金子三勇士さんインタビュー

直前になってしまいましたが、6月23日(月)にはいよいよ、今話題の金子三勇士さんが、ゾルタン・コチシュ指揮、ハンガリー国立フィルとリストのピアノ協奏曲第1番で共演します。
ジャパン・アーツHPに掲載のインタビューはこちら
どんだけ頑固なんだ!な2歳児のエピソードもあり。
ハンガリーで有名な日本のものは、「トヨタ、スズキ、コバヤシ」というビックリ話もあり。

私にとって金子さんていうのは、なんだかプラスの気を感じる人なんですよね。マイナスの気配がしない。それでもかつては自分のアイデンティティのありかについて悩んだ時期もあったそうです。
そんな話題を始め、音楽的に真面目な話はインタビューをご覧いただくとして、その中に書ききれなかったおもしろプチエピソード。「金子さんが最近興味をもっていること」について。

「最近、自分の演奏時の精神状態に興味があるんです。
自分が無の世界になるというか、魂、身体の芯がちゃんと収まることによって、
ようやく音楽に何かが伝わっていくんじゃないかと思うんです。
これからはそういう状態が体験できそうな作品に挑戦してみたいですね。
バッハのゴルドベルク変奏曲とか、そろそろ取り組んでみたいです」

一体何があったんだろう。ヨガ的な発言…と思ったら、まさかのお話が続きます。

「あー、実はヨガ、試しに行ってみたんですけど、だめだったんですよね。
ヨガをやっているときの自分が本番のステージにいるときの自分とすごく重なって、
なんだかむしろストレスになってしまうというか。
頭の中で音楽は流れ始めちゃうし、一体どうしたらいいんでしょうみたいな感じでした」

音楽とヨガ、両方の精神的な作業があまりにも重なりすぎてまったく気が休まらないという、わかるようでわからないような主張。音楽家のメンタリティというのはミステリアスですな。

というわけで、公演はいよいよです。19時サントリーホールです!

6月23日(月) 19時開演 サントリーホール
ゾルタン・コチシュ(指揮)
金子三勇士(ピアノ)
ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団

リスト/コチシュ:ゲーテ記念祭の祝祭行進曲
リスト:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:金子三勇士)
ブラームス:交響曲第1番

 

正真正銘ノンフィクション連載「ピアノ教室に通ってみた」のこと

現在、第12回まで公開している連載「ピアノ教室に通ってみた」
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代々木公園近く、ハクジュホールがあるビル内に昨年オープンしたコロムビア音楽教室のご協力のもと、とある編集者が、約四半世紀のブランクを経てピアノを再び習う様子を、実体験をもとにつづっている連載です。正真正銘、ノンフィクションです(多少ご本人の妄想入ってることはあるけど)。

初回のレッスンで楽譜に書いてある「ラド」の音符も正しく読めなかったこの人が(連載第3回参照)、担当講師、高橋ドレミ先生のあの手この手を使った指導のもと、なんとモーツァルトの「トルコ行進曲」を通して弾くまでになりました。週1回、45分のレッスンを続け、2ヵ月半くらいでしょうか。そのうえ、ついに暗譜での演奏も!

それにしてもちょうど最新の第12回の原稿を読んで、自分自身の辛い思い出がよみがえりましたよ。
プロの方々でも、一度の“ブラックアウト”の経験がフラッシュバックするというおそろしい現象があると聞きます。ミスをしてしまったときの状況や心境って、妙にはっきり記憶されるもんですよね。
ちょうどイスラエルでとあるコンテスタントとそんな話をしたところでした。自分が演奏する日の前夜、何の気なしにネット配信で別のコンテスタントの演奏を聴いてみたら、ちょうどその人が一瞬暗譜が飛んじゃっている場面を観てしまい、自分にもこれまででたった1度だけ起きたその場面が記憶によみがえってしまって、頭を抱えて必死で振り払った…という。

こういうプロの方々の経験とはだいぶ別の形とはいえ、子供の頃、とくに才能があるとかでもなく何となくピアノをやっていた人の多くに、人前で弾いたときの苦い記憶ってあるのではないでしょうか。クラスメイトなどのささいな言動に振り回され…というのもよくあるパターンです。
私も「幼稚園から高校生まで」とそれなりに長い期間ピアノをやっていた中で、合唱祭や卒業式でピアノ担当に駆り出され、苦痛な記憶がたくさんあるほうでございます…。

一番こわかったのは小学校の夏休みの林間学校で、“林間学校の歌”を最終日にみんなで歌ったときのことですねー。
夏休みが始まる前、各クラスからピアノを弾ける子がピックアップされ、「みんなそれぞれ練習して、出発前の登校日の時点で一番弾けていた子に伴奏してもらいます」という通達がありました。他のクラスのお嬢様系女子Aちゃんが「これ、Aちゃんが絶対弾くもんね~! Aちゃんがんばって練習するからね!」と言いまくっていたので、闘争心ゼロの子供だった私は「あー、よかった」と思って、適当に気が向いた時に練習する感じで夏休みを過ごしていました。
登校日当日。みなさんもう想像がついているでしょう。音楽の先生に集められると、Aちゃんは「Aちゃんできなかった、えへへー!」と言い、他の子たちも全滅。通して一応弾けるというレベルの私がその役を押し付けられることになったのでした。未だに、なぜあそこでやりたくないと強く主張しなかったのか、自分でもわかりません。
今も昔も緊張しいの自分、そんなレベルの仕上がりで緊張の中演奏して、うまくいくはずがありません。後半でよくわからなくなって、モーレツに焦り、適当に弾きとおしました。ばれなかったはずはないけど、止まらなかったしなんとかごまかせたかなと思っていたら、その後ふだん暴れん坊の男子に、「まあ、元気出せよ」と言われ、ああ、やっぱりね…暴れん坊に励まされるほどひどかったのね…と思いました。
くやしかったです。くやし涙が出そうなほどでしたが、それをバネに一生懸命練習するようになることは、まったくありませんでしたね。

まあ、これに限らず、いくつかの苦痛の記憶があります。この、人前で弾くことの緊張がイヤで、何一つ喜びを感じられなかったことも、高校生の途中であっさりピアノをやめた理由のひとつでしょう。

さて、話を戻しましょう。とある編集者の連載「ピアノ教室に通ってみた」。
読んでいると自分もまた弾いてみたくなって、部屋に一応置いてあるキーボードを触ってみたりして。昔暗譜した曲は指が覚えていてなんとなく弾けたりするものの、指がなまりまくっているし、音もだいぶ忘れています。それでワタワタしているうちに指が疲れてしまい、改めて楽譜をひっぱりだしてきて弾き直すところまではいかないまま終わるという。
でも、ほんの20分くらいでも指を動かすとあたまがすっきりするんですよね。

実は先日、ドレミ先生によるとある編集者氏のレッスンの様子を見に行ってきました。
その人にあわせた個性的なレッスンの成果か、なんと、楽譜を外してほとんど弾けるようになっていました。そのうえ、暗譜をしたうえで演奏にニュアンスをつけていくレッスンに入っていました。
弾きにくそうにしているパートがあればすかさずドレミ先生が発見して、音をつかみやすい、はずしにくくなる、そしてフレーズの流れをつけやすくなる指のポジションなどもアドバイスしていきます。自分が子供のころ、こんなふうに合理的なアドバイスをしてもらっていたかなぁ?
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ひとつひとつアドバイスされるたびに、「はぁ~、なるほど。本当だぁ」という言葉を漏らす、とある編集者氏。(そのわりには指番号を書き込んだりしないのが気になる。覚えられるのかな)。
音楽教室、そう、そこは会社でどんなにえらそうにしているおじさんも、若い娘に従順になってしまう場所。(別にこのとある編集者氏が会社でえらそうにしているという意味ではありませんが)

