ピリスさんにインタビューをして思ったこと

ヤマハPianist Loungeで、マリア・ジョアン・ピリスさんのインタビューを書きました。
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今シーズンで演奏活動から引退すると発表した彼女が、最後の日本ツアーを行っていた終盤で、30分だけ時間をいただけるということで行われたインタビューです。
引退を決めることになった背景にある想いについてもお聞きしています。

詳細はインタビュー記事をご覧いただきたいと思いますが、ピリスさんとお話をさせていただいて感じたことを、今日はちょっと書いてみたいと思います(長いです)。

ピリスさんがコンサートピアニストとしての活動からの引退を決めたその主な理由は、74歳という年齢を迎える今、常にストレスに押しつぶされかけながら生きなくてはならないコンサートピアニストとしての生活から離れたいからということ、そしてその時間を、社会や人のためになるクリエイティブな活動のために使いたいから、ということのようです。
根本にあるのは、記事のタイトルにもしましたが、「手に入れた何かを自分だけのものにとどめておけば、それはすぐ役に立たないものになってしまう」という考えでしょう。それは経験なのかもしれないし、持って生まれた才能のことかもしれない。もちろん生き方や価値観は人それぞれですが、自分はなんで生きてるのかなーと思った時の一つの答えはここにあるかもしれないですね。

そんなピリスさんが真剣な表情で語っていたことのひとつは、やはり今の音楽業界についての懸念でした。音楽やピアノを通して自分は世界を知った、それだけが音楽をする目的だというピリスさんにとっては、戦後、芸術と商業主義が結びついて勢いを増していったアーティストを取り巻く環境が、どうにも居心地が悪かったということのようです。(資本主義社会では、もうだいぶ大昔からそうだったのではないかという気もしますけど、度合いが増しているのは確かかもしれません)

ピリスさんの話には、突っ込んでいけばある意味矛盾していることもあるんだけど、こちらが問いかけることに返してくれる言葉は、自分の胸にあるそのままといった感じで、それぞれの言葉にはハッとさせられるものがありました。
「自分が変わるということを許すことは、失敗を許すということ」とか、けっこう印象深かったなー。

で、そんな中でちょっと「絶望的な発言だなー」と思ったことがあります。
(ピリスさんも、こんなこと言って悪いけど、とインタビューの中でいっていますが)

常日頃、とりあえずチャンスを掴むまでの辛抱だと、ストレスを抱えながらコンクールに挑戦したり、意にそぐわない形でメディアに出たりしている若いアーティストの姿を見ることもありますから、聞いてみたんです、「辛抱して一度有名になれば、芸術家としてやりたいことができるようになるんではないですか」、と。

そうしたら、
「そんなことはありません、私が断言します」っておっしゃるんですよ。
(詳しくは記事参照)

このご発言に関しては、ちょっと、むむ、と思う方もいるかもしれません。実は、ピリスさんがこういう風に話していたんですよねと雑談で何人かのピアニストに投げかけたところ、みんなそれぞれに納得いかないというリアクションでした。
すでに有名なある方の場合は「自分は好きなことやらせてもらってる。自由なフリなんてしてない」と。
これからという若い人の場合は「そんなこといったって、じゃあどうしたらいいんだ、ピリスさんは実際有名になったから、生活もできるんだし、斬新なプロジェクトでも支えてくれる人がいるんじゃないか」という。
いや、私もそう思いましたけど、さすがに時間の都合もあってこの話題だけ深掘りするわけにもいかず。しかし本当にピリスさんは”売れた”ところで自由はないと感じているんでしょう。「私はずっと戦ってきた」と言っていました。

あとはピアノや音楽の話題に加えて、やっぱり人生についての質問をしたくなってしまって。文字数の都合で記事に入れられなかったくだりの一つをご紹介したいと思います。
人間とは欲深い生き物で、安定や成功を手に入れることに気をとられていると、いざそれを手に入れても、結局もっともっとと次の何かを求めることになってしまう。永遠に満足しないことは、向上心があるということでもあるけど、あんまり幸せじゃないことのような気もするんですが。
そんなことを言ったら、ピリスさんはこう言いました。

「いつも何かを欲しがっているということは、あなたを不幸にすると思います。いつも何かに落胆するし、もっと欲しいと思い続けているうちに他人と協力し合わなくなる。そのままの人生を受け入れるという心構えさえ自分の中に持つことができれば、一定の幸せというものの存在を感じて生きることができると思います」

ピリスさんはきっと、権力欲のようなものがないのに、才能ゆえに注目が集まって、そのはざまで悩み続けた人なのでしょうね。
でも、それにまつわる問いを尋ねると、少し困った顔をしながら今の正直な気持ちを話してくれるわけで、本当に純粋な(そしてちょっと難しい)方なんだと思います。

そこで思い浮かんだのは、中村紘子さんのことですよ。

なにせ評伝を書いたばかりですから、その両極端な生き方についてまたいろいろ考えるわけです。紘子さんの場合は、業界を飼いならし、権力を手中に収めるという方法で(もちろんその背後に相当な努力や辛い思いがあったわけですが)、業界のために、自分のためにやりたいことをやっていった人でした。

評伝の中でも、紘子さんが20歳のときに社交の女王になろうと決意したと思われる瞬間のエピソードはじめ、「初対面の人には最初にガツンとやる人だと思う」という某関係者の証言も紹介しています。
「自分の持てるものを社会に還元したい」「若い人を育てたい」という同じ目的があっても、こんなにもやり方が違うんだと改めて思いますね。それも、この二人は、どちらもブレることなく、一生通してそのやり方を貫いていった女性たちなわけで。

それで、ふと気づいたら、二人は同年生まれ、誕生日2日違いでした。
第二次世界大戦終結前年、遠く離れた二つの国に生まれて、同じ人気者のピアニストとして活躍しながら、全く異なる生き方をした二人。それは、かつて世界各地に植民地を持ち、戦後のナショナリズムの動きの中でそれらを手放していったポルトガルと、アメリカの占領下でどんどん価値観を変化させられていった日本という、育った環境の違いなのか。いや、多分関係ないと思いますけど。個人差ですよねきっと。

というわけで話はそれましたが、今回はピリスさんとお話をさせていただいたことで、自分だけが良ければいいという考えはダサいなーというあくまで個人的な価値観を強くし、社会や世界の中の一人として生きるということへの考えを新たにしたのでした。
あれこれこみ入った質問をしてしまったんだけど、ピリスさんはキランキランの瞳で、ひとつひとつに丁寧に答えてくれて、最後はとても優しく握手をしてくださいました。

クライバーンコンクール入賞者たちが日本に来ます

2017年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。
まだ開催から1年経っていないんですね。
個人的には、昨年後半から今年の前半にかけていろいろなことがありすぎたせいか、
もはや遠い昔の出来事のように感じます…。時が経つのが遅い。

このときの入賞者3名が、今年から来年にかけて続々と来日するそうです!

