ピオトル・パレチニさん(ショパンコンクール審査員)インタビュー

コンクールの取材に行き、審査員席にパレチニ先生の姿があったら、話を聞かずには取材を終わることはできぬ……というくらい、あちこちのコンクールでお目にかかるパレチニ先生。もちろん今回のショパンコンクールでもお話を伺いました。
とにかく、ケイトが優勝しなかったことが残念だったようでした。

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ピオトル・パレチニさん(ショパンコンクール審査員)

─結果にはハッピーですか?

イエスとノーです。すばらしいレベルに満足しています。チョ・ソンジンのポロネーズはすばらしかったし、彼の音楽の信じられないほどの精密さに敬意を感じます。
でも、私が気に入っていたのは、ショパンの感情を見事に表現したケイト・リウの演奏でした。たくさんのすばらしいピアニストがいる中で、彼女は若いけれどショパンの音楽の魂に近く、フレーズには即興性があり、音楽を奏でるうえで決して急ぐことなく、技術を見せびらかそうとすることもありませんでした。彼女は単なるすばらしいピアニストではなく、すばらしい音楽家です。知性と芸術性を持っています。彼女の音楽性を、いろいろな観点から尊敬しています。

─こういう結果となったということは、ショパンらしいスタイルとは何かといったとき、審査員の間でもいろいろな理解があったということですね。

もちろん、ショパンが彼女の演奏を好きだったかどうかはわかりません。実際、ショパンは現代のヤマハもスタインウェイもカワイも触ったことがないわけですから。今のピアノがあったら、作品の書き方も違うでしょうからね。
いずれにしても、多くの人はペダルを使いすぎますし、フォルテで大きく弾きすぎます。ペダルを使いすぎることでアーティキュレーションの自由を狭めてしまうのです。真珠のようにすばらしいパッセージの部分ですら、すぐにペダルを踏みたがる。そうすると全部が混ざってしまって、自然な音楽の美しさが壊れてしまうのです。
特に感じているのは、女性ピアニスト、とくに日本の方の間でこれがすごく多いということです。日本人の女性はもちろん小柄で、力が強くないので、深く鍵盤を下げきれないことをカバーするため、音のボリュームを求めてペダルを踏むこともあるのでしょう。でも、でも大きな音を出すうえで大切なのは、鍵盤を深くおさえ、しっかりピアノとコンタクトすることです。強く叩くことでも、ペダルでごまかすことでもありません。

─確かに、ケイトは自然に豊かな音を鳴らしていましたね。

彼女はとても詩的で、ピアノへのコンタクトも持っていて、特別でした。彼女はもっと上位に入るべきでした。

─ケイトさんはマズルカ賞も受賞しましたね。

当然だと思います。あの演奏は、まるで詩のようでしたから。昨日、また聴き直しましたが、やはりとても自然でした。一つも無駄な音がなく、常に語りかけています。ステージの見栄えは地味かもしれませから、一般聴衆には人気が出ないかもしれませんが、とにかく、数少ない例外的な芸術家でした。
それぞれの突出した才能を評価したいと思いましたが、私は特に、彼女のショパンの解釈に近いものを感じたのです。

─日本の小林愛実さんの印象はいかがでしたか?

彼女が弾いたプレリュードOp.45を、私はずっと覚えていると思います。クリエイティブでアイデアにあふれていました。もしもすべての作品をこのプレリュードのように演奏していたら、違う結果が出たでしょう。私の意見では、聴衆を魅了したいという考えやジェスチャーを完全に忘れることができれば、より良いピアニストになると思います。

─審査員の一部は1位なしでも良いのではないかと考えていたと聞きました。

いくつかの視点ではそうだったのでしょう。レベルが充分でないと感じたのかもしれないし、あまりに異なる個性の間で、誰が自分の音楽的な感性にとって一番かわからなかったのかもしれない。
チョ・ソンジンの正確性はとにかく信じられないほどすばらしかったし、優れたピアニストだと思いました。彼の音楽は壮観ですから、聴衆にもアピールするでしょう。大きな成功を収めると思います。でも、私にとっては、明らかにケイト・リウが一番の座に近かった。
アムランは、ケイトとチョのスタイルのちょうど間だと思いました。彼は2番のコンチェルトを唯一弾いたので優位だったはずですが、その好機を生かしきれなかったと思います。
今、ピアニストたちは何かのプレッシャーからか、速く大きく演奏する傾向に向かっています。ですが、たった30分間でもケイトの演奏するような深い音楽を聴けば、喜びを感じることができます。彼女は若いけれどすでに成熟したものを持っています。ピアノを叩くこともありませんし、いつも歌っています。必要なときには大きな音を鳴らしますが、それはとても芸術的なものです。これこそが、ピアノを弾くことの文化だと思います。

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海老彰子さん(ショパンコンクール審査員)

すでにコンクールから2ヵ月半がたって、入賞者たちはもうピアニストとしての新しい時間を歩み始めているところ、審査がどうの……という部分はもうどうでもいいかもしれませんが、せっかくお話しいただいた審査員の先生方のお言葉、ご紹介します。

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海老彰子さん(ショパンコンクール審査員)

─審査結果発表には本当に時間がかかりましたね。いろいろな意見の審査員がいらっしゃる中で一つの結果を出すのは、やはり大変だったのでしょうか。

今回の審査員はみなさんピアニストとして弾かれる方ばかりですので、ピアノを通してどんなメッセージを伝えてくれるか、音の裏にあるものまで聴いて、評価したと思います。
1位はなしでも良いのではないかという意見も審査員の半数以上が持っていたのですが、点数で出た順位をそのまま受け入れないならば、審査規定では、一つの順位ごとに賛成、反対の投票をしなくてはならず、それは大変なことです。最終的には、スコアの順位通り1位からつけていく形で結果を出そうということになりました。

