調律するのは大変ですか? そうでもありませんよ、彼女は自分が欲しいものをはっきりわかっています。何をしたいかが決まっていて、音楽的なアイデアがとてもはっきりいているから、コミュニケーションもとても明快です。 私が特に気を遣っていることを一言でいうなら、ヴォイシングです。調律においてはもちろん全ての要素が重要ですが、一つの音から次につながるときも含め、クリアな音が持続するようなヴォイシングは、特に大切にしています。 —ところで、調律師になろうと思ったのはいつごろですか? 21歳のときでした。よくこういうことを言う人っていると思うけど、あとるき突然、これが私の仕事だ、って感じたんですよね。そしてそれは間違っていなかったということです。 —コンディションが難しいピアノを調律しなくてはならないときに一番大切なことは? まずはとにかく落ち着くことです(笑)。 —パニックになってはいけない。 そう、それが第一。私がパニックになれば、私の周りの人がみんなパニックになっていきます、もちろんピアニストも含めて。 次に必要なのは、数分間とってプランをつくることです。作業を始める前に、自分がやろうとしていることは本当に意味があるかを考え、プランを立てます。その意味でも、とにかく落ち着くということが一番大事なんですね。 ”
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クライバーンコンクールが終わって…まずは日本のお三方のお話
“ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールは、韓国の18歳、イム・ユンチャンさんの優勝、そしてロシアのゲニューシェネさんが銀メダル、ウクライナのチョニさんが銅メダルという結果となりました。 今回もすばらしいピアニストたち、記憶に残る演奏にたくさん出会うことができました。閉幕からもう1週間、少し落ち着いたところで、ゆるめに今回のコンクールを振り返って見たいと思います。アーカイヴで演奏はこれからも聴けますので、ご興味を持った演奏はぜひ聴いてみてください! まず今回のコンクールで印象を残してくれた人たちといえば、このお三方でしょう。 日本/フランスのマルセル田所さん、日本の亀井聖矢さん、吉見友貴さん。 (そろって次のステージに進出した予選結果発表後の写真) (この写真吉見くんだけすごい躍動感でじわじわくる。一人だけ今から時空越えそう) 普段コンクールの取材をするときは、日本人という理由でクローズアップするというスタンスから少し距離を置きがちな、みなさまの需要に応えないダメライターのわたくしですが(なに人だっておもしろいピアニストを紹介したいのよと思ってしまう)、今回このお三方は非常にキャラが濃く、音楽性も濃く、自然と注目するに至りました。予選演奏後のコメントなどもこちらで紹介しています。 印象に残ったのは、亀井さんならセミファイナルのリサイタル。 余裕すぎる「イスラメイ」の仕上がりは、過去のコンクールで植え付けられた「コンクールで聴くイスラメイは弾けることを見せるために選曲されたもので、いつも一生懸命弾かれている」的なイメージを払拭するものでありました。すごい素敵な曲じゃないのと。みずみずしく伸びる音の持ち主です。 亀井さん、ファイナルは会場に聴きにいらしていましたが、フォートワースの皆さんから本当に人気で、なんだかホールの中で女子の人だかりができてるな?と思ったら、亀井くんの撮影会が行われていた、なんていうこともありました。すごい。 (フォルムが似ているという理由でよくユンチャンと間違えられたようですが、この時は決して間違われていたわけではありません) 吉見さんは、予選のリストのロ短調ソナタもよかったんですが、とても印象に残っているのは、クオーターファイナルのブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」ですかね。運動神経の良さが発揮されているというか、生命力にあふれているというか。さすが四重跳びできるだけある(縄跳びがめちゃくちゃ得意なんだそうです)。思い切りの良い、迷いのない音楽は、聴いているとわくわくしてくる。 (縄跳びのせいかピアノのせいか、さすがのしっかりした前腕) マルセル田所さんは、セミファイナルのモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏がとても楽しくてすばらしかったのですが、ソロのステージでも、自分だけのプログラム、自分だけの音楽を聴かせてくれて、始まるまで何が出てくるかわからない感じが良い。これからも聴き続けたいピアニストです。 何を弾いていても基本的には音が優しく品があって、だからこそ、ストラヴィンスキーのペトリューシュカとか、スクリャービンやラフマニノフで狂気チラ見せしてきた時のインパクトがすごいのです。やっぱり隠し持ってたか、という感じが。結果的に、表現の印象は人間的で熱いという不思議。 マルセルさん、取材に行ってみたら、ホームステイ先のわんちゃんにめちゃくちゃなつかれてた。 pic.twitter.com/tKZ5AbPB4G — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) June 19, 2022   ところでこれはコンクール取材あるあるなんですけど。帰ってきてから改めて配信の映像みて、この方、こんな表情で弾いてたのね!とびっくりするということがわりとあるんですね。 日本からのお三方に関していえば、吉見さんは、客席から遠目で見ていた印象とそう離れていない感じ。 亀井さんは、普段と弾いてるときの顔違うよね?というのに加えて、体の使い方が興味深い。肩甲骨周りやわらかそうで、泳げないとは思えない感じ(マルセル家のプールで溺れかけたらしいというエピソード、ご存知の方も多いかと思います)。 ギャップがあったのはマルセルさんで、こんな深刻な顔で弾いてたんだ!と思いました。いやなんか普段のゆるんとした表情のイメージがやっぱり強いから。 でもまあ、何より一番ギャップがあったのは、審査委員長でファイナルの指揮をつとめたオルソップさんかもしれない。会場で見ていたピアノ蓋で半分隠れた後ろ姿(正面が見えるのはピアニストの方をしっかり向いているときだけ)と、映像で四方から映された姿だとだいぶ印象違う…そもそも会場でも、ファイナルの終盤で左の席にずれて棒の先がよく見えるようになった時点で、少し印象変わってたけど。 ものごとは、見る角度によって違って見える。 と、それはさておき、日本勢の国内における今後のコンサート情報です。 吉見友貴さん 2022年9月9日(金)19:00 東京 紀尾井ホール 亀井聖矢さん 2022年8月7日(日)17:00 岐阜 サマランカホール 2022年8月11日(木・祝)15:00 八ヶ岳高原音楽堂 2022年10月27日(木)18:45 愛知 三井住友海上しらかわホール 2022年12月11日(日) 17:00 東京 サントリーホール *7月中にはかてぃんさんこと角野隼斗さんとの2台ピアノの全国ツアーがあるようですが、こちらはさすが完売。他にもオーケストラとの共演があるようですのでHPをチェックしてください。 マルセル田所さんはフランスにお住まいで、直近ではサンタンデールなどコンクールへの挑戦も控えていることから、日本でのコンサート情報はまだありません。 でもインタビューで、やっぱり日本大好き、日本で弾きたい!とすごくおっしゃっていたので、近いうちに開催されることを楽しみにしましょう。 全体を振り返ろうと思っていたのですが、日本のみんなのことを書いているだけで長くなってしまったので、とりあえず今日はこのあたりで。 (パーティーでプレゼントされたというハット、似合ってました!) ”
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クライバーンコンクール、印象的なコンテスタント達のお話
“ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール史上、最年少の金メダリストとなった、イム・ユンチャンさん。 登場したときの、これは何か持ってるな、という感じは特別でした。めちゃくちゃ良く弾ける、でもその先に何かがある感じ。年齢は関係ない、でもやっぱり18歳ですでにここまできているのはすごい。 終演後に話しかけたとき、英語はできないからといいながらポツポツと静かな口調で応えてくれる様子に、浜松コンクールに出場していた15歳のチョ・ソンジンさんのイメージが重なりました(言葉が通じないものだから、演奏の前に何食べたかとか、映画何が好きかとか、苦し紛れにそんなことばかりきいた記憶)。 とはいえ、すぐにコンサートツアーを回ることができるピアニストが求められるこのコンクールで、18歳のユンチャンさんが優勝させてもらえるのかなとは思っていました。しかしファイナルであれだけの演奏をすれば、やっぱりこういう結果になりました。 優勝後のコメントなどを聞いてもご本人もとても真面目そうだし、先生もしっかりした方のようだし、きっとこれからもうまく勉強とコンサート活動のバランスをとって進んでいってくれるのではないかと思います。というか、そう願いたい。 ニコリともせずステージに出てきて、弾き始めると豹変する様子はなかなかのインパクトでしたが、ステージ外で、おめでとう!と声をかけたときにふっとみせる笑顔は、しっかり18歳でした。 ちなみにこれは取材する側の本当に勝手な事情なんですけれど、コンクールの取材でいちばん「やっちまったー」となるのは、ファイナルまで一度も話しかけていなかったピアニストが優勝することなんですよね。 その理由は、チャンスがなかったとか、シンプルにノーマークだったとか、いろいろですが。優勝してからそそくさと寄っていくと、やっぱり、優勝したからきたよねっていう感じになっちゃうよなぁと気が引けるのです。別に気にする必要ないんでしょうけど。 そしてなぜか運良く、これまでのコンクールでそういうことはあまりない…特にフリーになってから取材したコンクールでいうと、一度だけかな。いつとは言いませんが。 で、その意味で今回も、予選の演奏のあとにしっかりイム・ユンチャンさんに話しかけていた私、よくやったと言いたい。演奏順の都合でどんなに関心をもっても声をかけられないときもあるのですが、最終奏者だったこともラッキーでした。 ロシアのアンナ・ゲニューシェネさんは、最初から最後まで安定感のある演奏、内側から湧き出してくるような音楽表現、経験豊富なピアニストならではの貫禄で、入賞に相応しい存在だったと思います。 出産を控えた体でこのハードなスケジュールをこなすだけでもすごい。ファイナルからは、夫のルーカス・ゲニューシャスさんも現地にかけつけて側で支えていたそうです(お子さんはおじいちゃんおばあちゃんのところに預けてきた、とルーカス談)。 結果発表後はアンナさんももちろん嬉しそうでしたが、ルーカスが本当にめちゃくちゃ嬉しそうだった。よかったね! (授賞式のオープニングでウクライナ国歌を演奏したホロデンコさん(右)と。二人ともうすっかりベテラン感漂います。ショパコンに入賞した20歳の頃が懐かしいよルーカス) ウクライナのドミトロ・チョニさんについては、私はその音にとても魅力を感じました。可憐なのよ。音量で勝負するわけではないんだけど、ぴちぴちした音がよく通ってくる。 祖国で起きていることを思えば、コンクールに集中することが難しい瞬間もあったかもしれませんが、しっかりとご自分の音楽を届けてくれました。 それにしても、このコンクールでは、関係者はもちろん聴衆もどんな国のコンテスタントに対しても受け入れる態度を保っていたのが印象的でした。少なくとも私は、ロシアやベラルーシのコンテスタントにきつく当たる人は見なかった…もちろんご本人たちに聞いたら何かあったかもしれないけど。 少し前に、アメリカでUFC(総合格闘技ですね)の試合を見たというジムの先生が、ウクライナの選手には声援が出て、ロシアの選手にはブーイングが飛んでいた、という話をしていたのが印象的でした(オリンピックならまだわかりますけど、そういう大会じゃないですからね。逆に先生は、アメリカ人にとってはUFCがそれだけ自分の感情と重ねてみる身近なイベントなんだと思った、と話していましたが、それはまた別の話)。 クライバーンコンクールの場合は、クライバーンさんが冷戦下のソ連でアメリカ人なのに優勝させてもらえたという成り立ちの背景もあるし、そもそもクラシックの聴衆は、ソ連時代の作曲家…当局の圧力に苦しめられて作品を生み出した人たちのことをよく知っているから、ロシア人アーティスト個人とロシア政府のやっていることは切り離して考えようと思う人ばかりなのかもしれません。わからないけど。 まあいずれにしても、自国のアーティストが国外で冷遇され、才能がつぶされようとも、政府のトップ権力者にとっては痛くも痒くもない。そもそも、自分達の方針に迎合しないアーティストは自分達でその才能を潰す、もっといえば、迎合させることで才能を潰すこともあるのだから。一度戦争状態になれば、ロシアに限らずどの国でもやることでしょうけど。 話を戻して、そのほか入賞を果たせずとも印象に残った面々。 まずやはっぱり、ケイト・リウさんです。予選もクオーターファイナルの演奏も、私は本当に好きだったし、彼女のプロコフィエフを聴くことができてとてもよかった。ベートーヴェンのOp.110も心に沁みた。ファイナルのコンチェルトも聴きたかった。 ショパンコンクール以後、しばらく演奏活動をお休みする時期もあり、奏法を大きく変える必要があったと話していましたが、その経験を経て音楽もまた深まったのではないかと思います。またすぐに来日してくれるといいです。 ゲオルギス・オソキンスさんも、また日本に演奏しに来てほしい。こういう、自分の音楽とやっていることに確信を持っているピアニストというのは、今日は何を見せてくれるのだろうという期待があって、毎回のステージが純粋に楽しみです。で、聴いてみてどう思うかはその時次第! それにしても、彼の演奏を最初に聴いたのは、2015年のショパンコンクールだから、20歳の頃? 1次予選終盤の疲れた頃に登場して、うわ、すごいの出てきた!と思って、疲れがばっと吹っ飛んだことを覚えています。 話しかけるにも気を使ったあの時に比べたら、ほんとうに丸くなりましたよね。音楽は相変わらず尖ってるけど。 すみっこで一人、オソキンスさんがばっちりキメてた。 (思わずモノクロ加工) pic.twitter.com/Hs6DOpk3Vj — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) June 14, 2022 // _ // ]]>こちらは動物園パーティで、プレゼントのウエスタンブーツを試着した時の一コマ。 こう見えてすごい好青年なのです。この写真添えたら説得力ないか。 ソン・ユトンさんは、5年前のクライバーンコンクール、昨年のショパンコンクールはじめ、あちこちのコンクールで聴いてきたピアニストです。美しく、どこか闇も感じさせる音楽に対して、直接話しかけるとやわらか~い雰囲気のギャップがなかなかすごい。 5年たってまたこのステージに戻ってきた感想は?と聴いたとき、「少なくとも、5年前よりは悪くはないんじゃないかなと思います、今回はセミファイナルまでこられたからー(笑)!!」といって、自分でめちゃくちゃに笑っていたことがすごく印象に残っている。謎のユトンジョークと、置いていかれる私。 ソン・ユトンさんもうすぐ初来日、ということで、日本のファンのみなさんにメッセージをもらいましたよ。やさしそうなお方。 pic.twitter.com/niACuWjpfx — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) June 9, ...”
7月
04
クライバーンコンクールこぼれ話
“クライバーンコンクールについてのちゃんとした記事が出きったところで、最後に余談をつらつらと書きたいと思います。時間を持て余している方は、どうぞお付き合いください! ピアノの話 今回、目に見えてわかりにくいのであまり話題にならないと知りつつ私が関心を寄せていたのが、ピアノのお話でした。 このコンクールではスタインウェイのみが使用されるということ、またバス・パフォーマンスホールに移ってからの調律師さんのインタビューはすでにご紹介しました。 けっこう個性の違う2台のピアノ、しかしロゴを見ただけでは違いは基本わからない…そんななかで、一部のコンテスタントがプログラムによってヒッソリとピアノをチェンジしていたのが、とってもおもしろいなと思った次第です。 違うメーカーに変えれば、音はもちろんメカニックの面で感触が大きく違うことも多いと思いますから、リハーサル時間の取れないコンクールでピアノをチェンジするのはそれなりに勇気のいることです。 しかし今回は、ニューヨークとハンブルクでタイプが違うと言えども、いずれもスタインウェイだったので、多くのピアニストが安心してピアノをスイッチしていたように思います。 おもしろいチョイスをしていたのが、まずはクレイトン・スティーブンソンさん。 彼はTCUでの予選&クオーターファイナルでNYスタインウェイを選び、特徴的な音を鳴らしていましたが(弾きやすさより音質を選んだ、というコメントはこちら)、バス・パフォーマンスホールに移ってからは、ステージによってハンブルクとNYを弾きわけていました。プログラムに合う音質をセレクトしたのでしょう。 アンナ・ゲニューシェネさんもまた、TCUではずっとハンブルクを使っていたのに対し、バス・パフォーマンスホールに移ってからはNYとハンブルクを使い分けていました。例えばモーツァルトのピアノ協奏曲はハンブルク。 調律師のベルナーシュさんが、今回のNYはしっかり鍵盤を押し込めばより大きな音が出ると話していたことと、アンナさんがモーツァルトのあとに「ブライトすぎる音でオーケストラを圧倒しすぎないようにすることは、ある意味チャレンジング」と話していたことが、つながりますね。ピアニストは本当にいろいろなバランスに気を配って音楽を作っています。 ちなみに優勝したユンチャンさんは、最初から最後まで一貫してハンブルク…かと思っていたら、ファイナルのラフマニノフ3番のとき、直前でピアノをNYに変えていたそうです。 (※ピアノの選択についての記述、一部誤りがあり、修正いたしました。元の記事は、スタインウェイの調律師さんからいただいたピアノセレクトの一覧に基づいて書いたものだったのですが、その後、直前でのチェンジなどがあったようです。教えてくださったUさん本当にありがとうございます。以後、情報に間違いがないよう気をつけます。申し訳ありませんでした!) パーティーの話 クライバーンコンクールは、地元のお金持ちたちのサポートで支えられているコンクールだということが知られています。授賞式の賞の正式名称がやたら長い(しかも企業とかでなく個人名がついている)のはそういうことも関係していると思われます。そして、賞金の額がすごいということもお気づきになったはず。 コンテスタントたちのホームステイ先の立派さからもそのことは窺い知ることができたでしょう。 (前の記事でも話題に出ました、マルセルさんステイ先のプールは飛び込み台つき!) ホームステイ先の練習室を紹介する動画を撮らせてもらいました。なんともいえない仕上がり。 pic.twitter.com/k9eX43x1aR — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) June 14, 2022 (亀井さんのステイ先には、見たこともない機能のついたソファがありました。ステイ先の紹介記事はこちら) もうひとつ特徴的なのが、コロナもなんのその、期間中のパーティーの多さ! 結果が出た後のさよならパーティーくらいならどこのコンクールでもありますが、途中でもバンバンやりますし、ロケーションにもいちいち凝っています。 まずは演奏順の抽選会から、超ロングなディナーパーティーの中で行われます。しかも演奏順の決定は、抽選で名前を引かれた人から自分で演奏順を決めていくという、なかなかの緊張を伴うスタイル……コンテスタントはフルコース出されたところで気が気じゃないですよね。 (C)The Cliburn 以前このパーティーに出席したことがありますが、メインのフィレステーキを出されるころには、ピアニストみんな疲れてるだろうし早く帰って寝させてあげたい、という気持ちになりました。私自身が肉を切りながらモーレツに眠かったので…。 その他にもいろいろあります。 こちらは、セミファイナルの後に行われる、毎回恒例のzoo party。場所はフォートワース動物園。とにかく暑いので、フローズン・マルガリータがおいしい。飲み過ぎ注意な感じです。 そして、コンクール開幕のときに採寸したウエスタンブーツがコンテスタントにプレゼントされます。 (C)The Cliburn (オフィシャル写真にあったけど、この採寸中の足は誰でしょうね。マーベルの靴下) (いつも写真のポーズがイケメンだと評判の吉見さん。後ろは出来上がりを試着するコンテスタントのみなさん) さらにこんなパーティーもありました。 フォートワースの有名なファイアーストーン&ロバートソン蒸留所でのウイスキーパーティー。地元出身の二人の男性がかつてゴルフコースだった場所を買い取ってオープンさせた、ウイスキーの蒸留所らしいです。 (ウイスキー樽をバックに佇む亀井さんとマルセルさん。それにしてもこの二人、どちらも背が高いのに、マルセルさん写真だとものすごく背が高く写りますよね。トリックアート的な要素がどこかに隠されているのだろうか…) ウイスキーカクテルやお肉料理が振る舞われ、ただただおいしいものを楽しんで帰ってくる感じ。ちなみに、お土産に買ってかえってきたほど、こちらのブレンドウイスキーがおいしかった! 今調べたら日本でも買えないことはないようだけど、やっぱり高い。もっと買ってくればよかった。 泊まっていた家の話 最後は私がお世話になっていたお家の話です。 家主のバリーさんはベテランのジャーナリストで、私が辻井くんが優勝した回のクライバーンコンクールを取材したときに知り合いました。 (庭でサーモンをスモークしている) バリーさんは若き日に日本の新聞社で働いていたこと、さらに奥様がインド人だったということで仲良くなり、フリーランスになってコンクールを全期間取材するようになってからは、お家にお世話になっています。 実は奥様は少し前にご病気で亡くなってしまったのですが、家には今もいたるところにインド感が漂っています。 (ソファの生地がインドの布だったり、バスルームにガンジーのでかいオブジェが飾られていたり、いろいろびっくりします) (テーブルクロスもインドのプリント) で、私がこちらのお宅にお邪魔するうえで最も楽しみにしていることが、このテーブルの上に転がっている、ねこのウキーちゃんとの再会であります。 もともとねこをかったこともなく、さらには他人様の家のねこと遊ぼうとしたところでなつかれたこともなかったのですが、5年前のウキーちゃんとの出会いは衝撃的でした。 よくわからないけどニャーニャー言いながらすごい寄ってくる。とにかくかわいい。そしてんだろう、なんか気が合っている気がする。 …おそらく単に、家主のおじいさんがねこと遊ぶみたいなタイプではないから、いいカモが来たぞという感じでかわいさアピールしてきているだけなのでしょうけれど。とにかくなでろと言ってくる。 ちなみに一度、よく見る棒の先のおもちゃを動かして追いかけさせるみたいな遊びは好きなのかなと思ってやってみたら、最初はどうにも抑えきれない衝動的な感じで追いかけていたけど、1分もたたないうちに「ハッ」と我に返ったような表情を見せ、「そういうのに反応しちゃう自分がイヤなの、やめてくれる?」みたいな感じで、そっぽを向いて部屋から出て行きました。そんなねこいるの。 でもでも、そんなところにも共感するよ、ウキーちゃん!! この媚を売らない感じの目つきがいい。そのわりに膝の上にのって、パソコンの前に割って入ってくる。帰国して2週間経ちますが、2日に一回は動画と写真見てます。さみしくて。 ところで我が家主、ジャーナリストとして結構長く日本にいて、その後インドやアフリカにいったり、中東で牢屋に入れられたりしていたやばい人だという話は聞いたことがあったのですが、今回はじめて、「もともと早稲田大学に留学したんだけど、学生運動が始まって、その写真を撮る中で新聞社の手伝いをするうちにジャーナリストの道に進んだ」という事実を聞きました。 そしてなんと、三島由紀夫のあの切腹があったあのとき、市ヶ谷駐屯地にいたらしい(ジャンプしたけど直接は見えなかった、といっていた…)。 生前の三島由紀夫を熱海に訪ねて家族と1日過ごしたとも言っていました。 「彼は若い白人の青年を前に、知的でエレガントな優しい男を演じていると感じた」だって。すごい証言。 と、そのようなわけで最後は完全にクライバーンコンクールと関係のない話になりましたが、お付き合いどうもありがとうございました。 そして実は今月、記事では書ききれない、さらには書いて残すのはちょっと気が引けるなというクライバーンの裏話を、一気にお話しする機会がございます!! 朝日カルチャーセンター立川教室 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール2022現地レポート 7月30日(土)15:30〜17:00 コンテスタントたちの魅力、コンクールの裏話やいろいろな出来事、審査にまつわるお話などを、現地で撮ってきた写真や動画とあわせて、たっぷりご紹介したいと思います。 教室・オンライン、どちらでも受講可。当日の予定があわなくても、後日1週間アーカイヴで動画が見られます。みなさんご参加のうえ、ぜひ教室やコメントで、コンクールのご感想や質問などお聞かせくださいね。 クライバーンコンクールの現地レポート、あちこちに記事を書きましたが、とりあえずはこのあたりで一度完結です。また何か思い出したら書くかもしれませんけれど。 どうもありがとうございました。 ”
10月
20
海外取材に行くか迷うたび必ず思い出す、木之下晃先生のこと
“写真家の故・木之下晃先生。 コンクールの海外取材、行こうか行くまいか、採算はとれるのかということを迷った時、必ず思い出す木之下先生の言葉があります。木之下先生といえば、クラシックファンの方はご存知でしょう、“音楽が聴こえる”といわれる演奏家のモノクロ写真で有名なあの方です。 ちょうどこの夏、2007年にNHKで放送された、写真家の故・木之下晃さんのドキュメンタリーが再々放送されていました。観ていたら記憶がよみがえってきたので、ちょっと書くことにしました。 私は直接先生のページを担当することはなかったのですが、“行きあう”と、何かと声をかけてくれた、そんな思い出。(木之下先生、遭遇することを“行きあう”っていってたなーって、ドキュメンタリーを見ていたらなつかしく) 私が最初に木之下先生にお会いしたのは、学生でピアノ雑誌の編集部のアルバイトを始めたばかりの頃。先輩から、入稿用の紙焼き写真をラボに取りに行くお使いを頼まれたときのことでした。 当時私はインドの開発援助の研究をしていた大学院生。木之下先生は、そんな私がなぜクラシック音楽雑誌の編集部でバイトをしているのか、それはもう、ずいぶん不思議そうでした。 バイトの頃から海外の取材にも行かせてもらい、仕事が楽しかったので、その後私は編集部に社員として就職。それを知った木之下先生は、なにかがご不満だったのでしょう、「もっと大きなところで挑戦しないの?」「一度大企業に就職する経験もいいよ」と私に言い、以後私の顔を見るたび、「まだ辞めないの?」と声をかけてくるのでした。 それで私が今は楽しいから続けるというと、「まあ、目の前の楽しい仕事っていうのは、麻薬みたいなものだからねぇ」とおっしゃるのです。麻薬!! そして普通に考えるとだいぶズケズケ言われていた気もするんですけど、でもそこから親切心が伝わってくるのが、木之下先生のすごいところ。 木之下先生ご自身、若き日は大手広告代理店(博報堂)のカメラマンをしていたとおっしゃっていました。 ドキュメンタリーによれば、「クリエイティヴを求められる時代で、誰もやっていない前衛的な画を撮ろうとしていた」といい、ジャズやロックのステージを、わざとカメラをぶれさせて撮る手法に行き着いたそうです。 その作品を集めた写真集で、1971年、日本写真協会新人賞を受賞。これを見た評論家から、「木之下の写真はコマーシャルが強い」と言われたけれど、当時はコマーシャルの方が時代の先端をいっていたから、「自分は褒められていると思っていた…しかしそうではないとやがて気がついた」なんて、ドキュメンタリーでは語っていらっしゃいました。 さらにつくりこむことに飽きがきて、「クラシックの演奏家を撮り、モノクロで、ストレートに相手を見つめることに興味を持つようになった。そのほうが本当に音が聴こえると思った」らしい。 今改めて感じるのは、木之下先生は、「商業主義に揉まれる中で、自分が本当に魅かれる表現、理想の姿を見つける過程には、価値があるよ」、同時に、「商業主義のノウハウを知るからこそ、のちに生み出したその表現を世に送り出す手段が身につくよ」ということを、私に体験させたかったのだろうなということ。 私はその後、編集部で一瞬だけ編集長のポジションについたのですが、やりたいと思うスタイルとの折り合いがつかなくて3ヶ月後にはフリーになりました。木之下先生にその報告をしたときに言われたことは、今も覚えています。 「僕はあなたに辞めないの?って言い続けていたけど、結局、編集長にまでなったから、それはそれでよかったなと思っていたのよ。でも、辞めちゃうんだねぇ」 …なんだろう、私の人生の決断でまたしても不満を感じさせてすみません先生、という気持ちに一瞬なったという 笑。 ちなみにそれは2011年3月、東日本大震災の直後のことで、6月にすぐチャイコフスキーコンクールがありました。フリーで取材に行くか迷っていたところ、「たとえ金銭的にマイナスでも、行く価値があると思うなら絶対行ったほうがいい。その経験は必ず財産になるよ」と木之下先生。 その言葉に背中を押されて出かけました。この回ではピアノ部門でトリフォノフさんが優勝し、実際、あの瞬間を現地で見たことも、このスタイルで取材ができるとわかったことも、人とのつながりも、大きな財産になりました。 あそこで一歩踏み出した経験がつながって、こうして仕事を続けられている感じがすごくある。もちろん、あんまりうまくいかないこともあるけど、何でも楽しい。 今でも、そろそろ次のアクションを起こしたほうがいいかな、今の仕事がおもしろいからって満足していていいのかなとふと思うとき、木之下先生の、「目の前の楽しい仕事は麻薬」「金銭的にマイナスでも価値があるならやれ」という二つの教訓がよみがえります。 心地よい現状に甘んじない、リスクをとって挑戦する。その姿勢によって、木之下先生は唯一無二の写真家として、あれだけの作品を残されたのだなと改めて思うのでした。 …で、なんで今急にこんな話をするかというと、実は前に書いてあって載せられていなかったこの文、今の状況にフィットするので、公開してみようと思った次第です。 というのも、私は日本を発ちまして、ジュネーブコンクール、ロン・ティボーコンクール、パデレフスキコンクールと、この秋続けて開催される3つの国際ピアノコンクールの取材に出かけるところなのであります! 今回もどうしようかなと迷ったのですが、すばらしい若いピアニストたちの取材をする意義はもちろん、自分自身の人生のインプットを増やすためにも絶対行った方がいいと思い、決断した次第です。今回も現地速報レポートを書かせてくれるぶらあぼONLINEさん、ありがとう! そのほかONTOMO Webにも読み物を寄稿予定です。 というわけで、これから順次記事が公開されていきますので、どうぞお楽しみにー!”
2021
10月
04
ショパンコンクールがはじまった…
“はじまってしまいました、第18回ショパン国際ピアノコンクール。 6年ぶりに、ワルシャワに取材に来ております。 今回、最新の現地レポートはぶらあぼONLINEに書きます。 そして、ここまでショパンコンクールに向けての記事を連載してきたONTOMO webには、少し別の角度からコンクールの魅力を紹介する記事を寄稿する予定です。 そしてこれらに書ききれないようなピアノ好きのみなさんのための情報は、こちら、「ピアノの惑星」に書いていこうと思います。 他にも帰国後に紙媒体ほかでいくつか情報発信する予定がありますので、また順次お知らせいたします! さて、ショパンコンクールは、10月2日、オープニング・ガラコンサートで開幕しました。 そして本日から、コンクール1次予選。モーニングセッションは午前10時から、15時から2時間休憩で、17時から22時ごろまでイブニングセッション。「10時間演奏聴いてることになる」と誰かが言っているのを聞いて、知りたくなかった…と思ってしまいましたね。 ちなみにわたくしごとで恐縮ですが、朝食を食べて出てきて、途中30分弱の休憩があって15時までですから、昼の部の終盤は、お腹がすいて演奏聴くどころではない、ということに初日に気がつきました。 どうしてこういうスケジュール?と思いますが、ポーランドでは、朝食べて出て、昼前にちょっと軽くなにかつまんで、15時ごろに「ディナー」といってがっつりご飯を食べるらしいので、ポーランドの人たち的には、ノーストレスなのかもしれません。 気になる初日のお客さんの入りですが、昼は大体5割くらい、夜で7割くらいでしょうか。日曜日だったというのに、思ったより少なかった印象です。 また、審査員の変更があったのはぶらあぼの記事に書いた通りですが、今日はさりげなく、サ・チェンさんの姿が見られませんでした。つまりは、審査員は当初の予定からマイナス二人の人数でスタートしたということになりますね? …まあ、そんなもんなんでしょうか。 (審査員のみなさま。ハラシェヴィチさんがなにかっていうとマスクはずしたそうにしているのが印象的でした) それから今回は、バックステージへのアクセスが厳しく管理されているので、これまでのように、終演後に裏に走っていってコンテスタントとお話をするということが基本的にできません(事前に申請して通った特別なパスを持った人たち、しかもPCR検査済みの人たちしか入れてもらえない)。 そんなわけで、いつものような取材はしにくいところだったりするのですが、まあなんとかうまいこと、ゆるやかにホットな情報をお届けしたいと思います。どうぞお楽しみに。 最後にちょっと、どうでもいい余談を。 私のコンクール取材の旅の必需品をご紹介したいと思います。 まずは、耳栓。 飛行機の中はもちろん、宿の場所によっては騒音が気になる時、ホテルの廊下でお掃除レディが早朝から大声でわーわーする時なんかに使えます。難点は、目覚ましのアラームが聞こえにくいこと。 ちなみに今回、アパートの上の階で老夫婦が真夜中に壮絶なバトルを繰り広げており、思いがけず役にたってしまいました。まあ、なくても疲れ果てて寝ちゃいますが。 づづいて、ノート。 コンクール取材中はいっぱいメモをとるので、そしてなんとなくたびの記憶になるので、現地調達することが多いです。今回は何を血迷ったか、スーパーで見かけたハリネズミ柄をチョイスしてしまいました。アウチ!アウチ!って書いてある。 そして、日本から必ず持参する、胃薬。 コンテスタントの緊張感にずっと触れて、一緒に心配したりハラハラしていたりすると、ごくまれに、気が小さいもんで、こっちが胃をやられることがありまして。これは、食べ過ぎとか飲み過ぎとかじゃなくそういうストレスの何かから胃を守る薬ということで、長らく旅の常備薬としています。 最近は図太くなってきたので、それほど胃が痛くなることもなくなりましたが。 と、完全にどうでもいい話になりましたが、今回もどんな演奏に出会えるのか、たのしみですね!”
10
ショパンコンクール1次予選、ピアノとステージ
“あっという間に2次予選が始まってしまいました。1次の総括的なもの、コンテスタントの演奏後の様子はぶらあぼONLINEでご紹介しましたが、こちらではそこで書ききれなかったことを書き連ねたいと思います。 まず1次の結果については、もちろん、あぁ次も聴いてみたかったのにという方もいましたし、逆に個人的に、通ったの!と思った方もいなくはなかった。 でも、過去のファイナリストを中心とした有力候補といわれる人たちは(ポーランド勢含め)残った印象。こんなに目立った番狂わせなしでスタートする展開ってあるのね、と思いました(地元ポーランド勢で、なぜ落ちた!と騒ぎになっている件もなくはないようですが)。 嫌なことをいうようですが、審査に政治的な感覚が働く場合、勝たせたい人の有力なライバル、危ないヤツは、みんなが見る前の早い段階で消しておく、みたいなことがあると言われたりするんですけれど、今回はあまりそういう力は働かなかったということかもしれません。単に、そういう力同士が拮抗しただけかもしれませんし、この後どうなるかもわかりませんが。 (…あぁ私、過去のコンクールのいろんな話を聞きすぎて、えらい疑い深くなってる。でもそれが現実なのです) また、すでに人気だったり演奏活動をしている日本勢も、多くが残りましたね。仲よさそうにしている子たちがみんなで通って、リアル「蜜蜂と遠雷」みたい、なんてツイートしましたが、実際にはこれって、あの小説に出てくる「優勝者がその後頂点に輝くというジンクスがある、国際的なSコンクール」に舞台を移した、続編、という感じですよねー。 さて、かなり限られた数ではありますが、1次予選期間中にお話を聞くことのできたコンテスタントのコメントです。ピアノ選びについてのお話中心にご紹介します。 初日に演奏した沢田蒼梧さん。2次に通過しました! —コンクールに向けて準備するなか、ショパンとの距離感は変わりましたか? もともと好きな作曲家でよく弾いていましたが、とくに関本昌平先生(2005年の入賞者)に師事してからは、何かしらショパンの曲は勉強していました。ただ、ショパンコンクールをずっと目指していたというわけではないんです。 でも予備予選を通過し、コロナの影響でコンクールが延期になった時、改めてもっと勉強しようと、例えば自筆譜を入手して勉強したりすることで、いろいろな角度からショパンを見られるようになったと思います。 —関本センパイからのアドバイスはありましたか? とにかく自信を持てといわれました。今自分が100%完璧だと思えなかったとしても、今の段階の自分のショパン像を確信をもって提示してきなさいと。 —沢田さんもよく客席で他のコンテスタントを聴いていらっしゃいますが、関本さんも2005年当時そうだったんですよね…それで、僕は他人の影響は受けないからいくら聴いても大丈夫ですと言ってたのが印象的で。 先生はハートが強いですよね(笑)。僕の場合は、ホールの響きを確認すること、純粋に友達を応援することのために来ている感じです。 —ところで、ステージに出てきて弾くまでにけっこう時間をとりますよね? そうですか? 確かに、会場が少し落ち着いてから弾き始めようとは思っていますが。ステージに出ると、時間の感覚がわからなくなるんですよね。 —そういうものなんですね…知らないうちに3年経ってたみたいな。 気づいたら石になってるかもしれない。 —ところで今回はカワイのピアノを選びましたね。 もともとシゲルカワイが好きなのと、弾き慣れているからというのが大きな理由です。とくにタッチが好きなんです。鍵盤の感覚で弾いているところが大きいので、その意味で、感覚がすごく掴みやすいです。 —感覚。 はい、鍵盤の深さとか、指先のタッチとか、しっくりくることが多いんです。1台目に弾いたピアノは少し軽く、次がシゲルカワイで、弾きやすいと思いました。そのあと、スタインウェイと最後の最後まで迷ったのですが、最終的には録音していた音を聴いて決めました。 —音の特徴はどう感じていますか? 迷ったスタインウェイは、強音で弾いた時にブリリアントに鳴るピアノで、僕の弾き方だとすこしビンビンしてしまうかもしれないと録音を聴いて思いました。 それに対してカワイは、派手さはないけれどまろやかで深い音がすると感じて。音の芯のまわりにボワッとなにか広がるような。やわらかい雰囲気の音がします。 —今は医学部の5年生ということですが、医学と音楽の共通するところはどこにありますか? ピアノを弾くことで嬉しいのは、演奏を聴いて癒されたと言ってもらえること。医者の仕事も、暗い顔だった患者さんが帰るときには明るくなっていることもあります。音楽で心を癒すこと、治療で体はもちろん心も治すこと。これが自分の生きる道なのかなと感じています。 —まったく正統的な回答でした…というのは、昔アンデルシェフスキさんにお話をうかがったとき、自分はピアニストじゃなかったら外科医になりたかった、ピアノと同様、人間の中が見えるからって言っていて、うわーとと思ったんですよね。 えー、本当ですか!? でも人間の中なんて、単なる肉の集合体ですからね。音楽で人間の内面を見るのとは全然違うと思いますよ(笑)。さんざん見てきたので、麻痺してきているのかもしれませんが。 *** 肉の集合体…確かに。 会場でお会いすると立ち話をしたりするのですが、ある日ふと、あれ、なんかけっこうサラっと変なこと言う子なんじゃないか?と気づきました。 そして、さすがお医者さんの卵、聞き上手なのよ。 気づいたら私、「湯船につかれないのが辛い」とか悩みを相談していました。今コンクール中で頑張ってる若者に一体何を話して聞かせてるんだ、っていう。 しかし沢田さんはやさしげに、「1泊だけ〇〇ホテル(湯船がある)に泊まったらどうですか?」とか、アドバイスまでくれたという。さすがプロ。 2日目に演奏した反田恭平さんです。反田さんも2次に通過。 —1次のステージはどうでしたか? 実はストレスがすごくありました。衣装も何種類か用意していたのですが、胸元の開けられるものでないと苦しくなってしまうくらいで。 イタリアで初めて国際コンクールに参加した時は、イタリアン食べたいという呑気な理由で行って優勝してしまいましたが、今回は全く違います。ご飯を食べることで気を紛らわせています。 —ご飯が食べられているならいいですね。 それは大丈夫です。むしろストレスで食べすぎちゃう(笑)。あと、日頃から仲のいい小林とか角野とかがいてくれるので、本当に気が楽です。 メンタルは良好で、頭もクリアなんですが、体が緊張してついてこない感じですね。コンクールの本番でも、1音目を出した瞬間から、ホールや楽器を使いこなすにはどうしたらいいかを頭で整理しはじめました。だけど、背負っているものの重圧から勝手に体が硬くなってしまったみたいです。 でもこれだけ緊張したので、2次からはもう大丈夫だと思います!このあとのほうがプログラムも好みなので。1次で演奏したスケルツォ2番なんて、僕には正直よく理解できない。でも好きな3番や4番は、レパートリーや他の演目との兼ね合いで選べませんでした。 やれるだけはやったので後悔はありません。初めての大舞台でここまでできて、ちょっとだけ満足しています。 —今回は審査員席に師匠のパレチニ先生がいますね。 コンクール前の最後のレッスンは、4年勉強してきてこれが最後になるかもしれない、という状況だったのですが、最後にかけてくれた言葉と熱いハグに涙が出そうになって。その後、あのフィルハーモニーホールでピアノ選定をしていたら、先生のことを思い出してしまって泣きそうになりました。情緒がやばいです(笑)。先生には恩返しをしたいという気持ちがあります。 —そんなこと言われたらパレチニ先生泣いちゃいますね。 先生が入賞してから、半世紀ですもんね。ちなみに、先生がコンクールを受けたときの登録番号も、今回の僕と同じ、64だったんですって! *** すごい偶然。パレチニ先生泣いちゃう(ちなみに、審査員は自分の弟子に投票できません!)。 反田さんは1次でスタインウェイの479を演奏しました。ホールを出るまでに決めて申請しないといけないといわれ、でもなかなか決められず、迷いに迷って、4時間くらいうろうろホールの中にいたそうです。いすぎだろ!!とつっこみたくなるのは私だけでしょうか。 でもまあ、迷う気持ちはわかる。安心して演奏に集中できるか否かの重要な決断ですからね。 4日目の最後に演奏した、伊藤順一さん。 —ステージに出た時のご気分は? 緊張は階段を上っていったらなくなったのですが、今日は雨が少し降り、客席に人も入って湿気があがり、ピアノの感触も変わっていたことと、あと練習しすぎて右手が思うように動かなかったのとで、ミスが出てしまったなぁと。 —当日にならないとわからないこともありますね…15分でピアノを選ぶのは大変でしたか? そうでもないですね、最終的に選んだファツィオリと、ヤマハで迷ったのですが。ファツィオリは豊洲のシビックホールにある楽器をよく弾いたことがあって慣れていたのと、先生からも勧められたのとで、選びました。 —ピアノの気に入った点、こういうところが助けてくれたと思うことはありますか? やっぱりあの芳醇なうるおい、みずみずしい音と響きですね。それがもっと完全に引き出せたらよかったのですが。単純に音だけ聴いていて、ピアノっていいなと感じられるピアノ、うるっとくるようなピアノが好きです。 —真ん中あたりのあたたかめの音と、高音のキラキラを生かして、いい感じに立体的な音楽が聞こえていましたよ。 ありがとうございます。今回のピアノは非常に整っていたので。 僕自身の音楽が、パリッ、キラッとしたものではないので、今回はコンクールという場ですし、自分にないものを補ってくれる、ヤマハ、ファツィオリ、スタインウェイを選んだらバランスが良さそうだなと思いました。自分の性格通りなら、カワイなんですけどね! —渋めで落ち着いた感じですか? そういうピアノも大好きなんです。でもコンクールだとそれだけが良くても十分でないので、キラッとかパリッとかいう、自分に足りないものを補いたいと思いました。 *** この、「ピアノに自分にないものを補ってもらう」っていう感覚。いわゆる人間のパートナーについての話を聞いているみたいでおもしろいし、なんかいいなぁと思いました。そして楽器も生き物だから、その時によってご機嫌が変わってしまう。奥が深い。 渋く素敵な演奏、次も聴きたかった…また日本でリサイタルに行こう。 5日目の朝一番で演奏した、岩井亜咲さん。 —ステージを終えて、いかがでしたか? もっとピアノを鳴らせたんじゃないかという反省もありますが、自分がやりたいと思ったことは、その枠はもしかしたら小さかったかもしれないけど、なんとか全部できたと思います。課題として自分の中に残るものもたくさんありました。 —今回はスタインウェイで、選んだ人の少ない300のほうを演奏されましたね。 正直、300と479がどちらなのかというのはよくわからなかったのですが、シゲルカワイとスタインウェイで悩んでいました。シゲルカワイもとても好きなピアノだったのですが、いい音を出せる人とそうでもない人がいる気がして。男性でパワーのある人が繊細に演奏するといい音が出るのではないかと思ったのですが、私は打鍵も強くないので、スタインウェイにしました。最終的には、自分の性格に合うかなと感じるほうを、人との付き合い同様、合う合わないの感覚のようなもので選びましたね。 —スタインウェイのどんなところが気に入りましたか? 今回選んだスタインウェイは、小さな音が繊細によく鳴ってくれるところが気に入りました。そういう音が鳴らしにくいピアノもあったので。 きらびやかでキラキラした音が鳴るので、それをいかしながら、繊細なところをどれだけ美しく弾けるかを目指しました。私はfであまり強い音は出せないので、pでどれだけ会場の雰囲気を作ることができるかを考えていましたね。 *** この舞台に立てたこと自体が大きな経験だったと、とても爽やかで前向きな口調で語ってくださいました。実は彼女、私の地元の隣町である埼玉県の三芳町在住で、三芳町の星としてこのポーランドへ!個人的に注目しておりました。三芳町にワルシャワの経験を持ち帰り、さらに素敵なピアニストになってほしい! 同じく5日目に演奏したニコライ・ホジャイノフさん。 演奏後の一瞬をつかまえて撮った写真で、演奏についてのお話はちゃんと聞けていないのですが。 ショパンコンクールには11年ごしの再チャレンジ。確信に満ちた演奏、明るくて憂いのある魅力はあの頃から変わりませんが、一段と独創性と安定感が増したような気がします。 その演奏、そして客席から上がるブラボーの声を聴きながら、まだ英語もうまく通じなかったホジャイノフ18歳の頃のことを思い出し、感慨深いものがありました。 今や日本語も話すことはファンの皆さんには知られたこと。狭い部屋のことを「方丈」と言ってきて(鴨長明の方丈記が好きみたい)、いまコンテスタントの泊まっている部屋も方丈だ、といっていました。そんな表現する人、日本人でもみたことない。 普段英語で話すのはもちろん、地元ポーランドの媒体のインタビューにはポーランド語で答え、他にもイタリア語、スペイン語、フランス語など、普通にいろいろしゃべっていました。脳みそどうなってるんだろう。少しその機能分けて欲しい。 同じく5日目、小林愛実さん。 お写真は、演奏よりも前、お友達の演奏を聴きにきたときに撮った写真です。 「緊張する!」「やばい!」とふわっと明るく言うので、うっかり本気ととらえずに聞き流してしまいそうですが、前回のファイナリスト、そしてすでにキャリアのある人気ピアニスト。プレッシャーは半端でないと思います。 本番の舞台では、2015年に続き椅子問題が発生し、英語が通じない会場係のおじさんが椅子を持って右往左往する場面などがありましたが、一度演奏が始まればパリッと集中。堂々とした音楽を聞かせてくれました。 ちなみに終演後、裏のカフェテリアに行ったら反田くんがいて、愛実ちゃんの演奏中、緊張したーーと言っていました。ものすごく硬直した表情から、本当に緊張していたらしいことがわかりました。そう、それはちょうど、よく演奏中のコンテスタントのお母さんが客席で見せる表情そっくり。 …お母さんか!!(お父さんですらない) そして、最終日の最後に演奏することになった、中国のチャオ・ワンさんです。 アルファベット順でWであればもう少し前の日程ですが、中国で演奏活動があったため、最終日にまわったそうです。 —最後に演奏するというのは、いかがでしたか? とてもエキサイティングでした!でも数日前に中国からこちらに着いたばかりなので、体がまだ時差で疲れていますね。 —第一回高松コンクールで3位に入賞されてるんですよね。大きくなっていて、プロフィールをよく見るまで気づきませんでしたよ。 そう、あの頃は16歳でした。もう歳をとったからね(笑)。高松コンクールでの入賞は、僕のピアニストとしてのキャリアの始まりでした。そのときヤマハのピアノを選んで弾いたんです。コンクールへの挑戦は今回が最後になると思いますが、またヤマハを選びました。 —コンクールの始まりと終わりをヤマハで! そういうことです。普段の練習でもCF3をつかっています。去年は新しいピアノを選びに掛川に行く予定でしたが、コロナの影響で叶いませんでした。今回は実際に触れてピアノを選ぶことができない中だったので、慣れているヤマハを選びました。今この舞台が初めてこのピアノに触れた瞬間です。 —それは普通のコンサートではありえない状況ですね。弾いてみて、楽器はいかがでしたか? さまざまな異なる音を作り出すことができました。自分が出したいと思う音を自在に作れて、とても良かったです! —曲順がちょっとおもしろかったですよね、最後にエチュードのOp.10-1を演奏するって! はは(笑)。そう、あのショパンコンクールのスポット映像あるじゃないですか。あれはとても感動的でしたけれど、この曲がコンセプトでしたよね。それを見て、この曲で1次を終えるのはいいのではないかと思ったんです。 —あれを見て演奏する曲順を変えたってこと? そう(笑)。もちろんほかに、バラード1番を最後に弾くのは合わないような気がしたという理由もあるのですが。 *** コンクール人生の始まり終わりとヤマハの話といい、エチュードOp.10-1の話といい、階段と廊下を移動しながら慌ただしく聞いた話だったのに、なんというネタの宝庫なんだ、ワンさん。 高松がキャリアのはじまりだというのもいい。応援したい。また日本にリサイタルに来て欲しいですね。 …と、それぞれのピアノの選び方、ステージに立った心境など、ご紹介してまいりました。 雑談や余談中心ではありますが、全てのコンテスタントが色々な想いを抱えて舞台に立っていることがわかります。そして、性格って演奏に出るよね。  ”
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ショパンコンクール2次予選、ピアノのこと、選曲のこと
“2次予選が終わりました。 振り返りレポートは、こちらのぶらあぼONLINEに。 セミファイナリスト、個性的な顔ぶれが多いですね。それもなんとなく、やはり個性派ぞろいだった2010年の時とは、また少し違った感じで。 何が違うのか、うまく説明できないんですが、なんか2010年の個性派たちは、やったるぜ感(?)と、妙な自信満々ぶりが全員すごかった。今回はもうちょっと全体的に飄々とした雰囲気があるというか、ナチュラルにがんばって、ここまでたどり着いたという感じの人が多いような。 もちろん個々に相当な努力をしているのは確かで、ステージにかける思いもプレッシャーも、それぞれに大きいと思います。 たった11年でも時代が変わったということでしょうね! すでに変わり始めていたとはいえ、まだあの頃は、コンクールの一発にかける感が切迫していた。今はコンクールの意味合いも変わり、さらに活動の方法も一層いろいろ増えたということでありましょう。そのほうがいいのかもしれない。人々が求める音楽も、変わってきているのかもしれない。 そして結果については、もういろいろなところでいろいろな意見が出ていると思うのですが、ぶらあぼの記事の中に書いたことが、今の時点で私が思うことであります。 さて、今回も恒例、お時間のある方向け、2次予選期間中にお話を聞くことのできたコンテスタントのコメントです。選曲、ピアノ選びについてのお話中心にご紹介します。 初日に演奏した、ゲオルギス・オソキンスさん(ラトヴィア)。前回もかなり個性的な演奏で注目を集めていたファイナリスト、再挑戦です。 —ワルシャワフィルハーモニーホールのステージに戻って、どんな気分でしたか? このホールの雰囲気が個人的にとても好きで、それが演奏のインスピレーションになりました。1次は音響を確認しながらの演奏ですから緊張しましたが、今日の方がよりリラックスして、自由になることができました。 —曲目、リサイタルみたいでしたね。調性もすごく気にされているようでしたし。 それを感じてもらえたなら嬉しいです。ショパンはとても調性を気にした作曲家でしたから、それを考慮して組んだプログラムです。コンクールだからといって、それに合わせてプログラムを組むなんて僕にはできない。演奏は、いつだってアートでなくてはいけません。 —今回はヤマハのピアノを選びましたね。 5台ですから、選ぶのに2時間くらいほしかったけど。でもこの特別なコンクールという環境で、最初のタッチで感じたものから選びました。それから音のはり、品のある音も気に入っています。素晴らしいピアノです。ただ今日は湿度が低かったので、少し苦労したところがありました。 —あなたの演奏には、聴く人を覚醒させるようなところがありますよね。 グレン・グールドの言葉で、伝統的なやり方に従って全く同じように演奏する理由がどこにあるのか、私たちは常に発見しなくてはいけない、というものがあります。作品の構成の中に新たな発見をすること。それによってしか生きた音楽は生まれないと思います。音楽は、その場で生まれる魔法のようなものでないといけないのです。 —ときどき、ショパンすらそういう音楽が生まれると気づいていないんじゃないかという音を聴かせてくれていましたもんね。 ショパンの時代とはピアノが違いますからね。彼は今のピアノを聴いたらどれだけショックをうけることか。それに、モダンなアプローチを嫌う可能性もなくはない。でも、僕はオーセンティックという言葉が好きじゃないんです。200年前のように演奏するということは、研究者のすることであって、アーティストのすることではないんじゃないかと。現代の環境の音楽を見つけないといけません。 *** 相変わらずというか、なんとなくパワーアップしていましたね。 腕につけた紐も、おしゃれデザインのシャツも、6年前と同じ!と思い、あーそのシャツ、といったら、「胸元の開きかたは前のより狭い!」とすごく主張してきました。誰も開けすぎだなんて指摘してないのに。 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、彼はゲオルク・フリードリヒ・シェンク先生門下。そう、2010年の入賞者で個性的な演奏が持ち味のボジャノフさんの弟弟子です。低い椅子もあの門下ならではでありました。 個性的なので評価が分かれるのもわかるのですが、ちょっと次も聴いてみたかった…また日本に来てね。 3日目に演奏した、カイ・ミン・チェンさん(台湾)。 —とてもエレガントな音を鳴らされますね。 他の作曲家の作品を弾く上で美しい音を鳴らすには、普通に弾けばいいんですけれど、ショパンの場合はそこにエレガンスが必要なので、特別なタッチが求められます。ペダルもやさしくつかいながら、指先で、クリアで正確に鍵盤に触れなくてはいけません。 —プログラミングも、3つのエチュードが入るなど少し変わっていました。 師匠であるダン・タイ・ソン先生が提案してくれたことです。他の人が弾かないユニークな作品をいれることで、印象を残せるのではないかといわれて。僕も演奏を楽しみました。 —ピアノはスタインウェイ300を選びましたが、どこが気に入りましたか? まずはコントロールです。どんなにピアノの音が美しくても、自分がうまくコントロールができなければ仕方ないので、コントロールのしやすさを重視して選んでいます。 音質についても、あたたかく、僕自身がブライトな音は楽に出せるほうなので、ショパンを弾くにはこちらのほうがいいと思いました。479のほうで弾いたら、明るい音がしすぎてしまうと思って。 *** 某所から手の大きさを聞けとの指令があり、そんな話になったところ、ご本人、手は小さい!とのこと。でも、指すごい長い感じですよね? 手が大きいというのは掌が大きいという意味だと思っているのか、なんだか話がかみあわなかったのですが、とにかくご本人は、手は開かないし小さい!と主張していました。なんかみんないろいろ主張してくる。 そしてプログラミング、ソン先生ナイスアイデア! フレッシュな選曲が生きてましたね。ちなみにソン先生につくようになったのはこの2年で、それまでは台湾国内で勉強していたそうです。 そして、アレクサンダー・ガジェヴさん(イタリア/スロベニア)。 —今日もガジェヴさんならではの、よく計画されているけどその場で生まれてる感すごい演奏を聞くのがとても楽しかったです。今日のステージでのインスピレーションは、何でした? たっぷりの水ですね。とくにはじめのところ。 —水? はい、ウォータリーな音を聴こうとしていました。それから、土、地面。 ダンスの瞬間には、ライトが輝く舞踏会、そこから伝説のバラードにむかいました。いろいろなエレメントをつないでいきました。 —今回はシゲルカワイを選びましたね。どんなところが気に入っていますか? 音はどうだった? 中で聴いてたの?? 大きな音、良く聴こえてた? —とても豊かによく聴こえていましたよ! そう、よかった。僕は、カワイのあの空間に溶けるような音が出せる能力がとても気に入っているんです。今回のピアノも、夢のようなクオリティですね。 *** 9月に日本に来てくれたばかりです。あの、計算づくと無計画のはざま、みたいな演奏(褒めてます!)がおもしろいんですよね。ショパンコンクールのステージでもそれは健在。 そして、マジで時間がない中でピアノについてのコメント聞いてるのに、聞き返してくるのやめてほしい(笑)。私の話はいいから!でも、気になるんでしょうね。 我らが浜コン優勝者。なんか、がんばってほしい。   2010年ファイナリスト、ニコライ・ホジャイノフさんです。 遺作のフーガを入れ、絶筆のマズルカを繊細の極みみたいな音で奏でるという、かなり攻めたプログラミングでした。 —今日は、繊細な音で私たちを泣かせようとしましたね。 それはごめんなさいね(笑)。 —「英雄ポロネーズ」もとてもジェントルな音で始めましたけれど。 そう、お気づきだったと思いますが、それは僕がショパンの自筆譜を勉強していくなかで、ショパンがフォルテや大きな音を最初に書くことはなかったということを改めて知ったからでした。その意志には敬意が払われるべきだと思い、ああいう表現をしたのです。 それと、この曲を最初に置いたのは、ポロネーズというものがもともと舞踏会で最初に踊られるものだから。もちろんコンサートは舞踏会ではないからいつ弾いても自由ですが、僕は最後に弾くことはなんとなくしっくりこなくって。 —他のプログラムもユニークでしたね。 選曲に自由があったので、とても好きな曲から選びました。 まずバラードは第2番。マズルカはOp.41-1。どちらもマヨルカのヴァルデモッサで書かれたものです。彼は大好きな地にいながら、とても苦しんでいた。フーガはマヨルカから戻ってすぐに書かれたものですが、彼はマヨルカに大好きなJ.S.バッハのプレリュードとフーガを持っていき、いつも弾いていました。ショパンは常にポリフォニーの実験をし、作品にポリフォニックな要素やポリメロディックをたくさん取り入れていましたね。 それから最後の作品といわれるOp.68-4のマズルカ。以前、これが書かれたのではないかと思われるパリのショパン最後のアパートだった場所で演奏したことがありますが、特別な経験でした。ワルシャワで自筆譜を見ましたが、それはもう見ていて心が苦しくなるような筆跡で。偉大な作曲家が、歩くことはもちろんピアノにも触れられない状態で書いた作品です。 舟歌も晩年の苦しみと痛みに満ちた曲です。彼はヴェネツィアに行ったことはありませんから、船頭の歌とは別世界の舟歌。人生、もしくは人生の後にあるものの描写といえると思います。 —なるほど、それでこのプログラムは全体にああいう音で、ああいう風に弾かれたわけですね。 そう、考えてのことですよ(笑)。 —ところでピアノ選びは難しかったですか? 1次のスタインウェイ300から、2次では479に変更されましたが。 難しかったのは、セレクションの時はピアノが舞台の後方にあったことです。1次でピアノに触った瞬間、選んだピアノだとは思えないくらい違って聴こえました。素晴らしい楽器だけれど、音がメロウで、もう少し狭い会場に最適な調整なのかもしれない。調律師さんは素晴らしい能力の持ち主なので、そこには問題がないのですけれど。今日演奏したほうは、より音が鳴らしやすくて、音色の違いを生み出しやすかったです。 *** 1次の大喝采にくらべると2次は客席の反応がおとなしめだったので、これは意図が伝わらないとお客さんも反応できなかったんじゃないかなと思い、ちらっとそんなことをいったら、「そうかもしれないけど、全部きれいな曲だからいいんじゃないですか? 僕は全部好き」と言われてしまいました。 そのとおりですニコライさん。 この感じは18歳の時から何もかわらない。そして通過おめでとうございます。   最終日に演奏した、小林愛実さん。 —前回は椅子トラブルがありましたが、今回は事前に調整したのですか? いえ、もう今回は低いままでいいかなって。今日もマックスにあげてもまだ低かったんですけど、技術的な曲もないし、もうこのまま弾こうと。 —すごい。1次のほうが緊張していたのかなと思いましたが? どっちも緊張しました! すごく変な感覚だったんですよね。普段のコンサートは全然緊張しないのに。なんでこわいんだろう。歳とったからかな。 —6年前の、出るときに背中を叩いてもらうのは? やってもらいました、撮影の方に(笑)。 —幻想ポロネーズの冒頭には引き込まれました。あれでいい雰囲気が作られたように思います。 最初のところはよかったんですけどねー(笑)。最初に後期作品を置いたので、地獄に突き落とされたみたいな始まり方の音楽を、そういう気持ちで弾きました。 「アンダンテスピアナートと華麗なるポロネーズ」は、一番頑張って練習したんだけど…。全部の音を聴いて、速い部分もアレグロだから、そこまでテンポをあげる必要もないと思って、一音ずつ、丁寧に弾くことを考えていました。 —ピアノはスタインウェイの479でしたね。どんなところが気に入りましたか? コントロールがしやすいと思いました。それと、右手のメロディラインが綺麗に響くピアノだと思います。小さな音でもすごくよく響く。 ステージ上で自分で聞いていると、全然響いていないように、ドライに感じるんですが、ホールでの聴こえ方は違うと気づいたので、それを想像しながら弾きました。他の方の演奏を聴いて、舞台上で弾いている時に聴こえる感じと音の通りが違ったんです。参考になりました。 *** 2次では、6年という時間の大きさが感じられました。愛実ちゃん、立派になって…(と思って見ていた方は多いはず)。 今回は、前回とレパートリーを総とっかえしているということで、セミファイナルではプレリュードを弾きます。 ちなみに、ピアノを選ぶときは、結局最初にいいなと思ったものを選んだようです。でも、ヤマハを選んで弾く夢を見たっていってました。夢に見るほどだなんて、大変よ! 最終日に演奏した、イ・ヒョクさん。 —みんなソナタのあとに拍手せずにいられなかったみたいですね。 すごいびっくりしてしまって、ポロネーズの1小節目でミスしちゃった(笑)。集中を失ってしまった! —あなたのその明るくていつもハッピーそうなキャラクターを思うと、ショパンのような難しい性格の人についてどう感じているのかなと思ってしまうんですけど…。 そうなんですよ、彼を理解するということは今回、僕の大きなミッションでした。でもパンデミックの期間中、たくさんの本を読み、手紙を彼の母語であるポーランド語で読んで、彼をもっと理解しようと心がけました。 ご存知の通り、僕はいつもハッピーな感じの人間だけど(笑)、ショパンは違うから、本当に挑戦だった。今も100パーセント理解できたとは言えないけど。 —カワイのピアノは、いかがでした? とてもあたたかい音がして、広いダイナミクスが表現できて、高音部分はブライトな音が鳴ります。英雄ポロネーズなんかは、序奏のつぎの、タータターンのところをこのピアノの音で演奏するのがとても好きでした。品格のある明るい音が気に入っています。 *** こういう明るいタイプの子って、ピアニストには本当に珍しいような気がします。そのうえ、とても賢い(言語の話もそうですが、チェスがすごく強いということでも知られています)。浜松コンクールのとき、共演した指揮者の高関さんが「天才タイプ」といっていましたが、なんか本当に、底の見えない若者です。 ソナタ大好き人間、次のソナタもたのしみです。 結果的に最後の奏者となった、ブルース・(シャオユー)・リューさん。 —舞曲の作品を楽しそうに弾いていたのでお聞きしてみたいのですが、ショパンの音楽にはハーモニーとかポリフォニーとか歌とかいろんな魅力があると思うけど、リズムの魅力って感じますか? ダンスのリズムの重要性はショパンに限ったことではないけれど、一番大切なのは、プロコフィエフやストラヴィンスキーみたいなリズムの魅力とはもちろん全くちがって、とにかくどんなときもよい趣味を保ち、エレガントに弾かないといけないということです。 —今回はファツィオリのピアノを選びましたが、どこが気に入りましたか? コンクールでファツィオリを弾くのは初めてですし、普段から弾く機会はなかったのですが、セレクションで試してみて、すぐに音色が気に入ったので選びました。アクションやタッチに慣れるための時間のないコンクールという場で、弾き慣れていないピアノを選ぶということは、何が起きるかわからないから少しリスキーで攻めた選択だとは思ったんだけど。でもうまく行ったかなと思っています。 ノーブルでチャーミング、響の感じが気に入っています。絶対に嫌な音がしないし、とても明るいキャラクターを感じます。 —少し冒険でも選ぼうと思うくらい、音が魅力だったという。 そう。完全に心地いいものばかりじゃなく、新しいものを受け入れていくということが好きなのかも。そのほうがおもしろいときもあるから。 *** 心地いいものだけを選ぶのではなく、冒険したほうが、おもしろいことが起きる。 なんだかかっこいいじゃないの…。 彼は2016年仙台コンクールの第4位入賞者。当時19歳。おしゃれなハットをかぶっていたのが印象的だったのでその話をすると、わー、それものすごく昔のことだよねーと言われてしまいました。5年はすごく昔か。まあ。若者にとってはそうでしょうね。 ちなみにあのときはまだブルース表記はなかった記憶。それと、お父さんは画家っていう情報を思い出しました。 シャオユーくん、次のステージでは、ソナタとマズルカに加えて、Op.2の「ドン・ジョヴァンニの《お手をどうぞ》の主題による変奏曲」を弾きます。あのノリで弾いてくれたらたのしそう!   セミファイナルも個性豊かな人々が揃っています。まだつかまえたくてもチャンスがない人もたくさん。そのユニークな音楽の背景にある人物像とは、的な感じで、これからもご紹介していきたいと思います。 さて、どこまで長い原稿を書くための気力体力がもつか!”
11月
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ショパンコンクール入賞者とおまけ話(1)
“ショパンコンクール 、紙媒体むけのちょっと大きめの原稿を全部出し終えたところで、ようやくこちらに余計な話を書く心の余裕が出てまいりました。 ぶらあぼONLINEに、出したい&出さないといけない原稿はまだまだあるんですけどね。 とうわけで、今回は、あちこちに書いてしまった入賞者のインタビューリンクをまとめて紹介がてら、彼らにまつわるゆるい思い出をご紹介します。 このあと審査員関連のハードめの記事がいろいろ出てくると思うので、一旦息抜きに…。 (ちなみに以前から私の書くものを読んでくださっている方は慣れっこだと思いますが、まあまあくだらない話題も多いので、そのつもりでお読みください。でも普段がネタの宝庫の人ほど、音楽もいろんなことが起きておもしろいのよね) まずは、優勝したブルース・リウさんから。 先日、さっそく来日リサイタルが行われたので、生の演奏を体感された方も多いかもしれません。コンクール中にはやっぱり少しおさえていたのね、という、また一層自由自在、次の瞬間に何が起きるかわからない、エキサイティングな演奏でした。 リサイタルの前日にはオンラインで記者会見があったのですが、ここで印象的だったのが、今後ショパンコンクール優勝者としてどう活動していきたい?と聞かれたときのこと。 ブルースさん一言、「ショパンコンクールの優勝者だということを忘れてほしいかな、それだけです、ははは!」(I want people to forget that I'm the 1st prize of Chopin)って答えたんですよ。 で、何せオンライン会見だから当然つっこむひともいなくて、そのままスルー。で、これ、もしかしたら、そのままの意味(優勝者だなんて肩書きどうでもいいとか、騒がれすぎて疲れたとか)で受け取った人もいたんじゃないかって勝手に心配したんですよね。 私としては、ショパン以外の自身が本来得意とするレパートリーにも取り組んでますます認められて、優勝者だからではなく、自分だから聴きにきてもらえるようになりたい、という意味だろう、と勝手に解釈したんですけど。どうかな。(そして考えているうち、結構いろんな含みをもたせたコメントのような気もしてくる) でもいずれにしても、コンクールからまだ半月のタイミングでこの発言が出るっていうのは、やっぱりすごいし、これまでの優勝者と違う。たくさん受けてきたコンクールのひとつという割り切りというか、変な思い入れのなさというか、よくも悪くもそういうものを感じました。でもそういうほうが強くいきていけるんだろうなー今の時代。 ぶらあぼONLINEインタビューはこちら ジャパン・アーツインタビューはこちら ひとつめの記事に、歩きながらインタビューしたってありますけど、ちょっとここでどうでもいい思い出が。 夜遅く、ホテルのロビーについたとき、我々(ブルースくん、私、ジャパンアーツの女性)のほうに、向こうから大柄のポーランド人男性が近寄ってきたんですよ。何か大きな声で話しかけてきて、酔っ払ってるな…そう思った瞬間、何かされそうになったらブルースを背にまわして一歩前に出ようとしている自分がいましたね。あんた何様よって自分でつっこみましたけど、こんなところでとっさに出た、わたくしのクラヴマガ精神(自分、イスラエルの護身術習ってるんですよ。ご想像の通り、いつまでたってもめちゃくちゃ弱いんですけどね)。 しかしここでもしも襲いかかられて、私がショパンコンクールの優勝者を守ったとなったら、けっこう語り継がれますよね。 しかも優勝者の名前は、ブルース・リウ。ブルース・リーを守った女。いいな。 続いては、第2位のアレクサンダー・ガジェヴさん。 ぶらあぼONLINEインタビュー 落ち着いた男的な雰囲気を出していますが、ときどき隠しきれないワチャワチャが出る青年。ちなみにコンクール後半からは、プロフィールなどにも出てくる「モスクワ音楽院で教えていたロシア人ピアニストの父」が付き添っていました。 はじめて横に立っていらっしゃるのを見たときは、おお、これが前々から話に聞いていたパパガジェヴ!と感動しましたね。やっぱりこう、むだにニコニコせず、むっすりと立っていて、そこはイタリア人じゃなくてやっぱりロシア人なんだなという感じ。でも打ち解けるとニコニコらしいです。仲良くなった人が言ってた。 ところでガジェヴくん、インタビューの最後、ところでそのヒゲはこのままいくの?と聞いたら、「コンクールで良い結果が出たら剃れってベルリンの先生に言われてるんだ。チェ・ゲバラみたいだからやめろっていうんだよ」って言ってました。 ずいぶんエレガントなチェ・ゲバラだこと。って言ったら、僕もそう思う、って言ってた。 そして同じく2位になった反田恭平さん。 ONTOMO YouTubeチャンネル   (2次のあとの満足げな表情(左)と、ご本人涙が止まらぬとツイートしていた3次のあと(右)の表情の違いよ) (こちらは審査結果を待っていたとき、審査員が降りてくるのと反対の階段からひょっこり降りてきたと反田さん。この15分後、彼はショパンコンクール の2位になります) ぶらあぼONLINEインタビュー 反田さんはよく会場に演奏を聴きに来たりしていたので、わりとときどきお目にかかれる機会があって。なんだか本当にアニメのキャラクターみたいな方だなと思いました。 上記のインタビューでも戦略の話をしていますが、これだけ戦略を立てられると、いろんな場面でそういう感じが気になりそうなものですが、なんか演奏がそれを上回るグイグイのパワーを持っている感じですね。 反田さんとは雑談もいろいろしましたけど、私的ハイライトは格闘技の話ができたことかな。いや、私もさほどくわしくないんですけど、ピアニストとこんな話をする日がくると思わなかったですよ。 ちなみにワジェンキ公園でスパーリングしようって申し込んだけど(もちろん当てないやつですよ)、さりげなくはぐらかされました。 …なんかこうして書いていたらどんどん長くなってしまったので、今日はとりあえずここまで。 他の入賞者のおまけの話は、また後日。”
12月
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ショパンコンクールのスタインウェイのお話
“大変おまたせいたしました。みなさん興味津々と思われる、ショパンコンクールのピアノについてのお話です。ショパンコンクールからもう2ヶ月近くたってしまいましたが、テレビなどでこれからも番組が放送されるようですので、まだご覧いただけると願いつつ! まずは今回、1次予選87名中、64名という最も多くのピアニストが選んだ、スタインウェイからご紹介します。 配信をご覧になっていた方は、演奏前のアナウンスでお気づきになっていたかもしれませんが、今回、スタインウェイからは2台のピアノが出されていました(いずれもハンブルク・スタインウェイ)。 1台は、「スタインウェイ479」とアナウンスされていたもの。こちらを選んだピアニストが圧倒的に多く、半数近くである43名が選択。ワルシャワ・フィルハーモニーホール所有の楽器です。ファイナリストでスタインウェイを選んでいた面々…反田さん、小林さん、クシリックさん、エヴァさん、ハオラオさん、パホレッツさんは、みなさんこちらを選んでいました。 ぶらあぼONLINEに掲載のインタビューで、審査員のヤブウォンスキさんが、自ら選んだ楽器だとおっしゃっていたものですね。「これまでで最高というくらいすばらしい。自分で選んだのだから、いわば私のベイビーのようなもの。だからこそ、楽器を叩かれると悲しくて、そんなときはピアノの前からその人をどかしたくなった」とおっしゃっていましたが。 もう1台は「スタインウェイ300」とアナウンスされていたもの。ショパン研究所が所有、7月の予備予選でも使われた楽器です。1次で21名が選択。セミファイナリストだと、角野隼斗さん、ガリアーノさんなどはこちらを選んでいました。 ピアノについて、スタインウェイのベテランアーティスト担当のゲリット・グラナーさんに、コンクールが始まってすぐの頃にお話を伺っていますのでご紹介します。 *** —今回の2台のハンブルク・スタインウェイには、それぞれどんな特徴がありますか? 479のほうは、クリアに鳴って、どちらかというとブリリアントでオープンな楽器です。もうひとつの「300」のほうは、よりリリカルで、決して弱くはないけれど親密で豊かな音質を持つ楽器といえると思います。オーケストラの楽器でいうなら、前者はトランペット、後者はチェロという感じですかね。 あるコンテスタントが、とてもおもしろいアイデアを話していました。2台はとってもタイプの違う楽器だけれど、自分はもともとブリリアントな音を持っているから、別の要素を補うために、300のほうを選ぶと。そういう選び方もあるんだなと興味深かったです。 —それでも479のほうを選ぶピアニストが圧倒的に多かったのは、トレンドですかね? もしくは、はやりコンクールのような場ではブリリアントな楽器のほうが選ばれやすいとか。 どちらがいいとか悪いとかではなく、趣味やフィーリングの問題でしょうね。タイプは違うけれど、どちらもとても広いレンジの音を出すことができる、良い楽器です。 当初はショパン研究所が持っているピアノ(300)だけを使う予定だったのですが、ホールになじんだピアノも使ったほうがピアニストにとっていいだろうということで、急遽、両方使用することになりました。 調律師は、前回のショパンコンクールでも調律を担当した、ポーランド人のヤレク・ペトナルスキです。彼はピアニストでもあり、ショパンのレパートリーが演奏できます。このホールを知り尽くし、楽器、そしてピアニストの気持ちも理解している、優れた調律師です。一人で2台のピアノを調律しなくてはならないので、彼も大変そうですけれど。 *** 途中からはポーランド人の女性調律師さんがアシスタントで入っていましたが、そうはいってもとにかく大変そうでした。確か、幕間のライヴ配信の「ショパントーク」で調律師さんが登場した回、ヤレクさんだけ欠席だったのではないかと思いますが、誰かが今日ヤレクどこいっちゃったの?とグラナーさんに聞いたら「体調が悪いといって帰った。もう体力が限界だったみたい」とのこと。 過労…。幸い翌日には復活されていましたが。 単に体力がきついだけでなく、プレッシャーも相当でしょうから、本当に大変なお仕事です。 (まだお元気だった1次予選のときの姿) ちなみにヤレクさんについては、前述のショパンのスタイルにとても厳しいヤブウォンスキさんも、すばらしい腕の調律師だと大絶賛していましたね。 以前ヤレクさんに、ショパンコンクールの調律で最も大切にしていることを尋ねたら、こうおっしゃっていました。 「目指しているのは、とにかく、ショパンのスタイルにふさわしい音。ショパンの演奏に合った、柔らかく歌うことのできる音を作ろうとしている」 ポーランド人の調律師ならではというべきか、とにかく確信に満ちた口調でした。 ピアノの「音」という、いわば音楽における元素のようなものについてもまた、ショパンのスタイルの重要性が求められるのか…。 どこまでも深い世界です。  ”
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ヤマハさんインタビュー(ショパンコンクールのピアノ)
“今回ご紹介するのは、ヤマハの調律師&アーティストサービス担当のみなさん。 今回ヤマハCFXは、最初の段階で2番目に多い9名が選択。なかでも牛田智大さんやゲオルギス・オソキンスさんなど、コンクール前から人気だった面々が選んだということで、注目されていたかと思います。 チーム・ヤマハのみなさんには、ワルシャワでファイナルの期間中にお話を伺いました。 (メインチューナーの前田さん、アーティストサービスの田所さん、松下さん) *** —今回は、9名のピアニストがヤマハを選んでいました。 田所さん コンクールというとメーカーの戦いに見えてしまうかもしれませんが、始まってしまえばそこは関係なく、とにかく最高の状態のピアノを用意できるよう目指すだけです。今回、ファイナルまでサポートができなかったのは残念ですが、私たちなどが想像できないほどに一番残念に思っていらっしゃるのはピアニストたちご自身ですから…。 —今回のピアノは、どんなピアノですか? 田所さん ヤマハはより良いコンサートピアノづくりを目指し、常に試作、開発を続けていますが、今回のショパンコンクールに持ってきたピアノもその中のひとつです。このホールとショパンに合いそうな楽器を選定しました。現地の空気になじませるため、ポーランドに持ち込んだのは半年前で、ポーランドのスタッフに調整してもらいつつ、7月からは、現在イギリスに駐在している前田が通い、準備を進めました。 —この楽器を選んだポイントは? 前田さん 音質の良さ、特に低音にあたたかみのある響きを持っていることです。クリアな音で、音色、音量のバランスが良く、弾きやすいアクションを持っています。 —コンクールの場合、最後にコンチェルトを弾くことになります。特にここの会場は、舞台上で自分の音が聴こえにくく、前回もリハーサルで焦って叩いてしまったとおっしゃっていたコンテスタントがいましたが、そういうところまで見越して楽器を準備されるのでしょうか。 前田さん あまりにも音量がないと、終盤で大きく変えなくてはなりませんが、今回のピアノはもともと音量やパワーの面は申し分なく、コンチェルトまで対応できるピアノでした。そのあたりはコンクールの流れの中で自然に仕上げていくイメージでした。 —一方、特にショパンを弾くには小さな音の表現も大事だと思います。そちらの音作りで心がけたことはありますか? 前田さん ピアニシモでもクリアにホールの後ろまで響いて、ニュアンスがでる音を目指しました。ピアニストたちからも、深みのある音が欲しいというリクエストがありました。少しずつ調整を重ねて、クリアなだけでなく、あたたかい音が出ていたと思います。 —今回は牛田さんもヤマハを選んでいらっしゃいましたが、彼は早くからコンクールへの出場が決まっていましたから、事前にいろいろ率直なご意見も聞くことができたのでは? 田所さん そうですね、以前からお付き合いがあったので、イメージをお伺いすることはできました。的確なご意見をたくさんいただけました。 前田さん 結果的に、セレクションを経てヤマハのピアノを選んでいただいてからも、弾きやすさには問題がないということ、ピアニシモについての希望など、具体的におっしゃってくださるのでとても参考になりました。とくに音色の面では、1次はまずエチュードがあるので弾きやすさが大切だけれど、ステージが進んでいくと曲が大きくなるので、フォルテで音が開くようだと良いというご希望がありましたね。 田所さん 当然、みなさんがそういうレパートリーになるのですから、指摘していただいてありがたかったです。 —オソキンスさんもかなりいろいろリクエストされているところを見かけましたが! 田所さん 前回もヤマハを弾いていただいているので、今回もサポートできて個人的にも嬉しかったです。そういう信頼関係があるからこそ、気がねなくいろいろなリクエストを言ってくださいました。彼からもやっぱり、音が開いていると良いというリクエストがありましたね。 —ホールの中で聴いていらっしゃるとき、調律師さんというのは何を聴いているんですか? …耳のどんな神経を使って聴いていらっしゃるのかなと。 田所さん 私も知りたい(笑)。 前田さん そうですね…全体のバランスと、舞台上で調律している時の印象とのすり合わせをしている感じですね。会場で聴いた後にピアニストのコメントを確認して、またそれとすり合わせることになるのですが。 —ではシンプルに聴いて音の情報を収集するというよりは、組み合わせるための情報のパーツの一つをあそこでキャッチしている感じでしょうかね? 前田さん そうですね、あとは音量的なものとか。音の開き方については、早く開くのか、開き切らないのか、そもそも音がオープンになっているのか、閉じてしまっているのか。もちろんピアニストの弾き方によっても変わりますが、自分がこうしようと思って調整したものに対して、どんな音が鳴っているのかを聴いています。 田所さん 今回は選定の段階でピアノが5台あり、かなり角度を傾けないとステージにのらなかったので、本番であまりに聴こえ方が違うとみなさん困っているようでした。とくに一番上手に置いてある時に弾くと、音の跳ね返りがすごくて全然わからないと。 —先日の調律の風景では、ベテラン調律師の花岡さん(前回のショパンコンクールのメインチューナー)が見ている横で、前田さんが一生懸命作業されている姿が印象的でした。ああいった形で技術が受け継がれているのでしょうか? 前田さん 花岡さんは、何かを教えてくれるというよりは、一緒に作業して感覚を共有してくれる感じですね。アイデアを言い合って、試して、最終的には私がこれにしましょうといって実際にやってみる。大先輩ですが、いろいろな意見を出してくれて、最大限サポートしてくれました。 (花岡さんに1次の時にお話を伺ったところ、今回のピアノについては、 「前回の経験を踏まえ、ここはもう少し足りないというところを6年で改善してきた。低音に深みがあり、楽器自体の鳴りが良い、プレゼンスがあるピアノを目指してきた。このホールの響きはもともとあたたかいけれど、ピアノの音色に色彩感がないとそこが伝わらない。ダイナミックレンジが広いだけでなく、いろいろな音色が含まれていてこそ、ピアニストもさまざまな表現ができる。その表現に協力できるような楽器を目指した」とのことでした。) —夜中も作業があり、体力的にきついなか、耳と頭はいつもクリアでないといけないお仕事ですね。 前田さん そうですね、耳が疲れてくると、感覚が変わってきているとふと気づくときがあります。とにかく、空いた時間にしっかり寝ることが大事ですね。私自身は、隙間の時間に寝るのは得意です。 —才能ですね! それと、おそらくすでに次のショパンコンクールも視野に入れていらっしゃると思いますが、今回の経験からどんなことを生かしたいと思いますか? 田所さん 基本を忘れないということですね。技術を磨き、いいピアノを作り、アーティストに寄り添っていきたいと思います。今回は松下が練習室のスケジューリングをはじめとするアーティストの対応をしていました。 松下さん 例えばオソキンスさんは、日中2時間、夜2時間練習するというスタイル。他にも、朝方が好きという方、演奏順が午前だからそれに合わせて練習をしたいという方など、それぞれのライフスタイルにあわせてスケジュールを組み、サポートしました。 2次予選に進んだ4人のピアニストが次に進めないという結果となり、我々もどうお声がけをしたらいいだろうと迷っていたら、ピアニストたちのほうから、先にメッセージをいただいてしまって…。 田所さん ご本人たちが一番辛い時にそんなメッセージをくださるなんて、でもそのくらいの関係を築くことができていたと思うと、ありがたかったです。私たちはショパンコンクールのパートナー企業なので、ホテルの部屋にクラビノーバを入れるなど、コンクール全体の成功をサポートしています。それをベースに、良いピアノを出してピアニストに喜んでいただけることを目指しています。 —ピアニストに精神的な平和を与えるのも重要なお仕事でしょうね。 田所さん 前日にピアニストが言っていたことだとか、本番まで何日かということを考えながら、朝会った時にかける言葉を変えたり、ひとりひとりをサポートしていきました。 —最後に、ショパンにふさわしい音とは、どういう音だと思いますか? 前田さん 2年前にチャイコフスキーコンクールを担当したときは、外にどんどん出していくようなイメージで音作りをしていきましたが、ショパンコンクールのときはどちらかというと、内に込めつつ、出したい時には外に出せる、発散したい時には発散できるという、そんなイメージを目指しました。実際にできていたかは、わかりませんが…。 —ではそれを今後もまた極めていくという? 前田さん そうですね、今回の参加で、他のメーカーの楽器も聴き、新しい観点をたくさん見つけることができました。今後の自分の技術の糧にしたいと思います。 田所さん 念頭にあるのは4年後のコンクールだけでなく、やはり将来一番弾いてもらえる楽器ですから、コンクールを一つの節目として学んでいけたらと思います。こういう場では、各社から本当にすばらしい楽器が集まりますので。 なにより、ここで出会ったピアニストたちは将来世界で活躍するようになるわけで、そういう方たちと接することができることも、とても貴重です。今回も新しい出会いもありました。今まで知っていたピアニストたちとも、より深いお付き合いができるようになりました。コンクールはもちろん結果が出る場ではあるけれど、ここでの経験は、それ自体がメーカーにとってとても有意義なものだと思います。”
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カワイ調律師さんインタビュー(ショパンコンクールのピアノ)
“続いては、カワイのお話です。 ショパンコンクールで使用されたのは、コンサートグランドのシゲルカワイSK-EX。 実は今回、ピアノは事前に選考会があったそうで、前回、前々回で優勝しているスタインウェイとヤマハは選考会免除、他のメーカーはこれをパスしないとピアノを出すことができないということだったらしい。これに3社が名乗りをあげ、結果的に、ファツィオリ、カワイの2社が、コンクールにピアノを出せることになったそうです。 (このお話を聞き、もし自分がカワイの人だったら、急にそんなこと言われても1985年から出し続けてきたのになんで!?ってびっくりするわ…と思いましたけど) 1次予選でカワイを選んだのは、87人中6人でしたが、その半数の3人がファイナルに進出。そしてブイさん第6位、ガジェヴさん第2位という結果となりました。 カワイさんは、それぞれすばらしい腕を持つ調律師さんがチームでいらしていて、コンクールのピアノ調律へのサポート、練習室のピアノの調律はもちろん、アーティストサービスのようなピアニストへのケアも皆さんで手分けして担当されている形でした。 (左から、名ピアニストのマブダチとして知られる山本さん、ベテラン村上さん、大久保さん、そして若手のホープ蔵田さん) 今回は中でも、メインチューナーを務めていた大久保英質さんにお話を伺いました。 実は大久保さんは、2019年のチャイコフスキーコンクールで、優勝したカントロフさんが予選のときに選んでいたシゲルカワイの調律を担当されていました(その時の大久保さんのインタビューはこちら)。 カントロフさん曰く、普段ぜんぜん弾いたことがなかったというのに、直感でシゲルカワイを選び、結果的にソロのステージではこの楽器がすごく助けてくれた、とのこと。ファイナルではスタインウェイにチェンジしていましたが、それでもやっぱり私にとってのカントロフさんとのファーストコンタクトはシゲルカワイで鳴らすあの魔性サウンドだったもので、いつかまたシゲル弾いてくれないかなぁと思ったり。 というわけでショパンコンクールにお話を戻しまして、コンクール期間中に行なった大久保さんのインタビューです。 (ファイナル結果発表直後の大久保さん。うれしそう!) *** —今回のシゲルカワイのピアノの特徴はどのようなものですか?どんなことを意識して音作りをされたのでしょう? 日々ピアノの状態が変わり、毎日それをアジャストしているので、とらえ方はみなさんそれぞれだと思いますが、こちらの意図としては、まずはこのホールに合う柔らかい音、同時に、ショパンに合うであろうキラキラする高音を意識していました。あとは、美しい弱音、伸びやかな歌う音ですね。ゆらぎというか、歌う抑揚というか。…と、いろいろ言いましたが(笑)、目指しているのがそういう音ということです。今回は、ある程度そこに近づけたかなと。もちろん100%満足できることは、基本的にはありませんけれど。 ただ、ショパンを弾くうえで求める音というのは人によって違うところもあるので、どちらかというと、このホールになるべく合う音を目指しました。 —ワルシャワフィルハーモニーホールの響きの難しさや、音作りのポイントは? これまで先輩たちと一緒にコンクールのピアノの準備をしてきた経験から、ここのホールは、濁った音、汚い音がすごく目立つので、そこにはすごく気を遣ってピアノを仕上げました。 ホールによっては残響に包まれてわかりにくくなるところもあるのですが、このホールのとくに審査員席のあたりには、屋根の角度的にも直接音が届き、それに加えて跳ね返ってくる音が届く状態なので、良いところも悪いところも全部がクリアに聴こえます。 —うっかりピアニストが汚い音を出してしまわずにすむように、ピアノでサポートする、みたいな。 そうですね。もちろん、音楽としてジャリっとした音を求めるときもあるかもしれませんが、これはショパンを弾くコンクールなので、なるべくショパンに合う美しい音を心がけました。 ワルシャワフィルハーモニーホールは、ステージへの音の返しが少なくて、弾いている本人からするとフワッと柔らかく聴こえがちです。でも実際、審査員席には音がまっすぐ飛んでいきます。会場に届いている音をどれだけ把握しているかは、演奏者もですが、技術者にとってもとても大事で、そこを間違えると大変なことになります。 —今回のシゲルカワイについてはよく、あたたかい音が魅力だという声を聞き、個性的な良いピアニストが選んでいましたね。ただ特徴のあるピアノだと、ある傾向の人からは選ばれるけれど、そうでない人からは選ばれにくくなるのではないかとも思います。コンクールだと、まずはセレクションで出場者から選ばれないといけない問題があると思いますが、そこはある程度割り切るしかないのでしょうか? それはまさにものすごく考えてきた問題です。 今回カワイを選んでくれたピアニストに共通していたのは、ピアニシモを大切に弾いている方だということです。パワーで鳴らすよりは、弱音の中に何かを求めている、というか。 もちろんダイナミックレンジは広い方が良いので、フォルティシモも出るようにしていますが、実際このピアノは、特に弱音にこだわるピアニストを念頭に作り込んでいったところがあります。 コンクールでは鳴りや音量を求めるほうに向かいがちですが、それはやりたくなかったというか…自分が本当にいいと感じるピアノを出したいと思いました。その意味ではチャレンジでしたね。実際にこのピアノの特徴を理解したピアニストが選んでくれるかどうかは、わかりませんから。 —結果的には、二人のピアニストが入賞されました。お気持ちはいかがでしょう? 表現するのが難しいです。コンクールはメーカーのためのものではないとはいえ、良い結果がでることは嬉しいのですが、一方で、イ・ヒョクさんなど、あれほどすばらしい演奏をしたのに入賞を果たせなかったピアニストの気持ちを思うと、全面的に喜ぶことはできません。 コンクールの仕事をしていると、それは毎ステージ起きるわけですが、やっぱりどうしても通れなかった方のほうのことを考えてしまって。本当に不思議なんだけれど、メーカーとして良い結果でも、心の底から喜べないのです。 —このコンクールを経験して、調律師として改めて気づいたこと、得たものはありますか? やはり難しいと思ったのは、ピアノって生き物のようで、毎日本当に状態が変わるということです。 世界有数のコンクールの場で、極限までピアノを調整していますけれど、ちょっとした湿度や誰かが演奏した影響で、すぐに状態が変わってしまいます。そんな中でもべストな状態を保つことは、やっぱり本当に難しかったです。とくにコンクール中のピアニストは神経が張り詰めているので、少しの変化にも気がつきます。 ピアノの状態が日に日に変わっていくことを、調律師が敏感に感じ取っていないと、あるとき、取り返しがつかないほど大きな変化になっていて、場合によっては、ピアニストが楽器を変えたいということになってしまいます。そう言われてしまったときには、もう手遅れですから…。 —初めてショパンコンクールのメインチューナーを担当されて、いかがでしたか? やっぱりプレッシャーはものすごかったです。もちろんピアニストのほうが孤独だし、ずっと大変なんですけれど…。セレクションで選ばれるかどうか、結果がどうなるかというプレッシャーもありますし、ピアニストを満足させられなくてはという気持ちもあります。また世界中に配信されるので、聴いている方にとってもいいピアノでないといけません。 でも、ショパンコンクールのメインチューナーを務めるということは夢だったので、本当に光栄でした。”
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ファツィオリ調律師さんインタビュー(ショパンコンクールのピアノ)
“最後にご紹介するのは、ファツィオリのお話。 ファツィオリは1981年創業のイタリアのピアノメーカー。今回の4社の中ではもっとも若く、ショパンコンクールの舞台に初めてピアノを出したのは、2010年のことでした。しかしこのときいきなり、ファツィオリを弾いたダニール・トリフォノフが第3位に入賞、ピアノ好きの間ではけっこうな話題となりました。 今回は、1次予選で87人中8人がファツィオリを選択。そのうち3人がファイナルに進出、しかも、アルメリーニさんが5位、ガルシア・ガルシアさんが3位、そしてブルースさんが優勝するという、輝かしい結果となりました。 本番のピアノでリハーサルができないコンクールという場では、みんな、できるだけ弾き慣れたメーカーのピアノを選びがちです。その意味で、イタリア人のアルメリーニさん、ファツィオリには慣れていたというガルシアさんは、ファツィオリを選択したのもわかります。 しかし優勝したブルースさんは、「コンクールでファツィオリを弾くのは初めてだったからリスキーだった」というではありませんか。でも結果的に、ご本人のキャラクターとピアノのキャラクターがマッチして、美点を際立たせていたように思います。 ブルースさんご本人は、「完全に心地いいものばかりじゃなく、新しいものを受け入れていくということが好きなのかも。そのほうがおもしろいでしょ」とおっしゃっていたのも印象的でしたけれど。さわやかー。(そのコメントは、こちらの記事に) さて、今回そんなピアノの音作りを担当したのは、ベルギー人調律師のオルトウィン・モローさん。 他のメーカーはチームで来ていたり、アシスタントがいたりしましたが、彼は基本、たった一人で調律の作業をしていました。そしてアーティストのケアは、イタリアからのスタッフや、途中からはファツィオリ・ジャパンのアレック・ワイル社長が担っていた形です。 全ての結果が出たあと、ワルシャワでのガラコンサートの期間中にお話を伺いました。 (しずかーな声色でお話しするモローさん。でもすごく嬉しそうでした) *** —すばらしい結果、おめでとうございます。 ありがとうございます。これが初めてのコンクール調律の経験だったので…。 —えっ、そうなんですか? そう、それが世界で一番大きいコンクールだったんですよ。はは。 —では作業をしながら、コンサートとは違う特別な状況でどうしたらいいかを探っていった感じなのですね。 そうなんですよ。しかも私がこのピアノを初めて触ったのは、セレクションが始まる3日前でした。ステージ上で与えられる時間は1日6、7時間ということで、すぐに作業を始め、この音響の中でどうしていったらいいかを確かめていきました。できるだけイーヴンで、色彩感があって、ダイナミックでボリュームがあり、耐久性のあるピアノを目指しながら、細かい部分を整えていきました。 コンテスタントによるピアノのセレクションを見るのは、とても興味深かったです。他のメーカーのピアノを聴いて、状況をまた理解して、毎日ピアノを改善していきました。 はじめにアクションができるだけスムーズに動くようにレギュレーションの作業をして、それからとても重要なヴォイシングの作業をしていきました。コンチェルトの時には、オーケストラの中でコントラストが出て際立つように、少しトーンとヴォイシングを変えましたが、これはうまくいったと思います。 —それは、ピアニストからリクエストされたとかではなく? それは私の20年の経験から判断したことです。これまでたくさんのコンサートホールで調律をし、ピアニストと話をしてきた経験を総括した形です。もちろんピアニストから何かリクエストがあれば調整をしましたが、みなさんピアノを気に入ってくださっていたので特別なことは言われませんでしたね。 あと、YouTubeのライヴチャットの意見も参考にしましたよ。 —えっ、本当ですか!? もちろんですよ、ファツィオリの音についての一般的な意見がどういうものなのか知りたかったから。なんでそんなに驚くの(笑)。 —いやぁ(笑)、インターネットの音は、ホールの響きとは別ものなのではいかなと思って…。 もちろんインターネットで聴く音は全く違います。ホールで聴くほうが、色彩がたくさん感じられますし。でも、聴いた人の一般的な印象がどんなものかというのは、一つの大切な情報だと思って。例えば、低音の音量が大きすぎるというコメントがものすごくたくさんあったら、それは何かを意味していると思うのです。 —全ての情報を得ようとしていたんですね。 その通りです、それって重要でしょ(笑)。ピアノの音については、今、このホールに合うべストな状態です。この会場の、特に審査員席での響きを考えて音を作っていきました。コンテスタントの演奏を聴く時は、必ず審査員席の近くに座るようにしました。 でも昨日はガラコンサートのため、ピアノがオペラハウスにもっていかれてしまったから、とても心配していました。あちらの会場のために準備したピアノではありませんから…昨日の音は、私としては全然納得していないから、あんまりハッピーじゃないけど、まあ予想の範囲内ですね。  —他のメーカーの調律師さんはみんな早い段階から使用ピアノの準備にかかわっていたなか、あなただけ突然ここに連れてこられて、さあこのピアノでどうぞって言われていた状況だったんですね。ある意味、一番不利な状況で臨み、それを弾いた方が優勝したんだから、すごいですね。 そうそう、その通りですよ(笑)。最初は不安でした。そもそもコンクールの調律を依頼されたのも2、3ヶ月前で。コンクールの前にイタリアの工房でピアノを準備したかったけれど、私、この夏は忙しかったからそれすらできなくて。でも、なんとかなりましたね。 しかも、これってファツィオリにとっては歴史的な快挙だよなぁと思って。 —そうですよ! ねえ。だから、よかったなと思いました。 —そもそもモローさんは、ファツィオリの調律師さんなのですか? 私は独立した調律師です。今回はファツィオリ社から頼まれたんですよ。 4年ほど前、ベルギーに新しくファツィオリのディーラーができて、はじめは彼らからピアノのメンテナンスを依頼されました。それで1週間、イタリアのファツイォリの工房にトレーニングにいったところ、現地の技術者ととても仲良くなって、ファツィオリのピアノもすごく気に入ったので、1年間はイタリアとベルギーを行き来しながら、ハーフタイムでファツィオリの工房で仕事をしたんです。ファツィオリのピアノの扱いは、このときに勉強しました。それ以来の付き合いで、今回も依頼された形です。 —今回のファツィオリのピアノのキャラクターは? もともといい楽器でした。すごくパワーがあるわけではないけれど、色彩感が豊かで、磨かれた音がしました。そのため、それを保ちながら、このホールに対応できるパワーを持たせるよう、ピアノにエネルギーを与えていきました。 —ショパンを演奏するための楽器だということで意識したことはありますか? 磨かれた色を持ち、ダイナミクスが十分で、透き通っていること。クリアでブライトだけれど、過剰にそちらに持って行きすぎてはいけないということも心に留めていました。暗い音や閉じた音はショパンにはあまり合わないと思い、オープンでワイドな音を求めていきました。 —ショパンを演奏するには、ピアニシモの音の質、歌うニュアンスがとても重要だと思いますが、どうやってそれを作っていきましたか? そうですね、あと色彩も必要ですね。そのために注意深く聴いていたのは、ピアニストたちが左ペダルを使ったときの音です。これについては、直接ピアニストたちにも使った感想を聞いていきました。みなさんそれぞれの意見がありましたが、気に入ってくださっていました。ソフト過ぎず、明るすぎず、踏んだ時の効果も十分にあり、ちょうど、いわゆるスウィートスポットに入っていたようで、よかったです。 —では最後に。良い調律師に求められるポテンシャルとは、なんだと思いますか? 色彩とダイナミクスに対しての、高い感受性が求められると思います。チューニングとレギュレーションができても、ヴォイシングがうまくできなければ、良いピアノにはなりません。 あとは経験ですね。これは確実に言えることだと思います。”
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審査員インタビューはみだし編
“こちらでは、ぶらあぼONLINEではあまりに長すぎになってしまうため載せきれなかった審査員の先生方のインタビューのはみ出し編を、一挙にご紹介します。 本編あってのはみだし編ですので、あわせてお読みください! *** 海老彰子さん ◎ぶらあぼONLINE海老彰子さんインタビューはこちら ―入賞はできなかったけれど印象に残っているコンテスタントはいますか? ネーリンクさん、アレクセーヴィチさんは、いいと思いました。あと、ヴィエルチンスキさんも、ショパンのスタイルを持っていらっしゃいました。あとは角野さん。アルゲリッチさんがブラジルで聴いていらしたようで、好きだとおっしゃっていました。才能がすごくあると。 ―ところで、事前のインタビューでは審査員の先生方はみなさん、ショパンのスタイルにおいては、大きな音で弾く必要はない、速く弾くことは大切ではないとおっしゃっていましたが、今回はわりと豊かな音で華やかな演奏も評価されていた印象でした。何か、新しい流れがきているということなのでしょうか。 大きな音で弾くということについては、実際、もし大きな音で弾きすぎなければ通っていた可能性もあるかなというコンテスタントもいらしたと私は思います。その方などは、弾き始めはとてもバランスの取れたいい演奏だったのですけれど。 でも、若い頃は、これだけやらないと伝わらないのでは、と思ってしまいがちなのですよね。私自身もそうでしたからわかりますけれど。そこをなんとか耳で聴いて、考えなくてはいけません。指で弾くよりも、耳で聴くことが大切です。結局重要なのは、聴き手に感動を与えられるかどうかです。 —自分のまわりの音と、やっていることに入り込みすぎてしまうと、聴けているつもりで聴けなくなってしまうということでしょうか。 そうそうそう。逆に、ちゃんと聴けている人はすぐにわかります。音が違いますからね。……でも、言うのは簡単ですが、やるのは大変なんですよね。 —それとピアノについてですが、今回は、上位入賞者たちがいろいろなメーカーのピアノを弾いていましたね。初めはスタインウェイがとても多くて。 いい音でしたね、スタインウェイ。すごくよかった。 シゲルカワイも、ガジェヴさんがいい音を出してくれていました。 イタリアのアルメリーニさんはファツィオリ、ガルシア・ガルシアさんもファツィオリを弾いていましたけれど、深みもあるまた全然違った種類の音を出していて。あのファツィオリからそういう音が出てくるのを聴いて、すごいなと思いましたね。 —あとは、ファイナリストに17歳が3人いらっしゃいましたが、結果的に上位入賞することが難しかったのは、成熟度も求められていたからでしょうか…年齢は関係ないかもしれませんが。 そうですね、年齢は関係ありませんけれど。 ただ、聴こえてくる音楽がよく練られているかどうかは、音を聴けばわかります。音が彫刻されているか、しっかり何かが刻み込まれているか。これはやっぱり時間がかかることなんですね。 コンクールというものは、みんな自分のために出るものですから、結果以上に、この機会を使って自分がいかに伸びていくかを大切にしたほうがいいと思います。アーティストとしての人生は長いですからね。実際、一番になったら一番になったで大変ですよ。すごい責任のあることですから。 —ブルースさんは、それを越えてゆけそうなピアニストだった、ということですね。 それを願いますよね。 *** ピオトル・パレチニさん ◎ぶらあぼONLINEピオトル・パレチニさんインタビューはこちら —コンクールが始まる前、パレチニ先生にもショパンらしい演奏とは何かということについてインタビューをさせていただきました。今回のコンクールでも、審査員のマジョリティが認めるショパニストが選ばれたということですね。 そうです、マジョリティの意見です。私の意見では、1位は該当なしでもいいのではないかと思いましたが、そうはできないルールなので。 今回の結果には、聴衆のリアクションも影響があったと思います。優勝者はその後、メディアに出て、ある意味、商品として世の中に出て行くのですから、人々がこの先何年もコンサートに行きたいとならなくてはいけない。これは審査員も重要だと考える点です。 いわばコンクールが終わって、入賞者たちにとっては、明日からもっと難しい新たなコンクールがはじまるようなものです。私もそれを50年生き抜いて今があるのでわかりますが、コンクールから当面は、自分が疲れていようが調子が悪かろうが、聴衆はみんないつも最高のレベルを期待してくる。とても厳しいのです。 入賞者たちは、審査員の決断が正しかったと、全てのコンサートで示さないといけません。なにしろ、他にも多くの若いピアニストたちがこのチャンスにかけていたなかで選ばれたのですから。 —そういうタフさも考慮に入れての結果だったのですね。 そうですね。 17人の審査員は、ショパンのスペシャリストで、単に優れたピアニストや教授というだけではななく、ショパンに人生を注いだ人のはずです。人よりもショパンについて多くのことを知っているはずですから、決断を信じなくてはいけません。私も、私の意見がいつも正しいとは限らないと思うようにしています。 —いろいろなお考えの審査員がいるほうが、良い決断につながるのでしょうか。 みんながそれぞれの美学を持つことで、ショパンの演奏にいろいろな可能性が出るのは良いことだと思います。もちろん、ショパンに反していないことは重要ですが。 ショパンコンクールはショパンだけしか演奏しない、いわばモノグラフィックな場ですから、優れたピアニストであるだけでなく、ショパンをちゃんと感じ、ショパンのスタイル、温度で演奏をしないといけない。ベートーヴェンやラフマニノフのように弾いてはいけない。ヴィルトゥオジティを見せつける必要もないし、アクセッシヴに鍵盤に力をかける必要もない。 ショパンはそういうものではなかった。だからこそショパンは世界で受け入れられ、同時に難しいとされてきたんですけどね…。 *** ダン・タイ・ソンさん ◎ぶらあぼONLINEダン・タイ・ソンさんインタビューはこちら —あなたのもとでたくさんのアジアの優れたピアニストが育成され、前回に続き今回も、ショパンコンクールで入賞を果たしました。ご自身で、こうしたアジア系のピアニストの活躍を支えているという手応えはありますか? アジア人といっても、ある人はアジアで生まれ育っているし、ある人は海外で生まれ育っていますが。 今回のコンクールには、私の生徒が6人参加しています。そのうち2次に進んだのは4人ですが、繊細だったり情熱的だったり、それぞれがまったく別のタイプです。私はむしろ、これがとてもおもしろいと思っています。最近は、自分と同じタイプの演奏では、私を満足させるのが難しいところもある。一方で、自分のイマジネーションとまった違う演奏を聴かせてくれると、突然、何かを発見したかのような気持ちになり、喜びを感じるんですね。 —アジアのピアニストの多くは、体格などが欧米の方々と違うことも多いですね。音の作り方の面で、どうしても違うなと思うことはありますか。 そうですね、音の作り方だけでなく、むしろパーソナリティの違いの方が大きいかもしれません。ヨーロッパのピアニストからは、やはりより強いパーソナリティが感じられます。みなさんわかっていることだと思いますが、やはり、ライフスタイルの影響でしょう。 私も日本に4年住んだことがありますが、社会が個性を伸ばしていくということを積極的に支援しない傾向があると思います。これは、中国やベトナムも同じです。周りのやり方にならったほうがいいという感覚が、生活の中で形成されてしまうのです。でも、西洋は違います。自由に、自分のしたいようにする人が多い。 こうした違いが、アートにも影響してしまいます。アジアで育つと、心を開いたり自分のイマジネーションを広げていく癖がつきにくいのです。でもその意味で、アジア人でも海外で生まれ育った人はまた別ですね。そこには可能性があるでしょう。例えばシャオユーはパリで生まれています。それはかなり大きな違いでしょうね。 —ではあなたはご自分のアジア人の生徒たちに、心を開き、変わるように言っているのですね。 もちろんです。ただ、シャオユーについては、良いバランスをとらせるということが重要でした。彼の本質を大切に伸ばすと同時に、ショパンのスタイルを忘れさせないようにしました。 ポロネーズやマズルカのタイミング、リズム。加えて音量の問題。ショパンのフォルテと、ブラームス、ベートーヴェン、プロコフィエフのフォルテは違うということを理解させたうえで、バランスを保ちながら、自由な音楽をさせる。コンクールでは、ショパンのスタイルをはみ出してしまえば、落とされてしまいますから。 私はまず、生徒が最初に持ってきた演奏を聴いて、そのアイデアがやりすぎかどうかを話し合います。でも、こう演奏しないといけないということは絶対に言いません。そこから、説得力のある表現を求めていきます。 ただ今回私は、たくさんの生徒をこのコンクールに連れてきてしまいました…そのせいで落とされなくてはならなかった子がいたかもしれない。もしかしたらこれは今後、私自身が考えなくてはいけないことなのかもしれません。あまりにもたくさんの生徒を連れて来ると、残念な結果になるという。でもこのコンクールは、あとで採点表が発表されますから、いいですね。 ショパンコンクールで評価される演奏には、二つのタイプがあります。まずひとつは、ショパンに対して特別な態度で臨み、深くショパンとつながっているショパニストであること。もうひとつは、それほどショパンにスペシャライズしていないかもしれないけど、一般的に大変ハイクラスなピアニストであるということ。 過去の優勝者を見ても、例えばアルゲリッチはショパンのスペシャリストだと思いますが、ポリーニやオールソンは少しタイプが違います。別のカテゴリーなんですよね。 *** クシシュトフ・ヤブウォンスキさん ◎ぶらあぼONLINEクシシュトフ・ヤブウォンスキさんインタビューはこちら —今回の日本人入賞者の反田さんと小林さんの演奏について、一言ずつご感想をいただけませんか。 日本人がファイナリストに残り、入賞したことはものすごく嬉しいです。ただ私としては、彼ら両方の音楽に、より求めるところはありました。 反田さんは、私がつけた順位とは違いましたけれど、入賞にふさわしいとは思いました。良いピアニストです。私の友人が、彼の演奏は、日本とポーランドをはじめ、国際的なフレーバーを全てのフレーズに加えることで、すばらしいエンターテイメントを創り上げていると言っていましたが、実際それがうまくいって、美しい演奏になっているのです。彼はプロフェッショナルでした。あと、2次はよかったですね。 小林さんの演奏に感じたのは、クリエイティヴィティがどこまで許されるのかということです。色彩を感じる個性を持った演奏で、すばらしいパッションもありました。 —では、ショパンの作品を正しく解釈して演奏するにはどうしたらいいのでしょうか。 私が思うに、ショパンにおいて大切な一つのことは、シンプルであるということです。シンプルであるということは、素朴であるということとも違います。人と違う演奏をするためにシンプルさを求めるのも間違いです。 音楽からこれまでにない何かを見つけようというアプローチは、何もかも捻じ曲げてしまう。それがどれだけ聴衆に関心を抱かせ、納得させようとも、真実を歪めたものでしかない。とにかく、ただひたすらに美を求めて演奏すればいいのです。それが成功の鍵です。 今の若いピアニストを見ていると、事前にYoutubeなどで何百回でも演奏を聴くことができるので、ちゃんとテクストを読む前から解釈をしようとうする傾向にあると思います。たくさんの録音があるなか、そのどれに従うべきかもわからずにそうしてしまう。大ピアニストとされる人ですら、時には楽譜に基づいて弾いていないこともあります。巨匠がこう弾いていたからということは、あなたがそのように弾く理由にはならないのです。 天才作曲家たちはとても明瞭に作品を書いています。そこに書かれているのはpなのか、スラーはどこで終わっているのか、アクセントが付いているけれどそれは何を意味しているのか。考えなくてはいけません。 例えばあなたが気に入った絵画を買ってきて家に飾ったら、毎日それを見て、何年経ってもすばらしいと思えるでしょう。ある日、ちょっと変えてみよう、なんだかグレイでつまらないから色を加えてみよう、などということはしませんよね。それをしたらもうそれは別の作品で、元の美しさは壊されてしまっています。 —ショパンの理解について新しい時代が来たのかな、などとも思ったのですが。新しいタームとか、新しいスタイルとか…。 ショパンの新しいスタイルなんていうものはありませんよ。それは単なるディレッタンティズムです。 今、このコンクールがショパンの音楽の姿を歪める方に向かう扉を開けてしまったとして、もし今後もその方向に突き進んで、誰も止めることがなければ、ショパンコンクールは終わりだと思います。その先はショパンコンクールと呼ばれるべきではありません。最もクリエイティブで才能のある個性のためのコンクール、とすべきですね。”
2020
2月
18
鋼のメンタル、インドヤマハの社長さんのお話(ONTOMO連載の補足)
“ウェブマガジンONTOMOで連載中の、インドの西洋クラシック音楽事情のお話。 第2回では、「日本の楽器メーカーは、人口13億人超のインド市場にどう挑んでいるのか」というテーマで、インドでのキーボードの広がり、子供たちが楽器を習う動機の現状、そして昨年、インド、チェンナイでの現地生産をスタートしたヤマハ・ミュージック・インディアの社長、芳賀崇司さんのお話をご紹介しました。 記事の中でも触れましたが、子供が西洋の楽器を習う大きな理由の一つとなっている、受験に有利だから、ということについて。 インドの受験戦争は本当に厳しく、社会問題化しています。以前、日本でもわりと人気がでたインド映画「きっとうまくいく」でも、受験や成績のプレッシャーを苦に命を絶ってしまう若者の存在が、ひとつの重いテーマとして扱われていました。 富裕層は富裕層で必死。さらに、カースト制度の職業の縛りから外れたIT産業が盛んとなったことで、低カースト層は、貧困の連鎖から脱却する一発逆転に賭けています。 ちなみに、こちらが件の集団カンニングで親が壁をよじ登る様子を報じたニュース映像。 その後、カンニング予防のために屋外で試験を受けさせられる青空テストのことや、マイクや受信機が縫いこまれているカンニング肌着が紹介されているのを見たことがありますが、最近はこのダンボールかぶってテスト、が、絵的には刺激的ですね。 人道的にどうかという否定はもっともですが、それはともかく、 厳罰をつくって守らせるという「ルールをつくり、一旦相手を信用してものごとをおこない、それでも守らない人は超絶ひどいやつだから、厳しく罰する」という思考回路ではないことが窺える例ですね… つまり、抜け道があれば誰もがそれを利用する前提で、それができない環境を、まあまあの力技でつくっていく、しかも材料は手近な段ボール、っていうあたりが、インドらしい。たとえばインドでは、何かを並んで買う時、絶対に割り込みされたくないから、前の人に密着して立つっていうカルチャーもありました(最近は減ってるのかな?)。おじさんが体をぴったり密着させて長蛇の列を作っている光景、かつてはよく見かけ、絶対参加したくない、と思ったものです。手近なものと発想でなんとかしようとするメンタリティ、すごいなと思います(これはヤマハインドの社長さんのお話にも通じるところ)。 そして余談ですが、記事の中で出てくる、真ん中だけ調律するインドの調律師さんの話…先日、夫が調律師だという某ピアニストさんが、「家でモーツァルトを練習している時期は、夫は真ん中しか調律してくれない」と話しているのを聞いて、インド人の感覚!と思いました(モーツァルトの時代の鍵盤楽器は、今のピアノよりも鍵盤数が少ないですね)。 さて、そんなインドで奮闘している、ヤマハ・ミュージック・インディアの芳賀さん。 2017年7月に着工したヤマハチェンナイ工場の責任者として、またデリー近郊のグルガオンに拠点を置き営業面の中枢となっているヤマハ・ミュージック・インディアの社長として、2018年の春からインドに赴任されています。 自分、初代の社長から、代々のインド社長におおむねお目にかかってきているのですが、やっぱり今回の芳賀社長も、かなりメンタル強そうです。なんとかなるさ気質がすごい。 今回も例によって、こちらでインタビューのロングバージョンを掲載したいと思います。まさかのスキーが作りたくて入ったという体育会系スタートのヤマハ人生についても、少し振り返ってくださっています。 芳賀崇司社長@チェンナイ工場の食堂 ━いくつもあった候補地の中から、最終的にインドが選ばれた理由はなんでしょうか? 昨今、中国も人件費が上がっている中、これから生産のキャパシティを増やすならどこを拠点とするかという話が出たのが、2015年ごろです。これには、生産拠点の立ち上げを経験した人材が抜けてしまう前に、次の世代にノウハウを伝えておこうという考えもありました。 既存の工場がない国で、立地条件、労務費などを検討した結果、人件費が抑えられることに加え、やはりこの13億人という市場の大きさという条件が備わったインドを選ぶことになりました。将来的に中近東やアフリカでの製造の可能性を視野に入れるなか、インドで立ち上げを経験しておくのは良いステップになるだろうという思惑もあります。 ━チェンナイのこの工業地帯には、日本の車メーカーの工場もたくさんありますね。 チェンナイはインドで4番目の大都市で、港があり、また、この地域には日本の銀行の資本が入っていることもあって、日本企業が入りやすいのです。大きな自動車メーカーや部品メーカーなどに、日本からの投資がかなり入っています。……主な投資先は二輪、四輪なので、私たちのような楽器製造というのは、ちょっと異様ですけれどね。 ━異様(笑)。以前からインドではカシオのキーボードが広く販売されてきましたが、全て輸入ですもんね。キーボード市場のライバルとして意識するところはありますか? キーボードをカシオと呼ぶというくらいがんばっていらっしゃるので、戦っていかないといけない部分もあるのでしょう。ただ私としては、そのために現地生産を始めたというより、全体の市場を大きくするためという意識が強いですね。お互い市場を取り合うより、カシオさんとも協力して、音楽人口を大きくしていく方向に進めたらいいなと思いっています。そうでなくては、将来がありません。 ━インドの従業員の仕事ぶりはいかがですか? スタッフ、工場のオペレーターとも、水準が高く向上心もあります。ただ、これは国民性なのかもしれませんが、本当にこちらが言ったことを理解してもらえているのかどうか、ちょっと不安になるときはありますね。自分たちに良いように解釈して進めて、我々の望んでいることとギャップが出てくることが時々あるかな。その辺は気をつけて見ていかないといけません。 インドの方が返事をするときの頭の振り方って、日本人からするとイエスかノーかわかりにくいですけれど(注:彼らはイエスの意味で小首をかしげます)、それに象徴されているというか…わからなくてもそうはっきり言ってくれないことが多いかもしれません。 ━メーカーの製品ですから、各自で臨機応変に解決されては困るでしょうね。インドっぽいといえばインドっぽいですが。 そうそう、それが良い結果につながることもあるのかもしれませんが、品質確保の意味では勝手な判断をされると困るのです。とはいえ、市場に出て行く製品にはテストが行われますから、ヤマハ品質の確保という意味では問題ないでしょう。 ━「それがいい結果につながるかもしれないけど」とおっしゃるあたりに、芳賀さんはインドで仕事をするのに向いていらっしゃるんだろうなと思ってしまいました(笑)。 ははは(笑)。まぁ確かに、何もかも押さえつけるのは良くないとは思ってます。実際、そいういうところにヒントが転がっていることもありますからね。固定概念があると、そこから外れたくなくなってしまいがちですが、これは、大きな間違いかもしれませんからね。外からの視点や、ひらめきは大事にしないといけません。 ━インド向けの商品開発も、現地生産をはじめることで、日本の本社を通していたときより効率がよくなりそうだと伺いました。 そうですね、今後は現地の情報をどんどん物作りに反映したいと思っています。 他の会社では珍しくないのかもしれませんが、実はヤマハとしては、製造と販売が一体の会社というのは、このインドが初めてなんです。営業・販売と製造がツーカーの関係であることが、良い方向に作用したらいいなと期待しています。 ━日本の本社からの期待感はどうでしょう? インドのビジネスはどういう位置付けにあるのでしょうか。 マーケットとしてはアメリカ、ヨーロッパ、日本が中心で、そこに中国が伸びてきている現状の中、次にくる場所として、インドは注目されています。 日本でもかつて、ヤマハ音楽教室が大きな役割を果たしました。すぐ売り上げにつながるわけでなくても、先行投資をして、インドでの音楽教育の推進、学校への働きかけを広げていかなくてはいけません。 いずれにしてもこのチェンナイ工場は、オール・ヤマハの支援のもと、現在に至っています。特に、既存の海外の工場の協力が大きな助けになりました。 例えば私が以前いたマレーシアの工場には、マレー人の他に、中国系、インド系のスタッフがいるのですが、実はこのインド系がタミルからの移民で、家ではタミル語を話しているんです。そこでこのチェンナイ工場では、そのインド系マレーシア人スタッフを駐在員として招き、通訳などとして活躍してもらいました。彼らはすでにヤマハのやりかたを理解していますから、助かりましたね。 日本人だけでなく、世界各地のローカル人材を活用する、良い事例になったと思います。 ━日本企業にとって、インドはビジネスをしやすい環境だと思いますか? それはちょっとどうかなぁ。やっぱりお役所関係のことが簡単ではないですよね。選挙のたび、州政府がどうなるかに大きく左右されたりするので。 ━これまで海外での工場の立ち上げに携わり、いろいろな国の人と触れ合いながら楽器をつくってきて、今どんなことを感じていますか? うーん、それは、私個人的にということですよね…。実は私、最初はスポーツ部門でスキーを作りたいという気持ちでヤマハに入ったので、まさか海外に行くことになるだなんて全く考えていなかったんですよ。 結果的にサラリーマン人生の半分以上を海外で過ごすことになりましたが、自分にとってはよかったと思います。日本の良いろころ、悪いところが改めてわかりますし。 あと、日本は少子化で平均年齢が上がっていますけれど、海外の生産拠点で仕事をしていると、若い人と仕事をする機会が多いのです。工場では自分の子供より若いスタッフもたくさんいます。伸び盛りの人と一緒に仕事ができることは、ありがたいです。 そしてやっぱり、毎日いろんなことがおきますね…。それはもちろん大変なんですけど、なんか、よかったなと思いますねぇ。 ━大変な時は、どうやって乗り越えたのですか? 若い頃はただがむしゃらにやっていましたけど、経験を積むなかでうまく立ち回れるようになるというか。いいかげん…ってことでもないんですけれど、ポジティブに考えるようにすることで、乗り越えられるようになりましたね。明日は明日があるさみたいな気持ちでやっていますよね。 ━そうじゃないと、やってられない? やってられないですねぇ。なにごとも、ツボを押さえることが大切です。それは難しいことですが、経験やカンで、だんだんできるようになって行くのだと思います。本来押さえないといけないところをほったらかしていると、違う方向にいってしまったり、または全然進まないということになってしまう。そうならないよう、そこだけは冷静に見るように心がけてきたかな。 ━インドの仕事に携わっているうえでの抱負はありますか? まず工場の責任者としては、良いものをしっかり作っていくこと。ヤマハ・ミュージック・インディアの社長という立場としては、市場の開拓を進めいくこと。この両輪で軌道に乗せていきたいです。 あと、これはどこの国でも同じですが、インドに工場をつくった以上、やっぱりインドのためになることをやりたいですね。大げさなことはできないけど、例えば雇用の促進などで地元に貢献する。そうして、地域に根の張った工場であり、ヤマハ・ミュージック・インディアにしていきたいです。私たちの商品は、人を幸せに、豊かにするものですから。…会社からは、早く儲かるようにしろと言われると思いますけれど(笑)。 そして、縁があって私たちの会社に入ってくれた人が成長し、生活が豊かに、家族が幸せになってくれることが、私の一番の夢です。 *** 以上、芳賀さんのお話でした。 個人的には、マレーシア工場のインド系スタッフがタミル人だったというミラクルに助けられた話にしびれました。 あと「大切なツボを押さえていないと、違う方向にいったり、または全然進まなかったりということが起きる。そこだけは冷静に見ている」というお話も、いろんな山を越えてきた芳賀社長ならではの言葉だと思いました。自分のやっていることに当てはめて、反省してしまいましたよ…。 【ONTOMO】 ♣インドのモノ差し 第2回 日本の楽器メーカーは、人口13億人超のインド市場にどう挑んでいるのか ♣インドのモノ差し 第1回 インドの衝撃—1、2年でヴィルトゥオーゾに!?「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の指導法”
2019
2月
23
インド人チェリストが祖国に作った素敵な学校に行ってきた
“ここまでのインドのいろいろを、少しずつ紹介したいと思います。 到着した日に向かったのはタージマハルホテル。チャローインディアというインド料理探訪プロジェクトのため来印中の東京スパイス番長のみなさんがお食事中ということで、水野さんを訪ねて合流です。 今年のテーマはアチャール(インドのお漬物的なもの)らしいので、成果を見るのが楽しみ。アチャールって本当においしいですよね。梅干し好きの私としては、インド料理においてなくてはならぬ付け合わせ。 タージマハルホテルといえば、11年前に大規模なテロがあった場所です。あれ以来、セキュリティチェックがとても厳しい。 そしてロビーには、1852年から1872年の間に作られたというスタインウェイのピアノがあって、インド人ピアニストのおじさんがポロポロ弾いてました。植民地時代の置き土産的な存在。   インドではたまにこういうアンティークのピアノに出会います。去年もコルカタでシタール奏者のインドの方のお宅にお邪魔したら、家にベーゼンドルファーのグランドピアノがあると言われてびっくりしました。(しかも、その方自身は弾けないらしい) 翌日は早速コルカタに移動。 浜松コンクールでお世話になった、ピアニストの小川典子さんにご紹介いただいた、ロンドン在住インド人チェリストのアヌープ・クマール・ビスワス氏が、故郷のコルカタに作ったMatheison schoolを見学してきました。 犬が寝てますし、牛もいます。 牛は飼ってるのかと思ったら、学校のまわりに柵がないからどっかの家からいつも入ってくるらしい。 そもそもどうしてこの学校に行くことになったのかというと。 ある日小川さんがツイッターで突然(?)、「友人のチェリストのパーティの様子」といって写真を送ってきてくれまして。 見たら、どう考えてもインドのパンジャービーダンスの様子なんですよ。 お友達は、インド人ってことですか?と尋ねたところ、そうであると。 (最初は、インドにどハマりしているイギリス人のパーティなのかと思って、小川さんには変わったお友達がいるもんだなと思ってしまいました、すみません) さて、こちらのインド人チェリスト、ビスワスさんは、コルカタの貧しい家に生まれました。しかしその瞳の輝きに何かを感じたイギリス人の神父さんが、教会の学校で彼にチェロを教え、ロンドンに留学させたのだそう。 さて、学校について。 学校には、そのイギリス人神父さんの名前が付けられています。全てが無料の全寮制、貧困層の中でも特別に貧しい家庭の子供のみ入学可能。教会を通じて入学の希望者がいると聞くと、家庭に面談にいって、本当に貧しいのかを確認するんだって。 草原の中にポツンと小さな建物があるところからスタートして25年。基本的にビスワスさんが私財をつぎ込んで作ったもので、多くの困難を乗り越えてここまでになった努力の結晶だそうです。 今は50人ほどが勉強しています。現在校舎を増設中で、もっと多くの子供を受け入れられるようにしていくつもりとのこと。すごいぞビスワスさん! 学校の生徒たちはみんな弦楽器を習っています。 訪ねた日、スクールコンサートを開いて、子供たちのオーケストラの演奏を聴かせてくれました。全員音を真剣に鳴らしている感じが伝わってくる、良いオーケストラ。インドのコルカタにこういう子供たちが育っていたとはとびっくりしました。 Mathieson Schoolの生徒たちはみんな弦楽器を習っています。訪ねた日、スクールコンサートを開いて、子供たちのオーケストラの演奏を聴かせてくれました。全員音を真剣に鳴らしている感じが伝わってくる、良い雰囲気のオーケストラ。インドのコルカタにこういう子たちが育っていたとは。 Mathieson Schoolの生徒たちはみんな弦楽器を習っています。訪ねた日、スクールコンサートを開いて、子供たちのオーケストラの演奏を聴かせてくれました。全員音を真剣に鳴らしている感じが伝わってくる、良い雰囲気のオーケストラ。インドのコルカタにこういう子たちが育っていたとは。 pic.twitter.com/XhvIviy8QU — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) 2019年2月16日   ビスワスさんは、神父さんから受け取ったものを今度は自分が次の世代に与えていく番だと、活動を続けているようです。 これまで私もいろいろなプロジェクトのことでインドのお金持ちさんに接してきましたが、あまり私財を投じてこういう活動をしようという人はいないんですよね…国民性なのか、宗教上の感覚なのか。ビスワスさんは、お電話で話した明るくグイグイ来る感じこそさすがベンガル人の人だなーと思いましたが、活動を知るほど、なんてすばらしい方なのだ!と思ってしまいました。 生徒たちはナチュラルに礼儀正しく、明るくどこか控えめで、すごくいい。 子供達の集合写真を撮ろうとしていたたら、犬がグイグイ来ました。 このあと彼は、しっかり集合写真に一緒におさまっていました。 ちなみにこの日ビスワスさんはもうロンドンに帰っていてご不在。後日詳しくご本人にお話を聞くことになっています。楽しみだ。”
25
ザキール・フセインさんのタブラ協奏曲
“ムンバイに再び戻ったあとは、シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディアの春シーズン定期公演を聴いてきました。お目当ては、タブラ奏者のザキール・フセインさん作曲によるタブラ協奏曲「ペシュカール」。 開演前、ホワイエを見渡すとたくさんの人が飲んでいた、冷たいミルクコーヒー。サモサとのセットで100ルピー(150円くらい?)という、コンサートホールなのにそこらへんのカフェより断然お安い値段で購入できて、しかも辛いと甘いでおいしい。ムンバイ のジャムシェッド・ババ・シアターでコンサートを聴く機会があったらぜひ試してみてください。甘辛のコンビネーションに夢中すぎて、写真は撮り忘れました。 ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」がおわると、台がセッティングされて、タブラを持ったザキールさんが登場。 タブラソロに始まって、ティンパニ、低弦、ファーストヴァイオリンがインドらしい旋律をつぎつぎ受け渡していきます。西洋の語法の中で音楽を育んできた人では書かないだろう旋律がからみあう。怒涛のタブラの音の波、管との掛け合いがかっこいい。 演奏後は、客席総立ちでした。さすがスーパースタータブラ奏者。みんな大好き。 日本でもこの曲を公演できたらいいのに…。 どうですか、指揮者のみなさん、そして日本のオーケストラ関係者のみなさん!! ちなみにこちらは2015年の演奏の動画です。 私がインド古典音楽を生で聴く経験はまだまだ全然浅いのですが、それでもザキールさんの演奏は、技術はもちろん、音がすごく特別なんだなということがわかります。 先日、ザキールさんのお弟子さんであるユザーン氏のプチ解説を聞く中で、その音作りの精神のお話がちらりと出て、他のインドの有名タブラ奏者とザキールさんの音の印象が違うように思うのはそういうわけか…と納得しました。 SOI全体の演奏に関しては、やはり、海外のオーケストラで活動する外国人臨時メンバーばかりだけに、個々の技術は一定レベル以上で普通にうまい。いつも一緒に演奏していないからアンサンブルの面が少し大変そうですが、スケールの大きな演奏が特徴です。 ところでちょっと関係ないですけど、ユザーン氏と環ROYさん、鎮座DOPENESSさんが最近発表したこの曲とミュージックビデオ。 音もかっこよく、なんだか(いい意味で)様子がおかしくて笑っちゃうと同時に、インド古典音楽、そしてそのほかの音楽の歴史も知ることができて、とても素敵です。なんなんでしょうこのセンス。いい仕事してますね…。 そしてこのユザーン氏と、サントゥール奏者の新井孝弘氏による、毎年恒例、インド古典音楽のツアー、今年も開催されるそうです。新井くんは、今年ムンバイであったら、またしっとりとインド人度が増していました。いつか本当にインド人になってしまうかもしれません。 二人が発するインドの匂いを嗅ぎたい方は、お近くの会場でぜひご体験ください。 公演スケジュールは、こちら。 (最後はインドでいつもお世話になるお二人のコンサートのお知らせでした。)”
部品の巣窟的空間、ムンバイの楽器修理工を訪ねてみた
“去年ヤマハ・ミュージック・インディアの方からその存在を聞いて、会いに行ってみたいと思っていた、ムンバイの楽器修理工の家族の工房。ヤマハの現地スタッフ、アンシュマンさんに案内していただき、ついに訪ねることができました。 すごいすごいとは聞いていましたが、なかなかの穴蔵っぷり。細い路地を入り、半地下に下ったところに工房はありました。 今は三兄弟で職人をしていて、とくに長男のムンナさんはこの狭い部品の巣窟風スペースに座って、ひたすら作業をしています。ムンナさん、長いルンギー(インドのおじさんがよく着ている腰巻き布)をしてなくて足が写っちゃうって気にするしぐさが、かわいらしかったです。でも、作業中のワイルドな手元の動きはかっこいい。 (左のお二人が、次男、三男。一番右はヤマハのアンシュマンさん) 主に修理をしているのは管楽器。インドでは結婚式にウエディングバンドを呼ぶ習慣があるので、管楽器の需要はかなり大きいのです。 楽器修理工を始めたのは、彼らの父親だそう。もともと車の修理工をしていたところから、興味を持って路上の楽器修理屋で技術を習得。その技術が息子たちに伝えられて、今につながっているようです。つまり、すべてが口頭伝承的な技術。しかも起源もよくわからない。 難しい修理の依頼も、経験と三人の知恵(あと、ネットの情報)でなんとかしちゃう。輸入品でしかない部品は、自分たちで作っちゃう。 インドの暮らしの中では、いろんな場面で、壊れた何かが、ひらめきと経験(その場しのぎともいう)で修復されているのを見ます。いわば、そのプロフェッショナル版ですね。あと、今や機械で作られているのしか見ないものがハンドメイドで作られていたり。糸車をまわすガンティー的思想が受け継がれている…というとすごい感じがしますが、単に彼らはずっとそういうふうに生きているんですよね。 もう15年も前の話ですが、インドで自転車のスペアキーを作ろうと思って鍵屋さんに行ったら、目視で確認しながら、普通のヤスリで、手削りでスペアを作ってくれたことを思い出します。それで、これがちゃんと開くんですね。ちょっとひっかかるけど。 ちなみにヤマハさんは数年前、この我流リペア職人さんたちに、楽器修理についてのワークショップを行ったそうです。今までそんな話をもちかけた楽器メーカーはヨーロッパにひとつもなく、ヤマハさんが初めてだったんですって。 ヤマハの楽器が修理に持ち込まれることももちろんあるそうですが、 「やっぱり他のメーカーと比べて品質が良い」とのこと。 (通訳で入ってくれていたアンシュマンさんが、ちょっと盛り気味に説明してくれて、インド人スタッフのヤマハ愛ステキと思いました!) この場所の写真だけ見せてもらっていた時は、労働環境が厳しい作業場なんじゃないかと勝手に思っていたんですが、三兄弟、とってもこの仕事を愛しているようでした。素敵な職人魂を感じる。(そして、実際けっこう儲かっているっぽい) やっぱりなにごとも、行って見てみないとわからないものです。”
ヤマハがインド現地生産を開始、チェンナイ工場を見てきました
“ムンバイまでは、インド楽器奏者の友人たちに助けてもらいながらなんの問題もなく過ごしてきましたが、チェンナイに夜遅く着いて、久し振りにインドあるあるのトラブルに遭遇。 レセプションで「今朝電話したけど出なかったから、部屋はキャンセルしたので、お前が泊まる部屋はない」っていわれるやつ…。 ここはひとつ頑固に譲らないぞ、でも怒っても仕方ないし…と思って悲しげな表情を見せたら、近くの同じ系列の別のホテルに部屋を用意してあげるから我慢してくれと。そしてご丁寧に、オーナー夫妻の妻が一緒にオートリキシャー(バイクタクシー)に乗ってついてきてくれるという安心のサポートっぷり。悲しげな表情がかなり効いたみたいです。 ただ、スーツケースもあってリキシャーの中は超ギュウギュウなのに、奥さんは膝に小学生の子供を乗せてついてきました。なんだろう、ちょっとしたアトラクション感覚なのか。 到着して早々あちこち連れまわされて疲れましたが、こういう優しいフォローは初めてです。まあそもそも、勝手にキャンセルするのがひどいんですけどね…。 そして部屋のバスルームに入ったら、トイレットペーパーが、立ち上がってなお見上げる位置にセッティングされていました。今まで見た中で最高です。 チェンナイは南インドの大都市のひとつ。 言葉はタミル語なので、連邦公用語のヒンディー語は基本的に通じません。なので、困ったことがあるともうお手上げ…。 ヒンドゥー寺院の雰囲気も特徴的です。私はまだチェンナイは2回目なのですが、このカーパレーシュワラ寺院のプージャ(礼拝)の音が妙に気に入っていて、今年も見にいったりしました。 チェンナイのカーパレーシュワラ寺院、プージャの音と雰囲気に妙に心ひかれて、また来てしまった。鐘鳴らし係のおじさんのこなれ感がとってもクール。 pic.twitter.com/pDMGk1pvbj — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) 2019年2月20日     さて、ヤマハ・ミュージック・インディアのお話。 今年からインドで現地生産を開始、そのチェンナイ工場を見学してきました。まずはアコースティックギターとキーボードから、今後は音響機器の製造も予定しています。 インドでアコースティック楽器の大規模生産をするのはヤマハが初めてだそう。 ただ、アコースティックピアノの現地生産の予定は、さすがに今のところないみたいです。 本社からの期待も大きいそうです…インドがヤマハさんの中で期待されているだなんて、なぜかしら、他人事ながら嬉しい。 この工場では、積極的に女性を雇用しているということで、工場内にはたくさんの若い女性スタッフの姿が見られました。女性が外で働きにくいこのインドの地で、すばらしいこと!中心地から車で1時間半ほどのこの工業エリアには、日本の企業の工場がたくさんありますが、ほとんどが自動車関連なので、女性は働きにくいんだって。 食堂も完備で、朝昼ごはんが出るそう。海外の生産拠点あるある的な手口(?)みたいですが、朝ごはんを出すと、出勤をサボる人が減るらしい! 社長の芳賀崇司さんは、これまでにも海外の生産拠点のお仕事を何箇所も経験しているそうです。(ランチをオススメするポージングの写真に付き合ってくださった、優しい芳賀社長) いろいろとお話を伺いましたが、さすが素敵ななんとかなる精神の持ち主であります。2008年の開設以来、歴代のヤマハミュージックインディア社長にお目にかかっていますが、みなさんそんな感じ。そうじゃなきゃインドの社長なんてできませんよね…。 芳賀さんは今回、次の工場は(世界の中の)どこにするか、その段階から携わっていたそうです。インドでのビジネスは、法的な手続き関係でものすごく時間がかかることが多いですが、今回は新記録な勢いでスピーディにことが進んだみたい。それには、モディ首相のメイク・イン・インディア政策の流れもあったと思いますが、ちょうどチェンナイ州が、外資企業の受け入れ手続きがのろすぎるという評判がたってしまったのを払拭しようとしていたタイミングだったからだとか。幸運でしたね。 芳賀さん、ヤマハのものづくりの未来はもちろん、地元の人たちへの貢献も大切にしていて、かっこいいなと思いました。いろいろと詳しくお話を伺いましたので、のちの記事をお楽しみに…。”
3月
01
パペットショーどうでしょう
“デリーでは今年も、学生時代にフィールドワークをしていたパフォーマーカーストのコロニーに顔を出してきました。相変わらずみんな元気そうでした。 (彼らについて紹介した過去の記事は、こちら) こちらの中央のどっしりした男性が、コロニーの中で最も成功しているパフォーマー一座の長である、プーランさん。孫を両脇に抱えながら。 ピアノ雑誌の編集部時代、無謀にもインド特集を組んだとき、ピアニストの青柳晋さんを連れてこのスラムでパフォーマーと音楽的交流をしてもらったのですが、青柳さんが「京唄子師匠に似てるねぇ…」と言い出したので、プーランさんと話していると、ときどき唄子師匠のことが頭にちらつきます。 (そして、今改めてグーグルして見比べると、とくに似てないっていう…) 一家にリクエストされていたおみやげに加えて、子供が多いから日本のお菓子をと思って、この三角の小袋がたくさん入った柿の種のファミリーパック的なものを持っていったんです。 すると彼ら、サモサだサモサだ!日本のサモサだ!とひとしきり盛り上がっていました。サモサっていうのは、こういう形の餃子風の皮にじゃがいものスパイス炒めが詰まった揚げ物です。形以外はまったく別物です。この人たち、三角紙パックの牛乳見ても、サモサだっていうのかな。 ところで彼らは数年前、デリーの政策で、もう60年も彼らが(勝手に占拠して)住んでいたスラムを立ち退くことを命じられ、700世帯ほど集まって住んでいたパフォーマーのカーストの家族たちは、何箇所かのキャンプにわかれて住むようになりました。キャンプといわれてどんな住環境なのか心配していましたが、むしろ衛生状態もよくなっていたし、警察署も隣にあって安全そう。本人たちも、クールな場所だぜと気に入っているようでした。 とはいえ、世界で一番有名なスラムと呼ばれた場所には、自然と世界のフェスティバルのオーガナイザーがスカウトに来ていて、それで仕事がなりたっていたのに、急に移動を余儀なくされたことでコンタクトが減り、一年ほどは仕事がなくて大変だったそうです。予期せぬいろんな問題が起こるもんだ。 こちらは去年の写真から。結婚式開催ウィークだったので、みんな踊ってます。そのセンターで黙々とチャパティを焼く若奥さん。   彼らの伝統的なパフォーマンスは、この木製パペットでのショーなのですが、最近は仕掛けのある手の込んだ人形や、テレビからの仕事の依頼でセサミストリートのぬいぐるみを操ったりもします。   CPセントラルパークでの、パフォーマー一家の息子の一座のショー。糸で操る小さなパペットのショーが伝統的スタイルだけど、最近はこういうジャンボパペットも取り入れている。出てきただけで超盛り上がってた。なにげに両サイドのツルがすごいのよね。竹馬的なの履いて踊ってるので。 pic.twitter.com/lqc7B7II48 — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) 2019年2月23日   最近のホットな演目は、このビッグパペットによるショー。3メートルくらいあるでしょうか。ステージの横にスタンバっているだけで、子供はもちろん大人も集まってきてはしゃいでいました。 (もし日本人の友達が一緒にいたら、じゃんがじゃんが的な…と言うところでしたが、残念ながらこのくだらない感想を分かち合える人は近くにいませんでした) さて、わたくしが近年なんとか実現させようと思っている、このスラムでヴァイオリンなどの楽器を教えるプロジェクト(もともとパフォーマーなので、プラスワンのの技として取り入れて収入アップを狙う&天才発掘の企み)、実はヴァイオリンの先生を失って立ち往生中だったのですが、また新しいツテができて再スタートできそうです。 ちなみに先生が行かなかった期間、唄子師匠、一度子供達を集めて自分たちで弾いてみようと、私が置いてきたヴァイオリンを開けてチャレンジしてみたそうです。 「ギターとかは独学で弾く子も多いけど、やっぱりヴァイオリンは先生がいないとだめだね、3日で断念しちゃったー」 とのこと。むしろ3日も自分たちでやろうとしたことがすごい。 去年楽器を持っていった時も、いきなり見よう見まねで楽器を持って弾いてました。完全に初めて手にしたわりには、なんだかいい感じです。さすが。 さてこれからどんな展開になるか…新しい道を切り拓くために。がんばろう。”
06
インドのオーケストラ、イギリスへ行く
“シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディアが、イギリスデビューする! ということで、そのロンドン公演を聴いてきました。 演目はふたつ。先日私がムンバイで聴いた、ザキール・フセインのタブラ協奏曲を含むプログラムと、純西洋クラシックのプログラム(組み合わせを変えて数種類)。今回は、タブラ協奏曲なしの下記の演目を聴いてきました。場所はCadogan Hallです。 Weber: Overture to Oberon Bruch: Violin Concerto No. 1 in G minor, Op. 26 Rachmaninoff: Symphony ...”
