マルク=アンドレ・アムランさんのお話

先日のピリスさんに続き、考えさせられたインタビュー。
ヤマハ ピアニストラウンジ、マルク=アンドレ・アムランさんの記事がアップされました。

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ピリスさんとアムランさん、二人に共通しているのは、いかに生きるか、ということにまつわる質問になってくると、じーっと言葉を選んで、丁寧に答えてくれること。インタビュー時間30分しかないっていうのに、無言でじぃっと向き合う時間が流れることもしばしば。

たまたま見かけた海外のサイトのインタビューで、アムランさんが、知られざる作品と超絶技巧作品の演奏で鳴らしていた若き日、
「ハロルド・ショーンバーグにスーパー・ヴィルトゥオーゾと評価され、最初はそれをみてすごく興奮し、自分のプロフィールに引用したこともあった。でも今や疫病のようにこの言葉を避けている」
…と話しているのを見まして。

そんな時代を経ての、今回のお話。
アムランさんは時間をかけて、「アーティストとしての自分の文化的な責任の認識」を確かにしていったんでしょうね。最終目的は、世界をより良いものにするということ。そのために自分に何ができるか。自分は何のために生かされているのか。
その答えはきっとこの後も変わっていくのかもしれない。ああ!

ところで、作曲家として、「将来自分の作品を弾く人が私生活を研究するかもしれないことについてどう思うか?」という質問への回答は、予想どおりでおもしろかったです。だいたいみんな、いやだっていう。

それにしてもこのところは、アムランっていうと、若アムランくんのほう(2015年ショパンコンクール2位のシャルル=リシャールくんのほう)を思い浮かべる人が多いみたいですね。

おじさんのアムランさんのほうは、今回が12年ぶりの来日でしたし、時代の流れでしょうかね。インタビューをしたのは、東響とのブラームスの協奏曲のリハーサルの日だったのですが、事務局の方が「オーケストラの若い団員はアムランさんのことをあまり知らなかったみたいですが、リハーサルをやって、こんなすごいピアニストが!!ってびっくりしてましたよー」とのこと。
そうでしょう、そうでしょう。

あと去年ヴァン・クライバーンコンクール中にはじめてお話ししたときに思ったんですけど、アムランさん、いい声なんですよね。見た目のイメージに似合った、あったかいお声の持ち主なのでした。

「kotoba」夏号、インドの音楽学校事情

集英社「kotoba」での、インド社会の現状を西洋クラシックの受容の観点から読み解くという連載。第2回の記事が、先日発売された夏号に掲載されています。

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今回からはいよいよ、今年2月のインド現地取材でリサーチしてきた話題です。

内容はこんな感じ。

「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~
第2回 西洋クラシック楽器を習う心理の裏側
・楽器の名前も知らずに習いにくる ~コルカタ、デリーの音楽学校の場合
・インドの楽器講師のレベルは?
・もはや趣味ですらない… 受験戦争対策としての楽器習得
・チェンナイ、衝撃の「ロシアン・ピアノ・スタジオ」

ここ5年~10年ほどで急激に西洋楽器を習いたがる人が増えている、その理由はなんなのか。
ボリウッド映画やYoutubeの影響かと思いきや、実は、受験戦争を勝ち抜くための方法として西洋楽器が流行しているということもわかりました。
それにかける親の情熱には、インドの家族をめぐる社会システムも大きく影響しているという証言もあり、なるほど…と納得(詳しくは記事参照)。
日本だって受験戦争は熾烈ですが、インドの競争はそれはすごい。数年前、親たちがわらわらと校舎の壁をよじ登ってカンニングペーパーを渡す集団カンニング事件がニュースになりましたよねー。

そんななか、受験戦争などの世界からは隔絶された、ある意味超ピュアなピアノ教育をしていたのが、チェンナイの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」です。
ボリウッド映画音楽の大人気作曲家、ARラフマーン(ムトゥ・踊るマハラジャとか、スラムドッグ$ミリオネアの音楽を担当した人)が創設した、KM音楽院の中に創設されているコースで、先生は生粋のインド人、チャタルジー先生。モスクワ音楽院を卒業した初のインド人だそうです。
「私が開発したメソッドで勉強すれば、1、2年で誰でもヴィルトォーゾになれる」というのがウリ。
ネットでこのクラスの存在を発見し、猛烈な勢いで弾きまくる生徒たちの動画を見て、なんとしてもこの先生に会って話を聞かなくてはと思ったわけです。

実際にお会いして見聞きしたこと、完全インド化された独自メソッドについて先生が語ったことについて、記事の中で紹介しています。ちなみに、記事と連動して、クラスで撮影した動画が公開されています。
習って1年半〜5年の生徒たちです。

