ゲオルギ・オソキンス インタビュー


【家庭画報の特集などで書ききれなかった
第17回ショパンコンクール、ファイナリストのインタビューをご紹介します】

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ゲオルギ・オソキンスさん(ファイナリスト)

◇アンチ・コンペティションなスタイル?

─ショパンコンクールを経験して、ショパンについて感じることは変わりましたか?

いいえ、変わりません。僕のショパンに対しての意見はとても強いものなので。
コンクールの演奏は世界中の人たちに聴かれるので、自信をもってステージに臨まなくてはならないと感じていました。この経験は、長く僕の中で生き続けると思います。

─オソキンスさんのショパンは、誰の演奏にも似ていない、特別なものですよね。

ありがとう。でもアンチ・コンペティションなスタイルでしょ(笑)?

─いやぁ、でもこうしてファイナリストとなったではありませんか。

今回のファイナルは、審査員の先生方も評価が難しかっただろうと思います……特に僕については。変わった演奏だからと、僕を1次で落とすこともできたはずですが、認めないわけにはいかなくてファイナルまで残したのでしょう。そしてファイナルで、どう評価したらいいかわからなくなったのではないかと思います。僕は協奏曲でパーフェクトな演奏ができませんでしたから。
いずれにしても彼らの決断と他のファイナリストに敬意を表したいと思います。正しい決断だったと思います。
ファイナルはとても難しいステージでした。1年間の準備と3週間の緊張で、僕の手と体は疲れきっていました。それでも残っていた力を出し、楽しんで演奏することができました。

─ショパンについての理解はどのように作りあげていきましたか?

作ろうということは考えていません。僕にとって、ショパンを理解するプロセスはとても自然なものです。誰かを満足させるために、自分の感じた音楽を修正するつもりはありません。感じたことを伝えているだけです。

─それは、楽譜から来るのですか?

はい、まずはそうですね。ピアノに向かわずに楽譜をじっくり読みます。楽譜を見てすぐに弾き始めるピアニストもいるのかもしれませんが、僕にとっては、それでは作品のことを何もわからずに弾いているようなものです。僕の場合は、本を読むように最初はじっくり楽譜を読みます。
まず大切にしているのは、テキストに忠実であること。次に大切にしているのが、自由であること。演奏中にある境界を越えることができれば、真にそこにあるものが見えてきて、良いバランスで演奏することができます。

─ショパンコンクールという場では、どうしても“ショパンらしい”ということが話題になってしまいますが、どんなお考えがありますか?

ショパン自身がどんな演奏を好んだかも、どんな演奏をしていたかも、今となっては誰にもわかりません。でも唯一知られているのは、彼が毎回違うように演奏していたということ。これはとても大切なことだと思います。つまり、自然発生的で自由であるということが、ショパンの演奏にとっては最も大切だと僕は思います。
ショパンには無限のアプローチがあります。そんな中でショパンの最高の解釈を見つけようというコンクールですから、常に論争になるのは当然です。審査員は本当に大変だと思います。

─ところで、オソキンスさんは今、主にピアニストのお父さまのもとで勉強されているのですか?

父がメインの先生ですが、バシュキーロフ先生やババヤン先生などいろいろな方の教えをうけています。
父は生徒によって異なるアプローチで接する教育方針を持っているようです。例えばピアニストの兄は、僕とはまったく別のタイプで、違う世界を持っています。

─あぁ……確かに、お兄さんとは演奏のタイプが何一つ似てないですよねぇ。

そうそう(笑)。これが父の教育方針の成果です。

◇低い椅子には秘密がある

─低い椅子を持参していますが、どのようなこだわりが?

気が付きましたか。気が付かない人もいるんですよ。

─えっ! あんなに低いのに? みんな気になっていたと思いますけど。半年ほど前、同じ椅子を前回入賞者のボジャノフさんが持っていたのを東京で見たばかりなのですが、ファツィオリ製の椅子ですね。

作りは同じですが、彼のものとは別のモデルです。この椅子によってピアノの響きも変わるんです。

─演奏の様子から、音にかなりのこだわりをお持ちなのだろうと感じましたが、椅子にも秘密が……。

そうなんですよ。あの椅子は、特別な音を生み出すことを助けてくれるんです。
“音の言語”は、とても大切です。ある録音を聴いてすぐにどのピアニストかわかることがありますが、そういうピアニストの音は特別ですよね。自分だけの音を持つことが、ピアニストにとって一番大切だと思います。

─ピアノはヤマハを選ばれましたね。ファツィオリとも迷われていたようですが。

あのファツィオリは独特のピアノだったので、慣れるために短くても30分は必要でした。試し弾きの15分で簡単に理解することができたのは、ヤマハでした。ファツィオリが劣っていたということではないんですけれどね。両者はまったく別のピアノでした。12月の来日公演ではファツィオリを弾きます。

─コンクールにむけての準備で一番気を付けていたことは?

1年間、ショパンの作品だけを演奏するようにしていました。フェリーニやタルコフスキーなどの名映画監督が映画を作るのと同じです。彼らは5年に一度くらいしか作品を発表しないでしょう。僕にとってこのコンクールは大切だったので、ショパンの世界に入りこむように心がけて1年過ごしました。

─ショパンのキャラクターはどのように理解していますか?

とてもシリアスな作曲家だと思います。もしかしたら、明るく幸せな音楽という理解をしている方もいるかもしれませんが、僕は悲劇性に満ちた音楽だと思っています。
彼は気品のある人物であり、人生の中で常に戦っていたと思います。特に晩年の作品は、すべてのピアノ曲の中でも最も暗いのではないかと思います。ごく一部、ブリリアントで人生の喜びを見せる作品もあると思いますが。僕の理解では、ほとんどの作品において、ポジティブで楽観的な要素はないと思います。

─ところで、ボジャノフさんを思い出させるとか、言われたりしました?

あんまりなかったですねぇ。ポゴレリッチといわれることはありました。変だよね、全然違うのに。

─ステージでのシャツもお洒落でしたよね。

首元まで閉じた普通のシャツでタイをつけていると、暑くてすぐに顔が赤くなってしまうんですよ。イタリア製のあのシャツを愛用しています。

─手首につけた赤い紐も気になりましたが、確か意味があったんでしたよね?

1年前、中国で右手の調子がおかしくなったことがあって、そのときに祖母から「赤い紐を使ったら」と言われたんです。別に宗教的な何かではないんですよ。ちょっとしたゲン担ぎのようなもので、これを付けている限り、手に問題が起きないと考えるようにしていて、問題がないからそのまましているという。
映像が手元のアップになっても僕だとすぐにわかるし、その意味でも役に立ちます(笑)。

◇◇◇

オソキンスさんは私服もお洒落。見かけるたびに不思議な形状のパンツやらカーディガンやら着ているので、毎回つい「おしゃれねー」と言いたくなってしまうのですが、「別にファッションが好きでこだわって選んでいるとか、そういうわけじゃないんだってー」と主張していました。天然お洒落さんなんでしょうね。
太い精神と超繊細のはざまにいるような、不思議な感性の持ち主という印象。これからどうなるのか、目が離せないタイプです。また機会があるときにはぜひ聴きたいと感じるピアニストです。

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