スタインウェイ担当調律師、ベルナーシュさん

クライバーンコンクールのステージで使用されている3台のスタインウェイの調律を担当している、スタインウェイのコンサート調律師、ジョー・ベルナーシュさんにお話を聞きました。

なんだかとても控えめな雰囲気の方で、調律師になると決めたのは、「音楽も手作業も好きだし、一人きりで作業することも好き。自分にとって完璧な仕事だと思ったから」とのこと。
写真も、遠くからならいいよ…とのことだったので、ベルナーシュさんの姿は豆粒サイズです。(しかしさすがに遠すぎた)
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◇◇◇

◆ジョー・ベルナーシュさん(スタインウェイ、コンサート調律師)

─今回はNYスタインウェイホールのハンブルク・スタインウェイを選んだ人が圧倒的に多かったですね。3台のスタインウェイは、それぞれどんなキャラクターなのでしょうか?

NYスタインウェイホールのハンブルク・スタインウェイは、一番オープンで゛フォーカス”した楽器だと思います。作られてだいたい1年半くらいの楽器です。
あとの2台、財団所有のハンブルク・スタインウェイとニューヨーク・スタインウェイは、それぞれに違うけれど類似性があって、どちらも、決して悪い意味ではなく、暗めというか、重めの音がするピアノです。なかでもニューヨーク・スタインウェイのほうは、それならではの特徴的な音がしたと思います。ラフマニノフとか、ロマン派の作品には合うと思うのですが。
いずれにしても結果的には、多くの人が広いダイナミクスレンジを持つ楽器を選んだのだと思います。

─コンクールの調律で一番気にかけていることはなんでしょうか?

コンクールのピアノにとって一番大切なのは、最大のパワーで演奏されても耐えられる楽器であること、そしていち早く元に戻る楽器であること。例え音が良いピアノでも、この2つの条件がクリアできていなければ誰も弾きたいと思いません。まともに演奏することができませんから。

─あなたにとって理想的な音のピアノというのはどのようなものですか?

歌って、パワフルで、フォーカスしていて、バランスがとれていて、ダイナミクスの幅が広いピアノです。コンクールで求められるピアノとして説明したものと同じですね。

─ところでその、フォーカスした音というのがどんなものなのかもう少し詳しく知りたいんですが……。

そうですねー、明るいとかメタリックという意味ではないんですよね。もっと、はっきりと発音して、クリアで、まとまりのある音ということですね。

─コンテスタントからはピアノにリクエストがありましたか?

要望は聞きましたが、これだけ多くの人が弾く場合は誰か一人の好みに合わせて変えることができないのが難しいところです。もちろん、ペダルを踏むと音がするとか、そういう具体的な問題には対応できますが。

─今回のコンクールを見ていて、若いピアニストたちは平均的にどんなピアノを求める傾向にあると感じますか?

一般的には、輝かしい音がして、鍵盤が軽いピアノを好む傾向にあると思いますねぇ。

─スタインウェイの音とはどんな音でしょう。

スタインウェイと一言にいってもあまりにそれぞれの違いがありますが、挙げるとすれば、パワーとファンダメンタル・トーンへのこだわりでしょうか。私は普段ニューヨークを拠点にしているわけですが、こちらではとくにファンダメンタル・トーンを大事にしています。

─ピアニストのリクエストにこたえるためにもっとも大事にしていることは?

整音の行程ですね、それはもちろん。調律と整調は言うまでもなく重要で、正しくなくてはいけませんが、整音が一番の個人の好みの出しどころになります。主観的な部分ですね。

─ところで、コンクールなどで自分の調律したピアノが演奏されているときは緊張しますか?

全然しませんよ。慣れました。大きな問題が起きることはあまりないし、弦が切れたら直せばいいわけですし。

─この前あるピアニストと話していたら、長い演奏経験の中でピアノから思い描く音を出すため、どこまでが調律師に頼めることで、どこまでがピアニストの責任なのかがわかるようになってきたといっていました。そういう境目のようなものの認識って、ありますか?

