グリゴリー・ソコロフを聴いた

 今回の旅で特に楽しみだったイベントの一つは、モナコでグリゴリー・ソコロフのリサイタルを聴くということでした。日本に来てくれないソコロフ…ヨーロッパにいるときにうまくタイミングが合って聴けないものかと、いつもその機会をうかがっておりました。

モナコのモンテ・カルロへは、ニースから電車で30分ほど。そんなわけで滞在はニースです。

ニースには良い美術館がたくさんありましたが、中でもシャガール美術館は特別な空間でした。そして土曜日の昼なのに、すいている。
シャガール自ら生前に建造にかかわっていて、聖書の物語を描いた連作が展示されています。シャガールはユダヤ系ロシア人なので、いわゆる旧約聖書の物語が描かれています。自身の独創的な観点で物語が紐解かれていて、それは優しい光を放っていました。
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シャガールは神様と対話していた…音楽でも美術でも、心身を削ってこういう本質的なものを掴んで見せてくれるアーティストは尊いですね。改めてシャガールの宗教作品に囲まれてみると、本当に優しい人だったんだろうなと感じました。自分としては、この美術館に来て、なんとなくシャガール好きだなと思っていた理由がやっとわかった感じ。

 

さて、ソコロフのリサイタルです。モナコ公国、もしかしてビザが必要だったりするのかと思ったら、そのようなものは必要なく。さらにはフランスからするっと国境をこえて、いつの間にか入国できます。
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景色がとにかくすごい。光の感じ、色の感じがずばり違う。

会場は、モンテ・カルロのカジノに併設されたホール。
モナコは海と山が隣り合って勾配がすごく、ホールも、屋根は見えているのにどうしたらたどり着けるかしばし悩みました(このカラフルな部分が、ホールの屋根)。

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ホールの横から振り返るとこんな景色。
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会場はこのような感じです。
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ロビーには錚々たる顔ぶれの指揮者の写真が飾られていましたが、その中にヤマカズさんのいつもの写真発見。そういえば、モンテカルロ・フィルの芸術監督なんですよね。
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普段は音のことを考えて後ろのほうの席をとりますが、初ソコロフだし前の方でよくタッチを見たいなと、前から2列目のかなり左端のほうの席をとっていました。
すると開演直前に隣同士で座りたいカップルが、席をかわってくれないかと。彼女の持っていたのが、なんと一列目のど真ん中の鼻血シート。初ソコロフをすごい場所で聴くことに。この席で聴くことは滅多にないけど、たまに座ると、何もかも見えて楽しいものです。

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ソコロフのリサイタル、演目はベートーヴェンのソナタ3番とバガテルOp.119、ブラームスのOp.118と119。最高かよ…というプログラム。

ベートーヴェンは、初期のOp.2と後期のOp.119で全くタッチが変わって、そうですよね、そういうことですよね、と思う。正統的。なのに最初から最後まで、次は何が来るのかワクワクしっぱなし。1950年生まれということで今年69歳になるソコロフですが、全く枯れないタイプなんですね。こんなにいい意味でギラギラとしたブラームスのOp.118、119は初めて…でもそれがまたいい。逆立った毛をブラシで梳かして撫でてくれるような、そんな演奏(変な例えですみません)。

大歓声の客席を前にしても、ひとっつもニコリともせず、それなのに6曲もアンコールを弾いてくれる。ツンデレおじさんっぷりにまたシビれてしまいます。ロシア系のピアニストって、わりとときどきそういう人いますよね。プレトニョフとか、コブリンとか、なんかそういう美学があるんだろうなって思ってカーテンコールを眺めていると、逆にかわいらしく(?)思えてきます。このアンコールがまた、ラモーからラフマニノフ、ドビュッシーなどと、本当にいろいろなものを弾いてくれて、いろんなタッチと音を聴くことができました。

強音も弱音も、お腹の底から、脳の内側から揺さぶってくる。単に美しい音という表現では似合わない。ところどころで、強烈に含蓄のある音が鳴る。ソコロフの音は特別だというのはこういうことか…と思いました。生で聴くことができてよかったです。

時差や長距離のフライトがいやだという理由で、ずっと演奏活動はヨーロッパのみに限っているということですが、たくさんのピアノファンがいる日本にも来てくれたらいいのに。
誰かちょっとずつ移動させながらリサイタルをセッティングして、はっ、気づいたらウラジオストック!もう日本すぐそこだから行っちゃいなよ、みたいな感じで、だましだまし連れて来てくれたらいいのに。

一度聴けて満足したかと思いきや、次もヨーロッパにきたらチャンスを狙って行くと思います。

インドのオーケストラ、イギリスへ行く

シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディアが、イギリスデビューする!
ということで、そのロンドン公演を聴いてきました。

演目はふたつ。先日私がムンバイで聴いた、ザキール・フセインのタブラ協奏曲を含むプログラムと、純西洋クラシックのプログラム(組み合わせを変えて数種類)。今回は、タブラ協奏曲なしの下記の演目を聴いてきました。場所はCadogan Hallです。