まず、6月に来日したあと再び10月にやってくるのが、
浜コン入賞でもおなじみ、クライバーンでは第3位だったダニエル・シュー君。

2018年6月15日 東京/浜離宮朝日ホール
2018年6月17日 愛知/宗次ホール
2018年10月23日 大阪/茨木市総合クリエイトセンター
2018年10月27日 岐阜/バロー文化ホール
2018年10月28日 埼玉/さいたま彩の国芸術劇場

以前にも何度かこのサイトでコメントをご紹介していますが、
6月のリサイタルについては、「ぶらあぼ」に最近行ったメールインタビューも掲載されています。
明るい元気溌剌ボーイと見せかけて、突如、人の深層心理にまつわる考えを語りだす…
そういえば演奏もちょっとそんな感じです。音は明るいのに、なにかを抱えている感じがする。

そして、第2位のケネス・ブロバーグさん。
私にとっては、あの独特の硬質な音の印象がものすごい。
審査員の児玉麻里さんがとても高く評価されていました(インタビューはこちら)。
ブロバーグさんは、横浜招待に出演し、名古屋の宗次ホールでもリサイタルをするみたい。

2018年11月17日 横浜/みなとみらいホール(横浜市招待国際ピアノ演奏会)
2018年11月19日 愛知/宗次ホール

ちなみに、去年ダニエル君がSNSにアップしていた写真のブロバーグさんは、
ヒゲ&前髪ロングでなんだかイケてる雰囲気だなと思いました。
(彼、短髪だと金融系のビジネスマンみたいな感じしませんか、完全にイメージですけど)
撮影は、自撮りの腕を上げたソヌさん。

そして、優勝者のソヌ・イエゴンさんは、来年の1月に来日するみたいです。
これまでにも仙台コンクールの優勝者として何度か来日していますが、
クライバーンコンクール優勝後は初めてとなる日本ツアー!
完成度の高い堂々とした演奏が光るソヌさんですが、
アメリカ各地での華やかなコンサート活動を経てどんなふうに変化しているのか楽しみです。
若い方の演奏って、短期間でものすごく変わることがありますからねぇ。
仙台コン優勝時からの見た目的なイメチェンっぷりもすごかったですが。

2019年1月19日 静岡/静岡音楽館AOI
2019年1月20日 愛知/宗次ホール
2019年1月22日 東京/武蔵野市民文化会館
2019年1月24日 三重/三重県文化会館
2019年1月25日 東京/銀座ヤマハホール
2019年1月27日 宮城/宮城野区文化センター パトナシアター

ところで、なつかしい2017年のクライバーンコンクールの現地レポートは
こちらにまとめてあります。
コンクール事務局長ジャックさんのお話など、自分でも読み返して、コンクールの在り方について改めてうーむと考えてしまいました。
予算内でただ開催すればいいというのではない、高みを目指してコンクール自体が進歩しようとしている、そんな感じ。
日本の国際コンクールにも、見習うべきアイデアは多いのでは。

「kotoba」春号でインドの連載がスタート

中村紘子さんの本が発売されて、
本当ならいろいろ内容の紹介などしたほうがよいところ、
すぽんと1ヵ月近くもインドに行ってしまって、戻ってきました。

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(大都会ムンバイの街並み)

とはいえ、今回のインド行きは、単にカレーを食べまくったり遊んだりしに行っていたわけではなく(実際、カレーは食べまくっていましたが…)、
れっきとした理由というか、成し遂げるべきミッションがありました。

そのうちの一つが、
今年1年間、集英社の言論誌「kotoba」で書くことになった連載のためのリサーチ。
一部の人々の間で注目を集めているインド社会の現状を、
西洋クラシックの受容の様子から読み解いてみましょうという、
良く通ったな〜という企画です(ありがたや)。
実はもうこの第1回はすでに、先日発売の春号に掲載されています。

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初回は導入ということで、こんな内容を取り上げました。

「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~
第1回 巨象インドの音楽事情
・西洋クラシックがインドでほとんど受け入れられてこなかったわけ
(旋律のインド、和音の西洋/植民地支配時代のインド・ルネサンス)
・ベートーヴェンやワーグナーがインドから受けた影響
・舘野泉さんが1980年ごろインドでコンサートをした時の話
・1960年のN響世界ツアーがデリーからスタートした話
・最近のインドでの西洋クラシック人気の様子

連載は、このあと3回続きます。
今後話題は、インドの音楽学校事情、現地でのヤマハさんのがんばりっぷり、
ロシアン・ピアノ・スタジオ(byインド人先生)の驚きの現状、
メータさんの話など、どんどんディープになってゆく予定…どうぞお楽しみに。

ちなみにこの号の巻頭特集はブレードランナーということで、
熱狂的ファンの間で話題らしく、売り切れ続出みたいです。
ブレードランナーファンに、
果たしてインドのクラシック音楽事情というダサめのトピックスはささるのか…。

あと、井出明氏の新連載、「ダークツーリズムと世界遺産」もおもしろかった。
ポーランドのオフィエンチム(アウシュヴィッツ)の話などが載ってます。
私も、以前この場所を訪ねたときのことを旧ブログにアップしていますが、
現地に行っていろいろ考えたことを思い出しました。良い雑誌。

「kotoba」、普通の本屋さんで見かけることは少ないですが、
蔦屋書店的なお洒落本屋さんにいくと、よく置いてありますよ。
見かけたら、ぜひお手に取ってご覧くださいませ!

