インド人チェリストが祖国に作った素敵な学校に行ってきた

ここまでのインドのいろいろを、少しずつ紹介したいと思います。

到着した日に向かったのはタージマハルホテル。チャローインディアというインド料理探訪プロジェクトのため来印中の東京スパイス番長のみなさんがお食事中ということで、水野さんを訪ねて合流です。
今年のテーマはアチャール(インドのお漬物的なもの)らしいので、成果を見るのが楽しみ。アチャールって本当においしいですよね。梅干し好きの私としては、インド料理においてなくてはならぬ付け合わせ。

タージマハルホテルといえば、11年前に大規模なテロがあった場所です。あれ以来、セキュリティチェックがとても厳しい。
そしてロビーには、1852年から1872年の間に作られたというスタインウェイのピアノがあって、インド人ピアニストのおじさんがポロポロ弾いてました。植民地時代の置き土産的な存在。
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インドではたまにこういうアンティークのピアノに出会います。去年もコルカタでシタール奏者のインドの方のお宅にお邪魔したら、家にベーゼンドルファーのグランドピアノがあると言われてびっくりしました。(しかも、その方自身は弾けないらしい)

翌日は早速コルカタに移動。

浜松コンクールでお世話になった、ピアニストの小川典子さんにご紹介いただいた、ロンドン在住インド人チェリストのアヌープ・クマール・ビスワス氏が、故郷のコルカタに作ったMatheison schoolを見学してきました。

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犬が寝てますし、牛もいます。

牛は飼ってるのかと思ったら、学校のまわりに柵がないからどっかの家からいつも入ってくるらしい。

そもそもどうしてこの学校に行くことになったのかというと。
ある日小川さんがツイッターで突然(?)、「友人のチェリストのパーティの様子」といって写真を送ってきてくれまして。
見たら、どう考えてもインドのパンジャービーダンスの様子なんですよ。
お友達は、インド人ってことですか?と尋ねたところ、そうであると。
(最初は、インドにどハマりしているイギリス人のパーティなのかと思って、小川さんには変わったお友達がいるもんだなと思ってしまいました、すみません)

さて、こちらのインド人チェリスト、ビスワスさんは、コルカタの貧しい家に生まれました。しかしその瞳の輝きに何かを感じたイギリス人の神父さんが、教会の学校で彼にチェロを教え、ロンドンに留学させたのだそう。

さて、学校について。

学校には、そのイギリス人神父さんの名前が付けられています。全てが無料の全寮制、貧困層の中でも特別に貧しい家庭の子供のみ入学可能。教会を通じて入学の希望者がいると聞くと、家庭に面談にいって、本当に貧しいのかを確認するんだって。

草原の中にポツンと小さな建物があるところからスタートして25年。基本的にビスワスさんが私財をつぎ込んで作ったもので、多くの困難を乗り越えてここまでになった努力の結晶だそうです。
今は50人ほどが勉強しています。現在校舎を増設中で、もっと多くの子供を受け入れられるようにしていくつもりとのこと。すごいぞビスワスさん!

学校の生徒たちはみんな弦楽器を習っています。

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訪ねた日、スクールコンサートを開いて、子供たちのオーケストラの演奏を聴かせてくれました。全員音を真剣に鳴らしている感じが伝わってくる、良いオーケストラ。インドのコルカタにこういう子供たちが育っていたとはとびっくりしました。

ビスワスさんは、神父さんから受け取ったものを今度は自分が次の世代に与えていく番だと、活動を続けているようです。

これまで私もいろいろなプロジェクトのことでインドのお金持ちさんに接してきましたが、あまり私財を投じてこういう活動をしようという人はいないんですよね…国民性なのか、宗教上の感覚なのか。ビスワスさんは、お電話で話した明るくグイグイ来る感じこそさすがベンガル人の人だなーと思いましたが、活動を知るほど、なんてすばらしい方なのだ!と思ってしまいました。

生徒たちはナチュラルに礼儀正しく、明るくどこか控えめで、すごくいい。

子供達の集合写真を撮ろうとしていたたら、犬がグイグイ来ました。
このあと彼は、しっかり集合写真に一緒におさまっていました。

ちなみにこの日ビスワスさんはもうロンドンに帰っていてご不在。後日詳しくご本人にお話を聞くことになっています。楽しみだ。

「kotoba」秋号、メータと日本の楽器メーカーの奮闘のお話

先日発売された、集英社インターナショナル「kotoba」秋号。
インド社会の現状を西洋クラシックの受容の観点から読み解くという連載、第3回の記事が掲載されています。

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(表紙は、湿板写真で撮影されたビートたけしさん)