Weber: Overture to Oberon
Bruch: Violin Concerto No. 1 in G minor, Op. 26
Rachmaninoff: Symphony No. 2 in E minor, Op. 27

そもそもこのシンフォニー・オーケストラ・オブ・インディア(SOI)というオーケストラ、ナショナル・センター・フォー・パフォーミング・アーツ(NCPA)のディレクターであるサントゥクさんがロンドンであるオーケストラの公演を聴き、「我がムンバイのNCPAにもオーケストラを!と思い立って始めたものだということです。
そのロンドンでのコンサートでソリストをしていたカザフスタン人ヴァイオリニストのマラト・ビゼンガリエフさんを音楽監督に招き、SOIはスタートしました。
そのため、オーケストラの団員には、臨時でシーズンにやってくるカザフスタン人がとても多い!あとはロシア人。インド人団員は15人ほど。

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こちらのカザフスタンの大木凡人さん的な方が、ビゼンガリエフさん。この日のロンドン公演では、ヴァイオリン協奏曲のソリストをつとめました。

カザフスタン人は東アジア人と似た見た目の人も多いです。
ビゼンガリエフさん、日本では日本人に間違えられて普通に日本語で話しかけられるよ!とおっしゃっていました。
(たしかに、この色メガネとアーティスティックなヘアスタイルを除けば日本人ぽいかな…ちょっと個性的な風貌の日本人として話しかけられているんでしょうね)

私もバックステージでうろうろしていたら、カザフスタン人?と話しかけられました。さらにビゼンガリエフさんには、KOSAKAって、コサックじゃないか!私もコサックだよ!!と言われました。カザフスタンの人にとって、私の名前はコサックになるみたいです。

私がロンドンで聴いた演目は、ザキールさんのタブラ協奏曲がない、いわばごまかしのきかない演目なわけでしたが、指揮者がイギリス人のマーティン・ブラビンズさんということで、ムンバイで聴いた時よりもまとまりのある印象。とはいえ、弦の人々が思い思いの弓使いで演奏しているのは相変わらずです。

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お客さんの入りは6、7割。後半のラフマニノフの交響曲第2番のあとは、客席から大歓声があがっていたので、イギリスのお客さんからは好意的に受け入れられたようです。楽章ごとにためらいがちな拍手が出ていたので、この日の客層がどんな方々だったのかはよくわかりませんが。

今回、開演前のプレトークやビゼンガリエフさんのお話を聞いて、そもそも、自分(や周りの人達)が抱いていた、インド人が15人ほどしかいなくてインドのオーケストラといっていいのか?という疑問の答えというか、そもそもこの疑問を勝手に抱くこと自体が、彼らの考えていることからするとズレているのかもということを思いました。

彼らは、単に、ムンバイをベースにしたまともなオーケストラを持ちたかった。もちろんインド人の奏者が育って増えればいいと考えて、教育プログラムも行なっているけれど、インド人団員は結果的に増えればいいというだけで、第一の目的ではない。
むしろ、日本のオーケストはには外国人が少なく、そのことはある意味不自然なのではないかという議論が最近あることを思い出しました。
ビゼンガリエフさんともこの辺りの話をしましたが、「私たちはなに人だろうが、より優れた人の方をオーケストラに入れているだけだ」と言われてしまいました。さらには、日本オーケストラは、「例えば日本人と外国人の演奏家カップルが日本に住むことにして、演奏レベルが低くても日本人の方がすぐオーケストラに就職できて、外国人のほうはなかなか仕事が見つからないという例を聞いたけど」とも言われてしまいました…。
とはいえ、この外国人たちがシーズンごとに外国から呼ばれてやって来るわけで、めちゃくちゃにお金がかかるということ、そのお金があるならローカルな音楽家の育成やサポートに力を入れるべきでは?という疑問があるのも確かです。

さて。いくつかのロンドン公演の批評に目を通すと、アンサンブルの面や、とくにインド系イギリス育ちのダダルさん指揮の公演について、安全運転重視の演奏に厳しい評価が下された印象。

1960年にN響が世界ツアーをしたとき、ときどき酷評はあったものの概ね好評だったことを、ソリストだった中村紘子さんや堤剛さんが回想していたことと、ふと重ねました(16歳の紘子さんが振袖で弾いたことで有名な、あのツアー)。
中村紘子さん曰く、「黄色い顔をした発展途上国の蛮族が、自分たちの文化をこれだけ真似をして、いい子ちゃん、いい子ちゃんみたいな、非常に見下して寛大に迎えるというような形(中略)冒頭にはいつも、戦争で戦った敵国日本という表現が必ず入っていました」。
もう今は時代が違うということですね。他にも、団員がその国の人でないなど、いろいろ違うことはありますが…。

ザキールさんのタブラ協奏曲については、「パウダーのついた指と手のひらで、複雑なリズムを叩き、カデンツァはまるで催眠術のようだった!」なんて書かれていました。
ただ、厳しめの記事には、一握りのインド人しかいないこのオーケストラが、その名前にという名前にそったものになる日は来るのかだろうかということ、またザキールさんの曲自体について、西洋と東洋をつなぐという意味では月並みな結果だったし、もっとザキールさんが二本の手と二つの太鼓でオーケストラみたいな表現をするところを聴ける曲であって欲しかった、というようなことも書かれていました。

