クライバーンコンクール1次結果発表

4日間にわたる1次予選が終わり、結果が発表されました。
今回の審査員勢の好む傾向をつかむ最初の瞬間です。
通過者と2次予選の演奏順は以下のとおり。

◇Monday, May 29
10:00 a.m. Su Yeon Kim, South Korea, 23
10:50 a.m. Leonardo Pierdomenico, Italy, 24
11:55 a.m. Ilya Shmukler, Russia, 22
2:30 p.m. Dasol Kim, South Korea, 28
3:20 p.m. Tristan Teo, Canada, 20
4:25 p.m. Martin James Bartlett, United Kingdom, 20
5:15 p.m. Daniel Hsu, United States, 19
7:30 p.m. Yury Favorin, Russia, 30
8:20 p.m. Yutong Sun, China, 21
9:25 p.m. Luigi Carroccia, Italy, 25

◇Tuesday, May 30
10:00 a.m. Georgy Tchaidze, Russia, 29
10:50 a.m. Kenneth Broberg, United States, 23
11:55 a.m. Rachel Cheung, Hong Kong, 25
2:30 p.m. Sergey Belyavskiy, Russia, 23
3:20 p.m. Tony Yike Yang, Canada, 18
4:25 p.m. Yekwon Sunwoo, South Korea, 28
5:15 p.m. Han Chen, Taiwan, 25
7:30 p.m. Honggi Kim, South Korea, 25
8:20 p.m. Rachel Kudo, United States, 30
9:25 p.m. Alyosha Jurinic, Croatia, 28

結局、傾向のようなものはよくわかりませんでしたが、おもしろいピアニストがたくさん残っていると思います。
課題曲の設定からもわかるように、クライバーンコンクールは、すぐに第一線の演奏活動を行えるような成熟したピアニストを求めている傾向にありますが、今回はどうなのでしょう。審査委員長を務めるのが指揮者(レナード・スラットキンさん)というのも特殊で、審査員の顔ぶれもこれまでと少し違います。
これはきっと通るだろう!と思ったピアニストたちは、何人も通過している一方、何人かは通過していなくて、とても残念でありました。
結果的には、超絶技巧バリバリのピアニストから、わりとふわっとした演奏のピアニストまで、いろんな人が通過したという印象。コンクールというのはわかりません。

DSC_8929
恒例の、上方からの集合写真撮影に備える面々。なんかおもしろい写真)

2次予選では、20人のコンテスタントが10人ずつ2日間で一気に演奏してしまいます。一人45分、自由な演目によるリサイタルです。
間を空けずにすぐに始まってしまうので、まずは急ぎ、結果発表後の何人かのコンテスタントの様子を。

DSC_2039
イーケ・トニー・ヤンさん。
ステージ楽しんだ?と聞いたら、まあ…大丈夫…みたいなリアクションだったように感じたのは気のせいかな。確かにちょっと調子出ない感じだった印象。
ピアノのことをいろいろ言っていましたが…とりあえず結果に安心した様子でした。

DSC_2040
イリヤ・シュムクレルさん。
結果に安心したのかなかなかのハイテンションでありました。もう明日弾かなきゃいけないから準備しなくちゃと言っていました。
横にいたホストファミリーの女性に「浜松コンクール以来で久しぶりに会う」と我々が説明すると、アメリカの人っぽい、やはりなかなかのハイテンションで(偏見すみません)「ワーオ!それはすごいわね!世界はなんて狭いんでしょう!」と言われました。こういうのって世界は狭いっていうのか??

DSC_2042
アリョーシャ・ユリニッチさん。
ワルシャワ以来でお会いしましたが、やはりハイテンションで、とても嬉しそうな様子でした。
「1次から2次に行けるかが一番心配なところだけど、ここを越えられたから、あとのステージは楽しめると思う」と、相変わらず瞳を輝かせながら話していました。

