チャイコフスキー国際コンクール第2位、藤田真央 さんのお話

続いては、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第2位に入賞した藤田真央さんのお話です。お待たせいたしました。

現地ではなんとなく立ち話などをする機会も多かったので、いつでもインタビューできるだろうと油断してしまい、あとで…と言っているうちに、前述の通りの強行スケジュールのためご本人グッタリという展開。そんなわけで、ロシアで少し聞いたお話と、帰国後のコンサートのあとに聞いたお話の合体したインタビューとなっています。

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結果発表終了後の藤田真央さん。
普段はしないというダブルピース(2位ポーズ)で。

◇◇◇
[まずはモスクワ現地でのインタビューから]

ーモスクワ音楽院大ホールという会場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾いてみて、いかがでしたか?

難しいなと思いました。日本で弾いたこともありましたが、その時はもう少し楽に弾くことができたんです。でも、やはりあのホールだと、特別な雰囲気を感じるところがあって。

ーチャイコフスキーの他にラフマニノフの3番を選びました。選曲の理由は?

2曲を組み合わせるならこの選択だなと思ったのと、あとは中村紘子先生のお気に入りの曲だということもあります。以前いただいたお手紙の中に、ラフマニノフの3番をロシアのお客さんの前で演奏するときは、終楽章のリズミカルに進んでいく部分は、しっかりリズムをわからせるように演奏しないといけないと書いてありました。まるでこのファイナルを予言していたみたいですよね。演奏しているときにも、もちろんそのことを思い出しました。でも、倍速のテンポで弾いてしまっていたので、もういいやって途中で思いましたけれど(笑)。

ーそういえば1曲目のあと、いつもと違って笑っていなかったですよね。あれはどういうことだったんですか?

自分の演奏に満足していなかったからですね…でも切り替えなきゃいけないと思いながら。

ー2曲連続で弾かなくてはならないのは大変でしたか?

辛かったですね。2曲目のラフマニノフの1楽章が一番辛かったです。2、3楽章は終わりが見えてくるから少しずつ楽になっていくんですけれど。でもまあ、そんなことは言っていられませんから、全ての音を大切に弾くということに集中していました。

ーステージに出る前には、必ず中村紘子先生と撮った写真を見ていたとか。

そうなんです、もうルーティンのひとつになっています。眺めて、お祈りするんです。「お助けください、どうかお力添えを〜!」って。

ーすごい…やっぱり特別な存在なんですか。

それはもう、特別ですね。今まで会った人の中で、誰よりも一番オーラがすごい方です。最初にお会いしたときの目力が本当にすごかった。小柄な方なのに、とっても大きく見えました。

ー1次予選の時は、ステージにかかっているチャイコフスキーの肖像に挨拶をしたとおっしゃっていましたね。

全ラウンドしましたよ! 「日本から来たんです」って。

ーなんだか神社にお参りするみたいな(居住地言うなんて)。

そうそう。2次予選は、「また来ました」、ファイナルは、「これで最後です」と伝えてから演奏しました(笑)。

ーサンクトペテルブルクのガラコンサートでは、ゲルギエフさんと共演しました。いかがでしたか?

本当に素晴らしい経験でした。一瞬で終わってしまった感じです。リハーサルもないなかで、最初テンポがすごく速くなってしまったのですが、テーマが繰り返されるうちにだんだん落ち着いていきました。演奏が終わったあと、ゲルギエフさんが、君のモーツァルトも聴いたけれど美しかった、またすぐに共演しようと言ってくださって、嬉しかったです。

ー今回、ピアノは5台のなかからスタインウェイを演奏しました。選んだポイントは?

音ですね。結局、音で勝負するしかありませんから。どんなに全ての音が均等にそろっていようと、自分の音が出せる、美しい音が出せるということにはかえられません。あとは、音色を変えて演奏することが好きなので、その変化をつけやすいピアノがいいですね。他のピアノとも迷いましたが、最終的には、いつも使っているスタインウェイを選びました。

ー演奏を聴いていると、フレーズごとに音も表現もどんどん変わっていくのが本当におもしろかったのですが、ああいうのは天然で出てくることなのですか?

それは野島先生に教わったことです。作曲家は無駄な音は作曲家は書かないから、全ての音を気を配って演奏しなくてはならないと。

ーモスクワのお客さんがどんどん入り込んでいくのは、ステージでも肌で感じました?

はい、やはりすごく嬉しかったですね。日本のお客さんとはまた違った雰囲気で、おもしろい発見でした。

ーロシアのメディアでは、ベビー・マオとか、猫のお父さんだとか、いろいろなあだ名がつけられていたみたいで。

思わぬ反響でびっくりしましたねー。そんなに注目していただけるなんてうれしいです。

ーコンクールが終わった今、始まる前と変わったことはありますか?

音楽的な面でも変わることができたし、大ホールで弾くという経験を何度もして、大きな会場になれることもできたと思います。こういう環境の中で弾く経験は今までありませんでしたから、このあとは日本のコンサートでも楽に弾くことができるのではないかと思います。

[ここからは、帰国後、7月中旬にお聞きしたお話です]

ー日本に帰国して、周りの反応はどうでしたか?

大学に行った最初の日は、ちょっとざわついてましたねー、みんな私のほうを見ている!って。で、3日目くらいに、なんにもなくなった(笑)。普通の人に戻っちゃった(笑)。

ー3日か…みんな慣れるの早いですね。チャイコフスキーコンクールで2位になったのだという実感は湧いてきていますか?

チャイコフスキーコンクールって、これまで見ていた印象では、過酷な戦いに駆り出されるみたいな勢いで参加するものだと思っていたのですが、実際は、ひょいひょいひょーいっと次のステージに行ってしまった感じでした。モスクワには何もないって聞いていたから、日本からカレーとかうどんとかを持っていったのに、レストランもいろいろあったから、コンクール中は普通に楽しかったですね。有意義な2週間を過ごして、帰ってきたらなんだかみんなが騒いでるっていう感じでした(笑)。

ーひょいひょい行ってたの、藤田さんくらいだったんじゃないかという気もしますが…他のコンテスタントはそれなりに大変そうでしたけどね。とはいえ、コンクール中、集中力を保つのは大変だったのでは?

うーん、でも結局、本当に集中しなくてはいけないのは演奏している1時間ですからね。24時間気を張っていなくてはいけないという環境でもなかったので、いつも通り音楽を楽しんでいました。その場のインスピレーションもありますし、音楽のすばらしさを伝えるといういつも大切にしていることを、同じようにやっていました。

ー今思い返して、コンクール中で一番印象に残っていることは?

一次の時ですね。もともとバッハを弾くのがこわくてたまらなくて、当日は1日中練習していたんです。毎回違う所をミスしてしまったり、フーガがうまく弾けなかったりして。でも本番でそれをしっかり弾き終えられた瞬間、心配がなんにもなくなりました。それで、あのモーツァルトの演奏ができたのだと思います。すごく楽しく弾けたんです。全ての流れがあそこで作られたと思います。

ー2位という結果についてはどう感じていますか?

帰ってから野島稔先生にも、2位で良かったね、まだ勉強できるからと言われました。「クララ・ハスキルで優勝してからの2年でも、またこのコンクールの期間でも上達したから、君にはまだ伸びしろがある、もっといろいろな解釈を広げられるように勉強しないといけない、2位でも忙しくはなるけれど、まだ勉強する猶予があるから」って。

ーところでそもそも、チャイコフスキーコンクールに挑戦することにした理由は?

やっぱりロシアのピアニストが好きだからです。ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス……こういう方たちが弾いた場所で弾きたいというのが1番です。あと、チャイコフスキーコンクールのウィキペディアにのりたいっていうのもあったかな、きゃはははは!!(←藤田氏、ものすごく笑う)

ーその動機、初めて聞きました…でも確かに、半永久的に載るってことですもんね。

確認したら、載ってました! うれしかったー(笑)。

ーところで、実際に3週間ロシアで過ごし、ロシアで弾くという経験をしてみて、ロシアやロシア音楽についてのイメージで変化したことはありますか。

ロシアの年齢層の高い方達の顔から時々見える、冷たさみたいなものというか、作られた表情みたいなものに触れて、自分にはないものだなと思いましたね。

ーなるほど…社会主義の時代を経験している世代の雰囲気でしょうか。もう今の若い人たちは、普通にフレンドリーですもんね。

はい。例えば練習室の部屋の鍵をくれる警備員の人が、絶対笑わなかったりとか。でも1回だけ、練習室の番号の45番というのを私がロシア語でいったら、笑ってくれたんですよね。それから、柔道をやっていたという話を向こうからしてくれたりして。少し仲良くなりました。

ーところで、今一番好きなピアニストは?

最近はルプーが好きだったりしました。でも、この頃ピアニストをあんまり聴かなくて。ヌヴーとかデュプレをよく聴いています。あとは、テバルディが好きです。あの時代には、カラスとテバルディが大スターでバチバチに対抗していたんですよね。オペラや歌はとても好きです。オーケストラ作品も聴きます。

ー歌が好きなんですね。では、ピアノを弾く上での歌うような表現についてはどう考えていますか?

音楽の起源は歌ですから、本当に大切ですよね。私、こういうふうにくねくねして弾くから、それで歌っている表現になっていると思います(笑)。

ー藤田さんにとって、ピアノ、音楽とはなんなのでしょうか?

うーん、ピアノは単に、楽器ですよね。ホールによって別のピアノがあって、それにすぐに順応して良い響きを作ることが、ピアニストの難しさです。音楽は、一瞬一瞬変わっていくので、その瞬間の素晴らしさを感じ取っていただきたいという気持ちがあります。つまり、その時ダメでも次はいいかもしれないから、何回も聴きに来てほしいです(笑)。

ー今後、ピアニストとしてどんなことを目指していきたいですか?