それはおもしろいですね。
レベルの高いピアニストたちは、確かに楽器のことをよくわかっていて、自分が鳴らしたい音がする傾向のピアノを選んで、そこからリクエストをしてくれます。明るい音がいい、柔らかい音がいいなどといったことは、いくらでも僕たちに変えられるけれど、ただ、ピアノ自身の特質に由来する音の傾向は、何も変えることができません。優れたピアニストは、そのあたりを理解していると思います。

◇◇◇

お話を終えたあと「なんかおもしろくない話でごめんね」などとおっしゃるので、私は調律師さんのお話を聞くのが好きなんだということ、日本では去年、調律師さんを主人公にした小説(羊と鋼の森)も流行ったのだということを伝えると、「信じられない、そんなのが流行ることあるの!?」と驚いていました。
映画化もされるんだといったら、やっと信じてくれました。控えめベルナーシュさんらしいリアクションだなーと思いました。

田部京子さん(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)

兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト、
6月18日(日)に行われるVol.7『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演ピアニストのインタビュー、三人目は田部京子さんです。

【その他のお二人のインタビューはこちら】

浜野与志男さん
菊地裕介さん

若い頃から「晩年好き」だったという田部さんが演奏するのは、
数年前に録音もしたばかりの後期三大ソナタからの2曲。

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◆田部京子さん
[演目]
ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109
ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110

自分の耳で聴くことはできなかった

─今回はベートーヴェン晩年のソナタから、第30番と第31番の2曲を演奏されます。晩年のソナタを弾くことのおもしろさはどんなところに感じますか?

晩年の作品には、作曲家の人生への回想や、どこか希望のようなものまでもが凝縮して投影されるように感じます。とくにベートーヴェンは音楽で人間を表した最初の作曲家で、そんな彼の晩年の作品には、まさに人生の軌跡とあらゆる要素が詰まっていると感じます。
難聴という困難に直面し、挫折や絶望を感じながらもそこから這い上がり、常に革新を求めて生きていく。聴こえないことが日常となる中で、晩年まで自己の音楽世界を熟成させました。膨らんだイメージを音にできるピアノの発展を求め、可能性を追い求めていったのです。
ただ、それを彼は自分の耳で実際の音として聴くことはできなかった。聴こえない世界の中で創造された音楽の奥深さとエネルギーを感じながら、本質に少しずつ近づくことを目指すのが、ベートーヴェン晩年の作品を弾くおもしろさだと思います。
一歩近づけたと思うとまた次の景色が見えてきりがないのですが、そうやって一生かけて追究してゆくものなのだと思います。

─田部さんは2年前に後期三大ソナタを録音されていますが、それによって何か新しい発見はありましたか?

自分の録音は、CDが完成してからは聴くことがあまりないんですよね。自分が弾いているという感覚と客観的な感覚が同居するのが居心地悪くて、今はまだ聴けません(笑)。ちなみに、もっと何年か時間が経つと、先生として生徒の演奏を聴いたり、聴衆として一人のピアニストの演奏を聴いているような客観的な感覚で自分の録音も聴くことができるようになります。
もちろん録音直後の編集の段階では何度も聴きました。録音に臨むにあたっては細部まで突き詰め、全精力を傾けるわけですが、実際、音になっているものとイメージに多少相違があったり、再度楽譜を見返しながら、この表現でよかったのだろうかと考えたりすることもあります。そんな中で成長することができたように思います。

─録音することを決めたきっかけはあるのでしょうか。

昔からどの作曲家についても、人生が凝縮されたような晩年の作品が好きでした。20代のデビュー間もない頃にシューベルトの最後のソナタを、また2011年にブラームスの晩年作品集も録音しています。
ベートーヴェンの最後の3つのソナタには高いハードルを感じていましたが、シューベルトやブラームスの晩年の作品を録音したことで、その源ともいうべき、古典派とロマン派の重要な架け橋となったベートーヴェン晩年のソナタには、やはり取り組むべきだと感じたのです。それを長らく目標にしてきて、今、やるべきときがきたのだと感じて録音しました。
ベートーヴェン晩年のソナタ30番は心のぬくもりや人間味を感じるとても内省的な音楽です。そして31番は、嘆きの歌とフーガが交互に現れ、最後は解き放たれたような希望とともに一気に上り詰めていきます。そして32番は再び絶望に打ちのめされるように始まり、最後は天に向かって昇華するような音楽で閉じられます。
録音するのはまだ早いと思い続けてきたわけですが、これが最後ではないと考えることにして、一度、「今」の記録としてやってみようと決心しました。「今」は、既に「過去」になっていますので、常に「今」を越えた演奏を目指そうという気持ちでいます。ステージも含め、演奏する毎に作品に近づいていく感覚があります。私自身も人生経験を積んでゆく中で共感度が増し、同時に新たな発見もあります。

