チャイコフスキー国際コンクール出場者の演奏会情報&おまけ話

随分時間をかけてしまいましたが、ようやく現地でとってきたインタビューをご紹介し終えたところで、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門に出場したコンテスタントの一部の来日公演情報をご紹介したいと思います。(チェックしきれていないものもあるかと思いますが…すみません)

まずは、入賞者ガラコンサートです。
こちら、ピアノ部門は当初発表されたカントロフさんが来日できなくなってしまって残念なのですが、コンチェルト公演にはドミトリ・シシキンさんが、リサイタル公演にはアレクセイ・メリニコフさんが出演します。どちらも、生音をぜひ体感していただきたいピアニスト。プログラムなどはリンク先をご覧ください。

コンチェルト公演
10月7日(月) 岩手県民会館 大ホール
10月8日(火) 東京芸術劇場 コンサートホール
10月12日(土) ザ・シンフォニーホール
10月13日(日) 山形テルサホール

リサイタル&室内楽公演
10月9日(水) ノバホール
10月10日(木) 愛知県芸術劇場コンサートホール

アレクセイ・メリニコフさんについては、
いつもナイスなセンスで若手ピアニストを招聘していることでおなじみ、
横浜市招待国際演奏会での来日も決まっています。
こちらには、セミファイナリストのアレクサンドル・ガジェヴさんも出演予定。
2019年11月4日(月・休) 横浜みなとみらいホール 小ホール

コンスタンチン・エメリヤーノフさん(第3位)は、
毎年カワイ表参道で開催されるロシアン・ピアノ・スクールin東京に、
どうやら招聘学生として参加するみたいです。なんて豪華な招聘学生。
マスタークラスに加え、もしかしたら受講生による演奏会で演奏を聴けるのかも。
2019年8月11日(日)~8月15日(木) カワイ表参道

アンドレイ・ググニンさん(セミファイナリスト)は、9月に来日予定。
とても凝ったプログラムで、すごくおもしろそう!
2019年9月27日 (金) すみだトリフォニーホール小ホール

アルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフさん(セミファイナリスト、ニコラーエワのお孫さん)も9月に来日。
ショパンのバラード4曲+ロシアものという、これまた聴きごたえ大のプログラム。2019年9月15日(日)東京文化会館 小ホール

第2位となった藤田真央さんは、入賞前から決まっていたコンサートも含めてかなりたくさんの公演があります。
きっとこれからも増えると思いますので、これはもう、藤田さんの公式サイトをご覧くださいませ。そして藤田さんが風間塵の吹き替えピアノで出演する映画「蜜蜂と遠雷」は、10月に公開されます。

…というわけで、ここからはこれまでのレポートでお届けできなかったおまけのお話です。

まず藤田真央さんといえば、このツーショット!

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なんと宇宙飛行士の野口聡一さんが、モスクワの会場にいらしていたのです!
クラシック音楽がお好きだそうで、今回はコンクールファイナルとガラコンサートをお聴きになったとのこと。ガラコンのあと、藤田さんに宇宙に行くときにつけていたワッペンと思しきものをプレゼントしていました。
それで、普段芸能人とかに遭遇してもテンションが上がりにくいわたくしですが(多分なんらかの神経が死んでるんでしょうね…)、野口さんを前にテンションがあがってしまい、突然にインタビューを申し込んでしまいました。以下、野口さんにお付き合いいただいたミニインタビューです。

◇◇◇

ーコンクールの演奏をお聴きになって、いかがでしたか?

モスクワ音楽院の大ホールで3日間ファイナルを聴きましたが、独特の緊張感がありますね。真央くんの、弾いている途中はノッていて、終わったあとに見せるあの「終わったー」という表情に、頑張っているんだなぁと感じました。観客を巻き込み、心を掴んでいることが伝わってきて、同じ日本人として誇らしいと思いました。今日のガラコンサートもとても楽しそうに弾いていて、これからが楽しみです。
最終結果発表の様子もライブ配信で見ていましたが、真央くんとカントロフさんが最後二人だけ残り、名前が呼ばれたときのホッとした表情も印象的でした。
ぎりぎりまで自分を追い込み、緊張した2週間を過ごしたのだと思います。お疲れさまでしたと伝えたいですね。

ー藤田さんの予選は、配信でお聴きになったのですか?

はい。インターネットで聴いていても、最初と最後で会場の雰囲気が全然違っているのがわかりました。

ーピアニストの緊張感を近くでご覧になって、宇宙に行く緊張感に共通するものは感じましたか?……すごいこじつけみたいな質問ですみません。

そうですねぇ。見ていて、ファイナルは特にオーケストラと共演しますが、そうすると、審査員への緊張感もあるでしょうけれど、聴衆やオーケストラは敵にも味方にもなるという緊張感もあるのだろうと思いました。真央くんは、観客も審査員も味方につけていたから、それが高い評価につながったのでしょう。
「緊張感を味方にする」ということができないといけないのだろうなと思いましたね。

ー実際に宇宙に行っている方にこういうことを聞くのもなんなのですが、すばらしい演奏って、聴いていると、宇宙を感じるというか…物理的な空間という意味の宇宙ではなくて、ホールの天井のようなものがなくなって宇宙に到達しているように感じるときがあるんですけれど。実際に宇宙に行かれている野口さんは、好きな音楽を聴いていてそういうことを感じるときってありますか?

