ドキュメンタリーとか、コミュニケーション能力とか(クライバーンコンクールファイナル)


2曲の協奏曲を演奏するファイナルも、3日目が終わりました。残すはあと1日。

コンクールも佳境にさしかかり、裏方の面々にも疲れがたまってきたようです。初日に元気溌剌だったプレスセンターの青年が、最近時々ぼんやりした表情を見せているので、ちょっと心配です。余計なお世話ですけど。

そしてドキュメンタリーのクルーのアニキたち。カメラかついで後ろ歩き、大きなマイクを持って右往左往。とくに昨夜はバックステージを緊迫した表情で走り回っていました。
このドキュメンタリーの監督を務めているのは、クリス・ウィルキンソン氏。映画「ニクソン」や「アリ」の脚本家も務めた人で、アカデミー賞にノミネートされたこともあるとか。ライブ配信中に流れていたスタジオ撮影のインタビューの聞き手も、この方がたびたび務めていたそうです。

さて、今日の午前中は、審査員によるシンポジウムがありました。
クライバーン・リサイタルホールで行われるのですが、会場は一般の聴衆でいっぱい。質問も絶え間なく次から次へと飛び出し、しかも一つ一つがちょっとしたスピーチに聴こえるほど、思慮深さを感じるものでした。
それぞれの質問に出席した審査員が回答するのですが、中でも目立ったのが、カプリンスキー審査員の話。彼女の圧倒的な頭の良さをひしひしと感じました。
カプリンスキーさんは長らくジュリアード音楽院ピアノ科の長を務めていて、また地元テキサス・クリスチャン大学の教授でもあります。クライバーンコンクールの審査員を務めるのは2001年以来4度目です。
実は過去のコンクールでは、彼女の生徒が多くエントリーしていることで、批判にさらされてしまったこともありました。ちなみに今回のファイナリストの中では、フェイフェイ・ドンさんがジュリアードでカプリンスキーさんに師事しています。ヴァルディ先生とカプリンスキー先生のお弟子さんは、本当にあちこちのコンクールで活躍していますね…。
さらにちなみに言えば、ファイナリストのラナさんはヴァルディ審査員のお弟子さんです。とはいえ、4年以内に師弟関係にあった弟子には、審査員は投票できないことになっています。

さて、シンポジウムの話。
他の審査員のおじさま方もとても興味深いコメントをしてくれるのですが、いつも最後にカプリンスキーさんが付け加えるコメントが、必ずどこか、うーんと納得するものなのです。
例えば、「西洋クラシック音楽には、その周辺のさまざまな文化が影響していて、それを知ることは大切だ。その部分に今やアジアの演奏家たちがとても関心を持っていて、欧米のピアニストが失っているものをアジアのピアニストが得ているような気がしてならない。今後ますますアジアのピアニストが台頭するのではないか」という質問が出たとき。
これには、“メディアの発達で、世界中の人がいろいろな演奏に触れることができるようになった。そのうえ、結果を早く得るにはイミテーションが一番手っ取り早い。同時に、現在の音楽業界が20代前半の若者を求める。知り合いのプロモーターは、26歳を越えているともうちょっとためらってしまうと言っていた。メルティンポットは良いことだが、それにより若者がじっくり音楽性を育てる時間を失っている。ルービンシュタインやホロヴィッツ、ギレリスが現代のコンクールのシステムに参加しても優勝することはできないだろう。昔の音楽家には、自分が音楽で何を言いたいのかをじっくりと育てる時間があった。これが昨今、これこそが芸術家と呼べるピアニストが出てきにくくなっている理由だと思う”とおっしゃっていました。

音楽の背景にある文化やその他の芸術を深く知らないままに、“イミテーション”の演奏家が台頭する恐ろしさ。
これはおそらくアジア人の演奏家に限ることではまったくなく、ヨーロッパ人にも言えることでしょうね、生まれてから自然な生活の中で宗教的な価値観や文化を身につけていることは武器ではあると思いますが。
西洋クラシックの深い文化に心から理解する努力をなしに成功できるチャンスがある、むしろそういう華やかなピアニストを市場が評価する方向にいくのは、確かになんだか怖いことです。

それともう一つこんな質問も。
「演奏家が自分の音楽を言葉で説明できる能力は必要か」という話題になったとき、「演奏家として活動していくためには、オーケストラや指揮者、世界の聴衆とコミュニケーションをとるにあたって、英語などの言語のコミュニケーション能力が求められる場面もあると思いますが、それは審査の際に考慮に入れるのか」というもの。