12
グリゴリー・ソコロフを聴いた
“ 今回の旅で特に楽しみだったイベントの一つは、モナコでグリゴリー・ソコロフのリサイタルを聴くということでした。日本に来てくれないソコロフ…ヨーロッパにいるときにうまくタイミングが合って聴けないものかと、いつもその機会をうかがっておりました。 モナコのモンテ・カルロへは、ニースから電車で30分ほど。そんなわけで滞在はニースです。 ニースには良い美術館がたくさんありましたが、中でもシャガール美術館は特別な空間でした。そして土曜日の昼なのに、すいている。 シャガール自ら生前に建造にかかわっていて、聖書の物語を描いた連作が展示されています。シャガールはユダヤ系ロシア人なので、いわゆる旧約聖書の物語が描かれています。自身の独創的な観点で物語が紐解かれていて、それは優しい光を放っていました。 シャガールは神様と対話していた…音楽でも美術でも、心身を削ってこういう本質的なものを掴んで見せてくれるアーティストは尊いですね。改めてシャガールの宗教作品に囲まれてみると、本当に優しい人だったんだろうなと感じました。自分としては、この美術館に来て、なんとなくシャガール好きだなと思っていた理由がやっとわかった感じ。   さて、ソコロフのリサイタルです。モナコ公国、もしかしてビザが必要だったりするのかと思ったら、そのようなものは必要なく。さらにはフランスからするっと国境をこえて、いつの間にか入国できます。 景色がとにかくすごい。光の感じ、色の感じがずばり違う。 会場は、モンテ・カルロのカジノに併設されたホール。 モナコは海と山が隣り合って勾配がすごく、ホールも、屋根は見えているのにどうしたらたどり着けるかしばし悩みました(このカラフルな部分が、ホールの屋根)。 ホールの横から振り返るとこんな景色。 会場はこのような感じです。 ロビーには錚々たる顔ぶれの指揮者の写真が飾られていましたが、その中にヤマカズさんのいつもの写真発見。そういえば、モンテカルロ・フィルの芸術監督なんですよね。 普段は音のことを考えて後ろのほうの席をとりますが、初ソコロフだし前の方でよくタッチを見たいなと、前から2列目のかなり左端のほうの席をとっていました。 すると開演直前に隣同士で座りたいカップルが、席をかわってくれないかと。彼女の持っていたのが、なんと一列目のど真ん中の鼻血シート。初ソコロフをすごい場所で聴くことに。この席で聴くことは滅多にないけど、たまに座ると、何もかも見えて楽しいものです。 ソコロフのリサイタル、演目はベートーヴェンのソナタ3番とバガテルOp.119、ブラームスのOp.118と119。最高かよ…というプログラム。 ベートーヴェンは、初期のOp.2と後期のOp.119で全くタッチが変わって、そうですよね、そういうことですよね、と思う。正統的。なのに最初から最後まで、次は何が来るのかワクワクしっぱなし。1950年生まれということで今年69歳になるソコロフですが、全く枯れないタイプなんですね。こんなにいい意味でギラギラとしたブラームスのOp.118、119は初めて…でもそれがまたいい。逆立った毛をブラシで梳かして撫でてくれるような、そんな演奏(変な例えですみません)。 大歓声の客席を前にしても、ひとっつもニコリともせず、それなのに6曲もアンコールを弾いてくれる。ツンデレおじさんっぷりにまたシビれてしまいます。ロシア系のピアニストって、わりとときどきそういう人いますよね。プレトニョフとか、コブリンとか、なんかそういう美学があるんだろうなって思ってカーテンコールを眺めていると、逆にかわいらしく(?)思えてきます。このアンコールがまた、ラモーからラフマニノフ、ドビュッシーなどと、本当にいろいろなものを弾いてくれて、いろんなタッチと音を聴くことができました。 強音も弱音も、お腹の底から、脳の内側から揺さぶってくる。単に美しい音という表現では似合わない。ところどころで、強烈に含蓄のある音が鳴る。ソコロフの音は特別だというのはこういうことか…と思いました。生で聴くことができてよかったです。 時差や長距離のフライトがいやだという理由で、ずっと演奏活動はヨーロッパのみに限っているということですが、たくさんのピアノファンがいる日本にも来てくれたらいいのに。 誰かちょっとずつ移動させながらリサイタルをセッティングして、はっ、気づいたらウラジオストック!もう日本すぐそこだから行っちゃいなよ、みたいな感じで、だましだまし連れて来てくれたらいいのに。 一度聴けて満足したかと思いきや、次もヨーロッパにきたらチャンスを狙って行くと思います。”
6月
09
ホロデンコ、ゴドフスキー&スクリャービン&プロコフィエフを弾く
“ヴァディム・ホロデンコ、今回は過去の優勝者として、 最年少で仙台国際音楽コンクールの審査に参加していました。 仙台コンクールもスタートして18年。 過去の優勝者が、審査員を務められるような 世界で認められるピアニストとなったということでもあり、感慨深いですね。 ちなみに野島稔審査委員長は、ホロデンコが優勝した ヴァン・クライバーンコンクールで審査員を務めていらしたんですよね。 そのときホロデンコの圧倒的なステージについて、 「なんといいますか…聴衆を手玉にとるような演奏」とおっしゃっていて。 あの表現、結構インパクトあったなー。実際そんな感じだったし。 (コンクール最後のレセプションに現れたホロデンコ氏。 いろいろ気になってつっこみたいと思いますが、まあちょっと待て。) さて、そんなホロデンコ、 6月11日(火)に豊洲シビックセンターでリサイタルがあります。 6月11日(火) 豊洲シビックセンターホール ショパン=ゴドフスキー:ショパンのエチュードによる53の練習曲より 作品10- 1・2・3・4・8・12、作品25- 9・11 スクリャービン:ピアノソナタ第6番 作品62、エチュード 作品2-1、作品42-5 プロコフィエフ:ピアノソナタ第6番「戦争ソナタ」イ長調 作品82 ショパンのエチュードが原曲より数倍難しくなっているゴドフスキーの難曲は、 なかなか生で聴く機会のない作品。 また、スクリャービン&プロコフィエフのソナタという、 ホロデンコ・ワールド全開になりそうな内容です。 で、仙台でお会いした際、演奏会について一言だけコメントちょうだいといったら、 すごく語り出してしまったので、せっかくなのでご紹介しますね。 ◇◇◇ ーゴドフスキー、演奏するんですねー。楽しみです。 この作品は単なる“原曲よりも技巧的に難しいエチュード”というものではありません。ゴドフスキーは、ショパンが書いた音楽的なイメージを、外側は変えながら、優れたテイストを保って膨らませています。 それにこの曲は、19世紀から20世紀初めに存在していた、特別なテクニックのショーケースでもあると、僕は思うんですよね。 現代の私たちは何かを失ってしまった…みたいなことは言いたくないのですが、でも確かに、現代のピアニストのマナーやアプローチ、音は変化したといわざるをえません。そんな中、このゴドフスキーの作品は、古き時代のテクニックの記憶を呼び起こしてくれるように思うのです。 ーそれから、スクリャービンとプロコフィエフを演奏しますね。 スクリャービンのソナタは、これまで4番、5番と弾いてきて、今度は6番を演奏します。チクルスをしようとしているわけでもないのですが、僕にとって、スクリャービンのソナタは演奏するのがとても楽ししいのです。とくにこの4番から5番へ、そして5番から6番へと移る間に見られる作風の進歩が、とにかくおもしろい。 そして後半はプロコフィエフの6番。他の2曲の戦争ソナタに比べると、あまり知られていないうえ、一番簡単な曲だと思われているかもしれませんが、でもこの6番のソナタにはたくさんの特別な小さなディテールが隠されているんです。練習するたびに日々何かを見つけ、どんどん好奇心が増していく、とてもエキサイティングな作品です。 ーゴドフスキーのエチュードが入っているのを見た瞬間、ホロデンコさんがヴァン・クライバーンコンクールでリストの超絶技巧全曲を弾いていたステージのことを思い出しましたよ。 あー、弾きましたねぇ。 ーこういうプログラムを弾くのは、楽しいんですか? うーん、楽しんでいるっていうとちょっと違うんですよね。ただ、まず肉体的に弾けるうちに弾きたいという気持ちがあるのは確かです。この年齢になると、これから身体能力が高まっていくことはないと思いますから。 ただ、この曲の技巧的な要素は一つの側面にすぎません。たくさんの要素を持つエチュードで、それぞれの曲が音楽的に大きく異なります。求められる技術にまったく遜色ない量の、多くのことを音楽的に語る曲です。 聴衆のみなさんには、この曲は確かに技巧的に難しく書かれているけれど、技巧ではなく、そこから浮かび上がる音楽的な要素を楽しんでほしいということです。 ー豊洲のホールに置かれているファツィオリを演奏しますね。 はい、とても気に入っています。 実はスクリャービンのプロジェクトを思いついたのは、ファツィオリのピアノのおかげなんですよ。楽器がインスピレーションを与え、パレットを広げてくれました。 例えば僕、最近、アレクセイ・リュビモフがハンマークラヴィーアを演奏するのをライブで聴いたのですが、その演奏と音自体が、この曲をどう弾いたらいいかというイマジネーションを広げてくれたんですよね。ファツィオリという楽器もそれと同じように、別の世界への扉を開いてくれたんです。 アイデア、想像、音の広がり。それから、音の混ざり方。…というのも、ファツィオリのピアノの魅力は、ポリフォニーを弾いたときの美しさにあると思うからです。何声も重なる曲を弾いたとき、このことを強く感じます。新しい地平を見せてくれるピアノです。 ◇◇◇ 往年のピアノテクニックのショーケースだというゴドフスキーも楽しみなのですが、お話を聞いてみて、ホロデンコが楽譜のあちこちからいろんなものをほじくり出した(言い方)というプロコフィエフ6番への期待が、がぜん高まってきました。 ちょこっとビデオメッセージをお願いしました。 相変わらず渋いお声。 ヴァディム・ホロデンコ氏が、6月11日の豊洲シビックホールでのリサイタルに、みんな来てねと言っています。メガネをした謎のクマTシャツは、仙台で購入したそうです。 pic.twitter.com/nCABSSE235 — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) 2019年6月9日   で、みなさん気になっているでしょう、こちらのクマTシャツ。 クマが好きなんだそうです。 ああ、似てますもんね…っていう言葉が喉元まで出かかりましたが、 ぐっとこらえました。 言わずに我慢できたなんて、私も成長しました。 ”
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チャイコフスキー国際コンクール、モスクワから記事を更新します
“6月17日~29日に開催される第16回チャイコフスキー国際コンクール、ピアノ部門を現地で取材することになりました。 こちらの「ピアノの惑星」やツイッターでゆるやかに情報を配信していきますので、 みなさまのネット鑑賞、そしてお気に入りのピアニスト発見のお役に立てていただけたらと思います。 ピアノ部門出場者は、わずか25名。出場者リストはこちら。 相当な数の実力者が応募していたようなので、書類&DVD審査を通過するだけでもかなり大変だったようです。結果、1次予選から、すでに注目されている若手ピアニストのミニリサイタルを連続して聴くみたいなことになりそうです。 もう日本にマネジメントがあったり、来日リサイタルをしたことがあったりする人もたくさんいますね。日本人では、藤田真央さんが出場します。 1次予選の演奏順も発表されました。こちらで見ることができます。 1次予選は6月18日(火)、現地時間13時スタート。 ライヴ配信ももちろんあります。日本とモスクワの時差は6時間。 上記のページは「Select Time Zone」から日本を選ぶことができるので、日本での配信の時間を簡単に確認できてべんりですね。 で、今回のピアノ部門、豪華なコンテスタントの顔ぶれに加えて注目すべきは、ピアノメーカーがなんと5社出るということ。コンクールでおなじみのスタインウェイ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリに加えて、なんと、中国のパーソンズも初参加するのです。 ついに! 中国のピアノが! コンクールのステージに…! どんなピアノなんでしょうね。楽しみです。 ちなみに、ピアノ搬入の様子を紹介したロシアのニュース番組の映像がこちらで見られます。 ロシア語なので何を言っているのか私にはわかりませんが、 モスクワ音楽院大ホールへのピアノ搬入は、担いで登るしかないということが、とりあえずわかります…。 さて、チャイコフスキーコンクールでは、今回からこれまでのピアノ、ヴァイオリン、チェロ、声楽に加えて、木管、金管楽器部門も新設されました。ますます巨大化して、全部門一斉に開催。もし自分がコンクール事務局のスタッフだったらと思うとゾッとします。想像でしかありませんが。 開催地は、ピアノとヴァイオリンのみモスクワ、そのほかはサンクト・ペテルブルクです。 ゲルギエフが総裁に就任して3度目の開催…しかし、実務を担う事務局の体制が毎回のように変わり、さすがロシアンな混乱の中で全てが進行していることが、日本にいながらにしてじんわり感じられます(コンクール事務局とやりとりをしている感触で)。 4年に1度のチャイコフスキーコンクール、わたくし前回は取材をパスしているので、8年ぶりの訪問となりますが、諸々スムーズにいくのか、今から不安でいっぱいです。まあでも、行けばなんとかなる。 そのようなわけで、現地からの記事の更新、どうぞお楽しみに。”
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チャイコフスキー国際コンクール、オープニング・ガラ
“久しぶりに訪れたモスクワ音楽院大ホールは、冷房が入り、快適になっていました。 8年前はまだ改修工事が完了していなくて、冷房がきかず、ステージ上がかわいそうなくらい暑くなってしまっていたんですよね。あのときは、オーケストラも上着を脱いで登場。出場者もすごく暑そうでしたが、ついにトリフォノフがカーテンコールの何回めかで上着を脱いでしまったことが思い出されます。 昨日はこの会場で、ゲルギエフ指揮、マリインスキー・オーケストラによるオープニング・ガラ・コンサートが行われました。わたくし、16時に空港について、大急ぎで19時開演のコンサートへ。着いて早々モスクワの路地裏を爆走し、ロシア人のアニキたちをビクッとして振り返らせるということをやらかしてしまいました。(背後から駆け寄ってきた強盗じゃないから安心してくれ…) プログラムはオール・チャイコフスキーで、「くるみ割り人形」の抜粋、前回コンクールグランプリのモンゴルのバリトン歌手、アリウンバートル・ガンバートルのソロによる「スペードの女王」から「あなたを愛しています」、そして、前々回のグランプリ、ダニール・トリフォノフのソロによる、ピアノ協奏曲第1番。 トリフォノフは、昨年冬の来日ツアーがキャンセルされたので、聴くのはとても久しぶりでした。隣に座っていたとあるマネジメントのお方が、「高坂さんの記事に出てた、斜め掛けバッグしたまんま写ってた写真、8年前ですもんねー。なつかしい」とおっしゃっていましたが、本当にトリフォノフ氏、立派になりましたね。 大音量のオーケストラと重なる部分でもがっつり抑揚が聴かせられる音の通りはさすが。大胆な歌い回しも相変わらずで、おもしろかったです。ピアノはファツィオリ。 トリフォノフは2010年のショパンコンクールでファツィオリのピアノを弾いて3位入賞しましたが、翌年2011年のチャイコフスキーコンクールではスタインウェイを弾いていました。 思えば、ファツィオリがコンサートグランドの大幅なモデルチェンジをしたのは、その直後のこと。2014年のルービンシュタインコンクールでは、ものすごくパワーのあるピアノになっていました。あのコンクールを境に、パオロさん(社長)の中で、ロシアもののレパートリ、それもコンチェルトではえる音が鳴らせるピアノに…という想いが強まったものと思われます。 ちなみに、ルービンシュタインコンクール中に調律師さんに伺った話はこちらで読めます。 さて、話がそれましたが、ガラコンサートは大いに盛り上がって終演。 コンサートの様子はアーカイヴで聴くことができます。 そして翌日6月18日、いよいよ1次予選がスタートします。 初日から実力派揃いですが(というか、毎日そうですが)、日本でおなじみの面々は、2015年ショパンコンクールファイナリストのイーケ・トニー・ヤン君(今回はYang Yi Keの名前で登録されていますね)、ドミトリ・シシキン君あたりでしょうか。 ライヴ配信でも、アーカイヴ配信でも観られます。 ちなみに、エイベックスの方(mediciの日本語配信サイトをやっている)からいただいたチラシの情報によると、各日のライヴ配信スタートの日本時間は、こんな感じだそうです。 (持ち歩いていたらクシャッとしてしまいましたすみません…)”
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中国のメーカーを弾いたピアニストに話を聞いてみた
“コンクールは社会の縮図だと、以前あるピアニストが話していましたが、自分がコンクールに関心を持っている理由の一つは、これを追うことが社会や芸術について考えるきっかけを与えてくれるからです。 芸術の価値とは何か、時代とともに変化するのが当然なのか、そして芸術性の追求はビジネスと両立できるのか。夢を追う上で大切なことは何か、執念と引き際はどうあるべきなのか…。 そしてコンクールが開催される国の文化や生活習慣、歴史について、さらには政治とのかかわりを知ることができるのも、おもしろいところ。 そういう意味で特に、ロシアという国で開催されるこのチャイコフスキーコンクールには、本筋である記憶に残る音楽との出会いのほかにも、たくさん興味を引かれることがあります。 そのようなわけで、今回の私のコンクールへの関心の一つは、新しく中国のピアノメーカーが初参加したことです。 経済発展や国際社会におけるビジネス分野での成功も目覚ましい中国。そんな中国のピアノメーカーが、ロシアのコンクールに初めて挑む。芸術の世界の話とはいえ、ロシアと中国の経済面での複雑な関係性、中国の大企業の資金力の影響など、考えずにいられません。そして、そんな中で日本のピアノメーカーは、この状況をどう見ているのか。 最初中国のメーカーがピアノを出すと聞いたときは、えっ、大丈夫なの?みたいなことを考えてしまったわけですが、実際、楽器を聴いてみたこともないのにそんな風に思うのは失礼だったと反省しています。そもそも、今やこうして世界のピアニストから愛されているヤマハやカワイだって、1985年に初めてショパンコンクールのステージに乗ったときには、誰が弾くの?というスタンスで見られていたのかもしれません。メーカーの人たちの努力があってようやくステージに乗せることが実現し、そこから少しずつ評価を高めていって、今がある。何にでも始まりはあるわけです。 さて、その中国のピアノ。これはパーソンズ というメーカーの、長江(Yangtze River)という楽器です。 ロゴマークが漢字なんですね。日本のメーカーは、そこは欧文と万国共通のマークというスタイルに合わせてきたわけですが、さすが中国、大胆さというか、自国文化への当然の誇りが感じられます。 今回、25人の参加者のうち、2人がこの長江を選びました。どちらも中国のピアニストで、初日に登場しました。思ったより普通にいいというか、そんなにクセもないピアノで、ただ弾き手によって全然違って聴こえるなという印象(まあ、それはどのピアノでも同じですが)。うわさによるとスタインウェイを追い求めている系のピアノだということなので、なるほど。この辺りのことは、近いうちにパーソンズ の方に聞いて見たいと思います。 さて、演奏を聴いたわたくし、好奇心が抑えきれず、長江を弾いたYuchong Wuさんに、お話を聞いてみました。 (中国で生まれ育ち、ジュリアードで勉強しているWuさん。ちょっと日本の言葉を知っているみたいなのでびっくりしたのですが、2013年の仙台コンクールに出ていたようですね) ◇◇◇ —チャイコフスキーコンクールの舞台で演奏してみて、どうでした? とても緊張しました。そうならないようにしたかったけど。あの強烈な空気を感じたら…こればかりはコントロールできませんね。今日の自分の演奏を評価するとなると、いいところも問題点もありましたが、今はそのことは考えないようにしてます…なるようになるって思うようにして。聴衆が楽しんでくれていたらいいです。 —今回は中国の長江を選んで演奏されましたね。私は今回初めて音を聴きましたが、クオリティに驚きました。この楽器を選んだ理由は? 中国のピアノが国際コンクールに参加するのは初めてのことですよね。そんななかで、自分の祖国のブランドのピアノを演奏できることは誇りだと思ったからです。ほんのちょっとしか弾いたことがないので、選ぶのはチャレンジでしたが。でも、このピアノは中国で作られたグランドピアノとしては最高の楽器だと思います。今回は、そのクオリティと価値を世界に紹介するとても良い機会だと思いました。 —ピアノのどんなところが気に入りましたか? とてもいいピアノですよ。ただ、これはピアノではなくて僕自身のせいかもしれないけど、本番まで違うピアノで練習していたこともあって、ステージで最初にピアノに触った瞬間、音が変だって思ってしまったんです。でも、ホールや音響、もしくは僕のせいかもしれない。 —日本のメーカーは1985年に国際コンクールにピアノを出してからここまで少しずつ上を目指してきたわけですが、いまこうしてこのクオリティの中国のピアノが突然でてきてどこか恐れているようなところもあるでしょうし、ショックも受けているんじゃないかと思うんですよ。 ショックは、僕もですよ。最初に楽器を触ったときはショックをうけました。国際的な市場、音楽界のことを考えても、中国のピアノは大きく前進したと思いました。中国人にとって素晴らしいことです。 —以前このピアノを触ったのは、中国で? はい、中国でほんの少しだけ。だから本当にチャレンジングな選択だったんですよ。 —勇気がありますね…すごい。 そうですね…特にホールで演奏したときにどうなるかはわかりませんから。とりえあず終わってよかった。少しリラックスしたいです。 ◇◇◇ というわけで、なんと、この全世界に配信される舞台で長江を弾くことで、世界に中国のピアノのレベルを紹介したいというのが主な動機のようでした。25人に入るのも難しいなか、やっと出場の切符をつかんだこの大舞台で弾いたことのない楽器を選んだのですから、すごい使命感です。しかもセレクションを見ていた方の情報によると、Wuさんはほとんど、このピアノを弾くぞという雰囲気でセレクションに臨んでいたみたいです。 ちなみにWuさん、お話を終えると、僕に話を聞きにきてくれて本当にありがとう、気をつけてね、と言って去って行きました。いい子! 日本のピアノメーカーが国際コンクールに参入して35年。コンクールを舞台にしたメーカー同士の競争と技術革新はもちろん今も続いていますが、一旦それが少し落ち着いた戦いというか…あっちが勝つこともあれば、こっちが勝つこともある、という雰囲気が少し強くなっていたのが、ここからまた、新しい勝負の時代が始まるような予感がします。いい楽器が生まれ、調律の技術がどんどんあがることに純粋につながるといいですけれどね。 この後少しずつ、各ピアノのお話についてご紹介していくつもりですので、お楽しみにー。  ”
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チャイコフスキー国際コンクール、2次進出者と1次予選の様子
“3日間にわたる一次予選が終わり、二次進出者が発表されました。25名から選ばれた14名が、50~60分のリサイタルを演奏する次のステージに進みます。 二次進出者はこちら。 Tianxu An CHINA Kenneth Broberg USA Sara Daneshpour USA Mao Fujita JAPAN Alexander Gadjiev ITALY Anna Geniushene RUSSIA Andrei Gugnin RUSSIA Alexandre ...”
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チャイコフスキー国際コンクール、ファイナリスト発表&2次予選の様子
“チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門、ファイナリストが発表されました。 当初は6名の予定でしたが、最終的には7名がファイナルに進出します。 セミファイナルも、12名の予定が14名に増えた形だったので、ちょうどその半分がファイナルに進むことになりましたね。 Konstantin Yemelyanov RUSSIA Dmitriy Shishkin RUSSIA Tianxu An CHINA Alexey Melnikov RUSSIA Alexandre Kantorow FRANCE Mao Fujita JAPAN Kenneth Broberg USA 終演がおして、そのまま結果発表の予定時刻も同じくらいずれ込む形だったので、この7名という結果はわりとすんなり出たのかもしれません。 そんな中、日本の藤田真央さん、ファイナル進出です。 ピアノ部門で日本人がファイナルに残るのは、2002年の上原彩子さん以来です。さらにその前は、1982年の小山実稚恵さんまでさかのぼるという。 ファイナリストの名前、マツーエフさんが演奏順に読み上げていったのですが、最初藤田さんの名前が呼ばれず、先にブロバーグさんの名前が呼ばれたんですよね。そんな、うそでしょ…あれだけお客さん(と審査員)の反応もいいのにと思っていたら、マツーエフさん、微妙な発音で藤田君の名前を呼ぶもんで、最初、他に似たような名前の人いないよね?今フジタって言ったよね?となってしまい。スッキリ喜びそこねましたね。 当の藤田君もそうだったらしく、がーーーん、ダメだったかもと思っていたら、隣に座っていたブロバーグが、君の名前だよと教えてくれたらしい。 名前が飛ばされて無駄にがっかりさせられたのがだいぶ心臓に悪かったようで、その後ホールから出るまで、なんでとばされたのかなー、やめてほしいよーと、思い出してはわーわー言ってました。 結果発表を見守っていて、やはり名前が聞き取れなかった人たちが、「最後の一人だれだ??」「フジタ?」「そう、マオ・フジタ。あの、ジャパニーズ・キンダーサプライズ…」って言っているのを小耳にはさみまして。Kinder ...”
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ヤマハ調律師さんインタビュー[チャイコフスキー国際コンクールのピアノ]
“今回のチャイコフスキー国際コンクールでは、前述の通り、5メーカーのピアノが舞台にあがりました。コンクール開始前、各コンテスタントは舞台に置かれたこの5台を試弾し、コンクールでの舞台をともにするパートナーを選びます。 普通、試弾時間は15分くらいというコンクールが多いですが、今回は一人30分ずつ試し弾きの時間が与えられたそうです。 全部のピアノを満遍なく試してみる人、最後まであきらかに迷って行ったり来たりする人、だいたい目星をつけていたのだろうなという感じで1台に決めこみ、そのピアノでほぼ練習時間のように時間を活用する人など、さまざまな様子が見られたようです。本番のステージとピアノで練習できるのはこの時が最初で最後です。 数日間にわたって行われるセレクションでは、初日が大切だとも言われます。というのも、限られた時間の中でピアノを選ばなくてはならないため、みんな事前の情報収集に必死だから。「あのピアノよくなかった」みたいな噂が伝わると、まともに触ってすらもらえないということが起きるのだそうです。 どんなにいい楽器を準備してきても、選んでもらえなければ、そして選んだピアニストに合っていなければ、いい結果は出ない。審査員が持つ印象の影響もある。 ピアノメーカーの戦いは、単に自分たちががんばればそれでいいともいかないので、なかなか大変です。 そんななかでコンクールにメーカーさんがピアノを出す理由については、以前のコンクール特集内の記事でもご紹介しています。 優れた調律師さんたちは、ピアニストばりにちょっと変わった方といいますか…アーティスト的な方が多く、それでいて職人気質なので、淡々とした雰囲気を持ち合わせているという、なかなかお話の掘りがいのある方々です。 そんなわけで、今回も一部のメーカーのメイン・チューナーさんにお話を伺ってみました。同じ質問をしても、みなさん答えることが違っておもしろい。 まずは、ヤマハのコンサートグランドCFXの担当調律師、前田真也さんのお話から。 ヤマハのピアノは、今回1次で25人中9人のコンテスタントが選択しました。前田さん、今回のチャイコフスキーコンクールが、国際コンクールのメイン・チューナーを務める初めての経験だそうです(これまでにも、先輩調律師さんのサブを担当することはあったそうですが。サブ調律師さんのお仕事も、調律の立会いや練習室のピアノの調律などで、すごく大変なんですけどね…)。 ◇◇◇ 前田真也さん ―国際コンクールでメイン・チューナーとして調律を担当されるのは初めてということですが、どんな意気込みを持って臨まれましたか。実際に担当してみていかがでしたか? これまで、前回のチャイコフスキーコンクールやショパンコンクール、浜松コンクールなどで、先輩方の仕事を見せてもらってきました。今回は初めての中、その経験からイメージを固めて進めてきました。チャイコフスキーコンクールは、演奏される曲も大きいので、まずは単純にしっかり調律をすることだけでも大変です。 ―チャイコフスキーコンクールのレパートリーを意識して目指した調整はありますか? これまでロシアに滞在する中で持つようになっていたイメージから、とにかく打たれ強い、へこたれない楽器を目指そうと思いました。強い入力に対しても負けない楽器、音が潰れることのない楽器です。それをまず実現させてから、細かいところを調整していこうと思いました。 ―今回は1次でたくさんのピアニストがヤマハを選びました。選ばれた秘訣はなんでしょうか? 秘訣…そうですね、まず、弾きやすいようにタッチを丁寧に調整しました。そして、打たれ強さ、さらに、客席に飛ぶような音でありつつ、ピアニスト側にわかりやすいという、バランスのとれたピアノを心がけました。こうした積み重ねでたくさんのピアニストに選んでもらうことができたのかなと思っています。 ―モスクワ音楽院の大ホールは、2階には音がよく飛ぶけれど、審査員が座っている1階の前方にはなかなかそういかないようですね。今回はそんな音響の会場でピアノを調整をするにあたって、どんなことを心がけましたか。 僕の印象では、ステージ上で聴く音と1階席で聴く音に、そんなに差はないと感じたので、調整をする時には、こっちで聞くとこうだからということはあまり意識しないで、そこの場所でちゃんと聴こえる音を作れば届くと考えていました。それは、これまで何回かこの会場でのコンサートを経験して感じていたことです。 ―ご自分のピアノを選んだ人が弾いているときは、どんな心境でいらしゃるのでしょうか? 今回はとくにきれいな音で弾いてくれる人が多かったので、楽しんで聴いていました。だんだん大きな曲になっていくと、調律が狂わないかと少しそわそわしましたが…。 ―あまり緊張されないほうなんですね? 御社の調律師さんでも、いろんなタイプの方がいらっしゃるように思いますが。 そうですね、僕は割と緊張しなくて。でも、やることはやったしという感じがあるからですかね。 ―調律師さんの仕事で一番大切なことは何だと思いますか? ピアノと向き合う時は、その楽器の性能をいかに最大限に引き出せるかが、僕の中の大事なテーマです。今回の楽器も、いかに僕が思う最大限の良い状態にできるか、楽器のいいところを全部出せるようにするかという視点でやっています。そうすると、どんなプログラムが演奏されても許容量が増えていきます。それぞれのピアニストから何でも引き出してもらえる状態にできたらいいなと思っています。 ―ピアノを良い状態にしたら、そのあと演奏するのは当然ながらピアニストですよね。そんなピアニストとのコミュニケーションや、要望のケアはどのようにされるのでしょうか? コミュニケーションができるときには、その都度読みとって、ここだろうというものを出してあげられるように調整します。今回についていえば、部分的な調整くらいで、大きなリクエストは特にありませんでした。わりと自分の思う完成図のままいくことができました。 ―今回、チャイコフスキーコンクールのために選んだ1台はどんな楽器なのですか? (コンサートピアノ推進グループ 田所さん)開発を続け、試作品がたくさんあるなかで、チャイコフスキーコンクールに適したものはどのピアノかを社内で話し合って選定しました。 ―今回から、中国の長江という楽器が加わりました。どんな印象を持ちましたか? また、この状況をどう感じていますか? 初めて見る楽器でしたがいい印象ですし、うちのピアノにないものも感じます。 コンクールでは、他の楽器とはっきり比較できるので、技術者としては、自分たちの楽器がどういう位置にあるのかを把握する意味で、とても興味のある現場です。本当は他のメーカーの楽器も触ってみたいし、技術者とも話をしてみたいくらいです。 ―コンサートの調律とコンクールの調律は違いますか? 特に違いはないです。まだ経験が浅いからかもしれませんが、根本的なところは特に変わりません。 ―それでは、目指している理想のピアノや音のイメージは? 自然で無理のない音が出せるピアノです。小さすぎもせず、無理に大きすぎもせず、できる限り自然な状態が一番いいと思っています。大きな音を出してやろうという感じになっていないというか。楽器自体がリラックスした状態です。そんなピアノからは、一番いい音が出ると思います。 ―ヤマハCFXの魅力はどんなところにありますか? 一番は、細かいところまで音がクリアに聴こえるところだと思います。そして、均一性、コントロール性、弾きやすさも特徴です。もちろん、合う人、合わない人はいるかもしれませんが。華やかな音が出しやすく、音色にも魅力があると思います。 ―調律師さんを目指されたきっかけは? 父親が調律師でした。ただ、父を継いだとかではなく、大学時代に進路を考えたとき、技術系の仕事はおもしろいし向いていると思って、一番身近だった調律師の仕事に関心を持った形です。もともと父の仕事がどういうものなのかはよく知りませんでしたが、興味を持つようになって現場についていって、なんだ、これならできそうだと思って入ってみたら、実際は意外と大変だったという感じです(笑)。 ―コンクールの調律で一番大変なことは何でしょうか? 調律が狂わないようにすることが、まず一番気になるし、苦労するところですね。 ―調律の持ち時間も限られている中での作業となりますし…。 そうですね、時間がたくさんあれば良いですが。限られた時間の中でその時の状態をみて、どれだけのことができるかと考えて作業をしています。 ―ずっとやっていて良いといわれたら、やっていたい感じ? …ずっとはやらないです! できることはは無限大ではないので。それこそ、その楽器が一番リラックスした状態になったと思えたら、そこで作業は終わりです。 ―コンクールの場合は、楽器自体が良いことに加えて、コンテスタントに選んでもらうことが必須になると思いますが、そのために心がけることはありますか? そうですね、第一印象は一瞬で決まってしまうので、そこでなんとか引き止められるようなタッチと音が必要になります。出る音があまりにも他のメーカーとかけ離れていると、選択肢から外される可能性も高くなってしまうので、気をつけています。ピアニストから最初に気に入っていただけるようにというのは、普段のコンサートと同じです。 ―セレクションは初日が大切だと言いますが、どんな気持ちでしたか? 僕にとっては初めてのコンクールなので、なるようになるだろうという気持ちで臨みました…。今までの調律師のみなさんが積み上げてきてくださったものがあるので、自由にやらせてもらっています。 ―では、コンクールで成功を収めるためのポイント、秘訣は何かと聞かれたら…どうお答えになりますか? ブレずに、自分を曲げずにいるということです。もちろん、柔軟に対応すべきところはそうしますが、まずは自分の感性に従ってやるということだと思います。 ―調律師をやっていて良かったと思う瞬間はどんなときですか? 2次でも、例えば最後のキムさんがとてもきれいに弾いてくれて、聴衆もすごく喜んでいましたが、ああいうみんなハッピーになってるんだろうなという瞬間が、やっぱり嬉しいです。 ―ご自分が調整した楽器がそこにあって… そうじゃなくても、みんなハッピーならハッピーなんですけど(笑)、でももちろん、そこに関われていたらいいなという感じですね。 ―ホールで音作りをしている間は、何を聴いてるのでしょうか。 ピアノの音…なのですが、自分がやったことに対しての変化がわかるようになってくることで、いろいろな表現ができるようになります。 また、普段ポップスを聴いたり、自分で打楽器を叩いたりしたときの感触が、ピアノの音と結び付くようになってきて。経験を積むにつれて、その辺りの感覚が変わって来ています。何か新しいものを発見したときに、自分で実感している感触と結び付けながら、その感触を逃さないように、経験を積み上げていきたいです。 ◇◇◇ 前田さんは、ヤマハの若手調律師さんのホープ的な存在なのでしょう。 1980年代後半から国際コンクールの舞台で調律を手がけてきた世代の技術と経験が受け継がれ、前田さんのリラックスした感性が、リラックスした状態のピアノを目指す。そして、ピアニストもリラックスした状態で演奏できるのが一番。 前田さんの手がけたピアノのまわりには、良いリラックスがうずまいて、自由で解放された音楽が生まれる、ということでしょうか!  ”
カワイ調律師さんインタビュー[チャイコフスキー国際コンクールのピアノ]
“続いては、カワイのコンサートグランド、Shigeru Kawaiの担当調律師、大久保英質さんのお話です。 Shigeru Kawaiといえば、一時期「自らが満足できるピアノは存在しない」と言ってピアニストの活動をやめていたミハイル・プレトニョフさんが、このピアノに出会って、ピアニストとしての演奏活動に戻ってきたということでも知られていますね。ちょうどこの6月に来日していて、私もモスクワにくる直前にリサイタルを聴きました。 ベートーヴェンの「熱情」は、今回このコンクールでもたくさん弾かれましたが、プレトニョフさんの演奏は当然こうした若いピアニストたちのものとは全く違う、一貫して柔らかい音だけをじわじわと重ねていく音楽。そして後半は、リストの作品から、暗く鬱々とした曲と明るめの曲が交互にプログラミングされている不思議な構成でしたが、柔らかい音だけでアップダウンを繰り返して聴き手に陶酔をもたらす…そして最後のクライマックスへ。 天才であり策士(もちろん超絶いい意味での)。そんなプレトニョフさんの表現したいことに応える楽器が、このShigeru Kawaiということでしょう。 大久保さんは、プレトニョフさんを担当するKAWAIの調律師さんの一人でもあるので、ここぞとばかりにそのお話も聞いてきました。 ◇◇◇ 大久保英質さん —チャイコフスキーコンクールの調律を担当されるにあたって、特に意識したことはあるのでしょうか? このコンクールは初めてだったので、モスクワ音楽院大ホールという会場で、ステージでこう聴こえるとホールではこう聴こえているということをつかむのに少し苦労しました。ロシアものが多く演奏されて、しかも演奏者もパワーとテクニックのある方が多いということ、ロシアという国の音楽や空気感を意識した部分もありますが、最終的には、カワイのピアノの良さが出せればということを一番大切にしました。 ピアノを根底から変えることはできないので、その中で最も良い状態に持っていくということです。僕は、人生ほぼ全てカワイのピアノだけを扱ってきているので、カワイのピアノが最高にいい楽器になるようにということだけを考えてピアノに向き合っているというのが正直なところです。 —慣れていないホールに音をあわせていくときは、何を聴いているのでしょうか? そこは演奏家と一緒かもしれませんが、なるべく常に耳は向こうの客席のほうにあるような感覚で聴いています。 —ああ…前にピアニストの横山幸雄さんに夢を聞いたら「耳が30メートル伸びてほしい」っていってたことがあったんですが(※その記事はこちらから読めます)、それと同じですね。 そう、本当にそれですね。ホールで仕事をしていることでだんだん慣れていくものではありますが、やっぱり何度も経験しているホールと初めてのホールでは勝手が違います。会場に慣れていくにつれて良くなっていくというのが現状ですね。 —今回のコンクールに持ってきたのは、どんなピアノですか? 日本で選定をした1台と、モスクワのホールで何年か使っていたピアノを手入れした1台を、この会場のステージに上げて選定しました。そして最終的に、モスクワのホールで使っていた方のピアノをコンクールに出しました。 —Shigeru Kawaiの魅力はなんでしょうか? まずは大きな特徴があって、弱音の美しさ。そして、音色の多さ。そこだけは譲れない、いつも大事にしているところです。加えて、マックスの音量には天井がないという十分な音量感も大切にしています。 太い音、細い音、きれいないい音だけでなく、少し変わった音、ザラついた音なんかも出るような、あらゆる音のカラーが表現できるピアノだと思います。 —ところで、プレトニョフさんはShigeru Kawaiのどんなところを気に入っていらっしゃるのでしょうか? カワイの弱音の美しさのようです。プレトニョフさんが弾くピアノには、普段とはまた別の音作りがあります。楽器自体は同じShigeru Kawaiですが、音作り、タッチは、彼特別の、普通よりさらにやわらかい音を調整します。 プレトニョフさんが言うには、現代のピアノはホールが大きくなるにつれてどんどん音量重視になっていき、大音量は出るけれど、本来の音楽の美しさ、ピアニシモが出しにくいということです。彼のテクニックを持ってしても求めているような弱音を出せる楽器がなくなってしまったから、やめてしまったんですね。自分にはフォルティシモを出す技術はあるからいいけれど、美しい本当の最弱音は、ピアノが助けてくれないと出せない。どんなに気をつけてもパーンと出てしまう楽器の音は、コントロールできない。そんななかで、Shigeru Kawaiでは求める弱音が出せたことで、選んでくださっているようです。 そもそも、音楽のダイナミックレンジは、弱音を下げれば、フォルテではそんな爆音を出さなくても十分に感じられるものですしね。 —今回は中国の長江というピアノが初めて参加しましたが、どう感じていますか? 日本も初めて国際コンクールの舞台に出たときは、クラシック後進国のピアノが弾かれるのかというところからスタートし、ここまでやってきました。しばらくの間、コンクールは固まったメーカーでやってきた中こうして新しい楽器が出てきたことは、脅威でもあり、同時にこれがまたピアノの発展につながるんだろうなと感じています。正直言って、長江を聴いて驚きました。創業してまだ長くないのにあのレベルだというのは…。それを真摯に受け止めて、いい意味で競争をして、楽器を良くしていかないといけないんだなと思っています。 —コンクールで成功する秘訣はなんですか、と聞かれたら、どうお答えになりますか。 難しいですが、メーカーとして結果を残すという意味でいうなら、全ては準備がどれだけできているかだと思います。カワイの魅力が最大限に発揮できる楽器が準備できているか。他のピアノの真似はできませんから、カワイの究極をつきつめたピアノが用意できているかということです。 普段どれだけカワイを気に入って使ってくれているピアニストでも、そのコンクールでのピアノが本当にいい状態でないと、選んでもらえません。逆にピアノが良ければ、今まで全く交流のなかったピアニストでも弾いてくれます。うちは、なぜかそういうケースのほうが多いんですけれど。 —調律師をやっていて良かったと思うのはどういうときでしょうか。 演奏後の笑顔を見るときです。もう、そのためだけにやっているという感じですね…。コンクールの仕事はとにかく苦痛が多いのですが(笑)、唯一の救いは、ピアニストから、ピアノが本当に良いと言ってもらえることです。どんなに辛くても、良かったなと思える瞬間ですね。 ◇◇◇ カワイの調律師さんは、コンクール中、アーティストから要望を聞いたりするケアもご自身で細かくやっているので、ピアニストから厚い信頼を寄せられているところをよく見かけます。 大久保さん、これまでにもさまざまな国際コンクールの調律を担当されていますが、6月上旬に行われていた仙台コンクールでもメイン・チューナーを務めていたので、今月は国際コンクールの調律ハシゴというなかなか大変そうな暮らしを送っていました。ちなみに昨年末の浜松コンクールもご担当。 半年余りで3つも大きなコンクール…自分だったらストレス過多で、途中で暴れ出すかもしれない…。大変なお仕事です。   ”
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スタインウェイ調律師さんインタビュー[チャイコフスキー国際コンクールのピアノ]
“続いては、スタインウェイの担当調律師、アラ・バルトゥキアンさんのお話です。 今回スタインウェイのピアノは、1次予選で25人中11人のピアニストから選ばれました。ピアノは、モスクワ音楽院の先生であるアンドレイ・ピサレフさんとKonstantin Feklistovさんが、モスクワ音楽院大ホールに合うものを選定。この後はモスクワ音楽院の常設ピアノになります(チャイコフスキーコンクールの機会に新しいスタインウェイをホールに入れるということは、今までにもありました)。 今回アラさんは、はるばるオーストラリアからチャイコフスキーコンクールの調律のためモスクワにやってきました。アーティストサービス担当のゲリット・グラナーさん曰く、近いヨーロッパから誰か連れてきてもいいところを、わざわざ地球の反対側から丸一日かけて移動しなくてはならないアラさんにきてもらったのは、やはり彼が特別なベテランのコンサート・テクニシャンだからだとのこと。そんな大ベテランにお話を伺いました。 ◇◇◇ Ara Vartoukianさん
 この日はポロシャツですが、ファイナルになったらピシッとスーツでキメてました。 —モスクワ音楽院大ホールの音響は、どうでしょうか? とてもおもしろいです。ピアノにとっては少し難しい会場です。そのうえ、審査員席はとてもステージに近く、響きの効果が入った音は聴こえない、ピアノを聴くのに理想的な位置ではありません。そこで今回のピアノは、審査員がクリーンに聴くことができるように、少しハードな音を目指しました。一方で、聴衆には丸くスムーズに聴こえる音になったと思います。 コンクールのピアノを準備するうえでは、まずチューニング、ヴォイシング、レギュレーションを整え、その上で審査員が座る場所、プログラムを気にかけます。例えば今回も、1次、2次、コンチェルトで少しずつピアノを変えています。 —特定のホールで音を調整していくときは、何を聴いて作業をしているのでしょうか? ある部分は経験から作業をしていますが…まずはスタンダードな調整をしたあと、ピアノの音を聴き、また“ホールを聴く“といったらいいでしょうかね…ホールを聴いて、それにあわせて調整していきます。単に音楽的な音を目指すだけでなく、音楽家が音楽を創造する機会を与えるようなピアノを用意することも大切にしています。私の仕事は、ピアノ技術者として、ピアニストが最高の音や最高のタッチを生み出すための、すべての機会を届けることだと思っています。 —時々、ピアノ調律師さんの仕事はピアニストの精神面も支えることにあるだろうなと思うときがあります。ケアはどのようにしていますか。 これもまた経験から行なっていることです。経験を重ねていくうち、音楽家がステージに出る前にはどういう状態になるのかがわかってきます。彼らは緊張感を持ち、ステージに出る精神的な準備をして出ていきますが、私はその準備の一部となって、彼らに自信を与えなくてはいけません。ピアニストと話すときは、私たち自身も自分の仕事に自信があるというようでないといけませんし、それによって自信を与えなくてはいけません。 —コンクールの場合、特に今回のようにたくさんの人が弾くと、誰かの要望に合わせることができないかと思いますが、そこはどのように対応していますか? そうですね、普通のコンサートでは一人のアーティストのためにピアノを準備できますから、その意味で違います。まず、すぐに自信が与えられるピアノ、すぐに楽に音楽を作れると思えるようなピアノにしておく必要があります。少し音量も大きく、明るく輝きがあり、座って弾いてみてすぐに自信が感じられるようなピアノですね。 その後、演奏するピアニストたちの要望を聞いて、その平均的なところに調整し、マジョリティにとって弾きやすいものにしていきます。すべてのピアノに元々の個性がありますから、いくらでも明るくしたり音量を大きくしたりはできませんが。 また、コンクールでは、作業が正確で早くなくてはいけません。2、3時間必要な作業のために、15分か30分しか時間がないときもあります。 —あと、コンクールという場だと、セレクションで選んでもらえないといけませんよね。 ええ、セレクションはとても重要な瞬間です。それもあって、最初の30秒で、楽で心地よいと感じられるピアノをつくらなくてはいけないのです。それは音楽的に最高の結果をもたらさないかもしれませんが、楽器を選ぶときにはそうでないといけません。特に、他にも選択肢があるコンクールのような場合にはね。 —ではやっぱり、コンサートとコンクールではピアノを用意する上で心がけることが少し違うということですか? それはそうです。それこそが、コンクールの調律が特別な仕事であるといえるゆえんです。経験が必要となります。最初の頃は私も、先輩調律師について仕事のやり方を勉強しました。そして何年も経ってから、何をすべきか、ピアニストを心地よくするためにどうしたらいいのかがわかるようになったのです。 —最初にコンクールの調律の仕事を経験したのはいつでしょうか? 1981年のシドニー国際コンクールでした。当時私はとても若く、そこにいたたくさんの国際的な調律師たちと一緒に仕事をすることで、多くのことを学びました。今は私も、自分が作業している現場を若い調律師に見せて、同じように技術を受け継いでいけたらと思っています。自分が学んだ技術は、必ず次に受け継いでいかなくてはなりません。これは、私にとってとても大事な役割だと思っています。 —優れた調律師には、どんな才能が必要なのでしょうか。 まずはもちろん良い耳です。そしていくらかの音楽的な感性と、器用な手先も必要です。手作業がとても重要な仕事ですからね。書くことが得意な人、読むことが好きな人などがいるのと同じように、ときどき手作業が得意な人がいるでしょう。それぞれの才能だと思いますが、ピアノ調律士には、静かな人柄と、手先の器用さと、良い耳が求められます。 —コンクールでは、メーカーごとの割り振りで調律時間の制限がありますが、もっと時間が欲しいと思いますか? そうでもありません。その時間でやらないとと思えば、その心の準備をして臨みます。もっと時間が欲しいと思ってしまうと、あれもできるかも、これもできるかもとやっているうち、やらなくてはならないことが逆にやりきれなくなるからです。いずれにしても、コンクール中、この高いレベルのピアニストたちに弾かれ続けることで、ほとんどのピアノは開かれていきます。ピアノは生き物です。実際に働いていることで、どんどん音が生きてくるのです。 —アラさんが目指す理想的な音を言葉で表現するとどんな音ですか? それは説明が難しいですが…良いピアノは、子猫のように鳴き、ライオンのように吠え、それが簡単に切え替られるピアノです。また、音が均一であることも重要です。 ライオンが吠えるような音のときでも、音がきつかったり耳障りであったりしてはいけません。変貌もスムーズでないといけません。美しいパッセージが徐々にふくらんで、吠えたい時には、一瞬でも吠えることができる。それが理想的なピアノです。美しく柔らかい音が転がっていき、喜びにつながっていくようでないといけません。 —コンクールで成功するための秘訣のようなものはありますか? スタインウェイのピアノを優勝に導こう!みたいな気持ちってあるんですか? …ないです(笑)。 —それはアーティストサービスのグラナーさんの仕事ですかね? そうですね、私は最高のピアノを、ピアニストが自分の仕事をできるように提供するだけです(笑)。 (スタインウェイのピアノの演奏後のバックステージ、グラナーさんはいつも本当に丁寧にピアニストの要望を聞いていました) —今回新たに中国の長江というピアノが加わりましたが、どう感じていますか? 新しいピアノが出てくるのはいいことだと思います。でも、それはユニークな楽器であるべきだと私は思います。このピアノがもっとユニークなものになってきたらいいなと思いますね。 —つまり、スタインウェイを追いかけたものではなく…? はい。スタインウェイのピアノのコピーのようで、ユニークさがまだあまり感じられませんね。そこから抜け出した時の音を聞いてみたいです。今回の他のピアノ、ファツィオリ、ヤマハ、カワイはみんなユニークな音を持っています。音の出方など全部違うので、聴いていても楽しいですよね。技術者としては、何かの真似をしているピアノを聴いていてもあまりハッピーではありません。この業界の発展のことを考えても。 —ご自身でもピアノを弾きますか? ピアノが演奏できるほうが調律師として良いと思いますか? 私は若い頃はピアノをたくさん弾いていました。でも技術の仕事をはじめて、趣味で時々弾くくらいになりました。若いころから音楽は私の人生の一部ですので、楽器に関わる仕事を続けています。ピアノが弾けることは絶対に必要なことではないと思います。私の師匠にはピアノがまったく弾けない人もいましたが、優れた歌い手で、音楽的な感性は持っていました。ただ、ピアニストが音への要望を伝えてきたとき、ピアノが弾けたほうが、何を意味しているのか理解することは簡単にはなると思いますね。必要ではないけれど、理解をするのが楽にはなるでしょう。 —調律師をやっていて一番幸せだと感じるのはどんなときですか? 客席に座って、私が調律したピアノによる美しい演奏を聴いているときです。もうそれに限ります。 ◇◇◇ コンクールの調律の現場を初めて体験したのは1981年だという大ベテランのアラさん。バックステージで会うと、いっつもにこやかでフレンドリーな感じ、でもなんだか落ち着いていて優しげなおじさまです。調律師には静かな人柄が求められるというのを体現しているような雰囲気。 理想は、「美しく柔らかい音が転がっていき、喜びにつながっていくピアノ」…!その表現がとても詩的だったのも印象的でした。  ”
7月
05
チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門、最終結果
“チャイコフスキーコンクールの全日程が終了しました。 ピアノ部門の最終結果は下記の通りです。 1位 Alexandre Kantorow FRANCE 2位 Mao Fujita PAN 2位 Dmitriy Shishkin RUSSIA 3位 Konstantin Yemelyanov RUSSIA 3位 Alexey Melnikov ...”