どうですかみなさん。
この演奏を披露されて、生徒の父兄まで集まっている教室で、チャタルジー先生から「さあどうだね? 彼らがショパンコンクールに出たらどうなるとあなたなら思う?」ってドヤ顔で聞かれる私の気持ち、わかりますか…。

ただ機械的に弾くというのではなく、音楽性やメンタルの指導もすごくしてるんです。ただそれが超インド流なので、最終的に音楽表現が(一般的な西洋クラシックの感覚からすると)とんでもないところに着地しているわけです。
その弾き方はめちゃくちゃだと批判することは簡単だけど、初心者から一音入魂で弾かせる濃すぎるアプローチ、インド流を自認するメソッドへのみなぎる自信には、見るべきところがあると思いましたよ私は…。
その辺りについての詳しい考察は、記事を読んでいただくとして。
ちなみにこのクラスの生徒たちにとってのヒーローは、ラン・ランだそうです。

その後チャタルジー先生とメールでやりとりをしていたら、「そういえば日本人にも、私のメソッドを彷彿とさせるような、すばらしいボディランゲージと表現力を持つ若いピアニストがいますよね。私も生徒たちもみんな、彼女の音楽に魅了されています」と。
そのメールの最後に貼られていたのが、小林愛実ちゃんが9歳のときのモーツァルトのコンチェルトの動画でした…。なんかいろんな意味で衝撃でした。愛実ちゃん、まさか遠いインドの国にファン集団が存在しているとは、知らないだろうな…。

kotobaは一般誌ですから、ピアノファンや学習者なら食いついてくれるであろう詳しいお話について全て書ききることはできませんでしたので、いつかどこかで発表できたらいいなと思っています。

ちなみにこの号の巻頭は、日記特集。すごく読み応えがあります!
井上靖さんや、湯川秀樹さん、加古里子さんの戦中の日記などとても興味深い。ベートーヴェンの日記についての平野昭さんの文章ものっていました。

ピリスさんにインタビューをして思ったこと

ヤマハPianist Loungeで、マリア・ジョアン・ピリスさんのインタビューを書きました。
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今シーズンで演奏活動から引退すると発表した彼女が、最後の日本ツアーを行っていた終盤で、30分だけ時間をいただけるということで行われたインタビューです。
引退を決めることになった背景にある想いについてもお聞きしています。

詳細はインタビュー記事をご覧いただきたいと思いますが、ピリスさんとお話をさせていただいて感じたことを、今日はちょっと書いてみたいと思います(長いです)。

ピリスさんがコンサートピアニストとしての活動からの引退を決めたその主な理由は、74歳という年齢を迎える今、常にストレスに押しつぶされかけながら生きなくてはならないコンサートピアニストとしての生活から離れたいからということ、そしてその時間を、社会や人のためになるクリエイティブな活動のために使いたいから、ということのようです。
根本にあるのは、記事のタイトルにもしましたが、「手に入れた何かを自分だけのものにとどめておけば、それはすぐ役に立たないものになってしまう」という考えでしょう。それは経験なのかもしれないし、持って生まれた才能のことかもしれない。もちろん生き方や価値観は人それぞれですが、自分はなんで生きてるのかなーと思った時の一つの答えはここにあるかもしれないですね。

そんなピリスさんが真剣な表情で語っていたことのひとつは、やはり今の音楽業界についての懸念でした。音楽やピアノを通して自分は世界を知った、それだけが音楽をする目的だというピリスさんにとっては、戦後、芸術と商業主義が結びついて勢いを増していったアーティストを取り巻く環境が、どうにも居心地が悪かったということのようです。(資本主義社会では、もうだいぶ大昔からそうだったのではないかという気もしますけど、度合いが増しているのは確かかもしれません)

ピリスさんの話には、突っ込んでいけばある意味矛盾していることもあるんだけど、こちらが問いかけることに返してくれる言葉は、自分の胸にあるそのままといった感じで、それぞれの言葉にはハッとさせられるものがありました。
「自分が変わるということを許すことは、失敗を許すということ」とか、けっこう印象深かったなー。

で、そんな中でちょっと「絶望的な発言だなー」と思ったことがあります。
(ピリスさんも、こんなこと言って悪いけど、とインタビューの中でいっていますが)

常日頃、とりあえずチャンスを掴むまでの辛抱だと、ストレスを抱えながらコンクールに挑戦したり、意にそぐわない形でメディアに出たりしている若いアーティストの姿を見ることもありますから、聞いてみたんです、「辛抱して一度有名になれば、芸術家としてやりたいことができるようになるんではないですか」、と。

