審査員に突撃してみた


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今回のコンクール中、ずっと考えていたことがふたつあります。
ひとつは、このコンクール、ショパコン、チャイコンやエリザベート、クライバーンのように、いわゆる優勝して一気に有名になったりマネジメントがついたりするコンクールではないのにどうしてこんなにすごい経歴の参加者が集まるのだろう……ということ。もちろんこれが重要なコンクールであるのは間違いありませんし、副賞ツアーも充実していますが、一部、ここでさらにタイトル取る必要あるのかなという経歴の人もいたような気がしまして。
実際やって来て、参加者に対するサポートも(すごくあたたかいホスピタリティの気持ちはあるとはいえ、物質的な意味で)充実しているとはいえない状況、メディアへの露出も他の主要コンクールに比べてほとんどないという状況で、ますますその疑問は深まるのでした。
やっぱりコンクール審査員業界のドン(?)であるヴァルディ先生がやっているコンクールだから、声をかけられて参加するピアニストもいるのかな……そしてさらに、民族や宗教といういろいろな状況にまで考えは及びました。推測の域を出ないので、ここで具体的に書くことはしませんが。

そしてもうひとつ考えたのは、審査員の顔ぶれについて。
コンクールの取材をしていると、どこに行ってもお会いする主な審査員の先生方が一定数いて、そのメンバーのいろいろな組み合わせプラス地域ならではの審査員という顔ぶれのことが多いなと思います。ここでも半分はいつもの先生方大集合という感じでした。
いつもお会いする審査員の先生たちはおもしろい方が多いので、あちこちでお会いできるのは楽しいのですが、ふと、これってこの固定メンバーから好かれていない種類のピアニストは、どこに行っても優勝しにくいんだろうな……という考えが頭をよぎりまして。
芸術の世界にひとつの答えはない。そんな中で、ピアニストが世に出る大きな足掛かりのひとつである大きなコンクールの世界がこの状況というのは、果たしてこの業界の発展にとってどうなのかねぇ、という疑問が頭の中で渦巻いておりました。スポーツの審判のように資格が必要なわけでもありませんし。

似た審査員同士があっちでこっちで招きあっていると、お互いの趣味や思惑もわかってくるし、どんどん変なつながりが強くなったりするんじゃないかな、中でも強い力を持つ人物が出てきたりするんじゃないかな……なんていう疑念まで頭をよぎりました。最初は純粋に審査をしていた人も、長く続けていけばだんだん考えが変わってきてしまうのではないかとか。もちろん、そういうことに巻き込まれずに審査をしている先生もたくさんいると思いますし、あるところで審査員を一新するコンクールなんかもありますが。
「権力は人を変えるものですよ」と、大学院のインド研究時代にお世話になった教授が言っていたことを、ふと思い出してしまいました。
(ちなみにこの発言が出たシチュエーションは、こうです。当時大学教授による学生へのセクハラ&アカハラ問題が取りざたされていて、この先生は女生徒が教官室を訪ねると必ずドアを開けておくよう指示するのでした。しかしこの先生、寡黙で真面目、いやらしげな気配は皆無の初老の男性なので「先生のような方のこと、誰も疑いませんよ」と言ったところ、この「権力は人を変える」発言が出たのでした。誰もが真面目と思う人間も、立場が変わればどんな心理変化が起きるかわからないと思っておかねばならないという忠告。深いなと思いました。…あ、脱線しすぎましたね)

