ショパンコンクール2次予選、ピアノのこと、選曲のこと

2次予選が終わりました。
振り返りレポートは、こちらのぶらあぼONLINEに。

セミファイナリスト、個性的な顔ぶれが多いですね。それもなんとなく、やはり個性派ぞろいだった2010年の時とは、また少し違った感じで。
何が違うのか、うまく説明できないんですが、なんか2010年の個性派たちは、やったるぜ感(?)と、妙な自信満々ぶりが全員すごかった。今回はもうちょっと全体的に飄々とした雰囲気があるというか、ナチュラルにがんばって、ここまでたどり着いたという感じの人が多いような。
もちろん個々に相当な努力をしているのは確かで、ステージにかける思いもプレッシャーも、それぞれに大きいと思います。
たった11年でも時代が変わったということでしょうね! すでに変わり始めていたとはいえ、まだあの頃は、コンクールの一発にかける感が切迫していた。今はコンクールの意味合いも変わり、さらに活動の方法も一層いろいろ増えたということでありましょう。そのほうがいいのかもしれない。人々が求める音楽も、変わってきているのかもしれない。

そして結果については、もういろいろなところでいろいろな意見が出ていると思うのですが、ぶらあぼの記事の中に書いたことが、今の時点で私が思うことであります。

さて、今回も恒例、お時間のある方向け、2次予選期間中にお話を聞くことのできたコンテスタントのコメントです。選曲、ピアノ選びについてのお話中心にご紹介します。

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初日に演奏した、ゲオルギス・オソキンスさん(ラトヴィア)。前回もかなり個性的な演奏で注目を集めていたファイナリスト、再挑戦です。

—ワルシャワフィルハーモニーホールのステージに戻って、どんな気分でしたか?

このホールの雰囲気が個人的にとても好きで、それが演奏のインスピレーションになりました。1次は音響を確認しながらの演奏ですから緊張しましたが、今日の方がよりリラックスして、自由になることができました。

—曲目、リサイタルみたいでしたね。調性もすごく気にされているようでしたし。

それを感じてもらえたなら嬉しいです。ショパンはとても調性を気にした作曲家でしたから、それを考慮して組んだプログラムです。コンクールだからといって、それに合わせてプログラムを組むなんて僕にはできない。演奏は、いつだってアートでなくてはいけません。

—今回はヤマハのピアノを選びましたね。

5台ですから、選ぶのに2時間くらいほしかったけど。でもこの特別なコンクールという環境で、最初のタッチで感じたものから選びました。それから音のはり、品のある音も気に入っています。素晴らしいピアノです。ただ今日は湿度が低かったので、少し苦労したところがありました。

—あなたの演奏には、聴く人を覚醒させるようなところがありますよね。

グレン・グールドの言葉で、伝統的なやり方に従って全く同じように演奏する理由がどこにあるのか、私たちは常に発見しなくてはいけない、というものがあります。作品の構成の中に新たな発見をすること。それによってしか生きた音楽は生まれないと思います。音楽は、その場で生まれる魔法のようなものでないといけないのです。

—ときどき、ショパンすらそういう音楽が生まれると気づいていないんじゃないかという音を聴かせてくれていましたもんね。

ショパンの時代とはピアノが違いますからね。彼は今のピアノを聴いたらどれだけショックをうけることか。それに、モダンなアプローチを嫌う可能性もなくはない。でも、僕はオーセンティックという言葉が好きじゃないんです。200年前のように演奏するということは、研究者のすることであって、アーティストのすることではないんじゃないかと。現代の環境の音楽を見つけないといけません。

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相変わらずというか、なんとなくパワーアップしていましたね。
腕につけた紐も、おしゃれデザインのシャツも、6年前と同じ!と思い、あーそのシャツ、といったら、「胸元の開きかたは前のより狭い!」とすごく主張してきました。誰も開けすぎだなんて指摘してないのに。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、彼はゲオルク・フリードリヒ・シェンク先生門下。そう、2010年の入賞者で個性的な演奏が持ち味のボジャノフさんの弟弟子です。低い椅子もあの門下ならではでありました。
個性的なので評価が分かれるのもわかるのですが、ちょっと次も聴いてみたかった…また日本に来てね。

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3日目に演奏した、カイ・ミン・チェンさん(台湾)。

—とてもエレガントな音を鳴らされますね。

他の作曲家の作品を弾く上で美しい音を鳴らすには、普通に弾けばいいんですけれど、ショパンの場合はそこにエレガンスが必要なので、特別なタッチが求められます。ペダルもやさしくつかいながら、指先で、クリアで正確に鍵盤に触れなくてはいけません。

—プログラミングも、3つのエチュードが入るなど少し変わっていました。

師匠であるダン・タイ・ソン先生が提案してくれたことです。他の人が弾かないユニークな作品をいれることで、印象を残せるのではないかといわれて。僕も演奏を楽しみました。

—ピアノはスタインウェイ300を選びましたが、どこが気に入りましたか?

まずはコントロールです。どんなにピアノの音が美しくても、自分がうまくコントロールができなければ仕方ないので、コントロールのしやすさを重視して選んでいます。
音質についても、あたたかく、僕自身がブライトな音は楽に出せるほうなので、ショパンを弾くにはこちらのほうがいいと思いました。479のほうで弾いたら、明るい音がしすぎてしまうと思って。

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某所から手の大きさを聞けとの指令があり、そんな話になったところ、ご本人、手は小さい!とのこと。でも、指すごい長い感じですよね?
手が大きいというのは掌が大きいという意味だと思っているのか、なんだか話がかみあわなかったのですが、とにかくご本人は、手は開かないし小さい!と主張していました。なんかみんないろいろ主張してくる。
そしてプログラミング、ソン先生ナイスアイデア! フレッシュな選曲が生きてましたね。ちなみにソン先生につくようになったのはこの2年で、それまでは台湾国内で勉強していたそうです。

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そして、アレクサンダー・ガジェヴさん(イタリア/スロベニア)。

—今日もガジェヴさんならではの、よく計画されているけどその場で生まれてる感すごい演奏を聞くのがとても楽しかったです。今日のステージでのインスピレーションは、何でした?

たっぷりの水ですね。とくにはじめのところ。

—水?

はい、ウォータリーな音を聴こうとしていました。それから、土、地面。
ダンスの瞬間には、ライトが輝く舞踏会、そこから伝説のバラードにむかいました。いろいろなエレメントをつないでいきました。

—今回はシゲルカワイを選びましたね。どんなところが気に入っていますか?

音はどうだった? 中で聴いてたの?? 大きな音、良く聴こえてた?

—とても豊かによく聴こえていましたよ!

そう、よかった。僕は、カワイのあの空間に溶けるような音が出せる能力がとても気に入っているんです。今回のピアノも、夢のようなクオリティですね。

***
9月に日本に来てくれたばかりです。あの、計算づくと無計画のはざま、みたいな演奏(褒めてます!)がおもしろいんですよね。ショパンコンクールのステージでもそれは健在。
そして、マジで時間がない中でピアノについてのコメント聞いてるのに、聞き返してくるのやめてほしい(笑)。私の話はいいから!でも、気になるんでしょうね。
我らが浜コン優勝者。なんか、がんばってほしい。

 

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2010年ファイナリスト、ニコライ・ホジャイノフさんです。
遺作のフーガを入れ、絶筆のマズルカを繊細の極みみたいな音で奏でるという、かなり攻めたプログラミングでした。

—今日は、繊細な音で私たちを泣かせようとしましたね。

それはごめんなさいね(笑)。

—「英雄ポロネーズ」もとてもジェントルな音で始めましたけれど。

そう、お気づきだったと思いますが、それは僕がショパンの自筆譜を勉強していくなかで、ショパンがフォルテや大きな音を最初に書くことはなかったということを改めて知ったからでした。その意志には敬意が払われるべきだと思い、ああいう表現をしたのです。
それと、この曲を最初に置いたのは、ポロネーズというものがもともと舞踏会で最初に踊られるものだから。もちろんコンサートは舞踏会ではないからいつ弾いても自由ですが、僕は最後に弾くことはなんとなくしっくりこなくって。