─その回のコンクールでスコアが1位なら1位じゃないか、と思ってしまいますが、そうもいかないんですね。

これだけ歴史のある大きなコンクールですと、歴代の水準に達しているかがどうしても問題になりますね。

─日本からのコンテスタントにはどんな印象をお持ちになりましたか。

小林愛実さんは、すごく健闘されて、嬉しかったです。心の中でずっと応援していました。春の予備審査のときからすごく伸びて、大人になっていました。
これだけたくさんの演奏を聴いていると、どうしても演奏会とは違って比較する考えが出てしまいます。彼女の協奏曲は、例えば同じ女性のファイナリストだったケイト・リウさんと比べても、とても音楽的だったと思います。ただ、遠いバルコニー席では、ケイトさんのほうが音の粒立ちがよく、はっきりと聴こえたんですね。別の場所やインターネットで聴いた方の印象とは違ったかもしれません。
今回のショパンコンクール全体を聴いていて私が感じたのは、自分自身も含め、日本人はもっと人間として生きてゆくエネルギーを強くもっていかなくてはいけないということです。私たちには合気道のような文化もあるのですから、そうしたものを思い起こして……。ステージでの外見などに気をとられすぎず、気骨のある、太いものを持った生き方をしていかなくてはいけないと思いました。

─今回は10代の若いファイナリストも活躍しましたね。

私の個人的な意見では、これだけのコンクールですから、大人のコンクールにしていかないといけないのではないかと感じています。入賞したあとが大変なコンクールですから、あまりに若い方ばかりが選ばれるようだともったいないという気持ちがあります。すでに荷物をたくさん背負っている人でないと、そのあと進んでいくことが困難なのではないでしょうか。その意味で、チョ・ソンジンさんには大変な強さがあると思っています。

─ショパンコンクールの審査員というのは、若者のキャリアを左右する大変なお仕事ですね。

はい、すごく責任を感じます。評価をするのは本当に大変でした。例えばアルゲリッチさんは、実演を聴いた後部屋でYouTubeの配信を確認して、本当に才能があるのかどうかをとても真剣に考えていらっしゃいました。
今回こうして順位が出ましたが、この後もずっと勉強を続けていった方だけが、ピアニストとして残っていきます。周囲の人間もそれを認識し、コンクールというものを客観的にとらえていく必要があると思います。
聴衆のみなさんも、このピアニストが好きだと思ったら、その人をずっと追って、聴き続けてほしいと思います。音楽とは、聴いてこそ、何かを与えられるものですから。コンクールの順位というレッテルによらず、それぞれのご意見を尊重して音楽を聴いてほしいですね。

★下記サイトもあわせてご覧ください。
ジャパン・アーツHP 海老彰子さんインタビュー

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ゲオルギ・オソキンス インタビュー

【家庭画報の特集などで書ききれなかった
第17回ショパンコンクール、ファイナリストのインタビューをご紹介します】

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ゲオルギ・オソキンスさん(ファイナリスト)

◇アンチ・コンペティションなスタイル?

─ショパンコンクールを経験して、ショパンについて感じることは変わりましたか?

いいえ、変わりません。僕のショパンに対しての意見はとても強いものなので。
コンクールの演奏は世界中の人たちに聴かれるので、自信をもってステージに臨まなくてはならないと感じていました。この経験は、長く僕の中で生き続けると思います。

─オソキンスさんのショパンは、誰の演奏にも似ていない、特別なものですよね。

ありがとう。でもアンチ・コンペティションなスタイルでしょ(笑)?

─いやぁ、でもこうしてファイナリストとなったではありませんか。

今回のファイナルは、審査員の先生方も評価が難しかっただろうと思います……特に僕については。変わった演奏だからと、僕を1次で落とすこともできたはずですが、認めないわけにはいかなくてファイナルまで残したのでしょう。そしてファイナルで、どう評価したらいいかわからなくなったのではないかと思います。僕は協奏曲でパーフェクトな演奏ができませんでしたから。
いずれにしても彼らの決断と他のファイナリストに敬意を表したいと思います。正しい決断だったと思います。
ファイナルはとても難しいステージでした。1年間の準備と3週間の緊張で、僕の手と体は疲れきっていました。それでも残っていた力を出し、楽しんで演奏することができました。

─ショパンについての理解はどのように作りあげていきましたか?

作ろうということは考えていません。僕にとって、ショパンを理解するプロセスはとても自然なものです。誰かを満足させるために、自分の感じた音楽を修正するつもりはありません。感じたことを伝えているだけです。

─それは、楽譜から来るのですか?

はい、まずはそうですね。ピアノに向かわずに楽譜をじっくり読みます。楽譜を見てすぐに弾き始めるピアニストもいるのかもしれませんが、僕にとっては、それでは作品のことを何もわからずに弾いているようなものです。僕の場合は、本を読むように最初はじっくり楽譜を読みます。
まず大切にしているのは、テキストに忠実であること。次に大切にしているのが、自由であること。演奏中にある境界を越えることができれば、真にそこにあるものが見えてきて、良いバランスで演奏することができます。

─ショパンコンクールという場では、どうしても“ショパンらしい”ということが話題になってしまいますが、どんなお考えがありますか?

ショパン自身がどんな演奏を好んだかも、どんな演奏をしていたかも、今となっては誰にもわかりません。でも唯一知られているのは、彼が毎回違うように演奏していたということ。これはとても大切なことだと思います。つまり、自然発生的で自由であるということが、ショパンの演奏にとっては最も大切だと僕は思います。
ショパンには無限のアプローチがあります。そんな中でショパンの最高の解釈を見つけようというコンクールですから、常に論争になるのは当然です。審査員は本当に大変だと思います。

─ところで、オソキンスさんは今、主にピアニストのお父さまのもとで勉強されているのですか?

