第12回「暗譜というトラウマ」


間違えても戻らず、止まらず、そのまま弾き続ける。この練習は、なかなか慣れなかった。どうしても、きちんと弾きたいという思いがあるので、間違えると無意識のうちに戻ってしまう。それでも、ドレミ先生の「間違えても、これが正しいという感じで、しれっと弾き続ける」というアドバイスは心強い。

そして、レッスン当日。
「じゃあ、最初からいってみましょう」
練習通りに弾いていくのだが、この日は何か調子が出ない。これまでで一番ミスが多いんじゃないか?
「緊張してる?」
ドレミ先生が笑いながら聞いてくる。何で、緊張してるんだ? 間違えてもいいし、今日は、Mさんもいない。一番リラックスできる状態なのに……。
「何でだろ? 間違えが多いですよね?」
「もう一回、やってみましょうか」
二度目なら、いつも通り弾けるはずだ。始めようとすると、ドレミ先生が言った。
「ちょっと気になることがあるんですよね~」
ドレミ先生がこう言うときには、あまりいい話が続かないことを僕は知っている。
「楽譜に頼りすぎのような気がするんですよね。楽譜を追いかけすぎているから、指がおろそかになってるんじゃないかなあ。こういう時は……」
そう言うと、ドレミ先生は、楽譜を取り上げた。
「よしっ。じゃあ、今度は楽譜を見ないで弾いてみましょう!」
その一言に、思わず固まった。
ドレミ先生、それ、僕のトラウマなんだよ……。

あれは、小学校の時だった。クラスでピアノを習っている数名が選ばれ、何だかの発表会で演奏することになった。もちろん、僕も演奏メンバーの一人だ。当然、基礎しかやっていないので不安はあったが、発表会まではかなり時間があったので、毎日練習に励んでいた。当日は、オルガン(だったかな?)が10台ほど檀上に並び、そこで演奏することになっていた。なかなか仰々しいが、僕は、あまり緊張することがなかった(今でも、あまりないけど)。だから、その時も、「何とかなるだろう」と思っていた。演奏の時間が来て、楽譜を手に舞台に向かおうとしたところではっと気づいた。僕以外、誰も楽譜を持っていないのだ!
多分、こまっしゃくれた生意気な奴(だったに違いない)が偉そうに言う。
「楽譜なんて見ないで弾くんだよ」
そうなのか!? 楽譜見ないで、どうやって弾くんだ? 仕方なく、楽譜を置いて舞台に向かうが、気分は、もはや『ドナドナ』だ。

その後は悪夢のようだった。うろ覚えのまま弾いたものだから、見事な不協和音が響き渡り、終わった後に誰かが、
「何か、途中で変な音が聞こえたけど、あれ何?」
と言っていたが、もちろん、知らんぷりだ。弾きながら、早く終わってほしいと何度思ったことか……。

そして今、またその悪夢が繰り返されようとしている。弾き始めた途端に、止まってしまった。
「ドレミ先生、ダメだ。覚えてない。楽譜ないと弾けないよ」
「っていうか、いままでよく鍵盤見ないで弾けましたね」
いや~、それほどでも、などと照れている場合ではない。これって重症では?
「でも、ピアノ弾く目的は、暗闇で弾くことでしょ?」
そうだった。確かに、いつも楽譜を持ち歩くわけにはいかないし、そもそも暗闇じゃ、楽譜読めないし……。
「それに、楽器屋さんに行って、弾けたらカッコいいじゃない」
おぉっ! そう言われれば、娘に電子ピアノを買う時も、ポロポロと音を鳴らすしかできなかったしなあ。

「じゃあ、来週までの宿題は、暗譜して弾けるようになること!」
げ! それって一番過酷な宿題だよ……。
「何か、初めて宿題らしい宿題でしょ? 大人にはちょっと難しいかもしれないけど」
「分かりました……。あ、でも、このパートだけは、見ないで弾けるよ」
何を隠そう、ラシド~から始まる盛り上がりパートは、いつも鍵盤を見て弾いていたのだ。
「それ知ってるから」
知ってるんだ……。
分かりました。ちゃんと他のパートを暗譜してきます。悔しいから楽器屋では、延々と『トルコ行進曲』を弾いてやる!

その後は、『北の国から』の冒頭をドレミ先生が書いてくれた楽譜を見ながら軽く練習。これは楽しい! それでも、ドレミ先生は釘を刺すのを忘れなかった。
「自宅で練習する時は、『トルコ行進曲』を暗譜して全部弾いてから、『北の国から』に入るように!」

(つづく)

←【ピアノ教室に通ってみた】

◇レポート執筆者◇
今東昌之
めがねがトレードマークの会社員。
小学校3年から中学2年、インターバルを挟んで、高1から高2までピアノを習うも、
現在はさっぱり弾けなくなってしまったという。
40歳を過ぎたある日、再びピアノを始めようと一念発起。さあ、どうなる!

◇通ってみた音楽教室◇
コロムビア音楽教室
2013年にオープンしたばかり。ご存知のレコード会社日本コロムビアが運営する音楽教室。代々木公園駅近く、白寿ホールのある建物のなかで火曜日から土曜日まで開校。初心者から音大受験生まで、演奏家としても活動する講師たちにマン・ツー・マンで習うことができる。ピアノのほか、ヴァイオリン、チェロ、フルートのクラスがある。

ホームページ http://www.columbiamusicschool.jp/