マルク=アンドレ・アムランの委嘱作品&トークセッション

コンクール開始を翌日に控えた5月24日、審査員で、委嘱作品課題曲の作曲家、マルク=アンドレ・アムランさんによるトークセッションがありました。

ファイル 2017-05-25 11 16 40

前回のコンクールまで、新作委嘱作品は12人が演奏するセミファイナルの課題でしたが、今回からは予選で30人のコンテスタント全員が演奏することになります。

「作品によっては一度も演奏されることのないものもあるというのに、この曲は最低でも30回も演奏されて、しかもインターネット配信までされるのでうれしい。これまでの自分の作品の中で一番世の中への露出が多いものになるのではないか」とアムランさん。
今朝のStar Telegram誌によると、コンクールの審査員をほとんどやってこなかったアムランさんが、今回、この長期にわたる審査員業を引き受ける決め手となったのが、新作課題曲も書いてほしいと言われたから、だったとか。たくさん弾いてもらえるのって嬉しいんでしょうねぇ。
これまでこのコンクールの委嘱作品を手掛けた作曲家は、コープランドやバーバー、バーンスタインなど錚々たる顔ぶれ。そんな中、アメリカ人でない作曲家がこれを担当するのは初めてだそう(とはいえ、アムランさんはボストンに長く暮らしているみたいですが)。

作品のタイトルは「Toccata ”L’homme arme”」。
「L’homme arme」(武装した人)はフランス、ルネサンス期の世俗音楽で、この時代の作曲家たちがしばしばミサ曲の旋律に使用しました。アムランさんの作品は、古い時代の宗教的な要素を持ちながら、現代的な感性を融合させたもののようです。

この日のトークセッションは、委嘱作品について…とあったのでもう少しいろいろ作品についてお話しされるのかなと思いましたが、具体的な作品についての説明はそれほど多くなく(まあ、もう翌日からコンテスタントたちが演奏するところですからね…)、彼のこれまでのキャリアや音楽についての考えなどが主に語られました。

作曲家として、影響を受けている作曲家は?という質問には、
「自分が正しいと思うものを音にしているので、基本的には誰かの影響を受けているということはない。でも、”オリジナリティは、そのルーツを隠すための最大のもの”といった人がいたけれど、これは真実かも」
…なーんて答えていました。

その他印象に残ったお言葉としては…
「散歩をしていて素敵な風景を見てアイデアを得ることも、自分にとってはピアノに向かう練習や作曲の作業と変わりない」
「技術の練習は””セルフ・ティーチング”。テクニック的な練習で大切なのは、できないことは何なのか、自分を知るということ」

それから、
「作品の中にある芸術的な苦悩を知ることは、作品を知るうえでとても大切なこと」
という話には、なるほど、作曲家ならではの説得力のある言葉だなと思いました。

ある作品を演奏するのに、その作曲家の生涯を知ることは当然意味のあることだと思うけど、「この作品を書いたとき彼はフラれて落ち込んでいた」とか、「結婚したばかりで浮かれていた」とか、演奏のために具体的になぜ知っている必要があるのか?それじゃあ現代の作曲家の作品を弾く時も、そういうことを知っている必要があるのか?と、ふと思うこともあるわけですが。

作品に反映される芸術的な苦悩を知るため、と思えば、書いたときの心理状態や人生の歩みという情報は、特に異なる時代の人間の書いたものを理解するうえで、有用な手掛かりの一つだよね、と改めて思ったのでした。

自分の作品が何百年もあとに弾かれていると思う?と聞かれて、アムランさんは、思わないよ~とくに望んでもいないよ~!と言っていましたが、本心なのかな。どうなんでしょう。
ご本人の「生涯」が、後世の人に根掘り葉掘り研究されることになるかもしれないことは、どう感じているのでしょう…チャンスがあったら聞いてみたいと思います。

前にこの質問を池辺晋一郎さんにしたら、「絶対ヤメテほしい!!」とおっしゃっていましたが。

クライバーン取材のためテキサスにやってきた

テキサス、フォートワースにやってきました。
4年に1度行われる、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。
思えば2005年にコブリンが優勝した回から毎回何かしらの期間聴きに来ていて、取材をするのは今回が4回目になります。
毎回参加者のレベルが高い…というか、もう演奏活動してますよね?という顔ぶれが多く見られるのは、やはりこのコンクールに優勝・入賞すると、3年間のマネジメント契約により、当面アメリカでの活動が確実に増えるなど、普通のコンクールとは少し違った、わりと直接的な形でキャリアにプラスの影響があるからでしょう。
このコンクールに上位入賞したらその後はコンクールを受けない、という人がけっこう多いのはそのためでしょうね。