クララ・ハスキル、チャイコフスキーとコンクールで賞をいただいたので、その名を背負っていかなくてはいけないという使命感はあります。でも、気負いすぎず、自分のペースで黙々と演奏をしていきたい。そうやって生きて行くつもりです。

◇◇◇

…というわけで以上、ところどころ、ゆるい口調ゆえに冗談なのか本気なのか非常に判別しにくい、独特のユーモアセンスの炸裂した藤田さんのお話でした。

ご本人が言っているとおり、コンクール中現地で見かける藤田さんはいつもほわんとして楽しそうでしたし、今日のお昼はこれを食べたーという報告を、まあまあ詳細にわたってしてくれたのが印象的でした。多分、本当に毎食楽しみにして暮らしていたんだと思います。
とはいえ、なんだかんだでプレッシャーも当然あったはず…それでも日々の時間を楽しもうとしている。藤田さんの場合、そういうエネルギーの差し向け方が、音楽にも反映されているような気がします。
実際、これはコンクールとか音楽家とかそういうことにかかわらず言えることだと思いますが、同じ時間でも楽しもうとして過ごすかどうかで、その時間の位置付けは変わってくるものですもんね。(もちろん、悩まなくてはいけない時間にも価値がありますし、むしろ怒ったりフラストレーションを感じることを原動力に生きている人もいるわけで、それは個人の価値観の問題かもしれません)

それから、中村紘子さんのエピソードにも驚きました。今回の藤田さんのロシアでの活躍で、改めて紘子さんの先見の明に驚かずにいられなかったわけですが、そのうえ、弾く曲や場所まで予見してアドバイスを手紙にしたためていたとは…。そして写真を拝まれている。もはや守り神的存在ですね。
ちなみにそのお手紙を藤田さんが紹介していらっしゃいます。

 

私が書いた中村紘子さんの評伝でも、紘子さんが期待した若手として、藤田真央さんのお名前が登場します。
紘子さんはとにかく、たくさんの聴衆から愛されるようになるピアニストを、まだみんなが気づく前の萌芽的な段階で発見して支える力がすごかった。ただ同時に、みんなに優しいわけでもなかったというのもポイントなんですね。
拙著では、紘子さんは自身の若き日の経験と苦労からああいう感じになったんだなということ、またピアノ界に紘子さんがのこしたことについても分析していますので、気が向いたらどうぞ読んでみてください。(宣伝してすみません)

 

さらに中村紘子さんといえば、ご自身がチャイコフスキーコンクールで審査員を務めた経験からお書きになった名著「チャイコフスキー・コンクール」があります。あの時代の審査員の間でどんなやりとりがとりおこなわれていたのか、そしてピアニストとしてトップを目指すことの厳しさなどを知ることができる貴重な1冊です。


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ところで、写真はこちらの帰国後に撮ったものもあったのですが、最初の画像には、やっぱりあの結果発表直後のダブルピース(2位ポーズ)の写真が喜びにあふれていていいかなと思って使いました。普段はしないポーズなんだけど今回だけ…と藤田くんは言っていました。自分も写真でピースしないほうなんで、気持ちわかる。チャーチルやヒッピーが頭をよぎるんですよね。(※戦前生まれではありません、念のため)
ただ、藤田くんが普段ピースをしない理由は、聞かなかったのでよくわかりません。

チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話

続いては、チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話です。

シシキンさんは、ロシア生まれの27歳。ピアノの先生のお母様の手ほどきでピアノをはじめ、グネーシンからモスクワ音楽院に入って、名教師でピアニストのヴィルサラーゼ教授に師事。2015年のショパンコンクール入賞あたりから日本でもファンが増えていると思いますが、その後、2017年にはノルウェーのトップ・オブ・ザ・ワールド国際ピアノコンクール、2018年にジュネーブ国際音楽コンクールで優勝しています。

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Dmitri Shishkinさん
結果発表の前にお話を聞きました

◇◇◇
ーチャイコフスキーコンクールのファイナルで演奏してみて、気分はいかがですか?

もちろんとても光栄でした。美しいホールと優れた聴衆の前で、レジェンドのようなプログラムであるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏できたのですから、とてもエキサイティングでした。

ーチャイコフスキーコンクールには、2015年にも挑戦されているんですよね。

はい、でも残念ながら2次に進めなかったので、4年経ってまた挑戦しました。今回はうまくいって嬉しいです。

ーロシアのピアニストにとって、チャイコフスキーコンクールは特別なものなのでしょうか。

もちろんです。全ての演奏家にとって特別だと思いますが、ロシア人にとっては特に重要です。ここで成功することは一つの目標ですし、人生の中で一度経験してみたい舞台だと思いますよ。

ーシシキンさんはいつから憧れていたのですか?

子供の頃からです。9歳から毎回、つまり続けて3回はチャイコフスキーコンクールを聴きにきていました。母と一緒に、予選からいろいろなコンテスタントを注意深く聴くんです。とても楽しかったですし、大きな経験になったと思います。

ー記憶に残っている回はありますか?

最初の2002年のことは子供だったのでよく覚えていませんが、聴く側として一番最近のトリフォノフさんが優勝した回(2011年)のことは記憶に残っています。すばらしいピアニストがたくさん参加していました。今は自分がその舞台に立ち、夢が叶ったという感じです。

ーファイナルでは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を選びました。シシキンさんの音とキャラクターに合ったとても良い演奏だと感じましたが、選曲の理由は?

まずこの作品がとても好きだということ、技術的、音楽的な面で自分に合っていると思うこと。それから、ジュネーヴ国際音楽コンクールでこれを弾いたということもあります。ちょうどロシアの作品ですから、このコンクールで演奏したいと思いました。

ーシシキンさんは、重く美しい音をお持ちです。このコンクール、パワーのあるロシアのピアニストはわりと2次でヘビーなロシアの作品を選んでいた印象ですが、シシキンさんはショパンから始めていましたね。そこにピアニストとしての心意気のようなものを見た気がしたのですが。

そうですね、自分のいろいろな側面を見せたいと思って。ピュアなロシア作品の奏法だけでなく、リリカルだったり、ロマンティックだったり、旋律美を見せるような作品も演奏しようと、ショパンに加えて、メトネルのセレナーデも選びました。これによって、あらゆる側面での解釈や哲学を見せることができたと思います。

ーファイナルではロシアの作品を2曲お弾きになりました。ロシア音楽の精神ってどんなところにあると感じますか?

2曲はそれぞれ、とてもワイルドで懐の大きな魂を持っていると思います。とてもロマンティックで心が開かれていて、表情豊かです。幅広い感情や思考を感じて弾くことが大切です。加えて、巨大なサウンドスペースを作ることも求められます。こういう豊かさが、ロシア音楽の魅力だと思います。

ーモスクワ音楽院大ホールの音響でそういうロシア音楽を演奏することに、特別なところはありますか?

ロシア音楽のために作られたホールではありませんけれど、確かにロシア音楽がたくさん演奏されてきたホールです。例えばラフマニノフのソナタを演奏するうえでは、このホールの音響が助けになりました。自分が創る全ての音やダイナミクスを聴いてもらうことができるホールです。
ここで弾いていると、自由な感じがします。音響が助けてくれて、自分がやりたいことに100%集中することができました。

ー今回は5台のピアノのなかからスタインウェイを選びました。

ヤマハ、カワイ、スタインウェイで迷って、最終的にスタインウェイを選びました。ポイントとなったのはメカニックの部分と、ブライトな音です。特にオーケストラとの共演でもしっかりピアノが聴こえるようであるためには、音がブライトであることが重要です。ファイナルのことを念頭に、スタインウェイを選びました。
このピアノは特にベースの部分が調律師さんによってとても良く整えられていていました。スムーズな音がとても心地よく、鍵盤とつながることができ、楽に音を変えることができると感じました。

ー一番大変だったステージは?

どれも大変ではありませんでしたね。驚くことに、毎ステージとても心地よく、自由な感じがしました。少し前にこのモスクワ音楽院大ホールで同じような曲目のリサイタルをしたのですが、ホールが何年かぶりだったこともあって、その時はストレスを感じ、音響もユニークだから慣れるまで大変だったのです。でもコンクールの時は、逆にいい雰囲気のリサイタルのような気持ちで楽しむことができました。本当に不思議なんですが、審査員が聴いていることも忘れていましたし、まったく怖さも感じませんでした。

ーそうですか、なにか降臨してたんですかね、チャイコフスキーの魂的なものとか。

かもしれませんねぇ。すぐ横にチャイコフスキーの大きなポートレイトがあったし。心配しなくていいよと言いながら見てくれているみたいな感じで。

ー審査員もあんなに前に座っていたというのに。

普通のコンクールではあまりありませんよね。でも、審査員の先生方のリアクションが見えておもしろかったですよ。

ー見ていたんですか?

もちろん見ましたよー。

ーヴィルサラーゼ先生と話しましたか?

はい、喜んでくれていますよ! あと、ファイナルからは、今イタリアで師事しているエピファニオ・コミス先生もいらして支えてくださいました。コミス先生は、すばらしい音楽家です。先生からは、演奏法、音楽の理解、音楽の構造、音やタッチのことなど多くのことを学びました。コンクールの準備でもたくさん助けてくださいました。

ー数年前から、アリエ・ヴァルディ先生にも見てもらっているとおっしゃっていましたよね? ロシア音楽についてはもうわかっているだろうから、ドイツものを勉強しようと言われたって。

ふふふ、そうそう。今もハノーファーでレッスンを受けています。ドイツ音楽を中心に、先生から多くのことを学んでいます。

ーロシアン・ピアニズムについてはどういう考えがありますか? まず、そういうものがあると思うかどうかというところから。ピアニストによって意見が違うみたいなので。

もちろん、私たちにはスクールがあります。でも、最近はみんなが外国で勉強するようになっているから、すべてのスクールがミックスされていて、ロシアン・スクールの奏法にはっきりとした特徴があるとは言えなくなっているでしょう。でも、強いスピリッツのようなものはあるといえます。僕が思うに、ロシアン・スクールの中にいるピアニストは、みんなフィジカルな意味でとてもよく鍛えられていて、力強く、音楽にソウルを込めて演奏することができると思います。
とはいえ、一言で音楽の特徴を挙げることはできませんね。それぞれの学生がさまざまなスクールから学び、経験を重ねて、最終的に自分だけのユニークさを手に入れるのですから。

ーところでフィジカルっていう話で思い出したのですが、今もトレーニングをして鍛えているんですか?