11
中国のピアノ「長江」の社長さんに話を聞いた
“先の記事でも書いたとおり、今回のチャイコフスキー国際コンクールにおいて私が関心を寄せていることの一つに、中国のピアノ「長江」の存在がありました。 コンクールのピアノ業界では、まずは世界のコンサートホールでシェアNo.1のスタインウェイ、そこに追いつけ追い越せと日本のメーカーが良いピアノを開発し、さらに全く独自の良いピアノを目指して急発展を遂げるイタリアのファツィオリが参入。加えてときどき、ヨーロッパの老舗メーカーの良いピアノが登場するというのが近年の状況でした。 そこに中国のピアノ「長江」が現れたわけです。モスクワへの出発前、一足先に現地でのセレクションで長江を聴いた日本のピアノメーカー関係者の方々から、思ったよりずっといい楽器だと聞いて、これってもしかして、これからピアノブランドの勢力分布図が少しずつ変わっていくということ?と思わずにいられませんでした。 さて、この長江というグランドピアノ、日本で得られる情報はあまり多くないかと思いますので、まずはメーカーの方に聞いた基本的な情報を。 ブランド名は、「長江(チャンジアン)」。外国では覚えにくいだろうということで、長江の別名、揚子江を欧文にした、「Yangtze River(ヤンツーリバー)」というのを一般的な呼び方としているようです。 製造しているのは、Parsons Musicという会社。もとは音楽教室のビジネスからスタートし、やがて生徒たちにピアノを販売するディーラーとしての事業を展開する中、OEMで既存ブランドのピアノ製造を開始。そんな中で20年ほど前に、自社ブランドのピアノの製造もはじめたそうです。 長江というブランドのグランドピアノは、誕生して10年ほどだといいます。値段は日本円で1000〜1200万円だとメーカーの方は話していました。既存のトップメーカーのフルコンと比べるとだいぶ安いですね…。 今回のチャイコフスキーコンクールの調律を担当したのは、中国人調律師さん。それも、男女の中国人カップルの二人が、それぞれ得意な能力を出し合って(整調が得意な人と、整音が得意な人がいるらしい)1台のピアノの準備をしているそうです。 コンクールのピアノを女性調律師さんが担当しているのもそういえば珍しいですが、カップルの共同作業というのは初めてのケースではないでしょうか。 今回、チャイコフスキーコンクールでは、25名の参加者のうち、中国の2人のピアニストが長江を選び、最終的にはそのうちの一人、アンさんがファイナルに進みました。 つまり長江は、初参加でファイナル進出という快挙。そのうえ、アンさんにあのようなハプニング(ファイナルの記事をご参照ください)があったことで、ある意味注目されることになりました。 そもそも、長江がコンクールの舞台にのることになった経緯ですが、審査委員のマツーエフさんが中国のフェスティバルで長江を弾き、とても気に入って、チャイコフスキーコンクールに出せば良いのにと誘ったことがきっかけなんですって! なんとなく、長江サイドが出したいと売り込みまくったんじゃないかって思ってませんでしたか? 私は思ってました。だから、なんかすみませんって思いました。 正直にパーソンズの人に、売り込んだのだと思ってたと言ったら、全然違うよーといって、マツーエフさんによる長江についての絶賛コメントや、6/14にクレムリンで行われたコンサートの記事(中国語)を送ってくれました。 (長江が企画した中国メディア向けの取材に答えるマツーエフさん) というわけでこのたび、Parsons Musicの社長さんにインタビューする機会をいただきました。通訳は、昔大阪に留学していたという日本語ペラペラの奥様(あわせて会社の成り立ちなども教えてくださいました)。 奥さまのお話によると、社長はもともとフィリピン華僑だった家庭の生まれ。70年代、中国政府の政策で一家がフィリピンに戻れることになったとき、本来ならフィリピンに行くところを香港に移って定住したことが、香港をベースにビジネスを始めることになったきっかけだそうです。 社長さんと奥様にいろいろ率直に聞いてみましたので、どうぞご覧ください。 ◇◇◇ —Parsons Musicはもともと楽器販売の会社だったそうですね。どのように楽器製造のほうが始まったのでしょうか。 奥様 若い頃ピアノを習っていた彼(社長)は、当時すでに香港で広がっていたヤマハ音楽教室で教えることからピアノ教師のキャリアをスタートしました。30平米のスペースから始め、10年ぐらいたつと教室の数が10店舗ほどになって、それから中国の内陸のほうで既存メーカーの代理店としてピアノ販売のネットワークを広げていきました。 やがて、販売だけでなく製造も手がけるほうがよいだろうと深圳近郊の工場でOEMによるピアノ製造をはじめました。そして1999年、三峡ダムの近くにあった国営のピアノ工場がつぶれかけていることを聞き、買い取ってピアノ製造を始めました。働いているのは、元々の工場の従業員と新規に雇った地元の人々です。 そして、ここに流れている川が長江だったことが、ピアノのブランド名の由来です。現在は、年間でアップライトとグランドあわせて7万台くらい製造しています。 私たちのメーカーが特別なのは、社長である彼がもともとピアノやエレクトーンを教え、調律も習ったことがある経験を生かして、自ら開発に関わっているということです。 —モデルにしているピアノ、目指しているピアノはあるのでしょうか? 奥様 やはりスタインウェイですね。とくに昔のスタインウェイはすごく良い楽器でした。今は若い人が技術的な仕事をしたがらなくなって、状況が変化しているのではないかと思いますけれど。日本も、若者は製造業にあまり関心を持たないのではありませんか? でも、中国はそうではありません。だからこそ、私たちは今この時期にうまく参入できたのではないかと思います。 —技術開発はどのように行ってきたのですか? 奥様 日本人、韓国人、ドイツ人など40人ほどの外国人の技術者から助けてもらいながら開発を進めました。みなさん、中国で自分の能力が役に立つのならと協力してくださいました。特にフルコンサートグランドは、時間をかけて開発に取り組んできました。スタインウェイや他社のピアノの特徴、いいところ、足りないところを把握したうえで、演奏家とコミュニケーションをとってどんなものが求められているかを考えています。 日本ではデータに基づいて開発をしているところがあると思いますが、それにはいいところもそうでないところもありますね。ビジネスは効率を求めないといけませんから、量産のピアノはそれで決めなくてはならない部分があるかもしれませんが、フルコンの場合は奥が深いので、演奏家ならではの聴き方、音楽表現のために求めることを考えて開発する必要があると思います。 —それではここからは社長さんにお話を伺います。長江では、どんなピアノを目指しているのでしょうか。 まずは、演奏者の心の中にある音楽性を引き出せるピアノを作りたいと思っています。 —長江というピアノの魅力、特徴を教えてください。 最初触ったときに、少し入りにくいと感じる部分があるかもしれません。でも、弾けば弾くほど魅力を感じるピアノだと思います。 —10年でここまでのピアノにできた秘訣は何でしょうか。 私は子供の頃から音楽を勉強し、しばらくピアノ教師をやっていたので、作品、演奏者の気持ちがわかります。コミュニケーションをとり、自分だけでなく演奏者の気持ちを聞きながらピアノを作ることが大切だと思っています。 ピアノは、指が鍵盤に触れ、それで生まれる振動が響板に伝わって、響板からその音がまた体に戻ってくる楽器です。そんな、ピアノと演奏者の一体感、スムーズなサイクルを実現させることは、簡単ではありません。ピアノは構造もとても複雑ですし、材料である木やフェルトは生きているものです。特にフルコンサートグランドのための良い材料を集めることは、簡単ではありません。これらのバランスをとり、一体感を実現させることが、良いピアノをつくる秘訣だと思います。ただ、その音色は言葉で表現しにくいですね。心の中にあるものだと思います。 —先ほど、数あるピアノの中で目指しているのはスタインウェイだというお聞きしましたが、スタインウェイという存在に対して、長江はどういう位置付けを目指して開発しているのでしょうか。近づけようとしているのか、越えようとしているのか、それとも別のキャラクターを持たせようとしているのか…。 スタインウェイは、性別、年齢を問わず色々な人が弾けるいいピアノです。ただ、もしスタインウェイと同じピアノを作っても、私たちは必要とされません。私たちは、スタインウェイよりも音色がもっと豊かでパワフルなピアノを目指しています。演奏者が、弾けば弾くほど弾きたくなるピアノにしたい。聴き手も、聴けば聴くほど聴きたくなるピアノにしたい。いつまでも飽きない、もっともっとと感じるピアノにしたいのです。 —なるほど…社長はご自身がピアノの先生だったから、弾き手として理想のピアノを求めて作り始めたということなんでしょうかね。 はい。いろいろなブランドの代理店として仕事をしてきましたが、自分が100パーセント満足できるピアノはなかなかありません。だから自分の全ての思いを込めたピアノを作りたいと思うようになりました。 ピアノを習っている子供には、ピアノの品質が悪いことによって、1日何時間かけて練習しても本当の音楽を身につけられないことも多くあります。そういう問題を解決したいという想いがありました。まずは技術、続いて音楽性を育てて行くと思いますが、良いピアノによって、心の中の音楽を出せるようになるまでの時間を短縮させてあげたいのです。そうすれば、ピアノを練習することが嫌でなくなる子供が増えると思います。 —ところで、ゲルギエフさんとマツーエフさんからチャイコフスキーコンクールにピアノを出してみたらいいと言われたことで、参加を決めたと聞きました。実際参加してみて、手応えはどうでしたか? ハイレベルなコンテスタントが違うブランドのピアノで同じ曲を弾くと、音の聴き比べができて勉強になりました。そういう違いによって、各ブランドのいいところ、足りないところもわかりました。これから自分たちのピアノをどのように開発したらよいか、次にどういうことを注意したらいいかを考えるうえで、とても良い勉強になりましたね。 —コンクールで結果を出すことについてはどうお考えですか? 私たちとしては、初めて中国のブランドがこのようなコンクールに楽器を出せたというだけでとても満足しています。結果的に何位に入るかどうか、そこまでは期待していませんし、重要ではないと思っています。世界のステージで中国のピアノの音を聞けたことに満足しています。 —コンクールの場合は、わざわざ持ってきても誰も選ばなければ弾いてもらえませんよね。 そのリスクはありましたので、誰も選ばなかったらどうしようかと最初はすごく心配していました。みなさんには、普段練習して慣れているブランドがあるでしょうから、ここでいいなと感じただけで長江を選ぶことは難しいと思います。そんな中、たまたま中国のコンテスタントが、自分の雰囲気にあった音色だと感じて選んでくれたのです。嬉しいことでした。 —それで…これからコンクールでの優勝も狙っていくのでしょうか? チャンスはあると思いますが、でも一番大きな問題はコンテスタントとピアノの一体感なので。それに、いい音だからトップになれるとも限りませんし。 —日本の場合は、ヤマハとカワイというメーカーがコンクールでもトップを目指して競争をしてきて、それによってピアノの質が向上してきたところがあります。私たちとしてはそこに中国のメーカーも入ってきた感じかなと思っていましたが、もしかしてちょっと違うんでしょうか…。 そうですね。成り行きやご縁もあることなので。いいピアノを作れば認められると思っています。 —そうでしたか。もっとギラギラしている感じなのだとばっかり…すみません。ちなみに日本のメーカーのことはどう考えていますか? 日本のピアノは、とてもバランスが良く、音がクリーンです。私たちが求めているピアノとまたちょっと違う方向だと思います。 —日本のマーケットには関心はありますか? OEMでカワイのピアノをつくっていますので…日本の市場にという考えはありませんね。私はカワイのピアノの音色がとても好きです。 —日本のメーカーもがんばっていて、ファツィオリもあり、王者スタインウェイもその座を譲ろうとしないというこの状況に実際に参加されてみて、コンクールで成功する秘訣、そのために大事にしたいことはなんだと感じましたか? コンテスタント、そして審査員も含むアーティストたちが、私たちのピアノを使って理解してくれることが大事だと思いました。加えて、私たちは新人ですが、他のメーカーのみなさんはコンクールを長年経験して、審査員やコンテスタントの顔をよく知っているように見えたので、そこも私たちが今後取り組んでいかなくてはならない重要なことだと感じました。 これは長く積み重ねられてできあがった一つの文化ですから、例えピアノ自体がよくなっても、突然入ってきてトップになることはできないと思っています。何十年もかけて耳が既存のメーカーの音色に慣れているなかでは、私たちのピアノを認めてくれない人もいるでしょう。ですが、私はアーティストたちが私たちのピアノを使ってくれたら、きっと心に響くものがあるという自信を持って、ピアノ作りに臨んでいます。 ◇◇◇ せっかくピアノを出しても、コンテスタントから選ばれなければその音が聴衆の耳に届くこともありません。そんな中、今回の長江の成功の背景には、いろいろな準備や根回しのようなものもあったと思います。新しく参入する長江の関係者は、見よう見まねでいろいろなことに挑戦し、がんばっていたのだろうなという感じがしました。 例えばコンクール期間中、インターミッションの時間には、たびたび長江の企画で審査員にインタビューが行われていましたし、また、ファイナルの前に審査員が出演する演奏会も小ホールで企画されていました。他のメーカーは、いろいろ言われるとアレだし、という感じで、最近はこういう企画は控えている傾向にありますね。ちなみに実際には、長江を弾くアンさんのファイナル進出が決まったことで、審査員による演奏会は急遽延期されることになったようです(変なコネクションをつくっていると思われるといけないといわれてなしになった、私たちはこういうことが初めてだからいろいろわからなくて大変…と担当者さんが話していました)。 また、実際にセレクションでピアノを触ったピアニストたちに話を聞くと、「長江には数秒しか触らなかった」という人もいれば、「スタインウェイとカワイで迷った。ファツィオリもよかった。さらに、長江が結構良くてびっくりした。スタインウェイみたいだった」という人もいました。 大舞台で知らないブランドを選ぶのは本当に勇気がいることですけれど、そう考えると、メーカー名の先入観が影響しないようブラインドでセレクションが行われたら、長江は意外と選ばれたかもしれませんね…もちろん耐久性など、一瞬弾いただけでは判断できないこともあるとは思いますが。そして個人的には、長江の社長のお話が、ファツィオリのパオロ社長とかぶることも多くてびっくりしました。 そのなかで印象に残ったのが、ピアノを習う子供の音楽的な発展を手伝うピアノ、という発想ですね。元ピアノの先生ならではで、なんだかいいなと思いました。 長江、独自の理想のピアノを求め、特徴は持ちながらも、もしかしたら今はまだ、スタインウェイに近いピアノの実現に成功している段階なのかもしれません(スタインウェイの調律師さんのインタビューも印象的でした)。それだけでもすごいことですけどね…。 長江ピアノはショパンコンクールにも挑戦したい…ということでしたので、どうなるでしょうか。そしてこの先もどんどん開発を進めていくのでしょう。どんなピアノが出てくるのか。楽しみですね。”
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チャイコフスキー国際コンクール審査員、ペトルシャンスキー先生のお話
“前述の通り、審査委員長のマツーエフさんは結果発表の翌日に演奏会のためあっという間に旅立ってしまって、私はうっかりつかまえることができませんでしたが、授賞式でピアノ部門のプレゼンターを務めたお二人の審査員の先生に、待ち時間の間にお話を聞くことができました。 お一人目は、ボリス・ペトルシャンスキー先生です。モスクワ音楽院で、ネイガウス、ナウモフのもと学んだピアニストで、現在はイモラ国際ピアノアカデミーなどで教えています。優秀なお弟子さんがたくさんいらっしゃる名教授です。 ボリス・ペトルシャンスキー先生 ◇◇◇ —結果について、どのようにお感じになっていますか? 審査員はそれぞれに趣味が違いますから、自分の考えと完全に合うということは難しいですが、フランスのカントロフさんと、日本の藤田真央さんの結果については私も嬉しかったです。 二人はとても才能があるので、これから大きな発展の可能性がありますね。きっとすばらしい将来が待っているでしょう。そう祈りたいです。コンクールはこうして若者が可能性を広げていくために必要なものです。 —1位1人、2位2人、3位3人という結果になりましたが、これはみんな良いピアニストだったから3位までにいれてあげたいという審査員の先生方の判断の結果なのでしょうか? 本当に、ピラミッドみたいな結果なりました。その理由は、まず一つが、本当に彼らがほぼ同じレベルのピアニストだったこと。もう一つはデニス・マツーエフの決定です。彼の哲学といってもいいかもしれませんが、無理に1位から6位まで順番をつけるより、一緒の順位を与えるほうがピアニストの将来のためにいいという考えを持っていました。こういうスタイルの順位にすることは、マツーエフさんがプッシュしました。 それに、3位の三人はタイプは違うけれどレベルがほぼ同じピアニストでした。今日はこの人のほうが良くても、明日はその逆になっているかもしれない。そう思えるレベルで実力が僅差でした。 —優勝したカントロフさんが評価されたポイントはなんだったのでしょうか? 私が一番気に入ったのは、彼の左手です。作品のハーモニーのプロセスを見事に整理できるピアニストだと思いました。彼はピアノを、まるでシンフォニーの楽譜を演奏しているように聴かせてくれます。例えばチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番でとても良いと感じたのは、彼が弾きながら、オペラか小説など、何か音楽作品とは別の分野の芸術の雰囲気を生み出していたところです。ただのピアニストではなく、もっと違った存在といえるでしょう。彼がやっていることは、毎回普通のピアノの演奏ではなく、なにか文化的な出来事であると思えました。審査員が彼の解釈をどう受け取るかは別の話ですが、彼の解釈は普通ではなく、当たり前のこともおもしろいと感じさせてくれました。 藤田真央さんもとても魅力的だと思いました。例えばモーツァルトの演奏は、私の意見ではテンポに少し違うと思える部分もありましたが、それでも音楽がとても魅力的で、聴衆もそれに反応したのです。 —確かに、あの藤田さんの1次の演奏は、その後の評価にまで影響を与えたのではないかという印象の強さに思えました…。 そうですね。最初の曲目を聴いた時、彼には特別な才能があると感じました。彼の演奏は、聴き手にショックを与えるというより、ハグをしている…音楽を包み込んでいるような演奏だったと思います。 ◇◇◇ 「聴き手にショックを与えるというより、包み込むような」というのは、今時ありそうでなかなかない演奏だよなぁと、先生に言われて改めて思いました。 一方でカントロフさんの演奏は、どちらかというとちょっとショックを与えるタイプですよね。それが奇をてらっているようなものでなく、いろいろな基本にそった上で、心の中のオリジナリティから湧き出すものであると、説得力があるということになるのでしょう。オペラか小説のようというのは、ファイナルのチャイコフスキーで自分も感じたことだったので、心の中で激しく納得しておりました。 このお二人については、今回のコンクールについて感想を聴いた時、全くタイプの違う二つの才能として多くの人が名前をあげます。ロシアのお客さんにとって、もともとマークしている存在じゃなかったということも大きいのかもしれません。発見の喜びって嬉しいもんね。こういうのは、コンクールという場があってこそであります。”
チャイコフスキー国際コンクール審査員、オフチニコフ先生のお話
“チャイコフスキーコンクール、審査員の先生のお話。お二人目もロシア人ピアニスト、現在モスクワ音楽院教授を務めるウラディーミル・オフチニコフ先生です。 モスクワ音楽院でナセドキン(G.ネイガウス、ナウモフの弟子ですね)の元学んだピアニストで、やはり、ロシアンピアニズムを後世に継承する有名な教育者です。 ウラディーミル・オフチニコフ先生 ◇◇◇ —ファイナルの結果について、どのようにお感じですか? とても嬉しく思っています。特にファイナルでは、全く異なるタイプの音楽家、違う楽器、さまざまなスクールの音楽とメンタリティを聴くことができました。本当にきらめくようなファイナル・ラウンドでしたね。審査員としてコンクールに参加していたにもかかわらず、優れたピアニストの音楽とともに時間を過ごしたことで、とても楽しむことができました。彼らの将来がすばらしいものであることを願っています。 —今回、優勝したカントロフさんが評価されたポイントは何だったのでしょうか。 カントロフもそうですが、加えて藤田真央の演奏は、このコンクールの中で特別でした。二人の異なるタイプのすばらしいスターだったと思います。私たちは彼らのソロとコンチェルトを聴くことができてとても幸せでした。聴衆も、打ち上げ花火のようなパワフルな反応をしていましたね。まるで演奏会を聴いているようでした。 —今回は、5つのメーカーのピアノが出されていました。 これもまた、フラワー・ブーケのような存在でした。5台はそれぞれ異なるレベル、音、クオリティを持つ楽器でしたが、こうしてコンクールで聴くことができたのはとてもおもしろい経験だったと思います。楽器によるコンペティションのような一面もありましたね。 —ちなみに、ピアノの選択は結果にとって重要だと思いますか? それはとても重要だと思います。これはただの音楽イベントではなく、私たちは音の質も聴いて判断をしているのですから、全てのことが重要です。特に音は、音楽にとってとても大切な要素です。 時にはピアノが十分な役割を果たしていないとか、フォルテが十分でない、逆に強すぎたりドライすぎたりすることもありました。もちろん、誰が演奏しているかにもよるものではありますけれどね。 —中国のピアノ「長江」の印象はいかがでしたか? 悪くありませんでした。十分に良かったと思います。ブライトで力強い音がスタインウェイのようだと思うこともありましたが、時々、少し物足りないときもありました。もしかしたらピアニストの弾き方によるところもあるかもしれませんけれど。 いずれにしても、演奏者に魂の内面から音楽的に言いたいことがあるのなら、どんな楽器でもすばらしく演奏することができるとは思いますけれどね。 —例えば、カントロフさんはファイナルでピアノを変えましたが…。 あっ、そうでした? 覚えてないな…。 —2次まではカワイを弾いていましたよね。 ああ、そうだったっけ! それでファイナルはスタインウェイを? —そうです。…あのぅ、オフチニコフ先生、もしかしてそれってやっぱり、いい音楽を持っているならピアノは何を選んでも重要でないってことですかね(笑)。 そういうことですね(笑)。音楽がなにより重要だということです(笑)。 —ところで、先生が求めていた才能、コンクールで次のステージに進んで欲しいと思ったのはどんなピアニストですか? 私はロマンティックなピアニストが好きですね。例えば時々は、プレトニョフ氏のような、とてもクレバーで深い音楽性を持つピアニストを聴くことも好きです。でも彼の演奏は、感情的で力強い声を持つというタイプではありませんよね。一方で、私は「ノイハウス・スクール(ネイガウス・スクール)」のピアニストですので、もっとオープンで感情が豊かな音楽と演奏の方を好みます。 今回のファイナリストについては、カントロフと藤田真央の将来に大いに期待しています。 ◇◇◇ 最後のお答え、これぞロシアンピアニズムの流派のプライド!とか思って勝手に興奮してうぉーとリアクションしたら、オフチニコフ先生、そうかいそうかい、という笑顔で無言で眺めていらっしゃいました(実際には単に若干引いてたのかもしれない)。 でもでも、オフチニコフ先生がすばらしいというカントロフさん、師のレナ・シェレシェフスカヤ先生はプレトニョフさんと同じフリエール&ヴラセンコ門下ではないかとか(ちなみに私がインタビューをお願いする直前、オフチニコフ先生とシェレシェフスカヤ先生は熱心に話し込んでいた)、さらにいうと、藤田真央さんの先生の野島稔さんはオボーリンの弟子じゃないかとか。その辺りのことって掘ったら大変なことになるのでしょうからここで書くミッションは華麗に放棄いたしますが、とにかくいろいろ考えるとすごくおもしろいですね。 しかも結局、何系列だからどうとか、ピアノの選択はこうだとか、いろいろいうわりに、いいものはなんだっていいってうっかり(?)言っちゃうオフチニコフ先生サイコーと思いました。 …で、全然関係ないんですけど、わたくし今回、オフチニコフ先生のお姿を初めて近くで拝見したんです。それで驚いたのですが、スラリーンとしていて素敵なんですね。この年代のロシアの先生っぽくないというか(…いえ、もちろんどしんとしたロシアの先生たちもかっこいいし素敵なんですけどね)。そしてもっと難しくて厳しい感じの方なのかと思っていたら、物腰やわらかで優しかった。 そんなわけで、写真を撮る時に、とっても素敵ですよー、ほら、もっと笑ってくださいよほらほら、とかやっていたところ(お話ししているときのにっこり笑顔がどうしても撮りたかった)、先生照れてしまって首を傾げてしまい、せっかくの爽やかスマイルが、ブレてしまった。 ”
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チャイコフスキー国際コンクール第4位、ティアンス・アンさんのお話
“ここから、お話を聞くことができた一部の入賞者のみなさんの言葉をご紹介したいと思います。 まずは、中国のティアンス・アンさん。 中国に生まれ、北京の中央音楽院で学んだのち、アメリカのカーティス音楽院に留学している20歳です。中国のピアノ、長江を選んでファイナリストとなり、また前述の通りのファイナルでのハプニングもあり、いろいろな意味で注目されました。そのハプニングへの配慮から、アンさんには特別賞(Special Prize  for courage and restraint)が授与されました。 Tianxu Anさん。結果発表前に少しだけお話を聞きました 写真はガラコンの日のもの。何度写真撮っても、安定の満面スマイル ◇◇◇ —ファイナルの演奏については、いかがでしたか? よかったと思います。私にとって、オーケストラと共演するのは人生で初めてでした。こんなに大きなコンクールでその初めての経験ができたことは、とても幸せだったと思っています。とても緊張しましたが、こんなチャンスをいただくことができて、自分はとても運が良いと思っています。 —「パガニーニ」の演奏のことは、驚きましたね。 でも、あれは自分の責任です。ステージに出る前に指揮者と話して確認しなかったのがいけませんでした。私のミスです。 —そんなことないでしょう……。でも、すぐにリカバーして演奏を続けたのはすごかったですね。 ああ、ありがとうございます。 —今回、ピアノは長江を選びましたが、どんなピアノでしたか? ピアノを選んだ理由は? とてもすばらしいピアノで、ソフトな音もとても輝かしく鳴るところが気に入りました。大きな音も輝かしく、小さな音もクリアなままで鳴る、そのキャラクターが自分の演奏に合うと思って選びました。どのピアノもみんな違う特性がありましたが、あのピアノの特徴は私が好きなものでした。 —あまり弾いたことのないピアノを大きな舞台で選ぶのは勇気がいったのでは? でも、中国で試したことがありましたし、ステージごとにピアノに慣れていきましたので。 —今は、カーティス音楽院でマンチェ・リュウ先生の元で勉強されているんですよね。小林愛実さんも一緒ですよね。 はい!! もちろんアイミはしってますよ。一緒の先生のクラスですから。 —リュウ先生から、どのようなことを学びましたか? 先生は、技術のトレーニングについてとても厳格に見てくださいます。彼が伝えようとしているのは、音楽を作るために、いかにそのテクニックを使うかということだと思います。筋肉の使い方などについてたくさんのアドバイスをくださいます。また、ブラームスやベートーヴェンなど、ドイツもののレパートリーの指導がすばらしいです。先生の元で、多くのことを学ぶことができました。 ◇◇◇ …アンさん、なんと今回のチャイコフスキーコンクールのファイナルが、初めてのオーケストラとの共演経験だったんですね。それであの、「チャイコフスキーの1番だと思って座っていたらラフマニノフのパガ狂はじまる事件」が起きたわけです。コンチェルトのステージがトラウマになったりしないだろうか…パガ狂弾いたらいろいろフラッシュバックしそう。そしてあんなことがあったのに、自分はファイナルで演奏ができて幸運だったと何回も言っていて、前向きだなと思いました。 ただ、マツーエフさんからのファイナルの演奏やりなおしの提案については、弾こうとは全く思わなかったようです。 お話を聞こうと話しかけるといつも、アセアセしながらしゃべってくれるアンさん。ステージでの見た目はちょっとベテラン風ですが、非常に初々しいというか、人の良さが感じられました。結果発表のときにも、一人正装で臨んでいましたね。(カントロフさんなんて、結果発表は明日だと思ってさっきまで部屋でダラダラしてたとかいいながら、いつも着ているシャツ&ジーパン、手にマフラーむんずと掴んで会場に来てたのに)。 アンさんの笑顔もいつも見事でしたが、付き添っていたお母様も本当ににこやかでフレンドリーな方で、会うといつも明るく声をかけてくださいました。このアンさんスマイルはお母さんの教育のたまものですね、といったら、アンさん以上のスマイルがかえってきて、親子すごいと思いました。”
チャイコフスキー国際コンクール第3位、コンスタンチン・エメリャーノフさんのお話
“チャイコフスキー国際コンクール入賞者のコメント。続いては、第3位のコンスタンチン・エメリャーノフさんです。 モスクワ音楽院で、ドレンスキー先生とその門下の先生方(ピサレフ、ネルセシヤン、ルガンスキー)のもと学んで、2018年から音楽院のアシスタントを務めているようです。王道ルートという感じ。 エメリャーノフさんはまだ25歳ですが、演奏も佇まいもとても落ち着いた雰囲気です。私の中では、演奏はわりとサラリとしているけれど、音にインパクトのあるタイプという印象。 Konstantin Yemelyanovさん 結果発表直前に、薄暗い通用口のドアの前で佇んでいるところを発見 さすがに背景がもの寂しすぎたので、場所を移動して撮影しました。ニッコリ ◇◇◇ —チャイコフスキーコンクールのファイナルという舞台で演奏してみて、どんなお気持ちですか。 とても幸せですし、光栄です。でも、同時にすごく疲れました。もっともストレスの大きい経験だったと思います…。 —やっぱりロシアのピアニストには、昔からチャイコフスキーコンクールの舞台への憧れみたいなものがあるのですか? 子供の頃っていうことですか? とくにそういう夢とか憧れはなかったですねぇ。僕は神童みたいなタイプではなかったし、練習もあまりしなかったし。家族には音楽家もいないし、両親も、僕を音楽家にしようなんて考えていなかったと思います。 僕が音楽の道に進んだのは、ほとんどアクシデントのような感じなんですよね。子供の頃は練習だって4、50分くらいしか続かなかったですし……。 —でも、ご両親は今この結果を喜んでいるでしょう。 それはもちろん(笑)。 —全然体を動かさないで、すごくどっしりした音を鳴らしていらっしゃいましたね。これがロシアン・ピアニズムを受け継ぐ人の音なのかなと思いましたが、エメリャーノフさんとしては、そういうロシアのスクールのようなものについてどう考えていますか? 僕自身が、もしかしたらその中にいるのかもしれませんけれど……ロシアン・ピアニズムの演奏家は、みんな違う音、音の色を持っています。一番重要視されるのは、音楽のアイデア、コンセプトでしょう。テクニックの問題だけが重要なのではありません。ステージで演奏する作品についてのコンセプトを常に深く掘り下げ、そのキャラクターを真に捉えていなくてはいけません。 —モスクワ音楽院の大ホールは音響をコントロールするのが難しいとみなさん言っていましたが、いかがでしたか? そうですね、とても広いし、物理的に簡単ではありません。この会場は、ステージに座って聴く音と、客席で聴く音が大体同じだと感じます。自分が十分でないと感じるときは客席でも十分でないし、クリアに聴こえると思うときはクリアに響いている。おもしろいなと思いました。 —今回は5台のピアノからヤマハのCFXを選びました。その理由は? 関心を持ったそれぞれのピアノを試してみましたが、このホールの音響にはヤマハが合うと思いました。一番音がクリアで、混ざり合っても音がごちゃごちゃになってしまうこともなく、すべての声部を聞くことができて、音楽を作るのにとても良いピアノだと思いました。 僕にとって、鍵盤の弾き心地の良し悪しはあまり大きな問題ではありません。最も重要視しているのは、このホールの中でどう響くかという音のことです。 —エメリャーノフさんが音楽家として最も大切にしていることはなんでしょうか。 常に真摯で正直でいること。自分自身でいること、そして作曲家に正直でいることです。自分が人に届けたいと感じる偉大な作曲家たちの作品を弾いているのですから、そんなすばらしい音楽に対して、いつも正直でいないといけないと思っています。 ◇◇◇ この“家族に音楽家はいないし、子供の頃あんまり長い時間練習しなかった”っていうパターン、ロシアのピアニストに結構いますね。(それで、それじゃあ何して遊んでたのと聞くと、だいたい「サッカー」っていう。エメリャーノフさんには聞きませんでしたけど) ゴリゴリ練習漬けにはしないけれど、才能のある子は早期教育の学校に入れてしまって、自然とすごい先生と仲間に囲まれて淡々と音楽をやっていて、気づくと技術と考え方が身についている。そういう芸術家育成システムが、ロシアにはあるんでしょうね。 エメリャーノフさん、演奏の雰囲気からもっとクールな感じなのかと思っていたんですが、話しかけてみたら非常に優しい感じで、しかもにっこりポーズの撮影にまで付き合ってくださり、そんなところも、いかにもロシアのピアニストって感じでした(イメージ)。”
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チャイコフスキー国際コンクール第3位、アレクセイ・メリニコフさんのお話
“チャイコフスキー国際コンクール入賞者のコメント。続いては、第3位のアレクセイ・メリニコフさんです。 彼はグネーシンからモスクワ音楽院で学んで、やはりエメリャーノフさん同様、ドレンスキー先生とその門下の先生方(ピサレフ、ネルセシヤン、ルガンスキー)のもと学んだピアニスト。2015年の浜松コンクール入賞者です(そういえば、このときも3位3人だったな…)。 Alexey Melnikovさん ◇◇◇ —チャイコフスキーのファイナルのステージで演奏してみて、いかがでしたか? すばらしい気分でしたが、同時にとてもハードでした。こんなに連続してコンサートを演奏するのは肉体的にもチャレンジングなことですし。 —一番楽しかったステージは? 2次が一番楽しかったですね。 —それはよかったです。浜松コンクールの時同じ質問をしたら、頭が痛かったり風邪ひいたりしていて全部辛かったっていってたから。 そうそう、あのときは全部調子悪かった(笑)。今回のほうが緊張感も軽かったし、心地よく演奏できました。あれから何年か経って、少し成長できたということかもしれません。 —今回は会場でドレンスキー先生もお見かけしましたが、お元気そうで安心しました。 ドレンスキー先生は体調もよく、毎週練習して生徒にも教えていらっしゃいます。僕もこのコンクールの準備ではドレンスキー先生に見ていただきました。それからもちろん、ルガンスキー先生にも。そういった影響が自分の演奏に見えるのは確かだと思います。 —先生方から学び受け継いだ最も大きなことはなんでしょうか。 音でしょうね。あとは音楽のテイストの質です。 —今回は、5台のピアノからスタインウェイを選びましたが、選んだポイントは? キャラクターの違うピアノが並んでいて、30分で選ばなくてはいけませんでしたから、とても苦労しました。でもとにかく音質を重視して選ぶことにしました。弾き心地という意味では一番でなかったかもしれないけれど、あのスタインウェイのピアノは、一番美しい音を持っていました。普通でない、あたかく深い音を持っているところが気に入りました。 カワイもとてもいいピアノで本当に迷ったので……多くの人が選ばなかったことに驚きました。特にピアニシモで多くの自由を与えてくれて、いろいろなことを試すことができる、広い可能性を持つピアノでした。 —浜松コンクールのときから、メリニコフさんの柔らかくて少し暗めの特別な音が印象的で、忘れられませんでしたが。 ああ、あの時はすばらしいカワイのピアノを弾きました。あのピアノが今回もここにあったらいいのにと思いましたね。 —ところで思ったんですが、メリニコフさんの声って独特ですよね、深い響きというか。 ……え、喋ってる声の話してます? —そうそう。それが、メリニコフさんのピアノの音と近いんじゃないかなと思ったんですけど。言われたことありませんか? ないない、初めてですよ。でも、それはそうかもしれません。 —管楽器奏者の方がそういう話をしていたのを、ふと思い出したんです。自分はこういう音域の声だからこの楽器が好きだ、みたいな。 なるほど、確かに僕は暗めの音の方が好きです。ピアノだけでなく、他の楽器でも。それが自分の声と関係している可能性はあるかもしれない。 —あの特別な音を鳴らすための秘密はあるのでしょうか? うーん、やっぱり耳でしょうかね。耳が全てです。聴く経験を豊かにすることは、新しい感覚を見つけることの助けになります。とくに歌を聴くといいと思います。あと、ほかの楽器と一緒に演奏することもいいですね。自分でも他の楽器を演奏できたらいいなと思うくらいです。将来的に挑戦してみたいです。 —2次では、リストのソナタを演奏されました。聴きながら深呼吸したくなる演奏で、大変楽しませていただきました。でも、コンクールでこの曲を選ぶのは勇気がいりませんでしたか? もちろん、とてもリスキーな行動だったと思っています(笑)。でも、僕はこの曲には特別な感情というか、何かケミストリーのようなものを感じていたんです。もちろん、自分では、ということですが。その感覚を大切にしました。 —メリニコフさんが受けた次の回の浜コンで、たまたまセミファイナルで12人中4人、それもティーンエイジャーの子たちがわりとリストのロ短調ソナタを選んでいたもので、この曲をコンクールで弾くことについて、審査員の先生方がいろいろおっしゃっていたんです。そのことを思い出してしまって。[参考:一番イラだっていたイラーチェク先生のインタビューはこちら] それはそうでしょう。これはリスト後期のとてもパーソナルな作品です。ファウストと関連しているといわれますが、僕自身は、リストはこの作品にファウストのアイデアをとても個人的な視点から持ち込んだと思っています。まず、冒頭の部分では二つの異なるスケールが聞こえますね。一つは教会音楽で使われるスケール、もう一つはジプシーのスケールです。これは、彼の署名だと僕は思います。彼はかつてジプシーであり、のちに修道僧になった。そんな自分の経験と人生を投影していると思います。少し歳を重ねてからでないと演奏できない作品でしょう。40歳か50歳くらいになってから演奏できると一番いいと思います。僕も今20代の終わりに弾いて、10年くらいおいてからまた演奏したいと思っています。 —それは楽しみですね……歳をとってほしいです。 オッケー、約束する、必ず歳をとるよ(笑)。 —ロ短調ソナタでも、ああいった柔らかく小さな音をこの大きなホールで迷わず鳴らそうとできることがすごいと思ったのですが、どうするとああいう勇気が持てるのですか? こわくないですか? このホールで弾くときに重要なのは、語りかけるような音を鳴らすことです。もし、良いフレージングで語る音を出せれば、みんなに聴きとってもらえます。理由はわかりませんが、それはこのモスクワ音楽院大ホールの魔法のようなものでしょうね。 —浜松コンクールの時のインタビューでは、映画も好きだというお話をしてくださいましたね。最近は何か観ましたか? 映画はあまり観ていないのですが、今年はナボコフの本をたくさん読んでいました。最近のお気に入りです。 —そういえばこの前の浜コン、日本人作曲家の課題曲は「SACRIFICE」(佐々木冬彦作曲)だったんですよ。 ああ、僕も聴きました。あれはいい作品でしたね。 —タイトルの通り、タルコフスキーの映画からも影響を受けているという作品だったのですが、インタビューしたコンテスタントの中で一人しか映画を観てみたといっていなくて驚いちゃって。 それは僕たちのジェネレーションの問題でしょうね。教室に閉じ込められて、ショパンのエチュードを誰よりも速く弾けるようになればいいと思ってひたすら練習をしている。そんなふうに閉ざされた生活をしていたら、プロとして音楽の道で生きていくにあたって、未来はありません。人間として成長することで、音楽家としても成長できるというのに。 —メリニコフさんは、これからピアニストとして何を目指していきたいですか。 音楽の本質に集中し続けたいです。これまでも、キャリアのことを考えてどうということはなく、単に成長したいと思いながらピアノを続けてきただけですから。コンクールに出るのは、有名になりたいからとかそういうことではないんですよね。大切なのは音楽の喜びで、ほかのことは周辺の事情にすぎません。 —では、あなたの音楽にとって最も大切だと思うことは? 良い人間でいることでしょうね。可能な限り。自分がどんな人間であるか、それこそが、聴き手のみなさんが自分から感じ取るものだと思うからです。 ◇◇◇ 以前の浜松コンクールの時に行ったインタビューによると、メリニコフさんもまた、「両親は音楽家ではなく、子供の頃の練習時間は1時間半から2時間で、それ以上練習したことはない」というパターンだそうです。 この浜コンでのインタビュー、結構面白くて、アーカイブが残っていないのが残念なのですが、その中で、ロシアン・ピアニズムについて語っていることが興味深いので、ちょっと再掲載。 「そもそも、ロシアの伝統とは何かを説明すること自体が難しい。実際、ロシアの教授たちは演奏も教え方もみんな違います。ただ、ロシアン・スクールにおいては、演奏にあたって作品の形を組み立てることを大切にするというのはあると思います。ラフマニノフはこれについて、作品にはいわば建築でいう “ゴールデンポイント”のようなものがあるので、それを見つけないといけないと言っています」(第9回浜コン入賞者インタビューより) そのほかにも、映画はタルコフスキー、キューブリック、ベルイマン監督作品も好きだけど、隣のトトロも好きだとか、ステージや演奏後はクールな感じにしているわりに楽しそうに映画の話をしてくれて、この時以来、メリニコフさんはツンデレ的チャームポイントをお持ちのピアニストだと私の中で認定されました。 ところで彼、前にもちらっと記事で触れましたが、髪型おしゃれですよね。実は私がそこについひっかかってしまうのには理由がありまして。 浜松コンクールの時、プログラム用に提出してあったメリニコフさんの写真の髪型がなんともいえないマッシュルームヘアで、実物を見て、写真より今の髪型のほうが断然いいじゃないの、似合うヘアスタイルって大事ねとしみじみ思った(しかも口に出して本人に言った)のでした。それで今回はまたさらに、アシンメトリーなおしゃれヘアになっていたもので、いいねと言わずにいられなかったわけです。 写真撮影のとき、そんなおぐしが少し乱れていたので、「髪型それでいいの?」「整えたら?」「でもそのヘア・スタイルいいよね」「今までで一番似合ってる」などと一方的に語りかけていたところ、メリニコフさん突如、「ぬぅ、これはヘア・スタイルではない。ただのヘアなのだ!」と哲学みたいなことを言い出し、横で撮影を見ていたお友達に、爆笑されていました。”
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チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話
“続いては、チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話です。 シシキンさんは、ロシア生まれの27歳。ピアノの先生のお母様の手ほどきでピアノをはじめ、グネーシンからモスクワ音楽院に入って、名教師でピアニストのヴィルサラーゼ教授に師事。2015年のショパンコンクール入賞あたりから日本でもファンが増えていると思いますが、その後、2017年にはノルウェーのトップ・オブ・ザ・ワールド国際ピアノコンクール、2018年にジュネーブ国際音楽コンクールで優勝しています。 Dmitri Shishkinさん 結果発表の前にお話を聞きました ◇◇◇ ーチャイコフスキーコンクールのファイナルで演奏してみて、気分はいかがですか? もちろんとても光栄でした。美しいホールと優れた聴衆の前で、レジェンドのようなプログラムであるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏できたのですから、とてもエキサイティングでした。 ーチャイコフスキーコンクールには、2015年にも挑戦されているんですよね。 はい、でも残念ながら2次に進めなかったので、4年経ってまた挑戦しました。今回はうまくいって嬉しいです。 ーロシアのピアニストにとって、チャイコフスキーコンクールは特別なものなのでしょうか。 もちろんです。全ての演奏家にとって特別だと思いますが、ロシア人にとっては特に重要です。ここで成功することは一つの目標ですし、人生の中で一度経験してみたい舞台だと思いますよ。 ーシシキンさんはいつから憧れていたのですか? 子供の頃からです。9歳から毎回、つまり続けて3回はチャイコフスキーコンクールを聴きにきていました。母と一緒に、予選からいろいろなコンテスタントを注意深く聴くんです。とても楽しかったですし、大きな経験になったと思います。 ー記憶に残っている回はありますか? 最初の2002年のことは子供だったのでよく覚えていませんが、聴く側として一番最近のトリフォノフさんが優勝した回(2011年)のことは記憶に残っています。すばらしいピアニストがたくさん参加していました。今は自分がその舞台に立ち、夢が叶ったという感じです。 ーファイナルでは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を選びました。シシキンさんの音とキャラクターに合ったとても良い演奏だと感じましたが、選曲の理由は? まずこの作品がとても好きだということ、技術的、音楽的な面で自分に合っていると思うこと。それから、ジュネーヴ国際音楽コンクールでこれを弾いたということもあります。ちょうどロシアの作品ですから、このコンクールで演奏したいと思いました。 ーシシキンさんは、重く美しい音をお持ちです。このコンクール、パワーのあるロシアのピアニストはわりと2次でヘビーなロシアの作品を選んでいた印象ですが、シシキンさんはショパンから始めていましたね。そこにピアニストとしての心意気のようなものを見た気がしたのですが。 そうですね、自分のいろいろな側面を見せたいと思って。ピュアなロシア作品の奏法だけでなく、リリカルだったり、ロマンティックだったり、旋律美を見せるような作品も演奏しようと、ショパンに加えて、メトネルのセレナーデも選びました。これによって、あらゆる側面での解釈や哲学を見せることができたと思います。 ーファイナルではロシアの作品を2曲お弾きになりました。ロシア音楽の精神ってどんなところにあると感じますか? 2曲はそれぞれ、とてもワイルドで懐の大きな魂を持っていると思います。とてもロマンティックで心が開かれていて、表情豊かです。幅広い感情や思考を感じて弾くことが大切です。加えて、巨大なサウンドスペースを作ることも求められます。こういう豊かさが、ロシア音楽の魅力だと思います。 ーモスクワ音楽院大ホールの音響でそういうロシア音楽を演奏することに、特別なところはありますか? ロシア音楽のために作られたホールではありませんけれど、確かにロシア音楽がたくさん演奏されてきたホールです。例えばラフマニノフのソナタを演奏するうえでは、このホールの音響が助けになりました。自分が創る全ての音やダイナミクスを聴いてもらうことができるホールです。 ここで弾いていると、自由な感じがします。音響が助けてくれて、自分がやりたいことに100%集中することができました。 ー今回は5台のピアノのなかからスタインウェイを選びました。 ヤマハ、カワイ、スタインウェイで迷って、最終的にスタインウェイを選びました。ポイントとなったのはメカニックの部分と、ブライトな音です。特にオーケストラとの共演でもしっかりピアノが聴こえるようであるためには、音がブライトであることが重要です。ファイナルのことを念頭に、スタインウェイを選びました。 このピアノは特にベースの部分が調律師さんによってとても良く整えられていていました。スムーズな音がとても心地よく、鍵盤とつながることができ、楽に音を変えることができると感じました。 ー一番大変だったステージは? どれも大変ではありませんでしたね。驚くことに、毎ステージとても心地よく、自由な感じがしました。少し前にこのモスクワ音楽院大ホールで同じような曲目のリサイタルをしたのですが、ホールが何年かぶりだったこともあって、その時はストレスを感じ、音響もユニークだから慣れるまで大変だったのです。でもコンクールの時は、逆にいい雰囲気のリサイタルのような気持ちで楽しむことができました。本当に不思議なんですが、審査員が聴いていることも忘れていましたし、まったく怖さも感じませんでした。 ーそうですか、なにか降臨してたんですかね、チャイコフスキーの魂的なものとか。 かもしれませんねぇ。すぐ横にチャイコフスキーの大きなポートレイトがあったし。心配しなくていいよと言いながら見てくれているみたいな感じで。 ー審査員もあんなに前に座っていたというのに。 普通のコンクールではあまりありませんよね。でも、審査員の先生方のリアクションが見えておもしろかったですよ。 ー見ていたんですか? もちろん見ましたよー。 ーヴィルサラーゼ先生と話しましたか? はい、喜んでくれていますよ! あと、ファイナルからは、今イタリアで師事しているエピファニオ・コミス先生もいらして支えてくださいました。コミス先生は、すばらしい音楽家です。先生からは、演奏法、音楽の理解、音楽の構造、音やタッチのことなど多くのことを学びました。コンクールの準備でもたくさん助けてくださいました。 ー数年前から、アリエ・ヴァルディ先生にも見てもらっているとおっしゃっていましたよね? ロシア音楽についてはもうわかっているだろうから、ドイツものを勉強しようと言われたって。 ふふふ、そうそう。今もハノーファーでレッスンを受けています。ドイツ音楽を中心に、先生から多くのことを学んでいます。 ーロシアン・ピアニズムについてはどういう考えがありますか? まず、そういうものがあると思うかどうかというところから。ピアニストによって意見が違うみたいなので。 もちろん、私たちにはスクールがあります。でも、最近はみんなが外国で勉強するようになっているから、すべてのスクールがミックスされていて、ロシアン・スクールの奏法にはっきりとした特徴があるとは言えなくなっているでしょう。でも、強いスピリッツのようなものはあるといえます。僕が思うに、ロシアン・スクールの中にいるピアニストは、みんなフィジカルな意味でとてもよく鍛えられていて、力強く、音楽にソウルを込めて演奏することができると思います。 とはいえ、一言で音楽の特徴を挙げることはできませんね。それぞれの学生がさまざまなスクールから学び、経験を重ねて、最終的に自分だけのユニークさを手に入れるのですから。 ーところでフィジカルっていう話で思い出したのですが、今もトレーニングをして鍛えているんですか? 最近は泳いでます。ピアニストとして生き延びるためには、演奏で痛みが出るようでない体づくりが必要なので。 ー弾き姿を見てるととても自然だから、痛みなんてなさそうですけれどね。 そんなことないですよ、ピアニストによくある痛みは、みんなあります。見せないようにしているだけです(笑)。音楽を楽しむためには、すぐにリカバーし、健康で良い気分でいられるようでないといけませんね。 ーあと、見ていてシシキンさんの美意識みたいなものがすごいなと思ったんですけど…もちろん音楽的な話もそうなんですが、いつもジャケットを着ていて毎回立ち上がるたびにスッとボタンを閉めていましたよね。 ああ、そうでしたね(笑)。服装については、みなさんへのリスペクトというか、お客様は単に音楽を聴いているだけじゃなくて、喜ばしいものを受け取ろうとして来てくれているわけだからと思ってそうしています。ボタンは、何も考えていなくても自動的に閉めてしまう(笑)。でもみなさん、今回はステージが暑かったからシャツなどで演奏していたんだと思いますよ。頭がクリアでないと、難しい曲を弾くのは大変ですから、気持ちはわかります。 ーところで、お母さんはすごく喜んでるでしょうね。 それはもう。舞い上がってる感じ(笑)。 ー結果が出たらどうなってしまうんでしょうね。 本当ですねえ。母はこれまで、いつも僕のことを守ってくれたし、支えてくれました。とてもあたたかい母です。本当に感謝しています。 ◇◇◇ シシキンさん、最終的に2位になって、お母さんはもう嬉しくて「空を飛んでいるみたいな感じだよー」と言っていました。「側で支えてくれた優しいお母さん」と今回のインタビューでは話していますが、以前のインタビューでは、音楽についてはとても厳しくて、その厳しさは「ヴィルサラーゼ先生以上」と言ってましたね。 シシキンさんはお兄さんもミュージシャンでパーカッショニスト。お友達が二人のために曲を作ってくれることになっていて、近いうちにデュオで演奏会をする予定らしいです。 ちなみにお兄さんがお母さん似で、あのシシキンさんの濃厚でシュッとしたお顔立ちは、どちらかというとお父さん似だそうです。見たい。 日本で応援してくれたファンの皆さんへのメッセージはこちらです。 シシキンさんにインタビューしたので、日本のファンのみなさんへのメッセージをもらいましたよー。微笑んでいる! pic.twitter.com/xitmCsubaZ — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) June 27, 2019  ”
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チャイコフスキー国際コンクール第2位、藤田真央 さんのお話
“続いては、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第2位に入賞した藤田真央さんのお話です。お待たせいたしました。 現地ではなんとなく立ち話などをする機会も多かったので、いつでもインタビューできるだろうと油断してしまい、あとで…と言っているうちに、前述の通りの強行スケジュールのためご本人グッタリという展開。そんなわけで、ロシアで少し聞いたお話と、帰国後のコンサートのあとに聞いたお話の合体したインタビューとなっています。 結果発表終了後の藤田真央さん。 普段はしないというダブルピース(2位ポーズ)で。 ◇◇◇ [まずはモスクワ現地でのインタビューから] ーモスクワ音楽院大ホールという会場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾いてみて、いかがでしたか? 難しいなと思いました。日本で弾いたこともありましたが、その時はもう少し楽に弾くことができたんです。でも、やはりあのホールだと、特別な雰囲気を感じるところがあって。 ーチャイコフスキーの他にラフマニノフの3番を選びました。選曲の理由は? 2曲を組み合わせるならこの選択だなと思ったのと、あとは中村紘子先生のお気に入りの曲だということもあります。以前いただいたお手紙の中に、ラフマニノフの3番をロシアのお客さんの前で演奏するときは、終楽章のリズミカルに進んでいく部分は、しっかりリズムをわからせるように演奏しないといけないと書いてありました。まるでこのファイナルを予言していたみたいですよね。演奏しているときにも、もちろんそのことを思い出しました。でも、倍速のテンポで弾いてしまっていたので、もういいやって途中で思いましたけれど(笑)。 ーそういえば1曲目のあと、いつもと違って笑っていなかったですよね。あれはどういうことだったんですか? 自分の演奏に満足していなかったからですね…でも切り替えなきゃいけないと思いながら。 ー2曲連続で弾かなくてはならないのは大変でしたか? 辛かったですね。2曲目のラフマニノフの1楽章が一番辛かったです。2、3楽章は終わりが見えてくるから少しずつ楽になっていくんですけれど。でもまあ、そんなことは言っていられませんから、全ての音を大切に弾くということに集中していました。 ーステージに出る前には、必ず中村紘子先生と撮った写真を見ていたとか。 そうなんです、もうルーティンのひとつになっています。眺めて、お祈りするんです。「お助けください、どうかお力添えを〜!」って。 ーすごい…やっぱり特別な存在なんですか。 それはもう、特別ですね。今まで会った人の中で、誰よりも一番オーラがすごい方です。最初にお会いしたときの目力が本当にすごかった。小柄な方なのに、とっても大きく見えました。 ー1次予選の時は、ステージにかかっているチャイコフスキーの肖像に挨拶をしたとおっしゃっていましたね。 全ラウンドしましたよ! 「日本から来たんです」って。 ーなんだか神社にお参りするみたいな(居住地言うなんて)。 そうそう。2次予選は、「また来ました」、ファイナルは、「これで最後です」と伝えてから演奏しました(笑)。 ーサンクトペテルブルクのガラコンサートでは、ゲルギエフさんと共演しました。いかがでしたか? 本当に素晴らしい経験でした。一瞬で終わってしまった感じです。リハーサルもないなかで、最初テンポがすごく速くなってしまったのですが、テーマが繰り返されるうちにだんだん落ち着いていきました。演奏が終わったあと、ゲルギエフさんが、君のモーツァルトも聴いたけれど美しかった、またすぐに共演しようと言ってくださって、嬉しかったです。 ー今回、ピアノは5台のなかからスタインウェイを演奏しました。選んだポイントは? 音ですね。結局、音で勝負するしかありませんから。どんなに全ての音が均等にそろっていようと、自分の音が出せる、美しい音が出せるということにはかえられません。あとは、音色を変えて演奏することが好きなので、その変化をつけやすいピアノがいいですね。他のピアノとも迷いましたが、最終的には、いつも使っているスタインウェイを選びました。 ー演奏を聴いていると、フレーズごとに音も表現もどんどん変わっていくのが本当におもしろかったのですが、ああいうのは天然で出てくることなのですか? それは野島先生に教わったことです。作曲家は無駄な音は作曲家は書かないから、全ての音を気を配って演奏しなくてはならないと。 ーモスクワのお客さんがどんどん入り込んでいくのは、ステージでも肌で感じました? はい、やはりすごく嬉しかったですね。日本のお客さんとはまた違った雰囲気で、おもしろい発見でした。 ーロシアのメディアでは、ベビー・マオとか、猫のお父さんだとか、いろいろなあだ名がつけられていたみたいで。 思わぬ反響でびっくりしましたねー。そんなに注目していただけるなんてうれしいです。 ーコンクールが終わった今、始まる前と変わったことはありますか? 音楽的な面でも変わることができたし、大ホールで弾くという経験を何度もして、大きな会場になれることもできたと思います。こういう環境の中で弾く経験は今までありませんでしたから、このあとは日本のコンサートでも楽に弾くことができるのではないかと思います。 [ここからは、帰国後、7月中旬にお聞きしたお話です] ー日本に帰国して、周りの反応はどうでしたか? 大学に行った最初の日は、ちょっとざわついてましたねー、みんな私のほうを見ている!って。で、3日目くらいに、なんにもなくなった(笑)。普通の人に戻っちゃった(笑)。 ー3日か…みんな慣れるの早いですね。チャイコフスキーコンクールで2位になったのだという実感は湧いてきていますか? チャイコフスキーコンクールって、これまで見ていた印象では、過酷な戦いに駆り出されるみたいな勢いで参加するものだと思っていたのですが、実際は、ひょいひょいひょーいっと次のステージに行ってしまった感じでした。モスクワには何もないって聞いていたから、日本からカレーとかうどんとかを持っていったのに、レストランもいろいろあったから、コンクール中は普通に楽しかったですね。有意義な2週間を過ごして、帰ってきたらなんだかみんなが騒いでるっていう感じでした(笑)。 ーひょいひょい行ってたの、藤田さんくらいだったんじゃないかという気もしますが…他のコンテスタントはそれなりに大変そうでしたけどね。とはいえ、コンクール中、集中力を保つのは大変だったのでは? うーん、でも結局、本当に集中しなくてはいけないのは演奏している1時間ですからね。24時間気を張っていなくてはいけないという環境でもなかったので、いつも通り音楽を楽しんでいました。その場のインスピレーションもありますし、音楽のすばらしさを伝えるといういつも大切にしていることを、同じようにやっていました。 ー今思い返して、コンクール中で一番印象に残っていることは? 一次の時ですね。もともとバッハを弾くのがこわくてたまらなくて、当日は1日中練習していたんです。毎回違う所をミスしてしまったり、フーガがうまく弾けなかったりして。でも本番でそれをしっかり弾き終えられた瞬間、心配がなんにもなくなりました。それで、あのモーツァルトの演奏ができたのだと思います。すごく楽しく弾けたんです。全ての流れがあそこで作られたと思います。 ー2位という結果についてはどう感じていますか? 帰ってから野島稔先生にも、2位で良かったね、まだ勉強できるからと言われました。「クララ・ハスキルで優勝してからの2年でも、またこのコンクールの期間でも上達したから、君にはまだ伸びしろがある、もっといろいろな解釈を広げられるように勉強しないといけない、2位でも忙しくはなるけれど、まだ勉強する猶予があるから」って。 ーところでそもそも、チャイコフスキーコンクールに挑戦することにした理由は? やっぱりロシアのピアニストが好きだからです。ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス……こういう方たちが弾いた場所で弾きたいというのが1番です。あと、チャイコフスキーコンクールのウィキペディアにのりたいっていうのもあったかな、きゃはははは!!(←藤田氏、ものすごく笑う) ーその動機、初めて聞きました…でも確かに、半永久的に載るってことですもんね。 確認したら、載ってました! うれしかったー(笑)。 ーところで、実際に3週間ロシアで過ごし、ロシアで弾くという経験をしてみて、ロシアやロシア音楽についてのイメージで変化したことはありますか。 ロシアの年齢層の高い方達の顔から時々見える、冷たさみたいなものというか、作られた表情みたいなものに触れて、自分にはないものだなと思いましたね。 ーなるほど…社会主義の時代を経験している世代の雰囲気でしょうか。もう今の若い人たちは、普通にフレンドリーですもんね。 はい。例えば練習室の部屋の鍵をくれる警備員の人が、絶対笑わなかったりとか。でも1回だけ、練習室の番号の45番というのを私がロシア語でいったら、笑ってくれたんですよね。それから、柔道をやっていたという話を向こうからしてくれたりして。少し仲良くなりました。 ーところで、今一番好きなピアニストは? 最近はルプーが好きだったりしました。でも、この頃ピアニストをあんまり聴かなくて。ヌヴーとかデュプレをよく聴いています。あとは、テバルディが好きです。あの時代には、カラスとテバルディが大スターでバチバチに対抗していたんですよね。オペラや歌はとても好きです。オーケストラ作品も聴きます。 ー歌が好きなんですね。では、ピアノを弾く上での歌うような表現についてはどう考えていますか? 音楽の起源は歌ですから、本当に大切ですよね。私、こういうふうにくねくねして弾くから、それで歌っている表現になっていると思います(笑)。 ー藤田さんにとって、ピアノ、音楽とはなんなのでしょうか? うーん、ピアノは単に、楽器ですよね。ホールによって別のピアノがあって、それにすぐに順応して良い響きを作ることが、ピアニストの難しさです。音楽は、一瞬一瞬変わっていくので、その瞬間の素晴らしさを感じ取っていただきたいという気持ちがあります。つまり、その時ダメでも次はいいかもしれないから、何回も聴きに来てほしいです(笑)。 ー今後、ピアニストとしてどんなことを目指していきたいですか? クララ・ハスキル、チャイコフスキーとコンクールで賞をいただいたので、その名を背負っていかなくてはいけないという使命感はあります。でも、気負いすぎず、自分のペースで黙々と演奏をしていきたい。そうやって生きて行くつもりです。 ◇◇◇ …というわけで以上、ところどころ、ゆるい口調ゆえに冗談なのか本気なのか非常に判別しにくい、独特のユーモアセンスの炸裂した藤田さんのお話でした。 ご本人が言っているとおり、コンクール中現地で見かける藤田さんはいつもほわんとして楽しそうでしたし、今日のお昼はこれを食べたーという報告を、まあまあ詳細にわたってしてくれたのが印象的でした。多分、本当に毎食楽しみにして暮らしていたんだと思います。 とはいえ、なんだかんだでプレッシャーも当然あったはず…それでも日々の時間を楽しもうとしている。藤田さんの場合、そういうエネルギーの差し向け方が、音楽にも反映されているような気がします。 実際、これはコンクールとか音楽家とかそういうことにかかわらず言えることだと思いますが、同じ時間でも楽しもうとして過ごすかどうかで、その時間の位置付けは変わってくるものですもんね。(もちろん、悩まなくてはいけない時間にも価値がありますし、むしろ怒ったりフラストレーションを感じることを原動力に生きている人もいるわけで、それは個人の価値観の問題かもしれません) それから、中村紘子さんのエピソードにも驚きました。今回の藤田さんのロシアでの活躍で、改めて紘子さんの先見の明に驚かずにいられなかったわけですが、そのうえ、弾く曲や場所まで予見してアドバイスを手紙にしたためていたとは…。そして写真を拝まれている。もはや守り神的存在ですね。 ちなみにそのお手紙を藤田さんが紹介していらっしゃいます。 中村紘子先生の命日。 浜松ピアノアカデミーが終わってから頂いたお手紙の一部です。ラフ3のアーフタクトのリズム、コンクールでは気をつけました!とお伝えしたいです。 pic.twitter.com/erU3vDfXCI — Mao Fujita 藤田真央 (@DeBay1128) July 26, 2019   私が書いた中村紘子さんの評伝でも、紘子さんが期待した若手として、藤田真央さんのお名前が登場します。 紘子さんはとにかく、たくさんの聴衆から愛されるようになるピアニストを、まだみんなが気づく前の萌芽的な段階で発見して支える力がすごかった。ただ同時に、みんなに優しいわけでもなかったというのもポイントなんですね。 拙著では、紘子さんは自身の若き日の経験と苦労からああいう感じになったんだなということ、またピアノ界に紘子さんがのこしたことについても分析していますので、気が向いたらどうぞ読んでみてください。(宣伝してすみません) 藤田真央さん。中村紘子さんが晩年、胸をキュンとときめかせるものがあると期待をかけていた若手として、紘子さんの評伝「キンノヒマワリ」の中でもご紹介したピアニストです。新録音などについてインタビューをさせていただいたあと、せっかくなので記念撮影。ニコニコ!ありがとうございました。 pic.twitter.com/HDjmGwtg9W — 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) January 31, 2018   さらに中村紘子さんといえば、ご自身がチャイコフスキーコンクールで審査員を務めた経験からお書きになった名著「チャイコフスキー・コンクール」があります。あの時代の審査員の間でどんなやりとりがとりおこなわれていたのか、そしてピアニストとしてトップを目指すことの厳しさなどを知ることができる貴重な1冊です。 ところで、写真はこちらの帰国後に撮ったものもあったのですが、最初の画像には、やっぱりあの結果発表直後のダブルピース(2位ポーズ)の写真が喜びにあふれていていいかなと思って使いました。普段はしないポーズなんだけど今回だけ…と藤田くんは言っていました。自分も写真でピースしないほうなんで、気持ちわかる。チャーチルやヒッピーが頭をよぎるんですよね。(※戦前生まれではありません、念のため) ただ、藤田くんが普段ピースをしない理由は、聞かなかったのでよくわかりません。 ”
8月
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チャイコフスキー国際コンクール第1位、アレクサンドル・カントロフさんのお話
“ようやく最後のお一人。 チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第1位、そして全部門のグランプリに輝いた、アレクサンドル・カントロフさんのお話です。 カントロフさんは、お父様は有名なヴァイオリニストで指揮者のジャン=ジャック・カントロフさん、お母様もヴァイオリニストという家庭に生まれました。大きなコンクールに挑戦するのは今回が初めてとのこと。 ちょうど先日、父カントロフさんのお弟子さんのヴァイオリニストにお会いしたのですが、アレクサンドルさんは昔からものすごく才能のあるできる子だったので、お父様も相当かわいがっていたそうな。息子さんの今回の優勝をとても喜んでいるそうです。 1次予選から見かけるたびにちょこちょこ話しかけていたにもかかわらず、やっぱり優勝しちゃうとひっぱりだこでなかなかじっくりインタビューできずで、結果発表前と後の細切れインタビューとなりましたが、どうぞご覧ください。 Alexandre Kantorowさん ◇◇◇ [まずは結果発表の直前に聞いたお話から] ーチャイコフスキーコンクールのファイナルの舞台で演奏してみて、いかがでしたか? 本当にすばらしかったです。このコンクールのために全力で準備してきたので、アドレナリンもたくさん出て、特別な感情を持ちましたし、本当に疲れました。…というのも、ファイナルでは最初からエネルギーを全然セーブしないで弾いてしまったので、1曲目の1楽章が終わったところで、もう息切れしそうになってしまって(笑)。 ー力の配分とか計画しなかった感じなんですか? でも、見事に弾ききったように見えましたよ。 全然計画しなかったんですよー。事前に2曲をいっぺんに弾いてみるということもしなかったし。まぁどうなるかやってみようという感じで本番に臨んだので。 ーそうなんですか…そのうえ、2曲目にあの大きな曲(ブラームスの2番)を選んでいたんですね。 そうなんですよ。もしかしたら1曲目にブラームスを弾いておいたほうがよかったのかもしれません。なにしろ、チャイコフスキーが終わったときにはもう疲れきっていたから。あの時はどうなるかと思いましたが、でも、再びステージに出てブラームスを弾き初めてみたら、大丈夫でした。 ーそしてチャイコフスキーの協奏曲は2番を選びました。カントロフさんのキャラクターにとても合っていると思いましたが、やっぱり珍しい選択ですよね。 僕もはじめは、普通に1番を用意しようと思っていました。でも、ふと自分の耳が、古い録音やトラディッションに塞がれてしまっていることに気がついたのです。そしてそのうちに、楽譜に書かれていることから自分だけの音楽を見つけることに困難を感じ始めてしまいました。 でもある日、両親の部屋でチャイコフスキーのピアノ協奏曲のオーケストラ譜を見つけて、2番の協奏曲の楽譜を読んでみたところ、「このコンチェルト、これまで知らなかったけれど、好きかもしれない」と思ったんです。この作品が、うるさいとか間延びしていると批判されていることは知っていましたが、改めてみると本当にすばらしく、エモーショナルで、室内楽的な要素もあり、愛すべき作品だと思いました。それで、これなら自分の音楽を見つけられそうだ、コンクールでは2番を弾こうと思いました。 [続いては、結果発表後に聞いたお話です] ーブラームスについてお聞かせください。カントロフさんにとって特別な作曲家なんだろうなということは、演奏からもよくわかりましたけれど。 あははー! そう、本当に特別な作曲家なんです。エモーショナルなところはチャイコフスキーのようですが、もう少し、自身の中にそれをためこんでいるようなところがあって、その部分こそがとても心に触れてくると感じます。ブラームスは基本的に完璧主義者でしたから、楽譜として残されている作品はほとんど完璧に近いものばかりです。間違った音はひとつもありません。僕は室内楽も好きですが、とくにブラームスの室内楽作品は最高だと思っています。 ーところで、1次、2次ではカワイを選び、ファイナルではスタインウェイを弾いていましたね。オーケストラリハーサルの後にピアノを変えていらしたので、ちょっと驚きました。 はい、まずカワイのピアノはとてもすばらしい楽器で、1次、2次では楽器が僕をものすごく助けてくれました。でも、オーケストラと最初のリハーサルをした後、すばらしい楽器だけど、少しフラジャイルな感じがしたので、2時間近くコンチェルトを弾くのは難しいかもしれないと思いました。大編成のオーケストラと共演する中、ピアノを限界まで鳴らすということはしたくなかったというのもあります。スタインウェイはより楽に演奏できそうに感じて、ファイナルはこちらで挑戦してみようと思いました。 ーそうだったんですね。でも、もともとカワイのピアノを弾いて慣れていたわけでもなかったそうですね。 はい、まったく弾き慣れていませんでした。でもセレクションで5台を弾いてみて、これだ!って思って選んだんです。よく考えることもしませんでした。というか、考え込んで頭を混乱させるようなタイミングじゃないと思って、好きだと感じる楽器を選ぶことにしました。 ー1次予選のときから、カントロフさんのものすごい音に内臓を掴まれるようだったとお伝えしていましたけど…あの特別な音を出す秘密は? うーん、抑え込まず、遮らず、いつも歌声を思い浮かべること、イリュージョンを生み出そうとすることですね。あとは、できるだけ長く音を持続させること。完全にマスターすることはなかなかできませんが、今もそれを実現するための懸命な探求は続いています。 ーそういえばある審査員の先生が、あなたの左手のコントロールがすばらしいとおっしゃっていたんです。それを聞いて、そういえばカントロフさんは左利きだったなって…。 ははは! そうなんですよ、左利き。でも、左利きでトラブルがないわけではないんですよ。ピアニストで左利きの人は、自然とヴィルトゥオーゾぶりに欠けることが多いので大変なんです。僕も一生懸命練習しないといけませんでした。 ーカントロフさんは特別な音楽家の家庭に生まれていますが、やはりそういう環境が音楽性に影響を与えているところはありますか? もちろんです、子供の頃からずっと継続的に彼らから多くのことを受け取ってきました。両親ともにヴァイオリニストで、僕は二人の演奏を聴くことが大好きでしたから。 ◇◇◇ というわけで、演奏同様、おしゃべりをしていても独特の空気感を漂わせるカントロフさんのお話でした。 ところで、1次予選でカントロフさんの演奏を聴いたときの衝撃、今も忘れられません。 弾き方も自由で歌い回しも個性的だったことにも驚いたんですが、それ以上に、深い音をごうごうと鳴らしあう混濁の一歩手前みたいな響きに、背中がぞくっとするような、内臓をぎゅーっと掴まれるような感覚を味わいました。 1次予選の記事でわたくし、こわいこわい書いていましたが、本当に畏れみたいなものを感じたんです。このピアニストが、リストやラフマニノフの楽譜からああいう音を想像するということも、実際にそれを鳴らせるということにも。(ちなみに、帰国して諸々の原稿を書き終わって初めてインターネット配信を聴き返してみましたが、配信のほうが響きがスッキリ聴こえるように思います。やはりあのゾワゾワ感は会場ならではの感触だったのかも…当然といえば当然ですが) 1次予選のあと、この内臓掴まれたちょっとこわかった感触をご本人にも伝えたいと思って(体験したことのない感触だったから)、よくない意味で受け取られる可能性を心配しつつもオブラートにつつむこともなくそのまま言ってしまったんですが、「へぇー、そう!? サンキュー」という返答をいただき、ちゃんと賞賛してるって伝わってよかったと思いました。 そんなわけで、あの音を出す秘密は?とお尋ねしてかえってきた言葉に、ものすごく納得してしまったのでした。そういう考えで響きを追求しているから、ああなるのねと…。 それにしてもカントロフさん、見かけるといつもワインレッドの何かを着ているんですよ。すごく気に入っている色だとか、はたまた験担ぎだとか、なんかあるかなと思って聞いてみたところ、「確かにこの色は好きだけど、よく考えないでスーツケースに洋服を入れて持ってきちゃったから」という返答でありました。でもこのお色似合ってると思います。 あと、メリニコフさんのインタビューでも話題に出しましたが、カントロフさんも、独特の声色(喋る声のほう)の持ち主ですよね。それでピアノでもああいうまろんとした音をお出しになるので、「本人の声色と楽器の音色似てくる説」は、わりと信憑性あるかもしれない、と思いました。”
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チャイコフスキー国際コンクール出場者の演奏会情報&おまけ話
“随分時間をかけてしまいましたが、ようやく現地でとってきたインタビューをご紹介し終えたところで、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門に出場したコンテスタントの一部の来日公演情報をご紹介したいと思います。(チェックしきれていないものもあるかと思いますが…すみません) まずは、入賞者ガラコンサートです。 こちら、ピアノ部門は当初発表されたカントロフさんが来日できなくなってしまって残念なのですが、コンチェルト公演にはドミトリ・シシキンさんが、リサイタル公演にはアレクセイ・メリニコフさんが出演します。どちらも、生音をぜひ体感していただきたいピアニスト。プログラムなどはリンク先をご覧ください。 コンチェルト公演 10月7日(月) 岩手県民会館 大ホール 10月8日(火) 東京芸術劇場 コンサートホール 10月12日(土) ザ・シンフォニーホール 10月13日(日) 山形テルサホール リサイタル&室内楽公演 10月9日(水) ノバホール 10月10日(木) 愛知県芸術劇場コンサートホール アレクセイ・メリニコフさんについては、 いつもナイスなセンスで若手ピアニストを招聘していることでおなじみ、 横浜市招待国際演奏会での来日も決まっています。 こちらには、セミファイナリストのアレクサンドル・ガジェヴさんも出演予定。 2019年11月4日(月・休) 横浜みなとみらいホール 小ホール コンスタンチン・エメリヤーノフさん(第3位)は、 毎年カワイ表参道で開催されるロシアン・ピアノ・スクールin東京に、 どうやら招聘学生として参加するみたいです。なんて豪華な招聘学生。 マスタークラスに加え、もしかしたら受講生による演奏会で演奏を聴けるのかも。 2019年8月11日(日)~8月15日(木) カワイ表参道 アンドレイ・ググニンさん(セミファイナリスト)は、9月に来日予定。 とても凝ったプログラムで、すごくおもしろそう! 2019年9月27日 (金) すみだトリフォニーホール小ホール アルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフさん(セミファイナリスト、ニコラーエワのお孫さん)も9月に来日。 ショパンのバラード4曲+ロシアものという、これまた聴きごたえ大のプログラム。2019年9月15日(日)東京文化会館 小ホール 第2位となった藤田真央さんは、入賞前から決まっていたコンサートも含めてかなりたくさんの公演があります。 きっとこれからも増えると思いますので、これはもう、藤田さんの公式サイトをご覧くださいませ。そして藤田さんが風間塵の吹き替えピアノで出演する映画「蜜蜂と遠雷」は、10月に公開されます。 …というわけで、ここからはこれまでのレポートでお届けできなかったおまけのお話です。 まず藤田真央さんといえば、このツーショット! なんと宇宙飛行士の野口聡一さんが、モスクワの会場にいらしていたのです! クラシック音楽がお好きだそうで、今回はコンクールファイナルとガラコンサートをお聴きになったとのこと。ガラコンのあと、藤田さんに宇宙に行くときにつけていたワッペンと思しきものをプレゼントしていました。 それで、普段芸能人とかに遭遇してもテンションが上がりにくいわたくしですが(多分なんらかの神経が死んでるんでしょうね…)、野口さんを前にテンションがあがってしまい、突然にインタビューを申し込んでしまいました。以下、野口さんにお付き合いいただいたミニインタビューです。 ◇◇◇ ーコンクールの演奏をお聴きになって、いかがでしたか? モスクワ音楽院の大ホールで3日間ファイナルを聴きましたが、独特の緊張感がありますね。真央くんの、弾いている途中はノッていて、終わったあとに見せるあの「終わったー」という表情に、頑張っているんだなぁと感じました。観客を巻き込み、心を掴んでいることが伝わってきて、同じ日本人として誇らしいと思いました。今日のガラコンサートもとても楽しそうに弾いていて、これからが楽しみです。 最終結果発表の様子もライブ配信で見ていましたが、真央くんとカントロフさんが最後二人だけ残り、名前が呼ばれたときのホッとした表情も印象的でした。 ぎりぎりまで自分を追い込み、緊張した2週間を過ごしたのだと思います。お疲れさまでしたと伝えたいですね。 ー藤田さんの予選は、配信でお聴きになったのですか? はい。インターネットで聴いていても、最初と最後で会場の雰囲気が全然違っているのがわかりました。 ーピアニストの緊張感を近くでご覧になって、宇宙に行く緊張感に共通するものは感じましたか?……すごいこじつけみたいな質問ですみません。 そうですねぇ。見ていて、ファイナルは特にオーケストラと共演しますが、そうすると、審査員への緊張感もあるでしょうけれど、聴衆やオーケストラは敵にも味方にもなるという緊張感もあるのだろうと思いました。真央くんは、観客も審査員も味方につけていたから、それが高い評価につながったのでしょう。 「緊張感を味方にする」ということができないといけないのだろうなと思いましたね。 ー実際に宇宙に行っている方にこういうことを聞くのもなんなのですが、すばらしい演奏って、聴いていると、宇宙を感じるというか…物理的な空間という意味の宇宙ではなくて、ホールの天井のようなものがなくなって宇宙に到達しているように感じるときがあるんですけれど。実際に宇宙に行かれている野口さんは、好きな音楽を聴いていてそういうことを感じるときってありますか? そうですね、僕は音楽については素人ですが、優れた音楽家の方は、音を鳴らすのではなく、一瞬にして会場の空気を全部支配するというか、まさにおっしゃるとおり、天井がぬけるという感覚をもたらしてくれますよね。そこがすばらしいなと思います。例えば今日(モスクワでのガラコンサート)のシシキンさんの最後の演奏も、グワっと会場全員のテンションが集まって、陶酔感とともに、天井がぬけるような感じをもたらしてくれた。そういうのが音楽の醍醐味なんだろうなと思います。 ◇◇◇ オーケストラと聴衆は敵にも味方にもなる。うまくいっている場面ばかり見ていると忘れがちですが、本当にその通りですよね、自然現象と同じく。 とはいえ見返してみると、わたし、まあまあアホみたいな質問を投げかけているんですが、それに調子を合わせて丁寧に答えてくださっている野口さん…優しい。私、概念としてのコスモスみたいなものと、実際の宇宙空間との共通性の有無みたいなものに、子供の頃から妙に関心がありまして。ここぞとばかりに質問してすみませんでしたと野口さんに言いたい。 でも、このくらい寛容で、なおかつ緊張感を味方につけることができるようでないと、未知なる超高度な何かを相手にする宇宙ではやっていけないのでしょうね。 (野口さんがロシアにいらしていたのは、この任務のためだったんですね) さて、話はそれましたが、引き続き藤田さんの話題。 インタビューでも、藤田くんは日々のお食事を楽しみにしていたようだという話をご紹介しましたが、演奏のある前日はゲン担ぎのカツ(コトレット)を食べるということでした。結果、期間中全部で3回食べることになったそうです。 そのうちの一度、お母様やマネージャーさん、関係者のみなさんにまざって、カツの集いに同席させていただく機会があったのですが、レストランに入ったグループ全員でカツを頼み、あとから参加した人も次々カツを頼むもんで、どんだけカツ好きの集団なんだよとロシア人店員さんに失笑される&カツの追加オーダーが入るとキッチンから「オーマイガー」という声が聞こえてくるという事態が起きていました。 せめて誰か店員さんに「カツっていうのは日本語で…」って説明してあげたほうがいいんじゃないかと思いましたけど。 (ロシアって肉料理頼むと、軽めの野菜の添え物とかなんにもなく、ただひたすら肉と芋が出てくること多い) そのほかモスクワ音楽院のすぐ近くにはTOKYOというレストランがありました。私も、一度そこでお寿司をたべたりしました。 (輝かしいお寿司たち) 藤田くんもランチによくここを利用していたみたいです。 中でも衝撃的だった出来事。 その日もいつものように、「今日もTOKYOでランチを食べたんですけどー」と、その詳細を教えてくれた藤田くん。添え物の小鉢の説明として、 「なんだっけ、今日はあれがついてた……”めくばせ”ー!」 と言っていました。 どうやら、「めかぶ」のことだった模様です。 ランチにそんな思わせぶりなものがついてたら大変です。 だいたい、「め」しかあってないし。   こちらは結果発表直前の、カントロフさんと藤田真央さん。ホールのホワイエでおしゃべりしています。 (このあと1位と2位になるということを、この時の彼らはまだ知らない…) ちなみにカントロフさん、結果発表はファイナルの翌日だと思っていたらしく、部屋でのんびりしていたら電話がかかってきてホールに来いといわれて、慌てて出てきたそうです。いつものワインレッドのシャツ姿に、毛糸のマフラーを握りしめていました。夏なのに。 最後に、いい声のカントロフさんのメッセージがこちらから見られますのでどうぞ。 2年前に大阪にいらしたときは、京都も東京も見ないで帰ったんですね。今回、残念ながらガラコンサートへの参加は叶いませんでしたが、いつか近いうちに来日して、日本のピアノファンのみなさんにあの音を届けてほしい!! 楽しみに待ちましょう。”
12月
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インドの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」のお話(ONTOMO連載の補足)
“この度、ウェブマガジンONTOMOで、インドの西洋クラシック事情にまつわるあれこれを書かせてもらえることになりました! 2018年に一年間、集英社kotobaでこのテーマの連載(第1回、第2回、第3回、第4回)をさせていただきましたが、今度の連載では、そこで書ききれなかったこと、その後追加で取材した話題を紹介していきたいと思います。 というわけで、書く場所を見失っていたいろいろなネタを嬉々として披露していくつもりなのですが、さすがに長くなりすぎて書ききれないことは、こちらのサイトにアップすることにいたしました。インドのクラシックにまつわる人々の生態に興味があるという奇特な方は、ぜひご覧ください。 さて、ONTOMO連載の第1回では、A.R.ラフマーン氏がチェンナイに作った音楽学校の中に設置されている衝撃的な音楽教室「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の話題を取り上げました(以前、kotobaで掲載した話題の緩やかバージョンです)。 とくにどこというわけではありませんが、チェンナイの街並み。南インドはまだルンギー(腰巻き)スタイルのおじさん多め インド生まれインド育ち、「インド人初のモスクワ音楽院卒業生」だというクラスの指導者、スロジート・チャタルジー先生とは、一体どんな人物なのか? どんなポリシーを持って教えていると、生徒がこういうことになるのか? ちょっと興味を持ってしまった…という方のために、チャタルジー先生との問答のロングバージョンをこちらに掲載します(ONTOMOとの重複箇所もあり。あちらの記事には、クラスの生徒の動画も紹介してあります)。 スタンダードな演奏法を見慣れている身からすると、いろいろ思うところもありますし、ダム決壊寸前レベルでみなぎる自信に圧倒される部分があるとはいえ、そこには、音楽の本質にまつわる核心をついた言葉もあり、日本のピアノ学習者にとって参考になる話もあるように思います。 ONTOMO内の記事に掲載しているクラスの背景、演奏動画などをご覧のうえで、どうぞお読みください! スロジート・チャタルジー先生 ◇◇◇ ━クラスに「ロシアン」とついているのは、ロシアン・ピアニズムと何か関係があるのでしょうか? このメソッドは、ロシアの奏法にインスパイアされてはいますが、基本的には関係ありません。クラス名に「ロシアン」と入れたのは、私が学んだ場所へのオマージュです。 モスクワ音楽院で学び始めた若き日、いかに自分の奏法に問題があるかを思い知りましたが、音楽院の先生は奏法を一から教えてくれません。そこで私は、そこから長く苦しみに満ちた奏法の変革を行い、自分のメソッドを開発したのです。 インドは貧しく西洋クラシックの伝統がないので、ロシアや日本のように長期間の訓練を続けることは難しい。そこで私は、たった1、2年の訓練で、演奏技術と音楽家としての精神が身につくメソッドを編み出しました。アメリカでピアノを教えていた貧しい子供たちは、すぐに結果があらわれないとドロップアウトしてしまうことが多かったため、どうしたら早く「弾ける」ようになるのか試行錯誤を重ねる中で見つけたメソッドでもあります。世界の他のどこにもこんなことは起きていません。あなたが今日目撃したことは、特別なことなのですよ! 私の人間性は大変インド人的です。生徒のために200%の献身をしています。私は彼らのために生き、呼吸し、与え続けていて、生徒たちは私と深くつながっています。私の生徒たちの演奏が心に触れるのは、私がピアノを教えているのではなく、人生を教えているからなのです。 ━ショパンなど、テンポを揺らした独特の解釈でした。テンポルバート、インテンポについてあなたや生徒さんたちはどうとらえているのでしょう。 テンポ感は、自然に感じるもの、自然と教えられるものです。私が細かく指示するということはありません。音楽は感情表現ですから、メトロノームのテンポでは奏でられません。 以前ある人が私に、ピアノ教育のノーベル賞が取れるのではといったことがありましたが、もちろんそんなことは起きません。それは、どんな国や地域にもそれぞれの文化があり、音楽について感じることに世界的なスタンダードはありえないからです。ラフマニノフやショパンについて、例えばロンドンの人が私と同じように感じるとは限りません。誰もが、自分の心にもっとも近いものをすばらしいと認め、受け入れるのですから、そこには違いが生じて当然です。 ━とはいえ、クラシックのピアニスを目指すアジア人の中には、その音楽が生まれた土地の文化を知るため、ヨーロッパなどに留学する人も多いですね。そのことについてはどうお考えですか? 私の学生たちについては、留学は必要ないと思います。すでに美しいものを持っているというのに、どうしてそれを変える必要があるのでしょうか。ヨーロッパの教育にもまた美しいものがあるとは思いますが、まずは自分が何を求めているのか、何が好きなのかをはっきりさせなくてはいけません。 いずれにしても、私は優れた「アクター」ですから、ある瞬間はロシア人に、ある瞬間はポーランド人、フランス人になって、この教室を、世界のあらゆる場所にすることができます。私の生徒は、チェンナイのこの教室にいながらにして、あらゆる経験をすることができるのです。 ━普段生徒さんたちは電子ピアノで練習されているそうですね。 はい、それについてはインドという環境の限界です。今この教室にある2つのグランドピアノは、支援者に寄付していただいたこの音楽院で一番いい楽器ですが、普段から私のパワフルな生徒たちが弾き続けていたらすぐにだめになってしまいます。もちろん調律師はいますからある程度の手入れは可能ですが、ピアノが古くなってしまった場合の修理は、ここインドでは簡単ではないのです。 私の生徒たちは、もちろんそれが最高の環境ではないけれど、喜んで日本のデジタルピアノで練習しています。でも、デジタルピアノであれば録音もできますし、メトロノームも入っていますからね。楽器も修理も安くすみます。 普段からアコースティックピアノで練習できていれば、みんなもっと良いピアニストになっていると思いますが、これについては限界です。 今日は日本からあなたが来てくれるということだったので、調律も入れて、特別にアコースティックのグランドピアノで演奏を披露しました。みんな久しぶりにこのピアノに触れたので緊張していましたよ。 ━もともと、チャタルジー先生はどのようにしてピアノを始めたのですか? 私の父が若き日、1930年代にダージリンを旅していたとき、ある家から聞こえてきたピアノの音に魅了されて、結婚したらピアノを持とうと思ったそうです。そして、父が29歳、母が16歳のときに結婚すると、すぐにピアノを買いました。母は近所のカトリックの教会で、ドイツ人のシスターからピアノを習ったそうです。やがて生まれた私は、母の真似をしてピアノを弾くようになりました。熱心に練習する私をみて、両親はとても心配したようです。…というのも、私がピアノを演奏することは喜びましたが、生業とすることは歓迎していなかったから。子供には音楽家ではなく医者や弁護士を目指させたいという考えは、インドでは昔ほどでないにしても、今もあまり変わっていません。 ですが私は自立した人間だったので、状況を自分で切り開き、奨学金を得てモスクワに留学することができました。 ━ロシアで得た最も大きなことは? 奏でる全ての音に魂がなくてはいけないという感覚です。一番重要なのは、楽器とのコネクションです。そんなコネクションをつくるためには、まずピアノにアプローチしなくてはならない。 例えば電車で美しい女性を見つけて、気になるけれどどうしたらいいのかわからないとき。彼女は自分を見ている。そういえば自分はオレンジを持っている…このオレンジをむいてそっと手渡せば、彼女は拒むこともなくオレンジを受け取ってくれるでしょう。そうして、どこにいくのと尋ねてみることで、コネクションをつくるのです。でもまずはアプローチしないといけない。オレンジを持っていて、それを渡そうとすることが、重要なのです。そこには多くの哲学があります。メカニカルでロボットのような感覚では、良い演奏ははじまらないのです。 ━生徒さんたちは、指の動かし方も独特ですね。そこには何か意味があるのでしょうか? ピアノは打弦楽器ですが、私のメソッドでは、ピアノは歌うことができます。骨なしの手が大切なのは、そのためです。そのために、たくさんの手のトレーニングを課します。もし手が固まっていれば、歌うことはできません。 ━生徒さんには、小指を横向きに倒して使っている人もいますね。 そう、よく気づきましたね! これこそ私の特別なメソッドの一つです。小指は一番弱い指なので、そこにパワーを与えるためにあのように指を使うのです。 水の入ったバケツを、両手を正面に伸ばした状態で上に持ち上げようとしても、うまく力が入らないけれど、左右に肘を開いて持ち上げたらどうでしょう。力が入って持ち上がるでしょう? 私はサイエンティストなんです。 ━身体の動きや表情もとても大きいですね。 演奏する際の見た目はとても大切です。演奏中、その顔の表情からは、痛み、喜び、勝利が伝わらなくてはいけません。すべての身体の動きも表現にとって意味があるのです。 ━日本ではときどき、「顔で演奏するな」と言われることもありますが……。 間違って捉えてほしくないのですが、彼らにわざと顔の表情をつけろといっているわけではないのです。私のメソッドでは、あなたがご覧になった通り、演奏していると音楽への愛情や思いが表情に出てきてしまうのです。 まだ人類が言語を使っていなかった頃、彼らはボディ・ランゲージで意思を通わせ、子孫を残しました。ボディ・ランゲージの力は大変なもので、言語はそのずっとあとからできた……むしろ嘘をつくためにできたものと言っていいかもしれません。身体の表現は、嘘をつきません。私のクラスでは、生徒たちは教室に来たら必ず私にハグをするという決まりがあります。それによって、私からの愛情が伝わり、彼らの愛も伝わってくるからです。そこに嘘は通用しません。 顔の表情はボディランゲージの一部ですから、音楽から感じた作曲家の感情を顔で表せばいいのです。私のメソッドは、音だけに関することではなく、ヴィジュアルとサウンドによるトータル・エクスペリエンスを生み出すものなのです。 音楽には魂があります。演奏者はあなたの前でその魂を見せる。これは教会での祈りのように、ほとんど宗教的な営みです。だからこそ、私の生徒たちの音はパワフルなのです。 ━こうした特別なメソッドについて、インドの他のピアノの先生方へのレクチャーは行わないのですか? しません。多くのインドのピアノ教師たちは、100年前のブリティッシュ・スタイルで今も教えています。そういう方々と、私は戦っています。 以前、ヨーロッパやアメリカから来た先生たちがいましたが、もちろん私とはメソッドが違い、彼らも私のやり方を批判しました。おそらくそこにはジェラシーもあったのでしょう。ですが、音楽院の創設者、A.R.ラフマーン氏は私のメソッドのすばらしさを信じ、このクラスを救ってくれました。 誰もそう簡単に私のやり方を殺すことはできません。私は強いですからね。たくさんの生徒たちもいます。私が年老いたあとも、私の兵士たちが戦ってくれるはずです。私は彼らを強く育て上げましたから。 ━インドには優れた伝統音楽の文化がありますが、西洋クラシック音楽にも親しむ必要があると思いますか? 先ほども話したように、私はとてもインド人的な人間です。西洋クラシックを勉強したからといって、西洋人のメンタルになるわけではありません。しかし他の国の音楽を勉強することで、より大きな人間になれるということは確信しています。 このクラスの最もすばらしいところは、それぞれが学ぶことによって人間として大きく成長できるという点です。私は歴史や地理についても多くのことを知っていますので、生徒にはロシアや中国、イギリスについて教えることもできます。私が教えていることは音楽のことだけではなく、総体的なことなのです。むしろ、音楽やピアノは口実といってもいいでしょう。 あなたは私の生徒たちが単にピアノを演奏しているのではないと感じたと思いますが、実際、彼らはピアノを通して人生を奏でているのです。 インドではまだ、西洋クラシックの文化は生まれたての子供のようなものですが、いつかロシアや日本のように豊かな伝統を持つようになるかもしれません。 ◇◇◇ どうでしょう。チェンナイの教室をヨーロッパにしてしまう話とか、電車でオレンジをむいて渡しちゃう例え話とか、ショパンのリズムについての話とか、えええ、と思うところもたくさんあると思います。 わたくし自身、なにせギャラリーが多かったので、オブラート何重にも包みながら質問をするという場面も多くなってしまいましたが、一瞬驚くような発言も、よく考えるとごもっともな話でむしろこちらの先入観を指摘されているような気持ちになり、うなってしまいました。 まとめの言葉はONTOMOの記事に譲りますが、何曲か弾けるようになりたい大人のピアノ学習などで活かせるところがあるのではないかと私は思いました。 このインタビュー(というより、ほとんど公開トークショー)の終盤、嬉しそうに話を聞いていた親御さんの一人が、「こんな話が聞けるなんて、なんてプレシャスな時間なのだ……」としみじみつぶやいていたのが印象的でした。 ちなみに「私もチャタルジー先生に習ったらめちゃくちゃ上達しますか?」と聞いたら、「教えてもいいけど、今まで勉強してきたピアノの演奏を一度全部捨てないといけないよ。新しい誰かと結婚したいなら、前のパートナーとは離婚しないといけないでしょう?」と、わかるようなわからないような例えで、チャタルジーメソッドへの一途な愛を誓うよう求められました。 おそるべし、チャタルジーメソッド。ONTOMOの記事でもコメントを紹介した脳神経科学の古屋晋一さんをいつかチェンナイにお連れして、このクラスで一体何がおきているのか分析していただきたいという密かな野望を抱いています。   ”
2018
1月
26
「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」発売
“「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社)が発売となりました。 彼女がいかにして国民的ピアニストとなったのか、時代背景も考慮し、 関係者の証言や昔の記事を掘り起こしてまとめた評伝です。 書いていて、自分で本当に楽しかった! 昭和という時代の熱量を受け止めながらスターの座にのぼりつめ、 生涯にわたって華やかな演奏活動を行い、 クラシック音楽界の“女帝”ともいうべき、圧倒的な輝きを放ち続けた人。 彼女なくして今の日本のピアノ界の発展はありえないと誰もが言います。 ざっくりと本書の内容の一部をご紹介すると、 このような感じになっています。 <本書のコンテンツより一部抜粋> ●リーダーシップの強さは子供の頃から ●あの斎藤秀雄にケンカを売る ●振袖を着た天才少女~NHK交響楽団の世界一周ツアー ●ジュリアードでの苦労とショパンコンクールでの成功 ●大衆人気と玄人筋の評価のはざま ●共演者から見た中村紘子 ●中村紘子が求めた音 ●審査員席の中村紘子が語ったこと ●変化するコンクール審査員界の潮流 ●中村紘子の覚悟 評伝の紹介としていきなりこんなことを書くのは少し変かもしれませんが、 中村紘子さんのファンの方はもちろん、むしろそうでなかった方にも、 さらに言えば、ちょっと苦手だった…という方にも、ぜひ読んでいただきたい。 というのも、彼女が音楽界のために行ったことはとても大きかったと同時に、 あまりにパワーのある女性だったので、 恐れられたり、言動が批判的にとらえられることもあったと思うから。 そんな中でも、中村紘子さんは、ピアニストとして、女性として 覚悟を持って力強く歩んできた方でした。 今回この評伝を書いていく中で、彼女がまだ少女時代の頃の記事を調べていくと、 あの強そうに見える中村紘子さんが人知れず辛い思いをしていたときもあったこと、 それを乗り越えさせたのは、10代の頃に持ったピアニストとしての覚悟だったのだと 改めて知ることになりました。 …実は私自身、自分が中村紘子さんの評伝を書くことになるだなんて、 思ってもいませんでした。 最初にお話をいただいたとき、イヤイヤ…もっと個人的に親しかったとか、 同じ時代を知っている書き手の方はたくさんいるだろうに、 私で書けるのだろうか、さらに言えば、 私はコンクールの取材をしすぎて、いろいろなことを見聞きしているだけに、 ちょっと気が進まないぞ…というところがあったのです。 でも今回、高度経済成長とバブルという特殊な時代背景、空前のピアノブーム、 時代とともにさまがわりしていった女性を取り巻く社会環境、 そしてなにより戦後のピアノ界の変遷というものと、 中村紘子さんの生きた時代を重ねて考えるという主旨だったことで、 それなら、ぜひ挑戦してみたいと思ったのでした。 それにやっぱり、中村紘子さんという方は唯一無二の存在だったと思うから。 評伝の中では、そういう社会的な事象への考察もしていますが、 もちろんネタの宝庫ともいうべき「中村紘子親分」の伝説の数々を紹介しています。 本の中では、「キャリアの確立」「憧れの存在となる過程」「音楽への考え」 「審査員として業界を牽引した時代」「日本の未来への提言」にテーマをわけて、 その生涯と音楽をたどっています。 その中で、長年ので共演者である堤剛さん、指揮者の秋山和慶さんや大友直人さん、 中村紘子さんが見出した才能であるチョ・ソンジンさん、 コンクール界の重鎮ドレンスキーさん、マネージャーさんや、 ヤマハ、スタインウェイの調律を長年担当した調律師さんなどに、 いろいろなお話をお聞きしました。 中には、あんまり親しくなかったであろう方にもお話を聞いて、 紘子さん、なんでこんなことおっしゃってたんでしょうねぇ?というテーマについてご意見をいただいています。 結果的に、中村紘子さんには編集者時代に大変お世話にはなったけれど、 ものすごーく親しかったというわけではない立場だからこそ書けたこと、 見えたことがあったのではないかと思いました。 (もちろんその逆があったことも、わかってはおりますが…) 私が中村紘子さんに直接お会いしたのは、 だいたい国際コンクールの取材で講評をお聞きするときでした。 今こうして中村紘子さんが歩んできた道を知ったうえで、改めて、 もっとつっこんでいろいろなお話を聞いてみたかった…と思います。 2018年1月26日、いよいよ発売、ということで、 何回かにわけて、本の内容や執筆裏話をご紹介していこうかなーと思います。   『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』 高坂はる香 著/集英社 1,700円+税/四六版/320ページ 2018年1月26日発売”
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中村紘子さんと調律師さん
“引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。 今回この評伝を書く中、最初に節全体の文章がまとまったのは、 長年、中村紘子さんを担当していた調律師さんのお話のところでした。 わたくし、調律師さんにお話を聞くのが昔から好きなので、 インタビューをしたそばからすぐ文章をまとめたくなったという、そんな理由。 今回主にお話を聞いたのは、スタインウェイを担当していた外山洋司さんと、 ヤマハを担当していた鈴木俊郎さんです。 外山さんは当時他に、外国人ならブレンデルさん、ペライアさんや、エマールさん、 日本人なら横山幸雄さんや仲道郁代さんをご担当していた調律師さん。 鈴木さんも、人気ピアニストの公演のインターミッションで作業をしているのを それはもう本当によくお見掛けします。 コンサートの日、彼らは朝から先にホールに入って作業をしているわけですが、 その後、お昼過ぎに紘子さんが会場入りしてからの緊張感。 ……話を聞いているだけで胃が痛くなります。 海外のコンクールで調律師さんの取材をしていると、 欧米の調律師さんには「本番が始まればどうにもならないし、別に緊張しないけど」 とか言う方も多いんですが、日本の調律師さんは仕事も気遣いも繊細で、 すごく親身になって緊張して本番を聴いている方が多いんですよね。 そのうえ相手が中村紘子さんとなったら、その緊張度は相当でしょう。 とくに、戦後、コンサートグランドピアノの製造を本格的に始めて世界を目指し、 それこそ日本のピアノ界の発展を牽引したヤマハの調律師さんの話など、 「プロジェクトX」みたいなノリです。 『男は当初、このピアニストに名前すら呼んでもらえなかった』 …的なナレーションが入りそうな出会い。 ヤマハの鈴木俊郎さんが最初に中村紘子さんを担当することになったのは、 紘子さんが40代半ばと最もノリノリだった頃のことなので 相当、こわかったらしいです。 (メディア関係で、取材現場でドキドキ体験をしたという話は、 だいたいこの頃くらいまでの紘子さんのエピソードですよね… もちろん、愛情のある厳しさゆえだと思いますけどね、という補足) 中村紘子さんが調律師さんにどんな音をリクエストしていたのか。 その話からは、特有の高い椅子で弾くスタイルが確立された理由も見え隠れします。 (けっこう、ほー、そういう見方もあるのね、と私もびっくりしました) そして、調律師さんの視点だからこそ感じる紘子さんの音や音楽の魅力も たっぷり語ってもらっています。 2015年ショパンコンクールのドキュメンタリー「もう一つのショパンコンクール」で 調律師さんのお仕事に関心を持たれた方にも、 けっこう楽しく読んでいただけるのではないかなと思います。 で、何より今回私が嬉しかったのは、これはこのページに限らないことなのですが、 証言者のみなさん、 「インタビューのときはつい言ってしまったけど、それ書かないでー」 というようなことをあまりおっしゃらず、 けっこういろいろ、そのまま載せさせてくださったこと。 みなさんが本の主旨を理解して、 楽しんでいろいろなエピソードを披露してくださったおかげで、 中村紘子さんの姿を、 生き生きとスリリングに描くことができるようになったのではないかなと。 ありがたいことです。   『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』 高坂はる香 著/集英社 1,700円+税/四六版/320ページ 2018年1月26日発売”
31
チョ君のすべらない話
“引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。 自分で書いたもののことではありますが、 本の中で何ヵ所か、なんとなく気に入っているくだりというのがあります。 その一つが、チョ・ソンジンさんにお聞きした、 中村紘子さんとの思い出についてのコメントなんですよね。 (1月30日のオペラシティ公演後、本を抱えて写真におさまっていただきました) 昨年5月の来日時、中村紘子さんについての思い出を聞かせてもらいました。 チョ君はしっかり一つ一つの話に、 わかるかわからないかくらいの微妙なジョークを交えながら、 いろいろな思い出を語ってくれました。 それをキャッチすることを楽しみとする自分としては、 まさに「すべらない話」を聞いているかのようなおもしろみ。 (誇張することなくそのまま書いたので、 多分本の中ではほとんど伝わってないと思いますが) その話の中には意外なエピソードも多く、支援すると決めた相手に対して、 中村紘子さんが貫いた姿勢のようなものを垣間見ることになったのでした。 中村紘子さんと若手ピアニストというテーマを語れば、 感謝して頭が上がらないという人もいれば、その逆(!)もいるのが正直なところ。 これは、パワーをもって何かを動かせる人だったからこそのことかもしれません。 チョ君の話を聞いていておもしろかったのは、 公ではめちゃくちゃ褒めてくれるけど、一対一になると厳しいという話。 逆ツンデレかよ! と思わずつっこみたくなりましたが、 そんな中で教わったこと、気づいたことについても、チョ君は語ってくれています。 あと、もう一つ印象的だったのが、 「紘子先生は商業主義的なピアニストを嫌っていたから…」という話。 その教えもあってか、チョ君はショパンコンクール優勝後、 韓国でアイドル的人気となったにもかかわらず、活動としては、 クラシックの演奏家としての正統的なものを注意深く選んでいるようです。 そんな話を聞きながらふと思ったのは、 若いチョ君(それにもちろん育った国も違う)は、 中村紘子さんが若き日にアイドル的人気を集めていたことを知らないんだよな、 …ということ。 30代の紘子さんの新婚生活やデートした場所がメディアで取り上げられた記事、 ピアノを弾きながら目玉焼きを焼いているテレビの映像を見たら、 びっくりするかもしれません。 カンのいい方なら察してくれるかなーと思って、 本書の中で、そのあたりのことは皆まで語っていませんが、 実はそんなことも、書きながら私は考えていたのでありました。   『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』 高坂はる香 著/集英社 1,700円+税/四六版/320ページ 2018年1月26日発売”
2月
09
「女性ピアニストのイメージ」と中村紘子さん
“引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。 今回本を書く中で強く意識したことのひとつに、中村紘子さんがスターの座にのぼりつめた時代は、社会におけるジェンダーについての考え方が、すごい勢いで変化していった時代でもあるということがありまして。 私はある時期から、あんまりそういったことを意識しないで生きるようになったほうなので、久しぶりに改めてその界隈のことを考えました。 (身体的な差異は明確だし、女性であることによる不利、有利の差はあるかもしれないけど、それは個々の人類の差異の一つでしかないような気もするから、気にして立ち止まることになるくらいなら考えないほうがいいと、いつしか思うようになってしまった。でももちろん、もっと複雑な問題や越えられない壁があるのは理解してます) さて、そんなこの本の中のジェンダー論的な要素などについて、吉原真理さん(ハワイ大学アメリカ研究学部教授)が、ご感想を書いてくださいました。 吉原さんとは、辻井君とハオチェンさんが優勝した回のヴァン・クライバーンコンクール取材中に知り合いました。 思えばもうずいぶん前。なつかしいな。 https://mariyoshihara.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html 「アジア人はいかにしてクラシック音楽家になったのか?」など、 人種、ジェンダー論にかかわる学術的なご著書も多く、クライバーンのアマコンに出場されるほど本格的にピアノを弾く吉原さんは、私が書きながら、読む人に拾ってほしいな~と感じていたところを、ことごとく拾ってくださってます。 (ちなみに、普段からツイッターなどでそういうご感想を見かけることがあると、 すごくうれしくなります) まず吉原さんは、知っている人(私)が書いた本でなかったら、おそらくこの本を手に取っていなかった、という冷静なスタンスで読み始めたようなんですね。 中村紘子さんは、とにかくめちゃくちゃすごい。 日本のピアノ界にとってなくてはならない存在だった。 でも、なぜだか不思議と興味がわかないのよ、という人。 ピアノを真剣に勉強していたりクラシックが大好きだったりする方の中で、一部ではあるけれど、けっこうな頻度で遭遇します。 そのことは、評伝を書く上で聞き取りをしている中で改めて実感しました。 吉原さんは、自身もそうだった理由を、この本を読みながら考えてくれたわけです。 中村紘子さんが女性ピアニストのイメージを決定づけた、そのことがご自身に与えた影響について思いを巡らせてくれたわけです。 あー、うれしい読み方!! この本を書きながら感じていたことのひとつに、読者のみなさんにも、中村紘子さんのスリリングな人生を追うだけでなく、自分の体験についてもう一度考えたり、壁をどう突破するかについてヒントを得られるようであってほしいというのが、 実はありまして。 私自身、最初、自分には引き受けられない…と思ったこの評伝執筆の仕事を受けてよかったと思った理由のひとつは、中村紘子さんの人生を追うことで、日本から出て活動するうえで考えるべきこと、女性であるということへの考えかた、覚悟を決めたことへの姿勢について、改めて思いをめぐらせる機会が持てたから。 (中村紘子さんの考え方、やり方のすべてに共感するという意味ではなく) なので、この吉原さんのご感想を読んでから「キンノヒマワリ」を読めば、読者のみなさんにとっても発見が多くなりそうだなと思って。 そういうわけで、うれしいのです。 私が時々「中村紘子さんファンでなかった方にも読んでほしい」と書いているのは、単にこれを読んで紘子さんを好きになっておくれ!という意味ではなく、もうちょっといろんな意味があったのでした…。   『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』 高坂はる香 著/集英社 1,700円+税/四六版/320ページ 2018年1月26日発売”
3月
21
「kotoba」春号でインドの連載がスタート
“中村紘子さんの本が発売されて、 本当ならいろいろ内容の紹介などしたほうがよいところ、 すぽんと1ヵ月近くもインドに行ってしまって、戻ってきました。 (大都会ムンバイの街並み) とはいえ、今回のインド行きは、単にカレーを食べまくったり遊んだりしに行っていたわけではなく(実際、カレーは食べまくっていましたが…)、 れっきとした理由というか、成し遂げるべきミッションがありました。 そのうちの一つが、 今年1年間、集英社の言論誌「kotoba」で書くことになった連載のためのリサーチ。 一部の人々の間で注目を集めているインド社会の現状を、 西洋クラシックの受容の様子から読み解いてみましょうという、 良く通ったな〜という企画です(ありがたや)。 実はもうこの第1回はすでに、先日発売の春号に掲載されています。 初回は導入ということで、こんな内容を取り上げました。 「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~ 第1回 巨象インドの音楽事情 ・西洋クラシックがインドでほとんど受け入れられてこなかったわけ (旋律のインド、和音の西洋/植民地支配時代のインド・ルネサンス) ・ベートーヴェンやワーグナーがインドから受けた影響 ・舘野泉さんが1980年ごろインドでコンサートをした時の話 ・1960年のN響世界ツアーがデリーからスタートした話 ・最近のインドでの西洋クラシック人気の様子 連載は、このあと3回続きます。 今後話題は、インドの音楽学校事情、現地でのヤマハさんのがんばりっぷり、 ロシアン・ピアノ・スタジオ(byインド人先生)の驚きの現状、 メータさんの話など、どんどんディープになってゆく予定…どうぞお楽しみに。 ちなみにこの号の巻頭特集はブレードランナーということで、 熱狂的ファンの間で話題らしく、売り切れ続出みたいです。 ブレードランナーファンに、 果たしてインドのクラシック音楽事情というダサめのトピックスはささるのか…。 あと、井出明氏の新連載、「ダークツーリズムと世界遺産」もおもしろかった。 ポーランドのオフィエンチム(アウシュヴィッツ)の話などが載ってます。 私も、以前この場所を訪ねたときのことを旧ブログにアップしていますが、 現地に行っていろいろ考えたことを思い出しました。良い雑誌。 「kotoba」、普通の本屋さんで見かけることは少ないですが、 蔦屋書店的なお洒落本屋さんにいくと、よく置いてありますよ。 見かけたら、ぜひお手に取ってご覧くださいませ!”
31
中村紘子さんの演奏(N響 ザ・レジェンドを聴きながら)
“3月31日の夜にNHK-FMで放送された「N響 ザ・レジェンド」で、 戦後クラシック界を支えた日本人演奏家として、中村紘子さんが特集されましたね。 中村紘子さん16歳、振袖姿で参加したN響世界ツアーの演奏が少し紹介され、 あとは、30代の頃コンドラシンと共演したラフマニノフ3番、 そして若い頃から共演を重ねた指揮者秋山さんと、60代半ばに演奏したショパンの1番が放送されました。 10代、30代、60代の演奏をそれぞれ聴くことができた形です。 (ドナルド・キーンさんが、「彼女は一般の人に人気があるからとラフマニノフやチャイコフスキーばかり弾いていたけど、退屈だったのではないか」なんてインタビューで話している記事を見ましたが、ショパンの1番も相当な頻度だったでしょう) 評伝を書いていたときは、紘子さんが夢に出るほど録音を聴きまくっていましたが、 今夜はそれ以来で久しぶりに彼女の演奏を聴きました。 まったくの余談ですが、書いている間、中村紘子さんが夢に出てきた回数は2回。 1回目の内容は忘れましたが、2回目のときは、「なんか気持ち悪い」と言い出した紘子さんをおんぶして階段をのぼる…という内容でした。 起きたとき、なぜか使命を果たした感がありましたねー。 さて、中村紘子さんの演奏については、多くの方がそれぞれの印象をお持ちだと思います。 私も今夜は改めて、中村紘子さんの演奏はどうしてこのようだったのかということを考えていました。 (もはや演奏が好きだとか嫌いだとかいうより、考察の対象となりつつある…) 若い頃から晩年まで、いろいろな録音を改めて聴きなおした中で、 自分が心惹かれたもののひとつは、例えばもう本当にお若い頃、 ジュリアードに留学し始めたくらいのチャイコフスキーの録音。 力強い音にも、歌いまわしの揺れにも爽やかさがあって、なんだかいいのです。 あとは、やはりお若い頃の録音で、ショパンコンクール入賞直後、 コンクールの指揮者でもあったロヴィツキと共演したショパンの1番の録音。 ショパンの歌の揺れがやっぱり爽やかで、熟してきたあとの演奏とはまた違った感じ。 晩年の演奏でいえば、2014年に録音されたショパンのマズルカが良かったです。 中村紘子さんのショパンの演奏で良く聴かれる大胆なテンポの揺れが少し抑えられていて、 色々質素だった社会主義時代のポーランドっぽい(?)魅力というか、 何かそういう意外な表現に出会って驚きました。 …で、私、先ほどからショパンの演奏の揺らぎについて書いているのにお気づきかと思いますが、ここ、中村紘子さんの演奏について好みが出るポイントのひとつではないかなと思ったりします。 今回本を書く中、現役のピアニストの方たちはどうお考えなのだろうと思って、 ちょこちょこ、国内外問わず聞いてみたんですよ。 そうしたら、驚くことに。ちゃんと演奏を聴いたことがないという人がわりと多いんですよね。 評伝の中に登場する方でいうと、舘野泉さんや横山幸雄さんなどが一例。 そんな中、本をお読みの方もいると思うので改めてここには書きませんが、チョ・ソンジン君の中村紘子さんの演奏についての評は、なかなか興味深いものがありました。 もうひとつ、中村紘子さんの演奏といえば、高めの椅子に座って、上から華麗に鍵盤を叩く姿。改めてここも好みが出るポイントだろうなと。 評伝の中では、そのあたりについても人々の意見を求めているわけですが。 今日の放送でラフマニノフの3番を聴いていて、小さな手の持ち主だった中村紘子さんが大好きなロシアものを弾くにあたって、 めいっぱいロシアらしい華やぎを再現しようとした結果があの音だったのではないかなとか思いました。 …彼女は理想に向かっていつも戦っていたのかもしれません。 今日のラジオ放送では、ナビゲーターの檀ふみさんが池辺晋一郎さんに、 「紘子さんは旅行に二の腕を鍛える器具をお持ちになるとおっしゃっていたので、 ケンカしたら負けていましたよ」なんておっしゃっていましたが。 (「ケンカしたら」って、殴り合いのケンカってこと?? 笑) とにかく色々な意味で、ご自分のキャパシティと求める理想の音楽のはざまで 最後まで試行錯誤をし続けていた方なのだろうと思いました。   『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』 高坂はる香 著/集英社 1,700円+税/四六版/320ページ 2018年1月26日発売”
5月
16
クライバーンコンクール入賞者たちが日本に来ます
“2017年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。 まだ開催から1年経っていないんですね。 個人的には、昨年後半から今年の前半にかけていろいろなことがありすぎたせいか、 もはや遠い昔の出来事のように感じます…。時が経つのが遅い。 このときの入賞者3名が、今年から来年にかけて続々と来日するそうです! まず、6月に来日したあと再び10月にやってくるのが、 浜コン入賞でもおなじみ、クライバーンでは第3位だったダニエル・シュー君。 2018年6月15日 東京/浜離宮朝日ホール 2018年6月17日 愛知/宗次ホール 2018年10月23日 大阪/茨木市総合クリエイトセンター 2018年10月27日 岐阜/バロー文化ホール 2018年10月28日 埼玉/さいたま彩の国芸術劇場 以前にも何度かこのサイトでコメントをご紹介していますが、 6月のリサイタルについては、「ぶらあぼ」に最近行ったメールインタビューも掲載されています。 明るい元気溌剌ボーイと見せかけて、突如、人の深層心理にまつわる考えを語りだす… そういえば演奏もちょっとそんな感じです。音は明るいのに、なにかを抱えている感じがする。 そして、第2位のケネス・ブロバーグさん。 私にとっては、あの独特の硬質な音の印象がものすごい。 審査員の児玉麻里さんがとても高く評価されていました(インタビューはこちら)。 ブロバーグさんは、横浜招待に出演し、名古屋の宗次ホールでもリサイタルをするみたい。 2018年11月17日 横浜/みなとみらいホール(横浜市招待国際ピアノ演奏会) 2018年11月19日 愛知/宗次ホール ちなみに、去年ダニエル君がSNSにアップしていた写真のブロバーグさんは、 ヒゲ&前髪ロングでなんだかイケてる雰囲気だなと思いました。 (彼、短髪だと金融系のビジネスマンみたいな感じしませんか、完全にイメージですけど) 撮影は、自撮りの腕を上げたソヌさん。 そして、優勝者のソヌ・イエゴンさんは、来年の1月に来日するみたいです。 これまでにも仙台コンクールの優勝者として何度か来日していますが、 クライバーンコンクール優勝後は初めてとなる日本ツアー! 完成度の高い堂々とした演奏が光るソヌさんですが、 アメリカ各地での華やかなコンサート活動を経てどんなふうに変化しているのか楽しみです。 若い方の演奏って、短期間でものすごく変わることがありますからねぇ。 仙台コン優勝時からの見た目的なイメチェンっぷりもすごかったですが。 2019年1月19日 静岡/静岡音楽館AOI 2019年1月20日 愛知/宗次ホール 2019年1月22日 東京/武蔵野市民文化会館 2019年1月24日 三重/三重県文化会館 2019年1月25日 東京/銀座ヤマハホール 2019年1月27日 宮城/宮城野区文化センター パトナシアター ところで、なつかしい2017年のクライバーンコンクールの現地レポートは こちらにまとめてあります。 コンクール事務局長ジャックさんのお話など、自分でも読み返して、コンクールの在り方について改めてうーむと考えてしまいました。 予算内でただ開催すればいいというのではない、高みを目指してコンクール自体が進歩しようとしている、そんな感じ。 日本の国際コンクールにも、見習うべきアイデアは多いのでは。”
6月
06
ピリスさんにインタビューをして思ったこと
“ヤマハPianist Loungeで、マリア・ジョアン・ピリスさんのインタビューを書きました。 今シーズンで演奏活動から引退すると発表した彼女が、最後の日本ツアーを行っていた終盤で、30分だけ時間をいただけるということで行われたインタビューです。 引退を決めることになった背景にある想いについてもお聞きしています。 詳細はインタビュー記事をご覧いただきたいと思いますが、ピリスさんとお話をさせていただいて感じたことを、今日はちょっと書いてみたいと思います(長いです)。 ピリスさんがコンサートピアニストとしての活動からの引退を決めたその主な理由は、74歳という年齢を迎える今、常にストレスに押しつぶされかけながら生きなくてはならないコンサートピアニストとしての生活から離れたいからということ、そしてその時間を、社会や人のためになるクリエイティブな活動のために使いたいから、ということのようです。 根本にあるのは、記事のタイトルにもしましたが、「手に入れた何かを自分だけのものにとどめておけば、それはすぐ役に立たないものになってしまう」という考えでしょう。それは経験なのかもしれないし、持って生まれた才能のことかもしれない。もちろん生き方や価値観は人それぞれですが、自分はなんで生きてるのかなーと思った時の一つの答えはここにあるかもしれないですね。 そんなピリスさんが真剣な表情で語っていたことのひとつは、やはり今の音楽業界についての懸念でした。音楽やピアノを通して自分は世界を知った、それだけが音楽をする目的だというピリスさんにとっては、戦後、芸術と商業主義が結びついて勢いを増していったアーティストを取り巻く環境が、どうにも居心地が悪かったということのようです。(資本主義社会では、もうだいぶ大昔からそうだったのではないかという気もしますけど、度合いが増しているのは確かかもしれません) ピリスさんの話には、突っ込んでいけばある意味矛盾していることもあるんだけど、こちらが問いかけることに返してくれる言葉は、自分の胸にあるそのままといった感じで、それぞれの言葉にはハッとさせられるものがありました。 「自分が変わるということを許すことは、失敗を許すということ」とか、けっこう印象深かったなー。 で、そんな中でちょっと「絶望的な発言だなー」と思ったことがあります。 (ピリスさんも、こんなこと言って悪いけど、とインタビューの中でいっていますが) 常日頃、とりあえずチャンスを掴むまでの辛抱だと、ストレスを抱えながらコンクールに挑戦したり、意にそぐわない形でメディアに出たりしている若いアーティストの姿を見ることもありますから、聞いてみたんです、「辛抱して一度有名になれば、芸術家としてやりたいことができるようになるんではないですか」、と。 そうしたら、 「そんなことはありません、私が断言します」っておっしゃるんですよ。 (詳しくは記事参照) このご発言に関しては、ちょっと、むむ、と思う方もいるかもしれません。実は、ピリスさんがこういう風に話していたんですよねと雑談で何人かのピアニストに投げかけたところ、みんなそれぞれに納得いかないというリアクションでした。 すでに有名なある方の場合は「自分は好きなことやらせてもらってる。自由なフリなんてしてない」と。 これからという若い人の場合は「そんなこといったって、じゃあどうしたらいいんだ、ピリスさんは実際有名になったから、生活もできるんだし、斬新なプロジェクトでも支えてくれる人がいるんじゃないか」という。 いや、私もそう思いましたけど、さすがに時間の都合もあってこの話題だけ深掘りするわけにもいかず。しかし本当にピリスさんは”売れた”ところで自由はないと感じているんでしょう。「私はずっと戦ってきた」と言っていました。 あとはピアノや音楽の話題に加えて、やっぱり人生についての質問をしたくなってしまって。文字数の都合で記事に入れられなかったくだりの一つをご紹介したいと思います。 人間とは欲深い生き物で、安定や成功を手に入れることに気をとられていると、いざそれを手に入れても、結局もっともっとと次の何かを求めることになってしまう。永遠に満足しないことは、向上心があるということでもあるけど、あんまり幸せじゃないことのような気もするんですが。 そんなことを言ったら、ピリスさんはこう言いました。 「いつも何かを欲しがっているということは、あなたを不幸にすると思います。いつも何かに落胆するし、もっと欲しいと思い続けているうちに他人と協力し合わなくなる。そのままの人生を受け入れるという心構えさえ自分の中に持つことができれば、一定の幸せというものの存在を感じて生きることができると思います」 ピリスさんはきっと、権力欲のようなものがないのに、才能ゆえに注目が集まって、そのはざまで悩み続けた人なのでしょうね。 でも、それにまつわる問いを尋ねると、少し困った顔をしながら今の正直な気持ちを話してくれるわけで、本当に純粋な(そしてちょっと難しい)方なんだと思います。 そこで思い浮かんだのは、中村紘子さんのことですよ。 なにせ評伝を書いたばかりですから、その両極端な生き方についてまたいろいろ考えるわけです。紘子さんの場合は、業界を飼いならし、権力を手中に収めるという方法で(もちろんその背後に相当な努力や辛い思いがあったわけですが)、業界のために、自分のためにやりたいことをやっていった人でした。 評伝の中でも、紘子さんが20歳のときに社交の女王になろうと決意したと思われる瞬間のエピソードはじめ、「初対面の人には最初にガツンとやる人だと思う」という某関係者の証言も紹介しています。 「自分の持てるものを社会に還元したい」「若い人を育てたい」という同じ目的があっても、こんなにもやり方が違うんだと改めて思いますね。それも、この二人は、どちらもブレることなく、一生通してそのやり方を貫いていった女性たちなわけで。 それで、ふと気づいたら、二人は同年生まれ、誕生日2日違いでした。 第二次世界大戦終結前年、遠く離れた二つの国に生まれて、同じ人気者のピアニストとして活躍しながら、全く異なる生き方をした二人。それは、かつて世界各地に植民地を持ち、戦後のナショナリズムの動きの中でそれらを手放していったポルトガルと、アメリカの占領下でどんどん価値観を変化させられていった日本という、育った環境の違いなのか。いや、多分関係ないと思いますけど。個人差ですよねきっと。 というわけで話はそれましたが、今回はピリスさんとお話をさせていただいたことで、自分だけが良ければいいという考えはダサいなーというあくまで個人的な価値観を強くし、社会や世界の中の一人として生きるということへの考えを新たにしたのでした。 あれこれこみ入った質問をしてしまったんだけど、ピリスさんはキランキランの瞳で、ひとつひとつに丁寧に答えてくれて、最後はとても優しく握手をしてくださいました。”
10
「kotoba」夏号、インドの音楽学校事情
“集英社「kotoba」での、インド社会の現状を西洋クラシックの受容の観点から読み解くという連載。第2回の記事が、先日発売された夏号に掲載されています。   今回からはいよいよ、今年2月のインド現地取材でリサーチしてきた話題です。 内容はこんな感じ。 「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~ 第2回 西洋クラシック楽器を習う心理の裏側 ・楽器の名前も知らずに習いにくる ~コルカタ、デリーの音楽学校の場合 ・インドの楽器講師のレベルは? ・もはや趣味ですらない… 受験戦争対策としての楽器習得 ・チェンナイ、衝撃の「ロシアン・ピアノ・スタジオ」 ここ5年~10年ほどで急激に西洋楽器を習いたがる人が増えている、その理由はなんなのか。 ボリウッド映画やYoutubeの影響かと思いきや、実は、受験戦争を勝ち抜くための方法として西洋楽器が流行しているということもわかりました。 それにかける親の情熱には、インドの家族をめぐる社会システムも大きく影響しているという証言もあり、なるほど…と納得(詳しくは記事参照)。 日本だって受験戦争は熾烈ですが、インドの競争はそれはすごい。数年前、親たちがわらわらと校舎の壁をよじ登ってカンニングペーパーを渡す集団カンニング事件がニュースになりましたよねー。 そんななか、受験戦争などの世界からは隔絶された、ある意味超ピュアなピアノ教育をしていたのが、チェンナイの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」です。 ボリウッド映画音楽の大人気作曲家、ARラフマーン(ムトゥ・踊るマハラジャとか、スラムドッグ$ミリオネアの音楽を担当した人)が創設した、KM音楽院の中に創設されているコースで、先生は生粋のインド人、チャタルジー先生。モスクワ音楽院を卒業した初のインド人だそうです。 「私が開発したメソッドで勉強すれば、1、2年で誰でもヴィルトォーゾになれる」というのがウリ。 ネットでこのクラスの存在を発見し、猛烈な勢いで弾きまくる生徒たちの動画を見て、なんとしてもこの先生に会って話を聞かなくてはと思ったわけです。 実際にお会いして見聞きしたこと、完全インド化された独自メソッドについて先生が語ったことについて、記事の中で紹介しています。ちなみに、記事と連動して、クラスで撮影した動画が公開されています。 習って1年半〜5年の生徒たちです。 どうですかみなさん。 この演奏を披露されて、生徒の父兄まで集まっている教室で、チャタルジー先生から「さあどうだね? 彼らがショパンコンクールに出たらどうなるとあなたなら思う?」ってドヤ顔で聞かれる私の気持ち、わかりますか…。 ただ機械的に弾くというのではなく、音楽性やメンタルの指導もすごくしてるんです。ただそれが超インド流なので、最終的に音楽表現が(一般的な西洋クラシックの感覚からすると)とんでもないところに着地しているわけです。 その弾き方はめちゃくちゃだと批判することは簡単だけど、初心者から一音入魂で弾かせる濃すぎるアプローチ、インド流を自認するメソッドへのみなぎる自信には、見るべきところがあると思いましたよ私は…。 その辺りについての詳しい考察は、記事を読んでいただくとして。 ちなみにこのクラスの生徒たちにとってのヒーローは、ラン・ランだそうです。 その後チャタルジー先生とメールでやりとりをしていたら、「そういえば日本人にも、私のメソッドを彷彿とさせるような、すばらしいボディランゲージと表現力を持つ若いピアニストがいますよね。私も生徒たちもみんな、彼女の音楽に魅了されています」と。 そのメールの最後に貼られていたのが、小林愛実ちゃんが9歳のときのモーツァルトのコンチェルトの動画でした…。なんかいろんな意味で衝撃でした。愛実ちゃん、まさか遠いインドの国にファン集団が存在しているとは、知らないだろうな…。 kotobaは一般誌ですから、ピアノファンや学習者なら食いついてくれるであろう詳しいお話について全て書ききることはできませんでしたので、いつかどこかで発表できたらいいなと思っています。 ちなみにこの号の巻頭は、日記特集。すごく読み応えがあります! 井上靖さんや、湯川秀樹さん、加古里子さんの戦中の日記などとても興味深い。ベートーヴェンの日記についての平野昭さんの文章ものっていました。”
8月
10
マルク=アンドレ・アムランさんのお話
“先日のピリスさんに続き、考えさせられたインタビュー。 ヤマハ ピアニストラウンジ、マルク=アンドレ・アムランさんの記事がアップされました。 ピリスさんとアムランさん、二人に共通しているのは、いかに生きるか、ということにまつわる質問になってくると、じーっと言葉を選んで、丁寧に答えてくれること。インタビュー時間30分しかないっていうのに、無言でじぃっと向き合う時間が流れることもしばしば。 たまたま見かけた海外のサイトのインタビューで、アムランさんが、知られざる作品と超絶技巧作品の演奏で鳴らしていた若き日、 「ハロルド・ショーンバーグにスーパー・ヴィルトゥオーゾと評価され、最初はそれをみてすごく興奮し、自分のプロフィールに引用したこともあった。でも今や疫病のようにこの言葉を避けている」 …と話しているのを見まして。 そんな時代を経ての、今回のお話。 アムランさんは時間をかけて、「アーティストとしての自分の文化的な責任の認識」を確かにしていったんでしょうね。最終目的は、世界をより良いものにするということ。そのために自分に何ができるか。自分は何のために生かされているのか。 その答えはきっとこの後も変わっていくのかもしれない。ああ! ところで、作曲家として、「将来自分の作品を弾く人が私生活を研究するかもしれないことについてどう思うか?」という質問への回答は、予想どおりでおもしろかったです。だいたいみんな、いやだっていう。 それにしてもこのところは、アムランっていうと、若アムランくんのほう(2015年ショパンコンクール2位のシャルル=リシャールくんのほう)を思い浮かべる人が多いみたいですね。 おじさんのアムランさんのほうは、今回が12年ぶりの来日でしたし、時代の流れでしょうかね。インタビューをしたのは、東響とのブラームスの協奏曲のリハーサルの日だったのですが、事務局の方が「オーケストラの若い団員はアムランさんのことをあまり知らなかったみたいですが、リハーサルをやって、こんなすごいピアニストが!!ってびっくりしてましたよー」とのこと。 そうでしょう、そうでしょう。 あと去年ヴァン・クライバーンコンクール中にはじめてお話ししたときに思ったんですけど、アムランさん、いい声なんですよね。見た目のイメージに似合った、あったかいお声の持ち主なのでした。”
9月
23
「kotoba」秋号、メータと日本の楽器メーカーの奮闘のお話
“先日発売された、集英社インターナショナル「kotoba」秋号。 インド社会の現状を西洋クラシックの受容の観点から読み解くという連載、第3回の記事が掲載されています。 (表紙は、湿板写真で撮影されたビートたけしさん) 今回は、前半で、ズービン・メータの生い立ちと、彼が育ったムンバイの音楽事情について、後半では、キーボード流行の立役者、カシオの奮闘、 そしてヤマハの、インド人オレ流調律師との戦いなどについて紹介しています。 「インドはオペラを歌う」西洋クラシック音楽で大国を読む 第3回 インド市場、チャンスと困難が交錯する場所 ・ズービン・メータと、父メーリ・メータ ・ムンバイにある、インド唯一のプロオーケストラ ・インド人の好みはインド人に聞け…カシオの戦略 ・ヤマハの奮闘と、アコースティックピアノ市場 ・インドの調律師問題 ムンバイでコンサートビジネスを行うことの難しさについて、メータ財団のマダムに語っていただいたり、インド唯一のプロオーケストラ(SOI)を指揮した感想について、ワルシャワ・フィル音楽監督のヤツェク・カスプシックさんに伺ったりしています。 あとは、一時期、インドに毎冬通って、インドのピアノ学習者や先生方のためにピアノのワークショップを行っていた、ピアニストの青柳晋さんにも、現地で教えて感じたことについて伺っています。 ピアノ好きの皆さんに特に注目していただきたいのは、インド人調律師を育成しようとするヤマハさんの奮闘っぷりです。取材中、グチが出るわ出るわ(あ、そんなことバラしちゃまずいのかな)、とにかく大変そうでした。 でも、こうして根気強く続けて行くことで、何か新しい文化の融合が生まれたり、才能の発掘があったりするんでしょうね。 いずれにしても、総じてインド駐在を長くしている日本の人たちは、だんだんちょっとしたダメージ(側から見るとわりと大きめ)に対して鈍感になっていくんだなと思いました(褒めてます)。 そして「kotoba」秋号の巻頭特集は、「危ない写真」。これがすごくおもしろいです。 藤原新也さんが、人間中心主義や撮りたいものへの目線の置き方について話すインタビュー、ロバート・ケネディの棺を乗せた葬送列車からの風景写真や、ピーター・バラカンさんが読み解く、奴隷労働者の写真など。 報道写真の真実と虚構とか、プライベート写真の凶器化についての、写真評論家、島原学さんの文章も、興味深かった。 ”
2017
1月
07
ロマノフスキーとクライネフ・コンクール、そして大きな手について
“昨年末、自身が芸術監督と審査委員長をつとめる クライネフ国際ピアノコンクールの東京審査のため来日していた、 アレクサンダー・ロマノフスキー。 (これ、昨年中5回目くらいの来日だったのでは。) 名ピアニストで名教育者の故ウラディーミル・クライネフ氏の名を冠した ジュニア向けのコンクールで、13歳以下の部と、18歳以下の部があります。 以前はウクライナのハリコフで行われていましたが、 前回2015年からモスクワで開催されるようになったそう。 前回は子供部門で、日本の奥井紫麻さん(当時10歳)が優勝しています。 2017年は、3月27日~4月1日に、リサイタルとコンチェルトによるモスクワ大会を開催。 クライネフ先生といえばラフマニノフ弾きとして特に有名で、 さらに奥様がフィギュアスケートの名コーチ、タラソワさんだということも知られています。 門下には、河村尚子さんやイム・ドンミン、ラシュコフスキー、クリッヒェルなどがいますね。 ロマさまは、2013年からこのコンクールの芸術監督に就任。 世界各地で行われるオーディションの審査にもあたっています。 今年はこの東京審査をスタートに、 モスクワ、サンクトペテルブルク(ロシア)、北京、上海(中国)、 キアッソ(イタリア)、エレバン(アルメニア)を回るそう。 ロマさまが熱く語ることによれば、このコンクールでは、 海外に渡航するとなると負担が大きいと感じる才能ある子供たちのために、 世界各地であらかじめ審査をして、3次以降の2ステージをモスクワで開催。 参加者全員の渡航費宿泊費はすべてコンクールで負担することになっているそうです。 両部門とも、最終選考に進んだ5名はロシア・ナショナルフィルと共演できるので、 とても良い経験になるだろうとのこと。 さらに、結果については優勝者だけを選定し、 その他には全員にファイナリスト賞を与えるそうです。 コンクールであるからには、飛びぬけた才能は選び出す必要があるけど、 それ以外に順位をつけることなどできないし意味がないよ、と言っていました。 ロマさまは、自分自身コンクールがあまり好きでなかったようですが、 やるならできるだけ参加者にとって良い形で…という想いがあるのでしょう。 このとき、前回の参加者のハリトノフさんやマロフェーエフさんの演奏動画を 嬉しそうに次々見せてくれました。 もはや子供の自慢をするお父さんのような雰囲気でしたが、 そういえばロマさま、まだ今年33歳という若さ。 それでモスクワ文化庁的なものの支援も受けるこの大コンクールの 重要な役職を務めているのだから立派です。 ひとつ、ドッキリした発言。 子供や10代の参加者の才能を見極めることの難しさについて話していたとき、 こんなことを言っていました。 「まず、男女の比較が難しい。総じて女の子のほうが精神的な成長が早いから。 そしてもうひとつ、その後どれだけ成長し続ける人であるかを判断するのは難しい。 常に成長し続けている音楽家であるということは大切なことで、 これは若者だけでなくどんな年代の人にでもいえること。 長年トップアーティストとして活躍している巨匠にでも、 成長が感じられない人というのも確かにいて、僕はあまりそういう演奏には興味がない」 実はここで、具体的にいくつかの例を挙げながら意見を交換したのですが、 私個人の趣味嗜好からいくと、ロマさまの見解には共感する部分が多く、 うーむ、とうなってしまいました。 いつの時点で聴いても優れた演奏であることに変わりはないけれど、 その人を2年ぶり、5年ぶりに聴いたときになにか新しいものが感じられるかどうか。 とくに大ピアニストの場合、巨匠だと思って聴くとそれだけでありがたいような気になって、 そのあたりに鈍感になってしまうことも確かにあるかもしれない。 だから悪いということではないけど、敏感で正直な聴衆であるために、 「あれ?」と思ったら、その感覚も大切にしたほうがいいかもしれないと、思ったり。 さらに、意欲や好奇心を自然に持ち続け、吸収したものを消化して外に出せるということは、 すべての人にとって、とくに表現をする立場にある人にとっては 大事だよねとしみじみしてしまいました。 優れたレベルをキープして出し続けるだけでも、簡単ではないですけどね…。 さて、そんなロマさま、 このところいろいろな録音プロジェクトが進んでいるようです。リリースが楽しみ! 録音の話の中で、ふとラフマニノフのピアノ協奏曲2番の話になりました。 相変わらず手がでかいよね、あの最初の和音なんて、 弾こうと思った当初からなーんの苦労もなくつかめるんでしょう、と発言したら、 そりゃもちろんだよ、あれを押さえるのはそんなに難しいことじゃないよ、 You にだってできるって!とロマ様。 しまいにはピアノのところに連れていかれ、 ほら、こことここだよ、ほら!押さえて!としきりに言われるんですが、 手が大きくない上にサッパリ指の開かない私の手で、あんな和音一度につかめるはずない。 (実は以前試して、ちょっと物理的に無理すぎると思ってびっくりした) あまりにしつこく言われるので、だからできないっていってるでしょと、 半ばキレ気味に鍵盤の上に置いた、わたくしのこぢんま~りしたガチガチの手を見た瞬間、 ロマ様が出した、「ハッ」という息をのむような気配、見逃しませんでしたよ。 あまりのできなさ、残念な光景に、びっくりしたんでしょうね。 それにしたって、あれが人類なら誰にでもできると思ってもらっちゃ困るぞー。 2011年チャイコフスキーコンクール時に撮影。大きな手を見せつける(?)ロマ様 余談が多くなりましたが、 クライネフコンクール、一応演奏動画の配信なども予定されているようですので、 気になるピアニストがいたら、チェックするのも楽しそうです。”
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ニコライ・ホジャイノフ新春メッセージ2017
“今年も、なぜか毎年恒例となった ニコライ・ホジャイノフさんから日本のファンのみなさんへの、 新年のメッセージをお預かりしましたのでご紹介します! My dear Japanese fans! I wish all of you a Happy New Year! Thank you for ...”
3月
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ザラフィアンツがファツィオリを弾く
“5月18日(木)、豊洲シビックホールで、 ロシアのピアニスト、エフゲニ・ザラフィアンツさんのリサイタルがあります。 2017年5月18日(木)19時開演 エフゲニー・ザラフィアンツ ピアノ・リサイタル&美音トーク バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ ショパン:プレリュード集より12曲 ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番 使用ピアノはホール常設のファツィオリ。 …というわけでこの企画、ザラフィアンツさんのリサイタルに加えて、 ファツィオリ調律師の越智晃さん (ショパンコンクールのドキュメンタリーにも登場していた方)と ザラフィアンツさんによる、音にまつわるトークセッション付き という企画になっています。 そして私、このトークセッションの聞き手をつとめることになっております。 さて、ザラフィアンツさんの経歴といえば… ”ソ連時代、グネーシン音楽院在学中にした落書きによって、 不本意にも政治的な偏向を非難され、 その後モスクワで学ぶことを許されず、しばらく不遇の時代を送る。 しかし徐々に国内で頭角を現し、 1993年、プレトニョフの勧めで受けたポゴレリチコンクールで第2位に入賞し、 30代半ばにしてようやく国際的に名が知られるようになる” …という、どこから掘っていったらいいのかわからないレベルの、 濃い生い立ちの持ち主です。 (ちなみに、ザラフィアンツさんには何度かお会いしていますが、 いつもオーラがすごすぎてこの件について直接尋ねられずにいるので、 今ご本人がこの過去についてどう思っているのか、私にはわかりません) 現在、愛知県立芸大の客員教授を務めているため、日本も拠点の一つとしていて、 この種類の頭イイ人のご多分にもれず、日本語ペラペラ。 そのため、この音にまつわるトークセッションも普通に日本語で行われます。 求める音を引き出す秘訣、ピアノに求めるものは何なのかなど、 いろいろ語っていただくつもりです。 物事をズバズバおっしゃる方なので、 きっと刺激的なお話が聞けるのではないでしょうか。 ちなみに先日の打ち合わせで、 当日は、どんなピアノがいいピアノだと思うかについても お話ししましょうという話題になったとき、 根本的にはなんでもいいんだけどね、気にしない、と言い放ち (優れたピアニストあるあるな発言)、 マネージャーさんに、それじゃあ話にならない、と注意されていました。 さすがザラさんです。 (↑主催者の人がこう呼んでいましたが、こう聞くと急に親しみ湧きますね) そして、もちろん楽しみにしていただきたいのは本編の演奏です。 このところベートーヴェンやショパンに力を入れていらしたようですが、 今回演奏されるバッハ=ブゾーニのシャコンヌとラフマニノフの2番のソナタは、 わたくし的に、生で聴けることを特に楽しみにしています (これまでの録音を聴いた印象から)。 ただ、常に変化するザラフィアンツさんのことですから、 予想と全然違う表現になっているかもしれませんが、それもまた楽しみ。 トークセッションについては当日どんなご発言が飛び出すか不明ゆえ、 私にうまくハンドリングできるかわかりませんが、 できるだけ頑張りたいと思います。 どうぞご来場ください!”