演奏を聴くというよりは、ロンドンでの反応が気になって見守りに行ったという感じのこの公演。聴衆は盛り上がっても、やはり批評は思った通り少し厳しいところもありました。

パペットショーどうでしょう

デリーでは今年も、学生時代にフィールドワークをしていたパフォーマーカーストのコロニーに顔を出してきました。相変わらずみんな元気そうでした。
(彼らについて紹介した過去の記事は、こちら

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こちらの中央のどっしりした男性が、コロニーの中で最も成功しているパフォーマー一座の長である、プーランさん。孫を両脇に抱えながら。

ピアノ雑誌の編集部時代、無謀にもインド特集を組んだとき、ピアニストの青柳晋さんを連れてこのスラムでパフォーマーと音楽的交流をしてもらったのですが、青柳さんが「京唄子師匠に似てるねぇ…」と言い出したので、プーランさんと話していると、ときどき唄子師匠のことが頭にちらつきます。
(そして、今改めてグーグルして見比べると、とくに似てないっていう…)

一家にリクエストされていたおみやげに加えて、子供が多いから日本のお菓子をと思って、この三角の小袋がたくさん入った柿の種のファミリーパック的なものを持っていったんです。
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すると彼ら、サモサだサモサだ!日本のサモサだ!とひとしきり盛り上がっていました。サモサっていうのは、こういう形の餃子風の皮にじゃがいものスパイス炒めが詰まった揚げ物です。形以外はまったく別物です。この人たち、三角紙パックの牛乳見ても、サモサだっていうのかな。

ところで彼らは数年前、デリーの政策で、もう60年も彼らが(勝手に占拠して)住んでいたスラムを立ち退くことを命じられ、700世帯ほど集まって住んでいたパフォーマーのカーストの家族たちは、何箇所かのキャンプにわかれて住むようになりました。キャンプといわれてどんな住環境なのか心配していましたが、むしろ衛生状態もよくなっていたし、警察署も隣にあって安全そう。本人たちも、クールな場所だぜと気に入っているようでした。

とはいえ、世界で一番有名なスラムと呼ばれた場所には、自然と世界のフェスティバルのオーガナイザーがスカウトに来ていて、それで仕事がなりたっていたのに、急に移動を余儀なくされたことでコンタクトが減り、一年ほどは仕事がなくて大変だったそうです。予期せぬいろんな問題が起こるもんだ。

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こちらは去年の写真から。結婚式開催ウィークだったので、みんな踊ってます。そのセンターで黙々とチャパティを焼く若奥さん。

 

彼らの伝統的なパフォーマンスは、この木製パペットでのショーなのですが、最近は仕掛けのある手の込んだ人形や、テレビからの仕事の依頼でセサミストリートのぬいぐるみを操ったりもします。

 

 

最近のホットな演目は、このビッグパペットによるショー。3メートルくらいあるでしょうか。ステージの横にスタンバっているだけで、子供はもちろん大人も集まってきてはしゃいでいました。

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(もし日本人の友達が一緒にいたら、じゃんがじゃんが的な…と言うところでしたが、残念ながらこのくだらない感想を分かち合える人は近くにいませんでした)

さて、わたくしが近年なんとか実現させようと思っている、このスラムでヴァイオリンなどの楽器を教えるプロジェクト(もともとパフォーマーなので、プラスワンのの技として取り入れて収入アップを狙う&天才発掘の企み)、実はヴァイオリンの先生を失って立ち往生中だったのですが、また新しいツテができて再スタートできそうです。

ちなみに先生が行かなかった期間、唄子師匠、一度子供達を集めて自分たちで弾いてみようと、私が置いてきたヴァイオリンを開けてチャレンジしてみたそうです。
「ギターとかは独学で弾く子も多いけど、やっぱりヴァイオリンは先生がいないとだめだね、3日で断念しちゃったー」
とのこと。むしろ3日も自分たちでやろうとしたことがすごい。

去年楽器を持っていった時も、いきなり見よう見まねで楽器を持って弾いてました。完全に初めて手にしたわりには、なんだかいい感じです。さすが。

さてこれからどんな展開になるか…新しい道を切り拓くために。がんばろう。

部品の巣窟的空間、ムンバイの楽器修理工を訪ねてみた

去年ヤマハ・ミュージック・インディアの方からその存在を聞いて、会いに行ってみたいと思っていた、ムンバイの楽器修理工の家族の工房。ヤマハの現地スタッフ、アンシュマンさんに案内していただき、ついに訪ねることができました。

すごいすごいとは聞いていましたが、なかなかの穴蔵っぷり。細い路地を入り、半地下に下ったところに工房はありました。

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今は三兄弟で職人をしていて、とくに長男のムンナさんはこの狭い部品の巣窟風スペースに座って、ひたすら作業をしています。ムンナさん、長いルンギー(インドのおじさんがよく着ている腰巻き布)をしてなくて足が写っちゃうって気にするしぐさが、かわいらしかったです。でも、作業中のワイルドな手元の動きはかっこいい。