最近は泳いでます。ピアニストとして生き延びるためには、演奏で痛みが出るようでない体づくりが必要なので。

ー弾き姿を見てるととても自然だから、痛みなんてなさそうですけれどね。

そんなことないですよ、ピアニストによくある痛みは、みんなあります。見せないようにしているだけです(笑)。音楽を楽しむためには、すぐにリカバーし、健康で良い気分でいられるようでないといけませんね。

ーあと、見ていてシシキンさんの美意識みたいなものがすごいなと思ったんですけど…もちろん音楽的な話もそうなんですが、いつもジャケットを着ていて毎回立ち上がるたびにスッとボタンを閉めていましたよね。

ああ、そうでしたね(笑)。服装については、みなさんへのリスペクトというか、お客様は単に音楽を聴いているだけじゃなくて、喜ばしいものを受け取ろうとして来てくれているわけだからと思ってそうしています。ボタンは、何も考えていなくても自動的に閉めてしまう(笑)。でもみなさん、今回はステージが暑かったからシャツなどで演奏していたんだと思いますよ。頭がクリアでないと、難しい曲を弾くのは大変ですから、気持ちはわかります。

ーところで、お母さんはすごく喜んでるでしょうね。

それはもう。舞い上がってる感じ(笑)。

ー結果が出たらどうなってしまうんでしょうね。

本当ですねえ。母はこれまで、いつも僕のことを守ってくれたし、支えてくれました。とてもあたたかい母です。本当に感謝しています。

◇◇◇

シシキンさん、最終的に2位になって、お母さんはもう嬉しくて「空を飛んでいるみたいな感じだよー」と言っていました。「側で支えてくれた優しいお母さん」と今回のインタビューでは話していますが、以前のインタビューでは、音楽についてはとても厳しくて、その厳しさは「ヴィルサラーゼ先生以上」と言ってましたね。
シシキンさんはお兄さんもミュージシャンでパーカッショニスト。お友達が二人のために曲を作ってくれることになっていて、近いうちにデュオで演奏会をする予定らしいです。
ちなみにお兄さんがお母さん似で、あのシシキンさんの濃厚でシュッとしたお顔立ちは、どちらかというとお父さん似だそうです。見たい。

日本で応援してくれたファンの皆さんへのメッセージはこちらです。

 

チャイコフスキー国際コンクール第3位、アレクセイ・メリニコフさんのお話

チャイコフスキー国際コンクール入賞者のコメント。続いては、第3位のアレクセイ・メリニコフさんです。
彼はグネーシンからモスクワ音楽院で学んで、やはりエメリャーノフさん同様、ドレンスキー先生とその門下の先生方(ピサレフ、ネルセシヤン、ルガンスキー)のもと学んだピアニスト。2015年の浜松コンクール入賞者です(そういえば、このときも3位3人だったな…)。

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Alexey Melnikovさん
◇◇◇
—チャイコフスキーのファイナルのステージで演奏してみて、いかがでしたか?

すばらしい気分でしたが、同時にとてもハードでした。こんなに連続してコンサートを演奏するのは肉体的にもチャレンジングなことですし。

—一番楽しかったステージは?

2次が一番楽しかったですね。

—それはよかったです。浜松コンクールの時同じ質問をしたら、頭が痛かったり風邪ひいたりしていて全部辛かったっていってたから。

そうそう、あのときは全部調子悪かった(笑)。今回のほうが緊張感も軽かったし、心地よく演奏できました。あれから何年か経って、少し成長できたということかもしれません。

—今回は会場でドレンスキー先生もお見かけしましたが、お元気そうで安心しました。

ドレンスキー先生は体調もよく、毎週練習して生徒にも教えていらっしゃいます。僕もこのコンクールの準備ではドレンスキー先生に見ていただきました。それからもちろん、ルガンスキー先生にも。そういった影響が自分の演奏に見えるのは確かだと思います。

—先生方から学び受け継いだ最も大きなことはなんでしょうか。

音でしょうね。あとは音楽のテイストの質です。

—今回は、5台のピアノからスタインウェイを選びましたが、選んだポイントは?

キャラクターの違うピアノが並んでいて、30分で選ばなくてはいけませんでしたから、とても苦労しました。でもとにかく音質を重視して選ぶことにしました。弾き心地という意味では一番でなかったかもしれないけれど、あのスタインウェイのピアノは、一番美しい音を持っていました。普通でない、あたかく深い音を持っているところが気に入りました。
カワイもとてもいいピアノで本当に迷ったので……多くの人が選ばなかったことに驚きました。特にピアニシモで多くの自由を与えてくれて、いろいろなことを試すことができる、広い可能性を持つピアノでした。

—浜松コンクールのときから、メリニコフさんの柔らかくて少し暗めの特別な音が印象的で、忘れられませんでしたが。

ああ、あの時はすばらしいカワイのピアノを弾きました。あのピアノが今回もここにあったらいいのにと思いましたね。

—ところで思ったんですが、メリニコフさんの声って独特ですよね、深い響きというか。

……え、喋ってる声の話してます?

—そうそう。それが、メリニコフさんのピアノの音と近いんじゃないかなと思ったんですけど。言われたことありませんか?

ないない、初めてですよ。でも、それはそうかもしれません。

—管楽器奏者の方がそういう話をしていたのを、ふと思い出したんです。自分はこういう音域の声だからこの楽器が好きだ、みたいな。

なるほど、確かに僕は暗めの音の方が好きです。ピアノだけでなく、他の楽器でも。それが自分の声と関係している可能性はあるかもしれない。

—あの特別な音を鳴らすための秘密はあるのでしょうか?

うーん、やっぱり耳でしょうかね。耳が全てです。聴く経験を豊かにすることは、新しい感覚を見つけることの助けになります。とくに歌を聴くといいと思います。あと、ほかの楽器と一緒に演奏することもいいですね。自分でも他の楽器を演奏できたらいいなと思うくらいです。将来的に挑戦してみたいです。

—2次では、リストのソナタを演奏されました。聴きながら深呼吸したくなる演奏で、大変楽しませていただきました。でも、コンクールでこの曲を選ぶのは勇気がいりませんでしたか?

もちろん、とてもリスキーな行動だったと思っています(笑)。でも、僕はこの曲には特別な感情というか、何かケミストリーのようなものを感じていたんです。もちろん、自分では、ということですが。その感覚を大切にしました。

—メリニコフさんが受けた次の回の浜コンで、たまたまセミファイナルで12人中4人、それもティーンエイジャーの子たちがわりとリストのロ短調ソナタを選んでいたもので、この曲をコンクールで弾くことについて、審査員の先生方がいろいろおっしゃっていたんです。そのことを思い出してしまって。[参考:一番イラだっていたイラーチェク先生のインタビューはこちら

それはそうでしょう。これはリスト後期のとてもパーソナルな作品です。ファウストと関連しているといわれますが、僕自身は、リストはこの作品にファウストのアイデアをとても個人的な視点から持ち込んだと思っています。まず、冒頭の部分では二つの異なるスケールが聞こえますね。一つは教会音楽で使われるスケール、もう一つはジプシーのスケールです。これは、彼の署名だと僕は思います。彼はかつてジプシーであり、のちに修道僧になった。そんな自分の経験と人生を投影していると思います。少し歳を重ねてからでないと演奏できない作品でしょう。40歳か50歳くらいになってから演奏できると一番いいと思います。僕も今20代の終わりに弾いて、10年くらいおいてからまた演奏したいと思っています。

—それは楽しみですね……歳をとってほしいです。

オッケー、約束する、必ず歳をとるよ(笑)。

—ロ短調ソナタでも、ああいった柔らかく小さな音をこの大きなホールで迷わず鳴らそうとできることがすごいと思ったのですが、どうするとああいう勇気が持てるのですか? こわくないですか?

このホールで弾くときに重要なのは、語りかけるような音を鳴らすことです。もし、良いフレージングで語る音を出せれば、みんなに聴きとってもらえます。理由はわかりませんが、それはこのモスクワ音楽院大ホールの魔法のようなものでしょうね。

—浜松コンクールの時のインタビューでは、映画も好きだというお話をしてくださいましたね。最近は何か観ましたか?

映画はあまり観ていないのですが、今年はナボコフの本をたくさん読んでいました。最近のお気に入りです。

—そういえばこの前の浜コン、日本人作曲家の課題曲は「SACRIFICE」(佐々木冬彦作曲)だったんですよ。

ああ、僕も聴きました。あれはいい作品でしたね。

—タイトルの通り、タルコフスキーの映画からも影響を受けているという作品だったのですが、インタビューしたコンテスタントの中で一人しか映画を観てみたといっていなくて驚いちゃって。

それは僕たちのジェネレーションの問題でしょうね。教室に閉じ込められて、ショパンのエチュードを誰よりも速く弾けるようになればいいと思ってひたすら練習をしている。そんなふうに閉ざされた生活をしていたら、プロとして音楽の道で生きていくにあたって、未来はありません。人間として成長することで、音楽家としても成長できるというのに。

—メリニコフさんは、これからピアニストとして何を目指していきたいですか。

音楽の本質に集中し続けたいです。これまでも、キャリアのことを考えてどうということはなく、単に成長したいと思いながらピアノを続けてきただけですから。コンクールに出るのは、有名になりたいからとかそういうことではないんですよね。大切なのは音楽の喜びで、ほかのことは周辺の事情にすぎません。

—では、あなたの音楽にとって最も大切だと思うことは?