ファツィオリ創業者パオロさんのお話&ファツィオリジャパン10周年

ファツィオリジャパンの創設10周年を記念して、ファツィオリのある表参道のレストラン、リヴァ・デリ・エトゥルスキでレセプションが行われました。世界に一台の縞黒檀のモデルで、佐藤彦大さんが演奏。こちらのピアノ、久しぶりに聴きましたが、さすが音も馴染んできて良い感じです。
10周年を記念して行う、一般の聴衆が審査に参加できる、インターネットコンクールについても発表されました。

ファツィオリ創業者のパオロ・ファツィオリさんも来日中ということで、お話を伺いました。パオロさんにお話を聞くのは、7年ほどまえに、取材でサチーレの工房を訪ねたとき以来だったと思います。
パオロさんは1944年ローマ生まれ。家具工場を営む一家の、6人兄弟末っ子として生まれ、ローマ大学で工学を学び、ロッシーニ音楽院でピアニストの学位もとったという人物。創設当初から、他のどんなメーカーのピアノも真似しない、独自の音を追求していこうという信念で楽器作りを行い、設立から36年の今、いわば新興メーカーでありながら、独特の音の特性と存在感を持つメーカーとして認められています。数ではなく質を常に求めるという経営方針を持ち、年間生産台数は140〜150台。
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(ファツィオリジャパンのアレック社長と、ファツィオリのパオロ社長)

アグレッシブに革新を求めてきた人物だけに、パオロさんという人はとてもエネルギッシュ。握手もギューっと力強い。そして、いつもワクワクしてます感がすごい方です。こういうおじさん、他に見たことない!

◇◇◇
パオロ・ファツィオリさん

─ファツィオリのピアノは、既成概念にしばられずに進化することを理念としているということですが、その中で根本的に大切にしていることはなんでしょうか?

はい、まず他の物を真似をすることはありません。独自の、持続する伸びのある音、色彩感のある音、そしてパワーの面では、よりダイナミックであることを目指しています。他のピアノとは異なる、我々独自のアイデンティティを確立しなくてはならないと思っています。最近も、新しいアクションを開発して特許をとりました。ピアニストたちのために、良い音楽を生むためのツールとプロポーサルを作らなくてはならないという考えが根底にあります。お金のためではありません。

─3、4年くらい前だったでしょうか、ファツォイオリのピアノが大きく変わったという印象がありましたが。

そうですか? 基本的に、変化しているのはいつものことだと思いますが!
例えば老舗の他のメーカーが、新しいモデルではここが変わったと書いていることは、だいたい我々がもともとずっとやってきたことです。私たちは、毎日新しいピアノを提供しています。一つ良い楽器ができたから、これをコピーしてたくさん作ろうということはありません。毎回進歩していないといけないのです。
ちなみに、私たちの工房の技術者たちは、全員私みたいな感じです。いつも、今度はこれができるかもしれないと考えながら新しい試みを導入しています。

─それほど独特の個性を持つピアノですから、ファツィオリのピアノを弾くときには何か特別に心がけたほうがいいことはあるのでしょうか。正直いってファツィオリのピアノについては、弾き手がその扱いがわかっているときとそうでないときの違いがよりはっきりしているように思えるのですが、その辺り、どう思いますか?

ピアノとして、一般的な共通のフィロソフィーはありますから、他のピアノと方向としては同じほうを向いています。
ただ確かに、われわれはプロのためのピアノを作っているので、「スピードの出る車をコントロールするためには、いい運転手でないといけない」というのと共通したことは言えると思います。あまりに速いスピードの出る車は、いい運転手でないと操れません。そして、腕のいいF1のドライバーは速い車にのりたがるものです。
能力の高くない演奏家は、ピアノからたくさんの色を与えれられても、それをコントロールし、うまく対処することができません。確かにその場合は、さまざまな色が感じられないただの大きなピアノになってしまう。そういう方にとっては、多彩な色がないピアノを弾くほうが楽と思えるかもしれません。
いろいろな色が引き出せるピアニストが弾いてこそ、すばらしい音が出るというのは確かだと思います。そもそも、私たちはフラットな演奏をする人のことを考えてピアノを作っているわけではありませんから。

◇◇◇

シビアですねー。
しかしあのサチーレの工房で、パオロさんみたいなメンタリティの職人が50人も集まってピアノを作っているとなれば、それは毎回違うピアノになるだろうな…と思わずにいられません。
7年前工房をたずねた際には、ちょっと個性的な外見だったり、作業着をいい感じに着崩していたり、道具ケースに水着美女の写真を飾っていたりといろんな職人さんがいて、これは、日本やドイツのメーカーの工房では見られない光景だわ、と思ったものです。

パオロさんがピアノを作り始めたときの想いとして、充分な音を鳴らすために、ピアニストがピアノと格闘しなくてよいピアノを作りたいと思った、という話がよく出てきます。
実際最近のファツィオリのコンサートグランドには、よりパワーがあって楽に音を鳴らすことができるようだなと、聴いていて感じます。それだけに、F1ドライバーの例ではありませんが、それをコンサートホールのような響く場所で細やかにコントロールするには、鋭い感性と、楽器の特徴を掴んでいるという前提が求められるのかもしれません。それをつかめばすごい力が発揮できる。
ピアニストがファツィオリに触れる機会が増えたら、楽器に触発された、よりいろんな表現を聴けるようになる、ということですね…。

横山幸雄のファンタジ~

このところ大がかりな仕事に取りかかっていましたが、
ようやく最初の山場を越えました。
今朝は久しぶりに、起きた瞬間ベッドの中で
「あ、あの部分こう書こう」と思いそのままパソコンに直行する、ということなく、
人間らしい目覚めを迎えました。おもしろかったけど大変だったなー。

というわけで、久しぶりに記事を更新しようと思います。
先日ある案件のことで横山幸雄さんのお話を聞く機会があり、
そのついで(といってはなんですが)で、今度の9月23日の演奏会について、
ちょっとどんな感じになりそうなのか、尋ねてみました。
相変わらずすごいロングな演奏会です。
10:30開演、16:20終演予定。お腹いっぱいの予感。

2017年9月23日(土・祝) 10:30
東京オペラシティ コンサートホール
《第1部 10:30開演》
ピアノ・ソナタ第13番、第14番嬰「月光」、第15番「田園」
《第2部 11:50開演》
7つのバガテル Op. 33、2つの前奏曲 Op. 39
ピアノ・ソナタ第16番
《第3部 13:30開演》
ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」、第18番
《第4部 14:30開演》
バッハ:半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV. 903
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K. 397
ショパン:「幻想即興曲」、幻想曲、「幻想ポロネーズ」
《第5部 15:40開演》
シューマン:幻想曲ハ長調 Op. 17