—他のプログラムもユニークでしたね。

選曲に自由があったので、とても好きな曲から選びました。
まずバラードは第2番。マズルカはOp.41-1。どちらもマヨルカのヴァルデモッサで書かれたものです。彼は大好きな地にいながら、とても苦しんでいた。フーガはマヨルカから戻ってすぐに書かれたものですが、彼はマヨルカに大好きなJ.S.バッハのプレリュードとフーガを持っていき、いつも弾いていました。ショパンは常にポリフォニーの実験をし、作品にポリフォニックな要素やポリメロディックをたくさん取り入れていましたね。
それから最後の作品といわれるOp.68-4のマズルカ。以前、これが書かれたのではないかと思われるパリのショパン最後のアパートだった場所で演奏したことがありますが、特別な経験でした。ワルシャワで自筆譜を見ましたが、それはもう見ていて心が苦しくなるような筆跡で。偉大な作曲家が、歩くことはもちろんピアノにも触れられない状態で書いた作品です。
舟歌も晩年の苦しみと痛みに満ちた曲です。彼はヴェネツィアに行ったことはありませんから、船頭の歌とは別世界の舟歌。人生、もしくは人生の後にあるものの描写といえると思います。

—なるほど、それでこのプログラムは全体にああいう音で、ああいう風に弾かれたわけですね。

そう、考えてのことですよ(笑)。

—ところでピアノ選びは難しかったですか? 1次のスタインウェイ300から、2次では479に変更されましたが。

難しかったのは、セレクションの時はピアノが舞台の後方にあったことです。1次でピアノに触った瞬間、選んだピアノだとは思えないくらい違って聴こえました。素晴らしい楽器だけれど、音がメロウで、もう少し狭い会場に最適な調整なのかもしれない。調律師さんは素晴らしい能力の持ち主なので、そこには問題がないのですけれど。今日演奏したほうは、より音が鳴らしやすくて、音色の違いを生み出しやすかったです。

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1次の大喝采にくらべると2次は客席の反応がおとなしめだったので、これは意図が伝わらないとお客さんも反応できなかったんじゃないかなと思い、ちらっとそんなことをいったら、「そうかもしれないけど、全部きれいな曲だからいいんじゃないですか? 僕は全部好き」と言われてしまいました。
そのとおりですニコライさん。
この感じは18歳の時から何もかわらない。そして通過おめでとうございます。

 

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最終日に演奏した、小林愛実さん。

—前回は椅子トラブルがありましたが、今回は事前に調整したのですか?

いえ、もう今回は低いままでいいかなって。今日もマックスにあげてもまだ低かったんですけど、技術的な曲もないし、もうこのまま弾こうと。

—すごい。1次のほうが緊張していたのかなと思いましたが?

どっちも緊張しました! すごく変な感覚だったんですよね。普段のコンサートは全然緊張しないのに。なんでこわいんだろう。歳とったからかな。

—6年前の、出るときに背中を叩いてもらうのは?

やってもらいました、撮影の方に(笑)。

—幻想ポロネーズの冒頭には引き込まれました。あれでいい雰囲気が作られたように思います。

最初のところはよかったんですけどねー(笑)。最初に後期作品を置いたので、地獄に突き落とされたみたいな始まり方の音楽を、そういう気持ちで弾きました。
「アンダンテスピアナートと華麗なるポロネーズ」は、一番頑張って練習したんだけど…。全部の音を聴いて、速い部分もアレグロだから、そこまでテンポをあげる必要もないと思って、一音ずつ、丁寧に弾くことを考えていました。

—ピアノはスタインウェイの479でしたね。どんなところが気に入りましたか?

コントロールがしやすいと思いました。それと、右手のメロディラインが綺麗に響くピアノだと思います。小さな音でもすごくよく響く。
ステージ上で自分で聞いていると、全然響いていないように、ドライに感じるんですが、ホールでの聴こえ方は違うと気づいたので、それを想像しながら弾きました。他の方の演奏を聴いて、舞台上で弾いている時に聴こえる感じと音の通りが違ったんです。参考になりました。

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2次では、6年という時間の大きさが感じられました。愛実ちゃん、立派になって…(と思って見ていた方は多いはず)。
今回は、前回とレパートリーを総とっかえしているということで、セミファイナルではプレリュードを弾きます。
ちなみに、ピアノを選ぶときは、結局最初にいいなと思ったものを選んだようです。でも、ヤマハを選んで弾く夢を見たっていってました。夢に見るほどだなんて、大変よ!

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最終日に演奏した、イ・ヒョクさん。

—みんなソナタのあとに拍手せずにいられなかったみたいですね。

すごいびっくりしてしまって、ポロネーズの1小節目でミスしちゃった(笑)。集中を失ってしまった!

—あなたのその明るくていつもハッピーそうなキャラクターを思うと、ショパンのような難しい性格の人についてどう感じているのかなと思ってしまうんですけど…。

そうなんですよ、彼を理解するということは今回、僕の大きなミッションでした。でもパンデミックの期間中、たくさんの本を読み、手紙を彼の母語であるポーランド語で読んで、彼をもっと理解しようと心がけました。
ご存知の通り、僕はいつもハッピーな感じの人間だけど(笑)、ショパンは違うから、本当に挑戦だった。今も100パーセント理解できたとは言えないけど。

カワイのピアノは、いかがでした?

とてもあたたかい音がして、広いダイナミクスが表現できて、高音部分はブライトな音が鳴ります。英雄ポロネーズなんかは、序奏のつぎの、タータターンのところをこのピアノの音で演奏するのがとても好きでした。品格のある明るい音が気に入っています。

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こういう明るいタイプの子って、ピアニストには本当に珍しいような気がします。そのうえ、とても賢い(言語の話もそうですが、チェスがすごく強いということでも知られています)。浜松コンクールのとき、共演した指揮者の高関さんが「天才タイプ」といっていましたが、なんか本当に、底の見えない若者です。
ソナタ大好き人間、次のソナタもたのしみです。

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結果的に最後の奏者となった、ブルース・(シャオユー)・リューさん。

—舞曲の作品を楽しそうに弾いていたのでお聞きしてみたいのですが、ショパンの音楽にはハーモニーとかポリフォニーとか歌とかいろんな魅力があると思うけど、リズムの魅力って感じますか?

ダンスのリズムの重要性はショパンに限ったことではないけれど、一番大切なのは、プロコフィエフやストラヴィンスキーみたいなリズムの魅力とはもちろん全くちがって、とにかくどんなときもよい趣味を保ち、エレガントに弾かないといけないということです。

—今回はファツィオリのピアノを選びましたが、どこが気に入りましたか?

コンクールでファツィオリを弾くのは初めてですし、普段から弾く機会はなかったのですが、セレクションで試してみて、すぐに音色が気に入ったので選びました。アクションやタッチに慣れるための時間のないコンクールという場で、弾き慣れていないピアノを選ぶということは、何が起きるかわからないから少しリスキーで攻めた選択だとは思ったんだけど。でもうまく行ったかなと思っています。
ノーブルでチャーミング、響の感じが気に入っています。絶対に嫌な音がしないし、とても明るいキャラクターを感じます。

—少し冒険でも選ぼうと思うくらい、音が魅力だったという。

そう。完全に心地いいものばかりじゃなく、新しいものを受け入れていくということが好きなのかも。そのほうがおもしろいときもあるから。

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心地いいものだけを選ぶのではなく、冒険したほうが、おもしろいことが起きる。
なんだかかっこいいじゃないの…。

彼は2016年仙台コンクールの第4位入賞者。当時19歳。おしゃれなハットをかぶっていたのが印象的だったのでその話をすると、わー、それものすごく昔のことだよねーと言われてしまいました。5年はすごく昔か。まあ。若者にとってはそうでしょうね。
ちなみにあのときはまだブルース表記はなかった記憶。それと、お父さんは画家っていう情報を思い出しました。
シャオユーくん、次のステージでは、ソナタとマズルカに加えて、Op.2の「ドン・ジョヴァンニの《お手をどうぞ》の主題による変奏曲」を弾きます。あのノリで弾いてくれたらたのしそう!

 

セミファイナルも個性豊かな人々が揃っています。まだつかまえたくてもチャンスがない人もたくさん。そのユニークな音楽の背景にある人物像とは、的な感じで、これからもご紹介していきたいと思います。
さて、どこまで長い原稿を書くための気力体力がもつか!

ショパンコンクールがはじまった…

はじまってしまいました、第18回ショパン国際ピアノコンクール。
6年ぶりに、ワルシャワに取材に来ております。

今回、最新の現地レポートはぶらあぼONLINEに書きます。
そして、ここまでショパンコンクールに向けての記事を連載してきたONTOMO webには、少し別の角度からコンクールの魅力を紹介する記事を寄稿する予定です。
そしてこれらに書ききれないようなピアノ好きのみなさんのための情報は、こちら、「ピアノの惑星」に書いていこうと思います。

他にも帰国後に紙媒体ほかでいくつか情報発信する予定がありますので、また順次お知らせいたします!