そうしたら、
「そんなことはありません、私が断言します」っておっしゃるんですよ。
(詳しくは記事参照)

このご発言に関しては、ちょっと、むむ、と思う方もいるかもしれません。実は、ピリスさんがこういう風に話していたんですよねと雑談で何人かのピアニストに投げかけたところ、みんなそれぞれに納得いかないというリアクションでした。
すでに有名なある方の場合は「自分は好きなことやらせてもらってる。自由なフリなんてしてない」と。
これからという若い人の場合は「そんなこといったって、じゃあどうしたらいいんだ、ピリスさんは実際有名になったから、生活もできるんだし、斬新なプロジェクトでも支えてくれる人がいるんじゃないか」という。
いや、私もそう思いましたけど、さすがに時間の都合もあってこの話題だけ深掘りするわけにもいかず。しかし本当にピリスさんは”売れた”ところで自由はないと感じているんでしょう。「私はずっと戦ってきた」と言っていました。

あとはピアノや音楽の話題に加えて、やっぱり人生についての質問をしたくなってしまって。文字数の都合で記事に入れられなかったくだりの一つをご紹介したいと思います。
人間とは欲深い生き物で、安定や成功を手に入れることに気をとられていると、いざそれを手に入れても、結局もっともっとと次の何かを求めることになってしまう。永遠に満足しないことは、向上心があるということでもあるけど、あんまり幸せじゃないことのような気もするんですが。
そんなことを言ったら、ピリスさんはこう言いました。

「いつも何かを欲しがっているということは、あなたを不幸にすると思います。いつも何かに落胆するし、もっと欲しいと思い続けているうちに他人と協力し合わなくなる。そのままの人生を受け入れるという心構えさえ自分の中に持つことができれば、一定の幸せというものの存在を感じて生きることができると思います」

ピリスさんはきっと、権力欲のようなものがないのに、才能ゆえに注目が集まって、そのはざまで悩み続けた人なのでしょうね。
でも、それにまつわる問いを尋ねると、少し困った顔をしながら今の正直な気持ちを話してくれるわけで、本当に純粋な(そしてちょっと難しい)方なんだと思います。

そこで思い浮かんだのは、中村紘子さんのことですよ。

なにせ評伝を書いたばかりですから、その両極端な生き方についてまたいろいろ考えるわけです。紘子さんの場合は、業界を飼いならし、権力を手中に収めるという方法で(もちろんその背後に相当な努力や辛い思いがあったわけですが)、業界のために、自分のためにやりたいことをやっていった人でした。

評伝の中でも、紘子さんが20歳のときに社交の女王になろうと決意したと思われる瞬間のエピソードはじめ、「初対面の人には最初にガツンとやる人だと思う」という某関係者の証言も紹介しています。
「自分の持てるものを社会に還元したい」「若い人を育てたい」という同じ目的があっても、こんなにもやり方が違うんだと改めて思いますね。それも、この二人は、どちらもブレることなく、一生通してそのやり方を貫いていった女性たちなわけで。

それで、ふと気づいたら、二人は同年生まれ、誕生日2日違いでした。
第二次世界大戦終結前年、遠く離れた二つの国に生まれて、同じ人気者のピアニストとして活躍しながら、全く異なる生き方をした二人。それは、かつて世界各地に植民地を持ち、戦後のナショナリズムの動きの中でそれらを手放していったポルトガルと、アメリカの占領下でどんどん価値観を変化させられていった日本という、育った環境の違いなのか。いや、多分関係ないと思いますけど。個人差ですよねきっと。

というわけで話はそれましたが、今回はピリスさんとお話をさせていただいたことで、自分だけが良ければいいという考えはダサいなーというあくまで個人的な価値観を強くし、社会や世界の中の一人として生きるということへの考えを新たにしたのでした。
あれこれこみ入った質問をしてしまったんだけど、ピリスさんはキランキランの瞳で、ひとつひとつに丁寧に答えてくれて、最後はとても優しく握手をしてくださいました。

クライバーンコンクール入賞者たちが日本に来ます

2017年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。
まだ開催から1年経っていないんですね。
個人的には、昨年後半から今年の前半にかけていろいろなことがありすぎたせいか、
もはや遠い昔の出来事のように感じます…。時が経つのが遅い。

このときの入賞者3名が、今年から来年にかけて続々と来日するそうです!