今年のコンテスタントの顔ぶれはこちらで見ることができます。

そして、1次予選の演奏順はこちら

初日(25日)の二人目には日本の深見まどかさんが登場。
2日目(26日)には、この前の浜松コンクール3位入賞のダニエル・シューさん、それから、同コンクールで1次を通過せず、自分や自分周辺の人々の間に密かに衝撃が走っていたフィリップ・ショイヒャーさんが。
3日目(27日)には、前回のショパンコンクールの際、手の故障で大変そうだったけど人気を集めていたルイジ・カローチャさん、そして日本ではすでにおなじみのニコライ・ホジャイノフさんが朝から続けて登場。
そして最終日(28日)は、前回のショパンコンクール5位だったイーケ・トニー・ヤンさん、いろいろなコンクールでおなじみのレイチェル奈帆美工藤さん、そして最後の奏者には、前回ショパンコンクールのファイナリストだったアリョーシャ・ユリニッチさんが登場します。

他にもちょっと名前を挙げきれないくらい、おなじみの顔ぶれがたくさん。それにもちろん、単に私にとって”おなじみ”でないだけでまだ見ぬ素敵なピアニストがたくさんいることでしょう。

日本とテキサスの時差はマイナス14時間。
朝のセッションなら日本時間深夜12時スタートですが、夕方セッションは午前4時半、夜セッションは午前9時半スタートと、平日はとくにライブ配信で聴くのがちょっと大変な時間帯でしょうか。
とはいえ、アーカイヴも順次公開されるはずですので(今回もオーケストラとの契約か何かの問題で、いずれかのコンチェルトはアーカイヴなしになるのかもしれませんが?)、素敵な演奏との出会いを楽しみにぜひチェックしてみてください。

ところで今回私はめずらしく、知り合いのジャーナリストの家の部屋を借りて、テキサスに滞在しています。このジャーナリストさんは、日本やインドにも長く駐在した経験がある人で、奥様はインドの人でした。
というわけで、この家には、ガネーシャのお面とかガンジーの置物とかインド映画のパネルとか、あちこちにインド的なものが飾ってあり、さらにはインド関係の本もずらーっと本棚に並んでいて、すごくわくわくします。

そしてこのジャーナリスト氏、そんなに日本語ができるわけではないんだけど、突然予想外のむずかしめの日本語を発する人なのですが(以前何かでも書きましたが、たとえば毎日15分歩いてホールに通っているといったら、「オー、”ヒザクリゲ” デスネ!」と言われた)、今回も、”八百長”とか”労働組合”とか、何とも言えない言葉をよく知ってるなぁと思いながら話を聞いています。

ただ、先日のマンチェスターでの自爆テロのニュースをみていて
「Suicideをなんていうっけ、ジサツ?」と聞かれたので、そうですよ、でも、とくにこういうテロのことを、”自爆テロ”というんだよと教えたら、「自分が70年代に日本の新聞社で仕事をしていたときにそのフレーズを使った覚えはないから、新しい言葉なのかな」といわれて、そうか…と思ってしまいました。この言葉が定着するようになってしまった時代が辛い。

というわけで、いよいよこちらの時間で明日の午後2:30から1次予選が開始。
ファイナルまで、こちらで見聞きしたいろいろなことをお伝えしたいと思います。

菊地裕介さんインタビュー(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)

兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト、
6月18日(日)に行われるVol.7『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演ピアニストのインタビュー、お二人目は菊地 裕介さんです。

菊地さんはすでに約5年前ベートーヴェンのソナタ全曲録音をリリースしています。
きっとベートーヴェンの作品への熱い思いを語ってくれるのだろうなと思ったら、
逆にどうやらベートーヴェンを弾くという行為があまりにも自然らしく、
私としてはいろいろ予想外なお答えがかえってきて興味深かったです。
もともとユニークな方だとは思っていましたが、やっぱりユニークだ…。

◇◇◇

◆菊地裕介さん
[演目]
創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 Op.34
《エロイカ変奏曲》 変ホ長調 Op.35

「人生のモットーは、“みんな違ってみんないい”」

─今回はベートーヴェンの作品から二つの「変奏曲」を演奏されます。作品の魅力についてお聞かせください。

「創作主題による6つの変奏曲」Op.34と、「自作主題による15の変奏曲とフーガ」Op.35、通称「エロイカ変奏曲」は兄弟のような作品で、その内容は対照的です。
Op.34 は、メロディアスで魅力的なテーマを持ち、調性を3度ずつ下げていく、とても野心的な作品。調性が変わっていくという意味で、ファンタジーに近いところがあります。フレンドリーなベートーヴェンの姿を感じます。
一方Op.35 のテーマは、最初に「プロメテウスの創造物」で使われたもので、その後、この変奏曲、そして最終的には交響曲第3番「エロイカ」で使用されました。3作品で使うようなものだけに、テーマの要素はミニマムです。主題と同じ調性で最後まで突き進んでいくという、ベートーヴェンの変奏曲らしい魅力にあふれています。

─どちらの作品のほうがお好きですか?

