引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。
今回この評伝を書く中、最初に節全体の文章がまとまったのは、
長年、中村紘子さんを担当していた調律師さんのお話のところでした。
わたくし、調律師さんにお話を聞くのが昔から好きなので、
インタビューをしたそばからすぐ文章をまとめたくなったという、そんな理由。
今回主にお話を聞いたのは、スタインウェイを担当していた外山洋司さんと、
ヤマハを担当していた鈴木俊郎さんです。
外山さんは当時他に、外国人ならブレンデルさん、ペライアさんや、エマールさん、
日本人なら横山幸雄さんや仲道郁代さんをご担当していた調律師さん。
鈴木さんも、人気ピアニストの公演のインターミッションで作業をしているのを
それはもう本当によくお見掛けします。
コンサートの日、彼らは朝から先にホールに入って作業をしているわけですが、
その後、お昼過ぎに紘子さんが会場入りしてからの緊張感。
……話を聞いているだけで胃が痛くなります。
海外のコンクールで調律師さんの取材をしていると、
欧米の調律師さんには「本番が始まればどうにもならないし、別に緊張しないけど」
とか言う方も多いんですが、日本の調律師さんは仕事も気遣いも繊細で、
すごく親身になって緊張して本番を聴いている方が多いんですよね。
そのうえ相手が中村紘子さんとなったら、その緊張度は相当でしょう。
とくに、戦後、コンサートグランドピアノの製造を本格的に始めて世界を目指し、
それこそ日本のピアノ界の発展を牽引したヤマハの調律師さんの話など、
「プロジェクトX」みたいなノリです。
『男は当初、このピアニストに名前すら呼んでもらえなかった』
…的なナレーションが入りそうな出会い。
ヤマハの鈴木俊郎さんが最初に中村紘子さんを担当することになったのは、
紘子さんが40代半ばと最もノリノリだった頃のことなので
相当、こわかったらしいです。
(メディア関係で、取材現場でドキドキ体験をしたという話は、
だいたいこの頃くらいまでの紘子さんのエピソードですよね…
もちろん、愛情のある厳しさゆえだと思いますけどね、という補足)
中村紘子さんが調律師さんにどんな音をリクエストしていたのか。
その話からは、特有の高い椅子で弾くスタイルが確立された理由も見え隠れします。
(けっこう、ほー、そういう見方もあるのね、と私もびっくりしました)
そして、調律師さんの視点だからこそ感じる紘子さんの音や音楽の魅力も
たっぷり語ってもらっています。
2015年ショパンコンクールのドキュメンタリー「もう一つのショパンコンクール」で
調律師さんのお仕事に関心を持たれた方にも、
けっこう楽しく読んでいただけるのではないかなと思います。
で、何より今回私が嬉しかったのは、これはこのページに限らないことなのですが、
証言者のみなさん、
「インタビューのときはつい言ってしまったけど、それ書かないでー」
というようなことをあまりおっしゃらず、
けっこういろいろ、そのまま載せさせてくださったこと。
みなさんが本の主旨を理解して、
楽しんでいろいろなエピソードを披露してくださったおかげで、
中村紘子さんの姿を、
生き生きとスリリングに描くことができるようになったのではないかなと。
ありがたいことです。
『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売