まず、6月に来日したあと再び10月にやってくるのが、
浜コン入賞でもおなじみ、クライバーンでは第3位だったダニエル・シュー君。

2018年6月15日 東京/浜離宮朝日ホール
2018年6月17日 愛知/宗次ホール
2018年10月23日 大阪/茨木市総合クリエイトセンター
2018年10月27日 岐阜/バロー文化ホール
2018年10月28日 埼玉/さいたま彩の国芸術劇場

以前にも何度かこのサイトでコメントをご紹介していますが、
6月のリサイタルについては、「ぶらあぼ」に最近行ったメールインタビューも掲載されています。
明るい元気溌剌ボーイと見せかけて、突如、人の深層心理にまつわる考えを語りだす…
そういえば演奏もちょっとそんな感じです。音は明るいのに、なにかを抱えている感じがする。

そして、第2位のケネス・ブロバーグさん。
私にとっては、あの独特の硬質な音の印象がものすごい。
審査員の児玉麻里さんがとても高く評価されていました(インタビューはこちら)。
ブロバーグさんは、横浜招待に出演し、名古屋の宗次ホールでもリサイタルをするみたい。

2018年11月17日 横浜/みなとみらいホール(横浜市招待国際ピアノ演奏会)
2018年11月19日 愛知/宗次ホール

ちなみに、去年ダニエル君がSNSにアップしていた写真のブロバーグさんは、
ヒゲ&前髪ロングでなんだかイケてる雰囲気だなと思いました。
(彼、短髪だと金融系のビジネスマンみたいな感じしませんか、完全にイメージですけど)
撮影は、自撮りの腕を上げたソヌさん。

そして、優勝者のソヌ・イエゴンさんは、来年の1月に来日するみたいです。
これまでにも仙台コンクールの優勝者として何度か来日していますが、
クライバーンコンクール優勝後は初めてとなる日本ツアー!
完成度の高い堂々とした演奏が光るソヌさんですが、
アメリカ各地での華やかなコンサート活動を経てどんなふうに変化しているのか楽しみです。
若い方の演奏って、短期間でものすごく変わることがありますからねぇ。
仙台コン優勝時からの見た目的なイメチェンっぷりもすごかったですが。

2019年1月19日 静岡/静岡音楽館AOI
2019年1月20日 愛知/宗次ホール
2019年1月22日 東京/武蔵野市民文化会館
2019年1月24日 三重/三重県文化会館
2019年1月25日 東京/銀座ヤマハホール
2019年1月27日 宮城/宮城野区文化センター パトナシアター

ところで、なつかしい2017年のクライバーンコンクールの現地レポートは
こちらにまとめてあります。
コンクール事務局長ジャックさんのお話など、自分でも読み返して、コンクールの在り方について改めてうーむと考えてしまいました。
予算内でただ開催すればいいというのではない、高みを目指してコンクール自体が進歩しようとしている、そんな感じ。
日本の国際コンクールにも、見習うべきアイデアは多いのでは。

中村紘子さんの演奏(N響 ザ・レジェンドを聴きながら)

3月31日の夜にNHK-FMで放送された「N響 ザ・レジェンド」で、
戦後クラシック界を支えた日本人演奏家として、中村紘子さんが特集されましたね。
中村紘子さん16歳、振袖姿で参加したN響世界ツアーの演奏が少し紹介され、
あとは、30代の頃コンドラシンと共演したラフマニノフ3番、
そして若い頃から共演を重ねた指揮者秋山さんと、60代半ばに演奏したショパンの1番が放送されました。
10代、30代、60代の演奏をそれぞれ聴くことができた形です。
(ドナルド・キーンさんが、「彼女は一般の人に人気があるからとラフマニノフやチャイコフスキーばかり弾いていたけど、退屈だったのではないか」なんてインタビューで話している記事を見ましたが、ショパンの1番も相当な頻度だったでしょう)

評伝を書いていたときは、紘子さんが夢に出るほど録音を聴きまくっていましたが、
今夜はそれ以来で久しぶりに彼女の演奏を聴きました。
まったくの余談ですが、書いている間、中村紘子さんが夢に出てきた回数は2回。
1回目の内容は忘れましたが、2回目のときは、「なんか気持ち悪い」と言い出した紘子さんをおんぶして階段をのぼる…という内容でした。
起きたとき、なぜか使命を果たした感がありましたねー。

さて、中村紘子さんの演奏については、多くの方がそれぞれの印象をお持ちだと思います。
私も今夜は改めて、中村紘子さんの演奏はどうしてこのようだったのかということを考えていました。
(もはや演奏が好きだとか嫌いだとかいうより、考察の対象となりつつある…)

若い頃から晩年まで、いろいろな録音を改めて聴きなおした中で、
自分が心惹かれたもののひとつは、例えばもう本当にお若い頃、
ジュリアードに留学し始めたくらいのチャイコフスキーの録音。
力強い音にも、歌いまわしの揺れにも爽やかさがあって、なんだかいいのです。
あとは、やはりお若い頃の録音で、ショパンコンクール入賞直後、
コンクールの指揮者でもあったロヴィツキと共演したショパンの1番の録音。
ショパンの歌の揺れがやっぱり爽やかで、熟してきたあとの演奏とはまた違った感じ。

