カワイ調律師さんインタビュー

今回、セミファイナルに進んだガリーナ・チェスティコヴァさんやチ・ホ・ハンさん、日本人コンテスタントとして注目されていた竹田理琴乃さん、9年前の高松コンクールに15歳で入賞していたチャオ・ワン君、そして大人気のジュリアン君など、個性的なコンテスタントから選ばれていた、Shigeru Kawai

調律を担当していた小宮山淳さんにお話を聞きました。
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◇◇◇
─今回ショパンコンクールのピアノを準備するにあたって、心掛けていたことはありますか?

ホールがわりと大きいので、ピアノの鳴りが良くなるよう、それにむけてパーツを選んで変えておくようにしました。そうして作り込んだ楽器をドイツに持っていき、日本の空気より湿気がない環境でしばらく置いてから、こちらに持ってきました。
私が以前ショパンコンクールの調律を担当したのは15年前、イングリット・フリッターさんがカワイを弾いて2位に入賞したときです。このときの経験からホールの響きなどは知っていたので、方向性は作りやすかったですね。

─ショパンだけを弾くコンクールということで、どんな音を心掛けましたか。

エチュードなどはコロコロした音が必要ですが、その他は民謡のような要素のある音楽が中心ですから、表面的な音ではなく、心からの叫びとか、ポーランド人に独特の優しさのようなものがあり、強く叫ばないような音を目指しました。……“チャラくない”音といいますか。
たとえば、静かに蠟燭の明かりで本を読んでいるというか、そんなものを感じる音です。他のピアノよりも、丸めの発音になっているのではないかと思います。ショパンはこの音色で流れれば一番合うのではないかという音を作りました。

─次々異なるピアニストが演奏するコンクールで心掛けていることは?

繊細な調整は必要なのですが、こういうタッチでなければこういう音がでないというようなタイプの繊細な調整だと、ピアノのキャパが狭くなってしまいます。なので、仕上がりとしては、図太さがあるというか、包容力がある調整にしておかないと、多くのピアニストが好んでくれるピアノにはなりません。

─カワイのピアノを選んだ方には、個性的なおもしろいピアニストが多かったですね。

はい、いろいろなタイプがいて、それぞれが、表現のしやすい良いピアノだと言ってくださいました。ガリーナなんかは、これだけピアノも良くて自分で満足のいく演奏ができたのに次に通過できないということは、私はどうしたらいいんだろう、少しピアノを触らないで考えるといっていました。それを聴いて、泣きそうになりましたね。そう言ってもらえて嬉しい反面、サポートできなかったことにがっかりしました……。

─カワイを弾いたピアニストの中でもジュリアン君は特に人気でしたが、ピアノに何かリクエストはありましたか?

ほとんどなかったですね。

─彼は家にカワイを持っているので、楽器に慣れていると言っていました。

そうなんですか。実際、コンクールやコンサートなどの本番でカワイを弾いたことがないというピアニストは、コンクールのセレクションで良いピアノだと思っても選ぶことができないという声を聞くことがあります。
2時間のコンサートをともにして、ようやく最後に楽器の本当の良さというのはわかってくるものですから。カワイのピアノでそういう経験をしたことがある方は、コンクールのセレクションの15分で良い印象をうけると、選択してくれるのだと思います。今後、多くの方にコンサートでカワイを弾く機会をもっていただけるよう、自分たちでも演奏会を用意していくことが必要だなと感じています。
いずれにしても、セレクションって初日の午前中がすごく大事なんです。限られた時間で選ばなくてはならないため、コンテスタントはみんな情報を集めているので、弾きにくいという話が出回ると、触ってもらえなくなってしまうんです……。どんなに努力しても、後半で盛り返すのは難しくなってしまうんですよね。

─最近ちょっと気になっているのが、時間をかけてピアノに慣れていくことができないコンクールという場で選ばれるピアノと、コンサートで良い楽器とされるピアノは違うのだろうかということです。

僕はそう思わないですかねぇ。コンクールで良いピアノはコンサートでもいいと思います。いずれにしても2時間リハーサルができるコンサートでは、その間に楽器に歩み寄ることができますから。

─鍵盤の重さにもコンテスタントたちの好みの傾向があったと思いますが、カワイのピアノについてはどんなことを心掛けましたか?