午前中から月光聴くとどんな心境になるのか、興味津々です。
この長丁場のラストにシューマンのファンタジーというのも、
最後いい感じにぶっ飛ぶことができそうでワクワク。
そしておそらくまた持ち込みのニューヨーク・スタインウェイなのでしょうけれど、
一人の人が弾く長丁場ならではの音の変化が感じられて、本当に興味深いですよ。

さて、まずは横山さんに、どんな気分のプログラムなんですか?という
異常にざっくりした質問を投げかけてみました。

すると横山氏、
「今回はベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いたあたりなんだよね。
いろいろなものを乗り越えるあたりを聴いてほしい。
そして一緒に乗り越えてほしい。
…まあ、僕は乗り越えられずに、そこでもがいてるけどね、アハハ!」

……。
不覚にもナイスな突っ込みが思い浮かばず、
もがく横山氏とそれを見守る聴衆というシュールな図を想像して、
何とも言えない気分になってしまいました。

そして後半のテーマはファンタジー。
今年は1月の演奏会でもファンタジーや即興曲をテーマにしていたし、
新譜もファンタジーがテーマ。
2017年はファンタジーが横山さん的に流行ってるのかなと思い、
最近ファンタジー気分ってことですか?と尋ねると、

「いや、ぜんぜん。僕、あんまりそういう人じゃないから」(キッパリ)

と言われました。
……「そういう人じゃない」ってなんなの。(とはいえ、わかる気もする…)

一足先に9月20日発売の新譜のサンプル盤を聴いていますが、
そうはいっても、演奏はしっかりファンタジ~な感じです。
シューマン、見事に夢見てさまよってます。優しい。意外な感じ。
さすが、理論派のぬいぐるみをかぶった感覚派!(いい意味で)
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リサイタルは今週末。みなさまぜひどうぞ。

 

ドレンスキー先生が来る(ロシアン・ピアノスクール2017)

毎年夏に表参道のカワイで開催されているロシアン・ピアノスクール、
今年で15周年なのだそうです。

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2017年8月11日(金)~8月18日(金)
会場:カワイ表参道

紹介ページの最初に「国際コンクール入賞者を100人以上も輩出しているセルゲイ・ドレンスキー教授のクラス」と書いてありますが、まあ、どこにいってもドレンスキー先生の門下生は活躍しているなと思っていましたが、こうして数字にして言われると改めてすごいですね。一人でものすごい数のコンクールに入賞するような人がいても、それは「1」とカウントされるとなると、相当です。
(この前来日していたアレクサンドル・ヤコブレフのチラシのキャッチコピーに”50を超えるコンクールを制覇”と書いてあったことが、ふと思い出されまして。とはいえ、ヤコブレフはドレンスキー門下ではありませんし、流派も微妙に別だと思いますが)

今年のロシアン・ピアノスクールも、連日朝から夜まで、
ピサレフ教授とネルセシヤン教授によるマスタークラスが行われます。
8月12日、14日夜には各教授によるリサイタルもあり。
(ネルセシヤン先生の公演は完売みたい)

さらに今年も重鎮、ドレンスキー教授ご自身も来日し、
8月13日と16日にレクチャーが予定されています。
昨年は奥様の体調不良で来日がキャンセルとなってしまっているので、2年ぶり。
このところご本人の体調も心配なところがありますから、お元気で日本に来てほしいですね。ジャパンのこの蒸し暑さ、大丈夫だろうかとちょっと心配になりますが。

ちなみに、2年前のレクチャーの開催レポートが出ていました。おもしろい。
子供の頃、2回「ムチ打ちの刑」にあっているという思い出話。
ムチ打ちというのがいかにも当時のロシアっぽく、過激だなーと思うと同時に、ドレンスキー少年がやってることも、なかなかヤンチャだぞとつっこまずにいられない。
しかしこういう、自分の知らない時代、社会を生きた人の話というのは、本当におもしろいですよね。今年はこの2年前のお話の続きが聞けるのかな? なんだかとても楽しみになってきた!

各レッスンやレクチャー、演奏会の申し込みはウェブ上でできるようですので、どうぞご覧くださいませ。

テクノ、ゴルドベルク、トリスターノ

今度の金曜日、6月30日にハクジュホールで行われる
フランチェスコ・トリスターノの「アコースティック・テクノ アンプラグド・ライブ」、まだ少しチケットが残っていると聞きまして。少しでも興味があって未体験の方は、ぜひ聴いてみてほしいなと思い、突然に記事をアップ。

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(今にもピアノの中にのしのし侵入してきそうなこのお姿)

フランチェスコ・トリスターノについて、私が改めてこの人すごいと思ったのは、5年前、ヤマハホールでの演奏会を聴いたときのこと。
前半にはフレスコバルディやスカルラッティなどバロック期の作品を、後半ではヤマハの機材を駆使して「ピアノとエレクトロニクスによる」作品を披露する公演でした。
もちろんトリスターノさんのクラシック作品の演奏は優れていて、それまでにもその感性に目を開かれる思いをすることはありました。
とはいえ、純粋にそういう作品の解釈の面で優れた演奏に出会う機会は、いってしまえば(これだけコンサートに通っていれば)他にもある。
が、しかし!
私はテクノ関係に詳しいわけではありませんが(とはいえそういう音楽に全くなじみがないわけでもありませんが)、初めてトリスターノのテクノより作品の音を聴いたとき、この人の音を操作する(混ぜ合わせる)センスは本当にずば抜けているのだろうなと、感覚的に理解したわけです。
しかも良かったのは、これをヤマハホールというクラシック音響の環境で聞いたこと。響きがデッドなクラブハウスなどと違い、(こういう言い方するとアレかもしれませんが)音圧ゴリゴリの音ということもなく、ふだんクラシックの音量、音質に慣れている耳でも心地よく受け入れることができる音で、きめ細やかなテクノ音楽を満喫できる、そんな演奏会だったのです(いまどんどん人気を高めている「ポスト・クラシカル」のサウンドもこういう部類のものなのでしょうか)。

というわけで、今回彼がハクジュホールで「アコースティック・テクノ アンプラグド・ライブ」をやると聞いたときは、これはキタ!と興奮いたしました。あの目の開かれる思いを、5年ぶりに再び味わうことができる!