晩年の演奏でいえば、2014年に録音されたショパンのマズルカが良かったです。
中村紘子さんのショパンの演奏で良く聴かれる大胆なテンポの揺れが少し抑えられていて、
色々質素だった社会主義時代のポーランドっぽい(?)魅力というか、
何かそういう意外な表現に出会って驚きました。

…で、私、先ほどからショパンの演奏の揺らぎについて書いているのにお気づきかと思いますが、ここ、中村紘子さんの演奏について好みが出るポイントのひとつではないかなと思ったりします。
今回本を書く中、現役のピアニストの方たちはどうお考えなのだろうと思って、
ちょこちょこ、国内外問わず聞いてみたんですよ。
そうしたら、驚くことに。ちゃんと演奏を聴いたことがないという人がわりと多いんですよね。
評伝の中に登場する方でいうと、舘野泉さんや横山幸雄さんなどが一例。
そんな中、本をお読みの方もいると思うので改めてここには書きませんが、チョ・ソンジン君の中村紘子さんの演奏についての評は、なかなか興味深いものがありました。

もうひとつ、中村紘子さんの演奏といえば、高めの椅子に座って、上から華麗に鍵盤を叩く姿。改めてここも好みが出るポイントだろうなと。
評伝の中では、そのあたりについても人々の意見を求めているわけですが。
今日の放送でラフマニノフの3番を聴いていて、小さな手の持ち主だった中村紘子さんが大好きなロシアものを弾くにあたって、
めいっぱいロシアらしい華やぎを再現しようとした結果があの音だったのではないかなとか思いました。
…彼女は理想に向かっていつも戦っていたのかもしれません。

今日のラジオ放送では、ナビゲーターの檀ふみさんが池辺晋一郎さんに、
「紘子さんは旅行に二の腕を鍛える器具をお持ちになるとおっしゃっていたので、
ケンカしたら負けていましたよ」なんておっしゃっていましたが。
(「ケンカしたら」って、殴り合いのケンカってこと?? 笑)
とにかく色々な意味で、ご自分のキャパシティと求める理想の音楽のはざまで
最後まで試行錯誤をし続けていた方なのだろうと思いました。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売

「kotoba」春号でインドの連載がスタート

中村紘子さんの本が発売されて、
本当ならいろいろ内容の紹介などしたほうがよいところ、
すぽんと1ヵ月近くもインドに行ってしまって、戻ってきました。

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(大都会ムンバイの街並み)

とはいえ、今回のインド行きは、単にカレーを食べまくったり遊んだりしに行っていたわけではなく(実際、カレーは食べまくっていましたが…)、
れっきとした理由というか、成し遂げるべきミッションがありました。

そのうちの一つが、
今年1年間、集英社の言論誌「kotoba」で書くことになった連載のためのリサーチ。
一部の人々の間で注目を集めているインド社会の現状を、
西洋クラシックの受容の様子から読み解いてみましょうという、
良く通ったな〜という企画です(ありがたや)。
実はもうこの第1回はすでに、先日発売の春号に掲載されています。

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初回は導入ということで、こんな内容を取り上げました。

「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~
第1回 巨象インドの音楽事情
・西洋クラシックがインドでほとんど受け入れられてこなかったわけ
(旋律のインド、和音の西洋/植民地支配時代のインド・ルネサンス)
・ベートーヴェンやワーグナーがインドから受けた影響
・舘野泉さんが1980年ごろインドでコンサートをした時の話
・1960年のN響世界ツアーがデリーからスタートした話
・最近のインドでの西洋クラシック人気の様子

連載は、このあと3回続きます。
今後話題は、インドの音楽学校事情、現地でのヤマハさんのがんばりっぷり、
ロシアン・ピアノ・スタジオ(byインド人先生)の驚きの現状、
メータさんの話など、どんどんディープになってゆく予定…どうぞお楽しみに。

ちなみにこの号の巻頭特集はブレードランナーということで、
熱狂的ファンの間で話題らしく、売り切れ続出みたいです。
ブレードランナーファンに、
果たしてインドのクラシック音楽事情というダサめのトピックスはささるのか…。

あと、井出明氏の新連載、「ダークツーリズムと世界遺産」もおもしろかった。
ポーランドのオフィエンチム(アウシュヴィッツ)の話などが載ってます。
私も、以前この場所を訪ねたときのことを旧ブログにアップしていますが、
現地に行っていろいろ考えたことを思い出しました。良い雑誌。

「kotoba」、普通の本屋さんで見かけることは少ないですが、
蔦屋書店的なお洒落本屋さんにいくと、よく置いてありますよ。
見かけたら、ぜひお手に取ってご覧くださいませ!