そうですね、僕は音楽については素人ですが、優れた音楽家の方は、音を鳴らすのではなく、一瞬にして会場の空気を全部支配するというか、まさにおっしゃるとおり、天井がぬけるという感覚をもたらしてくれますよね。そこがすばらしいなと思います。例えば今日(モスクワでのガラコンサート)のシシキンさんの最後の演奏も、グワっと会場全員のテンションが集まって、陶酔感とともに、天井がぬけるような感じをもたらしてくれた。そういうのが音楽の醍醐味なんだろうなと思います。

◇◇◇

オーケストラと聴衆は敵にも味方にもなる。うまくいっている場面ばかり見ていると忘れがちですが、本当にその通りですよね、自然現象と同じく。
とはいえ見返してみると、わたし、まあまあアホみたいな質問を投げかけているんですが、それに調子を合わせて丁寧に答えてくださっている野口さん…優しい。私、概念としてのコスモスみたいなものと、実際の宇宙空間との共通性の有無みたいなものに、子供の頃から妙に関心がありまして。ここぞとばかりに質問してすみませんでしたと野口さんに言いたい。
でも、このくらい寛容で、なおかつ緊張感を味方につけることができるようでないと、未知なる超高度な何かを相手にする宇宙ではやっていけないのでしょうね。
(野口さんがロシアにいらしていたのは、この任務のためだったんですね)

さて、話はそれましたが、引き続き藤田さんの話題。

インタビューでも、藤田くんは日々のお食事を楽しみにしていたようだという話をご紹介しましたが、演奏のある前日はゲン担ぎのカツ(コトレット)を食べるということでした。結果、期間中全部で3回食べることになったそうです。
そのうちの一度、お母様やマネージャーさん、関係者のみなさんにまざって、カツの集いに同席させていただく機会があったのですが、レストランに入ったグループ全員でカツを頼み、あとから参加した人も次々カツを頼むもんで、どんだけカツ好きの集団なんだよとロシア人店員さんに失笑される&カツの追加オーダーが入るとキッチンから「オーマイガー」という声が聞こえてくるという事態が起きていました。
せめて誰か店員さんに「カツっていうのは日本語で…」って説明してあげたほうがいいんじゃないかと思いましたけど。

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(ロシアって肉料理頼むと、軽めの野菜の添え物とかなんにもなく、ただひたすら肉と芋が出てくること多い)

そのほかモスクワ音楽院のすぐ近くにはTOKYOというレストランがありました。私も、一度そこでお寿司をたべたりしました。

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(輝かしいお寿司たち)

藤田くんもランチによくここを利用していたみたいです。
中でも衝撃的だった出来事。

その日もいつものように、「今日もTOKYOでランチを食べたんですけどー」と、その詳細を教えてくれた藤田くん。添え物の小鉢の説明として、
「なんだっけ、今日はあれがついてた……”めくばせ”ー!」
と言っていました。

どうやら、「めかぶ」のことだった模様です。
ランチにそんな思わせぶりなものがついてたら大変です。
だいたい、「め」しかあってないし。

 

こちらは結果発表直前の、カントロフさんと藤田真央さん。ホールのホワイエでおしゃべりしています。

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(このあと1位と2位になるということを、この時の彼らはまだ知らない…)

ちなみにカントロフさん、結果発表はファイナルの翌日だと思っていたらしく、部屋でのんびりしていたら電話がかかってきてホールに来いといわれて、慌てて出てきたそうです。いつものワインレッドのシャツ姿に、毛糸のマフラーを握りしめていました。夏なのに。

最後に、いい声のカントロフさんのメッセージがこちらから見られますのでどうぞ。
2年前に大阪にいらしたときは、京都も東京も見ないで帰ったんですね。今回、残念ながらガラコンサートへの参加は叶いませんでしたが、いつか近いうちに来日して、日本のピアノファンのみなさんにあの音を届けてほしい!!
楽しみに待ちましょう。

チャイコフスキー国際コンクール第1位、アレクサンドル・カントロフさんのお話

ようやく最後のお一人。
チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第1位、そして全部門のグランプリに輝いた、アレクサンドル・カントロフさんのお話です。

カントロフさんは、お父様は有名なヴァイオリニストで指揮者のジャン=ジャック・カントロフさん、お母様もヴァイオリニストという家庭に生まれました。大きなコンクールに挑戦するのは今回が初めてとのこと。
ちょうど先日、父カントロフさんのお弟子さんのヴァイオリニストにお会いしたのですが、アレクサンドルさんは昔からものすごく才能のあるできる子だったので、お父様も相当かわいがっていたそうな。息子さんの今回の優勝をとても喜んでいるそうです。

1次予選から見かけるたびにちょこちょこ話しかけていたにもかかわらず、やっぱり優勝しちゃうとひっぱりだこでなかなかじっくりインタビューできずで、結果発表前と後の細切れインタビューとなりましたが、どうぞご覧ください。

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Alexandre Kantorowさん

◇◇◇
[まずは結果発表の直前に聞いたお話から]

ーチャイコフスキーコンクールのファイナルの舞台で演奏してみて、いかがでしたか?