僕の人生のモットーは、“みんな違ってみんないい”。だから、どちらが好きだなどというのはありませんね! 世の中に残る作品には必ず何か魅力があるはずで、そんな作品を書いた作曲家たちには尊敬の念を抱いているので、僕自身は作品についてとやかく言える立場にない、作品の魅力が引き出せなければそれは奏者の責任だと思っているんです。

─二つの変奏曲はベートーヴェン中期の作品にあたりますが、この時期の作品の特徴はなんでしょうか。

ポジティブで明るく、変に力んだところもなく、人生において何かを一つ乗りきった感があります。これが晩年になると内向的になり、外に向かって何かを発するというより、自分の世界における反射のようになっていくのです。晩年の作品を弾く際には、自分と作品の枠の中で何度も反芻し、確かめる作業が必要となります。

─ベートーヴェンの魅力は、どのようなところに感じますか?

音楽の要素として、きれいなもの、衝突するようなものと、すべてが入っています。そして音楽におけるバランスやタイミングが絶妙です。

─絶妙なタイミングには、“想定通りほしいところにある”というものと、“予想外のところにある”というもの、両方があるように思いますが……たとえばモーツァルトとベートーヴェンの違いのような。

そうですね。モーツァルトの絶妙さは、それ以上自然なものはないというくらい、すべてが見事にはまっている。それに対してベートーヴェンの絶妙さには、近代に向かう自我の目覚めや、個人という概念がより出てきているところに違いがあると思います。

「むしろ息抜きになるような音楽」

─すでにベートーヴェンのピアノソナタ全曲や、「ディアベリ変奏曲」「エロイカ変奏曲」を録音されていますが、ベートーヴェンに集中して取り組むようになったきっかけは何でしょうか?

全ての作品が格好いいし、おもしろい。だから全部やってみたい、というごく自然な感覚で取り組みました。それによって生涯をたどり、スタイルの変遷を改めて感じられましたが、終えてみて何か新しい発見があったというよりは、やはりこういう人だったなと思ったというほうが感覚に近いです。
ソナタ全曲といっても、あくまで今あるとされているソナタを全部演奏したというだけで、作曲するとき以外のベートーヴェンの姿を新しく知ったわけではありませんから……。

─ソナタ全曲というと大プロジェクトのように感じますが、ごく自然な音楽の営みの中で実行されたのですね。

力んで臨んだという感覚はありません。僕にとってベートーヴェンの音楽はとても自然で、楽譜さえあれば弾ける、むしろ息抜きになるような音楽です。もちろん学生時代に勉強していた頃は大変な作品だと思っていましたが、今となっては最も力まずに演奏できます。それこそがベートーヴェンのすばらしさです。
誤解を恐れずに言えば、モーツァルトやハイドンも含め、古典派の音楽というのは、音楽がわかってさえいれば一番やさしいもの、自由に泳ぐことができるものだと僕は思うのです。機能和声があって、枠組みやフレージングも自然、拍子もきちっとしています。人間にアクセスしやすい形の音楽だと思います。右足をつくったら、左足もつける。そうして対応するものをつくっていけばいいというのが、古典派の音楽です。
だからこそ、今まで培った音楽をそのままサッと出すことができる。その意味では、何もない状態でいきなり弾こうとすると、無味乾燥な音楽になってしまうと思いますが。
それに対してバッハは考えて組み立てないといけないので、やはり難しい。近現代の作品も、かなり練習しないと弾くことはできません。

「その正直さゆえに誤解されやすい部分もあったはず」

─ベートーヴェンとの出会いの思い出はありますか?