「女性ピアニストのイメージ」と中村紘子さん

引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。

今回本を書く中で強く意識したことのひとつに、中村紘子さんがスターの座にのぼりつめた時代は、社会におけるジェンダーについての考え方が、すごい勢いで変化していった時代でもあるということがありまして。
私はある時期から、あんまりそういったことを意識しないで生きるようになったほうなので、久しぶりに改めてその界隈のことを考えました。
(身体的な差異は明確だし、女性であることによる不利、有利の差はあるかもしれないけど、それは個々の人類の差異の一つでしかないような気もするから、気にして立ち止まることになるくらいなら考えないほうがいいと、いつしか思うようになってしまった。でももちろん、もっと複雑な問題や越えられない壁があるのは理解してます)

さて、そんなこの本の中のジェンダー論的な要素などについて、吉原真理さん(ハワイ大学アメリカ研究学部教授)が、ご感想を書いてくださいました。
吉原さんとは、辻井君とハオチェンさんが優勝した回のヴァン・クライバーンコンクール取材中に知り合いました。
思えばもうずいぶん前。なつかしいな。

https://mariyoshihara.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html

「アジア人はいかにしてクラシック音楽家になったのか?」など、
人種、ジェンダー論にかかわる学術的なご著書も多く、クライバーンのアマコンに出場されるほど本格的にピアノを弾く吉原さんは、私が書きながら、読む人に拾ってほしいな~と感じていたところを、ことごとく拾ってくださってます。
(ちなみに、普段からツイッターなどでそういうご感想を見かけることがあると、
すごくうれしくなります)

まず吉原さんは、知っている人(私)が書いた本でなかったら、おそらくこの本を手に取っていなかった、という冷静なスタンスで読み始めたようなんですね。

中村紘子さんは、とにかくめちゃくちゃすごい。
日本のピアノ界にとってなくてはならない存在だった。
でも、なぜだか不思議と興味がわかないのよ、という人。
ピアノを真剣に勉強していたりクラシックが大好きだったりする方の中で、一部ではあるけれど、けっこうな頻度で遭遇します。
そのことは、評伝を書く上で聞き取りをしている中で改めて実感しました。
吉原さんは、自身もそうだった理由を、この本を読みながら考えてくれたわけです。
中村紘子さんが女性ピアニストのイメージを決定づけた、そのことがご自身に与えた影響について思いを巡らせてくれたわけです。
あー、うれしい読み方!!

この本を書きながら感じていたことのひとつに、読者のみなさんにも、中村紘子さんのスリリングな人生を追うだけでなく、自分の体験についてもう一度考えたり、壁をどう突破するかについてヒントを得られるようであってほしいというのが、
実はありまして。

私自身、最初、自分には引き受けられない…と思ったこの評伝執筆の仕事を受けてよかったと思った理由のひとつは、中村紘子さんの人生を追うことで、日本から出て活動するうえで考えるべきこと、女性であるということへの考えかた、覚悟を決めたことへの姿勢について、改めて思いをめぐらせる機会が持てたから。
(中村紘子さんの考え方、やり方のすべてに共感するという意味ではなく)

なので、この吉原さんのご感想を読んでから「キンノヒマワリ」を読めば、読者のみなさんにとっても発見が多くなりそうだなと思って。
そういうわけで、うれしいのです。

私が時々「中村紘子さんファンでなかった方にも読んでほしい」と書いているのは、単にこれを読んで紘子さんを好きになっておくれ!という意味ではなく、もうちょっといろんな意味があったのでした…。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売

チョ君のすべらない話

引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。

自分で書いたもののことではありますが、
本の中で何ヵ所か、なんとなく気に入っているくだりというのがあります。
その一つが、チョ・ソンジンさんにお聞きした、
中村紘子さんとの思い出についてのコメントなんですよね。

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(1月30日のオペラシティ公演後、本を抱えて写真におさまっていただきました)

昨年5月の来日時、中村紘子さんについての思い出を聞かせてもらいました。
チョ君はしっかり一つ一つの話に、
わかるかわからないかくらいの微妙なジョークを交えながら、
いろいろな思い出を語ってくれました。
それをキャッチすることを楽しみとする自分としては、
まさに「すべらない話」を聞いているかのようなおもしろみ。
(誇張することなくそのまま書いたので、
多分本の中ではほとんど伝わってないと思いますが)