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(左のお二人が、次男、三男。一番右はヤマハのアンシュマンさん)

主に修理をしているのは管楽器。インドでは結婚式にウエディングバンドを呼ぶ習慣があるので、管楽器の需要はかなり大きいのです。

楽器修理工を始めたのは、彼らの父親だそう。もともと車の修理工をしていたところから、興味を持って路上の楽器修理屋で技術を習得。その技術が息子たちに伝えられて、今につながっているようです。つまり、すべてが口頭伝承的な技術。しかも起源もよくわからない。
難しい修理の依頼も、経験と三人の知恵(あと、ネットの情報)でなんとかしちゃう。輸入品でしかない部品は、自分たちで作っちゃう。

インドの暮らしの中では、いろんな場面で、壊れた何かが、ひらめきと経験(その場しのぎともいう)で修復されているのを見ます。いわば、そのプロフェッショナル版ですね。あと、今や機械で作られているのしか見ないものがハンドメイドで作られていたり。糸車をまわすガンティー的思想が受け継がれている…というとすごい感じがしますが、単に彼らはずっとそういうふうに生きているんですよね。

もう15年も前の話ですが、インドで自転車のスペアキーを作ろうと思って鍵屋さんに行ったら、目視で確認しながら、普通のヤスリで、手削りでスペアを作ってくれたことを思い出します。それで、これがちゃんと開くんですね。ちょっとひっかかるけど。

ちなみにヤマハさんは数年前、この我流リペア職人さんたちに、楽器修理についてのワークショップを行ったそうです。今までそんな話をもちかけた楽器メーカーはヨーロッパにひとつもなく、ヤマハさんが初めてだったんですって。
ヤマハの楽器が修理に持ち込まれることももちろんあるそうですが、
「やっぱり他のメーカーと比べて品質が良い」とのこと。
(通訳で入ってくれていたアンシュマンさんが、ちょっと盛り気味に説明してくれて、インド人スタッフのヤマハ愛ステキと思いました!)

この場所の写真だけ見せてもらっていた時は、労働環境が厳しい作業場なんじゃないかと勝手に思っていたんですが、三兄弟、とってもこの仕事を愛しているようでした。素敵な職人魂を感じる。(そして、実際けっこう儲かっているっぽい)

やっぱりなにごとも、行って見てみないとわからないものです。

ザキール・フセインさんのタブラ協奏曲

ムンバイに再び戻ったあとは、シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディアの春シーズン定期公演を聴いてきました。お目当ては、タブラ奏者のザキール・フセインさん作曲によるタブラ協奏曲「ペシュカール」。

開演前、ホワイエを見渡すとたくさんの人が飲んでいた、冷たいミルクコーヒー。サモサとのセットで100ルピー(150円くらい?)という、コンサートホールなのにそこらへんのカフェより断然お安い値段で購入できて、しかも辛いと甘いでおいしい。ムンバイ のジャムシェッド・ババ・シアターでコンサートを聴く機会があったらぜひ試してみてください。甘辛のコンビネーションに夢中すぎて、写真は撮り忘れました。

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」がおわると、台がセッティングされて、タブラを持ったザキールさんが登場。
タブラソロに始まって、ティンパニ、低弦、ファーストヴァイオリンがインドらしい旋律をつぎつぎ受け渡していきます。西洋の語法の中で音楽を育んできた人では書かないだろう旋律がからみあう。怒涛のタブラの音の波、管との掛け合いがかっこいい。

演奏後は、客席総立ちでした。さすがスーパースタータブラ奏者。みんな大好き。
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日本でもこの曲を公演できたらいいのに…。

どうですか、指揮者のみなさん、そして日本のオーケストラ関係者のみなさん!!
ちなみにこちらは2015年の演奏の動画です。

私がインド古典音楽を生で聴く経験はまだまだ全然浅いのですが、それでもザキールさんの演奏は、技術はもちろん、音がすごく特別なんだなということがわかります。
先日、ザキールさんのお弟子さんであるユザーン氏のプチ解説を聞く中で、その音作りの精神のお話がちらりと出て、他のインドの有名タブラ奏者とザキールさんの音の印象が違うように思うのはそういうわけか…と納得しました。

SOI全体の演奏に関しては、やはり、海外のオーケストラで活動する外国人臨時メンバーばかりだけに、個々の技術は一定レベル以上で普通にうまい。いつも一緒に演奏していないからアンサンブルの面が少し大変そうですが、スケールの大きな演奏が特徴です。

ところでちょっと関係ないですけど、ユザーン氏と環ROYさん、鎮座DOPENESSさんが最近発表したこの曲とミュージックビデオ。

音もかっこよく、なんだか(いい意味で)様子がおかしくて笑っちゃうと同時に、インド古典音楽、そしてそのほかの音楽の歴史も知ることができて、とても素敵です。なんなんでしょうこのセンス。いい仕事してますね…。

