スタインウェイの担当調律師、ベルナーシュさん


ここまでの記事でも触れた通り、ヴァン・クライバーンコンクールでは、スタインウェイのピアノのみが使われています。そして同じスタインウェイでも、タイプの違うニューヨークスタインウェイとハンブルクスタインウェイが用意され、各コンテスタントが自分のレパートリーなどを考慮しつつ、選択するスタイル。ラウンドはもちろんコンチェルトによってピアノを変えるコンテスタントもいますが、そこは、多くのピアニストがホールで弾き慣れ、信頼を寄せるスタインウェイのみの状態だからこそ気軽にできること、なのかもしれません。

今回は、ソロのみの予選とクウォーターファイナルまでがテキサス・クリスチャン大学(TCU)、コンチェルトも入ってくるセミファイナルからがバス・パフォーマンスホールと、途中で会場が移る形です。
そしてセミファイナルの会場ではまた別のハンブルクスタインウェイとニューヨークスタインウェイが用意され、事前に15分間のピアノ選定が行われました。

セミファイナル以降のピアノの準備と調律を担当しているのは、5年前同様、ニューヨーク・スタイウェイに在籍する、ベルナーシュさん。お話を聞こうと声をかけると、「去年の秋日本に行ったよ、内田光子の日本ツアーの調律を担当したんだ。隔離期間があったから大変だったけど」とのこと!
ここぞとばかりにその辺りのお話も伺いつつ、今回のピアノの特徴や調律において心掛けていることをお聞きしました。(ちなみにベルナーシュさんの予定が合わなかったこともあり、TCUではTCUの技術者さんが調律を担当していたそうです)

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Joel Bernacheさん

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–今回の2台のスタインウェイのそれぞれの特徴はどのようなものですか?

どちらも私が事前の準備をしたピアノですが、特にハンブルクのほうは新品だったので、調整にかなり手をかける必要がありました。
一般にも言われることですが、ハンブルクのほうは音がより早く出てくるというか、音がすぐによく鳴ります。
ただニューヨークのほうは、強くフォルテシモを弾いたとき、ハンブルクよりも大きな音…ブライトというわけではないんだけど、豊かなボリュームの音を鳴らすことができます。ただ、そのためには鍵盤をしっかり押し込まないといけません。
オーケストラとの共演もあるセミファイナルから、より多くのピアニストたちがNYのほうを選んだのは、そのためだと思います。

—特にモーツァルトの20番を弾いたピアニストが、もともとハンブルクを弾いていても、セミファイナルからNYを選んでいたのが興味深かったです。作品の性格を考えてのことでしょうか。

そうだと思います。おもしろいですね。
ちゃんと準備されたピアノならばどんなレパートリーにも合うように弾けるとは思いますけれど、でも、どちらもいいピアノだったら、より合う方を選ぶというのは当然だと思います。
今回はその多くがハンブルクスタインウェイが主流のヨーロッパや東アジアからのコンテスタントでしたから、音に慣れているということで、そちらを選ぶ人が多かったのは当然だと思います。セレクションの時間はたった15分ですし。それにハンブルクのほうが、クリアで透明感のある音がします。
NYスタインウェイは、たくさんの色彩を持っていますけれど、それがちょっと変わっている…直接的でない感じというか、フォーカスした音でないというか…でも、それをおもしろいと思う人は選ぶのでしょう。複雑な音を求めている人がNYを選びがちかもしれません。

—コンクールでピアノを調律するときに一番気をつけることは?

まずはパワーのあるピアノにすること。特にファイナルでは大編成のオーケストラとの共演になりますから。たとえどんなに美しい音がしても、どんなに上手に演奏していても、聞こえなければ何にも意味がありません。最大限に力の出せる楽器である必要があります。もちろん音が汚くならないギリギリのところで。それから予測を立てること心掛けています。

—ここは大きな会場なので大変では?

いえ、ステージ上ではけっこうよく反響してくるので、悪くないですよ。

—良い調律師に求められる資質はなんでしょうか?

オープンマインドであることですね。常に音楽家から学ぶ気持ちでいなくてはなりません。ピアニストが音楽的に気にかかっていると話すことは、技術的な視点から読み替えることがとても難しいこともあります。それでも、辛抱強くいられるようでないといけません。
私たち技術者は、それぞれに自分が普段やる手続やプロセスを持っていますけれど、ときには音楽的な問題をクリエイティヴなアイデアで解決するため、従来のパラメーターを外して考える必要があります。

—ピアニストからのリクエストは抽象的なこともあるでしょうね。

そうですね。一部の調律師は、そういう言葉をうけても、ピアニストは自分でも何を話しているのかわかっていないのだろうとまともに聞き入れずに済ましてしまう人もいます。でも私は、それは間違っていると思います。そういうピアニストは、単にその希望をどう伝えたらいいかわかっていないだけなのです。むしろ、そういう言葉を技術的な感覚に置き換えることも私の仕事の一部だと思っています。
そこには、かなりのクリエイティヴィティが求められますけれどね。

—昨年秋の内田光子さんの日本ツアーで調律をされたということですが、彼女のピアノを調律するのは大変ですか?

そうでもありませんよ、彼女は自分が欲しいものをはっきりわかっています。何をしたいかが決まっていて、音楽的なアイデアがとてもはっきりいているから、コミュニケーションもとても明快です。
私が特に気を遣っていることを一言でいうなら、ヴォイシングです。調律においてはもちろん全ての要素が重要ですが、一つの音から次につながるときも含め、クリアな音が持続するようなヴォイシングは、特に大切にしています。

—ところで、調律師になろうと思ったのはいつごろですか?

21歳のときでした。よくこういうことを言う人っていると思うけど、あとるき突然、これが私の仕事だ、って感じたんですよね。そしてそれは間違っていなかったということです。

—コンディションが難しいピアノを調律しなくてはならないときに一番大切なことは?

まずはとにかく落ち着くことです(笑)。

—パニックになってはいけない。

そう、それが第一。私がパニックになれば、私の周りの人がみんなパニックになっていきます、もちろんピアニストも含めて。
次に必要なのは、数分間とってプランをつくることです。作業を始める前に、自分がやろうとしていることは本当に意味があるかを考え、プランを立てます。その意味でも、とにかく落ち着くということが一番大事なんですね。