さて、ショパンコンクールは、10月2日、オープニング・ガラコンサートで開幕しました。
そして本日から、コンクール1次予選。モーニングセッションは午前10時から、15時から2時間休憩で、17時から22時ごろまでイブニングセッション。「10時間演奏聴いてることになる」と誰かが言っているのを聞いて、知りたくなかった…と思ってしまいましたね。
ちなみにわたくしごとで恐縮ですが、朝食を食べて出てきて、途中30分弱の休憩があって15時までですから、昼の部の終盤は、お腹がすいて演奏聴くどころではない、ということに初日に気がつきました。
どうしてこういうスケジュール?と思いますが、ポーランドでは、朝食べて出て、昼前にちょっと軽くなにかつまんで、15時ごろに「ディナー」といってがっつりご飯を食べるらしいので、ポーランドの人たち的には、ノーストレスなのかもしれません。

気になる初日のお客さんの入りですが、昼は大体5割くらい、夜で7割くらいでしょうか。日曜日だったというのに、思ったより少なかった印象です。

また、審査員の変更があったのはぶらあぼの記事に書いた通りですが、今日はさりげなく、サ・チェンさんの姿が見られませんでした。つまりは、審査員は当初の予定からマイナス二人の人数でスタートしたということになりますね? …まあ、そんなもんなんでしょうか。
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(審査員のみなさま。ハラシェヴィチさんがなにかっていうとマスクはずしたそうにしているのが印象的でした)

それから今回は、バックステージへのアクセスが厳しく管理されているので、これまでのように、終演後に裏に走っていってコンテスタントとお話をするということが基本的にできません(事前に申請して通った特別なパスを持った人たち、しかもPCR検査済みの人たちしか入れてもらえない)。
そんなわけで、いつものような取材はしにくいところだったりするのですが、まあなんとかうまいこと、ゆるやかにホットな情報をお届けしたいと思います。どうぞお楽しみに。

最後にちょっと、どうでもいい余談を。
私のコンクール取材の旅の必需品をご紹介したいと思います。

まずは、耳栓。
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飛行機の中はもちろん、宿の場所によっては騒音が気になる時、ホテルの廊下でお掃除レディが早朝から大声でわーわーする時なんかに使えます。難点は、目覚ましのアラームが聞こえにくいこと。
ちなみに今回、アパートの上の階で老夫婦が真夜中に壮絶なバトルを繰り広げており、思いがけず役にたってしまいました。まあ、なくても疲れ果てて寝ちゃいますが。

づづいて、ノート。
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コンクール取材中はいっぱいメモをとるので、そしてなんとなくたびの記憶になるので、現地調達することが多いです。今回は何を血迷ったか、スーパーで見かけたハリネズミ柄をチョイスしてしまいました。アウチ!アウチ!って書いてある。

そして、日本から必ず持参する、胃薬。
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コンテスタントの緊張感にずっと触れて、一緒に心配したりハラハラしていたりすると、ごくまれに、気が小さいもんで、こっちが胃をやられることがありまして。これは、食べ過ぎとか飲み過ぎとかじゃなくそういうストレスの何かから胃を守る薬ということで、長らく旅の常備薬としています。
最近は図太くなってきたので、それほど胃が痛くなることもなくなりましたが。

と、完全にどうでもいい話になりましたが、今回もどんな演奏に出会えるのか、たのしみですね!

鋼のメンタル、インドヤマハの社長さんのお話(ONTOMO連載の補足)

ウェブマガジンONTOMOで連載中の、インドの西洋クラシック音楽事情のお話。
第2回では、「日本の楽器メーカーは、人口13億人超のインド市場にどう挑んでいるのか」というテーマで、インドでのキーボードの広がり、子供たちが楽器を習う動機の現状、そして昨年、インド、チェンナイでの現地生産をスタートしたヤマハ・ミュージック・インディアの社長、芳賀崇司さんのお話をご紹介しました。

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記事の中でも触れましたが、子供が西洋の楽器を習う大きな理由の一つとなっている、受験に有利だから、ということについて。
インドの受験戦争は本当に厳しく、社会問題化しています。以前、日本でもわりと人気がでたインド映画「きっとうまくいく」でも、受験や成績のプレッシャーを苦に命を絶ってしまう若者の存在が、ひとつの重いテーマとして扱われていました。
富裕層は富裕層で必死。さらに、カースト制度の職業の縛りから外れたIT産業が盛んとなったことで、低カースト層は、貧困の連鎖から脱却する一発逆転に賭けています。

ちなみに、こちらが件の集団カンニングで親が壁をよじ登る様子を報じたニュース映像。
その後、カンニング予防のために屋外で試験を受けさせられる青空テストのことや、マイクや受信機が縫いこまれているカンニング肌着が紹介されているのを見たことがありますが、最近はこのダンボールかぶってテスト、が、絵的には刺激的ですね。

人道的にどうかという否定はもっともですが、それはともかく、
厳罰をつくって守らせるという「ルールをつくり、一旦相手を信用してものごとをおこない、それでも守らない人は超絶ひどいやつだから、厳しく罰する」という思考回路ではないことが窺える例ですね…
つまり、抜け道があれば誰もがそれを利用する前提で、それができない環境を、まあまあの力技でつくっていく、しかも材料は手近な段ボール、っていうあたりが、インドらしい。たとえばインドでは、何かを並んで買う時、絶対に割り込みされたくないから、前の人に密着して立つっていうカルチャーもありました(最近は減ってるのかな?)。おじさんが体をぴったり密着させて長蛇の列を作っている光景、かつてはよく見かけ、絶対参加したくない、と思ったものです。手近なものと発想でなんとかしようとするメンタリティ、すごいなと思います(これはヤマハインドの社長さんのお話にも通じるところ)。

そして余談ですが、記事の中で出てくる、真ん中だけ調律するインドの調律師さんの話…先日、夫が調律師だという某ピアニストさんが、「家でモーツァルトを練習している時期は、夫は真ん中しか調律してくれない」と話しているのを聞いて、インド人の感覚!と思いました(モーツァルトの時代の鍵盤楽器は、今のピアノよりも鍵盤数が少ないですね)。

さて、そんなインドで奮闘している、ヤマハ・ミュージック・インディアの芳賀さん。
2017年7月に着工したヤマハチェンナイ工場の責任者として、またデリー近郊のグルガオンに拠点を置き営業面の中枢となっているヤマハ・ミュージック・インディアの社長として、2018年の春からインドに赴任されています。
自分、初代の社長から、代々のインド社長におおむねお目にかかってきているのですが、やっぱり今回の芳賀社長も、かなりメンタル強そうです。なんとかなるさ気質がすごい。

今回も例によって、こちらでインタビューのロングバージョンを掲載したいと思います。まさかのスキーが作りたくて入ったという体育会系スタートのヤマハ人生についても、少し振り返ってくださっています。

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芳賀崇司社長@チェンナイ工場の食堂

━いくつもあった候補地の中から、最終的にインドが選ばれた理由はなんでしょうか?

昨今、中国も人件費が上がっている中、これから生産のキャパシティを増やすならどこを拠点とするかという話が出たのが、2015年ごろです。これには、生産拠点の立ち上げを経験した人材が抜けてしまう前に、次の世代にノウハウを伝えておこうという考えもありました。
既存の工場がない国で、立地条件、労務費などを検討した結果、人件費が抑えられることに加え、やはりこの13億人という市場の大きさという条件が備わったインドを選ぶことになりました。将来的に中近東やアフリカでの製造の可能性を視野に入れるなか、インドで立ち上げを経験しておくのは良いステップになるだろうという思惑もあります。

━チェンナイのこの工業地帯には、日本の車メーカーの工場もたくさんありますね。

チェンナイはインドで4番目の大都市で、港があり、また、この地域には日本の銀行の資本が入っていることもあって、日本企業が入りやすいのです。大きな自動車メーカーや部品メーカーなどに、日本からの投資がかなり入っています。……主な投資先は二輪、四輪なので、私たちのような楽器製造というのは、ちょっと異様ですけれどね。

━異様(笑)。以前からインドではカシオのキーボードが広く販売されてきましたが、全て輸入ですもんね。キーボード市場のライバルとして意識するところはありますか?

キーボードをカシオと呼ぶというくらいがんばっていらっしゃるので、戦っていかないといけない部分もあるのでしょう。ただ私としては、そのために現地生産を始めたというより、全体の市場を大きくするためという意識が強いですね。お互い市場を取り合うより、カシオさんとも協力して、音楽人口を大きくしていく方向に進めたらいいなと思いっています。そうでなくては、将来がありません。

━インドの従業員の仕事ぶりはいかがですか?

