ヤマハ調律師さんインタビュー[チャイコフスキーコンクールのピアノ]


今回のチャイコフスキーコンクールでは、前述の通り、5メーカーのピアノが舞台にあがりました。コンクール開始前、各コンテスタントは舞台に置かれたこの5台を試弾し、コンクールでの舞台をともにするパートナーを選びます。

普通、試弾時間は15分くらいというコンクールが多いですが、今回は一人30分ずつ試し弾きの時間が与えられたそうです。
全部のピアノを満遍なく試してみる人、最後まであきらかに迷って行ったり来たりする人、だいたい目星をつけていたのだろうなという感じで1台に決めこみ、そのピアノでほぼ練習時間のように時間を活用する人など、さまざまな様子が見られたようです。本番のステージとピアノで練習できるのはこの時が最初で最後です。

数日間にわたって行われるセレクションでは、初日が大切だとも言われます。というのも、限られた時間の中でピアノを選ばなくてはならないため、みんな事前の情報収集に必死だから。「あのピアノよくなかった」みたいな噂が伝わると、まともに触ってすらもらえないということが起きるのだそうです。

どんなにいい楽器を準備してきても、選んでもらえなければ、そして選んだピアニストに合っていなければ、いい結果は出ない。審査員が持つ印象の影響もある。
ピアノメーカーの戦いは、単に自分たちががんばればそれでいいともいかないので、なかなか大変です。
そんななかでコンクールにメーカーさんがピアノを出す理由については、以前のコンクール特集内の記事でもご紹介しています。

優れた調律師さんたちは、ピアニストばりにちょっと変わった方といいますか…アーティスト的な方が多く、それでいて職人気質なので、淡々とした雰囲気を持ち合わせているという、なかなかお話の掘りがいのある方々です。
そんなわけで、今回も一部のメーカーのメイン・チューナーさんにお話を伺ってみました。同じ質問をしても、みなさん答えることが違っておもしろい。

まずは、ヤマハのコンサートグランドCFXの担当調律師、前田真也さんのお話から。
ヤマハのピアノは、今回1次で25人中9人のコンテスタントが選択しました。前田さん、今回のチャイコフスキーコンクールが、国際コンクールのメイン・チューナーを務める初めての経験だそうです(これまでにも、先輩調律師さんのサブを担当することはあったそうですが。サブ調律師さんのお仕事も、調律の立会いや練習室のピアノの調律などで、すごく大変なんですけどね…)。

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前田
真也さん

―国際コンクールでメイン・チューナーとして調律を担当されるのは初めてということですが、どんな意気込みを持って臨まれましたか。実際に担当してみていかがでしたか?

これまで、前回のチャイコフスキーコンクールやショパンコンクール、浜松コンクールなどで、先輩方の仕事を見せてもらってきました。今回は初めての中、その経験からイメージを固めて進めてきました。チャイコフスキーコンクールは、演奏される曲も大きいので、まずは単純にしっかり調律をすることだけでも大変です。

―チャイコフスキーコンクールのレパートリーを意識して目指した調整はありますか?

これまでロシアに滞在する中で持つようになっていたイメージから、とにかく打たれ強い、へこたれない楽器を目指そうと思いました。強い入力に対しても負けない楽器、音が潰れることのない楽器です。それをまず実現させてから、細かいところを調整していこうと思いました。

―今回は1次でたくさんのピアニストがヤマハを選びました。選ばれた秘訣はなんでしょうか?

秘訣…そうですね、まず、弾きやすいようにタッチを丁寧に調整しました。そして、打たれ強さ、さらに、客席に飛ぶような音でありつつ、ピアニスト側にわかりやすいという、バランスのとれたピアノを心がけました。こうした積み重ねでたくさんのピアニストに選んでもらうことができたのかなと思っています。

―モスクワ音楽院の大ホールは、2階には音がよく飛ぶけれど、審査員が座っている1階の前方にはなかなかそういかないようですね。今回はそんな音響の会場でピアノを調整をするにあたって、どんなことを心がけましたか。

僕の印象では、ステージ上で聴く音と1階席で聴く音に、そんなに差はないと感じたので、調整をする時には、こっちで聞くとこうだからということはあまり意識しないで、そこの場所でちゃんと聴こえる音を作れば届くと考えていました。それは、これまで何回かこの会場でのコンサートを経験して感じていたことです。

―ご自分のピアノを選んだ人が弾いているときは、どんな心境でいらしゃるのでしょうか?

今回はとくにきれいな音で弾いてくれる人が多かったので、楽しんで聴いていました。だんだん大きな曲になっていくと、調律が狂わないかと少しそわそわしましたが…。

―あまり緊張されないほうなんですね? 御社の調律師さんでも、いろんなタイプの方がいらっしゃるように思いますが。

そうですね、僕は割と緊張しなくて。でも、やることはやったしという感じがあるからですかね。

―調律師さんの仕事で一番大切なことは何だと思いますか?

ピアノと向き合う時は、その楽器の性能をいかに最大限に引き出せるかが、僕の中の大事なテーマです。今回の楽器も、いかに僕が思う最大限の良い状態にできるか、楽器のいいところを全部出せるようにするかという視点でやっています。そうすると、どんなプログラムが演奏されても許容量が増えていきます。それぞれのピアニストから何でも引き出してもらえる状態にできたらいいなと思っています。

―ピアノを良い状態にしたら、そのあと演奏するのは当然ながらピアニストですよね。そんなピアニストとのコミュニケーションや、要望のケアはどのようにされるのでしょうか?