子供の頃、父のレコード棚に交響曲全集があって、その背表紙に描かれた肖像画がこわかったという(笑)。
それから、僕はこれまで師事してきた先生がほとんど男性ばかりだったこともあってか、ベートーヴェンを先生と共有する中で、父親的な存在だと感じるようになっていきました。その潔さに、“父なる音楽”という印象を持つようになったのです。
ベートーヴェンの最も好きなところは、その正直さ。それゆえに誤解されやすい部分もあったと思います。それで、自分自身とパーソナリティに共通する部分が多いと感じるんですよね。僕自身は社会にもまれて、彼ほどのまっすぐさは失いつつありますが……。

─普通、人は物事にぶつかって丸くなっていくものでしょうが、ベートーヴェンはそのまま進んでいったということですよね。

そうして自分を貫いたのはすごいことですし、逆にそういう形でしか生きられなかったのだろうとも思います。それこそが、ずば抜けた音楽センスを育んだのでしょう。
変奏曲のすばらしさに表れるように、ベートーヴェンは作品を“こねくり回す”ことが好きな人でした。その結果としてすべてが絶妙なものになっている。彼にしかわからない最終調整が入ることで、全てがバタバタとドミノをかえすように変わり、曲の価値もあがるのです。これは天才的な感覚で、技術だけによるものではありません。

─兼松講堂ではこれまでにも何度か演奏されていると思いますが、印象はいかがですか?

良い意味で日本らしくない空間で、なつかしさを感じます。例えばフランスのサル・ガヴォーのような、音楽とともにある良い時代の雰囲気を残していますね。スクラップ&ビルドのほうが安上がりとされる今のご時世に、多くの方々の想いがあってこうして成り立っているのだろうと思います。大事にされていることが伝わってくる、印象深い場所です。

◇◇◇

浜野さんは、ベートーヴェンのまっすぐぶつかっていくところが自分とかけ離れていると話していましたが、驚くことに菊地さんもベートーヴェンのそんな性格について語って、こちらは「自分と似ている(でも今のオレはもうまっすぐを失いつつあるけど…)」と話していたという!
ベートーヴェンほどまっすぐだったら、生きにくくて大変ですよ菊地さん…。

pic_event31

第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7
『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男
ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授)

2017年6月18日(日) 14:00 開演 (開場 13:15)
会場:一橋大学兼松講堂(JR国立駅南口 徒歩7分)
前売券:S席 4,500円(指定)/A席3,500円(自由)/学生券 1,500円(自由)

浜野与志男さんインタビュー(兼松講堂ベートーヴェン生誕250年プロジェクト)

兼松講堂で2020年のベートーヴェン・イヤーを目指して行われている、
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト。
気が早く2012年からスタートしていましたが、
ようやく2020年がなんとなくそう遠くないものになってきました。

6月18日(日)に行われるVol.7の公演は、
『ピアニストたちのベートーヴェン』。
田部 京子さん、菊地 裕介さん、浜野与志男さんが登場し、
ソナタや変奏曲など2作品ずつ演奏するという、
よくよく見るとものすごく豪華な公演です。

実はこの公演に先立ち、このお三方にインタビューをしました。
年代がいい感じにバラバラで、演奏家として今いる場所もそれぞれ、
ベートーヴェンとの向き合いからもいろいろである3人のお話、
聞き比べてみると、三者三様の作曲家への感覚がそこにあって興味深いです。

如水コンサート企画のHPや当日のプログラムでショート版が掲載されますが、
興味深いお話がもったいないなと思いまして、
ピアノ好きのみなさんのために、このサイトでロング版を紹介することにしました。

一人のピアニストの中で変化してゆくベートーヴェンに対しての感情、
もともとの作曲家に対しての意識やスタンス、
きっとこの違いが当日の演奏にも現れるのだろうなと思います。楽しみだ…。

さて、そんなわけでお一人目にご紹介するのは、浜野与志男さん。
言葉を慎重に選びながら、率直に、
最近のベートーヴェンへの気持ちの変化を語ってくださいました。
日本に育ちながら、日本の先生だけでなくロシアのピアニストにも師事し、
お母さまの出身地であるロシアで毎夏を過ごしていた浜野さんは、若い頃、
「響きのつくりかたについてどうしてもロシア音楽的な要素が強くなり、
悪い言い方をすれば、なんでもロシア音楽的に弾くという側面もあった」
と振り返っていました。
それが、ある発見により、特にドイツ音楽への向き合いかたが変わったそう。

…ちなみに「若い頃」と書きましたが、
浜野さんは現在も20代後半ですから充分に若さあふれるピアニストなのでした。
その落ち着きっぷりに、すぐ忘れそうになります。

◇◇◇

◆浜野与志男さん
[演目]
ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 Op.22
ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 Op.57 《熱情》

「ドイツ人の音楽や生き方を間近で見て、確かに変化が」

─これまで、ベートーヴェンにはどのように向き合っていらしたのでしょうか?