その後、何度かインタビューでお話を聞く機会もあり、このピアニストの頭の中に渦巻くもの、そしてあのシュッとした雰囲気とギャップがありすぎる「ほんわかラーメン好きキャラ」にも関心が募っているところです。
(ほんとうに、話を聞いていると、ラーメンへの執着がハンパないのよ…)

まだチケットがあるということで、みなさまぜひ一度ご体験ください。もちろん、どんな演奏会になるのか予想がつくようなものではないので、思ってたのと違うかもしれませんが、その辺はご容赦ください…。
ちょっと遅めの20時開演です。

一方、今回の来日ツアーではゴルドベルクも弾くんですよね。
ゴルドベルクはトリスターノさんがデビューアルバムで収録し、長らく取り組んでいる作品だということですが、多分普通じゃないアプローチで聴かせてくれるものと思います。
さらに後半にはヴァージナル作品や自作曲なども演奏するという。この組み合わせで聴くことで発見があるはず…。
この夏は、8月にすみだトリフォニーでピーター・ゼルキンとキット・アームストロングもゴルドベルクを弾きます。この偶然のゴルドベルクブームにのって、一気にゴルドベルクの現在を知ることができそうだな、などと思っているところ。

トリスターノのゴルドベルクが聴けるのは、
7月9日(日)三鷹市芸術文化センター風のホールです
(演目についてのお話も公開されています!)

田部京子さん(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)

兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト、
6月18日(日)に行われるVol.7『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演ピアニストのインタビュー、三人目は田部京子さんです。

【その他のお二人のインタビューはこちら】

浜野与志男さん
菊地裕介さん

若い頃から「晩年好き」だったという田部さんが演奏するのは、
数年前に録音もしたばかりの後期三大ソナタからの2曲。

◇◇◇

◆田部京子さん
[演目]
ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109
ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110

自分の耳で聴くことはできなかった

─今回はベートーヴェン晩年のソナタから、第30番と第31番の2曲を演奏されます。晩年のソナタを弾くことのおもしろさはどんなところに感じますか?

晩年の作品には、作曲家の人生への回想や、どこか希望のようなものまでもが凝縮して投影されるように感じます。とくにベートーヴェンは音楽で人間を表した最初の作曲家で、そんな彼の晩年の作品には、まさに人生の軌跡とあらゆる要素が詰まっていると感じます。
難聴という困難に直面し、挫折や絶望を感じながらもそこから這い上がり、常に革新を求めて生きていく。聴こえないことが日常となる中で、晩年まで自己の音楽世界を熟成させました。膨らんだイメージを音にできるピアノの発展を求め、可能性を追い求めていったのです。
ただ、それを彼は自分の耳で実際の音として聴くことはできなかった。聴こえない世界の中で創造された音楽の奥深さとエネルギーを感じながら、本質に少しずつ近づくことを目指すのが、ベートーヴェン晩年の作品を弾くおもしろさだと思います。
一歩近づけたと思うとまた次の景色が見えてきりがないのですが、そうやって一生かけて追究してゆくものなのだと思います。

─田部さんは2年前に後期三大ソナタを録音されていますが、それによって何か新しい発見はありましたか?

自分の録音は、CDが完成してからは聴くことがあまりないんですよね。自分が弾いているという感覚と客観的な感覚が同居するのが居心地悪くて、今はまだ聴けません(笑)。ちなみに、もっと何年か時間が経つと、先生として生徒の演奏を聴いたり、聴衆として一人のピアニストの演奏を聴いているような客観的な感覚で自分の録音も聴くことができるようになります。
もちろん録音直後の編集の段階では何度も聴きました。録音に臨むにあたっては細部まで突き詰め、全精力を傾けるわけですが、実際、音になっているものとイメージに多少相違があったり、再度楽譜を見返しながら、この表現でよかったのだろうかと考えたりすることもあります。そんな中で成長することができたように思います。

─録音することを決めたきっかけはあるのでしょうか。

昔からどの作曲家についても、人生が凝縮されたような晩年の作品が好きでした。20代のデビュー間もない頃にシューベルトの最後のソナタを、また2011年にブラームスの晩年作品集も録音しています。
ベートーヴェンの最後の3つのソナタには高いハードルを感じていましたが、シューベルトやブラームスの晩年の作品を録音したことで、その源ともいうべき、古典派とロマン派の重要な架け橋となったベートーヴェン晩年のソナタには、やはり取り組むべきだと感じたのです。それを長らく目標にしてきて、今、やるべきときがきたのだと感じて録音しました。
ベートーヴェン晩年のソナタ30番は心のぬくもりや人間味を感じるとても内省的な音楽です。そして31番は、嘆きの歌とフーガが交互に現れ、最後は解き放たれたような希望とともに一気に上り詰めていきます。そして32番は再び絶望に打ちのめされるように始まり、最後は天に向かって昇華するような音楽で閉じられます。
録音するのはまだ早いと思い続けてきたわけですが、これが最後ではないと考えることにして、一度、「今」の記録としてやってみようと決心しました。「今」は、既に「過去」になっていますので、常に「今」を越えた演奏を目指そうという気持ちでいます。ステージも含め、演奏する毎に作品に近づいていく感覚があります。私自身も人生経験を積んでゆく中で共感度が増し、同時に新たな発見もあります。

─お若い頃から晩年の作品がお好きだったのですね。

なぜでしょうね。晩年の作品だからといって、いわゆる「枯れている」わけではないところが興味深いのです。
諦観の要素を感じたりもしますが、どちらかというと若い頃の情熱やエネルギーも音楽の中に含まれ、積み重ねてきたものがすべてそこにあるのが晩年の作品だと私は思います。生と死や、自分がなぜ存在しているのかという普遍的な問いについて考えさせられる部分が強いですね。
そういった人間の本質、作曲家の人生、培ってきた作曲の技法、そのすべてが集約されているところに、若い頃から惹かれていたのだと思います。
そうしてずっと興味を持って、いつか登りたいと思っていた高い山がベートーヴェンの晩年ソナタでした。例えばシューベルトには、長大なメロディをどうつないでいくのかという難しさはありますが、それでもどこか、“感じていることが命”のようなところがあります。息の長いフレーズに身を任せ、シューベルトのささやく声が聞こえれば、音楽はできていきます。
一方でベートーヴェンの作品には、確固たる構築というものがあります。シューベルトがベートーヴェンに憧れたのも、そんなところだったはずです。
巨大な建築物のようなものの中で、古典的な要素、楽器の発展を反映した表現の可能性、ベートーヴェンという人格を感じさせる揺るぎない語法、ロマン派にも通じる感情表現などが存在し、演奏家としてその本質に迫り続けることにやりがいを感じます。

人間そのものを表現するベートーヴェン

─では、ベートーヴェンは田部さんにとってどんな存在ですか。

あらゆるピアノ作品と接する中で「源」のような存在です。
特にドイツ・ロマン派の作品を演奏するうえでの原点だと思います。

─音楽の原点とはいえ、バッハとはまた違う感覚でしょうか?