確かに今回顔ぶれを見ていて、アメリカで勉強しているピアニストが強いなぁという印象を持ちました。彼らは音楽に限らずいろいろな意味で、アメリカの聴衆の心をつかむ方法を知っているといえるかもしれません。もちろん、そんなサービスは関係なく、音楽一本で評価される人もたくさんいると思いますけど。
これに対してカプリンスキーさんは、“今、プロの演奏家の置かれる状況が大きく変わっている。あるマネージャーと話していて聞いたのですが、20年前、ピアニストとカーネギーホールの演奏会の契約をするときには、ステージから聴衆に話しかけるなという項目が入っていた。しかし今必ず問われるのは、逆に、聴衆とコミュニケーション(※これは音楽によるコミュニケーションという意味ではないでしょう)ができるか、ということ。キャリアを作るにはこのコミュニケーション能力が重要だという考えは音楽学校のカリキュラムにも影響していて、その能力を育てるような授業が取り入れられているほど。ただ、これはコンクールの現場で試されることではない”と語っていました。

冒頭に紹介したドキュメンタリーもそうですが、このコンクールでは事前にコンテスタントのインタビュー映像を撮っておいたり、また、コンクールが始まってからもたびたびインタビューや取材のアポイントをとって、参加者のキャラクターを一般聴衆に知ってもらおうとしています。
さらに、地元新聞などもいろいろな観点で彼らを取り上げています。
これは確かに彼らの音楽が放つメッセージをより強く“感じる”うえでは有効なことでしょう。しかし同時に物事にはちょうど良い按配というのがあって(その感性は人それぞれでとても難しいと思うのですが)、人柄のイメージに聴衆がひっぱられて冷静に聴けなくなるほどでは、なんだかなぁ、と思ったりもします。まぁ、これだけ余計なことばっかり書いてる私が言うのもなんですが。
そして、現地でなされている情報を全部チェックしていないので、ここではどんな感じなのかよくわかりません。

ホロデンコさんなんかは、決して必要以上に愛想の良いタイプではないと思いますが、まさに演奏で聴衆の心を掴んだパターンでしょう。私なんてこれまで何度もインタビューしてお会いしてるのに、今回久しぶりに会って「この前東京でインタビューさせてもらってるんだけど」といったら、薄ら笑いを浮かべて「…maybe?」(かもね?=お前のことなぞ覚えておらんの意味と解釈)と言われました。
タヴェルナ君なんてめっちゃハイテンションで「あぁ!覚えてるよ!どこで会ったのかは覚えてないけど!!」とか、あんまり覚えてなくてもとりあえずノッてくれるのだが。
…とはいえホロデンコさんについては、「日本のファンへのメッセージを」とお願いした際、シブい声を出して「親愛なる僕の日本のファンのみなさん、愛してるよ」と、アンタはロックスターか!という一言をかましてきたときに、意外と内に秘めた輝くアイドル精神(?)を持った人なんだな、と思いましたよ。(※動画はぶらあぼFB参照)

実は先日、もう一人の忘れてはならない“愛想の良いタイプではない”ピアニスト、ホジャイノフと、アメリカ系のコンテスタントがいかにニコニコ良い感じの取材対応をしているかの話になりました。ひとしきり黙って聞いたのち、「…じゃあ次から僕も“ハーイ! 聴衆のみなさん、いつも聴いてくれて本当にありがとう!!”とかやってみよっか」との返答。
…ちょっと想像して、おねがいです、こわいからやめてください、と思いました。

さて、再びホロデンコの話に戻りますが。
先日浜離宮の方から教えてもらうまで気が付いていなかったのですが、11月に東京でリサイタルが決まっているのでした。
ヴァディム・ホロデンコ ピアノリサイタル
2013年11月22日(金)19時 浜離宮朝日ホール

現在予定されている曲目は、リストの超絶技巧練習曲全曲。休憩なしの1時間! セミファイナルのPhase1で演奏していたものです。
ただ、これもいいけど、みなさんにもあのペトリューシュカを生で聴きたいと思いませんか? プログラムこれから変更したりしないのかな。

明日はいよいよファイナル最終日。阪田さんもチャイコフスキーの1番で登場します。
演奏後には審査結果の発表です。