4月
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沼尻竜典さんと三鷹とカレーの話
“音楽家にはカレー好きの人が多いですが、指揮者の沼尻竜典さんもそのひとり。 オペラの稽古場の近くの美味しいカレー屋さん情報など、よくご存知です。 リューベックのご自宅には何種類ものスパイスを用意してあって、自ら作ることもあるとか。 以前、西荻窪のカフェ・オーケストラというカレー屋のシェフと、厨房で料理をすること、スパイスの個性を際立たせて美味しいカレーを作ることは、オーケストラを指揮することと似ているのではないかという話になったことがありますが、もしかしたら、沼尻さんは指揮と同じ要領でカレーを作っているのかもしれません。 (今度、それぞれのスパイスはオーケストラの楽器に例えるならどれか聞いてみよう…) 今この記事を書き始めて思い出しましたが、私が沼尻さんに初めてお会いしたのは、2006年の浜松コンクール。ユベル・スダーンさんが腰痛でキャンセルして、沼尻さんがかわりに本選指揮をされたときでした。 一緒に浜松入りしていた当時の同僚が、「沼尻さんがリハーサルで歌ってるから見ておいでよ! 鶴のような歌声だよ!」と、すごい楽しそうに言っていたので、こっそり見に行った。それが私が見た最初の沼尻さんです。鶴って…。 さて、沼尻さんといえばオペラ指揮者としてご活躍で、リューベック歌劇場の音楽総監督でもありますが、ピアノ好き的に注目したいのは、ピアノを弾いてもすごくうまいということ。 沼尻さんは三鷹ご出身ですが、地元の三鷹市芸術文化センター風のホールで、ご自身の弾き振りによるモーツァルトのピアノ協奏曲全曲演奏会を継続中です。 1995年に発足したトウキョウ・モーツァルトプレーヤーズが、2015年の20周年を機に「トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア 」に名前を改め、引き続きこの全曲演奏会が行われています。 機敏な動きのオーケストラが沼尻さんのピアノとぴったりリンクして、弾き振りならではのプリプリのモーツァルトを聴くことができるという感じ。その他のプログラムも、オーケストラの面々がみんなすごく楽しそうに演奏しています。 次回の公演「第15弾」は7月29日だそうです。 2017年7月29日(土)15:00 三鷹市芸術文化センター 風のホール オネゲル:夏の牧歌 モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番変ロ長調K.456 ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調op.68『田園』 沼尻竜典(音楽監督・指揮/ピアノ) トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア(管弦楽) ところで沼尻さんには、件の浜松以来何度かインタビューをしていて、毎回ちょっと毒はいりぎみの話がとてもおもしろいのですが(そんなわけで、三鷹の公演のプレトークも鋭いおもしろさですよ)、お話を聞いていていつも思うのは、 「すごい頭いい」「なんか楽しそう」「手抜きしてるやつ見つけたらただじゃおかねぇ人」という3点。(若干頭悪そうな言い回しですみません) どんな複雑な作品でもきっちりすみずみまで理解する音楽的才能と、オペラや舞台が好きで、次に取り組むプロジェクトに常にワクワクしている感じ、良いものを創るためならぶつかることを恐れず妥協しない感じ。 「周りの人たちに恵まれてきたから何でもできた」「仕事と趣味が完全一致しているのは幸せだ」とご本人はおっしゃっていましたが、現代にしてはめずらしい形で進みたい道に進む音楽家のような気がします。これからどんなご活動をされるのか楽しみです。個人的には、沼尻さん作曲のオペラ「竹取物語」をインドでやってほしい!(インドのラーガを取り入れたシーンがある) あともう一つ、関係ありませんが、沼尻さんの演奏を聴くと、私は必ず終演後にカレーが食べたくなります。演奏から、カレーを食べたいと感じさせる何かがきっと出ているのだと思います。 三鷹の終演後ならどこがいいのかな。 あいにく私には三鷹駅周辺に行きつけのお店がないのですが、ちょっと西荻窪までいけば、前述の「カフェ・オーケストラ」があります。チキンカレーもおいしいですが、食後のチャイもすばらしいですので、ぜひ。 ちなみに、大森にある南インド料理、ミールスのおいしい「ケララの風Ⅱ」の有名なオーナーシェフは沼尻さんという方ですが、親戚関係ではないそうです。 実は私、二人の沼尻さんが「どうもどうも、ルーツはどちらで」的なやりとりをしている場面を目撃したことがあるのですが、めずらしい名前の人同士が出会った時に起きる謎の親しげな空気が漂っていて、おもしろかったです。  ”
5月
21
スタインウェイ&サンズ東京がオープンした話
“スタインウェイ・ジャパン設立20周年を機に、 東京ショールームがオープンしたそうです。 これまでスタインウェイ・ジャパンでは直接の小売販売を行っていませんでしたが、 一般的な黒いグランドピアノ以外のモデルへの需要が増えたことに対応するため、 特別なモデルもいろいろと一度に見て試弾することができる場所として、 スタインウェイ・ジャパン直営の販売スペースをオープンすることになったそう。 (特殊モデルは台数が限られているため、 全国各地のディーラーさんのお店それぞれに配置することはできないから、ということらしい) これまでは、各地のディーラーさんとともにやってきたお客さんたちのための 試弾スペースだった天王洲駅徒歩5分のサロンが、販売店も兼ねることになるということ。 (記者発表会にて、スタインウェイ・ジャパン20周年記念モデルのピアノと、 スタインウェイ・ジャパン社長後藤一宏さん、スタインウェイ&サンズCFOスタイナーさん、東京ショールーム支配人の佐藤立樹さん) 寺田倉庫本社ビル内のサロンは、入口からとても素敵な雰囲気 (オープニング時に提供いただいた写真) これからは個人のお客さんの来訪が増えるということで、 入口には新しくインターホンが設置されたそうです。 そういわれてみれば、あとから連れてこられた感があってかわいらしい佇まい。 しかしただのインターホンなのにスタインウェイロゴ入りだと なんとなくおしゃれであります。いい音しそうです。 この記者発表会では、今回の直営店のオープンは、 各地の特約店と競合するためではなく、あくまで多様なニーズに応え、 全体の底上げをすることが目的だという話題が何度か出ました。 競合しない理由として、近年スタインウェイのピアノの需要が、 ホールや音大、ピアニストを目指す学生だけでなく、 個人的な趣味のためというものが増えてきているということ、 (会見での話によれば、個人のお客が7、8割にのぼるようになったそうです) とくに富裕層の方々がサロン的な場所に置こうという場合は、 木目調や特殊モデルのピアノを好むことが多いというお話もありました。 日本のピアノ需要のあり方がまた新しいシーンに入ってきたということなのでしょうかね。 一般の方向けに東京ショールームツアーというのが下記の日程で行われるそうです。 要予約、各日先着8名のようです。詳しくはサイトをご覧くださいませ! 開催日程:5月25日(木)、6月1日(木)、8日(木)、22日(木)、29日(木)  ”
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浜野与志男さんインタビュー(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)
“兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、 ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト。 気が早く2012年からスタートしていましたが、 ようやく2020年がなんとなくそう遠くないものになってきました。 6月18日(日)に行われるVol.7の公演は、 『ピアニストたちのベートーヴェン』。 田部 京子さん、菊地 裕介さん、浜野与志男さんが登場し、 ソナタや変奏曲など2作品ずつ演奏するという、 よくよく見るとものすごく豪華な公演です。 実はこの公演に先立ち、このお三方にインタビューをしました。 年代がいい感じにバラバラで、演奏家として今いる場所もそれぞれ、 ベートーヴェンとの向き合いからもいろいろである3人のお話、 聞き比べてみると、三者三様の作曲家への感覚がそこにあって興味深いです。 如水コンサート企画のHPや当日のプログラムでショート版が掲載されますが、 興味深いお話がもったいないなと思いまして、 ピアノ好きのみなさんのために、このサイトでロング版を紹介することにしました。 一人のピアニストの中で変化してゆくベートーヴェンに対しての感情、 もともとの作曲家に対しての意識やスタンス、 きっとこの違いが当日の演奏にも現れるのだろうなと思います。楽しみだ…。 さて、そんなわけでお一人目にご紹介するのは、浜野与志男さん。 言葉を慎重に選びながら、率直に、 最近のベートーヴェンへの気持ちの変化を語ってくださいました。 日本に育ちながら、日本の先生だけでなくロシアのピアニストにも師事し、 お母さまの出身地であるロシアで毎夏を過ごしていた浜野さんは、若い頃、 「響きのつくりかたについてどうしてもロシア音楽的な要素が強くなり、 悪い言い方をすれば、なんでもロシア音楽的に弾くという側面もあった」 と振り返っていました。 それが、ある発見により、特にドイツ音楽への向き合いかたが変わったそう。 …ちなみに「若い頃」と書きましたが、 浜野さんは現在も20代後半ですから充分に若さあふれるピアニストなのでした。 その落ち着きっぷりに、すぐ忘れそうになります。 ◇◇◇ ◆浜野与志男さん [演目] ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 Op.22 ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 Op.57 《熱情》 「ドイツ人の音楽や生き方を間近で見て、確かに変化が」 ─これまで、ベートーヴェンにはどのように向き合っていらしたのでしょうか? これまで僕はドイツ音楽のレパートリーとして、まずシューマンに取り組み、その後、バッハとブラームスに向かう時期が続きました。それに比べるとベートーヴェンに積極的に取り組むようになってからは、そう長くありません。 とはいえベートーヴェンのソナタは、試験や入試などの機会のため、長らく勉強してきました。最初に“汗と涙を流した”ベートーヴェンのソナタは、東京芸術大学付属高校の入試の時に弾いたソナタ17番の「テンペスト」。ペダリングや弾き方について細かな指導を受ける中、なんて大変な曲なのだと思った記憶があります。 今は指の使い方やペダルの踏み方がわかるようになり、細かいところに神経を使うこともできるようになりました。 自主的に取り組んでいきたいという思いが強くなったのは、昨年くらいからです。ちょうど良いタイミングでこの企画にお誘いいただいて嬉しいです。 ─それは良かったです! その変化には、きっかけとなる出来事があったのでしょうか。 東京芸大を出たあと、3年ロンドンに留学してロシア人のドミトリ・アレクセーエフ先生に師事し、その後1年ほどライプツィヒで生粋のドイツ人であるゲラルド・ファウト先生のもと学びました。 期間として長いものではありませんでしたが、この時にドイツ人の音楽や生き方を間近で見ることで、自分の中で確かに変化がありました。耳の使い方が変わり、細かいところまで神経が行き届くようになったという感じでしょうか。 ドイツに行くのもドイツ人の演奏を聴くのも、もちろん初めてではありませんでしたが、この滞在中は、ドイツの演奏家が一人でピアノを弾くときでも、アンサンブルのように複数の奏者が互いの音域を聴き、溶けあうことを目指すときのような耳の使い方をしていると感じたのです。これによって、ベートーヴェンはもちろん、バッハについても演奏する上での意識が変わりました。 実は今回一緒に出演する菊地先生が以前、「交響的なピアノ奏法」ということをおっしゃっていたのがずっと印象に残っていたのですが、それはこういうことなのだろうと、見えた気がしました。 「僕はよく頑固だと言われるのですが……」 ─今回演奏されるピアノソナタ11番と23番「熱情」について、作品のどのようなところに魅力を感じますか? ハーモニーの動きに実験的なものが垣間見られるところが魅力だと思います。そういったベートーヴェンの挑戦する姿勢が伝わるような演奏がしたいです。 あと、僕はとくにピアノ協奏曲などで2楽章が一番好きだと感じることが多いのですが、「熱情」についてもそうなのです。 よくロシア人のピアニストで、“アンチ・クライマックス”、つまり逆説的なクライマックスという言葉を使う人がいるのですが、この楽章はまさにそのような感じ。音量的にも盛り上がりの面でも底辺にあるにもかかわらず、とても大きな意味があると思います。内容の濃い1楽章、盛り上がって疾風のように過ぎる3楽章の間にはさまれた2楽章の美しさに耳をかたむけていただきたいです。 ─ベートーヴェンという作曲家に対しては、どのような想いがありますか? 僕は小さい頃から、好きな作曲家を聞かれると、誰かを挙げると他がかわいそうだから選べないと答えるようにしていたので、今もベートーヴェンだけが偉大だという言い方は避けたいのですが、それでもやはり、ベートーヴェンのピアノ作品は、ピアノ音楽というものにおける一つの頂点を築いたものだと思います。 演奏テクニックを生かした最高の作品という意味ではリストも挙げられますが、ベートーヴェンは、ピアノによる音楽表現という意味で最高峰の作曲家だと言えると思います。 ─浜野さんにとってベートーヴェンという人はどんな存在なのでしょうか? それは、とても遠い存在です。というのも、僕は親しい人からよく頑固だと言われるのですが、でもどちらかというと、その場では身をひいたり妥協したりして、結果的に意図したものを実現しようとするタイプなんです。なので、ガツンとまっすぐぶつかっていくパワーを秘めたベートーヴェンの音楽は、決して自分に近いものではありません。でもだからこそ、自分にないものへの憧れを感じているのかもしれません。 ─方法が違うだけで、結果的に行きつくところは同じような気はしますけれどね……。それでは、ベートーヴェンの作品を練り上げていくにあたって、一番大切にしていることはなんでしょうか? ベートーヴェンの作品を弾いていると、音の響きや音色、ハーモニーに注意がいってしまって、ここもあそこも聴かせたいという欲求がつい強く出てしまいます。ですが同時に、全体の大きな絵、完璧な構造美がそこにあることを見失ってはいけないので、その両方を考えながら修正していく作業を繰り返していきます。 “神は細部に宿る”とはいいますが、やはりベートーヴェンの作品の構造美は、人が簡単に思い描けるものからかけ離れた、とても大きなものだと思います。 ─ところで、国立や兼松講堂に想い出はありますか? 兼松講堂で演奏するのは今回が初めてですが、以前聴きに行ったことはあります。そして国立は、桐朋中学校に通っていたので親しみのある町です。朝、遅刻しそうになりながらあの並木道を急いだ思い出が大きいですね。 ─それでは最後に、このベートーヴェンシリーズに登場されるうえでの意気込みをお聞かせください! 二人の大先輩と同じ舞台に立つことができて光栄です。そこで“年齢相応”の浅い演奏をしてしまうことがないよう、妥協のない音楽づくりを目指し、しっかりと自信の持てる演奏で臨みたいと思います。 ◇◇◇ じわじわ策をめぐらせて頑固を通す自分にとって、まっすぐぶつかって頑固を通すベートーヴェンは遠い存在という分析が、なんだかおもしろかったです。 (行きつくところは同じなんだから、どっちかというと同類なんじゃないの!?と思ってしまいましたけど、同じようで違うのか) 第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7 『ピアニストたちのベートーヴェン』 出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男 ナビゲーター:西原 ...”
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菊地裕介さんインタビュー(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)
“兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、 ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト、 6月18日(日)に行われるVol.7『ピアニストたちのベートーヴェン』。 出演ピアニストのインタビュー、お二人目は菊地 裕介さんです。 菊地さんはすでに約5年前ベートーヴェンのソナタ全曲録音をリリースしています。 きっとベートーヴェンの作品への熱い思いを語ってくれるのだろうなと思ったら、 逆にどうやらベートーヴェンを弾くという行為があまりにも自然らしく、 私としてはいろいろ予想外なお答えがかえってきて興味深かったです。 もともとユニークな方だとは思っていましたが、やっぱりユニークだ…。 ◇◇◇ ◆菊地裕介さん [演目] 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 Op.34 《エロイカ変奏曲》 変ホ長調 Op.35 「人生のモットーは、“みんな違ってみんないい”」 ─今回はベートーヴェンの作品から二つの「変奏曲」を演奏されます。作品の魅力についてお聞かせください。 「創作主題による6つの変奏曲」Op.34と、「自作主題による15の変奏曲とフーガ」Op.35、通称「エロイカ変奏曲」は兄弟のような作品で、その内容は対照的です。 Op.34 は、メロディアスで魅力的なテーマを持ち、調性を3度ずつ下げていく、とても野心的な作品。調性が変わっていくという意味で、ファンタジーに近いところがあります。フレンドリーなベートーヴェンの姿を感じます。 一方Op.35 のテーマは、最初に「プロメテウスの創造物」で使われたもので、その後、この変奏曲、そして最終的には交響曲第3番「エロイカ」で使用されました。3作品で使うようなものだけに、テーマの要素はミニマムです。主題と同じ調性で最後まで突き進んでいくという、ベートーヴェンの変奏曲らしい魅力にあふれています。 ─どちらの作品のほうがお好きですか? 僕の人生のモットーは、“みんな違ってみんないい”。だから、どちらが好きだなどというのはありませんね! 世の中に残る作品には必ず何か魅力があるはずで、そんな作品を書いた作曲家たちには尊敬の念を抱いているので、僕自身は作品についてとやかく言える立場にない、作品の魅力が引き出せなければそれは奏者の責任だと思っているんです。 ─二つの変奏曲はベートーヴェン中期の作品にあたりますが、この時期の作品の特徴はなんでしょうか。 ポジティブで明るく、変に力んだところもなく、人生において何かを一つ乗りきった感があります。これが晩年になると内向的になり、外に向かって何かを発するというより、自分の世界における反射のようになっていくのです。晩年の作品を弾く際には、自分と作品の枠の中で何度も反芻し、確かめる作業が必要となります。 ─ベートーヴェンの魅力は、どのようなところに感じますか? 音楽の要素として、きれいなもの、衝突するようなものと、すべてが入っています。そして音楽におけるバランスやタイミングが絶妙です。 ─絶妙なタイミングには、“想定通りほしいところにある”というものと、“予想外のところにある”というもの、両方があるように思いますが……たとえばモーツァルトとベートーヴェンの違いのような。 そうですね。モーツァルトの絶妙さは、それ以上自然なものはないというくらい、すべてが見事にはまっている。それに対してベートーヴェンの絶妙さには、近代に向かう自我の目覚めや、個人という概念がより出てきているところに違いがあると思います。 「むしろ息抜きになるような音楽」 ─すでにベートーヴェンのピアノソナタ全曲や、「ディアベリ変奏曲」「エロイカ変奏曲」を録音されていますが、ベートーヴェンに集中して取り組むようになったきっかけは何でしょうか? 全ての作品が格好いいし、おもしろい。だから全部やってみたい、というごく自然な感覚で取り組みました。それによって生涯をたどり、スタイルの変遷を改めて感じられましたが、終えてみて何か新しい発見があったというよりは、やはりこういう人だったなと思ったというほうが感覚に近いです。 ソナタ全曲といっても、あくまで今あるとされているソナタを全部演奏したというだけで、作曲するとき以外のベートーヴェンの姿を新しく知ったわけではありませんから……。 ─ソナタ全曲というと大プロジェクトのように感じますが、ごく自然な音楽の営みの中で実行されたのですね。 力んで臨んだという感覚はありません。僕にとってベートーヴェンの音楽はとても自然で、楽譜さえあれば弾ける、むしろ息抜きになるような音楽です。もちろん学生時代に勉強していた頃は大変な作品だと思っていましたが、今となっては最も力まずに演奏できます。それこそがベートーヴェンのすばらしさです。 誤解を恐れずに言えば、モーツァルトやハイドンも含め、古典派の音楽というのは、音楽がわかってさえいれば一番やさしいもの、自由に泳ぐことができるものだと僕は思うのです。機能和声があって、枠組みやフレージングも自然、拍子もきちっとしています。人間にアクセスしやすい形の音楽だと思います。右足をつくったら、左足もつける。そうして対応するものをつくっていけばいいというのが、古典派の音楽です。 だからこそ、今まで培った音楽をそのままサッと出すことができる。その意味では、何もない状態でいきなり弾こうとすると、無味乾燥な音楽になってしまうと思いますが。 それに対してバッハは考えて組み立てないといけないので、やはり難しい。近現代の作品も、かなり練習しないと弾くことはできません。 「その正直さゆえに誤解されやすい部分もあったはず」 ─ベートーヴェンとの出会いの思い出はありますか? 子供の頃、父のレコード棚に交響曲全集があって、その背表紙に描かれた肖像画がこわかったという(笑)。 それから、僕はこれまで師事してきた先生がほとんど男性ばかりだったこともあってか、ベートーヴェンを先生と共有する中で、父親的な存在だと感じるようになっていきました。その潔さに、“父なる音楽”という印象を持つようになったのです。 ベートーヴェンの最も好きなところは、その正直さ。それゆえに誤解されやすい部分もあったと思います。それで、自分自身とパーソナリティに共通する部分が多いと感じるんですよね。僕自身は社会にもまれて、彼ほどのまっすぐさは失いつつありますが……。 ─普通、人は物事にぶつかって丸くなっていくものでしょうが、ベートーヴェンはそのまま進んでいったということですよね。 そうして自分を貫いたのはすごいことですし、逆にそういう形でしか生きられなかったのだろうとも思います。それこそが、ずば抜けた音楽センスを育んだのでしょう。 変奏曲のすばらしさに表れるように、ベートーヴェンは作品を“こねくり回す”ことが好きな人でした。その結果としてすべてが絶妙なものになっている。彼にしかわからない最終調整が入ることで、全てがバタバタとドミノをかえすように変わり、曲の価値もあがるのです。これは天才的な感覚で、技術だけによるものではありません。 ─兼松講堂ではこれまでにも何度か演奏されていると思いますが、印象はいかがですか? 良い意味で日本らしくない空間で、なつかしさを感じます。例えばフランスのサル・ガヴォーのような、音楽とともにある良い時代の雰囲気を残していますね。スクラップ&ビルドのほうが安上がりとされる今のご時世に、多くの方々の想いがあってこうして成り立っているのだろうと思います。大事にされていることが伝わってくる、印象深い場所です。 ◇◇◇ 浜野さんは、ベートーヴェンのまっすぐぶつかっていくところが自分とかけ離れていると話していましたが、驚くことに菊地さんもベートーヴェンのそんな性格について語って、こちらは「自分と似ている(でも今のオレはもうまっすぐを失いつつあるけど…)」と話していたという! ベートーヴェンほどまっすぐだったら、生きにくくて大変ですよ菊地さん…。 第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7 『ピアニストたちのベートーヴェン』 出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男 ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授) 2017年6月18日(日) 14:00 ...”
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クライバーン取材のためテキサスにやってきた
“テキサス、フォートワースにやってきました。 4年に1度行われる、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。 思えば2005年にコブリンが優勝した回から毎回何かしらの期間聴きに来ていて、取材をするのは今回が4回目になります。 毎回参加者のレベルが高い…というか、もう演奏活動してますよね?という顔ぶれが多く見られるのは、やはりこのコンクールに優勝・入賞すると、3年間のマネジメント契約により、当面アメリカでの活動が確実に増えるなど、普通のコンクールとは少し違った、わりと直接的な形でキャリアにプラスの影響があるからでしょう。 このコンクールに上位入賞したらその後はコンクールを受けない、という人がけっこう多いのはそのためでしょうね。 今年のコンテスタントの顔ぶれはこちらで見ることができます。 そして、1次予選の演奏順はこちら。 初日(25日)の二人目には日本の深見まどかさんが登場。 2日目(26日)には、この前の浜松コンクール3位入賞のダニエル・シューさん、それから、同コンクールで1次を通過せず、自分や自分周辺の人々の間に密かに衝撃が走っていたフィリップ・ショイヒャーさんが。 3日目(27日)には、前回のショパンコンクールの際、手の故障で大変そうだったけど人気を集めていたルイジ・カローチャさん、そして日本ではすでにおなじみのニコライ・ホジャイノフさんが朝から続けて登場。 そして最終日(28日)は、前回のショパンコンクール5位だったイーケ・トニー・ヤンさん、いろいろなコンクールでおなじみのレイチェル奈帆美工藤さん、そして最後の奏者には、前回ショパンコンクールのファイナリストだったアリョーシャ・ユリニッチさんが登場します。 他にもちょっと名前を挙げきれないくらい、おなじみの顔ぶれがたくさん。それにもちろん、単に私にとって”おなじみ”でないだけでまだ見ぬ素敵なピアニストがたくさんいることでしょう。 日本とテキサスの時差はマイナス14時間。 朝のセッションなら日本時間深夜12時スタートですが、夕方セッションは午前4時半、夜セッションは午前9時半スタートと、平日はとくにライブ配信で聴くのがちょっと大変な時間帯でしょうか。 とはいえ、アーカイヴも順次公開されるはずですので(今回もオーケストラとの契約か何かの問題で、いずれかのコンチェルトはアーカイヴなしになるのかもしれませんが?)、素敵な演奏との出会いを楽しみにぜひチェックしてみてください。 ところで今回私はめずらしく、知り合いのジャーナリストの家の部屋を借りて、テキサスに滞在しています。このジャーナリストさんは、日本やインドにも長く駐在した経験がある人で、奥様はインドの人でした。 というわけで、この家には、ガネーシャのお面とかガンジーの置物とかインド映画のパネルとか、あちこちにインド的なものが飾ってあり、さらにはインド関係の本もずらーっと本棚に並んでいて、すごくわくわくします。 そしてこのジャーナリスト氏、そんなに日本語ができるわけではないんだけど、突然予想外のむずかしめの日本語を発する人なのですが(以前何かでも書きましたが、たとえば毎日15分歩いてホールに通っているといったら、「オー、”ヒザクリゲ” デスネ!」と言われた)、今回も、”八百長”とか”労働組合”とか、何とも言えない言葉をよく知ってるなぁと思いながら話を聞いています。 ただ、先日のマンチェスターでの自爆テロのニュースをみていて 「Suicideをなんていうっけ、ジサツ?」と聞かれたので、そうですよ、でも、とくにこういうテロのことを、”自爆テロ”というんだよと教えたら、「自分が70年代に日本の新聞社で仕事をしていたときにそのフレーズを使った覚えはないから、新しい言葉なのかな」といわれて、そうか…と思ってしまいました。この言葉が定着するようになってしまった時代が辛い。 というわけで、いよいよこちらの時間で明日の午後2:30から1次予選が開始。 ファイナルまで、こちらで見聞きしたいろいろなことをお伝えしたいと思います。”
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マルク=アンドレ・アムランの委嘱作品&トークセッション
“コンクール開始を翌日に控えた5月24日、審査員で、委嘱作品課題曲の作曲家、マルク=アンドレ・アムランさんによるトークセッションがありました。 前回のコンクールまで、新作委嘱作品は12人が演奏するセミファイナルの課題でしたが、今回からは予選で30人のコンテスタント全員が演奏することになります。 「作品によっては一度も演奏されることのないものもあるというのに、この曲は最低でも30回も演奏されて、しかもインターネット配信までされるのでうれしい。これまでの自分の作品の中で一番世の中への露出が多いものになるのではないか」とアムランさん。 今朝のStar Telegram誌によると、コンクールの審査員をほとんどやってこなかったアムランさんが、今回、この長期にわたる審査員業を引き受ける決め手となったのが、新作課題曲も書いてほしいと言われたから、だったとか。たくさん弾いてもらえるのって嬉しいんでしょうねぇ。 これまでこのコンクールの委嘱作品を手掛けた作曲家は、コープランドやバーバー、バーンスタインなど錚々たる顔ぶれ。そんな中、アメリカ人でない作曲家がこれを担当するのは初めてだそう(とはいえ、アムランさんはボストンに長く暮らしているみたいですが)。 作品のタイトルは「Toccata ”L'homme arme"」。 「L'homme arme」(武装した人)はフランス、ルネサンス期の世俗音楽で、この時代の作曲家たちがしばしばミサ曲の旋律に使用しました。アムランさんの作品は、古い時代の宗教的な要素を持ちながら、現代的な感性を融合させたもののようです。 この日のトークセッションは、委嘱作品について…とあったのでもう少しいろいろ作品についてお話しされるのかなと思いましたが、具体的な作品についての説明はそれほど多くなく(まあ、もう翌日からコンテスタントたちが演奏するところですからね…)、彼のこれまでのキャリアや音楽についての考えなどが主に語られました。 作曲家として、影響を受けている作曲家は?という質問には、 「自分が正しいと思うものを音にしているので、基本的には誰かの影響を受けているということはない。でも、”オリジナリティは、そのルーツを隠すための最大のもの”といった人がいたけれど、これは真実かも」 …なーんて答えていました。 その他印象に残ったお言葉としては… 「散歩をしていて素敵な風景を見てアイデアを得ることも、自分にとってはピアノに向かう練習や作曲の作業と変わりない」 「技術の練習は””セルフ・ティーチング”。テクニック的な練習で大切なのは、できないことは何なのか、自分を知るということ」 それから、 「作品の中にある芸術的な苦悩を知ることは、作品を知るうえでとても大切なこと」 という話には、なるほど、作曲家ならではの説得力のある言葉だなと思いました。 ある作品を演奏するのに、その作曲家の生涯を知ることは当然意味のあることだと思うけど、「この作品を書いたとき彼はフラれて落ち込んでいた」とか、「結婚したばかりで浮かれていた」とか、演奏のために具体的になぜ知っている必要があるのか?それじゃあ現代の作曲家の作品を弾く時も、そういうことを知っている必要があるのか?と、ふと思うこともあるわけですが。 作品に反映される芸術的な苦悩を知るため、と思えば、書いたときの心理状態や人生の歩みという情報は、特に異なる時代の人間の書いたものを理解するうえで、有用な手掛かりの一つだよね、と改めて思ったのでした。 自分の作品が何百年もあとに弾かれていると思う?と聞かれて、アムランさんは、思わないよ~とくに望んでもいないよ~!と言っていましたが、本心なのかな。どうなんでしょう。 ご本人の「生涯」が、後世の人に根掘り葉掘り研究されることになるかもしれないことは、どう感じているのでしょう…チャンスがあったら聞いてみたいと思います。 前にこの質問を池辺晋一郎さんにしたら、「絶対ヤメテほしい!!」とおっしゃっていましたが。”
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クライバーンコンクール1次結果発表
“4日間にわたる1次予選が終わり、結果が発表されました。 今回の審査員勢の好む傾向をつかむ最初の瞬間です。 通過者と2次予選の演奏順は以下のとおり。 ◇Monday, May 29 10:00 a.m. Su Yeon Kim, South Korea, 23 10:50 a.m. Leonardo Pierdomenico, Italy, 24 11:55 ...”
6月
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クライバーン2次結果&今回のコンクールの特徴など
“2日間で20人が演奏した2次予選が終あっという間に終わり、セミファイナリストが発表されました。 Kenneth Broberg, United States, 23 Han Chen, Taiwan, 25 Rachel Cheung, Hong Kong, 25 Yury Favorin, Russia, 30 Daniel ...”
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クライバーンコンクールのピアノ
“みなさまお気づきの通り、ヴァン・クライバーンコンクールでは、スタインウェイのピアノのみが使われています。 かつて他メーカーのピアノも使われていたことがあったようですが、ここしばらくはスタインウェイとの協力関係のもと、1メーカーのみということにしているようです。いろいろ理由はあると思いますが、前事務局長だったリチャード・ロジンスキーさんは以前、メーカー間のコンテスタント獲得合戦の激化を避けることも一つの理由だと話していました。 というわけで、コンクール本番で使う3台のピアノ、30名のコンテスタントが滞在しているホームステイ先のピアノ、そして楽屋の練習用のピアノ、すべて良い状態のスタインウェイ。つまり、ざっと40台近くのグランドピアノが用意されているということ。すごいですね。 クライバーン氏ありし日には、コンクール後、ホストファミリーがピアノをそのまま買い取る場合は、クライバーンがピアノにサインをしてくれるという制度(?)があったそうです。なんとよくできたセールスの流れ。 さて、セレクションには3台のピアノが用意されていました。 ハンブルク・スタインウェイが2台(クライバーン財団所有の楽器と、NYスタインウェイホールの楽器)と、ニューヨーク・スタインウェイが1台。各人15分間が与えられてピアノを選択します。 結果、30人中23人がハンブルク・スタインウェイ(NYスタインウェイホールの楽器)を選択。3人がハンブルク・スタインウェイ(財団所有の楽器)、4人がニューヨーク・スタインウェイ(財団所有の楽器)を選ぶという、たいへん偏った結果となりました。 ちなみにこの大人気のハンブルク・スタインウェイ(NYスタインウェイホールの楽器)は、スタインウェイ社が選んで送ってきた2台(ニューヨーク・スタインウェイとハンブルク・スタインウェイ)から、ホロデンコが選んだ楽器だそう。 ホロデンコさん、さすがコンテスタントのニーズをわかってらっしゃる。 結果、この一番人気のピアノばかりがただひたすら弾かれ続ける日がほとんどとなりました。 ときおりのピアノチェンジ、カーテンコールの最中なのに大きなおじさんたちがワラワラとやってきて、ワイルドに音を鳴らしながら鍵盤をフキフキし、コンテスタントすれすれにゴゴゴーっとピアノを押してはけさせてゆく様子を何度か目にしましたね。 慣れていないせいなのか、それともそれでいいと思っているのか。 先日、スタインウェイの担当調律師さんに、この3台のピアノの特徴などお話を聞くことができましたので、近日ご紹介したいと思います。”
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田部京子さん(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)
“兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、 ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト、 6月18日(日)に行われるVol.7『ピアニストたちのベートーヴェン』。 出演ピアニストのインタビュー、三人目は田部京子さんです。 【その他のお二人のインタビューはこちら】 浜野与志男さん 菊地裕介さん 若い頃から「晩年好き」だったという田部さんが演奏するのは、 数年前に録音もしたばかりの後期三大ソナタからの2曲。 ◇◇◇ ◆田部京子さん [演目] ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109 ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110 自分の耳で聴くことはできなかった ─今回はベートーヴェン晩年のソナタから、第30番と第31番の2曲を演奏されます。晩年のソナタを弾くことのおもしろさはどんなところに感じますか? 晩年の作品には、作曲家の人生への回想や、どこか希望のようなものまでもが凝縮して投影されるように感じます。とくにベートーヴェンは音楽で人間を表した最初の作曲家で、そんな彼の晩年の作品には、まさに人生の軌跡とあらゆる要素が詰まっていると感じます。 難聴という困難に直面し、挫折や絶望を感じながらもそこから這い上がり、常に革新を求めて生きていく。聴こえないことが日常となる中で、晩年まで自己の音楽世界を熟成させました。膨らんだイメージを音にできるピアノの発展を求め、可能性を追い求めていったのです。 ただ、それを彼は自分の耳で実際の音として聴くことはできなかった。聴こえない世界の中で創造された音楽の奥深さとエネルギーを感じながら、本質に少しずつ近づくことを目指すのが、ベートーヴェン晩年の作品を弾くおもしろさだと思います。 一歩近づけたと思うとまた次の景色が見えてきりがないのですが、そうやって一生かけて追究してゆくものなのだと思います。 ─田部さんは2年前に後期三大ソナタを録音されていますが、それによって何か新しい発見はありましたか? 自分の録音は、CDが完成してからは聴くことがあまりないんですよね。自分が弾いているという感覚と客観的な感覚が同居するのが居心地悪くて、今はまだ聴けません(笑)。ちなみに、もっと何年か時間が経つと、先生として生徒の演奏を聴いたり、聴衆として一人のピアニストの演奏を聴いているような客観的な感覚で自分の録音も聴くことができるようになります。 もちろん録音直後の編集の段階では何度も聴きました。録音に臨むにあたっては細部まで突き詰め、全精力を傾けるわけですが、実際、音になっているものとイメージに多少相違があったり、再度楽譜を見返しながら、この表現でよかったのだろうかと考えたりすることもあります。そんな中で成長することができたように思います。 ─録音することを決めたきっかけはあるのでしょうか。 昔からどの作曲家についても、人生が凝縮されたような晩年の作品が好きでした。20代のデビュー間もない頃にシューベルトの最後のソナタを、また2011年にブラームスの晩年作品集も録音しています。 ベートーヴェンの最後の3つのソナタには高いハードルを感じていましたが、シューベルトやブラームスの晩年の作品を録音したことで、その源ともいうべき、古典派とロマン派の重要な架け橋となったベートーヴェン晩年のソナタには、やはり取り組むべきだと感じたのです。それを長らく目標にしてきて、今、やるべきときがきたのだと感じて録音しました。 ベートーヴェン晩年のソナタ30番は心のぬくもりや人間味を感じるとても内省的な音楽です。そして31番は、嘆きの歌とフーガが交互に現れ、最後は解き放たれたような希望とともに一気に上り詰めていきます。そして32番は再び絶望に打ちのめされるように始まり、最後は天に向かって昇華するような音楽で閉じられます。 録音するのはまだ早いと思い続けてきたわけですが、これが最後ではないと考えることにして、一度、「今」の記録としてやってみようと決心しました。「今」は、既に「過去」になっていますので、常に「今」を越えた演奏を目指そうという気持ちでいます。ステージも含め、演奏する毎に作品に近づいていく感覚があります。私自身も人生経験を積んでゆく中で共感度が増し、同時に新たな発見もあります。 ─お若い頃から晩年の作品がお好きだったのですね。 なぜでしょうね。晩年の作品だからといって、いわゆる「枯れている」わけではないところが興味深いのです。 諦観の要素を感じたりもしますが、どちらかというと若い頃の情熱やエネルギーも音楽の中に含まれ、積み重ねてきたものがすべてそこにあるのが晩年の作品だと私は思います。生と死や、自分がなぜ存在しているのかという普遍的な問いについて考えさせられる部分が強いですね。 そういった人間の本質、作曲家の人生、培ってきた作曲の技法、そのすべてが集約されているところに、若い頃から惹かれていたのだと思います。 そうしてずっと興味を持って、いつか登りたいと思っていた高い山がベートーヴェンの晩年ソナタでした。例えばシューベルトには、長大なメロディをどうつないでいくのかという難しさはありますが、それでもどこか、“感じていることが命”のようなところがあります。息の長いフレーズに身を任せ、シューベルトのささやく声が聞こえれば、音楽はできていきます。 一方でベートーヴェンの作品には、確固たる構築というものがあります。シューベルトがベートーヴェンに憧れたのも、そんなところだったはずです。 巨大な建築物のようなものの中で、古典的な要素、楽器の発展を反映した表現の可能性、ベートーヴェンという人格を感じさせる揺るぎない語法、ロマン派にも通じる感情表現などが存在し、演奏家としてその本質に迫り続けることにやりがいを感じます。 人間そのものを表現するベートーヴェン ─では、ベートーヴェンは田部さんにとってどんな存在ですか。 あらゆるピアノ作品と接する中で「源」のような存在です。 特にドイツ・ロマン派の作品を演奏するうえでの原点だと思います。 ─音楽の原点とはいえ、バッハとはまた違う感覚でしょうか? 違いますね。人間の感情、人間そのものを表現している音楽という意味での原点です。 作曲家の感情の音楽表現という点について、例えば自然について考えたとき、音楽で風景を感じさせる描写があると思いますが、実際にその自然を愛し、感じているのは人間なのだということを実感するのがベートーヴェンの音楽です。 ─なるほど。自然の風景をそのまま表現することができると思うのは、いわば傲慢といえること。何に関しても、それを感じている人間のフィルターが必ずあるという現実を認識していないと……。 そうなんですよね、散歩をするから、自然を見て、空気と風景を感じる。それをベートーヴェンが自分のフィルターを通して音にしているのが、彼の作品の表現する自然です。 ─ところで、国立の兼松講堂へは初めてのご登場ですね。 今までお写真でしか拝見したことがありませんが、とても雰囲気のある建物ですね。国立は、電車で通ったことはあってもなかなか降りる機会がありませんでしたが、並木道があって緑が多く、静かですてきな学園都市というイメージがあります。今回は、国立に行けるということだけでも少しワクワクしていますが、由緒ある兼松講堂で演奏させて頂くことをとても楽しみにしています。 ─大学構内も天気が良いと気持ちがいいですよ。 私、晴れ女なんですよ! あとのお二方がどうかわかりませんが(笑)、2対1だったら負けてしまうまかもしれませんし……でも、晴れるといいですね。   ◇◇◇ 田部さんはしきりに、ベートーヴェンの音楽には人間を感じるとおっしゃっていました。自然の描写からも、人間を感じると。 それを聞いて、「自然の風景をそのまま表現することができると思うのは傲慢だもんなぁ。なにかをどんなに忠実に伝え再現しようと思ったって、それを感じている自分のフィルターが必ず存在することを認識しているかいないかは大違いだもんなぁ」などと改めて考えました。インタビューの原稿だってほんとうにそうです。自分が無味無臭のフィルターになれると思った時点で、間違っている。インドのスラムのリサーチをしている中で痛いほど考えさせられたことでした。…話がそれましたが。 ちなみにその後、男性陣二人が雨男か否かは確かめていませんが、当日は田部さんの晴れ女パワーで、すべての雨男女系来場者を打ち負かしてほしいなと思います! 第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7 『ピアニストたちのベートーヴェン』 出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男 ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授) 2017年6月18日(日) 14:00 開演 ...”
スタインウェイ担当調律師、ベルナーシュさん
“クライバーンコンクールのステージで使用されている3台のスタインウェイの調律を担当している、スタインウェイのコンサート調律師、ジョー・ベルナーシュさんにお話を聞きました。 なんだかとても控えめな雰囲気の方で、調律師になると決めたのは、「音楽も手作業も好きだし、一人きりで作業することも好き。自分にとって完璧な仕事だと思ったから」とのこと。 写真も、遠くからならいいよ…とのことだったので、ベルナーシュさんの姿は豆粒サイズです。(しかしさすがに遠すぎた) ◇◇◇ ◆ジョー・ベルナーシュさん(スタインウェイ、コンサート調律師) ─今回はNYスタインウェイホールのハンブルク・スタインウェイを選んだ人が圧倒的に多かったですね。3台のスタインウェイは、それぞれどんなキャラクターなのでしょうか? NYスタインウェイホールのハンブルク・スタインウェイは、一番オープンで゛フォーカス”した楽器だと思います。作られてだいたい1年半くらいの楽器です。 あとの2台、財団所有のハンブルク・スタインウェイとニューヨーク・スタインウェイは、それぞれに違うけれど類似性があって、どちらも、決して悪い意味ではなく、暗めというか、重めの音がするピアノです。なかでもニューヨーク・スタインウェイのほうは、それならではの特徴的な音がしたと思います。ラフマニノフとか、ロマン派の作品には合うと思うのですが。 いずれにしても結果的には、多くの人が広いダイナミクスレンジを持つ楽器を選んだのだと思います。 ─コンクールの調律で一番気にかけていることはなんでしょうか? コンクールのピアノにとって一番大切なのは、最大のパワーで演奏されても耐えられる楽器であること、そしていち早く元に戻る楽器であること。例え音が良いピアノでも、この2つの条件がクリアできていなければ誰も弾きたいと思いません。まともに演奏することができませんから。 ─あなたにとって理想的な音のピアノというのはどのようなものですか? 歌って、パワフルで、フォーカスしていて、バランスがとれていて、ダイナミクスの幅が広いピアノです。コンクールで求められるピアノとして説明したものと同じですね。 ─ところでその、フォーカスした音というのがどんなものなのかもう少し詳しく知りたいんですが……。 そうですねー、明るいとかメタリックという意味ではないんですよね。もっと、はっきりと発音して、クリアで、まとまりのある音ということですね。 ─コンテスタントからはピアノにリクエストがありましたか? 要望は聞きましたが、これだけ多くの人が弾く場合は誰か一人の好みに合わせて変えることができないのが難しいところです。もちろん、ペダルを踏むと音がするとか、そういう具体的な問題には対応できますが。 ─今回のコンクールを見ていて、若いピアニストたちは平均的にどんなピアノを求める傾向にあると感じますか? 一般的には、輝かしい音がして、鍵盤が軽いピアノを好む傾向にあると思いますねぇ。 ─スタインウェイの音とはどんな音でしょう。 スタインウェイと一言にいってもあまりにそれぞれの違いがありますが、挙げるとすれば、パワーとファンダメンタル・トーンへのこだわりでしょうか。私は普段ニューヨークを拠点にしているわけですが、こちらではとくにファンダメンタル・トーンを大事にしています。 ─ピアニストのリクエストにこたえるためにもっとも大事にしていることは? 整音の行程ですね、それはもちろん。調律と整調は言うまでもなく重要で、正しくなくてはいけませんが、整音が一番の個人の好みの出しどころになります。主観的な部分ですね。 ─ところで、コンクールなどで自分の調律したピアノが演奏されているときは緊張しますか? 全然しませんよ。慣れました。大きな問題が起きることはあまりないし、弦が切れたら直せばいいわけですし。 ─この前あるピアニストと話していたら、長い演奏経験の中でピアノから思い描く音を出すため、どこまでが調律師に頼めることで、どこまでがピアニストの責任なのかがわかるようになってきたといっていました。そういう境目のようなものの認識って、ありますか? それはおもしろいですね。 レベルの高いピアニストたちは、確かに楽器のことをよくわかっていて、自分が鳴らしたい音がする傾向のピアノを選んで、そこからリクエストをしてくれます。明るい音がいい、柔らかい音がいいなどといったことは、いくらでも僕たちに変えられるけれど、ただ、ピアノ自身の特質に由来する音の傾向は、何も変えることができません。優れたピアニストは、そのあたりを理解していると思います。 ◇◇◇ お話を終えたあと「なんかおもしろくない話でごめんね」などとおっしゃるので、私は調律師さんのお話を聞くのが好きなんだということ、日本では去年、調律師さんを主人公にした小説(羊と鋼の森)も流行ったのだということを伝えると、「信じられない、そんなのが流行ることあるの!?」と驚いていました。 映画化もされるんだといったら、やっと信じてくれました。控えめベルナーシュさんらしいリアクションだなーと思いました。”
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クライバーン、セミファイナルもあと1日
“セミファイナルも残すところあと1日。 6月5日最終日に、2人のリサイタルと4人のモーツァルトの協奏曲の演奏が終わると、その日の夜遅くに6人のファイナリストが発表されます。 ファイナル進出者を決める審査の方法は、9名の各審査員がここまで全てのステージの印象を考慮したうえで、次に進むべき6人を選んでマークをつけ、タイが出たときのためにMaybeを1人選んでおき、それを集計するというもの。 ちなみに、ここまでのステージの審査はすべてこのタイプの方式でした。 6人、どんな顔ぶれとなるのでしょうか……。 さて、セミファイナルでは、コンテスタントは、60分のリサイタルに加え、ニコラス・マギーガン指揮、フォートワース交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲(9番、20〜25番、27番より選択)を演奏しています。 ここで、これまでにとらえた一部のコンテスタントの様子などをゆるやかにご紹介しておこうと思います。 ダニエル・シューさん。ステージに出てきたときの声援も大きく、人気高い感じ。 モーツァルトの協奏曲では、ダニエル君によく合った21番という選曲で、明るく力のある音を響かせていました。 カデンツァおもしろいなぁと思って聴いていたら、これは同じくピアニストのお兄さんによる作だったそうです。この一家、3人きょうだいが3人ともピアニストらしい。ちなみにダニエル君は末っ子です。 ゲオルギ・チャイゼさん。そういえば昨秋横浜招待で聴いたシューベルトで、ものすごく独特のもんやり音(いい意味で)に驚き、一体どんな指の形状をしているのかちょいと見せてもらいたいと思っていたのでした。その希望をまさかテキサスでかなえることになるとは。 うっすら笑みを浮かべつつ、けっこうノリノリで見せてくれました。想像していたとおりのまぁるい指先。チャイゼさん、ステージ上の印象と違ってけっこう小柄。しかもメガネかけているとショスタコーヴィチに似てる。 そして、横浜みなとみらいホールのすばらしさ、歌舞伎シアターに行って超楽しかったということなど(とはいえ、歌舞伎は上演中でなく、バックステージを見に行ったといっていました)、静かにわりとすごい勢いで語っていました。 イーケ・トニー・ヤン君は、スカルラッティに、ショパンの葬送ソナタ、展覧会の絵というボリュームたっぷり、濃いプログラムを弾いていました。大変そうだな…と思いましたが、当の本人は「どっちも弾きたいなと思って一緒に入れただけだよ~」みたいな口ぶりでした。 ちなみにトニー君、1次のときはもう1台のほうのハンブルク・スタインウェイ(財団の楽器)を使っていましたが、2次以降で、他の皆さんと同じほうのハンブルク・スタインウェイ(NYスタインウェイホールの楽器)にチェンジ。変えて、断然ひき心地がいいといってました。 テキサスでも、ショパンコンクールの時と似たような赤いジャンパー着用。赤い上着が好きなのかな。 ステージでは、やはりワルシャワでも着ていた異素材シャツを愛用していますね。(通気性が良くて伸縮性もあり、着心地がいいのだと本人は言うけど、傍からは全然そう見えない、あのシャツ) レイチェル・チャンさん。1次から安定した演奏を聴かせていますが、セミファイナルでもプロコフィエフで美点炸裂。彼女の音は、決して音量は大きくないんだけど、独特のタッチですごいインパクトがあります。プロコフィエフのソナタ6番がすごくハマっていました。 セミファイナルから聴きに来ている音楽雑誌のおじさんが彼女のプロコフィエフをえらく気に入ったようで、過去も含めてクライバーンで聴いた演奏の中で最高だったといって興奮していました。以来会うたびに、レイチェル・チャンよかったねー、と言ってきます。会う人会う人に言っているのか、それとも彼女の終演後のバックステージで会ったから、同志だと思っているのか。 ソヌ・イェゴンさんは、仙台コンクール優勝者披露演奏会を日本で聴いて、堅実で、でもさりげなく華やかで、とてもいい演奏をする方だと思っていましたが、その安定感健在。R.シュトラウス=グレインジャーの「薔薇の騎士の愛の二重唱によるランブル」で、しみじみいい曲だなぁと思わせ、プロコフィエフのソナタ6番ではキレのよい表現を聴かせてくれました(とはいえ、急に降った大雨の湿気のせいで、プロコフィエフの連打や速いパッセージは、いつもより弾きにくかったとのこと)。自分のいろいろな面を見せるうまい選曲。 1次からずっと気になっていたソヌさんのイメチェン問題について尋ねると、「痩せたのと、メガネをやめたのと、髪を伸ばしたからかな。前はすごく短かったから」とのこと。なんだか垢ぬけた感じがあって、人の印象ってちょっとしたことで本当に変わるんだなと思いました。でもよく見ると、確かにお顔は昔のまんま。 そして撮った写真を後から見て、なんたるつやつやフェイス!と驚きました。”
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クライバーン、ファイナリストが発表されました
“クライバーンコンクール、ファイナリストが発表されました。 ケネス・ブロバーグ(アメリカ、23歳) レイチェル・チャン(香港、25歳) ユーリ・ファヴォリン(ロシア、30歳) ダニエル・シュー(アメリカ、19歳) ソヌ・イェゴン(韓国、28歳) ゲオルギ・チャイゼ(ロシア、29歳) 演奏日程はこちらで見られます。 1日あけて、6月7日から行われるファイナルは、室内楽とコンチェルトの2ステージ。 最初の2日間は室内楽で、ブレンターノ弦楽四重奏団と共演。ブラームス、ドヴォルザーク、フランク、シューマンのピアノ五重奏曲から選びます。 そして最後の課題となるコンチェルトは、審査員長のスラットキン指揮、フォートワース交響楽団との共演。選曲のリストなどはなく、なんでも自由に選んでいいという太っ腹(?)なルールですが、一応、事前に指揮者とオーケストラからの了承が必要とのこと。(今回の6人、偶然全員違うコンチェルトを選んでいます。めずらしい!) 審査員長が自ら指揮をするということは、共演者としての感触も審査に反映されるのかな、さらには、それまでのステージで気に入った人に協力的にしたりできちゃうんじゃないの!などと思いましたが、審査のルールブックを見たところ、審査員長&指揮者はファイナルの順位付けには投票できないのだそうです。タイが出たときだけ、それを解決するために投票することになるらしい。(審査員長が最終順位の投票に基本的には参加しないというのも、それはそれで斬新な気もしますが) 審査は、これまで全てのステージを考慮しての判断となります。1位から順にふさわしいと思う人を投票&決定、過半数にならない場合は上位2人で再投票というシステムとのこと。 さて、発表後のファイナリストの6人の表情です。 ソヌ・イェゴンさん。 2013年仙台コンクールの優勝者ということで、仙台コンクールのみなさんが応援してるといってたよ、と伝えると、はにかみフェイスですごくうれしそうにしていました。また仙台や日本で演奏したいなと言っていました。 ファイナルの協奏曲では、ラフマニノフの3番を演奏します。 ケネス・ブロバーグさん。 今回は6人のファイナリスト中2人がアメリカ人ということになりましたが、そのうちの1人として地元人気を集めています。ミネアポリス出身。2001年ヴァン・クライバーンコンクール優勝者のスタニスラフ・ユデニチさんのお弟子さんだそうです。 ファイナルではラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲を演奏します。 ゲオルギ・チャイゼさん。 おめでとう!と声をかけても表情一つ変えず、ありがとう、とぼそっと言うあたり、いい感じのロシアの人風味出しています。私の中での彼のショスタコーヴィチ感がより一層高まってきました。 ファイナルではプロコフィエフの3番を演奏。 ユーリ・ファヴォリンさん。 先月はLFJ出演のために来日していたばかり。日本好きなんだよー、好き以上に好きなんだよー、文化とか、食べ物とか、と、日本の思い出を語り出したら急ににこやかになりました。 ためしに食べ物は何が好きなのか聞いてみると、「魚」とのこと。 ステージでのお辞儀の手の揃え方が猫っぽいのはそのためか…などと、いらんことを考えてしまいました。さすがに言いませんでしたけど。 ファイナルではプロコフィエフの2番を演奏。ロシア人のおふたりはプロコフィエフ攻めですね。 ダニエル・シューさん。(インタビュー中) 最年少、唯一の10代のファイナリストとなりました。 結果発表前から、緊張する~!といってバタバタ(?)していましたが、ファイナル進出が決まったら決まったで、どうしよ~、みたいな感じでワサワサしていました。 ファイナルではチャイコフスキーの1番を演奏。これはクライバーンのシンボルのような曲で、フォートワースの聴衆にとっては特別な作品だとよく言われます。 「昔から大好きな作品で長く勉強してきた。この曲をここで演奏するのは特別なことだとわかっているけど、今はこのステージに上がって演奏するのがとにかく楽しみ!」とのこと。 そして唯一の女性となったレイチェル・チャンさん。 ドレスも私服もいつもかわいい。 セミファイナルのプロコフィエフがとても印象に残りましたが、ファイナルではベートーヴェンの4番というシブめの選曲です。 それにしてもあの独特の音とタッチ。子供の頃なにか特別なテクニックの教育でもうけたのかなと思いましたが、「頭でイメージした音を出そうとしているだけ。特別なメソッドみたいなものはなかったと思うけど、香港で師事していた先生は、とにかく聴くことを大事にするように言う人だった」と話していました。 結局、耳なんですね。 おまけ。ライブ配信のナビゲーターをしているアンダーソン&ロウさん。 最初、ジャケ写とイメージが違うので気が付きませんでしたが、去年自分がライナーの訳と解説を書いたジョン・フィールドのノクターン集のエリザベス・ジョイ・ロウさんは、このロウさんだということに、2次予選あたりで気が付きました。 このアルバムのおかげで、ノクターンの創始者と呼ばれたフィールドが、当時ロシア貴族の間では「フィールドを知らないことは罪悪」と言われるほど人気だったこと、リストやショパンにすごく影響を与えたこと、そしてあんなきれいでおだやかな曲を書きながら、“酔っ払いのジョン”と呼ばれるような破滅型の人生を送った人だということを知りました…。 上の写真は、ロウさんに無事ご挨拶もすませ、写真を撮ろうとしたら、すかさずアンダーソンさんも参加してきて撮影したもの。配信で見るのと同様、テンション高めの素敵な二人でした。この二人の演奏もすごいです。 さて、少し話は変わりますが、音についての印象のお話。 自分が1次予選の結果のとき、通ったことを意外に思った人というのは、だいたい音がドライめとかこもりぎみとか、そう思った人でした。 そして、中にはそこからそのままファイナルまで進んだんだなぁと感じる人も、実はいます。あくまで個人的な感想ですし、座る場所にもよるのだと思いますが。 結局、自分がツヤツヤした水分たっぷりよりの音が好みだから、音が好みでない時点でなんとなく魅力的ピアニスト候補から外してしまう。カサカサめの音にも、それだからこその表現があるのはわかるのですが。絵の具じゃなくて色鉛筆で描いたタッチの味わいみたいな感じでしょうかね。そういう音の良さも理解していきたいなと思ったりします。 で、さらにあとで配信で聴き直してみると、ホールで聴いていてカサカサめに感じた音がとってもクリアに聴こえて、けっこういい演奏だなと思ったりするわけです。 これ、どんなコンクールや演奏会でもあることではありますが、バス・パフォーマンスホールというやたら広くて響きをコントロールしにくそうな会場ゆえ、余計そういう差が顕著になるのかもしれないなと思いました。 以前スタインウェイのゲリット・グラナーさんが、「スタインウェイの典型的な音はと聞かれたら、わかりませんと答える。その人それぞれの独特の音が鳴ることが特徴だし、そのときの気分も反映する」といっていたのを思い出しました。(もちろんどのメーカーのピアノでもあることだとは思います) 今回はとくに、結局全員同じ楽器を使っているので、そのあたりの違いも本当に良くあらわれているようで興味深いです。 いずれにしても、ある一定のレベルを越えれば、音の好み、表現や解釈の好みなんて何が正しいか本当にわかりませんね(そういってしまえば、それまでですけど)。 コンクールって本当にむずかしい。毎回こればかり言っていますが。”
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クライバーンコンクールファイナル、室内楽
“ファイナル、2日間の室内楽のステージが終わりました。 コンテスタントはそれぞれ、1回きりのリハーサルで本番に臨むことになります。 共演はブレンターノ弦楽四重奏団。内田光子さんとよく共演しているクァルテットですね。 Photo:Carolyn Cruz 1日目、最初に演奏したのはケネス・ブロバーグさん。 演目はドヴォルザークのピアノ五重奏曲。 彼のピアノの音はわりと硬質な印象なのですが、弦楽と合わさったときには、よく言えばその音が目立ち、悪く言えばそれがなじまずという印象。ちょっと変な例えかもしれませんが、アグレッシブな雰囲気で会話をしている4人の周りで、ピアノの人が、どうした、どうしたと顔を出そうとしているような、そんな感じだったかな…。あくまで個人的な印象ですが。 Photo:Ralph Lauer ユーリ・ファヴォリンさんはフランクのピアノ五重奏曲を選択。 あたたかい音で、ときに後ろにさがり、あるときにはググッと前に出てくる。室内楽慣れしているんだろうなという、さすがの安定感の演奏でした。 Photo:Ralph Lauer ソヌ・イェゴンさんは、ブロバーグさんと同じドヴォルザークを選択。 これがまた、先ほどはアグレッシブな演奏をしていたクァルテットが同じメンバーとは思えないほど違った演奏をしていました。ピアノと弦楽器の掛け合いも楽しく、感動的な瞬間がちらほら。 ソヌさん、クァルテットの面々と肩をたたき合いながらステージからはけていきました。レディを先に退場させるところなどにも、こなれ感が。さすが、アンサンブル能力が重視される仙台コンクールの覇者であります。 Photo:Ralph Lauer そして二日目の一人目は、ゲオルギ・チャイゼさん。 ドヴォルザークのピアノ五重奏曲。持ち味の魅力的なもんやりサウンドは、弦楽四重奏となじむような、少し埋もれるような。しかしアンサンブルとしては無駄に目立ちすぎず、ぴたりとクァルテットに寄り添ってまとまった音楽を聴かせていた印象です。 Photo:Ralph Lauer レイチェル・チャンさんは、ブラームスを選択。 冒頭のピアノの入りのところ、セミファイナルで聴かせてくれたキラリン音を期待していたら、そこでいきなり予想外の音だったのでビックリしましたが。ブラームスというセレクトのためか、最初から最後まであたたかく重めの音を鳴らし、弦楽の中で堅実に演奏していた印象。 Photo:Ralph Lauer そして最後の奏者、ダニエル・シューさんはフランクを選曲。 弦楽器に合わせるところは合わせ、自分が出るべきところは一気に出て、存在感充分。いろいろな音を鳴らしています。若さを感じる場面もありながら、それはそれで魅力的だなと感じられました。 以上、あくまで個人的な、そしてざっくりした音や演奏の印象でありました。 ファイナルで室内楽を演奏するというのはわりとめずらしいケースかと思いますが、このタイミングでアンサンブル能力を試すということが、最終結果にどんな影響を及ぼすのか、興味深いところです。 そんな中、あるジャーナリストが審査員がたむろしているところにやってきて、「室内楽って、どのくらい審査に影響しますか?」という大変興味深い質問を投げかけていました。そこで小耳にはさんだひとつの意見。 「でも実際、プロとして室内楽を演奏するときは、共演する相手を選ぶことがほとんど。それに、音楽性が合わない人とやってうまくいかないことなんてプロになってもあるけれど、それはどうにもならない。しかもたった1回のリハーサルで本番に臨むことなんて、実際にはあんまりない」 つまりこの課題で、基本的なアンサンブル能力や意欲のあり方を見ることはできても、室内楽の演奏としての音楽的な完成度をまともに評価しようとすると共演者との相性に大きく左右されるので、そのあたりは差し引いてみてあげないといけない、ということになるかと。 一方今日の審査員によるシンポジウムでは、「室内楽の演奏には、ピアノソロ作品以外の作品にも興味を持ち、聴いているかも現れる」という話がありました。 これもまた、なかなか興味深い。 さて、ファイナルの協奏曲はいよいよ今夜から。 下記の時間から、3人ずつ2日間にわたって演奏します。 ライブ配信はこちら。 現地時間6月9日(金)19:30  ユーリ・ファヴォリン(ロシア、30歳) ケネス・ブロバーグ(アメリカ、23歳) ソヌ・イェゴン(韓国、28歳) 現地時間6月10日(土)15:00  レイチェル・チャン(香港、25歳) ゲオルギ・チャイゼ(ロシア、29歳) ダニエル・シュー(アメリカ、19歳)”
噂の自動演奏ピアノ、スタインウェイSPIRIO
“ヴァン・クライバーンコンクールはスタインウェイとの協力によりいろいろな場面にピアノが提供されています。 そんなわけでホールのロビーには、噂の世界最高峰のハイレゾリューション自動演奏ピアノ、スタインウェイのSPIRIOを展示中。 日本では今年2017年の後半にリリースされる予定いうことで、ちょっと話題になっているピアノです。 コードが下から伸びているくらいで、外観は普通のグランドピアノと変わりません。 ピアニストの演奏や過去の音源から、独自のソフトウェアでハンマーの動きの速度やペダルの動きなどを測定し、現代の演奏家はもちろん、歴史上のピアニストの演奏も忠実に再演させることができるというもの。 再現できる演奏のライブラリーには、ラン・ランやユジャ・ワンなどのスタインウェイアーティストはじめ、ホロヴィッツとかミケランジェリもあるんだとか。 自動演奏はiPadで制御され、従来の自動演奏ピアノより、一段と細やかなニュアンスの違いが反映されるそう。映像からの情報も解析しているらしいです。 サンプリングされた演奏データは今もどんどん増えていて、新しい記録をとる(というのかな?)のは1年以上の順番待ちとのこと。 「ピアニストのコンサートを自宅で聴くことを可能にするピアノ」というコンセプト。キャッチコピーは「ホロヴィッツを家に連れて帰ろう」的な(勝手に考えました)。 ただし「ちゃんとピアノのメンテナンスと調律をしておいてもらわないと、ホロヴィッツがホンキートンクで弾くことになっちゃう」とスタインウェイの人が冗談を言っていましたが。たしかに、デジタル化された巨匠は、調律の狂ったピアノに文句を言いませんからね。 (あと、「グールドの演奏を再現する場合は、うなり声は入らない」とも言っていました。そりゃそうだ) ロビーではいろいろな演奏のデモンストレーションが行われていました。 ときどき、たった今までホール内でコンテスタントが演奏していたのと同じ曲目を自動演奏させていたりして、ちょっとびっくりしましたが。 (自分がコンテスタントだったら、ものすごい巨匠の名演を自分が弾いた直後に流されたらちょっとイヤかもしれぬ…) SPIRIOのデモンストレーションを見たある方が、「大ピアニストの自動演奏を見ていると、鍵盤を押し下げ、戻すときのコントロールの繊細さがつぶさにみられておもしろい。たとえば若いピアニストのものと比べると明らかに違う…」とおっしゃっていましたが、実際、人の姿も指もないから、鍵盤の動きが本当によく見えるんですよね。同じ曲を違うピアニストで再生したときの鍵盤の動きの違いを見比べることも、とてもおもしろいはずです。 ここフォートワースは、もともとコンクールを立ち上げたのも地元の富裕層たちということで、リッチな方々が多いことでも有名。コンクールの休憩中に、ホロヴィッツやユジャ・ワンの生演奏を家に持ち帰ることができるピアノをちょっと衝動買いしちゃった…的な人がいたかもしれませんね。確認していませんが。”
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クライバーンコンクール、最終結果
“クライバーンコンクール、最終結果が発表されました。 ゴールドメダル ソヌ・イエゴン(韓国、28歳) シルバーメダル ケネス・ブロバーグ(アメリカ、23歳) ブロンズメダル ダニエル・シュー(アメリカ、19歳) 聴衆賞 レイチェル・チャン(香港、25歳) 室内楽賞 ダニエル・シュー(アメリカ、19歳) 委嘱作品賞 ダニエル・シュー(アメリカ、19歳) ジョン・ジョルダーノ審査員長賞 キム・ダソル(韓国、28歳) Raymond E. Buck審査員賞 レオナルド・ピエルドメニコ(イタリア、24歳) 審査員賞 イーケ・トニー・ヤン(カナダ、18歳) ファイナルの演奏をすべて聴き終えたところで、正直言って誰が優勝するのか、入賞しそうなのか、全然予想がつかなかったので、結果を見て、そうか…となんとなく納得した次第です。ファイナリストはみんなそれぞれの魅力があって、審査のうえで何を重要視する人が多数派かで結果が変わるのだろうなという感じでした。 関係者や一般のお客さんの意見を聞いていても、多くの人が一致して、この人際立ってるねーと言っている人がいないというか、いろいろな人の、この人すばらしいと言っている人がバラバラというか。コンテスタントの中にも、一貫してノリまくっているみたいな人がいなかったというか。 きっと別の結果でも、そうか…と思ったかもしれません。とはいえ、ソヌさんは室内楽でもコンチェルトでもソロでも、落ち着いた演奏、そしてときどき、普段シャイっぽい雰囲気の内に秘めているなにかを大放出するような、情感豊かな演奏を聴かせていたと思います。クライバーンならではの3年間にわたるコンサート契約の中で、ピアニストとしての魅力、スターらしさが花開いていくことに期待します。 結果発表のあとには記者会見が行われ、その後、コンテスタントや審査員、関係者やホストファミリー、ボランティアみんなが参加するクロージングパーティーが行われました。 去年までこのパーティーは、ホテルの宴会場みたいなところで行われていたのですが、今回はダウンタウンに新しくオープンしたサンダンススクエアという広場の一角のレストランで行われていました。 半分屋外で会場の見通しも悪く、しかも近くのステージでは大音量でバンド演奏が行われているという、異常に取材のしにくい環境でありました。 それでも、入賞者やそのほかのコンテスタント、審査員の児玉麻里さんなどに少しお話を聞けましたので、順次ご紹介したいと思います。 ちなみに先に白状しておきますが、肝心のソヌ・イエゴンさんのコメント、取り逃しました…。 ようやく捕まえたと思ったら、ホストファミリーがなにか呼んでいるからちょっと待って、というので、じゃあ絶対に帰る前にインタビューお願いしますよ!とご本人とホストファミリーに念を押してリリースしたところ、あっさり帰られてしまいました。びっくり。どの入賞者よりも先にいなくなっていましたよ。これ、彼のためのパーティじゃなかったのという素朴な疑問。お疲れだったのかな。 こういう場面で遠慮はいけませんね。迷惑と思われたくないビビり精神が災いしてしまいました。つくづく自分はこういう仕事に向いてないと思いますね、ええ。 とはいえ、ソヌさんのホストファミリーの人が証言する「犬とソヌさんの関係」、そして「トニー君のシャツの謎」など情報収集したので、後日ご紹介しますね。(いらない?)  ”
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クライバーンコンクール事務局長&CEO、Jacques Marquisさん
“ヴァン・クライバーンコンクールは成熟したピアニストを求めているということを以前から明確に示していて、優勝者には3年間にわたって多くのコンサートの機会が与えられます。かつてはよく、それによってピアニストが疲弊して長いキャリアを築くことができない…と言われることもありました。 その“噂”を完全に過去のものとするべく、このコンクールは、審査方法やコンクール後の契約についてさまざまな変更を加えながら開催されています。 前回2013年から、Jacques Marquis氏が事務局長&CEOに就任。ジャックさんは、長らくモントリオール国際コンクールの運営にも携わってきた方です。 今回のクライバーンコンクールは彼が就任して2度目ということで、大胆な変更も加えられました。 というわけで、ジャックさんに、今回加えられた変更の意図や審査員の選定、クライバーンコンクールが目指すものについてお話を聞きました。 ちなみに余談ですがこのジャックさん、結果発表のステージに登場していたあの方ですが、普段いつ見てもテンション高く、常に冗談をいうタイミングを狙っているというか、とにかく愉快な感じの方です。疲れた、みたいな顔をしていることを見たこともありません。 この前、キン肉マンのテリーマンがテキサス出身だと知ったのですが、なんかテリーマンとイメージがかぶります(ジャックさんはべつにキザみたいな感じではないですし、そもそも、フランス系カナダ人なのでテキサスの人でもないんですけどね。まあ、とにかくエネルギッシュでパワーがありそうってことです)。 というわけで、ちょっと長いですがインタビューをご覧ください。 (結果発表前に行ったインタビューです) (もっとイエーイ!みたいなポーズで撮らなくていいんですかと聞いたら、なに言ってるんだ、私はいつだって真面目だ!と言われました) ◇◇◇ 協奏曲の演奏能力が高い人を、ファイナル前に失わない ―今回のコンクールから、いろいろ新しくなった面があると思います。現在のところ、それらはみんなうまくいったという手応えがありますか? そうですね。今回は、芸術面、マーケティング面両方で、いろいろな変更がありました。芸術面ではまず、最高の30人の参加者を選ぶためにスクリーニング審査の方法を変更しました。すばらしい人材を絶対に取りこぼしたくありませんから、これはとても大切な作業でした。 本大会のほうでは、ファイナルの前の段階にモーツァルトのピアノ協奏曲を入れたことが大きな変更の一つですね。 以前の課題曲では、コンチェルトは最後に残った6人だけが演奏する形でした。ですが実際にプロのピアニストになってからの活動のことを考えるとどうでしょう。その50%がリサイタル、10%が室内楽、そして40%くらいはコンチェルトになります。 ですから、ピアニストにオーケストラと演奏する高い能力があるかどうか知ることはとても重要なのです。ファイナル前にコンチェルトの能力が高いピアニストを失うことがないように、セミファイナルで12人に協奏曲を演奏してもらうことにしました。 クライバーンコンクールは、ピアニストのキャリアを切り拓くことを目的としています。ポテンシャルのある若者を見いだして太鼓判を押すことを目的としたコンクールであはありません。 ウェブサイトやPR会社、マネジメント、経済面など、優勝した後は、キャリアの成功のためにあらゆる援助をします。ですから、それに応える能力を持つ人を見つけなくてはいけません。その意味で、協奏曲の高い演奏能力は必須なのです。 ―それで、かわりに室内楽がファイナルで演奏されることになったのですよね。これもなかなか珍しいと思いますが。 そう思います。ピアノパートを弾くこと自体は難しくないと思いますが、ここではミュージシャンシップという大切な側面を見ることができます。私たちは審査員のために、コンテスタントの能力を見極めるためのできる限りたくさんの情報を得ようとしているのです。 1年目のコンサート回数を減らし、徐々に増やす形へ ―キャリアの確立を助けるというコンセプトのもと、優勝者には多くのコンサートが用意されていますが、一方で過去には、そのためにピアニストが疲れ果ててしまうと指摘されてきました。そういったことが起こらないよう、なにか配慮がなされているのでしょうか。 今回から、1年目のコンサートの数を減らしました。 私たちのコンクールは、3人の入賞者に合計300のコンサート契約を用意しています。そんな中、例えば優勝者について、昔は1年目に75回、2年目に50回、3年目に40回の演奏会を用意していたのに対して、今年は1年目から順に、40回、50回、60回と増やしていく形に変えました。 もちろん、多くの主催者たちはこれを喜んでいませんよ。だって彼らは、クライバーンの優勝者が「今」欲しいのですから。 でも私たちは優勝者の将来のことを考えて、とくに1年目には演奏会ごとにちゃんと練習したり休んだりする時間が持てるよう、こうした形に変更しました。また、たとえば数週間にわたるツアーには事務局のスタッフが同行して、様子を見守ることにしています。 提携するマネジメントも、今年からより近い距離で優勝者の世話をしてくれるエージェントに変わりました。 ―今回、会場のチケット販売はどうだったのでしょうか。 最終的な集計結果はまだですが、マーケティングの面でもいろいろな新しい試みを取り入れたので、少なくとも、ウェブ配信の視聴数は増えました。逆にそのために、ホールに来ることなくコンクールを鑑賞しようという人が増えたのかもしれません。 ただ、長い目で見れば、ウェブで聴いている方々はいずれホールに足を運んでくれると思っています。1次から徐々に来場者数が増えて、今回もファイナルの協奏曲は完売ですので、それでいいのではないかと。ちなみに、次回のコンクールのマーケティングについてもすでに私の中にはアイデアがあります。 私たちには、海外、国内、地元という3つのマーケットがあります。海外へはmediciによるウェブ配信がうまくいき、多くの方々が見てくださいました。 国内については、映画館でのファイナルのライブ上映を今回から行いました。放送はmediciが行い、制作はMETライブビューイングと同じ会社のプロデューサーが担当しています。 そして地元の方々のためには、シンポジウム、ピアノランチ、マスタークラスや子供向け企画など、誰でも無料で参加できるイベントを多く行いました。最終日にはサンダンススクエアで公演と授賞式のライブビューイングを行い、その後は広場の一角にあるレストランで、協力してくれたすべてのボランティアスタッフに感謝をするクロージングパーティを行います。 コンクール審査員の常連は避ける方針 ―今回から、 40年にわたって同じ方がつとめていた審査員長も変わり、審査員全体の顔ぶれも新しくなりましたね。 私たちは、新しい優勝者を見つけていかなくてはいけません。いつも同じ審査員が審査をしていたら、審査員同士が仲良くなってしまいますから…。そこで私は、できるだけ審査員経験が多くないコンサートピアニストを中心に審査員を選ぶことにしました。少しは審査員経験の豊富な人もいましたけどね。結果的に、良いバランスとなったと思います。 それに、新しい審査員をお呼びすれば、みなさん帰国してから、クライバーンコンクールは運営もすばらしくバイアスもなくていいコンクールだったとあちこちで話してくれるでしょ(笑)? ―では、コンクール審査員の常連みたいな方々はここでは入れない方針だと。 はい。あちこちで審査員をしている人、たとえばチャイコフスキー、ルービンシュタインで審査員をして、ここでも審査をということになれば、すでにコンテスタントたちのことを知っていて、なにかしらのイメージを持った状態で審査することになってしまいます。私は新しい耳で聴いてくれる人にお願いしたいのです。 ―審査員長が本選の指揮をするというのはめずらしいですね。 そうですね。スラットキンさんに審査員長をお願いしたいといったら、指揮も自らおやりになりたいとおっしゃったので、それもいいかなと思ったのです。 コンチェルトを2人の別の指揮者が担当することにも狙いがありました。ここで共演でしたことで、また共演したいと思って声をかけてくれる指揮者のネットワークが少しでも増えることになりますから。 ―審査員のメンバーはどのように選んだのですか? 審査員を選ぶときには、室内楽アンサンブルのメンバーを選ぶようにしないといけないんです。一緒に気持ちをあわせて演奏することができるけれど、それぞれの個性が異なるというような。世界のいろいろな場所から、多様なエステティックを持った審査員を集めます。 ―スタインウェイとの協力関係も興味深いです。40台ものピアノが用意されているのですよね。 はい、そのかわりに、プログラムやウェブサイトでスタインウェイについて紹介しています。それにもちろん、ウェブ配信では常にロゴが映りますからね。スタインウェイにとってもいい機会になっていると思います。 ―昔はホストファミリーがコンテスタント用に置かれたピアノをそのまま購入すると、クライバーンがサインをしてくれるという制度があったそうですよね。 はい、うちにもそれが1台ありますが(笑)。でももちろんもうそれはできないことですので、もしかしたら入賞者のサインなど、また別の方法があるかもしれませんね。 ―たくさんのコンクールが存在する中で、このコンクールが目指そうとしていることは? 最高のピアニストを選ぶということ。そして、そのピアニストのキャリアを切り拓くことです。 私たちは、オーケストラや世界各地のホールとの関係を駆使して、優勝者のキャリアをサポートします。 私がもう一つ関わっているモントリオールのコンクールであれば、ポテンシャルの感じられる若い人を優勝者とすることもあり得ますが、ここではそうではない。明確なヴィジョンがあります。スーパーエクセレントで、キャリアを確立できる人を求めているのです。 クライバーン氏はチャイコフスキーコンクールによって有名になりました。私たちも、同じような存在になりたい。クライバーンと比べることはできないにしても、我々も最高のピアニストを選び、3年間にわたって支援してゆくのです。 ―3年が経って、その後のことは…。 まぁ、私たちは母親ではないので、全員の子供たちが3年の勉強を終えて戻ってきてしまっても面倒を見切れませんよね。雛鳥が巣立つことを手伝わないといけないわけです。 重要なことは、その3年の間に良いエージェントを見つけられる支援をすることだと思っています。 ◇◇◇ 「コンチェルトの演奏能力が高い人を取りこぼさない」 「指揮者とのつながりをすこしでも提供する」 など、なるほど…と思いました。いざファイナルの協奏曲になったら経験不足が露呈してみんなボロボロ、みたいなこと、たまにあるもんね…。 審査員の選定についての見解も興味深いです。新しい耳で聞いてくれる人を選ぶと。 以前わたくし、審査員のメンバーがどのコンクールでも同じだということは、どこでもその面々の好みのタイプのピアニストでなければ「勝てない」構造ができてしまっているのではないかという問題提起をして、ことごとく審査員の方々をムッとさせてしまったことがありましたが、でもやっぱりそうだもんなぁ。 それでも今回も、ちょうど立ち話をしたある審査員の方が、あるコンテスタントについて、「昔某コンクールで聴いたときは本当にすばらしくて、そのあとも何度か聞いているけど、数年たった今回はどうのこうの」みたいなことを言っていました。実際、過去に聴いていたらどうしたってそういう見方になるよなぁ。 だからといって、これからもっと知名度を伸ばしたい新しいコンクールが、有名な審査員を招きたいと思う気持ちもわかる。ということは、歴史のあるコンクールこそ、こういう新メンバーをそろえる改革に乗り出してくれたらいいということですね。  ”
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クライバーンコンクール審査員、児玉麻里さんのお話
“先の事務局長のインタビューにもあったとおり、今回のクライバーンコンクールでは審査員の顔ぶれが一新され、初参加の方ばかりでした。 今回の審査員の面々はこちらです。 Photo:Ralph Lauer Alexander Toradze,Mari Kodama, Joseph Kalichstein, Erik Tawaststjerna, Leonard Slatkin, Marc-Andre Hamelin, Anne-Marie McDermott, Arnaldo ...”
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クライバーン、入賞者やコンテスタントのお話
“今回のヴァン・クライバーンコンクール、日本のピアノファンのみなさんにとってはなじみのある顔ぶれも多く、知っているピアニストのリサイタルを聴く気分で楽しむことができたステージも多かったのではないでしょうか。 ちなみに各コンテスタントの演奏は、こちらから、データ、CD、DVDそれぞれの形式で購入することができます。 Mediciの演奏動画は、リサイタルは基本的には無期限で、オーケストラとの演奏は1年間の期間限定で公開されるとのこと。 さて、このコンクールでは、コンテスタントはみんなホームステイで滞在しているので、ファイナルまで残らずとも最後まで滞在する人がわりといます。 コンクールによっては、通らなかったら結果発表の翌日にはホテルから放り出される(言い方は悪いですが、ハイシーズンだから満室で空き部屋すらない的な…)みたいなところもあるので、若いコンテスタントにとっては、親しくなった家族のもとそのまま落ち着いて滞在できるいいシステムです。 今回の記事では、入賞者たちのお話に加えて、最後のレセプションなどでお会いできたその他のピアニストのお話も紹介したいと思います。 まずは第3位となったダニエル・シューさん。 このコンクールの直前、日本でリサイタルツアーを行っていたので、最近聴いたばかりだという方もいらっしゃるでしょう。 私は東京のハクジュホール公演を聴きましたが、ベートーヴェンの31番のソナタを聴きながら、「あーこの子、クライバーンでいくかもしれないな…」と、実は、うすぼんやり思っておりました。(演奏はもちろん、19歳というフレッシュな年齢、今後の飛躍の可能性、アメリカ人だということなど全部ひっくるめて) バックステージに挨拶にいったとき、「なんか今日の演奏聴いて、クライバーンで、もしかしてって思った」と口走ると、横にいたお母さんが、「この子には結果は気にしなくていいっていってるの! ね?」とすかさずカットイン。微妙な笑みを浮かべているダニエル君を見て、余計なプレッシャー与えちゃったかなと思いましたが、今となっては「ほらー、だからいったじゃん」状態です。 ─3位おめでとうございます。一番大変だったステージは? ファイナルですねぇ。 ─オーケストラはいかがでしたか? うん、大丈夫でしたよ。 ─…というのも、演奏前には言うまいと思っていたんですが、前回同じオーケストラと指揮者でチャイコフスキーを弾いた阪田さんが、ものすごくゆっくりのテンポにちょっと苦労していそうだったので…。 ああ…。そうですね、少しゆっくり目でしたけど…実は本番はリハーサルのときよりはテンポが早くなっていたのでよかったです。でも、遅いテンポも好きだと思いましたけどね。 ─浜松コンクールから2年が経ちました。演奏家として変化を感じますか? 僕の頭は変化し、発展していると思います。引き続き勉強を続けて、音楽を発展させていきたいです。 ただ、年齢を重ねればもちろん経験が増えて成熟に向かうはずだけれど、それは音楽の主な要素ではないと僕は思います。音楽やアーティストは、そんなことで邪魔されるべきではありません。音楽は演奏家から放たれていくものではあるけれど、演奏家は音楽それ自体を変えるべきではないと思います。 つまり、音楽は演奏家の心や魂、頭から出てくるべきもので、音楽を聴くときに、その音楽のコンセプトが、奏者が誰かによって違う風に受け取られるべきではないと思うんです。だから例えば若い人が演奏しているからといって、若いのにすごいとか、歳がいっているんだからもっと成熟しているべきだとか、そういう風に思って聴かれるべきものではない。音楽は音楽だと思うから。…意味通じてる? ─わかりますよ。少し話はずれますが、この前シンポジウムで、成熟するということについて、悲しい曲を弾くにはそれ相応の実体験が必要なのかということが話題になっていたのを思い出しました。 僕は、実体験は必ずしも必要でないと思います。誰かが経験した悲しみや痛みは、自分が同じものを経験しなくては完全にわかるはずがない。だけどその原因を全部経験してみる必要などもちろんないと思います。苦しみや痛みにはいろいろな種類があって、その中にいる人にとってはとてもリアルなもの。気持ちがふさぎ込む、生きる気力を失う、一人でいられないなどその種類はさまざまで、それをすべて体感することはできませんよ。意味通じるかな…。 ─わかりますよ。相変わらず、ただの明るい若者じゃない感じの発言で。 ははははは!! ◇◇◇ 考えこみながら深〜い話をして、ハッと気づいたように、なんかわけわかんないこと言っってないよね?と確認してくるところなど浜松コンクールのときから変わっていません。 ところで関係ありませんが、浜松コンクールは次回の募集要項が発表されたようですね。審査委員長は小川典子さん。詳しくはまた別の記事で…。 第2位のケネス・ブロバーグさん。 最初から最後までものすごく落ち着いた雰囲気漂わせていましたが、まだ23歳。 先にご紹介した審査員の児玉麻里さんのお話からもわかる通り、彼のほうを高く評価していた審査員もわりといたようです。 ─おめでとうございます。今の気分は? とてもいいです。どのステージも大変でしたが、セミファイナルは、オーケストラと演奏するというそこまでとは別の経験の中、モーツァルトで自分の別の面を見せなくてはいけなくて大変でした。さらにファイナルではまた大きな協奏曲でオーケストラと別の面を見せなくてはいけなくて。ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」は、パガニーニが悪魔に魂を売ったストーリーを見事に伝えるすばらしい作品なので選びました。 ─音楽の解釈をつくっていくうえで一番大切にしていることはなんでしょうか? 作曲家が書いた感情的なストーリーを伝えるということです。自分の中に芽生えた感情を伝えることも大切にしています。 ─あなたの音には特徴がありますね。自分の音はどのようにして見出したのでしょう。何か特別な技術的練習を積んできたのでしょうか。 いいえ、特別な練習はありませんよ。音は頭の中から出てくるものですから。ピアノのメカニズムを考えれば、音はハンマーと弦によって鳴らされるわけで、そこに他の要素はありません。とにかく重要なのは自分のイマジネーション。それだけです。 ─ピアノの道に進もうと思ったきっかけは? 若い頃、自分がやりたいこと、そして情熱のすべてがここにあると感じたことから、ピアノの道を選びました。人間にとって音楽はあらゆるものごとを伝えることができるものだと思います。自分を伝える手段でもありますね。 ◇◇◇ さて、優勝したソヌ・イェゴンさんです。 (ハンブルクからかけつけたスタインウェイのグラナーさんらと) 前述の通り、記者会見でのお話以外のフレッシュなコメントを取り損ねてしまいました。一瞬誰だかわからないレベルのイメチェンをすることになったきっかけ、ご本人がやせたんだといっていましたが、その減量のメソッドなど聞いてみたかったんですが残念です。 かわりに、ホストファミリーのきらきらマダムのお話をご紹介します。 ◇◇◇ ─イェゴンさん、おうちではどんな様子でした? 彼は本当に真面目で、毎日5、6時間は練習していましたよ。とても優しくて人間的にも優れているすばらしいアーティストだと思います。今回初めてホストファミリーをつとめたので、彼が優勝して驚いています。 ─ところで動物はなにか飼ってらっしゃいますか? オーマイゴッシュ! 飼ってるわよ!! 彼にも聞いたらきっと話してくれると思うけど、うちのゴールデンレトリバーのことが本当に大好きになったみたい。彼はとても優しい人だからね。 うちのゴールデンレトリバーは、彼が練習しているとき、ピアノの下に毎日何時間も座っていたんですよ。こんなこと、普段はないのよ、オーマイゴッシュ!! 動物も彼の音楽が好きなのねって思いました。信じられない現象だったわよ。うちのゴールデンレトリバーは、嫌な音楽だったらいつも逃げていってしまうのに。 ◇◇◇ …というわけで、何の気なしにペットについて話をふってみたら、ホストマザーさんのテンションが爆発的に上昇し、すごい勢いで語り始めました。イェゴンさんとゴールデンレトリバーさん、この3週間で飼い主もびっくりするほどの友情を育んだんでしょうね。   さて、入賞者以外の面々。 レイチェル・チャンさん。彼女はファンが多かった。 (Web配信のナビゲーター、アンダーソン&ロウさんと) 結果は少し残念だったけれど、ここで演奏できてよかった、日本に演奏しに行きたい!と話していました。 ところで先の記事で紹介した、人の顔を見るたびにレイチェル・チャンのプロコフィエフよかったよねーと言ってくる音楽評論家のおじいさんですが、あるときわざわざ近寄って来たのでまたレイチェルの話かと思ったら「そのカーディガンいいねぇ、すてきだねぇ」と言ってきました。寒いホールをしのぐためのよれよれのグレーのカーディガンなんですけどね。 以来、人の顔を見るたび「今日はあのカーディガンは?」と言ってくるようになりました。なにかしら執着ポイントが発生すると、そのことばかり聞く癖があるみたい。 イリヤ・シムクレルさん。ホストファミリーと。 前回の浜松コンクール、セミファイナリストです。 なんだか以前より大きくなったような気がして、「なんか(背が)大きくなった?」と聞いたら、「えへへー、そうかな、お腹じゃない?」と、少しふくよかになったお腹をポンポン叩くという、中年男性のようなジョークを返してきました。まだ22歳ですけどね。なんだかいつ会っても常に楽しそうでした。 ちなみに「偶然見たこの動画であなたが譜めくりしていてびっくりした」といったら(彼はクズネツォフの弟子なのです)、当日譜めくりさんが突然ドタキャンしただかで、どこかから帰国したばかりだったのに急遽呼び出され、空港から直接会場に行って譜めくりさせられたんだよねーと話していました。全然コンクールに関係ない話題ですけどね。 そして、イーケ・トニー・ヤン君。 最終的に、審査員賞を受賞しました。将来性に期待をかけて、ということでしょうか。 彼には今回、今後ピアニストとしてどうしていくのか、ハーバード大学での生活や勉強はどんな感じなのか、ゆっくりいろいろお話を聞くことができました。ピアニストとして生きていくことは本当に大変だ、としきりに言っていたのが印象的でした。意外と現実的なのね。でもピアノはこれからも大切にしてゆくとのこと。 大学には昨年秋に入学して1年が経ったけれど、この1年はコンクールの準備などでなかなか授業に出ることができなかったから、2年目から勉強のほうもがんばりたいと話していました。経済学や国際政治に興味があるんだって。 ところで今回もトニー君は、「通気性が良くて伸縮性もあり、着心地がいいのだと本人は言うけど、傍からは全然そう見えない、あの異素材シャツ」をステージで着用していましたが。 Photo:Carolyn Cruz なんとこのシャツ、オーダーメイドで、デザイナーはユジャ・ワンのドレスのデザインもしている人なんだそうです。なにその予想外のオシャレへのこだわり!!(ワルシャワではポートレートを撮影するっていってるのに、アディダスのでかいロゴ入りパーカーとか着てきちゃうくせに!) ちなみに赤いジャンパーを愛用しているのは、ご両親が好きでいつも買ってくるからなのだそう。 (左は今回、右はワルシャワの写真) 「なんで赤なの? 赤が好きなの? あっ! それとも、赤を着せておけば自分の息子がどこにいるか見つけやすいからかな?」と聞いたら、「それは違うと思う」と即答されました。”
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テキサス滞在をふりかえって
“コンクールのこと、コンクール以外のことも含めて、テキサス滞在についてちょっといろいろ振り返ってみたいと思います。 まずはコンクール関連の出来事。 今回の滞在中、私のテンションがかなり上がった瞬間のひとつは、コンクール本編の演奏ではなく… 審査員のマルク=アンドレ・アムランが、新作課題曲となった自らの作品「トッカータ」を、ピアノランチというイベントの中、サプライズで演奏してくれたこの瞬間です。 作品自体とても素敵なもので、1次でのコンテスタントたちの演奏もとても楽しんだのですが、アムランさん自身による演奏、すごく味わい深く、ああ、これを生で聴けてよかった…としみじみしてしまいました。 とても美しく優しく、わりとゆったりとした音楽で、コンテスタントたちが演奏していたものとは全然イメージが違ったんですよね。(作品についてのシンポジウムの様子はこちら) …という話を、この場に居合わせなかったあるコンテスタントに言ったら、あの楽譜でそういう演奏になるの!? と、ものすごくびっくりしていました。 ちなみにアムラン自身の演奏、ステージで収録したものを公開すると聴いていましたが、まだ出ていないようですね。 コンクールでは、ダニエル・シュー君が委嘱作品賞を受賞(演奏はこちら)。この賞はアムランさんひとりが決めればいいという話も出たそうですが、みんなで平等に投票をして決めたと聞いています。 もうひとつ思い出に残る出来事。 2次予選中のある日、ホール近くのバーで事務局のスタッフのみなさんと飲む機会がありました。そのとき事務局長のジャックさんがいくつかのポイントについてすごい勢いでつめよってきた、あの瞬間のハラハラ感です。 一つは、今回のコンテスタントの中で誰の演奏が気に入っていて誰を応援しているかという質問。なんだかよくわからないけど、そこにいるメンバー全員にかなりしつこく問い詰めてきました…聞いてどうする気だったんでだろう。 もう一つは、日本人はショパンコンクールをあんなに多くの人が聴きにいくのに、なんでクライバーンには全然来てくれないんだ。ショパンコンクールの何がそんなにいいんだ!という質問。 ピアノ好きの人が、ショパンコンクールには憧れがあって、一度現地で聴いてみたいと話しているのはよく聞きますし、実際、共感します。でも、改めてなんで?と聞かれると、確かに不思議なものです。 過去にスターが出ているという意味とか、作曲家の偉大さという意味では、チャイコフスキーコンクールとかも同じですけど、やっぱりショパンコンクールだけは人気が特別ですよね。なぜなんでしょう。 でもまあそれは日本に限ったことではなく、韓国でチョ君の優勝と同じノリで今回のソヌさんの優勝が受けとめられているのかといったら、きっとそうではないんだろうなという感触がありますし(DGから発売されたアルバムがヒットチャート1位、チケットは何分で完売、みたいなわかりやすい情報がまだ出てないからかもしれませんが)。 とはいえ、先の記事でも述べたように、クライバーンは1、2位に入賞すると、若いピアニストにとってもうコンクールはいいと思うきっかけになる、そういうコンクールであるらしいことは確かです(今のところ)。 それにはコンクール自体の音楽界的な評価というよりは、具体的なキャリアの支援体勢が、ピアニストにとって実質的効果を持つからなのだろうと推測します。 さて、それはさておき、ジャックさんはクライバーンコンクールにもたくさん日本のピアノファンに来てほしい!と話していました。 でもフォートワースにははっきりいって素敵な観光地もない、ストックヤードというカウボーイ文化を見られる場所も、まあ、1日見れば十分。クライバーンの家を外から見たってそれほどおもしろいもんでもない…。強いていえば、お隣のダラスまで足を伸ばすと「ケネディ暗殺の謎を探るミュージアム」があるくらいで(実際襲撃が起きた路上にはバツ印がつけてあるという…)、観光スポットって他にないからみんな来ないのも仕方ないんじゃない、とも思いましたが、もちろん言いませんでした。 でも、みなさんぜひ次回は聴きに行ってみてください。 ただ、テキサスに魅力的なおいしいものがないわけではありません。 行ったら食べたらいいよと勧められていたもののひとつがこちら。 Tボーンステーキ! とても大きい。 おいしかったですが、食べ終わったあとは「一週間肉はいらないな」と思いました。 話はどんどんコンクールから離れていきます。 さて今回、いつものコンクール取材と違ったのは、自分が人さまの家に間借りして滞在していたということ。いつもは孤独に取材に集中しているのですが、今回はいろいろな人にお世話になり、おかげでおもしろい出来事もたくさんありました。 まずひとつ、着いたとたんにおもしろいなと思ったこと。 トランプ大統領が就任してもう半年。実はテキサス州、中でもフォートワースは移民が少ないので、わりとトランプ大統領支持者が多めの地域だと聞いていました。そうはいっても、私がその件について会話した人の中には、トランプ支持だという人はいませんでしたが…。 とはいえもう半年も経ったんだし、アメリカの人たちはもう大統領がトランプさんであるという事実を受け入れて生きているのかなと思ったわけですが、なんか違ったんですよね。 先の記事でもご紹介した、日本とインドへの駐在経験のあるジャーナリストの家主は、毎晩、いわゆるスタンドアップコメディー的な番組を楽しそうに見ていたんですが。 これがもう、毎晩毎晩トランプ大統領の言動をネタに揶揄、という内容なんですね。トークショーみたいな番組も、政治的なものはだいたいトランプ大統領の痛烈批判という感じ。 家主がたまたまそういう番組を選んで見ていたから目立って感じたのかもしれませんが、まだみんな、現実を受け入れてないんだなーと思いました。 あるとき家主氏がある政策について「でもこれが実施されるのは4年以上あとで、そのころにはトランプの任期は終わっているから…」と話していたので、「でもまた再選されるかもしれないんでしょ? 今回もそうだったんだから、次回だってあなた方アメリカ人は彼を選ぶかもしれないんでしょ?」といったら、現実に気づかされた腹いせに「オヌシ、ヒドイニホンジン!」と言ってきました。 もうひとつ家主ネタ。 この家主がある日、夕食に今日は冷奴を食べようといって豆腐を買ってきました。 それじゃあ準備するよといって、6、7センチくらいの大きめのブロックに切って器に盛り付けたら、「それは間違ってる! 正しい冷奴はこうだ!」といって、2センチ角くらいの小さなブロック(なんでしょう、お味噌汁に入れるもののちょっと大きいくらい?)に切って盛り付けたうえ、あらかじめ醤油をドバーッとかけて、はい、食卓に持ってってと。 完成品がこちら。 これが正しいんでしょうか。家主のあまりの自信満々っぷりに、自分が間違ってるんじゃないかと思ってしまいました。 そして一応私、生まれも育ちも日本なんですけど、なんで信用してもらえなかったのか自分でもよくわかりません。 ちなみに家主氏は、この冷奴の作り方を、息子たちや近所の人たちなど、あらゆる人に伝授してまわって、現在に至るそうです。間違った日本食って、こうやって広まっていくんですね。 それからさらに全然関係ないんですが。 滞在も2週間半が過ぎた頃、自分の寝泊まりしている部屋にこんなものが置かれているのを発見。 いたずらかと思ってボール部分をひっぱってみましたが、しっかり固定されています。この家の息子がテニス大会でとってきたトロフィーだと思われますが、なかなか斬新ですね。 …で、そんなことよりなにより、今回私がこのテキサス滞在中もっとも心揺さぶられたピアノと全然関係のないこと。 それは、家主のねこ、ウキー君のかわいらしさです!! もともとねこを飼った経験がなく、ねこ慣れしていない私は、ふだん人さまの家のねこさんと触れ合ってみても仲良くなれることがあまりないのですが、このウキー君は初日からスリスリと寄ってきて、私の部屋に入り浸り、毎晩のように私のベッドの上で寝るようになりました。ドアを押し空けて静かに部屋に侵入し、ファサとベッドに乗り、わたくしの腹部をフミフミして、そこにそのまま寝るのが定番。 重いし変な夢見るのよ。でもかわいい。そういうものなんですね、ねこって。 今回テキサスから帰ってくるときに何がさみしかったって、一番はウキー君との別れでした。だって、人間はここ以外の別の場所で会えるかもしれないし、なかなか会えなかったとしてもメールや電話で連絡をとることができるけど、ねこさんには、私がまたこの場所にやってこない限り会えないし、顔を見て話をすることもできないんですからね。(そういえば、ロマノフスキーは愛猫と電話で話すっていってましたけどね…どうやって話すのか教えてもらいたい) 最後だとわからずに最後に会うことより、最後かもしれないとわかりながら最後に会うことのほうが辛くて嫌いなのです。わたくしは現実から目を背けたい、弱い人間なのであります…。 次回コンクールの4年後といわず、ウキー君に会いにまたフォートワースに行ってしまうかもしれません。”
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テクノ、ゴルドベルク、トリスターノ
“今度の金曜日、6月30日にハクジュホールで行われる フランチェスコ・トリスターノの「アコースティック・テクノ アンプラグド・ライブ」、まだ少しチケットが残っていると聞きまして。少しでも興味があって未体験の方は、ぜひ聴いてみてほしいなと思い、突然に記事をアップ。 (今にもピアノの中にのしのし侵入してきそうなこのお姿) フランチェスコ・トリスターノについて、私が改めてこの人すごいと思ったのは、5年前、ヤマハホールでの演奏会を聴いたときのこと。 前半にはフレスコバルディやスカルラッティなどバロック期の作品を、後半ではヤマハの機材を駆使して「ピアノとエレクトロニクスによる」作品を披露する公演でした。 もちろんトリスターノさんのクラシック作品の演奏は優れていて、それまでにもその感性に目を開かれる思いをすることはありました。 とはいえ、純粋にそういう作品の解釈の面で優れた演奏に出会う機会は、いってしまえば(これだけコンサートに通っていれば)他にもある。 が、しかし! 私はテクノ関係に詳しいわけではありませんが(とはいえそういう音楽に全くなじみがないわけでもありませんが)、初めてトリスターノのテクノより作品の音を聴いたとき、この人の音を操作する(混ぜ合わせる)センスは本当にずば抜けているのだろうなと、感覚的に理解したわけです。 しかも良かったのは、これをヤマハホールというクラシック音響の環境で聞いたこと。響きがデッドなクラブハウスなどと違い、(こういう言い方するとアレかもしれませんが)音圧ゴリゴリの音ということもなく、ふだんクラシックの音量、音質に慣れている耳でも心地よく受け入れることができる音で、きめ細やかなテクノ音楽を満喫できる、そんな演奏会だったのです(いまどんどん人気を高めている「ポスト・クラシカル」のサウンドもこういう部類のものなのでしょうか)。 というわけで、今回彼がハクジュホールで「アコースティック・テクノ アンプラグド・ライブ」をやると聞いたときは、これはキタ!と興奮いたしました。あの目の開かれる思いを、5年ぶりに再び味わうことができる! その後、何度かインタビューでお話を聞く機会もあり、このピアニストの頭の中に渦巻くもの、そしてあのシュッとした雰囲気とギャップがありすぎる「ほんわかラーメン好きキャラ」にも関心が募っているところです。 (ほんとうに、話を聞いていると、ラーメンへの執着がハンパないのよ…) まだチケットがあるということで、みなさまぜひ一度ご体験ください。もちろん、どんな演奏会になるのか予想がつくようなものではないので、思ってたのと違うかもしれませんが、その辺はご容赦ください…。 ちょっと遅めの20時開演です。 一方、今回の来日ツアーではゴルドベルクも弾くんですよね。 ゴルドベルクはトリスターノさんがデビューアルバムで収録し、長らく取り組んでいる作品だということですが、多分普通じゃないアプローチで聴かせてくれるものと思います。 さらに後半にはヴァージナル作品や自作曲なども演奏するという。この組み合わせで聴くことで発見があるはず…。 この夏は、8月にすみだトリフォニーでピーター・ゼルキンとキット・アームストロングもゴルドベルクを弾きます。この偶然のゴルドベルクブームにのって、一気にゴルドベルクの現在を知ることができそうだな、などと思っているところ。 トリスターノのゴルドベルクが聴けるのは、 7月9日(日)三鷹市芸術文化センター風のホールです。 (演目についてのお話も公開されています!)”