そしてこのユザーン氏と、サントゥール奏者の新井孝弘氏による、毎年恒例、インド古典音楽のツアー、今年も開催されるそうです。新井くんは、今年ムンバイであったら、またしっとりとインド人度が増していました。いつか本当にインド人になってしまうかもしれません。
二人が発するインドの匂いを嗅ぎたい方は、お近くの会場でぜひご体験ください。

公演スケジュールは、こちら。

(最後はインドでいつもお世話になるお二人のコンサートのお知らせでした。)

インド人チェリストが祖国に作った素敵な学校に行ってきた

ここまでのインドのいろいろを、少しずつ紹介したいと思います。

到着した日に向かったのはタージマハルホテル。チャローインディアというインド料理探訪プロジェクトのため来印中の東京スパイス番長のみなさんがお食事中ということで、水野さんを訪ねて合流です。
今年のテーマはアチャール(インドのお漬物的なもの)らしいので、成果を見るのが楽しみ。アチャールって本当においしいですよね。梅干し好きの私としては、インド料理においてなくてはならぬ付け合わせ。

タージマハルホテルといえば、11年前に大規模なテロがあった場所です。あれ以来、セキュリティチェックがとても厳しい。
そしてロビーには、1852年から1872年の間に作られたというスタインウェイのピアノがあって、インド人ピアニストのおじさんがポロポロ弾いてました。植民地時代の置き土産的な存在。
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インドではたまにこういうアンティークのピアノに出会います。去年もコルカタでシタール奏者のインドの方のお宅にお邪魔したら、家にベーゼンドルファーのグランドピアノがあると言われてびっくりしました。(しかも、その方自身は弾けないらしい)

翌日は早速コルカタに移動。

浜松コンクールでお世話になった、ピアニストの小川典子さんにご紹介いただいた、ロンドン在住インド人チェリストのアヌープ・クマール・ビスワス氏が、故郷のコルカタに作ったMatheison schoolを見学してきました。

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犬が寝てますし、牛もいます。

牛は飼ってるのかと思ったら、学校のまわりに柵がないからどっかの家からいつも入ってくるらしい。

そもそもどうしてこの学校に行くことになったのかというと。
ある日小川さんがツイッターで突然(?)、「友人のチェリストのパーティの様子」といって写真を送ってきてくれまして。
見たら、どう考えてもインドのパンジャービーダンスの様子なんですよ。
お友達は、インド人ってことですか?と尋ねたところ、そうであると。
(最初は、インドにどハマりしているイギリス人のパーティなのかと思って、小川さんには変わったお友達がいるもんだなと思ってしまいました、すみません)

さて、こちらのインド人チェリスト、ビスワスさんは、コルカタの貧しい家に生まれました。しかしその瞳の輝きに何かを感じたイギリス人の神父さんが、教会の学校で彼にチェロを教え、ロンドンに留学させたのだそう。

さて、学校について。

学校には、そのイギリス人神父さんの名前が付けられています。全てが無料の全寮制、貧困層の中でも特別に貧しい家庭の子供のみ入学可能。教会を通じて入学の希望者がいると聞くと、家庭に面談にいって、本当に貧しいのかを確認するんだって。

草原の中にポツンと小さな建物があるところからスタートして25年。基本的にビスワスさんが私財をつぎ込んで作ったもので、多くの困難を乗り越えてここまでになった努力の結晶だそうです。
今は50人ほどが勉強しています。現在校舎を増設中で、もっと多くの子供を受け入れられるようにしていくつもりとのこと。すごいぞビスワスさん!

学校の生徒たちはみんな弦楽器を習っています。

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訪ねた日、スクールコンサートを開いて、子供たちのオーケストラの演奏を聴かせてくれました。全員音を真剣に鳴らしている感じが伝わってくる、良いオーケストラ。インドのコルカタにこういう子供たちが育っていたとはとびっくりしました。

ビスワスさんは、神父さんから受け取ったものを今度は自分が次の世代に与えていく番だと、活動を続けているようです。

これまで私もいろいろなプロジェクトのことでインドのお金持ちさんに接してきましたが、あまり私財を投じてこういう活動をしようという人はいないんですよね…国民性なのか、宗教上の感覚なのか。ビスワスさんは、お電話で話した明るくグイグイ来る感じこそさすがベンガル人の人だなーと思いましたが、活動を知るほど、なんてすばらしい方なのだ!と思ってしまいました。

生徒たちはナチュラルに礼儀正しく、明るくどこか控えめで、すごくいい。

子供達の集合写真を撮ろうとしていたたら、犬がグイグイ来ました。
このあと彼は、しっかり集合写真に一緒におさまっていました。

ちなみにこの日ビスワスさんはもうロンドンに帰っていてご不在。後日詳しくご本人にお話を聞くことになっています。楽しみだ。

「kotoba」秋号、メータと日本の楽器メーカーの奮闘のお話

先日発売された、集英社インターナショナル「kotoba」秋号。
インド社会の現状を西洋クラシックの受容の観点から読み解くという連載、第3回の記事が掲載されています。

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(表紙は、湿板写真で撮影されたビートたけしさん)

今回は、前半で、ズービン・メータの生い立ちと、彼が育ったムンバイの音楽事情について、後半では、キーボード流行の立役者、カシオの奮闘、
そしてヤマハの、インド人オレ流調律師との戦いなどについて紹介しています。