レッスンを見学して帰った夜、つい、自分がまだ「トルコ行進曲」が弾けるかどうか、キーボードに向かってしまいました。指がぜんぜんまわらなくなってる…と愕然。
しかしこの日を境になんとなく思いついたときに15分くらいでもぽちっとキーボードのスイッチをいれるようになり、だいぶ思い出してきて指も動くようになってきました。

やっぱり子供時代の長らくの訓練は捨てたもんじゃないです。久しぶりにちゃんとしたピアノで弾いてみたいなという気持ちにもなりました。やっぱり、簡易型キーボードのタッチはもんやりしていて辛い。自分の耳で、響く生音を聴きながら弾いてみたいよねー。昨日ちょうどチッコリーニの演奏を聴いたばかりなので、妄想は広がります。あんな音、絶対出せないけど…。
これは、私もピアノを再び始めるときが迫っているということでしょうか。他の楽器をやってみたいような気もするんだけどね。

とある編集者の連載のほうも、あと少し続きます。今後どんな進歩を遂げてゆくのか、ご注目ください。
ちなみに、公式サイトにはドレミ先生のお子さんむけのレッスンの様子なんかもアップされてますよ。
http://www.columbiamusicschool.jp/archives/296.html

ピアノ以外にも、ヴァイオリン、そしてキャンペーン中だというフルートやチェロのコースもあるようです。先生たちがやたらめったらさわやかですので、ぜひHPをのぞいてみてください。コロムビア音楽教室、無料体験レッスンは常時受付中ですってよ!

◇コロムビア音楽教室
http://www.columbiamusicschool.jp/

 

番外編 エルサレムへ

ずいぶん時間が経ってしまいましたが、
せっかくなので、エルサレムぶらり旅の様子を、ゆるやかにお伝えしたいと思います。

すべてをにわか知識に基づいて綴っていきますゆえ、間違って解釈していることや、宗教的に失礼な表現があったらごめんなさい…。

さて。
テルアビブ市内からエルサレムに行くには、電車とバス、二つの方法があります。
電車のほうが本数も少なく時間もかかるようなので、シェルートと呼ばれる長距離バスで行くことにしました。
バスは日中なら20分おきくらいに出ていて、所要時間は1時間弱くらいでしょうか。
今回、日本人の関係者の方から借りた某有名ガイドブックをたよりにエルサレムに行こうとしたのですが、なんともはや、これがまた、かゆいところに手の届かない内容(借りておいて言うのもなんですけど)。
ガイドブックには、このシェルートがテルアビブのどこから出ているのか、イマイチはっきり書かれていない。まあ、セントラル・バス・ステーションに行っておけば確実なのかなと思って行ってみたら、やはりそこからエルサレム行きの高速バスが出ていました。
ただし、どうやらエルサレム行きのバスが出ている場所はこのほかにもある模様。というのも、帰りにエルサレムから乗ったバスは、テルアビブ市内の鉄道駅前の別のバス・ステーションに到着したので。

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テルアビブのセントラル・バス・ステーションの建物は、5階建てです。
建物に入るときは例によってセキュリティチェックがあり、エルサレムに行きたいと言うと、乗り場は5階だよと言われます。バスなのに5階から出るのか…と思いましたが、実際そこからバスは出ていました。
チケットは事前に窓口で買うこともできるようですが、そのまま乗り場の列に並んで、運転手さんにお金を払うのでも大丈夫です。バスの中ではwifiもつながります。

乗ること1時間、エルサレムのセントラル・バス・ステーションに到着。しかしここで再び某ガイドブックがかゆいところをかいてくれません。
観光の中心であるエルサレムの旧市街は、このバス停からまあまあ離れたところにあって、タクシーまたはトラムで移動する必要があります。
が、このトラムの乗り場がどこにあるのか、どっち方面に乗ればいいのかなど何も書いていないんですね。まあ、そこらへんにいる人に聞けばすむことなんですが、だったらガイドブックいらないだろ、みたいな。

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人の流れにのって探り探り外に出ると、道を挟んだ向こうのほうに、なんとなくトラムの駅らしいものを発見。人に聞いてホームを確認し、切符を購入。やっと目的地に着くことができました。
いろいろ不安な人は、時間さえ合えばツアーで来た方がいいのかもしれませんね。

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旧市街に一番近いトラムの駅は、北部に位置するダマスカス門の近くにあるので、そこから中に入っていきます。
城壁に囲まれたエリア内は、ムスリム地区、アルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ人地区に分かれていて、歩いていると雰囲気が変わってゆくのがおもしろかったです。

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特に最初に通過したムスリム地区は、お土産物屋やスパイス屋、道に座って野菜を売るおばさんなどがたくさんいて、聖地というより市場に迷い込んだかのような印象。礼拝の時間を告げるアザーンが響き、なんとなくインドにいたときのことを思い出して懐かしい気持ちになります。

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細い路地が入り乱れているので、とにかく迷わないように必死です。というのも、やはり聖地、ふと気づいたら入るべきではない場所に入っていたらと思うと怖くてね。多分、初期のインド旅行のとき、イスラム教のモスクの入口で突然怒鳴られた何度かの経験が、トラウマ的なものになっているのでしょう。エルサレムでも、すべての宗教に対してよそ者であるという自覚が、なんとなく緊張感となってじわじわと自分を疲れさせます。

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とにかく迷わないように必死なため、イエスが十字架を背負って歩いた「ヴィア・ドロローサ」も、その足跡をたどるどころか、ガッツリ逆流して歩いていました。すると、遠くのほうでこちらを見ている人の気配が……。

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なんたる偶然、マルチン・コジャック君!
この日の夜の便で発つ予定ということで、それまでの時間でエルサレムを訪れることにしたそうです。世界にはいろいろなキリスト教徒さんがいらっしゃる中で、ポーランドの人たちってかなり敬虔ですよね(もちろん個人差はあると思いますが)。初めてポーランドに行って彼らと触れ合う機会があったときに、びっくりした記憶があります。
きっとコジャック君にとってもここを訪れるのは特別なことだったでしょう。テルアビブで会ったときはちょっと心配になるくらい常にハイテンションでしたが、この日はさすがにおとなしめでした。ま、疲れていただけかもしれませんが。

続いてたどり着いたエリアにあるムスリムの聖地「岩のドーム」には、異教徒は立ち入ることができません。モスクと岩のドームにつながる小道、誰も止める人がいないのでずんずん進んでいくと、最後のゲートのところに立つ銃を持った兵士に、ちょい遠めから無言で首を横に振られました。こういうの、怒鳴られるより怖かったりします。

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そのすぐそばには、ユダヤの聖地「嘆きの壁」。イスラム教の岩のドームがあるのはかつてエルサレム神殿のあった場所ですが、この壊された神殿の残った壁が、ユダヤの人々にとっての聖地「嘆きの壁」となっているとのこと。そのため、壁の向こうには、黄金に輝く岩のドームの頭が見えます。
ここは男性エリアと女性エリアでわかれている…と事前に読んではいたのですが、どこからわかれているのかよくわからずズンズン進んでいくと、横から「ヘイヘイヘイヘイ!!」と大声で呼び止められます。見事に男性エリアに突進していたようです。無知ってこわい。
ちなみに今後行く方のためにお伝えしておくと、向かって左側が男性エリア、右側が女性エリアですのでお間違いなく。
多くの人が熱心に祈りを捧げていました。壁から立ち去るときは、壁に背を向けず後ろ歩きで進むのがしきたりのようです。そんな中、背を向けて普通に歩き去っていくのは失礼かなとふと思うわけですが、わけもわからず真似するのもまた失礼と思われるので、普通に歩いて立ち去りました。当たり前か。