軽すぎず重すぎずは絶対的に心掛けました。鍵盤の深さや重さというのは、音色とのバランスで感じ方が変わります。同じ深さでも、音が明るいと浅く感じるし、音が太くて暗いと深く感じるんです。

─調律師という仕事は、音楽を理解していないとできませんね。

多少なりともそうですね。僕、実は音楽大学でトロンボーンやっていたんですよ。でも、演奏家の道に進むことはないとなったとき、カワイのコンサートチューナーという仕事を見つけて、この道に進みました。僕が演奏していたのは金管楽器ではありますが、ここで吹いている音が向こうでどう鳴っているかを聴くという癖はついていたと思います。

─どのような音を目指していますか?

世の中がデジタル化している中で、アナログ的なものを残したいという気持ちがあります。弦、そして木が振動して音が出ている感じがするような、自然に歌うアコースティック楽器ならではの音がする。それがカワイのピアノです。
良いピアノとは、キャパが広く、オールマイティで、その中で演奏家が好みの音を追求していくことができるピアノだと思います。

ファツィオリ調律師さんインタビュー

先に、ファツィオリを選択した唯一のコンテスタント、ティアン・ルさんと、夫のユーリ・シャドリンのインタビューを紹介しましたが、今度は調律を担当した越智晃さんのお話を紹介します。
越智さんには、昨年2014年のルービンシュタインコンクールのときにもお話を伺っています。

このコンクールの際には、ファイナルの2ステージ目で4人がピアノをスタインウェイからファツィオリに変更し、6人中5人がファツィオリを演奏するということが起きて、話題になりました。

この時に使用されたピアノは、5年前のショパンコンクールの後、リムやフレームの形をはじめ、基本的な構造を大幅に改良した新モデル。コンチェルトでのパワー不足が否めなかった旧モデルから、力強い音を実現する方向に大きく舵を切って設計されたピアノでした。

今回のショパンコンクールで使用したピアノは、その改良後のモデルでありながら、78人中選択したピアニストは1人という結果となりました。越智さん、そのことについて今後の課題を考察するとともに、最近のピアノのトレンドについても興味深いお話を聞かせてくれました。

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◇◇◇

─今回のファツィオリはどんなピアノだったのでしょうか?

チャイコフスキーコンクールで使用したのと同じものです。ただ、中のアクションは二つ用意してありました。1台のはチャイコフスキーコンクールと同じもの、もう1台は、ショパンコンクール用に調整してあった新しいものです。ショパンらしく、少しやわらかくあたたかい音がする方向性で仕上げてありました。
ですが、いざ会場に持って来てみたら、他にパワフルな楽器が揃っていたこともあり、チャイコフスキーコンクール用のアクションのほうを採用しました。直前まで主に手を入れていた新しいほうのアクションを使いたいという気持ちはありましたが、他と比べてしまうとパワー不足で難しいなと思って……。

─ショパンを弾くのに向いているピアノとは、どういうものなのでしょう?

あたたかく、よく歌う音が出せるものです。社長のパオロ・ファツィオリとも、その方向性にしようという一致した見解があり、それにむけて音を作りました。

─ティアン・ルさんは、自分でコントロールして音が出せるピアノが良かったから、4台の中で一番鍵盤が重めだったファツィオリを選んだとおっしゃっていました。それが逆に、多くの人にとって、リハーサルができないコンクールでうまくコントロールできるだろうかという不安につながり、他を選ぶという結果になったのではとも言っていました。

その意見に、全く同意ですね。このピアノの鍵盤は、一般的にみて特別重いわけではないのですが、他が軽かったようです。動かしやすくて軽いピアノにしておけば、結果は違ったのかなと……。経験不足、認識不足だったと思います。

─そうなると、コンクールで選ばれるためには、普段のコンサートで良いピアノだとされるピアノとは必ずしも同じでないピアノが求められるということに?

今回、そうしなくてはだめなのだろうなと思いました。鍵盤が軽く、押さえると一気にバッと音が出てきてくれる。そして嫌な音が出にくい。そういうピアノが、こうした場では求められていると感じました。
あと、ファツィオリは湿度などの環境の変化でそんなに大きな影響を受けていませんでしたが、ずいぶん敏感に反応している楽器もあったようなので、そういう楽器は弾きやすさのためにきわどい線で作っているんだろうなと。
かつては簡単に音が出てしまうピアノは敬遠されていて、川真田豊文さんなどが第一線で活躍していらした頃は、意図するより後に音が出てくるような調整をされていたように思います。

─今回のファツィオリは、簡単に音が出るピアノではなかったと……。パオロ社長がピアノづくりを始めたときのことについて、ピアニストがピアノと格闘しなくていいピアノが作りたかったと言っていたことを思い出したのですが。その、格闘しなくていいということと、簡単に音が出るということのニュアンスの違いは?