「インドはオペラを歌う」西洋クラシック音楽で大国を読む
第3回 インド市場、チャンスと困難が交錯する場所
・ズービン・メータと、父メーリ・メータ
・ムンバイにある、インド唯一のプロオーケストラ
・インド人の好みはインド人に聞け…カシオの戦略
・ヤマハの奮闘と、アコースティックピアノ市場
・インドの調律師問題

ムンバイでコンサートビジネスを行うことの難しさについて、メータ財団のマダムに語っていただいたり、インド唯一のプロオーケストラ(SOI)を指揮した感想について、ワルシャワ・フィル音楽監督のヤツェク・カスプシックさんに伺ったりしています。
あとは、一時期、インドに毎冬通って、インドのピアノ学習者や先生方のためにピアノのワークショップを行っていた、ピアニストの青柳晋さんにも、現地で教えて感じたことについて伺っています。

ピアノ好きの皆さんに特に注目していただきたいのは、インド人調律師を育成しようとするヤマハさんの奮闘っぷりです。取材中、グチが出るわ出るわ(あ、そんなことバラしちゃまずいのかな)、とにかく大変そうでした。
でも、こうして根気強く続けて行くことで、何か新しい文化の融合が生まれたり、才能の発掘があったりするんでしょうね。
いずれにしても、総じてインド駐在を長くしている日本の人たちは、だんだんちょっとしたダメージ(側から見るとわりと大きめ)に対して鈍感になっていくんだなと思いました(褒めてます)。

そして「kotoba」秋号の巻頭特集は、「危ない写真」。これがすごくおもしろいです。
藤原新也さんが、人間中心主義や撮りたいものへの目線の置き方について話すインタビュー、ロバート・ケネディの棺を乗せた葬送列車からの風景写真や、ピーター・バラカンさんが読み解く、奴隷労働者の写真など。
報道写真の真実と虚構とか、プライベート写真の凶器化についての、写真評論家、島原学さんの文章も、興味深かった。

マルク=アンドレ・アムランさんのお話

先日のピリスさんに続き、考えさせられたインタビュー。
ヤマハ ピアニストラウンジ、マルク=アンドレ・アムランさんの記事がアップされました。

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ピリスさんとアムランさん、二人に共通しているのは、いかに生きるか、ということにまつわる質問になってくると、じーっと言葉を選んで、丁寧に答えてくれること。インタビュー時間30分しかないっていうのに、無言でじぃっと向き合う時間が流れることもしばしば。

たまたま見かけた海外のサイトのインタビューで、アムランさんが、知られざる作品と超絶技巧作品の演奏で鳴らしていた若き日、
「ハロルド・ショーンバーグにスーパー・ヴィルトゥオーゾと評価され、最初はそれをみてすごく興奮し、自分のプロフィールに引用したこともあった。でも今や疫病のようにこの言葉を避けている」
…と話しているのを見まして。

そんな時代を経ての、今回のお話。
アムランさんは時間をかけて、「アーティストとしての自分の文化的な責任の認識」を確かにしていったんでしょうね。最終目的は、世界をより良いものにするということ。そのために自分に何ができるか。自分は何のために生かされているのか。
その答えはきっとこの後も変わっていくのかもしれない。ああ!

ところで、作曲家として、「将来自分の作品を弾く人が私生活を研究するかもしれないことについてどう思うか?」という質問への回答は、予想どおりでおもしろかったです。だいたいみんな、いやだっていう。

それにしてもこのところは、アムランっていうと、若アムランくんのほう(2015年ショパンコンクール2位のシャルル=リシャールくんのほう)を思い浮かべる人が多いみたいですね。

おじさんのアムランさんのほうは、今回が12年ぶりの来日でしたし、時代の流れでしょうかね。インタビューをしたのは、東響とのブラームスの協奏曲のリハーサルの日だったのですが、事務局の方が「オーケストラの若い団員はアムランさんのことをあまり知らなかったみたいですが、リハーサルをやって、こんなすごいピアニストが!!ってびっくりしてましたよー」とのこと。
そうでしょう、そうでしょう。

あと去年ヴァン・クライバーンコンクール中にはじめてお話ししたときに思ったんですけど、アムランさん、いい声なんですよね。見た目のイメージに似合った、あったかいお声の持ち主なのでした。

「kotoba」夏号、インドの音楽学校事情

集英社「kotoba」での、インド社会の現状を西洋クラシックの受容の観点から読み解くという連載。第2回の記事が、先日発売された夏号に掲載されています。

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今回からはいよいよ、今年2月のインド現地取材でリサーチしてきた話題です。

内容はこんな感じ。

「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~
第2回 西洋クラシック楽器を習う心理の裏側
・楽器の名前も知らずに習いにくる ~コルカタ、デリーの音楽学校の場合
・インドの楽器講師のレベルは?
・もはや趣味ですらない… 受験戦争対策としての楽器習得
・チェンナイ、衝撃の「ロシアン・ピアノ・スタジオ」