ところで話は変わりますが、ユダヤの男性が頭にかぶるキッパと呼ばれる小さくて丸い帽子。髪の毛とピンで留めている人が多いですが、これ、少しでも髪のある人はいいけど、まったくない人はどうやって固定しているのだろうという疑問がわきまして。そこでコンクール期間中、失礼を承知で事務局のヒーラさんに尋ねてみたところ、
「わかんない、接着剤でもつけてるんじゃない? あはははは!」
という、かなりテキトーな回答をいただきました。
というわけで、謎は解けず。
…嘆きの壁で後ろ歩きを真似しようかと迷った人間とは思えないほど、なかなか失礼な質問ですよね。すみません。でもね、ただ頭にのっけているだけではすぐにどっかいっちゃうんじゃないかと、どうしても気になってしまって。

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旧市街中央部には、キリスト教の聖地、聖墳墓教会があります。イエスが最後に辿りつき、磔にされた場所。つまり、ヴィア・ドロローサの終着点。
入ってすぐのエリアには、十字架から降ろされたイエスの亡骸に香油が塗られた場所とされる、大理石の板があります。みなさん、ここを丁寧に撫でたり、ご持参のマイ十字架をごしごしこすりつけたりしていました。

教会の中には、磔にされた十字架が建てられたとされる場所、イエスの墓がある復活聖堂など、キリスト教にとって大切なスポットがたくさんあります。
ここは複数の教派が共同で管理しているとのこと。異なるローブを身に付けた聖職者の方々が、かわるがわる、淡々と儀礼を執り行っていました。が、この方々がまたなかなかの仏頂面(…とキリスト教の人をつかまえて言うのもどうかと思いますが)で、観光客たちを、ほらどいて、あっちいって、もたもたしない!みたいなすごい勢いでさばいていました。小心者の私は、自分が怒られたわけでもないのにここでまたビクつくという。
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あまりの人の多さに、ツアーコンダクターさんたちはのぼりがわりに思い思いのものを使っていました。ピコピコハンマーを使っている人は初めて見ましたが、目立っていいアイデアですね。勝手な行動をしたらピコっと叩かれそうでちょっとこわいけど。

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他にもいろいろ興味深い場所がありましたが、なぜか一番心安らいだのは、聖母マリアが生まれたとされる聖アンナ教会の敷地内にある、ベテスダの池の跡地。ここでイエスが長く病に苦しんだ人々を癒したとされています。
この場所を眺めながらぼーっと座っていると、また遠くからアザーンが響き渡り、なんだか不思議に落ち着くのでした。

オリーブ山のほうまで足を伸ばすことも考えたのですが、なんだかものすごく疲れてしまって、まだ早めの時間でしたがテルアビブに戻ることにしました。なんとなく刺激が強すぎて、またいろいろな緊張感がありすぎて、精神的に疲れたのかもしれません。決して悪い意味ではなく。

あと、たくさん歩いたというのはもちろん、実を言うとエリアによって、お店の前でたむろす人々から、
「コンニチハー」「ニホン?」「ニーハオ!!」
「I’m teaching アイキドー! My name is 佐藤!!」(←絶対違うだろ……)
と、まさに観光地らしい感じで声をかけられ、ひとつひとつ対応しながら歩いていたら異様に疲れたというのもあります。
勝手に道案内をして、「お金ちょうだい、ぼくと友達に1シュケルずつ」と言ってくる少年もいました。横にいるだけで何もしていない友人まで気づかうだなんて、さすが聖地育ち……なんて言ってる場合じゃないですね。ちょっと悲しい気持ちになって、少年に向き合い、語りかけてしまいました。言葉が通じないので日本語で。意味はわかっていないだろうけど。

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キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、それぞれの人が当然の身のこなしでそれぞれのとるべき行いをしているのを、ただひらすら不思議な感覚で眺める時間。やはりよそ者の自覚がずっとどこかにありました。(ちなみに自分は、お寺にお墓があり、必要に応じて神社での行事的なものをやる、日本でよくあるゆるやかな宗教意識の家庭に育っております)

単一民族、そしていろいろな宗教の人がいるとはいっても、神道と仏教が多くの地に根付いている日本で生まれ育ったことで、こういう状況に対する免疫力が低いのかも…。インドの寺院めぐりではさほど疲れなかったのは、やはりあそこが仏教とつながりのあるヒンドゥー教の国だったからなのか。宗教の性質も影響しているとは思いますが。

単純な遊び疲れ、旅疲れから、自分だけがよそ者と感じながらどこかに暮らすことの心境に想いを巡らせ、また多宗教の人々が共存するということの難しさについてまで考え込む、そんな日帰り旅行となったのでした。

テルアビブの思い出

さて、テルアビブの話を少々。ただひたすら、つらつら綴ろうと思います。

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イスラエルの人はとにかく話好きです。
通路をふさいで話し込むこともしばしば。開演前、終演後の通路や出入口での人の詰まりっぷりは尋常じゃありません。ホールの構造の問題もあるかもしれませんが、原因はだいたい立ち話だと私は思います。
そして、とにかくすぐ人に話しかける。アメリカ人とかもそういうところはありますけど、ああいう社交辞令的な感じではなく、もっと、ぐいっと近くに入って話しかけてくるという印象。
私もこれまで数々のコンクール会場でコンテスタントに間違われてきましたが、今回ほど何度も演奏をほめられたことはありません。
……つまり、「あなた、この前の演奏すばらしかったわよ~」と声をかけられるわけです。もちろん、弾いてないんですけどね。誰と間違えているのかもわかりません。そして、違いますよ、から延々続くおしゃべり。
ホールやショッピングモール、どんなところもセキュリティチェックは徹底していて、必ず荷物検査があります。毎日通ったホール入口の警備のおじいさん、数日たったころには顔パスで通してくれるようになりましたが、1週間ほど経ったら「一緒に写真を撮りたい、明日は撮ろうね」と言い出しました。結局毎日、明日明日と言いながら写真は撮りませんでしたが、あのおじいさんもきっと自分をピアニストと間違えていたんだろうな。かわいそうに。

そしてセキュリティチェックといえば、空港での問題です。
ご存知の通り、イスラエルは近隣地域や国家間の政治的、宗教的な問題を抱えている国ですから、空港のセキュリティも厳しいと言われています。
入国審査もさぞかし厳しいんだろう……と思って臨みましたが、こちらはすんなり。イスラエルに入国した形跡があると一部中東諸国に入国できなくなるということで、パスポートに直接出入国のスタンプが押されることはなく、許可証が別紙で手渡されました(このシステムはその時々で違うみたいですが)。事態は本当に深刻なんだよなぁと実感する出来事です。