あまりに簡単に音が出てしまうピアノって、弾いているところを見たらほとんど格闘しているように見えるのではないかと。意図するより早く大きく音が出るとしたら、それをよほどうまくコントロールできる力がないといけませんから。

─水がすごい勢いで出ているホースをつかんでコントロールする、みたいな?

はい……。でも今のトレンドはそれなんでしょうね。

─5年前のショパンコンクールとの違いは感じますか?

すごく感じます。もっといろいろな音が聴けたような気がするんですけれどね。でもこれが、これからピアノの標準的な音になるのかもしれません。とはいえ、5年後にはまた変わっているのかもしれませんが……戻るということもあるのかなぁ。でもこのまままでは寂しいかなぁ。

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今回ご紹介したのは、あくまで今回越智さんが感じたご意見なわけですが、実際、もともと豊かに鳴る楽器を鳴らしきった大迫力の演奏に多く出会った印象はあります。ただ、私はずっと1階で聴いており、このホールは場所によってずいぶん聴こえ方が違うので、2階で聴いたらどう聴こえるのかわかりません。

少し感じたのは、普通は、そのホールで与えられたピアノで、リハーサルの時間を使いピアノを手なずけることってプロの演奏家には絶対に求められる能力だけど、弾きやすいピアノが揃うコンクールでは、そこが見られなくなってしまうのかなぁと。あとは、楽器の耐久性との両立というのも難しい問題なんだなと思いました。
コンクールは間違いなくピアノという楽器の“進歩”に大きく役立っているともいますが、コンクールのピアノは別ジャンルみたいになっていくのでしょうか。いわば、レーシングカーと一般の車の開発の違いみたいな? もちろん、そこに互いの技術革新は生かされ合うものだと思いますが。

良い楽器ってなどんな楽器のことなんだろうなぁ、
と、今回はピアノについていろいろ考えるショパンコンクールなのでした。

 

スタインウェイ──ショパンが弾ける調律師

世界各地で行われるコンクール。それぞれのレパートリーや音楽文化の特徴にあわせて、または単にスケジュールやいろいろなご事情にあわせて、同じメーカーでも異なる調律師さんがメイン・チューナーを担当されることが多いです。
今回おもしろいなと思ったのが、先の記事でもちらりとご紹介したスタインウェイの調律師、ヤレク・ペトナルスキさん。ポーランド人でワルシャワ・フィルハーモニー・ホールでの調律経験も豊富、ピアニストでもあるという方です。
私が見てきた過去2回(2005年、2010年)ではポーランド人調律師が担当していたことはなかったので、今回の一つの試みだったのかもしれません。
ちなみに前回5年前は若手ホープの調律師さんがコンクールが始まる直前に急病で倒れ、急遽(このあとの話にも出てくる)ジョルジュ・アマンさんが駆けつけて調律を担当していました。このときアマンさんがくださった名刺が薄い木でできていて、やっぱり“調律師の神”は違うな…と思ったなぁ。
さて、ここで少し前になりますが、1次予選のときにアーティストサービス、ゲリット・グラナーさん(以下G)と調律師のヤレクさん(Y)に聞いたお話をご紹介します。

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─今回のショパンコンクールの調律では、どんなことに気が配られていますか?
G ショパンにふさわしい音を作るため、音楽的な反応を聴きとることができる調律師が担当しています。ポーランド人のヤレクはピアニストでもあり、今回のコンクールのレパートリーはほとんど演奏することができます。彼は単に技術者の観点で音を判断するだけでなく、ショパンを弾くタッチでピアノに触れて楽器を理解することができるのです。この、普通の技術者とは違うアプローチにより、演奏家と理想的なつながりを持つことができるピアノが生まれます。それで今回の調律は、彼が担当してくれているのです。

─今回の音を作るうえで一番意識したことは?
Y ショパンを演奏するのに合った、柔らかく歌うことのできる音を作ることです。とにかく、ショパンのスタイルにふさわしい音を目指していますね。