これまで僕はドイツ音楽のレパートリーとして、まずシューマンに取り組み、その後、バッハとブラームスに向かう時期が続きました。それに比べるとベートーヴェンに積極的に取り組むようになってからは、そう長くありません。
とはいえベートーヴェンのソナタは、試験や入試などの機会のため、長らく勉強してきました。最初に“汗と涙を流した”ベートーヴェンのソナタは、東京芸術大学付属高校の入試の時に弾いたソナタ17番の「テンペスト」。ペダリングや弾き方について細かな指導を受ける中、なんて大変な曲なのだと思った記憶があります。
今は指の使い方やペダルの踏み方がわかるようになり、細かいところに神経を使うこともできるようになりました。
自主的に取り組んでいきたいという思いが強くなったのは、昨年くらいからです。ちょうど良いタイミングでこの企画にお誘いいただいて嬉しいです。

─それは良かったです! その変化には、きっかけとなる出来事があったのでしょうか。

東京芸大を出たあと、3年ロンドンに留学してロシア人のドミトリ・アレクセーエフ先生に師事し、その後1年ほどライプツィヒで生粋のドイツ人であるゲラルド・ファウト先生のもと学びました。
期間として長いものではありませんでしたが、この時にドイツ人の音楽や生き方を間近で見ることで、自分の中で確かに変化がありました。耳の使い方が変わり、細かいところまで神経が行き届くようになったという感じでしょうか。
ドイツに行くのもドイツ人の演奏を聴くのも、もちろん初めてではありませんでしたが、この滞在中は、ドイツの演奏家が一人でピアノを弾くときでも、アンサンブルのように複数の奏者が互いの音域を聴き、溶けあうことを目指すときのような耳の使い方をしていると感じたのです。これによって、ベートーヴェンはもちろん、バッハについても演奏する上での意識が変わりました。
実は今回一緒に出演する菊地先生が以前、「交響的なピアノ奏法」ということをおっしゃっていたのがずっと印象に残っていたのですが、それはこういうことなのだろうと、見えた気がしました。

「僕はよく頑固だと言われるのですが……」

─今回演奏されるピアノソナタ11番と23番「熱情」について、作品のどのようなところに魅力を感じますか?

ハーモニーの動きに実験的なものが垣間見られるところが魅力だと思います。そういったベートーヴェンの挑戦する姿勢が伝わるような演奏がしたいです。
あと、僕はとくにピアノ協奏曲などで2楽章が一番好きだと感じることが多いのですが、「熱情」についてもそうなのです。
よくロシア人のピアニストで、“アンチ・クライマックス”、つまり逆説的なクライマックスという言葉を使う人がいるのですが、この楽章はまさにそのような感じ。音量的にも盛り上がりの面でも底辺にあるにもかかわらず、とても大きな意味があると思います。内容の濃い1楽章、盛り上がって疾風のように過ぎる3楽章の間にはさまれた2楽章の美しさに耳をかたむけていただきたいです。

─ベートーヴェンという作曲家に対しては、どのような想いがありますか?

僕は小さい頃から、好きな作曲家を聞かれると、誰かを挙げると他がかわいそうだから選べないと答えるようにしていたので、今もベートーヴェンだけが偉大だという言い方は避けたいのですが、それでもやはり、ベートーヴェンのピアノ作品は、ピアノ音楽というものにおける一つの頂点を築いたものだと思います。
演奏テクニックを生かした最高の作品という意味ではリストも挙げられますが、ベートーヴェンは、ピアノによる音楽表現という意味で最高峰の作曲家だと言えると思います。

─浜野さんにとってベートーヴェンという人はどんな存在なのでしょうか?

それは、とても遠い存在です。というのも、僕は親しい人からよく頑固だと言われるのですが、でもどちらかというと、その場では身をひいたり妥協したりして、結果的に意図したものを実現しようとするタイプなんです。なので、ガツンとまっすぐぶつかっていくパワーを秘めたベートーヴェンの音楽は、決して自分に近いものではありません。でもだからこそ、自分にないものへの憧れを感じているのかもしれません。

─方法が違うだけで、結果的に行きつくところは同じような気はしますけれどね……。それでは、ベートーヴェンの作品を練り上げていくにあたって、一番大切にしていることはなんでしょうか?