良い人間でいることでしょうね。可能な限り。自分がどんな人間であるか、それこそが、聴き手のみなさんが自分から感じ取るものだと思うからです。

◇◇◇

以前の浜松コンクールの時に行ったインタビューによると、メリニコフさんもまた、「両親は音楽家ではなく、子供の頃の練習時間は1時間半から2時間で、それ以上練習したことはない」というパターンだそうです。
この浜コンでのインタビュー、結構面白くて、アーカイブが残っていないのが残念なのですが、その中で、ロシアン・ピアニズムについて語っていることが興味深いので、ちょっと再掲載。

「そもそも、ロシアの伝統とは何かを説明すること自体が難しい。実際、ロシアの教授たちは演奏も教え方もみんな違います。ただ、ロシアン・スクールにおいては、演奏にあたって作品の形を組み立てることを大切にするというのはあると思います。ラフマニノフはこれについて、作品にはいわば建築でいう “ゴールデンポイント”のようなものがあるので、それを見つけないといけないと言っています」(第9回浜コン入賞者インタビューより)

そのほかにも、映画はタルコフスキー、キューブリック、ベルイマン監督作品も好きだけど、隣のトトロも好きだとか、ステージや演奏後はクールな感じにしているわりに楽しそうに映画の話をしてくれて、この時以来、メリニコフさんはツンデレ的チャームポイントをお持ちのピアニストだと私の中で認定されました。

ところで彼、前にもちらっと記事で触れましたが、髪型おしゃれですよね。実は私がそこについひっかかってしまうのには理由がありまして。
浜松コンクールの時、プログラム用に提出してあったメリニコフさんの写真の髪型がなんともいえないマッシュルームヘアで、実物を見て、写真より今の髪型のほうが断然いいじゃないの、似合うヘアスタイルって大事ねとしみじみ思った(しかも口に出して本人に言った)のでした。それで今回はまたさらに、アシンメトリーなおしゃれヘアになっていたもので、いいねと言わずにいられなかったわけです。

写真撮影のとき、そんなおぐしが少し乱れていたので、「髪型それでいいの?」「整えたら?」「でもそのヘア・スタイルいいよね」「今までで一番似合ってる」などと一方的に語りかけていたところ、メリニコフさん突如、「ぬぅ、これはヘア・スタイルではない。ただのヘアなのだ!」と哲学みたいなことを言い出し、横で撮影を見ていたお友達に、爆笑されていました。

チャイコフスキー国際コンクール第3位、コンスタンチン・エメリャーノフさんのお話

チャイコフスキー国際コンクール入賞者のコメント。続いては、第3位のコンスタンチン・エメリャーノフさんです。
モスクワ音楽院で、ドレンスキー先生とその門下の先生方(ピサレフ、ネルセシヤン、ルガンスキー)のもと学んで、2018年から音楽院のアシスタントを務めているようです。王道ルートという感じ。

エメリャーノフさんはまだ25歳ですが、演奏も佇まいもとても落ち着いた雰囲気です。私の中では、演奏はわりとサラリとしているけれど、音にインパクトのあるタイプという印象。

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Konstantin Yemelyanovさん
結果発表直前に、薄暗い通用口のドアの前で佇んでいるところを発見
さすがに背景がもの寂しすぎたので、場所を移動して撮影しました。ニッコリ

◇◇◇

—チャイコフスキーコンクールのファイナルという舞台で演奏してみて、どんなお気持ちですか。

とても幸せですし、光栄です。でも、同時にすごく疲れました。もっともストレスの大きい経験だったと思います…。

—やっぱりロシアのピアニストには、昔からチャイコフスキーコンクールの舞台への憧れみたいなものがあるのですか?

子供の頃っていうことですか? とくにそういう夢とか憧れはなかったですねぇ。僕は神童みたいなタイプではなかったし、練習もあまりしなかったし。家族には音楽家もいないし、両親も、僕を音楽家にしようなんて考えていなかったと思います。
僕が音楽の道に進んだのは、ほとんどアクシデントのような感じなんですよね。子供の頃は練習だって4、50分くらいしか続かなかったですし……。

—でも、ご両親は今この結果を喜んでいるでしょう。

それはもちろん(笑)。

—全然体を動かさないで、すごくどっしりした音を鳴らしていらっしゃいましたね。これがロシアン・ピアニズムを受け継ぐ人の音なのかなと思いましたが、エメリャーノフさんとしては、そういうロシアのスクールのようなものについてどう考えていますか?

僕自身が、もしかしたらその中にいるのかもしれませんけれど……ロシアン・ピアニズムの演奏家は、みんな違う音、音の色を持っています。一番重要視されるのは、音楽のアイデア、コンセプトでしょう。テクニックの問題だけが重要なのではありません。ステージで演奏する作品についてのコンセプトを常に深く掘り下げ、そのキャラクターを真に捉えていなくてはいけません。

—モスクワ音楽院の大ホールは音響をコントロールするのが難しいとみなさん言っていましたが、いかがでしたか?

そうですね、とても広いし、物理的に簡単ではありません。この会場は、ステージに座って聴く音と、客席で聴く音が大体同じだと感じます。自分が十分でないと感じるときは客席でも十分でないし、クリアに聴こえると思うときはクリアに響いている。おもしろいなと思いました。

—今回は5台のピアノからヤマハのCFXを選びました。その理由は?

関心を持ったそれぞれのピアノを試してみましたが、このホールの音響にはヤマハが合うと思いました。一番音がクリアで、混ざり合っても音がごちゃごちゃになってしまうこともなく、すべての声部を聞くことができて、音楽を作るのにとても良いピアノだと思いました。
僕にとって、鍵盤の弾き心地の良し悪しはあまり大きな問題ではありません。最も重要視しているのは、このホールの中でどう響くかという音のことです。

—エメリャーノフさんが音楽家として最も大切にしていることはなんでしょうか。

常に真摯で正直でいること。自分自身でいること、そして作曲家に正直でいることです。自分が人に届けたいと感じる偉大な作曲家たちの作品を弾いているのですから、そんなすばらしい音楽に対して、いつも正直でいないといけないと思っています。

◇◇◇

この“家族に音楽家はいないし、子供の頃あんまり長い時間練習しなかった”っていうパターン、ロシアのピアニストに結構いますね。(それで、それじゃあ何して遊んでたのと聞くと、だいたい「サッカー」っていう。エメリャーノフさんには聞きませんでしたけど)
ゴリゴリ練習漬けにはしないけれど、才能のある子は早期教育の学校に入れてしまって、自然とすごい先生と仲間に囲まれて淡々と音楽をやっていて、気づくと技術と考え方が身についている。そういう芸術家育成システムが、ロシアにはあるんでしょうね。

エメリャーノフさん、演奏の雰囲気からもっとクールな感じなのかと思っていたんですが、話しかけてみたら非常に優しい感じで、しかもにっこりポーズの撮影にまで付き合ってくださり、そんなところも、いかにもロシアのピアニストって感じでした(イメージ)。

チャイコフスキー国際コンクール第4位、ティアンス・アンさんのお話

ここから、お話を聞くことができた一部の入賞者のみなさんの言葉をご紹介したいと思います。

まずは、中国のティアンス・アンさん。
中国に生まれ、北京の中央音楽院で学んだのち、アメリカのカーティス音楽院に留学している20歳です。中国のピアノ、長江を選んでファイナリストとなり、また前述の通りのファイナルでのハプニングもあり、いろいろな意味で注目されました。そのハプニングへの配慮から、アンさんには特別賞(Special Prize  for courage and restraint)が授与されました。

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Tianxu Anさん。結果発表前に少しだけお話を聞きました
写真はガラコンの日のもの。何度写真撮っても、安定の満面スマイル

◇◇◇

—ファイナルの演奏については、いかがでしたか?

よかったと思います。私にとって、オーケストラと共演するのは人生で初めてでした。こんなに大きなコンクールでその初めての経験ができたことは、とても幸せだったと思っています。とても緊張しましたが、こんなチャンスをいただくことができて、自分はとても運が良いと思っています。

—「パガニーニ」の演奏のことは、驚きましたね。

でも、あれは自分の責任です。ステージに出る前に指揮者と話して確認しなかったのがいけませんでした。私のミスです。

—そんなことないでしょう……。でも、すぐにリカバーして演奏を続けたのはすごかったですね。

ああ、ありがとうございます。

—今回、ピアノは長江を選びましたが、どんなピアノでしたか? ピアノを選んだ理由は?

とてもすばらしいピアノで、ソフトな音もとても輝かしく鳴るところが気に入りました。大きな音も輝かしく、小さな音もクリアなままで鳴る、そのキャラクターが自分の演奏に合うと思って選びました。どのピアノもみんな違う特性がありましたが、あのピアノの特徴は私が好きなものでした。

—あまり弾いたことのないピアノを大きな舞台で選ぶのは勇気がいったのでは?

でも、中国で試したことがありましたし、ステージごとにピアノに慣れていきましたので。

—今は、カーティス音楽院でマンチェ・リュウ先生の元で勉強されているんですよね。小林愛実さんも一緒ですよね。

はい!! もちろんアイミはしってますよ。一緒の先生のクラスですから。

—リュウ先生から、どのようなことを学びましたか?

