中国のピアノ「長江」の社長さんに話を聞いた


先の記事でも書いたとおり、今回のチャイコフスキー国際コンクールにおいて私が関心を寄せていることの一つに、中国のピアノ「長江」の存在がありました。

コンクールのピアノ業界では、まずは世界のコンサートホールでシェアNo.1のスタインウェイ、そこに追いつけ追い越せと日本のメーカーが良いピアノを開発し、さらに全く独自の良いピアノを目指して急発展を遂げるイタリアのファツィオリが参入。加えてときどき、ヨーロッパの老舗メーカーの良いピアノが登場するというのが近年の状況でした。
そこに中国のピアノ「長江」が現れたわけです。モスクワへの出発前、一足先に現地でのセレクションで長江を聴いた日本のピアノメーカー関係者の方々から、思ったよりずっといい楽器だと聞いて、これってもしかして、これからピアノブランドの勢力分布図が少しずつ変わっていくということ?と思わずにいられませんでした。

さて、この長江というグランドピアノ、日本で得られる情報はあまり多くないかと思いますので、まずはメーカーの方に聞いた基本的な情報を。
ブランド名は、「長江(チャンジアン)」。外国では覚えにくいだろうということで、長江の別名、揚子江を欧文にした、「Yangtze River(ヤンツーリバー)」というのを一般的な呼び方としているようです。
製造しているのは、Parsons Musicという会社。もとは音楽教室のビジネスからスタートし、やがて生徒たちにピアノを販売するディーラーとしての事業を展開する中、OEMで既存ブランドのピアノ製造を開始。そんな中で20年ほど前に、自社ブランドのピアノの製造もはじめたそうです。
長江というブランドのグランドピアノは、誕生して10年ほどだといいます。値段は日本円で1000〜1200万円だとメーカーの方は話していました。既存のトップメーカーのフルコンと比べるとだいぶ安いですね…。

今回のチャイコフスキーコンクールの調律を担当したのは、中国人調律師さん。それも、男女の中国人カップルの二人が、それぞれ得意な能力を出し合って(整調が得意な人と、整音が得意な人がいるらしい)1台のピアノの準備をしているそうです。
コンクールのピアノを女性調律師さんが担当しているのもそういえば珍しいですが、カップルの共同作業というのは初めてのケースではないでしょうか。

今回、チャイコフスキーコンクールでは、25名の参加者のうち、中国の2人のピアニストが長江を選び、最終的にはそのうちの一人、アンさんがファイナルに進みました。
つまり長江は、初参加でファイナル進出という快挙。そのうえ、アンさんにあのようなハプニング(ファイナルの記事をご参照ください)があったことで、ある意味注目されることになりました。

そもそも、長江がコンクールの舞台にのることになった経緯ですが、審査委員のマツーエフさんが中国のフェスティバルで長江を弾き、とても気に入って、チャイコフスキーコンクールに出せば良いのにと誘ったことがきっかけなんですって!
なんとなく、長江サイドが出したいと売り込みまくったんじゃないかって思ってませんでしたか? 私は思ってました。だから、なんかすみませんって思いました。
正直にパーソンズの人に、売り込んだのだと思ってたと言ったら、全然違うよーといって、マツーエフさんによる長江についての絶賛コメントや、6/14にクレムリンで行われたコンサートの記事(中国語)を送ってくれました。

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(長江が企画した中国メディア向けの取材に答えるマツーエフさん)

というわけでこのたび、Parsons Musicの社長さんにインタビューする機会をいただきました。通訳は、昔大阪に留学していたという日本語ペラペラの奥様(あわせて会社の成り立ちなども教えてくださいました)。
奥さまのお話によると、社長はもともとフィリピン華僑だった家庭の生まれ。70年代、中国政府の政策で一家がフィリピンに戻れることになったとき、本来ならフィリピンに行くところを香港に移って定住したことが、香港をベースにビジネスを始めることになったきっかけだそうです。

社長さんと奥様にいろいろ率直に聞いてみましたので、どうぞご覧ください。

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◇◇◇

—Parsons Musicはもともと楽器販売の会社だったそうですね。どのように楽器製造のほうが始まったのでしょうか。

奥様 若い頃ピアノを習っていた彼(社長)は、当時すでに香港で広がっていたヤマハ音楽教室で教えることからピアノ教師のキャリアをスタートしました。30平米のスペースから始め、10年ぐらいたつと教室の数が10店舗ほどになって、それから中国の内陸のほうで既存メーカーの代理店としてピアノ販売のネットワークを広げていきました。
やがて、販売だけでなく製造も手がけるほうがよいだろうと深圳近郊の工場でOEMによるピアノ製造をはじめました。そして1999年、三峡ダムの近くにあった国営のピアノ工場がつぶれかけていることを聞き、買い取ってピアノ製造を始めました。働いているのは、元々の工場の従業員と新規に雇った地元の人々です。
そして、ここに流れている川が長江だったことが、ピアノのブランド名の由来です。現在は、年間でアップライトとグランドあわせて7万台くらい製造しています。
私たちのメーカーが特別なのは、社長である彼がもともとピアノやエレクトーンを教え、調律も習ったことがある経験を生かして、自ら開発に関わっているということです。

—モデルにしているピアノ、目指しているピアノはあるのでしょうか?