スタッフ、工場のオペレーターとも、水準が高く向上心もあります。ただ、これは国民性なのかもしれませんが、本当にこちらが言ったことを理解してもらえているのかどうか、ちょっと不安になるときはありますね。自分たちに良いように解釈して進めて、我々の望んでいることとギャップが出てくることが時々あるかな。その辺は気をつけて見ていかないといけません。
インドの方が返事をするときの頭の振り方って、日本人からするとイエスかノーかわかりにくいですけれど(注:彼らはイエスの意味で小首をかしげます)、それに象徴されているというか…わからなくてもそうはっきり言ってくれないことが多いかもしれません。

━メーカーの製品ですから、各自で臨機応変に解決されては困るでしょうね。インドっぽいといえばインドっぽいですが。

そうそう、それが良い結果につながることもあるのかもしれませんが、品質確保の意味では勝手な判断をされると困るのです。とはいえ、市場に出て行く製品にはテストが行われますから、ヤマハ品質の確保という意味では問題ないでしょう。

━「それがいい結果につながるかもしれないけど」とおっしゃるあたりに、芳賀さんはインドで仕事をするのに向いていらっしゃるんだろうなと思ってしまいました(笑)。

ははは(笑)。まぁ確かに、何もかも押さえつけるのは良くないとは思ってます。実際、そいういうところにヒントが転がっていることもありますからね。固定概念があると、そこから外れたくなくなってしまいがちですが、これは、大きな間違いかもしれませんからね。外からの視点や、ひらめきは大事にしないといけません。

━インド向けの商品開発も、現地生産をはじめることで、日本の本社を通していたときより効率がよくなりそうだと伺いました。

そうですね、今後は現地の情報をどんどん物作りに反映したいと思っています。
他の会社では珍しくないのかもしれませんが、実はヤマハとしては、製造と販売が一体の会社というのは、このインドが初めてなんです。営業・販売と製造がツーカーの関係であることが、良い方向に作用したらいいなと期待しています。

━日本の本社からの期待感はどうでしょう? インドのビジネスはどういう位置付けにあるのでしょうか。

マーケットとしてはアメリカ、ヨーロッパ、日本が中心で、そこに中国が伸びてきている現状の中、次にくる場所として、インドは注目されています。
日本でもかつて、ヤマハ音楽教室が大きな役割を果たしました。すぐ売り上げにつながるわけでなくても、先行投資をして、インドでの音楽教育の推進、学校への働きかけを広げていかなくてはいけません。
いずれにしてもこのチェンナイ工場は、オール・ヤマハの支援のもと、現在に至っています。特に、既存の海外の工場の協力が大きな助けになりました。
例えば私が以前いたマレーシアの工場には、マレー人の他に、中国系、インド系のスタッフがいるのですが、実はこのインド系がタミルからの移民で、家ではタミル語を話しているんです。そこでこのチェンナイ工場では、そのインド系マレーシア人スタッフを駐在員として招き、通訳などとして活躍してもらいました。彼らはすでにヤマハのやりかたを理解していますから、助かりましたね。
日本人だけでなく、世界各地のローカル人材を活用する、良い事例になったと思います。

━日本企業にとって、インドはビジネスをしやすい環境だと思いますか?

それはちょっとどうかなぁ。やっぱりお役所関係のことが簡単ではないですよね。選挙のたび、州政府がどうなるかに大きく左右されたりするので。

━これまで海外での工場の立ち上げに携わり、いろいろな国の人と触れ合いながら楽器をつくってきて、今どんなことを感じていますか?

うーん、それは、私個人的にということですよね…。実は私、最初はスポーツ部門でスキーを作りたいという気持ちでヤマハに入ったので、まさか海外に行くことになるだなんて全く考えていなかったんですよ。
結果的にサラリーマン人生の半分以上を海外で過ごすことになりましたが、自分にとってはよかったと思います。日本の良いろころ、悪いところが改めてわかりますし。
あと、日本は少子化で平均年齢が上がっていますけれど、海外の生産拠点で仕事をしていると、若い人と仕事をする機会が多いのです。工場では自分の子供より若いスタッフもたくさんいます。伸び盛りの人と一緒に仕事ができることは、ありがたいです。
そしてやっぱり、毎日いろんなことがおきますね…。それはもちろん大変なんですけど、なんか、よかったなと思いますねぇ。

━大変な時は、どうやって乗り越えたのですか?

若い頃はただがむしゃらにやっていましたけど、経験を積むなかでうまく立ち回れるようになるというか。いいかげん…ってことでもないんですけれど、ポジティブに考えるようにすることで、乗り越えられるようになりましたね。明日は明日があるさみたいな気持ちでやっていますよね。

━そうじゃないと、やってられない?

やってられないですねぇ。なにごとも、ツボを押さえることが大切です。それは難しいことですが、経験やカンで、だんだんできるようになって行くのだと思います。本来押さえないといけないところをほったらかしていると、違う方向にいってしまったり、または全然進まないということになってしまう。そうならないよう、そこだけは冷静に見るように心がけてきたかな。

━インドの仕事に携わっているうえでの抱負はありますか?

まず工場の責任者としては、良いものをしっかり作っていくこと。ヤマハ・ミュージック・インディアの社長という立場としては、市場の開拓を進めいくこと。この両輪で軌道に乗せていきたいです。
あと、これはどこの国でも同じですが、インドに工場をつくった以上、やっぱりインドのためになることをやりたいですね。大げさなことはできないけど、例えば雇用の促進などで地元に貢献する。そうして、地域に根の張った工場であり、ヤマハ・ミュージック・インディアにしていきたいです。私たちの商品は、人を幸せに、豊かにするものですから。…会社からは、早く儲かるようにしろと言われると思いますけれど(笑)。
そして、縁があって私たちの会社に入ってくれた人が成長し、生活が豊かに、家族が幸せになってくれることが、私の一番の夢です。

***

以上、芳賀さんのお話でした。
個人的には、マレーシア工場のインド系スタッフがタミル人だったというミラクルに助けられた話にしびれました。
あと「大切なツボを押さえていないと、違う方向にいったり、または全然進まなかったりということが起きる。そこだけは冷静に見ている」というお話も、いろんな山を越えてきた芳賀社長ならではの言葉だと思いました。自分のやっていることに当てはめて、反省してしまいましたよ…。

【ONTOMO】
♣インドのモノ差し 第2回

日本の楽器メーカーは、人口13億人超のインド市場にどう挑んでいるのか

♣インドのモノ差し 第1回
インドの衝撃—1、2年でヴィルトゥオーゾに!?「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の指導法

インドの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」のお話(ONTOMO連載の補足)

この度、ウェブマガジンONTOMOで、インドの西洋クラシック事情にまつわるあれこれを書かせてもらえることになりました!
2018年に一年間、集英社kotobaでこのテーマの連載(第1回第2回第3回、第4回)をさせていただきましたが、今度の連載では、そこで書ききれなかったこと、その後追加で取材した話題を紹介していきたいと思います。

というわけで、書く場所を見失っていたいろいろなネタを嬉々として披露していくつもりなのですが、さすがに長くなりすぎて書ききれないことは、こちらのサイトにアップすることにいたしました。インドのクラシックにまつわる人々の生態に興味があるという奇特な方は、ぜひご覧ください。

さて、ONTOMO連載の第1回では、A.R.ラフマーン氏がチェンナイに作った音楽学校の中に設置されている衝撃的な音楽教室「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の話題を取り上げました(以前、kotobaで掲載した話題の緩やかバージョンです)。
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とくにどこというわけではありませんが、チェンナイの街並み。南インドはまだルンギー(腰巻き)スタイルのおじさん多め

インド生まれインド育ち、「インド人初のモスクワ音楽院卒業生」だというクラスの指導者、スロジート・チャタルジー先生とは、一体どんな人物なのか? どんなポリシーを持って教えていると、生徒がこういうことになるのか?
ちょっと興味を持ってしまった…という方のために、チャタルジー先生との問答のロングバージョンをこちらに掲載します(ONTOMOとの重複箇所もあり。あちらの記事には、クラスの生徒の動画も紹介してあります)。
スタンダードな演奏法を見慣れている身からすると、いろいろ思うところもありますし、ダム決壊寸前レベルでみなぎる自信に圧倒される部分があるとはいえ、そこには、音楽の本質にまつわる核心をついた言葉もあり、日本のピアノ学習者にとって参考になる話もあるように思います。

ONTOMO内の記事に掲載しているクラスの背景、演奏動画などをご覧のうえで、どうぞお読みください!

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スロジート・チャタルジー先生

◇◇◇
━クラスに「ロシアン」とついているのは、ロシアン・ピアニズムと何か関係があるのでしょうか?