今回は、前半で、ズービン・メータの生い立ちと、彼が育ったムンバイの音楽事情について、後半では、キーボード流行の立役者、カシオの奮闘、
そしてヤマハの、インド人オレ流調律師との戦いなどについて紹介しています。

「インドはオペラを歌う」西洋クラシック音楽で大国を読む
第3回 インド市場、チャンスと困難が交錯する場所
・ズービン・メータと、父メーリ・メータ
・ムンバイにある、インド唯一のプロオーケストラ
・インド人の好みはインド人に聞け…カシオの戦略
・ヤマハの奮闘と、アコースティックピアノ市場
・インドの調律師問題

ムンバイでコンサートビジネスを行うことの難しさについて、メータ財団のマダムに語っていただいたり、インド唯一のプロオーケストラ(SOI)を指揮した感想について、ワルシャワ・フィル音楽監督のヤツェク・カスプシックさんに伺ったりしています。
あとは、一時期、インドに毎冬通って、インドのピアノ学習者や先生方のためにピアノのワークショップを行っていた、ピアニストの青柳晋さんにも、現地で教えて感じたことについて伺っています。

ピアノ好きの皆さんに特に注目していただきたいのは、インド人調律師を育成しようとするヤマハさんの奮闘っぷりです。取材中、グチが出るわ出るわ(あ、そんなことバラしちゃまずいのかな)、とにかく大変そうでした。
でも、こうして根気強く続けて行くことで、何か新しい文化の融合が生まれたり、才能の発掘があったりするんでしょうね。
いずれにしても、総じてインド駐在を長くしている日本の人たちは、だんだんちょっとしたダメージ(側から見るとわりと大きめ)に対して鈍感になっていくんだなと思いました(褒めてます)。

そして「kotoba」秋号の巻頭特集は、「危ない写真」。これがすごくおもしろいです。
藤原新也さんが、人間中心主義や撮りたいものへの目線の置き方について話すインタビュー、ロバート・ケネディの棺を乗せた葬送列車からの風景写真や、ピーター・バラカンさんが読み解く、奴隷労働者の写真など。
報道写真の真実と虚構とか、プライベート写真の凶器化についての、写真評論家、島原学さんの文章も、興味深かった。

マルク=アンドレ・アムランさんのお話

先日のピリスさんに続き、考えさせられたインタビュー。
ヤマハ ピアニストラウンジ、マルク=アンドレ・アムランさんの記事がアップされました。

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ピリスさんとアムランさん、二人に共通しているのは、いかに生きるか、ということにまつわる質問になってくると、じーっと言葉を選んで、丁寧に答えてくれること。インタビュー時間30分しかないっていうのに、無言でじぃっと向き合う時間が流れることもしばしば。

たまたま見かけた海外のサイトのインタビューで、アムランさんが、知られざる作品と超絶技巧作品の演奏で鳴らしていた若き日、
「ハロルド・ショーンバーグにスーパー・ヴィルトゥオーゾと評価され、最初はそれをみてすごく興奮し、自分のプロフィールに引用したこともあった。でも今や疫病のようにこの言葉を避けている」
…と話しているのを見まして。

そんな時代を経ての、今回のお話。
アムランさんは時間をかけて、「アーティストとしての自分の文化的な責任の認識」を確かにしていったんでしょうね。最終目的は、世界をより良いものにするということ。そのために自分に何ができるか。自分は何のために生かされているのか。
その答えはきっとこの後も変わっていくのかもしれない。ああ!

ところで、作曲家として、「将来自分の作品を弾く人が私生活を研究するかもしれないことについてどう思うか?」という質問への回答は、予想どおりでおもしろかったです。だいたいみんな、いやだっていう。

それにしてもこのところは、アムランっていうと、若アムランくんのほう(2015年ショパンコンクール2位のシャルル=リシャールくんのほう)を思い浮かべる人が多いみたいですね。

おじさんのアムランさんのほうは、今回が12年ぶりの来日でしたし、時代の流れでしょうかね。インタビューをしたのは、東響とのブラームスの協奏曲のリハーサルの日だったのですが、事務局の方が「オーケストラの若い団員はアムランさんのことをあまり知らなかったみたいですが、リハーサルをやって、こんなすごいピアニストが!!ってびっくりしてましたよー」とのこと。
そうでしょう、そうでしょう。

あと去年ヴァン・クライバーンコンクール中にはじめてお話ししたときに思ったんですけど、アムランさん、いい声なんですよね。見た目のイメージに似合った、あったかいお声の持ち主なのでした。