父がメインの先生ですが、バシュキーロフ先生やババヤン先生などいろいろな方の教えをうけています。
父は生徒によって異なるアプローチで接する教育方針を持っているようです。例えばピアニストの兄は、僕とはまったく別のタイプで、違う世界を持っています。

─あぁ……確かに、お兄さんとは演奏のタイプが何一つ似てないですよねぇ。

そうそう(笑)。これが父の教育方針の成果です。

◇低い椅子には秘密がある

─低い椅子を持参していますが、どのようなこだわりが?

気が付きましたか。気が付かない人もいるんですよ。

─えっ! あんなに低いのに? みんな気になっていたと思いますけど。半年ほど前、同じ椅子を前回入賞者のボジャノフさんが持っていたのを東京で見たばかりなのですが、ファツィオリ製の椅子ですね。

作りは同じですが、彼のものとは別のモデルです。この椅子によってピアノの響きも変わるんです。

─演奏の様子から、音にかなりのこだわりをお持ちなのだろうと感じましたが、椅子にも秘密が……。

そうなんですよ。あの椅子は、特別な音を生み出すことを助けてくれるんです。
“音の言語”は、とても大切です。ある録音を聴いてすぐにどのピアニストかわかることがありますが、そういうピアニストの音は特別ですよね。自分だけの音を持つことが、ピアニストにとって一番大切だと思います。

─ピアノはヤマハを選ばれましたね。ファツィオリとも迷われていたようですが。

あのファツィオリは独特のピアノだったので、慣れるために短くても30分は必要でした。試し弾きの15分で簡単に理解することができたのは、ヤマハでした。ファツィオリが劣っていたということではないんですけれどね。両者はまったく別のピアノでした。12月の来日公演ではファツィオリを弾きます。

─コンクールにむけての準備で一番気を付けていたことは?

1年間、ショパンの作品だけを演奏するようにしていました。フェリーニやタルコフスキーなどの名映画監督が映画を作るのと同じです。彼らは5年に一度くらいしか作品を発表しないでしょう。僕にとってこのコンクールは大切だったので、ショパンの世界に入りこむように心がけて1年過ごしました。

─ショパンのキャラクターはどのように理解していますか?

とてもシリアスな作曲家だと思います。もしかしたら、明るく幸せな音楽という理解をしている方もいるかもしれませんが、僕は悲劇性に満ちた音楽だと思っています。
彼は気品のある人物であり、人生の中で常に戦っていたと思います。特に晩年の作品は、すべてのピアノ曲の中でも最も暗いのではないかと思います。ごく一部、ブリリアントで人生の喜びを見せる作品もあると思いますが。僕の理解では、ほとんどの作品において、ポジティブで楽観的な要素はないと思います。

─ところで、ボジャノフさんを思い出させるとか、言われたりしました?

あんまりなかったですねぇ。ポゴレリッチといわれることはありました。変だよね、全然違うのに。

─ステージでのシャツもお洒落でしたよね。

首元まで閉じた普通のシャツでタイをつけていると、暑くてすぐに顔が赤くなってしまうんですよ。イタリア製のあのシャツを愛用しています。

─手首につけた赤い紐も気になりましたが、確か意味があったんでしたよね?

1年前、中国で右手の調子がおかしくなったことがあって、そのときに祖母から「赤い紐を使ったら」と言われたんです。別に宗教的な何かではないんですよ。ちょっとしたゲン担ぎのようなもので、これを付けている限り、手に問題が起きないと考えるようにしていて、問題がないからそのまましているという。
映像が手元のアップになっても僕だとすぐにわかるし、その意味でも役に立ちます(笑)。

◇◇◇

オソキンスさんは私服もお洒落。見かけるたびに不思議な形状のパンツやらカーディガンやら着ているので、毎回つい「おしゃれねー」と言いたくなってしまうのですが、「別にファッションが好きでこだわって選んでいるとか、そういうわけじゃないんだってー」と主張していました。天然お洒落さんなんでしょうね。
太い精神と超繊細のはざまにいるような、不思議な感性の持ち主という印象。これからどうなるのか、目が離せないタイプです。また機会があるときにはぜひ聴きたいと感じるピアニストです。

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小林愛実 インタビュー

【家庭画報の特集などで書ききれなかった
第17回ショパンコンクール、ファイナリストのインタビューをご紹介します】

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小林愛実さん(ファイナリスト)

◇楽譜を読めば、マズルカのリズムが見えてくる

─コンクールに参加して、ショパンへの気持ちに変化はありましたか?

すごく好きになりました。もちろん、もともと好きでしたが、これほどではありませんでしたね。コンクールを受けることになって、ショパンに真剣に取り組んで、本を読んだり楽譜を読み直したりすることで、まったく違うものが見えてきたんです。
ショパンに実際に会うことはもちろんできませんから、想像ではありますが、ショパンがどんな人だったかを自分の中で理解することができたと思います。作曲された背景を照らし合わせて作品に向き合うと、これまでよりずっと深いものが見えてきました。ショパンの音楽は一見ただ美しいと思われがちですが、強いし、切ないものがたくさん込められています。とても深い音楽です。

─ワルシャワで過ごしたことで、その感覚がより深まったのですか?

そうですね。子供のころにもコンサートのために何度かポーランドに来たことはありましたし、ショパンが弾いたというピアノを弾いたこともありましたが、まだショパンへの思い入れがそんなになかったから、正直そんなに感じるものもなくて。でも今は全然思うことが違いますね。
ショパンの心臓がある聖十字架教会にもほぼ毎日通って、ただぼーっとしたり、ショパンについての本を読んだりして過ごしました。いるだけで、すごく落ち着けました。

─ショパンコンクールにむけて準備する中で、心掛けてきたことは?