奥様 やはりスタインウェイですね。とくに昔のスタインウェイはすごく良い楽器でした。今は若い人が技術的な仕事をしたがらなくなって、状況が変化しているのではないかと思いますけれど。日本も、若者は製造業にあまり関心を持たないのではありませんか?
でも、中国はそうではありません。だからこそ、私たちは今この時期にうまく参入できたのではないかと思います。

—技術開発はどのように行ってきたのですか?

奥様 日本人、韓国人、ドイツ人など40人ほどの外国人の技術者から助けてもらいながら開発を進めました。みなさん、中国で自分の能力が役に立つのならと協力してくださいました。特にフルコンサートグランドは、時間をかけて開発に取り組んできました。スタインウェイや他社のピアノの特徴、いいところ、足りないところを把握したうえで、演奏家とコミュニケーションをとってどんなものが求められているかを考えています。
日本ではデータに基づいて開発をしているところがあると思いますが、それにはいいところもそうでないところもありますね。ビジネスは効率を求めないといけませんから、量産のピアノはそれで決めなくてはならない部分があるかもしれませんが、フルコンの場合は奥が深いので、演奏家ならではの聴き方、音楽表現のために求めることを考えて開発する必要があると思います。

—それではここからは社長さんにお話を伺います。長江では、どんなピアノを目指しているのでしょうか。

まずは、演奏者の心の中にある音楽性を引き出せるピアノを作りたいと思っています。

—長江というピアノの魅力、特徴を教えてください。

最初触ったときに、少し入りにくいと感じる部分があるかもしれません。でも、弾けば弾くほど魅力を感じるピアノだと思います。

—10年でここまでのピアノにできた秘訣は何でしょうか。

私は子供の頃から音楽を勉強し、しばらくピアノ教師をやっていたので、作品、演奏者の気持ちがわかります。コミュニケーションをとり、自分だけでなく演奏者の気持ちを聞きながらピアノを作ることが大切だと思っています。
ピアノは、指が鍵盤に触れ、それで生まれる振動が響板に伝わって、響板からその音がまた体に戻ってくる楽器です。そんな、ピアノと演奏者の一体感、スムーズなサイクルを実現させることは、簡単ではありません。ピアノは構造もとても複雑ですし、材料である木やフェルトは生きているものです。特にフルコンサートグランドのための良い材料を集めることは、簡単ではありません。これらのバランスをとり、一体感を実現させることが、良いピアノをつくる秘訣だと思います。ただ、その音色は言葉で表現しにくいですね。心の中にあるものだと思います。

—先ほど、数あるピアノの中で目指しているのはスタインウェイだというお聞きしましたが、スタインウェイという存在に対して、長江はどういう位置付けを目指して開発しているのでしょうか。近づけようとしているのか、越えようとしているのか、それとも別のキャラクターを持たせようとしているのか…。

スタインウェイは、性別、年齢を問わず色々な人が弾けるいいピアノです。ただ、もしスタインウェイと同じピアノを作っても、私たちは必要とされません。私たちは、スタインウェイよりも音色がもっと豊かでパワフルなピアノを目指しています。演奏者が、弾けば弾くほど弾きたくなるピアノにしたい。聴き手も、聴けば聴くほど聴きたくなるピアノにしたい。いつまでも飽きない、もっともっとと感じるピアノにしたいのです。

—なるほど…社長はご自身がピアノの先生だったから、弾き手として理想のピアノを求めて作り始めたということなんでしょうかね。

はい。いろいろなブランドの代理店として仕事をしてきましたが、自分が100パーセント満足できるピアノはなかなかありません。だから自分の全ての思いを込めたピアノを作りたいと思うようになりました。
ピアノを習っている子供には、ピアノの品質が悪いことによって、1日何時間かけて練習しても本当の音楽を身につけられないことも多くあります。そういう問題を解決したいという想いがありました。まずは技術、続いて音楽性を育てて行くと思いますが、良いピアノによって、心の中の音楽を出せるようになるまでの時間を短縮させてあげたいのです。そうすれば、ピアノを練習することが嫌でなくなる子供が増えると思います。

—ところで、ゲルギエフさんとマツーエフさんからチャイコフスキーコンクールにピアノを出してみたらいいと言われたことで、参加を決めたと聞きました。実際参加してみて、手応えはどうでしたか?

ハイレベルなコンテスタントが違うブランドのピアノで同じ曲を弾くと、音の聴き比べができて勉強になりました。そういう違いによって、各ブランドのいいところ、足りないところもわかりました。これから自分たちのピアノをどのように開発したらよいか、次にどういうことを注意したらいいかを考えるうえで、とても良い勉強になりましたね。

—コンクールで結果を出すことについてはどうお考えですか?