「kotoba」夏号、インドの音楽学校事情

集英社「kotoba」での、インド社会の現状を西洋クラシックの受容の観点から読み解くという連載。第2回の記事が、先日発売された夏号に掲載されています。

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今回からはいよいよ、今年2月のインド現地取材でリサーチしてきた話題です。

内容はこんな感じ。

「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~
第2回 西洋クラシック楽器を習う心理の裏側
・楽器の名前も知らずに習いにくる ~コルカタ、デリーの音楽学校の場合
・インドの楽器講師のレベルは?
・もはや趣味ですらない… 受験戦争対策としての楽器習得
・チェンナイ、衝撃の「ロシアン・ピアノ・スタジオ」

ここ5年~10年ほどで急激に西洋楽器を習いたがる人が増えている、その理由はなんなのか。
ボリウッド映画やYoutubeの影響かと思いきや、実は、受験戦争を勝ち抜くための方法として西洋楽器が流行しているということもわかりました。
それにかける親の情熱には、インドの家族をめぐる社会システムも大きく影響しているという証言もあり、なるほど…と納得(詳しくは記事参照)。
日本だって受験戦争は熾烈ですが、インドの競争はそれはすごい。数年前、親たちがわらわらと校舎の壁をよじ登ってカンニングペーパーを渡す集団カンニング事件がニュースになりましたよねー。

そんななか、受験戦争などの世界からは隔絶された、ある意味超ピュアなピアノ教育をしていたのが、チェンナイの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」です。
ボリウッド映画音楽の大人気作曲家、ARラフマーン(ムトゥ・踊るマハラジャとか、スラムドッグ$ミリオネアの音楽を担当した人)が創設した、KM音楽院の中に創設されているコースで、先生は生粋のインド人、チャタルジー先生。モスクワ音楽院を卒業した初のインド人だそうです。
「私が開発したメソッドで勉強すれば、1、2年で誰でもヴィルトォーゾになれる」というのがウリ。
ネットでこのクラスの存在を発見し、猛烈な勢いで弾きまくる生徒たちの動画を見て、なんとしてもこの先生に会って話を聞かなくてはと思ったわけです。

実際にお会いして見聞きしたこと、完全インド化された独自メソッドについて先生が語ったことについて、記事の中で紹介しています。ちなみに、記事と連動して、クラスで撮影した動画が公開されています。
習って1年半〜5年の生徒たちです。

どうですかみなさん。
この演奏を披露されて、生徒の父兄まで集まっている教室で、チャタルジー先生から「さあどうだね? 彼らがショパンコンクールに出たらどうなるとあなたなら思う?」ってドヤ顔で聞かれる私の気持ち、わかりますか…。

ただ機械的に弾くというのではなく、音楽性やメンタルの指導もすごくしてるんです。ただそれが超インド流なので、最終的に音楽表現が(一般的な西洋クラシックの感覚からすると)とんでもないところに着地しているわけです。
その弾き方はめちゃくちゃだと批判することは簡単だけど、初心者から一音入魂で弾かせる濃すぎるアプローチ、インド流を自認するメソッドへのみなぎる自信には、見るべきところがあると思いましたよ私は…。
その辺りについての詳しい考察は、記事を読んでいただくとして。
ちなみにこのクラスの生徒たちにとってのヒーローは、ラン・ランだそうです。

その後チャタルジー先生とメールでやりとりをしていたら、「そういえば日本人にも、私のメソッドを彷彿とさせるような、すばらしいボディランゲージと表現力を持つ若いピアニストがいますよね。私も生徒たちもみんな、彼女の音楽に魅了されています」と。
そのメールの最後に貼られていたのが、小林愛実ちゃんが9歳のときのモーツァルトのコンチェルトの動画でした…。なんかいろんな意味で衝撃でした。愛実ちゃん、まさか遠いインドの国にファン集団が存在しているとは、知らないだろうな…。

kotobaは一般誌ですから、ピアノファンや学習者なら食いついてくれるであろう詳しいお話について全て書ききることはできませんでしたので、いつかどこかで発表できたらいいなと思っています。

ちなみにこの号の巻頭は、日記特集。すごく読み応えがあります!
井上靖さんや、湯川秀樹さん、加古里子さんの戦中の日記などとても興味深い。ベートーヴェンの日記についての平野昭さんの文章ものっていました。

ピリスさんにインタビューをして思ったこと

ヤマハPianist Loungeで、マリア・ジョアン・ピリスさんのインタビューを書きました。
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今シーズンで演奏活動から引退すると発表した彼女が、最後の日本ツアーを行っていた終盤で、30分だけ時間をいただけるということで行われたインタビューです。
引退を決めることになった背景にある想いについてもお聞きしています。