─お若い頃から晩年の作品がお好きだったのですね。

なぜでしょうね。晩年の作品だからといって、いわゆる「枯れている」わけではないところが興味深いのです。
諦観の要素を感じたりもしますが、どちらかというと若い頃の情熱やエネルギーも音楽の中に含まれ、積み重ねてきたものがすべてそこにあるのが晩年の作品だと私は思います。生と死や、自分がなぜ存在しているのかという普遍的な問いについて考えさせられる部分が強いですね。
そういった人間の本質、作曲家の人生、培ってきた作曲の技法、そのすべてが集約されているところに、若い頃から惹かれていたのだと思います。
そうしてずっと興味を持って、いつか登りたいと思っていた高い山がベートーヴェンの晩年ソナタでした。例えばシューベルトには、長大なメロディをどうつないでいくのかという難しさはありますが、それでもどこか、“感じていることが命”のようなところがあります。息の長いフレーズに身を任せ、シューベルトのささやく声が聞こえれば、音楽はできていきます。
一方でベートーヴェンの作品には、確固たる構築というものがあります。シューベルトがベートーヴェンに憧れたのも、そんなところだったはずです。
巨大な建築物のようなものの中で、古典的な要素、楽器の発展を反映した表現の可能性、ベートーヴェンという人格を感じさせる揺るぎない語法、ロマン派にも通じる感情表現などが存在し、演奏家としてその本質に迫り続けることにやりがいを感じます。

人間そのものを表現するベートーヴェン

─では、ベートーヴェンは田部さんにとってどんな存在ですか。

あらゆるピアノ作品と接する中で「源」のような存在です。
特にドイツ・ロマン派の作品を演奏するうえでの原点だと思います。

─音楽の原点とはいえ、バッハとはまた違う感覚でしょうか?

違いますね。人間の感情、人間そのものを表現している音楽という意味での原点です。
作曲家の感情の音楽表現という点について、例えば自然について考えたとき、音楽で風景を感じさせる描写があると思いますが、実際にその自然を愛し、感じているのは人間なのだということを実感するのがベートーヴェンの音楽です。

─なるほど。自然の風景をそのまま表現することができると思うのは、いわば傲慢といえること。何に関しても、それを感じている人間のフィルターが必ずあるという現実を認識していないと……。

そうなんですよね、散歩をするから、自然を見て、空気と風景を感じる。それをベートーヴェンが自分のフィルターを通して音にしているのが、彼の作品の表現する自然です。

─ところで、国立の兼松講堂へは初めてのご登場ですね。

今までお写真でしか拝見したことがありませんが、とても雰囲気のある建物ですね。国立は、電車で通ったことはあってもなかなか降りる機会がありませんでしたが、並木道があって緑が多く、静かですてきな学園都市というイメージがあります。今回は、国立に行けるということだけでも少しワクワクしていますが、由緒ある兼松講堂で演奏させて頂くことをとても楽しみにしています。

─大学構内も天気が良いと気持ちがいいですよ。

私、晴れ女なんですよ! あとのお二方がどうかわかりませんが(笑)、2対1だったら負けてしまうまかもしれませんし……でも、晴れるといいですね。

 

◇◇◇

田部さんはしきりに、ベートーヴェンの音楽には人間を感じるとおっしゃっていました。自然の描写からも、人間を感じると。
それを聞いて、「自然の風景をそのまま表現することができると思うのは傲慢だもんなぁ。なにかをどんなに忠実に伝え再現しようと思ったって、それを感じている自分のフィルターが必ず存在することを認識しているかいないかは大違いだもんなぁ」などと改めて考えました。インタビューの原稿だってほんとうにそうです。自分が無味無臭のフィルターになれると思った時点で、間違っている。インドのスラムのリサーチをしている中で痛いほど考えさせられたことでした。…話がそれましたが。

ちなみにその後、男性陣二人が雨男か否かは確かめていませんが、当日は田部さんの晴れ女パワーで、すべての雨男女系来場者を打ち負かしてほしいなと思います!