違いますね。人間の感情、人間そのものを表現している音楽という意味での原点です。
作曲家の感情の音楽表現という点について、例えば自然について考えたとき、音楽で風景を感じさせる描写があると思いますが、実際にその自然を愛し、感じているのは人間なのだということを実感するのがベートーヴェンの音楽です。

─なるほど。自然の風景をそのまま表現することができると思うのは、いわば傲慢といえること。何に関しても、それを感じている人間のフィルターが必ずあるという現実を認識していないと……。

そうなんですよね、散歩をするから、自然を見て、空気と風景を感じる。それをベートーヴェンが自分のフィルターを通して音にしているのが、彼の作品の表現する自然です。

─ところで、国立の兼松講堂へは初めてのご登場ですね。

今までお写真でしか拝見したことがありませんが、とても雰囲気のある建物ですね。国立は、電車で通ったことはあってもなかなか降りる機会がありませんでしたが、並木道があって緑が多く、静かですてきな学園都市というイメージがあります。今回は、国立に行けるということだけでも少しワクワクしていますが、由緒ある兼松講堂で演奏させて頂くことをとても楽しみにしています。

─大学構内も天気が良いと気持ちがいいですよ。

私、晴れ女なんですよ! あとのお二方がどうかわかりませんが(笑)、2対1だったら負けてしまうまかもしれませんし……でも、晴れるといいですね。

 

◇◇◇

田部さんはしきりに、ベートーヴェンの音楽には人間を感じるとおっしゃっていました。自然の描写からも、人間を感じると。
それを聞いて、「自然の風景をそのまま表現することができると思うのは傲慢だもんなぁ。なにかをどんなに忠実に伝え再現しようと思ったって、それを感じている自分のフィルターが必ず存在することを認識しているかいないかは大違いだもんなぁ」などと改めて考えました。インタビューの原稿だってほんとうにそうです。自分が無味無臭のフィルターになれると思った時点で、間違っている。インドのスラムのリサーチをしている中で痛いほど考えさせられたことでした。…話がそれましたが。

ちなみにその後、男性陣二人が雨男か否かは確かめていませんが、当日は田部さんの晴れ女パワーで、すべての雨男女系来場者を打ち負かしてほしいなと思います!

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第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7
『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男
ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授)

2017年6月18日(日) 14:00 開演 (開場 13:15)
会場:一橋大学兼松講堂(JR国立駅南口 徒歩7分)
前売券:S席 4,500円(指定)/A席3,500円(自由)/学生券 1,500円(自由)

菊地裕介さんインタビュー(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)

兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト、
6月18日(日)に行われるVol.7『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演ピアニストのインタビュー、お二人目は菊地 裕介さんです。

菊地さんはすでに約5年前ベートーヴェンのソナタ全曲録音をリリースしています。
きっとベートーヴェンの作品への熱い思いを語ってくれるのだろうなと思ったら、
逆にどうやらベートーヴェンを弾くという行為があまりにも自然らしく、
私としてはいろいろ予想外なお答えがかえってきて興味深かったです。
もともとユニークな方だとは思っていましたが、やっぱりユニークだ…。

◇◇◇

◆菊地裕介さん
[演目]
創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 Op.34
《エロイカ変奏曲》 変ホ長調 Op.35

「人生のモットーは、“みんな違ってみんないい”」

─今回はベートーヴェンの作品から二つの「変奏曲」を演奏されます。作品の魅力についてお聞かせください。

「創作主題による6つの変奏曲」Op.34と、「自作主題による15の変奏曲とフーガ」Op.35、通称「エロイカ変奏曲」は兄弟のような作品で、その内容は対照的です。
Op.34 は、メロディアスで魅力的なテーマを持ち、調性を3度ずつ下げていく、とても野心的な作品。調性が変わっていくという意味で、ファンタジーに近いところがあります。フレンドリーなベートーヴェンの姿を感じます。
一方Op.35 のテーマは、最初に「プロメテウスの創造物」で使われたもので、その後、この変奏曲、そして最終的には交響曲第3番「エロイカ」で使用されました。3作品で使うようなものだけに、テーマの要素はミニマムです。主題と同じ調性で最後まで突き進んでいくという、ベートーヴェンの変奏曲らしい魅力にあふれています。

─どちらの作品のほうがお好きですか?

僕の人生のモットーは、“みんな違ってみんないい”。だから、どちらが好きだなどというのはありませんね! 世の中に残る作品には必ず何か魅力があるはずで、そんな作品を書いた作曲家たちには尊敬の念を抱いているので、僕自身は作品についてとやかく言える立場にない、作品の魅力が引き出せなければそれは奏者の責任だと思っているんです。

─二つの変奏曲はベートーヴェン中期の作品にあたりますが、この時期の作品の特徴はなんでしょうか。

ポジティブで明るく、変に力んだところもなく、人生において何かを一つ乗りきった感があります。これが晩年になると内向的になり、外に向かって何かを発するというより、自分の世界における反射のようになっていくのです。晩年の作品を弾く際には、自分と作品の枠の中で何度も反芻し、確かめる作業が必要となります。

─ベートーヴェンの魅力は、どのようなところに感じますか?

音楽の要素として、きれいなもの、衝突するようなものと、すべてが入っています。そして音楽におけるバランスやタイミングが絶妙です。

─絶妙なタイミングには、“想定通りほしいところにある”というものと、“予想外のところにある”というもの、両方があるように思いますが……たとえばモーツァルトとベートーヴェンの違いのような。

そうですね。モーツァルトの絶妙さは、それ以上自然なものはないというくらい、すべてが見事にはまっている。それに対してベートーヴェンの絶妙さには、近代に向かう自我の目覚めや、個人という概念がより出てきているところに違いがあると思います。

「むしろ息抜きになるような音楽」

─すでにベートーヴェンのピアノソナタ全曲や、「ディアベリ変奏曲」「エロイカ変奏曲」を録音されていますが、ベートーヴェンに集中して取り組むようになったきっかけは何でしょうか?