ここ5年~10年ほどで急激に西洋楽器を習いたがる人が増えている、その理由はなんなのか。
ボリウッド映画やYoutubeの影響かと思いきや、実は、受験戦争を勝ち抜くための方法として西洋楽器が流行しているということもわかりました。
それにかける親の情熱には、インドの家族をめぐる社会システムも大きく影響しているという証言もあり、なるほど…と納得(詳しくは記事参照)。
日本だって受験戦争は熾烈ですが、インドの競争はそれはすごい。数年前、親たちがわらわらと校舎の壁をよじ登ってカンニングペーパーを渡す集団カンニング事件がニュースになりましたよねー。

そんななか、受験戦争などの世界からは隔絶された、ある意味超ピュアなピアノ教育をしていたのが、チェンナイの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」です。
ボリウッド映画音楽の大人気作曲家、ARラフマーン(ムトゥ・踊るマハラジャとか、スラムドッグ$ミリオネアの音楽を担当した人)が創設した、KM音楽院の中に創設されているコースで、先生は生粋のインド人、チャタルジー先生。モスクワ音楽院を卒業した初のインド人だそうです。
「私が開発したメソッドで勉強すれば、1、2年で誰でもヴィルトォーゾになれる」というのがウリ。
ネットでこのクラスの存在を発見し、猛烈な勢いで弾きまくる生徒たちの動画を見て、なんとしてもこの先生に会って話を聞かなくてはと思ったわけです。

実際にお会いして見聞きしたこと、完全インド化された独自メソッドについて先生が語ったことについて、記事の中で紹介しています。ちなみに、記事と連動して、クラスで撮影した動画が公開されています。
習って1年半〜5年の生徒たちです。

どうですかみなさん。
この演奏を披露されて、生徒の父兄まで集まっている教室で、チャタルジー先生から「さあどうだね? 彼らがショパンコンクールに出たらどうなるとあなたなら思う?」ってドヤ顔で聞かれる私の気持ち、わかりますか…。

ただ機械的に弾くというのではなく、音楽性やメンタルの指導もすごくしてるんです。ただそれが超インド流なので、最終的に音楽表現が(一般的な西洋クラシックの感覚からすると)とんでもないところに着地しているわけです。
その弾き方はめちゃくちゃだと批判することは簡単だけど、初心者から一音入魂で弾かせる濃すぎるアプローチ、インド流を自認するメソッドへのみなぎる自信には、見るべきところがあると思いましたよ私は…。
その辺りについての詳しい考察は、記事を読んでいただくとして。
ちなみにこのクラスの生徒たちにとってのヒーローは、ラン・ランだそうです。

その後チャタルジー先生とメールでやりとりをしていたら、「そういえば日本人にも、私のメソッドを彷彿とさせるような、すばらしいボディランゲージと表現力を持つ若いピアニストがいますよね。私も生徒たちもみんな、彼女の音楽に魅了されています」と。
そのメールの最後に貼られていたのが、小林愛実ちゃんが9歳のときのモーツァルトのコンチェルトの動画でした…。なんかいろんな意味で衝撃でした。愛実ちゃん、まさか遠いインドの国にファン集団が存在しているとは、知らないだろうな…。

kotobaは一般誌ですから、ピアノファンや学習者なら食いついてくれるであろう詳しいお話について全て書ききることはできませんでしたので、いつかどこかで発表できたらいいなと思っています。

ちなみにこの号の巻頭は、日記特集。すごく読み応えがあります!
井上靖さんや、湯川秀樹さん、加古里子さんの戦中の日記などとても興味深い。ベートーヴェンの日記についての平野昭さんの文章ものっていました。

ピリスさんにインタビューをして思ったこと

ヤマハPianist Loungeで、マリア・ジョアン・ピリスさんのインタビューを書きました。
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今シーズンで演奏活動から引退すると発表した彼女が、最後の日本ツアーを行っていた終盤で、30分だけ時間をいただけるということで行われたインタビューです。
引退を決めることになった背景にある想いについてもお聞きしています。

詳細はインタビュー記事をご覧いただきたいと思いますが、ピリスさんとお話をさせていただいて感じたことを、今日はちょっと書いてみたいと思います(長いです)。

ピリスさんがコンサートピアニストとしての活動からの引退を決めたその主な理由は、74歳という年齢を迎える今、常にストレスに押しつぶされかけながら生きなくてはならないコンサートピアニストとしての生活から離れたいからということ、そしてその時間を、社会や人のためになるクリエイティブな活動のために使いたいから、ということのようです。
根本にあるのは、記事のタイトルにもしましたが、「手に入れた何かを自分だけのものにとどめておけば、それはすぐ役に立たないものになってしまう」という考えでしょう。それは経験なのかもしれないし、持って生まれた才能のことかもしれない。もちろん生き方や価値観は人それぞれですが、自分はなんで生きてるのかなーと思った時の一つの答えはここにあるかもしれないですね。