8月
09
ドレンスキー先生が来る(ロシアン・ピアノスクール2017)
“毎年夏に表参道のカワイで開催されているロシアン・ピアノスクール、 今年で15周年なのだそうです。 2017年8月11日(金)~8月18日(金) 会場:カワイ表参道 紹介ページの最初に「国際コンクール入賞者を100人以上も輩出しているセルゲイ・ドレンスキー教授のクラス」と書いてありますが、まあ、どこにいってもドレンスキー先生の門下生は活躍しているなと思っていましたが、こうして数字にして言われると改めてすごいですね。一人でものすごい数のコンクールに入賞するような人がいても、それは「1」とカウントされるとなると、相当です。 (この前来日していたアレクサンドル・ヤコブレフのチラシのキャッチコピーに”50を超えるコンクールを制覇”と書いてあったことが、ふと思い出されまして。とはいえ、ヤコブレフはドレンスキー門下ではありませんし、流派も微妙に別だと思いますが) 今年のロシアン・ピアノスクールも、連日朝から夜まで、 ピサレフ教授とネルセシヤン教授によるマスタークラスが行われます。 8月12日、14日夜には各教授によるリサイタルもあり。 (ネルセシヤン先生の公演は完売みたい) さらに今年も重鎮、ドレンスキー教授ご自身も来日し、 8月13日と16日にレクチャーが予定されています。 昨年は奥様の体調不良で来日がキャンセルとなってしまっているので、2年ぶり。 このところご本人の体調も心配なところがありますから、お元気で日本に来てほしいですね。ジャパンのこの蒸し暑さ、大丈夫だろうかとちょっと心配になりますが。 ちなみに、2年前のレクチャーの開催レポートが出ていました。おもしろい。 子供の頃、2回「ムチ打ちの刑」にあっているという思い出話。 ムチ打ちというのがいかにも当時のロシアっぽく、過激だなーと思うと同時に、ドレンスキー少年がやってることも、なかなかヤンチャだぞとつっこまずにいられない。 しかしこういう、自分の知らない時代、社会を生きた人の話というのは、本当におもしろいですよね。今年はこの2年前のお話の続きが聞けるのかな? なんだかとても楽しみになってきた! 各レッスンやレクチャー、演奏会の申し込みはウェブ上でできるようですので、どうぞご覧くださいませ。”
9月
19
横山幸雄のファンタジ~
“このところ大がかりな仕事に取りかかっていましたが、 ようやく最初の山場を越えました。 今朝は久しぶりに、起きた瞬間ベッドの中で 「あ、あの部分こう書こう」と思いそのままパソコンに直行する、ということなく、 人間らしい目覚めを迎えました。おもしろかったけど大変だったなー。 というわけで、久しぶりに記事を更新しようと思います。 先日ある案件のことで横山幸雄さんのお話を聞く機会があり、 そのついで(といってはなんですが)で、今度の9月23日の演奏会について、 ちょっとどんな感じになりそうなのか、尋ねてみました。 相変わらずすごいロングな演奏会です。 10:30開演、16:20終演予定。お腹いっぱいの予感。 2017年9月23日(土・祝) 10:30 東京オペラシティ コンサートホール 《第1部 10:30開演》 ピアノ・ソナタ第13番、第14番嬰「月光」、第15番「田園」 《第2部 11:50開演》 7つのバガテル Op. 33、2つの前奏曲 Op. 39 ピアノ・ソナタ第16番 《第3部 13:30開演》 ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」、第18番 《第4部 14:30開演》 バッハ:半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV. 903 モーツァルト:幻想曲ニ短調 K. 397 ショパン:「幻想即興曲」、幻想曲、「幻想ポロネーズ」 《第5部 15:40開演》 シューマン:幻想曲ハ長調 Op. 17 午前中から月光聴くとどんな心境になるのか、興味津々です。 この長丁場のラストにシューマンのファンタジーというのも、 最後いい感じにぶっ飛ぶことができそうでワクワク。 そしておそらくまた持ち込みのニューヨーク・スタインウェイなのでしょうけれど、 一人の人が弾く長丁場ならではの音の変化が感じられて、本当に興味深いですよ。 さて、まずは横山さんに、どんな気分のプログラムなんですか?という 異常にざっくりした質問を投げかけてみました。 すると横山氏、 「今回はベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いたあたりなんだよね。 いろいろなものを乗り越えるあたりを聴いてほしい。 そして一緒に乗り越えてほしい。 …まあ、僕は乗り越えられずに、そこでもがいてるけどね、アハハ!」 ……。 不覚にもナイスな突っ込みが思い浮かばず、 もがく横山氏とそれを見守る聴衆というシュールな図を想像して、 何とも言えない気分になってしまいました。 そして後半のテーマはファンタジー。 今年は1月の演奏会でもファンタジーや即興曲をテーマにしていたし、 新譜もファンタジーがテーマ。 2017年はファンタジーが横山さん的に流行ってるのかなと思い、 最近ファンタジー気分ってことですか?と尋ねると、 「いや、ぜんぜん。僕、あんまりそういう人じゃないから」(キッパリ) と言われました。 ……「そういう人じゃない」ってなんなの。(とはいえ、わかる気もする…) 一足先に9月20日発売の新譜のサンプル盤を聴いていますが、 そうはいっても、演奏はしっかりファンタジ~な感じです。 シューマン、見事に夢見てさまよってます。優しい。意外な感じ。 さすが、理論派のぬいぐるみをかぶった感覚派!(いい意味で) リサイタルは今週末。みなさまぜひどうぞ。  ”
10月
19
ファツィオリ創業者パオロさんのお話&ファツィオリジャパン10周年
“ファツィオリジャパンの創設10周年を記念して、ファツィオリのある表参道のレストラン、リヴァ・デリ・エトゥルスキでレセプションが行われました。世界に一台の縞黒檀のモデルで、佐藤彦大さんが演奏。こちらのピアノ、久しぶりに聴きましたが、さすが音も馴染んできて良い感じです。 10周年を記念して行う、一般の聴衆が審査に参加できる、インターネットコンクールについても発表されました。 ファツィオリ創業者のパオロ・ファツィオリさんも来日中ということで、お話を伺いました。パオロさんにお話を聞くのは、7年ほどまえに、取材でサチーレの工房を訪ねたとき以来だったと思います。 パオロさんは1944年ローマ生まれ。家具工場を営む一家の、6人兄弟末っ子として生まれ、ローマ大学で工学を学び、ロッシーニ音楽院でピアニストの学位もとったという人物。創設当初から、他のどんなメーカーのピアノも真似しない、独自の音を追求していこうという信念で楽器作りを行い、設立から36年の今、いわば新興メーカーでありながら、独特の音の特性と存在感を持つメーカーとして認められています。数ではなく質を常に求めるという経営方針を持ち、年間生産台数は140〜150台。 (ファツィオリジャパンのアレック社長と、ファツィオリのパオロ社長) アグレッシブに革新を求めてきた人物だけに、パオロさんという人はとてもエネルギッシュ。握手もギューっと力強い。そして、いつもワクワクしてます感がすごい方です。こういうおじさん、他に見たことない! ◇◇◇ パオロ・ファツィオリさん ─ファツィオリのピアノは、既成概念にしばられずに進化することを理念としているということですが、その中で根本的に大切にしていることはなんでしょうか? はい、まず他の物を真似をすることはありません。独自の、持続する伸びのある音、色彩感のある音、そしてパワーの面では、よりダイナミックであることを目指しています。他のピアノとは異なる、我々独自のアイデンティティを確立しなくてはならないと思っています。最近も、新しいアクションを開発して特許をとりました。ピアニストたちのために、良い音楽を生むためのツールとプロポーサルを作らなくてはならないという考えが根底にあります。お金のためではありません。 ─3、4年くらい前だったでしょうか、ファツォイオリのピアノが大きく変わったという印象がありましたが。 そうですか? 基本的に、変化しているのはいつものことだと思いますが! 例えば老舗の他のメーカーが、新しいモデルではここが変わったと書いていることは、だいたい我々がもともとずっとやってきたことです。私たちは、毎日新しいピアノを提供しています。一つ良い楽器ができたから、これをコピーしてたくさん作ろうということはありません。毎回進歩していないといけないのです。 ちなみに、私たちの工房の技術者たちは、全員私みたいな感じです。いつも、今度はこれができるかもしれないと考えながら新しい試みを導入しています。 ─それほど独特の個性を持つピアノですから、ファツィオリのピアノを弾くときには何か特別に心がけたほうがいいことはあるのでしょうか。正直いってファツィオリのピアノについては、弾き手がその扱いがわかっているときとそうでないときの違いがよりはっきりしているように思えるのですが、その辺り、どう思いますか? ピアノとして、一般的な共通のフィロソフィーはありますから、他のピアノと方向としては同じほうを向いています。 ただ確かに、われわれはプロのためのピアノを作っているので、「スピードの出る車をコントロールするためには、いい運転手でないといけない」というのと共通したことは言えると思います。あまりに速いスピードの出る車は、いい運転手でないと操れません。そして、腕のいいF1のドライバーは速い車にのりたがるものです。 能力の高くない演奏家は、ピアノからたくさんの色を与えれられても、それをコントロールし、うまく対処することができません。確かにその場合は、さまざまな色が感じられないただの大きなピアノになってしまう。そういう方にとっては、多彩な色がないピアノを弾くほうが楽と思えるかもしれません。 いろいろな色が引き出せるピアニストが弾いてこそ、すばらしい音が出るというのは確かだと思います。そもそも、私たちはフラットな演奏をする人のことを考えてピアノを作っているわけではありませんから。 ◇◇◇ シビアですねー。 しかしあのサチーレの工房で、パオロさんみたいなメンタリティの職人が50人も集まってピアノを作っているとなれば、それは毎回違うピアノになるだろうな…と思わずにいられません。 7年前工房をたずねた際には、ちょっと個性的な外見だったり、作業着をいい感じに着崩していたり、道具ケースに水着美女の写真を飾っていたりといろんな職人さんがいて、これは、日本やドイツのメーカーの工房では見られない光景だわ、と思ったものです。 パオロさんがピアノを作り始めたときの想いとして、充分な音を鳴らすために、ピアニストがピアノと格闘しなくてよいピアノを作りたいと思った、という話がよく出てきます。 実際最近のファツィオリのコンサートグランドには、よりパワーがあって楽に音を鳴らすことができるようだなと、聴いていて感じます。それだけに、F1ドライバーの例ではありませんが、それをコンサートホールのような響く場所で細やかにコントロールするには、鋭い感性と、楽器の特徴を掴んでいるという前提が求められるのかもしれません。それをつかめばすごい力が発揮できる。 ピアニストがファツィオリに触れる機会が増えたら、楽器に触発された、よりいろんな表現を聴けるようになる、ということですね…。”
2016
1月
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ドミトリー・シシキンおまけインタビュー
“【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、 さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】 ドミトリー・シシキンさん(第6位) 言葉少なだったので、後ろに控えていた彼女の解説つきでお届けします。 ─もう何度も日本にいらしているそうですね。 はい、2015年はコンクールの前に2回日本で演奏していますし、その前にも何度も行っていますよ。 ─そんなに何度も来ていたんですね。すでに演奏活動をたくさんされていると思いますが、ショパンコンクールを受けることにしたのはなぜですか? まずはなによりショパンの音楽が好きですし、自分にとって良い経験になると思ったからです。ファイナルまで進むことができ、ピアニストとしてのキャリアにとってプラスになったと思います。参加してよかったです。 ─今回ヤマハのピアノを選んだのは? 音が良く、弾き心地も良かったからです。とくにショパンのような穏やかな作品を演奏するのには合っていると思いました。完璧なピアノと感じたわけではありませんが、ショパンの柔らかい作品を大きなホールで弾くにあたって、他よりもブライトな音がしたので、良いと思いました。 ─それにしても、最初に登場したときあの豊かな音に圧倒されましたが、子供の頃からの教育の賜物でしょうか? 自分ではわかりませんが(笑)、自然に持っていた能力じゃないかと思うんですけど……。 (すかさず後ろに控えていた彼女が、「彼の小指の筋肉は本当にすごいのよ!! 見て見て!」と言うが、照れているのか小指の筋肉を披露しようとはしないシシキン氏) ─ショパンの音楽を演奏するうえで心掛けていることは? 彼は深い考えのある、とてもおもしろい人物だったと思います。だからこそ、音楽にも色彩が感じられます。エレガントでスタイリッシュな作品なので、純粋に音を楽しみながら、表現していきました。 (「ディーマは、ショパンは本当にロマンティックだからもっと愛がたくさんないといけない。僕はロマンティックがわからないから教えて!といっていたんですよ」と、彼女。その言葉に照れた笑みを浮かべて黙ってしまうシシキン氏) ─ステージで着ていたジャケットも少し変わったお洒落なものでしたし、体系もスリムですよね。ファッションに興味があったり、何か気を付けてトレーニングをしていたりするのですか? いえ、とくにこだわりはありません。状況に合わせて、良さそうな恰好をしているだけなんですけどね(笑)。体型についても何も特別なことはしていませんし、いつも通りにキープしようとしているだけですよ。 ◇◇◇ 以上、シシキンさんのおまけインタビューでした。 シシキンさんが回答に口ごもると、すかさず彼女がかわりに回答してくれるという、ナイスカップル! ちなみに、シシキンさんのインスタグラムの写真はとてもかっこよくて素敵なのですが、これは彼女がレタッチ担当をしているそう。彼女のおじさまが有名な写真家で、いろいろ教わっているのだとか。 そこにある写真を拝見する限り、筋肉のあの形状……特別なトレーニングなしでああなるならミラクルです。どんな体勢でピアノ弾いてるんじゃ!と思いましたが、それ以上はつっこめませんでした。 ★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、 下記サイトもあわせてご覧ください。もう少し真面目です。 ジャパン・アーツHP ドミトリー・シシキン インタビュー [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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イーケ・トニー・ヤンおまけインタビュー
“【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、 さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】 イーケ・トニー・ヤンさん(第5位) ─16歳という最年少での参加でしたね。 はい。このコンクールは、セミファイナリストになれば最後まで滞在させてくれるということだったので、3次進出を目標に、最初の2ステージについては充分準備をして臨みました。 実を言うと、10月14日の帰国便の航空券を予約していたくらいなんですよ! 変更できないチケットだったので、新しい帰国用の航空券を買わなくてはいけませんでした(笑)。 ─ええっ。それはむしろ、チケットが無駄になって良かったですね。ところでファイナルのリハーサルのバックステージでダン・タイ・ソンさんをお見かけしましたが、先生はずいぶん心配しているようでしたねぇ。 そうなんです! 彼にとっても、想像を越える結果だったみたい。セミファイナルとファイナルは直前になって慌てて準備しましたから、なんだかインスタントヌードルを準備しているみたいでしたね。“ケイトやエリックのことはなにも心配していないけど、君のせいで白髪が増えた”と言われました(笑)。 ─ところで、ヤマハのピアノを選んだ理由は? 今回、完璧に心地よいと感じるピアノがなかったので、すごく迷いました。セレクションのあと、エリックにも相談したんですが……。4台の中ではヤマハが一番弾き心地がよく、カラフルでダイナミックレンジも広く、コントロールが簡単だと感じたので、選びました。 ─そういえば、演奏中、ときどき椅子からおしりを浮かせて弾く姿も印象的でした。 そうなんですよね~(笑)。演奏中、熱くなるとついやってしまうんです。あとは、すごく緊張していたので、そのテンションを解放したくて立ち上がってしまうのかも。もちろん、演奏するうえで、パワーを込めるためというのもありますが。 そんなに緊張しているつもりはなかったのですが、ふと気づいたら足が震えていたこともありました。身体が緊張した反応をしているのを見て、自分でもびっくりしました。 ◇◇◇ 以上、トニー君のおまけインタビューでした。 明るく、素直で優しいけれど、強い気持ちを持っているキャラクターが、音楽に現れているような感じ……と勝手に思いました。 ショパンコンクールは、5年後に本気で挑戦することを念頭に置いて受けたということで、「まだ自分でも成長の途中だとわかっている」との発言もありました。それにしたって、セミファイナル初日の飛行機を予約してあっていたとはおどろきです! 本当にその飛行機で帰ることにならなくてよかったね。 ところで「家庭画報」用のキラキラ写真撮影のとき、トニー君、大きく某スポーツメーカーロゴが入った真っ赤なパーカー姿で現れたため、ロゴの入っていないなにか別のお洋服を……とお願いして着替えてもらったのですが、次に現れたら一気にステージ衣装になったという。 振れ幅がでかい! ★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、 下記サイトもあわせてご覧ください。もう少し真面目です。 ジャパン・アーツHP トニー・ヤン インタビュー [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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エリック・ルーおまけインタビュー
“【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、 さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】 エリック・ルーさん(第4位) ─ショパンコンクールという場で演奏した経験は、ご自身にとってどのようなものですか? ワルシャワ・フィルハーモニーホールで演奏することは、とてもスピリチュアルなものを感じる経験でした。聴衆、審査員と音楽を通じてコミュニケーションをとり、伝えたいことをできるかぎり伝えようと考えながら演奏していました。 ─全ステージ終わって、今のご気分は? またモチベーションを高めて、もっと勉強したいですね。 ─えっ。それじゃあコンクールが終わって今何がしたいと言われたら、練習? 今すぐは、さすがにいいです(笑)。 ─ピアノを始めたきっかけは? 姉がピアノを習っていて、レッスンや音楽を一緒に聴いているうちに、僕もピアノを習いたいといったようです。最初についた先生がすばらしい方でした。 ─それにしても、指が超細いですよね。 そうなんです、僕は全体的にスキニーだからね……(笑)。 ─ところで、今回はソロでヤマハのピアノを、ファイナルの協奏曲でスタインウェイのピアノを演奏されていました。春に優勝されたマイアミのショパンコンクールでも、ソロでスタインウェイを弾いていて、ファイナルの協奏曲のときにファツィオリに変えて弾いたそうですね。 はい、そうでしたね。僕はけっこうピアノの好みがはっきりしているほうなのですが、マイアミのコンクールでは、3次までスタインウェイを演奏していたらピアノが疲れてきたような気がして、変えることにしました。別のピアノを弾くことによって、楽器がまたいろいろなことを提案してくれるような気がしたからです。また改めて表現の可能性が広がるというか、音を強制しなくても自然に鳴らせるような気がしたというか……。 今回のショパンコンクールでも同じ理由で、ヤマハから、最後にスタインウェイに変えました。二つのピアノは音が大きく異なりましたが、タッチの意味では、順応することにまったく問題はありません。 ヤマハはコントロールが簡単で、色彩のレンジが多様でした。スタインウェイは、セレクションのときは少しブライトすぎるように感じたのですが、ファイナルのころにはとても良い状態になっていました。 ◇◇◇ 以上、エリックさんのおまけインタビューでした。 指の細さの話ですが。 ふとエリックさんが指を顔の前で組んだのを見たら、あまりに指が長くて、しかもひょろんと細かったのでびっくり。そして、強く鍵盤に押しつけたらポッキリいってしまいそうだと、勝手にハラハラしたとう。 ナナフシっていうんですかね、枝っぽい昆虫がいますけど、あんな感じといいましょうか……(例えが悪すぎてすみません!)。 とにかく、あの指であのしっかりした音が出るというのが、なんとも不思議でした。 「24のプレリュード」など、最後の音をグーでいって、「グーでいった!!」と思った方も多いと思いますが、たしかにあの華奢な指であのパワーをかけたら本当にポッキリいきそう。 1次予選のとき、17歳かぁ、若い人なのだなと思いながら演奏を聴き始めましたが、このプレリュードを弾いた3次の頃にはうっかりそれを忘れ、プロフィールを見てびっくりするという、最初に発見してあった罠に引っかかっておどろくというか、そんな気分になりました。本当に落ち着いたピアニストです。 ★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、 下記サイトもあわせてご覧ください。もう少し真面目です。 ジャパン・アーツHP エリック・ルーインタビュー ←【近日公開】 [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
アリョーシャ・ユリニッチ インタビュー
“【家庭画報の特集などで書ききれなかった 第17回ショパンコンクール、ファイナリストのインタビューをご紹介します】 アリョーシャ・ユリニッチさん(ファイナリスト) ◇100%の成果を求めるなら最高の努力が必要 ─ショパンコンクールに参加して、いかがでしたか。 自分の将来のキャリアに大きな影響のある経験でした。世界中が注目している大切なコンクールですから、期間中は音楽のことだけを考えていようと心掛けていました。コンクール中は自分のパーソナルスペースにいて、外の社会と隔絶している感じでしたね。 たくさんの方が演奏を聴いて、インターネット上などに、良いこと、悪いことなどいろいろなコメントを残します。これはプラスの面もあり、マイナスの面もあると思いますが、そこに書かれていることの影響を受けることがなければ、アドバンテージにしかなりません。ですから、目にする情報は、気を付けてコントロールしていました。 ─ショパンという作曲家にはどのような理解をしていますか? ショパンの音楽はユニバーサルで、どこの国の人でも彼の音楽を同じように理解することができると思います。とはいえ、僕自身がクロアチアというスラヴ系の国で生まれ、ポーランド人と共通する文化を持っていることは、音楽を理解する助けになっています。 ショパンは故郷を破壊される経験をしています。僕も小さいころにユーゴスラビア紛争を経験していて、幼少期の最初の記憶は、シェルターの中でのものでした。僕の人格を形成する大きな経験の一つです。 例えばピアノ協奏曲は、ショパンがコンスタンツィアに恋をしていたときに書かれたものです。僕が彼女を愛する必要はありませんが、この作品をしっかりと解釈するには、誰かを愛する気持ちを知っていなくてはいけないと思います。 それと同じように、ショパンの作品を解釈するうえで、あの時代の戦争を体験する必要はありませんが、似た環境で同じ心境を味わったことは大きいと思っています。幸運にもというべきか、不幸にもというべきか、僕にはその経験があるわけです。 ─コンクールの準備で気を付けたことはありますか? この15ヵ月ほど、ショパンだけに集中していました。 僕は今26歳です。自分の音楽が、このコンクールに入賞できた場合の状況に見合ったレベルに成熟するのを待っていたといえます。例えば僕が17歳のときに入賞してしまっていたら、バランスをどう保ったらいいのかわからなくて、その後大変だったことでしょう。今ならレパートリーもたくさんあります。 人生におけるすべてのことと同じで、95%の成果を求めているなら最大の努力はしなくていいでしょうけれど、残りの数パーセントまですべて得たいのならば、できる限りのことをしないといけません。それで、1年以上の期間をかけて、ショパンに集中することにしたのです。 ◇楽譜に書かれていないことは何一つやっていません ─ショパンへの理解を深めるためにどのようなことをしましたか? 一つこだわっているのは、他の解釈を聴かないということです。特に自分が演奏する予定の曲は聴かないようにしました。 他の録音を聴いてしまえば、自然とこの作品がどう演奏されるのかの知識がついてしまいます。いくらオリジナルでありたいと思っても影響を受けてしまうかもしれません。それはいやなのです。 僕の演奏は変わっているといわれることがありますが、楽譜に書かれていないことはやっていません。 書かれていることの中で自分の個性を表現するのは、絶対的に大切なことです。そこから外れてしまえば、作品を解釈するのではなく、作曲になってしまいます。楽譜を無視してオリジナルな演奏をするほうがずっと簡単でしょう。 書かれていることに従って、自分だけの特別なタッチ、小さな特徴を出していくべきだと考えています。 ─ショパンはあなたにとってどんな存在ですか? ショパンは僕が初めて愛した作曲家であり、クラシック音楽を好きにさせてくれた作曲家です。さまざまな経験の中で、いつも僕を涙させ、笑顔にさせてくれた唯一の作曲家です。 人間は個々がそれぞれ異なりますが、同時に抱く感情には共通したものがあります。彼の音楽は私たちの感情を、語る以上に見事に物語ってくれるものだと思います。 ◇◇◇ アリョーシャさん、どちらかというと個性的な演奏という印象だったのですが、楽譜に忠実であることを貫き通した結果の個性的な解釈ということで、興味深くお話を聞きました。 ところで、話を聞くためにバックステージで最初に声をかけたとき、照明のせいもあったのかもしれませんが彼の瞳があまりにキラッキラに輝いていて、それはもうびっくりしました。ものすごい輝きですね!というと、そうかなぁ……という反応。“よく言われるんです”くらいのリアクションが来ると思っていたので、勝手に肩すかしをくらいました。 人の眼球って、どうするとあんなに輝くんだろう……。 [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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小林愛実 インタビュー
“【家庭画報の特集などで書ききれなかった 第17回ショパンコンクール、ファイナリストのインタビューをご紹介します】 小林愛実さん(ファイナリスト) ◇楽譜を読めば、マズルカのリズムが見えてくる ─コンクールに参加して、ショパンへの気持ちに変化はありましたか? すごく好きになりました。もちろん、もともと好きでしたが、これほどではありませんでしたね。コンクールを受けることになって、ショパンに真剣に取り組んで、本を読んだり楽譜を読み直したりすることで、まったく違うものが見えてきたんです。 ショパンに実際に会うことはもちろんできませんから、想像ではありますが、ショパンがどんな人だったかを自分の中で理解することができたと思います。作曲された背景を照らし合わせて作品に向き合うと、これまでよりずっと深いものが見えてきました。ショパンの音楽は一見ただ美しいと思われがちですが、強いし、切ないものがたくさん込められています。とても深い音楽です。 ─ワルシャワで過ごしたことで、その感覚がより深まったのですか? そうですね。子供のころにもコンサートのために何度かポーランドに来たことはありましたし、ショパンが弾いたというピアノを弾いたこともありましたが、まだショパンへの思い入れがそんなになかったから、正直そんなに感じるものもなくて。でも今は全然思うことが違いますね。 ショパンの心臓がある聖十字架教会にもほぼ毎日通って、ただぼーっとしたり、ショパンについての本を読んだりして過ごしました。いるだけで、すごく落ち着けました。 ─ショパンコンクールにむけて準備する中で、心掛けてきたことは? ショパンばかり弾いていると、ここはどうしたらいいんだろうと考えているうちにダレてきそうになるのですが、そんな中でまた新たな発見をして、まだやること、知ることがあると気付く。その繰り返しでした。 ─マズルカを弾く前、ちょっとリズムにのってから弾き始める様子が印象的でした。 そうですね、最初どんなテンポで出ようか考え、リズムを感じてから入っています。 ─あの感覚はどうやって身につけたのですか? 楽譜から読んだという感じですね。特別ダンスを見たというわけでもありませんし……。 楽譜をしっかりと読めばリズムが見えてくると思います。ペダリング、フレージングも一つ一つ全部違うので、それを丁寧に見ていきました。ゆったりめのマズルカはノクターンのようになりがちですが、そこでも強いもの、踊っている感覚を持たせようと考えていました。 ─好きなショパン弾きはいますか? 特別この人というピアニストはいないのですが……ユリアンナ・アヴデーエワさんの演奏はすごく好きです。楽譜を見ながら彼女の演奏を聴いていると、なにもかも楽譜通りなので本当に尊敬してしまいます。一つ一つの音に意味があるということが伝わってきて、作品に敬意をもって演奏していることがわかります。 ◇一人の作曲家にじっくり向き合う楽しみを教えてくれた ─ショパンという人についてはどんな理解をしていますか? ショパンの書いた手紙などを読むと、皮肉やひねくれたことばかり書いていて、かわいいなと思ってしまいます。ちょっと変な人だったのでしょうね(笑)。 ─そんな性格が作品に出ている? そう思います。協奏曲を書いた二十歳くらいのころは、コンスタンツェに想いを寄せていたようですが、1年くらい告白できなくて、好きだということがバレないように他の人を好きだと見せかけてみたり。ちょっとめんどうな男性ですよね(笑)。 当時はその後ポーランドに戻れなくなるだなんて考えていなかったでしょうし、本当の苦しみもなかったと思います。前向きで意欲に満ちていて、恋もしていましたから、協奏曲は思いっきり弾いていいと考えました。 ─確かに、のびのびとした演奏でしたね。 何度か演奏したことのある作品なので、オーケストラのスコアも見たことがありましたし、他の楽器がどう出てくるかもわかっていたから、少し余裕がありました。オーケストラがいつもの自分のテンポより遅めでしたが、それに合わせて弾こうと思って本番に臨みました。自分のテンポを主張することも時には大事ですが、リハーサルが少ない今回のような場合は、お互い譲らないといけないかなと思って。 ─ショパンはあなたにとってどんな存在ですか? コンクールを終えて、今、ショパンのことをすごく愛しているなと思います。毎日教会に通って、彼と彼の作品を理解しようとつとめました。みなさんもそうかもしれませんが、自分が一番愛したと思えるくらい! ─それじゃあ、ショパンみたいな男性が実際にいたら? それはちょっと……(笑)。 ─これほど一人の作曲家に向き合う時間って、これまでにありましたか? ありません。他の作曲家についてもこうして向き合っていったら、いろいろなものが見えてくるのでしょうね。本当に楽しかったと思います。ショパンコンクールがそれを知るきっかけを作ってくれました。それだけでも、参加して良かったと感じています。 ◇◇◇ 人間としてのショパンに改めて向き合うことで、想いが深まってきた様子がひしひしと伝わってきました。でも実際に目の前にショパンが現れたら「それはちょっと」という本音がポロリ。 昔、ショパンについての作品を書いた某女性作家さん(60代)に同じことを聞いたら、「もう絶対守ってあげちゃう!」という答えが返ってきたことを思い出しました。 愛実さんもあと40年くらいたったらそう答えるようになるのでしょうかねぇ。 …ないかぁ。 [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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ゲオルギ・オソキンス インタビュー
“【家庭画報の特集などで書ききれなかった 第17回ショパンコンクール、ファイナリストのインタビューをご紹介します】 ゲオルギ・オソキンスさん(ファイナリスト) ◇アンチ・コンペティションなスタイル? ─ショパンコンクールを経験して、ショパンについて感じることは変わりましたか? いいえ、変わりません。僕のショパンに対しての意見はとても強いものなので。 コンクールの演奏は世界中の人たちに聴かれるので、自信をもってステージに臨まなくてはならないと感じていました。この経験は、長く僕の中で生き続けると思います。 ─オソキンスさんのショパンは、誰の演奏にも似ていない、特別なものですよね。 ありがとう。でもアンチ・コンペティションなスタイルでしょ(笑)? ─いやぁ、でもこうしてファイナリストとなったではありませんか。 今回のファイナルは、審査員の先生方も評価が難しかっただろうと思います……特に僕については。変わった演奏だからと、僕を1次で落とすこともできたはずですが、認めないわけにはいかなくてファイナルまで残したのでしょう。そしてファイナルで、どう評価したらいいかわからなくなったのではないかと思います。僕は協奏曲でパーフェクトな演奏ができませんでしたから。 いずれにしても彼らの決断と他のファイナリストに敬意を表したいと思います。正しい決断だったと思います。 ファイナルはとても難しいステージでした。1年間の準備と3週間の緊張で、僕の手と体は疲れきっていました。それでも残っていた力を出し、楽しんで演奏することができました。 ─ショパンについての理解はどのように作りあげていきましたか? 作ろうということは考えていません。僕にとって、ショパンを理解するプロセスはとても自然なものです。誰かを満足させるために、自分の感じた音楽を修正するつもりはありません。感じたことを伝えているだけです。 ─それは、楽譜から来るのですか? はい、まずはそうですね。ピアノに向かわずに楽譜をじっくり読みます。楽譜を見てすぐに弾き始めるピアニストもいるのかもしれませんが、僕にとっては、それでは作品のことを何もわからずに弾いているようなものです。僕の場合は、本を読むように最初はじっくり楽譜を読みます。 まず大切にしているのは、テキストに忠実であること。次に大切にしているのが、自由であること。演奏中にある境界を越えることができれば、真にそこにあるものが見えてきて、良いバランスで演奏することができます。 ─ショパンコンクールという場では、どうしても“ショパンらしい”ということが話題になってしまいますが、どんなお考えがありますか? ショパン自身がどんな演奏を好んだかも、どんな演奏をしていたかも、今となっては誰にもわかりません。でも唯一知られているのは、彼が毎回違うように演奏していたということ。これはとても大切なことだと思います。つまり、自然発生的で自由であるということが、ショパンの演奏にとっては最も大切だと僕は思います。 ショパンには無限のアプローチがあります。そんな中でショパンの最高の解釈を見つけようというコンクールですから、常に論争になるのは当然です。審査員は本当に大変だと思います。 ─ところで、オソキンスさんは今、主にピアニストのお父さまのもとで勉強されているのですか? 父がメインの先生ですが、バシュキーロフ先生やババヤン先生などいろいろな方の教えをうけています。 父は生徒によって異なるアプローチで接する教育方針を持っているようです。例えばピアニストの兄は、僕とはまったく別のタイプで、違う世界を持っています。 ─あぁ……確かに、お兄さんとは演奏のタイプが何一つ似てないですよねぇ。 そうそう(笑)。これが父の教育方針の成果です。 ◇低い椅子には秘密がある ─低い椅子を持参していますが、どのようなこだわりが? 気が付きましたか。気が付かない人もいるんですよ。 ─えっ! あんなに低いのに? みんな気になっていたと思いますけど。半年ほど前、同じ椅子を前回入賞者のボジャノフさんが持っていたのを東京で見たばかりなのですが、ファツィオリ製の椅子ですね。 作りは同じですが、彼のものとは別のモデルです。この椅子によってピアノの響きも変わるんです。 ─演奏の様子から、音にかなりのこだわりをお持ちなのだろうと感じましたが、椅子にも秘密が……。 そうなんですよ。あの椅子は、特別な音を生み出すことを助けてくれるんです。 “音の言語”は、とても大切です。ある録音を聴いてすぐにどのピアニストかわかることがありますが、そういうピアニストの音は特別ですよね。自分だけの音を持つことが、ピアニストにとって一番大切だと思います。 ─ピアノはヤマハを選ばれましたね。ファツィオリとも迷われていたようですが。 あのファツィオリは独特のピアノだったので、慣れるために短くても30分は必要でした。試し弾きの15分で簡単に理解することができたのは、ヤマハでした。ファツィオリが劣っていたということではないんですけれどね。両者はまったく別のピアノでした。12月の来日公演ではファツィオリを弾きます。 ─コンクールにむけての準備で一番気を付けていたことは? 1年間、ショパンの作品だけを演奏するようにしていました。フェリーニやタルコフスキーなどの名映画監督が映画を作るのと同じです。彼らは5年に一度くらいしか作品を発表しないでしょう。僕にとってこのコンクールは大切だったので、ショパンの世界に入りこむように心がけて1年過ごしました。 ─ショパンのキャラクターはどのように理解していますか? とてもシリアスな作曲家だと思います。もしかしたら、明るく幸せな音楽という理解をしている方もいるかもしれませんが、僕は悲劇性に満ちた音楽だと思っています。 彼は気品のある人物であり、人生の中で常に戦っていたと思います。特に晩年の作品は、すべてのピアノ曲の中でも最も暗いのではないかと思います。ごく一部、ブリリアントで人生の喜びを見せる作品もあると思いますが。僕の理解では、ほとんどの作品において、ポジティブで楽観的な要素はないと思います。 ─ところで、ボジャノフさんを思い出させるとか、言われたりしました? あんまりなかったですねぇ。ポゴレリッチといわれることはありました。変だよね、全然違うのに。 ─ステージでのシャツもお洒落でしたよね。 首元まで閉じた普通のシャツでタイをつけていると、暑くてすぐに顔が赤くなってしまうんですよ。イタリア製のあのシャツを愛用しています。 ─手首につけた赤い紐も気になりましたが、確か意味があったんでしたよね? 1年前、中国で右手の調子がおかしくなったことがあって、そのときに祖母から「赤い紐を使ったら」と言われたんです。別に宗教的な何かではないんですよ。ちょっとしたゲン担ぎのようなもので、これを付けている限り、手に問題が起きないと考えるようにしていて、問題がないからそのまましているという。 映像が手元のアップになっても僕だとすぐにわかるし、その意味でも役に立ちます(笑)。 ◇◇◇ オソキンスさんは私服もお洒落。見かけるたびに不思議な形状のパンツやらカーディガンやら着ているので、毎回つい「おしゃれねー」と言いたくなってしまうのですが、「別にファッションが好きでこだわって選んでいるとか、そういうわけじゃないんだってー」と主張していました。天然お洒落さんなんでしょうね。 太い精神と超繊細のはざまにいるような、不思議な感性の持ち主という印象。これからどうなるのか、目が離せないタイプです。また機会があるときにはぜひ聴きたいと感じるピアニストです。 [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]  ”
海老彰子さん(ショパンコンクール審査員)
“すでにコンクールから2ヵ月半がたって、入賞者たちはもうピアニストとしての新しい時間を歩み始めているところ、審査がどうの……という部分はもうどうでもいいかもしれませんが、せっかくお話しいただいた審査員の先生方のお言葉、ご紹介します。 海老彰子さん(ショパンコンクール審査員) ─審査結果発表には本当に時間がかかりましたね。いろいろな意見の審査員がいらっしゃる中で一つの結果を出すのは、やはり大変だったのでしょうか。 今回の審査員はみなさんピアニストとして弾かれる方ばかりですので、ピアノを通してどんなメッセージを伝えてくれるか、音の裏にあるものまで聴いて、評価したと思います。 1位はなしでも良いのではないかという意見も審査員の半数以上が持っていたのですが、点数で出た順位をそのまま受け入れないならば、審査規定では、一つの順位ごとに賛成、反対の投票をしなくてはならず、それは大変なことです。最終的には、スコアの順位通り1位からつけていく形で結果を出そうということになりました。 ─その回のコンクールでスコアが1位なら1位じゃないか、と思ってしまいますが、そうもいかないんですね。 これだけ歴史のある大きなコンクールですと、歴代の水準に達しているかがどうしても問題になりますね。 ─日本からのコンテスタントにはどんな印象をお持ちになりましたか。 小林愛実さんは、すごく健闘されて、嬉しかったです。心の中でずっと応援していました。春の予備審査のときからすごく伸びて、大人になっていました。 これだけたくさんの演奏を聴いていると、どうしても演奏会とは違って比較する考えが出てしまいます。彼女の協奏曲は、例えば同じ女性のファイナリストだったケイト・リウさんと比べても、とても音楽的だったと思います。ただ、遠いバルコニー席では、ケイトさんのほうが音の粒立ちがよく、はっきりと聴こえたんですね。別の場所やインターネットで聴いた方の印象とは違ったかもしれません。 今回のショパンコンクール全体を聴いていて私が感じたのは、自分自身も含め、日本人はもっと人間として生きてゆくエネルギーを強くもっていかなくてはいけないということです。私たちには合気道のような文化もあるのですから、そうしたものを思い起こして……。ステージでの外見などに気をとられすぎず、気骨のある、太いものを持った生き方をしていかなくてはいけないと思いました。 ─今回は10代の若いファイナリストも活躍しましたね。 私の個人的な意見では、これだけのコンクールですから、大人のコンクールにしていかないといけないのではないかと感じています。入賞したあとが大変なコンクールですから、あまりに若い方ばかりが選ばれるようだともったいないという気持ちがあります。すでに荷物をたくさん背負っている人でないと、そのあと進んでいくことが困難なのではないでしょうか。その意味で、チョ・ソンジンさんには大変な強さがあると思っています。 ─ショパンコンクールの審査員というのは、若者のキャリアを左右する大変なお仕事ですね。 はい、すごく責任を感じます。評価をするのは本当に大変でした。例えばアルゲリッチさんは、実演を聴いた後部屋でYouTubeの配信を確認して、本当に才能があるのかどうかをとても真剣に考えていらっしゃいました。 今回こうして順位が出ましたが、この後もずっと勉強を続けていった方だけが、ピアニストとして残っていきます。周囲の人間もそれを認識し、コンクールというものを客観的にとらえていく必要があると思います。 聴衆のみなさんも、このピアニストが好きだと思ったら、その人をずっと追って、聴き続けてほしいと思います。音楽とは、聴いてこそ、何かを与えられるものですから。コンクールの順位というレッテルによらず、それぞれのご意見を尊重して音楽を聴いてほしいですね。 ★下記サイトもあわせてご覧ください。 ジャパン・アーツHP 海老彰子さんインタビュー [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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ピオトル・パレチニさん(ショパンコンクール審査員)インタビュー
“コンクールの取材に行き、審査員席にパレチニ先生の姿があったら、話を聞かずには取材を終わることはできぬ……というくらい、あちこちのコンクールでお目にかかるパレチニ先生。もちろん今回のショパンコンクールでもお話を伺いました。 とにかく、ケイトが優勝しなかったことが残念だったようでした。 ピオトル・パレチニさん(ショパンコンクール審査員) ─結果にはハッピーですか? イエスとノーです。すばらしいレベルに満足しています。チョ・ソンジンのポロネーズはすばらしかったし、彼の音楽の信じられないほどの精密さに敬意を感じます。 でも、私が気に入っていたのは、ショパンの感情を見事に表現したケイト・リウの演奏でした。たくさんのすばらしいピアニストがいる中で、彼女は若いけれどショパンの音楽の魂に近く、フレーズには即興性があり、音楽を奏でるうえで決して急ぐことなく、技術を見せびらかそうとすることもありませんでした。彼女は単なるすばらしいピアニストではなく、すばらしい音楽家です。知性と芸術性を持っています。彼女の音楽性を、いろいろな観点から尊敬しています。 ─こういう結果となったということは、ショパンらしいスタイルとは何かといったとき、審査員の間でもいろいろな理解があったということですね。 もちろん、ショパンが彼女の演奏を好きだったかどうかはわかりません。実際、ショパンは現代のヤマハもスタインウェイもカワイも触ったことがないわけですから。今のピアノがあったら、作品の書き方も違うでしょうからね。 いずれにしても、多くの人はペダルを使いすぎますし、フォルテで大きく弾きすぎます。ペダルを使いすぎることでアーティキュレーションの自由を狭めてしまうのです。真珠のようにすばらしいパッセージの部分ですら、すぐにペダルを踏みたがる。そうすると全部が混ざってしまって、自然な音楽の美しさが壊れてしまうのです。 特に感じているのは、女性ピアニスト、とくに日本の方の間でこれがすごく多いということです。日本人の女性はもちろん小柄で、力が強くないので、深く鍵盤を下げきれないことをカバーするため、音のボリュームを求めてペダルを踏むこともあるのでしょう。でも、でも大きな音を出すうえで大切なのは、鍵盤を深くおさえ、しっかりピアノとコンタクトすることです。強く叩くことでも、ペダルでごまかすことでもありません。 ─確かに、ケイトは自然に豊かな音を鳴らしていましたね。 彼女はとても詩的で、ピアノへのコンタクトも持っていて、特別でした。彼女はもっと上位に入るべきでした。 ─ケイトさんはマズルカ賞も受賞しましたね。 当然だと思います。あの演奏は、まるで詩のようでしたから。昨日、また聴き直しましたが、やはりとても自然でした。一つも無駄な音がなく、常に語りかけています。ステージの見栄えは地味かもしれませから、一般聴衆には人気が出ないかもしれませんが、とにかく、数少ない例外的な芸術家でした。 それぞれの突出した才能を評価したいと思いましたが、私は特に、彼女のショパンの解釈に近いものを感じたのです。 ─日本の小林愛実さんの印象はいかがでしたか? 彼女が弾いたプレリュードOp.45を、私はずっと覚えていると思います。クリエイティブでアイデアにあふれていました。もしもすべての作品をこのプレリュードのように演奏していたら、違う結果が出たでしょう。私の意見では、聴衆を魅了したいという考えやジェスチャーを完全に忘れることができれば、より良いピアニストになると思います。 ─審査員の一部は1位なしでも良いのではないかと考えていたと聞きました。 いくつかの視点ではそうだったのでしょう。レベルが充分でないと感じたのかもしれないし、あまりに異なる個性の間で、誰が自分の音楽的な感性にとって一番かわからなかったのかもしれない。 チョ・ソンジンの正確性はとにかく信じられないほどすばらしかったし、優れたピアニストだと思いました。彼の音楽は壮観ですから、聴衆にもアピールするでしょう。大きな成功を収めると思います。でも、私にとっては、明らかにケイト・リウが一番の座に近かった。 アムランは、ケイトとチョのスタイルのちょうど間だと思いました。彼は2番のコンチェルトを唯一弾いたので優位だったはずですが、その好機を生かしきれなかったと思います。 今、ピアニストたちは何かのプレッシャーからか、速く大きく演奏する傾向に向かっています。ですが、たった30分間でもケイトの演奏するような深い音楽を聴けば、喜びを感じることができます。彼女は若いけれどすでに成熟したものを持っています。ピアノを叩くこともありませんし、いつも歌っています。必要なときには大きな音を鳴らしますが、それはとても芸術的なものです。これこそが、ピアノを弾くことの文化だと思います。 [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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ニコライ・ホジャイノフ新春メッセージ2016
“今年は出さないのかな、と思っていたら、届きました。 というわけで、なぜか毎年恒例となった、 ニコライ・ホジャイノフさんから日本のファンのみなさんへ、 新年の挨拶のメッセージをお預かりしましたのでご紹介します。 Dearest Japanese Fans, I am sure that a storm might break out and a strong wind ...”
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新井孝弘×ユザーンインド音楽ライブはもうすぐ!~クラシック音楽好きの方へ、インド音楽のすすめ
“ベートーヴェンはインドの思想に大きな影響を受けていて、 日記やスケッチ帳には、インド思想からの引用やインド音階のメモが数多く残されています。 ベートーヴェンのメモを集めた書籍、「音楽ノート」を読んでいると、 二言目にはインドインドと出てきて、 この人本当にインドに興味あったんだろうなぁ~と感じます。 この前、3月に他界したアーノンクールとウィーン・コンツェルトゥス・ムジクスによる ベートーヴェンの「運命」を聴いていたら(アーノンクールのラスト・レコーディングとなった盤)、 急に最後に、インド古典音楽な気配ムンムンのフレーズが出てきてびっくりしました。 他の演奏ではそんなことを思ったことがなかったのですが、 さすがアーノンクール先生、その部分をクッキリ鳴らしていたため耳についたようです。 さっそくサントゥール奏者の新井君に聞いてみたところ、 新井君がよく来日公演で演奏しているラーガ(特定の音列)に 似たものがあるとのこと(厳密には違うらしいけど)。 きっとベートーヴェン、このラーガをノートにメモってたいに違いないと推測。 ところでみなさんお気づきの通り、私はインド古典音楽には詳しくありません。 運良く、ユザーン、新井君それぞれの師匠である人間国宝級の演奏家 ザキール・フセイン氏やシヴ・クマール・シャルマー氏などを 生で聴く経験だけはしていますが、 (ピアノでいえば、ホロヴィッツやルービンシュタインを生で聴いたというような感じかなぁ) まあ、豚に真珠状態かもしれません。 でもブタちゃんなりに本物の真珠の質感には、一応触ったということで。 しかし、私も全然良くわからないながら、 少し前に来日していたウスタッド・シュジャート・カーン氏の歌声を聴いたときは なぜか涙が出そうになりましたし、 去年ザキール・フセイン氏のタブラソロ公演を聴いたときは、 興奮しすぎてやばかったです。目から星が飛び出しそうでした。 何かを越えている音楽は、こちらが受け取ろうとさえすれば、 すごいものが伝わってくるものなんだなと実感する瞬間です。 さらに、インド音楽をちょこちょこ聴くようになって、 西洋クラシックの演奏の感じ方も、少し変わってきたというか、 より耳と感覚を開いて聞くようになったような気がしないでもありません。 クラシック関係の人にも、インド音楽超大好きという方に時々遭遇するので、 わりと関心があるという方も多いのだろうと思いますが、 やっぱり、ピアノファンの多くのみなさんにとって、 インド音楽はなじみがなくてわかりにくいという印象があるかもしれませんね。 でも、とにかく聴いてみてほしいです! ところで、新井孝弘君とユザーン君という二人については、 感性、音楽に向かう姿勢、普通の人間とは完全に違う思考回路、 そしてそれが集約して生まれる音楽がとにかくおもしろくて、 こういう人が日本人にいるって本当にすごいことだなと思っています。 ユザーン君については、みなさんテレビ等での活躍もご存じのことでしょう。 昨秋まで放送されていたヨルタモリで、不思議なトーンのトークをかましつつ、 セッションになると、一転熱いタブラプレイを繰り広げる。 タモさんもビックリ! このまえ某ジャズピアニストさんが、本物の天才ジャズミュージシャンは、 ライブセッションの中でリズムをずらす演奏をどんなに長らく続けていったあとでも (説明が雑すぎてすみません…) 必ずまた、ピタッと1拍目をとることができる、という話をしていましたが、 まあ、ユザーン君のような人は余裕でそういう感じなんだろうなと そのとき思いながら話を聞いていました。 インド音楽のリズムの語法に比べたら、 西洋クラシックやジャズのリズムの理論なんて、かなり若いですよね、たぶん。 古いからすごい、というつもりはありませんが、 インドのリズムの複雑さと奥深さがハンパないのは確か。 ユザーン君の場合はそれをインド音楽以外の分野でも輝かせていて、 しかもお話をさせても文を書かせても大変おもしろいという、稀有な才能です。 そして新井孝弘君については、 ものすごい人間国宝の先生に内弟子のような立場でついて勉強している 激レアな日本人音楽家だということが、 シタール奏者のヨシダダイキチさんの記事などでしっかり説明されています。 (新井君、日本に戻ってきて本当にホームシックみたい。つまり、インドに帰りたい) ピアノファン(そして調律関係者のみなさん)にまず注目していただきたいのは、 このピアノのご先祖「サントゥール」の、超長い調律タイム。 ユザーンが軽妙なトークを繰り広げている間、 新井君は次の曲の演奏に合わせて100本の弦を黙々と調律します。 最近の楽器では、弦はピアノの弦を使っているそうで、 新井君が前日本にきたとき、 「ドイツ製のいい弦はインドで買えないから買いたい。 誰か調律師の友達にどこで買えるか聞いて」と言われたことを思い出します。 (というか、日本に来るとよくそう言っているような気がする) でも、私のまわりのメーカー所属調律師さんは自分で弦を買いにいかないですからね… というわけで、そのときはお役に立てずでありました。 そして、この弦を、ハンマーではなくクルミの木の撥で叩くという。 こんな感じの楽器です。(昨年ムンバイで撮影) 一つ叩くと全部共鳴するので、とても繊細で神秘的な音がします。 そんな新井君の、ライブに寄せてのコメント動画がありますのでご覧ください。 最後に少し昨年のライブからの映像も入っていますので、 サントゥールとタブラはどんな音がするのか、ちょっと聴いてみてくださいね。 ライブ当日は、ユザーンが聞き手の新井君への質問コーナーもあり、 さらにはパルーおばさんという新井君の知り合いのおばさん特製ブレンドの、 かなり珍しい味のチャイも販売されます。 ユザーン君いわく、パルーおばさんはものすごいお金持ちで、 おばさんの家で出される料理はめちゃくちゃおいしいので、チャイにも期待できるだろうとのこと。 音楽はもちろん、トーク、変わったチャイも楽しめますので、 ぜひ遊びに来てください! インド音楽のライブ会場なんてアウェ~感あるなとお思いの方もご心配なく。 もれなく、わたくしがおりますゆえ。 東京以外にお住まいの方、 そのほかの各地でも開催されますので、ユザーン君のHPをごらんください。 (ちなみにユザーン君のHP、Q&Aコーナーが絶品ですのでぜひのぞいてみてね) ◆2016 年4月14日(木) 19:30 開演(18:30 開場) 会場:Star Pine's Cafe(吉祥寺) [料金] 3,300円+1drink [予約] Star Pine’s Cafeホームページのフォームよりご予約ください。 または、Star Pine’s Cafe 店頭でもチケット購入できます。 当日会場でお待ちしています。楽しいよ。”
5月
01
小菅優さんとベートーヴェンとお父さん
“如水コンサート企画が2020年のベートーヴェン・イヤーに向けて、 なんとも気が早いことに、もう4年も前からやっているベートーヴェン・シリーズ。 今度の6月12日(日)の公演には、小菅優さんが登場します。 ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.5 『小菅 優の“ベートーヴェン詣”』 2016年6月12日(日) 14:00 開演 (開場 13:30) 会場:一橋大学兼松講堂 ベートーヴェン: ピアノ四重奏曲 ニ長調WoO.36-2 ピアノ・ソナタ第17番ニ短調OP.31-2「テンペスト」 ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調 OP.2-1 ピアノ四重奏曲 ハ長調WoO.36-3 共演: 川久保賜紀(ヴァイ オリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、趙 静(チェロ) 先にベートーヴェンのソナタ全曲演奏シリーズを終えた小菅さん。 さてと、それじゃあ次に…とどこかに行ってしまうのではなく、 他の作曲家と並行して、引き続きベートーヴェンには取り組んでいきたいとのこと。 “優さまベートーヴェン好き”的には、よかったよかった!という気分ですよね。 この公演によせて、このまえインタビューをした記事が、 如水コンサート企画のサイトにアップされています。 ソナタ1番を勉強した6年まえから、2楽章に同じメロディが出てくる ハ長調のピアノ四重奏曲とあわせて演奏してみたいとずっと思っていたとのこと。 小菅さん念願のプログラムということで、 これは、優さまファンは全員兼松講堂に集結するしかありません。 しかも共演者も超豪華です。 「ハ長調のピアノ四重奏曲は、メロディというより全体のストーリーがすごい。 ロンドとか楽しい感じで、みんなでお酒飲んでいるような雰囲気。 それぞれの楽器の持ち味、違う音色の対話を楽しんでほしい」とのことです。 女4人、ステージ上での公開宴会をのぞき見する感じになるのでしょうか!ドキドキ。 ところでこのインタビューをするにあたって 過去の記事や用意してもらった資料などを読んでいて気になったのが、 今年3月8日日経新聞夕刊掲載の、ご両親についてのインタビュー。 タイトルは、「届いた父の変顔ファクス」。 10歳でドイツに渡った小菅さんとお母さんに、 一人日本に残っていたお父さんがときどき、 変な顔の写真を撮ってファクスで送ってきていたという話です。 (いや、他にももっといろんな素敵なエピソードが出てくるのですが) この中で小菅さんはお父さんについて、 “頑固”、“意見がはっきりしている”、“ユーモアがあるところも尊敬している”と語っています。 …これって小菅さんが前にベートーヴェンがどんな人だと思うかについて言っていたのと ソックリ!これはもしかして! (↓以下、小菅さんに半ばあきれられながらのやりとり) ---------- 私 「思ったんですけど、小菅さんのお父さんて、ベートヴェンみたいな人なんですか?」 小菅さん 「ははははは! 同じくらいひねくれてるのかな。 そうならけっこうやばいですよね。もうちょっと普通の人だと思いますけど。 すごく自分のある人だとは思います。ベートーヴェンに似てるか意識したことなかったけど」 私 「恋人には父親の雰囲気を求める人もいるっていうじゃないですか。 ...”
6月
02
實川風さんデビューCDと、實川サンあるある
“3月末にリリースされた實川風さんのデビューアルバム。 彼が去年3位に入賞したロン=ティボー=クレスバンコンクールの演目を中心に収録し、 ピアノは曲に合わせてスタインウェイとベーゼンの2台使いという、個性的な1枚です。 「實川風 ザ・デビュー」 かなり前になりますが、3月にリリース記念リサイタルをヤマハホールに聴きにいったところ、 その1年半くらい前、2014年の夏に聴いたときからかなり印象が変わっていて、驚きました。 表現の細やかさはそのままに、迫力がすごいことになっていた。 いつの間にかニュー實川が誕生したのね…と思いました。 演奏家ってこうやって変わっていくからおもしろいものです。 一見爽やかな正統派アプローチのピアニストですが、 多分ものすごい空想(妄想)の世界をお持ちなのではないかと思います。 中でも印象に残ったのが、デビュー盤にも収録されている、 コンクール課題曲だったヌーブルジェの「メリーゴーランドの光」。 このヤマハホール公演で初めて生で聴きましたが、 いろんな色や質感のモノが次々目の前にうかぶようで、とてもおもしろかったです。 その日、実は私は仙台がえりでそのまま演奏会に行っていて、 日中、東北大学自然史博物館で世界のいろいろな鉱物を見せてもらっていたのですが、 演奏を聴きながら、昼間に見た神秘的な個体たちの姿を思い出してしまいました。 それくらい、とにかくいろいろな質感の音が鳴らされていた。 あの曲聴きながら鉱物のこと考えてるヤツなんて、 自分だけかもしれないなとも思いましたが。 そんな「メリーゴーランドの光」を生で聴ける演奏会。 今週末、6月4日(土)、渋谷の文化総合センター大和田さくらホールです。 (チケットまだあるのかな?) ところで、實川さんについて最初に「あれっ?」と思ったのは、 去年、別の媒体で立て続けにインタビューをした、2回目の取材を終えたときのこと。 具体的に何がというわけではないのですが、 こちらが何か言ったときのリアクションが不思議というか、 えっ、そこにひっかかるんだ…へぇ…?という感じがして、 この方は、もしや爽やかさんの皮をかぶった変わり者なのではないかと…。 その後始まったヤマハPianist Loungeでの連載を見て、その思いは確信に変わりました。 まぁ、読んでいただけばわかると思います。 ヤマハPianist Lounge 「實川風 どこ吹く風パートII」 この連載のタイトル、あるとき急に気が付いて、 實川さんに、「もしかしてこれ、どこ吹く“かおる”って読むんですか?」と聞いたら、 「それじゃ、さすがに自意識過剰ですよ~」と言われました。 どこ吹く”かぜ”、であってるそうです。 ところで私は實川さんのことを、心の中で「じっちゃん」と呼んでいます。 学生時代の先輩に實川さんという男性がいて、「じっちゃん」と呼ばれていたからです。 その先輩は「じっちゃん」という呼び名が似合う人だったので良かったけれど、 こっちの實川さんの場合はどうなんだろう…と思いましたが、 そのことを話したら、実際に實川さんもじっちゃんと呼ばれていたそうなので、安心しました。 あだ名じっちゃんは、「實川サンあるある」なんですね。 ちなみに当時、戸谷さんという女性の先輩が「とっつぁん」と呼ばれていたのは、 今思えばさすがにすごいなと、全然関係ないのに急に思い出しました。 話がかなり脱線しましたが、 實川さんの「どこ吹く風」パートI はどこにあるのかというと、 公式ブログのほうが元祖ということのようです。 演奏会情報なども公式ホームページと併せて紹介されるっぽいですので、 チェックしてみてください。”
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仙台コンクールピアノ部門、セミファイナルを終えて
“ただいま開催中の仙台国際音楽コンクールピアノ部門。 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番または第4番を演奏するという、 ユニークな課題曲のセミファイナルが終わり、ファイナリスト6人が発表されました。 ファイナリストと演奏順はこちらで確認できます。 仙台コンクールはいつも、普通の(?)コンクールとは 一味違ったタイプのピアニストが優勝するというイメージが私にはあります。 派手ではないけど、ユニークだったり、堅実だったり。 若いピチピチのスターというよりは、わりと年齢も高めのオトナが頂点に輝くという印象。 協奏曲が中心の課題曲だということが、やはり大きいのでしょう。 さて、今回はセミファイナルの3日間をまず現地で聴いてきました。 ベートーヴェンの3番と4番だけを12人分ひたすら聴くというのは どんな気分だろうと思いましたが、想像より辛くなくて、むしろかなり楽しかったです。 (ベートーヴェンの4番のコンチェルトがとくに好きなので。) ちなみにこの課題曲、副審査委員長の植田先生が思いつき、 審査委員長の野島先生が「イイネ~!」となって、決まったそう。 今年の課題曲は、仙台コンクール史上最高だと、野島先生的にも太鼓判らしいです。 音の美しさ、音楽の構成力、作品への向き合い方という各人の音楽性がよくわかる。 なんというか、演奏家の“哲学度”もわかるという意味で (高ければ良いということでもなく、そこは好みだと思いますけど)、 もしかしたらモーツァルト以上に“ごまかしがきかない”のではないかと。 続けて聴いていると、ピアニストごとに際立たせる声部とかパートとかが異なって、 ベートーヴェンはこの作品の中になんてたくさんのネタを仕込んでいるんだ!と、 改めて感じるのでした。 演奏のアーカイヴはこちらから聴くことができます。 今回12人のピアニストのベートーヴェンを聴いておもしろいなと思ったのは、 概して、女性陣が音量たっぷりに力強い演奏をして、 男性陣がすごく繊細な表現をしていたということ。 一瞬、これはなんですか、現代の世相を反映しているんですか、と思いましたが (草食系男子と肉食系女子的な。でもそれって日本だけの話ですよね)、 ふと、女性の目で見たベートーヴェン像(男らしくてパワフル)と、 同性の目で捉えるベートーヴェン像の差から生まれた傾向の違いなのかも… とか思いました。もちろん、個人差はあると思うんですけどね。 なんでしょう、男兄弟の中で育った人が女性に抱く幻想、の逆バージョンみたいな? (ちょっと違うか。) さて、今回は現地で終演後にバックステージでコンテスタントにお話を聞く機会は あまりなかったのですが、たまたま会えた何人かの話題をご紹介しようと思います。 まずは、チーム韓国。 イ・スンヒョンさん、キム・ヒョンジュンさん、シン・ツァンヨンさん。 なんだか仲がよさそうでした。 (写真をウェブ上に載せるといったら、右の二人が一生懸命うつりをチェックしていました) 一番左のスンヒョンさんは、4番の協奏曲で、 3楽章のカデンツァにただひとりバックハウスバージョンを弾いていました。 そこまでわりとおしとやかに弾いていたのに一気にゴージャスになったので、 かなりのインパクト。録音を聴いて気に入ったので、耳コピして弾いたといっていました。 中央のヒョンジュンさんは、 2009年の浜松コンクール(チョ・ソンジン優勝回)で5位だったあの子です! 当時はまだ18歳でした。 ステージに出る直前に袖でバナナを食べて、スタッフに皮を託して出ていくという 謎の習慣が当時話題になっていましたが、それは7年経った今も変わっていないそうです。 あの力強い演奏はバナナのエネルギーによるのだろうか。 右のシン・ツァンヨンさんも、初日にとても情感豊かなベートーヴェンを聴かせてくれました。 今をときめく(?)カーティス音楽院、ロバート・マクドナルド門下。 去年のショパンコンクールに入賞したケイト・リウ&エリック・ルーと同門です。 右の二人はファイナルに進出しました。 初日、ツァンヨンさんの前に、同じ曲をまったく違う理性的なアプローチで弾いて、 この演奏は仙台コンクール好みだろう…と思ったのが、ニキータ・ムンドヤンツさん。 ホロデンコが優勝したヴァン・クライバーンコンクールでファイナリストになっていたので、 配信で演奏を聴いたことのある方もいらっしゃるでしょう。 お父さまもピアニスト&モスクワ音楽院教授で、 クライバーンコンクールの過去の受賞者ということもあり、 当時テキサスではあたたかく迎えられていました。 (結果発表前に控室で撮った写真。 話しかけたら立ち上がってくれて、わりと長らく話をした後に撮ったんだけど、 よく見たらリュック背負いっぱなしじゃないの…ごめんね) モーツァルト&プロコフィエフのコンチェルトを聴いてみたかったので、 ファイナル通過ならずで本当に本当に残念です。 派手さはないけど、渋めがお好みの仙台コンクールだし、 あの演奏なら通るだろうと思いましたが、わかりませんね。 ちなみに、作曲家でもある彼、クライバーンコンクールのときは モーツァルトの協奏曲で自作のモダンなカデンツァを披露していたので、 今回も楽しみにしていると言ってみたところ、 「今回弾く曲にはモーツァルトのオリジナルのカデンツァがあるからそれを弾くけど…」 と言われてしまいました。 (某所の講座に参加してくださったみなさん、いろんな意味で予想外でした。すみません) あとは、日本人のセミファイナリスト、北端祥人さんと、坂本彩さんは、 揃ってファイナルに進出! お二人とも、関西出身で今はドイツで勉強しているという共通項があります。 それからカナダとアメリカ国籍の二人は、いずれも中国系。 エヴァン・ウォンさんは台湾育ちで、15歳からジュリアードで勉強した人です。 プログラムに載っている写真と実物が全然違います。 (実物のほうが良いと思う。でも写真は撮り忘れました) 一方の最年少19歳シャオユー・リュウさんは、フランス生まれ、モントリオール育ち。 結果発表を待っている部屋でずっと手に白いハットを持っていて、 19歳にして、さすがモントリオール紳士…と思いました。 (これまた写真は撮り忘れましたが。) 絵を描くのが趣味らしいですが、お父さんが画家なんですって。 そんな家庭環境、この後もイカした青年街道まっしぐらという感じですね。 ところで、国際コンクールについて思うこと。 これだけ世界にコンクールがあると、すべての内容や結果を追いきることもできず、 やっていたことにも気づかないことすらあります。 よって私としては、たまたま何かのきっかけで聴く機会があるコンクールは、 真剣に聴いて、予期せぬ出会いに期待したいと思っているところ。 コンクールの意義については、ここしばらくずっと議論されていることですけど、 例えばこの仙台コンクールのようなものの場合、現地に来てみると、 地元の音楽好きからの注目度の高さ、コンテスタントを迎えるあたたかさがすごくって、 地元の方々の喜びを生み、それがピアニストに伝わっているという意味だけでも 本当に価値あるイベントなんだと改めて感じます。 もちろん音楽界での権威が高まって、優勝すると世界で認められるようになるなら それに越したことはないし、 関係者や音楽ファンが結果に高い関心を寄せているなら、それもそれに越したことはない。 でも、それとはまた別の価値が、ローカルな国際コンクールにはある。 そういう盛り上がりのないコンクールもあるのが現状だとは思いますが、 少なくとも、ガラコンのチケットがさっさと完売になったり、 ボランティアさんたちの熱量がすごかったり、 仙台は、なんかすごいと思います。 普段の仙台フィルの活動の成果もあるのでしょうね。 というわけで、ファイナルは6月23日から。 各人モーツァルトと自由選択のコンチェルトを弾きます。楽しみです。”
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仙台コンクールピアノ部門、ファイナル1日目
“仙台国際音楽コンクールピアノ部門、ファイナルが始まりました。 今回、ファイナルでは2曲のピアノ協奏曲を演奏します。 (前回までは2曲を用意しておいて、直前に決まった1曲を演奏するという、 “ファイナルまで進んでも、用意してきた曲を絶対に全部弾けない”ルールだったのですが。) 1曲目の課題は、モーツァルトのピアノ協奏曲から第15番~第19番という、 作曲家が1784年にウィーンで書いた6曲中の5曲から選択します。 超有名どころの曲ではなく、ちょっとシブめの選択肢。 それにしても1年でこれだけの曲を書くって(ピアノ協奏曲以外も書いているわけだし)、 改めてモーツァルトすごい。 もう1曲は、指定されたロマン派~近代の16の協奏曲から選びます。 曲のタイプはもちろん、演奏時間もさまざま。 コンクールのファイナルでよく起きることですが、 例えばブラームスのピアノ協奏曲(約50分)と、 リストのピアノ協奏曲やラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(約20分)では、 倍以上の長さの違いがあるわけで。 ちなみに今回最終日は、そんな短長の2曲が揃っています。 (課題曲については以前公式サイトのコラムでも紹介しています) ヴァイオリン部門では各人が2曲続けて演奏する形でしたが、 ピアノ部門はそれだと大変だということで(ピアノの方がソリストは大変なんでしょうかね?)、 別日に1曲ずつ演奏するスケジュールになっています。 各日、前半に2曲モーツァルが、後半に2曲自由なコンチェルトが弾かれます。 ちなみに演奏順はここで抽選し直し。 セミファイナルからファイナルまで3日間の空き日がある日程ならでは。 さて、初日です。 セミファイナル、ファイナルと実際に聴いてみて、 ベートーヴェンとモーツァルト、両方のコンチェルトを見事に弾くって、 さりげなくものすごく大変なことが要求されているよねと改めて…。 演奏順、最初に日本人二人が続けて演奏するという形になりました。 二人とも、ピアノはスタインウェイ。 坂本彩さん(日本/1989年生まれ)はモーツァルトの第18番K.456を演奏。 ベートーヴェンのときも力強い音にインパクトがありましたが、 モーツァルトでも地に足のついた安定感のある感じ。 弾いていない左手で曲の雰囲気を感じながら演奏している姿も印象に残りました。 北端祥人さん(日本/1988年生まれ)は第19番K.459。 これは6人中3人が選んでいる作品です。 軽やかなやわらかい音が、オーケストラの音と自然とコントラストをつくって、 なんだかモーツァルト的かわいらしさ。清々しい演奏でした。 どの曲を選ぶかで、印象にけっこうな違いが生じますね。 と、そんな曲が続いたあとで、後半ズドンズドンとラフマニノフ2曲。 感覚を切り替えて聴かないと、一瞬混乱(?)します。 まずは最年少シャオユー・リュウさん(カナダ/1997年生まれ)の 「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアノはヤマハです。 パワーも充分、キラリン音もばっちり。 各変奏の表情ごとに、ご本人のまわりに灰色やらパステルカラーやら いろんな色が、もわーんと発生するようでした。 ところでラフマニノフのパガ狂の第18変奏を聴いていると、 以前、小曽根真さんがおっしゃっていた話を思い出します。 “あの変奏が始まった瞬間に、キタキタ~オレの見せ場!と 冒頭からメロメロに弾くピアニストは、オーケストラから嫌われると思う。 そのあと管弦楽でクライマックスが訪れるのに、空気読めてないみたい” …的なご意見。さすがいつもご自分のビッグバンドと 即興の掛け合いを繰り広げているジャズ・ミュージシャンだなと思ったわけですが。 この話を聞いて以来、「そういう演奏」を聴くと、ぷぷぷ、と思ってしまうわけですが、 この日のシャオユーさんは見事に空気(というか曲の流れ)読んでましたね。 そして、最後はシン・ツァンヨンさん(韓国/1994年生まれ)のラフマニノフの2番。 ピアノはスタインウェイ。 聴かせどころをひとつひとつばっちりキメてくる演奏。音もズドンとまっすぐ飛んできます。 2楽章はかなりゆったりめ。一方の3楽章はワイルドな感じで、 セミファイナルの時にも感じた自由で感情豊かなキャラクターが発揮されていました。 さて、ファイナル2日目には、再び日本人の2人が登場します。 坂本さんはラフマニノフの2番、北端さんはショパンの1番。 どんな演奏になるでしょうか。 ※ファイナルの演奏、アーカイヴはこちらから聴くことができます。”
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仙台コンクールピアノ部門、ファイナル2日目
“仙台国際音楽コンクールピアノ部門、ファイナル2日目まで終わりました。 セミファイナル、ファイナルと聴いてきて今なんとなく思うのは、やっぱり、 いろんな角度からその人に合った選曲をすることって大切なんだなということ。 ベートーヴェンの3番と4番どちらを選ぶかのときも感じていましたが、 やはり特にファイナルは、この少ないリハーサルで 2曲もの協奏曲を弾かねばならない状況とあって、 ますますそのあたりが重要になりそうですね。 憧れていた曲で想いの強い演奏をするというのも素敵だと思いますし、 演奏効果の高い曲を選ぶという考えも、やはりコンクールだからあると思います。 でもここ一番というときに、自分の魅力が最大限にアピールできる曲を 冷静に選べるということも、ピアニストとして大切なんでしょうね。 セルフプロデュース能力的な意味で。 例えばよくある、「先生に言われてこの曲を選んだ」という話を聞くと、 ふーん、そうなんだとつい思ってしまいがちですが、 特に若いピアニストの場合は自分を知る意味でも、それが得策なのかもしれませんね。 自分のことって意外と自分ではわからないこともありますからね。 何にでもいえることだと思いますが…と、突然自分についても反省しだす。 さて。 今日のトップはエヴァン・ウォンさん(アメリカ/1990年生まれ)。ピアノはカワイ。 演奏したのはモーツァルトのK.453。 サラサラとした繊細な音がオーケストラとなじんでいました。 彼に対して抱いていた勝手なイメージからするとちょっと意外な演奏でした。 そしてソロ演奏の部分になると表現がめいっぱい詩的に。 キム・ヒョンジュンさん(韓国)は、K.459。 スタインウェイのピアノで、生き生きした音を鳴らしていました。 いつものように、自らも口で歌っているだけあって、ピアノもなめらかな抑揚で歌っています。 どちらも、間違っても下ネタのジョークなど言いそうにない品のあるモーツァルトでありました。 そして後半は昨日に引き続き日本勢二人の登場です。 彼らはこれでいち早く全ての演奏を終えることになります。 (今回のような演奏順だと、 初日後半に弾いた2人だけ2曲のコンチェルトに中1日もらえるんですよね) 背筋を伸ばし堂々とした姿でステージに現れた坂本彩さん(日本/1989年生まれ)は ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏。 オーケストラと対等な掛け合いを繰り広げるべく、 勇ましさも感じる勢いでピアノに向き合い、華やかな演奏を繰り広げていました。 真っ赤なドレスが音楽に似合っています。 そして北端祥人さん(日本/1988年生まれ)は、ショパンのピアノ協奏曲第1番。 唯一の初期ロマン派さわやか系選曲です。 (そして、連日これを聴きまくったワルシャワの思い出がよみがえる…) 緊張感を持ってスタートしたショパンは、 落ち着いたリズム感とともに、穏やかに弾き進められます。 2010年の日本ショパンコンクールで3位になった時に演奏しているのは確かなので、 もう何年にもわたって弾いているレパートリーなのでしょうね。 それでもどこかフレッシュな雰囲気も保った繊細な演奏でした。 客席は、演奏が全部終わる前から拍手が起きるほど、大いに盛り上がってました。 仙台フィルさんも、そろそろお疲れがピークの頃でしょうか。 新しい課題曲体制で、先月のヴァイオリン部門から1ヵ月、本当に大変だったと思います。 そんなコンクールも今日で最終日。夜には結果が発表されます。”
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仙台コンクールピアノ部門最終日と結果
“仙台国際音楽コンクールピアノ部門、全日程が終了しました。 審査結果はこちら。 第1位 キム・ヒョンジュン(25歳 / 韓国) 第2位 エヴァン・ウォン(26歳 / アメリカ) 第3位 北端 祥人(28歳 / 日本) 第4位 シャオユー・リュウ(19歳 / カナダ) 第5位 シン・ツァンヨン(22歳 ...”
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仙台コンクール、入賞者こぼれ話
“仙台国際音楽コンクールピアノ部門、レセプションでの出来事をご紹介します。 (入賞者全員とお話しできたわけではありませんが…) まずは4位となったシャオユー・リュウさん。白ハット姿の激写に成功。 19歳の彼はオーケストラとの共演経験も決して多いわけではないそうですが、 本当にステージでの姿が堂々としていました。 アーティストの家系(父が画家)ならではなのでしょうか。 一緒に写真を頼まれた時のポージングとかも、いちいちさりげなくイカしていました。 いつも帽子を持っているのはおしゃれか身だしなみのこだわりなの?と聞くと、 「単に日差しが強いからかぶっているだけなんだけど。 でも、おしゃれのためだと君が思うなら、それでもいいけどね」 という、またしてもなんとなくイカした返答。 やはり、今後もイカした青年街道まっしぐらであることに間違いありません。 こちらのお写真は、記者会見後の北端祥人さんと坂本彩さん。 北端さん、記者会見のコメントのときはわからなかったけど、 しゃべってみたら、ところどころクッキリとした関西の言葉で、 「あっ、そうだ。関西の人なんだった」と思い、 なんか仙台にいたので新鮮でした(だからなんだって話ですが)。 日本ショパン協会主催の2010年日本ショパンコンクールで ショパンの協奏曲を演奏していた…と先日の記事で書きましたが、 オーケストラとのコンチェルト経験はそれ以来だったそうです。 「この2週間で一気にどばっとコンチェルトのチャンスがやってきたんです。 これからもっとやっていかな、思ってるんです」とおっしゃっていました。 これぞ仙台コンクールを受ける意義ですね。 2位のエヴァン・ウォンさん。 このコンクール期間中の経験で最も印象に残っているのは、 「お客さんから感じた愛情と、仙台フィルのすばらしさ」とのこと。 「これまでにオーケストラとの共演経験は数回しかなかったので、 この短い時間に違うレパートリーで“4回”演奏したのはすごい経験だった。 仙台フィルもすばらしかったけど、なにより指揮者が良かった。 ときどき、なぜそこでそんなに時間をとるの?こうしたら?なんて提案をしてくれて、 試してみるとすごくよくなる。 もちろん押し付けたりすることはなく、すごくいいアドバイスをくれた」とのこと。 コンクールの指揮者さんは聞き役に徹するとけっこう聞きますが、 ヴェロさんは程よくアドバイスもしてあげていたのですね。すごい。 ところで、彼が“4回”のコンチェルトといっているのは、 たぶん先月のエリザベートコンクールのセミファイナルで モーツァルトの25番のコンチェルトを弾いたことを入れているのだと思います。 この短期間で全レパートリーを用意するのは本当に大変だった模様。 (ちなみに仙台のオーケストラのほうがずっと良かったと言っていたことを こっそりお伝えしておきます) そして1位のキム・ヒョンジュンさん。 長いインタビューコメントは後日コンクール公式関係の媒体で紹介しますが、 そのうちのこぼれ話的なものを。 ステージで目をひいたドレスは全て日本人デザイナーのタダシ・ショージのもので、 このコンクールのために用意し、色などプログラムに合わせて着ていたのだそう。 タダシ・ショージ、調べてみたら、仙台ご出身なのですね! 偶然のようですが、これまたびっくり。 以上、こぼれ話的エピソードたちでした。 入賞者たちのちゃんとしたコメントは、記者会見でたくさん語られていました。 そんな記者会見の様子は、見事なことこまかさで、 こちらの広報ボランティアさんのブログにて紹介されています。 ブログ記事、そのほかもとても充実しているので是非ご覧ください。 メインで記事を書いているミスターO、 本当に会社に行ってるんだろうかと他人事ながら心配になるレベルの内容と速さで 連日記事をアップされていました(会社にはちゃんと行っているらしいです)。 他にも会場のボランティアスタッフなど、多くの方がコンクールを支えていました。 期間中いつもめちゃくちゃ楽しそうに活動していたボランティア&事務局の方々”
7月
03
仙台コンクール、野島審査委員長のお話から
“仙台国際音楽コンクールが終わって少し時間が空いてしまいましたが、 野島稔審査委員長のお話を紹介しつつ、今回のコンクールを振り返ってみたいと思います。 合同インタビューに基づく詳しい記事は、後日公式の媒体に寄稿予定ですが、 その時の話から、いくつか気になった点を。 ◇録音のクオリティについて 合同インタビューの最後に付け加えるように野島先生がおっしゃったこのお話に、 けっこうびっくりしました。曰く、 「多くの日本のコンテスタントが予備審査で落ちてしまったが、 録音のクオリティが良いものがあまりなかった。 焦点がはっきりしないというか、お風呂場状態だったり、味も素っ気もないものだったり。 自分の表現したいもの、自分らしい音質をちゃんと録ることができているか もう少し気を付けたほうが良い」 そしてさらにもう一つ、へぇ、と思ったのは、 「韓国のコンテスタントのDVDはクオリティの良いものが多かった。 なんでだろうと思ったら、現地に良いスタジオがあるということだった」という話。 「こう言うと、プロに頼んでお金をかけとらなくてはいけないと勘違いする人がいるんですが、 そういうことじゃないんですね。センスの問題」と、野島先生。 (そういえば2010年のショパンコンクールで、 アヴデーエワが一度DVD審査で落とされてしまったという話を思い出しました。 それが録音クオリティのせいだったのかはわかりませんが) 多少録音状態に差があっても、本質的な音楽性はわかるかもしれませんが、 やっぱりあまりに酷ければさすがの審査員の先生方でも困るでしょうし、 さらにいえばボーダーラインにいたときは、当然良く録れているほうが評価されるでしょう。 そもそも、その音質で大丈夫だと思ってしまう感覚の持ち主だと示すことにもなりますよね… もちろん、状況によってどうしても限界があった、という人もいるでしょうが。 ちなみに野島先生が付け加えておっしゃっていたのは、 「ロシア人はそんなにいい録音ではないんだけど、その人の音楽はわかるんですよねぇ」。 …さすがロシアの人々。みんな違ってみんないい、的な教育の成果でしょうか。 録音クオリティという概念を越えて伝わる個性をお持ちの人が多いのか。 ◇ファイナルの審査 先の記事にも書きましたが、野島先生のお話を聞いていると、 今回のファイナリストは、何人かについて審査員によって評価がわかれたため、 結果的に平均的に高い評価を受けたピアニストが上位に入ったのではないかと思いました。 そんな状況がうかがえる各入賞者についての野島先生のコメントをごく一部抜粋すると… 「1位から3位の3人に共通していたのは、自覚をもって研鑽を積み、自分の音楽を追求しているという姿勢。そんな中で、1位の彼女には経験と気持ちの余裕があった」 (個々についてもお話がありましたが、それはまた別の場所で) 「4位のシャオユー・リュウさんには非常に光るものがあると思った。音楽に魅力がある。考えた末というより、本能で自然に出てくる音楽という印象。セミファイナルは良いところもたくさんありながら幼い部分がチラチラ見えた感じもあった」 (とくに1次のプロコフィエフ7番を高く評価されていました) 「5位のシン・ツァンヨンさんは、評価が割れたのではないかと思う。音がとても美しいので、私は才能を感じた。あれだけの良い音で弾ききることのできるピアニストは珍しい。ただ、そこに表現として表面的なものを感じたという方もいるようだ」 「6位の坂本彩さんは、1次などは音楽表現が安定していて、自信を持って弾いていてとてもよかった。スタミナもある。一方、自分のものにしきれていない感のある作品を弾いたとき、それをカバーする音の出し方やテクニック面でのひとがんばりがあれば良いと思った」 野島先生は、「自分でも偏っていると思うときもあるのですが…」と前置きしたうえで、 将来性を見るときに一番重視しているのは、音質だとおっしゃっていました。 「音がきれいとか汚いとかの話ではなく、 人の心に届く、目的にかなった表現をするうえで、音のパレットに限りがあるようでは ピアニストとしてあるところで止まってしまう」との指摘。 その意味で、野島先生的には優勝者の現時点での音楽性の確かさを評価すると同時に、 4、5位の二人に今後の可能性を感じていらしたのだろうなと推測。 ◇自分を知るということ そんなわけで、野島先生のコメントを聞いているうち、 「自分を知る」ということについてなんだかとても考えこんでしまいました。 ちょうどファイナル2日目を聴き終えた時の記事でも、 ピアニストが自分に合う選曲をするということについて考えたと書きましたが、 自分に合ったものを選べる能力、自分ができることとできないことを見極める能力を持つ、 つまり自分を知るということは、とても大切で難しいことだなと。 野島先生が1位のヒョンジュンさんについてたびたび言っていたのが、 「彼女は自分ができること、できないこと、自分が表現したいことをわかっている」 ということ。 「そこにたどり着くまで、試行錯誤しながら自分の道を探ってきた痕跡も感じた。 例えばブラームスのピアノ協奏曲は、 体格の大きな男性ですら技術的に難しい箇所もある作品だが、 彼女の場合、女性特有のしなやかさのようなものを貫き、 ちょっと体の使い方を工夫してブラームスの厚みを壊さないような演奏をしていた」 プログラム選びから、ピアノ選び、体に合ったテクニックなど、 自分に合ったものを的確に判断しなくてはいけない場面って本当にたくさんあります。 音楽への思いが強いほど、そういう客観的な視線って失いがちかもしれないから難しい。 でも同時に、自分が周囲にどう見えるかばかり気にしている表現というのも、 それがわかってしまった瞬間聴く人を興ざめさせてしまうような気がする。 そのバランスもまた、本当に難しいですね。 究極的にいえば、正直に物事に向かっていればなんでもいいのでしょうけれど。 “あのプログラム、合ってなかったよ”と言われても、 “弾きたくて一生懸命勉強して自信をもって弾いたんだけど、 共感してもらえなくて残念だったなー。別にいいけど。” くらいに本人が思えるならそれでいいのかもしれない。 でもやっぱり、的確に「自分を知る」ことができたら人生だいぶ楽になるだろうな。 そのためには何か考え方の転換が必要なのではないだろうか。 (↑完全に、ピアニストに限らない人生の話に置き換えはじめている) そんなことを悶々と考えていたところ、 レセプションの会場で一人で立っている野島先生を発見。 もう帰ろうとしているところをわざわざお引きとめして、質問してみました。 「自分を知るためにはどうしたらいいのでしょう。 迷える子羊たちのためにアドバイスを……」(本当は自分が聞きたいだけ) 『そうねえ。まぁ、いろいろ試してみればいいんです。 それで失敗すればいいの。できるだけ失敗したほうがいいんです。 いつも言っているけど、失敗は成功のもとっていうのは、本当ですよ。 それには勇気が必要だけれどね。めげない精神力も必要だし。 やっぱり、そういうのも演奏するうえでは必要ですよね』 ああ先生、失敗する勇気のことをおっしゃるとは。しかもその穏やかな語り口で! 最近ちょうど、精神力ハンパなく強い人について思いを巡らせる機会が続いていたので、 その意味でもなるほどと思いました。 精神力強すぎて失敗してもまったく反省しないというのも 困りものな気がしないでもないですが。 結局は何事もバランスなのか。 と、結局コンクールの本筋からまったく外れたものごとを悟ったところで この記事を閉じようとしていますが、 実際、コンクールを聴きに来るといつも勝手に人生勉強をしている感があります。 コンクールの間違った楽しみ方をしているような気がしないでもありませんけど。 今回は素敵な課題曲のおかげもあって、本当にいろいろな発見がありました。 先にお伝えしたとおり、優勝者と審査委員長のインタビューなどは 公式関係の媒体で掲載されると思いますので、公開されたらご紹介します。”
04
ロマノフスキーとフェンシング
“目の前の締め切りに追われていたら、 結局書くのがリサイタルの直前になってしまいました。 アレクサンダー・ロマノフスキー、リサイタルは7月5日です! 2016年7月5日(火) 19:00 紀尾井ホール シューマン:アラベスク Op. 18 シューマン:トッカータ Op. 7 シューマン:謝肉祭 Op. 9 ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」 インタビュー記事は、これまですでに、 ぶらあぼやジャパン・アーツ公演で配布中のチラシ(たぶん)に掲載されていますが、 今回はそれらの文字数内で書ききれなかった余談などを。 今回ロマノフスキーが弾くプログラムは、シューマンとムソルグスキー。 どちらも苦悩の中で辛い最期を迎えた作曲家です。 私は、今回ロマさまが「展覧会の絵」をどんなふうに演奏するのか、 なんだかとても興味を持ちました。 この曲は、多くの音楽家、それもジャンルを問わず いろいろなミュージシャンが手掛ける名作中の名作。 音として純粋に表現したり、内包されるものを自由に膨らませたりする演奏もあれば、 作曲家の精神に寄り添うタイプの演奏もあって、本当にいろいろ。 どちらにもそれぞれの魅力があり、どちらもがアリな楽曲だと思うので、 私としては、ロマさまのような人の場合、 どっち寄りになるのか興味があったわけです。 先のインタビューの折、そのあたりがどっちになるのかの予想をつけたくて、 「ムソルグスキーという人についてはどんな理解をしていますか? あなたにとって近い? 遠い? 共感する?」 と聞いてみました。ストレートに尋ねなかった。 そうしたら、 「どうしてそんな質問するの?」という、必殺質問がえし…。 (アル中のムソルグスキーに共感するのか、という意図が 質問の裏にあったわけでもないんですが…) しかしそこはロマさま、優しいほほえみとともにちゃんと答えてくれました。 「すばらしい音楽を創って多くの人から愛されている人物という意味で、 近しく感じる人でもあります。ただ、彼の人生は困難に満ちたものでしたよね。 そんな中で才能を与えられてしまったわけですから、 生きるのが大変だった面もあるでしょう。 大きな才能を与えられてしまった人がどのようにふるまえばいいのか、 その時々でとても難しい問題があったのではないかと思うので」 …才能を与えられてしまった。しかしそれに体や心がついてこない。 そんなムソルグスキーの苦悩について、ちょっと考えたことがありませんでした。 病気になったラヴェルが晩年、自分の頭の中には音楽が流れているのに、 それを楽譜に書き起こせないことを辛いといって涙を流したという逸話を思い出します。 そのほか、この作品について語っていることは 先のリンク先など既出の記事を読んでいただきつつ、 当日どんな演奏になるのか、楽しみにしてほしいと思います。 ちなみに、その翌週同じ「展覧会の絵」をガヴリリュクが弾きますが、 これはまったく違ったものになると思うので、その対比も楽しみ。 ところで、いつもスラリンとしたロマさま、 何かスポーツでもしているのかなと思って、 「演奏家は体力が大事だと思いますけど。何かスポーツは?」 とたずねてみました。 すると、 「演奏家だけじゃなくて、体力はみんな大事でしょ?」 (↑意外といちいちこういうことを言うので、エレガントな空気醸してるけど ロシア・ウクライナ系の人だったことを思い出させられます…偏見でしょうかすみません) 「スポーツは、やりたいなー、でも時間がないなーっていつも思ってます。 昔フェンシングをやっていたんです。10年くらい前かな。数年間やっていましたよ。 今もやりたいけど時間がないので。秋にはまたやりたい! フェンシングってすごいんですよ。 1対1のたった3分間のゲームで、20キロのランニングに匹敵するエネルギーを使うそうです。 いくつか種類があるんだけど、僕がやっているのは突きだけが有効のもので、 頭を使わないとできないんです。 相手がどう動くか察するという知力が必要なので、 チャンピオンになるのは30歳前後の選手なんですよ」 フェンシング、似合いそうな気もするけど、 あんなおっとりした雰囲気のロマさまにできるのだろうかという気もする。(失礼) いや、きっと面をつけたら人が変わったように機敏に動くんでしょう。 しらっとエレガントにしているようで、実は熱い。 演奏もまさにそんな感じで、いつも聴くのがとても楽しみなピアニスト。 紀尾井ホールというちょうどいいサイズで聴けるのも嬉しいです。 JAサイトにメッセージ動画もありますので、どうぞご覧ください。”
8月
26
「シーモアさんと、大人のための人生入門」を観てきた
“まだ公開前ですが、クラシック音楽好き界隈で少し話題になっているらしい、 映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」の試写会を観てきました。 イーサン・ホークが撮った89歳のピアノ教師のドキュメンタリー。 俳優として行き詰まりを感じていたイーサン・ホークが、 シーモアさんと出会ったことで、多くのことに気がついた経験から、 このドキュメンタリーを撮ることを考えたのだそう。 シーモア・バーンスタインさんの経歴を見ると、 若き日にナディア・ブーランジェやジョルジュ・エネスクに師事してきたとあります。 朝鮮戦争中、兵役についていた記憶も彼のなかでは大きなものだともありました。 往年の大音楽家から優れた教育をうけ、同時に複雑な人生を送ってきた人。 50歳で突然演奏活動を引退し、その後は教えることに力を注いできたそうです。 素敵な感じのおだやかーなおじいちゃん。昔はイケイケだったこともあったのでしょうけど。 映画を見て感じたのは、シーモアさんは、ピアノを弾いていて 幸せだと思える自分であることを大切に人生の選択を行ってきたのだということ。 自分が情熱を傾けてやっていたはずなのに、夢中になりすぎるあまり、 気づいたときに目的がずれて、幸せを感じなくなっている。 これはどんな分野でも、誰にでも起こり得ることかもしれません。 芸術家はじめ、夢と仕事が重なっている人にとってはとくにそれが起こりやすいかも。 そんなとき、どんな考え方があるか、 その選択肢の一つを提示してくれる映画なのかなと思いました。 今悩んでいる人もそうでない人も、 一度自分が道に迷っていないか見直すきっかけになる映画かもしれないなーと。 でも、答えを見つけるのはあくまで自分ですよ、という感じの映画でもある。 最後に出てくる一言が、シーモアじいさんにとって 音楽人生において幸せがどこにあったのかを、端的に物語っていると思いました。 映画の中で出てくる演奏にはとても味があって、聴き入ってしまう。 でもしゃべってる言葉も聴きたいし、さらに字幕が出ると見ちゃうしで、 いろいろ大忙しです。何回か見たら消化できるかも? 9月下旬からシネスイッチ銀座、渋谷アップリンクほか、全国順次ロードショーです。 http://www.uplink.co.jp/seymour/”
9月
25
モエ・エ・シャンドンを楽しみながらピアノを聴く
“秋なので、普段と違う気分で遊びに行ける演奏会のご紹介を。 シャンパンのモエ・エ・シャンドン協賛、 日本クラシックソムリエ協会と神楽坂TheGleeの共催でスタートする、 新しいサロンコンサートです。 オープニング2公演で出演するのは、こちらのナイスなお二人。 10月6日(木)19:30 宮谷理香さん モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第10番K330 リスト:愛の夢第3番/ラ・カンパネラ ショパン:ワルツイ短調遺作/ワルツ第2番「華麗なる円舞曲」/バラード第3番 11月11日(金)19:30 青柳晋さん リスト:巡礼の年第1年「スイス」より「ジュネーヴの鐘」 フランク:前奏曲、アリアと終曲/前奏曲、コラールとフーガ モエのグラスシャンパンと、それに合わせたフィンガーフードがついて7,000円。 なかなかお値打ちな料金設定だと思います。 ピアノの世界に誘いたいと思っていたクラシックに興味ナシのお友達を「釣る」にも、 もってこいの演奏会といえるでしょう。そうでしょう、そうでしょう。(プレトニョフ風に) …にしても、新しい企画ということで なんとなく全体像がつかめない方もいると思いますので、 ピアニストとプログラムに加えて、この企画のどこがイケてるのか、 少しご紹介してみたいと思います。 ★会場の音響がイケてる。 サロンコンサートというと、ステージへの距離が近く息遣いまで感じられるかわりに、 音響条件が犠牲になることも時々あります。 が、このTheGleeという会場、 わずか70席という空間ながら、すごく音響設計にこだわって作られています。 見てくださいこの壁のボコボコ。コンサートホールみたいです。 その音響の良さから、録音用の会場としてもよく使われているようです。 ★会場のピアノがイケてる。 1925年製ニューヨーク・スタインウェイが置いてあります。 タカギクラヴィア高木氏の説明によると 「ロマン派独特の香りを残し、太い重低音と輝かしい高音、 メロウな中音域、豊かな色彩を持つ」ピアノであるとのこと。 ヴィンテージピアノでピアニストたちがどんな味のある音を出すのかも聴きもの。 ★シャンパンとフードのマリアージュ的なものがイケてる。 おつまみも、ちゃんとモエのシャンパンに合わせたものが提供されます。 オープン18時半なので、ブルーノートっぽく早めに来場して先にお酒を楽しむもよし。 第1部後半には、モエのアンバサダーを交えてのトークの時間もあるので、 その時間にお話を聞きながら…というのも楽しそうです。 ところでモエの創業は1743年なんだって。バッハが亡くなる7年前ですね。 フードは、このような感じの品々から2品選択になるそうです。 (※当日変更の可能性もあります) (鴨ロースのオーブン焼きと野菜のブロシェット/一口モッツァレラのカプレーゼ/ イワシのエスカベッシュ/サーモンリエットと 挽肉と菜の花のブルスケッタ) ちなみに私の目撃した様子からすると、宮谷さんはお酒がお好き。 が、青柳さんは、おそらくお酒がほとんど飲めません。 インドでも、青柳さんはいつもお酒には興味がなさそうで、 ここ、それ頼むにはちょっとあやしくない?という雰囲気のレストランでも、 ラッシーやフレッシュジュースばかり飲んでました。(そういうとき安全なのはボトル飲料) シャンパンの味については、妄想でトークを切り返してくれることと思います。 ★モエのグラスが抽選で当たるらしい。 ご来場者の方の中から抽選で何名かに、モエのペアグラスがあたるそうです。 事情により画像を掲載できず、さらにうまく言葉で説明できないのですが、 土台にサクッとグラスをさすタイプの、 なんだかとてもかっこいい感じのペアグラスみたいです。 なかなかプレミアム度高いものらしいですよ。 …以上、この新企画の特徴をご紹介してみました。 私の場合は普段、仕事で聴きに行くことが多いこともあって、 コンサートの前や休憩中にお酒を飲むことはあんまりないですが、 ときどき遊びに行ったコンサートで少しお酒を味わってから聴くと、 より聴く耳がオープンになるところがやっぱりあるのかもしれないと思ったりします。 みんなでおいしいものを楽しみながら最高の音楽を聴くという、 素敵な雰囲気のサロンコンサートになりそうですね。 さて、今回のコンサート、お席は基本的に自由席ですが、 最前列のみSS席指定席(9000円、サイン色紙付き)となっていますので、 確実にかぶりつき席で聴きたい方はこちらをお求めください。 ※過去のクラシックソムリエ検定受検者でメルマガに登録されている方には、 特典のご案内メールが届いていますので、ご確認くださいね! 予約方法はこちらです。 ↓ ◎下記HPの予約フォームまたはお電話でご予約ください 宮谷理香公演予約HP http://theglee.jp/live/7951/ 青柳晋公演予約HP http://theglee.jp/live/7953/ Tel 03-5261-3124 (The GLEE) 場所:The GLEE(ザグリー) 東京都新宿区神楽坂3-4 AYビル B1 アクセス:東京メトロ飯田橋駅B3出口徒歩3分/JR総武線飯田橋駅西口徒歩4分”
10月
02
東京国際ピアノフェスティバルにヤブロンスキー登場
“今年スタートする、東京国際ピアノフェスティバル。 ペーテル・ヤブロンスキーさんが最高顧問を務め、 ロンドン在住、最年少でスタインウェイアーティストとなった井尻愛紗さんが 芸術監督をされている音楽祭です。 10月4日にスタート、そして10月8日がガラコンサートです。 ヤブロンスキーさんから先日、 「僕が東京国際ピアノフェスティバルのchief adviserだって、前にもいったっけ?」 と、突然メッセージが届きました。 …いや、聞いてませんけど。 で、何のことだろうと思いよくよく聞いてみたところ、 日本の若いピアニストのために何かをしたいという想いから、 今年スタートする音楽祭で、ヤブロンスキーさんは最高顧問になったということでした。 彼は少し前、ロンドンの王立音楽大学の教授に就任したばかりで、 (これについても、教授になったんだー、知ってた?というメッセージが来ていた) なんだか最近偉いみたいな役職ばっかりですごいといったら、 「もう年寄りだからね!」という返事。 …なにその北欧風自虐ジョーク。 とはいえ、私がヤブロンスキーさんと初めてお会いしたとき (中村紘子さんのFB記事で書いたリーズコンクールで、彼は審査員をしていたのです)、 彼はすでに30代半ばで、貫禄ある感じになっていたためよく知りませんが、 若き日は貴公子的キャラで活躍していたのですもんね。 …という件について、井尻さんとヤブロンスキーが やんわ~りこの動画の中で話していて、ちょっとおもしろかった。 (ヤブロンスキーちょっと恥ずかしそうに見えるのは、気のせい? というより、顔焼けてるように見えるのも、気のせいか?) オープニング・ガラコンサートは10月8日@紀尾井ホール。 ヤブロンスキーは、シューベルト、バルトーク、リストを弾きます。 個人的にはバルトークがすごい楽しみ。 きっと例によって、キレッキレなんだろうなぁ。 井尻さんは、CDのリリースコンサートとして、 アルバム収録曲などを披露されるそうです。 ガラコン当日、夜の部のロビーでは、ナッツのはちみつ漬けで有名な マイハニーの商品の試食があるという情報も、 事務局の方から微妙にキャッチしました。 ガラコンサートに先立っては、ヤブロンスキーのマスタークラスが 大津、横浜、そして東京で行われるそうです。 そういえば、ヤブロンスキーのマスタークラス、見たことない。 でも、来日のたびに今日は一日マスタークラスだったと言っているのを聞く気がするで、 なんか大人気なんだなと思っていました。 というわけで、これを見るのも楽しみです!”
12月
07
小説「蜜蜂と遠雷」(恩田陸 著)
“ 恩田陸さんによる、ピアノ・コンクールを舞台にした「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)。 少し前に発売されているので、すでにお読みになった方もいらっしゃるでしょう。 手に取ってまず、綺麗な本だなぁと。 その印象と違わない、優しくうつくしい恩田さんの文章がつまっています。 ある年の芳ヶ江国際ピアノコンクールに挑戦するピアニストと、 そのまわりのいろいろな立場の人たちの物語。 この小説を読みながら、仕事柄まず思わずにいられなかったのは、 こんな奇跡のようにすばらしいコンクールを取材できたら、本当に幸せだろうなということ。 正統派の天才、挫折を味わった元神童、彗星のように現れた異端児、 楽器店で働きながら最後のチャンスにかけるピアニスト、 いろいろな人物の心の動きが細やかに描かれていきます。 現実のピアニストたちがあらゆる場面でもらした言葉が重なって この話はあの人みたいだなといちいち思い浮かべてしまいます。 その意味ではリアリティがすごい。実在の本人たち以上に言葉で説明してくれていますし。 ある場面で出てくる、主人公のひとりマサルが大曲を整えていく行程についての考え方も おもしろくて、マサルのロ短調ソナタが聴いてみたいと思ってしまいました。 コンクールの関係者から見たら、はて、と思う設定はいくつかあるかもしれないけれど、 そういうところはあまり重要じゃない。 (しかも現実と違う設定がされているところは、 だいたいちゃんと物語のためにそうである必要があるからだというのが、 そんじょそこらの(?)リサーチ不足な作品とは違います) 現状を描くという意味での”リアリティ”を求めるなら、それとはもちろん違う感じ。 でも恩田さんの作品は、当然それを目指していないんですよね。 実際のコンクールにはつきものの理不尽な出来事、嫌なヤツの存在、 きれいでない事情など、この話に出てこないことはたくさんあるでしょう。 でもそこをそぎ落として書いているからこそ、 音楽に向かう人のうつくしさが強調されるのだと。 最近はコンクールの存在意義に懐疑的な意見も多く、 それは確かに正しい部分も多いし、 見よう(やりよう)によってはコンクールなんて良いことなし…な気がすることもありますが、 こうしてコンクールから多くのものを得て成長する演奏家もいるという現実が描かれている。 コンクールに向けてのあたたかい視点の選択肢を与えてくれる小説でもあると思います。 まあ、社会の出来事は何事も、その人がそこにどう向かい、どう捉えるかに、 ほとんどのことがかかっているということなのですよね。 実はもう10年近く前、まだ雑誌の編集部にいた頃、 文芸誌で連載が始まる前に、恩田さん、担当編集者さんとお会いしたことがありました。 当時の経験レベルですし、私の話なんて何の役にも経たなかったと思いますが… その後、恩田さんは本当に綿密な取材を重ねられたのだろうと思います。 ステージマネージャーやコンテスタントの身内的存在、調律師、ドキュメンタリーのクルーなど、いろいろな立場でコンクールに関わる人間のことが丁寧に描かれています。 そして、モデルとなっているコンクールはどこからどう見ても浜松コンクールなので、 (実際恩田さんは、チョ君が優勝した回はじめ、浜松コンクールを何度も取材されています) 結果発表の情景とか、バックステージの様子とか、 いちいちものすごくハッキリとアクトシティ中ホール界隈の光景が思い浮かびました。 あの地下のインドカレー屋、いまいちなんだよね…とかも含め。 ちなみに、ピアノやコンクールに普段親しみがない人が読むとどう感じるのだろうというのが、 このタイプの本気の音楽小説を読むと、いつも気になるところです。 でもいろいろな感想を見るにつけ、音楽関係でない方々から絶賛されていますね。 というより、むしろ音楽関係でない人からのほうが、評判を集めているのかもしれない。 すでにかなりの刷り数いっているとのこと。 この小説を読んだ人は、コンクールというものにどんなイメージを持つのか… そのあたりも、実は気になるところです。いろんな意味で。 とにかく登場人物がみんな魅力的だし、恩田さんが彼らに弾かせている曲もいい感じだし、 読んでいるといろいろな感情がめぐり、考えさせられる作品。 全500ページ超、読み始めたら一気にいってしまいたくなること間違いありませんので、 そのつもりで読み始めることをおすすめします。  ”
29
家庭画報2月号「ステージに輝く若き才能者たち」
“ 家庭画報2017年2月号(12/28発売)の「ステージに輝く若き才能者たち」。 舞台で活躍するさまざまなジャンルの若い才能を紹介する特集です。 編集担当の方がいろいろな筋から情報を集めて、 この人を紹介したいというアーティストをピックアップしている企画。 登場しているのは、ヴァイオリンの三浦文彰さん、津軽三味線の山下靖喬さん、 ピアノの福間洸太朗さん、バレエの吉山シャールルイさん、ミュージカルの中川晃教さん。 もちろん、それぞれの業界ではすでに活躍してよく知られている方々ですが、 こういう一般女性誌で、これからに期待する実力ある人たちを取り上げる企画って、 貴重で素晴らしいなと思います。 今回はこの特集の中で、三浦文彰さん、山下靖喬さん、 そしておなじみ、福間洸太朗さんの記事の執筆を担当しました。 三浦さんは、今年真田丸のオープニングテーマ曲を演奏して大活躍でしたね。 NHKの紅白にも出演して、香西かおりさんと共演するらしい。 テレビでは、真田丸紀行を演奏していた辻井伸行さんが、 全国ツアーのほうでは田村響さんがピアノで共演していました。 三浦さんとは今回の取材で初めて直接お話ししたのですが、 ステージとか写真から受ける印象とはまたちょっと違う ゆるやか~で愉快なところのある方で、ちょっとびっくりしました。 なんとも形容し難い素敵キャラ。インタビューとても楽しかったです。 行きつけの美容院でも撮影をしましたが、師弟ぐるみで通う名店なのだとか。 津軽三味線の山下さんも、もう才能と意欲にあふれた人という感じで、 津軽三味線に詳しくない自分が聴いても、 めちゃくちゃうまい人だということがビシビシ伝わってきました。 うちは父方が青森なもので、なんとなく津軽三味線には親しみがあるのですが、 今回は取材中、初めて津軽三味線をちょこっと触らせてもらって、 すごくワクワクしてしまった。習ってみたい。 そしてもう一人はおなじみの福間さん。 ショパンの命日にサントリーホールのブルーローズで昼夜2公演を行った際に、 朝から密着取材をいたしました。 フルのリサイタルを別プロでふたつという大変な日だったにもかかわらず、 休憩中の楽屋をのぞかせてくれるわ、ご飯食べてるところ見せてくれるわ、 それはもう出血大サービス(?)でした。 掲載されている休憩中の写真、 キャプションでは文字数制限があっていじれなかったんですけど、 福間さんが使っているアイマスクがおもしろいことになっているので、 雑誌をお手にとった際には、目をこらしてよーく見てみてくださいね…。 その他、この号には五嶋龍さんのロングインタビューも載っていました。 それから、ものすごくおいしそうな蟹とか気持ちよさそうな温泉とかが、 さすがの素晴らしいクオリティの写真でジャンジャン載っています。 お正月休みのおともにどうぞ…。”
2015
1月
04
2015年を迎えて
“2015年がやってきました。 みなさん年越しはいかがお過ごしだったでしょうか。 WEBラジオみよたカンタービレでは、大晦日、元日と、 「ジルベスターで世界旅行」「ニューイヤーメドレー」の2回をアップしています。 (いつものサイトの調子が悪いようで、 みよたさんのブログからダウンロード先に飛んでいただくようになっています) ジルベスターで世界旅行の回で 話すのを忘れた(というか、音楽に関係ない)エピソードがひとつ。 私が唯一海外で年を越したことがある国は、インドです。過去2回。 インドの人たちは年末年始にはそんなに長い休暇はとらず (日本以外はそういう国が多いのかもしれませんが) 私が出入りしていたオフィスでもスタッフは大晦日まで一応仕事をし、 そして1月2日には出て来ていました。 インド人は働き者だと錯覚しそうになる一瞬です。 初めてのインドでの年越しのときは、 爆竹を鳴らす音がうるさくてあまりおめでたい気分になりませんでしたが、 2度目のときはデリーの中心部で花火が上がるというので、 インド人の友人たちと出かけました。 いろいろな路地が通行止めになっていたりして道に迷い、 挙句の果てには野犬に囲まれ吠えらる、という恐ろしい年越しを過ごしたなあ。 …という、まったく音楽に関係ないジルベスターエピソード。 ところで、昨年は年明けに何を書いたのかなと思ったら、まだこのサイトを開く前で、 旧ブログになぜか実家の台所と母の話を書いていました。なつかしいな。 ここで書いたいくつかの「2014年の計画」の中で 4つのうちの3つは実行したようですが、 一番骨が折れそうなインドの計画は、 いい足掛かりは得ながらも実行に移せずに1年が過ぎてしまいました。 今年こそ暑くなる前にインドに行こうと思っていたところで、 年明けから怖い事件のニュースを見かけ、また怖気づいているところです。 こういうときは、男だったらよかったのにと思います。 どんな対策があるだろう… 少年風か、ちいさいおじさん風の恰好で過ごすとか…。 (少年風は、意外といけるんじゃないかと思うのですが) さて、2015年。 今年は目の前の仕事をこなすことで精いっぱいな状態から脱して、 もう少し頭を使い、攻めの姿勢で、「思いついたら慎重に実行」していきたいと思います。 世の中には、出会って幸せになること、気が付くと楽になることがいろいろあると思いますが そういうことをたくさん集めてきて発信できるような仕事を目指したいと思います。 それをすることが何のためになるのか、考え始めるときりがないし答えは出ないけど、 まあ、とりあえずやってみます。 今年はいろいろなコンクールもありますし、どうなることやら。 2015年がみなさまにとってすばらしい年になりますように。 本年もどうぞよろしくお願いします。”
05
ニコライ・ホジャイノフ新春メッセージ2015
“今年もまた、ニコライ・ホジャイノフさんから日本のファンのみなさんへ 新年のご挨拶のメッセージをお預かりしました。 (なぜかニコライさんの中で毎年恒例となった模様です) My dearest Japanese fans! I thank you for your support during the whole year, for worrying ...”
