チャイコフスキー国際コンクール審査員、オフチニコフ先生のお話

チャイコフスキーコンクール、審査員の先生のお話。お二人目もロシア人ピアニスト、現在モスクワ音楽院教授を務めるウラディーミル・オフチニコフ先生です。
モスクワ音楽院でナセドキン(G.ネイガウス、ナウモフの弟子ですね)の元学んだピアニストで、やはり、ロシアンピアニズムを後世に継承する有名な教育者です。

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ウラディーミル・オフチニコフ先生
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—ファイナルの結果について、どのようにお感じですか?

とても嬉しく思っています。特にファイナルでは、全く異なるタイプの音楽家、違う楽器、さまざまなスクールの音楽とメンタリティを聴くことができました。本当にきらめくようなファイナル・ラウンドでしたね。審査員としてコンクールに参加していたにもかかわらず、優れたピアニストの音楽とともに時間を過ごしたことで、とても楽しむことができました。彼らの将来がすばらしいものであることを願っています。

—今回、優勝したカントロフさんが評価されたポイントは何だったのでしょうか。

カントロフもそうですが、加えて藤田真央の演奏は、このコンクールの中で特別でした。二人の異なるタイプのすばらしいスターだったと思います。私たちは彼らのソロとコンチェルトを聴くことができてとても幸せでした。聴衆も、打ち上げ花火のようなパワフルな反応をしていましたね。まるで演奏会を聴いているようでした。

—今回は、5つのメーカーのピアノが出されていました。

これもまた、フラワー・ブーケのような存在でした。5台はそれぞれ異なるレベル、音、クオリティを持つ楽器でしたが、こうしてコンクールで聴くことができたのはとてもおもしろい経験だったと思います。楽器によるコンペティションのような一面もありましたね。

—ちなみに、ピアノの選択は結果にとって重要だと思いますか?

それはとても重要だと思います。これはただの音楽イベントではなく、私たちは音の質も聴いて判断をしているのですから、全てのことが重要です。特に音は、音楽にとってとても大切な要素です。
時にはピアノが十分な役割を果たしていないとか、フォルテが十分でない、逆に強すぎたりドライすぎたりすることもありました。もちろん、誰が演奏しているかにもよるものではありますけれどね。

—中国のピアノ「長江」の印象はいかがでしたか?

悪くありませんでした。十分に良かったと思います。ブライトで力強い音がスタインウェイのようだと思うこともありましたが、時々、少し物足りないときもありました。もしかしたらピアニストの弾き方によるところもあるかもしれませんけれど。
いずれにしても、演奏者に魂の内面から音楽的に言いたいことがあるのなら、どんな楽器でもすばらしく演奏することができるとは思いますけれどね。

—例えば、カントロフさんはファイナルでピアノを変えましたが…。

あっ、そうでした? 覚えてないな…。

—2次まではカワイを弾いていましたよね。

ああ、そうだったっけ! それでファイナルはスタインウェイを?

—そうです。…あのぅ、オフチニコフ先生、もしかしてそれってやっぱり、いい音楽を持っているならピアノは何を選んでも重要でないってことですかね(笑)。

そういうことですね(笑)。音楽がなにより重要だということです(笑)。

—ところで、先生が求めていた才能、コンクールで次のステージに進んで欲しいと思ったのはどんなピアニストですか?

私はロマンティックなピアニストが好きですね。例えば時々は、プレトニョフ氏のような、とてもクレバーで深い音楽性を持つピアニストを聴くことも好きです。でも彼の演奏は、感情的で力強い声を持つというタイプではありませんよね。一方で、私は「ノイハウス・スクール(ネイガウス・スクール)」のピアニストですので、もっとオープンで感情が豊かな音楽と演奏の方を好みます。
今回のファイナリストについては、カントロフと藤田真央の将来に大いに期待しています。

◇◇◇

最後のお答え、これぞロシアンピアニズムの流派のプライド!とか思って勝手に興奮してうぉーとリアクションしたら、オフチニコフ先生、そうかいそうかい、という笑顔で無言で眺めていらっしゃいました(実際には単に若干引いてたのかもしれない)。
でもでも、オフチニコフ先生がすばらしいというカントロフさん、師のレナ・シェレシェフスカヤ先生はプレトニョフさんと同じフリエール&ヴラセンコ門下ではないかとか(ちなみに私がインタビューをお願いする直前、オフチニコフ先生とシェレシェフスカヤ先生は熱心に話し込んでいた)、さらにいうと、藤田真央さんの先生の野島稔さんはオボーリンの弟子じゃないかとか。その辺りのことって掘ったら大変なことになるのでしょうからここで書くミッションは華麗に放棄いたしますが、とにかくいろいろ考えるとすごくおもしろいですね。
しかも結局、何系列だからどうとか、ピアノの選択はこうだとか、いろいろいうわりに、いいものはなんだっていいってうっかり(?)言っちゃうオフチニコフ先生サイコーと思いました。