このメソッドは、ロシアの奏法にインスパイアされてはいますが、基本的には関係ありません。クラス名に「ロシアン」と入れたのは、私が学んだ場所へのオマージュです。
モスクワ音楽院で学び始めた若き日、いかに自分の奏法に問題があるかを思い知りましたが、音楽院の先生は奏法を一から教えてくれません。そこで私は、そこから長く苦しみに満ちた奏法の変革を行い、自分のメソッドを開発したのです。
インドは貧しく西洋クラシックの伝統がないので、ロシアや日本のように長期間の訓練を続けることは難しい。そこで私は、たった1、2年の訓練で、演奏技術と音楽家としての精神が身につくメソッドを編み出しました。アメリカでピアノを教えていた貧しい子供たちは、すぐに結果があらわれないとドロップアウトしてしまうことが多かったため、どうしたら早く「弾ける」ようになるのか試行錯誤を重ねる中で見つけたメソッドでもあります。世界の他のどこにもこんなことは起きていません。あなたが今日目撃したことは、特別なことなのですよ!
私の人間性は大変インド人的です。生徒のために200%の献身をしています。私は彼らのために生き、呼吸し、与え続けていて、生徒たちは私と深くつながっています。私の生徒たちの演奏が心に触れるのは、私がピアノを教えているのではなく、人生を教えているからなのです。

━ショパンなど、テンポを揺らした独特の解釈でした。テンポルバート、インテンポについてあなたや生徒さんたちはどうとらえているのでしょう。

テンポ感は、自然に感じるもの、自然と教えられるものです。私が細かく指示するということはありません。音楽は感情表現ですから、メトロノームのテンポでは奏でられません。
以前ある人が私に、ピアノ教育のノーベル賞が取れるのではといったことがありましたが、もちろんそんなことは起きません。それは、どんな国や地域にもそれぞれの文化があり、音楽について感じることに世界的なスタンダードはありえないからです。ラフマニノフやショパンについて、例えばロンドンの人が私と同じように感じるとは限りません。誰もが、自分の心にもっとも近いものをすばらしいと認め、受け入れるのですから、そこには違いが生じて当然です。

━とはいえ、クラシックのピアニスを目指すアジア人の中には、その音楽が生まれた土地の文化を知るため、ヨーロッパなどに留学する人も多いですね。そのことについてはどうお考えですか?

私の学生たちについては、留学は必要ないと思います。すでに美しいものを持っているというのに、どうしてそれを変える必要があるのでしょうか。ヨーロッパの教育にもまた美しいものがあるとは思いますが、まずは自分が何を求めているのか、何が好きなのかをはっきりさせなくてはいけません。
いずれにしても、私は優れた「アクター」ですから、ある瞬間はロシア人に、ある瞬間はポーランド人、フランス人になって、この教室を、世界のあらゆる場所にすることができます。私の生徒は、チェンナイのこの教室にいながらにして、あらゆる経験をすることができるのです。

━普段生徒さんたちは電子ピアノで練習されているそうですね。

はい、それについてはインドという環境の限界です。今この教室にある2つのグランドピアノは、支援者に寄付していただいたこの音楽院で一番いい楽器ですが、普段から私のパワフルな生徒たちが弾き続けていたらすぐにだめになってしまいます。もちろん調律師はいますからある程度の手入れは可能ですが、ピアノが古くなってしまった場合の修理は、ここインドでは簡単ではないのです。
私の生徒たちは、もちろんそれが最高の環境ではないけれど、喜んで日本のデジタルピアノで練習しています。でも、デジタルピアノであれば録音もできますし、メトロノームも入っていますからね。楽器も修理も安くすみます。
普段からアコースティックピアノで練習できていれば、みんなもっと良いピアニストになっていると思いますが、これについては限界です。
今日は日本からあなたが来てくれるということだったので、調律も入れて、特別にアコースティックのグランドピアノで演奏を披露しました。みんな久しぶりにこのピアノに触れたので緊張していましたよ。

━もともと、チャタルジー先生はどのようにしてピアノを始めたのですか?

私の父が若き日、1930年代にダージリンを旅していたとき、ある家から聞こえてきたピアノの音に魅了されて、結婚したらピアノを持とうと思ったそうです。そして、父が29歳、母が16歳のときに結婚すると、すぐにピアノを買いました。母は近所のカトリックの教会で、ドイツ人のシスターからピアノを習ったそうです。やがて生まれた私は、母の真似をしてピアノを弾くようになりました。熱心に練習する私をみて、両親はとても心配したようです。…というのも、私がピアノを演奏することは喜びましたが、生業とすることは歓迎していなかったから。子供には音楽家ではなく医者や弁護士を目指させたいという考えは、インドでは昔ほどでないにしても、今もあまり変わっていません。
ですが私は自立した人間だったので、状況を自分で切り開き、奨学金を得てモスクワに留学することができました。

━ロシアで得た最も大きなことは?

奏でる全ての音に魂がなくてはいけないという感覚です。一番重要なのは、楽器とのコネクションです。そんなコネクションをつくるためには、まずピアノにアプローチしなくてはならない。
例えば電車で美しい女性を見つけて、気になるけれどどうしたらいいのかわからないとき。彼女は自分を見ている。そういえば自分はオレンジを持っている…このオレンジをむいてそっと手渡せば、彼女は拒むこともなくオレンジを受け取ってくれるでしょう。そうして、どこにいくのと尋ねてみることで、コネクションをつくるのです。でもまずはアプローチしないといけない。オレンジを持っていて、それを渡そうとすることが、重要なのです。そこには多くの哲学があります。メカニカルでロボットのような感覚では、良い演奏ははじまらないのです。

━生徒さんたちは、指の動かし方も独特ですね。そこには何か意味があるのでしょうか?

ピアノは打弦楽器ですが、私のメソッドでは、ピアノは歌うことができます。骨なしの手が大切なのは、そのためです。そのために、たくさんの手のトレーニングを課します。もし手が固まっていれば、歌うことはできません。

━生徒さんには、小指を横向きに倒して使っている人もいますね。

そう、よく気づきましたね! これこそ私の特別なメソッドの一つです。小指は一番弱い指なので、そこにパワーを与えるためにあのように指を使うのです。
水の入ったバケツを、両手を正面に伸ばした状態で上に持ち上げようとしても、うまく力が入らないけれど、左右に肘を開いて持ち上げたらどうでしょう。力が入って持ち上がるでしょう? 私はサイエンティストなんです。

━身体の動きや表情もとても大きいですね。

演奏する際の見た目はとても大切です。演奏中、その顔の表情からは、痛み、喜び、勝利が伝わらなくてはいけません。すべての身体の動きも表現にとって意味があるのです。

━日本ではときどき、「顔で演奏するな」と言われることもありますが……。

間違って捉えてほしくないのですが、彼らにわざと顔の表情をつけろといっているわけではないのです。私のメソッドでは、あなたがご覧になった通り、演奏していると音楽への愛情や思いが表情に出てきてしまうのです。
まだ人類が言語を使っていなかった頃、彼らはボディ・ランゲージで意思を通わせ、子孫を残しました。ボディ・ランゲージの力は大変なもので、言語はそのずっとあとからできた……むしろ嘘をつくためにできたものと言っていいかもしれません。身体の表現は、嘘をつきません。私のクラスでは、生徒たちは教室に来たら必ず私にハグをするという決まりがあります。それによって、私からの愛情が伝わり、彼らの愛も伝わってくるからです。そこに嘘は通用しません。
顔の表情はボディランゲージの一部ですから、音楽から感じた作曲家の感情を顔で表せばいいのです。私のメソッドは、音だけに関することではなく、ヴィジュアルとサウンドによるトータル・エクスペリエンスを生み出すものなのです。
音楽には魂があります。演奏者はあなたの前でその魂を見せる。これは教会での祈りのように、ほとんど宗教的な営みです。だからこそ、私の生徒たちの音はパワフルなのです。

━こうした特別なメソッドについて、インドの他のピアノの先生方へのレクチャーは行わないのですか?

しません。多くのインドのピアノ教師たちは、100年前のブリティッシュ・スタイルで今も教えています。そういう方々と、私は戦っています。
以前、ヨーロッパやアメリカから来た先生たちがいましたが、もちろん私とはメソッドが違い、彼らも私のやり方を批判しました。おそらくそこにはジェラシーもあったのでしょう。ですが、音楽院の創設者、A.R.ラフマーン氏は私のメソッドのすばらしさを信じ、このクラスを救ってくれました。
誰もそう簡単に私のやり方を殺すことはできません。私は強いですからね。たくさんの生徒たちもいます。私が年老いたあとも、私の兵士たちが戦ってくれるはずです。私は彼らを強く育て上げましたから。

━インドには優れた伝統音楽の文化がありますが、西洋クラシック音楽にも親しむ必要があると思いますか?