詳細はインタビュー記事をご覧いただきたいと思いますが、ピリスさんとお話をさせていただいて感じたことを、今日はちょっと書いてみたいと思います(長いです)。

ピリスさんがコンサートピアニストとしての活動からの引退を決めたその主な理由は、74歳という年齢を迎える今、常にストレスに押しつぶされかけながら生きなくてはならないコンサートピアニストとしての生活から離れたいからということ、そしてその時間を、社会や人のためになるクリエイティブな活動のために使いたいから、ということのようです。
根本にあるのは、記事のタイトルにもしましたが、「手に入れた何かを自分だけのものにとどめておけば、それはすぐ役に立たないものになってしまう」という考えでしょう。それは経験なのかもしれないし、持って生まれた才能のことかもしれない。もちろん生き方や価値観は人それぞれですが、自分はなんで生きてるのかなーと思った時の一つの答えはここにあるかもしれないですね。

そんなピリスさんが真剣な表情で語っていたことのひとつは、やはり今の音楽業界についての懸念でした。音楽やピアノを通して自分は世界を知った、それだけが音楽をする目的だというピリスさんにとっては、戦後、芸術と商業主義が結びついて勢いを増していったアーティストを取り巻く環境が、どうにも居心地が悪かったということのようです。(資本主義社会では、もうだいぶ大昔からそうだったのではないかという気もしますけど、度合いが増しているのは確かかもしれません)

ピリスさんの話には、突っ込んでいけばある意味矛盾していることもあるんだけど、こちらが問いかけることに返してくれる言葉は、自分の胸にあるそのままといった感じで、それぞれの言葉にはハッとさせられるものがありました。
「自分が変わるということを許すことは、失敗を許すということ」とか、けっこう印象深かったなー。

で、そんな中でちょっと「絶望的な発言だなー」と思ったことがあります。
(ピリスさんも、こんなこと言って悪いけど、とインタビューの中でいっていますが)

常日頃、とりあえずチャンスを掴むまでの辛抱だと、ストレスを抱えながらコンクールに挑戦したり、意にそぐわない形でメディアに出たりしている若いアーティストの姿を見ることもありますから、聞いてみたんです、「辛抱して一度有名になれば、芸術家としてやりたいことができるようになるんではないですか」、と。

そうしたら、
「そんなことはありません、私が断言します」っておっしゃるんですよ。
(詳しくは記事参照)

このご発言に関しては、ちょっと、むむ、と思う方もいるかもしれません。実は、ピリスさんがこういう風に話していたんですよねと雑談で何人かのピアニストに投げかけたところ、みんなそれぞれに納得いかないというリアクションでした。
すでに有名なある方の場合は「自分は好きなことやらせてもらってる。自由なフリなんてしてない」と。
これからという若い人の場合は「そんなこといったって、じゃあどうしたらいいんだ、ピリスさんは実際有名になったから、生活もできるんだし、斬新なプロジェクトでも支えてくれる人がいるんじゃないか」という。
いや、私もそう思いましたけど、さすがに時間の都合もあってこの話題だけ深掘りするわけにもいかず。しかし本当にピリスさんは”売れた”ところで自由はないと感じているんでしょう。「私はずっと戦ってきた」と言っていました。

あとはピアノや音楽の話題に加えて、やっぱり人生についての質問をしたくなってしまって。文字数の都合で記事に入れられなかったくだりの一つをご紹介したいと思います。
人間とは欲深い生き物で、安定や成功を手に入れることに気をとられていると、いざそれを手に入れても、結局もっともっとと次の何かを求めることになってしまう。永遠に満足しないことは、向上心があるということでもあるけど、あんまり幸せじゃないことのような気もするんですが。
そんなことを言ったら、ピリスさんはこう言いました。

「いつも何かを欲しがっているということは、あなたを不幸にすると思います。いつも何かに落胆するし、もっと欲しいと思い続けているうちに他人と協力し合わなくなる。そのままの人生を受け入れるという心構えさえ自分の中に持つことができれば、一定の幸せというものの存在を感じて生きることができると思います」

ピリスさんはきっと、権力欲のようなものがないのに、才能ゆえに注目が集まって、そのはざまで悩み続けた人なのでしょうね。
でも、それにまつわる問いを尋ねると、少し困った顔をしながら今の正直な気持ちを話してくれるわけで、本当に純粋な(そしてちょっと難しい)方なんだと思います。

そこで思い浮かんだのは、中村紘子さんのことですよ。

なにせ評伝を書いたばかりですから、その両極端な生き方についてまたいろいろ考えるわけです。紘子さんの場合は、業界を飼いならし、権力を手中に収めるという方法で(もちろんその背後に相当な努力や辛い思いがあったわけですが)、業界のために、自分のためにやりたいことをやっていった人でした。

