恩田陸さんによる、ピアノ・コンクールを舞台にした「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)。
少し前に発売されているので、すでにお読みになった方もいらっしゃるでしょう。
手に取ってまず、綺麗な本だなぁと。
その印象と違わない、優しくうつくしい恩田さんの文章がつまっています。
ある年の芳ヶ江国際ピアノコンクールに挑戦するピアニストと、
そのまわりのいろいろな立場の人たちの物語。
この小説を読みながら、仕事柄まず思わずにいられなかったのは、
こんな奇跡のようにすばらしいコンクールを取材できたら、本当に幸せだろうなということ。
正統派の天才、挫折を味わった元神童、彗星のように現れた異端児、
楽器店で働きながら最後のチャンスにかけるピアニスト、
いろいろな人物の心の動きが細やかに描かれていきます。
現実のピアニストたちがあらゆる場面でもらした言葉が重なって
この話はあの人みたいだなといちいち思い浮かべてしまいます。
その意味ではリアリティがすごい。実在の本人たち以上に言葉で説明してくれていますし。
ある場面で出てくる、主人公のひとりマサルが大曲を整えていく行程についての考え方も
おもしろくて、マサルのロ短調ソナタが聴いてみたいと思ってしまいました。
コンクールの関係者から見たら、はて、と思う設定はいくつかあるかもしれないけれど、
そういうところはあまり重要じゃない。
(しかも現実と違う設定がされているところは、
だいたいちゃんと物語のためにそうである必要があるからだというのが、
そんじょそこらの(?)リサーチ不足な作品とは違います)
現状を描くという意味での”リアリティ”を求めるなら、それとはもちろん違う感じ。
でも恩田さんの作品は、当然それを目指していないんですよね。
実際のコンクールにはつきものの理不尽な出来事、嫌なヤツの存在、
きれいでない事情など、この話に出てこないことはたくさんあるでしょう。
でもそこをそぎ落として書いているからこそ、
音楽に向かう人のうつくしさが強調されるのだと。
最近はコンクールの存在意義に懐疑的な意見も多く、
それは確かに正しい部分も多いし、
見よう(やりよう)によってはコンクールなんて良いことなし…な気がすることもありますが、
こうしてコンクールから多くのものを得て成長する演奏家もいるという現実が描かれている。
コンクールに向けてのあたたかい視点の選択肢を与えてくれる小説でもあると思います。
まあ、社会の出来事は何事も、その人がそこにどう向かい、どう捉えるかに、
ほとんどのことがかかっているということなのですよね。
実はもう10年近く前、まだ雑誌の編集部にいた頃、
文芸誌で連載が始まる前に、恩田さん、担当編集者さんとお会いしたことがありました。
当時の経験レベルですし、私の話なんて何の役にも経たなかったと思いますが…
その後、恩田さんは本当に綿密な取材を重ねられたのだろうと思います。
ステージマネージャーやコンテスタントの身内的存在、調律師、ドキュメンタリーのクルーなど、いろいろな立場でコンクールに関わる人間のことが丁寧に描かれています。
そして、モデルとなっているコンクールはどこからどう見ても浜松コンクールなので、
(実際恩田さんは、チョ君が優勝した回はじめ、浜松コンクールを何度も取材されています)
結果発表の情景とか、バックステージの様子とか、
いちいちものすごくハッキリとアクトシティ中ホール界隈の光景が思い浮かびました。
あの地下のインドカレー屋、いまいちなんだよね…とかも含め。
ちなみに、ピアノやコンクールに普段親しみがない人が読むとどう感じるのだろうというのが、
このタイプの本気の音楽小説を読むと、いつも気になるところです。
でもいろいろな感想を見るにつけ、音楽関係でない方々から絶賛されていますね。
というより、むしろ音楽関係でない人からのほうが、評判を集めているのかもしれない。
すでにかなりの刷り数いっているとのこと。
この小説を読んだ人は、コンクールというものにどんなイメージを持つのか…
そのあたりも、実は気になるところです。いろんな意味で。
とにかく登場人物がみんな魅力的だし、恩田さんが彼らに弾かせている曲もいい感じだし、
読んでいるといろいろな感情がめぐり、考えさせられる作品。
全500ページ超、読み始めたら一気にいってしまいたくなること間違いありませんので、
そのつもりで読み始めることをおすすめします。