番外編 エルサレムへ


ずいぶん時間が経ってしまいましたが、
せっかくなので、エルサレムぶらり旅の様子を、ゆるやかにお伝えしたいと思います。

すべてをにわか知識に基づいて綴っていきますゆえ、間違って解釈していることや、宗教的に失礼な表現があったらごめんなさい…。

さて。
テルアビブ市内からエルサレムに行くには、電車とバス、二つの方法があります。
電車のほうが本数も少なく時間もかかるようなので、シェルートと呼ばれる長距離バスで行くことにしました。
バスは日中なら20分おきくらいに出ていて、所要時間は1時間弱くらいでしょうか。
今回、日本人の関係者の方から借りた某有名ガイドブックをたよりにエルサレムに行こうとしたのですが、なんともはや、これがまた、かゆいところに手の届かない内容(借りておいて言うのもなんですけど)。
ガイドブックには、このシェルートがテルアビブのどこから出ているのか、イマイチはっきり書かれていない。まあ、セントラル・バス・ステーションに行っておけば確実なのかなと思って行ってみたら、やはりそこからエルサレム行きの高速バスが出ていました。
ただし、どうやらエルサレム行きのバスが出ている場所はこのほかにもある模様。というのも、帰りにエルサレムから乗ったバスは、テルアビブ市内の鉄道駅前の別のバス・ステーションに到着したので。

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テルアビブのセントラル・バス・ステーションの建物は、5階建てです。
建物に入るときは例によってセキュリティチェックがあり、エルサレムに行きたいと言うと、乗り場は5階だよと言われます。バスなのに5階から出るのか…と思いましたが、実際そこからバスは出ていました。
チケットは事前に窓口で買うこともできるようですが、そのまま乗り場の列に並んで、運転手さんにお金を払うのでも大丈夫です。バスの中ではwifiもつながります。

乗ること1時間、エルサレムのセントラル・バス・ステーションに到着。しかしここで再び某ガイドブックがかゆいところをかいてくれません。
観光の中心であるエルサレムの旧市街は、このバス停からまあまあ離れたところにあって、タクシーまたはトラムで移動する必要があります。
が、このトラムの乗り場がどこにあるのか、どっち方面に乗ればいいのかなど何も書いていないんですね。まあ、そこらへんにいる人に聞けばすむことなんですが、だったらガイドブックいらないだろ、みたいな。

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人の流れにのって探り探り外に出ると、道を挟んだ向こうのほうに、なんとなくトラムの駅らしいものを発見。人に聞いてホームを確認し、切符を購入。やっと目的地に着くことができました。
いろいろ不安な人は、時間さえ合えばツアーで来た方がいいのかもしれませんね。

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旧市街に一番近いトラムの駅は、北部に位置するダマスカス門の近くにあるので、そこから中に入っていきます。
城壁に囲まれたエリア内は、ムスリム地区、アルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ人地区に分かれていて、歩いていると雰囲気が変わってゆくのがおもしろかったです。

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特に最初に通過したムスリム地区は、お土産物屋やスパイス屋、道に座って野菜を売るおばさんなどがたくさんいて、聖地というより市場に迷い込んだかのような印象。礼拝の時間を告げるアザーンが響き、なんとなくインドにいたときのことを思い出して懐かしい気持ちになります。

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細い路地が入り乱れているので、とにかく迷わないように必死です。というのも、やはり聖地、ふと気づいたら入るべきではない場所に入っていたらと思うと怖くてね。多分、初期のインド旅行のとき、イスラム教のモスクの入口で突然怒鳴られた何度かの経験が、トラウマ的なものになっているのでしょう。エルサレムでも、すべての宗教に対してよそ者であるという自覚が、なんとなく緊張感となってじわじわと自分を疲れさせます。

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とにかく迷わないように必死なため、イエスが十字架を背負って歩いた「ヴィア・ドロローサ」も、その足跡をたどるどころか、ガッツリ逆流して歩いていました。すると、遠くのほうでこちらを見ている人の気配が……。

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なんたる偶然、マルチン・コジャック君!
この日の夜の便で発つ予定ということで、それまでの時間でエルサレムを訪れることにしたそうです。世界にはいろいろなキリスト教徒さんがいらっしゃる中で、ポーランドの人たちってかなり敬虔ですよね(もちろん個人差はあると思いますが)。初めてポーランドに行って彼らと触れ合う機会があったときに、びっくりした記憶があります。
きっとコジャック君にとってもここを訪れるのは特別なことだったでしょう。テルアビブで会ったときはちょっと心配になるくらい常にハイテンションでしたが、この日はさすがにおとなしめでした。ま、疲れていただけかもしれませんが。

続いてたどり着いたエリアにあるムスリムの聖地「岩のドーム」には、異教徒は立ち入ることができません。モスクと岩のドームにつながる小道、誰も止める人がいないのでずんずん進んでいくと、最後のゲートのところに立つ銃を持った兵士に、ちょい遠めから無言で首を横に振られました。こういうの、怒鳴られるより怖かったりします。