評伝の中でも、紘子さんが20歳のときに社交の女王になろうと決意したと思われる瞬間のエピソードはじめ、「初対面の人には最初にガツンとやる人だと思う」という某関係者の証言も紹介しています。
「自分の持てるものを社会に還元したい」「若い人を育てたい」という同じ目的があっても、こんなにもやり方が違うんだと改めて思いますね。それも、この二人は、どちらもブレることなく、一生通してそのやり方を貫いていった女性たちなわけで。

それで、ふと気づいたら、二人は同年生まれ、誕生日2日違いでした。
第二次世界大戦終結前年、遠く離れた二つの国に生まれて、同じ人気者のピアニストとして活躍しながら、全く異なる生き方をした二人。それは、かつて世界各地に植民地を持ち、戦後のナショナリズムの動きの中でそれらを手放していったポルトガルと、アメリカの占領下でどんどん価値観を変化させられていった日本という、育った環境の違いなのか。いや、多分関係ないと思いますけど。個人差ですよねきっと。

というわけで話はそれましたが、今回はピリスさんとお話をさせていただいたことで、自分だけが良ければいいという考えはダサいなーというあくまで個人的な価値観を強くし、社会や世界の中の一人として生きるということへの考えを新たにしたのでした。
あれこれこみ入った質問をしてしまったんだけど、ピリスさんはキランキランの瞳で、ひとつひとつに丁寧に答えてくれて、最後はとても優しく握手をしてくださいました。

クライバーンコンクール入賞者たちが日本に来ます

2017年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。
まだ開催から1年経っていないんですね。
個人的には、昨年後半から今年の前半にかけていろいろなことがありすぎたせいか、
もはや遠い昔の出来事のように感じます…。時が経つのが遅い。

このときの入賞者3名が、今年から来年にかけて続々と来日するそうです!

まず、6月に来日したあと再び10月にやってくるのが、
浜コン入賞でもおなじみ、クライバーンでは第3位だったダニエル・シュー君。

2018年6月15日 東京/浜離宮朝日ホール
2018年6月17日 愛知/宗次ホール
2018年10月23日 大阪/茨木市総合クリエイトセンター
2018年10月27日 岐阜/バロー文化ホール
2018年10月28日 埼玉/さいたま彩の国芸術劇場

以前にも何度かこのサイトでコメントをご紹介していますが、
6月のリサイタルについては、「ぶらあぼ」に最近行ったメールインタビューも掲載されています。
明るい元気溌剌ボーイと見せかけて、突如、人の深層心理にまつわる考えを語りだす…
そういえば演奏もちょっとそんな感じです。音は明るいのに、なにかを抱えている感じがする。

そして、第2位のケネス・ブロバーグさん。
私にとっては、あの独特の硬質な音の印象がものすごい。
審査員の児玉麻里さんがとても高く評価されていました(インタビューはこちら)。
ブロバーグさんは、横浜招待に出演し、名古屋の宗次ホールでもリサイタルをするみたい。

2018年11月17日 横浜/みなとみらいホール(横浜市招待国際ピアノ演奏会)
2018年11月19日 愛知/宗次ホール

ちなみに、去年ダニエル君がSNSにアップしていた写真のブロバーグさんは、
ヒゲ&前髪ロングでなんだかイケてる雰囲気だなと思いました。
(彼、短髪だと金融系のビジネスマンみたいな感じしませんか、完全にイメージですけど)
撮影は、自撮りの腕を上げたソヌさん。

そして、優勝者のソヌ・イエゴンさんは、来年の1月に来日するみたいです。
これまでにも仙台コンクールの優勝者として何度か来日していますが、
クライバーンコンクール優勝後は初めてとなる日本ツアー!
完成度の高い堂々とした演奏が光るソヌさんですが、
アメリカ各地での華やかなコンサート活動を経てどんなふうに変化しているのか楽しみです。
若い方の演奏って、短期間でものすごく変わることがありますからねぇ。
仙台コン優勝時からの見た目的なイメチェンっぷりもすごかったですが。

2019年1月19日 静岡/静岡音楽館AOI
2019年1月20日 愛知/宗次ホール
2019年1月22日 東京/武蔵野市民文化会館
2019年1月24日 三重/三重県文化会館
2019年1月25日 東京/銀座ヤマハホール
2019年1月27日 宮城/宮城野区文化センター パトナシアター

