アーティスティックディレクター、イディトさんインタビュー


今夜いよいよファイナル最後の演奏があり、その後夜遅くに結果発表が行われますが、その前に、コンクールのアーティスティックディレクター、イディト・ズビさんのインタビューをご紹介します。一部ちょっと際どいコメントのような気もするのですが、せっかくお話ししてくださったので、結果が出る前に掲載したいと思います。

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─このコンクールの正式な名称は、「The Arthur Rubinstein International Piano Master Competition」ですね。この“マスター”という言葉にはやはり意味があるのですか?

このコンクールに出場することが許された全てのピアニストは、すでにピアノの“マスター”であるという意味が込められています。すでに演奏活動をしている人、演奏活動をするに値する能力を持っている人が参加するコンクールです。若くてもすでに世界で演奏活動をしている人もいますし、若いころに幸運を掴めなくて歳を重ね、今演奏活動をしている人ももちろん参加しています。

─イディトさんは審査員ではないとは思いますが、お聞きします。審査員の間に審査方針についての共通の認識のようなものはあるのでしょうか?

わかりません。一つ言えるのは、審査員はお互いに意見交換をしてはいけないことになっているということです。そして、私が彼らと一緒にいる限りは、彼らが何か一つの方針を持っているという印象はありません。誰か輝きをもったピアニストがいれば、審査員の意見はおのずと一致するし、それは同時に聴衆の意見とも一致するということなのではないでしょうか。前回のトリフォノフが優勝したときはまさにその状態でした。今回もそうなってくれるといいと思っています。

─そういう意味では、1次の審査結果は聴衆のリアクションとわりと重なっていた感じがしましたが、2次の後は結果発表のときにブーイングも起きるなど、そうでもありませんでしたね。それもあって、審査の方向性がどういうものなのか少しわからないなと思ったところがあるのですが。

それについては、単に2次になったときにはここの聴衆はすでに好きなコンテスタントに
気持ちが入っていて、よりエモーショナルな反応をしたというだけだと思いますけどね。それに対して、審査員はいつでも客観的で、できる限り専門家としての姿勢を保つべきです。ここの聴衆はとてもあたたかいですが、幸い専門家ではありません。聴衆が全員専門家だったら……むしろいろいろ難しいですよね。

─このコンクールにこんなにも実力のあるピアニストが集まるのはなぜでしょうか? 多くのいわゆる大きなコンクールは、旅費も宿泊もほぼ全部サポートしてくれるものが多いですよね。一方でこのコンクールは、コンテスタントは基本的には部屋を二人でシェアし、一人部屋を希望する場合は自己負担が必要ですし(※部屋にはアップライトピアノがあり、決められた時間内で練習できます。ホテルの部屋をシェアする場合は無料、一人部屋を希望する場合は1泊100ドル弱を自己負担するそう。2次に進んだら、一人になった者同士で部屋をまとめられますが、さすがにファイナルになると1人部屋になります)、音楽院での練習もほとんどアップライトピアノしかないということで、条件としてはなかなか厳しいところもあると思うのです。

そう? 一人の部屋を希望しなければ宿泊も無料で、わざわざ出かけて行かなくてもいつでも部屋で練習できて、友達もできるし、状況はとても恵まれていると思うけど! 多くの人がお互いを知っていますから、一緒に宿泊するのも問題ないでしょうし。とはいえ、普段グランドピアノに慣れていればアップライトで練習するのはちょっと辛いだろうというのは確かですね。ただ、そういう場合は、グランドピアノのあるショップやプライベートな家を見つけて弾かせてもらっている人もいるみたいです。旅費も、最高で500ドルサポートしています。
私たちは残念ながら36人分のグランドピアノを用意して部屋に入れることはできませんが、状況は回を重ねるごとにかなり改善されています。今回は、入賞者の副賞として、これまでで最も多くのコンサートを用意しています。入賞賞金だけがコンクールの目的ではありませんよね。コンクール事務局として海外のコンサートをアレンジするのは簡単なことではないのですが、できる限りのつながりを駆使してコンサートを作りました。
とはいえ私たちのコンクール事務局はお金がたくさんあるわけではありませんし、スタッフもたった3人しかいません。もしかしたら多くのコンクールほど十分なサポートはないかもしれない…それでもみんなが受ける理由は、なんでしょうね。いろいろなコンクールを見て比べているあなたにむしろ教えてほしいです。ホスピタリティと温かさ、でしょうかね。

