マルク=アンドレ・アムランの委嘱作品&トークセッション


コンクール開始を翌日に控えた5月24日、審査員で、委嘱作品課題曲の作曲家、マルク=アンドレ・アムランさんによるトークセッションがありました。

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前回のコンクールまで、新作委嘱作品は12人が演奏するセミファイナルの課題でしたが、今回からは予選で30人のコンテスタント全員が演奏することになります。

「作品によっては一度も演奏されることのないものもあるというのに、この曲は最低でも30回も演奏されて、しかもインターネット配信までされるのでうれしい。これまでの自分の作品の中で一番世の中への露出が多いものになるのではないか」とアムランさん。
今朝のStar Telegram誌によると、コンクールの審査員をほとんどやってこなかったアムランさんが、今回、この長期にわたる審査員業を引き受ける決め手となったのが、新作課題曲も書いてほしいと言われたから、だったとか。たくさん弾いてもらえるのって嬉しいんでしょうねぇ。
これまでこのコンクールの委嘱作品を手掛けた作曲家は、コープランドやバーバー、バーンスタインなど錚々たる顔ぶれ。そんな中、アメリカ人でない作曲家がこれを担当するのは初めてだそう(とはいえ、アムランさんはボストンに長く暮らしているみたいですが)。

作品のタイトルは「Toccata ”L’homme arme”」。
「L’homme arme」(武装した人)はフランス、ルネサンス期の世俗音楽で、この時代の作曲家たちがしばしばミサ曲の旋律に使用しました。アムランさんの作品は、古い時代の宗教的な要素を持ちながら、現代的な感性を融合させたもののようです。

この日のトークセッションは、委嘱作品について…とあったのでもう少しいろいろ作品についてお話しされるのかなと思いましたが、具体的な作品についての説明はそれほど多くなく(まあ、もう翌日からコンテスタントたちが演奏するところですからね…)、彼のこれまでのキャリアや音楽についての考えなどが主に語られました。

作曲家として、影響を受けている作曲家は?という質問には、
「自分が正しいと思うものを音にしているので、基本的には誰かの影響を受けているということはない。でも、”オリジナリティは、そのルーツを隠すための最大のもの”といった人がいたけれど、これは真実かも」
…なーんて答えていました。

その他印象に残ったお言葉としては…
「散歩をしていて素敵な風景を見てアイデアを得ることも、自分にとってはピアノに向かう練習や作曲の作業と変わりない」
「技術の練習は””セルフ・ティーチング”。テクニック的な練習で大切なのは、できないことは何なのか、自分を知るということ」

それから、
「作品の中にある芸術的な苦悩を知ることは、作品を知るうえでとても大切なこと」
という話には、なるほど、作曲家ならではの説得力のある言葉だなと思いました。

ある作品を演奏するのに、その作曲家の生涯を知ることは当然意味のあることだと思うけど、「この作品を書いたとき彼はフラれて落ち込んでいた」とか、「結婚したばかりで浮かれていた」とか、演奏のために具体的になぜ知っている必要があるのか?それじゃあ現代の作曲家の作品を弾く時も、そういうことを知っている必要があるのか?と、ふと思うこともあるわけですが。

作品に反映される芸術的な苦悩を知るため、と思えば、書いたときの心理状態や人生の歩みという情報は、特に異なる時代の人間の書いたものを理解するうえで、有用な手掛かりの一つだよね、と改めて思ったのでした。

自分の作品が何百年もあとに弾かれていると思う?と聞かれて、アムランさんは、思わないよ~とくに望んでもいないよ~!と言っていましたが、本心なのかな。どうなんでしょう。
ご本人の「生涯」が、後世の人に根掘り葉掘り研究されることになるかもしれないことは、どう感じているのでしょう…チャンスがあったら聞いてみたいと思います。

前にこの質問を池辺晋一郎さんにしたら、「絶対ヤメテほしい!!」とおっしゃっていましたが。