ところで、なつかしい2017年のクライバーンコンクールの現地レポートは
こちらにまとめてあります。
コンクール事務局長ジャックさんのお話など、自分でも読み返して、コンクールの在り方について改めてうーむと考えてしまいました。
予算内でただ開催すればいいというのではない、高みを目指してコンクール自体が進歩しようとしている、そんな感じ。
日本の国際コンクールにも、見習うべきアイデアは多いのでは。

「kotoba」春号でインドの連載がスタート

中村紘子さんの本が発売されて、
本当ならいろいろ内容の紹介などしたほうがよいところ、
すぽんと1ヵ月近くもインドに行ってしまって、戻ってきました。

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(大都会ムンバイの街並み)

とはいえ、今回のインド行きは、単にカレーを食べまくったり遊んだりしに行っていたわけではなく(実際、カレーは食べまくっていましたが…)、
れっきとした理由というか、成し遂げるべきミッションがありました。

そのうちの一つが、
今年1年間、集英社の言論誌「kotoba」で書くことになった連載のためのリサーチ。
一部の人々の間で注目を集めているインド社会の現状を、
西洋クラシックの受容の様子から読み解いてみましょうという、
良く通ったな〜という企画です(ありがたや)。
実はもうこの第1回はすでに、先日発売の春号に掲載されています。

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初回は導入ということで、こんな内容を取り上げました。

「インドはオペラを歌う」~西洋クラシック音楽で大国を読む~
第1回 巨象インドの音楽事情
・西洋クラシックがインドでほとんど受け入れられてこなかったわけ
(旋律のインド、和音の西洋/植民地支配時代のインド・ルネサンス)
・ベートーヴェンやワーグナーがインドから受けた影響
・舘野泉さんが1980年ごろインドでコンサートをした時の話
・1960年のN響世界ツアーがデリーからスタートした話
・最近のインドでの西洋クラシック人気の様子

連載は、このあと3回続きます。
今後話題は、インドの音楽学校事情、現地でのヤマハさんのがんばりっぷり、
ロシアン・ピアノ・スタジオ(byインド人先生)の驚きの現状、
メータさんの話など、どんどんディープになってゆく予定…どうぞお楽しみに。

ちなみにこの号の巻頭特集はブレードランナーということで、
熱狂的ファンの間で話題らしく、売り切れ続出みたいです。
ブレードランナーファンに、
果たしてインドのクラシック音楽事情というダサめのトピックスはささるのか…。

あと、井出明氏の新連載、「ダークツーリズムと世界遺産」もおもしろかった。
ポーランドのオフィエンチム(アウシュヴィッツ)の話などが載ってます。
私も、以前この場所を訪ねたときのことを旧ブログにアップしていますが、
現地に行っていろいろ考えたことを思い出しました。良い雑誌。

「kotoba」、普通の本屋さんで見かけることは少ないですが、
蔦屋書店的なお洒落本屋さんにいくと、よく置いてありますよ。
見かけたら、ぜひお手に取ってご覧くださいませ!

ファツィオリ創業者パオロさんのお話&ファツィオリジャパン10周年

ファツィオリジャパンの創設10周年を記念して、ファツィオリのある表参道のレストラン、リヴァ・デリ・エトゥルスキでレセプションが行われました。世界に一台の縞黒檀のモデルで、佐藤彦大さんが演奏。こちらのピアノ、久しぶりに聴きましたが、さすが音も馴染んできて良い感じです。
10周年を記念して行う、一般の聴衆が審査に参加できる、インターネットコンクールについても発表されました。

ファツィオリ創業者のパオロ・ファツィオリさんも来日中ということで、お話を伺いました。パオロさんにお話を聞くのは、7年ほどまえに、取材でサチーレの工房を訪ねたとき以来だったと思います。
パオロさんは1944年ローマ生まれ。家具工場を営む一家の、6人兄弟末っ子として生まれ、ローマ大学で工学を学び、ロッシーニ音楽院でピアニストの学位もとったという人物。創設当初から、他のどんなメーカーのピアノも真似しない、独自の音を追求していこうという信念で楽器作りを行い、設立から36年の今、いわば新興メーカーでありながら、独特の音の特性と存在感を持つメーカーとして認められています。数ではなく質を常に求めるという経営方針を持ち、年間生産台数は140〜150台。
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(ファツィオリジャパンのアレック社長と、ファツィオリのパオロ社長)

アグレッシブに革新を求めてきた人物だけに、パオロさんという人はとてもエネルギッシュ。握手もギューっと力強い。そして、いつもワクワクしてます感がすごい方です。こういうおじさん、他に見たことない!

◇◇◇
パオロ・ファツィオリさん

─ファツィオリのピアノは、既成概念にしばられずに進化することを理念としているということですが、その中で根本的に大切にしていることはなんでしょうか?

