スタインウェイ調律師さんインタビュー


さて、いよいよファイナルが始まりましたが、ここからが長い。
とはいえファイナルに入ると1日にピアノが弾かれる時間はぐっと減りますから、調律師さんたちにも少しだけ時間には余裕が出てくるようです(その分緊張感はアップするかもしれませんが)。
というわけで、各メーカーの調律師さんにお話を聞いてみます。

まずは今回スタインウェイの調律を担当している、
ウルリヒ・ゲルハルツ(Ulrich Gerhartz)さん。
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ゲルハルツさんは、ロンドンのスタインウェイホールのディレクター、そしてスタインウェイUKアーティストサービスのディレクターでもあります。
つまり調律師でありながら、普段からコンサートのアレンジやアーティストケアも担当しているということ。リーズ国際ピアノコンクールなどではひとりで両方の仕事をしているそうです。

で、私もこれまでさまざまな調律師さんとお話をする機会がありましたが、なんだかいままでにいないタイプでした。インタビューをお読みいただけば、おわかりいただけるかと思いますので、どうぞ。

◇◇◇

─コンクールのピアノを調律することの難しさはどんなところにありますか? やはり、コンサートでの調律とは違いますか?

違いますね。ピアノコンクール、特に1次や2次の段階では1日にたくさんの演奏が行われますし、そのそれぞれの演奏で、ピアノに普通のリサイタル以上の負荷がかかります。コンクールというのは、それぞれのピアニストが自分のできることを最大限披露しようとする場ですから。
今回のコンクールで本当に不運だったのは、イスラエル人作曲家による現代作品が、ピアノのイントネーションを損なうような書き方で作られた作品だったことです。フォルティシモの部分が多く、ピアニストが楽譜に書かれた通りに弾こうとするあまり、限度を越えた音を出そうとすることが多いのです。例えば、声楽家が1曲歌って声にダメージを受けるような作品を歌えば、その後声の調子は悪くなってしまいますよね。それと同じことです。
より成熟したピアニストたちは、ピアノにダメージを与えない限界を感じてそれ以上のフォルティシモは出しませんが。ピアノの音というのは、ある一定以上の音量になれば、必ず騒音になってしまうのです。
普段のリサイタルと違い、コンクールでは朝調律をして、2人のピアニストが2時間演奏したあと、少し調律の時間が与えられ、また再び演奏です。その限られた時間の中で、メカニック、音色、そしてもちろん調律をできるだけ良い状態に整えなくてはいけません。
そんな状況ですから、この現代作品が多く弾かれる日は、調律は狂わないにしても、一日の終わりに近づけば近づくほど音色が変わってしまいました。

─今回は、1次で36人中31人のピアニストがスタインウェイを選びました。そうなるとやはり、それぞれの要望に合わせるのというのは難しいですよね。

時間がありませんから不可能です。誰かに合わせてしまえば他のピアニストが苦しむことになります。できるのは、全員のコメントを聞いて、全員のプラスになるような状態に整えることです。まずは場所と音響に合わせ、続いてはレパートリーに合わせる必要が出てきますが、そこは多くのコンテスタントのレパートリーの傾向に合わせていくしかないのです。

─今回使用されているピアノは2013年製のハンブルク・スタインウェイだそうですが、このピアノのキャラクターはどのようなものですか?

豊かな音量と、基本的にクリアな音色を持っています。会場の響きはとてもドライで、ピアノの音をまったく助けてくれません。昨年12月にハンブルクで選定されてすぐにイスラエルに運ばれましたが、そこからはずっとテル・アビブのディーラーのショールームに置かれていました。5月8~9日にかけてホールに持ち込まれ、そこから11日のピアノセレクションまでに状態を整えなくてはいけませんでした。とても慌ただしかったのですが、しっかりと良い状態になったので、喜ばしく思っています。輝かしい音でありながら音楽的な部分を持っているピアノは、多くのピアニストにとってコントロールしやすいので、そういう音を目指しています。