─今回は、楽器の準備段階ではベテラン調律師のジョルジュ・アマンさんも参加していたそうですが。
G はい。ピアノの最終的な調整は、セレクションの1週間前から、アマンとヤレク、あとシモンという3人の調律師が担当し、いろいろな方向から3人でピアノを整えていきました。それぞれの技術者が同じ方向を向き、アーティストのような精神でピアノに向かっている。それによって毎日お互いに学んでもいる。ベテランだから何にでも優れているとは限りません。お互いに意見を交換しあうことで、それぞれの技術者がより向上していくというのが、スタインウェイの考えです。
それと、もうひとつ。スタインウェイのピアノは、そのピアニストならではの音が出る楽器を目指していますから、ピアニストの気持ちがイガイガしているときに弾いたらそういう音になるし、気持ち良く楽しんで弾いていたら、そういう音が出ます。ですから、ピアニストが安心して弾けるようなサポートも必要なんですね……つまり、調律師はサイコロジストの能力も持っていないといけないのです。

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このあともう少し詳しくヤレクさんのお話を聞いてここでご紹介しようと思っていましたが、こちら、のちのち別の形でご紹介できることになりそうなので、その誌面をお楽しみに。

調律師さんがショパンを弾けるということは、確かにひとつの大きなプラスになるだろう思います。ショパンの音楽の心を自分なりに理解していなければ、絶対にその演奏にふさわしい音はできませんよね。自分でその“ショパン向きのタッチ”を試せるというのも、なるほど、というお話でした(2014年ルービンシュタインコンクールのスタインウェイの調律師さんも、優れたタッチでピアノを試せる能力は必要だと言っていたことを思いだしました)。

だからといって、それじゃあショパンに限らず演奏する場では、ピアノがうまい調律師さんのほうがいいのかというと、そういうわけでもない。
調律師には鋭敏な耳と感性、技術が求められ、でも結局最後にピアノを弾くのはピアニストなわけですから、考えれば考えるほど複雑です……。

今回、ピアノの音の流行や、何を大切にするべきなのかということについて、勝手にすごく考えさせられています。コンクールはもうファイナルに突入しようとしていますが、今後もいくつかピアノにまつわる興味深いお話をご紹介しながら考えていきたいと思います。

 

ユーリ・シャドリン&ティアン・ル、音楽とピアノについて語る

前回2010年のショパンコンクール、セミファイナルに進みながらも腕の故障で棄権をした、ユーリ・シャドリン。
コンクールの華やかなステージで、ショパン音楽大学からもってきたという会議室にあるような背もたれ付きの椅子に座り、豊かにピアノを鳴らしながら深い味わいのある音楽を聴かせてくれたピアニストです。親しみやすい風貌も相まって人気を集めていたので、棄権を残念に思った方も多いことでしょう。

さて、今回のショパンコンクールに彼の奥様であるティアン・ルさんが出場しているということは以前の記事でご紹介しました。彼女は残念ながら第2次予選への進出がなりませんでしたが、演奏翌日にお聞きした二人のインタビューをご紹介します。

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ぽんぽん明るく感性で話すティアンと、案外慎重で論理的なユーリ、なんとも絶妙なカップル。
ふたりはショパンコンクールの後に結婚。小さなお嬢ちゃんは、今回コンクール中、親御さんに預けてきているそうです。
最近は教える立場にもあるというユーリ。興味深いメッセージを残してくれました。

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以下、ユーリ・シャドリン(Y)&ティアン・ル(T)

─まずティアンさん、ショパンコンクールを受けることにしたきっかけを教えてください。やはりユーリさんから勧められて?
T まず、私がアメリカで師事した最初の先生から彼がショパンコンクールのファイナリストになったときの話を聞いていて、挑戦も勧められたこと。それにもちろん、前回出場した夫からも、ぜひ一度経験してみるべき場所だと勧められたので。実際、参加してすごくよかったです。ステージに一歩出た瞬間、いっぱいの聴衆が目に入って、ワオ!って。すごくいい気分になりました。幸せでした。