コミュニケーションができるときには、その都度読みとって、ここだろうというものを出してあげられるように調整します。今回についていえば、部分的な調整くらいで、大きなリクエストは特にありませんでした。わりと自分の思う完成図のままいくことができました。

―今回、チャイコフスキーコンクールのために選んだ1台はどんな楽器なのですか?

(コンサートピアノ推進グループ 田所さん)開発を続け、試作品がたくさんあるなかで、チャイコフスキーコンクールに適したものはどのピアノかを社内で話し合って選定しました。

―今回から、中国の長江という楽器が加わりました。どんな印象を持ちましたか? また、この状況をどう感じていますか?

初めて見る楽器でしたがいい印象ですし、うちのピアノにないものも感じます。
コンクールでは、他の楽器とはっきり比較できるので、技術者としては、自分たちの楽器がどういう位置にあるのかを把握する意味で、とても興味のある現場です。本当は他のメーカーの楽器も触ってみたいし、技術者とも話をしてみたいくらいです。

―コンサートの調律とコンクールの調律は違いますか?

特に違いはないです。まだ経験が浅いからかもしれませんが、根本的なところは特に変わりません。

―それでは、目指している理想のピアノや音のイメージは?

自然で無理のない音が出せるピアノです。小さすぎもせず、無理に大きすぎもせず、できる限り自然な状態が一番いいと思っています。大きな音を出してやろうという感じになっていないというか。楽器自体がリラックスした状態です。そんなピアノからは、一番いい音が出ると思います。

―ヤマハCFXの魅力はどんなところにありますか?

一番は、細かいところまで音がクリアに聴こえるところだと思います。そして、均一性、コントロール性、弾きやすさも特徴です。もちろん、合う人、合わない人はいるかもしれませんが。華やかな音が出しやすく、音色にも魅力があると思います。

―調律師さんを目指されたきっかけは?

父親が調律師でした。ただ、父を継いだとかではなく、大学時代に進路を考えたとき、技術系の仕事はおもしろいし向いていると思って、一番身近だった調律師の仕事に関心を持った形です。もともと父の仕事がどういうものなのかはよく知りませんでしたが、興味を持つようになって現場についていって、なんだ、これならできそうだと思って入ってみたら、実際は意外と大変だったという感じです(笑)。

―コンクールの調律で一番大変なことは何でしょうか?

調律が狂わないようにすることが、まず一番気になるし、苦労するところですね。

―調律の持ち時間も限られている中での作業となりますし…。

そうですね、時間がたくさんあれば良いですが。限られた時間の中でその時の状態をみて、どれだけのことができるかと考えて作業をしています。

―ずっとやっていて良いといわれたら、やっていたい感じ?

…ずっとはやらないです! できることはは無限大ではないので。それこそ、その楽器が一番リラックスした状態になったと思えたら、そこで作業は終わりです。

―コンクールの場合は、楽器自体が良いことに加えて、コンテスタントに選んでもらうことが必須になると思いますが、そのために心がけることはありますか?

そうですね、第一印象は一瞬で決まってしまうので、そこでなんとか引き止められるようなタッチと音が必要になります。出る音があまりにも他のメーカーとかけ離れていると、選択肢から外される可能性も高くなってしまうので、気をつけています。ピアニストから最初に気に入っていただけるようにというのは、普段のコンサートと同じです。

―セレクションは初日が大切だと言いますが、どんな気持ちでしたか?

僕にとっては初めてのコンクールなので、なるようになるだろうという気持ちで臨みました…。今までの調律師のみなさんが積み上げてきてくださったものがあるので、自由にやらせてもらっています。

―では、コンクールで成功を収めるためのポイント、秘訣は何かと聞かれたら…どうお答えになりますか?

ブレずに、自分を曲げずにいるということです。もちろん、柔軟に対応すべきところはそうしますが、まずは自分の感性に従ってやるということだと思います。

―調律師をやっていて良かったと思う瞬間はどんなときですか?

2次でも、例えば最後のキムさんがとてもきれいに弾いてくれて、聴衆もすごく喜んでいましたが、ああいうみんなハッピーになってるんだろうなという瞬間が、やっぱり嬉しいです。

―ご自分が調整した楽器がそこにあって…

そうじゃなくても、みんなハッピーならハッピーなんですけど(笑)、でももちろん、そこに関われていたらいいなという感じですね。

―ホールで音作りをしている間は、何を聴いてるのでしょうか。

ピアノの音…なのですが、自分がやったことに対しての変化がわかるようになってくることで、いろいろな表現ができるようになります。
また、普段ポップスを聴いたり、自分で打楽器を叩いたりしたときの感触が、ピアノの音と結び付くようになってきて。経験を積むにつれて、その辺りの感覚が変わって来ています。何か新しいものを発見したときに、自分で実感している感触と結び付けながら、その感触を逃さないように、経験を積み上げていきたいです。

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前田さんは、ヤマハの若手調律師さんのホープ的な存在なのでしょう。
1980年代後半から国際コンクールの舞台で調律を手がけてきた世代の技術と経験が受け継がれ、前田さんのリラックスした感性が、リラックスした状態のピアノを目指す。そして、ピアニストもリラックスした状態で演奏できるのが一番。
前田さんの手がけたピアノのまわりには、良いリラックスがうずまいて、自由で解放された音楽が生まれる、ということでしょうか!

CFX