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ルービンシュタイン国際ピアノコンクール ガラ・コンサート
“昨年5月にイスラエルのテル・アビブで行われたルービンシュタイン国際ピアノコンクール。 今はちょうど、前々回優勝のガヴリリュクが来日中ですね! 第14回は、ウクライナのアントニ・バリシェフスキーさんが優勝に輝き、 また、その他にも今後注目したい若手ピアニストと出会えるコンクールでした。 コンクールが終わって間もなく、 イスラエルではパレスチナの紛争激化などもあり、一時はどうなることかと思いましたが、 8月の終わりには停戦合意があり、今は表面上、再び静かな状態になっているようですね。 ドイツ人のジャーナリストが9月の休暇でテル・アビブに行ったそうですが、 その時点でもう、「すごく静かで普段通りの感じだった」とのこと。 この地域に詳しい方が「何年か毎にこういう紛争が起きているんだし…」と言っていましたが、 確かに思い返してみればその通り。 現地の人にとっては珍しいことではないのかもしれません。 そして国際社会の関心も、次に何かあるまでまた薄らいでしまうという。 さて、話を本題に移して、ガラ・コンサートのご紹介です。 1月22日の浜離宮朝日ホールをスタートに全国5会場でツアーが行われます。 浜離宮と宗次ホールでは、なんと昼・夜の2回公演! 日程の詳細はこちらです。 このコンクールは、本選最終ラウンドで6人中5人がファツィオリのピアノを演奏したことも注目を集めました(詳細はこちらの現地レポートから)。 そんなわけでこのコンサートは ファツィオリの日本総代理店ピアノフォルティによって企画されています。 よって使用ピアノはもちろんファツィオリ。 ほとんどの会場に持ち込むことになるわけですが、 聞くところによると、福井のホールにはファツィオリが常設されていて、それを使用するとか。 今回出演するのは、1位のバリシェフスキー、2位のスティーヴン・リン、 そして1次からファツィオリを弾き続けていたファイナリストのマリア・マゾ。 3人の演奏を紹介する動画はこちらです。 マゾさんの卓越したファツィオリ遣い、 スティーヴン・リンさんの驚くほど豊かな音と表情に、期待。 そして、バリシェフスキーさんの真面目な性格が滲み出ているような やたらシブいプログラムも気になります。 プログラムBではヴァルディ審査委員長が 「今まで聴いた中で一番」とコメントしていた「展覧会の絵」も演奏されますから、 改めてじっくり聴いてみたいです。 バリシェフスキーさん、優勝後はいろいろな演奏会に招かれていると思いますが、 やはり今もまだ、一瞬フルフェイスのヘルメットに空目しそうになる あのワイルドなヘア&ひげスタイルなのでしょうか。 そのあたりにも、要注目。”
15
遺跡が似合う男、ロマノフスキー
“ロマノフスキーの少々久しぶりの来日公演、今週末からスタートします。 1月17日の彩の国さいたま芸術劇場でのリサイタル、 1月21、22日のノセダ指揮N響との共演(ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲)、 そして1月23日の紀尾井ホールでのリサイタルと続きます(「公演によせて」書いてます)。 来日に合わせて、新譜の日本盤もリリースされました。 収録されているのは、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番、第2番。 ライナー書かせていただいてます。 どこか遺跡的な場所で遠くを見つめるロマさま。 つくづく、遺跡とロングコートが似合う男です。 ブックレットの中には、 この遺跡風の場所の岩の上で物思いにふけるロマさまの姿が収められています。 欧文のタイトルは、「ロシアン・ファウスト」。 ソナタ1番が、当初、ゲーテのファウストからインスピレーションを受けて着手されたことに 由来しています。 これが、かなりいい演奏です。聴けば聴くほど、しみじみ良い。 ソナタの1番など、ところどころ涙出そうになります。 私がロマさまの生演奏を初めて聴いたのは 2011年のチャイコフスキーコンクールのときでしたが、 あのとき本選で弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も、 聴いているうち、微笑みながらも涙が出てきて「もお、やめてよ~」と言いたくなる 幸せだけどなぜか哀しい、すばらしい演奏でした(言葉でうまく説明できない、この感覚)。 この録音からもそれに近いものを感じます。 やはりこの方とラフマニノフは、何か深いところで通じるものがあるのでしょう。 N響との共演ではラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲を演奏してくれますから、 かなり楽しみですね。しかも指揮はノセダさん! 先にガヴリリュクがソリストで出演した定期公演も、すばらしかったです。 一方、これだけロマさまのラフマニノフを押しておきながら、 リサイタルプログラムにはラフマニノフが入っていないんですけど、心配はご無用! ベートーヴェンのソナタ14番「月光」、30番、 そして後半はピアノ・ソナタ第2番を含むショパンづくしと、相当濃い内容です。 とくに「月光」は前回の来日リサイタルでも演奏しているんですよね。 一体ロマさまはなぜこんなにも執拗にこの作品にこだわるのか… 演奏を聴いてみれば、わかるかもしれない。 とにかく、楽しみな公演です。”
2月
18
客引きがお上品になっていたデリー空港
“デリーに到着しました。 5年ぶりのインディラ・ガンディー国際空港はものすごくきれいになっていて、 さらに空港を出たところの客引きも大変お上品で控えめだったので、びっくりしました。 外がどこもかしこも薄暗くてもんやりしている風景は、相変わらず。 とはいえガイドブックによると、この空港からの真夜中のタクシーで、 そのままあやしい旅行会社に連れていかれ(目的地として伝えたホテルは潰れたとか言って) 高額ツアーを組まされるトラブルが後をたたないそうです。 なんでそんなところに連れていかれて黙って契約することになるのか疑問に思いますが、 なんかそういう気持ちになるんでしょうね。 インドひどい、とも思いますが、オレオレ詐欺も似たようなもんでしょう。 老若男女問わずひっかかるというのが、インド版の大きな違いかな。 ま、そこ、けっこう大きな違いですね。 人間の心理というのはよくわからなものです。 ところで今回の旅のひとつ目の目的は、 私が学生時代に研究していたインドの仲間たちに会いにゆくことです。 私は学生の時、伝統的な職能を生かした自立支援プロジェクトの研究として、 インドのフォークパフォーマーのスラムで調査をしていました。 わかりやすいものだと、蛇遣いとか、ああいう方々が一つの例です。 カースト制度では、基本的には世襲で職業が決まっているので、 蛇遣いファミリーは代々蛇遣い。 蛇遣いのコロニーに遊びに行くと、 あっちこっちに蛇の入った布袋と一緒に日向ぼっこしているおっさんがたくさんいるという。 (蛇って布袋に入れておくとおとなしくなるんだって) ちなみに私が一番よく触れあっていたのは、 ラジャスターン出身のパペット遣いの人たちです。 明るくて気のいい人が多い一族でした。 こういうパフォーマンスにはだいたい 素晴らしくエネルギッシュな音楽がくっついているので、 随分前から、いつか彼らを日本に招聘したいと思って少しずつ動いては頓挫してきました。 今回は、いよいよそれを実現するための下準備をします。 他にもいくつかの無謀な野望がありまして、 今回はそのためのリサーチをしようと思っています。 がんばるぞ。”
24
久しぶりにスラムを訪ねる
“デリーに着いてすぐ、学生時代にフィールドワークをしていた パフォーマー・カーストの人々が暮らすコロニーに行ってきました。 コロニーの名称は「カティプトゥリ・コロニー」といい、木製パペットコロニーの意味。大道芸人の住むスラムとして有名な場所です。 ジプシーのルーツともいわれる、ラジャスターン州を故郷とするパペッティア・カーストの世帯を中心に、蛇遣いやマジシャン、ジャグラーなど、700世帯ものパフォーマー・カーストの人たちが、肩を寄せ合って暮らしています。 芸能カーストは基本的に、不可触民と呼ばれる「カースト外」の人々です。かれらは大昔は、大衆向けに路上パフォーマンスを行ったり、富裕層のパトロンを持って儀礼の余興を行ったりしていました。 1947年のインド独立によって社会システムが変容すると、農村での生活が難しくなり、一部の人々が都市に流入。異なる種類のパフォーマー同士、集まって暮らすようになったのでした。 私がここで調査をしていたのは、大学院生だった11年前のこと。今回みんなを訪ねるのは5年ぶりです。 (明日のパペットショーで使うという、鳥的ななにかを作っている) ここは、スラムといわれる種類の場所なのですが、ストリートのスラムと違って、 似た職能を持つカーストの一族たちが助け合って暮らしているので、 わりと秩序立っています。人々も明るくて優しいです。路地を歩けば、ジャグリングの練習をする少年やドラムを叩く青年、むやみに踊り狂う子供などがあちこちに出没します。 ただ、この5年でますます人口が増えたようで、人が溢れかえっていました。 雑な増築(というか、単にビニールシートで屋根作ってるだけだけど)が あちこちでなされていて、ますます町並みはワイルドに。 デリーの街がどんどん綺麗になっている中、 衛生環境も5年前に比べてサッパリ良くなっていません。 設備はもちろん、人々の意識や価値観も関係していると思いますけど。 (一番きついエリアは写していません…) そして相変わらず、あちこちから何かを練習しているらしい太鼓の音が聞こえてきます。 ここは「世界で最も有名なスラム」と言われているのですが、 それは、質の高いパフォーマンスをする住民はNGOの支援を受けて、 海外のフェスティバルなどに頻繁に参加しているから。 そのため成功している家族はけっこう豊かな暮らしをしていて、 パソコン、バイクや車、さらには近くにゲスト用のアパートまで持っています。 でも、ここに自ら選んで住み続けているんですね。 居心地の良さ、仕事の得やすさ、長くこの場所で生きてきたプライド、理由はいろいろでしょう。 そんなわけで、実はスラム内の格差もますます広がっています。 写真は、コロニー内で最も成功しているパペッティアの一家の子供たち。 11年前、彼らがまだ幼く、彼らの父がまだ青年だったころの ホーリー(色の粉をかけあうインドの激しいお祭り)の動画を観て、盛り上がっています。 女の子たちもちゃんと学校に通っていて、かなり英語を話していたのでびっくりしました。 将来何になりたいの?と聞くと、近くにいるおじいちゃんに聞かれないように、 「ファッションデザイナーになりたいの」と小声で教えてくれたのでした。 このスラムには、相変わらず、やることがなくて昼間から酔っぱらって 道に座り込みカードゲームに興じているオヤジもたくさんいますが、 一部の子供たちの意欲の高さに、かなり明るいものを感じました。 人というのは、頑張れば何かあるという現実を見ていると意識が変わるものなんですかね。 お手本になる姿が身近にいるかいないかはとても大きいのだなと思いました。 近くにそういう人がいなくても、努力や希望という感覚を掴める子供もいると思いますが、 やはりそれは、けっこう難しいよね…。 そんなことを思う、彼らとの久しぶりの再会でした。 それにしても、5年も10年も経つと子どもたちが倍ぐらいの背丈に育っていることもあって、 道端で「わー!」とか声をかけられても、誰だか全然わからない。 特に男の子たちから可愛らしさが見事に消え去り、 普通に外で話しかけられたら無視するレベルの眼光鋭い男になっていることも、しばしば。 にっこりすればかわいいんだけどね。 久しぶりに地元に帰って同級生のお母さんを見かけ「こんにちは!」と声をかけて、 「え、誰だこれ…」という反応をされることがしばしばありましたが、 今まさに、自分が逆の立場になっているのだということを思い知りました。 おばさんは、何年も経ってもあんまり変わんないからね…。   ”
25
インドのピアノワールド
“ようやく、楽器の話題を。 少し前に、デリーの楽器店街に行ってきました。 案内してくださったのは、カシオ・インディアの中正男社長。 カシオはインドで、まず腕時計のG-SHOCKをヒットさせ (ボリウッドのスターが着用するなどして一気に流行ったそう)、 続いて、インド人が使い慣れている桁数の区切りを取り入れた電卓、 インド音階などを取り入れたキーボードで大成功しているそうです。 電子ピアノのことをインドの人は「カシオ」と呼ぶという話も聞きます。すごいことですね! (昨年11月の東洋経済オンラインの記事が詳しいですので、ご参照ください) 中社長は、インド駐在が今回で3度目。 最初の駐在は1996年のことで、これまでの駐在期間は合計12年になるそうです。 なんだかとてもいい声でヒンディー語をお話しになり、 もう、登場された瞬間からインドな気配が漂っていました。 最近カシオは、ボリウッド映画音楽の大家 A.R.ラフマーン氏をイメージキャラクターに起用しているそうで、 お店の看板にも大きくその姿が見られます。 そしてこちらがインド文化対応のミニキーボード。 ハルモニウム(左手でパフパフ空気を吹き込みながら右手で鍵盤を弾くインドの楽器)と 同じサイズのもので、よく売れているそうです。 右上に、持ち運びやすいくぼみ付き!という表示がありますが、 通常、パフパフするはずの左手が手持ちぶさたになるので、ここを握って弾く人もいるとか。 ちなみに、ハルモニウムとはこんな楽器(件のパフォーマーのコロニーにて撮影)。 インドでよく売れるのはやはり電子ピアノということで、 アコースティックのピアノは、まだまだこれから、という状況だそうです。 そんな中、気になるお店が。 なんとインドに「PIANO WORLD」ですと! (見にくいですが、手前のオヤジではなく、奥の看板にご注目ください。O、とれてるけど) カワイの代理店だそうです。 音楽教室も併設しているらしく、入口にはこんな看板が。 “ミュージック・フォー・リトル・モーツァルト”とあります。 この近所の住民でモーツァルトがなんなのか理解している人は おそらく、あまりいないと思われますが。 広い店内には美しいグランドピアノがずらり! ひときわ目をひく白いグランドピアノの中には、除湿剤が放り込まれていました。 (そして鍵盤の上になぜか横たわる手袋) 以前、とある日本企業でインド駐在のアマチュアヴィオラ奏者の方が、 デリーの雨季の湿度はものすごく、楽器がおかしくなったので帰ったら直そうと思ったら、 日本に持ちかえっただけで直った…と言っていたことがありましたが、 それほど、こちらの気候はアコースティック楽器には過酷です。 楽器店の方に、グランドピアノを購入する方に どんなケアをするようアドバイスしているのですかと尋ねると、 「特別なことは必要ありません! なぜならカワイのピアノのアクションの素材は、カーボンファイバーの入ったABS樹脂の…」 とプレゼンテーションが始まったので、知ってるから結構ですと遠慮しておきました。 インドまで来て、まさかウルトラ・レスポンシブ・アクション的な説明を聞くことになろうとは! 日本企業の世界にゆきわたる見事なディーラー教育(?)、 そしてインド人販売員の素直で従順な精神を見た気がしました。 インド人というと、一般には 時間にルーズで大ざっぱ、自己中だったりするというイメージがあると思いますが、 同時にものすごくせっかちで、手先が器用で細かく、とても素直という一面もあります。 そうした感性がどうやって共存できるのか。…ミステリーです。 が、そんな日本人や日本企業が思いもよらない感覚を活かしたことが、 カシオのインド戦略成功の秘訣だったのだろうなと思います。 ヒンディー語をペラペラ話してインドに溶け込む中社長や日本人の社員の方を見て、 そんなことを思った、楽器店街訪問のひとときでした。  ”
3月
01
タンドリー蟹
“ムンバイには二日間しか滞在できませんでしたが、 仕事にまつわること以外の目的はすべて果たすことができました。 インドでは1月、2月に巨匠演奏家のコンサートが多く開催されます。 デリーではサントゥールの大巨匠シヴ・クマール・シャルマー氏 (4月にライブをする新井孝弘君の、先生です)を聴くことができました。 近くで見たらものすごくオシャレで品があってシュッとしていて、かっこよすぎました。 もう70代後半らしいですが。 (演奏中は撮影禁止だったので…わかりにくい写真ですみません) そして“生ける伝説”バンスリのハリプラサード・チャウラースィアの演奏も聴くことができました。 これもまたすごかった。ご病気で手が震えてしまうそうなのですが、 1時間半以上も演奏している後半になったらそれもピタリと止まり、ものすごく白熱した演奏。 以前サラーム海上さんがインドの笛のショパンと紹介していましたが、 一体誰がそう呼んだのか…でもわかる気もちょっとする、しなやかな歌心。 みなさんそうそう日本で演奏をしてくれないので、とても貴重な機会です。 それで今回は、ずっと生で聴いてみたかったタブラの大巨匠、 ザキール・フセイン氏の演奏を、ムンバイで聴くことができました。 こちらはやはり4月にライブをするユザーン君の、先生です。 それはもう、すごかった。音がずしりと脳に響いてきます。 指の強さはピアニストと似ているかもしれません。一層強靭な、信じられない柔らかい筋力。 かっこいいリズムの洪水に身震いがしました。 世界にはすごい音楽家ががたくさんいるのだなとあらためて思い知りました。 さて、これまでムンバイではほとんど観光をしたことがなかったのですが、 某ガイドブックに「ムンバイで最も印象に残る光景になるでしょう」と紹介してあった、 ハッジ・アリー廟に行ってみました。 溺死したイスラム聖者の墓が聖地となっているといい、 海に浮かぶように造られた建物までは、海の中にある一本道を歩いて行きます。 ボリウッド映画などの撮影でも使われていることから、 よそから旅行でやってきたインド人も多く訪れるとか。 インドの多くの観光地同様、 付近はたくさんの土産物屋、ジュースバーなどでにぎわっています。 ヤギもたくさんいます。物乞いの人もたくさんいます。 私の友人のNGOスタッフのインド人は 「あそこに座っている物乞いは一日に俺より稼いでる」と言っていましたが、 あながち冗談でもないかもしれません。 それと、インドではよく道端に、 体重計の横に座ってじっとしている、体重計り屋さん(?)がいるのですが、 なぜかこの通りにはめちゃくちゃ体重計り屋がいました。 参道が平らで体重計が置きやすいからかも…。実際計ってる人も結構見かけました。 試したことはありませんが、計ると目盛も読んでくれるのだろうか。逆に迷惑なような。 それにしても、海からの異臭がとにかくすごかった。 景色も建物もそれなりに印象的でしたが、異臭のすごさが一番の思い出です。 そしてもう一つ、ムンバイに行くならと楽しみにしていたのが、 タンドリー蟹! 魚介類の獲れる場所でしか食べられません。 (あとで気づきましたが、お兄さんびっくりするほど得意気な表情) タンドールで焼いた蟹は、身があまくて柔らかい! 今回頼んだのはすでにガーリックソースであえてあるものでしたが、とてもおいしかったです。 一瞬、昨日の異臭のすごい海のことが頭をよぎりましたが、 あの海で獲れた蟹だと言うことは考えないほうがいいと言われたので、 忘れて美味しさに集中しました。 まあ、そんな近くの海で獲ったものではないだろうけど。 ムンバイでは、4月のライブの紹介のためにと、 “ムンバイ行きっぱなし”新井孝弘君のインドな日常を、少し動画におさめてきました。 近いうちに公開しようと思いますので、お楽しみに。 こちらは、新井君の家の近所にて、 左から、新井君、ムンバイ在住、北大路欣也似のサーランギ奏者ユウジさん、 そして、おなかの痛そうなポーズをとっているのが、 カルカッタに長期滞在中のタブラ奏者コウスケさん。 Tシャツの柄がちょっとやばい感じだったので、急遽手で隠しています。”
04
インドにおける西洋クラシック教育事情
“インドにはプロのオーケストラがひとつだけあります。 ムンバイを拠点とする、シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディア(略してSOI)。 ただ、団員のほとんどは東欧などの国々から来た外国人奏者で (出入りはあるものの、日本人の奏者もいます) インド人の演奏家はとても少ないです。 それでも、ズービン・メータの出身地でもあるムンバイは、 インドの中では比較的西洋クラシック音楽が聴かれている都市です。 滞在中、ユーリ・シモノフとSOIの公演があったので聴きに行こうかと思ったら、 なんとチケットは完売でした。びっくり。 一方の首都デリーでは、あまり西洋クラシックの文化が根付いていません。 何年も前に、日本でデリー交響楽団を聴いた覚えがある方もいらっしゃるかもしれませんが、 (アジア・オーケストラ・ウィークで演奏していました。 ステージに出てから、パートごとのチューニングにだいぶ時間がかかっていた記憶…) このオーケストラはその後、演奏家が足りなくて、解散してしまったそうです。 来日当時の時点ですでに、軍楽隊や教師の寄せ集めだと言っていた記憶があります。 そんな状況の中、インドで新しい道を切り開こうとしている企業のひとつが、ヤマハです。 2008年に現地法人「ヤマハ・ミュージック・インディア」を設立し、 インドでの販路を徐々に拡大しています。 もちろんすでにキーボードなどでは成功していますが、 今後アコースティックピアノをより多くの人に親しまれる楽器としてゆくことが課題のようです。 そのため、インド人の調律技術者の育成も着実に進めています。 現在ヤマハ・ミュージック・インディアの社長を務めるのは、望月等さん。 あえてそういう方が選ばれているのか、くっきりと濃いお顔立ちで、 インドの人々の間に混ざっても、馴染んでいます(残念ながら写真はありません)。 やっぱりお顔が濃いめのほうが、インド人からなめられないんだろうなぁ。 お訪ねしたときはちょうど浜松からヤマハのインド担当の方々がご出張中で みなさんにいろいろお話を伺うことができました。 どうやってこの市場をさらに切り拓いていくか、アイデアは尽きることなく、 この何でもアリでありながら同時にとても頑固なインドという国で挑戦することは、 本当に楽しい(そして大変な)お仕事だろうなと思うのでした。 さて、一方話は変わって、1966年からデリーで西洋クラシック楽器を教えている、 「デリー・スクール・オブ・ミュージック」。 デリー・ミュージック・ソサイエティという団体が運営している学校です。 現在この学校には1000人を超える生徒がいて、 しかも最近は、とくにピアノと声楽のクラスについて、 何ヵ月も入学の順番待ちをしている人がいるとのこと。 (ディレクターのジョン・ラファエル氏。 手前にあるファイルは、入学のウエイティングリストだとか) ラファエル氏を訪ねてみると、ちょうどお金持ちそうな両親と小さな息子が、 ピアノコースの入学について相談をしているところでした。 ご両親の様子を見ていて、 ピアノのことは全然よくわからないけど、どうしても息子を早くクラスに入れたい、 という熱心な気配が伝わってきました。 今ここで学んでいる生徒たちは、やはりハイクラスの家庭の子供が多く、 教養の一環または趣味として西洋クラシックの楽器を学んでいるとのこと。 クラシックのトラディショナルな作曲家の作品は勉強させようとしているけれど、 どうしても、若者はボリウッドなどのポップソングを演奏するほうに行ってしまうそうです。 あと、やはり大きな問題となるのは良い先生の確保。 ビザの問題などで外国人をフルタイムで雇うのは難しいため、インド人の先生がほとんどで、 高い質を保つのはとても大変だということです。 実際、クラスを覗いてみると先生はみんなインド人で、 正直、なかなか大変そうだなと思いました。 Trinity College の試験がとても人気で、生徒たちはほとんど受けているそうです。 ラファエル氏によれば、今の子供が西洋クラシックの楽器を勉強している第一世代。 親たちはこうした音楽がわからないから、 子供が家で練習していても何もサポートできないし、むしろ関心すら持つことができない。 それでも、今の子供が親になった時、 インドで本当に西洋クラシックが聴かれる日がくるだろう、とおっしゃっていました。 西洋クラシックがインドで流行らないのは、 インドの固有の音楽が強いためだと多くの人が言います。 今はまだ西洋クラシックの楽器は、ハイソサイエティの優雅なたしなみとしてしか 見られていないかもしれません。 ボリウッド映画のダンスシーンでも、後ろのエキストラたちが やたら無駄に西洋クラシックの楽器を演奏している動きをしていることがあります。 西洋クラシックが唯一のユニバーサルな音楽だとは全然思いませんが、 世界で多くの人から親しまれるのには、きっとわけがあるとも思います。 高いセンスと向上心のある人が西洋クラシックの楽器を手にしたら、 きっとすごいことが起きて、新しい音楽が生まれるはず…。 インドの西洋クラシック音楽事情を聴けば聴くほど、 妄想と野望がどんどん広がってゆくのでした。  ”
05
こわいデリー
“インドというと、最近は女性への性的暴行事件が目立っていて、怖いですね。 こんな最中にインドに行くというと、クラシック音楽関係の方たちからは、 信じられねぇ!という反応をうけることが多いです。 (インド関係の人たちは、ふーん、いいねいいね!で終わりですが) 先日たまたまインタビューのコメントでやりとりをしていた某ジャノフ君は、おもむろに、 「ところで、どうしてわざわざそんな大変なところに行くの? 旅行するならもっと素敵なところに行けばいいじゃない。たとえば、別府で温泉に入るとか」 と、一気に身近すぎる代替案を提示してくれました。 (それにしてもなんで別府なんだろう。好きなのかな。…よくわからない) それはさておき、今回は今までの6回のインド滞在の中で、 初めてなにも盗られず、どこも触られずに(痴漢にあうという意味です) 帰ってくることができました。 これまでは行くたびに何らかのトラブルがありました。 すれ違いざまにがっつりポケットに手をつっこまれたり(何かを盗もうとしていたらしい) 道端でおしりを触られたり、バイクで追い越しざまに胸部を触られたり。 思い出すだけで腹立たしいことがたくさんあります。 デリーでは2014年に2069件のレイプ事件が報告されているというので、 被害届が出されているだけでも、1日に5~6件起きているということになりますね。 被害者は、5歳の少女から、70歳を超える高齢の女性まで、幅広い年齢にわたるとのこと。 今年に入って日本人が被害にあったというニュースも続きました。 街で知り合った自称ガイドについていって巻き込まれたパターンだったようですが (犯人が絶対に悪いですが、少しでも長くインドにいた経験がある人なら、 ついていっちゃだめでしょ~と思うパターンでもある)、 実際には大変に卑劣な手口で仕掛けてくることもあるので、この場合は本当に怖いです。 最近の強盗は、エアコンの室外機から睡眠薬を流し込んでくる、なんて話も聞きました。 ただいろいろなところで指摘されていますが、インドのレイプ事件の件数が増えているのは、 そのことを届け出るインド人女性が増えたこと (それでも、未だ被害者家族が報復をうけるとか、自殺してしまう例もあるようです)、 また、届け出を警察がちゃんと受けとるようになったことも大きいと思われます。 とくにこの警察の話については、実体験からも言いたい。 かつて宿で、風呂場を覗かれたとき。 びしょ濡れのまま服を着て、隣の部屋のインド人3人組の部屋のドアを蹴っ飛ばし、 全員ロビーに下ろして尋問しましたが、やってないの一点張り。 警察を呼ぶと言ったら、宿のスタッフに、 そんなことをしても警察が彼らから少しお金を受け取って帰って行くだけたから 意味がないのでやめなさい、と、説得してくるわけです。 インドで一番ひどい痴漢行為をしてきたのも、警察のおっさんでした。 ほっぺたをべろべろ舐められた気色悪さは、一生忘れません。 このまま警察に行って今あなたがしたことを言うよ!と言ったら「言えばぁ~?行こう行こう!」と言われて、この国の警察は終わってる…と思いました。もう10年も前の話です。 ちなみにその警官は一緒にいたインド人の友人にいちゃもんをつけ、バシバシ棒で殴り、 お金を巻き上げたら満足して去っていきました。ひどいね。 今なら何かしら仕返しする策も考えられたと思いますが、あの頃は何もできなかった。 それに比べて、自分も歳をとったせいか、 またお金をかけて安全な策をとれるようになったせいもあってか、今回は平和でした。 周りのみなさんの気遣いのおかげもあります。 遅くなったときは、遠回りでもホテルまで一緒に来て送り届けてくれました。 やむを得ず夜に外を移動しなくてはならないこともあったので、 そのたびにどんな対策があるか、考えたものです。 ・スタンガンや催涙スプレーなど護身グッズを常備する、 ・タクシーなどに乗るときは、後部座席でシュッシュ言いながら シャドウボクシング的な動きをしてみる(強いのかも、と思わせる)、 ・鼻髭をつける(小さいおじさんだと思わせるか、 それが無理にしても、とりあえず頭おかしいとは思われるだろう)、 ・ずっと変な咳をしている(変な病気うつるかもと思えば襲われないだろう) などなど…。 しかし一番いいのは、やはり護身術を身に着けて本当に強くなることだろうなと思いました。 次のインド行きに備えて、何か本気で勉強してみようと思いました。 そして、タクシーやリキシャに乗る時は、戦ったらなんとか勝てそうな運転手を選ぶと。 10年前、研究で滞在していたとき、 道端で卑猥な言葉をかけられたり、触られたりするたびに、 この社会では、どうしてこういう人が発生してしまうのだろうかと考えたものでした。 彼らとまったく文化の違うハリウッド映画が多く流入することで、 外国人の女性はオープンで、少し触られるくらい気にしないと思われているのかもしれない。 そして彼らの欲求だけは刺激されて、日常の中で満足を得られる場面がないというのが、 その原因となっていそうだと思われました。 女性を弱い立場のものとみる価値観も、もちろん影響しているでしょう。 そんな中、最近思うのは、この頃はインド映画も昔よりだいぶ過激になったなということ。 インド人女優さんの衣装もけっこうセクシーだし、ラブシーンもかなり際どいところまで見せる。 昔は、口づけをしそうになった瞬間、影像が別のものに切り替わるみたいな感じでしたけど、今は、そのままいく映画もよく見るようになりました。 少し過激なくらいじゃないと売れないのかもね、とは、インド在住の友人の談。 それでいて、多くのインドの人にとって、結婚は基本アレンジ・マリッジ、 結婚するまで女性といちゃつくことはゆるされないという状況は変わっていません。 (一部はだいぶオープンになっているようですが) そういう中で屈折した欲求不満がますますつのっていくこともあるんだろうなと、 ボリウッド映画の中で、やたら脱いで腹筋を見せる素敵なインド人男優、 くびれと谷間を強調した衣装を着た、超綺麗なインド人女優さんを眺めながら、思うのでした。 実際には、本当に複雑な社会の状況が影響して起きていることですから、 こんな簡単な分析もどきで説明のつくことではありませんが。”
18
インドのスラムでオーケストラはできるのか
“インドから戻ってだいぶ時間が経ってしまいましたが、 帰国後の仕事の山の向こうがうっすら見えてきたので、少し記事をアップします。 今回のインド滞在の終盤、フォーク・パフォーマーたちのパフォーマンスの撮影をしました。 先の記事で紹介した、「世界で最も有名なスラム」に暮らす、 パペッティア・カーストの人たちのパフォーマンスです。 本当はコロニーの見晴らしの良いルーフトップで、明るい太陽の下撮影の予定でしたが、 なぜか季節外れの大雨が2日間続き、仕方なく、NGOのオフィスを借りての撮影です。 (街はどこもかしこも水はけが悪いので、ビッシャビシャ。 こういう日のスラムは、さすがに足を踏み入れるのに勇気のいる大変な状態になっています) 彼らラジャスターンのパペッティア・カーストの操り人形は、 世界で一番操るのが難しいストリングパペットといわれているそうです。(ほんとか?) こちらはダンサーのパペット。 ストリートでインドのオヤジ相手にショーをすると、 腰振りダンスのくだりで「フゥ~!!」とか言って、盛り上がります。 こんなパペットもあります。アクロバット師のパペット。 ちょっと最初ヒモからまっちゃってますけど。操り手が若い息子なもんで。 こちらは父のほうのパフォーマンス。 この他にも、のけぞって頭をよくわからないところに乗せる動きなどもあり、 かなり複雑なつくりである模様。 操るのが難しいというのも、うなずけます。 この日は、現在デリーに住んでいるヴァイオリニストの高松耕平さんが ヴァイオリンを持って、パフォーマーたちに会いに来てくれました。 高松さんはインドが心地よく、本当に好きすぎて、 通っていた東京音楽大学をやめて、インドで暮らすことにしたのだそうです。 今はデリーのパハール・ガンジにあるレストランで、 (バックパッカーには有名な、安宿のルーフトップに昔からあるレストランです) 夜になると演奏をしているそうです。 なんだか毎日めちゃくちゃ楽しそうでした。 (昼間のお仕事外の時間に撮影しました。仕事仲間たちに凝視されながら) 実は今回、デリーで腕の良い西洋クラシック楽器奏者を探していた私は、 (デリーには音楽学校があると以前書きましたが、 正直言ってその先生たちは、ちょっといろいろ大変…) 某ルートで高松さんを紹介していただき、その演奏を聴かせていただいて、 救世主が現れた!と思ったのでした…。 というのも、このパペッティアの青少年たちに、 西洋クラシック楽器の生のかっこいい演奏に触れてもらいたかったからです。 ひとしきり、彼らパペッティアのパフォーマンスが終わって、 いよいよ高松さんがヴァイオリンを構えます。 興味津々で近寄ってくる若者たち。 最後にはこんな感じで即興での共演まで! クラシックの演奏も聴かせてほしいとリクエストして、 ショパンのノクターン第2番のヴァイオリン版を演奏してくれました。 みんなじっくりと聴き入っていました。 なにかすばらしいことが起きる最初の瞬間だったように思います。 実は私には、かねてから考えているプロジェクトがありまして。 それは、このパフォーマーのスラムで、ユース・オーケストラが作れないかということ。 もちろん、西洋クラシック楽器によるオーケストラです。 私は彼らの伝統的なパフォーマンスや音楽がすばらしいものだと思っているし、 西洋クラシックを押し付けるつもりはまったくないのですが、 彼らは都会に移り住んで新しいものをどんどん取り入れ、 不可触民カーストという条件を飼い慣らし、アートで生きていこうとしている人たちなので。 もし彼らに関心があるなら、西洋クラシックをもう一つの生業とする機会を作れば、 なにかとてつもなくおもしろい芸術が生まれるのではないかと。 貧しい地域での音楽を通じた教育プログラムというと、 ベネズエラのエル・システマが思い浮かぶと思います。 それに対してこの事例が違うのは、もともと音楽的素養のある青少年が対象だということ、 彼らには人前に立つパフォーマンスの仕事で身をたてようという意欲があり、 それ以外の選択肢はないに等しいため、必死でもあるということです。 マイナスの意味での違いもあります。 インドの音楽は西洋クラシックの音楽と根本的なものが全然違うこと、 クリスチャンではないので、中南米の事例と違って西洋の宗教曲に触れていないことなど、 もういろいろ。 (ただ、実は彼らはアウトカーストである立場から脱するため、 ひっそりと改宗ムスリム、またはクリスチャンとなっていることもあります。 なので、ヒンズーの神々とキリスト像を並べて飾っている家もあるという…びっくりします) 実は今回のインド行きは、現地で継続的に楽器を教えられる先生がいるか、 さらに、彼ら自身にどれだけのやる気があるかをリサーチする、という目的がありました。 ヴァイオリンの音にじっと聴き入る少年たち、 孫が演奏するための楽器さえ手に入れば…と繰り返すおじいちゃん、 「俺だって今から習いたいくらいだ!」と言うパパ世代の男性たち。 これは、インドで西洋クラシック音楽が本格的に流行り出す前に 絶対に形にしなくては!と、決意を新たにしたのでした。 今回インドにいた2週間、なにもかもうまくいって疲れを疲れと感じない日もあれば、 収穫がなくてなんのためにこんなことやってるんだろうなぁと思う日もありました。 今やっていることは、誰かのためになるのか、何かが残せるのか。 自分自身に問いますよねぇ~。 でも、何年も考えてやっぱりやろうと思うことなのだから、 自信を持って、進めようと思います。 成果が出なくて残念、ですますわけにはいかないので、形にしたいと思います。”
4月
07
お医者さんの思い出、そして上杉春雄サロンコンサートの話
“子供のころから通っていた皮膚科のおじいちゃん先生がめちゃくちゃ怖かったので、 今も皮膚科で診てもらう時は、必要以上におびえます。 例えば「治った」という言葉をうかつに使うと、即刻怒られる。 (このまえの薬[ステロイド入り]を塗ったら治ったんですが…と言うと、 「そんなのは治ったって言わない!勘違いされちゃこまるんだよ!」と叱られる) アトピーっぽいところがカサカサするので保湿クリームをぬったなどと言おうものなら、 大馬鹿扱いです。 (肌が炎症起こしているところに余計なものしみこませてどうする!とのこと) それでも地元では名医として知られていて、実際大変お世話になりました。 今の自分があるのは先生のおかげといっても過言ではない。(いや、過言かな) 大人になって、引っ越すたびに近くの病院に行くということが増え、 お医者さんていろんな人がいるなー、 しかし最近、余計な事をしゃべる先生って減ったのかなと感じていました。 病院で怒られることがあまりなくなりましたね。 昔はしょっちゅうあちこちでひどいこと言われてた。 で、先日、近所の初めての皮膚科にお世話になりました。 街の小さな診療所といった感じで、なんだか暇そうでした。 未だ皮膚科の先生を前におびえる癖はぬけず、 ものすごく言葉を選んで自分の症状を説明し、 できるだけ怒られないように、おそるおそる自らの日常習慣を伝えている自分。 しかしこの優しい先生は、わかるようなわからないようなたとえ話で、 アトピー的体質との付き合い方を説明してくれます。 「僕はよく患者さんに言うんだけど、アトピーの人ってのはね、 塗装の弱い外車みたいなもんなの。 丁寧にメンテナンスしないとすぐぼろぼろになっちゃう。 だからあなたね、自分が高級な外車だと思って、丁寧に皮膚の手入れしなさい」 はー、アトピー体質に自尊心を与えつつ、 がんばって気長にケアすれば大丈夫だと希望を与える作戦だな…。 なんだかいい声の先生で、暇そうなのに、ちょっと楽しそうでした。 あとでふと、この先生は患者との対話を楽しんでるんだろうなと思いました。 いろいろうんちく言いながら、自分の持ちネタがウケるのを見て喜んでる感じ。 それで思い出したのは、あの怖かった子供の頃の皮膚科の先生も、 不器用ながら、患者にちょっかい出して リアクションを見るのを楽しんでいたんだろうなあということ。 まあ、いろんなお医者さんがいると思いますが、 みなさん患者の症状が良くなったらいいと思いながら、 いろいろな形で日々を過ごしているんですよね。 ブラームスの母がブラームへの手紙に書いている言葉に 「自分のためにばかり生きて、人のために生きない人たちは、半分しか生きていないのです」 というのがあって、なぜかすごく印象に残っているのですが、 医者という仕事を選ぶということは、 確実にある程度は人のために生きることになるわけですからね。 なんかすごい仕事だなと思います。 お友達のお医者さんとか、普段あんな感じなのに、本当はえらいんだよなと 心から思っています。 で、この話が何につながるかというと、 4月18日(土)、上杉春雄ピアノリサイタル@G-Callクラブサロンです!! 上杉さんといえば、かの有名な二足のわらじピアニスト。 普段は北海道で神経内科のお医者さんをしていらっしゃいます。 音楽と医療、ものすごい両極端な方法で他人になにかをもたらしている人です。 何度かインタビューなどさせていただいていますが、お話を聞き、演奏を聴くと、 医者であるということとピアニストであるということが、 相互に、見事に良い影響を与え合っているのだろうなとつくづく感じます。 (医者のほうにピアノが役立っている場面は、直接見たことはありませんが) 今回のプログラムは、バッハのゴルドベルク変奏曲です。 平均律の全曲演奏会シリーズなどもされている上杉さんのバッハには、定評があります。 サロンコンサートですから、おそらく、 脳みそフル回転でついていくと ものすごい発見がもたらされるすばらしいトークも聞けると思いますので、 来週土曜日の午後は、ぜひ会場に!”
08
新井×ユザーン五反田G-Call公演、予約受付終了しました
“新井孝弘×ユザーン「インド古典音楽ライブ」も、 ムンバイ行きっぱなし新井くんが帰国する春に開催するようになって、今年で4年目。 この季節の2人のツアーもだいぶ定着してきたようで、 4月23日の五反田・G-Callクラブサロン公演は満席につき、予約受付終了となりました。 すでにふたりの全国ツアーは始まっています。 各地でたくさんの公演がありますので、お近くの会場を探してみてください。 ヨルタモリ効果でユザーン君の一般からの認知度がますますあがり、 「今度新井君とユザーン君という人のインド音楽ライブをやるんだけど…」 という話題からの、どうも話がかみ合わないと思ったら1名インド人だと思われてる、 というめんどくさいパターンもめっきり減少しました。 当日は混雑が予想されますので、ご了承のほどよろしくお願いします。 すでにご予約のみなさま、当日はG-Callクラブサロンという素敵な空間で、 お飲みのもの持ち込み自由、アットホームな雰囲気で楽しんでいただくこととなると思います。 (インドっぽい気配皆無の洗練されたサロンです。 このサロンでは普段から、クラシック、ジャズ、落語、おいしい食材の試食会など かなりいろいろな催しをしていますので、チェックしてみてください。 扱っているお取り寄せ食材のクオリティも、相当高いです) また、椅子席の他に、ステージまわりにはマット的なものを敷いて、 床に座る形でご覧いただけるエリアも設ける予定でおります。 あまり気の効いたマットが用意できなさそうなので、 床席エリアご希望でおしりのコンディションが気になる方は、座布団などお持ちください。 当日は、新井くんがムンバイから持って来てくれたインドならではのおみやげ、 「甘くないマンゴーの飴」を先着約100名さまにお配りする予定です。 新井君においしいのか尋ねたところ、「甘酸っぱい感じの味」とのことで、 おいしいという明確な答えはありませんでしたが、ぜひお楽しみに。 ところで、本当はコンサートの宣伝のためにムンバイで撮影した 新井君、公演に寄せてのコメントを、今更ながらアップしました。 うっかりしていたら満席になってしまいましたが、 ユザーン君との共演に寄せての想いなど意外と真剣に語っていますので、 ぜひご覧ください。 後ろにぶら下がっているズボンをどけたほうがいいよとアドバイスしなかったことを、 心から後悔しています。 ”
29
小山実稚恵さんのシューベルト
“以前、シューベルトを取り上げるリサイタルについてのインタビューで、 ピアニストのアオヤギ氏が、 「昔学生のころ、友達が、シューベルトを弾きたくなると 死期が近いらしいよっていってたんですよねー」とおっしゃっていました。 私も昨年あたりから、 やたらめったらシューベルトの音楽を“集中して”聴くことが好きになってきて (ふわっと聴くのは昔から好きだったけど、なにか人生の謎の答えを 見つけようとしながら聴きいるというか、我ながら少しヤバそうな感じの聴き方)、 思いがけず、実はもう晩年を迎えているのかもとビクッとするときがあります。 小山実稚恵さんの最新のシューベルトのアルバム。 優しくて、大切に演奏されていて、とてもすばらしい録音です。 ああ、なんて美しいんだろうと思って聴いていて、 ふと気が付いたら、なんかもう、 あの世に行ったら楽なんだろうなみたいな気分になっていて、 うわ!あぶなーい!まだまだ、戻ってきて自分!というような、 そんな気持ちになります。 なかなか、意味のわからない感じの説明ですみません。 でも、この何とも言えない気分にさせられるのがまた心地よく。 辛いような、幸せなような、整理のつかない気持ちになるのです。 このアルバムの件で、先日小山さんにインタビューをさせていただきました。 現在発売中のCDジャーナルに掲載されています。 小山さんのシューベルトを聴いて感じたその複雑な心境について、 直接、小山さんに尋ねてみました。 どうしてあの音楽を聴くとそんな気持ちにさせられるのか、答えが知りたかった。 すると、小山さん、 「わかるわぁ~。本当に、こんな音楽、他にないのよねぇ~。 なんだろう、もうあの、優しいツブツブがあるところとか。 不安のシャリシャリがあるところとか。なんだか本当にいいわよねぇ」 …ああ、すごく気持ちがわかるし、何のことを言っていのかもわかる。 だけど、おっしゃっていることは私以上に謎に包まれている…! そんな小山さんが大好きです。 優しくて、お話しぶりはふわふわしているんだけれど、内容には芯が通っている感じ。 今年はデビュー30周年ということで、 ここまでのご活動を振り返っての今のお気持ち、 また、今新たに東日本大震災の被災地のために始めるプロジェクトなどについても、 語ってくださいました。インタビュー記事、ぜひ、ご覧ください。  ”
5月
28
6月のG-Call 公演はおまけつきです
“今日は、6月、7月のG-Callサロンコンサート公演が おまけつきでやたらお得だという件をご紹介しようと思います。 いずれも参加費3,500円(税別)で先着50名様に 『クラシックソムリエ検定シルバークラス対策公式テキスト』を1冊プレゼント、 しかもいつもどおり、ワンドリンク付き、 さらに演奏家が下記のとおりのすばらしいラインナップ! …という。(ちなみにテキストは通常価格、2,000円です) ※ただしプレゼントは対象イベント通じておひとり1冊までだそうです。 ■サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデンプレコンサート クァルテット・エクセルシオ 6月5日(金) 19:00~ ■宮谷理香 ピアノ・リサイタル Vol.2 6月12日(金) 19:00~ ■下田逸郎「さしむかいライブ」Vol.2 6月26日(金) 19:00~ ■前田朋子 ヴァイオリン・リサイタル 7月17日(金) 19:00~ 今回は、初回となる6月5日の演奏会をご紹介したいと思います。 6月のサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデンの、プレコンサート。 登場するのは、日本で希少な常設の弦楽四重奏団クァルテット・エクセルシオです。 ( それにしても↓ チェンバーミュージックガーデンのチラシは毎年きれいだよなぁ。 表紙が楽器の形にカットしてあって、下の花柄が見えるようになっている) クァルテット・エクセルシオは、 以前サントリーとクラシックソムリエ協会のコラボで開催された ウイスキーの響を味わう「ハーモニー・ラウンジ」というイベントでも、 洗練されていながらゴリゴリにかっこいい演奏を聴かせてくださいました。 今回のプログラムは前半に有名曲の聴きどころを集め、 後半でドヴォルザークどかーんという内容。 弦楽四重奏って近くで聴くとものすごく新鮮な刺激がありますから、 G-Callサロン、ぜひお早めに来て前の方の席をゲットするのが良いと思います。 4人の奏者の呼吸がダイレクトに伝わる臨場感に、 ホールで響く演奏を聴くのとはまた違うおもしろさがあるはず。 それでこちら、先の2月に発売された スメタナの「わが生涯より」とヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」という、 作曲家の心の底の何かが浸み出してしまっている系の ヘビーな作品を収録したアルバム。 全員が職人でありアーティストであるという気配とともに、 絶妙な音楽のまとまりを生んでいて、安心して聴いていられる質の高い演奏です。 やはり室内楽というのは、演奏家同士がどんな信頼関係のもと どんな気持ちでやっているかというのがもろに演奏に出ますからね…。 結成20年という年季の入ったエクセルシオの演奏は、特別です。 ちなみに、最新盤はピアノの近藤嘉宏さんが加わった、 ブラームスとシューマンのピアノ五重奏曲の録音だそうです。 もうそろそろ発売なのかな? というわけで、 クラシックソムリエ検定のテキストが付いてきちゃう的な一連の公演から、 初回となるクァルテット・エクセルシオの情報を紹介しましたが、 続く公演も、宮谷理香さんや前田朋子さんなど、続々実力派が登場しますので、 ぜひこの出血大サービスなチャンスをお聴き逃しなく。”
6月
10
エフゲニ・ボジャノフのインタビュー
“ヤマハPianist Lounge、ボジャノフのインタビューがアップされました。 この春、3年ぶりの来日時に取材したものです。 (佐渡さん指揮兵芸との全国ツアー、LFJの公演に出演) 良く考えると、対面してまともにインタビューをするのはかなり久しぶりでした。 写真もなかなかワイルドな感じでおもしろいので、ぜひご覧ください。 話を聞くと、やっぱりこの方の思考回路はスゴいなと思うわけですが、 (頭いいんだか、ちょとおかしいんだか、でもまあやっぱり頭いいのね、という) 前から謎に思っていた、 本番近くでも好んで電子ピアノで練習することの理由についても 今回のインタビューでは聞いています。 そこには彼なりの合理的な理由があったのでした。 あるピアニストさんが以前、 練習中は不完全な音楽を自分に聴かせているわけだから 練習時間は短ければ短いほどいい、と言っていたけど、 似た発想から全く違うところに着地したパターンですね。 ヤマハのサイトには初登場だったので、改めて幼少期の話なども聞いています。 全然合う先生がいなくて次々と違う先生についたというくだりでは 「でもこの時の経験が良い人間と悪い人間を判断する能力を養った」、ですって! (ボジャノフの記事を初めて読む方から勘違いされるとなんかなーと思って Pianist Loungeには書かないでおきましたけど) 相変わらずの強気発言。しびれますね。 いや、あなたがちょっと大変な子供だったのでは…と心の中でつっこみましたが、 もちろん言いませんでした。 (ところで当サイトの記事を読んでいる方の多くは ボジャ氏のキャラを理解されているという前提で、いろいろ書いています。 一応お伝えしておくと、彼は多少言うことが乱暴なときもありますが、良い方です) もうひとつ、Pianist Loungeでは書かないでおいた、 しびれる回答を紹介しましょう。 以前、雑談の中で尋ねたことがあったのですが、 改めてオフィシャルなインタビューで聞いてみたくて、この質問をしてみました。 演奏家というのは、批評などでもとにかくいろいろなことを言われると思うけど (特に彼のような個性的演奏の場合はしょっちゅうでしょう…) どうやって乗り越えている?という。 「君は、評論家からここが悪いと言われたからって、 自分の演奏を変えている良い演奏家を誰か知っているか? 俺は知らない。そんなもの乗り越える必要すらない」 …しびれますねー。 いや、本当は気にしたり一人怒っているときとかもあると思うんですけど、 期待を裏切らないこの自信満々発言にしびれました。   ところで記事の中でも紹介されている、かの有名なマイピアノ椅子ですが、 今回、新調されていました。 なんとファツィオリ社製だそうです。 さすが、なんでもつくっちゃうパオロ社長。 座面の裏に4本の脚が収納できて、 ピッタリサイズの鞄でそのまま運べるようになっています。 へーすごいね、写真撮らせてといったら、 ボジャ氏はその様子を穏やかなドヤ顔で眺めていました。 今回の来日中、ソロリサイタルはLFJの1公演のみでしたが、 相変わらず濃厚な音楽で心をわしづかみ。クセになる音楽健在でした。 次の来日も楽しみです。いつかなー?”
7月
08
「Road to 仙台コン」ボランティアさん事情のこと
“クラシックソムリエ協会とのコラボレーションで連載されている、 「Road to 仙台コンクール」。 クラシックの基礎知識やコンクールを聴く楽しさを紹介する内容で 記事を書いています。 今月のトピックスは、「世界のコンクールのボランティアさん事情」。 仙台や浜松はもちろん、今や世界のほとんどのコンクールが ボランティアさんの支えで成り立っていると思いますが、 今月の記事では、中でもそのスケールがハンパない ヴァン・クライバーンコンクールの事例などを紹介しています。 それで、記事をまとめながら、これまで行ったコンクールのなかで、 チャイコフスキーコンクールやショパンコンクールでは、 ボランティアさんの存在を見ることがほとんどなかったな…とふと気が付きました。 しいて言えば、学生インターンのような人たちくらい。 記事の中で、プロの「ドアおばさん」の話を紹介していますが、 彼女らの威圧感は本当にすごいです。 ただ、顔見知りになれば融通を聞いてくれる、優しい一面もあります。 (仲良くなると、遅れてもソーッと入れてくれることがある) 前の回のコンクールから5年経って、 まったく同じドアに同じおばさんが座っているのを見て、 すごく懐かしい気持ちになったこともありました。 ショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールでは なぜボランティアの活動が見られないのか。 あれだけのコンクールになると国からの予算も出て ボランティアを集める必要ないのだろうとか、 そもそも、チケット争奪戦となる大コンクールだけに、 多くのコンクールのように入口チェックをボランティアさんに (どうしても、高齢の方や物腰おだやかな女性となることが多いので…) 任せるわけにはいかないのだろうとか、いろいろ思い当たる理由はありました。 で、今回記事を書くにあたって、過去に、ヴァン・クライバーン財団事務局長、 そして2011年チャイコフスキーコンクール事務局長を務めたロジンスキさんに ちょっとその辺のことを聞いてみたら、こんなお返事が。 「私も、チャイコフスキーコンクールでもクライバーンと同じように ボランティアを集めることができないか提案してみたんです。 でも、ロシアのスタッフからかえってきた答えは、 “ロシアにはボランティアという概念が皆無に等しいから無理”というもの。 共産主義時代、そもそもみんながある意味ボランティアの感覚で働いていたし、 当時は、“みんなお金を払われているふりをして、働いているふりをしているだけ” …という冗談があったほど。 結局、ロシア在住の外国人や英語クラスの学生が少し集まっただけでした」 そうなのか…。 とはいえ、ソチ・オリンピックなどでは ものすごい数のボランティアが活躍していたというから、 最近の若い人たちの感覚はどんどん変わってきているかもしれません。 どうなんでしょうかね。でも、なるほどなーと思いました。 さて、この連載は、来年の仙台コンクール開催まで続く予定です。 時々覗いてみてください。”
17
トリスターノが考える麺に合う音楽
“埼玉アーツシアター通信、11月29日彩の国さいたま芸術劇場 「ピアノ・エトワール・シリーズ アンコール!」についての トリスターノさんのインタビューが公開されました。(16ページ目です) 演奏会のプログラムについてのお話はじめ、 「マタイ受難曲」とトランスの話、音への感性を培った幼少期の話など、 いろいろおもしろいトピックスはあったのですが、 今回やっぱり一番気になったのが、ラーメン屋オープン計画の話です。 「今実現したい夢は?」と、けっこう真面目に尋ねたことに対しての返答が、 「ラーメン屋を開きたい。あ、ごめん、音楽の話が良かったよね?」だったわけで、 いや、いいですよラーメンでもと言って話を聞き続けてみると、 バッハへの想いと張るレベルで、ラーメンについて熱く語りはじめました。 もうレシピもあって、何年か前に一度本当に店を出す寸前までいったのに、 同じエリアで先を越されて機を逸し、今は次のチャンスを狙っているのだとか。 調子にのって、「店ではどんな音楽を流すの?バッハとか?」と聞いてみたら、 「そうだね…確かにそれはいいかも。何か麺に合う音楽を流すよ。 まず、J-POPではないな。僕の音楽でもない。なんだろう…」 と真剣に考えこみはじめたので、 次回会うときまでに考えておいてくださいということで話を切り上げました。 そんなトリスターノさん、11月の公演では、 自作とバッハを組み合わせ、はじめとおわりがつながって 無限ループのように長く続いていくようなプログラムだそうです。 まさにラーメン…。 想像を超えるいろいろな展開を見せてくれそうです。必聴です。 ところで余談ですが、いつかトリスターノさんとタブラのユザーン君とのデュオが 実現したらいいのになと思っています。 お互いの意志は確認済みなので(多分両想い)、 もう一押しなんだけどなー。”
10月
01
ワルシャワから記事を更新します
“第17回ショパン国際ピアノコンクール、今年もオープニングからファイナルまで現地で取材することになりました。 今回は音楽誌ではなく、「家庭画報」2016年1月号(12月1日発売)がショパンコンクールの大きな特集を組むということで、記事を執筆します。 家庭画報の新年号というと、毎年キラッキラというイメージなので少し緊張しますが、ピアノ好きにもそうでない方にも、ショパンコンクールの臨場感やおもしろさを味わっていただけるよう、じっくり考えながら記事をまとめたいと思います。 ショパンゆかりの地を巡るページも入る予定ですが、このあたりは特に、家庭画報のベテランチームならではの美しい記事が期待できると思います。 印刷も写真も綺麗で、いろいろな見せ方ができ、さらにいろいろなタイプの読者が読んでくれる雑誌でショパンコンクールのことを書くことができるというのは、嬉しいです。 …とはいえ。 みなさんうっすらお気づきだとは思いますが、家庭画報では、私が普段、ピアノ好きのみなさんにお届けしているようなちょいマニアックな音楽的話題は、確実に載せきれない。というか載せてもらえない。 たまりにたまったネタをどこにぶつけたらいいの!ということで、そうした情報は、こちらのサイトで解き放ってゆくことにしたいと思います。 みなさんのネット鑑賞(もちろん現地聴きに来ている方も)がより楽しくなり、またお気に入りのピアニストとの出会いにつながるような情報をお届けできたらいいなぁ。 また、2014年のルービンシュタインコンクールのときも好評だった、コンクールで弾かれるピアノに注目した記事も更新していきます。 ガラコンを主催するジャパン・アーツの公式FBとブログにも記事を提供しますので、あわせてご覧ください。 さて、コンテスタントが使用するピアノ選びも行われ、コンクール第1次予選の演奏順も発表されました。 2010年のコンクールでは演奏順はくじ引きでバラバラに決められましたが、今回はスタートとなるアルファベットをショパン・インスティテュートの人が引き、そこから頭文字のアルファベット順で演奏します。今回は、「B」からのスタートとなりました。 前々回と同様のスタイルに戻した形です。 2005年のとき、この演奏順の形だと、イム・ドンミン&ドンヒョク兄弟が必ず連続になるということが少し(本人たちの間で?)問題になっていて、いろいろな対策がおこなわれていたことを思い出します。どちらも自分の今後のキャリアをかけて臨んでいて、お互いうまくいってほしいけれど、当然ライバル同士という複雑な状況だったわけです。 演奏スタイルは違うとはいえ、やはり連続で弾けばより比べられます。見た目もなんとなく似ている二人だから、余計かもしれません(キャラはまったく違うけど)。 演奏順というのは出場者にとっては大事な問題ですからね。何日目の何時に弾くかという問題はもちろん、誰の前または後に弾くかも、どうしても印象に影響を与えます。 まあ、男兄弟そろってピアノがうまくて、同じコンクールに出て、両方ファイナルまで残る(しかも二人そろって3位に入賞)、ということは激レアケースなので、そうそう起きない問題だと思いますが。 今回の演奏順のことで、10年前のそんな出来事を思い出しました。 10月1日、2日と行われるオープニングコンサートに続き、 3日から始まる第1次予選の演奏順と時間は、こちらから確認できます。”
04
ピアノ選び
“「ショパンコンクールのピアノ」では、ピアノの情報にフォーカスした記事をアップしていきます。 今回ピアノを出しているメーカーは、カワイ、スタインウェイ、ファツィオリ、ヤマハの4社。 2社の日本メーカーに加え、ファツィオリも調律師さんが日本人なので、バックステージにはたくさん日本の技術者さんたちがいて、ここはワルシャワだというのにまったくアウェイ感がありません。一日ホールにいるとあちこちで愉快な知り合いに出会うので、テンション上がりっぱなしで、夜にはぐったりしてしまいます。 (楽器メーカーの関係者の方々は、なぜかたいてい愉快。個人的な感想です。) さて。 すでに第1次予選が始まっていますが、まずは一昨日まで行われていたピアノ選びの話題を。 コンクール開幕前の9月28日から、コンテスタントはホールで演奏のパートナーとなるピアノを選択しました。 いずれのメーカーさんも、5年に1度のこのときのために入念に調整を加えた楽器を投入しています。以前、ルービンシュタインコンクール中の記事で「コンクールにピアノを出すわけ」というものを書きましたが、数あるコンクールのなかでもショパンコンクールの注目度というのは圧倒的ですから、各メーカーさん、より一層気合いが入っています。 ピアノ選びは、コンクールの会場となるフィルハーモニーホールで行われます。 ピアノが搬入されてから、ステージの上で調律ができる限られた時間をメーカーごとに分けあい、昼夜問わず作業が行われるそうです。大変だ…。 オープニングコンサートのリハーサルも行われているため、ステージ上には椅子や機材がのこされたまま。狭い場所に4台ぎっちりピアノが並べられています。できれば本番と同じようにもう少し横向きに置けたほうがいいわけですが、スペース上これが限界とのこと。 不公平にならないよう、ピアノを置く位置の順番は、時々(ちゃんと決まっていなくてなんとなくタイミングが来たら)変えられていたそうです。 私がセレクションを見ることができたのは最後の日の5人だけでした。 このセレクション中の会場というのには、独特の空気感がありまして。制限時間内で選ばなければならないというコンテスタントの焦りと、メーカー関係者のみなさんの期待感、緊張感とが、薄暗いホールに渦巻いています。 コンテスタントも、ピアノの選び方は人それぞれ。同じ曲の同じ部分を、複数のピアノを行ったり来たりしながら弾き比べる人とか、制限時間だと呼ばれても立ち上がりながら最後までピアノに触っている人とか。 みなさんけっこうマジ弾きしてくださるので、見学しているこちらにとっても、聴き比べができる興味深い時間となります。なにせ、同じ人が同じ曲で続けざまに違うピアノを弾いてくれるわけですから、違いを比べるにはもってこいの状況です。 (セレクションが終わって、ワラワラとピアノの片づけに入る、愉快なみなさま) どのメーカーのピアノもとても良い状態で、個性はそれぞれありながら、ものすごくキャラクターがかけ離れているという感じでもなく、これは選ぶのが大変そうだなと思いました(ただ、鍵盤の重さはけっこう違ったらしいので、その好みで判断した方もいたかもしれません)。 というのも、これは次の記事でもう少し詳しく書きますが、各メーカーさんにここに持ってくるピアノを選んだ基準を聞くと、やはり「ショパンに合う音を持っているピアノ」という言葉が返ってくるわけで。となると当然、キャラクターが大きく違うようになることはないのかもしれません。 普通のコンクールでは(もちろんレパートリーに傾向はあっても)、今のトレンドとか参加者の嗜好とかを各メーカーで判断して、それに合わせて調整してもってくるわけですから、それはそれぞれ違うものになりますよね。 …とはいえ、5年前のショパンコンクールのときは、もうちょっとそれぞれキャラも状態も違ったような気もしますが。 いずれにしても、どのピアノもとてもすばらしい楽器です。ワルシャワフィルハーモニーホールのナチュラルな音響でこれらの音を楽しめるのは、とても贅沢な時間であります。  ”
05
ピアノそれぞれの来し方について
“第1次予選2日目が終わり、4メーカーのピアノがすべて登場しました。 今回、第1次予選の現在のところのピアノ選択数は、ヤマハが最多の36名、ついでスタインウェイ30名、カワイ11名、ファツィオリ1名です。 ここで、今回の4台のピアノそれぞれの来し方について、簡単にご紹介したいと思います。 いずれも、試作を重ねてできた、各社の持つ今一番いい楽器、なかでもショパンに合う音を持つ楽器を選んできているようです。 それではお話を聞いた順にご紹介。 まずはカワイ。コンサートグランドのシゲルカワイシリーズの最高峰、SK-EXです。 試作の中で生まれたコンディションの良い楽器を、もう1台再現して作成。それらをコンサートで使いながらピアニストの評価が高かった1台を選択し、昨年ヨーロッパに運び込んだものだそう。 この話を聞いて、ずいぶん長い時間をかけて準備したですねと言ったら、お話を聞かせてくださった今回サブチューナーを務める村上さんが一言。 「そう、だからもう今も5年後のためのリサーチは始まっているんです」( ー`дー´)キリッ。 カッコイイ~。 (弦を小脇に抱えた村上さん) 続いてヤマハは、コンサートグランドのCFX。 2010年、満を持して発表されたこのモデルが、同年のショパンコンクールでユリアンナ・アヴデーエワ優勝のパートナーとなりました。 前回の成功があるからこそ、他のメーカーさんもますますがんばってくるはず…と、今回もかなり気合を入れて準備が行われたようです。 やはりこちらも改良を重ねた試作品からの1台。今年に入ってから、ワルシャワフィルハーモニーホールにCFX4台を入れて選定し、今回の1台を決めたそうです。約1年ほど前に作られたピアノだそう。 そしてFAZIOLIはコンサートグランドのF278。 前回のショパンコンクールでは、1次でファツィオリを選んだ4人が全員2次に進み、結果的にトリフォノフが3位に入賞、1~3次で弾いたデュモンが5位に入賞という、信じられない引きの強さを見せました。 今回のピアノは1年半ほど前に完成した楽器で、例によってパオロ・ファツィオリ社長が「すごいのができた!」とウキウキで送り出した1台。昨年のルービンシュタインコンクールのときに、これまでのファツィオリから大きな改善が加えられたという話がありましたが、今回のピアノもその改善以降のタイプだそうです。 その中から、コンサートで弾いたピアニストたちの評価が高かった1台が選ばれています。 6月に行われたチャイコフスキーコンクールで使用したのと同じピアノで、アクションについては、ショパン演奏向きのものを用意して臨んだそうです。 コンクールまでの楽器の準備については、ファツィオリの公式ブログに詳しいので、こちらもどうぞ。 (真剣すぎる表情の越智さん) そしてスタインウェイは、コンサートグランドD-274。2013~14年に作られたものだそうです。 1年前にハンブルクで行われた選定では、ポーランド人ピアニストのクシシュトフ・ヤブウォンスキ氏がピアノを弾き、それを調律技術者はじめ関係各位が聴いて選定したそう。 楽器の準備段階には、「あの人は調律師の神様だよ~」という話を時々聞くことがある、ジョルジュ・アマン氏も携わり、コンクール期間中は、ピアニストでもあり調律師でもあるポーランド人の技術者の方が主に調律をしています。選定過程に、ポーランド、ショパンというものへの強い意識が感じられます。 ところでこの調律師さんとはこの前少しお話ししましたが、いろいろ興味深いネタを持っている気配を漂わせていらしたので、今度ちょっと詰め寄っていろいろ聞いてみたいと思います! (左が調律のペトナルスキ氏、右はルービンシュタインコンクール記事でお馴染みの、アーティストサービス、グラナー氏)  ”
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第1次予選最終日を前に
“あっという間に、今日(10月7日)は第1次予選最終日。 全演奏の終了予定時刻は20:00(日本時間8日AM3:00)で、そこから審査に入り、結果発表となります(ライブ配信もあると思います)。 私の知る限りの過去2回では、1次の結果が一番時間がかかっていたような気がするので、日付が変わる前に発表してくれるといいな…というところ。 ちなみに前回は、アルゲリッチが採点のやり方を間違えてやり直しているとかいう理由で、めちゃくちゃ時間がかかったような気がします。 (本当か嘘かはわかりませんが。今回は頼みますよ、ねえさん!) さて、1次の結果発表を前に、ここまでを振り返ってみようと思います。 まずは改めて、1次の課題曲について。 指定のエチュードから2曲、指定のノクターンまたはエチュードから1曲、バラードまたはスケルツォまたは幻想曲から1曲の、計4曲を弾きます(約25分)。 つまり、技巧的なエチュードと、歌う感じのノクターン的作品と、ちょっと長めの詩的な作品、全部弾いてみせてちょうだいね、という課題です。 なにせ出場者が78人もいますから、1日に何度も同じ作品を聴くことになります。そんなわけで、アパートに帰って食事の支度などをしながらついショパンを鼻歌で歌ってしまうことになるわけですが、3日目あたりからその鼻歌の内容がなんとスケルツォとかにになってくるんですね…。 ノクターンやらバラードならまだしも、スケルツォ1番を鼻歌って…これは3日目にしてすでに末期だ、と愕然とするわけです。 いくらショパンの音楽がすばらしいとはいえ、朝から晩まで12人の演奏を聴くとなると、だんだん辛くなってきます。それでも、ときどきハッとする演奏に出会うことができるので、やっぱり聴き続けてしまうんですね。 さて、演奏順の都合などで話を聞きたいと思いながら叶わなかった方も多いのですが、ここでは、今回バックステージを訪ねることができたコンテスタントの写真などを紹介していきます。 ちなみに今回わたくし、まわりがポーランド評論家勢というエリアに座っております。 お隣はショパコン聴き続けて50年、ベテラン評論家ヤン・ポピス氏。ポーランド語はわかりませんが、(彼ら的に)演奏が微妙なときなど容赦なくザワつくので、ちょっと怖いと同時に、リアクションが興味深いです。 さて。 まずは1日目より、チョ・ソンジン君。 確か去年のルービンシュタインコンクールでも初日に弾いていて、初日づいているんだと残念そうにしていましたが、それでも、スタインウェイのピアノから他の誰より一際ダイナミックレンジの広い音を導き出し、完成度の高い演奏を聴かせてくれました。 でも実際は、ものすごく緊張していたそうです。確かにそんな雰囲気だったなと思い、「ああ、曲と曲の間にずいぶん時間をとっていたもんね」と言うと、「どうせその間に飽きちゃったんでしょ」との返し。いつの間にそんな気の効いたひねくれジョークを言うようになったんだ…!と、15歳の頃、お月様フェイスでまだ無口だった浜松コンクールのチョ君をなつかしく思い出したのでした。もう21歳だもんね、あれから6年か…。 実は来年1月の彩の国さいたま芸術劇場でのリサイタルのために、ほんの短い時間お話を伺いました。そちらの記事も、お楽しみに。 (練習室で少しお話を聞きました。例によって顔を隠し、シャイボーイっぷりをアピール) 同1日目の最後に弾いた、ジ・チャオ・ジュリアン・ジアさん。5年前にも参加しているジュリアンさんですが、今回からイメージチェンジしていて、つやつやの髪にナチュラルメイク、オレンジのコートが素敵な感じです。カワイのピアノを自在に操り、バシィッと決める音のアタック力がすごくて、インパクトありました。 (テレビのインタビューを受けています) 2日目の演奏者からは、小林愛実さん。 配信をご覧になった方もいらっしゃると思いますが、小柄な愛実さん、ステージにあがってから椅子がうまく下がらず、悪戦苦闘していました。 なかなかうまくいかない様子に客席にもあたたかい笑いが起こり、やっと下がった…というところで拍手が。ただ、終演後のご本人のお話によれば、「まだちょっと高さが合わなくて直したかったんだけど、拍手されちゃったからもう弾き始めないわけにいかなかった」とのこと。あらら! 何かの古い記事でショパンコンクールを受けるのが夢というコメントを見たので、今回はさぞかし気合いが入った挑戦なのかと思いきや、意外にも「直前まで考えていなくて、締め切りギリギリにやっぱり受けてみるかと思ってあわてて準備した。子供の頃はショパンコンクールって憧れていたからそう言っていたけど、もう最近はそういうわけでもなかった」と言われて、拍子抜けしました。でもそういうノリで受けていると聞いて、逆に安心(?)したような。 喋っているとあっけらかんとした、素直で楽しい女の子なのに、ステージに立つと貫禄があります。別人みたいです! (終演後の安心した表情。弾きやすいピアノだったと愛実さん。スタインウェイのグラナーさんが、今度は違う椅子を持ってくるねと言っていました) そして、二日目最後に演奏したティアン・ルさん。 今回、1次予選で唯一ファツィオリを選んだコンテスタントです。そして、5年前のコンクールをウォッチしていた方は覚えているでしょう、セミファイナルに進みながら腱鞘炎で途中棄権したユーリ・シャドリン。彼は彼女の夫です! 実はオープニングコンサートの日、シャドリンっぽい人を客席に見かけ「え…?もしかして?でもいるわけないよなぁ。ルビャンツェフみたいに未練があって来ちゃったとか…?それはないよね」(注:おなじみ、ちょっと変わったロシアのピアニスト、ルビャンツェフは、5年前、4月の予備選で落とされてしまったものの諦めきれず、10月のコンクールを見に来て、ずっとそこら辺をフラフラしていたのでした)と思い、人違いだろうと声をかけませんでした。 実は向こうも私を見かけていたそうでしたが、「あいつ月刊ショパン辞めたっていってたし、いるわけないよな」と思って、声をかけなかったとか。 そんな中、妻のティアンさんのサポートのためにシャドリン君が来ていると聞き、ようやく納得がいったのでした。(未練じゃなかったか!) 二人はともにレオン・フライシャー門下。5歳違いですが、シャドリンは奥さまの先生でもあるそうです。 この夫婦には翌日にたっぷりお話を聞きましたので、記事をお楽しみに。 (なぜかインタビューを受けている夫) そして、3日目のコンテスタントからは、ゲオルギヒ・オソキンス。 このサイトでも紹介した昨年のルービンシュタインコンクールで入賞した、アンドレイ・オソキンスの弟さんです。お兄さんとはまったくタイプの違う、慎重かつ超スーパー個性的、客席を全部自分のペースに巻き込む、それでいて音にものすごくこだわっている演奏を聞かせてくれました。 しかも、どこかで見たことのある、低めのマイ椅子(ファツィオリ製)。5年前、衝撃の濃厚ショパンで人々を魅了したボジャノフを思い出さずにいられません。 演奏終了後は風のようにホールを去って行きましたが、実はこの数日前、某所で彼と話をするチャンスがありました。ステージ衣装もなかなかオシャレでしたが、私服も個性的で、「インドに長期滞在しているシャレオツな若い男子でこういう人いるな」という感じの素敵な服装。腕に巻いている赤い紐が気になりますが、「これで手元がアップになったときの映像でも僕だとわかるでしょ」と言っていました(それが目的でつけているのかは知りませんが)。 ちなみに、周囲のポーランド評論家勢は、彼が出てきた瞬間にザワザワしていました。予備選からの評判で、要注意人物となっていたのかも。 4日目のコンテスタントからは、インド部的に勝手に注目していた、カウシカン・ラジュシュクマールさん。ロンドン生まれとはいえ、明らかに南アジア系のお顔立ち&お名前だったので、ぜひお話ししたいと思っていたのでした。 自分なりのショパンを、とにかく幸せそうに弾いていました。コンクールでこんな即興的な感じの演奏、ありなのかな、と思いましたが、それで予備選を通ってきたわけで。とにかく、インド部的にはぜひ次に進んでほしいところです。 お話を聞いてみると、ご家族のルーツはスリランカとのこと(インドではなくて、とすごく強調していたので、そうだよね、そうだよね、と思いました)。現在もヴィルサラーゼに師事しているそうですが、プロフィールを見ると、これまでの師事歴も錚々たる顔ぶれ。どっちかっていうとご両親に話を聞いてみたいところです。 そして、今のところ私的に最も自然に心揺さぶる演奏を聞かせてくれた人、チャールズ・リチャード・アムランさん。ちょっと自分でも理由はよくわかりませんが、柔らかくあたたかい音、自然で包容力のある表現に、ものすごく魅力を感じました。 ちなみにカナダ人でアムランなので、あのアムランと関係あるのかと思いがちですが、親戚関係ではないらしいです。アムランというのはカナダではメジャーな名字らしく、カナダに駐在したことがあるという某メーカーのフランス人さんが「浜松の鈴木さんみたいなもん」と言っていました(以前何かで、浜松のあるエリアではクラスの何割かが鈴木さんだ、みたいな記事を読んだことがあります)。フランス人にも認識される浜松の鈴木率に驚くと同時に、それは言い過ぎだろうと思いましたが、とにかくそれくらいメジャーな名字らしいです。 ステージにいるときはすごくデカそうと思ったのですが、実際近寄ってみると、そんなにいうほどでもない。小顔で身体が大きいので、遠近感で背も高そうに見えるのかも。 ショパンコンクールは特に出るつもりがなかったのに、これまた、急に出てみようと思って応募したとのことです。あれだけの演奏をしておきながら、終始発言が謙虚でした。浜松コンクールにもエントリーしているらしいので、今度は日本で聴けるかもしれません。もっとも、ショパンで上位入賞したら、どうなるかわかりませんが…。 そして夜の部で演奏した須藤梨菜さん。5年前にもショパンコンクールのステージに立っていますから、今回が2回目。さすが落ち着いた演奏だなと思いましたが、今までいろいろなコンクールに出てきたけれど、中でも一番緊張した、とのこと。でも、キメどころもバシッときめる、立派な演奏でした。   他にもいろいろ紹介したいピアニスト、お話を聞きたいと思うピアニストはいましたが、とりあえず、バックステージなどで会って話をできたコンテスタントを紹介しました。 最終日はどんな演奏が聴けるかなぁ。疲れてきていても、すばらしい演奏に出会えると、一気に疲れが吹き飛ぶんですよね。音楽って本当に不思議です。”
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第1次予選結果発表
“ショパンコンクール、第1次予選の結果が発表されました。 ここでは、78名のコンテスタントから、一気に約半数に絞られます。今回は、予定されていた40名より3名多い、43名が選ばれました。 最後の奏者、有島京さんの演奏が終わったのが、10月7日の20:30ごろ。発表予定時刻は21時~22時というアナウンスがありましたが、21時すぎの時点でホワイエにはまだ人がまばらです。アナウンスを誰も信用しちゃいないという、ショパンコンクールあるある。 とはいえ、22時すぎにはさすがに多くの人があつまってきました。 そして、予定からそう遅れずに結果発表となりました。 ネットで配信されることもあってか、姿を見かけないコンテスタントも多かったように思います。 それにしても、結果待ちの様子にもコンテスタントのキャラクターが出ますね。 親御さんと一緒に静かに待っている人、友達と談笑しつつ待っている人、暗がりでひとり静かにひっそりと待っている人など、さまざま。 こちらは後ろの方で静かに待つアムラン氏。 通過の結果発表後も、なんだかすごく落ち着いていました。 ぬっとあらわれて、静かに立ち尽くすロマン氏(発表前の写真)。 日本のみんなが応援してるよと伝えたところ、 表情からイマイチ感情は読めませんでしたが、 多分、嬉しそうだったんじゃないかと思います。 結果は残念でしたが、また演奏を聴ける機会を楽しみにしましょう。 その他、日本でもおなじみのディナーラさんなんかは、余裕の表情でおじさんのファンにつぎつぎせがまれ写真におさまりながら待っていました。 発表前、中桐さんともお話できましたが、結果がどうでもポーランドに留学してコンクールの準備をしたこの1年は自分にとって大切な経験になったと、やりきったという清々しい表情でした。 第2次予選に進むことの決まったコンテスタントは、以下の通り。 使用ピアノについては、1次からの変更がなければ、スタインウェイ19、ヤマハ19、カワイ5だそうです。 第2次予選は、10月9日(金)現地時間10時からスタートします。 Ms Soo Jung Ann (South Korea) Ms Miyako Arishima (Japan) Mr Łukasz Piotr Byrdy (Poland) Ms Michelle Candotti ...”
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第2次予選最終日を前に
“第2次予選も残すところあと1日となりました。 演奏時間は30~40分。課題曲は、バラード、スケルツォ、幻想ポロネーズ、舟歌、幻想曲から1曲、指定のポロネーズから1曲、ワルツから1曲。これらでミニマムの時間に達しない場合は、好きなショパンの作品を加えていいということになっています。ピアニストの趣味が、選曲に現れてくるステージ。作品1のロンドとノクターン第2番を加えたシシキンとか、演奏機会の少ない「変奏曲 パガニーニの想い出」を選んだオソキンス弟とか、ここでソナタ第2番をぶっこんだチョ君とか、それはもういろいろ。 このステージでは、第1次同様、詩的な作品の構成力・表現力を見ると同時に、ワルツ、ポロネーズという舞曲の演奏能力が試されます。 いろいろな演奏がありましたが、やはりポロネーズって難しいんだなとしみじみ思ってしまいました。優美で堂々としたポロネーズのステップが目に浮かぶような演奏もあれば、まるでノクターンのように歌心たっぷりに最初から最後までさらさら流れていくものもあり。いずれも説得力さえあればいいんじゃないかと思いますが、ここはショパンコンクールなので、“正しい”ポロネーズが求められるのでしょう。 その点で、ポーランド男子勢(そういえば女の子がいない)の刻むポロネーズのリズムは、どこか聴きどころがあるような気がしました(他の作品がイマイチぴんとこない人でも)。 この夏ブレハッチに電話インタビューしたとき、ポーランドでは学校でポロネーズを習うから自分も踊れるんだと言っていましたが、そういう若いころの刷り込みってやっぱり大きいでしょうね。 ちなみにこの時に聞いたお話は、家庭画報の特集内で紹介する予定です。 ポーランド男子のなかでもひときわインパクトのあるポロネーズを聴かせてくれたのが、クシシュトフ・クシァンジェク(と聞こえたけど、どう読むのだろう)君。演奏が全体的にとても個性的で、ステージに登場したときの、自転車に空気いれてるみたいなポーズのお辞儀もなかなか愛らしいです。 ポロネーズはOp.44を演奏しましたが、キメの音のあとで思わずこぶしを握りしめるなど、それはもうポーランド魂炸裂のポロネーズでした。一音のインパクトがすごくて、それってとても価値のあることだなと思いました。少なくとも、コンサートとしては。 終演後、ショパンへの想いを尋ねると、多少モジモジしたあと、「いろいろあるけど一つ言えるのは、彼に実際に会えなかったのがすごく残念だってことですね…」。迷った末の第一声がそれって…いつもそんなことばっかり考えているのかな、なんだかいい人みたいだな、と思いました。 同じOp.44のポロネーズを弾いたアレクシア・ムザさん(ギリシア/ベネズエラ)。見た目と言い、演奏といい、なんともいえぬ魅力のある人です。ポロネーズは前進するエネルギーに溢れていて、ラテン系の髭のおじさんがドッドコ舞っている様子が目に浮かびました。 自分の中に確かなイメージがあって弾いていることがよく伝わる演奏。ちょっと粗かったので、コンクールという場でどう評価されるのか…。 そして、大人気のジュリアンさんは、彼の美点を引き立てる選曲。ファッション、メイク含めすべての点において自分の見せ方がわかっているというところでしょうか。 Photo:B.Sadowski/NIFC プラスα作品には、コンクールで弾かれるのは珍しい幻想即興曲をチョイス。(ご存知の方も多いと思いますが、一般的にショパン作品の中で1、2を争う人気のこの曲、ショパンは生前発表することがなく、自分が死んだら捨ててほしいとされていた楽譜の中から友人が死後に出版した、といわれている作品です) ちなみにジュリアンさんはカワイのSK-EXを弾いていますが、自宅でもカワイを所有しているから迷わず選んだとのこと。 1次の演奏後、「僕のカワイはとても良いピアノで、すごくハッピー。このピアノはとても繊細で、大きな音も出せればとても繊細なピアニシモも出せる。とてもうまくコントロールできる」と、嬉しそうでした。 一方、前述の通り、チョ君はプラスα演目としてソナタ第2番を選んだわけですが、曰く「プレリュードもソナタも両方弾きたかったからこうした」とのこと(3次の課題は、今回からソナタしばりではなく「ソナタまたはプレリュード全曲」となりました)。 (1次演奏後の写真から) チョ君にとってプレリュードはショパンの中で最も難しい作品のひとつだとのこと。ちなみに彼にとっての3大ムズいショパンは、「24のプレリュード」「幻ポロ」「バラ4」だそうです。ここにバラード4番がくいこんでくるところに、彼の一筋縄ではいかない変さを感じます(いい意味で)。 そして、ニコラーエワの孫ということで注目されている、タラセーヴィチ=ニコラーエフ。いかにもロシアな、太い音とロマンティックな歌の入り乱れた、なかなか興味深い演奏を聴かせてくれました。 終演後バックステージで話をしていて、会話の中でこちらが「ひとつの曲の中でもまるで違う人のようにいろいろな音を出していましたね」と言ったら、なぜか、人間というものは本来多様な人格をもっているもので、それは宇宙にまでつながるなんたらかんたらみたいな、ものすごい壮大な話に発展していきました。 この興味深いコメントは後日詳しく紹介するとして、とにかく、脳内の不思議ワールドをお持ちの方だということだけ、ここではお伝えしておこうと思います。 今年8月に来日していたらしいですね。東京超楽しかったと言ってました。 他にも印象的な演奏はいろいろありました。 アムラン君の幻想ポロネーズは、私的にかなり心に響きました。 オソキンスの予想外の展開ばかり見せる演奏もやはり気になる。「これは次も聴いてみないとわからん」と思わせながらどんどん次に進んでいくタイプでしょうか。ちなみに彼の演奏のときに入ってきて前に座ったポーランド女子たちが、演奏中終始笑っていたんですが、5年前、ボジャノフの演奏中にも同じことがあったなと思いだしました。もっともこの時は、右前の顔の見える位置に座っていたけど。 さて、12日の夜にはセミファイナルに進む20名が発表されます。 楽しみだ。”
スタインウェイの音
“昨日のコンクール新聞の記事から。 スタインウェイ&サンズ、アーティストサービス担当グラナーさんのインタビューです。 《あるジャーナリストにスタインウェイの典型的な音はどんな音かと聞かれて、こう答えました──「私にはわかりません」。》 アルゲリッチなら典型的なアルゲリッチらしい、ブレハッチなら典型的なブレハッチらしい音がするピアノであるべきというのが、グラナーさんの意味するところです。 コンクールでは同じピアノを続けていろいろな人が弾きます。 いい音がするピアノだなと思って聴いているうちに、このピアノは誰でも弾きやすいピアノなんだなと思うこともあります。つまり極端に言えば、“猫が鍵盤の上を歩いても”いい音がしそうなピアノ。それはそれでいい楽器。 それに対して、ものすごくうまい人が弾くと大変良い音がするのに、そうでもないときはそれなりというピアノもありますよね。これもまた、別の意味でいい楽器です。 この前グラナーさんに話を聞いたとき、今回のスタインウェイは、ピアニストの気持ちがイガイガしているときに弾いたらそういう音が出るよ、気持ち良く楽しんで弾いていたら素敵な音が出るけど、と言っていました。 さて、こちらは2次予選最終日の今日演奏した、ポーランドのアンジェイ・ヴェルチンスキ君。すごく品のある優しい音で演奏されたワルツOp.34が印象に残りました。 今回のスタインウェイは彼にとって鍵盤が軽めで、弾くのがとっても難しかったそうですが、音が一番きれいでショパンに合っていると感じたため、あえて選んだと言っていました。 Photo: W. Grzędziński/NIFC 一方、3日目に演奏したタラセーヴィチ=ニコラーエフ君もスタインウェイを弾いていましたが、ちょっと興味深いことを言っていたのでご紹介しましょう。 「セレクションで4台のピアノを試し、スタインウェイが一番ショパンに合うピアノだと思ったので、選びました。すべてのピアノのレパートリーに合うピアノではないかもしれませんが、ショパンを弾くにはすばらしいピアノです。とくに、ペダルを踏まずに鳴らしたフォルテの音で選びました。今2次で弾いたスケルツオ3番ではこの音がとても大切になりますから。ラウンドごとで変えるという選択肢もあったのですけれど。 今回のピアノのうち、3台は世界最高水準のすばらしいピアノだと思いました。その3台がどれかは言いませんけどね…」 なんてドッキリする発言でしょう。 メーカー関係のみなさんも、もしもこれを読んでいらしたら、ドッキリしているでしょうか。ドッキリさせてすみません。 ※意見には個人差があります(念のため…!) コンクールのピアノ選び、奥が深いです。15分の中でみんないろいろなことを感じ、考えながら選んでいるんですね。”
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セミファイナルが始まります
“10月14日から、コンクールはセミファイナルに突入します。 43名のうち、20名のコンテスタントが次のステージに進みます。 12日夜の結果発表もまた、予定時刻からそう遅れることなく始まりました。 すごく待たされるとみんな緊張疲れして、いざ発表の時にはもうグッタリみたいなことになってしまうわけですが、最近は集計もコンピューター化され、基本的に話し合いもなしということで、わりとアッサリ結果が出ます。 昔は結果発表というと、拍手の中、全審査員がゾロゾロ下りてきて、宝塚の大階段みたいだなと思ったこともありましたが(先生方の足取りはだいぶ重めですけど)、今回は1次は事務局の人のみ、2次は事務局の人+ズィドロン審査委員長という形で、コンパクトにおこなわれています。前回もそうだったけな。もう記憶が定かでない。 第2次予選、何か魔物が降臨しているのではというほど、らしくないミスをしたり、なんとなく調子悪そうに弾いたりしているピアニストが多かったように思います。でも結果を見てみると、審査員たちは音楽性を見ていて、そんな細かい(そしてときにはでっかい)ミスは気にしていないんだなということがわかります。とはいえ、それがメンタルの弱さや注意力の低さに由来している感じがすると、問題になるのでしょうが。 結果発表後の様子から。 ポーランドメディアの取材を受ける小林愛実さん。 第2次は、演奏後に調子が出なかったと言っていましたが、見事通過。日本人唯一のセミファイナリストとなりました。結果が発表される直前、彼女の姿を見かけたのでいつもの調子でやっほ~と声をかけようとしたら、ステージ外ではいつもパカッと明るい感じのはずの愛実さんが超こわばった表情で立っていたので、びっくりしすぎて声がかけられませんでした。 緊張してたんだろうな。 歓喜の抱擁! 手前のおばさま二人の大喜びっぷりに目がいきがちですが、その後ろでおじさんと抱き合うオレンジ色のフードの後頭部は、カナダのYIKE YANG君のものです。 こちらはカメラに狙われるアムランとタルタコフスキーの後ろ姿。 ステージが進むにつれ発表後のプレスの気合いもすごくなっていきます。 喜びの瞬間をおさえるため、カメラマンはもうすぐ名前が呼ばれるかもしれない有力なコンテスタントの前に、あらかじめ張って待っています。それも、ものすごい至近距離で(人が多くてスペースがないため)。 関係ないこっちは、そんな素敵な瞬間にアホ面で写り込むことがないように、必死です。 配信を聴いた方はお気づきかと思いますが、タルタコフスキーさんはワルツOp.34-1の冒頭で、何かを飲んでいる最中に聴いていたら大惨事になるレベルのミスなどをしてしまいました。でもこうして無事通過したので、音楽性さえ確かと評価されていれば、少なくとも第2次予選では、そういうミスは結果に影響しなかったということのようです。 私としては、通ってほしいなと思っていた一部のコンテスタントは残りませんでした。でも彼らの演奏を聴くことができたのは、こうして1次からコンクールを聴いていたからにほかならないと。最後に入賞者ガラコンサートを聴いただけでは、彼らの演奏には出会えなかったわけですからね。まだ聴いていない演奏があるみなさまも、なんとなく気になる人がいたらぜひアーカイヴをチェックしてくださいませ。 審査員の中でも意見がかなり割れているという噂なので(まあ、この通過メンバーを見ればうっすらわかる気もしますが)、この後どんな展開を見せるのでしょうか。 セミファイナルでもおもしろい演奏が聴けそうなことだけは、確かです。 第2次予選に進むことの決まったコンテスタントは、以下の通り。 演奏日程はこちらからご覧いただけます。 Mr Luigi Carroccia (Italy) Ms Galina Chistiakova (Russia) Mr Seong-Jin Cho (South Korea) Mr Chi Ho Han ...”
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ユーリ・シャドリン&ティアン・ル、音楽とピアノについて語る
“前回2010年のショパンコンクール、セミファイナルに進みながらも腕の故障で棄権をした、ユーリ・シャドリン。 コンクールの華やかなステージで、ショパン音楽大学からもってきたという会議室にあるような背もたれ付きの椅子に座り、豊かにピアノを鳴らしながら深い味わいのある音楽を聴かせてくれたピアニストです。親しみやすい風貌も相まって人気を集めていたので、棄権を残念に思った方も多いことでしょう。 さて、今回のショパンコンクールに彼の奥様であるティアン・ルさんが出場しているということは以前の記事でご紹介しました。彼女は残念ながら第2次予選への進出がなりませんでしたが、演奏翌日にお聞きした二人のインタビューをご紹介します。 ぽんぽん明るく感性で話すティアンと、案外慎重で論理的なユーリ、なんとも絶妙なカップル。 ふたりはショパンコンクールの後に結婚。小さなお嬢ちゃんは、今回コンクール中、親御さんに預けてきているそうです。 最近は教える立場にもあるというユーリ。興味深いメッセージを残してくれました。 ◇◇◇ 以下、ユーリ・シャドリン(Y)&ティアン・ル(T) ─まずティアンさん、ショパンコンクールを受けることにしたきっかけを教えてください。やはりユーリさんから勧められて? T まず、私がアメリカで師事した最初の先生から彼がショパンコンクールのファイナリストになったときの話を聞いていて、挑戦も勧められたこと。それにもちろん、前回出場した夫からも、ぜひ一度経験してみるべき場所だと勧められたので。実際、参加してすごくよかったです。ステージに一歩出た瞬間、いっぱいの聴衆が目に入って、ワオ!って。すごくいい気分になりました。幸せでした。 ─今回、唯一ファツィオリを選んだコンテスタントということでみんなその音に注目していました。演奏してみていかがでしたか? T 特別に豊かな音がとても気に入って選びました。厚みがあってパワフルです。大きな音である必要はありません。たくさんの深みと幾重にもなっている層を感じました。このピアノで音楽をつくっていくことをとても楽しみました。私は、あまりに軽いアクションのピアノが少し苦手なんです。 このファツィオリは少し重めで、演奏していてとても楽しかったです。他の人がファツィオリを選ばなかったのは、鍵盤が重くて少し深かったため、うまく演奏できないかもしれないという不安を感じていたからみたい。私はあまりそういうことは気にならないし、技術的になんの問題もなく演奏できたので、嬉しかったです。今回の4台では、スタインウェイが一番軽く、次がヤマハ、カワイ、そしてファツィオリの順だと感じました。 ─ティアンさんにとって良いピアノとはどういうものなのですか? T ブランドには関係なく、簡単すぎず、一緒に音楽を作るための、深みがあるピアノが好きです。 ─ユーリさんにとっては? Y その場合によります。例えばコンサートなどで、そのピアノで練習する時間が取れる場合は、少し難しいピアノもいいと思います。でも、コンクールの場合はちょっと状況が違いますよね。15分で4台のピアノを試さなくてはなりません。だからみんな、コントロールしやすそうだと感じるピアノを選ぶのだと思います。 音としては、深い音が好きです。ピアノが深い音を持っていれば、コンサートホールで弾く時に何かをピアノに何かを強制する必要がありません。ピアノを強くたたき、何かを強制して音を出さなくてはならないというのは最悪です。ハンマーが強く弦を叩くということで、音はどんどん悪くなっていきますから。 それと、すばらしいピアノというのは、パーフェクトでないとも思います。今回のショパンコンクールのファツィオリを少し触らせてもらいましたが、決して簡単なピアノではないけれど、本当にすばらしい楽器でした。 深くいろいろな音を持っている。そして、強制されることが嫌いだと感じました。リスペクトとともに演奏されるべきピアノなんだと思います。ピアニストが、これをしたいと勝手なことをすると、ピアノが受け入れない。ピアノを納得させないといけないんです。ピアノがやりたくないことを強制なんてしたら、多分殴り返してくる(笑)。 T そう、弾く前にちゃんと対話しないといけないの。良い子にしてねって。 Y 本当にいろいろな音を持っているピアノですからからね。だからこそ、扱うのは大変なのかもしれません。 ─ところで、ショパンコンクールとはティアンさんにとってどんな存在? T ピアニストなら、ショパンをどう演奏するかを理解しないといけない。卓越したショパン弾きになる必要はないけれど、その言語を理解しないといけないし、ショパンを演奏するための伝統を理解しないといけない。巨匠が伝える古い伝統を学ばないといけない。それを披露することができた、特別な場所でした。 ─ユーリさんにとっては、5年前のコンクールの経験はどんなものでしたか? 5年前にこの質問をしたら、時間がたてばわかるかもねといっていました。 Y いい記憶も、悪い記憶もあるんです。すごくいろいろな感情が混在しています。それでもいつも感じるのは、ショパンはロシア人である僕にとても近いということ。ポーランドは、人の見た目も食文化も似ているし、僕は言葉もだいたいわかる。クラシック音楽を愛していると言うことも一緒。長くアメリカにいると、たとえばアメリカ人にとってのクラシック音楽とは、ぜんぜん関係性が違うように感じるんです。僕はロシアを離れてだいぶ経っているけど、きっとショパンがポーランドに帰る感覚は、僕がロシアに帰る感覚に似ているんじゃないかと思います。 ─ショパンコンクールを受けるにあたって、ユーリさんから何かアドバイスはあった? T 彼は私の先生でもあるんです。フライシャー先生のレッスンを受ける前に、彼のレッスンを受けています。こういうところに注意しなさいとかこうしたらいいよなど……。 Y わかった、わかったから……。 T 私、彼をとても尊敬しているの、ピアノの先生のときだけは(笑)。 Y なんか別の話してたんじゃなかったっけ!? ─照れてますね。ところでティアンさん、「ユーリ先生」から学んだことで一番大きなことはなんですか? Y ちょっと恥ずかしいからやめてくれる……? T 「音楽への誠実さ」だと思います。いつも音楽に対して、純粋で、誠実であること。私はオールドファッションな演奏が好きなので、とても誠実な彼の演奏を尊敬しています。そもそも、同じ先生のもとで育ってきたから、私たちの音楽の趣味はとても似ていますし。 Y 誠実……というのはね、こういうことです。例えば、ステージに出て音楽を感じているふりをするような音楽は、誠実じゃないと思うんです。僕も最近教える立場になって感じるのは、若い学生たちがみんな、拍手と歓声欲しさに、大きく早く弾くようになってしまっているということ。そのうえ、録音を聴いて、いいと思った巨匠の演奏をコピーする……。 ─それで自分で感じている“ふり”をすると…。 Y その通り。50年前はそんなことは起きていなかったはずです。そういうことを見ている中で、よりいっそう、誠実であろうという気持ちを持つようになったのです。音楽が充分でないから、顔の表情や身体の動きで表現を追加するなんて、本当にばかげています。天才たちが書いた作品は、ちゃんと音で表現すればそれだけで十分に感動的なものであるはずです。それがわかっていたら、顔をつくったりはしない。音楽に対して失礼ですよ。 ─ティアンさん、師であるフライシャー氏から学んだ一番大きなことは何でしょうか? T 本当の音楽をどのようにして掴むかということ。彼が教えてくれるのは、どうやって演奏するかではなく、どうやって作品を理解するか。楽譜を読み取る方法を教えてくれるんです。どうしてこうするべきなのか、ロジカルに考えて音楽を組み立てるべきだということです。 Y 僕には、ピアノを勉強している若い人たちに言いたいことがあります。試しに、1曲でいいから鉛筆で五線紙に楽譜を書き写してみてほしい。やってみると、本当に大変なんです。 T 以前、ノクターンの最初の1ページを書き写してみたら、1時間半もかかりました。書き写すだけでもこんなにかかったんですから、考えて書いていくのに費やす労力は膨大です。そこに込められた想いがどれほどかが実感できます。 Y 今は楽譜もコンピューターで作れますから、気が付きにくいんです。これをやってみると、とても大切なことを知ることができます。作曲家が何かを書くと言うことは、そこに意味があるから。なにひとつおろそかにしてはいけないのだということがよくわかります。 ─ところで、日本に来る計画があるとか? Y 中国に行く予定があるので、そのときに日本で演奏会ができないか、計画中です。昔からずっと日本に行くことに憧れていて。とくに京都に行ってみたいんです。実現するといいな! ◇◇◇ ティアンがインタビューの準備をしているのを待っている間、 ユーリがショールームにあったファツィオリで、シューベルトを弾き始めました。 最近プロモーション録音したばかりだという、「さすらい人幻想曲」です。 澄んだ美しい音が響いて、しみじみ、良いピアニストだなと思いました。 なんだかとてもなつかしい光景。 オフショットがファツィオリ・ピアノフォルティのブログで紹介されていますので、ぜひご覧ください。”
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スタインウェイ──ショパンが弾ける調律師
“世界各地で行われるコンクール。それぞれのレパートリーや音楽文化の特徴にあわせて、または単にスケジュールやいろいろなご事情にあわせて、同じメーカーでも異なる調律師さんがメイン・チューナーを担当されることが多いです。 今回おもしろいなと思ったのが、先の記事でもちらりとご紹介したスタインウェイの調律師、ヤレク・ペトナルスキさん。ポーランド人でワルシャワ・フィルハーモニー・ホールでの調律経験も豊富、ピアニストでもあるという方です。 私が見てきた過去2回(2005年、2010年)ではポーランド人調律師が担当していたことはなかったので、今回の一つの試みだったのかもしれません。 ちなみに前回5年前は若手ホープの調律師さんがコンクールが始まる直前に急病で倒れ、急遽(このあとの話にも出てくる)ジョルジュ・アマンさんが駆けつけて調律を担当していました。このときアマンさんがくださった名刺が薄い木でできていて、やっぱり“調律師の神”は違うな…と思ったなぁ。 さて、ここで少し前になりますが、1次予選のときにアーティストサービス、ゲリット・グラナーさん(以下G)と調律師のヤレクさん(Y)に聞いたお話をご紹介します。 ◇◇◇ ─今回のショパンコンクールの調律では、どんなことに気が配られていますか? G ショパンにふさわしい音を作るため、音楽的な反応を聴きとることができる調律師が担当しています。ポーランド人のヤレクはピアニストでもあり、今回のコンクールのレパートリーはほとんど演奏することができます。彼は単に技術者の観点で音を判断するだけでなく、ショパンを弾くタッチでピアノに触れて楽器を理解することができるのです。この、普通の技術者とは違うアプローチにより、演奏家と理想的なつながりを持つことができるピアノが生まれます。それで今回の調律は、彼が担当してくれているのです。 ─今回の音を作るうえで一番意識したことは? Y ショパンを演奏するのに合った、柔らかく歌うことのできる音を作ることです。とにかく、ショパンのスタイルにふさわしい音を目指していますね。 ─今回は、楽器の準備段階ではベテラン調律師のジョルジュ・アマンさんも参加していたそうですが。 G はい。ピアノの最終的な調整は、セレクションの1週間前から、アマンとヤレク、あとシモンという3人の調律師が担当し、いろいろな方向から3人でピアノを整えていきました。それぞれの技術者が同じ方向を向き、アーティストのような精神でピアノに向かっている。それによって毎日お互いに学んでもいる。ベテランだから何にでも優れているとは限りません。お互いに意見を交換しあうことで、それぞれの技術者がより向上していくというのが、スタインウェイの考えです。 それと、もうひとつ。スタインウェイのピアノは、そのピアニストならではの音が出る楽器を目指していますから、ピアニストの気持ちがイガイガしているときに弾いたらそういう音になるし、気持ち良く楽しんで弾いていたら、そういう音が出ます。ですから、ピアニストが安心して弾けるようなサポートも必要なんですね……つまり、調律師はサイコロジストの能力も持っていないといけないのです。 ◇◇◇ このあともう少し詳しくヤレクさんのお話を聞いてここでご紹介しようと思っていましたが、こちら、のちのち別の形でご紹介できることになりそうなので、その誌面をお楽しみに。 調律師さんがショパンを弾けるということは、確かにひとつの大きなプラスになるだろう思います。ショパンの音楽の心を自分なりに理解していなければ、絶対にその演奏にふさわしい音はできませんよね。自分でその“ショパン向きのタッチ”を試せるというのも、なるほど、というお話でした(2014年ルービンシュタインコンクールのスタインウェイの調律師さんも、優れたタッチでピアノを試せる能力は必要だと言っていたことを思いだしました)。 だからといって、それじゃあショパンに限らず演奏する場では、ピアノがうまい調律師さんのほうがいいのかというと、そういうわけでもない。 調律師には鋭敏な耳と感性、技術が求められ、でも結局最後にピアノを弾くのはピアニストなわけですから、考えれば考えるほど複雑です……。 今回、ピアノの音の流行や、何を大切にするべきなのかということについて、勝手にすごく考えさせられています。コンクールはもうファイナルに突入しようとしていますが、今後もいくつかピアノにまつわる興味深いお話をご紹介しながら考えていきたいと思います。  ”
ファツィオリ調律師さんインタビュー
“先に、ファツィオリを選択した唯一のコンテスタント、ティアン・ルさんと、夫のユーリ・シャドリンのインタビューを紹介しましたが、今度は調律を担当した越智晃さんのお話を紹介します。 越智さんには、昨年2014年のルービンシュタインコンクールのときにもお話を伺っています。 このコンクールの際には、ファイナルの2ステージ目で4人がピアノをスタインウェイからファツィオリに変更し、6人中5人がファツィオリを演奏するということが起きて、話題になりました。 この時に使用されたピアノは、5年前のショパンコンクールの後、リムやフレームの形をはじめ、基本的な構造を大幅に改良した新モデル。コンチェルトでのパワー不足が否めなかった旧モデルから、力強い音を実現する方向に大きく舵を切って設計されたピアノでした。 今回のショパンコンクールで使用したピアノは、その改良後のモデルでありながら、78人中選択したピアニストは1人という結果となりました。越智さん、そのことについて今後の課題を考察するとともに、最近のピアノのトレンドについても興味深いお話を聞かせてくれました。 ◇◇◇ ─今回のファツィオリはどんなピアノだったのでしょうか? チャイコフスキーコンクールで使用したのと同じものです。ただ、中のアクションは二つ用意してありました。1台のはチャイコフスキーコンクールと同じもの、もう1台は、ショパンコンクール用に調整してあった新しいものです。ショパンらしく、少しやわらかくあたたかい音がする方向性で仕上げてありました。 ですが、いざ会場に持って来てみたら、他にパワフルな楽器が揃っていたこともあり、チャイコフスキーコンクール用のアクションのほうを採用しました。直前まで主に手を入れていた新しいほうのアクションを使いたいという気持ちはありましたが、他と比べてしまうとパワー不足で難しいなと思って……。 ─ショパンを弾くのに向いているピアノとは、どういうものなのでしょう? あたたかく、よく歌う音が出せるものです。社長のパオロ・ファツィオリとも、その方向性にしようという一致した見解があり、それにむけて音を作りました。 ─ティアン・ルさんは、自分でコントロールして音が出せるピアノが良かったから、4台の中で一番鍵盤が重めだったファツィオリを選んだとおっしゃっていました。それが逆に、多くの人にとって、リハーサルができないコンクールでうまくコントロールできるだろうかという不安につながり、他を選ぶという結果になったのではとも言っていました。 その意見に、全く同意ですね。このピアノの鍵盤は、一般的にみて特別重いわけではないのですが、他が軽かったようです。動かしやすくて軽いピアノにしておけば、結果は違ったのかなと……。経験不足、認識不足だったと思います。 ─そうなると、コンクールで選ばれるためには、普段のコンサートで良いピアノだとされるピアノとは必ずしも同じでないピアノが求められるということに? 今回、そうしなくてはだめなのだろうなと思いました。鍵盤が軽く、押さえると一気にバッと音が出てきてくれる。そして嫌な音が出にくい。そういうピアノが、こうした場では求められていると感じました。 あと、ファツィオリは湿度などの環境の変化でそんなに大きな影響を受けていませんでしたが、ずいぶん敏感に反応している楽器もあったようなので、そういう楽器は弾きやすさのためにきわどい線で作っているんだろうなと。 かつては簡単に音が出てしまうピアノは敬遠されていて、川真田豊文さんなどが第一線で活躍していらした頃は、意図するより後に音が出てくるような調整をされていたように思います。 ─今回のファツィオリは、簡単に音が出るピアノではなかったと……。パオロ社長がピアノづくりを始めたときのことについて、ピアニストがピアノと格闘しなくていいピアノが作りたかったと言っていたことを思い出したのですが。その、格闘しなくていいということと、簡単に音が出るということのニュアンスの違いは? あまりに簡単に音が出てしまうピアノって、弾いているところを見たらほとんど格闘しているように見えるのではないかと。意図するより早く大きく音が出るとしたら、それをよほどうまくコントロールできる力がないといけませんから。 ─水がすごい勢いで出ているホースをつかんでコントロールする、みたいな? はい……。でも今のトレンドはそれなんでしょうね。 ─5年前のショパンコンクールとの違いは感じますか? すごく感じます。もっといろいろな音が聴けたような気がするんですけれどね。でもこれが、これからピアノの標準的な音になるのかもしれません。とはいえ、5年後にはまた変わっているのかもしれませんが……戻るということもあるのかなぁ。でもこのまままでは寂しいかなぁ。 ◇◇◇ 今回ご紹介したのは、あくまで今回越智さんが感じたご意見なわけですが、実際、もともと豊かに鳴る楽器を鳴らしきった大迫力の演奏に多く出会った印象はあります。ただ、私はずっと1階で聴いており、このホールは場所によってずいぶん聴こえ方が違うので、2階で聴いたらどう聴こえるのかわかりません。 少し感じたのは、普通は、そのホールで与えられたピアノで、リハーサルの時間を使いピアノを手なずけることってプロの演奏家には絶対に求められる能力だけど、弾きやすいピアノが揃うコンクールでは、そこが見られなくなってしまうのかなぁと。あとは、楽器の耐久性との両立というのも難しい問題なんだなと思いました。 コンクールは間違いなくピアノという楽器の“進歩”に大きく役立っているともいますが、コンクールのピアノは別ジャンルみたいになっていくのでしょうか。いわば、レーシングカーと一般の車の開発の違いみたいな? もちろん、そこに互いの技術革新は生かされ合うものだと思いますが。 良い楽器ってなどんな楽器のことなんだろうなぁ、 と、今回はピアノについていろいろ考えるショパンコンクールなのでした。  ”
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ファイナルが始まりました
“セミファイナルを振り返るチャンスを逃したまま、あっという間にファイナルが始まってしまいました。 10名のファイナリストと演奏日程は、以下の通り。 10月18日 Mr Seong-Jin Cho (South Korea) Mr Aljoša Jurinić (Croatia) Ms Aimi Kobayashi (Japan) Ms Kate Liu (United States) 10月19日 Mr ...”
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カワイ調律師さんインタビュー
“今回、セミファイナルに進んだガリーナ・チェスティコヴァさんやチ・ホ・ハンさん、日本人コンテスタントとして注目されていた竹田理琴乃さん、9年前の高松コンクールに15歳で入賞していたチャオ・ワン君、そして大人気のジュリアン君など、個性的なコンテスタントから選ばれていた、Shigeru Kawai。 調律を担当していた小宮山淳さんにお話を聞きました。 ◇◇◇ ─今回ショパンコンクールのピアノを準備するにあたって、心掛けていたことはありますか? ホールがわりと大きいので、ピアノの鳴りが良くなるよう、それにむけてパーツを選んで変えておくようにしました。そうして作り込んだ楽器をドイツに持っていき、日本の空気より湿気がない環境でしばらく置いてから、こちらに持ってきました。 私が以前ショパンコンクールの調律を担当したのは15年前、イングリット・フリッターさんがカワイを弾いて2位に入賞したときです。このときの経験からホールの響きなどは知っていたので、方向性は作りやすかったですね。 ─ショパンだけを弾くコンクールということで、どんな音を心掛けましたか。 エチュードなどはコロコロした音が必要ですが、その他は民謡のような要素のある音楽が中心ですから、表面的な音ではなく、心からの叫びとか、ポーランド人に独特の優しさのようなものがあり、強く叫ばないような音を目指しました。……“チャラくない”音といいますか。 たとえば、静かに蠟燭の明かりで本を読んでいるというか、そんなものを感じる音です。他のピアノよりも、丸めの発音になっているのではないかと思います。ショパンはこの音色で流れれば一番合うのではないかという音を作りました。 ─次々異なるピアニストが演奏するコンクールで心掛けていることは? 繊細な調整は必要なのですが、こういうタッチでなければこういう音がでないというようなタイプの繊細な調整だと、ピアノのキャパが狭くなってしまいます。なので、仕上がりとしては、図太さがあるというか、包容力がある調整にしておかないと、多くのピアニストが好んでくれるピアノにはなりません。 ─カワイのピアノを選んだ方には、個性的なおもしろいピアニストが多かったですね。 はい、いろいろなタイプがいて、それぞれが、表現のしやすい良いピアノだと言ってくださいました。ガリーナなんかは、これだけピアノも良くて自分で満足のいく演奏ができたのに次に通過できないということは、私はどうしたらいいんだろう、少しピアノを触らないで考えるといっていました。それを聴いて、泣きそうになりましたね。そう言ってもらえて嬉しい反面、サポートできなかったことにがっかりしました……。 ─カワイを弾いたピアニストの中でもジュリアン君は特に人気でしたが、ピアノに何かリクエストはありましたか? ほとんどなかったですね。 ─彼は家にカワイを持っているので、楽器に慣れていると言っていました。 そうなんですか。実際、コンクールやコンサートなどの本番でカワイを弾いたことがないというピアニストは、コンクールのセレクションで良いピアノだと思っても選ぶことができないという声を聞くことがあります。 2時間のコンサートをともにして、ようやく最後に楽器の本当の良さというのはわかってくるものですから。カワイのピアノでそういう経験をしたことがある方は、コンクールのセレクションの15分で良い印象をうけると、選択してくれるのだと思います。今後、多くの方にコンサートでカワイを弾く機会をもっていただけるよう、自分たちでも演奏会を用意していくことが必要だなと感じています。 いずれにしても、セレクションって初日の午前中がすごく大事なんです。限られた時間で選ばなくてはならないため、コンテスタントはみんな情報を集めているので、弾きにくいという話が出回ると、触ってもらえなくなってしまうんです……。どんなに努力しても、後半で盛り返すのは難しくなってしまうんですよね。 ─最近ちょっと気になっているのが、時間をかけてピアノに慣れていくことができないコンクールという場で選ばれるピアノと、コンサートで良い楽器とされるピアノは違うのだろうかということです。 僕はそう思わないですかねぇ。コンクールで良いピアノはコンサートでもいいと思います。いずれにしても2時間リハーサルができるコンサートでは、その間に楽器に歩み寄ることができますから。 ─鍵盤の重さにもコンテスタントたちの好みの傾向があったと思いますが、カワイのピアノについてはどんなことを心掛けましたか? 軽すぎず重すぎずは絶対的に心掛けました。鍵盤の深さや重さというのは、音色とのバランスで感じ方が変わります。同じ深さでも、音が明るいと浅く感じるし、音が太くて暗いと深く感じるんです。 ─調律師という仕事は、音楽を理解していないとできませんね。 多少なりともそうですね。僕、実は音楽大学でトロンボーンやっていたんですよ。でも、演奏家の道に進むことはないとなったとき、カワイのコンサートチューナーという仕事を見つけて、この道に進みました。僕が演奏していたのは金管楽器ではありますが、ここで吹いている音が向こうでどう鳴っているかを聴くという癖はついていたと思います。 ─どのような音を目指していますか? 世の中がデジタル化している中で、アナログ的なものを残したいという気持ちがあります。弦、そして木が振動して音が出ている感じがするような、自然に歌うアコースティック楽器ならではの音がする。それがカワイのピアノです。 良いピアノとは、キャパが広く、オールマイティで、その中で演奏家が好みの音を追求していくことができるピアノだと思います。”
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ファイナル最終結果発表
“第17回ショパン国際ピアノコンクールは、チョ・ソンジン君が優勝、そして各賞の受賞者は以下のとおりということで幕を閉じました。 第1位 Seong-Jin Cho 第2位 Charles Richard-Hamelin 第3位 Kate Liu 第4位 Eric Lu 第5位 Yike (Tony) Yang 第6位 Dmitry Shishkin ファイナリスト Aljoša Jurinić Aimi ...”
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トリフォノフ来日公演
“今年のショパンコンクール、さまざまな才能に出会えたとても楽しい3週間でした。 が、時々、「やっぱり5年前の前回はすごかったよなぁ」と思わずにいられなかった方も多いのではないでしょうか。 先日もちょうど某メーカーの方と、「今回は結果発表を待っているとき、人が多いのを嫌ってほとんどのファイナリストがホワイエに降りてこなかった。今の子ってそうなのかな。5年前のファイナリストはなんかちょっと違ったよね」という話をしていました。 (そのうえ今回は過去数回と違い、発表前に一度ファイナリストが集められて説明会?があり、発表時も前方に集められていたので、過去のように、優勝者のまわりもみくちゃで大変!というようなこともなく。) 時代とともに若者のタイプの傾向って変化していくのかな、なんて思ってしまいました。 まあ、単にキャラクターの違いかもしれないけど。前回のファイナリストって全体的に外的影響からの耐性強そうだったもんな。 さて、コンサートシーズン真っ盛り。 前回のショパンコンクール人気者たちが来日しますね。 まず今日ご紹介するのは、すでにツアーは始まってしまっていますが、ダニール・トリフォノフのツアー。10月28日の京都公演をスタートに、リサイタルと、チェコ・フィルとのコンチェルト3公演です。コンチェルトはラフマニノフの2番。 10月29日(木) 東京オペラシティ コンサートホール ☆10月31日(土) サントリーホール ☆11月1日(日) 愛知県芸術劇場コンサートホール ☆11月2日(月) アクトシティ浜松 大ホール ☆:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演(ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番) 東京でのリサイタルは今夜29日です! シューベルトのソナタ18番と、ラフマニノフのソナタ1番の入っているプログラム。 ダニール、我々をアッチの世界に連れて行く気まんまんと思っていいでしょう。 ぎりぎりの紹介ですみませんが、当日券もあるようですのでお時間ある方はぜひ。 さっきちょっと過去の情報を検索していて、たまたま2010年4月、前回ショパンコンクールの予備選の時期のあるメールを発見しました。とあるコンクール評論家のおじさんと、「トリフォノフって何者?」「なんで予備選免除なの?」「聞いても誰も知らないんだけど」という会話をしているメールでした。それが今や彼もこんな状況ですからね。人生わからないものだなぁ。”
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続いて、アヴデーエワ来日公演
“やっぱり5年前すごかったよなぁ…からの、 前回ショパンコンクール入賞者の来日情報。 続いては、ユリアンナ・アヴデーエワの公演です。 アーク・ノヴァへの出演、 そして、ソヒエフ指揮、ベルリン・ドイツ響との共演のため、ただいま来日中。 曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。 楽譜を綿密に読みこんだ、かっこいい演奏に期待できそうです。 ◇ベルリン・ドイツ交響楽団 10月31日(土) 18:00 北九州/アルモニーサンク 北九州ソレイユホール 11月1日(日) 15:00 宮崎/メディキット県民文化センター 11月3日(火・祝) 14:00 東京/サントリーホール 東京公演の翌日4日には、代官山の蔦屋書店Anjin で、 トークと演奏による50名限定プレミアム・イベントもあります(既に完売!)。 実は自分、このトークの聞き手をつとめることになっています。 そのうえその翌日には某誌のためのインタビューもあり。 むこう1年でお話を聞くのは6回目くらいになるような気がするので、 いい加減「Youに話すことはもうナイヨ!」と言われそうな気もしないでもありませんが、 めげずにつっついて、いろんなユリアンナを引き出してみたいと思います。 ちなみに一番最近のインタビュー内容は、 件の「家庭画報」ショパンコンクール特集内でご紹介します。 優勝した時の思い出として、発表があった瞬間、 人が波のように押し寄せて怖かったと言っていましたが、 そのときの教訓もあってか、今回はファイナリストを前に集めていましたね。 あの発表の現場って、みんなが素の表情を見せる、 コンクールの中で一番ドラマティックな瞬間の一つでもありますね。 2005年はブレハッチが顔を両手で覆って喜んで、 お母さんと抱き合っていたのも印象的でした。 その前の2000年のときのことは映像でしか知りませんが、 優勝したユンディを3位になったコブリンがかつぎあげていましたよね。 コブリンレベルだと自分も優勝狙っていたでしょうが、 よくああいう行動ができたもんだ。 今回だったら、アムラン君がチョ君をかつぐとか? …なかなか起きないことだよなあ。 (いずれにしても、逆は物理的に無理そう) コンクールによっては、ステージ上の授賞式の中で発表することもありますね。 …と思ったところで、今ふと、このタイプの結果発表の場合、 「某有名教授はいつもこらえきれず、出てきた瞬間必ず優勝者をガン見するから、 その人が審査員にいるときは発表前に優勝者がわかる」 という噂を聞いたことを思いだしました。 ユリアンナとは、全然関係ないけど。”
11月
06
小林愛実さんリサイタル&情熱大陸
“小林愛実さんのオール・ショパン・プログラムによる リサイタルが行われるようです。 しかも紀尾井ホールという素敵アコースティック空間! 2015年12月10日 (木) 19:00 紀尾井ホール 【ショパン・プログラム】 ロンド 変ホ長調 op.16 プレリュード 嬰ハ短調 op.45 ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」 舟歌 嬰へ長調 op.60 ノクターン 嬰ハ短調op.27-1 エチュード ホ短調 op.25-5 エチュード イ短調 ...”