先生は、技術のトレーニングについてとても厳格に見てくださいます。彼が伝えようとしているのは、音楽を作るために、いかにそのテクニックを使うかということだと思います。筋肉の使い方などについてたくさんのアドバイスをくださいます。また、ブラームスやベートーヴェンなど、ドイツもののレパートリーの指導がすばらしいです。先生の元で、多くのことを学ぶことができました。

◇◇◇

…アンさん、なんと今回のチャイコフスキーコンクールのファイナルが、初めてのオーケストラとの共演経験だったんですね。それであの、「チャイコフスキーの1番だと思って座っていたらラフマニノフのパガ狂はじまる事件」が起きたわけです。コンチェルトのステージがトラウマになったりしないだろうか…パガ狂弾いたらいろいろフラッシュバックしそう。そしてあんなことがあったのに、自分はファイナルで演奏ができて幸運だったと何回も言っていて、前向きだなと思いました。
ただ、マツーエフさんからのファイナルの演奏やりなおしの提案については、弾こうとは全く思わなかったようです。

お話を聞こうと話しかけるといつも、アセアセしながらしゃべってくれるアンさん。ステージでの見た目はちょっとベテラン風ですが、非常に初々しいというか、人の良さが感じられました。結果発表のときにも、一人正装で臨んでいましたね。(カントロフさんなんて、結果発表は明日だと思ってさっきまで部屋でダラダラしてたとかいいながら、いつも着ているシャツ&ジーパン、手にマフラーむんずと掴んで会場に来てたのに)。
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アンさんの笑顔もいつも見事でしたが、付き添っていたお母様も本当ににこやかでフレンドリーな方で、会うといつも明るく声をかけてくださいました。このアンさんスマイルはお母さんの教育のたまものですね、といったら、アンさん以上のスマイルがかえってきて、親子すごいと思いました。

チャイコフスキー国際コンクール審査員、オフチニコフ先生のお話

チャイコフスキーコンクール、審査員の先生のお話。お二人目もロシア人ピアニスト、現在モスクワ音楽院教授を務めるウラディーミル・オフチニコフ先生です。
モスクワ音楽院でナセドキン(G.ネイガウス、ナウモフの弟子ですね)の元学んだピアニストで、やはり、ロシアンピアニズムを後世に継承する有名な教育者です。

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ウラディーミル・オフチニコフ先生
◇◇◇

—ファイナルの結果について、どのようにお感じですか?

とても嬉しく思っています。特にファイナルでは、全く異なるタイプの音楽家、違う楽器、さまざまなスクールの音楽とメンタリティを聴くことができました。本当にきらめくようなファイナル・ラウンドでしたね。審査員としてコンクールに参加していたにもかかわらず、優れたピアニストの音楽とともに時間を過ごしたことで、とても楽しむことができました。彼らの将来がすばらしいものであることを願っています。

—今回、優勝したカントロフさんが評価されたポイントは何だったのでしょうか。

カントロフもそうですが、加えて藤田真央の演奏は、このコンクールの中で特別でした。二人の異なるタイプのすばらしいスターだったと思います。私たちは彼らのソロとコンチェルトを聴くことができてとても幸せでした。聴衆も、打ち上げ花火のようなパワフルな反応をしていましたね。まるで演奏会を聴いているようでした。

—今回は、5つのメーカーのピアノが出されていました。

これもまた、フラワー・ブーケのような存在でした。5台はそれぞれ異なるレベル、音、クオリティを持つ楽器でしたが、こうしてコンクールで聴くことができたのはとてもおもしろい経験だったと思います。楽器によるコンペティションのような一面もありましたね。

—ちなみに、ピアノの選択は結果にとって重要だと思いますか?

それはとても重要だと思います。これはただの音楽イベントではなく、私たちは音の質も聴いて判断をしているのですから、全てのことが重要です。特に音は、音楽にとってとても大切な要素です。
時にはピアノが十分な役割を果たしていないとか、フォルテが十分でない、逆に強すぎたりドライすぎたりすることもありました。もちろん、誰が演奏しているかにもよるものではありますけれどね。

—中国のピアノ「長江」の印象はいかがでしたか?

悪くありませんでした。十分に良かったと思います。ブライトで力強い音がスタインウェイのようだと思うこともありましたが、時々、少し物足りないときもありました。もしかしたらピアニストの弾き方によるところもあるかもしれませんけれど。
いずれにしても、演奏者に魂の内面から音楽的に言いたいことがあるのなら、どんな楽器でもすばらしく演奏することができるとは思いますけれどね。

—例えば、カントロフさんはファイナルでピアノを変えましたが…。

あっ、そうでした? 覚えてないな…。

—2次まではカワイを弾いていましたよね。

ああ、そうだったっけ! それでファイナルはスタインウェイを?

—そうです。…あのぅ、オフチニコフ先生、もしかしてそれってやっぱり、いい音楽を持っているならピアノは何を選んでも重要でないってことですかね(笑)。

そういうことですね(笑)。音楽がなにより重要だということです(笑)。

—ところで、先生が求めていた才能、コンクールで次のステージに進んで欲しいと思ったのはどんなピアニストですか?

私はロマンティックなピアニストが好きですね。例えば時々は、プレトニョフ氏のような、とてもクレバーで深い音楽性を持つピアニストを聴くことも好きです。でも彼の演奏は、感情的で力強い声を持つというタイプではありませんよね。一方で、私は「ノイハウス・スクール(ネイガウス・スクール)」のピアニストですので、もっとオープンで感情が豊かな音楽と演奏の方を好みます。
今回のファイナリストについては、カントロフと藤田真央の将来に大いに期待しています。

◇◇◇

最後のお答え、これぞロシアンピアニズムの流派のプライド!とか思って勝手に興奮してうぉーとリアクションしたら、オフチニコフ先生、そうかいそうかい、という笑顔で無言で眺めていらっしゃいました(実際には単に若干引いてたのかもしれない)。
でもでも、オフチニコフ先生がすばらしいというカントロフさん、師のレナ・シェレシェフスカヤ先生はプレトニョフさんと同じフリエール&ヴラセンコ門下ではないかとか(ちなみに私がインタビューをお願いする直前、オフチニコフ先生とシェレシェフスカヤ先生は熱心に話し込んでいた)、さらにいうと、藤田真央さんの先生の野島稔さんはオボーリンの弟子じゃないかとか。その辺りのことって掘ったら大変なことになるのでしょうからここで書くミッションは華麗に放棄いたしますが、とにかくいろいろ考えるとすごくおもしろいですね。
しかも結局、何系列だからどうとか、ピアノの選択はこうだとか、いろいろいうわりに、いいものはなんだっていいってうっかり(?)言っちゃうオフチニコフ先生サイコーと思いました。

…で、全然関係ないんですけど、わたくし今回、オフチニコフ先生のお姿を初めて近くで拝見したんです。それで驚いたのですが、スラリーンとしていて素敵なんですね。この年代のロシアの先生っぽくないというか(…いえ、もちろんどしんとしたロシアの先生たちもかっこいいし素敵なんですけどね)。そしてもっと難しくて厳しい感じの方なのかと思っていたら、物腰やわらかで優しかった。
そんなわけで、写真を撮る時に、とっても素敵ですよー、ほら、もっと笑ってくださいよほらほら、とかやっていたところ(お話ししているときのにっこり笑顔がどうしても撮りたかった)、先生照れてしまって首を傾げてしまい、せっかくの爽やかスマイルが、ブレてしまった。
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チャイコフスキー国際コンクール審査員、ペトルシャンスキー先生のお話

前述の通り、審査委員長のマツーエフさんは結果発表の翌日に演奏会のためあっという間に旅立ってしまって、私はうっかりつかまえることができませんでしたが、授賞式でピアノ部門のプレゼンターを務めたお二人の審査員の先生に、待ち時間の間にお話を聞くことができました。

お一人目は、ボリス・ペトルシャンスキー先生です。モスクワ音楽院で、ネイガウス、ナウモフのもと学んだピアニストで、現在はイモラ国際ピアノアカデミーなどで教えています。優秀なお弟子さんがたくさんいらっしゃる名教授です。

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ボリス・ペトルシャンスキー先生

◇◇◇

—結果について、どのようにお感じになっていますか?

審査員はそれぞれに趣味が違いますから、自分の考えと完全に合うということは難しいですが、フランスのカントロフさんと、日本の藤田真央さんの結果については私も嬉しかったです。
二人はとても才能があるので、これから大きな発展の可能性がありますね。きっとすばらしい将来が待っているでしょう。そう祈りたいです。コンクールはこうして若者が可能性を広げていくために必要なものです。

—1位1人、2位2人、3位3人という結果になりましたが、これはみんな良いピアニストだったから3位までにいれてあげたいという審査員の先生方の判断の結果なのでしょうか?

本当に、ピラミッドみたいな結果なりました。その理由は、まず一つが、本当に彼らがほぼ同じレベルのピアニストだったこと。もう一つはデニス・マツーエフの決定です。彼の哲学といってもいいかもしれませんが、無理に1位から6位まで順番をつけるより、一緒の順位を与えるほうがピアニストの将来のためにいいという考えを持っていました。こういうスタイルの順位にすることは、マツーエフさんがプッシュしました。
それに、3位の三人はタイプは違うけれどレベルがほぼ同じピアニストでした。今日はこの人のほうが良くても、明日はその逆になっているかもしれない。そう思えるレベルで実力が僅差でした。

—優勝したカントロフさんが評価されたポイントはなんだったのでしょうか?