本当にすばらしかったです。このコンクールのために全力で準備してきたので、アドレナリンもたくさん出て、特別な感情を持ちましたし、本当に疲れました。…というのも、ファイナルでは最初からエネルギーを全然セーブしないで弾いてしまったので、1曲目の1楽章が終わったところで、もう息切れしそうになってしまって(笑)。

ー力の配分とか計画しなかった感じなんですか? でも、見事に弾ききったように見えましたよ。

全然計画しなかったんですよー。事前に2曲をいっぺんに弾いてみるということもしなかったし。まぁどうなるかやってみようという感じで本番に臨んだので。

ーそうなんですか…そのうえ、2曲目にあの大きな曲(ブラームスの2番)を選んでいたんですね。

そうなんですよ。もしかしたら1曲目にブラームスを弾いておいたほうがよかったのかもしれません。なにしろ、チャイコフスキーが終わったときにはもう疲れきっていたから。あの時はどうなるかと思いましたが、でも、再びステージに出てブラームスを弾き初めてみたら、大丈夫でした。

ーそしてチャイコフスキーの協奏曲は2番を選びました。カントロフさんのキャラクターにとても合っていると思いましたが、やっぱり珍しい選択ですよね。

僕もはじめは、普通に1番を用意しようと思っていました。でも、ふと自分の耳が、古い録音やトラディッションに塞がれてしまっていることに気がついたのです。そしてそのうちに、楽譜に書かれていることから自分だけの音楽を見つけることに困難を感じ始めてしまいました。
でもある日、両親の部屋でチャイコフスキーのピアノ協奏曲のオーケストラ譜を見つけて、2番の協奏曲の楽譜を読んでみたところ、「このコンチェルト、これまで知らなかったけれど、好きかもしれない」と思ったんです。この作品が、うるさいとか間延びしていると批判されていることは知っていましたが、改めてみると本当にすばらしく、エモーショナルで、室内楽的な要素もあり、愛すべき作品だと思いました。それで、これなら自分の音楽を見つけられそうだ、コンクールでは2番を弾こうと思いました。

[続いては、結果発表後に聞いたお話です]

ーブラームスについてお聞かせください。カントロフさんにとって特別な作曲家なんだろうなということは、演奏からもよくわかりましたけれど。

あははー! そう、本当に特別な作曲家なんです。エモーショナルなところはチャイコフスキーのようですが、もう少し、自身の中にそれをためこんでいるようなところがあって、その部分こそがとても心に触れてくると感じます。ブラームスは基本的に完璧主義者でしたから、楽譜として残されている作品はほとんど完璧に近いものばかりです。間違った音はひとつもありません。僕は室内楽も好きですが、とくにブラームスの室内楽作品は最高だと思っています。

ーところで、1次、2次ではカワイを選び、ファイナルではスタインウェイを弾いていましたね。オーケストラリハーサルの後にピアノを変えていらしたので、ちょっと驚きました。

はい、まずカワイのピアノはとてもすばらしい楽器で、1次、2次では楽器が僕をものすごく助けてくれました。でも、オーケストラと最初のリハーサルをした後、すばらしい楽器だけど、少しフラジャイルな感じがしたので、2時間近くコンチェルトを弾くのは難しいかもしれないと思いました。大編成のオーケストラと共演する中、ピアノを限界まで鳴らすということはしたくなかったというのもあります。スタインウェイはより楽に演奏できそうに感じて、ファイナルはこちらで挑戦してみようと思いました。

ーそうだったんですね。でも、もともとカワイのピアノを弾いて慣れていたわけでもなかったそうですね。

はい、まったく弾き慣れていませんでした。でもセレクションで5台を弾いてみて、これだ!って思って選んだんです。よく考えることもしませんでした。というか、考え込んで頭を混乱させるようなタイミングじゃないと思って、好きだと感じる楽器を選ぶことにしました。

ー1次予選のときから、カントロフさんのものすごい音に内臓を掴まれるようだったとお伝えしていましたけど…あの特別な音を出す秘密は?

うーん、抑え込まず、遮らず、いつも歌声を思い浮かべること、イリュージョンを生み出そうとすることですね。あとは、できるだけ長く音を持続させること。完全にマスターすることはなかなかできませんが、今もそれを実現するための懸命な探求は続いています。

ーそういえばある審査員の先生が、あなたの左手のコントロールがすばらしいとおっしゃっていたんです。それを聞いて、そういえばカントロフさんは左利きだったなって…。

ははは! そうなんですよ、左利き。でも、左利きでトラブルがないわけではないんですよ。ピアニストで左利きの人は、自然とヴィルトゥオーゾぶりに欠けることが多いので大変なんです。僕も一生懸命練習しないといけませんでした。

ーカントロフさんは特別な音楽家の家庭に生まれていますが、やはりそういう環境が音楽性に影響を与えているところはありますか?