ショパンばかり弾いていると、ここはどうしたらいいんだろうと考えているうちにダレてきそうになるのですが、そんな中でまた新たな発見をして、まだやること、知ることがあると気付く。その繰り返しでした。

─マズルカを弾く前、ちょっとリズムにのってから弾き始める様子が印象的でした。

そうですね、最初どんなテンポで出ようか考え、リズムを感じてから入っています。

─あの感覚はどうやって身につけたのですか?

楽譜から読んだという感じですね。特別ダンスを見たというわけでもありませんし……。
楽譜をしっかりと読めばリズムが見えてくると思います。ペダリング、フレージングも一つ一つ全部違うので、それを丁寧に見ていきました。ゆったりめのマズルカはノクターンのようになりがちですが、そこでも強いもの、踊っている感覚を持たせようと考えていました。

─好きなショパン弾きはいますか?

特別この人というピアニストはいないのですが……ユリアンナ・アヴデーエワさんの演奏はすごく好きです。楽譜を見ながら彼女の演奏を聴いていると、なにもかも楽譜通りなので本当に尊敬してしまいます。一つ一つの音に意味があるということが伝わってきて、作品に敬意をもって演奏していることがわかります。

◇一人の作曲家にじっくり向き合う楽しみを教えてくれた

─ショパンという人についてはどんな理解をしていますか?

ショパンの書いた手紙などを読むと、皮肉やひねくれたことばかり書いていて、かわいいなと思ってしまいます。ちょっと変な人だったのでしょうね(笑)。

─そんな性格が作品に出ている?

そう思います。協奏曲を書いた二十歳くらいのころは、コンスタンツェに想いを寄せていたようですが、1年くらい告白できなくて、好きだということがバレないように他の人を好きだと見せかけてみたり。ちょっとめんどうな男性ですよね(笑)。
当時はその後ポーランドに戻れなくなるだなんて考えていなかったでしょうし、本当の苦しみもなかったと思います。前向きで意欲に満ちていて、恋もしていましたから、協奏曲は思いっきり弾いていいと考えました。

─確かに、のびのびとした演奏でしたね。

何度か演奏したことのある作品なので、オーケストラのスコアも見たことがありましたし、他の楽器がどう出てくるかもわかっていたから、少し余裕がありました。オーケストラがいつもの自分のテンポより遅めでしたが、それに合わせて弾こうと思って本番に臨みました。自分のテンポを主張することも時には大事ですが、リハーサルが少ない今回のような場合は、お互い譲らないといけないかなと思って。

─ショパンはあなたにとってどんな存在ですか?

コンクールを終えて、今、ショパンのことをすごく愛しているなと思います。毎日教会に通って、彼と彼の作品を理解しようとつとめました。みなさんもそうかもしれませんが、自分が一番愛したと思えるくらい!

─それじゃあ、ショパンみたいな男性が実際にいたら?

それはちょっと……(笑)。

─これほど一人の作曲家に向き合う時間って、これまでにありましたか?

ありません。他の作曲家についてもこうして向き合っていったら、いろいろなものが見えてくるのでしょうね。本当に楽しかったと思います。ショパンコンクールがそれを知るきっかけを作ってくれました。それだけでも、参加して良かったと感じています。

◇◇◇

人間としてのショパンに改めて向き合うことで、想いが深まってきた様子がひしひしと伝わってきました。でも実際に目の前にショパンが現れたら「それはちょっと」という本音がポロリ。
昔、ショパンについての作品を書いた某女性作家さん(60代)に同じことを聞いたら、「もう絶対守ってあげちゃう!」という答えが返ってきたことを思い出しました。
愛実さんもあと40年くらいたったらそう答えるようになるのでしょうかねぇ。
…ないかぁ。

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アリョーシャ・ユリニッチ インタビュー

【家庭画報の特集などで書ききれなかった
第17回ショパンコンクール、ファイナリストのインタビューをご紹介します】

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アリョーシャ・ユリニッチさん(ファイナリスト)

◇100%の成果を求めるなら最高の努力が必要

─ショパンコンクールに参加して、いかがでしたか。

自分の将来のキャリアに大きな影響のある経験でした。世界中が注目している大切なコンクールですから、期間中は音楽のことだけを考えていようと心掛けていました。コンクール中は自分のパーソナルスペースにいて、外の社会と隔絶している感じでしたね。
たくさんの方が演奏を聴いて、インターネット上などに、良いこと、悪いことなどいろいろなコメントを残します。これはプラスの面もあり、マイナスの面もあると思いますが、そこに書かれていることの影響を受けることがなければ、アドバンテージにしかなりません。ですから、目にする情報は、気を付けてコントロールしていました。

─ショパンという作曲家にはどのような理解をしていますか?

ショパンの音楽はユニバーサルで、どこの国の人でも彼の音楽を同じように理解することができると思います。とはいえ、僕自身がクロアチアというスラヴ系の国で生まれ、ポーランド人と共通する文化を持っていることは、音楽を理解する助けになっています。
ショパンは故郷を破壊される経験をしています。僕も小さいころにユーゴスラビア紛争を経験していて、幼少期の最初の記憶は、シェルターの中でのものでした。僕の人格を形成する大きな経験の一つです。
例えばピアノ協奏曲は、ショパンがコンスタンツィアに恋をしていたときに書かれたものです。僕が彼女を愛する必要はありませんが、この作品をしっかりと解釈するには、誰かを愛する気持ちを知っていなくてはいけないと思います。
それと同じように、ショパンの作品を解釈するうえで、あの時代の戦争を体験する必要はありませんが、似た環境で同じ心境を味わったことは大きいと思っています。幸運にもというべきか、不幸にもというべきか、僕にはその経験があるわけです。

─コンクールの準備で気を付けたことはありますか?