さて、話がだいぶ逸れましたが、審査員の先生方のお話を紹介しましょう。
驚きの結果発表後、夜も遅く、ちょっとみんながざわついている空気の中での、短時間立ち話インタビューです。今回の審査員の中でも私が最もよく遭遇する3人の先生方にお話を聞きました。
ちなみにファイナルの審査方法を見ると、元弟子がファイナルに残った審査員は投票できないとあります。1位から順に、各審査員が当てはまると思うコンテスタントに投票し、半数以上を得るコンテスタントがいない場合は、得票数の多い2名に再投票を行います。これを、1位、2位、3位と順に決めていくということです。基本的に、ファイナルの室内楽、2つの協奏曲を総合して判断することになっていると聞いています。
つまりこの規定からいくと、ヴァルディ審査員、カプリンスキー審査員は投票できず、12名の審査員で投票が行われたということになりますよね。本当か!? 確認すればよかったな。ということで、ただ今確認中です。いつ返事がくるかわからないので先に記事をアップしちゃう。
それとひとつ付け加えると、このコンクールの予備予選は書類審査のみ。実演オーディションはもちろん録音の提出はなく、コンクール入賞歴と推薦状のみで、36人の参加者が選ばれました。大きなコンクールで、今どき珍しいです。

さて、コメントに移りましょう。まずは、ヨヘヴェド・カプリンスキー審査員。
ここ最近を振り返ると、去年のヴァン・クライバーン、直後の仙台、そして今回と続けてお会いしています。物事を明晰に分析し、いつも、なるほど……と思うご意見を聞かせてくださる、とても聡明な女性です。ジュリアード音楽院ピアノ科の長でいらっしゃいます。イスラエル人である彼女は、このコンクールでは第10回(2001年)から毎回審査員を務めていらっしゃいます。

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─結果について、いかがでしょうか?
結果は審査員全体の意見を代表したものです。ある人はそれに満足しているでしょうし、そうでない人もいるかもしれません。みんながとても僅差のレベルで演奏していましたから、結局は誰がファイナルでうまく生き残ったかが勝敗を分けたと思います。多くの聴衆は違う意見を持っていたかもしれませんし、ジュニア審査員も違う考えを持っていました。一部の審査員も違う意見を持っているかもしれません。
私としては、6人のファイナリストがみな良いピアニストで、これからも成長してくれる可能性を持った方々だったことをとても嬉しく思っています。
─審査員の先生方の間には、こんな人を選ぼうという共通の認識はあったのでしょうか?
私たちは結果を出したわけですから、それは共通の認識を持っていたということを意味していると思います。でも、事前に審査基準を合わせるということはしていません。審査とはそうして行われるべきものであって、そのために、異なる音楽の聴き方をするたくさんの審査員が集まっているのです。
─このコンクール中考えていたことがあります。カプリンスキー先生はじめいろいろな審査員の先生方と多くのコンクールでお会いしますが、それは多くのコンクールで審査員のメンバーが似ているということじゃないのかなとふと思ったのですが、どういうお考えをお持ちですか?
私は全部のコンクールで審査しているわけではありませんよ。
─……そうですね、たまたま私がよく会うというだけで。
ええ、それに、どのコンクールでもいつも違う人とご一緒しますし、今まで会ったことのない方と審査をすることもたくさんあります。このコンクールでもそうですが、自分の生徒に投票することはできません。初めて聴くコンテスタントにも出会います。例えば今回のファイナリストのうち、スティーヴン・リンとマリア・マゾ以外は初めて聴くピアニストでした。そして前に聞いたことのあるピアニストの演奏も、その場所にあるものを聴いているだけで、3年前にそのコンテスタントがどう演奏していたかを聴いているのではありません。例えばマリアのベートーヴェンのソナタは9年前にも聴いたことがありますが、そのときと比べて信じられない進歩をみせていたことに驚きました。
聴衆の皆さんにもう少し信じてほしいと思うのは、私たち審査員は若いピアニストたちのことを大切に思っているということです。それぞれが全力で審査をし、できるかぎり良い審査のメカニズムを取り入れようとしているのです。みなさんが結果を不服だと思っているときには、私たちも結果に不満だと思っていることもあるのです。

◇◇◇
カプリンスキー先生的にも、やはりちょっと納得いかない結果だったのでしょうか。そして最後の質問のとき、いつも穏やかなカプリンスキー先生が少し語気を強めてお話しされていたので、おっと、この質問は地雷なのか……?と思いながら、次の審査員に突撃です。