全ての作品が格好いいし、おもしろい。だから全部やってみたい、というごく自然な感覚で取り組みました。それによって生涯をたどり、スタイルの変遷を改めて感じられましたが、終えてみて何か新しい発見があったというよりは、やはりこういう人だったなと思ったというほうが感覚に近いです。
ソナタ全曲といっても、あくまで今あるとされているソナタを全部演奏したというだけで、作曲するとき以外のベートーヴェンの姿を新しく知ったわけではありませんから……。

─ソナタ全曲というと大プロジェクトのように感じますが、ごく自然な音楽の営みの中で実行されたのですね。

力んで臨んだという感覚はありません。僕にとってベートーヴェンの音楽はとても自然で、楽譜さえあれば弾ける、むしろ息抜きになるような音楽です。もちろん学生時代に勉強していた頃は大変な作品だと思っていましたが、今となっては最も力まずに演奏できます。それこそがベートーヴェンのすばらしさです。
誤解を恐れずに言えば、モーツァルトやハイドンも含め、古典派の音楽というのは、音楽がわかってさえいれば一番やさしいもの、自由に泳ぐことができるものだと僕は思うのです。機能和声があって、枠組みやフレージングも自然、拍子もきちっとしています。人間にアクセスしやすい形の音楽だと思います。右足をつくったら、左足もつける。そうして対応するものをつくっていけばいいというのが、古典派の音楽です。
だからこそ、今まで培った音楽をそのままサッと出すことができる。その意味では、何もない状態でいきなり弾こうとすると、無味乾燥な音楽になってしまうと思いますが。
それに対してバッハは考えて組み立てないといけないので、やはり難しい。近現代の作品も、かなり練習しないと弾くことはできません。

「その正直さゆえに誤解されやすい部分もあったはず」

─ベートーヴェンとの出会いの思い出はありますか?

子供の頃、父のレコード棚に交響曲全集があって、その背表紙に描かれた肖像画がこわかったという(笑)。
それから、僕はこれまで師事してきた先生がほとんど男性ばかりだったこともあってか、ベートーヴェンを先生と共有する中で、父親的な存在だと感じるようになっていきました。その潔さに、“父なる音楽”という印象を持つようになったのです。
ベートーヴェンの最も好きなところは、その正直さ。それゆえに誤解されやすい部分もあったと思います。それで、自分自身とパーソナリティに共通する部分が多いと感じるんですよね。僕自身は社会にもまれて、彼ほどのまっすぐさは失いつつありますが……。

─普通、人は物事にぶつかって丸くなっていくものでしょうが、ベートーヴェンはそのまま進んでいったということですよね。

そうして自分を貫いたのはすごいことですし、逆にそういう形でしか生きられなかったのだろうとも思います。それこそが、ずば抜けた音楽センスを育んだのでしょう。
変奏曲のすばらしさに表れるように、ベートーヴェンは作品を“こねくり回す”ことが好きな人でした。その結果としてすべてが絶妙なものになっている。彼にしかわからない最終調整が入ることで、全てがバタバタとドミノをかえすように変わり、曲の価値もあがるのです。これは天才的な感覚で、技術だけによるものではありません。

─兼松講堂ではこれまでにも何度か演奏されていると思いますが、印象はいかがですか?

良い意味で日本らしくない空間で、なつかしさを感じます。例えばフランスのサル・ガヴォーのような、音楽とともにある良い時代の雰囲気を残していますね。スクラップ&ビルドのほうが安上がりとされる今のご時世に、多くの方々の想いがあってこうして成り立っているのだろうと思います。大事にされていることが伝わってくる、印象深い場所です。

◇◇◇

浜野さんは、ベートーヴェンのまっすぐぶつかっていくところが自分とかけ離れていると話していましたが、驚くことに菊地さんもベートーヴェンのそんな性格について語って、こちらは「自分と似ている(でも今のオレはもうまっすぐを失いつつあるけど…)」と話していたという!
ベートーヴェンほどまっすぐだったら、生きにくくて大変ですよ菊地さん…。

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第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7
『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男
ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授)

2017年6月18日(日) 14:00 開演 (開場 13:15)
会場:一橋大学兼松講堂(JR国立駅南口 徒歩7分)
前売券:S席 4,500円(指定)/A席3,500円(自由)/学生券 1,500円(自由)

浜野与志男さんインタビュー(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)

兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト。
気が早く2012年からスタートしていましたが、
ようやく2020年がなんとなくそう遠くないものになってきました。

6月18日(日)に行われるVol.7の公演は、
『ピアニストたちのベートーヴェン』。
田部 京子さん、菊地 裕介さん、浜野与志男さんが登場し、
ソナタや変奏曲など2作品ずつ演奏するという、
よくよく見るとものすごく豪華な公演です。

実はこの公演に先立ち、このお三方にインタビューをしました。
年代がいい感じにバラバラで、演奏家として今いる場所もそれぞれ、
ベートーヴェンとの向き合いからもいろいろである3人のお話、
聞き比べてみると、三者三様の作曲家への感覚がそこにあって興味深いです。

如水コンサート企画のHPや当日のプログラムでショート版が掲載されますが、
興味深いお話がもったいないなと思いまして、
ピアノ好きのみなさんのために、このサイトでロング版を紹介することにしました。

一人のピアニストの中で変化してゆくベートーヴェンに対しての感情、
もともとの作曲家に対しての意識やスタンス、
きっとこの違いが当日の演奏にも現れるのだろうなと思います。楽しみだ…。

さて、そんなわけでお一人目にご紹介するのは、浜野与志男さん。
言葉を慎重に選びながら、率直に、
最近のベートーヴェンへの気持ちの変化を語ってくださいました。
日本に育ちながら、日本の先生だけでなくロシアのピアニストにも師事し、
お母さまの出身地であるロシアで毎夏を過ごしていた浜野さんは、若い頃、
「響きのつくりかたについてどうしてもロシア音楽的な要素が強くなり、
悪い言い方をすれば、なんでもロシア音楽的に弾くという側面もあった」
と振り返っていました。
それが、ある発見により、特にドイツ音楽への向き合いかたが変わったそう。

…ちなみに「若い頃」と書きましたが、
浜野さんは現在も20代後半ですから充分に若さあふれるピアニストなのでした。
その落ち着きっぷりに、すぐ忘れそうになります。

◇◇◇

◆浜野与志男さん
[演目]
ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 Op.22
ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 Op.57 《熱情》

「ドイツ人の音楽や生き方を間近で見て、確かに変化が」

─これまで、ベートーヴェンにはどのように向き合っていらしたのでしょうか?