この15ヵ月ほど、ショパンだけに集中していました。
僕は今26歳です。自分の音楽が、このコンクールに入賞できた場合の状況に見合ったレベルに成熟するのを待っていたといえます。例えば僕が17歳のときに入賞してしまっていたら、バランスをどう保ったらいいのかわからなくて、その後大変だったことでしょう。今ならレパートリーもたくさんあります。
人生におけるすべてのことと同じで、95%の成果を求めているなら最大の努力はしなくていいでしょうけれど、残りの数パーセントまですべて得たいのならば、できる限りのことをしないといけません。それで、1年以上の期間をかけて、ショパンに集中することにしたのです。

◇楽譜に書かれていないことは何一つやっていません

─ショパンへの理解を深めるためにどのようなことをしましたか?

一つこだわっているのは、他の解釈を聴かないということです。特に自分が演奏する予定の曲は聴かないようにしました。
他の録音を聴いてしまえば、自然とこの作品がどう演奏されるのかの知識がついてしまいます。いくらオリジナルでありたいと思っても影響を受けてしまうかもしれません。それはいやなのです。
僕の演奏は変わっているといわれることがありますが、楽譜に書かれていないことはやっていません。
書かれていることの中で自分の個性を表現するのは、絶対的に大切なことです。そこから外れてしまえば、作品を解釈するのではなく、作曲になってしまいます。楽譜を無視してオリジナルな演奏をするほうがずっと簡単でしょう。
書かれていることに従って、自分だけの特別なタッチ、小さな特徴を出していくべきだと考えています。

─ショパンはあなたにとってどんな存在ですか?

ショパンは僕が初めて愛した作曲家であり、クラシック音楽を好きにさせてくれた作曲家です。さまざまな経験の中で、いつも僕を涙させ、笑顔にさせてくれた唯一の作曲家です。
人間は個々がそれぞれ異なりますが、同時に抱く感情には共通したものがあります。彼の音楽は私たちの感情を、語る以上に見事に物語ってくれるものだと思います。

◇◇◇

アリョーシャさん、どちらかというと個性的な演奏という印象だったのですが、楽譜に忠実であることを貫き通した結果の個性的な解釈ということで、興味深くお話を聞きました。
ところで、話を聞くためにバックステージで最初に声をかけたとき、照明のせいもあったのかもしれませんが彼の瞳があまりにキラッキラに輝いていて、それはもうびっくりしました。ものすごい輝きですね!というと、そうかなぁ……という反応。“よく言われるんです”くらいのリアクションが来ると思っていたので、勝手に肩すかしをくらいました。
人の眼球って、どうするとあんなに輝くんだろう……。

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エリック・ルーおまけインタビュー

【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、
さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】

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エリック・ルーさん(第4位)

─ショパンコンクールという場で演奏した経験は、ご自身にとってどのようなものですか?

ワルシャワ・フィルハーモニーホールで演奏することは、とてもスピリチュアルなものを感じる経験でした。聴衆、審査員と音楽を通じてコミュニケーションをとり、伝えたいことをできるかぎり伝えようと考えながら演奏していました。

─全ステージ終わって、今のご気分は?

またモチベーションを高めて、もっと勉強したいですね。

─えっ。それじゃあコンクールが終わって今何がしたいと言われたら、練習?

今すぐは、さすがにいいです(笑)。

─ピアノを始めたきっかけは?

姉がピアノを習っていて、レッスンや音楽を一緒に聴いているうちに、僕もピアノを習いたいといったようです。最初についた先生がすばらしい方でした。

─それにしても、指が超細いですよね。

そうなんです、僕は全体的にスキニーだからね……(笑)。

─ところで、今回はソロでヤマハのピアノを、ファイナルの協奏曲でスタインウェイのピアノを演奏されていました。春に優勝されたマイアミのショパンコンクールでも、ソロでスタインウェイを弾いていて、ファイナルの協奏曲のときにファツィオリに変えて弾いたそうですね。

はい、そうでしたね。僕はけっこうピアノの好みがはっきりしているほうなのですが、マイアミのコンクールでは、3次までスタインウェイを演奏していたらピアノが疲れてきたような気がして、変えることにしました。別のピアノを弾くことによって、楽器がまたいろいろなことを提案してくれるような気がしたからです。また改めて表現の可能性が広がるというか、音を強制しなくても自然に鳴らせるような気がしたというか……。
今回のショパンコンクールでも同じ理由で、ヤマハから、最後にスタインウェイに変えました。二つのピアノは音が大きく異なりましたが、タッチの意味では、順応することにまったく問題はありません。
ヤマハはコントロールが簡単で、色彩のレンジが多様でした。スタインウェイは、セレクションのときは少しブライトすぎるように感じたのですが、ファイナルのころにはとても良い状態になっていました。

◇◇◇

以上、エリックさんのおまけインタビューでした。
指の細さの話ですが。
ふとエリックさんが指を顔の前で組んだのを見たら、あまりに指が長くて、しかもひょろんと細かったのでびっくり。そして、強く鍵盤に押しつけたらポッキリいってしまいそうだと、勝手にハラハラしたとう。
ナナフシっていうんですかね、枝っぽい昆虫がいますけど、あんな感じといいましょうか……(例えが悪すぎてすみません!)。
とにかく、あの指であのしっかりした音が出るというのが、なんとも不思議でした。
「24のプレリュード」など、最後の音をグーでいって、「グーでいった!!」と思った方も多いと思いますが、たしかにあの華奢な指であのパワーをかけたら本当にポッキリいきそう。
1次予選のとき、17歳かぁ、若い人なのだなと思いながら演奏を聴き始めましたが、このプレリュードを弾いた3次の頃にはうっかりそれを忘れ、プロフィールを見てびっくりするという、最初に発見してあった罠に引っかかっておどろくというか、そんな気分になりました。本当に落ち着いたピアニストです。

★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、
下記サイトもあわせてご覧ください。もう少し真面目です。
ジャパン・アーツHP エリック・ルーインタビュー ←【近日公開】