審査委員長のアリエ・ヴァルディ先生。ヴァルディ先生も、一昨年の浜松、去年のクライバーン、そして今回と、コンスタントに毎年お会いしています。

─優勝したバリシェフスキーさんについての印象をお聞かせください。
彼はとても真面目な音楽家です。正直で、アピールしようとしたり、媚びへつらうこともなく、ショーマンシップもありません。誠実さと深みを持つアーティストです。彼のそういう姿勢を尊敬しています。彼がステージ1で弾いたムソルグスキーの「展覧会の絵」は、多くのエネルギーとファンタジーが込められていて、私がこれまでに聴いたこの作品の演奏の中でも最高の演奏のひとつだったと思います。
─今回のこのコンクールで求めていたピアニストは、どのような人だったのでしょうか?
どのコンクールでも同じです。私たちを、笑わせ、泣かせてくれる、本物のアーティストです。鍵盤弾きでも、単なるヴィルトゥオーゾでもない……もちろんヴィルトゥオーゾであることは邪魔にはなりませんが、本物のアーティストを探しているのです。
─次の質問ですが、これをお聞きしても気分を悪くされないでほしいのですが……。
ええ、どうぞ。
─いつもいろいろなコンクールの会場でお会いできるのはすごく嬉しいのですが、それは、多くの有名なコンクールで主要な審査員が似たメンバーだということじゃないかとふと思ったのです。どうしてそういうことになるのかなと考えました。世界にはたくさんの教育者もいますし、それに……
第1回のルービンシュタインコンクールでは、ルービンシュタインが審査員でした。これまでにはミケランジェリやニキータ・マガロフもいました、そうやって始まって、今があるというだけです!
─ただ考えたのが、たとえばあるピアニストが主要審査員の気にいるタイプでなかったら、その人はどのコンクールでも優勝できないということになるのかなと、ちょっと思ったのですが……
……はい、ありがとう。

◇◇◇
歩きながらのインタビューで、すでにレセプションの会場の前に到着していたということもありますが、こうしてインタビューは打ち切られました。というわけで写真も撮れず。
ヴァルディ先生の反応に、わたくしけっこうびっくりしました。先生的に答えるのに居心地の悪い質問だったのかもしれませんけどね、でも、今後の国際コンクールがどうなっていくのかについての結構重要な質問だったと思っていたのですが……。
でも、めげずに次の審査員にアタックです。

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お次は、振り返って多分一番いろいろなコンクールでお会いしているような気がする、ピオトル・パレチニ先生。審査員席にお顔を見つけるとホッとする人です。会場でボソッとこぼす愚痴のようなコメントがいつもおもしろいので、見つけるとつい声をかけたくなってしまいます。写真を撮るというとサササとこの横分けヘアーを整えるのもいつも同じ。安心します。
ちなみに、このコンクールの入賞者は、パレチニ先生が芸術監督を務めるドゥシニキのショパンフェスティバルでのリサイタルに出演することになっています。