一方、セキュリティチェックについてはむしろ出国のほうが厳しい、3時間前には空港に着くようにとガイドブックにはあります。
出国ゲートに入るところのチェックでは(イミグレーションの窓口ではない)、今回はどの町に行ったのか、何をしていたのかを聞かれました。中途半端に観光だとか言って「3週間もテルアビブにしかいなかっただなんておかしい」とつっこまれると面倒くさいので、「仕事でピアノコンクールを聴きに来ていました」と言うと、係員の若いおねえさん、「あ、ルービンシュタインコンクールでしょ」、と、コンクールを知っている模様。一般の人で知っているイスラエル人に会ったのは初めてです。
おねえさん「日本人は出ていたの?」
私「はい、5人」
おねえさん「彼らの結果は良かった?」
私「ファイナルには残らなかったです」
おねえさん「その日本人の中には、世界的にも有名なピアニストも含まれていたの?」
私「……え?」
と、最後は、なんとも言えない角度からの質問をされて、このチェックは終了。その後通過するイミグレーションの担当官とは、一言も言葉を交わすことなく、スルー。

ただし、持ち込み手荷物検査はかなり綿密で、鞄は一つ一つポケットをあけ、小型の金魚すくいの棒みたいなものでコシコシくまなくこすり、はさんであった薄い紙を取り外して機械にかけて、何かを検査していました。私の場合はあまり面倒なことは起きませんでしたが、当たる担当者によってはいろいろあるのかも。できるだけ疑惑がかかりそうなものは持ちこまない方がよさそうです。
ちなみに、何のチェックもなく預かってもらえたスーツケースの方は、鍵をかけないようしつこく言われます。とくにそこで説明はありませんでしたが、この預け荷物はひとつひとつ開けられ、中身をチェックされている模様。おみやげなど包装してあっても開けてチェックした形跡がありました。この作業には相当な時間がかかると思われ、そのためもあってみんなに早く空港に来るよう言っているのでしょう。
私の荷物はそれほど調べられた様子はありませんでしたが、同じ便に乗っていた調律師さんは、調律工具の入ったスーツケースの荷物のポジションが全部変わってる!と言っていました。確かに調律師さんの工具、アヤシイもんね……。

さて話は変わって、今回の滞在中に食べていたもの。

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シャクシュカ。
これが一番食べた回数が多かったかも。イスラエルのとても一般的な家庭料理のようで、宿泊先が提携しているカフェの朝ご飯メニューでした。トマトの煮込みに卵が落としてある。一見こってりしているように見えますが意外とサッパリ味なので、朝からでもすんなり食べられました。

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インドカレー。
ホールの向かいにあったインド料理店のカレーです。味はまあまあですが、お店のインド人は優しかったです。
ところでユダヤ教では乳製品と肉類を一緒に食べてはいけないということで、普通のレストランのメニューにもそういう配慮がなされていることが多いようです。例えばチーズのかけてあるピザにソーセージ類が乗っていることはありませんし、クリームパスタの具材は野菜でした。
カレー屋ではメニューをじっくり研究しませんでしたが、やたら品数が少なかったのは、おそらくクリーム系のカレーに肉類の具は入れられないからなのかな、なんて思いました。それもあって、このカレーも味がやたらアッサリしていたのかも。

夜はほとんど部屋で食事をしていましたが、一度伝統的なイスラエルスタイルのレストランに連れて行ってもらったことがありました。

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前菜として小皿料理が並び、まずはこれをみんなでわーわー喋りながら好きなだけ食べます。酸味のきいたサラダ類や、フムス(にんにく、ゴマ風味のヒヨコ豆ペースト)などを、ピタパンと一緒に。小皿が空くと次々追加されるので、ここで食べすぎるとメインの頃にはお腹いっぱいになるから気を付けて!と、自分はバクバク食べまくる地元のおじさんたちに散々注意されながら、食事は進みます。

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そしてようやく出てきたメイン。魚です。大きい!
レモンとの比較からしてそんなに大きくないじゃない、と思うかもしれませんが、このレモンがまた巨大なのです。半分に切った状態で、ゲンコツくらい?

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食事が終わると、お皿をこれでもかというほどに重ね、鮮やかに運び去ってゆきます。これがこのお店だけの習慣なのか、イスラエルのレストランの習慣なのかは、よくわかりません。

続いて、会場で見かけたさまざまな風景。

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ステージ1から室内楽までが行われたホールの、コンテスタント控室。
キーボードが置いてある控室というのは初めて見ました。実際みんな使うのかな?

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海外メディアのコンテスタントに対する取材はあまり見かけませんでしたが、演奏をラジオで放送している国はありました。こちらは、ホールの映写室に陣をとっているロシアのラジオ放送チーム。来年の主要コンクールも全部放送する予定なんだ、と意気込んでいました。

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スタインウェイのアーティストケア担当、ゲリット・グラナーさん。大事なピアノの鍵とともに。最終ステージでファツィオリへの変更が続き、いろいろ大変な思いをされたことでしょう。最後はドミノ倒しのようだったよ……なんてつぶやいていました。ただ、一人残ったオソキンスさんの音で「やはりスタインウェイの音はいいと思ってくれた人がいて、違いを証明できたはず」と、自分たちのピアノへの自信と誇りが感じられる言葉を残してくれました。

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一方こちらはファツィオリのアーティストケア担当、福永路易子さん。1次からファツィオリを弾いていたキム・ジヨンさんとともに。2次結果発表の後の写真です。
コンテスタントたちがグランドピアノで練習できない状況の中、当初ファツィオリを選んだ人が少なかったという利点を逆に活かし、地元のファツィオリ所有者を見つけて練習室を手配し、ピアニストに良い環境を用意しようと奔走されていました。最後は相次ぐファツィオリへのスイッチで、調律の越智さんとともに、これまた大忙しだった様子。
それにしても、声をかけて、場所を貸していいよと言ってくれるファツィオリ所有者がそんなに何人もいるテルアビブ、すごいなと思いました。

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室内楽の演奏後、チョ君ラブ状態だったヴィオラのGlid Karniさん。愛用の楽器は、フィラデルフィア在住の日本人弦楽器製作家、飯塚洋さんが製作したものなのだそう。イイヅカの楽器はすばらしくて、僕の多くの生徒たちも使っている、とおっしゃっていました。

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そんなチョ君の室内楽終演後。
惜しくもファイナル進出のならなかったコジャクさんやソコロフスカヤさんが、バックステージに祝福を伝えに来ていました。若いピアニスト同士、こうやって交流が結ばれてゆくのもコンクールのいいところ。
ちなみに次に進めなかった人について、宿泊は、結果発表当日の夜の分までしか用意されていません。彼らはどうやら応援してくれていた一般の人がたまたま声をかけてくれて、そのお宅にしばらくホームステイしていたみたいです。
テルアビブの人たちは、おしゃべり好き、そしてお世話好きで人情たっぷり。このコンクールはこうして地元の人たちに支えられながら、今年で40周年を迎えたのですねぇ。

審査員に突撃してみた

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今回のコンクール中、ずっと考えていたことがふたつあります。
ひとつは、このコンクール、ショパコン、チャイコンやエリザベート、クライバーンのように、いわゆる優勝して一気に有名になったりマネジメントがついたりするコンクールではないのにどうしてこんなにすごい経歴の参加者が集まるのだろう……ということ。もちろんこれが重要なコンクールであるのは間違いありませんし、副賞ツアーも充実していますが、一部、ここでさらにタイトル取る必要あるのかなという経歴の人もいたような気がしまして。
実際やって来て、参加者に対するサポートも(すごくあたたかいホスピタリティの気持ちはあるとはいえ、物質的な意味で)充実しているとはいえない状況、メディアへの露出も他の主要コンクールに比べてほとんどないという状況で、ますますその疑問は深まるのでした。
やっぱりコンクール審査員業界のドン(?)であるヴァルディ先生がやっているコンクールだから、声をかけられて参加するピアニストもいるのかな……そしてさらに、民族や宗教といういろいろな状況にまで考えは及びました。推測の域を出ないので、ここで具体的に書くことはしませんが。