もちろんです、子供の頃からずっと継続的に彼らから多くのことを受け取ってきました。両親ともにヴァイオリニストで、僕は二人の演奏を聴くことが大好きでしたから。

◇◇◇

というわけで、演奏同様、おしゃべりをしていても独特の空気感を漂わせるカントロフさんのお話でした。

ところで、1次予選でカントロフさんの演奏を聴いたときの衝撃、今も忘れられません。
弾き方も自由で歌い回しも個性的だったことにも驚いたんですが、それ以上に、深い音をごうごうと鳴らしあう混濁の一歩手前みたいな響きに、背中がぞくっとするような、内臓をぎゅーっと掴まれるような感覚を味わいました。
1次予選の記事でわたくし、こわいこわい書いていましたが、本当に畏れみたいなものを感じたんです。このピアニストが、リストやラフマニノフの楽譜からああいう音を想像するということも、実際にそれを鳴らせるということにも。(ちなみに、帰国して諸々の原稿を書き終わって初めてインターネット配信を聴き返してみましたが、配信のほうが響きがスッキリ聴こえるように思います。やはりあのゾワゾワ感は会場ならではの感触だったのかも…当然といえば当然ですが)

1次予選のあと、この内臓掴まれたちょっとこわかった感触をご本人にも伝えたいと思って(体験したことのない感触だったから)、よくない意味で受け取られる可能性を心配しつつもオブラートにつつむこともなくそのまま言ってしまったんですが、「へぇー、そう!? サンキュー」という返答をいただき、ちゃんと賞賛してるって伝わってよかったと思いました。

そんなわけで、あの音を出す秘密は?とお尋ねしてかえってきた言葉に、ものすごく納得してしまったのでした。そういう考えで響きを追求しているから、ああなるのねと…。

それにしてもカントロフさん、見かけるといつもワインレッドの何かを着ているんですよ。すごく気に入っている色だとか、はたまた験担ぎだとか、なんかあるかなと思って聞いてみたところ、「確かにこの色は好きだけど、よく考えないでスーツケースに洋服を入れて持ってきちゃったから」という返答でありました。でもこのお色似合ってると思います。
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あと、メリニコフさんのインタビューでも話題に出しましたが、カントロフさんも、独特の声色(喋る声のほう)の持ち主ですよね。それでピアノでもああいうまろんとした音をお出しになるので、「本人の声色と楽器の音色似てくる説」は、わりと信憑性あるかもしれない、と思いました。

チャイコフスキー国際コンクール第2位、藤田真央 さんのお話

続いては、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第2位に入賞した藤田真央さんのお話です。お待たせいたしました。

現地ではなんとなく立ち話などをする機会も多かったので、いつでもインタビューできるだろうと油断してしまい、あとで…と言っているうちに、前述の通りの強行スケジュールのためご本人グッタリという展開。そんなわけで、ロシアで少し聞いたお話と、帰国後のコンサートのあとに聞いたお話の合体したインタビューとなっています。

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結果発表終了後の藤田真央さん。
普段はしないというダブルピース(2位ポーズ)で。

◇◇◇
[まずはモスクワ現地でのインタビューから]

ーモスクワ音楽院大ホールという会場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾いてみて、いかがでしたか?

難しいなと思いました。日本で弾いたこともありましたが、その時はもう少し楽に弾くことができたんです。でも、やはりあのホールだと、特別な雰囲気を感じるところがあって。

ーチャイコフスキーの他にラフマニノフの3番を選びました。選曲の理由は?

2曲を組み合わせるならこの選択だなと思ったのと、あとは中村紘子先生のお気に入りの曲だということもあります。以前いただいたお手紙の中に、ラフマニノフの3番をロシアのお客さんの前で演奏するときは、終楽章のリズミカルに進んでいく部分は、しっかりリズムをわからせるように演奏しないといけないと書いてありました。まるでこのファイナルを予言していたみたいですよね。演奏しているときにも、もちろんそのことを思い出しました。でも、倍速のテンポで弾いてしまっていたので、もういいやって途中で思いましたけれど(笑)。

ーそういえば1曲目のあと、いつもと違って笑っていなかったですよね。あれはどういうことだったんですか?

自分の演奏に満足していなかったからですね…でも切り替えなきゃいけないと思いながら。

ー2曲連続で弾かなくてはならないのは大変でしたか?

辛かったですね。2曲目のラフマニノフの1楽章が一番辛かったです。2、3楽章は終わりが見えてくるから少しずつ楽になっていくんですけれど。でもまあ、そんなことは言っていられませんから、全ての音を大切に弾くということに集中していました。

ーステージに出る前には、必ず中村紘子先生と撮った写真を見ていたとか。

そうなんです、もうルーティンのひとつになっています。眺めて、お祈りするんです。「お助けください、どうかお力添えを〜!」って。

ーすごい…やっぱり特別な存在なんですか。

それはもう、特別ですね。今まで会った人の中で、誰よりも一番オーラがすごい方です。最初にお会いしたときの目力が本当にすごかった。小柄な方なのに、とっても大きく見えました。

ー1次予選の時は、ステージにかかっているチャイコフスキーの肖像に挨拶をしたとおっしゃっていましたね。

全ラウンドしましたよ! 「日本から来たんです」って。

ーなんだか神社にお参りするみたいな(居住地言うなんて)。

そうそう。2次予選は、「また来ました」、ファイナルは、「これで最後です」と伝えてから演奏しました(笑)。

ーサンクトペテルブルクのガラコンサートでは、ゲルギエフさんと共演しました。いかがでしたか?