12月
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シャルル・リシャール=アムランおまけインタビュー
“【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、 さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】 シャルル・リシャール=アムランさん(第2位、ソナタ賞) ─1次の後、あまりにすばらしい演奏に、このまま上位入賞したら(その時はまだエントリーしていた、2015年11月の末から開催の)浜松コンクールに来なくなってしまうかもしれないよねと言ったら、そんな結果にはならないよとおっしゃっていましたよね~。 そうでしたねぇ(笑)。さすがに、出場は辞退することになりました。でも、日本にはガラ・コンサートで行けるようになりましたから。初めての日本で、6都市も回ることができて嬉しいです。テクノロジーの進んだアジアの大都会を見ることが本当に楽しみなんです。韓国に行ったときも、とてもおもしろかったので。 ─コンクールで演奏したヤマハのピアノはいかがでしたか? すばらしいピアノで、選ぶときにも迷いませんでした。やわらかい表現がちゃんと伝わるピアノです。コンクールでは、印象を強くするために大きく弾くという考えもあるかもしれませんが、感じるままにやわらかい表現をすることで演奏がより親密なものになり、お客さんが咳もみじろぎもせず、より真剣に聴いてくれるということもあると思います。 ─ピアノを始めたのはアマチュアピアニストのお父さまの影響だとか。 はい、父はコンピューター関係の仕事をしていた人で、同時にアマチュアのピアニストです。母は精神分析医をしています。 ─お母さまが精神分析医というのは、なんだかすごいですね。 いえいえ、普通ですよ。日本では少し文化が違うのかもしれませんけど、カナダでは精神分析医に診てもらうのはかなりポピュラーですからね。僕自身は通ったことはありませんけど(笑)。 ─家族にいるなら必要ないですよね(笑)。 そうですね。その意味で、僕の母は、単純な母以上の存在ですね(笑)。ワルシャワでのガラ・コンサートには、両親も来ていました。あのコンサートで、僕が受け取った花束を渡した女性がいたでしょう。あれは母だったんです。 ……というのも、実はちょっとおかしな話があって。最前列に座っていた母の後ろで、ステージの写真を撮ろうとしている人がいて、係の人がそれをやめさせようと合図をしていたらしく。それを見た母は、「立て」という合図だと思って、慌てて立ち上がった(笑)。 ステージにいた僕は、母が一人だけ急に立ち上がったのを見つけたものだから、花を渡してみたんです。ちょっと笑っちゃうでしょう! でも、とても喜んでいました。 ─お母さんかわいいですねぇ。ところで、ショパンの演奏をする上で大切にしていることは? 音楽の持つ自然な魅力を充分に見出すため、まずは、ハーモニーへの感受性。そして、楽譜に忠実であることを大切にしています。 楽譜に書かれたことを体に馴染ませ、演奏中はそれを忘れて演奏しなくてはなりません。とても難しいことですが、楽譜に書かれたことの詳細一つ一つと一体化できていないと、実際に“忘れて”演奏することはできません。 僕自身、聴く側としても、楽譜への注意と個性のバランスが良い演奏を好みます。とはいえ、ピアニストの個性があまりにすばらしい場合は、個性が強調された演奏でも聴く価値が大いにあると感じます。例えば、グレン・グールドのようなピアニストの演奏がそうです。僕の個性はグールドほどに特殊なものではありませんから、バランスのよいところを見つけるほうがいいのです。 ─なるほど……。グールドはカナダのピアニストにとってやはり特別ですか? もちろん全員が好きだとは言わないと思いますが、やはり特別なピアニストで、彼がすばらしい人物だということを否定できる人はいないと思います。かの有名なバッハの「ゴルドベルク変奏曲」の音源などは、史上最高の録音の一つだと思います。彼独自の“声”を聴くことができます。彼の演奏を聴く時は、作曲家の作品を聴くというよりは、彼の音楽が聴きたくて聴くんですよね。例えば、バッハを聴きたければアンドラーシュ・シフを聴くかもしれませんが、グールドの録音を聴く時は、グールドが聴きたくて聴くんです。 ─でも、現代の演奏家というのは、一般的には作曲家の解釈者と考えられていますよね。 もちろん、僕の仕事はそうです。グールドは特殊な例外だと思います。個性があまりにすばらしいので、そのバランスなど気にしなくて良いのです。アルゲッチなんかも、その種類のピアニストだと思います。特殊な個性ですから、みんな、彼女を聴くということを楽しむのです。 ─ショパンの演奏については、ポーランド舞曲の理解も重要だと思いますが、そうした理解はどのように深めていったのですか? 基本的には、直感的に持っているものを深めていったと思います。加えて、いろいろな録音を聴きました。作品を勉強していれば、音楽それ自体が語っているので、マズルカやポロネーズについての本を読む必要は必ずしもありません。良い感覚がつかめたら、それに従うだけです。 ─ショパンにじっと向き合ってきたコンクール中、ショパンがそばにいると感じた瞬間とか、ありませんでしたか? それはなかったなぁ(笑)。ショパンはきっと、社会に適応できた人ではなかったと思います。孤独で、不安を抱えていたということは、彼の作品にたくさん内包されている人間の感情からもわかります。 コンクール中にふと、ショパンは彼の音楽がこんなにたくさんの人に楽しまれているということはすばらしいと感じているだろうけれど、コンクールというオリンピックか競馬のような場で演奏されていることや、ソロ作品がこんな大きな会場で弾かれていることは、彼の想定外だろうなとは思いました。 それにしても、彼はきっと人生の中でアジアの人に会ったことはなかったでしょうね。この50年ほどのことだと思いますが、今これほどアジアの人が彼の音楽を受け入れていることには驚くだろうと思いました。クラシック音楽のなかでもショパンの音楽が特に人類にとってユニバーサルな存在だということを示していると思います。 ◇◇◇ 以上、リシャール=アムランさんのおまけインタビューでした。 ひとつ印象的だった出来事。 もう日本ではたくさんの人があなたのファンになっていますよ!と言ったとき、 「いやぁ、今だけだってわかっているよ……」とボソリとつぶやかれるということがありました。ほんわかした外見に惑わされがち(?)ですが、 なかなか現実主義というか、冷静というか、そういった一面もときどき感じました。 あたたかく感情豊かだけれど、クールで悲観的なところもある。 もしかしたら彼はショパンっぽい人なのかもしれません。 ……まぁ、ショパンには実際に会ったことがないのでわかりませんけど。 ★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、 下記サイトもあわせてご覧ください。もう少し真面目です。 ジャパン・アーツHP シャルル・リシャール=アムランインタビュー [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]  ”
ケイト・リウ おまけインタビュー
“【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、 さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】 ケイト・リウさん(第3位、マズルカ賞) ─コンクールの準備を始めたのはいつごろでしたか? ショパンの作品には、ずいぶん昔から取り組んでいました。そうしたレパートリーを改めてちゃんと勉強し始めたのは、書類選考を通ったことがわかった頃です。その後予備予選を通ってから、これまで勉強したことのない作品にとりかかりました。ショパンのピアノ協奏曲も演奏したことがなかったので、新たに勉強しなくてはいけませんでした。 ただ、新しい試みに次々挑戦しているという感覚だったので、コンクールのためだけに半年で勉強したという感じでもないんです。 ─どのようにしてご自分のショパンの音楽を見つけていったのでしょうか。 何かをコピーするのではなく、インスピレーションを大切にしました。 今回、コンクールにむけて勉強している中で、自分にとってお気に入りのピアニストをようやく見つけたんです。その演奏を聴いていると、どんどんモチベーションも上がるし、とにかく楽しかった。ピアノや音楽を通じて、いろいろなことができるような気がしてくるんです。 これが、私がコンクールの準備をする中、インスピレーション得ながらモチベーションを保つことができた秘訣だったのかもしれません。 ─……それで、そのピアニストとは、どなたなのでしょう? エミール・ギレリスとグリゴリー・ソコロフです。ようやく、彼らが私の好きなピアニストだって確信したんです。ショパンの演奏に限って言えば、クリスチャン・ツィメルマンも加えます。 ギレリスを聴くときには、ショパンコンクールの前だからといって作品を限定することなく、プロコフィエフやバッハなどいろいろな作品を聴きました。 ─そういえば、ケイトさんはプロコフィエフあたりを弾いたらすごくよさそうですよね。 えっ、本当に~!?(なぜか大爆笑) 昔の私はクールで派手な作品が大好きで、みんなをワオ!と言わせたいという気持ちから、プロコフィエフが大好きだったんですよ。今よりもっとエモーショナルにピアノに入り込んでいたと思います。今もプロコフィエフの作品は弾いて楽しんでいますが、どちらかというとリリカルな作品を好むようになりました。 ─そうだったんですかー。いつか聴いてみたいです。ところで、ソロのステージではヤマハを弾いていて、コンチェルトでスタインウェイに変えましたが、その理由は? ヤマハのピアノの音は厚みがあって、レンジが幅広く、音を楽しめそうだったのでソロのステージで演奏しようと思いました。ウナコルダのペダルもとてもうまく働いていました。 うまくコントロールしないとメタリックな音になりそうだったので、そこは注意が必要でした。 スタインウェイの音は輝いていてブライトな印象があり、遠くの聴衆まで届くと思ったので、コンチェルトで演奏しようと思いました。オーケストラと演奏するときは、自分の音がオーケストラの音の間をぬけてホールの後ろまで届かないといけません。ただ大きく弾くだけでは音が割れてしまいますから、よく考えてコントロールする必要がありました。 実はファイナルのリハーサル中、2階席で聴いてくれていた人から、音が割れているし、ピアノを壊しそうな勢いだと言われちゃって! スタインウェイは音が遠くに飛んでいく楽器だから、そんなに強く鍵盤をたたかなくて大丈夫だといわれました。だから、本番ではすごく注意して演奏しました。 ─あのホールは、ステージで自分の音がよく聴こえますか? はい、いつもだいたい良く聴こえていたのですが、オーケストラリハーサルのときは良く聴こえなくて、ずいぶん鍵盤をたたいてしまったんです。でもそんなことをしなくても大丈夫だとわかったから、本番は心配せずに演奏しました。 ─ファイナルでは、ドレスもそれまでの黒から白に変えましたね。 赤いドレスも持っていたのですが、ショパンには合わないかなと思って(笑)。白のほうが上品でショパンの音楽に良いかなと思いました。 ─あとは、マズルカ賞も受賞されましたね。 そうなんです、驚いています(笑)。最初、マズルカの感覚をつかむことは難しかったのですが、自分の中で一度理解したあとは、ダンスの感覚を自然に再現していきました。 ─マズルカといえば、ケイトさんの先生のダン・タイ・ソンさんが全曲録音をしていますよね。彼から学んだこともありましたか? もちろんダン・タイ・ソン先生のレッスンは受けましたが、マズルカについて集中的に何かを習うことはありませんでした。彼の演奏するショパンの録音は、今回ショパンの作品を準備するうえで大きな助けになりました。 彼は、出場していた4人の生徒のうち3人が入賞して本当に喜んでいました。私たちがステージに出る時、いつもすごく緊張したとおっしゃっていました(笑)。これまで師事した先生の中でも、最高のすばらしい人物です。 ◇◇◇ 以上、ケイトさんのおまけインタビューでした。 ショパンについての想いを語り出したときの夢見るような表情が忘れられません。 (そのコメントは、別のところで紹介していますが…) 彼女の演奏について、後に公開された採点表で、ポーランド人の審査員勢がみんな高評価をしていることが印象に残りました。なかでもパレチニ審査員にはお話を聞くことができたので、またご紹介します。すごい褒めっぷりです。 ★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、 下記サイトもあわせてご覧ください。もう少し真面目です。 ジャパン・アーツHP ケイト・リウ インタビュー [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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チョ・ソンジンおまけインタビュー
“【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、 さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】 チョ・ソンジンさん(第1位、ポロネーズ賞) ─コンクール中の3週間で、印象に残っている出来事は? そうですね、まずそんなに長い時間練習していませんでした。スタジオと大学の練習室で、だいたい1日4時間くらい。それで他の時間は、ほとんど毎日、部屋でゆっくりお風呂に入っていました。リラックスしながら、音楽を聴いていました。 ─お風呂で音楽とはまた意外な。何を聴いていたんですか? ラヴェルのコンチェルトです。 ─ショパンじゃないんですね。 コンクールのあと演奏会で弾く予定があったので、耳で練習していたんです。でも、ショパンも聴きましたよ。アルゲリッチやコルトーの演奏を聴いていました。のんびり楽しみながら。 ─ところで、ファイナルのピアノ協奏曲第1番の演奏はとても楽しかったとおしゃっていましたね。 はい、4ステージで初めて満足のいく演奏ができました。この作品はショパンが19歳のときに書いたもので、ピュアで若さに溢れ、繊細で、楽観的です。ショパンには当時、好きな人がいたこともよく知られていますね。だから、あまりにセンチメンタルに演奏されることなく、若く輝かしい、純粋な感情とともに演奏されるべきだと思っています。ブラームスのような演奏になるべきではありません。今回、ファイナルのオーケストラの演奏は、冒頭がちょっとマーラーのようなスタイルでしたけど。 ─オーケストラとコミュニケーションをとるのに充分な時間はありましたか? いいえ。リハーサルがあって、別れて、そのまま本番でしたから。でも、指揮のカスプシックさんは僕のアイデアやルバート、タイミングを理解して全部合わせてくれたので、よかったです。 ─冒頭のオーケストラパートが長いですが、何を考えていましたか? 自分のテンポについてです。かなりゆっくりめの演奏だったので……。 僕の理解では、ショパンの初期のロマンティックな作品は、重すぎずフレッシュなテンポが良いと思っていたので。 ─ショパンが今のソンジンさんくらいの年の頃に書いた作品ですよね。 僕はもう21歳ですから、彼のほうが若かったですよ。 ─そうですね……ご自分の経験を重ねて演奏したりとか? それはないですね、残念ながら。ふふふ……。 ─ショパンコンクールにむけての準備で気を付けたことは? そんなに準備したという感覚はないんです。「24のプレリュード」以外は、もともと子供のころから弾いてきた作品ですから。 例えば、ポロネーズやスケルツォは浜松コンクールでも弾いていますし、ピアノ協奏曲第1番はモスクワのショパンコンクールで2008年に弾いています。幻想曲は14歳で弾いていますし、マズルカやノクターンも演奏したことのある作品でした。だから、僕の人生のショパンレパートリーの集約みたいな感じでしたね。 ─21歳、人生のレパートリーということですね。 ……この歳で、ちょっと変かな(笑)。 僕はもともと6歳で趣味としてピアノを習いました。とてもシャイな子供で一人っ子だったから、一人ぼっちにならないように何か楽器をということで、ピアノを始めたんです。ヴァイオリンも習いましたが上達しませんでした。 ずっと1本ずつの指で弾いているようなレベルだったんですが、10歳のときに10本の指で弾き始めました。そこから本当に急速に勉強したんです。練習は好きではありませんでしたが。 ─それで、5年半後には浜松コンクールに優勝したんですね。あれだけの技術をそんな短期間で……。 僕の技術は、伝えたい音楽を表現するには充分かもしれませんが、特にずばぬけているわけではないと思います。15歳のときからほとんど手の大きさも変わりません。 ─手といえば、コンクールの動画配信を見ていたら、ステージに出る前に手のストレッチをしつつ指をポキポキ鳴らす様子が映っていましたね。けっこう大きな音がしていて、若干心配になるレベルでしたよ。大丈夫なんですか? 癖なんです。8歳くらいからやっていますが、今のところ大丈夫です。20年後には手がおかしくなっているかもしれないけど(笑)。まあマッサージみたいな感じで気持ちがいいんですね。多分指の動きのためにも良いんだと思います。 [ここからは、チョ君の“ひねくれジョーク劇場”です] ─ところで、ピアノとはあなたにとってなんですか? 楽器です。あとはダイナミクスの表記です。小さく弾きなさいという。 ─……おっしゃる通りです。それでは、ピアノから美しい音を出すための秘訣は? いい調律師さん、ですかねぇ。 ─なるほど。それでは、ショパンはあなたにとってどんな存在ですか? 偉大な作曲家です。あとは、僕たちに仕事をくれる雇用者。 ─なかなか現実的なご回答で。 ショパンのことが嫌いになれるはずないですよ。彼はあんなにたくさんピアノの作品を書いて、僕たちに仕事をくれるのですから、彼のことは尊敬しなくては! ─……浜松コンクールで会った15歳の頃は、そんなジョークは言わなかったのにね。どうしたんですか。 あのころは英語がうまく話せなかったから、言えなかっただけです。 ─確かに、こちらも韓国語はできないから、困ってステージの前に何を食べたかばかり聞いていた記憶が。 覚えてますよ……。 ◇◇◇ ……というわけで、気になって昔の浜松コンクールのレポートを見返したところ、会話のトピックスは「スパゲティ」「うなぎ」「ハウル」でした…。それにしても発言が初々しいチョ君15歳! ↓ http://www.hipic.jp/hipic/history/7th/topics/7th/13.php http://www.hipic.jp/hipic/history/7th/topics/7th/22.php http://www.hipic.jp/hipic/history/7th/topics/7th/3-2.php (まともなインタビューは下記をご覧ください) ★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、 下記サイトもあわせてご覧ください。 ジャパン・アーツHP チョ・ソンジンインタビュー [家庭画報 2016年1月号 Kindle版]”
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第9回浜松コンクールの思い出
“コンクールラッシュの2015年、10月以降、一体どうなってしまうんだろう…と不安に思っていましたが、そんな時期も無事に乗り越え、年内にアップすべき原稿は一応すべて提出でき、無事に年末を迎えることができました。 この3ヵ月は本当に充実していました。そしてものすごく書きました。 ショパンコンクールについての関連記事は、ガラ・コン日本ツアーまでこの後も更新していこうと思いますが、まずここで浜松コンクールについてのまとめの記事を一つ書こうと思います。 改めまして、2015年11月21日~12月8日まで開催された第9回浜松国際ピアノコンクール。今回はコンクール公式サイトの「オフィシャルレポート」で毎日の演奏の紹介と、終演後のコンテスタントのコメント、そして「審査委員インタビュー」で審査員のお話を書いていました。 終演後のコメントは、一人で書いている都合もあってどうしてもタイミングの合う方々をピックアップする形になってしまいましたが、やはりこうして見返すとなかなかみなさん、キャラ濃いですね。現代作品作曲家のインタビューからも、多くの発見がありました。 ◇毎日のレポートと演奏後コメント、入賞者インタビューはこちら http://www.hipic.jp/news/officialreport/ ◇審査委員インタビューはこちら http://www.hipic.jp/news/interview/ ファイナルまで残らなかったけれどすばらしい演奏を聴かせてくれた方、最初から最後までやたら存在感がすごかった方など、いろいろ。 3年ぶりに浜松に戻ってきて大人になっていたオシプ君、繊細で独特の表現力に注目していたんですが2次では演奏後“異常に疲れた”と言っていたジャン=ミシェル君、個性的かつ気品ある演奏がものすごく主張してきて、個人的にはなんで1次で落とされねばならなかったのかよくわからないショイヒャーさん(自分が話した方々はかなりこの意見に同意してくれていましたが…審査員の先生方も含め…)、あと、こちらも3年ぶりのカムバック、ステージ上で昆虫気分だったというアシュレイ・フィリップ君。 妙に貫禄のあった若いロシア勢も(演奏だけでなく存在感が)印象に残ります。現代作品を個性的に弾いて作曲家をびっくりさせていたマイボロダさん、いつもぷらぷらしているにいちゃんというイメージだったのにプロコフィエフ論を語り出したらやたら熱かったマーク・タラトゥシキンさん(今年プロコフィエフとバルトークの録音をリリースしたらしいのでご興味ある方はどうぞ)。 あとは、リード希亜奈さん、イアンジョー・チャン君、色白で不思議さんキャラ(と勝手に理解)な沼沢淑音さん、ドバイ&ロンドン育ちの三浦謙司さんも演奏が記憶に残っています。他にもいろいろあって挙げきれませんが、たとえばたった20分聴いただけでも演奏が記憶に残っている人もいるもので、人の感覚って不思議だなと。 演奏動画は、2016年1月31日まですべてこちらから視聴することができます。 今回のコンクールは、入賞者含めて明るくフレンドリーな人たちが多くて、なんだかとても楽しそうにしていたのも印象的でした。 前述のショイヒャーさんなんかは他のコンテスタントの仲間たちと富士山までいって、湖だか海だかで寒中水泳してきたようですし(ドイツやオーストリアに比べたら全然寒くないから平気だと言っていましたが……)、タラトゥシキンさんも滞在がよほど楽しかったのか、「それじゃあ多分また3年後~」と言って帰って行きました。また参加する気まんまん! ボランティアでホームステイを受け入れてくれたホストファミリーの方々のおかげですね。嬉しいことです。 さて、そして濃いキャラ揃いの入賞者の面々。最後にとったロングインタビューもようやく全部まとめました。公式ウェブで公開中です。 ◇アレクサンデル・ガジェヴさん(第1位、イタリア/スロベニア) ◇ローマン・ロパティンスキーさん(第2位、ウクライナ) ◇アレクシア・ムーサさん(第3位、ギリシャ/ベネズエラ) ◇アレクセイ・メリニコフさん(第3位、ロシア) ◇ダニエル・シューさん(第3位、アメリカ) ◇フロリアン・ミトレアさん(第4位、ルーマニア) 頭の良さとハチャメチャさが絶妙なバランスで同居しているガジェヴさんとは、話をするたびに違う印象を受けたので、けっきょく彼が何者なのか未だによくわかりません! まだ粗削りなところがありながら、音楽性、キャラクター、バックボーンの全面から見て、このあと大飛躍の可能性のある人なのではないでしょうか。 ロパティンスキーさんはあの親しみやすくかわいらしいおばさま顔(スカーフかぶったら似合いそう)と、やっぱりファイナルのラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番が印象に残ります。穏やかで控えめなピアノで始まり、ソロパートでずいずい自己主張をし、最後にはオーケストラを巻き込み一体となってぐわ~っと進んでいく様から、自分はなぜか「スイミー」の話を思い出しました。あの、赤い魚の仲間たちから仲間外れにされていた黒い魚が、最後みんなと一緒に大きな魚を形づくってマグロかなんかに対抗する話。思わずその感想を伝えたら「へぇ…ちょっとよくわかんないけど、そうですかぁ、おもしろいね」という反応をされましたが。そりゃそうなりますよね。わけわからなくてごめんね。 ムーサさんは今回ゆっくり話すことができてすごくよかったと感じた人です。ショパンコンクールのときから何か興味をひかれる演奏で(でもコンクールだと難しいかなと思うステージもあったりして)、しかしワルシャワではやたらプレスから人気が高かったので話しかけるチャンスがなかったという。自由奔放でオープンでありながらクラシカルなものを愛する彼女。おもしろい人です。 なんとなく気が強そうな女性という印象を受けるかもしれませんが、とても繊細な人なんだなと私は思いました。ショパンコンクールのあともあまりに気持ちが疲れていたので、新作の暗譜のこともあったし、浜松はどうしようかだいぶ迷ったみたいです。それで今師事しているアリエ・ヴァルディ先生に意見を求めたら、「行け!」と背中を押されたそう。ナイス判断、ヴァルディ先生! とても尊敬し、信頼をよせる存在なのだと言っていました。 ダニエル・シュー君は18歳とは思えぬ悟りっぷり。確かな自信と上を目指す気持ちが感じられると同時に、自分の中で音楽をする意味をもう見出しているのだと。あの一見パカーッと明るい様子に惑わされがちですが、ブラームスのOp.117をガラコンに選んでああいう演奏をするところからも、それはよくわかりますね。今後が本当に楽しみな人です。 アレクセイ・メリニコフさんについては、1次から毎ステージ、しみじみいい演奏を聴かせてくれていました。スタートの選曲が常にシブい。しかしあの美しい独特の音色はちょっと忘れられません。ガラコンサートのシューベルトからスクリャービンで聴かせた音もずば抜けていました。また機会があるときには、必ずや聴きに行きたいピアニストです。 ミトレアさんは、3次の演奏が本当に良かった。室内楽はもちろんですが、シューベルトとプロコフィエフも緊張感のある演奏で、緊張しいの性格がうまく作用したステージだったのではないでしょうか。常に折り畳み傘を持ち歩く心配性キャラが、かわいらしすぎました(ロンドン暮らしが長いせいだとは、ご本人の談)。 「ずいぶんハッピーな表情で弾いてましたね」「オーマイガ~!全部フェイクだし~!」という初めての会話が忘れられません。あのニッコニコが全部うそだったら人間不信になるところですが、さすがに室内楽の時の笑顔は本物と聞いて安心したという。 こうして取材をしたコンクールでも、正直言って時間がたつと「あれ、このときの入賞者6人て誰だったっけな」と思うことがあるのですが、今回の浜松コンクールの入賞者は忘れない気がします。それほど全員キャラが立っていました。 審査員の先生方のお話も本当に一つ一つ印象に残っています。 またここで紹介していくと長くなってしまうので控えますが、ぜひ、お時間がある時に読んでほしい。 ちなみに私の中で密かにヒットしているのは、いろいろな個性がありそれぞれの良さがあるという話のとき、その例としてアルゲリッチさんが「薔薇とジャスミン」と花を挙げたのに対して、海老さんが「トマト、ピーマン、なす」と野菜を挙げたところ。「わ、野菜で来たっ!海老先生かわいい…」と心の中で思ってました。でもそれにつづいて「それぞれから違う栄養を得られる」とおっしゃっているのを聞いて、ものすごく納得。 コンクールを受けるのって、時間も労力もかかるし、精神的にも本当に大変で、それでも若いピアニストたちは何かの可能性を見出して、全力で挑戦している。こういうイベントが、演奏家にとっても、音楽を楽しむ人にとっても、最高の形で生きるようであったらいいなと思います。 そのために何ができるか……。これからも考えてゆかねば。”
2014
3月
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ピアノの惑星、始めます
“ピアノにまつわるいろいろなことを紹介するウェブサイトを始めることにしました。 ピアニストには実におもしろい人が多いですね。 歴史上の作曲家にも、かなりおもしろい人が多いですけど。 変な人とすばらしい天才は、紙一重ですね。 ですが普通どこかの雑誌やウェブサイトに何かを書く時には、 さすがにおこられるような気がして余計なことを思う存分書くことができないので、 自分で自由に書くことができる場所が欲しかったというのが、 このサイトを始めることにした主な理由です。 普通の音楽情報サイトとは少々切り口の違った形で、 ピアノにまつわるいろいろなこと、 ときにはピアノに全然関係ないいろいろなことを紹介していこうと考えています。 ピアノや楽しいことが好きな人たちが集まる場所にしたいと思っていますので、 どうぞよろしく!”
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どうしてピアノが好きなのか
“まだ最初なので、この妙なタイトルのサイトを始めた自分が何を考えているのかについて、もう少し書きたいと思います。 そもそも、学生時代はせっせとインドの研究をしていた自分が、なぜクラシック音楽、それもピアノの専門誌で仕事をすることになったのか。 それは話せば長くなるようであり、成り行きの一言でかたづけられるところでもあるのですが、一番大きいのは、やっていることの根本的な心の動きに共通するものがあったからだと思います。 私は幼少期からけっこう長らくピアノをやっていましたが、それはかなりイヤイヤで、あまりに練習しないので母に月謝袋を破かれたこともありました(泣きながら貼り合わせてみると、それは前年の古い月謝袋でしたが。しかも母は本気でまちがえたらしい)。 流行っていたからなんとなく始めることになったピアノであり、演奏会に連れて行ってもらうこともなく、なにかCDを与えられることもなく、よって誰かのピアノ演奏で感動することなどただの一度もないまま、自分の13年間ほどにわたるピアノ人生は幕を閉じました。 その後、大学に入るとピアノに触れることもなくなり、インドのスラムに入り浸ったりして大学院を卒業したあと、ピアノの専門誌で編集の仕事をすることになったわけです。 ピアノやクラシックを聴く喜びに目覚めたのは、ここから。おそっ! それで、最近つくづく実感するのですが、自分がクラシック音楽をこんなにも聴くようになった理由のひとつは、この音楽やそれに関わる芸術家に触れていると、人間とか人生について思い悩んでいることの解決の糸口が発見できたり、ひらめきが訪れたりすることが、わりとちょいちょいあるからのような気がしています。もちろん純粋に音楽に感動したり、打ちのめされたりしていることもありますが。 そういう発見は、シンプルに演奏を聴いているだけで受け取れることもあるし、インタビューをする中で相手から湧き出した言葉から教えてもらうこともあれば、彼ら、音楽の神に選ばれしヘンタイ(いい意味で)の無意識の動きを観察する中で、勝手に発見することもあります。 そうして人が語る言葉の意味を発見するためには、まわりのいろいろな背景を知っていなくてはいけません。もっと勉強しなくては。そしていろいろなことに気が付ける自分でいなくては。 で、ここでインドが出てくるんですが。 ああやって、自分とは違う価値観、能力を持ち合わせて生きている人たちの言葉を注意深く聞いていると、自分が思い悩むような多くのことがとても小さなことに思えてくるわけです。 その価値観は普遍的なものなのか?否。今自分が悩んでいることは、ところ変わればどうでもいいことなのだ、みたいな。 スカッとしますし、次いで新しいアイデアが浮かんできます。ところ変わろうがどうなろうが、悩むべき問題もときにはあるかもしれませんが、ではそもそも社会や人間の存在とは……みたいな話になってくるので、それはこのあたりでやめておこうと思います。 中でも同じ時代を生きているピアニストにフォーカスしたくなるのはそのためです。まだ見ぬすばらしい演奏に触れる喜びはもちろんですが、その人が誰も知らないおかしな思考回路を持ち合わせているかもしれなくて、そんな話を聞くのが私は大好きなのです。そして当然、その人の音楽はそこから生まれているわけですし。 だから別にコンクールが好きなわけではないんですが、ひとつひとつ見知らぬピアニストの演奏会に通うには限度がありますし、そもそも東京で演奏会を開く前の段階にある人に出会うには、やっぱりコンクールという場に頼るしかない。演奏後、話を聞くチャンスも持ちやすいし(迷惑かもしれないけど)。 というわけで、けっこうおもしろそうな人の集まっているコンクールを現地で取材するのは好きです。 こう考えると、もしかしたら、本当はピアノじゃなくて、なにか別のものでもよかったのかもしれない。 でも、ピアノの音は特別好きなんですよねぇ。それを思えば、月謝袋を破かれながらも13年ピアノを弾いていたことは、無意味ではなかったのかもしれません。 ちなみに、今私がこの仕事をしていることを、私のかつてのピアノの先生は知らないと思います。多分、めちゃくちゃびっくりするだろうな。  ”
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横山幸雄・超人伝説
“先日行ってきました、西麻布の「リストランテ ペガソ」。 ピアニストの横山幸雄さんがオーナーをしているイタリアンレストランです。 横山さんのお店、以前は恵比寿駅と渋谷駅のちょうど真ん中くらいにありましたが、 昨年、今度は表参道駅と広尾駅のちょうど真ん中くらいのこの場所に移転しました。 駅と駅の間が好きみたい。 わたくし、実は移転後のお店で食事をしたことがないのですが… 同じシェフのお料理は前のお店でいただいておりまして、 お皿はひとつひとつ美しく、繊細かつパリッとしたお味で、かなり好みでした。 北海道出身のシェフということで、ジビエ系がお得意とのことだったような。 そしてワインはユキオ・ヨコヤマセレクトのラインナップですから、間違いありません。 で、この日は食事にいったわけではなく、ラジオ「みよたカンタービレ」の出張収録でした。 今年も5月のゴールデンウィークに開催される「ショパン全曲演奏会」について、 大いに語っていただこうということで、突撃インタビューです。 放送は来週の土曜日あたりかな? Webにアップされるのも4月の初旬になると思います。 横山さんのショパン全曲演奏会も、今年でなんと5回目を迎えます。 1年目こそ、アイデアを聞いた瞬間はぶったまげましたが、 今となっては「あーまたやるんだ。今度はどんな内容?」みたいな感じになっているから、 人間の慣れとは恐ろしいものです。 過去4回、少しずつ内容を変化させながら開催されてきましたが、 今年は2日間にわけて、これまでで最大曲数を取り上げるとのこと。 実は、現在配布中のぶらあぼ4月号 で、インタビューを書いています。 おそらく誰もが感じているであろう 「横山幸雄は一体どこに向かっているのか? なんでこんなに大変なこと(だと普通の人間は思う)を毎年やっているのか?」 についても切り込んでおりますので、ぜひお読みください。 で、今回ここではこうした記事の中では書ききれなかった(書けなかった)ことを中心に、 いくつかの「横山幸雄・超人伝説」の中から あえてどうでもいいものをご紹介したいと思います。 まずその1。 これは有名な話ですが、『1日1食しか食べない』。 朝起きてお腹空いてないんだろうか…とかいろいろ疑問に思いますが、 日中は本当に食べないらしいです(水は飲みます)。 そして、夜1食ちゃんとしたものをたっぷり食べるらしい。 これは、全曲演奏会の日でもそうなんですって。信じられなーい。 以前「お腹空いたという感覚がないんですか?」と聞いてみたところ、 「そういう意味では、常にお腹空いてるね」とのこと。、 まるで、ストイックなトップモデルのような発言だ。 食べると集中力が鈍るとか、いろんな理由をおっしゃっていましたが、 自分がいまだに妙な共感とともに記憶しているのは、 「変なもの食べるくらいなら、食べない方がいい」と言っていたこと。 確かにね。 忙しい合間に添加物たっぷりのカップめんやらコンビニ弁当を食べるくらいなら、 何も食べないほうが体にいいのかもね。まあ、真似はしないほうがいいと思いますが。 その2。 『練習は短いほどいい』。 これはぶらあぼでのインタビューの中でも書きました。 これだけの演奏会をこなしている横山さんはどうやって練習時間を確保しているのか? と尋ねたところ、この話が出ました。 曰く、 「練習しているということは向上しているということ。 練習し終わった状態が一番良いとすれば、 練習中は理想的でないモノをずっと自分の耳に聴かせることになるでしょ、 そうすると自分の耳を、どんどんバカにしていることになるから。 実際にどれだけ短くできるかは別にしても、基本的に、僕はいつもそう思ってる。 だから、頭の中で構想もまとまっていないのに練習するのは、無意味どころか毒。 もちろん、ある動きを覚え込ませるため、また毎回変わる本番の状況に対処できるように、 指を慣らしておく練習をすることはどうしても必要なんだけど」 …なんていうか、圧倒的な運動能力を持つ指と、 過敏ともいえるほどの耳を持っている人ならではの発言だなと思いました。 そして、その3! 『電話番号が全部ショパンの作品番号に見える』。 全曲演奏会の日、暗譜はもちろん、演奏順を覚えるのだけでも大変ですよね? みたいな話題になったときに出てきたお話。 基本的にショパンの作品のOp.番号はほとんど頭に刻み込まれていて、 それによって演奏順を覚えているらしいんだけど (だから、ナショナルエディションの作品番号が出てくると一気に混乱するらしい) 結果、人の携帯の電話番号も、2ケタずつに分かれてショパンの作品番号に見えるうえ、 見ると頭の中で音楽が流れるらしい…。 これはもう、インド人もびっくりですよ。 (インド人って電話番号めちゃくちゃ覚えてるんですよね。 歩く電話帳のような友人がたくさんいます) というわけで長くなりましたが、インド人もびっくりの超人・横山幸雄。 その演奏クオリティの絶対的な安定感、クールと見せかけて熱い表現。 私にとって、任せて安心(?)、繰り返し聴きたいと思うピアニストの一人です。 横山さんのショパン全曲演奏会、今年は5月3日、4日の2日間! 両日聴けばショパンが降臨する瞬間を感じられると思いますが(自分も一度経験済み)、 初日はかなり演奏機会の少ない作品が目白押しですので、 一度は聴いておくといいと思います。”
4月
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プレトニョフの季節
“わたくし、プレトニョフ氏のこの動画がかなり好きなんですが。 https://www.youtube.com/watch?v=lH-26ObpAuE 演奏の動画じゃなくてすみません。昨年の、来日によせての動画ですね。 しかしこの、良い感じにひねくれたユーモアセンスが光輝いている、秀逸な日本語メッセージ! こういうしゃべり方のオッサンが身近にいるせいなのか、 それとも本当は正確な話し方がわかっているのに あえてこういう“日本語っぽい”イントネーションを模倣しているのか、 そのあたりはわかりませんが、 とにかくこの直球じゃないユーモアセンス、これを堂々とできる肝の座り方、 憧れます。 さて、プレトニョフ氏といえば、 自分の求めるものに応えてくれるピアノがないと言ったとか言わないとかで、 何年もの間、演奏活動は指揮者としてのみで、 ピアニストとしての活動からは遠ざかっていましたね。 それが 数年前モスクワで出会ったカワイのピアノをとても気に入り、 再びリサイタルツアーをすることを決めたのだとのこと。 なんていい仕事してくれたんだ、 河合楽器製作所!! 先に行われた6年ぶりのヨーロッパツアーは、 ご自身で静岡の竜洋工場にやってきて選定したSK-EXとともに行ったんだって。 緻密な音楽づくりで知られるプレトニョフをして、 このピアノならば自分の要求に応えてくれるだろうと思わせたのだから、やはりすごい。 そんな“ピアニスト”プレトニョフ氏が、もうすぐ日本にもやってきます!! 今回ももちろんカワイの最上位機種のコンサートグランド、 シゲルカワイSK-EXが用いられる予定とのこと。 プレトニヨフが惚れ込んだ音とは、 そして、あの天才が表現する理想の音とはどんなものなのか、 それを確かめるためだけでも、会場に行く価値がありますよね。 東京公演は、浜離宮朝日ホール(5/23リサイタル)と 東京オペラシティ(5/27協奏曲、5/29リサイタル)があります。 あとは関西で兵庫県立芸術文化センター(5/28リサイタル)。 東京の2つのリサイタルは、それぞれまったく違うプログラム。 ある筋の情報では、浜離宮のほうの残席がそろそろ少なくなってきているとのこと。 まだの方は、チケットお早めにおさえておいたほうがよさそうですよ!! 席数550余りの浜離宮ではきっと、プレトニョフの弾くシゲルが、 隅々まで見事なまでによく聴こえちゃうことでしょう…そうでしょう…そうでしょう…。 …これだけ言っておきながら、 今回わたくしこの時期ある取材のために日本脱出を計画しており、 どの公演もまったく聴けません。 そんなわけで、書いていてだんだん辛くなってきたので、 このあたりで終わりにしておこうと思います。”
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福間洸太朗さんのインタビューにて
“「ピアノの本」5月号(5月から配布スタート)で、 福間洸太朗さんのインタビュー記事を書いています。 (表紙のおコメ顏の人は誰だ?と思ったら、どうやらメンデルスゾーンらしい) 福間さんにインタビューをするのは今回が2回目。 確か前回はドビュッシーのCDが出たばかりのころで、 「徹子の部屋」の放送がある直前。つまり、もう2年近く前か…。 オープニングで福間さんと連弾している徹子さん、めちゃくちゃ楽しそうだったなー。 で、今回のインタビューで主にお話をうかがったのは、 6月11日にヤマハホールで行われる、 泉ゆりのさんとのデュオリサイタルについてでした。 ふたりの共演はピティナのデュオ部門で金賞をとった高1のとき以来ということで、 当時デュオを組むことになったいきさつなども語ってもらいました。 ふたりは今ともに31歳、 シューベルトが世を去った年齢に達したということで、 シューベルトの晩年の作品や、 その他の作曲家が31歳のときに書いた作品を取り上げるというプログラム。 かなり趣向がこらされた内容です。 ところでこのインタビューで興味深かったのが、 本番前、イマイチしっくりこないピアノに出会ってしまった場合は、 自分がとても好きな作品をゆっくり弾いて、ピアノを馴染ませる、というお話。 「フランス語では“アプリポワゼ”といって、飼い慣らすというような意味なんですが…」 とおっしゃっていましたが、 そのときに弾く曲は、決まっているそうです(記事をご参照くださいませ)。 で、インタビュー終了後、 ピアノを弾いているカットもおさえたいということで弾いてもらうことになったとき、 福間さんたら、初対面のCFXでその曲をゆっくり弾きはじめるわけですよ…。 しかも、とても愛情をこめている感じで、実に美しく。 ああ、今まさにピアノがアプリポワゼされておる…。 そう思ったら、なんだかイケナイ場面をのぞき見していているような気がしてきて、 曲が終わるまでの時間、ひとりでやたらドギマギしてしまいました。 弾き終わって、「これがその曲です!」とさわやか~に声をかけてくれた福間さんに、 ちょいとあなた、今私にえらいもん見せたね!と心の中で叫んでおりました。 誌面には、そんなCFX飼い慣らし中の福間さんの写真ものっています。 冊子はヤマハや楽器店で無料配布されていますので、ぜひご覧くださいませ。 この号ではその他、島田彩乃さんのインタビュー、 児玉桃&小曽根真デュオリサイタルのレビューも書いています。 ホジャイノフ君のヤマハホール公演のレビューも載っていましたよ!”
5月
03
LFJ、クラシックソムリエ協会ブース!
“つい先日、 「クラシックソムリエ検定シルバークラス対策公式テキスト」 ~世界で一番ためになるクラシック音楽中級の本~ という書籍が、ぴあから発売されました。 クラシックソムリエ検定のシルバークラスを受検するみなさんから、 どこを勉強したらいいのかわからないんだけど!! …という半ば苦情に近いリクエストが多数届いたことから、一生懸命作りました! エントリークラス向けの入門テキストでは36人の作曲家が主に扱われていますが、 ステップアップしたシルバークラスでは、 これに加えて50人がどどっと出題対象に追加されます。 そんなわけで、モンテヴェルディやベッリーニ、グリンカやヴィラ=ロボスなど、 とっても大切だけど多少マニアックね、と分類される作曲家のことも、 好評だったエントリークラス向けテキストのわかりやすさそのままにご紹介しています。 さらに今回自分でも気に入っているのが、 本の冒頭に入っている、政治や美術・文学から音楽を読み解くと言うテーマの項。 そういう観点で見ていくと、数珠つなぎでどんどん関心が広がって行って、 聴きたいと思う音楽もどんどん広がっていくもんね。 ここはぜひ、みなさんにじっくり読んでいただきたいです。 本当に、世の中には知らないおもしろいことがたくさんあるもんです。 というわけで、受検しない人にもとても役に立つ本だと思います! ちなみに目次のページはこんな感じ。 謎解きスタイルで、おもしろいですよ。(クリックして大きくしてご覧ください) 今年の検定は10月12日(日)です。東京、大阪、金沢、そして浜松で開催! さて、そんなクラシックソムリエ検定の公式テキスト、 このGWに開催されるラ・フォル・ジュルネ、東京の会場でも販売されます。 ガラス棟地下2階展示ホールの片隅に出展するクラシックソムリエ協会ブースで買うと、 かわゆい作曲家バッヂがおまけでついてくるので、 どうせ買うなら、クラシックソムリエ協会の人々とおしゃべりがてら、 ぜひ遊びに来てください! みんなで店番してます。 ちなみにブースでは、毎年LFJのテーマに合わせて お洒落でひとひねりあるおいしいコーヒーを開発してくれる、 Browns Café & Beansのコーヒーも販売していますので、ぜひ! そして、いくつかイベントにも出ます。 まずは5月4日、14:00頃から(→13:30になりました)ガラス棟地下1階のブースで、 ピアノにまつわるトークと、ピアニストの公開インタビュー的なことをやるっぽいです。 (まだ、よくわからない) また、最終日、5月5日、16:30からは、 ガラス棟地下2階の展示ホール内、赤い六角形ステージにて、 毎年恒例、指揮者の曽我大介さんとクラシックソムリエ協会のコラボイベントをやります。 前夜祭でも大好評だった「みんなで歌おう第九」コンサート! 今回もクラシックソムリエクイズに答えて賞品があたるコーナー付きです。 わたくしがこのイベントでMC的なものをやるのも、今度で3回目… だんだん肝が据わってきたみたいで、異常にドキドキしたりはしなくなってきましたが、 苦手なもんは苦手なので、早く無事に終わってほしいです。 というより、去年は曽我さんがオーケストラに、 嫌がらせとしか思えない超絶長いカタカナ名をつけたせいで苦労しましたが、 (途中で2、3回舌噛んで気絶しそうな勢いの名前でした。覚えてすらいない…) 今回の演奏は、アマデウス・ソサイエティ・オーケストラ。 心おだやかに本番が迎えられそうです。 遊びに来てくださいね!”
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うしだくん
“先月末、なぜか偶然 牛田智大さんと牛牛さんのインタビュー原稿締切が同じ日に重なって、 モーモーさんなティーンエイジャーの原稿ばかり書いている時期がありました。 牛牛さんのインタビューは次号のぶらあぼに掲載されますが、 まず、牛田智大さんのインタビューがジャパン・アーツのHPで公開中です! 今回は、来る6月、ウィーン・カンマー・オーケストラと ショパンのピアノ協奏曲第2番を演奏することについて主にうかがいました。 2014年6月5日(木) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール 久しぶりにお会いした牛田さん。 さすがティーンエイジャー、ちょっと見ない間に成長してるなと思ってふと手を見ると、 デカっ! インタビュー中の話題にも出てきますが、日々手が大きくなっているらしく、 そのせいで練習中、隣の鍵盤をひっかけることがあるというからすごい。 ジャパン・アーツのYoutubeにアップされていた 作品に寄せてのコメント動画を見たら声変わりされていたので驚きましたと言うと、 (まだ恋をしたことがないので、福島の祖父母によせて演奏します、という可愛らしい内容) 「今までと同じことを同じ気持ちで言っているのに、 なんかキモちわるく聞こえて、いやなんです!!」 とのこと。 そんなことないって、牛田くん! 興味深かったのは、これもインタビュー原稿の中に書いていますが、 「ショパンの作品はどこか、さっきまで深刻に悩んでいたのに、 最後で急に、“なんちゃって!”みたいに明るく解決に向かうところがおもしろい。 諦めのようにも聴こえるんですが、その傾向は晩年にいくほど強いと感じます」 というお話。 …つまり、ピアノ協奏曲第2番あたりの作品では、 牛田さん的には、 まだ比較的ショパンが悩み倒しているまま終わっているように聴こえるみたいなんですね。 なるほどなと思いました。 若いころの作品のほうがまだ明るい、という先入観があったので、ちょっと新発見です。 モスクワ音楽院ジュニアカレッジのお話も聞きました。 基本的に日本でモスクワ音楽院の先生方のレッスンを受けるというスタイルのようですが、 まれにモスクワにもレッスンを受けにいくことがあるということで。 モスクワどうでした?と尋ねると、 「そうですねー、なんだかかわいい国でした!」 との、予想外の返答! 鋭い目つきの警察や警備の人がウロウロしていて、 挙動不審な動きでもしたらすぐにひっとらえられそうなあの街をして、かわいいとは…。 さすが牛田さん。肝すわっとる。 「いえ、もっとゴツい感じの街を想像していたのですが、 街並みの色合いもやわらかいですし、なんだかかわいらしいと思って!」 ということらしい。 確かに、案外クリーム色とか薄ピンクとかの建物が多いもんね。 …その合間にスターリン的なグレーの建物がズドーンと建っているわけだけど。 まあ、あれも夜ライトアップされていれば綺麗だしね。 そんなわけで、肝のすわった牛田さんの海外オーケストラデビュー公演、 心身ともに成長した演奏が聴けそうで楽しみです。”
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いいピアニストいっぱい
“ルービンシュタイン国際ピアノコンクール、 一次予選からファイナルまで現地で取材をします。 コンクールの第1回がおこなわれたのは1974年のため、 今回の第14回は開催40周年の記念の回なのだそうです。 いつもわりとフェスティバル的なノリで開催されるらしいので、 そんないつも以上に盛り上がる感じなのかな。 前回優勝したダニール・トリフォノフが、コンクール期間中、 毎日海で泳いでビーチを走っていたと話していたのを聞いて、 ちょっとゆっくり滞在するのもおもしろそうだなと思い、 3週間の全日程をカバーすることにしました。 スニーカーとビーチサンダルを持ってコンクールの取材に来るのは初めてです。 しかしなにより、出場者の面々がものすごく豪華なのが、 聴きにくることにした大きな理由です。(ちゃんと仕事しますよ…) コンクールでおなじみのいい子たちはもちろん、 コンテスタントの一覧を見ると、聞いたことのある名前ばかり。 すでに日本でも演奏活動をしているようなピアニストもたくさんいます。 そして日本からも有望な4人のピアニストがエントリーしています。 コンテスタントの一覧はこちら。 最近のコンクールにはよくある傾向ですが、 このコンクールも課題曲はかなり自由。 そのため、リサイタルを聴いているような気持ちで演奏を楽しむことができそうです。 日本からの時差は6時間。 お気に入りのピアニストを見つけるべく、一緒に聴いて盛り上がりましょう!  ”
コンクール、活躍中のピアノに迫る!
“コンクール期間中、ピアニストの大切なパートナーとなる楽器。 ここ数回のヴァン・クライバーンコンクールのように、 1社のメーカーのピアノから選ぶスタイルをとっているコンクールもありますが、 多くのコンクールの場合、数社のピアノの中から選ぶという形になっています。 今回ルービンシュタインコンクールのステージにあがるのは、 ふたつのメーカーのピアノ。 世界のコンサートホールでの常設率がダントツでナンバーワンだという、 お馴染みのアメリカの老舗メーカー、スタインウェイ&サンズ。 そして、最近急激に存在感が増大しているように思えてならない、 創業1981年、イタリアの新進メーカー、ファツィオリ。 この2択です。なんかすごいでしょ。 今回、日本のピアノメーカーは参加していません。 普段はコンクールの取材に行くと、 バックステージは日本の技術者さんだらけでとても落ち着くのですが、 今回はそうじゃないので、ちょっとさみしいです。 とはいえ、ファツィオリの調律を担当するのは日本人の方です。 それはそれで、良く考えるとすごいことですよね! そして、今回使用するファツィオリのピアノはトリフォノフが選定したとのこと。 ヘンタイ(いい意味で)が弾きこなして良いと感じる特別なピアノで、 他のピアニスト達は大丈夫なのだろうか… というささやかな疑問はさておき、どんな音色の楽器なのか、 まず13日夜のオープニングコンサートで確かめることができそうです。 (こちらもライブ配信ありですよ!) そんなわけで、今回のコンクール取材では、 コンクールのステージで使われるピアノの情報、 調律技術者さんの現場での動きに注目し、 ピアニストとピアノの関係にも迫ってみようと思います。 ちなみに、ファツィオリの情報については、 日本総代理店のピアノフォルティの公式ブログに、 けっこうな裏ネタが登場しそうな気配なので、あわせてチェックしてみてください!    ”
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19:19のミステリー
“5月13日には、オープニングコンサートが行われます。 演目は、バルトークの「2台ピアノとパーカッションのためのソナタ」、 ストラヴィンスキーの「結婚」、モーツァルトの幻想曲ニ短調K.397 、 そしてベートーヴェンの合唱幻想曲。 ピアノは過去の入賞者たち。 すごく凝ったプログラミングは、元ピアニスト、ジャーナリストだったという コンクール事務局のディレクター、Idith Zviさんによるものらしいです。 こちらはリハーサル終了後の風景。 ファツィオリの方にリクエスト中のトリフォノフ。 重要なことを言おうとしているとき、 相手にものすごく近寄って一気にしゃべる様子は相変わらず。 しかしひとつ大きな異変が。 …セカンドバッグ!?(しかもなんかでかい) トレードマークだったななめかけ鞄は卒業したのでしょうか。(どうでもいい話ですみません) 後日インタビューをする予定なので、 そのあたりを中心にじっくり話を聞いてみようと思います。(冗談です、ちゃんと音楽の話も聞きますよ) 一方こちらの写真左から2番目はバルトークで登場する、 第12回第4位入賞のDavid Fungさん。 豊かにピアノを鳴らし、すごく楽しそうに弾いていました。 ニコニコ素敵なご両親と、コンクールのアーティスティックディレクター、Idith Zviさん(右)。 コンサートは、ライヴ配信される予定です。 13日20時開演、日本時間だと14日深夜2時とちょっと遅い時間ですが、 (記載してあった開演時間が間違っていました。申し訳ありません!) ぜひチェックしてみてください。 たぶん配信されるのはこちらのサイトのはずです。 そして夜は、テル・アビブ郊外でトリフォノフの師匠でもある セルゲイ・ババヤン氏のリサイタルがあるというので行ってきました。 リスト、バッハ、ショパンの小品が組み合わされ、考え抜かれたプログラムで、 アンコールはなし。 よほど曲目的に意味があると思わない限り、基本的にアンコールは弾かないらしいです。 ピアノが唸りを上げるような爆発的な音、なめらか~なレガート、さすがの演奏でした。 日本にもっと来てくれたらいいのに。 ところでこちらが今日のチケット。 どこに何が書いてあるのかさっぱりわかりませんが、 19:19…これは何かのコード番号ではなく、開演時間です。 なんと中途半端な時間。 近くに座っていたトリフォノフに、 「なんで19時19分なの?19はババヤン先生の好きな数字なの?」 と聞いてみましたが、 「全然わからない。このコンサートだけ特別みたい。ミステリーだ」 と言っていました。 ミステリー…。”
コンクールにピアノを出すわけ
“いよいよ演奏順も決まり、明日からコンクールの演奏が始まります。 ピアノの選定は11日から行われていました。 各人の持ち時間は15分。 ステージ上に置かれたファツィオリ、スタインウェイの2台から選びます。 (写真は、選定が始まる直前の様子) 自分にとって弾きやすいか、演奏するプログラムに合うかどうか、 本選まで進んだ場合、オーケストラと合わせても負けない力をもっているか、 そしてとにかく自分好みの良い音がするかなど、 コンテスタントはいろいろな観点からピアノを選ぶのだと思います。 そして、選ぶ人が多くないピアノをたまたま選んだりすると、 演奏順のタイミングによっては自分の好みに合わせてじっくり調整してもらえる… ということも、あったり、なかったり。 ピアノ選び、けっこう奥が深いです。 ピアノメーカーの方と突っ込んだお話をしていると時々出てくる話題に、 コンクールのステージにピアノを乗せるということをメーカーが一体なぜ続けるのか、 というものがあります。 その意義は一見明らかなようで、とても微妙なものだったりするんですよね。 ホール自体が所有していることが多いメーカーはまだ良いかもしれませんが、 そうでない多くのメーカーの場合は、コンクールの度に、 海を越えての運送や、長らく運搬された後の楽器の調整などが必要で、 資金も労力もかかります。 同時に、少しでも優れたピアノをつくりたい、 ピアニストの力になる楽器をつくりたいという熱い想いがいくらあっても、 モノをつくるメーカーである以上、そのモノが売れなければ成り立たないわけで。 優勝者が使ったメーカーだからといって すぐに世界のホールがそのピアノを買い求めるわけではありません。 ファンの人が、ポンっ!と買うということも、そう多くはないでしょう。 もちろん認知度はあがってその良い音を多くの人が聴くことになるし、 さらに言えば、将来活躍するであろうピアニスト達に 一度でもそのピアノを弾いてみる機会を持ってもらうきっかけにはなると思いますが。 その意味で、コンクールのステージにピアノをのせるというのは、 単にビジネスのことを考えればちょっと遠回りな“プロモーション”と 考えられなくもありませんね。 それでも確かに、根気よくコンクールへの挑戦を続けることで、 少しずつ世界のホールでも導入されることが増えているというのは、実際あると思います。 まあ、そんなピアノメーカーの商売事情はさておき、 私たちピアノ好きにとって大切なのは、 こうしたコンクールの舞台をひとつの目標にメーカーがより優れた楽器を開発し、 調律技術者の方々もその技を磨いていってくれるということ。 こうして世の中に良い音のするピアノが増えていくのですから、すばらしいことですよね。”
1次予選の演奏順とシャイボーイの心
“ルービンシュタイン国際ピアノコンクール、 1次予選の演奏順が決まりました! 会場は、コンテスタント宿泊中のホテルの広間。 けっこう取材のカメラがいて驚きました。 冒頭にアーティスティックディレクター、 そして審査委員長のアリエ・ヴァルディさんからのお言葉。 そしていよいよ抽選です。 抽選の方法はこんな感じ。 まず籠にぎっしりつめこまれたこんな黒い小袋を一つずつとります。 (とる順番は、なんとなく前に座っている人で手を伸ばした順と、かなりテキトー) 小袋の中にはこんなものが入っており。 この丸いプレートの後ろにある番号の順に、好きな日時を選ぶことができます。 1番を引いた人が一番選び放題、最後に残るのは…?という感じです。 さっさと選ぶ人もいれば、考え込む人もいます。 なかなか決めないと、「明日弾く?いっぱい空いてるわよ。」とか、 冒頭からユルい司会進行を繰り広げている事務局のおばさんにちょっかいを出されます。 演奏順を選ぶのが最後になってしまったのは、 前回の浜コンに出場していたのでご存知の方も多いでしょう、 オシプ・ニキフォロフさん。 しかしなぜか最後から2番目の順番だったNamoradze Nikolasさんが、 年長者ゆえの優しさからか一番手を選び、オシプ君は2番目になったのでした。 最後はコンテスタント全員と審査委員長、アーティスティックディレクターで集合写真。 しかしほんの数枚撮ったと思ったら、事務局スタッフやら関係者やらが、 私も私もと次々真ん中に収まって記念写真を撮るという。 しまいには、自撮りで集合しているコンテスタントを背景に写真を撮る人まで現れ、 だいぶよくわからないまま、しかしとても和気藹藹とした雰囲気で抽選は終わりました。 ちなみに、何人かのコンテスタントは未到着のためここにはいません。 おなじみニコライ・ホジャイノフ君も、 ちょうど今夜ロンドン、ウィグモアホールデビュー公演、ということで欠席です。 さて、こちらは抽選を終えた中桐望さん。 演奏順が決まると、番号を書いた丸いシールを強制的に貼り付けさせられます。 こちらは、よっしだ君こと吉田友昭さん(右)。 お隣は、Yutong Sunさん。 そして、こちら抽選後のチョ・ソンジン君。 写真撮るよというと、ハイどうぞという感じで止まるくせに、 いざ撮ろうとすると顔を隠し(でもこっち見てる)、 「僕はシャイボーイなんだ」となぜか主張していました。 このまま載せるよ、というと、画面をチェックして、別にいいけどという反応。 シャイボーイの心理はよくわかりません。 さて、今夜はこれからオープニングコンサート。 そして明日いよいよ午後2時(日本時間午後8時)からコンクールの演奏がスタートです。  ”
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コンクールのステージと課題曲
“さて、今日からステージ1が始まるということで、 ここでルービンシュタイン国際ピアノコンクールについて改めておさらいです。 ポーランド出身のユダヤ系ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン。 ポーランドのウッチに生まれ、スイスのジュネーブで没し、 イスラエルのエルサレムに眠っています。 そんな20世紀の巨匠の名を冠したこのコンクールは、1974年に開設。 3年に一度開催され、今年で第14回目の開催となります。 いわゆる世界〇大コンクールと呼ばれるものに入るコンクールではないかもしれませんが、 ピアニストのキャリアにとって、何かとても重要な意味合いを持つコンクールのようです…。 それだけに、今回の出場者も実力派ばかり。 過去の優勝者には、ゲルハルト・オピッツ、エマニュエル・アックス、 アレクサンダー・ガヴリリュク、そしてダニール・トリフォノフなどが名を連ねます。 今回のコンクールは以下の3つのステージからなります。 ◇ステージ1(5/14~19)36名 40~50分のリサイタル ◇ステージ2(5/20~22)16名 50~60分のリサイタル ◇ファイナル(5/23~29)6名 室内楽:既定の作品から1曲 協奏曲:モーツァルトの20~27番とベートーヴェンの1、2番から任意の作品を1曲 既定のピアノ協奏曲から任意の作品を1曲 リサイタルの課題曲の規定はとても自由で、 ステージ1、2あわせてどこかに古典派とロマン派の作品を入れること、 コンクール指定の現代作品が入っていること、という内容。 (課題曲、くわしくはこちら) そしてファイナルに進んだあとも3つのステージで演奏することが求められるという、 なかなかタフなコンクールです。 ステージ間に空き日はありませんが、 そのかわり一日に演奏する人数が多くないのでゆったりめに進んでいきます。 さて、いよいよ本日14日14時(日本時間20時)からステージ1の初日が始まります。 浜コンでなかなか個性的な演奏を聴かせてくれたオシプ・ニキフォロフさん、 そして日本からは須藤梨菜さんも登場します! ホールが極寒なので、たくさん上着を用意して行こうと思います。  ”
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まずはスタインウェイの出所について
“ 今日はバックステージで、ファツィオリの方、スタインウェイの方、 イスラエルの“伝説の”調律師さんによるトークセッションが行われていました。 演奏のインターミッションの間にライブ配信されていたものの アーカイヴがこちらで見られます。(1時間46分あたりから) 個々のピアニストのリクエストにいかに対応するかというテーマも出てきます。 こういうトークセッションは初めての企画だったらしいです。 さて、今日はまずこれまでのところ連日ステージに登場している スタインウェイのピアノについての情報を。 今回のステージで使用されているスタインウェイのピアノは、 昨年2013年に製造された、新しいハンブルク・スタインウェイだそうです。 審査委員長のアリエ・ヴァルディさんが、 ご自身の門下生(日本人とイタリア人の生徒さん)を同伴して、 一緒に選定したとのこと。 実際の出場者に近い年代のピアニストの意見を聞こうという目的なんでしょうかね。 そのピアノを地元テル・アビブで一番大きなディーラーさんが購入。 今回はそのディーラーさんからの提供で使用しているとのこと。 そしてコンクール終了後には売られてゆくことが、ほぼ決まっているらしいです。 というのも、 「ピアニストが全力で弾いて、スタインウェイのトップ調律師が休憩のたびに調律する。 コンクール期間中これが何度も何度も繰り返され、 コンクールが終わるころにはこのピアノのコンディションは最高になっているはず!」 …だから、とのこと。 終わるころに最高の状態って! と心の中で軽くつっこみましたが、 もちろん今もすでにいい状態のものが、もっと良くなるということですからね! このお話を聞かせてくれたのは、 上記のトークセッションで真ん中に座ってお話をしているゲリット・グラナーさん。 わからないことがあったらなんでも聞いて!僕の足のサイズでもなんでも教えるよ! と言ってくれました。(デカそう) グラナーさんはアーティストのケアを担当されていて、 どこのコンクールに行っても必ずお見かけします。 確か、2011年のチャイコフスキーコンクール某局のドキュメンタリー番組でも、 ロマノフスキーのリハーサル中のシーンの中で、 グラナーさんがロマさまと話している様子が放送されていました。 その時「ロマノフスキーさんが、ファンの男性から話しかけられています」みたいな 微妙なナレーションが流れていて、 リハの邪魔をしてアドバイスするファンの人みたいな扱いをうけているグラナーさんに ちょっとウケた記憶が。 さて、今のところまだファツィオリのピアノは登場していませんね。 どうやら選んだコンテスタントが最後の2日あたりに集中しているようで。 今しばらく、登場を楽しみに待ちましょう!”
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続いて今回のファツィオリのお話
“さて、続いて今日はファツィオリのピアノの出所のお話。 ファツィオリは、ルービンシュタインコンクールには初めての参加です。 今回ステージに乗っているピアノは、ファツィオリのF278。 ファツィオリには、普通のフルコンサートグランドよりも少し大きい F308(つまり全長が3m8cm)という型があることが知られていますが、 今回使用されているのは通常サイズのフルコンです。 製造年は2013年。 ピアノフォルティの公式ブログでも紹介されている通り、 昨年12月にトリフォノフが、イタリア、サチーレの工房で選定した楽器です。 前回のコンクールで演奏したときの経験をもとに慎重に選ばれ、 その後改良を重ねられたとのこと。 ファツィオリといえば、前述の特大サイズをはじめ、4本目のペダルなど、 革新的な技術をどんどん開発し取り入れてゆくメーカーというイメージがありますが、 実際、「ピアノが完成することはない」というのがパオロ・ファツィオリ社長の信念だとか。 パオロさんに前にお話をうかがったとき、 「ピアニストがピアノと格闘しているのを見るのが耐えられなかった。 もっと楽に豊かな音が出るピアノが創りたかった」 とおっしゃっていたのが印象に残っています。 この方、普段からなかなか自由というか、70歳近いのに“少年”みたいな人で、 確かにこの人なら普通の人間が想像もしないような思い切ったことをしそう、 という独特の気配をお持ちです…。 実際にはもちろんパオロさんの思いつきだけで事が進んでいるわけではなく、 科学的な研究チームとともにさまざまな開発がなされているそうですが。 そんなわけで今回ステージに乗っているファツィオリも、 「今までとはかなり違う」のだそうです。 2010年のショパンコンクール、2011年のチャイコフスキーコンクールでの経験をもとに、 大きな改良が加えられ、あの時のピアノとはフレームの形をはじめ いろいろなことが変わっているとのこと。 ほとんどのコンクールの調律、アーティストケアは日本のチームが担当していますが、 そんな日本側からの意見が大いに取り入れられ、大胆な改良が施されたらしいです。 結果、ファツィオリ特有の良さは残しつつ、 オーケストラとの共演などでも負けない底力が充分についた、とは、 ショパンコンクール、チャイコフスキーコンクール、 そして今回も調律を担当している越智晃さんのお話。 いよいよステージ1の5日目、6日目にはファツィオリのピアノが登場する予定です。 ピアニストたちがどう弾きこなすのか、楽しみであります!”
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テルアビブの人々、そして選曲について考えたこと
“ ここテル・アビブの街にはとにかくネコが多いです。 人間より多いんじゃないか?というくらい、頻繁に猫が出没します。 ネコ好きの人なら、いちいちつっかかって前に進めないだろうというくらい、味のあるネコさんがあちこちに。ホールのエントランスはネコさんのたまり場のようで、夕刻になるとだいたい集合しています。 ところでここでテル・アビブについて改めてご紹介。 イスラエルという国は、東側に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレムがあることでも知られていますね。 一方のテル・アビブは地中海に面した西側に位置する、イスラエル最大の都市です。 国連ではイスラエルの首都はテル・アビブとしていますが、イスラエル側は、首都はエルサレムだと主張しているとのこと。 ご存知の通り、地域によっては宗教的、政治的問題を抱えていて、治安も悪いです。 今回イスラエルを訪れるにあたってどんな街だろうかとうっかり“イスラエル”のワードでGoogle画像検索をしてしまったところ、ものすごく陰惨な画像がたくさんヒットしてしまいましたので、みなさんくれぐれも試さないように。 テル・アビブは治安も良く安全です。なので、テル・アビブで検索すれば問題なかったんですが…。 テル・アビブにはどこまでも続く美しいビーチがあり、この季節には特に、休暇を過ごす長期滞在の観光客も多く見られます。緑も多く、人は親切で、それぞれが良い感じに自由に(自己中に?)生きているという印象。 外国人にとって少し驚きなのは、ユダヤ教の「安息日」(シャバト)の習慣。金曜日の日没から土曜日がそれにあたります。 そのため、ホールもお客さんが増えるのは金曜と土曜。日曜日の日中は、平日以上に人が少なかったです。 安息日には機械を操作したり、火を扱ったりしてはいけないそうです。そのためたくさんのレストランなどが閉まっているのはもちろん、例えばエレベーターが各階停止の自動運転になっていたり(ボタンを押すことによる電気の反応で火花が発生することがダメらしい)、はたまた聞くところによると、ホテルのロビーにあるエスプレッソマシンのスイッチも入れられないようになっていたりするとかで、初めての滞在だと驚くような習慣に遭遇します。 そういえば、金曜、土曜とアパートの階段の電気が消えて真っ暗でかなり怖かったのですが、これもシャバトゆえか…。それともたまたま消えていただけなのか。 一方、安息日はどうした?というくらい、年中無休24時間営業のスーパーも多いので便利なところもあります。しかもそれを教えてくれる店員さんが大体ものすごく得意気です。こういうときには、イスラエルの人かわいいなと思います。 ただ、イスラエルの人の自由さ、無邪気さをかわいいと思えないのが、ホールでのマナーです。配信をご覧の方はお気づきかもしれませんが、携帯が鳴ることはしょっちゅう。 ある日など、となりのおじさんはワルトシュタインに合わせて貧乏ゆすりをしているし、前に座っているおばさんは膝の上に置いたビニール袋を意味もなく手でモミモミして音を立てつづけているし、その横には演奏中に何度もひそひそ話を続ける人がいて、それをなんと前述のモミモミおばさんが注意するなど、無法地帯状態でした。 いつもそうだというわけではないのですが、おかげでこの滞在中で、雑音を排除して演奏だけに集中する能力が鍛えられそうです。 さて、そんなルービンシュタインコンクールも、ステージ1の5日目が終了。 明日19日が最終日となり、直後に結果発表が予定されています。 ここまで聴いてきて感じていることは、つくづく、プログラムの選び方って重要だなということ。派手で聴衆の反応を得やすいとか、技巧や音楽性で審査員にアピールできるとか、そういう意味でももちろん重要だとは思いますが、やっぱりピアニストの個性に合ったプログラムであることが大切だなぁとつくづく。 以前ご紹介したとおり、このコンクールのリサイタル課題曲はかなり自由で、「ステージ1、ステージ2のいずれかで、古典派、ロマン派、既定の現代作品が入っていればあとはなんでもいい」というものです。 つまり、苦手な分野があれば、ある程度“ごまかせる”わけで。 それなのに、例えば(あくまで私の視点から見てですが)あまり色気のあるタイプと思えないのにやたらロマン派や近代作品から妖艶系のプログラムを選んでいたり、あまり音の粒を揃えて弾くのが得意そうに見えないのに、バッハやモーツァルトばかりのプログラムを組んでいたり。いや、もちろんこれはあくまで私がそう感じるというだけで、実際には見事にその作品向きの技術をお持ちなのかもしれませんけど、やっぱり、もったいないなと思ってしまいます。 だからといっていかにも“課題曲に古典派が入っていたからできるだけ短くて華やかなものを弾いてごまかします”みたいなのがミエミエでも、微妙ですけどね。 プログラムの組み立てって難しいですね。 まあ、これはコンクールに限った話ではないのかもしれません。普段の演奏会でも、ご本人が得意と思っている作品と、聴く側がこの人にはこれが合うと思うものが違うというのは、時々あること。 ポートレイトなどで、他人が選ぶ写真と本人が気に入っている写真が違うというのと似たようなものかもしれません。というより、何のジャンルにおいてもあることですよね。 前に誰かが言っていました。人は自分のことには絶対に客観的になれないと。 その事実を心の片隅で覚えておくか否かの違いは大きいと思いますが。 というわけで、最後はだいぶ話がそれましたが、明日はいよいよステージ1最終日&結果発表です。みなさんが次のステージも聴きたいと思ったピアニストは残ってくれるでしょうか…。”
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ステージ2、通過者と演奏順
“昨日夜遅く、ルービンシュタインコンクール、 ステージ2に進む16名の参加者が発表されました。 審査方法は、各審査員が次のステージに進むべきと思う16人と、予備としてmaybeの3人を選び、集計するというシンプルなスタイル。審査委員長のアリエ・ヴァルディ氏が通過者の名前を読み上げ、コンテスタントたちが登壇します。 昨夜11時すぎまでおこなわれていた結果発表から一夜、日をあけることなくステージ2が始まります。通過者が後半に集中したので、中盤以降に登場した人も今日いきなり弾くことになります。 日本勢、尾崎未空さん、吉田友昭さん、そして工藤レイチェル奈帆美さんとかなり残ってます。ファツィオリを弾いた人も5人中3人が通過。若い可能性を秘めたピアニストと、成熟したピアニスト、両方が半々くらいという感じでしょうか。楽しみな顔ぶれです! 一方、次のステージも聴いてみたいと思っていた何人かのピアニストが残らず、残念に思ったり、事情を聞いて驚いたりする部分もありましたが、これもコンクールの常ですね。また別のステージで聴けることを楽しみに。 さて、ステージ2は、ステージ1より少し長い50~60分のリサイタル。 課題曲はステージ1と同様とても自由。どんな演奏が飛び出すでしょうか。”
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ファイナリスト発表!ここまでを振り返ります
“ルービンシュタインコンクール、ファイナリストが発表されました。 アントニ・バリシェフスキー Antonii BARYSHEVSKYI(ウクライナ) スティーヴン・リン Steven LIN(アメリカ) レオナルド・コラフェリーチェLeonardo COLAFELICE(イタリア) チョ・ソンジン Seong-Jin CHOO(韓国) アンドレイス・オソキンス Andrejs OSOKINS(ラトヴィア) マリア・マゾ Maria MAZO(ロシア) ファイナルでは、室内楽、そして2回の協奏曲の3ステージが行われます。 発表後はすぐに、翌日から始まる室内楽にむけてリハーサルが行われたようです。 空き日がないと大変です…。 室内楽の演奏順はこちら。 23日は14時から、24日は11時からで3人ずつ演奏します。 さて、ファイナリストが発表された後ではありますが、ここまでバックステージなどで撮ってきた写真やコメントを、ドバッとご紹介したいと思います。 まずはステージ1のバックステージから。 一昨年の浜コンでセミファイナリストとなったオシプ・ニキフォロフさん。 演奏順を選ぶのが最後になって、初日2番目に弾きましたが、一番目の人と同じピアノとは思えないあたたかい音が出ていて、この若者、やはりいいもの持ってるな!と思いました。聴衆もすごく盛り上がっていました。ご本人は、ステージでは自分の音がよく聴こえなかった…音のバランスはどうだった?と不安げでしたが。 ステージ2に通過しなかったのが残念だったピアニストのひとりです。 初日3番目に登場した須藤梨菜さん。 堂々としたプロコフィエフのソナタ6番が印象的でした。「普通はもう少し後のステージにもってくるようなレパートリーかもしれないけれど、大好きな作品なので思い切って最初のステージにもってきた」とのこと。 そういえばステージ1の後半で、隣に座っていたドイツ人のジャーナリストと誰がよかった?という話をしていたとき「僕、なんだかよくわからないけど彼女の音がけっこう好きだったんだよね」とちょっと恥ずかしそうに言っていました。 なぜ照れる! 中桐望さんは、豊かにピアノを鳴らす力強いバッハ=ブゾーニのシャコンヌから、やわらかく繊細なシューマン、ラヴェルへと運んでゆくプログラム。やはり彼女もステージ上で音のバランスが聴きとりにくかったと言っていました。今回の会場は、客席で聴こえる感じとステージで聴こえる感じがだいぶ違うようで、そんな話をよく聞きます。 各コンテスタントには、ホテルからホールへの送り迎えなどをするボランティアさんがつくのですが、中桐さんお世話係のおばさんが、「彼女すごくかわいいわよねぇ。私、養子にしたいんだけど」と言ってきて、どう反応したらよいのかちょっと困りました。 かわいいから養子、という発想がすごい。 ニコライ・ホジャイノフ君は、多くのコンテスタントが華やかなプログラムを持ってくる中で、例によって独自路線を貫きました。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」でこれでもかというほど静かに始め、ラフマニノフのソナタ1番でじわっと盛り上げてゆく感じ。 次のステージではクライバーンで聴いてしみじみいいなと思ったハイドンを弾く予定だったので、ぜひまた聴きたかったのですが、残念です。 とはいえ、彼は8月に来日が決まっています。サントリーホールでの読響サマーフェスティバル「三大協奏曲」(8月20日)、浜離宮朝日ホールでのリサイタル(8月25日)で聴くことができるので、楽しみに待ちましょう。 リサイタルについては、後日ジャパン・アーツのHPにインタビューを寄稿する予定です。 チョ君が優勝した2009年の浜コンで第3位だったホ・ジェウォンさんも、のびのびとした演奏で良かったんですが、ステージ2に進まずちょっと残念でした。昨日会場で会ったら「明日からエルサレムに行く!」と言っていました。うらやましいな。 彼はファツィオリのピアノを選んでいましたが、かなりダイナミックに鳴らしても音がキツくならないところなど、ピアノにうまく助けられているなと思いながら聴いていました。 実際あとで話を聞いてみると、自分のレパートリーはつかみにくい和音をフォルテで鳴らすものが多いので、そういうときに今回の新しいスタインウェイだとメタリックな音になりそうなリスクを感じたためファツィオリにしたとのこと。 バックステージには、現代作品の作曲家、ユスポフ氏が来ていて「これまで聴いた中で一番自分がイメージしていた演奏に近かった! 録音したくなったらぜひ連絡して」と言っていました。果たして録音は実現するのでしょうか。 工藤レイチェル奈帆美さん。 彼女をショパンコンクールで聴いたのは2005年のことだから、9年も前のことか! あれからいろんなことがあったなぁ、と、勝手に感傷に浸りながら演奏を聴いていました。工藤さんは日本と韓国のハーフで、アメリカで生まれたんだそうです。 彼女もファツィオリを選んだひとり。今回のファツィオリはかなり音のボリュームがある楽器だと思っていましたが、彼女は不必要に鳴らしまくることなく、楽器のまろやかな音を活かし、女性的でしなやかな演奏を聴かせてくれました。どんな種類の弱音が出るかを重視した結果、ファツィオリを選んだとのこと。「楽器がインスピレーションをくれた。一緒に音楽をしてくれると思った」と言っていました。 マリア・マゾさんは、今回ファイナリストの中で唯一ファツィオリを選んでいるピアニスト。 ステージ1では弾き始めてすぐに、なんと見事にファツィオリの扱いをわかっている人なのだ!と感じました。演奏に少し乱れるところがあっても、それをカバーするに十分の魅力のある音。一方、それで自分が期待しすぎたせいか、ステージ2のときは、何かステージ1とは違う様子だったというか、音の印象も違ったように感じましたが、どうなのでしょう。 ところで彼女の登場時の話。 名前がコールされて拍手が起きたあと、マリアさんが出てくるわ、と思って注視していた舞台袖から、ひょっこりヒゲ面の男性が出てきて、もんのすごくギョッとしました。あまりの衝撃に、しばらく笑いが止まらなくて苦労しました。 後で聞いたらそれは彼女の旦那さんだったそうです。このシーンは配信では映っていなかったのかなー。 続いてステージ2から。 個性的な衣装、そしてそれに似合った個性的な演奏で楽しませてくれたイリヤ・コンドラティエフさん。ステージ衣装も私服も個性的ですけどファッションにこだわりがあるの?と聞いたら、特にないと言っていました。特になくてアレになるってすごいよなー。髪はモスクワで切っているそうです。モスクワの美容院イケてるな。ホジャイノフのクルクルも、モスクワ美容院製ですもんね(※彼のクルクルはパーマではありませんが)。 ファイナルには進出できませんでしたが、聴衆からの人気も高く、結果発表後はたくさんの人から声をかけられていました。そしてご本人もかなり納得のいっていない模様で、いろいろ胸の内を熱く語ってくれました。一応、日本からもみんな応援していたよと伝えてみましたが、少しは励みになったでしょうか…。早くまた元気を取り戻してほしいです。 尾崎未空さん、ステージ1の後には「演奏できて楽しかった!」と晴れやかな表情でしたが、ステージ2のあとはいろいろ思うところがあったようで、「ショパンはもっともっと音楽的に練り上げなくてはいけないと、こういう場所で弾いてみて改めて感じた」というコメント。こういう大舞台の経験を繰り返して、ひとつひとつのレパートリーが徐々に手の内に入っていくのですね。そんな成長の瞬間を目の当たりにした気分でした。 そういえばこのステージ2の演奏中、少し舞台から目を離してもう一度未空さんを見たら、まるっと肩が出ていました。あれ、こんなセクシーなドレス着てたっけ?と思ったら、どうやら弾いている間に肩の部分が落ちてきたらしいことがわかって、「それ以上落ちるなー!」とハラハラしながら見ていました。そんな状況でも、しっかり落ち着いて最後まで弾ききりました。 そういえば、漫画「ピアノの森」でもそんな場面ありましたね。あれは肩ひもが切れちゃうっていう話でしたけど。 未空さん、見た目の印象はかわいらしいですが、お話ししてみるとなんだかいい感じにクールで、おもしろい18歳! そして、吉田友昭さん。 「展覧会の絵がこんなにかぶったのは予想外だった」と言っていましたが、確かに今回、ステージ2で3人も「展覧会の絵」を選んでいる人がいたのは驚きでした。それも18歳(Yuton Sunさん)、24歳(Suh Hyung-Minさん)、31歳(よっしだ君)…ということで、それぞれの人生のステージ(?)に似合った演奏を聴き比べることになりました。吉田さんの演奏は、さすが最年長かつ1児の父、しんみりと力強く、アル中を克服した後、酸いも甘いも知って意識のはっきりしたムソルグスキーといった感じでした。 ちなみに先にご紹介した、結果に不満だったコンドラティエフさん、「なんでヨシダが通らなかったのか意味がわからない!」としきりに言っていました。 以前からお知り合いだというふたり。   そして結果発表後の様子から。 ものすごく爽やかな笑顔のキム・ジヨンさん。 抽選会でお見かけしたときから、ちょっとクラシックのピアニストとは違う、ギラギラした元気溌剌の気配を醸していた彼。演奏もとても健康的。現代作品はとくにスポーティーな印象。 人を惹きつけるキラキラ感を持っている方ですね。ムフッと大きく息を吐きながらファツィオリのピアノをリンゴン鳴らし、この人きっと懸垂とかやったらめちゃくちゃ回数いくんだろうなと、全然関係ないことを思ったりしながら聴いていました。 こちらも、結果がダメだったとは思えない満面の笑み、マルチン・コジャクさん。 私はこれまで彼の演奏を、2010年ショパンコンクール、2013年クライバーンコンクールと聴くことがありましたが、間違いなく今回が一番よかったです。相変わらず、見かけによらず荒々しい部分もありましたが、のってくると、こんなに丁寧に歌える人だったっけ? 自信満々に弾く人だったっけ?と、まるで昔とは別人を見ているような演奏。これはこの一年で何かあったに違いない…と思い聞いてみたところ、とくにブラームスやベートーヴェンばかりを選んでいた前回のクライバーンに比べて、バルトークやラフマニノフ、ドビュッシーとレパートリーを大幅に変えたのは大きいかもしれないとのこと。そしてそれだけではなく、彼はこの1年ほどで心の平和を手に入れたのだろうなと思いました。人生なるようになるさ! その時の気持ちにしたがって生きればいいのさ! と、4年前ショパンコンクールのバックステージで見かけたときとは別人のような幸せそうな表情で語っていました。 聴衆からの人気は絶大。彼がファイナル進出できないとわかった瞬間、聴衆からは大ブーイング。コジャクさん自身も「こんなに温かい聴衆は初めて。すごくいい経験だったので結果は気にしていない」と、結果にブーイングが起きたという状況自体をずいぶん楽しんでいたようでした。 ちなみに、昨年クライバーンコンクールの取材をしていたときのブログで書きましたが、彼はクライバーンのステージで執拗なほどに鍵盤を拭きまくっていて、どうしちゃったんだろうと気になったものでした。今回はそれがなかったので、もう今なら聞いてもいいかなと尋ねてみたところ「実はあの後いろんな人からそう言われたんだけど、あのピアノの鍵盤はまるで湖のように濡れていて、滑るから拭いていただけなんだよ。今回の鍵盤はすごくドライだった」とのこと。 いや…あの拭き方は、鍵盤が汗で濡れてるとかそういうレベルじゃなかっただろ…と思ったんですが、ご本人曰くそういうことです。 そして最後に、ファイナル進出となったチョ・ソンジンさん。 また隠れる。 さらに隠れる。 そして、目を逸らして1枚。リアクションからして本当に写真が嫌だとは思えないんですよ。こういう写真もあるので。 (頼んでもいないのにカメラ目線) 写真を撮らせないで困らせることに快感を覚えてしまっているのでないといいんですが。 やはり、シャイボーイの心理はわかりません。 肝心の演奏ですが、ステージ1、ステージ2とも、みずみずしくドラマティック、正統的な中に自由さのある音楽が強い印象を残し、聴衆からも大きな人気を集めていました。とくに、バルトークの「野外にて」とリストのロ短調ソナタは、ガッツリ心に届きました。また聴きたい! 長くなりましたが、ここまでツイッターでばらばらとつぶやいていた情報も含め、一気にまとめて書いてみました。 これから5日間にわたるファイナル、引き続きすばらしい演奏を楽しみにしましょう!”