─今回、唯一ファツィオリを選んだコンテスタントということでみんなその音に注目していました。演奏してみていかがでしたか?
T 特別に豊かな音がとても気に入って選びました。厚みがあってパワフルです。大きな音である必要はありません。たくさんの深みと幾重にもなっている層を感じました。このピアノで音楽をつくっていくことをとても楽しみました。私は、あまりに軽いアクションのピアノが少し苦手なんです。
このファツィオリは少し重めで、演奏していてとても楽しかったです。他の人がファツィオリを選ばなかったのは、鍵盤が重くて少し深かったため、うまく演奏できないかもしれないという不安を感じていたからみたい。私はあまりそういうことは気にならないし、技術的になんの問題もなく演奏できたので、嬉しかったです。今回の4台では、スタインウェイが一番軽く、次がヤマハ、カワイ、そしてファツィオリの順だと感じました。

─ティアンさんにとって良いピアノとはどういうものなのですか?
T ブランドには関係なく、簡単すぎず、一緒に音楽を作るための、深みがあるピアノが好きです。

─ユーリさんにとっては?
Y その場合によります。例えばコンサートなどで、そのピアノで練習する時間が取れる場合は、少し難しいピアノもいいと思います。でも、コンクールの場合はちょっと状況が違いますよね。15分で4台のピアノを試さなくてはなりません。だからみんな、コントロールしやすそうだと感じるピアノを選ぶのだと思います。
音としては、深い音が好きです。ピアノが深い音を持っていれば、コンサートホールで弾く時に何かをピアノに何かを強制する必要がありません。ピアノを強くたたき、何かを強制して音を出さなくてはならないというのは最悪です。ハンマーが強く弦を叩くということで、音はどんどん悪くなっていきますから。
それと、すばらしいピアノというのは、パーフェクトでないとも思います。今回のショパンコンクールのファツィオリを少し触らせてもらいましたが、決して簡単なピアノではないけれど、本当にすばらしい楽器でした。
深くいろいろな音を持っている。そして、強制されることが嫌いだと感じました。リスペクトとともに演奏されるべきピアノなんだと思います。ピアニストが、これをしたいと勝手なことをすると、ピアノが受け入れない。ピアノを納得させないといけないんです。ピアノがやりたくないことを強制なんてしたら、多分殴り返してくる(笑)。
T そう、弾く前にちゃんと対話しないといけないの。良い子にしてねって。
Y 本当にいろいろな音を持っているピアノですからからね。だからこそ、扱うのは大変なのかもしれません。


─ところで、ショパンコンクールとはティアンさんにとってどんな存在?
T ピアニストなら、ショパンをどう演奏するかを理解しないといけない。卓越したショパン弾きになる必要はないけれど、その言語を理解しないといけないし、ショパンを演奏するための伝統を理解しないといけない。巨匠が伝える古い伝統を学ばないといけない。それを披露することができた、特別な場所でした。

─ユーリさんにとっては、5年前のコンクールの経験はどんなものでしたか? 5年前にこの質問をしたら、時間がたてばわかるかもねといっていました。
Y いい記憶も、悪い記憶もあるんです。すごくいろいろな感情が混在しています。それでもいつも感じるのは、ショパンはロシア人である僕にとても近いということ。ポーランドは、人の見た目も食文化も似ているし、僕は言葉もだいたいわかる。クラシック音楽を愛していると言うことも一緒。長くアメリカにいると、たとえばアメリカ人にとってのクラシック音楽とは、ぜんぜん関係性が違うように感じるんです。僕はロシアを離れてだいぶ経っているけど、きっとショパンがポーランドに帰る感覚は、僕がロシアに帰る感覚に似ているんじゃないかと思います。

─ショパンコンクールを受けるにあたって、ユーリさんから何かアドバイスはあった?
T 彼は私の先生でもあるんです。フライシャー先生のレッスンを受ける前に、彼のレッスンを受けています。こういうところに注意しなさいとかこうしたらいいよなど……。
Y わかった、わかったから……。
T 私、彼をとても尊敬しているの、ピアノの先生のときだけは(笑)。
Y なんか別の話してたんじゃなかったっけ!?