先ほども話したように、私はとてもインド人的な人間です。西洋クラシックを勉強したからといって、西洋人のメンタルになるわけではありません。しかし他の国の音楽を勉強することで、より大きな人間になれるということは確信しています。
このクラスの最もすばらしいところは、それぞれが学ぶことによって人間として大きく成長できるという点です。私は歴史や地理についても多くのことを知っていますので、生徒にはロシアや中国、イギリスについて教えることもできます。私が教えていることは音楽のことだけではなく、総体的なことなのです。むしろ、音楽やピアノは口実といってもいいでしょう。
あなたは私の生徒たちが単にピアノを演奏しているのではないと感じたと思いますが、実際、彼らはピアノを通して人生を奏でているのです。
インドではまだ、西洋クラシックの文化は生まれたての子供のようなものですが、いつかロシアや日本のように豊かな伝統を持つようになるかもしれません。

◇◇◇

どうでしょう。チェンナイの教室をヨーロッパにしてしまう話とか、電車でオレンジをむいて渡しちゃう例え話とか、ショパンのリズムについての話とか、えええ、と思うところもたくさんあると思います。
わたくし自身、なにせギャラリーが多かったので、オブラート何重にも包みながら質問をするという場面も多くなってしまいましたが、一瞬驚くような発言も、よく考えるとごもっともな話でむしろこちらの先入観を指摘されているような気持ちになり、うなってしまいました。
まとめの言葉はONTOMOの記事に譲りますが、何曲か弾けるようになりたい大人のピアノ学習などで活かせるところがあるのではないかと私は思いました。
このインタビュー(というより、ほとんど公開トークショー)の終盤、嬉しそうに話を聞いていた親御さんの一人が、「こんな話が聞けるなんて、なんてプレシャスな時間なのだ……」としみじみつぶやいていたのが印象的でした。

ちなみに「私もチャタルジー先生に習ったらめちゃくちゃ上達しますか?」と聞いたら、「教えてもいいけど、今まで勉強してきたピアノの演奏を一度全部捨てないといけないよ。新しい誰かと結婚したいなら、前のパートナーとは離婚しないといけないでしょう?」と、わかるようなわからないような例えで、チャタルジーメソッドへの一途な愛を誓うよう求められました。
おそるべし、チャタルジーメソッド。ONTOMOの記事でもコメントを紹介した脳神経科学の古屋晋一さんをいつかチェンナイにお連れして、このクラスで一体何がおきているのか分析していただきたいという密かな野望を抱いています。

 

チャイコフスキー国際コンクール出場者の演奏会情報&おまけ話

随分時間をかけてしまいましたが、ようやく現地でとってきたインタビューをご紹介し終えたところで、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門に出場したコンテスタントの一部の来日公演情報をご紹介したいと思います。(チェックしきれていないものもあるかと思いますが…すみません)

まずは、入賞者ガラコンサートです。
こちら、ピアノ部門は当初発表されたカントロフさんが来日できなくなってしまって残念なのですが、コンチェルト公演にはドミトリ・シシキンさんが、リサイタル公演にはアレクセイ・メリニコフさんが出演します。どちらも、生音をぜひ体感していただきたいピアニスト。プログラムなどはリンク先をご覧ください。

コンチェルト公演
10月7日(月) 岩手県民会館 大ホール
10月8日(火) 東京芸術劇場 コンサートホール
10月12日(土) ザ・シンフォニーホール
10月13日(日) 山形テルサホール

リサイタル&室内楽公演
10月9日(水) ノバホール
10月10日(木) 愛知県芸術劇場コンサートホール

アレクセイ・メリニコフさんについては、
いつもナイスなセンスで若手ピアニストを招聘していることでおなじみ、
横浜市招待国際演奏会での来日も決まっています。
こちらには、セミファイナリストのアレクサンドル・ガジェヴさんも出演予定。
2019年11月4日(月・休) 横浜みなとみらいホール 小ホール

コンスタンチン・エメリヤーノフさん(第3位)は、
毎年カワイ表参道で開催されるロシアン・ピアノ・スクールin東京に、
どうやら招聘学生として参加するみたいです。なんて豪華な招聘学生。
マスタークラスに加え、もしかしたら受講生による演奏会で演奏を聴けるのかも。
2019年8月11日(日)~8月15日(木) カワイ表参道

アンドレイ・ググニンさん(セミファイナリスト)は、9月に来日予定。
とても凝ったプログラムで、すごくおもしろそう!
2019年9月27日 (金) すみだトリフォニーホール小ホール

アルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフさん(セミファイナリスト、ニコラーエワのお孫さん)も9月に来日。
ショパンのバラード4曲+ロシアものという、これまた聴きごたえ大のプログラム。2019年9月15日(日)東京文化会館 小ホール

第2位となった藤田真央さんは、入賞前から決まっていたコンサートも含めてかなりたくさんの公演があります。
きっとこれからも増えると思いますので、これはもう、藤田さんの公式サイトをご覧くださいませ。そして藤田さんが風間塵の吹き替えピアノで出演する映画「蜜蜂と遠雷」は、10月に公開されます。

…というわけで、ここからはこれまでのレポートでお届けできなかったおまけのお話です。

まず藤田真央さんといえば、このツーショット!

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なんと宇宙飛行士の野口聡一さんが、モスクワの会場にいらしていたのです!
クラシック音楽がお好きだそうで、今回はコンクールファイナルとガラコンサートをお聴きになったとのこと。ガラコンのあと、藤田さんに宇宙に行くときにつけていたワッペンと思しきものをプレゼントしていました。
それで、普段芸能人とかに遭遇してもテンションが上がりにくいわたくしですが(多分なんらかの神経が死んでるんでしょうね…)、野口さんを前にテンションがあがってしまい、突然にインタビューを申し込んでしまいました。以下、野口さんにお付き合いいただいたミニインタビューです。

◇◇◇

ーコンクールの演奏をお聴きになって、いかがでしたか?

モスクワ音楽院の大ホールで3日間ファイナルを聴きましたが、独特の緊張感がありますね。真央くんの、弾いている途中はノッていて、終わったあとに見せるあの「終わったー」という表情に、頑張っているんだなぁと感じました。観客を巻き込み、心を掴んでいることが伝わってきて、同じ日本人として誇らしいと思いました。今日のガラコンサートもとても楽しそうに弾いていて、これからが楽しみです。
最終結果発表の様子もライブ配信で見ていましたが、真央くんとカントロフさんが最後二人だけ残り、名前が呼ばれたときのホッとした表情も印象的でした。
ぎりぎりまで自分を追い込み、緊張した2週間を過ごしたのだと思います。お疲れさまでしたと伝えたいですね。

ー藤田さんの予選は、配信でお聴きになったのですか?

はい。インターネットで聴いていても、最初と最後で会場の雰囲気が全然違っているのがわかりました。

ーピアニストの緊張感を近くでご覧になって、宇宙に行く緊張感に共通するものは感じましたか?……すごいこじつけみたいな質問ですみません。

そうですねぇ。見ていて、ファイナルは特にオーケストラと共演しますが、そうすると、審査員への緊張感もあるでしょうけれど、聴衆やオーケストラは敵にも味方にもなるという緊張感もあるのだろうと思いました。真央くんは、観客も審査員も味方につけていたから、それが高い評価につながったのでしょう。
「緊張感を味方にする」ということができないといけないのだろうなと思いましたね。

ー実際に宇宙に行っている方にこういうことを聞くのもなんなのですが、すばらしい演奏って、聴いていると、宇宙を感じるというか…物理的な空間という意味の宇宙ではなくて、ホールの天井のようなものがなくなって宇宙に到達しているように感じるときがあるんですけれど。実際に宇宙に行かれている野口さんは、好きな音楽を聴いていてそういうことを感じるときってありますか?