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スタインウェイ調律師さんインタビュー
“さて、いよいよファイナルが始まりましたが、ここからが長い。 とはいえファイナルに入ると1日にピアノが弾かれる時間はぐっと減りますから、調律師さんたちにも少しだけ時間には余裕が出てくるようです(その分緊張感はアップするかもしれませんが)。 というわけで、各メーカーの調律師さんにお話を聞いてみます。 まずは今回スタインウェイの調律を担当している、 ウルリヒ・ゲルハルツ(Ulrich Gerhartz)さん。 ゲルハルツさんは、ロンドンのスタインウェイホールのディレクター、そしてスタインウェイUKアーティストサービスのディレクターでもあります。 つまり調律師でありながら、普段からコンサートのアレンジやアーティストケアも担当しているということ。リーズ国際ピアノコンクールなどではひとりで両方の仕事をしているそうです。 で、私もこれまでさまざまな調律師さんとお話をする機会がありましたが、なんだかいままでにいないタイプでした。インタビューをお読みいただけば、おわかりいただけるかと思いますので、どうぞ。 ◇◇◇ ─コンクールのピアノを調律することの難しさはどんなところにありますか? やはり、コンサートでの調律とは違いますか? 違いますね。ピアノコンクール、特に1次や2次の段階では1日にたくさんの演奏が行われますし、そのそれぞれの演奏で、ピアノに普通のリサイタル以上の負荷がかかります。コンクールというのは、それぞれのピアニストが自分のできることを最大限披露しようとする場ですから。 今回のコンクールで本当に不運だったのは、イスラエル人作曲家による現代作品が、ピアノのイントネーションを損なうような書き方で作られた作品だったことです。フォルティシモの部分が多く、ピアニストが楽譜に書かれた通りに弾こうとするあまり、限度を越えた音を出そうとすることが多いのです。例えば、声楽家が1曲歌って声にダメージを受けるような作品を歌えば、その後声の調子は悪くなってしまいますよね。それと同じことです。 より成熟したピアニストたちは、ピアノにダメージを与えない限界を感じてそれ以上のフォルティシモは出しませんが。ピアノの音というのは、ある一定以上の音量になれば、必ず騒音になってしまうのです。 普段のリサイタルと違い、コンクールでは朝調律をして、2人のピアニストが2時間演奏したあと、少し調律の時間が与えられ、また再び演奏です。その限られた時間の中で、メカニック、音色、そしてもちろん調律をできるだけ良い状態に整えなくてはいけません。 そんな状況ですから、この現代作品が多く弾かれる日は、調律は狂わないにしても、一日の終わりに近づけば近づくほど音色が変わってしまいました。 ─今回は、1次で36人中31人のピアニストがスタインウェイを選びました。そうなるとやはり、それぞれの要望に合わせるのというのは難しいですよね。 時間がありませんから不可能です。誰かに合わせてしまえば他のピアニストが苦しむことになります。できるのは、全員のコメントを聞いて、全員のプラスになるような状態に整えることです。まずは場所と音響に合わせ、続いてはレパートリーに合わせる必要が出てきますが、そこは多くのコンテスタントのレパートリーの傾向に合わせていくしかないのです。 ─今回使用されているピアノは2013年製のハンブルク・スタインウェイだそうですが、このピアノのキャラクターはどのようなものですか? 豊かな音量と、基本的にクリアな音色を持っています。会場の響きはとてもドライで、ピアノの音をまったく助けてくれません。昨年12月にハンブルクで選定されてすぐにイスラエルに運ばれましたが、そこからはずっとテル・アビブのディーラーのショールームに置かれていました。5月8~9日にかけてホールに持ち込まれ、そこから11日のピアノセレクションまでに状態を整えなくてはいけませんでした。とても慌ただしかったのですが、しっかりと良い状態になったので、喜ばしく思っています。輝かしい音でありながら音楽的な部分を持っているピアノは、多くのピアニストにとってコントロールしやすいので、そういう音を目指しています。 ─ステージが進むにつれてピアノの状態が良くなっているように感じます。 コンクールの期間は、一つのホールに置かれたピアノが数年間で弾かれるのと同じくらいの量使用されることになりますから、極めて特別な状況です。一日良い状態の音が保たれるように努力はしていますが、当然一日が終わると音が変わってしまい、それを毎朝もとに戻す作業をしていく中で、音がだんだん馴染んでくるのでしょう。 ─ところで、コンクールでご自分が調律したピアノが弾かれているときはどのような気分なのですか? 緊張したりするのでしょうか? 私はこれまでたくさんのコンクールで調律を担当していますし、時にはアーティストケアまで自分で行っている立場なので、平静でいられますね。各コンテスタントの演奏を注意深く聴くようにしていますが、耳をフレッシュな状態で保つため、全ての演奏は聴きません。全員の演奏をすべて聴いてしまうと耳が疲れてしまいますから。 ごくまれにあるのは、ナーバスになるというより、怒りに近い感覚を持つことですね……。それは、自分の調律したピアノが、そのピアノが弾かれるべきでない方法で弾かれているときです。構造上それ以上押さえつけられるべきでない方法で鍵盤が叩かれたり、ピアニストがあるべきトーンを見つけられていなかったりすると、音はひどいものになってしまいます。そんなときの気分は最悪で、本当にガッカリしてしまいます。ピアニストに、ピアノから離れてほしいとすら思ってしまいます。私はそのピアノが持っている能力も、どう触れるべきかもわかっているわけですから。そのピアノが持つトーンを見つけてもらうことがとても大切なんです。 もちろん普段は、演奏、そして演奏家の傍でとても特別な思いで聴いていますよ。良い音を引き出してくれたときには最高の気分です。ピアニストが、そのピアノから良い音を引き出すことができる人かどうかは、そうですね……30秒見ていればわかります。 ─ご自身でもピアノを弾かれるのですか? 私はもちろんピアニストではありませんが、毎日何時間もピアノの鍵盤に触れていますから、リーズ国際ピアノコンクールの審査委員長、ファニー・ウォーターマン女史にもタッチをほめられたくらいで。全ての音をしっかり整えるために、そして鍵盤の反応を確認するためには、繊細に鍵盤に触れる能力を持っている必要があります。 ─……なにかこれまでインタビューしてきた調律師さんとは少し視点が違って、とても興味深くお話を伺いました。 そうですか。私は自分ができることをやっているだけなのですけどね! もうスタインウェイの仕事は28年やっていて、20年以上コンサートグランドピアノ関係を担当し、たくさんのアーティストと仕事をしてきました。自分が世話をしたコンサートグランドピアノは、私にとって家族のようなものです。それぞれに個性を持った彼らを最高の状態にしてあげることが私の仕事です。内田光子、アンドラーシュ・シフ……さまざまなピアニストがやってきますが、彼らピアニストのためにピアノに生命を吹き込まなければいけません。とても大変な仕事で、単純にピアノを調律するという作業を越えているような気がしています。 ◇◇◇ …いかがでしょうか。 なんだかすごく、ピアノ目線なんですよね。 ピアニストのためにという想いは当然心の中にあるのでしょうけれど、なんだかどちらかというと、すごくピアノ寄りの目線なんですよね。 私も大音量で叩かれているピアノの音を聴いていると悲しくなるほうなんですが、ゲルハルツさんの場合は、もはやご立腹ということで。おもしろいなぁ。自分の家族がひどい扱いを受けているみたいな気持ちになるんでしょうかね。 10分ほどの短いインタビューでしたが、多くのことを語ってくださいました。 ここからは、室内楽、異なる2つのオーケストラとの共演が続き、ピアノにも細かな調整が加えられていくことでしょう。インターネットの配信だとなかなか聴き取り切れないものもあるかもしれませんが、ぜひその変化にご注目ください。”
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ファツィオリ調律師さんインタビュー
“続いては、今回のルービンシュタインコンクールで ファツィオリの調律を担当している越智晃さん。 越智さんはこれまでにも、ファツィオリが参入するようになって以降のショパンコンクール、チャイコフスキーコンクールなどの舞台で調律を担当しています。パオロ・ファツィオリ社長がその腕を信頼している才能と技術の持ち主であり、大きな現場を任されているお方。 当初スタインウェイで10年以上調律師として仕事をし、その後ファツィオリに移るという経歴をお持ちなので、両楽器のことをよくご存知です。 というわけで、さっそくインタビューをご紹介しましょう。 ◇◇◇ ─今回のファツィオリは、前回優勝したトリフォノフさんが昨年12月に選定し、会場に入れてからもアドバイスを受けつつ調整した楽器ということですね。オープニングコンサートではトリフォノフさん自身この楽器を弾いていて、やはりファツィオリを見事に弾きこなしているなという感じがしましたが。 彼は、ファツィオリからピアニシモをすごくきれいに出してくれますからね。加えて新しい楽器では、フォルテも充分に出るようになっていますし。ファツィオリの魅力を最もよく引き出してくれるピアニストだと思います。弾き慣れていますから、それも大きいと思います。 コンクールのピアノについて彼が最初に言ったのは、今回のスタインウェイは鍵盤が深く、ファツィオリのほうはどうしても浅く感じるということでした。多くの人はスタンウェイに慣れているから、ファツィオリも深めにしたほうがいいだろうということで、スタインウェイと同じほど深くはしませんでしたが、いつも仕上げるより0.5ミリくらい深く仕上げました。 ─今回のピアノのキャラクターはどのようなものでしょうか? やはりこれまでのファツィオリと一番違うのは、パワーがついたということ。そしてそのおかげでソロからコンチェルトまで、オールマイティに対応できる楽器になったということです。以前はコンチェルトになるとちょっと弱いかもしれないと思うところがあり、いつも問題意識として念頭に置いていたのですが、大きく改善されています。 今回、ボリュームの必要な作品がレパートリーにあるからファツィオリを弾きたいというコンテスタントがいるところを見ると、実際にだいぶ印象も変わったのだろうと思っています。 ─ファツィオリのピアノには、何か特別なコントロール方法というのがあるのでしょうか。 社長のパオロが「ピアニストがピアノと格闘しているところは見たくない」と考えて新しいピアノを創ることにしたのが、ファツィオリの始まりです。それだけに、このピアノは力まなくても音が出るのですが、普段一生懸命弾かないと音量、音質とも出しにくいピアノに慣れていると、どうしてもファツィオリを前にしても力んで弾こうとする方が多いようには思います。ファツィオリをあまり弾いたことがない方だと戸惑ってしまうようなところは、あるかもしれません。そのあたりは、この楽器を弾いてもらえる機会をどんどん増やしていく他に解消する方法はないかなと思います。 とはいえ調律師の使命は、これまでファツィオリを弾いたことがないというピアニストにも気持ち良く弾いてもらえるようにすることだとは思っていますが。 ─自らファツィオリを選んだピアニストでも、完璧にコントロールできているピアニストと、いまいち扱いきれていないように見えるピアニストがいると感じることがあります。実際話を聞いて、扱いにはコツがあって自分はしっくりきたと言う人と、扱いに特別な違いは感じないと即答する人とに分かれて、興味深いと思いました。 その感想の違いは、初めて弾いたファツィオリの個体にもよるかもしれません。ファツィオリのピアノはどんどん新しくなっていて、特にフルコンに関してはすごく良くなってきていますから。最近のピアノだと、扱いに大きな違いは感じないのかもしれません。僕が調整するときも、例えばスタインウェイを扱うときと同じ感覚でやっています。 ─パオロ社長からは、何か調律についてアドバイスがあったりするのですか? 特にないですね(笑)。ですがとにかく、2010年のショパンコンクールからたった4年間で、いろいろな改良を加え、この状態にまでもってきてくれたことにすごく感謝しています。これまでのファツィオリ特有の良さは保ちながら、コンチェルトのときなどにグワッと押し出す底力が必要だということで、フレームの形をはじめいろいろなことが変わっています。いろいろな角度からよく見てみると、以前の楽器と比べて驚くほど変わっていますよ。 とはいえこのピアノはまだ新しい楽器なので、あと1、2年もするとますます良くなっているでしょう。3年後のルービンシュタインコンクールあたりではすごく良い状態になっていると思うんですが。 ─それじゃあこのピアノを所有している地元のディーラーさんがこのままとっておいてくれれば……。 まあ、売るでしょうね(笑)。 とはいえ、今後の大きなコンクールに向けて、すでに良いなと思う楽器の候補はあります。今回の経験をもとに、またいろいろ調整をしていこうと思います。 ─今回は、1次で36人中5人のコンテスタントがファツィオリを選びました。それぞれのリクエストに対応されたりするのでしょうか。 なぜか終盤に固まってしまったので、うまく対応できるか心配していましたが、幸い好みに大きな違いがあるピアニストが連続して登場することはなかったのでよかったです。たとえばキム・ジヨンさんは軽い鍵盤を好みましたが、ホ・ジェウォンさんは重いほうがいいということでした。ジェウォンさんの演奏の前には、鍵盤のハンマー側にひとつひとつ重りをつけて対応しました。ショパンコンクールの時のフランソワ・デュモンさんにした対応と同様です。デュモンさんの時ほど重くはしませんでしたが、今回は1グラムほど重くして対応しました。彼はずいぶん満足してくれていたようです。 ─その作業にはどのくらい時間がかかるのですか? 1台に貼り付けるのにだいたい20分くらいですから、時間的にはたいしたことはないんです。それに、今回、スタインウェイの調律師さんが朝に作業をするというのでこちらは夜に作業をしていたため、睡眠時間さえけずればいくらでも時間をとることができ、じっくり作業できました。 ─音に対してはみなさんからどんなリクエストがありましたか? 高音をブライトにしてほしいというリクエストが多かったです。会場が全然響かない空間だったので、少し調整を加えました。 ─ファツィオリ最初の演奏者の後に会場でお会いしたら、のどから心臓が飛び出しそうとおっしゃっていましたが、やはり演奏中は緊張されるのですか? そうですね、だんだん慣れてきましたが(笑)、さすがに一人目は緊張しました。ピアノが原因で失敗などにつながれば、自分の任務が果たせていないことになりますから、トラブルが起こらないようにと祈るような気持ちです。最初の演奏が始まるまでは、あのホールで楽器がどう鳴るのかもわかりません。何度かステージが続くうちに、これなら大丈夫かなと自分を納得させる要素が増えていくので、だんだん緊張もやわらいでいきます。 ─どんなふうに弾いてもらえると嬉しいですか? そうですねぇ……もちろんあまり汚い音は出してほしくないですが。でもファツィオリを選ぶピアニストには、あんまりガッツリ弾いて汚い音を出すというような人がいないので、助かります(笑)。 ─調律とは、越智さんにとってどういう仕事なのでしょうか? 調律することによって、そのピアノを自分の音にするということは、したくないんです。楽器がこの音になりたいという方向に持って行くというか。楽器と自分との対話という感じですね。“こうしてやろう”という気持ちを起こすと、楽器って絶対に背中を向けてしまいます。僕が理想としているイメージは、ダンパーペダルを踏んで止音されていないときに、風が吹いたらフワ~っと弦が鳴り出すくらいの、ストレスのかかっていない状態です。楽器が鳴りたいように鳴ることができるようにしてあげるのが調律師の務めだといつも考えています。 ─そこにピアニストがやって来て、思い思いに弾くわけですよね。 そうですね。ですから、ピアノをできるだけ無垢の状態でわたしてあげることが必要です。その後は、ピアニストが自分で色をつけていくわけです。まっさらな状態のピアノを提供できたときには、一番ちゃんと仕事をできたなという感じがします。 ◇◇◇ 越智さんは現代作品にご立腹の様子ではありませんでしたが、それには、コンクールの舞台でファツィオリを選ぶピアニストのタイプに一定の特徴があったからなのかもしれません。もちろん、弾いた人数にも違いがありましたけど。どうなんでしょうか…。 ちなみに越智さん、調律師になりたいと思ったのは小5のときのことで、小6のときには初めてのマイチューニングハンマーを持ち、家のピアノをいじるようになっていたのだということ。チューニングハンマーを握るべくして生まれてきた人物なのでしょう。 全然関係ありませんが、越智さんと雑談をしていると、たびたび「〇〇さんって〇〇にソックリじゃない?」という発言があり、この例えがとても秀逸です。 いつか許可を得て、「Mr.オチの例え語録」を公開したいところであります。”
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ファイナルが始まりました
“ファイナル、室内楽の二日間が終わり、コンチェルトの一巡目が始まりました。 ところで室内楽の課題について振り返って説明しますと、これは指定のピアノ四重奏またはピアノと木管のための五重奏作品から選んで演奏するというものでした。 “ピアノと木管のための五重奏”を導入したのは今年が初めてだったとのこと。今回エントリーしていた36人のコンテスタントのうち、木管のほうを選んでいたのはわずか3人! 幸い、6人のファイナリストのうちコラフェリーチェさんがベートーヴェンのピアノと木管のための五重奏を選んでいたため、共演のNew Israel Woodwind Quintetのみなさんにも無事に出番がありました。 最近コンクールの課題曲に室内楽を取り入れるところが増えていますね。 共演の方々にインタビューをしていても感じるのは、結局短い時間のリハーサルでは、音楽的なものを一緒に練り上げるということまではどうしたってできないということ。そうなるとここで試されるのは、コミュニケーション能力、そして、他の楽器とのバランスを聴いて、自分の音をコントロールする技術、なのでしょうね。 その意味で、スティーヴン・リン君とチョ君は、いけてるなぁと、私は思いました。 特にチョ君のヴィオラ奏者さんからの愛され度はすごかった。 チョ君の終演後、客席で知らないおじいさんから、「君は彼と知り合いなのかい?すばらしかったねぇ。私は今の演奏を聴いて、そのままその場でとろけてしまいそうだったよ」と声をかけられました。 年季の入ったジイサンまでもとろけさせる男。シャイボーイ、やるね! さて、コンチェルトの話に移りましょう。 課題曲は古典派の協奏曲、モーツァルトの20~27番、ベートーヴェンの1、2番から選ぶというものです。共演はAvner Biron指揮イスラエル・カメラータ・エルサレム。そして会場は一気に広い場所に移ります。 客席数は2100ほどと、東京で言えばサントリーホールと変わりませんが、ものすごく横幅が広く奥行きがあり、バルコニー状になっていないため2階席の前の方に座ってもステージを遠く感じます。ホールのデザインもすごく変わっていて、こういうのを何て呼んだらいいのかよくわかりません。宇宙船みたいな感じ。1階の方は、かなり大き目の升席みたいにブロックでわかれています(もちろん椅子はあります)。 後方の席は残念ながらガラ空きです。コンクールのファイナルでお客さんがいっぱいじゃないのって、初めて見たかも…。二巡目のほうはプログラムも華やかだしいっぱいになるのでしょうか。 ちなみに審査員たちは2階席の一番前の列に座っています。 (ステージからの風景。ステージの天上も響きを助けようという気持ちが感じられない形状) さて、最初のバリシェフスキーさんが登場しまして、モーツァルトです。 ああ、この人相変わらずフルフェイスのヘルメットをかぶったような、豊かな毛髪と髭。そしてファイナルの夜の公演でもシャツ姿、裾をパンツにインしないジャズピアニスト的スタイルなのねと思いながら、ホールでどんな音がするのか楽しみに待っていると…… あら、全然ピアノの音が聴こえない。 オーケストラはまあ、少し遠いけどまともに聴こえるのですが、ピアノの音はどこかに反射してもんやり届いているという印象。例えるなら、東京国際フォーラムのホールA(5000席)の2階のだいぶ後ろの席で聴いているみたいです(って、例えがわかりにくいか)。 ちなみに私が今日座っていたのは、審査員の3列後ろです。 こんなふうにしか聴こえないホールで一体審査員はどうやって審査するんだろう?これじゃあミスしたか否か、オーケストラと合っているか否か以外は判断のしようがないじゃないかと、本気で思いました。途中からは、耳のペラペラの部分を指で起こして聴いたくらいです。これやるとけっこう聴こえが変わるんですよね。だから織田裕二とか、めちゃくちゃいろんな音がよく聞えているんだろうなと思います。 いろいろモヤモヤした気持ちのまま、次のスティーヴン・リンさんのベートーヴェン1番へ。 あれ、けっこう聴こえる。やっぱりスティーヴン氏くらい音が出せる人は、こういう場所でもけっこうちゃんと遠くまで届くんだな。でもまだやっぱり、薄いビニール一枚隔てて聴いているような気分。 そして、同じベートーヴェンの1番で、今度はコラフェリーチェ君。 うわー、ぜんぜん音が通ってくるじゃないの…。 もちろん、サントリーホールの2階席で聴くような感じに綺麗に聴こえるまではいきませんが、ちゃんと細かいニュアンスも聴き取れ、“薄いビニール”的な感じもなくなり。 結局、ピアニストの出す音の違いだったということがよくわかりました。音響の良いホールでないからこそ、技術やセンスの違いがここまで明白に表れてしまう。恐るべし、音響の悪いホール。 コラフェリーチェ君、前進するような良い演奏で、少し荒削りっぽいところもありましたが、これだけ音が違うとね…。 ちなみに今日は全員スタインウェイですから、同じピアノです。 とはいえ、あくまでこれは私の耳で聴いた主観によるものですので、他の方がどう思うのかはわかりません。まあ、他にも同様の意見をちらほら聞きましたが。 終演後のコラフェリーチェ君。先生と一緒に。 ベートーヴェンの1番は、子供の頃初めてオーケストラと共演した、思い出のピアノ協奏曲なのだそう。ここにはコンペティションをしに来ているつもりではなく、ただ演奏をしに来ているだけだ、演奏中は何も考えずただ音楽に没頭するようにしている、と、18歳にして落ち着いたコメントでした。 一方の先生は、弟子のコンクールを聴くなんて自分で出る以上にストレスがたまる! やきもきして見ているだけで自分では何もできないんだから! と言っていましたが、なんだか嬉しそうでした。 さて、明日は一巡目の残りの3人。 そして1日間をあけ、28、29日で最後の協奏曲と結果発表が行われます。  ”
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交通事故とラフマニノフ(ファイナル最終ラウンド)
“ファイナル二巡目は、  Asher Fisch指揮、イスラエル・フィルとの共演です。 外には何台も中継車が停まり、会場もさすがにほぼ満席。 ここまでなんとなくゆるい感じで続いてきたこのコンクールも、いよいよクライマックスを迎えているのだなということがわかります。 今日は、普段のコンクールではなかなか起きない驚くことがありました。 ここまでスタインウェイを弾いていた今日の奏者3人が、全員ピアノをファツィオリに変更したのです。オーケストラと合わせるにあたってピアノを変える人がチラホラいるということはわりとありますが、さすがにこんなにゴッソリ変更になるというのは、なかなかないこと……。 コラフェリーチェさんなどは、ラフマニノフに合わせて変えたいとわりと早い段階から決めていたようですが、バリシェフスキーさん、スティーヴン・リンさんあたりは、当日のリハーサルをファツィオリで弾いてみてから、迷いに迷って、変更を決めたみたいです。 それはもちろん、できることならここまで弾き慣れたピアノで最後までいけたほうが良いですもんね。それでもやはりこの広いホールでは、自然に鳴り、素直なまるい音がでるファツィオリが味方になると感じたということでしょうか。確かに一巡目、マリア・マゾさんがモーツァルトを弾いた時、調律師の越智さんが言っていたとおりの、自然で素直に鳴っている感じがするなと思いました。 (とはいえこのモーツァルトは1階で聴いていて、2階で聴いたときの音の通り具合は確認できませんでしたが。なぜか毎回あてがわれる席が違うので) それで、今日聴いてみた雑感。 全員ファツィオリにスイッチして、確かにどのピアニストのステージでも楽器が無理なく鳴って音が通ってきたという感じがしました。良い楽器だなぁとしみじみ。爆発力のあるイスラエル・フィルの音に対抗するには、やはりこのくらい音にエネルギーのある楽器のほうが良いのかもしれないなと。 が、楽器に助けられた人と、逆にアラが目立ってしまった人がいたような気がしないでもない……。 プロコフィエフの2番で安定した良い演奏を聴かせたのはスティーヴン氏。 バリシェフスキー氏は前回と違って断然音が良く聴こえたけど、なんだか初めて聴く種類の、じっとりとしたプロコフィエフでした。二人が弾いたのは同じ作品とは思えないほど、印象が違う仕上がり。おもしろいね。 コラフェリーチェ氏は、相変わらずのびのびやりたいように弾いていてよかったんだけど、正直、彼のタッチでファツィオリを弾くならもう少し違うレパートリーが聴いてみたかったような気もしないでもない。何が聴いてみたかったかなぁ、とか演奏中に考えてしまいました。ごめんなさいね。 でもご本人曰く、ラフマニノフの3番はこれまで演奏した経験もあってとても好きな曲だということ。 さらに終演後おもしろいエピソードを聞かせてくれまして。 以前、車で大好きなこの作品を聴いていて交通事故にあったことがあるそうで。車がぶつかって、自分たちは急いで車の外に逃げたんだけど、ラフマニノフの3番だけがずっと車から流れ続けていて、その場面がすごく印象に残っていると言っていました。 なんつー思い出。 今回ちょっとウロウロしてからふらっとバックステージに行ってみたら、コラフェリーチェ氏は既にお着替え済みでした。足元が、今流行りらしい、しかしあれでどうやって普通に歩けるのかどうしてもよくわからない、ヒモを通していないコンバースでした。 さすが今どきの若者です。 さて、いよいよ明日29日は最終日。イスラエル時間で19時半から3人が演奏したあと、最終の結果が発表されます。”
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アーティスティックディレクター、イディトさんインタビュー
“今夜いよいよファイナル最後の演奏があり、その後夜遅くに結果発表が行われますが、その前に、コンクールのアーティスティックディレクター、イディト・ズビさんのインタビューをご紹介します。一部ちょっと際どいコメントのような気もするのですが、せっかくお話ししてくださったので、結果が出る前に掲載したいと思います。 ◇◇◇ ─このコンクールの正式な名称は、「The Arthur Rubinstein International Piano Master Competition」ですね。この“マスター”という言葉にはやはり意味があるのですか? このコンクールに出場することが許された全てのピアニストは、すでにピアノの“マスター”であるという意味が込められています。すでに演奏活動をしている人、演奏活動をするに値する能力を持っている人が参加するコンクールです。若くてもすでに世界で演奏活動をしている人もいますし、若いころに幸運を掴めなくて歳を重ね、今演奏活動をしている人ももちろん参加しています。 ─イディトさんは審査員ではないとは思いますが、お聞きします。審査員の間に審査方針についての共通の認識のようなものはあるのでしょうか? わかりません。一つ言えるのは、審査員はお互いに意見交換をしてはいけないことになっているということです。そして、私が彼らと一緒にいる限りは、彼らが何か一つの方針を持っているという印象はありません。誰か輝きをもったピアニストがいれば、審査員の意見はおのずと一致するし、それは同時に聴衆の意見とも一致するということなのではないでしょうか。前回のトリフォノフが優勝したときはまさにその状態でした。今回もそうなってくれるといいと思っています。 ─そういう意味では、1次の審査結果は聴衆のリアクションとわりと重なっていた感じがしましたが、2次の後は結果発表のときにブーイングも起きるなど、そうでもありませんでしたね。それもあって、審査の方向性がどういうものなのか少しわからないなと思ったところがあるのですが。 それについては、単に2次になったときにはここの聴衆はすでに好きなコンテスタントに 気持ちが入っていて、よりエモーショナルな反応をしたというだけだと思いますけどね。それに対して、審査員はいつでも客観的で、できる限り専門家としての姿勢を保つべきです。ここの聴衆はとてもあたたかいですが、幸い専門家ではありません。聴衆が全員専門家だったら……むしろいろいろ難しいですよね。 ─このコンクールにこんなにも実力のあるピアニストが集まるのはなぜでしょうか? 多くのいわゆる大きなコンクールは、旅費も宿泊もほぼ全部サポートしてくれるものが多いですよね。一方でこのコンクールは、コンテスタントは基本的には部屋を二人でシェアし、一人部屋を希望する場合は自己負担が必要ですし(※部屋にはアップライトピアノがあり、決められた時間内で練習できます。ホテルの部屋をシェアする場合は無料、一人部屋を希望する場合は1泊100ドル弱を自己負担するそう。2次に進んだら、一人になった者同士で部屋をまとめられますが、さすがにファイナルになると1人部屋になります)、音楽院での練習もほとんどアップライトピアノしかないということで、条件としてはなかなか厳しいところもあると思うのです。 そう? 一人の部屋を希望しなければ宿泊も無料で、わざわざ出かけて行かなくてもいつでも部屋で練習できて、友達もできるし、状況はとても恵まれていると思うけど! 多くの人がお互いを知っていますから、一緒に宿泊するのも問題ないでしょうし。とはいえ、普段グランドピアノに慣れていればアップライトで練習するのはちょっと辛いだろうというのは確かですね。ただ、そういう場合は、グランドピアノのあるショップやプライベートな家を見つけて弾かせてもらっている人もいるみたいです。旅費も、最高で500ドルサポートしています。 私たちは残念ながら36人分のグランドピアノを用意して部屋に入れることはできませんが、状況は回を重ねるごとにかなり改善されています。今回は、入賞者の副賞として、これまでで最も多くのコンサートを用意しています。入賞賞金だけがコンクールの目的ではありませんよね。コンクール事務局として海外のコンサートをアレンジするのは簡単なことではないのですが、できる限りのつながりを駆使してコンサートを作りました。 とはいえ私たちのコンクール事務局はお金がたくさんあるわけではありませんし、スタッフもたった3人しかいません。もしかしたら多くのコンクールほど十分なサポートはないかもしれない…それでもみんなが受ける理由は、なんでしょうね。いろいろなコンクールを見て比べているあなたにむしろ教えてほしいです。ホスピタリティと温かさ、でしょうかね。 ─コンクールの規定について、前年の8月以降審査員の弟子である人は参加できず、さらに過去の生徒にも投票できないというのは、結構厳しいルールですね。自分の生徒には投票できないというルールはよく聴きますが。 私がこのコンクールに携わって11年ですが、このルールは以前からありました。この規定には、プラスとマイナスの面があります。プラスの面は、おかげで不正が行われないこと。ある審査員が、他の審査員の生徒に投票しなくては悪いかもしれない、投票しなかったら嫌われて自分を次の審査員に呼んでくれないかもしれない……などと感じて変な決断を下すことはなくなります。過去の生徒に対しては、もしも投票してもカウントされません。できるだけ審査をクリーンにする試みです。とはいえ、不正をしようと思えば方法はあるかもしれませんが、私はそんな審査員はいないと信じています。 マイナスがあるとすれば、審査員がみなすばらしい教育者であるために、すばらしいピアニスト達がたくさん参加できないということなのです。 ─とても厳密なルールがあっても、どうしてもコンクールの結果が出たあとは審査の“政治”が話題になることもありますよね。 私自身に直接言う人はいませんが、このコンクールについてもそういう噂はあるのかもしれません。私が言えるのは、このコンクールには100%政治はないということ。なぜこんなことが言えるかというと、私は誰も疑っていないし、誰も疑いたくないからです。 審査員の先生たちはお互いに意見交換をしてはいけないことにはなっていますが、同じホテルに泊まって行動を共にしていますし、夜はバーで一緒に飲んだりもするでしょう。私はそこにいませんし、それを取り締まる警察がいるわけでもありませんから、何もできません。 それともう一つの問題は、誰も人の心の中は覗けないということです。誰かが、このコンテスタントは上昇志向のある人物の生徒だと思い、そういう上昇志向のある人物同士がつながっていれば……。14人も審査員がいれば、もしかしたら完全に正直でない人もいるかもしれない。わかりません。彼らはみんな人間ですから、いつでも完全に正しくいられないかもしれない。 私自身はいつでも正直でいたいと思っています。でも残念ながらすべてをコントロールできるわけではないのです。でも、このコンクールは他の某コンクールよりそういう噂が少ないと信じています。より大きいコンクールであればあるほど、やっぱり結果についてそういう噂が出てしまうものなのだと思いますが。 有名になればなるほど、敵は増えるものです。敵はみんな、相手を傷つけようとするものです。こんな話も聞いたことがあります。あるコンクールの事務局に、予備審査を通過したコンテスタントについて、その人は犯罪者だから参加させてはいけないというメールがとどいたことがあるそうです。その1席をとりたい別のピアニストの陰謀なのか、わかりません。こういう話は本当に嫌ですね。 ─11年間このコンクールの歴史を見てきて、変化は感じますか? このコンクールはもはや私の生活の一部のようなものです。でも、基本的にはコンクールというものは好きではありません。すばらしいピアニストと途中でお別れしなくてはいけないのは本当に辛いからです。そのため、せめてこのコンクールをできるだけフェスティバルの雰囲気にして、競い合うという空気をなくすよう心掛けています。ただ一人で練習して、一人で部屋で夜を過ごし、そのうえ結果もよくなかったなどという経験はしてほしくないのです。 室内楽を入れたのはここ数回のことで、管楽器との五重奏は今回が初めてです。室内楽の課題は、ピアニストの互いに聴く能力を確認することもできるうえ、演奏者にとってリフレッシュになるのではないかと思います。毎回新しいことを取り入れたいと思っています。 ─今回は40周年ということで、何か特別なことはあったのでしょうか? 審査員はいつもより多く、2人コンテスタントを多く受け入れましたが、それ以外はほとんど同じですね。オープニングコンサートは豪華にやりました。それと、賞金は前回よりずっと上がりました。例えば前回は優勝賞金25000ドルでしたが、今回は40000ドルです。 ─ルービンシュタインについて思い出はありますか? とても良く覚えていることがあります。ニューヨークで勉強していた頃、彼がマスタークラスにやってきました。その中で話していたことのほとんどはあまり覚えていないのですが、その時の生徒に、「若者よ、恋をしなさい。そうすればあなたの演奏はずっと良くなりますよ」と言った、そのことだけはっきり覚えています(笑)。 それからイスラエルに移り、ラジオ局のプロデューサーとしてこのコンクールを録音していて、彼の奥さまにインタビューをしました。ルービンシュタイン自身はインタビューを嫌がったので。ルービンシュタインは、とても生き生きとした、人生を愛している人でしたね。すばらしい人物でした。  ”
6月
01
ファイナル結果発表、ピアニストの言葉
“少し記事のアップまで日が空いてしましましたが、現地時間5月29日の深夜、ルービンシュタインコンクール、審査結果が発表されました。 第1位 アントニ・バリシェフスキー(ウクライナ、25歳) 第2位 スティーヴン・リン(アメリカ、25歳) 第3位 チョ・ソンジン(韓国、20歳) ファイナリスト賞 レオナルド・コラフェリーチェ(イタリア、18歳) アンドレイス・オソキンス(ラトヴィア、29歳) マリア・マゾ(ロシア、31歳) ◇副賞 イスラエル人作曲家作品賞 アントニ・バリシェフスキー 室内楽賞 チョ・ソンジン、アンドレイス・オソキンス ジュニア審査員賞 チョ・ソンジン 古典派協奏曲最優秀演奏賞 レオナルド・コラフェリーチェ ショパン作品最優秀演奏賞 レオナルド・コラフェリーチェ 22歳以下のファイナリスト最優秀演奏賞 レオナルド・コラフェリーチェ 聴衆賞 マリア・マゾ インターネットで聴いていたみなさん、結果についての感想はいかがでしょうか。 正直に申し上げまして、わたくしはびっくりいたしました。 優勝したバリシェフスキーさんは、完全にノーマークでした。演奏面からも経歴面からも、ノーマークでした。1次からノーマークな人でしたし、ファイナルの演奏を聴いてますますノーマークになった人でした。 バリシェフスキーさん、なんだか素朴でいい人そうだし、リサイタルの時は安定した演奏を聴かせてくれていました。そしてご自身は自分の音楽をしているだけで、私がたまたまそれに強く惹きつけられていないという、趣味の問題なのではありますが、この過去の記事を読んでくださっている方はお気づきのとおり、彼は私がモーツァルトで全然音が聞こえなかったと書き、プロコフィエフでねっとりした演奏だったと書いてしまった人です。 というわけで、結果にはそりゃまぁびっくりしました。むしろ、ご本人もびっくりしているようにすら見えました。それは単に彼の純朴そうなまぁるい目のせいかもしれませんが。 結果発表の様子はこんな感じでした。 審査員やスポンサー、そしてコンテスタントが全員登壇すると、 ステージ1の演奏直後にあらかじめ撮影していた「優勝するのは、どんな気分か」についてのコメント動画が上映されまして。ステージ1のバックステージでとあるコンテスタントが「優勝するのはどんな気分かって今聞かれたんだけど。意味わかんない」と言っていて、なんのこっちゃと思っていましたが、ここで流すためのものを撮影していたわけですね。 そして、今年から始まったジュニア審査員(地元の音楽学生が審査員を務める)による審査結果、各種特別賞、聴衆賞が発表されました。合間には、5月28日に二十歳になったチョ君のお誕生日をお祝いするケーキが渡される場面も。 そして、ようやく最終の結果発表。 で、会場の雰囲気からして、結果に驚いたのは私だけではなかったようです。大きな拍手がもちろんわきましたが、多分熱心に最初から聴いていたと思われる人たちの中には、むっつりした表情ですぐに席を立つ人がけっこういました。 そこにきて、絶妙のタイミングでどーんと国歌斉唱。帰ろうとしていた人も立ち止まり、今にもお隣同士で論争を始めそうだった人たちも、おとなしく国歌を斉唱するのでした。 なんて計算しつくされた流れ……と、どうしても思えてしまいました。ひねくれていて、すみません。 その後、現地でコンクールを最初から聴いていたいろいろな人と話をしていて、「バリシェフスキーが優勝すると思ってた!」と言う人は、私が聞く限りはちょっといませんでしたね。やっぱり、多くの人にとって予想外の結果だったと思います。 バリシェフスキーさんが良いピアニストでないと言っているわけではないのですが、今回のファイナルの出来を多くの人が「ああ、彼はちょっと本選うまくいかなかったね」と認識していたため、みんなびっくりしたのかなと思います。同時に、インパクトの強い演奏をした人が他に何人もいましたし……さらに別の面から言えば、審査員の元弟子系の実力派もウヨウヨいましたからね。そんな意味でも、ダークホースでした。 私が普段話をするのは、だいぶ音楽を聴き慣れた人々や関係者が多かったわけですが、それにしてももちろん“専門家”の審査員ではありませんから、その多くの印象がちょっとズレていたのかも。こればっかりはわかりません。その後のレセプションでも他のコンテスタントのほうがいろいろな人から声をかけられていて、バリシェフスキーさんがぽつんとしていることが多く、ますます変な感じがしてしまいました。 これから優勝者ツアーがありますが、彼がそれぞれの演奏会で、期待に応える演奏を披露してくれたらいいなと思います。 審査結果について、何人かの審査員にも話を聞いています。それはこの次の記事で。 さて、なにはともあれファイナリストたちのコメントなどをご紹介。 今回はファイナルの最後にピアノをスイッチする人が続出し、6人中5人がファツィオリで演奏するという前代未聞の出来事もあったので、その理由についても聞いています。 まずは、最年少でファイナリストとなり、いろいろな副賞をゲットしていたコラフェリーチェさん。結果発表前に聞いたお話です。 (それにしても、ファイナルであれだけの課題を演奏しながら上位3位以外には順位が与えられないというこのスタイル、いつもなんだかなーと思います……) ─すべて演奏を終えて、今の気分は? 3週間近く、一生懸命毎日6、7時間練習して、ナーバスな時間を過ごし、やっとここまでたどりつくことができて、とにかくうれしいです。結果は重要なことではありません。このコンクールで演奏できたことがとてもいい経験になりました。 ─ファイナルのラフマニノフではピアノをファツィオリに変更しましたが、その理由は? スタインウェイ、ファツィオリ、どちらもすばらしいピアノでしたが、このタイプのホールでラフマニノフを演奏するならファツィオリがいいと思いました。 室内楽と古典派協奏曲で弾いたベートーヴェンのような、しっかりと組み立てられた構造を持つスタイルの作品では、スタインウェイの音がとても合いました。 一方、ラフマニノフはまったく別の世界を持っている作品です。ファツィオリはピアノが軽く、音も豊かで、ラフマニノフを弾くにはぴったりでした。弾いていてとても心地よかったです。 続いて見事聴衆賞に輝いたマリア・マゾさん。 ファイナルの最終ステージ、最後の奏者として大いに会場を沸かせ、唯一アンコールも弾きました。日本での演奏会が企画されそうな話があるようなので、楽しみですね。 ─このコンクールを受けることにした理由は? 以前からこのコンクールには挑戦してみたかったんですが、ヴァルディ先生の元で勉強していたので参加できませんでした。でも、先生の元から離れて演奏活動をするようになってずいぶん時間が経ったので、そろそろ受けてもいいかなと思って。 ─ファツィオリを選んだのはどうしてですか? 以前、初めてファツィオリを弾いたときに、すごく自分に合うと思いました。でもおもしろいもので、私の友人のピアニストが演奏してみたときは、何かしっくりこないしうまく扱えないと言っていましたね。 今回も2台のピアノを試してみて、ファツィオリは私のためのピアノだと思うほどぴったりときたので、選びました。 そして第1位に輝いたアントニ・バリシェフスキーさん。 そのワイルドな頭髪と髭のイメージとは少し違って、丁寧に言葉を選んで語る、優しそうな人でした。本選になってフルフェイスのヘルメット的な印象はちょっと薄れたので、少し髭を整えたのかな?と思って、ステージ1の動画と見比べてみましたが、同じでした。ただ見慣れただけかも。 結果発表が終わって、プレスの取材が一区切りつくと、何かものすごく急いでホールの外に去って行こうとします。 待って待って!と呼び止めますが、今にも立ち去りたいという感じ。外で誰か待ってたのかな? ─日本の聴衆のためにコメントをください! え? ─みんなインターネットで聴いているんですよ。だから日本の人たちにもコメントを。 はぁ、そうなんですか。 ─結果が出て、今の気分は。 とても幸せです。僕に票を入れてくれたみなさんに感謝しています。それから、僕がいいピアニストだと信じてくれた人にも感謝してます。うふふふ! ─ところで、最初から最後まで、普通のステージ衣装ではなくシャツ姿でしたね。 そうなんです、好きじゃなくって……。 (その後、レセプションで再び発見) ─ちょっとお話を聞かせてください。 ちょっと待って…(モグモグ)、飲んでいて、食べないと酔っ払っちゃうから…(モグモグ)。 ─そうね、空腹にお酒は危険だよね。 (モグモグ)。…はいどうぞ! ─ひとつ加えてお聞きしたかったのは、ファイナルでどうしてピアノをファツィオリに変えたのかなということなのですが。 理由はこのホールです。ピアノ選びの時は、スタインウェイが心地よかったのでそちらを選びました。最初の3ステージはもっと小さいホールでしたし、そこで弾いていたレパートリーにはスタインウェイが合っていました。 でもこちらの広いホールでは、スタインウェイのソフトな音だと充分でありませんでした。ロマンティックな作品だったらよかったかもしれませんが、プロコフィエフには、音量、そしてブライトな音が必要でした。このファツィオリはとてもリッチな音を持っていて、これなら自分のアイデアが再現できると思ったので。 ─ファツィオリの音の印象はどのような感じでしたか? 高音部のオクターヴを弾いたときのヴォイスがとても好きなんですよね。とても輝かしい音を持っています。これこそが、僕がプロコフィエフに必要だと思ったものです。 第2位のスティーヴン・リンさん。 いつもいろいろなコンクールで見かけるんですけど、ちゃんとお話をするのは今回が初めてです。若いころ長らくジュリアードでカプリンスキー審査員のもと勉強していた人です。 ─すべてを終えて、どんな気分ですか? ファイナルまで参加できたことをとても幸運だったと感じています。全部が終わってとにかくうれしい。スケジュールもタイトでしたし、大変でした。 ─最後のステージでピアノをファツィオリに変えたのはどうしてですか? アントニ(・バリシェフスキ)がスタインウェイを弾いているオーケストラリハーサルを少し聴いて、彼のような大きい男が弾いているのに音が良く聴こえない、これは良くないなと思って変えることにしました。多分他のピアニストにとってもそれが問題だったんだと思います。後ろ半分の席に音が聴こえないというのは、問題でしょ。 ─ファツィオリの音の印象は? とてもブリリアントで、大きなホールであのピアノを演奏するのはすごく楽しかったです。 ─ところで、このコンクールを受けることにした理由は? アンドリュー・タイソンって知ってる? 仲のいい友達なんだけど、彼が受けようよというから、確かに一緒に行って向こうで楽しめばいいかなと思って一緒にエントリーしたのに、彼は急に自分だけ棄権したんだよ! 僕はもうその時には飛行機を予約してしまっていてキャンセルできなかったので、仕方なく来たんだ。ひどいよね(笑)、信じられないでしょ。これでしばらくコンクールに出るのはお休みしようかなと思っています。 ─こちらでの生活はどうでした? ファイナル前までは練習がアップライトで大変だったのでは? 最初はすごく大変だと感じました。でもなぜかだんだんアップライトが気に入ってきちゃって。ファイナルになったらグランドで練習できるんだけど、なんだかアップライトピアノが恋しくなってしまいました。家にアップライトピアノ買おうかな。 ─コンテスタント同士相部屋というのも大変そうだなと思いましたが。 最初はすごく変な感じだったけど、なんだかけっこう楽しかった。 ─ステージ2では吉田友昭さんと一緒の部屋だったそうですね。 そうそう! 僕すごく楽しかった。トモアキのほうがどうだったかわからないけど(笑)。 ─人生とか幸せとかについて語り合った、とかって聞きましたけど。 そうそう。いろいろ意見を交換してめちゃくちゃおもしろかった。彼と話をするのはすごく好きだったなぁ。あははは! ─やっぱり、既婚の一児の父の意見はオトナ? そうそう、あははは!! (よっしだ君の話になると、なぜかものすごく嬉しそうなスティーヴン氏でした。) そして第3位のチョ・ソンジンさん。 (最終ステージ終演後、結果発表前に聞いたお話です) ─最後のステージ、お客さんの盛り上がりがすごかったですね。チャイコフスキーの協奏曲、アグレッシブな感じがして素敵でしたよ。 アグレッシブ……そう(笑)? ─あ、私の個人的な感想だから無視してください。とにかくフレッシュなエネルギーを感じたということです。 チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、とてもロマンティックな作品ですよね。僕ももう20回も弾いている作品です。いつもこの協奏曲を弾く時は、この作品を弾く初めての人間が、初めて弾いているような気持ちを持つようにしています。より深い情熱を込めて、ダイナミックに演奏したいから。それがそういう印象になったのでしょうかね。とくに1楽章と2楽章で大きなコントラストをつけたいと思っていました。2回ほどオーケストラとうまく合わなかったところがあったけど、指揮者もオーケストラも素晴らしかったです。 ─ファツィオリにピアノを変更したのでびっくりしました。 僕もびっくりしました(笑)。本番の朝リハーサルで弾いてみて、変更したんです。 ─どうして変えることにしたんですか? 古典派協奏曲のあと、音がクリアでなく2階では聴こえにくかった、同じ曲をファツィオリで弾いたマゾさんの演奏は聴こえたという意見を聞いたんです。最初はそういう話は気にしていませんでした。他の人たちもスタインウェイを弾いていたから条件は同じです。でもインターネットで最終ステージ初日の3人が全員ファツィオリに変えているのを聴いて、びっくりして。リスクを取るべきでない、僕も同じ状況で演奏したほうが良いと思ったんです。でもね、正直言ってどんな楽器かということは大きな問題ではないんです。これまで数々の大変なピアノで演奏をする経験がありました。もちろん、ピアノが良い音であることは重要なんですけど、弾きやすいかどうかなど、実は僕にとってあまり関係ないんです。 ─ファツィオリの音の特徴をどう感じましたか? とてもクリアな音でした。このホールは音響が良くないので、スタインウェイだと音が分散してしまう感じがしました。ファツィオリの音は密度が濃くまっすぐに届く感じがしたんです。 ─パリでの生活ももうだいぶ経ちましたね。 2年近く経ちました。でも、演奏活動などで留守にしていることが多いので、実質パリにいるのは1年くらいかも。 ─コンサート活動がたくさんあるけれど、さらに今回もこのコンクールを受けることにした理由は? ヨーロッパでの演奏活動をもっと増やしていきたいからです。アジア人、とくに韓国のピアニストにとってはやはりコンクールでの経歴が必要ですから。僕が日本でコンサートをできるのも、浜松コンクールに優勝できたからです。みんな僕があまり緊張していないと思っているみたいですけど……いつも表情がこんな感じですから……演奏会の前はすごく緊張するし、とくにコンクールは好きじゃないんですけどね。 ところで僕、昨日(28日)が20歳の誕生日だったんです。僕はステージ2の演奏順が4番目だったから、ファイナルに進んだら日程的にきっと初日になって、ステージの上で誕生日を迎えられると思ったのに、僕の前3人が全員通ったから2日目になっちゃって。おかげで昨日は誰にもおめでとうと言われず、一人でずっと練習して誕生日を過ごしたんですよ。 最後に、なんだかかわいく撮れたチョ君とスティーヴン氏の写真。 あんまり似ていない兄弟みたい。 チョ君、誕生日は練習漬けで寂しかったようですが、その後の受賞式でステージ上で誕生日ケーキを贈られ、2000人の聴衆からお誕生日を祝われたので、よかったよかった! 彼には次の来日公演についてなどいろいろお話を聞いていますが、それは別の場所でご紹介します。  ”
02
審査員に突撃してみた
“ 今回のコンクール中、ずっと考えていたことがふたつあります。 ひとつは、このコンクール、ショパコン、チャイコンやエリザベート、クライバーンのように、いわゆる優勝して一気に有名になったりマネジメントがついたりするコンクールではないのにどうしてこんなにすごい経歴の参加者が集まるのだろう……ということ。もちろんこれが重要なコンクールであるのは間違いありませんし、副賞ツアーも充実していますが、一部、ここでさらにタイトル取る必要あるのかなという経歴の人もいたような気がしまして。 実際やって来て、参加者に対するサポートも(すごくあたたかいホスピタリティの気持ちはあるとはいえ、物質的な意味で)充実しているとはいえない状況、メディアへの露出も他の主要コンクールに比べてほとんどないという状況で、ますますその疑問は深まるのでした。 やっぱりコンクール審査員業界のドン(?)であるヴァルディ先生がやっているコンクールだから、声をかけられて参加するピアニストもいるのかな……そしてさらに、民族や宗教といういろいろな状況にまで考えは及びました。推測の域を出ないので、ここで具体的に書くことはしませんが。 そしてもうひとつ考えたのは、審査員の顔ぶれについて。 コンクールの取材をしていると、どこに行ってもお会いする主な審査員の先生方が一定数いて、そのメンバーのいろいろな組み合わせプラス地域ならではの審査員という顔ぶれのことが多いなと思います。ここでも半分はいつもの先生方大集合という感じでした。 いつもお会いする審査員の先生たちはおもしろい方が多いので、あちこちでお会いできるのは楽しいのですが、ふと、これってこの固定メンバーから好かれていない種類のピアニストは、どこに行っても優勝しにくいんだろうな……という考えが頭をよぎりまして。 芸術の世界にひとつの答えはない。そんな中で、ピアニストが世に出る大きな足掛かりのひとつである大きなコンクールの世界がこの状況というのは、果たしてこの業界の発展にとってどうなのかねぇ、という疑問が頭の中で渦巻いておりました。スポーツの審判のように資格が必要なわけでもありませんし。 似た審査員同士があっちでこっちで招きあっていると、お互いの趣味や思惑もわかってくるし、どんどん変なつながりが強くなったりするんじゃないかな、中でも強い力を持つ人物が出てきたりするんじゃないかな……なんていう疑念まで頭をよぎりました。最初は純粋に審査をしていた人も、長く続けていけばだんだん考えが変わってきてしまうのではないかとか。もちろん、そういうことに巻き込まれずに審査をしている先生もたくさんいると思いますし、あるところで審査員を一新するコンクールなんかもありますが。 「権力は人を変えるものですよ」と、大学院のインド研究時代にお世話になった教授が言っていたことを、ふと思い出してしまいました。 (ちなみにこの発言が出たシチュエーションは、こうです。当時大学教授による学生へのセクハラ&アカハラ問題が取りざたされていて、この先生は女生徒が教官室を訪ねると必ずドアを開けておくよう指示するのでした。しかしこの先生、寡黙で真面目、いやらしげな気配は皆無の初老の男性なので「先生のような方のこと、誰も疑いませんよ」と言ったところ、この「権力は人を変える」発言が出たのでした。誰もが真面目と思う人間も、立場が変わればどんな心理変化が起きるかわからないと思っておかねばならないという忠告。深いなと思いました。…あ、脱線しすぎましたね) さて、話がだいぶ逸れましたが、審査員の先生方のお話を紹介しましょう。 驚きの結果発表後、夜も遅く、ちょっとみんながざわついている空気の中での、短時間立ち話インタビューです。今回の審査員の中でも私が最もよく遭遇する3人の先生方にお話を聞きました。 ちなみにファイナルの審査方法を見ると、元弟子がファイナルに残った審査員は投票できないとあります。1位から順に、各審査員が当てはまると思うコンテスタントに投票し、半数以上を得るコンテスタントがいない場合は、得票数の多い2名に再投票を行います。これを、1位、2位、3位と順に決めていくということです。基本的に、ファイナルの室内楽、2つの協奏曲を総合して判断することになっていると聞いています。 つまりこの規定からいくと、ヴァルディ審査員、カプリンスキー審査員は投票できず、12名の審査員で投票が行われたということになりますよね。本当か!? 確認すればよかったな。ということで、ただ今確認中です。いつ返事がくるかわからないので先に記事をアップしちゃう。 それとひとつ付け加えると、このコンクールの予備予選は書類審査のみ。実演オーディションはもちろん録音の提出はなく、コンクール入賞歴と推薦状のみで、36人の参加者が選ばれました。大きなコンクールで、今どき珍しいです。 さて、コメントに移りましょう。まずは、ヨヘヴェド・カプリンスキー審査員。 ここ最近を振り返ると、去年のヴァン・クライバーン、直後の仙台、そして今回と続けてお会いしています。物事を明晰に分析し、いつも、なるほど……と思うご意見を聞かせてくださる、とても聡明な女性です。ジュリアード音楽院ピアノ科の長でいらっしゃいます。イスラエル人である彼女は、このコンクールでは第10回(2001年)から毎回審査員を務めていらっしゃいます。 ─結果について、いかがでしょうか? 結果は審査員全体の意見を代表したものです。ある人はそれに満足しているでしょうし、そうでない人もいるかもしれません。みんながとても僅差のレベルで演奏していましたから、結局は誰がファイナルでうまく生き残ったかが勝敗を分けたと思います。多くの聴衆は違う意見を持っていたかもしれませんし、ジュニア審査員も違う考えを持っていました。一部の審査員も違う意見を持っているかもしれません。 私としては、6人のファイナリストがみな良いピアニストで、これからも成長してくれる可能性を持った方々だったことをとても嬉しく思っています。 ─審査員の先生方の間には、こんな人を選ぼうという共通の認識はあったのでしょうか? 私たちは結果を出したわけですから、それは共通の認識を持っていたということを意味していると思います。でも、事前に審査基準を合わせるということはしていません。審査とはそうして行われるべきものであって、そのために、異なる音楽の聴き方をするたくさんの審査員が集まっているのです。 ─このコンクール中考えていたことがあります。カプリンスキー先生はじめいろいろな審査員の先生方と多くのコンクールでお会いしますが、それは多くのコンクールで審査員のメンバーが似ているということじゃないのかなとふと思ったのですが、どういうお考えをお持ちですか? 私は全部のコンクールで審査しているわけではありませんよ。 ─……そうですね、たまたま私がよく会うというだけで。 ええ、それに、どのコンクールでもいつも違う人とご一緒しますし、今まで会ったことのない方と審査をすることもたくさんあります。このコンクールでもそうですが、自分の生徒に投票することはできません。初めて聴くコンテスタントにも出会います。例えば今回のファイナリストのうち、スティーヴン・リンとマリア・マゾ以外は初めて聴くピアニストでした。そして前に聞いたことのあるピアニストの演奏も、その場所にあるものを聴いているだけで、3年前にそのコンテスタントがどう演奏していたかを聴いているのではありません。例えばマリアのベートーヴェンのソナタは9年前にも聴いたことがありますが、そのときと比べて信じられない進歩をみせていたことに驚きました。 聴衆の皆さんにもう少し信じてほしいと思うのは、私たち審査員は若いピアニストたちのことを大切に思っているということです。それぞれが全力で審査をし、できるかぎり良い審査のメカニズムを取り入れようとしているのです。みなさんが結果を不服だと思っているときには、私たちも結果に不満だと思っていることもあるのです。 ◇◇◇ カプリンスキー先生的にも、やはりちょっと納得いかない結果だったのでしょうか。そして最後の質問のとき、いつも穏やかなカプリンスキー先生が少し語気を強めてお話しされていたので、おっと、この質問は地雷なのか……?と思いながら、次の審査員に突撃です。 審査委員長のアリエ・ヴァルディ先生。ヴァルディ先生も、一昨年の浜松、去年のクライバーン、そして今回と、コンスタントに毎年お会いしています。 ─優勝したバリシェフスキーさんについての印象をお聞かせください。 彼はとても真面目な音楽家です。正直で、アピールしようとしたり、媚びへつらうこともなく、ショーマンシップもありません。誠実さと深みを持つアーティストです。彼のそういう姿勢を尊敬しています。彼がステージ1で弾いたムソルグスキーの「展覧会の絵」は、多くのエネルギーとファンタジーが込められていて、私がこれまでに聴いたこの作品の演奏の中でも最高の演奏のひとつだったと思います。 ─今回のこのコンクールで求めていたピアニストは、どのような人だったのでしょうか? どのコンクールでも同じです。私たちを、笑わせ、泣かせてくれる、本物のアーティストです。鍵盤弾きでも、単なるヴィルトゥオーゾでもない……もちろんヴィルトゥオーゾであることは邪魔にはなりませんが、本物のアーティストを探しているのです。 ─次の質問ですが、これをお聞きしても気分を悪くされないでほしいのですが……。 ええ、どうぞ。 ─いつもいろいろなコンクールの会場でお会いできるのはすごく嬉しいのですが、それは、多くの有名なコンクールで主要な審査員が似たメンバーだということじゃないかとふと思ったのです。どうしてそういうことになるのかなと考えました。世界にはたくさんの教育者もいますし、それに…… 第1回のルービンシュタインコンクールでは、ルービンシュタインが審査員でした。これまでにはミケランジェリやニキータ・マガロフもいました、そうやって始まって、今があるというだけです! ─ただ考えたのが、たとえばあるピアニストが主要審査員の気にいるタイプでなかったら、その人はどのコンクールでも優勝できないということになるのかなと、ちょっと思ったのですが…… ……はい、ありがとう。 ◇◇◇ 歩きながらのインタビューで、すでにレセプションの会場の前に到着していたということもありますが、こうしてインタビューは打ち切られました。というわけで写真も撮れず。 ヴァルディ先生の反応に、わたくしけっこうびっくりしました。先生的に答えるのに居心地の悪い質問だったのかもしれませんけどね、でも、今後の国際コンクールがどうなっていくのかについての結構重要な質問だったと思っていたのですが……。 でも、めげずに次の審査員にアタックです。 お次は、振り返って多分一番いろいろなコンクールでお会いしているような気がする、ピオトル・パレチニ先生。審査員席にお顔を見つけるとホッとする人です。会場でボソッとこぼす愚痴のようなコメントがいつもおもしろいので、見つけるとつい声をかけたくなってしまいます。写真を撮るというとサササとこの横分けヘアーを整えるのもいつも同じ。安心します。 ちなみに、このコンクールの入賞者は、パレチニ先生が芸術監督を務めるドゥシニキのショパンフェスティバルでのリサイタルに出演することになっています。 ─あ、パレチニ先生! コメントをお願いします。 あ……ちょっともう帰ろうかなと思ってるんだけど。 ─少しでいいので。結果についてはどうでしたか? 正直言って私はびっくりしましたが。 そうだね……それでちょっとあんまり話したくないんだけど……。なんていうか、結果は受け入れますよ。審査員の一人として受け入れなくてはいけないですから。私が気に入っていたのは他の人だったんだけどな、というだけです。ショパン賞も、私が良いと思ったのは別の人です。結果は14人の審査員の決断によって出すものですから、審査員になることを承諾したということは、全員で決断をすることを承諾しているということですので。 ─審査員のみなさんの間で、「成熟した人を」とか、「若くても可能性のある人を」とか、そういう共通の認識のようなものはあったのですか? ありません。それぞれが同じ重さの投票権を持って、単に良かったと思う人をそれぞれが選んだだけです。その中に政治的な何かが働く可能性もあるかもしれませんが、もちろんそれはあるべきでないと思っています……。ごめんね、ちょっと行かないと、おいて行かれちゃう。 ─あとひとつだけ聞かせてください。このコンクール中ずっと考えていたことです。この質問をして怒らないでほしいんですが……さっきヴァルディ先生をちょっと怒らせてしまったかもしれないので……。いつもお会いできて楽しいのですが、それってメジャーなコンクールで多くの審査員が同じメンバーだということなのかなと思ったのです。世界にはたくさん優れた教育者がいるのにどうしてこういうことになるのでしょう。たとえばこういう人気の審査員たちが好かないタイプのピアニストは、どこのコンクールに行っても勝てないということになるのかな、なんて。 そんなことはないですよ。審査員はいつだって意見が変わります。レパートリーによってだって印象は変わりますし、ピアニスト自体も成長してどんどん変わっていきます。コンディションもその時によって違います。なので、そのことについては私は問題があると思っていませんね。例えば今日結果に納得していなくても、もしかしたら明日には納得しているかもしれない。1次ではすごくいいと思った人を、2次では全然良くないと思うかもしれない。そんなに大きな問題ではないと思います。 ─なるほど。あとはコンクール同士の協力関係というのも、コンクール界を盛り上げているところはあるかもしれませんよね。優勝者が他のコンクールの予選免除をもらえるとか。 そうそう、たくさんのコンクールがあって、参加したいというピアニストもたくさんいて、コンクールは成長していると思いますよ。 ◇◇◇ これまでいろいろなコンクールでパレチニ先生に話を聞いていますが、なんだか結果に不満そうなことが多いような。しかも結構、私が思っていることと意見が合う。そしてそれをあまり言葉を濁さず、正直に言ってくれるところが好きです。 ところでコンクールでよく持ちあがる話ですが、審査員の弟子だから……みたいなことは、言うだけナンセンスなんだろうなと最近思うようになりました。問題はもっと違うところにある。 いろいろなコンクールで見かける先生方は優れた教育者だから、優秀な生徒が集まり、上位に入賞している。それだけのことです。それに、出場しているピアニストには何も悪いことはないですもんね。 ただ、先にアーティスティックディレクターのイディトさんにしたインタビューで話に出てきた「ある審査員が、他の審査員の生徒に投票しなくては悪いかもしれない、投票しなかったら嫌われて自分を次の審査員に呼んでくれないかもしれない……などと感じて変な決断を下す」。こういう考えが働いて、さらにはその想いがつながってしまった場合は、最悪ですね。弟子に限らず、好き/嫌いなピアニストでも当てはまる話だと思いますが。 嫌なことを言うようですが、この世の中のシステムはある意味で平等なんかではない。その優位な立場を手に入れる運や頭の使い方も実力のうちといえるのではないかと思います。ズルは大嫌いですが、それをする人が存在するのは避けられません。世の中そういうことになっている。そして、そうやって何らかの幸運が巡ってきた人がその運を使うのは当然でしょう。 (とはいえ、今回のコンクールの優勝者が何かがあって決まったと言いたいわけではありません!! なんだか今回はいろいろな状況が相まって、そういうことを考えてしまったというだけです。)とにかく今強く感じていることは、そういう妙な駆け引きに巻き込まれたり、利用されたりして辛い思いをする若いアーティストが出るということだけは、どうかやめてほしいということです。それは結果が良くなかった人かもしれないし、逆に例えば優勝した人でさえ、結果的に辛い目に遭わされることもあるかもしれない。まあ、私なんかが何をここで書いても何も変わりませんけど、そんなことをふと思った今回のコンクールでした。 というわけでなんだか長々暗いことを書いてしまいましたが、この件についてはまたどこかでいろいろ考察して書いてみたいと思っています。 この後このサイトでは、再びゆるやかに、コンクールにまつわる人々や、できればテルアビブやエルサレムの街について書いていみようと思います。  ”
03
テルアビブの思い出
“さて、テルアビブの話を少々。ただひたすら、つらつら綴ろうと思います。 イスラエルの人はとにかく話好きです。 通路をふさいで話し込むこともしばしば。開演前、終演後の通路や出入口での人の詰まりっぷりは尋常じゃありません。ホールの構造の問題もあるかもしれませんが、原因はだいたい立ち話だと私は思います。 そして、とにかくすぐ人に話しかける。アメリカ人とかもそういうところはありますけど、ああいう社交辞令的な感じではなく、もっと、ぐいっと近くに入って話しかけてくるという印象。 私もこれまで数々のコンクール会場でコンテスタントに間違われてきましたが、今回ほど何度も演奏をほめられたことはありません。 ……つまり、「あなた、この前の演奏すばらしかったわよ~」と声をかけられるわけです。もちろん、弾いてないんですけどね。誰と間違えているのかもわかりません。そして、違いますよ、から延々続くおしゃべり。 ホールやショッピングモール、どんなところもセキュリティチェックは徹底していて、必ず荷物検査があります。毎日通ったホール入口の警備のおじいさん、数日たったころには顔パスで通してくれるようになりましたが、1週間ほど経ったら「一緒に写真を撮りたい、明日は撮ろうね」と言い出しました。結局毎日、明日明日と言いながら写真は撮りませんでしたが、あのおじいさんもきっと自分をピアニストと間違えていたんだろうな。かわいそうに。 そしてセキュリティチェックといえば、空港での問題です。 ご存知の通り、イスラエルは近隣地域や国家間の政治的、宗教的な問題を抱えている国ですから、空港のセキュリティも厳しいと言われています。 入国審査もさぞかし厳しいんだろう……と思って臨みましたが、こちらはすんなり。イスラエルに入国した形跡があると一部中東諸国に入国できなくなるということで、パスポートに直接出入国のスタンプが押されることはなく、許可証が別紙で手渡されました(このシステムはその時々で違うみたいですが)。事態は本当に深刻なんだよなぁと実感する出来事です。 一方、セキュリティチェックについてはむしろ出国のほうが厳しい、3時間前には空港に着くようにとガイドブックにはあります。 出国ゲートに入るところのチェックでは(イミグレーションの窓口ではない)、今回はどの町に行ったのか、何をしていたのかを聞かれました。中途半端に観光だとか言って「3週間もテルアビブにしかいなかっただなんておかしい」とつっこまれると面倒くさいので、「仕事でピアノコンクールを聴きに来ていました」と言うと、係員の若いおねえさん、「あ、ルービンシュタインコンクールでしょ」、と、コンクールを知っている模様。一般の人で知っているイスラエル人に会ったのは初めてです。 おねえさん「日本人は出ていたの?」 私「はい、5人」 おねえさん「彼らの結果は良かった?」 私「ファイナルには残らなかったです」 おねえさん「その日本人の中には、世界的にも有名なピアニストも含まれていたの?」 私「……え?」 と、最後は、なんとも言えない角度からの質問をされて、このチェックは終了。その後通過するイミグレーションの担当官とは、一言も言葉を交わすことなく、スルー。 ただし、持ち込み手荷物検査はかなり綿密で、鞄は一つ一つポケットをあけ、小型の金魚すくいの棒みたいなものでコシコシくまなくこすり、はさんであった薄い紙を取り外して機械にかけて、何かを検査していました。私の場合はあまり面倒なことは起きませんでしたが、当たる担当者によってはいろいろあるのかも。できるだけ疑惑がかかりそうなものは持ちこまない方がよさそうです。 ちなみに、何のチェックもなく預かってもらえたスーツケースの方は、鍵をかけないようしつこく言われます。とくにそこで説明はありませんでしたが、この預け荷物はひとつひとつ開けられ、中身をチェックされている模様。おみやげなど包装してあっても開けてチェックした形跡がありました。この作業には相当な時間がかかると思われ、そのためもあってみんなに早く空港に来るよう言っているのでしょう。 私の荷物はそれほど調べられた様子はありませんでしたが、同じ便に乗っていた調律師さんは、調律工具の入ったスーツケースの荷物のポジションが全部変わってる!と言っていました。確かに調律師さんの工具、アヤシイもんね……。 さて話は変わって、今回の滞在中に食べていたもの。 シャクシュカ。 これが一番食べた回数が多かったかも。イスラエルのとても一般的な家庭料理のようで、宿泊先が提携しているカフェの朝ご飯メニューでした。トマトの煮込みに卵が落としてある。一見こってりしているように見えますが意外とサッパリ味なので、朝からでもすんなり食べられました。 インドカレー。 ホールの向かいにあったインド料理店のカレーです。味はまあまあですが、お店のインド人は優しかったです。 ところでユダヤ教では乳製品と肉類を一緒に食べてはいけないということで、普通のレストランのメニューにもそういう配慮がなされていることが多いようです。例えばチーズのかけてあるピザにソーセージ類が乗っていることはありませんし、クリームパスタの具材は野菜でした。 カレー屋ではメニューをじっくり研究しませんでしたが、やたら品数が少なかったのは、おそらくクリーム系のカレーに肉類の具は入れられないからなのかな、なんて思いました。それもあって、このカレーも味がやたらアッサリしていたのかも。 夜はほとんど部屋で食事をしていましたが、一度伝統的なイスラエルスタイルのレストランに連れて行ってもらったことがありました。 前菜として小皿料理が並び、まずはこれをみんなでわーわー喋りながら好きなだけ食べます。酸味のきいたサラダ類や、フムス(にんにく、ゴマ風味のヒヨコ豆ペースト)などを、ピタパンと一緒に。小皿が空くと次々追加されるので、ここで食べすぎるとメインの頃にはお腹いっぱいになるから気を付けて!と、自分はバクバク食べまくる地元のおじさんたちに散々注意されながら、食事は進みます。 そしてようやく出てきたメイン。魚です。大きい! レモンとの比較からしてそんなに大きくないじゃない、と思うかもしれませんが、このレモンがまた巨大なのです。半分に切った状態で、ゲンコツくらい? 食事が終わると、お皿をこれでもかというほどに重ね、鮮やかに運び去ってゆきます。これがこのお店だけの習慣なのか、イスラエルのレストランの習慣なのかは、よくわかりません。 続いて、会場で見かけたさまざまな風景。 ステージ1から室内楽までが行われたホールの、コンテスタント控室。 キーボードが置いてある控室というのは初めて見ました。実際みんな使うのかな? 海外メディアのコンテスタントに対する取材はあまり見かけませんでしたが、演奏をラジオで放送している国はありました。こちらは、ホールの映写室に陣をとっているロシアのラジオ放送チーム。来年の主要コンクールも全部放送する予定なんだ、と意気込んでいました。 スタインウェイのアーティストケア担当、ゲリット・グラナーさん。大事なピアノの鍵とともに。最終ステージでファツィオリへの変更が続き、いろいろ大変な思いをされたことでしょう。最後はドミノ倒しのようだったよ……なんてつぶやいていました。ただ、一人残ったオソキンスさんの音で「やはりスタインウェイの音はいいと思ってくれた人がいて、違いを証明できたはず」と、自分たちのピアノへの自信と誇りが感じられる言葉を残してくれました。 一方こちらはファツィオリのアーティストケア担当、福永路易子さん。1次からファツィオリを弾いていたキム・ジヨンさんとともに。2次結果発表の後の写真です。 コンテスタントたちがグランドピアノで練習できない状況の中、当初ファツィオリを選んだ人が少なかったという利点を逆に活かし、地元のファツィオリ所有者を見つけて練習室を手配し、ピアニストに良い環境を用意しようと奔走されていました。最後は相次ぐファツィオリへのスイッチで、調律の越智さんとともに、これまた大忙しだった様子。 それにしても、声をかけて、場所を貸していいよと言ってくれるファツィオリ所有者がそんなに何人もいるテルアビブ、すごいなと思いました。 室内楽の演奏後、チョ君ラブ状態だったヴィオラのGlid Karniさん。愛用の楽器は、フィラデルフィア在住の日本人弦楽器製作家、飯塚洋さんが製作したものなのだそう。イイヅカの楽器はすばらしくて、僕の多くの生徒たちも使っている、とおっしゃっていました。 そんなチョ君の室内楽終演後。 惜しくもファイナル進出のならなかったコジャクさんやソコロフスカヤさんが、バックステージに祝福を伝えに来ていました。若いピアニスト同士、こうやって交流が結ばれてゆくのもコンクールのいいところ。 ちなみに次に進めなかった人について、宿泊は、結果発表当日の夜の分までしか用意されていません。彼らはどうやら応援してくれていた一般の人がたまたま声をかけてくれて、そのお宅にしばらくホームステイしていたみたいです。 テルアビブの人たちは、おしゃべり好き、そしてお世話好きで人情たっぷり。このコンクールはこうして地元の人たちに支えられながら、今年で40周年を迎えたのですねぇ。”
16
番外編 エルサレムへ
“ずいぶん時間が経ってしまいましたが、 せっかくなので、エルサレムぶらり旅の様子を、ゆるやかにお伝えしたいと思います。 すべてをにわか知識に基づいて綴っていきますゆえ、間違って解釈していることや、宗教的に失礼な表現があったらごめんなさい…。 さて。 テルアビブ市内からエルサレムに行くには、電車とバス、二つの方法があります。 電車のほうが本数も少なく時間もかかるようなので、シェルートと呼ばれる長距離バスで行くことにしました。 バスは日中なら20分おきくらいに出ていて、所要時間は1時間弱くらいでしょうか。 今回、日本人の関係者の方から借りた某有名ガイドブックをたよりにエルサレムに行こうとしたのですが、なんともはや、これがまた、かゆいところに手の届かない内容(借りておいて言うのもなんですけど)。 ガイドブックには、このシェルートがテルアビブのどこから出ているのか、イマイチはっきり書かれていない。まあ、セントラル・バス・ステーションに行っておけば確実なのかなと思って行ってみたら、やはりそこからエルサレム行きの高速バスが出ていました。 ただし、どうやらエルサレム行きのバスが出ている場所はこのほかにもある模様。というのも、帰りにエルサレムから乗ったバスは、テルアビブ市内の鉄道駅前の別のバス・ステーションに到着したので。 テルアビブのセントラル・バス・ステーションの建物は、5階建てです。 建物に入るときは例によってセキュリティチェックがあり、エルサレムに行きたいと言うと、乗り場は5階だよと言われます。バスなのに5階から出るのか…と思いましたが、実際そこからバスは出ていました。 チケットは事前に窓口で買うこともできるようですが、そのまま乗り場の列に並んで、運転手さんにお金を払うのでも大丈夫です。バスの中ではwifiもつながります。 乗ること1時間、エルサレムのセントラル・バス・ステーションに到着。しかしここで再び某ガイドブックがかゆいところをかいてくれません。 観光の中心であるエルサレムの旧市街は、このバス停からまあまあ離れたところにあって、タクシーまたはトラムで移動する必要があります。 が、このトラムの乗り場がどこにあるのか、どっち方面に乗ればいいのかなど何も書いていないんですね。まあ、そこらへんにいる人に聞けばすむことなんですが、だったらガイドブックいらないだろ、みたいな。 人の流れにのって探り探り外に出ると、道を挟んだ向こうのほうに、なんとなくトラムの駅らしいものを発見。人に聞いてホームを確認し、切符を購入。やっと目的地に着くことができました。 いろいろ不安な人は、時間さえ合えばツアーで来た方がいいのかもしれませんね。 旧市街に一番近いトラムの駅は、北部に位置するダマスカス門の近くにあるので、そこから中に入っていきます。 城壁に囲まれたエリア内は、ムスリム地区、アルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ人地区に分かれていて、歩いていると雰囲気が変わってゆくのがおもしろかったです。 特に最初に通過したムスリム地区は、お土産物屋やスパイス屋、道に座って野菜を売るおばさんなどがたくさんいて、聖地というより市場に迷い込んだかのような印象。礼拝の時間を告げるアザーンが響き、なんとなくインドにいたときのことを思い出して懐かしい気持ちになります。 細い路地が入り乱れているので、とにかく迷わないように必死です。というのも、やはり聖地、ふと気づいたら入るべきではない場所に入っていたらと思うと怖くてね。多分、初期のインド旅行のとき、イスラム教のモスクの入口で突然怒鳴られた何度かの経験が、トラウマ的なものになっているのでしょう。エルサレムでも、すべての宗教に対してよそ者であるという自覚が、なんとなく緊張感となってじわじわと自分を疲れさせます。 とにかく迷わないように必死なため、イエスが十字架を背負って歩いた「ヴィア・ドロローサ」も、その足跡をたどるどころか、ガッツリ逆流して歩いていました。すると、遠くのほうでこちらを見ている人の気配が……。 なんたる偶然、マルチン・コジャック君! この日の夜の便で発つ予定ということで、それまでの時間でエルサレムを訪れることにしたそうです。世界にはいろいろなキリスト教徒さんがいらっしゃる中で、ポーランドの人たちってかなり敬虔ですよね(もちろん個人差はあると思いますが)。初めてポーランドに行って彼らと触れ合う機会があったときに、びっくりした記憶があります。 きっとコジャック君にとってもここを訪れるのは特別なことだったでしょう。テルアビブで会ったときはちょっと心配になるくらい常にハイテンションでしたが、この日はさすがにおとなしめでした。ま、疲れていただけかもしれませんが。 続いてたどり着いたエリアにあるムスリムの聖地「岩のドーム」には、異教徒は立ち入ることができません。モスクと岩のドームにつながる小道、誰も止める人がいないのでずんずん進んでいくと、最後のゲートのところに立つ銃を持った兵士に、ちょい遠めから無言で首を横に振られました。こういうの、怒鳴られるより怖かったりします。 そのすぐそばには、ユダヤの聖地「嘆きの壁」。イスラム教の岩のドームがあるのはかつてエルサレム神殿のあった場所ですが、この壊された神殿の残った壁が、ユダヤの人々にとっての聖地「嘆きの壁」となっているとのこと。そのため、壁の向こうには、黄金に輝く岩のドームの頭が見えます。 ここは男性エリアと女性エリアでわかれている…と事前に読んではいたのですが、どこからわかれているのかよくわからずズンズン進んでいくと、横から「ヘイヘイヘイヘイ!!」と大声で呼び止められます。見事に男性エリアに突進していたようです。無知ってこわい。 ちなみに今後行く方のためにお伝えしておくと、向かって左側が男性エリア、右側が女性エリアですのでお間違いなく。 多くの人が熱心に祈りを捧げていました。壁から立ち去るときは、壁に背を向けず後ろ歩きで進むのがしきたりのようです。そんな中、背を向けて普通に歩き去っていくのは失礼かなとふと思うわけですが、わけもわからず真似するのもまた失礼と思われるので、普通に歩いて立ち去りました。当たり前か。 ところで話は変わりますが、ユダヤの男性が頭にかぶるキッパと呼ばれる小さくて丸い帽子。髪の毛とピンで留めている人が多いですが、これ、少しでも髪のある人はいいけど、まったくない人はどうやって固定しているのだろうという疑問がわきまして。そこでコンクール期間中、失礼を承知で事務局のヒーラさんに尋ねてみたところ、 「わかんない、接着剤でもつけてるんじゃない? あはははは!」 という、かなりテキトーな回答をいただきました。 というわけで、謎は解けず。 …嘆きの壁で後ろ歩きを真似しようかと迷った人間とは思えないほど、なかなか失礼な質問ですよね。すみません。でもね、ただ頭にのっけているだけではすぐにどっかいっちゃうんじゃないかと、どうしても気になってしまって。 旧市街中央部には、キリスト教の聖地、聖墳墓教会があります。イエスが最後に辿りつき、磔にされた場所。つまり、ヴィア・ドロローサの終着点。 入ってすぐのエリアには、十字架から降ろされたイエスの亡骸に香油が塗られた場所とされる、大理石の板があります。みなさん、ここを丁寧に撫でたり、ご持参のマイ十字架をごしごしこすりつけたりしていました。 教会の中には、磔にされた十字架が建てられたとされる場所、イエスの墓がある復活聖堂など、キリスト教にとって大切なスポットがたくさんあります。 ここは複数の教派が共同で管理しているとのこと。異なるローブを身に付けた聖職者の方々が、かわるがわる、淡々と儀礼を執り行っていました。が、この方々がまたなかなかの仏頂面(…とキリスト教の人をつかまえて言うのもどうかと思いますが)で、観光客たちを、ほらどいて、あっちいって、もたもたしない!みたいなすごい勢いでさばいていました。小心者の私は、自分が怒られたわけでもないのにここでまたビクつくという。 あまりの人の多さに、ツアーコンダクターさんたちはのぼりがわりに思い思いのものを使っていました。ピコピコハンマーを使っている人は初めて見ましたが、目立っていいアイデアですね。勝手な行動をしたらピコっと叩かれそうでちょっとこわいけど。 他にもいろいろ興味深い場所がありましたが、なぜか一番心安らいだのは、聖母マリアが生まれたとされる聖アンナ教会の敷地内にある、ベテスダの池の跡地。ここでイエスが長く病に苦しんだ人々を癒したとされています。 この場所を眺めながらぼーっと座っていると、また遠くからアザーンが響き渡り、なんだか不思議に落ち着くのでした。 オリーブ山のほうまで足を伸ばすことも考えたのですが、なんだかものすごく疲れてしまって、まだ早めの時間でしたがテルアビブに戻ることにしました。なんとなく刺激が強すぎて、またいろいろな緊張感がありすぎて、精神的に疲れたのかもしれません。決して悪い意味ではなく。 あと、たくさん歩いたというのはもちろん、実を言うとエリアによって、お店の前でたむろす人々から、 「コンニチハー」「ニホン?」「ニーハオ!!」 「I’m teaching アイキドー! My name is 佐藤!!」(←絶対違うだろ……) と、まさに観光地らしい感じで声をかけられ、ひとつひとつ対応しながら歩いていたら異様に疲れたというのもあります。 勝手に道案内をして、「お金ちょうだい、ぼくと友達に1シュケルずつ」と言ってくる少年もいました。横にいるだけで何もしていない友人まで気づかうだなんて、さすが聖地育ち……なんて言ってる場合じゃないですね。ちょっと悲しい気持ちになって、少年に向き合い、語りかけてしまいました。言葉が通じないので日本語で。意味はわかっていないだろうけど。 キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、それぞれの人が当然の身のこなしでそれぞれのとるべき行いをしているのを、ただひらすら不思議な感覚で眺める時間。やはりよそ者の自覚がずっとどこかにありました。(ちなみに自分は、お寺にお墓があり、必要に応じて神社での行事的なものをやる、日本でよくあるゆるやかな宗教意識の家庭に育っております) 単一民族、そしていろいろな宗教の人がいるとはいっても、神道と仏教が多くの地に根付いている日本で生まれ育ったことで、こういう状況に対する免疫力が低いのかも…。インドの寺院めぐりではさほど疲れなかったのは、やはりあそこが仏教とつながりのあるヒンドゥー教の国だったからなのか。宗教の性質も影響しているとは思いますが。 単純な遊び疲れ、旅疲れから、自分だけがよそ者と感じながらどこかに暮らすことの心境に想いを巡らせ、また多宗教の人々が共存するということの難しさについてまで考え込む、そんな日帰り旅行となったのでした。”
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正真正銘ノンフィクション連載「ピアノ教室に通ってみた」のこと
“現在、第12回まで公開している連載「ピアノ教室に通ってみた」。 代々木公園近く、ハクジュホールがあるビル内に昨年オープンしたコロムビア音楽教室のご協力のもと、とある編集者が、約四半世紀のブランクを経てピアノを再び習う様子を、実体験をもとにつづっている連載です。正真正銘、ノンフィクションです(多少ご本人の妄想入ってることはあるけど)。 初回のレッスンで楽譜に書いてある「ラド」の音符も正しく読めなかったこの人が(連載第3回参照)、担当講師、高橋ドレミ先生のあの手この手を使った指導のもと、なんとモーツァルトの「トルコ行進曲」を通して弾くまでになりました。週1回、45分のレッスンを続け、2ヵ月半くらいでしょうか。そのうえ、ついに暗譜での演奏も! それにしてもちょうど最新の第12回の原稿を読んで、自分自身の辛い思い出がよみがえりましたよ。 プロの方々でも、一度の“ブラックアウト”の経験がフラッシュバックするというおそろしい現象があると聞きます。ミスをしてしまったときの状況や心境って、妙にはっきり記憶されるもんですよね。 ちょうどイスラエルでとあるコンテスタントとそんな話をしたところでした。自分が演奏する日の前夜、何の気なしにネット配信で別のコンテスタントの演奏を聴いてみたら、ちょうどその人が一瞬暗譜が飛んじゃっている場面を観てしまい、自分にもこれまででたった1度だけ起きたその場面が記憶によみがえってしまって、頭を抱えて必死で振り払った…という。 こういうプロの方々の経験とはだいぶ別の形とはいえ、子供の頃、とくに才能があるとかでもなく何となくピアノをやっていた人の多くに、人前で弾いたときの苦い記憶ってあるのではないでしょうか。クラスメイトなどのささいな言動に振り回され…というのもよくあるパターンです。 私も「幼稚園から高校生まで」とそれなりに長い期間ピアノをやっていた中で、合唱祭や卒業式でピアノ担当に駆り出され、苦痛な記憶がたくさんあるほうでございます…。 一番こわかったのは小学校の夏休みの林間学校で、“林間学校の歌”を最終日にみんなで歌ったときのことですねー。 夏休みが始まる前、各クラスからピアノを弾ける子がピックアップされ、「みんなそれぞれ練習して、出発前の登校日の時点で一番弾けていた子に伴奏してもらいます」という通達がありました。他のクラスのお嬢様系女子Aちゃんが「これ、Aちゃんが絶対弾くもんね~! Aちゃんがんばって練習するからね!」と言いまくっていたので、闘争心ゼロの子供だった私は「あー、よかった」と思って、適当に気が向いた時に練習する感じで夏休みを過ごしていました。 登校日当日。みなさんもう想像がついているでしょう。音楽の先生に集められると、Aちゃんは「Aちゃんできなかった、えへへー!」と言い、他の子たちも全滅。通して一応弾けるというレベルの私がその役を押し付けられることになったのでした。未だに、なぜあそこでやりたくないと強く主張しなかったのか、自分でもわかりません。 今も昔も緊張しいの自分、そんなレベルの仕上がりで緊張の中演奏して、うまくいくはずがありません。後半でよくわからなくなって、モーレツに焦り、適当に弾きとおしました。ばれなかったはずはないけど、止まらなかったしなんとかごまかせたかなと思っていたら、その後ふだん暴れん坊の男子に、「まあ、元気出せよ」と言われ、ああ、やっぱりね…暴れん坊に励まされるほどひどかったのね…と思いました。 くやしかったです。くやし涙が出そうなほどでしたが、それをバネに一生懸命練習するようになることは、まったくありませんでしたね。 まあ、これに限らず、いくつかの苦痛の記憶があります。この、人前で弾くことの緊張がイヤで、何一つ喜びを感じられなかったことも、高校生の途中であっさりピアノをやめた理由のひとつでしょう。 さて、話を戻しましょう。とある編集者の連載「ピアノ教室に通ってみた」。 読んでいると自分もまた弾いてみたくなって、部屋に一応置いてあるキーボードを触ってみたりして。昔暗譜した曲は指が覚えていてなんとなく弾けたりするものの、指がなまりまくっているし、音もだいぶ忘れています。それでワタワタしているうちに指が疲れてしまい、改めて楽譜をひっぱりだしてきて弾き直すところまではいかないまま終わるという。 でも、ほんの20分くらいでも指を動かすとあたまがすっきりするんですよね。 実は先日、ドレミ先生によるとある編集者氏のレッスンの様子を見に行ってきました。 その人にあわせた個性的なレッスンの成果か、なんと、楽譜を外してほとんど弾けるようになっていました。そのうえ、暗譜をしたうえで演奏にニュアンスをつけていくレッスンに入っていました。 弾きにくそうにしているパートがあればすかさずドレミ先生が発見して、音をつかみやすい、はずしにくくなる、そしてフレーズの流れをつけやすくなる指のポジションなどもアドバイスしていきます。自分が子供のころ、こんなふうに合理的なアドバイスをしてもらっていたかなぁ? ひとつひとつアドバイスされるたびに、「はぁ~、なるほど。本当だぁ」という言葉を漏らす、とある編集者氏。(そのわりには指番号を書き込んだりしないのが気になる。覚えられるのかな)。 音楽教室、そう、そこは会社でどんなにえらそうにしているおじさんも、若い娘に従順になってしまう場所。(別にこのとある編集者氏が会社でえらそうにしているという意味ではありませんが) レッスンを見学して帰った夜、つい、自分がまだ「トルコ行進曲」が弾けるかどうか、キーボードに向かってしまいました。指がぜんぜんまわらなくなってる…と愕然。 しかしこの日を境になんとなく思いついたときに15分くらいでもぽちっとキーボードのスイッチをいれるようになり、だいぶ思い出してきて指も動くようになってきました。 やっぱり子供時代の長らくの訓練は捨てたもんじゃないです。久しぶりにちゃんとしたピアノで弾いてみたいなという気持ちにもなりました。やっぱり、簡易型キーボードのタッチはもんやりしていて辛い。自分の耳で、響く生音を聴きながら弾いてみたいよねー。昨日ちょうどチッコリーニの演奏を聴いたばかりなので、妄想は広がります。あんな音、絶対出せないけど…。 これは、私もピアノを再び始めるときが迫っているということでしょうか。他の楽器をやってみたいような気もするんだけどね。 とある編集者の連載のほうも、あと少し続きます。今後どんな進歩を遂げてゆくのか、ご注目ください。 ちなみに、公式サイトにはドレミ先生のお子さんむけのレッスンの様子なんかもアップされてますよ。 http://www.columbiamusicschool.jp/archives/296.html ピアノ以外にも、ヴァイオリン、そしてキャンペーン中だというフルートやチェロのコースもあるようです。先生たちがやたらめったらさわやかですので、ぜひHPをのぞいてみてください。コロムビア音楽教室、無料体験レッスンは常時受付中ですってよ! ◇コロムビア音楽教室 http://www.columbiamusicschool.jp/  ”
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金子三勇士さんインタビュー
“直前になってしまいましたが、6月23日(月)にはいよいよ、今話題の金子三勇士さんが、ゾルタン・コチシュ指揮、ハンガリー国立フィルとリストのピアノ協奏曲第1番で共演します。 ジャパン・アーツHPに掲載のインタビューはこちら。 どんだけ頑固なんだ!な2歳児のエピソードもあり。 ハンガリーで有名な日本のものは、「トヨタ、スズキ、コバヤシ」というビックリ話もあり。 私にとって金子さんていうのは、なんだかプラスの気を感じる人なんですよね。マイナスの気配がしない。それでもかつては自分のアイデンティティのありかについて悩んだ時期もあったそうです。 そんな話題を始め、音楽的に真面目な話はインタビューをご覧いただくとして、その中に書ききれなかったおもしろプチエピソード。「金子さんが最近興味をもっていること」について。 「最近、自分の演奏時の精神状態に興味があるんです。 自分が無の世界になるというか、魂、身体の芯がちゃんと収まることによって、 ようやく音楽に何かが伝わっていくんじゃないかと思うんです。 これからはそういう状態が体験できそうな作品に挑戦してみたいですね。 バッハのゴルドベルク変奏曲とか、そろそろ取り組んでみたいです」 一体何があったんだろう。ヨガ的な発言…と思ったら、まさかのお話が続きます。 「あー、実はヨガ、試しに行ってみたんですけど、だめだったんですよね。 ヨガをやっているときの自分が本番のステージにいるときの自分とすごく重なって、 なんだかむしろストレスになってしまうというか。 頭の中で音楽は流れ始めちゃうし、一体どうしたらいいんでしょうみたいな感じでした」 音楽とヨガ、両方の精神的な作業があまりにも重なりすぎてまったく気が休まらないという、わかるようでわからないような主張。音楽家のメンタリティというのはミステリアスですな。 というわけで、公演はいよいよです。19時サントリーホールです! 6月23日(月) 19時開演 サントリーホール ゾルタン・コチシュ(指揮) 金子三勇士(ピアノ) ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団 リスト/コチシュ:ゲーテ記念祭の祝祭行進曲 リスト:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:金子三勇士) ブラームス:交響曲第1番  ”
7月
09
高校生のためのオペラ鑑賞教室「蝶々夫人」
“毎年恒例の高校生のためのオペラ鑑賞教室。 今年の演目は「蝶々夫人」で、いよいよ7月9日からスタートします。 一部の日程は数量限定で一般むけの当日券も発売されます。 朝10時から窓口と電話予約で販売とのこと。 (窓口だけじゃないんですね!これはいいですねえ) おとなでも4,320円と本当にお得な料金です。出演者もなんと豪華な…。 今回、当日のプログラム冊子用に、 指揮の三澤さんと蝶々さん役の横山さんにインタビューをさせてもらいました。 高校生むけですよ、と言われながらけっこうつっこんだお話を伺いまして、 かなりおもしろかったです。高校生ってけっこう大人だもんね。 もちろん、まとめるときはいろいろ気を付けましたが。 オペラにおける演出の大切さ、海外における蝶々夫人公演のドイヒーなエピソードなど。 書ききれないこともあってもったいなかったです。 今回原稿を書くにあたって、 蝶々夫人に出てくる日本の旋律についてちょっとリサーチしたりしました。 改めて見ていくとおもしろいですね。 作品を観ているなかで普通に気が付くものももちろんありますけど、 もともとのオリジナルの日本の歌を知らなかったものなどもいくつかあり、 ああ、ここもそうだったのね!という発見があって、とても興味深く。 そこから、なんとなくメロディは知っていた曲がどういう歌詞なのかも調べてゆくと、 またおもしろく。 そんななか、先日G-Callサロンに春風亭一之輔氏の落語を聴きにいったときのこと。 この日は単に落語を聴くだけでなく、 いろいろな落語家さんたちの出囃子についてのお話もあるという興味深いもの。 そこで新発見です。 笑点でおなじみの林家木久扇氏。 そう、あの、いやん、ばかーん、木久蔵ラーメンの黄色い方。 あの方の出囃子が、「宮さん宮さん」だというんですね。 蝶々夫人でも出てくるあの旋律です。 そんなわけで、なんだか一気に木久扇氏への親近感が増しました。 まあ、蝶々夫人を意識しての選曲では絶対にないと思うけど…。 そんなわけで、高校生のためのオペラ教室、 当日券の発売情報は、新国立劇場公式ツイッターオペラアカウントやHPで その都度発表されるようですのでぜひチェックしてみてください。 休憩中、いつもとは年齢層がぐーんと違うロビーの雰囲気や、 上演中、お色気シーンで恥ずかしそうにつっつきあう高校生の様子など、 いろいろ新鮮でそれもまたおもしろいですよ。”
8月
10
ニコライ・ホジャイノフと茶畑
“8月ですね。 この暑い季節に再び、ニコライ・ホジャイノフがやってきます。 今年2度目の来日。(しかも、今年はさらにあと2回来ます) 今回、ひとつ目の公演は読響サマーフェスティバル。 気鋭のソリストが登場して、 ヴァイオリン、チェロ、ピアノの有名協奏曲が演奏されるというもの。 2014年8月20日(水) 18:30 サントリーホール 指揮=円光寺雅彦 ヴァイオリン=弓 新 チェロ=辻本玲 ピアノ=ニコライ・ホジャイノフ メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23 (それにしても、この真ん中にニコライさんどーんのチラシ、何度見ても面白い…) ホジャイノフが、あの、ペタッと丸い指先でわしわしと掴んで奏でるチャイコフスキー。 チラシのとおり、クールにキメてくれるでしょうか。 厳しさと甘い美しさが入り乱れた演奏になるのかな~。 それにしても、ピアノ協奏曲の代表作というと、 チャイコフスキーの1番になるんですね。ふむふむ。 一方のリサイタルは、昨年夏と同様、浜離宮朝日ホール。 ホジャイノフの、とにかくこだわって、しつこくこだわりぬいて鳴らすピアニシモ、 そして、密度の濃い重い音が、くっきり存分に堪能できる会場です。 2014年8月25日(月) 19時 浜離宮朝日ホール シューマン:アラベスク ハ長調 ...”
9月
16
チョ・ソンジン、消えたさらさらヘアー
“今さらですが、今月のぶらあぼにチョ・ソンジン君のインタビュー記事を寄稿しています。 10月27日に行われる浜離宮朝日ホールでのリサイタルについて。 2014年10月27日(月) 19時開演 浜離宮朝日ホール モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397 モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調 K.281 シューベルト:即興曲集 D.935より 第3番 変ロ長調 Op.142-3 バルトーク:「野外にて」BB 89 / /Sz81 ショパン:即興曲 ...”
10月
07
せんくら、そしてホロデンコ
“仙台クラシックフェスティバル、行ってきました。 今回は、出演者のうち仙台コンクールの過去の入賞者のインタビューを主に行い、 合間の時間にいろいろな公演を聴くという、1泊2日の旅。 10月3日(金)、4日(土)、5日(日)の後半二日間を聴きました。 せんくら、かなり以前に行ったことがありましたが、そのときは日帰りで、取材の公演をいくつか聴いてバタバタ帰ってくるというものでした。なので、今回は初めてまともにせんくらを堪能した感じです。 今年でもう第9回目の開催だったんですね。震災の年も乗り越え、ここまで続けてくるのはきっと大変なことだっただろうと思います。 メイン会場となる青年文化センターがある旭ヶ丘駅を下車すると、改札の前にピアノがどすんとありました。無料コンサートのために設置されたものです。今や、びっくりする場所での街中コンサートは珍しくありませんが、改札の前にピアノを持ってきちゃうところに、仙台の本気度を感じます。ピアノは一日ごとに(当然かもしれませんが)ちゃんと撤収して再設置していました。 もうひとつの大きな会場である、イズミティ21では、ひこにゃん…ではなく、「むすび丸」が活躍していました。 (前回仙台に来たとき、あれ、ひこにゃんて仙台だっけ?と思ってよく見たら別のキャラクターだということに気づいて一度学んだはずだったんですが、今回も彼を見た瞬間、「あーひこにゃんだ!」と心の中で一度呼びかけてしまいました。よく見るとけっこう違うんですけどね) かぶとをかぶったかわいらしいおむすびが、子供たちと写真を撮ったり、ティッシュを配ったりしていました。趣味は温泉めぐりと昼寝だそうです。 肝心のコンサートですが、せんくらならでは、せんくらだからこそ実現するかなり興味深い公演がたくさんあります。 「慶長遣欧使節スペイン到着400年記念」スペイン名曲コンサート、というのがあって(彼らは伊達政宗の命で宮城から出発したらしい)、ここではヴァイオリンの西江辰郎さんとギターの福田進一さんの共演によるファリャという、激レアで大変すばらしい演奏も聴くことができました。 チェロの山崎信子さんと津田裕也さんの公演も、すばらしかった。 仲道郁代さん、横山幸雄さん、舘野泉さんという3人が立て続けに出てくるコンサートもありました。一つのピアノでこの三人がかわるがわる弾くのを聴き比べるというのは、かなり興味深い経験でした。 もちろん、ホロデンコの演奏も聴きました。彼の演奏についてはプログラムによって、うわ!すごくいい!と思ったり、すごいと思うけどいまいちピンと来なかったりするのですが(ごめんね…個人的な趣味です)、今回も、やはり紛れもなくすばらしく変わったピアニストだなと思いました。私は普段、あんまり鍵盤の手元が見える席に座ることに関心がないのですが、この方に関してはその多彩な音色を出すためにびっくりするような手つきで弾いていることが多いので、だいぶ関心があります。 インタビューのアポイントの都合で聴くことができなかった公演もたくさんあるのですが、他にもいい公演がたっくさん。そしてどの公演も1000~2000円。 完売の公演が多数でしたが、意外と(わたくし的に)いい公演のチケットが残っていることもあって、いろいろ考えるものがありました。 例えばホロデンコについても、土曜日250席のベートーヴェンのソナタ公演が完売していなくて、翌日曜日、400席のショパンは完売していたという。ホロデンコ、クライバーン優勝以降、初めての仙台訪問ですよ! しかもベートーヴェンとか弾いちゃったんですよ! 曜日や時間帯の問題もあるのでしょうが、とにかく、市場の動向を読むのはとても難しいことなのだなと、妙に考えてしまいました。 ちなみに聞くところによると、あっという間に完売したのは、約800席の中村紘子さんの2公演だったとか。しかもどちらも平日昼間の公演。さすがです。それに、中村さんは今回がせんくら初登場、たった1500円で聴けたんだもんね。それはみんな行きたいに決まってます! さて、今回ホロデンコには、インタビューでたっぷりお話を聞いてきました。つっこんだ末の本音ポロリがとても興味深く、コンクールというものの公式サイトでどこまで書けるかはわかりませんが、できる限りご紹介できたらなあと思います。怒られない範囲で、ぐいぐい切り込んでいこうと思います。アップされたら、またご紹介します。”
09
直前告知、ホロデンコのリサイタル
“先にせんくらの話題を紹介したホロデンコ、 9日名古屋、10日東京でも演奏会があるの、みなさんお気づきですか?? 名古屋は宗次ホールです。 仙台で聴いたプログラムが合体した内容。 10月9日(木)18:45 3,500円 ベートーヴェン ピアノソナタ 第10 番 ト長調作品14-2 ピアノソナタ 第17番 ニ短調作品31-2「テンペスト」 ショパン 舟歌 嬰へ長調 作品60 24 の前奏曲 作品28 あの良い響きのホール、この内容でたった3,500円…。 全席自由ですので、早めに行って手元の見える席に座るのがおすすめ。 信じられないような手つきで24の前奏曲を弾きますから!! そして東京は、田町にあるファツィオリ、ピアノフォルティのショールームです。 すなわち、使用ピアノはもちろんファツィオリ! 10月10日(金)19:30 4,000円 J.S.バッハ 「フーガの技法」 プログラム、なんとバッハのフーガの技法です。 ご本人たっての希望によるプログラムだとか。 先日、せんくらのアンコールでちょこっと披露したパーセルがとにかく刺激的でおもしろく、 あれを聴いて以来、ホロデンコのこうしたバロック時代の作品に興味がわきまくりです。 フーガの技法も、必聴のプログラムだと思います。 こちらも、手元の見える席でぜひ。 これまた信じられない手つきで、異次元のポリフォニ~な世界を紡ぎ出すことが予想されます。 …というのも。 先のインタビューで少しファツィオリの話になったのですが、 とても興味深いことを言っていました。 「ファツィオリはとても良いピアノ。すごく良い音をもっている。 とくに、ポリフォニックな音楽を演奏するときにすごくいい。 一体どうなっているのかわからないけど、すべての声部で違う音がするんだ。 まるで2人か3人の違う人が会話しているような表現ができるんだよ!」 これを聴いて、ホロデンコがファツィオリで弾くバッハ、聴きたいわ…と、心から思いました。 実は今日、エマールの平均律を聴きながらも、 心のどこかでホロデンコのあのクレイジーな指さばきが忘れられず、 ホロデンコなら平均律どうやって弾くのかな、なんて、 デート中に他の人のことを考えるみたいな、イカンことをしてしまったくらいです。 そんなホロデンコの演奏会のチケットがまだ残っていると聞いて、いてもたってもいられず 直前のご紹介をするに至りました。 運よくまだご予定の空いている方は、ぜひ…!  ”
14
トリフォノフ、ただいま来日中
“ダニール・トリフォノフ、来日中です! ここまで、岡山、神戸、前橋、武蔵野、そして横浜での公演を終え、 残すところはゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管と共演する2公演と、 千葉、東京でのリサイタル2公演。 ★協奏曲 10月16日(木) 愛知県芸術劇場コンサートホール 10月18日(土) 所沢市民文化センター ミューズ チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 ★リサイタル 10月19日(日) 青葉の森公園芸術文化ホール ストラヴィンスキー:イ調のセレナード ドビュッシー:「映像 第1集」より 1. 水の反映、3. 運動 ラヴェル:「鏡」より1. 蛾、2. 悲しい鳥たち、3. 洋上の小舟、4. 道化師の朝の歌 リスト:超絶技巧練習曲集 S.139より 10月21日(火) 東京オペラシティ コンサートホール バッハ/リスト編:幻想曲とフーガ ...”
17
福間洸太朗さんの新連載
“これまでにも幾度かインタビューをさせていただいている福間洸太朗さん。 先月は新アルバムをリリース、さらにはフィギュアスケートとのコラボレーションの活動も今話題になっていますね。 そんな福間さんの日本コロムビアの特設サイトで「福間洸太朗の足あと」という連載がスタートしました。クリーヴランド国際ピアノコンクール優勝後の日本デビューから今までの活動を、改めて紹介するという内容です。 ……というのも、福間さんは見かけによらずこれまで演奏をしている場所がわりとワイルドだったりするので(アフリカとか、アマゾンとか)、それをもっと知ってもらおうと。 ベルリンと日本を拠点にしていると言いつつ、「同じ場所に1ヵ月以上いるとどこかに行きたくなってしまう」ということで(自由を求めているらしい)、日本にお戻りのタイミングを見計らってお話を一気聞きし、少しずつ紹介してゆく、という記事を書かせてもらうことになりました。 今回公開された第1回は、日本人初の優勝で話題となったクリーヴランド国際ピアノコンクール優勝のときのお話。実はそのときに起きていた出来事と当時の心境が語られています。 当時まだ二十歳ですもんね。悔しかったし辛かっただろうなと思います。 実はこの記事をまとめるいろいろなミーティングの中で、一瞬フワッと、この批評記事のことを紹介していいのだろうかと心配する声も上がったりしました。 でも福間さんご本人には全然ためらう様子はありませんでした。もう過去のことだし、あの時があるから今があると。完全に乗り越えたんですね。彼の中で、自分の音楽や活動への自信が揺るぎないものになったのだなあと、つくづく。 賛辞をうけることもあれば、公で批判されることもあり、それを乗り越えることまでが芸術家の仕事だと思うと、やっぱり本当に強い精神がなくては進めない道なのだなと思います。芸術という答えのないものを批判するとき、信念と責任感を持ってする人ばかりではないでしょうし。(クリーヴランドの件がどうこうと言っているわけではありませんけどね) 今月10月24日には浜離宮朝日ホールでリサイタルも行われます! CDリリース記念だというのに、単にCDの収録曲目を演奏するわけではないところが、やりたいことのアイデアにあふれまくっている福間さんらしい。 「鐘」というキーワードでつながれた作品を演奏するそうです。 2014年10月24日(金) 19:00 浜離宮朝日ホール ラフマニノフ:幻想的小品集 Op.3 より 第2曲 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」 チャイコフスキー:12の性格的描写-より「11月:トロイカ」、ドゥムカ-ロシアの農村風景 スクリャービン:幻想曲 ロ短調 Op.28 ボロディン:小組曲より「第1曲 修道院にて」「第7曲 夜想曲」 バラキレフ:東洋風幻想曲「イスラメイ」 ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」”
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チョ君のリサイタルはもうすぐ
“「ちょっとほっそりして大人っぽくなった」とジャパン・アーツ公式ツイッターにもありましたが、昨日のプレトニョフ指揮東フィルとの共演を聴きに行かれたみなさん、チョ君のほっそりっぷりはいかがでしたでしょうか。演奏もチョ君らしさの感じられるすてきなものだったようですね。私は聴きにいけませんでしたが、演奏、ほっそりっぷり、短髪っぷり、どれも気になります。 コンサートシーズン真っ只中、演奏会が毎日たくさんありすぎてわけわからなくなっている音楽好きのみなさん、お忘れになっていませんか。チョ君、このあと10月24日に再びプレトニョフ指揮東フィルとの共演、そしてその後10月27日(火)は浜離宮朝日ホールでリサイタルがあります(ホールのサイトのトピックスには、10月上旬に届いたらしいプログラムに寄せてのメッセージが掲載されています)。 以前アップしたインタビューの情報については前にもここの記事でご紹介しましたが、刻々と変化を遂げる若者…もとが比較的ピュアな音楽だっただけに、大人の階段昇ってゆくにつれての変貌ぶりも大きい。今回も期待できるのではないでしょうか。 最近ちょっと思うのですが、一見自信満々でオレサマ的な演奏家より、控えめっぽい人のほうが実は超スーパー自信満々だったりするのではないかということ。もちろん、どちらも自分の信念を持っていることは共通しているし、個人差もあるでしょうけれど。そしてどちらが良いとか悪いとかいう意味でもないんですが。 わたくし、チョ君はあっさりおとなしい風に見せかけて、実は確信みなぎる派の男なのではないかと推測しています。まあ、そうでなくてはあんなに強い演奏はしませんよねきっと…。 ものすごく熱いのに、どこか冷静さを保った演奏をしてくれる。安心して聴いていられるんだけれど、もちろんつまらないということはまったくない。こういう絶妙なラインの演奏をする若手って、あんまり他に思い浮かばないなと、今思いました。 それに来年はいろいろなコンクールもあるし、今のうちにもう一度聴いておくのもいいかもしれませんよ…なんて。 ◇チョ・ソンジン ピアノリサイタル 10月27日(火)19:00 浜離宮朝日ホール”
12月
13
ユリアンナの“プロコフィエフ大好き”
“この秋にした2度のインタビューから、いくつかの場所でユリアンナ・アヴデーエワのインタビューを書いています。 先の日本ツアーのプログラムについて、そして近況について聞いたのがこちらのKAJIMOTOのサイトにあるインタビュー。 そして、2015年2~3月のソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団とショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏することについての、ぴあのサイトでのインタビューはこちら。 あとはもうすぐ発売される月刊ピアノ2015年1月号でも、録音についての記事が掲載される予定です。 ショパンのピアノ協奏曲、彼女はあれからの4年間で何度弾いているのでしょうね。その度に新しい発見があるとインタビューでは言っています。 コンクールで優勝したということが正直まだ信じられないと言っていたのも印象的でした。ユリアンナさんは、コンクール中に話していた印象から今も雰囲気がずっと変わらないように思いますが、それはそのせいもあるのかもしれません。ほら、たまに、ああ変わっちゃったなー、って感じる人もいますからね。余計なお世話ですけど。 そういえば9月のインタビュー中盛り上がったのは、プロコフィエフの話題になったとき。実はプロコフィエフが大好きなんです…とちょっとはにかんだ表情で語り始め、どうも相当好きそうなので、「それじゃあ、ヤマハや事務所の近くの銀座ライオンには行った?」(プロコフィエフが日本に来たとき食事をしたと日記に書いてある)と尋ねると、にわかにエキサイトした様子で、横にいたマネージャーさんを、どうしてすぐ連れて行ってくれなかったの!!と、たっのしそ~に責めていました。かわいいね。 そんなラブ☆なプロコフィエフも収録されている新譜はこちら。 見事に構成されたショパンの前奏曲集もすてきです。たっぷり2枚組。 こちらはタワレコイベント後のインタビューの際のユリアンナさん。 最近は髪をまとめるスタイルがお気に入りなのか、ステージでもインタビューでも、いつもこのヘアスタイルでした。以前の、演奏中はサイドの髪だけまとめて、バックステージでは降ろすというのもかっこよかったですけど。 それにしても、いつ見てもくっきりしたお顔立ち。彼女の顔を眺めるたび、朝起きてユリアンナみたいな顔になっていたら自分はどうするだろう……と、いらぬことを考える、今日この頃。”
2013
5月
24
クライバーンコンクール、赤身ステーキと演奏順抽選会
“テキサスに到着してまだまる2日経っていませんが、なんだかそうとは思えないほど盛りだくさんで時間が過ぎていきます。 過ごしやすい気候なのがとてもいいですが、ときどきスコールのように雨が降る時があるとか。幸いまだ遭遇していないけれど、これだけ天気がいいと傘を持って出る気にならないので、いつかやられるんだろうなぁ。どちらにしても、もともと傘なんて持ってきていないけど。 昨日22日は朝からPress Breakfastという集まりがありました。参加者がオリエンテーションを受け、ウエスタンブーツのフィッティングをして(セミファイナルの後に行われる“Zoo Party”のためにプレゼントされる)、その後はホストファミリーや他のコンテスタントと歓談するという内容。 そんな中、ゴツいカメラを首から下げたオジサンたちがウロウロしながらベストショットを狙い、マイクを持った記者がコメントをとっているという。クライバーンコンクールでは、優勝者には3年間のマネジメント契約が与えられることが、優勝者にとっての最大の報酬といわれています。そのため、すぐに演奏活動を行えるようなピアニストとしての完成度が求められるわけですが、こうしたプレスの相手をうまいことこなすのもその必須項目のひとつなのか?というほど、こういうイベントが多く設けられています。 表ではさっそく阪田さんがマイクをむけられて、ラジオ番組の宣伝文句を言わされていました。なんだかMTVみたいなノリ。 多くの人がこういうのに気前よく対応していました。ニコライ君なんかはとっとと帰ってましたが。…まぁ、一流の演奏家にだって、いつでも誰にでもすごく感じのいい人と、プレス嫌いで有名な人と、いろいろいますからね。 4年前、前回のクライバーンコンクールでは、おなじみのエフゲニ・ボジャノフが、中盤からプレスを拒否して完全に悪役扱いされていました。しっかりファイナルには残っていましたが。 その後この件についてボジャノフに聞いたことがあったんだけど、本人によれば、地元紙のひとりの記者が失礼な質問をしてくるのでだんだん腹が立ってきて、あるときのインタビューで機嫌の悪いままインタビューに応えたら、それを全文、英語の文法のミスまで全部そのままに載せられて、完全にキレた、というようなことを言っていました。アメリカの記者怖いです。日本ではまずないよね。 そして実際、音楽ファンでない人にもアピールする記事を求める記者が多いことから、送られてくる質問票の一番最初が「好きな食べ物は?」だったりするそうです。 10月にHakuju Hallでリサイタルの決まっているフランソワ・デュモン、前回の仙台コンクールの優勝者、ヴァディム・ホロデンコにも会いました。以前の浜松コンクールで大人気だったクレア・フアンチやアレッサンドロ・タヴェルナもいましたよ。タヴェルナ氏、例によってめちゃくちゃテンション高かった。 で、こちらに3週間滞在すると言うと、大体当然のように“車はあるの?”と言われます。あるわけないじゃないの…と思うんですが、それだけ彼らにとっては車が必需品なんでしょうね。でも決して車がなくてはどこにも行けないわけではなく、バス路線はけっこう充実しています(しかもなにせ利用者があまりいないから空いている)。 昨日は日用品の買い出しに、グルグル丸印でお馴染みのスーパー、ターゲットに行ってきました。いつも思うんだけど、アメリカのスーパーは、押して歩くのが恥ずかしいくらい買い物カートがデカい。 さて、汗だくになりながら買い物を済ませて、夜はオープニング・ディナー。Black tieのフォーマルなパーティーで、主催者や前回の優勝者のスピーチのあとに、コースのディナー、そして、最後に演奏順の抽選があります。 7~8人掛けのテーブルが58番まであったので、450人を超える人が出席していたことになりますね。私は、ラジオや新聞など、招待された地元のプレス関係者ばかりの座っているテーブルにつきました。 クライバーン氏の追悼映像とともに、パーティーはスタート。そして、辻井君は今回来場できないということで、ビデオメッセージで登場しました。最初のあいさつが英語で、中盤は今回の参加者へむけての日本語でのメッセージ(英語字幕付き)、また最後に「Good luck and enjoy!」と英語でひとこと。これらの英語のときに、なぜか会場がどよめくのね。 ビデオメッセージが終わった瞬間、向かいに座っていた新聞社の記者が「今の字幕はどれくらい正確だった?」と、ちょっといじわるそうな表情ですかさず聞いてくるという。このノリの記者に本番前につきまとわれたら、確かにたまらないよなぁ。 続いてハオチェンのスピーチ。冒頭、ジョークでしっかり笑いをとり、「コンクールに勝つのではなく、自分自身に勝つ戦いなのです」というカッコイイ言葉で締める、立派なスピーチでした。 出場者にとっては、時差で体も疲れているだろうし、もう翌々日の初日朝に自分の演奏順が来る可能性もあるのだから、さっさと抽選を済ませて帰りたいところでしょう。でも、ディナーは延々と続きます。 前菜のあとに、日本のレストランで出てくるものの3倍くらいはありそうな大きな赤身のステーキがでてきます。おいしいんだけど、食べても食べても減らない。分厚い肉をゴリゴリナイフで切断しながら、眠りに落ちそうになってしまいましたよ。時差ボケって辛いね。   そしていよいよ抽選。前回はコンテスタントがアルファベット順に、演奏順の書かれたくじを引くというスタイルでしたが、今回は前回の優勝者ハオチェンがコンテスタントの名前の書かれたくじを引いて、呼ばれた順に、自分の演奏したい日時を選んでいくというスタイル。ややこしや。自分でくじを引けないなんて何か仕組まれたら終わりだ、なんて疑い深いことを言っている人もいましたが。 一人の女性ジャーナリストが、「一番に呼ばれた人はどこを選ぶと思う?」と、テーブルのみんなに投げかけました。 のちのちのステージのことを考えて、後半の真ん中、つまり全4日中3日目の午後かなぁ、と私は思いました。彼女の推測もそうで、同時にその日は日曜日であるため、客席がしっかり埋まっているからこの3日目日曜日の午後を選ぶに違いないとの推測。なんだかプレスのテーブルらしい会話だなぁと思いつつ。 実際、最初に名前の呼ばれたフェイ・フェイ・ドンは3日目の午後4時50分を選んでいました。みんなが慎重に演奏順を選ぶ中、最後に呼ばれて初日トップになってしまったのはクレア・フアンチ。あとで見かけたので声をかけると、やはり、がっかりという表情を浮かべていました。 演奏順の抽選が終わったあとには、参加者それぞれに、赤いバラが一輪手渡されました。クライバーン氏への追悼の意を込めた黒いリボンがかけられていました。 1日空き日があって、コンクール1次予選は現地時間24日(金)午前11時(日本時間25日午前1時)からスタートです!”
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寒いホールとすばらしき演奏(クライバーンコンクール予選)
“予選Phase1の三日目が終わりました。 テキサスに到着してから良い天気が続いていたのですが、コンクールが始まった途端、突然雨が降ったりする、ちょっとじめじめした気候になりました。 地元ボランティアのおばちゃん曰く、5月だけは、寒いか、暑いか、晴れるのか雨が多いのか、いつもぜんぜん天気が予想できないんだそうです。 いつもクライバーンコンクールのホールは凍えそうなほど寒いので心配していたのですが、そんなこともなく…と思えたのは初日最初の1時間まででした。 どんどん客席は冷え、夜の部のころには北極状態。これ、アメリカ人にとっては寒くないわけ?といつも抱く疑問を持って周りを見渡すと、隣の席のいかついジャーナリストのにいちゃんも、両肩を手で包んで「オーサムイ」のポーズ。アメリカ人的にも寒いんでしょう。安心しました。 ともかく、これから会場に聴きにくる方は何か羽織るものを持ってきたほうがいいです。   予選では、45分のリサイタルをPhase1とPhase2の2回行うことになります。30人が終わったら続けてまた最初の人が演奏する形なので、演奏時間帯をずらして、ぐるぐると二回転することになります。   ネット配信でも、演奏の最初に使用ピアノがアナウンスされていると思います。とはいえすべてスタインウェイなのですが、ハンブルク・スタインウェイ2台(1台はクライバーン財団所有、1台はスタインウェイ所有)とニューヨーク・スタインウェイ2台(1台はクライバーン財団所有、1台はNYのスタインウェイホール所有)の、計4台のピアノが用意されています。 各奏者、ピアノ選びには20分が与えられたそうです。今のところ、クライバーン財団所有のハンブルク・スタインウェイを弾いている人がけっこう多いですね。ピアノは、途中で変更することもできます。   さて、クレア・フアンチさんから始まった予選Phase1の演奏。このコンクールでは実際の演奏を聴いての予備予選が行われているので、やはり一定のクオリティは約束されています。しかもプログラムも自由で45分のリサイタルというものなので、聴くほうも完全に普通の演奏会を聴いている気分です。   ここまで聴いてきて印象に残った演奏をいくつか挙げると、クレア・フアンチのカプースチン、RANAさんのシューマン、スティーヴン・リンのVINE、ジュゼッペ・グレコの喜びの島。そして、ホロデンコがぬりかべのような安定感で演奏したアダムスとラフマニノフのソナタ1番も、じわじわ良かったです。 あとはやはり、阪田くんの生命力みなぎるベートーヴェンのソナタ23番、そして何かを探し求めているかのようなスクリャービンのソナタ5番もよかった。 自分はまわりにプレスばかりがいる席に座っているのですが、彼らからスタンディング・オベーションが出ているのを見たのは今のところ阪田君のときだけだと思います。数日前に話した時は時差ボケがきつそうで「内臓がついてこない!」というようなミステリアスな発言をしていましたが、演奏した日は体調もバッチリだった様子。こうして調子を本番にしっかり合わせることも、プロの演奏家には必須です。   ところで今回のコンクールを聴いていて感じるのは、(配信だとどのように聴こえているのかわかりませんが)どうも爆音系のピアニストが多いなぁということ。バス・パフォーマンスホールはオペラハウスのように、天井が高い筒状で4階席まであるので、もしかすると、ついつい響かせようとして過剰に大きく弾いてしまうのかも? そんな中で、ホジャイノフのハイドンは、美しいピアニッシモと静寂を聴くという楽しみをここまで忘れていたなぁと気が付かせてくれるものでした。そういえば、エチュード3曲の間に拍手が入ったので、“作品の間に拍手されちゃった…”とボソッと言ってましたけど。現代ものを入れるコンテスタントが多い中で、彼はクラッシィ~なプログラムを貫いていますね。さすが、一昔前のロシア人(イメージ)。 今日の演奏では、ズーバーをすごく楽しみにしていたのですが、ちょっと調子がイマイチだったよう。しかし、モーツァルトと、ショパンのエチュードの中で「別れの曲」がよかったです。別れの曲ってもともとそれほど好きじゃないんだけど、ズーバーのようにこう、カタブツそうに甘く弾かれたら、浅野温子もおちちゃうよね、と思いました。古い例えですみません。 そしてチェルノフ。正直チャイコンで聴いたときにはあまりピンときていなかったんだけど、今日のメリハリのきいた「夜のガスパール」はとても良かったです。重量感のある音で、一気に闇を創り出す。昨日のホジャイノフとこれほどまでに違うか!という感じ。ホジャイノフのように細部までしつこーくこだわってキラリンと弾く感じもすごく良いけれど。 チェルノフはもう5児の父だそうですが、それを教えてくれた隣の席の方が、「生活かかってるものね、それは演奏も必死さが違うわよね、うふふ!」と言っていて、なるほどなぁと思ったりしました。 それと今日もう一人印象的だったのは、フェイフェイ・ドン。 ショパンコンクールから見ていた方の中には、彼女の袖ぐりが膨らんだフワフワの派手なドレスがどこかへいってしまったことに、一抹の寂しさを覚えた人もいるでしょう。ああ、女の子って変わるものだね。とても素敵な、大きな花柄のついた黒いドレスを着ていました。私服も、なかなかオシャレ。 バックステージでついつい、ショパンコンクールの頃のドレスからずいぶん変わったけどどうしたのか、何か心境の変化があったのか…それともニューヨークの生活でインスパイアされたのか、と尋ねると、「そうかもね、でも、新しいドレスを1着買ったっていうだけで、何もないですよ~」と笑っていました。そんな理由なわけ、ない。心の中でそう思いました。 それで、演奏も、みずみずしさそのままに洗練がプラスされて、輝いていました。次のステージも楽しみです。   …というわけで、記憶に新しい人たちを長く書くというわかりやすい偏りを見せつ、つつらつらと書きました。 さて、明日一巡目最後の3人が演奏したら、続けてクレア・フアンチから二巡目の演奏が始まります。気に入ったコンテスタントの音楽がもれなくおかわりできるみたいで、いいですね! 引き続き楽しみです。  ”
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緊張とピアノの森(クライバーンコンクール予選)
“こちらに着いて1週間余り。意外にもとても健康的な生活をしています。 東京でのひきこもり原稿書き生活と違い、毎朝しっかり8時すぎに起き、朝食をとって片道15分歩いてホールへ。 ときどき口にするコーヒーも薄くて刺激が少なそうだし(プレスルームにあるコーヒーが、何をどうするとこうなるかと疑問に思うほど、うすい。あっ。もしかしてコーヒーじゃないのかも……と思うほど、うすい)、いろいろないいピアニストを聴いて、休憩時間には原稿を書いたり、ときどきは散歩をしたりする。 夜はまったくお酒も飲まず、12時を過ぎるとモーレツな睡魔に襲われてスイッチが切れたように寝る。 部屋にネットがつながっていないので、不必要にパソコンに向かって時間を費やすこともない。 まあ、素朴な生活ですよね。そのうちどこぞのロシア人みたいに、“趣味は散歩です”とか言いだすかも。 さて、そんなことはさておき、予選も残すところあと1日。 6名の演奏を残すのみとなりました。ぶらあぼのFBにも数日前にアップしましたが、ここで審査方法をおさらいすると、「審査員は、セミファイナルに進むべきと思う12名のコンテスタントの名前を記入(順位はつけずに順不同で)。同位が生じたときのために、予備(“Maybe”)の3名の名前を、こちらも順位は付けずに順不同で記入する」…ということだそうです。 前回までは点数方式だったのですが、今回からはこの後のステージでも、このシンプルな方法で審査が行われるとのこと。 ここで一気に半分以下の12名に絞られてしまいます。 それにしてもこのコンクールを聴いていて感じるのは、あまり緊張しているふうの人がいないなあということ。 皆わりとリラックスした表情を浮かべてステージに現れ、のびのびと弾いて、去ってゆきます。やっぱり“人前に出たい中毒”みたいな人じゃないとピアニストにはなれないんだろうなぁなんて思ってしまいます。 そんな中で目立って緊迫した雰囲気を出していたのが、Phase2のマルティン・コジャック。曲間はもちろん、楽章間でも執拗に鍵盤を拭う様子は、少々奇妙でした。「ピアノの森」(今、主人公のカイ君がショパンコンクールを受けている)の雨宮君を思い出しましたね。たとえばあれが無意識の行動だったとして、これで私が終演後「どうしてあんなに鍵盤を拭いていたんですか?何か気になったんですか?」とか聞いたら、“え? この人何言ってるの? ガーーーン”みたいになるのかなと。まあ、それは漫画の読みすぎか…。 ともかく、ぶしつけなことを尋ねる記者にはなりたくないけれど、彼らの精神状態は計り知れないので、知らぬ間にやっちゃうこともあるのかも。こわいことです。 2010年のショパンコンクールのときはクラクフで学んでいた彼ですが、昨年からクライバーンコンクール地元のTexas Christian Universityで勉強しているようです。ちょっと不思議な経歴。 実は「緊張しましたか?」という質問は、以前某N君からそれが愚問であると力説されて以来、静かに封印しておりました。ところが改めて勇気を出して聞いてみると、けっこう興味深いエピソードが出てきたりするんですよね。 例えば阪田くんなんかは、「かなり緊張するほうで、舞台でも弾きはじめるまで、曲の音を忘れてしまうくらい」だと言っているからオドロキ。そうは見えないと言うと、「見た目が功を奏しているのかも。つまんなそうな顔してるんで」と、なんともリアクションのしにくい返答。ああ~確かに、というのもなんだか失礼だし、いやいや、めちゃくちゃ楽しそうですよ!というのも白々しい。 ちなみに某N君ことニコライ君は、全然緊張しないのだそうです。 初めてその質問をしてから数年、そろそろ「本当はちょっと緊張しちゃった」とか白状するかと思って先日またそーっと聴いてみましたが、やっぱり緊張しないといっていました。 ステージで全然緊張しない人って、マツーエフ以外にもこの世に存在するんですねぇ。緊張したり焦ったりして思考能力が停止する自分としては、ただただ尊敬するばかりです。いろんな意味で計り知れない精神力の若い人が30人も集まって、やっぱりクライバーンコンクールすごい。 そんなわけで、今日もそろそろ睡魔の襲ってくる時間がやってきたので、寝る支度をしようと思います。おやすみなさい。”
6月
05
聴衆人気について考えたこと(クライバーンコンクールセミファイナル)
“セミファイナルも最終日に突入しました。 今さらですが、セミファイナル進出者の顔ぶれ、個人的には、この感じで通るのか、ふ~ん、という人もいれば、逆に通らなかったコンテスタントの中で次も聴きたかったと思う人もいましたが、おおむね納得のいく感じでした。 爆音系だと感じた方々は通っていなかったようなので、安心しました。爆音の演奏って、聴いてるとしかめっ面になって、だんだん悲しくなってきちゃうんだよね。 さて、ここで一つお詫びと訂正がございます。 チェルノフさんの子供の数ですが、5人ではなく、3人らしい、ということです。誤情報申し訳ありません。そして、実数以上の子だくさんキャラに仕立て上げてしまって、ごめんなさいチェルノフさん。ご本人と交流のあるらしい情報通の方から聞いたので正しいんだろうと思ったのですが、やはり直接確認しないといけませんね。 というわけで、この3人というのも直接本人から聞いたわけではないのですが、まずは訂正を。実際、書く前に聞こうかと思ったんですが、ベートーヴェンの32番のソナタについて語ってもらった直後に「ところで子供が5人いるって本当ですか?」とか聞くのもなぁ、と思ってやめてしまったのでした。もっと勇気出せよ、自分! ちなみにチェルノフさんの上のお子さんはすでに9歳だか10歳くらいで、音楽学校で勉強しはじめているとか(これもモスクワ音楽院の人から聞いた話で、直接聞いたわけではありません)。 でもこれって今回のコンクールで言うと、今20歳のコンテスタントが、10年後どこかのコンクールでチェルノフの子供と競い合うことになるかもしれないってことでしょ。なんだかすごいよね。 さて、今日はすべての演奏の終了予定時刻が22:40。ファイナリストの発表予定時刻が23:30とのこと。予定どおりに結果がでるのだろうか…すべてが終わるのは何時になるのでしょう。 審査方法は予選と同様です。審査員はここまですべてのPhaseを考慮に入れて、ファイナルに進むべきと思う6名の名前と、予備候補“Maybe”の1名の名前を記載して提出することになります。 セミファイナルでおもしろいのは、やはり現代作品の演奏の違いでした。 最近はこうした課題が取り入れられるコンクールが多く、いつも、演奏者によってこれほどに違うかと感じるわけですが、今回の曲に関してはもう、圧倒的に全員違うのでびっくりします。リズムのとりかたから明らかに違う。 親をからかってイタズラをする子供、というテーマの曲らしいですが、それぞれのコンテスタントの演奏によって、元気いっぱいのやんちゃ坊主からちょっとニヒルな子供、ゴリラの子供まで、いろいろ出てきます(すべて私の勝手な想像です)。 “この曲のテーマは子供といっても、イタリア、それもシチリアの子供だよ。マフィアの子供かもよ。フフフ”とか言ってた人もいました(誰とは言いませんが)。ともかく、コンクールの委嘱作品としてはなかなかダイタンなテーマです。 室内楽も、これまでは見えなかったピアニストの個性が見えてとてもおもしろいです。 弦と対話するように調和のとれた演奏をする人、どうしても音が飛び出してしまう人、合わせようとしすぎて存在感が消えちゃう人、自分のことで精いっぱいな人、いろいろいます。 ここまで聴いた中で、室内楽ベテランの風格を示したのは、やはりホロデンコさんでした。そういえば彼が優勝した仙台コンクールっていうのは、室内楽や協奏曲を重視して審査するコンクールでしたね。 ところでホロデンコさんは、リサイタルPhase2の「ペトリューシュカ」以来ものすごい人気です。 前傾姿勢でトコトコとステージに登場してきただけで、会場がわーわーします。確かにあのペトリューシュカはすごかった。その後同じ作品を弾く人がかわいそうなくらい、強いインパクトだった。 あのときのホロデンコさんの映像とゲゲゲの鬼太郎のアニメーションをコラージュ加工して音楽に合わせたら、抱腹絶倒の素敵な作品ができるんじゃないだろうかと勝手に妄想しています。だれかそっちのほうに強い人、作ってください。あ、冗談です。 それにしても、聴衆から人気が高いとか、演奏の後お客さんが盛り上がるということは、どのように審査に影響するのか?について、この前ちょっと話題に出たことをきっかけに、考えました。 とくにアメリカの聴衆は、実に頻繁に盛り上がりますし。あれだけいちいち「フ~フ~!」言って毎日過ごせたらストレスないだろうね、と思うけど、実際そうでもないらしいから不思議なもんです。 それで、聴衆に人気のあるピアニスト=スター性がある、という認識につながることは、やっぱり少しあるだろうと思います(アメリカのコンクールだしね)。一方演奏後のリアクションについては、お客さんが盛り上がるからいい演奏だと思っちゃうほど、審査員は単純だとは思いません。 そこで思うのは、審査員にとっても、自分が良い演奏だと思っているときに客席の反応が良ければそれは良い評価のほうに作用して、逆に、良くない演奏だと思っているときにお客さんが大盛り上がりの場合は、すごく逆効果になるのではないかということ。なんでこの演奏がもてはやされる?と思うと、ちょっぴりにくたらしくなる、的なね。 前にもこのブログで書いたかもしれませんが、かつてのリヒテルコンクールでボジャノフが1位なしの2位になったとき、記者会見で審査員のアファナシェフがしかめっ面で、「今回は聴衆に人気のある人が最高位になりましたが、我々は聴衆を教育しなくてはなりません」と本人を目の前にして言い放ったことなんかは、良い例ですよね。 ところで、ぶらあぼのFBのほうに、フランソワ・デュモンの、2013年10月1日ハクジュホールでの演奏会情報とプチコメントを載せています。 ロングインタビューは、後日ハクジュホールのホームページのほうに寄稿予定です。 インタビュー、あんまり時間がなかったのでひとつひとつのトピックスを簡潔にすませようとしたのですが、語りが熱すぎてまったくそうはいきませんでした。ハクジュホールは客席の椅子がふかふかなんだよと教えると、想像以上の興奮したリアクションを返してくれました(自分が座るわけじゃないのに)。 それにしてもデュモン、見れば見るほどツヤツヤで(あ、顔がですよ)、一体何を食べて、どんな生活をしているのだろうと思ってしまいました。毎朝スプーンで一口、最高級のエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルを食べています、とか言いそうなツヤツヤっぷり(昔インタビューしたツヤツヤのフレンチのシェフが言っていたことがある)。 そしてたとえご本人にプリプリされても言い続けますが、私は彼のフランスものが好きです。一方、ハクジュホールのプログラムはオール・ショパンです。でも、きっとショパンも良いと思います。 デュモンさんもしかり、結果は残念でも、こうして注目していた若いピアニストの演奏を聴かせてもらえるきっかけができるのが、コンクールのいいところです。参加するご本人たちのストレスはハンパないでしょうが。 とはいえ、結果ももちろん気になる。このあと夜の部の3人が演奏したあと、ファイナリストの発表です。”
07
ファイナリスト発表とZoo Party(クライバーンコンクール)
“ファイナルがいよいよ始まります。 ファイナリストは以下の6名。 Sean Chen, 24, United States Fei-Fei Dong, 22, China Vadym Kholodenko, 26, Ukraine Nikita Mndoyants, 24, Russia Beatrice Rana, ...”
09
ドキュメンタリーとか、コミュニケーション能力とか(クライバーンコンクールファイナル)
“2曲の協奏曲を演奏するファイナルも、3日目が終わりました。残すはあと1日。 コンクールも佳境にさしかかり、裏方の面々にも疲れがたまってきたようです。初日に元気溌剌だったプレスセンターの青年が、最近時々ぼんやりした表情を見せているので、ちょっと心配です。余計なお世話ですけど。 そしてドキュメンタリーのクルーのアニキたち。カメラかついで後ろ歩き、大きなマイクを持って右往左往。とくに昨夜はバックステージを緊迫した表情で走り回っていました。 このドキュメンタリーの監督を務めているのは、クリス・ウィルキンソン氏。映画「ニクソン」や「アリ」の脚本家も務めた人で、アカデミー賞にノミネートされたこともあるとか。ライブ配信中に流れていたスタジオ撮影のインタビューの聞き手も、この方がたびたび務めていたそうです。 さて、今日の午前中は、審査員によるシンポジウムがありました。 クライバーン・リサイタルホールで行われるのですが、会場は一般の聴衆でいっぱい。質問も絶え間なく次から次へと飛び出し、しかも一つ一つがちょっとしたスピーチに聴こえるほど、思慮深さを感じるものでした。 それぞれの質問に出席した審査員が回答するのですが、中でも目立ったのが、カプリンスキー審査員の話。彼女の圧倒的な頭の良さをひしひしと感じました。 カプリンスキーさんは長らくジュリアード音楽院ピアノ科の長を務めていて、また地元テキサス・クリスチャン大学の教授でもあります。クライバーンコンクールの審査員を務めるのは2001年以来4度目です。 実は過去のコンクールでは、彼女の生徒が多くエントリーしていることで、批判にさらされてしまったこともありました。ちなみに今回のファイナリストの中では、フェイフェイ・ドンさんがジュリアードでカプリンスキーさんに師事しています。ヴァルディ先生とカプリンスキー先生のお弟子さんは、本当にあちこちのコンクールで活躍していますね…。 さらにちなみに言えば、ファイナリストのラナさんはヴァルディ審査員のお弟子さんです。とはいえ、4年以内に師弟関係にあった弟子には、審査員は投票できないことになっています。 さて、シンポジウムの話。 他の審査員のおじさま方もとても興味深いコメントをしてくれるのですが、いつも最後にカプリンスキーさんが付け加えるコメントが、必ずどこか、うーんと納得するものなのです。 例えば、「西洋クラシック音楽には、その周辺のさまざまな文化が影響していて、それを知ることは大切だ。その部分に今やアジアの演奏家たちがとても関心を持っていて、欧米のピアニストが失っているものをアジアのピアニストが得ているような気がしてならない。今後ますますアジアのピアニストが台頭するのではないか」という質問が出たとき。 これには、“メディアの発達で、世界中の人がいろいろな演奏に触れることができるようになった。そのうえ、結果を早く得るにはイミテーションが一番手っ取り早い。同時に、現在の音楽業界が20代前半の若者を求める。知り合いのプロモーターは、26歳を越えているともうちょっとためらってしまうと言っていた。メルティンポットは良いことだが、それにより若者がじっくり音楽性を育てる時間を失っている。ルービンシュタインやホロヴィッツ、ギレリスが現代のコンクールのシステムに参加しても優勝することはできないだろう。昔の音楽家には、自分が音楽で何を言いたいのかをじっくりと育てる時間があった。これが昨今、これこそが芸術家と呼べるピアニストが出てきにくくなっている理由だと思う”とおっしゃっていました。 音楽の背景にある文化やその他の芸術を深く知らないままに、“イミテーション”の演奏家が台頭する恐ろしさ。 これはおそらくアジア人の演奏家に限ることではまったくなく、ヨーロッパ人にも言えることでしょうね、生まれてから自然な生活の中で宗教的な価値観や文化を身につけていることは武器ではあると思いますが。 西洋クラシックの深い文化に心から理解する努力をなしに成功できるチャンスがある、むしろそういう華やかなピアニストを市場が評価する方向にいくのは、確かになんだか怖いことです。 それともう一つこんな質問も。 「演奏家が自分の音楽を言葉で説明できる能力は必要か」という話題になったとき、「演奏家として活動していくためには、オーケストラや指揮者、世界の聴衆とコミュニケーションをとるにあたって、英語などの言語のコミュニケーション能力が求められる場面もあると思いますが、それは審査の際に考慮に入れるのか」というもの。 確かに今回顔ぶれを見ていて、アメリカで勉強しているピアニストが強いなぁという印象を持ちました。彼らは音楽に限らずいろいろな意味で、アメリカの聴衆の心をつかむ方法を知っているといえるかもしれません。もちろん、そんなサービスは関係なく、音楽一本で評価される人もたくさんいると思いますけど。 これに対してカプリンスキーさんは、“今、プロの演奏家の置かれる状況が大きく変わっている。あるマネージャーと話していて聞いたのですが、20年前、ピアニストとカーネギーホールの演奏会の契約をするときには、ステージから聴衆に話しかけるなという項目が入っていた。しかし今必ず問われるのは、逆に、聴衆とコミュニケーション(※これは音楽によるコミュニケーションという意味ではないでしょう)ができるか、ということ。キャリアを作るにはこのコミュニケーション能力が重要だという考えは音楽学校のカリキュラムにも影響していて、その能力を育てるような授業が取り入れられているほど。ただ、これはコンクールの現場で試されることではない”と語っていました。 冒頭に紹介したドキュメンタリーもそうですが、このコンクールでは事前にコンテスタントのインタビュー映像を撮っておいたり、また、コンクールが始まってからもたびたびインタビューや取材のアポイントをとって、参加者のキャラクターを一般聴衆に知ってもらおうとしています。 さらに、地元新聞などもいろいろな観点で彼らを取り上げています。 これは確かに彼らの音楽が放つメッセージをより強く“感じる”うえでは有効なことでしょう。しかし同時に物事にはちょうど良い按配というのがあって(その感性は人それぞれでとても難しいと思うのですが)、人柄のイメージに聴衆がひっぱられて冷静に聴けなくなるほどでは、なんだかなぁ、と思ったりもします。まぁ、これだけ余計なことばっかり書いてる私が言うのもなんですが。 そして、現地でなされている情報を全部チェックしていないので、ここではどんな感じなのかよくわかりません。 ホロデンコさんなんかは、決して必要以上に愛想の良いタイプではないと思いますが、まさに演奏で聴衆の心を掴んだパターンでしょう。私なんてこれまで何度もインタビューしてお会いしてるのに、今回久しぶりに会って「この前東京でインタビューさせてもらってるんだけど」といったら、薄ら笑いを浮かべて「…maybe?」(かもね?=お前のことなぞ覚えておらんの意味と解釈)と言われました。 タヴェルナ君なんてめっちゃハイテンションで「あぁ!覚えてるよ!どこで会ったのかは覚えてないけど!!」とか、あんまり覚えてなくてもとりあえずノッてくれるのだが。 …とはいえホロデンコさんについては、「日本のファンへのメッセージを」とお願いした際、シブい声を出して「親愛なる僕の日本のファンのみなさん、愛してるよ」と、アンタはロックスターか!という一言をかましてきたときに、意外と内に秘めた輝くアイドル精神(?)を持った人なんだな、と思いましたよ。(※動画はぶらあぼFB参照) 実は先日、もう一人の忘れてはならない“愛想の良いタイプではない”ピアニスト、ホジャイノフと、アメリカ系のコンテスタントがいかにニコニコ良い感じの取材対応をしているかの話になりました。ひとしきり黙って聞いたのち、「…じゃあ次から僕も“ハーイ! 聴衆のみなさん、いつも聴いてくれて本当にありがとう!!”とかやってみよっか」との返答。 …ちょっと想像して、おねがいです、こわいからやめてください、と思いました。 さて、再びホロデンコの話に戻りますが。 先日浜離宮の方から教えてもらうまで気が付いていなかったのですが、11月に東京でリサイタルが決まっているのでした。 ヴァディム・ホロデンコ ピアノリサイタル 2013年11月22日(金)19時 浜離宮朝日ホール 現在予定されている曲目は、リストの超絶技巧練習曲全曲。休憩なしの1時間! セミファイナルのPhase1で演奏していたものです。 ただ、これもいいけど、みなさんにもあのペトリューシュカを生で聴きたいと思いませんか? プログラムこれから変更したりしないのかな。 明日はいよいよファイナル最終日。阪田さんもチャイコフスキーの1番で登場します。 演奏後には審査結果の発表です。”
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長いコンクールが終わりました(クライバーンコンクール結果発表)
“第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。 結果が発表され、すべてのイベントが終わりました。 結果は以下の通りです。 ■ゴールドメダル ヴァディム・ホロデンコ, 26, ウクライナ ■シルバーメダル ベアトリーチェ・ラナ, 20, イタリア ■クリスタルメダル ショーン・チェン, 24, アメリカ ■優秀現代作品演奏賞および、■室内楽演奏賞  ヴァディム・ホロデンコ, 26, ウクライナ ■審査員特別賞 クレア・フアンチ, 23,アメリカ ■聴衆賞 ベアトリーチェ・ラナ, 20, ...”