これまで僕はドイツ音楽のレパートリーとして、まずシューマンに取り組み、その後、バッハとブラームスに向かう時期が続きました。それに比べるとベートーヴェンに積極的に取り組むようになってからは、そう長くありません。
とはいえベートーヴェンのソナタは、試験や入試などの機会のため、長らく勉強してきました。最初に“汗と涙を流した”ベートーヴェンのソナタは、東京芸術大学付属高校の入試の時に弾いたソナタ17番の「テンペスト」。ペダリングや弾き方について細かな指導を受ける中、なんて大変な曲なのだと思った記憶があります。
今は指の使い方やペダルの踏み方がわかるようになり、細かいところに神経を使うこともできるようになりました。
自主的に取り組んでいきたいという思いが強くなったのは、昨年くらいからです。ちょうど良いタイミングでこの企画にお誘いいただいて嬉しいです。

─それは良かったです! その変化には、きっかけとなる出来事があったのでしょうか。

東京芸大を出たあと、3年ロンドンに留学してロシア人のドミトリ・アレクセーエフ先生に師事し、その後1年ほどライプツィヒで生粋のドイツ人であるゲラルド・ファウト先生のもと学びました。
期間として長いものではありませんでしたが、この時にドイツ人の音楽や生き方を間近で見ることで、自分の中で確かに変化がありました。耳の使い方が変わり、細かいところまで神経が行き届くようになったという感じでしょうか。
ドイツに行くのもドイツ人の演奏を聴くのも、もちろん初めてではありませんでしたが、この滞在中は、ドイツの演奏家が一人でピアノを弾くときでも、アンサンブルのように複数の奏者が互いの音域を聴き、溶けあうことを目指すときのような耳の使い方をしていると感じたのです。これによって、ベートーヴェンはもちろん、バッハについても演奏する上での意識が変わりました。
実は今回一緒に出演する菊地先生が以前、「交響的なピアノ奏法」ということをおっしゃっていたのがずっと印象に残っていたのですが、それはこういうことなのだろうと、見えた気がしました。

「僕はよく頑固だと言われるのですが……」

─今回演奏されるピアノソナタ11番と23番「熱情」について、作品のどのようなところに魅力を感じますか?

ハーモニーの動きに実験的なものが垣間見られるところが魅力だと思います。そういったベートーヴェンの挑戦する姿勢が伝わるような演奏がしたいです。
あと、僕はとくにピアノ協奏曲などで2楽章が一番好きだと感じることが多いのですが、「熱情」についてもそうなのです。
よくロシア人のピアニストで、“アンチ・クライマックス”、つまり逆説的なクライマックスという言葉を使う人がいるのですが、この楽章はまさにそのような感じ。音量的にも盛り上がりの面でも底辺にあるにもかかわらず、とても大きな意味があると思います。内容の濃い1楽章、盛り上がって疾風のように過ぎる3楽章の間にはさまれた2楽章の美しさに耳をかたむけていただきたいです。

─ベートーヴェンという作曲家に対しては、どのような想いがありますか?

僕は小さい頃から、好きな作曲家を聞かれると、誰かを挙げると他がかわいそうだから選べないと答えるようにしていたので、今もベートーヴェンだけが偉大だという言い方は避けたいのですが、それでもやはり、ベートーヴェンのピアノ作品は、ピアノ音楽というものにおける一つの頂点を築いたものだと思います。
演奏テクニックを生かした最高の作品という意味ではリストも挙げられますが、ベートーヴェンは、ピアノによる音楽表現という意味で最高峰の作曲家だと言えると思います。

─浜野さんにとってベートーヴェンという人はどんな存在なのでしょうか?

それは、とても遠い存在です。というのも、僕は親しい人からよく頑固だと言われるのですが、でもどちらかというと、その場では身をひいたり妥協したりして、結果的に意図したものを実現しようとするタイプなんです。なので、ガツンとまっすぐぶつかっていくパワーを秘めたベートーヴェンの音楽は、決して自分に近いものではありません。でもだからこそ、自分にないものへの憧れを感じているのかもしれません。

─方法が違うだけで、結果的に行きつくところは同じような気はしますけれどね……。それでは、ベートーヴェンの作品を練り上げていくにあたって、一番大切にしていることはなんでしょうか?

ベートーヴェンの作品を弾いていると、音の響きや音色、ハーモニーに注意がいってしまって、ここもあそこも聴かせたいという欲求がつい強く出てしまいます。ですが同時に、全体の大きな絵、完璧な構造美がそこにあることを見失ってはいけないので、その両方を考えながら修正していく作業を繰り返していきます。
“神は細部に宿る”とはいいますが、やはりベートーヴェンの作品の構造美は、人が簡単に思い描けるものからかけ離れた、とても大きなものだと思います。

─ところで、国立や兼松講堂に想い出はありますか?

兼松講堂で演奏するのは今回が初めてですが、以前聴きに行ったことはあります。そして国立は、桐朋中学校に通っていたので親しみのある町です。朝、遅刻しそうになりながらあの並木道を急いだ思い出が大きいですね。

─それでは最後に、このベートーヴェンシリーズに登場されるうえでの意気込みをお聞かせください!

二人の大先輩と同じ舞台に立つことができて光栄です。そこで“年齢相応”の浅い演奏をしてしまうことがないよう、妥協のない音楽づくりを目指し、しっかりと自信の持てる演奏で臨みたいと思います。

◇◇◇

じわじわ策をめぐらせて頑固を通す自分にとって、まっすぐぶつかって頑固を通すベートーヴェンは遠い存在という分析が、なんだかおもしろかったです。
(行きつくところは同じなんだから、どっちかというと同類なんじゃないの!?と思ってしまいましたけど、同じようで違うのか)

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第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7
『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男
ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授)

2017年6月18日(日) 14:00 開演 (開場 13:15)
会場:一橋大学兼松講堂(JR国立駅南口 徒歩7分)
前売券:S席 4,500円(指定)/A席3,500円(自由)/学生券 1,500円(自由)