そんなピリスさんが真剣な表情で語っていたことのひとつは、やはり今の音楽業界についての懸念でした。音楽やピアノを通して自分は世界を知った、それだけが音楽をする目的だというピリスさんにとっては、戦後、芸術と商業主義が結びついて勢いを増していったアーティストを取り巻く環境が、どうにも居心地が悪かったということのようです。(資本主義社会では、もうだいぶ大昔からそうだったのではないかという気もしますけど、度合いが増しているのは確かかもしれません)

ピリスさんの話には、突っ込んでいけばある意味矛盾していることもあるんだけど、こちらが問いかけることに返してくれる言葉は、自分の胸にあるそのままといった感じで、それぞれの言葉にはハッとさせられるものがありました。
「自分が変わるということを許すことは、失敗を許すということ」とか、けっこう印象深かったなー。

で、そんな中でちょっと「絶望的な発言だなー」と思ったことがあります。
(ピリスさんも、こんなこと言って悪いけど、とインタビューの中でいっていますが)

常日頃、とりあえずチャンスを掴むまでの辛抱だと、ストレスを抱えながらコンクールに挑戦したり、意にそぐわない形でメディアに出たりしている若いアーティストの姿を見ることもありますから、聞いてみたんです、「辛抱して一度有名になれば、芸術家としてやりたいことができるようになるんではないですか」、と。

そうしたら、
「そんなことはありません、私が断言します」っておっしゃるんですよ。
(詳しくは記事参照)

このご発言に関しては、ちょっと、むむ、と思う方もいるかもしれません。実は、ピリスさんがこういう風に話していたんですよねと雑談で何人かのピアニストに投げかけたところ、みんなそれぞれに納得いかないというリアクションでした。
すでに有名なある方の場合は「自分は好きなことやらせてもらってる。自由なフリなんてしてない」と。
これからという若い人の場合は「そんなこといったって、じゃあどうしたらいいんだ、ピリスさんは実際有名になったから、生活もできるんだし、斬新なプロジェクトでも支えてくれる人がいるんじゃないか」という。
いや、私もそう思いましたけど、さすがに時間の都合もあってこの話題だけ深掘りするわけにもいかず。しかし本当にピリスさんは”売れた”ところで自由はないと感じているんでしょう。「私はずっと戦ってきた」と言っていました。

あとはピアノや音楽の話題に加えて、やっぱり人生についての質問をしたくなってしまって。文字数の都合で記事に入れられなかったくだりの一つをご紹介したいと思います。
人間とは欲深い生き物で、安定や成功を手に入れることに気をとられていると、いざそれを手に入れても、結局もっともっとと次の何かを求めることになってしまう。永遠に満足しないことは、向上心があるということでもあるけど、あんまり幸せじゃないことのような気もするんですが。
そんなことを言ったら、ピリスさんはこう言いました。

「いつも何かを欲しがっているということは、あなたを不幸にすると思います。いつも何かに落胆するし、もっと欲しいと思い続けているうちに他人と協力し合わなくなる。そのままの人生を受け入れるという心構えさえ自分の中に持つことができれば、一定の幸せというものの存在を感じて生きることができると思います」

ピリスさんはきっと、権力欲のようなものがないのに、才能ゆえに注目が集まって、そのはざまで悩み続けた人なのでしょうね。
でも、それにまつわる問いを尋ねると、少し困った顔をしながら今の正直な気持ちを話してくれるわけで、本当に純粋な(そしてちょっと難しい)方なんだと思います。

そこで思い浮かんだのは、中村紘子さんのことですよ。

なにせ評伝を書いたばかりですから、その両極端な生き方についてまたいろいろ考えるわけです。紘子さんの場合は、業界を飼いならし、権力を手中に収めるという方法で(もちろんその背後に相当な努力や辛い思いがあったわけですが)、業界のために、自分のためにやりたいことをやっていった人でした。

評伝の中でも、紘子さんが20歳のときに社交の女王になろうと決意したと思われる瞬間のエピソードはじめ、「初対面の人には最初にガツンとやる人だと思う」という某関係者の証言も紹介しています。
「自分の持てるものを社会に還元したい」「若い人を育てたい」という同じ目的があっても、こんなにもやり方が違うんだと改めて思いますね。それも、この二人は、どちらもブレることなく、一生通してそのやり方を貫いていった女性たちなわけで。

それで、ふと気づいたら、二人は同年生まれ、誕生日2日違いでした。
第二次世界大戦終結前年、遠く離れた二つの国に生まれて、同じ人気者のピアニストとして活躍しながら、全く異なる生き方をした二人。それは、かつて世界各地に植民地を持ち、戦後のナショナリズムの動きの中でそれらを手放していったポルトガルと、アメリカの占領下でどんどん価値観を変化させられていった日本という、育った環境の違いなのか。いや、多分関係ないと思いますけど。個人差ですよねきっと。

というわけで話はそれましたが、今回はピリスさんとお話をさせていただいたことで、自分だけが良ければいいという考えはダサいなーというあくまで個人的な価値観を強くし、社会や世界の中の一人として生きるということへの考えを新たにしたのでした。
あれこれこみ入った質問をしてしまったんだけど、ピリスさんはキランキランの瞳で、ひとつひとつに丁寧に答えてくれて、最後はとても優しく握手をしてくださいました。