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イーケ・トニー・ヤンおまけインタビュー

【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、
さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】

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イーケ・トニー・ヤンさん(第5位)

─16歳という最年少での参加でしたね。

はい。このコンクールは、セミファイナリストになれば最後まで滞在させてくれるということだったので、3次進出を目標に、最初の2ステージについては充分準備をして臨みました。
実を言うと、10月14日の帰国便の航空券を予約していたくらいなんですよ! 変更できないチケットだったので、新しい帰国用の航空券を買わなくてはいけませんでした(笑)。

─ええっ。それはむしろ、チケットが無駄になって良かったですね。ところでファイナルのリハーサルのバックステージでダン・タイ・ソンさんをお見かけしましたが、先生はずいぶん心配しているようでしたねぇ。

そうなんです! 彼にとっても、想像を越える結果だったみたい。セミファイナルとファイナルは直前になって慌てて準備しましたから、なんだかインスタントヌードルを準備しているみたいでしたね。“ケイトやエリックのことはなにも心配していないけど、君のせいで白髪が増えた”と言われました(笑)。

─ところで、ヤマハのピアノを選んだ理由は?

今回、完璧に心地よいと感じるピアノがなかったので、すごく迷いました。セレクションのあと、エリックにも相談したんですが……。4台の中ではヤマハが一番弾き心地がよく、カラフルでダイナミックレンジも広く、コントロールが簡単だと感じたので、選びました。

─そういえば、演奏中、ときどき椅子からおしりを浮かせて弾く姿も印象的でした。

そうなんですよね~(笑)。演奏中、熱くなるとついやってしまうんです。あとは、すごく緊張していたので、そのテンションを解放したくて立ち上がってしまうのかも。もちろん、演奏するうえで、パワーを込めるためというのもありますが。
そんなに緊張しているつもりはなかったのですが、ふと気づいたら足が震えていたこともありました。身体が緊張した反応をしているのを見て、自分でもびっくりしました。

◇◇◇

以上、トニー君のおまけインタビューでした。
明るく、素直で優しいけれど、強い気持ちを持っているキャラクターが、音楽に現れているような感じ……と勝手に思いました。
ショパンコンクールは、5年後に本気で挑戦することを念頭に置いて受けたということで、「まだ自分でも成長の途中だとわかっている」との発言もありました。それにしたって、セミファイナル初日の飛行機を予約してあっていたとはおどろきです! 本当にその飛行機で帰ることにならなくてよかったね。
ところで「家庭画報」用のキラキラ写真撮影のとき、トニー君、大きく某スポーツメーカーロゴが入った真っ赤なパーカー姿で現れたため、ロゴの入っていないなにか別のお洋服を……とお願いして着替えてもらったのですが、次に現れたら一気にステージ衣装になったという。
振れ幅がでかい!

★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、
下記サイトもあわせてご覧ください。もう少し真面目です。
ジャパン・アーツHP トニー・ヤン インタビュー

[家庭画報 2016年1月号 Kindle版]

ドミトリー・シシキンおまけインタビュー

【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、
さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】

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ドミトリー・シシキンさん(第6位)
言葉少なだったので、後ろに控えていた彼女の解説つきでお届けします。

─もう何度も日本にいらしているそうですね。

はい、2015年はコンクールの前に2回日本で演奏していますし、その前にも何度も行っていますよ。

─そんなに何度も来ていたんですね。すでに演奏活動をたくさんされていると思いますが、ショパンコンクールを受けることにしたのはなぜですか?

まずはなによりショパンの音楽が好きですし、自分にとって良い経験になると思ったからです。ファイナルまで進むことができ、ピアニストとしてのキャリアにとってプラスになったと思います。参加してよかったです。

─今回ヤマハのピアノを選んだのは?

音が良く、弾き心地も良かったからです。とくにショパンのような穏やかな作品を演奏するのには合っていると思いました。完璧なピアノと感じたわけではありませんが、ショパンの柔らかい作品を大きなホールで弾くにあたって、他よりもブライトな音がしたので、良いと思いました。

─それにしても、最初に登場したときあの豊かな音に圧倒されましたが、子供の頃からの教育の賜物でしょうか?

自分ではわかりませんが(笑)、自然に持っていた能力じゃないかと思うんですけど……。
(すかさず後ろに控えていた彼女が、「彼の小指の筋肉は本当にすごいのよ!! 見て見て!」と言うが、照れているのか小指の筋肉を披露しようとはしないシシキン氏)

─ショパンの音楽を演奏するうえで心掛けていることは?

彼は深い考えのある、とてもおもしろい人物だったと思います。だからこそ、音楽にも色彩が感じられます。エレガントでスタイリッシュな作品なので、純粋に音を楽しみながら、表現していきました。
(「ディーマは、ショパンは本当にロマンティックだからもっと愛がたくさんないといけない。僕はロマンティックがわからないから教えて!といっていたんですよ」と、彼女。その言葉に照れた笑みを浮かべて黙ってしまうシシキン氏)

─ステージで着ていたジャケットも少し変わったお洒落なものでしたし、体系もスリムですよね。ファッションに興味があったり、何か気を付けてトレーニングをしていたりするのですか?