その話の中には意外なエピソードも多く、支援すると決めた相手に対して、
中村紘子さんが貫いた姿勢のようなものを垣間見ることになったのでした。
中村紘子さんと若手ピアニストというテーマを語れば、
感謝して頭が上がらないという人もいれば、その逆(!)もいるのが正直なところ。
これは、パワーをもって何かを動かせる人だったからこそのことかもしれません。

チョ君の話を聞いていておもしろかったのは、
公ではめちゃくちゃ褒めてくれるけど、一対一になると厳しいという話。
逆ツンデレかよ! と思わずつっこみたくなりましたが、
そんな中で教わったこと、気づいたことについても、チョ君は語ってくれています。

あと、もう一つ印象的だったのが、
「紘子先生は商業主義的なピアニストを嫌っていたから…」という話。
その教えもあってか、チョ君はショパンコンクール優勝後、
韓国でアイドル的人気となったにもかかわらず、活動としては、
クラシックの演奏家としての正統的なものを注意深く選んでいるようです。

そんな話を聞きながらふと思ったのは、
若いチョ君(それにもちろん育った国も違う)は、
中村紘子さんが若き日にアイドル的人気を集めていたことを知らないんだよな、
…ということ。
30代の紘子さんの新婚生活やデートした場所がメディアで取り上げられた記事、
ピアノを弾きながら目玉焼きを焼いているテレビの映像を見たら、
びっくりするかもしれません。

カンのいい方なら察してくれるかなーと思って、
本書の中で、そのあたりのことは皆まで語っていませんが、
実はそんなことも、書きながら私は考えていたのでありました。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売

中村紘子さんと調律師さん

引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。

今回この評伝を書く中、最初に節全体の文章がまとまったのは、
長年、中村紘子さんを担当していた調律師さんのお話のところでした。

わたくし、調律師さんにお話を聞くのが昔から好きなので、
インタビューをしたそばからすぐ文章をまとめたくなったという、そんな理由。
今回主にお話を聞いたのは、スタインウェイを担当していた外山洋司さんと、
ヤマハを担当していた鈴木俊郎さんです。
外山さんは当時他に、外国人ならブレンデルさん、ペライアさんや、エマールさん、
日本人なら横山幸雄さんや仲道郁代さんをご担当していた調律師さん。
鈴木さんも、人気ピアニストの公演のインターミッションで作業をしているのを
それはもう本当によくお見掛けします。

コンサートの日、彼らは朝から先にホールに入って作業をしているわけですが、
その後、お昼過ぎに紘子さんが会場入りしてからの緊張感。
……話を聞いているだけで胃が痛くなります。

海外のコンクールで調律師さんの取材をしていると、
欧米の調律師さんには「本番が始まればどうにもならないし、別に緊張しないけど」
とか言う方も多いんですが、日本の調律師さんは仕事も気遣いも繊細で、
すごく親身になって緊張して本番を聴いている方が多いんですよね。
そのうえ相手が中村紘子さんとなったら、その緊張度は相当でしょう。

とくに、戦後、コンサートグランドピアノの製造を本格的に始めて世界を目指し、
それこそ日本のピアノ界の発展を牽引したヤマハの調律師さんの話など、
「プロジェクトX」みたいなノリです。
『男は当初、このピアニストに名前すら呼んでもらえなかった』
…的なナレーションが入りそうな出会い。

ヤマハの鈴木俊郎さんが最初に中村紘子さんを担当することになったのは、
紘子さんが40代半ばと最もノリノリだった頃のことなので
相当、こわかったらしいです。
(メディア関係で、取材現場でドキドキ体験をしたという話は、
だいたいこの頃くらいまでの紘子さんのエピソードですよね…
もちろん、愛情のある厳しさゆえだと思いますけどね、という補足)

中村紘子さんが調律師さんにどんな音をリクエストしていたのか。
その話からは、特有の高い椅子で弾くスタイルが確立された理由も見え隠れします。
(けっこう、ほー、そういう見方もあるのね、と私もびっくりしました)
そして、調律師さんの視点だからこそ感じる紘子さんの音や音楽の魅力も
たっぷり語ってもらっています。

2015年ショパンコンクールのドキュメンタリー「もう一つのショパンコンクール」で
調律師さんのお仕事に関心を持たれた方にも、
けっこう楽しく読んでいただけるのではないかなと思います。

で、何より今回私が嬉しかったのは、これはこのページに限らないことなのですが、
証言者のみなさん、
「インタビューのときはつい言ってしまったけど、それ書かないでー」
というようなことをあまりおっしゃらず、
けっこういろいろ、そのまま載せさせてくださったこと。
みなさんが本の主旨を理解して、
楽しんでいろいろなエピソードを披露してくださったおかげで、
中村紘子さんの姿を、
生き生きとスリリングに描くことができるようになったのではないかなと。
ありがたいことです。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売

「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」発売

「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社)が発売となりました。
彼女がいかにして国民的ピアニストとなったのか、時代背景も考慮し、
関係者の証言や昔の記事を掘り起こしてまとめた評伝です。
書いていて、自分で本当に楽しかった!