─照れてますね。ところでティアンさん、「ユーリ先生」から学んだことで一番大きなことはなんですか?
Y ちょっと恥ずかしいからやめてくれる……?
T 「音楽への誠実さ」だと思います。いつも音楽に対して、純粋で、誠実であること。私はオールドファッションな演奏が好きなので、とても誠実な彼の演奏を尊敬しています。そもそも、同じ先生のもとで育ってきたから、私たちの音楽の趣味はとても似ていますし。
Y 誠実……というのはね、こういうことです。例えば、ステージに出て音楽を感じているふりをするような音楽は、誠実じゃないと思うんです。僕も最近教える立場になって感じるのは、若い学生たちがみんな、拍手と歓声欲しさに、大きく早く弾くようになってしまっているということ。そのうえ、録音を聴いて、いいと思った巨匠の演奏をコピーする……。

─それで自分で感じている“ふり”をすると…。
Y その通り。50年前はそんなことは起きていなかったはずです。そういうことを見ている中で、よりいっそう、誠実であろうという気持ちを持つようになったのです。音楽が充分でないから、顔の表情や身体の動きで表現を追加するなんて、本当にばかげています。天才たちが書いた作品は、ちゃんと音で表現すればそれだけで十分に感動的なものであるはずです。それがわかっていたら、顔をつくったりはしない。音楽に対して失礼ですよ。

─ティアンさん、師であるフライシャー氏から学んだ一番大きなことは何でしょうか?
T 本当の音楽をどのようにして掴むかということ。彼が教えてくれるのは、どうやって演奏するかではなく、どうやって作品を理解するか。楽譜を読み取る方法を教えてくれるんです。どうしてこうするべきなのか、ロジカルに考えて音楽を組み立てるべきだということです。
Y 僕には、ピアノを勉強している若い人たちに言いたいことがあります。試しに、1曲でいいから鉛筆で五線紙に楽譜を書き写してみてほしい。やってみると、本当に大変なんです。
T 以前、ノクターンの最初の1ページを書き写してみたら、1時間半もかかりました。書き写すだけでもこんなにかかったんですから、考えて書いていくのに費やす労力は膨大です。そこに込められた想いがどれほどかが実感できます。
Y 今は楽譜もコンピューターで作れますから、気が付きにくいんです。これをやってみると、とても大切なことを知ることができます。作曲家が何かを書くと言うことは、そこに意味があるから。なにひとつおろそかにしてはいけないのだということがよくわかります。

─ところで、日本に来る計画があるとか?
Y 中国に行く予定があるので、そのときに日本で演奏会ができないか、計画中です。昔からずっと日本に行くことに憧れていて。とくに京都に行ってみたいんです。実現するといいな!

◇◇◇
ティアンがインタビューの準備をしているのを待っている間、
ユーリがショールームにあったファツィオリで、シューベルトを弾き始めました。
最近プロモーション録音したばかりだという、「さすらい人幻想曲」です。
澄んだ美しい音が響いて、しみじみ、良いピアニストだなと思いました。
なんだかとてもなつかしい光景。
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オフショットがファツィオリ・ピアノフォルティのブログで紹介されていますので、ぜひご覧ください。

スタインウェイの音

昨日のコンクール新聞の記事から。
スタインウェイ&サンズ、アーティストサービス担当グラナーさんのインタビューです。
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《あるジャーナリストにスタインウェイの典型的な音はどんな音かと聞かれて、こう答えました──「私にはわかりません」。》

アルゲリッチなら典型的なアルゲリッチらしい、ブレハッチなら典型的なブレハッチらしい音がするピアノであるべきというのが、グラナーさんの意味するところです。

コンクールでは同じピアノを続けていろいろな人が弾きます。
いい音がするピアノだなと思って聴いているうちに、このピアノは誰でも弾きやすいピアノなんだなと思うこともあります。つまり極端に言えば、“猫が鍵盤の上を歩いても”いい音がしそうなピアノ。それはそれでいい楽器。
それに対して、ものすごくうまい人が弾くと大変良い音がするのに、そうでもないときはそれなりというピアノもありますよね。これもまた、別の意味でいい楽器です。

この前グラナーさんに話を聞いたとき、今回のスタインウェイは、ピアニストの気持ちがイガイガしているときに弾いたらそういう音が出るよ、気持ち良く楽しんで弾いていたら素敵な音が出るけど、と言っていました。

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さて、こちらは2次予選最終日の今日演奏した、ポーランドのアンジェイ・ヴェルチンスキ君。すごく品のある優しい音で演奏されたワルツOp.34が印象に残りました。
今回のスタインウェイは彼にとって鍵盤が軽めで、弾くのがとっても難しかったそうですが、音が一番きれいでショパンに合っていると感じたため、あえて選んだと言っていました。