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そのすぐそばには、ユダヤの聖地「嘆きの壁」。イスラム教の岩のドームがあるのはかつてエルサレム神殿のあった場所ですが、この壊された神殿の残った壁が、ユダヤの人々にとっての聖地「嘆きの壁」となっているとのこと。そのため、壁の向こうには、黄金に輝く岩のドームの頭が見えます。
ここは男性エリアと女性エリアでわかれている…と事前に読んではいたのですが、どこからわかれているのかよくわからずズンズン進んでいくと、横から「ヘイヘイヘイヘイ!!」と大声で呼び止められます。見事に男性エリアに突進していたようです。無知ってこわい。
ちなみに今後行く方のためにお伝えしておくと、向かって左側が男性エリア、右側が女性エリアですのでお間違いなく。
多くの人が熱心に祈りを捧げていました。壁から立ち去るときは、壁に背を向けず後ろ歩きで進むのがしきたりのようです。そんな中、背を向けて普通に歩き去っていくのは失礼かなとふと思うわけですが、わけもわからず真似するのもまた失礼と思われるので、普通に歩いて立ち去りました。当たり前か。

ところで話は変わりますが、ユダヤの男性が頭にかぶるキッパと呼ばれる小さくて丸い帽子。髪の毛とピンで留めている人が多いですが、これ、少しでも髪のある人はいいけど、まったくない人はどうやって固定しているのだろうという疑問がわきまして。そこでコンクール期間中、失礼を承知で事務局のヒーラさんに尋ねてみたところ、
「わかんない、接着剤でもつけてるんじゃない? あはははは!」
という、かなりテキトーな回答をいただきました。
というわけで、謎は解けず。
…嘆きの壁で後ろ歩きを真似しようかと迷った人間とは思えないほど、なかなか失礼な質問ですよね。すみません。でもね、ただ頭にのっけているだけではすぐにどっかいっちゃうんじゃないかと、どうしても気になってしまって。

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旧市街中央部には、キリスト教の聖地、聖墳墓教会があります。イエスが最後に辿りつき、磔にされた場所。つまり、ヴィア・ドロローサの終着点。
入ってすぐのエリアには、十字架から降ろされたイエスの亡骸に香油が塗られた場所とされる、大理石の板があります。みなさん、ここを丁寧に撫でたり、ご持参のマイ十字架をごしごしこすりつけたりしていました。

教会の中には、磔にされた十字架が建てられたとされる場所、イエスの墓がある復活聖堂など、キリスト教にとって大切なスポットがたくさんあります。
ここは複数の教派が共同で管理しているとのこと。異なるローブを身に付けた聖職者の方々が、かわるがわる、淡々と儀礼を執り行っていました。が、この方々がまたなかなかの仏頂面(…とキリスト教の人をつかまえて言うのもどうかと思いますが)で、観光客たちを、ほらどいて、あっちいって、もたもたしない!みたいなすごい勢いでさばいていました。小心者の私は、自分が怒られたわけでもないのにここでまたビクつくという。
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あまりの人の多さに、ツアーコンダクターさんたちはのぼりがわりに思い思いのものを使っていました。ピコピコハンマーを使っている人は初めて見ましたが、目立っていいアイデアですね。勝手な行動をしたらピコっと叩かれそうでちょっとこわいけど。

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他にもいろいろ興味深い場所がありましたが、なぜか一番心安らいだのは、聖母マリアが生まれたとされる聖アンナ教会の敷地内にある、ベテスダの池の跡地。ここでイエスが長く病に苦しんだ人々を癒したとされています。
この場所を眺めながらぼーっと座っていると、また遠くからアザーンが響き渡り、なんだか不思議に落ち着くのでした。

オリーブ山のほうまで足を伸ばすことも考えたのですが、なんだかものすごく疲れてしまって、まだ早めの時間でしたがテルアビブに戻ることにしました。なんとなく刺激が強すぎて、またいろいろな緊張感がありすぎて、精神的に疲れたのかもしれません。決して悪い意味ではなく。

あと、たくさん歩いたというのはもちろん、実を言うとエリアによって、お店の前でたむろす人々から、
「コンニチハー」「ニホン?」「ニーハオ!!」
「I’m teaching アイキドー! My name is 佐藤!!」(←絶対違うだろ……)
と、まさに観光地らしい感じで声をかけられ、ひとつひとつ対応しながら歩いていたら異様に疲れたというのもあります。
勝手に道案内をして、「お金ちょうだい、ぼくと友達に1シュケルずつ」と言ってくる少年もいました。横にいるだけで何もしていない友人まで気づかうだなんて、さすが聖地育ち……なんて言ってる場合じゃないですね。ちょっと悲しい気持ちになって、少年に向き合い、語りかけてしまいました。言葉が通じないので日本語で。意味はわかっていないだろうけど。

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キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、それぞれの人が当然の身のこなしでそれぞれのとるべき行いをしているのを、ただひらすら不思議な感覚で眺める時間。やはりよそ者の自覚がずっとどこかにありました。(ちなみに自分は、お寺にお墓があり、必要に応じて神社での行事的なものをやる、日本でよくあるゆるやかな宗教意識の家庭に育っております)

単一民族、そしていろいろな宗教の人がいるとはいっても、神道と仏教が多くの地に根付いている日本で生まれ育ったことで、こういう状況に対する免疫力が低いのかも…。インドの寺院めぐりではさほど疲れなかったのは、やはりあそこが仏教とつながりのあるヒンドゥー教の国だったからなのか。宗教の性質も影響しているとは思いますが。

単純な遊び疲れ、旅疲れから、自分だけがよそ者と感じながらどこかに暮らすことの心境に想いを巡らせ、また多宗教の人々が共存するということの難しさについてまで考え込む、そんな日帰り旅行となったのでした。