そしてもうひとつ考えたのは、審査員の顔ぶれについて。
コンクールの取材をしていると、どこに行ってもお会いする主な審査員の先生方が一定数いて、そのメンバーのいろいろな組み合わせプラス地域ならではの審査員という顔ぶれのことが多いなと思います。ここでも半分はいつもの先生方大集合という感じでした。
いつもお会いする審査員の先生たちはおもしろい方が多いので、あちこちでお会いできるのは楽しいのですが、ふと、これってこの固定メンバーから好かれていない種類のピアニストは、どこに行っても優勝しにくいんだろうな……という考えが頭をよぎりまして。
芸術の世界にひとつの答えはない。そんな中で、ピアニストが世に出る大きな足掛かりのひとつである大きなコンクールの世界がこの状況というのは、果たしてこの業界の発展にとってどうなのかねぇ、という疑問が頭の中で渦巻いておりました。スポーツの審判のように資格が必要なわけでもありませんし。

似た審査員同士があっちでこっちで招きあっていると、お互いの趣味や思惑もわかってくるし、どんどん変なつながりが強くなったりするんじゃないかな、中でも強い力を持つ人物が出てきたりするんじゃないかな……なんていう疑念まで頭をよぎりました。最初は純粋に審査をしていた人も、長く続けていけばだんだん考えが変わってきてしまうのではないかとか。もちろん、そういうことに巻き込まれずに審査をしている先生もたくさんいると思いますし、あるところで審査員を一新するコンクールなんかもありますが。
「権力は人を変えるものですよ」と、大学院のインド研究時代にお世話になった教授が言っていたことを、ふと思い出してしまいました。
(ちなみにこの発言が出たシチュエーションは、こうです。当時大学教授による学生へのセクハラ&アカハラ問題が取りざたされていて、この先生は女生徒が教官室を訪ねると必ずドアを開けておくよう指示するのでした。しかしこの先生、寡黙で真面目、いやらしげな気配は皆無の初老の男性なので「先生のような方のこと、誰も疑いませんよ」と言ったところ、この「権力は人を変える」発言が出たのでした。誰もが真面目と思う人間も、立場が変わればどんな心理変化が起きるかわからないと思っておかねばならないという忠告。深いなと思いました。…あ、脱線しすぎましたね)

さて、話がだいぶ逸れましたが、審査員の先生方のお話を紹介しましょう。
驚きの結果発表後、夜も遅く、ちょっとみんながざわついている空気の中での、短時間立ち話インタビューです。今回の審査員の中でも私が最もよく遭遇する3人の先生方にお話を聞きました。
ちなみにファイナルの審査方法を見ると、元弟子がファイナルに残った審査員は投票できないとあります。1位から順に、各審査員が当てはまると思うコンテスタントに投票し、半数以上を得るコンテスタントがいない場合は、得票数の多い2名に再投票を行います。これを、1位、2位、3位と順に決めていくということです。基本的に、ファイナルの室内楽、2つの協奏曲を総合して判断することになっていると聞いています。
つまりこの規定からいくと、ヴァルディ審査員、カプリンスキー審査員は投票できず、12名の審査員で投票が行われたということになりますよね。本当か!? 確認すればよかったな。ということで、ただ今確認中です。いつ返事がくるかわからないので先に記事をアップしちゃう。
それとひとつ付け加えると、このコンクールの予備予選は書類審査のみ。実演オーディションはもちろん録音の提出はなく、コンクール入賞歴と推薦状のみで、36人の参加者が選ばれました。大きなコンクールで、今どき珍しいです。

さて、コメントに移りましょう。まずは、ヨヘヴェド・カプリンスキー審査員。
ここ最近を振り返ると、去年のヴァン・クライバーン、直後の仙台、そして今回と続けてお会いしています。物事を明晰に分析し、いつも、なるほど……と思うご意見を聞かせてくださる、とても聡明な女性です。ジュリアード音楽院ピアノ科の長でいらっしゃいます。イスラエル人である彼女は、このコンクールでは第10回(2001年)から毎回審査員を務めていらっしゃいます。

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─結果について、いかがでしょうか?
結果は審査員全体の意見を代表したものです。ある人はそれに満足しているでしょうし、そうでない人もいるかもしれません。みんながとても僅差のレベルで演奏していましたから、結局は誰がファイナルでうまく生き残ったかが勝敗を分けたと思います。多くの聴衆は違う意見を持っていたかもしれませんし、ジュニア審査員も違う考えを持っていました。一部の審査員も違う意見を持っているかもしれません。
私としては、6人のファイナリストがみな良いピアニストで、これからも成長してくれる可能性を持った方々だったことをとても嬉しく思っています。
─審査員の先生方の間には、こんな人を選ぼうという共通の認識はあったのでしょうか?
私たちは結果を出したわけですから、それは共通の認識を持っていたということを意味していると思います。でも、事前に審査基準を合わせるということはしていません。審査とはそうして行われるべきものであって、そのために、異なる音楽の聴き方をするたくさんの審査員が集まっているのです。
─このコンクール中考えていたことがあります。カプリンスキー先生はじめいろいろな審査員の先生方と多くのコンクールでお会いしますが、それは多くのコンクールで審査員のメンバーが似ているということじゃないのかなとふと思ったのですが、どういうお考えをお持ちですか?
私は全部のコンクールで審査しているわけではありませんよ。
─……そうですね、たまたま私がよく会うというだけで。
ええ、それに、どのコンクールでもいつも違う人とご一緒しますし、今まで会ったことのない方と審査をすることもたくさんあります。このコンクールでもそうですが、自分の生徒に投票することはできません。初めて聴くコンテスタントにも出会います。例えば今回のファイナリストのうち、スティーヴン・リンとマリア・マゾ以外は初めて聴くピアニストでした。そして前に聞いたことのあるピアニストの演奏も、その場所にあるものを聴いているだけで、3年前にそのコンテスタントがどう演奏していたかを聴いているのではありません。例えばマリアのベートーヴェンのソナタは9年前にも聴いたことがありますが、そのときと比べて信じられない進歩をみせていたことに驚きました。
聴衆の皆さんにもう少し信じてほしいと思うのは、私たち審査員は若いピアニストたちのことを大切に思っているということです。それぞれが全力で審査をし、できるかぎり良い審査のメカニズムを取り入れようとしているのです。みなさんが結果を不服だと思っているときには、私たちも結果に不満だと思っていることもあるのです。

◇◇◇
カプリンスキー先生的にも、やはりちょっと納得いかない結果だったのでしょうか。そして最後の質問のとき、いつも穏やかなカプリンスキー先生が少し語気を強めてお話しされていたので、おっと、この質問は地雷なのか……?と思いながら、次の審査員に突撃です。