はい、まず他の物を真似をすることはありません。独自の、持続する伸びのある音、色彩感のある音、そしてパワーの面では、よりダイナミックであることを目指しています。他のピアノとは異なる、我々独自のアイデンティティを確立しなくてはならないと思っています。最近も、新しいアクションを開発して特許をとりました。ピアニストたちのために、良い音楽を生むためのツールとプロポーサルを作らなくてはならないという考えが根底にあります。お金のためではありません。

─3、4年くらい前だったでしょうか、ファツォイオリのピアノが大きく変わったという印象がありましたが。

そうですか? 基本的に、変化しているのはいつものことだと思いますが!
例えば老舗の他のメーカーが、新しいモデルではここが変わったと書いていることは、だいたい我々がもともとずっとやってきたことです。私たちは、毎日新しいピアノを提供しています。一つ良い楽器ができたから、これをコピーしてたくさん作ろうということはありません。毎回進歩していないといけないのです。
ちなみに、私たちの工房の技術者たちは、全員私みたいな感じです。いつも、今度はこれができるかもしれないと考えながら新しい試みを導入しています。

─それほど独特の個性を持つピアノですから、ファツィオリのピアノを弾くときには何か特別に心がけたほうがいいことはあるのでしょうか。正直いってファツィオリのピアノについては、弾き手がその扱いがわかっているときとそうでないときの違いがよりはっきりしているように思えるのですが、その辺り、どう思いますか?

ピアノとして、一般的な共通のフィロソフィーはありますから、他のピアノと方向としては同じほうを向いています。
ただ確かに、われわれはプロのためのピアノを作っているので、「スピードの出る車をコントロールするためには、いい運転手でないといけない」というのと共通したことは言えると思います。あまりに速いスピードの出る車は、いい運転手でないと操れません。そして、腕のいいF1のドライバーは速い車にのりたがるものです。
能力の高くない演奏家は、ピアノからたくさんの色を与えれられても、それをコントロールし、うまく対処することができません。確かにその場合は、さまざまな色が感じられないただの大きなピアノになってしまう。そういう方にとっては、多彩な色がないピアノを弾くほうが楽と思えるかもしれません。
いろいろな色が引き出せるピアニストが弾いてこそ、すばらしい音が出るというのは確かだと思います。そもそも、私たちはフラットな演奏をする人のことを考えてピアノを作っているわけではありませんから。

◇◇◇

シビアですねー。
しかしあのサチーレの工房で、パオロさんみたいなメンタリティの職人が50人も集まってピアノを作っているとなれば、それは毎回違うピアノになるだろうな…と思わずにいられません。
7年前工房をたずねた際には、ちょっと個性的な外見だったり、作業着をいい感じに着崩していたり、道具ケースに水着美女の写真を飾っていたりといろんな職人さんがいて、これは、日本やドイツのメーカーの工房では見られない光景だわ、と思ったものです。

パオロさんがピアノを作り始めたときの想いとして、充分な音を鳴らすために、ピアニストがピアノと格闘しなくてよいピアノを作りたいと思った、という話がよく出てきます。
実際最近のファツィオリのコンサートグランドには、よりパワーがあって楽に音を鳴らすことができるようだなと、聴いていて感じます。それだけに、F1ドライバーの例ではありませんが、それをコンサートホールのような響く場所で細やかにコントロールするには、鋭い感性と、楽器の特徴を掴んでいるという前提が求められるのかもしれません。それをつかめばすごい力が発揮できる。
ピアニストがファツィオリに触れる機会が増えたら、楽器に触発された、よりいろんな表現を聴けるようになる、ということですね…。

横山幸雄のファンタジ~

このところ大がかりな仕事に取りかかっていましたが、
ようやく最初の山場を越えました。
今朝は久しぶりに、起きた瞬間ベッドの中で
「あ、あの部分こう書こう」と思いそのままパソコンに直行する、ということなく、
人間らしい目覚めを迎えました。おもしろかったけど大変だったなー。

というわけで、久しぶりに記事を更新しようと思います。
先日ある案件のことで横山幸雄さんのお話を聞く機会があり、
そのついで(といってはなんですが)で、今度の9月23日の演奏会について、
ちょっとどんな感じになりそうなのか、尋ねてみました。
相変わらずすごいロングな演奏会です。
10:30開演、16:20終演予定。お腹いっぱいの予感。