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Photo: W. Grzędziński/NIFC

一方、3日目に演奏したタラセーヴィチ=ニコラーエフ君もスタインウェイを弾いていましたが、ちょっと興味深いことを言っていたのでご紹介しましょう。

「セレクションで4台のピアノを試し、スタインウェイが一番ショパンに合うピアノだと思ったので、選びました。すべてのピアノのレパートリーに合うピアノではないかもしれませんが、ショパンを弾くにはすばらしいピアノです。とくに、ペダルを踏まずに鳴らしたフォルテの音で選びました。今2次で弾いたスケルツオ3番ではこの音がとても大切になりますから。ラウンドごとで変えるという選択肢もあったのですけれど。
今回のピアノのうち、3台は世界最高水準のすばらしいピアノだと思いました。その3台がどれかは言いませんけどね…」

なんてドッキリする発言でしょう。
メーカー関係のみなさんも、もしもこれを読んでいらしたら、ドッキリしているでしょうか。ドッキリさせてすみません。
※意見には個人差があります(念のため…!)

コンクールのピアノ選び、奥が深いです。15分の中でみんないろいろなことを感じ、考えながら選んでいるんですね。

ピアノそれぞれの来し方について

第1次予選2日目が終わり、4メーカーのピアノがすべて登場しました。
今回、第1次予選の現在のところのピアノ選択数は、ヤマハが最多の36名、ついでスタインウェイ30名、カワイ11名、ファツィオリ1名です。
ここで、今回の4台のピアノそれぞれの来し方について、簡単にご紹介したいと思います。
いずれも、試作を重ねてできた、各社の持つ今一番いい楽器、なかでもショパンに合う音を持つ楽器を選んできているようです。

それではお話を聞いた順にご紹介。

まずはカワイ。コンサートグランドのシゲルカワイシリーズの最高峰、SK-EXです。
試作の中で生まれたコンディションの良い楽器を、もう1台再現して作成。それらをコンサートで使いながらピアニストの評価が高かった1台を選択し、昨年ヨーロッパに運び込んだものだそう。
この話を聞いて、ずいぶん長い時間をかけて準備したですねと言ったら、お話を聞かせてくださった今回サブチューナーを務める村上さんが一言。
「そう、だからもう今も5年後のためのリサーチは始まっているんです」( ー`дー´)キリッ。
カッコイイ~。
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(弦を小脇に抱えた村上さん)

続いてヤマハは、コンサートグランドのCFX。
2010年、満を持して発表されたこのモデルが、同年のショパンコンクールでユリアンナ・アヴデーエワ優勝のパートナーとなりました。
前回の成功があるからこそ、他のメーカーさんもますますがんばってくるはず…と、今回もかなり気合を入れて準備が行われたようです。
やはりこちらも改良を重ねた試作品からの1台。今年に入ってから、ワルシャワフィルハーモニーホールにCFX4台を入れて選定し、今回の1台を決めたそうです。約1年ほど前に作られたピアノだそう。

そしてFAZIOLIはコンサートグランドのF278
前回のショパンコンクールでは、1次でファツィオリを選んだ4人が全員2次に進み、結果的にトリフォノフが3位に入賞、1~3次で弾いたデュモンが5位に入賞という、信じられない引きの強さを見せました。
今回のピアノは1年半ほど前に完成した楽器で、例によってパオロ・ファツィオリ社長が「すごいのができた!」とウキウキで送り出した1台。昨年のルービンシュタインコンクールのときに、これまでのファツィオリから大きな改善が加えられたという話がありましたが、今回のピアノもその改善以降のタイプだそうです。
その中から、コンサートで弾いたピアニストたちの評価が高かった1台が選ばれています。
6月に行われたチャイコフスキーコンクールで使用したのと同じピアノで、アクションについては、ショパン演奏向きのものを用意して臨んだそうです。
コンクールまでの楽器の準備については、ファツィオリの公式ブログに詳しいので、こちらもどうぞ。
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(真剣すぎる表情の越智さん)

そしてスタインウェイは、コンサートグランドD-274。2013~14年に作られたものだそうです。
1年前にハンブルクで行われた選定では、ポーランド人ピアニストのクシシュトフ・ヤブウォンスキ氏がピアノを弾き、それを調律技術者はじめ関係各位が聴いて選定したそう。
楽器の準備段階には、「あの人は調律師の神様だよ~」という話を時々聞くことがある、ジョルジュ・アマン氏も携わり、コンクール期間中は、ピアニストでもあり調律師でもあるポーランド人の技術者の方が主に調律をしています。選定過程に、ポーランド、ショパンというものへの強い意識が感じられます。
ところでこの調律師さんとはこの前少しお話ししましたが、いろいろ興味深いネタを持っている気配を漂わせていらしたので、今度ちょっと詰め寄っていろいろ聞いてみたいと思います!
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(左が調律のペトナルスキ氏、右はルービンシュタインコンクール記事でお馴染みの、アーティストサービス、グラナー氏)

