ピアノの惑星について


 

 ピアノとはなんと魅惑的な存在なのか。
 人が操るひとつの“道具”ではある。
 しかしすばらしいピアニストが触れたとき、
 ふと気がつけば、心はその魅力に完全に支配されている、という。
 「ピアノの惑星ジャーナル」は、
 そんな魅惑のピアノにまつわるさまざまな話題を提供する、おだやかなウェブサイトです。
 独断と偏見で“今アツい!”と思われるアーティストや企画の情報、
 また、演奏会へのワクワク感を盛り上げる情報も発信します。
 毎日どっかしらでなにかしらが起こっている、ピアノの小宇宙を目指します。

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◇管理人◇
高坂はる香(音楽ライター、編集者)
インドの大道芸人のスラム研究→月刊ショパンの人→現在フリーライター、編集者。
クラシックのピアノを中心にさまざまなネタについて文章を書いています。
ピアノや西洋クラシック音楽とインドというすばらしい文化が刺激しあって
何かが生まれる瞬間を妄想しています。


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海外取材に行くか迷うたび必ず思い出す、木之下晃先生のこと


写真家の故・木之下晃先生
コンクールの海外取材、行こうか行くまいか、採算はとれるのかということを迷った時、必ず思い出す木之下先生の言葉があります。木之下先生といえば、クラシックファンの方はご存知でしょう、“音楽が聴こえる”といわれる演奏家のモノクロ写真で有名なあの方です。

ちょうどこの夏、2007年にNHKで放送された、写真家の故・木之下晃さんのドキュメンタリーが再々放送されていました。観ていたら記憶がよみがえってきたので、ちょっと書くことにしました。
私は直接先生のページを担当することはなかったのですが、“行きあう”と、何かと声をかけてくれた、そんな思い出。(木之下先生、遭遇することを“行きあう”っていってたなーって、ドキュメンタリーを見ていたらなつかしく)

私が最初に木之下先生にお会いしたのは、学生でピアノ雑誌の編集部のアルバイトを始めたばかりの頃。先輩から、入稿用の紙焼き写真をラボに取りに行くお使いを頼まれたときのことでした。
当時私はインドの開発援助の研究をしていた大学院生。木之下先生は、そんな私がなぜクラシック音楽雑誌の編集部でバイトをしているのか、それはもう、ずいぶん不思議そうでした。

バイトの頃から海外の取材にも行かせてもらい、仕事が楽しかったので、その後私は編集部に社員として就職。それを知った木之下先生は、なにかがご不満だったのでしょう、「もっと大きなところで挑戦しないの?」「一度大企業に就職する経験もいいよ」と私に言い、以後私の顔を見るたび、「まだ辞めないの?」と声をかけてくるのでした。
それで私が今は楽しいから続けるというと、「まあ、目の前の楽しい仕事っていうのは、麻薬みたいなものだからねぇ」とおっしゃるのです。麻薬!!
そして普通に考えるとだいぶズケズケ言われていた気もするんですけど、でもそこから親切心が伝わってくるのが、木之下先生のすごいところ。

木之下先生ご自身、若き日は大手広告代理店(博報堂)のカメラマンをしていたとおっしゃっていました。
ドキュメンタリーによれば、「クリエイティヴを求められる時代で、誰もやっていない前衛的な画を撮ろうとしていた」といい、ジャズやロックのステージを、わざとカメラをぶれさせて撮る手法に行き着いたそうです。
その作品を集めた写真集で、1971年、日本写真協会新人賞を受賞。これを見た評論家から、「木之下の写真はコマーシャルが強い」と言われたけれど、当時はコマーシャルの方が時代の先端をいっていたから、「自分は褒められていると思っていた…しかしそうではないとやがて気がついた」なんて、ドキュメンタリーでは語っていらっしゃいました。

さらにつくりこむことに飽きがきて、「クラシックの演奏家を撮り、モノクロで、ストレートに相手を見つめることに興味を持つようになった。そのほうが本当に音が聴こえると思った」らしい。

今改めて感じるのは、木之下先生は、「商業主義に揉まれる中で、自分が本当に魅かれる表現、理想の姿を見つける過程には、価値があるよ」、同時に、「商業主義のノウハウを知るからこそ、のちに生み出したその表現を世に送り出す手段が身につくよ」ということを、私に体験させたかったのだろうなということ。

私はその後、編集部で一瞬だけ編集長のポジションについたのですが、やりたいと思うスタイルとの折り合いがつかなくて3ヶ月後にはフリーになりました。木之下先生にその報告をしたときに言われたことは、今も覚えています。
「僕はあなたに辞めないの?って言い続けていたけど、結局、編集長にまでなったから、それはそれでよかったなと思っていたのよ。でも、辞めちゃうんだねぇ」
…なんだろう、私の人生の決断でまたしても不満を感じさせてすみません先生、という気持ちに一瞬なったという 笑。

ちなみにそれは2011年3月、東日本大震災の直後のことで、6月にすぐチャイコフスキーコンクールがありました。フリーで取材に行くか迷っていたところ、「たとえ金銭的にマイナスでも、行く価値があると思うなら絶対行ったほうがいい。その経験は必ず財産になるよ」と木之下先生。
その言葉に背中を押されて出かけました。この回ではピアノ部門でトリフォノフさんが優勝し、実際、あの瞬間を現地で見たことも、このスタイルで取材ができるとわかったことも、人とのつながりも、大きな財産になりました。
あそこで一歩踏み出した経験がつながって、こうして仕事を続けられている感じがすごくある。もちろん、あんまりうまくいかないこともあるけど、何でも楽しい。

今でも、そろそろ次のアクションを起こしたほうがいいかな、今の仕事がおもしろいからって満足していていいのかなとふと思うとき、木之下先生の、「目の前の楽しい仕事は麻薬」「金銭的にマイナスでも価値があるならやれ」という二つの教訓がよみがえります。
心地よい現状に甘んじない、リスクをとって挑戦する。その姿勢によって、木之下先生は唯一無二の写真家として、あれだけの作品を残されたのだなと改めて思うのでした。

…で、なんで今急にこんな話をするかというと、実は前に書いてあって載せられていなかったこの文、今の状況にフィットするので、公開してみようと思った次第です。

というのも、私は日本を発ちまして、ジュネーブコンクール、ロン・ティボーコンクール、パデレフスキコンクールと、この秋続けて開催される3つの国際ピアノコンクールの取材に出かけるところなのであります!

今回もどうしようかなと迷ったのですが、すばらしい若いピアニストたちの取材をする意義はもちろん、自分自身の人生のインプットを増やすためにも絶対行った方がいいと思い、決断した次第です。今回も現地速報レポートを書かせてくれるぶらあぼONLINEさん、ありがとう! そのほかONTOMO Webにも読み物を寄稿予定です。

というわけで、これから順次記事が公開されていきますので、どうぞお楽しみにー!

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