─ステージが進むにつれてピアノの状態が良くなっているように感じます。

コンクールの期間は、一つのホールに置かれたピアノが数年間で弾かれるのと同じくらいの量使用されることになりますから、極めて特別な状況です。一日良い状態の音が保たれるように努力はしていますが、当然一日が終わると音が変わってしまい、それを毎朝もとに戻す作業をしていく中で、音がだんだん馴染んでくるのでしょう。

─ところで、コンクールでご自分が調律したピアノが弾かれているときはどのような気分なのですか? 緊張したりするのでしょうか?

私はこれまでたくさんのコンクールで調律を担当していますし、時にはアーティストケアまで自分で行っている立場なので、平静でいられますね。各コンテスタントの演奏を注意深く聴くようにしていますが、耳をフレッシュな状態で保つため、全ての演奏は聴きません。全員の演奏をすべて聴いてしまうと耳が疲れてしまいますから。
ごくまれにあるのは、ナーバスになるというより、怒りに近い感覚を持つことですね……。それは、自分の調律したピアノが、そのピアノが弾かれるべきでない方法で弾かれているときです。構造上それ以上押さえつけられるべきでない方法で鍵盤が叩かれたり、ピアニストがあるべきトーンを見つけられていなかったりすると、音はひどいものになってしまいます。そんなときの気分は最悪で、本当にガッカリしてしまいます。ピアニストに、ピアノから離れてほしいとすら思ってしまいます。私はそのピアノが持っている能力も、どう触れるべきかもわかっているわけですから。そのピアノが持つトーンを見つけてもらうことがとても大切なんです。
もちろん普段は、演奏、そして演奏家の傍でとても特別な思いで聴いていますよ。良い音を引き出してくれたときには最高の気分です。ピアニストが、そのピアノから良い音を引き出すことができる人かどうかは、そうですね……30秒見ていればわかります。

─ご自身でもピアノを弾かれるのですか?

私はもちろんピアニストではありませんが、毎日何時間もピアノの鍵盤に触れていますから、リーズ国際ピアノコンクールの審査委員長、ファニー・ウォーターマン女史にもタッチをほめられたくらいで。全ての音をしっかり整えるために、そして鍵盤の反応を確認するためには、繊細に鍵盤に触れる能力を持っている必要があります。

─……なにかこれまでインタビューしてきた調律師さんとは少し視点が違って、とても興味深くお話を伺いました。

そうですか。私は自分ができることをやっているだけなのですけどね! もうスタインウェイの仕事は28年やっていて、20年以上コンサートグランドピアノ関係を担当し、たくさんのアーティストと仕事をしてきました。自分が世話をしたコンサートグランドピアノは、私にとって家族のようなものです。それぞれに個性を持った彼らを最高の状態にしてあげることが私の仕事です。内田光子、アンドラーシュ・シフ……さまざまなピアニストがやってきますが、彼らピアニストのためにピアノに生命を吹き込まなければいけません。とても大変な仕事で、単純にピアノを調律するという作業を越えているような気がしています。

◇◇◇

…いかがでしょうか。

なんだかすごく、ピアノ目線なんですよね。
ピアニストのためにという想いは当然心の中にあるのでしょうけれど、なんだかどちらかというと、すごくピアノ寄りの目線なんですよね。
私も大音量で叩かれているピアノの音を聴いていると悲しくなるほうなんですが、ゲルハルツさんの場合は、もはやご立腹ということで。おもしろいなぁ。自分の家族がひどい扱いを受けているみたいな気持ちになるんでしょうかね。
10分ほどの短いインタビューでしたが、多くのことを語ってくださいました。

ここからは、室内楽、異なる2つのオーケストラとの共演が続き、ピアノにも細かな調整が加えられていくことでしょう。インターネットの配信だとなかなか聴き取り切れないものもあるかもしれませんが、ぜひその変化にご注目ください。