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昭和という時代の熱量を受け止めながらスターの座にのぼりつめ、
生涯にわたって華やかな演奏活動を行い、
クラシック音楽界の“女帝”ともいうべき、圧倒的な輝きを放ち続けた人。
彼女なくして今の日本のピアノ界の発展はありえないと誰もが言います。

ざっくりと本書の内容の一部をご紹介すると、
このような感じになっています。

<本書のコンテンツより一部抜粋>
●リーダーシップの強さは子供の頃から
●あの斎藤秀雄にケンカを売る
●振袖を着た天才少女~NHK交響楽団の世界一周ツアー
●ジュリアードでの苦労とショパンコンクールでの成功
●大衆人気と玄人筋の評価のはざま
●共演者から見た中村紘子
●中村紘子が求めた音
●審査員席の中村紘子が語ったこと
●変化するコンクール審査員界の潮流
●中村紘子の覚悟

評伝の紹介としていきなりこんなことを書くのは少し変かもしれませんが、
中村紘子さんのファンの方はもちろん、むしろそうでなかった方にも、
さらに言えば、ちょっと苦手だった…という方にも、ぜひ読んでいただきたい。

というのも、彼女が音楽界のために行ったことはとても大きかったと同時に、
あまりにパワーのある女性だったので、
恐れられたり、言動が批判的にとらえられることもあったと思うから。
そんな中でも、中村紘子さんは、ピアニストとして、女性として
覚悟を持って力強く歩んできた方でした。

今回この評伝を書いていく中で、彼女がまだ少女時代の頃の記事を調べていくと、
あの強そうに見える中村紘子さんが人知れず辛い思いをしていたときもあったこと、
それを乗り越えさせたのは、10代の頃に持ったピアニストとしての覚悟だったのだと
改めて知ることになりました。

…実は私自身、自分が中村紘子さんの評伝を書くことになるだなんて、
思ってもいませんでした。
最初にお話をいただいたとき、イヤイヤ…もっと個人的に親しかったとか、
同じ時代を知っている書き手の方はたくさんいるだろうに、
私で書けるのだろうか、さらに言えば、
私はコンクールの取材をしすぎて、いろいろなことを見聞きしているだけに、
ちょっと気が進まないぞ…というところがあったのです。

でも今回、高度経済成長とバブルという特殊な時代背景、空前のピアノブーム、
時代とともにさまがわりしていった女性を取り巻く社会環境、
そしてなにより戦後のピアノ界の変遷というものと、
中村紘子さんの生きた時代を重ねて考えるという主旨だったことで、
それなら、ぜひ挑戦してみたいと思ったのでした。
それにやっぱり、中村紘子さんという方は唯一無二の存在だったと思うから。

評伝の中では、そういう社会的な事象への考察もしていますが、
もちろんネタの宝庫ともいうべき「中村紘子親分」の伝説の数々を紹介しています。

本の中では、「キャリアの確立」「憧れの存在となる過程」「音楽への考え」
「審査員として業界を牽引した時代」「日本の未来への提言」にテーマをわけて、
その生涯と音楽をたどっています。

その中で、長年ので共演者である堤剛さん、指揮者の秋山和慶さんや大友直人さん、
中村紘子さんが見出した才能であるチョ・ソンジンさん、
コンクール界の重鎮ドレンスキーさん、マネージャーさんや、
ヤマハ、スタインウェイの調律を長年担当した調律師さんなどに、
いろいろなお話をお聞きしました。
中には、あんまり親しくなかったであろう方にもお話を聞いて、
紘子さん、なんでこんなことおっしゃってたんでしょうねぇ?というテーマについてご意見をいただいています。

結果的に、中村紘子さんには編集者時代に大変お世話にはなったけれど、
ものすごーく親しかったというわけではない立場だからこそ書けたこと、
見えたことがあったのではないかと思いました。
(もちろんその逆があったことも、わかってはおりますが…)

私が中村紘子さんに直接お会いしたのは、
だいたい国際コンクールの取材で講評をお聞きするときでした。
今こうして中村紘子さんが歩んできた道を知ったうえで、改めて、
もっとつっこんでいろいろなお話を聞いてみたかった…と思います。

2018年1月26日、いよいよ発売、ということで、
何回かにわけて、本の内容や執筆裏話をご紹介していこうかなーと思います。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売