2017年9月23日(土・祝) 10:30
東京オペラシティ コンサートホール
《第1部 10:30開演》
ピアノ・ソナタ第13番、第14番嬰「月光」、第15番「田園」
《第2部 11:50開演》
7つのバガテル Op. 33、2つの前奏曲 Op. 39
ピアノ・ソナタ第16番
《第3部 13:30開演》
ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」、第18番
《第4部 14:30開演》
バッハ:半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV. 903
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K. 397
ショパン:「幻想即興曲」、幻想曲、「幻想ポロネーズ」
《第5部 15:40開演》
シューマン:幻想曲ハ長調 Op. 17

午前中から月光聴くとどんな心境になるのか、興味津々です。
この長丁場のラストにシューマンのファンタジーというのも、
最後いい感じにぶっ飛ぶことができそうでワクワク。
そしておそらくまた持ち込みのニューヨーク・スタインウェイなのでしょうけれど、
一人の人が弾く長丁場ならではの音の変化が感じられて、本当に興味深いですよ。

さて、まずは横山さんに、どんな気分のプログラムなんですか?という
異常にざっくりした質問を投げかけてみました。

すると横山氏、
「今回はベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いたあたりなんだよね。
いろいろなものを乗り越えるあたりを聴いてほしい。
そして一緒に乗り越えてほしい。
…まあ、僕は乗り越えられずに、そこでもがいてるけどね、アハハ!」

……。
不覚にもナイスな突っ込みが思い浮かばず、
もがく横山氏とそれを見守る聴衆というシュールな図を想像して、
何とも言えない気分になってしまいました。

そして後半のテーマはファンタジー。
今年は1月の演奏会でもファンタジーや即興曲をテーマにしていたし、
新譜もファンタジーがテーマ。
2017年はファンタジーが横山さん的に流行ってるのかなと思い、
最近ファンタジー気分ってことですか?と尋ねると、

「いや、ぜんぜん。僕、あんまりそういう人じゃないから」(キッパリ)

と言われました。
……「そういう人じゃない」ってなんなの。(とはいえ、わかる気もする…)

一足先に9月20日発売の新譜のサンプル盤を聴いていますが、
そうはいっても、演奏はしっかりファンタジ~な感じです。
シューマン、見事に夢見てさまよってます。優しい。意外な感じ。
さすが、理論派のぬいぐるみをかぶった感覚派!(いい意味で)
71MGvLakxML._SL1500_

リサイタルは今週末。みなさまぜひどうぞ。

 

ドレンスキー先生が来る(ロシアン・ピアノスクール2017)

毎年夏に表参道のカワイで開催されているロシアン・ピアノスクール、
今年で15周年なのだそうです。

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2017年8月11日(金)~8月18日(金)
会場:カワイ表参道

紹介ページの最初に「国際コンクール入賞者を100人以上も輩出しているセルゲイ・ドレンスキー教授のクラス」と書いてありますが、まあ、どこにいってもドレンスキー先生の門下生は活躍しているなと思っていましたが、こうして数字にして言われると改めてすごいですね。一人でものすごい数のコンクールに入賞するような人がいても、それは「1」とカウントされるとなると、相当です。
(この前来日していたアレクサンドル・ヤコブレフのチラシのキャッチコピーに”50を超えるコンクールを制覇”と書いてあったことが、ふと思い出されまして。とはいえ、ヤコブレフはドレンスキー門下ではありませんし、流派も微妙に別だと思いますが)

今年のロシアン・ピアノスクールも、連日朝から夜まで、
ピサレフ教授とネルセシヤン教授によるマスタークラスが行われます。
8月12日、14日夜には各教授によるリサイタルもあり。
(ネルセシヤン先生の公演は完売みたい)

さらに今年も重鎮、ドレンスキー教授ご自身も来日し、
8月13日と16日にレクチャーが予定されています。
昨年は奥様の体調不良で来日がキャンセルとなってしまっているので、2年ぶり。
このところご本人の体調も心配なところがありますから、お元気で日本に来てほしいですね。ジャパンのこの蒸し暑さ、大丈夫だろうかとちょっと心配になりますが。

ちなみに、2年前のレクチャーの開催レポートが出ていました。おもしろい。
子供の頃、2回「ムチ打ちの刑」にあっているという思い出話。
ムチ打ちというのがいかにも当時のロシアっぽく、過激だなーと思うと同時に、ドレンスキー少年がやってることも、なかなかヤンチャだぞとつっこまずにいられない。
しかしこういう、自分の知らない時代、社会を生きた人の話というのは、本当におもしろいですよね。今年はこの2年前のお話の続きが聞けるのかな? なんだかとても楽しみになってきた!

各レッスンやレクチャー、演奏会の申し込みはウェブ上でできるようですので、どうぞご覧くださいませ。