審査委員長のアリエ・ヴァルディ先生。ヴァルディ先生も、一昨年の浜松、去年のクライバーン、そして今回と、コンスタントに毎年お会いしています。

─優勝したバリシェフスキーさんについての印象をお聞かせください。
彼はとても真面目な音楽家です。正直で、アピールしようとしたり、媚びへつらうこともなく、ショーマンシップもありません。誠実さと深みを持つアーティストです。彼のそういう姿勢を尊敬しています。彼がステージ1で弾いたムソルグスキーの「展覧会の絵」は、多くのエネルギーとファンタジーが込められていて、私がこれまでに聴いたこの作品の演奏の中でも最高の演奏のひとつだったと思います。
─今回のこのコンクールで求めていたピアニストは、どのような人だったのでしょうか?
どのコンクールでも同じです。私たちを、笑わせ、泣かせてくれる、本物のアーティストです。鍵盤弾きでも、単なるヴィルトゥオーゾでもない……もちろんヴィルトゥオーゾであることは邪魔にはなりませんが、本物のアーティストを探しているのです。
─次の質問ですが、これをお聞きしても気分を悪くされないでほしいのですが……。
ええ、どうぞ。
─いつもいろいろなコンクールの会場でお会いできるのはすごく嬉しいのですが、それは、多くの有名なコンクールで主要な審査員が似たメンバーだということじゃないかとふと思ったのです。どうしてそういうことになるのかなと考えました。世界にはたくさんの教育者もいますし、それに……
第1回のルービンシュタインコンクールでは、ルービンシュタインが審査員でした。これまでにはミケランジェリやニキータ・マガロフもいました、そうやって始まって、今があるというだけです!
─ただ考えたのが、たとえばあるピアニストが主要審査員の気にいるタイプでなかったら、その人はどのコンクールでも優勝できないということになるのかなと、ちょっと思ったのですが……
……はい、ありがとう。

◇◇◇
歩きながらのインタビューで、すでにレセプションの会場の前に到着していたということもありますが、こうしてインタビューは打ち切られました。というわけで写真も撮れず。
ヴァルディ先生の反応に、わたくしけっこうびっくりしました。先生的に答えるのに居心地の悪い質問だったのかもしれませんけどね、でも、今後の国際コンクールがどうなっていくのかについての結構重要な質問だったと思っていたのですが……。
でも、めげずに次の審査員にアタックです。

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お次は、振り返って多分一番いろいろなコンクールでお会いしているような気がする、ピオトル・パレチニ先生。審査員席にお顔を見つけるとホッとする人です。会場でボソッとこぼす愚痴のようなコメントがいつもおもしろいので、見つけるとつい声をかけたくなってしまいます。写真を撮るというとサササとこの横分けヘアーを整えるのもいつも同じ。安心します。
ちなみに、このコンクールの入賞者は、パレチニ先生が芸術監督を務めるドゥシニキのショパンフェスティバルでのリサイタルに出演することになっています。

─あ、パレチニ先生! コメントをお願いします。
あ……ちょっともう帰ろうかなと思ってるんだけど。
─少しでいいので。結果についてはどうでしたか? 正直言って私はびっくりしましたが。
そうだね……それでちょっとあんまり話したくないんだけど……。なんていうか、結果は受け入れますよ。審査員の一人として受け入れなくてはいけないですから。私が気に入っていたのは他の人だったんだけどな、というだけです。ショパン賞も、私が良いと思ったのは別の人です。結果は14人の審査員の決断によって出すものですから、審査員になることを承諾したということは、全員で決断をすることを承諾しているということですので。
─審査員のみなさんの間で、「成熟した人を」とか、「若くても可能性のある人を」とか、そういう共通の認識のようなものはあったのですか?
ありません。それぞれが同じ重さの投票権を持って、単に良かったと思う人をそれぞれが選んだだけです。その中に政治的な何かが働く可能性もあるかもしれませんが、もちろんそれはあるべきでないと思っています……。ごめんね、ちょっと行かないと、おいて行かれちゃう。
─あとひとつだけ聞かせてください。このコンクール中ずっと考えていたことです。この質問をして怒らないでほしいんですが……さっきヴァルディ先生をちょっと怒らせてしまったかもしれないので……。いつもお会いできて楽しいのですが、それってメジャーなコンクールで多くの審査員が同じメンバーだということなのかなと思ったのです。世界にはたくさん優れた教育者がいるのにどうしてこういうことになるのでしょう。たとえばこういう人気の審査員たちが好かないタイプのピアニストは、どこのコンクールに行っても勝てないということになるのかな、なんて。
そんなことはないですよ。審査員はいつだって意見が変わります。レパートリーによってだって印象は変わりますし、ピアニスト自体も成長してどんどん変わっていきます。コンディションもその時によって違います。なので、そのことについては私は問題があると思っていませんね。例えば今日結果に納得していなくても、もしかしたら明日には納得しているかもしれない。1次ではすごくいいと思った人を、2次では全然良くないと思うかもしれない。そんなに大きな問題ではないと思います。
─なるほど。あとはコンクール同士の協力関係というのも、コンクール界を盛り上げているところはあるかもしれませんよね。優勝者が他のコンクールの予選免除をもらえるとか。
そうそう、たくさんのコンクールがあって、参加したいというピアニストもたくさんいて、コンクールは成長していると思いますよ。

◇◇◇
これまでいろいろなコンクールでパレチニ先生に話を聞いていますが、なんだか結果に不満そうなことが多いような。しかも結構、私が思っていることと意見が合う。そしてそれをあまり言葉を濁さず、正直に言ってくれるところが好きです。

ところでコンクールでよく持ちあがる話ですが、審査員の弟子だから……みたいなことは、言うだけナンセンスなんだろうなと最近思うようになりました。問題はもっと違うところにある。
いろいろなコンクールで見かける先生方は優れた教育者だから、優秀な生徒が集まり、上位に入賞している。それだけのことです。それに、出場しているピアニストには何も悪いことはないですもんね。

ただ、先にアーティスティックディレクターのイディトさんにしたインタビューで話に出てきた「ある審査員が、他の審査員の生徒に投票しなくては悪いかもしれない、投票しなかったら嫌われて自分を次の審査員に呼んでくれないかもしれない……などと感じて変な決断を下す」。こういう考えが働いて、さらにはその想いがつながってしまった場合は、最悪ですね。弟子に限らず、好き/嫌いなピアニストでも当てはまる話だと思いますが。

嫌なことを言うようですが、この世の中のシステムはある意味で平等なんかではない。その優位な立場を手に入れる運や頭の使い方も実力のうちといえるのではないかと思います。ズルは大嫌いですが、それをする人が存在するのは避けられません。世の中そういうことになっている。そして、そうやって何らかの幸運が巡ってきた人がその運を使うのは当然でしょう。
(とはいえ、今回のコンクールの優勝者が何かがあって決まったと言いたいわけではありません!! なんだか今回はいろいろな状況が相まって、そういうことを考えてしまったというだけです。)

とにかく今強く感じていることは、そういう妙な駆け引きに巻き込まれたり、利用されたりして辛い思いをする若いアーティストが出るということだけは、どうかやめてほしいということです。それは結果が良くなかった人かもしれないし、逆に例えば優勝した人でさえ、結果的に辛い目に遭わされることもあるかもしれない。まあ、私なんかが何をここで書いても何も変わりませんけど、そんなことをふと思った今回のコンクールでした。

というわけでなんだか長々暗いことを書いてしまいましたが、この件についてはまたどこかでいろいろ考察して書いてみたいと思っています。
この後このサイトでは、再びゆるやかに、コンクールにまつわる人々や、できればテルアビブやエルサレムの街について書いていみようと思います。

 

ファイナル結果発表、ピアニストの言葉

少し記事のアップまで日が空いてしましましたが、現地時間5月29日の深夜、ルービンシュタインコンクール、審査結果が発表されました。

第1位 アントニ・バリシェフスキー(ウクライナ、25歳)
第2位 スティーヴン・リン(アメリカ、25歳)
第3位 チョ・ソンジン(韓国、20歳)

ファイナリスト賞
レオナルド・コラフェリーチェ(イタリア、18歳)
アンドレイス・オソキンス(ラトヴィア、29歳)
マリア・マゾ(ロシア、31歳)

