ピリスさんにインタビューをして思ったこと


ヤマハPianist Loungeで、マリア・ジョアン・ピリスさんのインタビューを書きました。
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今シーズンで演奏活動から引退すると発表した彼女が、最後の日本ツアーを行っていた終盤で、30分だけ時間をいただけるということで行われたインタビューです。
引退を決めることになった背景にある想いについてもお聞きしています。

詳細はインタビュー記事をご覧いただきたいと思いますが、ピリスさんとお話をさせていただいて感じたことを、今日はちょっと書いてみたいと思います(長いです)。

ピリスさんがコンサートピアニストとしての活動からの引退を決めたその主な理由は、74歳という年齢を迎える今、常にストレスに押しつぶされかけながら生きなくてはならないコンサートピアニストとしての生活から離れたいからということ、そしてその時間を、社会や人のためになるクリエイティブな活動のために使いたいから、ということのようです。
根本にあるのは、記事のタイトルにもしましたが、「手に入れた何かを自分だけのものにとどめておけば、それはすぐ役に立たないものになってしまう」という考えでしょう。それは経験なのかもしれないし、持って生まれた才能のことかもしれない。もちろん生き方や価値観は人それぞれですが、自分はなんで生きてるのかなーと思った時の一つの答えはここにあるかもしれないですね。

そんなピリスさんが真剣な表情で語っていたことのひとつは、やはり今の音楽業界についての懸念でした。音楽やピアノを通して自分は世界を知った、それだけが音楽をする目的だというピリスさんにとっては、戦後、芸術と商業主義が結びついて勢いを増していったアーティストを取り巻く環境が、どうにも居心地が悪かったということのようです。(資本主義社会では、もうだいぶ大昔からそうだったのではないかという気もしますけど、度合いが増しているのは確かかもしれません)

ピリスさんの話には、突っ込んでいけばある意味矛盾していることもあるんだけど、こちらが問いかけることに返してくれる言葉は、自分の胸にあるそのままといった感じで、それぞれの言葉にはハッとさせられるものがありました。
「自分が変わるということを許すことは、失敗を許すということ」とか、けっこう印象深かったなー。

で、そんな中でちょっと「絶望的な発言だなー」と思ったことがあります。
(ピリスさんも、こんなこと言って悪いけど、とインタビューの中でいっていますが)

常日頃、とりあえずチャンスを掴むまでの辛抱だと、ストレスを抱えながらコンクールに挑戦したり、意にそぐわない形でメディアに出たりしている若いアーティストの姿を見ることもありますから、聞いてみたんです、「辛抱して一度有名になれば、芸術家としてやりたいことができるようになるんではないですか」、と。

そうしたら、
「そんなことはありません、私が断言します」っておっしゃるんですよ。
(詳しくは記事参照)

このご発言に関しては、ちょっと、むむ、と思う方もいるかもしれません。実は、ピリスさんがこういう風に話していたんですよねと雑談で何人かのピアニストに投げかけたところ、みんなそれぞれに納得いかないというリアクションでした。
すでに有名なある方の場合は「自分は好きなことやらせてもらってる。自由なフリなんてしてない」と。
これからという若い人の場合は「そんなこといったって、じゃあどうしたらいいんだ、ピリスさんは実際有名になったから、生活もできるんだし、斬新なプロジェクトでも支えてくれる人がいるんじゃないか」という。
いや、私もそう思いましたけど、さすがに時間の都合もあってこの話題だけ深掘りするわけにもいかず。しかし本当にピリスさんは”売れた”ところで自由はないと感じているんでしょう。「私はずっと戦ってきた」と言っていました。

あとはピアノや音楽の話題に加えて、やっぱり人生についての質問をしたくなってしまって。文字数の都合で記事に入れられなかったくだりの一つをご紹介したいと思います。
人間とは欲深い生き物で、安定や成功を手に入れることに気をとられていると、いざそれを手に入れても、結局もっともっとと次の何かを求めることになってしまう。永遠に満足しないことは、向上心があるということでもあるけど、あんまり幸せじゃないことのような気もするんですが。
そんなことを言ったら、ピリスさんはこう言いました。

「いつも何かを欲しがっているということは、あなたを不幸にすると思います。いつも何かに落胆するし、もっと欲しいと思い続けているうちに他人と協力し合わなくなる。そのままの人生を受け入れるという心構えさえ自分の中に持つことができれば、一定の幸せというものの存在を感じて生きることができると思います」

ピリスさんはきっと、権力欲のようなものがないのに、才能ゆえに注目が集まって、そのはざまで悩み続けた人なのでしょうね。
でも、それにまつわる問いを尋ねると、少し困った顔をしながら今の正直な気持ちを話してくれるわけで、本当に純粋な(そしてちょっと難しい)方なんだと思います。

そこで思い浮かんだのは、中村紘子さんのことですよ。

なにせ評伝を書いたばかりですから、その両極端な生き方についてまたいろいろ考えるわけです。紘子さんの場合は、業界を飼いならし、権力を手中に収めるという方法で(もちろんその背後に相当な努力や辛い思いがあったわけですが)、業界のために、自分のためにやりたいことをやっていった人でした。

評伝の中でも、紘子さんが20歳のときに社交の女王になろうと決意したと思われる瞬間のエピソードはじめ、「初対面の人には最初にガツンとやる人だと思う」という某関係者の証言も紹介しています。
「自分の持てるものを社会に還元したい」「若い人を育てたい」という同じ目的があっても、こんなにもやり方が違うんだと改めて思いますね。それも、この二人は、どちらもブレることなく、一生通してそのやり方を貫いていった女性たちなわけで。

それで、ふと気づいたら、二人は同年生まれ、誕生日2日違いでした。
第二次世界大戦終結前年、遠く離れた二つの国に生まれて、同じ人気者のピアニストとして活躍しながら、全く異なる生き方をした二人。それは、かつて世界各地に植民地を持ち、戦後のナショナリズムの動きの中でそれらを手放していったポルトガルと、アメリカの占領下でどんどん価値観を変化させられていった日本という、育った環境の違いなのか。いや、多分関係ないと思いますけど。個人差ですよねきっと。

というわけで話はそれましたが、今回はピリスさんとお話をさせていただいたことで、自分だけが良ければいいという考えはダサいなーというあくまで個人的な価値観を強くし、社会や世界の中の一人として生きるということへの考えを新たにしたのでした。
あれこれこみ入った質問をしてしまったんだけど、ピリスさんはキランキランの瞳で、ひとつひとつに丁寧に答えてくれて、最後はとても優しく握手をしてくださいました。