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第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7
『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男
ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授)

2017年6月18日(日) 14:00 開演 (開場 13:15)
会場:一橋大学兼松講堂(JR国立駅南口 徒歩7分)
前売券:S席 4,500円(指定)/A席3,500円(自由)/学生券 1,500円(自由)

クライバーンコンクールのピアノ

みなさまお気づきの通り、ヴァン・クライバーンコンクールでは、スタインウェイのピアノのみが使われています。

かつて他メーカーのピアノも使われていたことがあったようですが、ここしばらくはスタインウェイとの協力関係のもと、1メーカーのみということにしているようです。いろいろ理由はあると思いますが、前事務局長だったリチャード・ロジンスキーさんは以前、メーカー間のコンテスタント獲得合戦の激化を避けることも一つの理由だと話していました。

というわけで、コンクール本番で使う3台のピアノ、30名のコンテスタントが滞在しているホームステイ先のピアノ、そして楽屋の練習用のピアノ、すべて良い状態のスタインウェイ。つまり、ざっと40台近くのグランドピアノが用意されているということ。すごいですね。
クライバーン氏ありし日には、コンクール後、ホストファミリーがピアノをそのまま買い取る場合は、クライバーンがピアノにサインをしてくれるという制度(?)があったそうです。なんとよくできたセールスの流れ。

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さて、セレクションには3台のピアノが用意されていました。
ハンブルク・スタインウェイが2台(クライバーン財団所有の楽器と、NYスタインウェイホールの楽器)と、ニューヨーク・スタインウェイが1台。各人15分間が与えられてピアノを選択します。

結果、30人中23人がハンブルク・スタインウェイ(NYスタインウェイホールの楽器)を選択。3人がハンブルク・スタインウェイ(財団所有の楽器)、4人がニューヨーク・スタインウェイ(財団所有の楽器)を選ぶという、たいへん偏った結果となりました。

ちなみにこの大人気のハンブルク・スタインウェイ(NYスタインウェイホールの楽器)は、スタインウェイ社が選んで送ってきた2台(ニューヨーク・スタインウェイとハンブルク・スタインウェイ)から、ホロデンコが選んだ楽器だそう。
ホロデンコさん、さすがコンテスタントのニーズをわかってらっしゃる。

結果、この一番人気のピアノばかりがただひたすら弾かれ続ける日がほとんどとなりました。
ときおりのピアノチェンジ、カーテンコールの最中なのに大きなおじさんたちがワラワラとやってきて、ワイルドに音を鳴らしながら鍵盤をフキフキし、コンテスタントすれすれにゴゴゴーっとピアノを押してはけさせてゆく様子を何度か目にしましたね。
慣れていないせいなのか、それともそれでいいと思っているのか。

先日、スタインウェイの担当調律師さんに、この3台のピアノの特徴などお話を聞くことができましたので、近日ご紹介したいと思います。

クライバーン2次結果&今回のコンクールの特徴など

2日間で20人が演奏した2次予選が終あっという間に終わり、セミファイナリストが発表されました。

Kenneth Broberg, United States, 23
Han Chen, Taiwan, 25
Rachel Cheung, Hong Kong, 25
Yury Favorin, Russia, 30
Daniel Hsu, United States, 19
Dasol Kim, South Korea, 28
Honggi Kim, South Korea, 25
Leonardo Pierdomenico, Italy, 24
Yutong Sun, China, 21
Yekwon Sunwoo, South Korea, 28
Georgy Tchaidze, Russia, 29
Tony Yike Yang, Canada, 18

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セミファイナルでは、12人のコンテスタントが60分のリサイタルとモーツァルトの協奏曲を演奏。6月1日~5日までの5日間です。ここからがまたけっこうヘビー。
演奏日程はこちらで見られます。

ところで、ここで改めて、今回のクライバーンコンクールの特徴をおさらいしたいと思います。 まず、前回から大きく変わったことがいくつか。

・20人にしぼられた面々がリサイタルを演奏するクオーターファイナル(2次予選)が加わった。
・新作課題曲が2次ではなく1次で全員によって演奏されるようになった。
・協奏曲が、セミファイナルとファイナルでの演奏に分けられ、セミファイナルではモーツァルトのピアノ協奏曲が演奏される。それによって、室内楽はファイナルに移行。