いえ、とくにこだわりはありません。状況に合わせて、良さそうな恰好をしているだけなんですけどね(笑)。体型についても何も特別なことはしていませんし、いつも通りにキープしようとしているだけですよ。

◇◇◇

以上、シシキンさんのおまけインタビューでした。
シシキンさんが回答に口ごもると、すかさず彼女がかわりに回答してくれるという、ナイスカップル!
ちなみに、シシキンさんのインスタグラムの写真はとてもかっこよくて素敵なのですが、これは彼女がレタッチ担当をしているそう。彼女のおじさまが有名な写真家で、いろいろ教わっているのだとか。
そこにある写真を拝見する限り、筋肉のあの形状……特別なトレーニングなしでああなるならミラクルです。どんな体勢でピアノ弾いてるんじゃ!と思いましたが、それ以上はつっこめませんでした。

★ガラコン会場で販売される、ジャパン・アーツ公式プログラム冊子や、
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ジャパン・アーツHP ドミトリー・シシキン インタビュー

[家庭画報 2016年1月号 Kindle版]

チョ・ソンジンおまけインタビュー

【家庭画報の特集、ジャパン・アーツのガラコン冊子、ジャパン・アーツHPなどで書いても、
さらに書ききれなかったコメント(ユル会話中心)を紹介していきます】

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チョ・ソンジンさん(第1位、ポロネーズ賞)

─コンクール中の3週間で、印象に残っている出来事は?

そうですね、まずそんなに長い時間練習していませんでした。スタジオと大学の練習室で、だいたい1日4時間くらい。それで他の時間は、ほとんど毎日、部屋でゆっくりお風呂に入っていました。リラックスしながら、音楽を聴いていました。

─お風呂で音楽とはまた意外な。何を聴いていたんですか?

ラヴェルのコンチェルトです。

─ショパンじゃないんですね。

コンクールのあと演奏会で弾く予定があったので、耳で練習していたんです。でも、ショパンも聴きましたよ。アルゲリッチやコルトーの演奏を聴いていました。のんびり楽しみながら。

─ところで、ファイナルのピアノ協奏曲第1番の演奏はとても楽しかったとおしゃっていましたね。

はい、4ステージで初めて満足のいく演奏ができました。この作品はショパンが19歳のときに書いたもので、ピュアで若さに溢れ、繊細で、楽観的です。ショパンには当時、好きな人がいたこともよく知られていますね。だから、あまりにセンチメンタルに演奏されることなく、若く輝かしい、純粋な感情とともに演奏されるべきだと思っています。ブラームスのような演奏になるべきではありません。今回、ファイナルのオーケストラの演奏は、冒頭がちょっとマーラーのようなスタイルでしたけど。

─オーケストラとコミュニケーションをとるのに充分な時間はありましたか?

いいえ。リハーサルがあって、別れて、そのまま本番でしたから。でも、指揮のカスプシックさんは僕のアイデアやルバート、タイミングを理解して全部合わせてくれたので、よかったです。

─冒頭のオーケストラパートが長いですが、何を考えていましたか?

自分のテンポについてです。かなりゆっくりめの演奏だったので……。
僕の理解では、ショパンの初期のロマンティックな作品は、重すぎずフレッシュなテンポが良いと思っていたので。

─ショパンが今のソンジンさんくらいの年の頃に書いた作品ですよね。

僕はもう21歳ですから、彼のほうが若かったですよ。

─そうですね……ご自分の経験を重ねて演奏したりとか?

それはないですね、残念ながら。ふふふ……。

─ショパンコンクールにむけての準備で気を付けたことは?

そんなに準備したという感覚はないんです。「24のプレリュード」以外は、もともと子供のころから弾いてきた作品ですから。
例えば、ポロネーズやスケルツォは浜松コンクールでも弾いていますし、ピアノ協奏曲第1番はモスクワのショパンコンクールで2008年に弾いています。幻想曲は14歳で弾いていますし、マズルカやノクターンも演奏したことのある作品でした。だから、僕の人生のショパンレパートリーの集約みたいな感じでしたね。

─21歳、人生のレパートリーということですね。

……この歳で、ちょっと変かな(笑)。
僕はもともと6歳で趣味としてピアノを習いました。とてもシャイな子供で一人っ子だったから、一人ぼっちにならないように何か楽器をということで、ピアノを始めたんです。ヴァイオリンも習いましたが上達しませんでした。
ずっと1本ずつの指で弾いているようなレベルだったんですが、10歳のときに10本の指で弾き始めました。そこから本当に急速に勉強したんです。練習は好きではありませんでしたが。

─それで、5年半後には浜松コンクールに優勝したんですね。あれだけの技術をそんな短期間で……。

僕の技術は、伝えたい音楽を表現するには充分かもしれませんが、特にずばぬけているわけではないと思います。15歳のときからほとんど手の大きさも変わりません。

─手といえば、コンクールの動画配信を見ていたら、ステージに出る前に手のストレッチをしつつ指をポキポキ鳴らす様子が映っていましたね。けっこう大きな音がしていて、若干心配になるレベルでしたよ。大丈夫なんですか?

癖なんです。8歳くらいからやっていますが、今のところ大丈夫です。20年後には手がおかしくなっているかもしれないけど(笑)。まあマッサージみたいな感じで気持ちがいいんですね。多分指の動きのためにも良いんだと思います。

[ここからは、チョ君の“ひねくれジョーク劇場”です]

─ところで、ピアノとはあなたにとってなんですか?

楽器です。あとはダイナミクスの表記です。小さく弾きなさいという。

─……おっしゃる通りです。それでは、ピアノから美しい音を出すための秘訣は?

いい調律師さん、ですかねぇ。

─なるほど。それでは、ショパンはあなたにとってどんな存在ですか?

偉大な作曲家です。あとは、僕たちに仕事をくれる雇用者。

─なかなか現実的なご回答で。

ショパンのことが嫌いになれるはずないですよ。彼はあんなにたくさんピアノの作品を書いて、僕たちに仕事をくれるのですから、彼のことは尊敬しなくては!

