インドのオーケストラ、イギリスへ行く


シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディアが、イギリスデビューする!
ということで、そのロンドン公演を聴いてきました。

演目はふたつ。先日私がムンバイで聴いた、ザキール・フセインのタブラ協奏曲を含むプログラムと、純西洋クラシックのプログラム(組み合わせを変えて数種類)。今回は、タブラ協奏曲なしの下記の演目を聴いてきました。場所はCadogan Hallです。

Weber: Overture to Oberon
Bruch: Violin Concerto No. 1 in G minor, Op. 26
Rachmaninoff: Symphony No. 2 in E minor, Op. 27

そもそもこのシンフォニー・オーケストラ・オブ・インディア(SOI)というオーケストラ、ナショナル・センター・フォー・パフォーミング・アーツ(NCPA)のディレクターであるサントゥクさんがロンドンであるオーケストラの公演を聴き、「我がムンバイのNCPAにもオーケストラを!と思い立って始めたものだということです。
そのロンドンでのコンサートでソリストをしていたカザフスタン人ヴァイオリニストのマラト・ビゼンガリエフさんを音楽監督に招き、SOIはスタートしました。
そのため、オーケストラの団員には、臨時でシーズンにやってくるカザフスタン人がとても多い!あとはロシア人。インド人団員は15人ほど。

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こちらのカザフスタンの大木凡人さん的な方が、ビゼンガリエフさん。この日のロンドン公演では、ヴァイオリン協奏曲のソリストをつとめました。

カザフスタン人は東アジア人と似た見た目の人も多いです。
ビゼンガリエフさん、日本では日本人に間違えられて普通に日本語で話しかけられるよ!とおっしゃっていました。
(たしかに、この色メガネとアーティスティックなヘアスタイルを除けば日本人ぽいかな…ちょっと個性的な風貌の日本人として話しかけられているんでしょうね)

私もバックステージでうろうろしていたら、カザフスタン人?と話しかけられました。さらにビゼンガリエフさんには、KOSAKAって、コサックじゃないか!私もコサックだよ!!と言われました。カザフスタンの人にとって、私の名前はコサックになるみたいです。

私がロンドンで聴いた演目は、ザキールさんのタブラ協奏曲がない、いわばごまかしのきかない演目なわけでしたが、指揮者がイギリス人のマーティン・ブラビンズさんということで、ムンバイで聴いた時よりもまとまりのある印象。とはいえ、弦の人々が思い思いの弓使いで演奏しているのは相変わらずです。

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お客さんの入りは6、7割。後半のラフマニノフの交響曲第2番のあとは、客席から大歓声があがっていたので、イギリスのお客さんからは好意的に受け入れられたようです。楽章ごとにためらいがちな拍手が出ていたので、この日の客層がどんな方々だったのかはよくわかりませんが。

今回、開演前のプレトークやビゼンガリエフさんのお話を聞いて、そもそも、自分(や周りの人達)が抱いていた、インド人が15人ほどしかいなくてインドのオーケストラといっていいのか?という疑問の答えというか、そもそもこの疑問を勝手に抱くこと自体が、彼らの考えていることからするとズレているのかもということを思いました。

彼らは、単に、ムンバイをベースにしたまともなオーケストラを持ちたかった。もちろんインド人の奏者が育って増えればいいと考えて、教育プログラムも行なっているけれど、インド人団員は結果的に増えればいいというだけで、第一の目的ではない。
むしろ、日本のオーケストはには外国人が少なく、そのことはある意味不自然なのではないかという議論が最近あることを思い出しました。
ビゼンガリエフさんともこの辺りの話をしましたが、「私たちはなに人だろうが、より優れた人の方をオーケストラに入れているだけだ」と言われてしまいました。さらには、日本オーケストラは、「例えば日本人と外国人の演奏家カップルが日本に住むことにして、演奏レベルが低くても日本人の方がすぐオーケストラに就職できて、外国人のほうはなかなか仕事が見つからないという例を聞いたけど」とも言われてしまいました…。
とはいえ、この外国人たちがシーズンごとに外国から呼ばれてやって来るわけで、めちゃくちゃにお金がかかるということ、そのお金があるならローカルな音楽家の育成やサポートに力を入れるべきでは?という疑問があるのも確かです。

さて。いくつかのロンドン公演の批評に目を通すと、アンサンブルの面や、とくにインド系イギリス育ちのダダルさん指揮の公演について、安全運転重視の演奏に厳しい評価が下された印象。

1960年にN響が世界ツアーをしたとき、ときどき酷評はあったものの概ね好評だったことを、ソリストだった中村紘子さんや堤剛さんが回想していたことと、ふと重ねました(16歳の紘子さんが振袖で弾いたことで有名な、あのツアー)。
中村紘子さん曰く、「黄色い顔をした発展途上国の蛮族が、自分たちの文化をこれだけ真似をして、いい子ちゃん、いい子ちゃんみたいな、非常に見下して寛大に迎えるというような形(中略)冒頭にはいつも、戦争で戦った敵国日本という表現が必ず入っていました」。
もう今は時代が違うということですね。他にも、団員がその国の人でないなど、いろいろ違うことはありますが…。

ザキールさんのタブラ協奏曲については、「パウダーのついた指と手のひらで、複雑なリズムを叩き、カデンツァはまるで催眠術のようだった!」なんて書かれていました。
ただ、厳しめの記事には、一握りのインド人しかいないこのオーケストラが、その名前にという名前にそったものになる日は来るのかだろうかということ、またザキールさんの曲自体について、西洋と東洋をつなぐという意味では月並みな結果だったし、もっとザキールさんが二本の手と二つの太鼓でオーケストラみたいな表現をするところを聴ける曲であって欲しかった、というようなことも書かれていました。

演奏を聴くというよりは、ロンドンでの反応が気になって見守りに行ったという感じのこの公演。聴衆は盛り上がっても、やはり批評は思った通り少し厳しいところもありました。