私が一番気に入ったのは、彼の左手です。作品のハーモニーのプロセスを見事に整理できるピアニストだと思いました。彼はピアノを、まるでシンフォニーの楽譜を演奏しているように聴かせてくれます。例えばチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番でとても良いと感じたのは、彼が弾きながら、オペラか小説など、何か音楽作品とは別の分野の芸術の雰囲気を生み出していたところです。ただのピアニストではなく、もっと違った存在といえるでしょう。彼がやっていることは、毎回普通のピアノの演奏ではなく、なにか文化的な出来事であると思えました。審査員が彼の解釈をどう受け取るかは別の話ですが、彼の解釈は普通ではなく、当たり前のこともおもしろいと感じさせてくれました。
藤田真央さんもとても魅力的だと思いました。例えばモーツァルトの演奏は、私の意見ではテンポに少し違うと思える部分もありましたが、それでも音楽がとても魅力的で、聴衆もそれに反応したのです。

—確かに、あの藤田さんの1次の演奏は、その後の評価にまで影響を与えたのではないかという印象の強さに思えました…。

そうですね。最初の曲目を聴いた時、彼には特別な才能があると感じました。彼の演奏は、聴き手にショックを与えるというより、ハグをしている…音楽を包み込んでいるような演奏だったと思います。

◇◇◇

「聴き手にショックを与えるというより、包み込むような」というのは、今時ありそうでなかなかない演奏だよなぁと、先生に言われて改めて思いました。
一方でカントロフさんの演奏は、どちらかというとちょっとショックを与えるタイプですよね。それが奇をてらっているようなものでなく、いろいろな基本にそった上で、心の中のオリジナリティから湧き出すものであると、説得力があるということになるのでしょう。オペラか小説のようというのは、ファイナルのチャイコフスキーで自分も感じたことだったので、心の中で激しく納得しておりました。

このお二人については、今回のコンクールについて感想を聴いた時、全くタイプの違う二つの才能として多くの人が名前をあげます。ロシアのお客さんにとって、もともとマークしている存在じゃなかったということも大きいのかもしれません。発見の喜びって嬉しいもんね。こういうのは、コンクールという場があってこそであります。

中国のピアノ「長江」の社長さんに話を聞いた

先の記事でも書いたとおり、今回のチャイコフスキー国際コンクールにおいて私が関心を寄せていることの一つに、中国のピアノ「長江」の存在がありました。

コンクールのピアノ業界では、まずは世界のコンサートホールでシェアNo.1のスタインウェイ、そこに追いつけ追い越せと日本のメーカーが良いピアノを開発し、さらに全く独自の良いピアノを目指して急発展を遂げるイタリアのファツィオリが参入。加えてときどき、ヨーロッパの老舗メーカーの良いピアノが登場するというのが近年の状況でした。
そこに中国のピアノ「長江」が現れたわけです。モスクワへの出発前、一足先に現地でのセレクションで長江を聴いた日本のピアノメーカー関係者の方々から、思ったよりずっといい楽器だと聞いて、これってもしかして、これからピアノブランドの勢力分布図が少しずつ変わっていくということ?と思わずにいられませんでした。

さて、この長江というグランドピアノ、日本で得られる情報はあまり多くないかと思いますので、まずはメーカーの方に聞いた基本的な情報を。
ブランド名は、「長江(チャンジアン)」。外国では覚えにくいだろうということで、長江の別名、揚子江を欧文にした、「Yangtze River(ヤンツーリバー)」というのを一般的な呼び方としているようです。
製造しているのは、Parsons Musicという会社。もとは音楽教室のビジネスからスタートし、やがて生徒たちにピアノを販売するディーラーとしての事業を展開する中、OEMで既存ブランドのピアノ製造を開始。そんな中で20年ほど前に、自社ブランドのピアノの製造もはじめたそうです。
長江というブランドのグランドピアノは、誕生して10年ほどだといいます。値段は日本円で1000〜1200万円だとメーカーの方は話していました。既存のトップメーカーのフルコンと比べるとだいぶ安いですね…。

今回のチャイコフスキーコンクールの調律を担当したのは、中国人調律師さん。それも、男女の中国人カップルの二人が、それぞれ得意な能力を出し合って(整調が得意な人と、整音が得意な人がいるらしい)1台のピアノの準備をしているそうです。
コンクールのピアノを女性調律師さんが担当しているのもそういえば珍しいですが、カップルの共同作業というのは初めてのケースではないでしょうか。

今回、チャイコフスキーコンクールでは、25名の参加者のうち、中国の2人のピアニストが長江を選び、最終的にはそのうちの一人、アンさんがファイナルに進みました。
つまり長江は、初参加でファイナル進出という快挙。そのうえ、アンさんにあのようなハプニング(ファイナルの記事をご参照ください)があったことで、ある意味注目されることになりました。

そもそも、長江がコンクールの舞台にのることになった経緯ですが、審査委員のマツーエフさんが中国のフェスティバルで長江を弾き、とても気に入って、チャイコフスキーコンクールに出せば良いのにと誘ったことがきっかけなんですって!
なんとなく、長江サイドが出したいと売り込みまくったんじゃないかって思ってませんでしたか? 私は思ってました。だから、なんかすみませんって思いました。
正直にパーソンズの人に、売り込んだのだと思ってたと言ったら、全然違うよーといって、マツーエフさんによる長江についての絶賛コメントや、6/14にクレムリンで行われたコンサートの記事(中国語)を送ってくれました。

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(長江が企画した中国メディア向けの取材に答えるマツーエフさん)

というわけでこのたび、Parsons Musicの社長さんにインタビューする機会をいただきました。通訳は、昔大阪に留学していたという日本語ペラペラの奥様(あわせて会社の成り立ちなども教えてくださいました)。
奥さまのお話によると、社長はもともとフィリピン華僑だった家庭の生まれ。70年代、中国政府の政策で一家がフィリピンに戻れることになったとき、本来ならフィリピンに行くところを香港に移って定住したことが、香港をベースにビジネスを始めることになったきっかけだそうです。

社長さんと奥様にいろいろ率直に聞いてみましたので、どうぞご覧ください。

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◇◇◇

—Parsons Musicはもともと楽器販売の会社だったそうですね。どのように楽器製造のほうが始まったのでしょうか。

奥様 若い頃ピアノを習っていた彼(社長)は、当時すでに香港で広がっていたヤマハ音楽教室で教えることからピアノ教師のキャリアをスタートしました。30平米のスペースから始め、10年ぐらいたつと教室の数が10店舗ほどになって、それから中国の内陸のほうで既存メーカーの代理店としてピアノ販売のネットワークを広げていきました。
やがて、販売だけでなく製造も手がけるほうがよいだろうと深圳近郊の工場でOEMによるピアノ製造をはじめました。そして1999年、三峡ダムの近くにあった国営のピアノ工場がつぶれかけていることを聞き、買い取ってピアノ製造を始めました。働いているのは、元々の工場の従業員と新規に雇った地元の人々です。
そして、ここに流れている川が長江だったことが、ピアノのブランド名の由来です。現在は、年間でアップライトとグランドあわせて7万台くらい製造しています。
私たちのメーカーが特別なのは、社長である彼がもともとピアノやエレクトーンを教え、調律も習ったことがある経験を生かして、自ら開発に関わっているということです。

—モデルにしているピアノ、目指しているピアノはあるのでしょうか?

奥様 やはりスタインウェイですね。とくに昔のスタインウェイはすごく良い楽器でした。今は若い人が技術的な仕事をしたがらなくなって、状況が変化しているのではないかと思いますけれど。日本も、若者は製造業にあまり関心を持たないのではありませんか?
でも、中国はそうではありません。だからこそ、私たちは今この時期にうまく参入できたのではないかと思います。

—技術開発はどのように行ってきたのですか?

奥様 日本人、韓国人、ドイツ人など40人ほどの外国人の技術者から助けてもらいながら開発を進めました。みなさん、中国で自分の能力が役に立つのならと協力してくださいました。特にフルコンサートグランドは、時間をかけて開発に取り組んできました。スタインウェイや他社のピアノの特徴、いいところ、足りないところを把握したうえで、演奏家とコミュニケーションをとってどんなものが求められているかを考えています。
日本ではデータに基づいて開発をしているところがあると思いますが、それにはいいところもそうでないところもありますね。ビジネスは効率を求めないといけませんから、量産のピアノはそれで決めなくてはならない部分があるかもしれませんが、フルコンの場合は奥が深いので、演奏家ならではの聴き方、音楽表現のために求めることを考えて開発する必要があると思います。

—それではここからは社長さんにお話を伺います。長江では、どんなピアノを目指しているのでしょうか。

まずは、演奏者の心の中にある音楽性を引き出せるピアノを作りたいと思っています。

—長江というピアノの魅力、特徴を教えてください。

最初触ったときに、少し入りにくいと感じる部分があるかもしれません。でも、弾けば弾くほど魅力を感じるピアノだと思います。

—10年でここまでのピアノにできた秘訣は何でしょうか。

私は子供の頃から音楽を勉強し、しばらくピアノ教師をやっていたので、作品、演奏者の気持ちがわかります。コミュニケーションをとり、自分だけでなく演奏者の気持ちを聞きながらピアノを作ることが大切だと思っています。
ピアノは、指が鍵盤に触れ、それで生まれる振動が響板に伝わって、響板からその音がまた体に戻ってくる楽器です。そんな、ピアノと演奏者の一体感、スムーズなサイクルを実現させることは、簡単ではありません。ピアノは構造もとても複雑ですし、材料である木やフェルトは生きているものです。特にフルコンサートグランドのための良い材料を集めることは、簡単ではありません。これらのバランスをとり、一体感を実現させることが、良いピアノをつくる秘訣だと思います。ただ、その音色は言葉で表現しにくいですね。心の中にあるものだと思います。

—先ほど、数あるピアノの中で目指しているのはスタインウェイだというお聞きしましたが、スタインウェイという存在に対して、長江はどういう位置付けを目指して開発しているのでしょうか。近づけようとしているのか、越えようとしているのか、それとも別のキャラクターを持たせようとしているのか…。

スタインウェイは、性別、年齢を問わず色々な人が弾けるいいピアノです。ただ、もしスタインウェイと同じピアノを作っても、私たちは必要とされません。私たちは、スタインウェイよりも音色がもっと豊かでパワフルなピアノを目指しています。演奏者が、弾けば弾くほど弾きたくなるピアノにしたい。聴き手も、聴けば聴くほど聴きたくなるピアノにしたい。いつまでも飽きない、もっともっとと感じるピアノにしたいのです。

—なるほど…社長はご自身がピアノの先生だったから、弾き手として理想のピアノを求めて作り始めたということなんでしょうかね。

はい。いろいろなブランドの代理店として仕事をしてきましたが、自分が100パーセント満足できるピアノはなかなかありません。だから自分の全ての思いを込めたピアノを作りたいと思うようになりました。
ピアノを習っている子供には、ピアノの品質が悪いことによって、1日何時間かけて練習しても本当の音楽を身につけられないことも多くあります。そういう問題を解決したいという想いがありました。まずは技術、続いて音楽性を育てて行くと思いますが、良いピアノによって、心の中の音楽を出せるようになるまでの時間を短縮させてあげたいのです。そうすれば、ピアノを練習することが嫌でなくなる子供が増えると思います。

—ところで、ゲルギエフさんとマツーエフさんからチャイコフスキーコンクールにピアノを出してみたらいいと言われたことで、参加を決めたと聞きました。実際参加してみて、手応えはどうでしたか?

