テルアビブの思い出


さて、テルアビブの話を少々。ただひたすら、つらつら綴ろうと思います。

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イスラエルの人はとにかく話好きです。
通路をふさいで話し込むこともしばしば。開演前、終演後の通路や出入口での人の詰まりっぷりは尋常じゃありません。ホールの構造の問題もあるかもしれませんが、原因はだいたい立ち話だと私は思います。
そして、とにかくすぐ人に話しかける。アメリカ人とかもそういうところはありますけど、ああいう社交辞令的な感じではなく、もっと、ぐいっと近くに入って話しかけてくるという印象。
私もこれまで数々のコンクール会場でコンテスタントに間違われてきましたが、今回ほど何度も演奏をほめられたことはありません。
……つまり、「あなた、この前の演奏すばらしかったわよ~」と声をかけられるわけです。もちろん、弾いてないんですけどね。誰と間違えているのかもわかりません。そして、違いますよ、から延々続くおしゃべり。
ホールやショッピングモール、どんなところもセキュリティチェックは徹底していて、必ず荷物検査があります。毎日通ったホール入口の警備のおじいさん、数日たったころには顔パスで通してくれるようになりましたが、1週間ほど経ったら「一緒に写真を撮りたい、明日は撮ろうね」と言い出しました。結局毎日、明日明日と言いながら写真は撮りませんでしたが、あのおじいさんもきっと自分をピアニストと間違えていたんだろうな。かわいそうに。

そしてセキュリティチェックといえば、空港での問題です。
ご存知の通り、イスラエルは近隣地域や国家間の政治的、宗教的な問題を抱えている国ですから、空港のセキュリティも厳しいと言われています。
入国審査もさぞかし厳しいんだろう……と思って臨みましたが、こちらはすんなり。イスラエルに入国した形跡があると一部中東諸国に入国できなくなるということで、パスポートに直接出入国のスタンプが押されることはなく、許可証が別紙で手渡されました(このシステムはその時々で違うみたいですが)。事態は本当に深刻なんだよなぁと実感する出来事です。

一方、セキュリティチェックについてはむしろ出国のほうが厳しい、3時間前には空港に着くようにとガイドブックにはあります。
出国ゲートに入るところのチェックでは(イミグレーションの窓口ではない)、今回はどの町に行ったのか、何をしていたのかを聞かれました。中途半端に観光だとか言って「3週間もテルアビブにしかいなかっただなんておかしい」とつっこまれると面倒くさいので、「仕事でピアノコンクールを聴きに来ていました」と言うと、係員の若いおねえさん、「あ、ルービンシュタインコンクールでしょ」、と、コンクールを知っている模様。一般の人で知っているイスラエル人に会ったのは初めてです。
おねえさん「日本人は出ていたの?」
私「はい、5人」
おねえさん「彼らの結果は良かった?」
私「ファイナルには残らなかったです」
おねえさん「その日本人の中には、世界的にも有名なピアニストも含まれていたの?」
私「……え?」
と、最後は、なんとも言えない角度からの質問をされて、このチェックは終了。その後通過するイミグレーションの担当官とは、一言も言葉を交わすことなく、スルー。

ただし、持ち込み手荷物検査はかなり綿密で、鞄は一つ一つポケットをあけ、小型の金魚すくいの棒みたいなものでコシコシくまなくこすり、はさんであった薄い紙を取り外して機械にかけて、何かを検査していました。私の場合はあまり面倒なことは起きませんでしたが、当たる担当者によってはいろいろあるのかも。できるだけ疑惑がかかりそうなものは持ちこまない方がよさそうです。
ちなみに、何のチェックもなく預かってもらえたスーツケースの方は、鍵をかけないようしつこく言われます。とくにそこで説明はありませんでしたが、この預け荷物はひとつひとつ開けられ、中身をチェックされている模様。おみやげなど包装してあっても開けてチェックした形跡がありました。この作業には相当な時間がかかると思われ、そのためもあってみんなに早く空港に来るよう言っているのでしょう。
私の荷物はそれほど調べられた様子はありませんでしたが、同じ便に乗っていた調律師さんは、調律工具の入ったスーツケースの荷物のポジションが全部変わってる!と言っていました。確かに調律師さんの工具、アヤシイもんね……。

さて話は変わって、今回の滞在中に食べていたもの。

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シャクシュカ。
これが一番食べた回数が多かったかも。イスラエルのとても一般的な家庭料理のようで、宿泊先が提携しているカフェの朝ご飯メニューでした。トマトの煮込みに卵が落としてある。一見こってりしているように見えますが意外とサッパリ味なので、朝からでもすんなり食べられました。