…加えて、「審査員の顔ぶれが一新されている」のも特徴だと思います。

前回12人だった審査員は9人に。
審査委員長には、1973年からずっと審査員長をつとめてきた、指揮者で地元テキサス・クリスチャン大学の教授のJohn Giordano氏にかわり、デトロイト響の音楽監督、レナード・スラットキン氏が就任。本選の指揮者も自ら努めます。
審査員長が自ら指揮するというのは、けっこう珍しいのでは。

また、委嘱作品課題曲の作曲も手掛けたマルク=アンドレ・アムランさんも審査員として初参加。 日本からの審査員としては、児玉麻里さんが初めて参加しています。
書類&音源選考、各地でのスクリーニング・オーディション、そして本大会と、全ての審査員の顔ぶれが違うのも特徴だとのことです。

さて、セミファイナリストの顔ぶれ。
日本でおなじみの面々は、5月にはLFJで日本に来ていたばかりのユーリ・ファヴォリンさん、2015年浜松コンクール3位だったダニエル・シューさん、前々回仙台コンクール優勝のソヌ・イエゴンさん、そして2015年、16歳でショパンコンクール5位に入賞していたイーケ・トニー・ヤンさんあたりでしょうか。
(ソヌ・イエゴンさんのイメチェンぶりがすごいと思うのは私だけでしょうか。最初誰だかわかりませんでした…)
キム・ダソルさんやゲオルギ・チャイゼさんあたりは、コンクールでよく見かける面々かもしれません。

未だ審査員の趣味嗜好のようなものはわかりませんが、わりと、はっきりくっきり、わかりやすい演奏をする方々が残っている印象のような…。まあ、アメリカのコンクールだと思って見ているから、そう感じるだけかもしれませんが。

日本のみなさんの多くが注目していたであろう何人かはセミファイナルまで残らず、残念でした。

深見まどかさんは、アメリカにほとんど縁がない中ダメ元で受けたら出場できることになったのだとおっしゃっていましたが、1次予選、初日の2番目という状況で、繊細な表現で自分の音楽を届けようとしていました。地元の新聞「Star Telegram」の記者は翌日の記事で、この日の昼のセッションのお気に入りはマドカ・フカミだったと書いていましたよ。

アリョーシャ・ユリニッチさんも、私はこれまで彼のショパンの演奏しか聴いたことがなかったわけですが、他の作曲家では彼の自由な感性がより生きるという印象がありました。というより、ショパンコンクールならではの「ショパンらしさが求められる」という先入観で聴いていたときと状況が違うから、彼の表現するものをそのままに受け取ることができたのかも、と自分でも今気が付く。

1次予選の椅子の高さ調整の愛嬌のあるしぐさ、感情表現豊かな演奏で目立っていたマーティン・ジェームズ・バートレットさんは、実はすでに2018年3月、東京交響楽団との共演での来日が決まっているそうです!
プロコフィエフの3番のコンチェルトを弾くみたい。

ニコライ・ホジャイノフさんも、調子もよさそうで、耳をひきつける良い演奏をして聴衆を魅了していたので、あの演奏をしても今回の30人から次に通過できないのか…と驚きました。ちなみにこの後ホジャイノフさんは、2017年11月2日、オペラシティのアフタヌーンコンサートシリーズ (リサイタル&室内楽)、2018年1月15日サントリーホールでのワルシャワフィル公演ソリストとしての来日が決まっています。

ふと、前回の審査員だった野島稔さんがホロデンコについて、「ホロデンコは憎々しいほどにできあがっていた。人を手玉にとるようなところすら感じ、審査員もそこを少し感じていたと思う。あれだけ人にアピールするように弾くと、浮いてしまって嫌な感じを与えかねないんだけれど、やはり抜きんでていたから今回優勝した」と話していたことを思い出しました。
今回のケースは、その魅せ方知ってます的気配がうまいほうに転ばなかったということなのでしょうか。よくわかりませんが、コンクールというものはむずかしいですね。