─……浜松コンクールで会った15歳の頃は、そんなジョークは言わなかったのにね。どうしたんですか。

あのころは英語がうまく話せなかったから、言えなかっただけです。

─確かに、こちらも韓国語はできないから、困ってステージの前に何を食べたかばかり聞いていた記憶が。

覚えてますよ……。

◇◇◇

……というわけで、気になって昔の浜松コンクールのレポートを見返したところ、会話のトピックスは「スパゲティ」「うなぎ」「ハウル」でした…。それにしても発言が初々しいチョ君15歳!

http://www.hipic.jp/hipic/history/7th/topics/7th/13.php

http://www.hipic.jp/hipic/history/7th/topics/7th/22.php

http://www.hipic.jp/hipic/history/7th/topics/7th/3-2.php

(まともなインタビューは下記をご覧ください)

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ジャパン・アーツHP チョ・ソンジンインタビュー

[家庭画報 2016年1月号 Kindle版]

ケイト・リウ おまけインタビュー

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ケイト・リウさん(第3位、マズルカ賞)

─コンクールの準備を始めたのはいつごろでしたか?

ショパンの作品には、ずいぶん昔から取り組んでいました。そうしたレパートリーを改めてちゃんと勉強し始めたのは、書類選考を通ったことがわかった頃です。その後予備予選を通ってから、これまで勉強したことのない作品にとりかかりました。ショパンのピアノ協奏曲も演奏したことがなかったので、新たに勉強しなくてはいけませんでした。
ただ、新しい試みに次々挑戦しているという感覚だったので、コンクールのためだけに半年で勉強したという感じでもないんです。

─どのようにしてご自分のショパンの音楽を見つけていったのでしょうか。

何かをコピーするのではなく、インスピレーションを大切にしました。
今回、コンクールにむけて勉強している中で、自分にとってお気に入りのピアニストをようやく見つけたんです。その演奏を聴いていると、どんどんモチベーションも上がるし、とにかく楽しかった。ピアノや音楽を通じて、いろいろなことができるような気がしてくるんです。
これが、私がコンクールの準備をする中、インスピレーション得ながらモチベーションを保つことができた秘訣だったのかもしれません。

─……それで、そのピアニストとは、どなたなのでしょう?

エミール・ギレリスとグリゴリー・ソコロフです。ようやく、彼らが私の好きなピアニストだって確信したんです。ショパンの演奏に限って言えば、クリスチャン・ツィメルマンも加えます。
ギレリスを聴くときには、ショパンコンクールの前だからといって作品を限定することなく、プロコフィエフやバッハなどいろいろな作品を聴きました。

─そういえば、ケイトさんはプロコフィエフあたりを弾いたらすごくよさそうですよね。

えっ、本当に~!?(なぜか大爆笑)
昔の私はクールで派手な作品が大好きで、みんなをワオ!と言わせたいという気持ちから、プロコフィエフが大好きだったんですよ。今よりもっとエモーショナルにピアノに入り込んでいたと思います。今もプロコフィエフの作品は弾いて楽しんでいますが、どちらかというとリリカルな作品を好むようになりました。

─そうだったんですかー。いつか聴いてみたいです。ところで、ソロのステージではヤマハを弾いていて、コンチェルトでスタインウェイに変えましたが、その理由は?

ヤマハのピアノの音は厚みがあって、レンジが幅広く、音を楽しめそうだったのでソロのステージで演奏しようと思いました。ウナコルダのペダルもとてもうまく働いていました。
うまくコントロールしないとメタリックな音になりそうだったので、そこは注意が必要でした。
スタインウェイの音は輝いていてブライトな印象があり、遠くの聴衆まで届くと思ったので、コンチェルトで演奏しようと思いました。オーケストラと演奏するときは、自分の音がオーケストラの音の間をぬけてホールの後ろまで届かないといけません。ただ大きく弾くだけでは音が割れてしまいますから、よく考えてコントロールする必要がありました。
実はファイナルのリハーサル中、2階席で聴いてくれていた人から、音が割れているし、ピアノを壊しそうな勢いだと言われちゃって! スタインウェイは音が遠くに飛んでいく楽器だから、そんなに強く鍵盤をたたかなくて大丈夫だといわれました。だから、本番ではすごく注意して演奏しました。

─あのホールは、ステージで自分の音がよく聴こえますか?

はい、いつもだいたい良く聴こえていたのですが、オーケストラリハーサルのときは良く聴こえなくて、ずいぶん鍵盤をたたいてしまったんです。でもそんなことをしなくても大丈夫だとわかったから、本番は心配せずに演奏しました。

─ファイナルでは、ドレスもそれまでの黒から白に変えましたね。

赤いドレスも持っていたのですが、ショパンには合わないかなと思って(笑)。白のほうが上品でショパンの音楽に良いかなと思いました。

─あとは、マズルカ賞も受賞されましたね。

そうなんです、驚いています(笑)。最初、マズルカの感覚をつかむことは難しかったのですが、自分の中で一度理解したあとは、ダンスの感覚を自然に再現していきました。

─マズルカといえば、ケイトさんの先生のダン・タイ・ソンさんが全曲録音をしていますよね。彼から学んだこともありましたか?

もちろんダン・タイ・ソン先生のレッスンは受けましたが、マズルカについて集中的に何かを習うことはありませんでした。彼の演奏するショパンの録音は、今回ショパンの作品を準備するうえで大きな助けになりました。
彼は、出場していた4人の生徒のうち3人が入賞して本当に喜んでいました。私たちがステージに出る時、いつもすごく緊張したとおっしゃっていました(笑)。これまで師事した先生の中でも、最高のすばらしい人物です。

◇◇◇
以上、ケイトさんのおまけインタビューでした。
ショパンについての想いを語り出したときの夢見るような表情が忘れられません。
(そのコメントは、別のところで紹介していますが…)
彼女の演奏について、後に公開された採点表で、ポーランド人の審査員勢がみんな高評価をしていることが印象に残りました。なかでもパレチニ審査員にはお話を聞くことができたので、またご紹介します。すごい褒めっぷりです。

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ジャパン・アーツHP ケイト・リウ インタビュー

[家庭画報 2016年1月号 Kindle版]