そうですね、僕は音楽については素人ですが、優れた音楽家の方は、音を鳴らすのではなく、一瞬にして会場の空気を全部支配するというか、まさにおっしゃるとおり、天井がぬけるという感覚をもたらしてくれますよね。そこがすばらしいなと思います。例えば今日(モスクワでのガラコンサート)のシシキンさんの最後の演奏も、グワっと会場全員のテンションが集まって、陶酔感とともに、天井がぬけるような感じをもたらしてくれた。そういうのが音楽の醍醐味なんだろうなと思います。

◇◇◇

オーケストラと聴衆は敵にも味方にもなる。うまくいっている場面ばかり見ていると忘れがちですが、本当にその通りですよね、自然現象と同じく。
とはいえ見返してみると、わたし、まあまあアホみたいな質問を投げかけているんですが、それに調子を合わせて丁寧に答えてくださっている野口さん…優しい。私、概念としてのコスモスみたいなものと、実際の宇宙空間との共通性の有無みたいなものに、子供の頃から妙に関心がありまして。ここぞとばかりに質問してすみませんでしたと野口さんに言いたい。
でも、このくらい寛容で、なおかつ緊張感を味方につけることができるようでないと、未知なる超高度な何かを相手にする宇宙ではやっていけないのでしょうね。
(野口さんがロシアにいらしていたのは、この任務のためだったんですね)

さて、話はそれましたが、引き続き藤田さんの話題。

インタビューでも、藤田くんは日々のお食事を楽しみにしていたようだという話をご紹介しましたが、演奏のある前日はゲン担ぎのカツ(コトレット)を食べるということでした。結果、期間中全部で3回食べることになったそうです。
そのうちの一度、お母様やマネージャーさん、関係者のみなさんにまざって、カツの集いに同席させていただく機会があったのですが、レストランに入ったグループ全員でカツを頼み、あとから参加した人も次々カツを頼むもんで、どんだけカツ好きの集団なんだよとロシア人店員さんに失笑される&カツの追加オーダーが入るとキッチンから「オーマイガー」という声が聞こえてくるという事態が起きていました。
せめて誰か店員さんに「カツっていうのは日本語で…」って説明してあげたほうがいいんじゃないかと思いましたけど。

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(ロシアって肉料理頼むと、軽めの野菜の添え物とかなんにもなく、ただひたすら肉と芋が出てくること多い)

そのほかモスクワ音楽院のすぐ近くにはTOKYOというレストランがありました。私も、一度そこでお寿司をたべたりしました。

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(輝かしいお寿司たち)

藤田くんもランチによくここを利用していたみたいです。
中でも衝撃的だった出来事。

その日もいつものように、「今日もTOKYOでランチを食べたんですけどー」と、その詳細を教えてくれた藤田くん。添え物の小鉢の説明として、
「なんだっけ、今日はあれがついてた……”めくばせ”ー!」
と言っていました。

どうやら、「めかぶ」のことだった模様です。
ランチにそんな思わせぶりなものがついてたら大変です。
だいたい、「め」しかあってないし。

 

こちらは結果発表直前の、カントロフさんと藤田真央さん。ホールのホワイエでおしゃべりしています。

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(このあと1位と2位になるということを、この時の彼らはまだ知らない…)

ちなみにカントロフさん、結果発表はファイナルの翌日だと思っていたらしく、部屋でのんびりしていたら電話がかかってきてホールに来いといわれて、慌てて出てきたそうです。いつものワインレッドのシャツ姿に、毛糸のマフラーを握りしめていました。夏なのに。

最後に、いい声のカントロフさんのメッセージがこちらから見られますのでどうぞ。
2年前に大阪にいらしたときは、京都も東京も見ないで帰ったんですね。今回、残念ながらガラコンサートへの参加は叶いませんでしたが、いつか近いうちに来日して、日本のピアノファンのみなさんにあの音を届けてほしい!!
楽しみに待ちましょう。

チャイコフスキー国際コンクール第1位、アレクサンドル・カントロフさんのお話

ようやく最後のお一人。
チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第1位、そして全部門のグランプリに輝いた、アレクサンドル・カントロフさんのお話です。

カントロフさんは、お父様は有名なヴァイオリニストで指揮者のジャン=ジャック・カントロフさん、お母様もヴァイオリニストという家庭に生まれました。大きなコンクールに挑戦するのは今回が初めてとのこと。
ちょうど先日、父カントロフさんのお弟子さんのヴァイオリニストにお会いしたのですが、アレクサンドルさんは昔からものすごく才能のあるできる子だったので、お父様も相当かわいがっていたそうな。息子さんの今回の優勝をとても喜んでいるそうです。

1次予選から見かけるたびにちょこちょこ話しかけていたにもかかわらず、やっぱり優勝しちゃうとひっぱりだこでなかなかじっくりインタビューできずで、結果発表前と後の細切れインタビューとなりましたが、どうぞご覧ください。

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Alexandre Kantorowさん

◇◇◇
[まずは結果発表の直前に聞いたお話から]

ーチャイコフスキーコンクールのファイナルの舞台で演奏してみて、いかがでしたか?

本当にすばらしかったです。このコンクールのために全力で準備してきたので、アドレナリンもたくさん出て、特別な感情を持ちましたし、本当に疲れました。…というのも、ファイナルでは最初からエネルギーを全然セーブしないで弾いてしまったので、1曲目の1楽章が終わったところで、もう息切れしそうになってしまって(笑)。

ー力の配分とか計画しなかった感じなんですか? でも、見事に弾ききったように見えましたよ。

全然計画しなかったんですよー。事前に2曲をいっぺんに弾いてみるということもしなかったし。まぁどうなるかやってみようという感じで本番に臨んだので。

ーそうなんですか…そのうえ、2曲目にあの大きな曲(ブラームスの2番)を選んでいたんですね。

そうなんですよ。もしかしたら1曲目にブラームスを弾いておいたほうがよかったのかもしれません。なにしろ、チャイコフスキーが終わったときにはもう疲れきっていたから。あの時はどうなるかと思いましたが、でも、再びステージに出てブラームスを弾き初めてみたら、大丈夫でした。

ーそしてチャイコフスキーの協奏曲は2番を選びました。カントロフさんのキャラクターにとても合っていると思いましたが、やっぱり珍しい選択ですよね。

僕もはじめは、普通に1番を用意しようと思っていました。でも、ふと自分の耳が、古い録音やトラディッションに塞がれてしまっていることに気がついたのです。そしてそのうちに、楽譜に書かれていることから自分だけの音楽を見つけることに困難を感じ始めてしまいました。
でもある日、両親の部屋でチャイコフスキーのピアノ協奏曲のオーケストラ譜を見つけて、2番の協奏曲の楽譜を読んでみたところ、「このコンチェルト、これまで知らなかったけれど、好きかもしれない」と思ったんです。この作品が、うるさいとか間延びしていると批判されていることは知っていましたが、改めてみると本当にすばらしく、エモーショナルで、室内楽的な要素もあり、愛すべき作品だと思いました。それで、これなら自分の音楽を見つけられそうだ、コンクールでは2番を弾こうと思いました。

[続いては、結果発表後に聞いたお話です]

ーブラームスについてお聞かせください。カントロフさんにとって特別な作曲家なんだろうなということは、演奏からもよくわかりましたけれど。

あははー! そう、本当に特別な作曲家なんです。エモーショナルなところはチャイコフスキーのようですが、もう少し、自身の中にそれをためこんでいるようなところがあって、その部分こそがとても心に触れてくると感じます。ブラームスは基本的に完璧主義者でしたから、楽譜として残されている作品はほとんど完璧に近いものばかりです。間違った音はひとつもありません。僕は室内楽も好きですが、とくにブラームスの室内楽作品は最高だと思っています。

ーところで、1次、2次ではカワイを選び、ファイナルではスタインウェイを弾いていましたね。オーケストラリハーサルの後にピアノを変えていらしたので、ちょっと驚きました。

はい、まずカワイのピアノはとてもすばらしい楽器で、1次、2次では楽器が僕をものすごく助けてくれました。でも、オーケストラと最初のリハーサルをした後、すばらしい楽器だけど、少しフラジャイルな感じがしたので、2時間近くコンチェルトを弾くのは難しいかもしれないと思いました。大編成のオーケストラと共演する中、ピアノを限界まで鳴らすということはしたくなかったというのもあります。スタインウェイはより楽に演奏できそうに感じて、ファイナルはこちらで挑戦してみようと思いました。

ーそうだったんですね。でも、もともとカワイのピアノを弾いて慣れていたわけでもなかったそうですね。

はい、まったく弾き慣れていませんでした。でもセレクションで5台を弾いてみて、これだ!って思って選んだんです。よく考えることもしませんでした。というか、考え込んで頭を混乱させるようなタイミングじゃないと思って、好きだと感じる楽器を選ぶことにしました。

ー1次予選のときから、カントロフさんのものすごい音に内臓を掴まれるようだったとお伝えしていましたけど…あの特別な音を出す秘密は?

