続いては、スタインウェイの担当調律師、アラ・バルトゥキアンさんのお話です。
今回スタインウェイのピアノは、1次予選で25人中11人のピアニストから選ばれました。ピアノは、モスクワ音楽院の先生であるアンドレイ・ピサレフさんとKonstantin Feklistovさんが、モスクワ音楽院大ホールに合うものを選定。この後はモスクワ音楽院の常設ピアノになります(チャイコフスキーコンクールの機会に新しいスタインウェイをホールに入れるということは、今までにもありました)。
今回アラさんは、はるばるオーストラリアからチャイコフスキーコンクールの調律のためモスクワにやってきました。アーティストサービス担当のゲリット・グラナーさん曰く、近いヨーロッパから誰か連れてきてもいいところを、わざわざ地球の反対側から丸一日かけて移動しなくてはならないアラさんにきてもらったのは、やはり彼が特別なベテランのコンサート・テクニシャンだからだとのこと。そんな大ベテランにお話を伺いました。
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Ara Vartoukianさん
この日はポロシャツですが、ファイナルになったらピシッとスーツでキメてました。
—モスクワ音楽院大ホールの音響は、どうでしょうか?
とてもおもしろいです。ピアノにとっては少し難しい会場です。そのうえ、審査員席はとてもステージに近く、響きの効果が入った音は聴こえない、ピアノを聴くのに理想的な位置ではありません。そこで今回のピアノは、審査員がクリーンに聴くことができるように、少しハードな音を目指しました。一方で、聴衆には丸くスムーズに聴こえる音になったと思います。
コンクールのピアノを準備するうえでは、まずチューニング、ヴォイシング、レギュレーションを整え、その上で審査員が座る場所、プログラムを気にかけます。例えば今回も、1次、2次、コンチェルトで少しずつピアノを変えています。
—特定のホールで音を調整していくときは、何を聴いて作業をしているのでしょうか?
ある部分は経験から作業をしていますが…まずはスタンダードな調整をしたあと、ピアノの音を聴き、また“ホールを聴く“といったらいいでしょうかね…ホールを聴いて、それにあわせて調整していきます。単に音楽的な音を目指すだけでなく、音楽家が音楽を創造する機会を与えるようなピアノを用意することも大切にしています。私の仕事は、ピアノ技術者として、ピアニストが最高の音や最高のタッチを生み出すための、すべての機会を届けることだと思っています。
—時々、ピアノ調律師さんの仕事はピアニストの精神面も支えることにあるだろうなと思うときがあります。ケアはどのようにしていますか。
これもまた経験から行なっていることです。経験を重ねていくうち、音楽家がステージに出る前にはどういう状態になるのかがわかってきます。彼らは緊張感を持ち、ステージに出る精神的な準備をして出ていきますが、私はその準備の一部となって、彼らに自信を与えなくてはいけません。ピアニストと話すときは、私たち自身も自分の仕事に自信があるというようでないといけませんし、それによって自信を与えなくてはいけません。
—コンクールの場合、特に今回のようにたくさんの人が弾くと、誰かの要望に合わせることができないかと思いますが、そこはどのように対応していますか?
そうですね、普通のコンサートでは一人のアーティストのためにピアノを準備できますから、その意味で違います。まず、すぐに自信が与えられるピアノ、すぐに楽に音楽を作れると思えるようなピアノにしておく必要があります。少し音量も大きく、明るく輝きがあり、座って弾いてみてすぐに自信が感じられるようなピアノですね。
その後、演奏するピアニストたちの要望を聞いて、その平均的なところに調整し、マジョリティにとって弾きやすいものにしていきます。すべてのピアノに元々の個性がありますから、いくらでも明るくしたり音量を大きくしたりはできませんが。
また、コンクールでは、作業が正確で早くなくてはいけません。2、3時間必要な作業のために、15分か30分しか時間がないときもあります。
—あと、コンクールという場だと、セレクションで選んでもらえないといけませんよね。
ええ、セレクションはとても重要な瞬間です。それもあって、最初の30秒で、楽で心地よいと感じられるピアノをつくらなくてはいけないのです。それは音楽的に最高の結果をもたらさないかもしれませんが、楽器を選ぶときにはそうでないといけません。特に、他にも選択肢があるコンクールのような場合にはね。
—ではやっぱり、コンサートとコンクールではピアノを用意する上で心がけることが少し違うということですか?
それはそうです。それこそが、コンクールの調律が特別な仕事であるといえるゆえんです。経験が必要となります。最初の頃は私も、先輩調律師について仕事のやり方を勉強しました。そして何年も経ってから、何をすべきか、ピアニストを心地よくするためにどうしたらいいのかがわかるようになったのです。
—最初にコンクールの調律の仕事を経験したのはいつでしょうか?