本当に素晴らしい経験でした。一瞬で終わってしまった感じです。リハーサルもないなかで、最初テンポがすごく速くなってしまったのですが、テーマが繰り返されるうちにだんだん落ち着いていきました。演奏が終わったあと、ゲルギエフさんが、君のモーツァルトも聴いたけれど美しかった、またすぐに共演しようと言ってくださって、嬉しかったです。

ー今回、ピアノは5台のなかからスタインウェイを演奏しました。選んだポイントは?

音ですね。結局、音で勝負するしかありませんから。どんなに全ての音が均等にそろっていようと、自分の音が出せる、美しい音が出せるということにはかえられません。あとは、音色を変えて演奏することが好きなので、その変化をつけやすいピアノがいいですね。他のピアノとも迷いましたが、最終的には、いつも使っているスタインウェイを選びました。

ー演奏を聴いていると、フレーズごとに音も表現もどんどん変わっていくのが本当におもしろかったのですが、ああいうのは天然で出てくることなのですか?

それは野島先生に教わったことです。作曲家は無駄な音は作曲家は書かないから、全ての音を気を配って演奏しなくてはならないと。

ーモスクワのお客さんがどんどん入り込んでいくのは、ステージでも肌で感じました?

はい、やはりすごく嬉しかったですね。日本のお客さんとはまた違った雰囲気で、おもしろい発見でした。

ーロシアのメディアでは、ベビー・マオとか、猫のお父さんだとか、いろいろなあだ名がつけられていたみたいで。

思わぬ反響でびっくりしましたねー。そんなに注目していただけるなんてうれしいです。

ーコンクールが終わった今、始まる前と変わったことはありますか?

音楽的な面でも変わることができたし、大ホールで弾くという経験を何度もして、大きな会場になれることもできたと思います。こういう環境の中で弾く経験は今までありませんでしたから、このあとは日本のコンサートでも楽に弾くことができるのではないかと思います。

[ここからは、帰国後、7月中旬にお聞きしたお話です]

ー日本に帰国して、周りの反応はどうでしたか?

大学に行った最初の日は、ちょっとざわついてましたねー、みんな私のほうを見ている!って。で、3日目くらいに、なんにもなくなった(笑)。普通の人に戻っちゃった(笑)。

ー3日か…みんな慣れるの早いですね。チャイコフスキーコンクールで2位になったのだという実感は湧いてきていますか?

チャイコフスキーコンクールって、これまで見ていた印象では、過酷な戦いに駆り出されるみたいな勢いで参加するものだと思っていたのですが、実際は、ひょいひょいひょーいっと次のステージに行ってしまった感じでした。モスクワには何もないって聞いていたから、日本からカレーとかうどんとかを持っていったのに、レストランもいろいろあったから、コンクール中は普通に楽しかったですね。有意義な2週間を過ごして、帰ってきたらなんだかみんなが騒いでるっていう感じでした(笑)。

ーひょいひょい行ってたの、藤田さんくらいだったんじゃないかという気もしますが…他のコンテスタントはそれなりに大変そうでしたけどね。とはいえ、コンクール中、集中力を保つのは大変だったのでは?

うーん、でも結局、本当に集中しなくてはいけないのは演奏している1時間ですからね。24時間気を張っていなくてはいけないという環境でもなかったので、いつも通り音楽を楽しんでいました。その場のインスピレーションもありますし、音楽のすばらしさを伝えるといういつも大切にしていることを、同じようにやっていました。

ー今思い返して、コンクール中で一番印象に残っていることは?

一次の時ですね。もともとバッハを弾くのがこわくてたまらなくて、当日は1日中練習していたんです。毎回違う所をミスしてしまったり、フーガがうまく弾けなかったりして。でも本番でそれをしっかり弾き終えられた瞬間、心配がなんにもなくなりました。それで、あのモーツァルトの演奏ができたのだと思います。すごく楽しく弾けたんです。全ての流れがあそこで作られたと思います。

ー2位という結果についてはどう感じていますか?

帰ってから野島稔先生にも、2位で良かったね、まだ勉強できるからと言われました。「クララ・ハスキルで優勝してからの2年でも、またこのコンクールの期間でも上達したから、君にはまだ伸びしろがある、もっといろいろな解釈を広げられるように勉強しないといけない、2位でも忙しくはなるけれど、まだ勉強する猶予があるから」って。

ーところでそもそも、チャイコフスキーコンクールに挑戦することにした理由は?