─あ、パレチニ先生! コメントをお願いします。
あ……ちょっともう帰ろうかなと思ってるんだけど。
─少しでいいので。結果についてはどうでしたか? 正直言って私はびっくりしましたが。
そうだね……それでちょっとあんまり話したくないんだけど……。なんていうか、結果は受け入れますよ。審査員の一人として受け入れなくてはいけないですから。私が気に入っていたのは他の人だったんだけどな、というだけです。ショパン賞も、私が良いと思ったのは別の人です。結果は14人の審査員の決断によって出すものですから、審査員になることを承諾したということは、全員で決断をすることを承諾しているということですので。
─審査員のみなさんの間で、「成熟した人を」とか、「若くても可能性のある人を」とか、そういう共通の認識のようなものはあったのですか?
ありません。それぞれが同じ重さの投票権を持って、単に良かったと思う人をそれぞれが選んだだけです。その中に政治的な何かが働く可能性もあるかもしれませんが、もちろんそれはあるべきでないと思っています……。ごめんね、ちょっと行かないと、おいて行かれちゃう。
─あとひとつだけ聞かせてください。このコンクール中ずっと考えていたことです。この質問をして怒らないでほしいんですが……さっきヴァルディ先生をちょっと怒らせてしまったかもしれないので……。いつもお会いできて楽しいのですが、それってメジャーなコンクールで多くの審査員が同じメンバーだということなのかなと思ったのです。世界にはたくさん優れた教育者がいるのにどうしてこういうことになるのでしょう。たとえばこういう人気の審査員たちが好かないタイプのピアニストは、どこのコンクールに行っても勝てないということになるのかな、なんて。
そんなことはないですよ。審査員はいつだって意見が変わります。レパートリーによってだって印象は変わりますし、ピアニスト自体も成長してどんどん変わっていきます。コンディションもその時によって違います。なので、そのことについては私は問題があると思っていませんね。例えば今日結果に納得していなくても、もしかしたら明日には納得しているかもしれない。1次ではすごくいいと思った人を、2次では全然良くないと思うかもしれない。そんなに大きな問題ではないと思います。
─なるほど。あとはコンクール同士の協力関係というのも、コンクール界を盛り上げているところはあるかもしれませんよね。優勝者が他のコンクールの予選免除をもらえるとか。
そうそう、たくさんのコンクールがあって、参加したいというピアニストもたくさんいて、コンクールは成長していると思いますよ。

◇◇◇
これまでいろいろなコンクールでパレチニ先生に話を聞いていますが、なんだか結果に不満そうなことが多いような。しかも結構、私が思っていることと意見が合う。そしてそれをあまり言葉を濁さず、正直に言ってくれるところが好きです。

ところでコンクールでよく持ちあがる話ですが、審査員の弟子だから……みたいなことは、言うだけナンセンスなんだろうなと最近思うようになりました。問題はもっと違うところにある。
いろいろなコンクールで見かける先生方は優れた教育者だから、優秀な生徒が集まり、上位に入賞している。それだけのことです。それに、出場しているピアニストには何も悪いことはないですもんね。

ただ、先にアーティスティックディレクターのイディトさんにしたインタビューで話に出てきた「ある審査員が、他の審査員の生徒に投票しなくては悪いかもしれない、投票しなかったら嫌われて自分を次の審査員に呼んでくれないかもしれない……などと感じて変な決断を下す」。こういう考えが働いて、さらにはその想いがつながってしまった場合は、最悪ですね。弟子に限らず、好き/嫌いなピアニストでも当てはまる話だと思いますが。

嫌なことを言うようですが、この世の中のシステムはある意味で平等なんかではない。その優位な立場を手に入れる運や頭の使い方も実力のうちといえるのではないかと思います。ズルは大嫌いですが、それをする人が存在するのは避けられません。世の中そういうことになっている。そして、そうやって何らかの幸運が巡ってきた人がその運を使うのは当然でしょう。
(とはいえ、今回のコンクールの優勝者が何かがあって決まったと言いたいわけではありません!! なんだか今回はいろいろな状況が相まって、そういうことを考えてしまったというだけです。)

とにかく今強く感じていることは、そういう妙な駆け引きに巻き込まれたり、利用されたりして辛い思いをする若いアーティストが出るということだけは、どうかやめてほしいということです。それは結果が良くなかった人かもしれないし、逆に例えば優勝した人でさえ、結果的に辛い目に遭わされることもあるかもしれない。まあ、私なんかが何をここで書いても何も変わりませんけど、そんなことをふと思った今回のコンクールでした。

というわけでなんだか長々暗いことを書いてしまいましたが、この件についてはまたどこかでいろいろ考察して書いてみたいと思っています。
この後このサイトでは、再びゆるやかに、コンクールにまつわる人々や、できればテルアビブやエルサレムの街について書いていみようと思います。