私たちとしては、初めて中国のブランドがこのようなコンクールに楽器を出せたというだけでとても満足しています。結果的に何位に入るかどうか、そこまでは期待していませんし、重要ではないと思っています。世界のステージで中国のピアノの音を聞けたことに満足しています。

—コンクールの場合は、わざわざ持ってきても誰も選ばなければ弾いてもらえませんよね。

そのリスクはありましたので、誰も選ばなかったらどうしようかと最初はすごく心配していました。みなさんには、普段練習して慣れているブランドがあるでしょうから、ここでいいなと感じただけで長江を選ぶことは難しいと思います。そんな中、たまたま中国のコンテスタントが、自分の雰囲気にあった音色だと感じて選んでくれたのです。嬉しいことでした。

—それで…これからコンクールでの優勝も狙っていくのでしょうか?
チャンスはあると思いますが、でも一番大きな問題はコンテスタントとピアノの一体感なので。それに、いい音だからトップになれるとも限りませんし。

—日本の場合は、ヤマハとカワイというメーカーがコンクールでもトップを目指して競争をしてきて、それによってピアノの質が向上してきたところがあります。私たちとしてはそこに中国のメーカーも入ってきた感じかなと思っていましたが、もしかしてちょっと違うんでしょうか…。

そうですね。成り行きやご縁もあることなので。いいピアノを作れば認められると思っています。

—そうでしたか。もっとギラギラしている感じなのだとばっかり…すみません。ちなみに日本のメーカーのことはどう考えていますか?

日本のピアノは、とてもバランスが良く、音がクリーンです。私たちが求めているピアノとまたちょっと違う方向だと思います。

—日本のマーケットには関心はありますか?

OEMでカワイのピアノをつくっていますので…日本の市場にという考えはありませんね。私はカワイのピアノの音色がとても好きです。

—日本のメーカーもがんばっていて、ファツィオリもあり、王者スタインウェイもその座を譲ろうとしないというこの状況に実際に参加されてみて、コンクールで成功する秘訣、そのために大事にしたいことはなんだと感じましたか?

コンテスタント、そして審査員も含むアーティストたちが、私たちのピアノを使って理解してくれることが大事だと思いました。加えて、私たちは新人ですが、他のメーカーのみなさんはコンクールを長年経験して、審査員やコンテスタントの顔をよく知っているように見えたので、そこも私たちが今後取り組んでいかなくてはならない重要なことだと感じました。
これは長く積み重ねられてできあがった一つの文化ですから、例えピアノ自体がよくなっても、突然入ってきてトップになることはできないと思っています。何十年もかけて耳が既存のメーカーの音色に慣れているなかでは、私たちのピアノを認めてくれない人もいるでしょう。ですが、私はアーティストたちが私たちのピアノを使ってくれたら、きっと心に響くものがあるという自信を持って、ピアノ作りに臨んでいます。

◇◇◇

せっかくピアノを出しても、コンテスタントから選ばれなければその音が聴衆の耳に届くこともありません。そんな中、今回の長江の成功の背景には、いろいろな準備や根回しのようなものもあったと思います。新しく参入する長江の関係者は、見よう見まねでいろいろなことに挑戦し、がんばっていたのだろうなという感じがしました。
例えばコンクール期間中、インターミッションの時間には、たびたび長江の企画で審査員にインタビューが行われていましたし、また、ファイナルの前に審査員が出演する演奏会も小ホールで企画されていました。他のメーカーは、いろいろ言われるとアレだし、という感じで、最近はこういう企画は控えている傾向にありますね。ちなみに実際には、長江を弾くアンさんのファイナル進出が決まったことで、審査員による演奏会は急遽延期されることになったようです(変なコネクションをつくっていると思われるといけないといわれてなしになった、私たちはこういうことが初めてだからいろいろわからなくて大変…と担当者さんが話していました)。

また、実際にセレクションでピアノを触ったピアニストたちに話を聞くと、「長江には数秒しか触らなかった」という人もいれば、「スタインウェイとカワイで迷った。ファツィオリもよかった。さらに、長江が結構良くてびっくりした。スタインウェイみたいだった」という人もいました。
大舞台で知らないブランドを選ぶのは本当に勇気がいることですけれど、そう考えると、メーカー名の先入観が影響しないようブラインドでセレクションが行われたら、長江は意外と選ばれたかもしれませんね…もちろん耐久性など、一瞬弾いただけでは判断できないこともあるとは思いますが。そして個人的には、長江の社長のお話が、ファツィオリのパオロ社長とかぶることも多くてびっくりしました。
そのなかで印象に残ったのが、ピアノを習う子供の音楽的な発展を手伝うピアノ、という発想ですね。元ピアノの先生ならではで、なんだかいいなと思いました。

長江、独自の理想のピアノを求め、特徴は持ちながらも、もしかしたら今はまだ、スタインウェイに近いピアノの実現に成功している段階なのかもしれません(スタインウェイの調律師さんのインタビューも印象的でした)。それだけでもすごいことですけどね…。
長江ピアノはショパンコンクールにも挑戦したい…ということでしたので、どうなるでしょうか。そしてこの先もどんどん開発を進めていくのでしょう。どんなピアノが出てくるのか。楽しみですね。