ハイレベルなコンテスタントが違うブランドのピアノで同じ曲を弾くと、音の聴き比べができて勉強になりました。そういう違いによって、各ブランドのいいところ、足りないところもわかりました。これから自分たちのピアノをどのように開発したらよいか、次にどういうことを注意したらいいかを考えるうえで、とても良い勉強になりましたね。

—コンクールで結果を出すことについてはどうお考えですか?

私たちとしては、初めて中国のブランドがこのようなコンクールに楽器を出せたというだけでとても満足しています。結果的に何位に入るかどうか、そこまでは期待していませんし、重要ではないと思っています。世界のステージで中国のピアノの音を聞けたことに満足しています。

—コンクールの場合は、わざわざ持ってきても誰も選ばなければ弾いてもらえませんよね。

そのリスクはありましたので、誰も選ばなかったらどうしようかと最初はすごく心配していました。みなさんには、普段練習して慣れているブランドがあるでしょうから、ここでいいなと感じただけで長江を選ぶことは難しいと思います。そんな中、たまたま中国のコンテスタントが、自分の雰囲気にあった音色だと感じて選んでくれたのです。嬉しいことでした。

—それで…これからコンクールでの優勝も狙っていくのでしょうか?
チャンスはあると思いますが、でも一番大きな問題はコンテスタントとピアノの一体感なので。それに、いい音だからトップになれるとも限りませんし。

—日本の場合は、ヤマハとカワイというメーカーがコンクールでもトップを目指して競争をしてきて、それによってピアノの質が向上してきたところがあります。私たちとしてはそこに中国のメーカーも入ってきた感じかなと思っていましたが、もしかしてちょっと違うんでしょうか…。

そうですね。成り行きやご縁もあることなので。いいピアノを作れば認められると思っています。

—そうでしたか。もっとギラギラしている感じなのだとばっかり…すみません。ちなみに日本のメーカーのことはどう考えていますか?

日本のピアノは、とてもバランスが良く、音がクリーンです。私たちが求めているピアノとまたちょっと違う方向だと思います。

—日本のマーケットには関心はありますか?

OEMでカワイのピアノをつくっていますので…日本の市場にという考えはありませんね。私はカワイのピアノの音色がとても好きです。

—日本のメーカーもがんばっていて、ファツィオリもあり、王者スタインウェイもその座を譲ろうとしないというこの状況に実際に参加されてみて、コンクールで成功する秘訣、そのために大事にしたいことはなんだと感じましたか?

コンテスタント、そして審査員も含むアーティストたちが、私たちのピアノを使って理解してくれることが大事だと思いました。加えて、私たちは新人ですが、他のメーカーのみなさんはコンクールを長年経験して、審査員やコンテスタントの顔をよく知っているように見えたので、そこも私たちが今後取り組んでいかなくてはならない重要なことだと感じました。
これは長く積み重ねられてできあがった一つの文化ですから、例えピアノ自体がよくなっても、突然入ってきてトップになることはできないと思っています。何十年もかけて耳が既存のメーカーの音色に慣れているなかでは、私たちのピアノを認めてくれない人もいるでしょう。ですが、私はアーティストたちが私たちのピアノを使ってくれたら、きっと心に響くものがあるという自信を持って、ピアノ作りに臨んでいます。

◇◇◇

せっかくピアノを出しても、コンテスタントから選ばれなければその音が聴衆の耳に届くこともありません。そんな中、今回の長江の成功の背景には、いろいろな準備や根回しのようなものもあったと思います。新しく参入する長江の関係者は、見よう見まねでいろいろなことに挑戦し、がんばっていたのだろうなという感じがしました。
例えばコンクール期間中、インターミッションの時間には、たびたび長江の企画で審査員にインタビューが行われていましたし、また、ファイナルの前に審査員が出演する演奏会も小ホールで企画されていました。他のメーカーは、いろいろ言われるとアレだし、という感じで、最近はこういう企画は控えている傾向にありますね。ちなみに実際には、長江を弾くアンさんのファイナル進出が決まったことで、審査員による演奏会は急遽延期されることになったようです(変なコネクションをつくっていると思われるといけないといわれてなしになった、私たちはこういうことが初めてだからいろいろわからなくて大変…と担当者さんが話していました)。

また、実際にセレクションでピアノを触ったピアニストたちに話を聞くと、「長江には数秒しか触らなかった」という人もいれば、「スタインウェイとカワイで迷った。ファツィオリもよかった。さらに、長江が結構良くてびっくりした。スタインウェイみたいだった」という人もいました。
大舞台で知らないブランドを選ぶのは本当に勇気がいることですけれど、そう考えると、メーカー名の先入観が影響しないようブラインドでセレクションが行われたら、長江は意外と選ばれたかもしれませんね…もちろん耐久性など、一瞬弾いただけでは判断できないこともあるとは思いますが。そして個人的には、長江の社長のお話が、ファツィオリのパオロ社長とかぶることも多くてびっくりしました。
そのなかで印象に残ったのが、ピアノを習う子供の音楽的な発展を手伝うピアノ、という発想ですね。元ピアノの先生ならではで、なんだかいいなと思いました。

長江、独自の理想のピアノを求め、特徴は持ちながらも、もしかしたら今はまだ、スタインウェイに近いピアノの実現に成功している段階なのかもしれません(スタインウェイの調律師さんのインタビューも印象的でした)。それだけでもすごいことですけどね…。
長江ピアノはショパンコンクールにも挑戦したい…ということでしたので、どうなるでしょうか。そしてこの先もどんどん開発を進めていくのでしょう。どんなピアノが出てくるのか。楽しみですね。

チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門、最終結果

チャイコフスキーコンクールの全日程が終了しました。

ピアノ部門の最終結果は下記の通りです。

1位 Alexandre Kantorow FRANCE
2位 Mao Fujita PAN
2位 Dmitriy Shishkin RUSSIA
3位 Konstantin Yemelyanov RUSSIA
3位 Alexey Melnikov RUSSIA
3位 Kenneth Broberg USA
4位 Tianxu An CHINA

優勝は、フランスのアレクサンドル・カントロフさん。
そして日本の藤田真央さん、ロシアのドミトリー・シシキンさんの2名が第2位に入賞しました。そして第3位が3名。

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最終結果発表のアナウンス、まず5、6位はなしというアナウンスがあって、今回も前回のような順位が団子状態の結果になるのだろうなという予感とともに始まりました。しかも今回ははじめから1人多いわけで。
3位が3人続いた時は、このまま何人も3位だったりしてという妙な妄想が頭をよぎりましたよね。結果、ピラミッドスタイルの人数配分になりました。

前回の第15回コンクールの団子状態の結果は、実際に聴きに来ていなかったこともあって、“誰々は何位までに入れたい“という人々の想いがうずまいた結果なんじゃないかなどと勘ぐってしまいましたが、今回はこれだけのいい演奏をたくさん聴いて、みんな3位以内に収めたくなる気持ちがわかる…。
その後、少し審査員の先生方に話をきいたことによると、このタイプの「いいピアニストにはみんないい順位の称号を与えてあげたい系」順位づけは、マツーエフさんの意向らしいです。
ちなみに当のマツーエフさんにもお話を聞きたいところでしたが、結果発表の翌日には、すでにご自分のコンサートの本番のためにモスクワを発っていたという。すごいハードスケジュール。
マツーエフさん、前にインタビューしたとき、「どんなにハードスケジュールでも、私はステージに立てば癒される。これを、ステージセラピーと呼んでいるのだ(ドヤ顔)」と言っていましたが、そういうのってスーパースターになるための素質の一つなのかもしれませんね。

というわけで少し時間が経ってしまいましたが、ファイナルの様子を簡単に振り返ってみたいと思います。

ファイナルでは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲と任意のピアノ協奏曲、2曲を、ヴァシリー・ペトレンコ指揮、ロシア国立交響楽団と演奏します。
こういう場合、2曲を別の日に演奏するコンクールが多いですが、2曲いっぺんに続けて演奏するというのがチャイコフスキーコンクールのしきたり。それも今回は、カーテンコールもアナウンスで早々に打ち切られてさっさと2曲目にうつるという、ひと息つく暇もない勢いで2曲演奏させられていました。プロになっても、特殊なケース(何人か思い浮かびますよね、いっぺんに何曲もコンチェルトを弾く企画をしているスタミナたっぷりのピアニストたち)を除いてはなかなか経験しないこと。それもつい先日までリサイタルのレパートリーを弾いていた数日後に本番ですから、これを経験しておけばあとは怖いものなしという感じです。

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一人目の奏者となったのはロシアのエミリャーノフさん。ピアノはヤマハです。
プロコフィエフの3番。完璧でうまい。オーケストラの音と親和性の高い音を鳴らしながら、一つの塊となっって突き進んでいく感じ。仙台コンクールのとき、講評で野島稔審査委員長が、コンチェルトでは、ピアノはオーケストラと同じエネルギーの音を鳴らさなくてはいけない…と話していたことを思い出しました。パワーのある音の持ち主なのです。なにか驚きのある表現をするというタイプではないかもしれませんが、確かな実力を感じました。

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二人目の奏者は、ロシアのシシキンさん。ピアノはスタインウェイです。
チャイコフスキーの1番では、いろいろなタッチで、シリアスに、丁寧に表情をつけて、じっくりと聴かせてくれます。2楽章を聞いている時、夏の森の木漏れ陽の景色が思い浮かびましたが、もしかしたら2日前にトレチャコフ美術館で、画家のシシキンの絵をたくさん見たからかも(発想が安直)。
イヴァン・シシキンは、森の絵をたくさん描いたことで知られる19世紀ロシアの画家ですね。この、シシキンが描いた森に、別の人がクマを書き加えちゃった絵はとても有名です。ロシアのチョコレートのパッケージにもなっていると記憶。
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話がそれましたが、シシキンさんの2曲目は、エミリャーノフさんと同じプロコフィエフの3番を選んでいましたが、力強く走り抜けていくスタイリッシュな動物のような演奏で、すごくシシキンさんにあっていた感じ。