…で、全然関係ないんですけど、わたくし今回、オフチニコフ先生のお姿を初めて近くで拝見したんです。それで驚いたのですが、スラリーンとしていて素敵なんですね。この年代のロシアの先生っぽくないというか(…いえ、もちろんどしんとしたロシアの先生たちもかっこいいし素敵なんですけどね)。そしてもっと難しくて厳しい感じの方なのかと思っていたら、物腰やわらかで優しかった。
そんなわけで、写真を撮る時に、とっても素敵ですよー、ほら、もっと笑ってくださいよほらほら、とかやっていたところ(お話ししているときのにっこり笑顔がどうしても撮りたかった)、先生照れてしまって首を傾げてしまい、せっかくの爽やかスマイルが、ブレてしまった。
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チャイコフスキー国際コンクール審査員、ペトルシャンスキー先生のお話

前述の通り、審査委員長のマツーエフさんは結果発表の翌日に演奏会のためあっという間に旅立ってしまって、私はうっかりつかまえることができませんでしたが、授賞式でピアノ部門のプレゼンターを務めたお二人の審査員の先生に、待ち時間の間にお話を聞くことができました。

お一人目は、ボリス・ペトルシャンスキー先生です。モスクワ音楽院で、ネイガウス、ナウモフのもと学んだピアニストで、現在はイモラ国際ピアノアカデミーなどで教えています。優秀なお弟子さんがたくさんいらっしゃる名教授です。

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ボリス・ペトルシャンスキー先生

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—結果について、どのようにお感じになっていますか?

審査員はそれぞれに趣味が違いますから、自分の考えと完全に合うということは難しいですが、フランスのカントロフさんと、日本の藤田真央さんの結果については私も嬉しかったです。
二人はとても才能があるので、これから大きな発展の可能性がありますね。きっとすばらしい将来が待っているでしょう。そう祈りたいです。コンクールはこうして若者が可能性を広げていくために必要なものです。

—1位1人、2位2人、3位3人という結果になりましたが、これはみんな良いピアニストだったから3位までにいれてあげたいという審査員の先生方の判断の結果なのでしょうか?

本当に、ピラミッドみたいな結果なりました。その理由は、まず一つが、本当に彼らがほぼ同じレベルのピアニストだったこと。もう一つはデニス・マツーエフの決定です。彼の哲学といってもいいかもしれませんが、無理に1位から6位まで順番をつけるより、一緒の順位を与えるほうがピアニストの将来のためにいいという考えを持っていました。こういうスタイルの順位にすることは、マツーエフさんがプッシュしました。
それに、3位の三人はタイプは違うけれどレベルがほぼ同じピアニストでした。今日はこの人のほうが良くても、明日はその逆になっているかもしれない。そう思えるレベルで実力が僅差でした。

—優勝したカントロフさんが評価されたポイントはなんだったのでしょうか?

私が一番気に入ったのは、彼の左手です。作品のハーモニーのプロセスを見事に整理できるピアニストだと思いました。彼はピアノを、まるでシンフォニーの楽譜を演奏しているように聴かせてくれます。例えばチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番でとても良いと感じたのは、彼が弾きながら、オペラか小説など、何か音楽作品とは別の分野の芸術の雰囲気を生み出していたところです。ただのピアニストではなく、もっと違った存在といえるでしょう。彼がやっていることは、毎回普通のピアノの演奏ではなく、なにか文化的な出来事であると思えました。審査員が彼の解釈をどう受け取るかは別の話ですが、彼の解釈は普通ではなく、当たり前のこともおもしろいと感じさせてくれました。
藤田真央さんもとても魅力的だと思いました。例えばモーツァルトの演奏は、私の意見ではテンポに少し違うと思える部分もありましたが、それでも音楽がとても魅力的で、聴衆もそれに反応したのです。

—確かに、あの藤田さんの1次の演奏は、その後の評価にまで影響を与えたのではないかという印象の強さに思えました…。

そうですね。最初の曲目を聴いた時、彼には特別な才能があると感じました。彼の演奏は、聴き手にショックを与えるというより、ハグをしている…音楽を包み込んでいるような演奏だったと思います。

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「聴き手にショックを与えるというより、包み込むような」というのは、今時ありそうでなかなかない演奏だよなぁと、先生に言われて改めて思いました。
一方でカントロフさんの演奏は、どちらかというとちょっとショックを与えるタイプですよね。それが奇をてらっているようなものでなく、いろいろな基本にそった上で、心の中のオリジナリティから湧き出すものであると、説得力があるということになるのでしょう。オペラか小説のようというのは、ファイナルのチャイコフスキーで自分も感じたことだったので、心の中で激しく納得しておりました。

このお二人については、今回のコンクールについて感想を聴いた時、全くタイプの違う二つの才能として多くの人が名前をあげます。ロシアのお客さんにとって、もともとマークしている存在じゃなかったということも大きいのかもしれません。発見の喜びって嬉しいもんね。こういうのは、コンクールという場があってこそであります。