ベートーヴェンの作品を弾いていると、音の響きや音色、ハーモニーに注意がいってしまって、ここもあそこも聴かせたいという欲求がつい強く出てしまいます。ですが同時に、全体の大きな絵、完璧な構造美がそこにあることを見失ってはいけないので、その両方を考えながら修正していく作業を繰り返していきます。
“神は細部に宿る”とはいいますが、やはりベートーヴェンの作品の構造美は、人が簡単に思い描けるものからかけ離れた、とても大きなものだと思います。

─ところで、国立や兼松講堂に想い出はありますか?

兼松講堂で演奏するのは今回が初めてですが、以前聴きに行ったことはあります。そして国立は、桐朋中学校に通っていたので親しみのある町です。朝、遅刻しそうになりながらあの並木道を急いだ思い出が大きいですね。

─それでは最後に、このベートーヴェンシリーズに登場されるうえでの意気込みをお聞かせください!

二人の大先輩と同じ舞台に立つことができて光栄です。そこで“年齢相応”の浅い演奏をしてしまうことがないよう、妥協のない音楽づくりを目指し、しっかりと自信の持てる演奏で臨みたいと思います。

◇◇◇

じわじわ策をめぐらせて頑固を通す自分にとって、まっすぐぶつかって頑固を通すベートーヴェンは遠い存在という分析が、なんだかおもしろかったです。
(行きつくところは同じなんだから、どっちかというと同類なんじゃないの!?と思ってしまいましたけど、同じようで違うのか)

pic_event31

第31回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.7
『ピアニストたちのベートーヴェン』
出演:田部 京子、菊地 裕介、浜野 与志男
ナビゲーター:西原 稔(桐朋学園大学音楽学部教授)

2017年6月18日(日) 14:00 開演 (開場 13:15)
会場:一橋大学兼松講堂(JR国立駅南口 徒歩7分)
前売券:S席 4,500円(指定)/A席3,500円(自由)/学生券 1,500円(自由)

スタインウェイ&サンズ東京がオープンした話

スタインウェイ・ジャパン設立20周年を機に、
東京ショールームがオープンしたそうです。

これまでスタインウェイ・ジャパンでは直接の小売販売を行っていませんでしたが、
一般的な黒いグランドピアノ以外のモデルへの需要が増えたことに対応するため、
特別なモデルもいろいろと一度に見て試弾することができる場所として、
スタインウェイ・ジャパン直営の販売スペースをオープンすることになったそう。
(特殊モデルは台数が限られているため、
全国各地のディーラーさんのお店それぞれに配置することはできないから、ということらしい)

これまでは、各地のディーラーさんとともにやってきたお客さんたちのための
試弾スペースだった天王洲駅徒歩5分のサロンが、販売店も兼ねることになるということ。

DSC_1990
(記者発表会にて、スタインウェイ・ジャパン20周年記念モデルのピアノと、
スタインウェイ・ジャパン社長後藤一宏さん、スタインウェイ&サンズCFOスタイナーさん、東京ショールーム支配人の佐藤立樹さん)

1F エントランス-a リサイズ
寺田倉庫本社ビル内のサロンは、入口からとても素敵な雰囲気
(オープニング時に提供いただいた写真)

DSC_1993
これからは個人のお客さんの来訪が増えるということで、
入口には新しくインターホンが設置されたそうです。
そういわれてみれば、あとから連れてこられた感があってかわいらしい佇まい。
しかしただのインターホンなのにスタインウェイロゴ入りだと
なんとなくおしゃれであります。いい音しそうです。

この記者発表会では、今回の直営店のオープンは、
各地の特約店と競合するためではなく、あくまで多様なニーズに応え、
全体の底上げをすることが目的だという話題が何度か出ました。
競合しない理由として、近年スタインウェイのピアノの需要が、
ホールや音大、ピアニストを目指す学生だけでなく、
個人的な趣味のためというものが増えてきているということ、
(会見での話によれば、個人のお客が7、8割にのぼるようになったそうです)
とくに富裕層の方々がサロン的な場所に置こうという場合は、
木目調や特殊モデルのピアノを好むことが多いというお話もありました。
日本のピアノ需要のあり方がまた新しいシーンに入ってきたということなのでしょうかね。

一般の方向けに東京ショールームツアーというのが下記の日程で行われるそうです。
要予約、各日先着8名のようです。詳しくはサイトをご覧くださいませ!
開催日程:5月25日(木)、6月1日(木)、8日(木)、22日(木)、29日(木)