─コンクールの規定について、前年の8月以降審査員の弟子である人は参加できず、さらに過去の生徒にも投票できないというのは、結構厳しいルールですね。自分の生徒には投票できないというルールはよく聴きますが。

私がこのコンクールに携わって11年ですが、このルールは以前からありました。この規定には、プラスとマイナスの面があります。プラスの面は、おかげで不正が行われないこと。ある審査員が、他の審査員の生徒に投票しなくては悪いかもしれない、投票しなかったら嫌われて自分を次の審査員に呼んでくれないかもしれない……などと感じて変な決断を下すことはなくなります。過去の生徒に対しては、もしも投票してもカウントされません。できるだけ審査をクリーンにする試みです。とはいえ、不正をしようと思えば方法はあるかもしれませんが、私はそんな審査員はいないと信じています。
マイナスがあるとすれば、審査員がみなすばらしい教育者であるために、すばらしいピアニスト達がたくさん参加できないということなのです。

─とても厳密なルールがあっても、どうしてもコンクールの結果が出たあとは審査の“政治”が話題になることもありますよね。

私自身に直接言う人はいませんが、このコンクールについてもそういう噂はあるのかもしれません。私が言えるのは、このコンクールには100%政治はないということ。なぜこんなことが言えるかというと、私は誰も疑っていないし、誰も疑いたくないからです。
審査員の先生たちはお互いに意見交換をしてはいけないことにはなっていますが、同じホテルに泊まって行動を共にしていますし、夜はバーで一緒に飲んだりもするでしょう。私はそこにいませんし、それを取り締まる警察がいるわけでもありませんから、何もできません。
それともう一つの問題は、誰も人の心の中は覗けないということです。誰かが、このコンテスタントは上昇志向のある人物の生徒だと思い、そういう上昇志向のある人物同士がつながっていれば……。14人も審査員がいれば、もしかしたら完全に正直でない人もいるかもしれない。わかりません。彼らはみんな人間ですから、いつでも完全に正しくいられないかもしれない。
私自身はいつでも正直でいたいと思っています。でも残念ながらすべてをコントロールできるわけではないのです。でも、このコンクールは他の某コンクールよりそういう噂が少ないと信じています。より大きいコンクールであればあるほど、やっぱり結果についてそういう噂が出てしまうものなのだと思いますが。
有名になればなるほど、敵は増えるものです。敵はみんな、相手を傷つけようとするものです。こんな話も聞いたことがあります。あるコンクールの事務局に、予備審査を通過したコンテスタントについて、その人は犯罪者だから参加させてはいけないというメールがとどいたことがあるそうです。その1席をとりたい別のピアニストの陰謀なのか、わかりません。こういう話は本当に嫌ですね。

─11年間このコンクールの歴史を見てきて、変化は感じますか?
このコンクールはもはや私の生活の一部のようなものです。でも、基本的にはコンクールというものは好きではありません。すばらしいピアニストと途中でお別れしなくてはいけないのは本当に辛いからです。そのため、せめてこのコンクールをできるだけフェスティバルの雰囲気にして、競い合うという空気をなくすよう心掛けています。ただ一人で練習して、一人で部屋で夜を過ごし、そのうえ結果もよくなかったなどという経験はしてほしくないのです。
室内楽を入れたのはここ数回のことで、管楽器との五重奏は今回が初めてです。室内楽の課題は、ピアニストの互いに聴く能力を確認することもできるうえ、演奏者にとってリフレッシュになるのではないかと思います。毎回新しいことを取り入れたいと思っています。

─今回は40周年ということで、何か特別なことはあったのでしょうか?
審査員はいつもより多く、2人コンテスタントを多く受け入れましたが、それ以外はほとんど同じですね。オープニングコンサートは豪華にやりました。それと、賞金は前回よりずっと上がりました。例えば前回は優勝賞金25000ドルでしたが、今回は40000ドルです。

─ルービンシュタインについて思い出はありますか?
とても良く覚えていることがあります。ニューヨークで勉強していた頃、彼がマスタークラスにやってきました。その中で話していたことのほとんどはあまり覚えていないのですが、その時の生徒に、「若者よ、恋をしなさい。そうすればあなたの演奏はずっと良くなりますよ」と言った、そのことだけはっきり覚えています(笑)。
それからイスラエルに移り、ラジオ局のプロデューサーとしてこのコンクールを録音していて、彼の奥さまにインタビューをしました。ルービンシュタイン自身はインタビューを嫌がったので。ルービンシュタインは、とても生き生きとした、人生を愛している人でしたね。すばらしい人物でした。