◇副賞
イスラエル人作曲家作品賞 アントニ・バリシェフスキー
室内楽賞 チョ・ソンジン、アンドレイス・オソキンス
ジュニア審査員賞 チョ・ソンジン
古典派協奏曲最優秀演奏賞 レオナルド・コラフェリーチェ
ショパン作品最優秀演奏賞 レオナルド・コラフェリーチェ
22歳以下のファイナリスト最優秀演奏賞 レオナルド・コラフェリーチェ
聴衆賞 マリア・マゾ

インターネットで聴いていたみなさん、結果についての感想はいかがでしょうか。
正直に申し上げまして、わたくしはびっくりいたしました。
優勝したバリシェフスキーさんは、完全にノーマークでした。演奏面からも経歴面からも、ノーマークでした。1次からノーマークな人でしたし、ファイナルの演奏を聴いてますますノーマークになった人でした。
バリシェフスキーさん、なんだか素朴でいい人そうだし、リサイタルの時は安定した演奏を聴かせてくれていました。そしてご自身は自分の音楽をしているだけで、私がたまたまそれに強く惹きつけられていないという、趣味の問題なのではありますが、この過去の記事を読んでくださっている方はお気づきのとおり、彼は私がモーツァルトで全然音が聞こえなかったと書き、プロコフィエフでねっとりした演奏だったと書いてしまった人です。
というわけで、結果にはそりゃまぁびっくりしました。むしろ、ご本人もびっくりしているようにすら見えました。それは単に彼の純朴そうなまぁるい目のせいかもしれませんが。

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結果発表の様子はこんな感じでした。
審査員やスポンサー、そしてコンテスタントが全員登壇すると、
ステージ1の演奏直後にあらかじめ撮影していた「優勝するのは、どんな気分か」についてのコメント動画が上映されまして。ステージ1のバックステージでとあるコンテスタントが「優勝するのはどんな気分かって今聞かれたんだけど。意味わかんない」と言っていて、なんのこっちゃと思っていましたが、ここで流すためのものを撮影していたわけですね。
そして、今年から始まったジュニア審査員(地元の音楽学生が審査員を務める)による審査結果、各種特別賞、聴衆賞が発表されました。合間には、5月28日に二十歳になったチョ君のお誕生日をお祝いするケーキが渡される場面も。

そして、ようやく最終の結果発表。

で、会場の雰囲気からして、結果に驚いたのは私だけではなかったようです。大きな拍手がもちろんわきましたが、多分熱心に最初から聴いていたと思われる人たちの中には、むっつりした表情ですぐに席を立つ人がけっこういました。
そこにきて、絶妙のタイミングでどーんと国歌斉唱。帰ろうとしていた人も立ち止まり、今にもお隣同士で論争を始めそうだった人たちも、おとなしく国歌を斉唱するのでした。
なんて計算しつくされた流れ……と、どうしても思えてしまいました。ひねくれていて、すみません。

その後、現地でコンクールを最初から聴いていたいろいろな人と話をしていて、「バリシェフスキーが優勝すると思ってた!」と言う人は、私が聞く限りはちょっといませんでしたね。やっぱり、多くの人にとって予想外の結果だったと思います。
バリシェフスキーさんが良いピアニストでないと言っているわけではないのですが、今回のファイナルの出来を多くの人が「ああ、彼はちょっと本選うまくいかなかったね」と認識していたため、みんなびっくりしたのかなと思います。同時に、インパクトの強い演奏をした人が他に何人もいましたし……さらに別の面から言えば、審査員の元弟子系の実力派もウヨウヨいましたからね。そんな意味でも、ダークホースでした。

私が普段話をするのは、だいぶ音楽を聴き慣れた人々や関係者が多かったわけですが、それにしてももちろん“専門家”の審査員ではありませんから、その多くの印象がちょっとズレていたのかも。こればっかりはわかりません。その後のレセプションでも他のコンテスタントのほうがいろいろな人から声をかけられていて、バリシェフスキーさんがぽつんとしていることが多く、ますます変な感じがしてしまいました。
これから優勝者ツアーがありますが、彼がそれぞれの演奏会で、期待に応える演奏を披露してくれたらいいなと思います。
審査結果について、何人かの審査員にも話を聞いています。それはこの次の記事で。

さて、なにはともあれファイナリストたちのコメントなどをご紹介。
今回はファイナルの最後にピアノをスイッチする人が続出し、6人中5人がファツィオリで演奏するという前代未聞の出来事もあったので、その理由についても聞いています。

まずは、最年少でファイナリストとなり、いろいろな副賞をゲットしていたコラフェリーチェさん。結果発表前に聞いたお話です。
(それにしても、ファイナルであれだけの課題を演奏しながら上位3位以外には順位が与えられないというこのスタイル、いつもなんだかなーと思います……)

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─すべて演奏を終えて、今の気分は?
3週間近く、一生懸命毎日6、7時間練習して、ナーバスな時間を過ごし、やっとここまでたどりつくことができて、とにかくうれしいです。結果は重要なことではありません。このコンクールで演奏できたことがとてもいい経験になりました。
─ファイナルのラフマニノフではピアノをファツィオリに変更しましたが、その理由は?
スタインウェイ、ファツィオリ、どちらもすばらしいピアノでしたが、このタイプのホールでラフマニノフを演奏するならファツィオリがいいと思いました。
室内楽と古典派協奏曲で弾いたベートーヴェンのような、しっかりと組み立てられた構造を持つスタイルの作品では、スタインウェイの音がとても合いました。
一方、ラフマニノフはまったく別の世界を持っている作品です。ファツィオリはピアノが軽く、音も豊かで、ラフマニノフを弾くにはぴったりでした。弾いていてとても心地よかったです。

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続いて見事聴衆賞に輝いたマリア・マゾさん。
ファイナルの最終ステージ、最後の奏者として大いに会場を沸かせ、唯一アンコールも弾きました。日本での演奏会が企画されそうな話があるようなので、楽しみですね。

─このコンクールを受けることにした理由は?
以前からこのコンクールには挑戦してみたかったんですが、ヴァルディ先生の元で勉強していたので参加できませんでした。でも、先生の元から離れて演奏活動をするようになってずいぶん時間が経ったので、そろそろ受けてもいいかなと思って。
─ファツィオリを選んだのはどうしてですか?
以前、初めてファツィオリを弾いたときに、すごく自分に合うと思いました。でもおもしろいもので、私の友人のピアニストが演奏してみたときは、何かしっくりこないしうまく扱えないと言っていましたね。
今回も2台のピアノを試してみて、ファツィオリは私のためのピアノだと思うほどぴったりときたので、選びました。

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そして第1位に輝いたアントニ・バリシェフスキーさん。
そのワイルドな頭髪と髭のイメージとは少し違って、丁寧に言葉を選んで語る、優しそうな人でした。本選になってフルフェイスのヘルメット的な印象はちょっと薄れたので、少し髭を整えたのかな?と思って、ステージ1の動画と見比べてみましたが、同じでした。ただ見慣れただけかも。
結果発表が終わって、プレスの取材が一区切りつくと、何かものすごく急いでホールの外に去って行こうとします。
待って待って!と呼び止めますが、今にも立ち去りたいという感じ。外で誰か待ってたのかな?