やっぱりロシアのピアニストが好きだからです。ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス……こういう方たちが弾いた場所で弾きたいというのが1番です。あと、チャイコフスキーコンクールのウィキペディアにのりたいっていうのもあったかな、きゃはははは!!(←藤田氏、ものすごく笑う)

ーその動機、初めて聞きました…でも確かに、半永久的に載るってことですもんね。

確認したら、載ってました! うれしかったー(笑)。

ーところで、実際に3週間ロシアで過ごし、ロシアで弾くという経験をしてみて、ロシアやロシア音楽についてのイメージで変化したことはありますか。

ロシアの年齢層の高い方達の顔から時々見える、冷たさみたいなものというか、作られた表情みたいなものに触れて、自分にはないものだなと思いましたね。

ーなるほど…社会主義の時代を経験している世代の雰囲気でしょうか。もう今の若い人たちは、普通にフレンドリーですもんね。

はい。例えば練習室の部屋の鍵をくれる警備員の人が、絶対笑わなかったりとか。でも1回だけ、練習室の番号の45番というのを私がロシア語でいったら、笑ってくれたんですよね。それから、柔道をやっていたという話を向こうからしてくれたりして。少し仲良くなりました。

ーところで、今一番好きなピアニストは?

最近はルプーが好きだったりしました。でも、この頃ピアニストをあんまり聴かなくて。ヌヴーとかデュプレをよく聴いています。あとは、テバルディが好きです。あの時代には、カラスとテバルディが大スターでバチバチに対抗していたんですよね。オペラや歌はとても好きです。オーケストラ作品も聴きます。

ー歌が好きなんですね。では、ピアノを弾く上での歌うような表現についてはどう考えていますか?

音楽の起源は歌ですから、本当に大切ですよね。私、こういうふうにくねくねして弾くから、それで歌っている表現になっていると思います(笑)。

ー藤田さんにとって、ピアノ、音楽とはなんなのでしょうか?

うーん、ピアノは単に、楽器ですよね。ホールによって別のピアノがあって、それにすぐに順応して良い響きを作ることが、ピアニストの難しさです。音楽は、一瞬一瞬変わっていくので、その瞬間の素晴らしさを感じ取っていただきたいという気持ちがあります。つまり、その時ダメでも次はいいかもしれないから、何回も聴きに来てほしいです(笑)。

ー今後、ピアニストとしてどんなことを目指していきたいですか?

クララ・ハスキル、チャイコフスキーとコンクールで賞をいただいたので、その名を背負っていかなくてはいけないという使命感はあります。でも、気負いすぎず、自分のペースで黙々と演奏をしていきたい。そうやって生きて行くつもりです。

◇◇◇

…というわけで以上、ところどころ、ゆるい口調ゆえに冗談なのか本気なのか非常に判別しにくい、独特のユーモアセンスの炸裂した藤田さんのお話でした。

ご本人が言っているとおり、コンクール中現地で見かける藤田さんはいつもほわんとして楽しそうでしたし、今日のお昼はこれを食べたーという報告を、まあまあ詳細にわたってしてくれたのが印象的でした。多分、本当に毎食楽しみにして暮らしていたんだと思います。
とはいえ、なんだかんだでプレッシャーも当然あったはず…それでも日々の時間を楽しもうとしている。藤田さんの場合、そういうエネルギーの差し向け方が、音楽にも反映されているような気がします。
実際、これはコンクールとか音楽家とかそういうことにかかわらず言えることだと思いますが、同じ時間でも楽しもうとして過ごすかどうかで、その時間の位置付けは変わってくるものですもんね。(もちろん、悩まなくてはいけない時間にも価値がありますし、むしろ怒ったりフラストレーションを感じることを原動力に生きている人もいるわけで、それは個人の価値観の問題かもしれません)

それから、中村紘子さんのエピソードにも驚きました。今回の藤田さんのロシアでの活躍で、改めて紘子さんの先見の明に驚かずにいられなかったわけですが、そのうえ、弾く曲や場所まで予見してアドバイスを手紙にしたためていたとは…。そして写真を拝まれている。もはや守り神的存在ですね。
ちなみにそのお手紙を藤田さんが紹介していらっしゃいます。

 

私が書いた中村紘子さんの評伝でも、紘子さんが期待した若手として、藤田真央さんのお名前が登場します。
紘子さんはとにかく、たくさんの聴衆から愛されるようになるピアニストを、まだみんなが気づく前の萌芽的な段階で発見して支える力がすごかった。ただ同時に、みんなに優しいわけでもなかったというのもポイントなんですね。
拙著では、紘子さんは自身の若き日の経験と苦労からああいう感じになったんだなということ、またピアノ界に紘子さんがのこしたことについても分析していますので、気が向いたらどうぞ読んでみてください。(宣伝してすみません)

 

さらに中村紘子さんといえば、ご自身がチャイコフスキーコンクールで審査員を務めた経験からお書きになった名著「チャイコフスキー・コンクール」があります。あの時代の審査員の間でどんなやりとりがとりおこなわれていたのか、そしてピアニストとしてトップを目指すことの厳しさなどを知ることができる貴重な1冊です。


