「Road to 仙台コン」ボランティアさん事情のこと


クラシックソムリエ協会とのコラボレーションで連載されている、
「Road to 仙台コンクール」
クラシックの基礎知識やコンクールを聴く楽しさを紹介する内容で
記事を書いています。

今月のトピックスは、「世界のコンクールのボランティアさん事情」
仙台や浜松はもちろん、今や世界のほとんどのコンクールが
ボランティアさんの支えで成り立っていると思いますが、
今月の記事では、中でもそのスケールがハンパない
ヴァン・クライバーンコンクールの事例などを紹介しています。

それで、記事をまとめながら、これまで行ったコンクールのなかで、
チャイコフスキーコンクールやショパンコンクールでは、
ボランティアさんの存在を見ることがほとんどなかったな…とふと気が付きました。
しいて言えば、学生インターンのような人たちくらい。

記事の中で、プロの「ドアおばさん」の話を紹介していますが、
彼女らの威圧感は本当にすごいです。
ただ、顔見知りになれば融通を聞いてくれる、優しい一面もあります。
(仲良くなると、遅れてもソーッと入れてくれることがある)
前の回のコンクールから5年経って、
まったく同じドアに同じおばさんが座っているのを見て、
すごく懐かしい気持ちになったこともありました。

ショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールでは
なぜボランティアの活動が見られないのか。
あれだけのコンクールになると国からの予算も出て
ボランティアを集める必要ないのだろうとか、
そもそも、チケット争奪戦となる大コンクールだけに、
多くのコンクールのように入口チェックをボランティアさんに
(どうしても、高齢の方や物腰おだやかな女性となることが多いので…)
任せるわけにはいかないのだろうとか、いろいろ思い当たる理由はありました。

で、今回記事を書くにあたって、過去に、ヴァン・クライバーン財団事務局長、
そして2011年チャイコフスキーコンクール事務局長を務めたロジンスキさんに
ちょっとその辺のことを聞いてみたら、こんなお返事が。

「私も、チャイコフスキーコンクールでもクライバーンと同じように
ボランティアを集めることができないか提案してみたんです。
でも、ロシアのスタッフからかえってきた答えは、
“ロシアにはボランティアという概念が皆無に等しいから無理”というもの。
共産主義時代、そもそもみんながある意味ボランティアの感覚で働いていたし、
当時は、“みんなお金を払われているふりをして、働いているふりをしているだけ”
…という冗談があったほど。
結局、ロシア在住の外国人や英語クラスの学生が少し集まっただけでした」

そうなのか…。
とはいえ、ソチ・オリンピックなどでは
ものすごい数のボランティアが活躍していたというから、
最近の若い人たちの感覚はどんどん変わってきているかもしれません。
どうなんでしょうかね。でも、なるほどなーと思いました。

さて、この連載は、来年の仙台コンクール開催まで続く予定です。
時々覗いてみてください。