1981年のシドニー国際コンクールでした。当時私はとても若く、そこにいたたくさんの国際的な調律師たちと一緒に仕事をすることで、多くのことを学びました。今は私も、自分が作業している現場を若い調律師に見せて、同じように技術を受け継いでいけたらと思っています。自分が学んだ技術は、必ず次に受け継いでいかなくてはなりません。これは、私にとってとても大事な役割だと思っています。
—優れた調律師には、どんな才能が必要なのでしょうか。
まずはもちろん良い耳です。そしていくらかの音楽的な感性と、器用な手先も必要です。手作業がとても重要な仕事ですからね。書くことが得意な人、読むことが好きな人などがいるのと同じように、ときどき手作業が得意な人がいるでしょう。それぞれの才能だと思いますが、ピアノ調律士には、静かな人柄と、手先の器用さと、良い耳が求められます。
—コンクールでは、メーカーごとの割り振りで調律時間の制限がありますが、もっと時間が欲しいと思いますか?
そうでもありません。その時間でやらないとと思えば、その心の準備をして臨みます。もっと時間が欲しいと思ってしまうと、あれもできるかも、これもできるかもとやっているうち、やらなくてはならないことが逆にやりきれなくなるからです。いずれにしても、コンクール中、この高いレベルのピアニストたちに弾かれ続けることで、ほとんどのピアノは開かれていきます。ピアノは生き物です。実際に働いていることで、どんどん音が生きてくるのです。
—アラさんが目指す理想的な音を言葉で表現するとどんな音ですか?
それは説明が難しいですが…良いピアノは、子猫のように鳴き、ライオンのように吠え、それが簡単に切え替られるピアノです。また、音が均一であることも重要です。
ライオンが吠えるような音のときでも、音がきつかったり耳障りであったりしてはいけません。変貌もスムーズでないといけません。美しいパッセージが徐々にふくらんで、吠えたい時には、一瞬でも吠えることができる。それが理想的なピアノです。美しく柔らかい音が転がっていき、喜びにつながっていくようでないといけません。
—コンクールで成功するための秘訣のようなものはありますか? スタインウェイのピアノを優勝に導こう!みたいな気持ちってあるんですか?
…ないです(笑)。
—それはアーティストサービスのグラナーさんの仕事ですかね?
そうですね、私は最高のピアノを、ピアニストが自分の仕事をできるように提供するだけです(笑)。
(スタインウェイのピアノの演奏後のバックステージ、グラナーさんはいつも本当に丁寧にピアニストの要望を聞いていました)
—今回新たに中国の長江というピアノが加わりましたが、どう感じていますか?
新しいピアノが出てくるのはいいことだと思います。でも、それはユニークな楽器であるべきだと私は思います。このピアノがもっとユニークなものになってきたらいいなと思いますね。
—つまり、スタインウェイを追いかけたものではなく…?
はい。スタインウェイのピアノのコピーのようで、ユニークさがまだあまり感じられませんね。そこから抜け出した時の音を聞いてみたいです。今回の他のピアノ、ファツィオリ、ヤマハ、カワイはみんなユニークな音を持っています。音の出方など全部違うので、聴いていても楽しいですよね。技術者としては、何かの真似をしているピアノを聴いていてもあまりハッピーではありません。この業界の発展のことを考えても。
—ご自身でもピアノを弾きますか? ピアノが演奏できるほうが調律師として良いと思いますか?
私は若い頃はピアノをたくさん弾いていました。でも技術の仕事をはじめて、趣味で時々弾くくらいになりました。若いころから音楽は私の人生の一部ですので、楽器に関わる仕事を続けています。ピアノが弾けることは絶対に必要なことではないと思います。私の師匠にはピアノがまったく弾けない人もいましたが、優れた歌い手で、音楽的な感性は持っていました。ただ、ピアニストが音への要望を伝えてきたとき、ピアノが弾けたほうが、何を意味しているのか理解することは簡単にはなると思いますね。必要ではないけれど、理解をするのが楽にはなるでしょう。
—調律師をやっていて一番幸せだと感じるのはどんなときですか?
客席に座って、私が調律したピアノによる美しい演奏を聴いているときです。もうそれに限ります。
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コンクールの調律の現場を初めて体験したのは1981年だという大ベテランのアラさん。バックステージで会うと、いっつもにこやかでフレンドリーな感じ、でもなんだか落ち着いていて優しげなおじさまです。調律師には静かな人柄が求められるというのを体現しているような雰囲気。
理想は、「美しく柔らかい音が転がっていき、喜びにつながっていくピアノ」…!その表現がとても詩的だったのも印象的でした。