クライバーンコンクール審査員、児玉麻里さんのお話


先の事務局長のインタビューにもあったとおり、今回のクライバーンコンクールでは審査員の顔ぶれが一新され、初参加の方ばかりでした。

今回の審査員の面々はこちらです。

Jury Panel 2
Photo:Ralph Lauer
Alexander Toradze,Mari Kodama, Joseph Kalichstein, Erik Tawaststjerna, Leonard Slatkin, Marc-Andre Hamelin, Anne-Marie McDermott, Arnaldo Cohen, and Christopher Elton

日本からは、児玉麻里さんが参加されました。

実は私、雑誌の編集部にいた頃、児玉さんの連載エッセイの編集を担当していたので、とても久しぶりの嬉しい再会でした。毎月パリからFAXで原稿が送られてきていたんですよね…まだFAXで原稿が来ることも多かったあのころ…。
久しぶりにお会いした児玉さんは相変わらず素敵でして、ズバズバいろいろおっしゃるのに話していてなんだかとてもほっとするというか。麻里さまとのお話する時間はわたくしにとって、テキサスでの心のオアシスでありました。

というわけで、審査結果についての児玉さんのお話です。

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入賞者3人は、説得力のあるピアニストだった

─まずは3人の入賞者についての印象をお聞かせください。

説得力のある3人だったと思います。
まずソヌ・イェゴンさんは、とても音楽的なピアニストです。リートがお好きだと聞きましたが、リートっぽく弾いているところからはそれが感じられましたね。セミファイナルで弾いたR.シュトラウスの編曲作品など、よく歌心がわかっている人だと感じましたし、モーツァルトの協奏曲もオペラがよくわかって弾いていると思いました。

そしてブロバーグさんとシューさん。才能や可能性というものについて、審査員それぞれに考えや好みがあると思いますが、私はブロバーグさんとシューさんはとても際立っていると感じました。特にブロバーグさんはシューさんより4歳年上ということもあり、落ち着いていました。
二人に共通しているのは、なにひとつ無駄な音を弾いていないということ。全部の音にテンションが込められていて、適当に音を鳴らすということがありません。二人は個性がまったく違いますが、それぞれにすごく可能性があると思いました。

 

─審査員9人の意見は一致していた感じがありましたか? それともばらばらの感触もあったでしょうか?

私たちは審査するピアニストについて話してはいけないことになっていたので、基本的に意見は交換していませんが、そこまでで落ちてしまった人に関してはいいということでお話する機会もありました。
その中でだいたいは意見が一致していたと思いますが、1次、2次で、一人二人、この人がどうして落ちたのかわからないという不満を口にされている審査員の方もいましたね。でもそれは本当に少数で、多くは一致していたという印象です。最終結果にしても、1位から3位の順番はともかく、この3人が上位3人ということはみなさんの中ではっきりしていたと感じます。

音楽に説得力があるということ

─審査員の間で、こういう方向で審査をしましょうというような共通の認識はあったのでしょうか。このコンクールは、ポテンシャルだけでなくすぐに第一線で活動できる成熟した人が求められているということですが、審査員のみなさんはみんなそれをなんとなく知って参加されていたのでしょうか?

そういう確認のようなものは全然ありませんでした。みなさん自分が好きなように評価をしていたと思います。
私は、成熟した人を求めるコンクールだと感じましたけれど、他の方がそう思われたかどうかはわからないんですよ。事務局長のジャックさんからも、具体的にそういった説明はありませんでしたから。
優勝するとこれとこれをこなす責任があるというリストを見て、この期間を生き延びて、その後も活動を続けていける人ではないといけないのだと思いました。
ただ審査のたびに毎回言われたのは、1次からそのステージまですべてを通しての判断をしてほしいということ。コンチェルトをよく弾いても、リサイタルの演奏がどうだったか、バランスをとって評価してほしいと言われました。ですから私も、毎回一人一人についてメモのためにつけておいた点数やコメントを見返して判断していきました。

─先日の審査員によるシンポジウムでも、“どんなピアニストを探しているか”という質問が出ていましたが(注:そのときは審査員のカリクシュタイン氏が、「何かを探しているわけではい。作品があるべき姿になっていればいいと思うがその答えも一つではない。ただ、作曲家を間違って解釈していると感じるときは、音楽への理解がないと思ってマイナスの評価にはなる」と答えていました)、ちょっとその聞き方を変えて、児玉さんにとって、あるピアニストを見るときの要素としてもっとも重要視するポイントはどこにあるのでしょうか。

やはり何かを探しているということはなくて、私たちは、自分とは違う解釈でもそれを納得させる力を持ったピアニスト、こういう見方、弾き方や解釈の仕方もあるのだなと思わせるピアニストを評価すると思います。

─自分が好きなタイプではないけれどすごいのはわかる、そういうピアニストもやはり評価するということになりますか。

“好み”でなくても説得力があれば、自分はこうはしないけれどなるほど、と思いますよね。自分勝手に、気分で弾いているんじゃないかなと感じられるときは、あまりいい印象を持ちません。

─その境目を判断するもととなるのは、やはり楽譜に書かれていることでしょうか。

楽譜がまず一番ですね。作曲家の残したものが全部書いてありますから。
ただ、いくら楽譜に書かれたそのままに弾いていたとしても、カルチャーに反した弾き方をすれば違和感が出てきます。
たとえばラヴェルの楽譜とベートーヴェンの楽譜に同じようなことが書いてあったとします。言語でいえば、フランス語ならば最後にeが書いてあったらそれは発音せず、ドイツ語なら反対にきつく発音しますが、これは音楽でも同じです。同じ音が同じように最後に書いてあっても、フランス音楽の場合は力が抜けるように弾くわけです。それがカルチャーなんですよね。
いくら楽譜に書いてある通りに弾いていてもそれがわかっていないとちょっと変だなという感じがするわけです。例えばそういうところで、説得力が変わってきます。

─それがスタイルを知っているか否かということになるのですね。でもつまりそれは、子供のころから長らく音楽学校などで音楽教育を受けていても、それが身につかないこともあるということなんですねぇ。

そこが深いですよね。勉強することが山ほどありますからね。時間もかけないといけないことです。

 

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今回の審査員の先生方、それぞれの美学がはっきりしているようで、わりと意見がわかれたのではないかと思っていましたが、児玉さんのお話からするとそういう感じではなかったようです。
そうはいっても、個性の違う演奏家(審査員)が集まってひとつの結論を出そうとするコンクールというものはむずかしいですね。審査員のうちの1人か2人がこれは優勝に値する才能だ!と思ったところで、多数がそう思わなければ次のステージにすら進めないこともある。このコンクールに限らずいつでもあることです。

ところで、記者会見で1位2位は僅差だったのかという質問が出た時、それは教えないよと事務局長が話していましたが、聞く話から推測するに、わりと僅差だったのではないかなと思います。