 

ピアノ選び

「ショパンコンクールのピアノ」では、ピアノの情報にフォーカスした記事をアップしていきます。
今回ピアノを出しているメーカーは、カワイスタインウェイファツィオリヤマハの4社。
2社の日本メーカーに加え、ファツィオリも調律師さんが日本人なので、バックステージにはたくさん日本の技術者さんたちがいて、ここはワルシャワだというのにまったくアウェイ感がありません。一日ホールにいるとあちこちで愉快な知り合いに出会うので、テンション上がりっぱなしで、夜にはぐったりしてしまいます。
(楽器メーカーの関係者の方々は、なぜかたいてい愉快。個人的な感想です。)

さて。
すでに第1次予選が始まっていますが、まずは一昨日まで行われていたピアノ選びの話題を。
コンクール開幕前の9月28日から、コンテスタントはホールで演奏のパートナーとなるピアノを選択しました。
いずれのメーカーさんも、5年に1度のこのときのために入念に調整を加えた楽器を投入しています。以前、ルービンシュタインコンクール中の記事で「コンクールにピアノを出すわけ」というものを書きましたが、数あるコンクールのなかでもショパンコンクールの注目度というのは圧倒的ですから、各メーカーさん、より一層気合いが入っています。

ピアノ選びは、コンクールの会場となるフィルハーモニーホールで行われます。
ピアノが搬入されてから、ステージの上で調律ができる限られた時間をメーカーごとに分けあい、昼夜問わず作業が行われるそうです。大変だ…。

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オープニングコンサートのリハーサルも行われているため、ステージ上には椅子や機材がのこされたまま。狭い場所に4台ぎっちりピアノが並べられています。できれば本番と同じようにもう少し横向きに置けたほうがいいわけですが、スペース上これが限界とのこと。
不公平にならないよう、ピアノを置く位置の順番は、時々(ちゃんと決まっていなくてなんとなくタイミングが来たら)変えられていたそうです。

私がセレクションを見ることができたのは最後の日の5人だけでした。
このセレクション中の会場というのには、独特の空気感がありまして。制限時間内で選ばなければならないというコンテスタントの焦りと、メーカー関係者のみなさんの期待感、緊張感とが、薄暗いホールに渦巻いています。

コンテスタントも、ピアノの選び方は人それぞれ。同じ曲の同じ部分を、複数のピアノを行ったり来たりしながら弾き比べる人とか、制限時間だと呼ばれても立ち上がりながら最後までピアノに触っている人とか。
みなさんけっこうマジ弾きしてくださるので、見学しているこちらにとっても、聴き比べができる興味深い時間となります。なにせ、同じ人が同じ曲で続けざまに違うピアノを弾いてくれるわけですから、違いを比べるにはもってこいの状況です。

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(セレクションが終わって、ワラワラとピアノの片づけに入る、愉快なみなさま)

どのメーカーのピアノもとても良い状態で、個性はそれぞれありながら、ものすごくキャラクターがかけ離れているという感じでもなく、これは選ぶのが大変そうだなと思いました(ただ、鍵盤の重さはけっこう違ったらしいので、その好みで判断した方もいたかもしれません)。

というのも、これは次の記事でもう少し詳しく書きますが、各メーカーさんにここに持ってくるピアノを選んだ基準を聞くと、やはり「ショパンに合う音を持っているピアノ」という言葉が返ってくるわけで。となると当然、キャラクターが大きく違うようになることはないのかもしれません。
普通のコンクールでは(もちろんレパートリーに傾向はあっても)、今のトレンドとか参加者の嗜好とかを各メーカーで判断して、それに合わせて調整してもってくるわけですから、それはそれぞれ違うものになりますよね。
…とはいえ、5年前のショパンコンクールのときは、もうちょっとそれぞれキャラも状態も違ったような気もしますが。

いずれにしても、どのピアノもとてもすばらしい楽器です。ワルシャワフィルハーモニーホールのナチュラルな音響でこれらの音を楽しめるのは、とても贅沢な時間であります。