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ところで、写真はこちらの帰国後に撮ったものもあったのですが、最初の画像には、やっぱりあの結果発表直後のダブルピース(2位ポーズ)の写真が喜びにあふれていていいかなと思って使いました。普段はしないポーズなんだけど今回だけ…と藤田くんは言っていました。自分も写真でピースしないほうなんで、気持ちわかる。チャーチルやヒッピーが頭をよぎるんですよね。(※戦前生まれではありません、念のため)
ただ、藤田くんが普段ピースをしない理由は、聞かなかったのでよくわかりません。

チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話

続いては、チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話です。

シシキンさんは、ロシア生まれの27歳。ピアノの先生のお母様の手ほどきでピアノをはじめ、グネーシンからモスクワ音楽院に入って、名教師でピアニストのヴィルサラーゼ教授に師事。2015年のショパンコンクール入賞あたりから日本でもファンが増えていると思いますが、その後、2017年にはノルウェーのトップ・オブ・ザ・ワールド国際ピアノコンクール、2018年にジュネーブ国際音楽コンクールで優勝しています。

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Dmitri Shishkinさん
結果発表の前にお話を聞きました

◇◇◇
ーチャイコフスキーコンクールのファイナルで演奏してみて、気分はいかがですか?

もちろんとても光栄でした。美しいホールと優れた聴衆の前で、レジェンドのようなプログラムであるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏できたのですから、とてもエキサイティングでした。

ーチャイコフスキーコンクールには、2015年にも挑戦されているんですよね。

はい、でも残念ながら2次に進めなかったので、4年経ってまた挑戦しました。今回はうまくいって嬉しいです。

ーロシアのピアニストにとって、チャイコフスキーコンクールは特別なものなのでしょうか。

もちろんです。全ての演奏家にとって特別だと思いますが、ロシア人にとっては特に重要です。ここで成功することは一つの目標ですし、人生の中で一度経験してみたい舞台だと思いますよ。

ーシシキンさんはいつから憧れていたのですか?

子供の頃からです。9歳から毎回、つまり続けて3回はチャイコフスキーコンクールを聴きにきていました。母と一緒に、予選からいろいろなコンテスタントを注意深く聴くんです。とても楽しかったですし、大きな経験になったと思います。

ー記憶に残っている回はありますか?

最初の2002年のことは子供だったのでよく覚えていませんが、聴く側として一番最近のトリフォノフさんが優勝した回(2011年)のことは記憶に残っています。すばらしいピアニストがたくさん参加していました。今は自分がその舞台に立ち、夢が叶ったという感じです。

ーファイナルでは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を選びました。シシキンさんの音とキャラクターに合ったとても良い演奏だと感じましたが、選曲の理由は?

まずこの作品がとても好きだということ、技術的、音楽的な面で自分に合っていると思うこと。それから、ジュネーヴ国際音楽コンクールでこれを弾いたということもあります。ちょうどロシアの作品ですから、このコンクールで演奏したいと思いました。

ーシシキンさんは、重く美しい音をお持ちです。このコンクール、パワーのあるロシアのピアニストはわりと2次でヘビーなロシアの作品を選んでいた印象ですが、シシキンさんはショパンから始めていましたね。そこにピアニストとしての心意気のようなものを見た気がしたのですが。

そうですね、自分のいろいろな側面を見せたいと思って。ピュアなロシア作品の奏法だけでなく、リリカルだったり、ロマンティックだったり、旋律美を見せるような作品も演奏しようと、ショパンに加えて、メトネルのセレナーデも選びました。これによって、あらゆる側面での解釈や哲学を見せることができたと思います。

ーファイナルではロシアの作品を2曲お弾きになりました。ロシア音楽の精神ってどんなところにあると感じますか?

2曲はそれぞれ、とてもワイルドで懐の大きな魂を持っていると思います。とてもロマンティックで心が開かれていて、表情豊かです。幅広い感情や思考を感じて弾くことが大切です。加えて、巨大なサウンドスペースを作ることも求められます。こういう豊かさが、ロシア音楽の魅力だと思います。

ーモスクワ音楽院大ホールの音響でそういうロシア音楽を演奏することに、特別なところはありますか?

ロシア音楽のために作られたホールではありませんけれど、確かにロシア音楽がたくさん演奏されてきたホールです。例えばラフマニノフのソナタを演奏するうえでは、このホールの音響が助けになりました。自分が創る全ての音やダイナミクスを聴いてもらうことができるホールです。
ここで弾いていると、自由な感じがします。音響が助けてくれて、自分がやりたいことに100%集中することができました。

ー今回は5台のピアノのなかからスタインウェイを選びました。

ヤマハ、カワイ、スタインウェイで迷って、最終的にスタインウェイを選びました。ポイントとなったのはメカニックの部分と、ブライトな音です。特にオーケストラとの共演でもしっかりピアノが聴こえるようであるためには、音がブライトであることが重要です。ファイナルのことを念頭に、スタインウェイを選びました。
このピアノは特にベースの部分が調律師さんによってとても良く整えられていていました。スムーズな音がとても心地よく、鍵盤とつながることができ、楽に音を変えることができると感じました。

ー一番大変だったステージは?