そして、初日最後の3人目に登場した中国のアンさんの演奏のときに事件は起こりました。
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ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲の冒頭、アンさんがあの最初の和音を弾き遅れたのです。
最初、まさか緊張しすぎてぼーっとしてしまったのかと思いましたが、そうではありませんでした。なんとオーケストラ側のスタッフの手違いで、指揮者とオーケストラがアンさんが希望していた演奏順とは逆の演奏順を予定していたという。コンクール公式のアナウンスは、こちらに記載されています。

しかも不幸なことに、間違いのパターンが、「チャイコフスキーの1番を想定していたら、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲が始まった」という。考えられます?チャイコフスキーのあの壮大なオーケストラの前奏を想定してピアノの前に座っていたら、いきなりパガニーニの短い序奏が始まって、一発目のあの印象的な音を鳴らさなきゃいけない焦りが。せめてショパンの協奏曲と間違えられたのなら、気持ちを切り替える暇もあるでしょうけど。
アンさん、それでも少し遅れてあの最初の和音をつかみましたが、ものすごい瞬発力ですね。何人かのピアニストに、あんなこと起きたら反応できる?と聞いたら、「アドレナリン出てるから意外といけるかもしれないけど、その後オーケストラパートが長いから、自分なら指揮者に言うかも」「考えたくもない」など、いろいろな反応がありました。
その後演奏中、マツーエフさんが隣のペトルシャンスキーさんに何かしきりに話しかけていましたが、終演後事情が判明すると、もう一度弾き直しをしてもいいとアンさんに提案があったそうです。しかしアンさんは断ったとのこと。これについては「自分も弾き直しはいいっていうだろうなー」というピアニストが多い感じ。
アンさんは動揺を乗り越えて、最後まで弾ききりました。生真面目そうな性格がそのまま反映されたような、かっちりとした音楽。ピアノは中国の長江を選んでいました。オーケストラと合わせても負けないボリューム、輝かしさがありますが、叩かれてしまうと少しきつい音が鳴る印象です。でもまあ、それはどこのピアノでも同じかもしれない。
ちなみに、後で遭遇したアンさんに声をかけたら、「いえ、あれは誰かのせいではありません、自分がステージに出る前に指揮者に曲を確認しなかったので、僕のミスです」というではありませんか。こんな状況でも、怒らず、誰のことも責めずにいるアンさん、本当に何かいいことが起こってほしいなと思いましたね。

しかもこのニコニコ顔。
でももしかしたら、誰かのミスだと思うより、自分のせいだと思ったほうが、気持ちがおさまるし、怒りで時間を無駄にすることもない、ということもあるのかもしれない…。

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4人目の奏者はメリニコフさん。ピアノはスタインウェイです。選曲はチャイコフスキーの1番と、ラフマニノフの3番。甘いフレーズもクールな表情で弾き、情熱的なフレーズは雪崩が押し寄せるように。さすがに緊張しているのかなと思う場面もありましたが、細かい音もちゃんと聴かせてくれるし、重い音ももちろんしっかり鳴っているし、ロシア風な哀愁のある景色も見せてくれるしで、正統派のロシア音楽を聴かせてもらったという感じ。

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5人目は、カントロフさん。ファイナルからピアノはスタインウェイにスイッチしました。
カントロフさんはチャイコフスキーの協奏曲に、王道の1番ではなく2番を選びました。しかしこれが彼の濃密な音楽性によくあっていた。民族色漂うこってりとしたフレーズを大胆な表情付けで歌わせる。フレーズごとに音量やタッチを巧みに変え、またオーケストラの楽器とアンサンブルになるときもしっかり音を変えて、とにかくうまい。マツーエフさんも大拍手を送っていました。
もう1曲の選曲も、チャイコフスキーコンクールにしてはめずらしめの、ブラームスの2番です。こういう思い切りの良い音を鳴らす人の弾くブラームスは本当におもしろいですね。溜め込んだ情熱をほとばしらせる瞬間がそれは見事に再現されて。パワー、エレガンス、狂気の全てを持ち合わせた演奏という感じでした。楽しかった。

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そして最終日、6人目に登場したのは藤田真央さん。ピアノはスタインウェイです。
いつものようににこやかに登場。
チャイコフスキーの協奏曲が始まると、どっしりした音で堂々とした音を鳴らしていきます。注意深く全てに気持ちを込めた音と、ひとフレーズずつ、いかにも天然な感じでニュアンスを変えていく表現が藤田さんの演奏の魅力かもしれません。それにオーケストラがどんどん引き寄せられていく感じ。藤田さんもオーケストラとの掛け合いを楽しんでいたのでしょう、リハーサルの時点で、やっぱりロシアのオーケストラらしい迫ってくるような音がする、アンサンブルになるところでオーケストラ奏者を見ると、ちゃんと見つめかえしてくれるんだと話していたのが印象的でした。
それで、いつもの藤田さんなら弾き終わった後ニコニコしていますが、なんだかちょっと様子が違ってかたい表情。どうも自分で少し満足のいかない感じだったようですが、すでに藤田さんの虜になっているモスクワの聴衆は拍手喝采でした。

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そして最後の奏者となったのは、ブロバーグさん。ピアノはスタインウェイ。
アンさんと同じパガニーニの主題による狂詩曲からスタートということで、最初に指揮者が曲を確認するような動きをしたため、会場がすこしざわめきます。
この曲は、ブロバーグさんにとっては銀メダルを取ったヴァン・クライバーンでも弾いた勝負曲ですね。彼特有の硬質で華やかな音が曲によく合っていたと思います。選曲大事。

結果は、演奏が終わった時間が押したことを考えると、予定よりむしろスムーズに出されたように思います。
前回のコンクールでは結果発表後にいろいろな噂が飛び交っていたように記憶していますが(現地にいなくても聞こえてくるレベルで)今回はまあ、あまり文句のつけようもない結果におさまったのかもしれません。マツーエフさんの、せっかくの優れた才能には3位入賞までの称号を与えたいという考え、僅差なら順番をつける意味などないのではないかという考えも、これだけ優れた演奏をたくさん聞かせてもらい、楽しませてもらったあとだと、納得できてしまうのでした。

結果発表のあと、夜も遅かったですが、藤田さんを囲んでホテルのレストランで軽く食事をしました。
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レストランの閉店時間をまわってしまいましたが、藤田さんが2位入賞者だと知ったレストランのスタッフが、お祝いにサービスでデザートを持って来てくれるというサプライズ。お皿にがんばってピアノの模様を描いたといっていました。なんかいいですね。

入賞者たちは、この翌日から2日間にわたって、モスクワとサンクトペテルブルクでの入賞者ガラコンサートに出演しました。その様子はジャパン・アーツの記事で簡単にご紹介しています。サンクトペテルブルクのガラコンサートでは、最後に、全部門のグランプリとして、カントロフさんの名前が発表されました。
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それにしても、入賞者にとっては、このガラコンまわりのスケジュールがとにかく過酷でしたね。
本選の翌日、サンクトペテルブルクで行われた部門の入賞者もモスクワに集合し、授賞式とガラコンが行われたあとは、レセプションが深夜2時すぎまで…(でもここで入賞者たちは、審査員とお話ししたり、入賞者同士で今度共演しようという話をしたりと、交流を深めていました)。
そして翌日はみんな、朝6時台の電車でサンクトペテルブルクへ。このサンクトペテルブルク公演、白夜祭の最中で遅くまで明るいとはいえ、全入賞者が出演する予定という中で21時開演という時点で、おいおい何時までやる気だよと思いましたが、実際には開演が40分遅れ(21時に会場についたらまだステージ上でリハーサルをやっていた…)、終演は午前1時半。

そのあと別の会場に移動し、レセプションという流れでした。もはや「なにこれ罰ゲーム」という声もちらほら聞こえるほど、みんな疲れ切っていましたね。超人マツーエフ氏のような「必殺ステージセラピー」が効かない普通の演奏家たちには、大変だったと思います。
そんな中、最後まで変わらぬキリッとした表情で元気だったのが、ゲルギエフさんでありました。
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授賞式のあと、ゲルギエフさん、カントロフさん、藤田さんが長くお話ししていました。

ところでこちら、レセプションで話し込むプレスラーさんと藤田真央さん。IMG_5947 2

今だから言いますけど、1次の藤田さんの、あのコンクールの流れをガラッと変えた演奏の直後、私がバックステージにいたら、車椅子を押されてプレスラーさんが通りかかったんですね。すごく嬉しそうな様子で。それで日本人の私を見ると、なんとおもむろに手をとってキッスしてくださいまして!そして、よかったねぇ…とおっしゃったんです。
…果たして私が藤田さんの何だと思われていたのかは謎ですが(何かしら、日本チームの一味だと思われたのでしょうね…まさかお母さんだと思われたのかな…)、とにかく、自分も藤田さんの1次の演奏の特別なエネルギーを肌で感じた直後だったので、ああ、お客さんはもちろん、審査員の先生たちもみんな同じ気持ちで聴いていて、それが心の中に抑えきれないほどになっていたんだなと思えて、とても幸福な瞬間でした。

さて、このようなわけで、チャイコフスキーコンクールは全日程が終了しました。
日本のみなさんは、10月のガラ・コンサートで上位入賞者たちの演奏を聴くことができます。出演者も発表されたようですので、どうぞチェックしてみてください。

コンクールは終わりましたが、わたくし、コンテスタントや審査員のお話、そしてさらには、中国のピアノ、長江の社長さんなどに聴いたお話が、たんまりたまっております。
しばしお時間いただきますが、順次このページで紹介していきますので、気長にお待ちいただけたらと思います。