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インドカレー。
ホールの向かいにあったインド料理店のカレーです。味はまあまあですが、お店のインド人は優しかったです。
ところでユダヤ教では乳製品と肉類を一緒に食べてはいけないということで、普通のレストランのメニューにもそういう配慮がなされていることが多いようです。例えばチーズのかけてあるピザにソーセージ類が乗っていることはありませんし、クリームパスタの具材は野菜でした。
カレー屋ではメニューをじっくり研究しませんでしたが、やたら品数が少なかったのは、おそらくクリーム系のカレーに肉類の具は入れられないからなのかな、なんて思いました。それもあって、このカレーも味がやたらアッサリしていたのかも。

夜はほとんど部屋で食事をしていましたが、一度伝統的なイスラエルスタイルのレストランに連れて行ってもらったことがありました。

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前菜として小皿料理が並び、まずはこれをみんなでわーわー喋りながら好きなだけ食べます。酸味のきいたサラダ類や、フムス(にんにく、ゴマ風味のヒヨコ豆ペースト)などを、ピタパンと一緒に。小皿が空くと次々追加されるので、ここで食べすぎるとメインの頃にはお腹いっぱいになるから気を付けて!と、自分はバクバク食べまくる地元のおじさんたちに散々注意されながら、食事は進みます。

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そしてようやく出てきたメイン。魚です。大きい!
レモンとの比較からしてそんなに大きくないじゃない、と思うかもしれませんが、このレモンがまた巨大なのです。半分に切った状態で、ゲンコツくらい?

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食事が終わると、お皿をこれでもかというほどに重ね、鮮やかに運び去ってゆきます。これがこのお店だけの習慣なのか、イスラエルのレストランの習慣なのかは、よくわかりません。

続いて、会場で見かけたさまざまな風景。

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ステージ1から室内楽までが行われたホールの、コンテスタント控室。
キーボードが置いてある控室というのは初めて見ました。実際みんな使うのかな?

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海外メディアのコンテスタントに対する取材はあまり見かけませんでしたが、演奏をラジオで放送している国はありました。こちらは、ホールの映写室に陣をとっているロシアのラジオ放送チーム。来年の主要コンクールも全部放送する予定なんだ、と意気込んでいました。

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スタインウェイのアーティストケア担当、ゲリット・グラナーさん。大事なピアノの鍵とともに。最終ステージでファツィオリへの変更が続き、いろいろ大変な思いをされたことでしょう。最後はドミノ倒しのようだったよ……なんてつぶやいていました。ただ、一人残ったオソキンスさんの音で「やはりスタインウェイの音はいいと思ってくれた人がいて、違いを証明できたはず」と、自分たちのピアノへの自信と誇りが感じられる言葉を残してくれました。

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一方こちらはファツィオリのアーティストケア担当、福永路易子さん。1次からファツィオリを弾いていたキム・ジヨンさんとともに。2次結果発表の後の写真です。
コンテスタントたちがグランドピアノで練習できない状況の中、当初ファツィオリを選んだ人が少なかったという利点を逆に活かし、地元のファツィオリ所有者を見つけて練習室を手配し、ピアニストに良い環境を用意しようと奔走されていました。最後は相次ぐファツィオリへのスイッチで、調律の越智さんとともに、これまた大忙しだった様子。
それにしても、声をかけて、場所を貸していいよと言ってくれるファツィオリ所有者がそんなに何人もいるテルアビブ、すごいなと思いました。

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室内楽の演奏後、チョ君ラブ状態だったヴィオラのGlid Karniさん。愛用の楽器は、フィラデルフィア在住の日本人弦楽器製作家、飯塚洋さんが製作したものなのだそう。イイヅカの楽器はすばらしくて、僕の多くの生徒たちも使っている、とおっしゃっていました。

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そんなチョ君の室内楽終演後。
惜しくもファイナル進出のならなかったコジャクさんやソコロフスカヤさんが、バックステージに祝福を伝えに来ていました。若いピアニスト同士、こうやって交流が結ばれてゆくのもコンクールのいいところ。
ちなみに次に進めなかった人について、宿泊は、結果発表当日の夜の分までしか用意されていません。彼らはどうやら応援してくれていた一般の人がたまたま声をかけてくれて、そのお宅にしばらくホームステイしていたみたいです。
テルアビブの人たちは、おしゃべり好き、そしてお世話好きで人情たっぷり。このコンクールはこうして地元の人たちに支えられながら、今年で40周年を迎えたのですねぇ。