どれも大変ではありませんでしたね。驚くことに、毎ステージとても心地よく、自由な感じがしました。少し前にこのモスクワ音楽院大ホールで同じような曲目のリサイタルをしたのですが、ホールが何年かぶりだったこともあって、その時はストレスを感じ、音響もユニークだから慣れるまで大変だったのです。でもコンクールの時は、逆にいい雰囲気のリサイタルのような気持ちで楽しむことができました。本当に不思議なんですが、審査員が聴いていることも忘れていましたし、まったく怖さも感じませんでした。

ーそうですか、なにか降臨してたんですかね、チャイコフスキーの魂的なものとか。

かもしれませんねぇ。すぐ横にチャイコフスキーの大きなポートレイトがあったし。心配しなくていいよと言いながら見てくれているみたいな感じで。

ー審査員もあんなに前に座っていたというのに。

普通のコンクールではあまりありませんよね。でも、審査員の先生方のリアクションが見えておもしろかったですよ。

ー見ていたんですか?

もちろん見ましたよー。

ーヴィルサラーゼ先生と話しましたか?

はい、喜んでくれていますよ! あと、ファイナルからは、今イタリアで師事しているエピファニオ・コミス先生もいらして支えてくださいました。コミス先生は、すばらしい音楽家です。先生からは、演奏法、音楽の理解、音楽の構造、音やタッチのことなど多くのことを学びました。コンクールの準備でもたくさん助けてくださいました。

ー数年前から、アリエ・ヴァルディ先生にも見てもらっているとおっしゃっていましたよね? ロシア音楽についてはもうわかっているだろうから、ドイツものを勉強しようと言われたって。

ふふふ、そうそう。今もハノーファーでレッスンを受けています。ドイツ音楽を中心に、先生から多くのことを学んでいます。

ーロシアン・ピアニズムについてはどういう考えがありますか? まず、そういうものがあると思うかどうかというところから。ピアニストによって意見が違うみたいなので。

もちろん、私たちにはスクールがあります。でも、最近はみんなが外国で勉強するようになっているから、すべてのスクールがミックスされていて、ロシアン・スクールの奏法にはっきりとした特徴があるとは言えなくなっているでしょう。でも、強いスピリッツのようなものはあるといえます。僕が思うに、ロシアン・スクールの中にいるピアニストは、みんなフィジカルな意味でとてもよく鍛えられていて、力強く、音楽にソウルを込めて演奏することができると思います。
とはいえ、一言で音楽の特徴を挙げることはできませんね。それぞれの学生がさまざまなスクールから学び、経験を重ねて、最終的に自分だけのユニークさを手に入れるのですから。

ーところでフィジカルっていう話で思い出したのですが、今もトレーニングをして鍛えているんですか?

最近は泳いでます。ピアニストとして生き延びるためには、演奏で痛みが出るようでない体づくりが必要なので。

ー弾き姿を見てるととても自然だから、痛みなんてなさそうですけれどね。

そんなことないですよ、ピアニストによくある痛みは、みんなあります。見せないようにしているだけです(笑)。音楽を楽しむためには、すぐにリカバーし、健康で良い気分でいられるようでないといけませんね。

ーあと、見ていてシシキンさんの美意識みたいなものがすごいなと思ったんですけど…もちろん音楽的な話もそうなんですが、いつもジャケットを着ていて毎回立ち上がるたびにスッとボタンを閉めていましたよね。

ああ、そうでしたね(笑)。服装については、みなさんへのリスペクトというか、お客様は単に音楽を聴いているだけじゃなくて、喜ばしいものを受け取ろうとして来てくれているわけだからと思ってそうしています。ボタンは、何も考えていなくても自動的に閉めてしまう(笑)。でもみなさん、今回はステージが暑かったからシャツなどで演奏していたんだと思いますよ。頭がクリアでないと、難しい曲を弾くのは大変ですから、気持ちはわかります。

ーところで、お母さんはすごく喜んでるでしょうね。

それはもう。舞い上がってる感じ(笑)。

ー結果が出たらどうなってしまうんでしょうね。

本当ですねえ。母はこれまで、いつも僕のことを守ってくれたし、支えてくれました。とてもあたたかい母です。本当に感謝しています。

◇◇◇

シシキンさん、最終的に2位になって、お母さんはもう嬉しくて「空を飛んでいるみたいな感じだよー」と言っていました。「側で支えてくれた優しいお母さん」と今回のインタビューでは話していますが、以前のインタビューでは、音楽についてはとても厳しくて、その厳しさは「ヴィルサラーゼ先生以上」と言ってましたね。
シシキンさんはお兄さんもミュージシャンでパーカッショニスト。お友達が二人のために曲を作ってくれることになっていて、近いうちにデュオで演奏会をする予定らしいです。
ちなみにお兄さんがお母さん似で、あのシシキンさんの濃厚でシュッとしたお顔立ちは、どちらかというとお父さん似だそうです。見たい。

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