─日本の聴衆のためにコメントをください!
え?
─みんなインターネットで聴いているんですよ。だから日本の人たちにもコメントを。
はぁ、そうなんですか。
─結果が出て、今の気分は。
とても幸せです。僕に票を入れてくれたみなさんに感謝しています。それから、僕がいいピアニストだと信じてくれた人にも感謝してます。うふふふ!
─ところで、最初から最後まで、普通のステージ衣装ではなくシャツ姿でしたね。
そうなんです、好きじゃなくって……。

(その後、レセプションで再び発見)

─ちょっとお話を聞かせてください。
ちょっと待って…(モグモグ)、飲んでいて、食べないと酔っ払っちゃうから…(モグモグ)。
─そうね、空腹にお酒は危険だよね。
(モグモグ)。…はいどうぞ!
─ひとつ加えてお聞きしたかったのは、ファイナルでどうしてピアノをファツィオリに変えたのかなということなのですが。
理由はこのホールです。ピアノ選びの時は、スタインウェイが心地よかったのでそちらを選びました。最初の3ステージはもっと小さいホールでしたし、そこで弾いていたレパートリーにはスタインウェイが合っていました。
でもこちらの広いホールでは、スタインウェイのソフトな音だと充分でありませんでした。ロマンティックな作品だったらよかったかもしれませんが、プロコフィエフには、音量、そしてブライトな音が必要でした。このファツィオリはとてもリッチな音を持っていて、これなら自分のアイデアが再現できると思ったので。
─ファツィオリの音の印象はどのような感じでしたか?
高音部のオクターヴを弾いたときのヴォイスがとても好きなんですよね。とても輝かしい音を持っています。これこそが、僕がプロコフィエフに必要だと思ったものです。

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第2位のスティーヴン・リンさん。
いつもいろいろなコンクールで見かけるんですけど、ちゃんとお話をするのは今回が初めてです。若いころ長らくジュリアードでカプリンスキー審査員のもと勉強していた人です。

─すべてを終えて、どんな気分ですか?
ファイナルまで参加できたことをとても幸運だったと感じています。全部が終わってとにかくうれしい。スケジュールもタイトでしたし、大変でした。
─最後のステージでピアノをファツィオリに変えたのはどうしてですか?
アントニ(・バリシェフスキ)がスタインウェイを弾いているオーケストラリハーサルを少し聴いて、彼のような大きい男が弾いているのに音が良く聴こえない、これは良くないなと思って変えることにしました。多分他のピアニストにとってもそれが問題だったんだと思います。後ろ半分の席に音が聴こえないというのは、問題でしょ。
─ファツィオリの音の印象は?
とてもブリリアントで、大きなホールであのピアノを演奏するのはすごく楽しかったです。
─ところで、このコンクールを受けることにした理由は?
アンドリュー・タイソンって知ってる? 仲のいい友達なんだけど、彼が受けようよというから、確かに一緒に行って向こうで楽しめばいいかなと思って一緒にエントリーしたのに、彼は急に自分だけ棄権したんだよ! 僕はもうその時には飛行機を予約してしまっていてキャンセルできなかったので、仕方なく来たんだ。ひどいよね(笑)、信じられないでしょ。これでしばらくコンクールに出るのはお休みしようかなと思っています。
─こちらでの生活はどうでした? ファイナル前までは練習がアップライトで大変だったのでは?
最初はすごく大変だと感じました。でもなぜかだんだんアップライトが気に入ってきちゃって。ファイナルになったらグランドで練習できるんだけど、なんだかアップライトピアノが恋しくなってしまいました。家にアップライトピアノ買おうかな。
─コンテスタント同士相部屋というのも大変そうだなと思いましたが。
最初はすごく変な感じだったけど、なんだかけっこう楽しかった。
─ステージ2では吉田友昭さんと一緒の部屋だったそうですね。
そうそう! 僕すごく楽しかった。トモアキのほうがどうだったかわからないけど(笑)。
─人生とか幸せとかについて語り合った、とかって聞きましたけど。
そうそう。いろいろ意見を交換してめちゃくちゃおもしろかった。彼と話をするのはすごく好きだったなぁ。あははは!
─やっぱり、既婚の一児の父の意見はオトナ?
そうそう、あははは!!

(よっしだ君の話になると、なぜかものすごく嬉しそうなスティーヴン氏でした。)

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そして第3位のチョ・ソンジンさん。
(最終ステージ終演後、結果発表前に聞いたお話です)

─最後のステージ、お客さんの盛り上がりがすごかったですね。チャイコフスキーの協奏曲、アグレッシブな感じがして素敵でしたよ。
アグレッシブ……そう(笑)?
─あ、私の個人的な感想だから無視してください。とにかくフレッシュなエネルギーを感じたということです。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、とてもロマンティックな作品ですよね。僕ももう20回も弾いている作品です。いつもこの協奏曲を弾く時は、この作品を弾く初めての人間が、初めて弾いているような気持ちを持つようにしています。より深い情熱を込めて、ダイナミックに演奏したいから。それがそういう印象になったのでしょうかね。とくに1楽章と2楽章で大きなコントラストをつけたいと思っていました。2回ほどオーケストラとうまく合わなかったところがあったけど、指揮者もオーケストラも素晴らしかったです。
─ファツィオリにピアノを変更したのでびっくりしました。
僕もびっくりしました(笑)。本番の朝リハーサルで弾いてみて、変更したんです。
─どうして変えることにしたんですか?
古典派協奏曲のあと、音がクリアでなく2階では聴こえにくかった、同じ曲をファツィオリで弾いたマゾさんの演奏は聴こえたという意見を聞いたんです。最初はそういう話は気にしていませんでした。他の人たちもスタインウェイを弾いていたから条件は同じです。でもインターネットで最終ステージ初日の3人が全員ファツィオリに変えているのを聴いて、びっくりして。リスクを取るべきでない、僕も同じ状況で演奏したほうが良いと思ったんです。でもね、正直言ってどんな楽器かということは大きな問題ではないんです。これまで数々の大変なピアノで演奏をする経験がありました。もちろん、ピアノが良い音であることは重要なんですけど、弾きやすいかどうかなど、実は僕にとってあまり関係ないんです。
─ファツィオリの音の特徴をどう感じましたか?
とてもクリアな音でした。このホールは音響が良くないので、スタインウェイだと音が分散してしまう感じがしました。ファツィオリの音は密度が濃くまっすぐに届く感じがしたんです。
─パリでの生活ももうだいぶ経ちましたね。
2年近く経ちました。でも、演奏活動などで留守にしていることが多いので、実質パリにいるのは1年くらいかも。
─コンサート活動がたくさんあるけれど、さらに今回もこのコンクールを受けることにした理由は?
ヨーロッパでの演奏活動をもっと増やしていきたいからです。アジア人、とくに韓国のピアニストにとってはやはりコンクールでの経歴が必要ですから。僕が日本でコンサートをできるのも、浜松コンクールに優勝できたからです。みんな僕があまり緊張していないと思っているみたいですけど……いつも表情がこんな感じですから……演奏会の前はすごく緊張するし、とくにコンクールは好きじゃないんですけどね。
ところで僕、昨日(28日)が20歳の誕生日だったんです。僕はステージ2の演奏順が4番目だったから、ファイナルに進んだら日程的にきっと初日になって、ステージの上で誕生日を迎えられると思ったのに、僕の前3人が全員通ったから2日目になっちゃって。おかげで昨日は誰にもおめでとうと言われず、一人でずっと練習して誕生日を過ごしたんですよ。

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最後に、なんだかかわいく撮れたチョ君とスティーヴン氏の写真。
あんまり似ていない兄弟みたい。
チョ君、誕生日は練習漬けで寂しかったようですが、その後の受賞式でステージ上で誕生日ケーキを贈られ、2000人の聴衆からお誕生日を祝われたので、よかったよかった!
彼には次の来日公演についてなどいろいろお話を聞いていますが、それは別の場所でご紹介します。