中村紘子さんの演奏(N響 ザ・レジェンドを聴きながら)


3月31日の夜にNHK-FMで放送された「N響 ザ・レジェンド」で、
戦後クラシック界を支えた日本人演奏家として、中村紘子さんが特集されましたね。
中村紘子さん16歳、振袖姿で参加したN響世界ツアーの演奏が少し紹介され、
あとは、30代の頃コンドラシンと共演したラフマニノフ3番、
そして若い頃から共演を重ねた指揮者秋山さんと、60代半ばに演奏したショパンの1番が放送されました。
10代、30代、60代の演奏をそれぞれ聴くことができた形です。
(ドナルド・キーンさんが、「彼女は一般の人に人気があるからとラフマニノフやチャイコフスキーばかり弾いていたけど、退屈だったのではないか」なんてインタビューで話している記事を見ましたが、ショパンの1番も相当な頻度だったでしょう)

評伝を書いていたときは、紘子さんが夢に出るほど録音を聴きまくっていましたが、
今夜はそれ以来で久しぶりに彼女の演奏を聴きました。
まったくの余談ですが、書いている間、中村紘子さんが夢に出てきた回数は2回。
1回目の内容は忘れましたが、2回目のときは、「なんか気持ち悪い」と言い出した紘子さんをおんぶして階段をのぼる…という内容でした。
起きたとき、なぜか使命を果たした感がありましたねー。

さて、中村紘子さんの演奏については、多くの方がそれぞれの印象をお持ちだと思います。
私も今夜は改めて、中村紘子さんの演奏はどうしてこのようだったのかということを考えていました。
(もはや演奏が好きだとか嫌いだとかいうより、考察の対象となりつつある…)

若い頃から晩年まで、いろいろな録音を改めて聴きなおした中で、
自分が心惹かれたもののひとつは、例えばもう本当にお若い頃、
ジュリアードに留学し始めたくらいのチャイコフスキーの録音。
力強い音にも、歌いまわしの揺れにも爽やかさがあって、なんだかいいのです。
あとは、やはりお若い頃の録音で、ショパンコンクール入賞直後、
コンクールの指揮者でもあったロヴィツキと共演したショパンの1番の録音。
ショパンの歌の揺れがやっぱり爽やかで、熟してきたあとの演奏とはまた違った感じ。

晩年の演奏でいえば、2014年に録音されたショパンのマズルカが良かったです。
中村紘子さんのショパンの演奏で良く聴かれる大胆なテンポの揺れが少し抑えられていて、
色々質素だった社会主義時代のポーランドっぽい(?)魅力というか、
何かそういう意外な表現に出会って驚きました。

…で、私、先ほどからショパンの演奏の揺らぎについて書いているのにお気づきかと思いますが、ここ、中村紘子さんの演奏について好みが出るポイントのひとつではないかなと思ったりします。
今回本を書く中、現役のピアニストの方たちはどうお考えなのだろうと思って、
ちょこちょこ、国内外問わず聞いてみたんですよ。
そうしたら、驚くことに。ちゃんと演奏を聴いたことがないという人がわりと多いんですよね。
評伝の中に登場する方でいうと、舘野泉さんや横山幸雄さんなどが一例。
そんな中、本をお読みの方もいると思うので改めてここには書きませんが、チョ・ソンジン君の中村紘子さんの演奏についての評は、なかなか興味深いものがありました。

もうひとつ、中村紘子さんの演奏といえば、高めの椅子に座って、上から華麗に鍵盤を叩く姿。改めてここも好みが出るポイントだろうなと。
評伝の中では、そのあたりについても人々の意見を求めているわけですが。
今日の放送でラフマニノフの3番を聴いていて、小さな手の持ち主だった中村紘子さんが大好きなロシアものを弾くにあたって、
めいっぱいロシアらしい華やぎを再現しようとした結果があの音だったのではないかなとか思いました。
…彼女は理想に向かっていつも戦っていたのかもしれません。

今日のラジオ放送では、ナビゲーターの檀ふみさんが池辺晋一郎さんに、
「紘子さんは旅行に二の腕を鍛える器具をお持ちになるとおっしゃっていたので、
ケンカしたら負けていましたよ」なんておっしゃっていましたが。
(「ケンカしたら」って、殴り合いのケンカってこと?? 笑)
とにかく色々な意味で、ご自分のキャパシティと求める理想の音楽のはざまで
最後まで試行錯誤をし続けていた方なのだろうと思いました。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売