うーん、抑え込まず、遮らず、いつも歌声を思い浮かべること、イリュージョンを生み出そうとすることですね。あとは、できるだけ長く音を持続させること。完全にマスターすることはなかなかできませんが、今もそれを実現するための懸命な探求は続いています。

ーそういえばある審査員の先生が、あなたの左手のコントロールがすばらしいとおっしゃっていたんです。それを聞いて、そういえばカントロフさんは左利きだったなって…。

ははは! そうなんですよ、左利き。でも、左利きでトラブルがないわけではないんですよ。ピアニストで左利きの人は、自然とヴィルトゥオーゾぶりに欠けることが多いので大変なんです。僕も一生懸命練習しないといけませんでした。

ーカントロフさんは特別な音楽家の家庭に生まれていますが、やはりそういう環境が音楽性に影響を与えているところはありますか?

もちろんです、子供の頃からずっと継続的に彼らから多くのことを受け取ってきました。両親ともにヴァイオリニストで、僕は二人の演奏を聴くことが大好きでしたから。

◇◇◇

というわけで、演奏同様、おしゃべりをしていても独特の空気感を漂わせるカントロフさんのお話でした。

ところで、1次予選でカントロフさんの演奏を聴いたときの衝撃、今も忘れられません。
弾き方も自由で歌い回しも個性的だったことにも驚いたんですが、それ以上に、深い音をごうごうと鳴らしあう混濁の一歩手前みたいな響きに、背中がぞくっとするような、内臓をぎゅーっと掴まれるような感覚を味わいました。
1次予選の記事でわたくし、こわいこわい書いていましたが、本当に畏れみたいなものを感じたんです。このピアニストが、リストやラフマニノフの楽譜からああいう音を想像するということも、実際にそれを鳴らせるということにも。(ちなみに、帰国して諸々の原稿を書き終わって初めてインターネット配信を聴き返してみましたが、配信のほうが響きがスッキリ聴こえるように思います。やはりあのゾワゾワ感は会場ならではの感触だったのかも…当然といえば当然ですが)

1次予選のあと、この内臓掴まれたちょっとこわかった感触をご本人にも伝えたいと思って(体験したことのない感触だったから)、よくない意味で受け取られる可能性を心配しつつもオブラートにつつむこともなくそのまま言ってしまったんですが、「へぇー、そう!? サンキュー」という返答をいただき、ちゃんと賞賛してるって伝わってよかったと思いました。

そんなわけで、あの音を出す秘密は?とお尋ねしてかえってきた言葉に、ものすごく納得してしまったのでした。そういう考えで響きを追求しているから、ああなるのねと…。

それにしてもカントロフさん、見かけるといつもワインレッドの何かを着ているんですよ。すごく気に入っている色だとか、はたまた験担ぎだとか、なんかあるかなと思って聞いてみたところ、「確かにこの色は好きだけど、よく考えないでスーツケースに洋服を入れて持ってきちゃったから」という返答でありました。でもこのお色似合ってると思います。
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あと、メリニコフさんのインタビューでも話題に出しましたが、カントロフさんも、独特の声色(喋る声のほう)の持ち主ですよね。それでピアノでもああいうまろんとした音をお出しになるので、「本人の声色と楽器の音色似てくる説」は、わりと信憑性あるかもしれない、と思いました。

チャイコフスキー国際コンクール第2位、藤田真央 さんのお話

続いては、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第2位に入賞した藤田真央さんのお話です。お待たせいたしました。

現地ではなんとなく立ち話などをする機会も多かったので、いつでもインタビューできるだろうと油断してしまい、あとで…と言っているうちに、前述の通りの強行スケジュールのためご本人グッタリという展開。そんなわけで、ロシアで少し聞いたお話と、帰国後のコンサートのあとに聞いたお話の合体したインタビューとなっています。

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結果発表終了後の藤田真央さん。
普段はしないというダブルピース(2位ポーズ)で。

◇◇◇
[まずはモスクワ現地でのインタビューから]

ーモスクワ音楽院大ホールという会場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾いてみて、いかがでしたか?

難しいなと思いました。日本で弾いたこともありましたが、その時はもう少し楽に弾くことができたんです。でも、やはりあのホールだと、特別な雰囲気を感じるところがあって。

ーチャイコフスキーの他にラフマニノフの3番を選びました。選曲の理由は?

2曲を組み合わせるならこの選択だなと思ったのと、あとは中村紘子先生のお気に入りの曲だということもあります。以前いただいたお手紙の中に、ラフマニノフの3番をロシアのお客さんの前で演奏するときは、終楽章のリズミカルに進んでいく部分は、しっかりリズムをわからせるように演奏しないといけないと書いてありました。まるでこのファイナルを予言していたみたいですよね。演奏しているときにも、もちろんそのことを思い出しました。でも、倍速のテンポで弾いてしまっていたので、もういいやって途中で思いましたけれど(笑)。

ーそういえば1曲目のあと、いつもと違って笑っていなかったですよね。あれはどういうことだったんですか?

自分の演奏に満足していなかったからですね…でも切り替えなきゃいけないと思いながら。

ー2曲連続で弾かなくてはならないのは大変でしたか?

辛かったですね。2曲目のラフマニノフの1楽章が一番辛かったです。2、3楽章は終わりが見えてくるから少しずつ楽になっていくんですけれど。でもまあ、そんなことは言っていられませんから、全ての音を大切に弾くということに集中していました。

ーステージに出る前には、必ず中村紘子先生と撮った写真を見ていたとか。

そうなんです、もうルーティンのひとつになっています。眺めて、お祈りするんです。「お助けください、どうかお力添えを〜!」って。

ーすごい…やっぱり特別な存在なんですか。

それはもう、特別ですね。今まで会った人の中で、誰よりも一番オーラがすごい方です。最初にお会いしたときの目力が本当にすごかった。小柄な方なのに、とっても大きく見えました。

ー1次予選の時は、ステージにかかっているチャイコフスキーの肖像に挨拶をしたとおっしゃっていましたね。

全ラウンドしましたよ! 「日本から来たんです」って。

ーなんだか神社にお参りするみたいな(居住地言うなんて)。

そうそう。2次予選は、「また来ました」、ファイナルは、「これで最後です」と伝えてから演奏しました(笑)。

ーサンクトペテルブルクのガラコンサートでは、ゲルギエフさんと共演しました。いかがでしたか?

本当に素晴らしい経験でした。一瞬で終わってしまった感じです。リハーサルもないなかで、最初テンポがすごく速くなってしまったのですが、テーマが繰り返されるうちにだんだん落ち着いていきました。演奏が終わったあと、ゲルギエフさんが、君のモーツァルトも聴いたけれど美しかった、またすぐに共演しようと言ってくださって、嬉しかったです。

ー今回、ピアノは5台のなかからスタインウェイを演奏しました。選んだポイントは?

音ですね。結局、音で勝負するしかありませんから。どんなに全ての音が均等にそろっていようと、自分の音が出せる、美しい音が出せるということにはかえられません。あとは、音色を変えて演奏することが好きなので、その変化をつけやすいピアノがいいですね。他のピアノとも迷いましたが、最終的には、いつも使っているスタインウェイを選びました。

ー演奏を聴いていると、フレーズごとに音も表現もどんどん変わっていくのが本当におもしろかったのですが、ああいうのは天然で出てくることなのですか?

それは野島先生に教わったことです。作曲家は無駄な音は作曲家は書かないから、全ての音を気を配って演奏しなくてはならないと。

ーモスクワのお客さんがどんどん入り込んでいくのは、ステージでも肌で感じました?

はい、やはりすごく嬉しかったですね。日本のお客さんとはまた違った雰囲気で、おもしろい発見でした。

ーロシアのメディアでは、ベビー・マオとか、猫のお父さんだとか、いろいろなあだ名がつけられていたみたいで。

思わぬ反響でびっくりしましたねー。そんなに注目していただけるなんてうれしいです。

ーコンクールが終わった今、始まる前と変わったことはありますか?

音楽的な面でも変わることができたし、大ホールで弾くという経験を何度もして、大きな会場になれることもできたと思います。こういう環境の中で弾く経験は今までありませんでしたから、このあとは日本のコンサートでも楽に弾くことができるのではないかと思います。

[ここからは、帰国後、7月中旬にお聞きしたお話です]

ー日本に帰国して、周りの反応はどうでしたか?

大学に行った最初の日は、ちょっとざわついてましたねー、みんな私のほうを見ている!って。で、3日目くらいに、なんにもなくなった(笑)。普通の人に戻っちゃった(笑)。

ー3日か…みんな慣れるの早いですね。チャイコフスキーコンクールで2位になったのだという実感は湧いてきていますか?

チャイコフスキーコンクールって、これまで見ていた印象では、過酷な戦いに駆り出されるみたいな勢いで参加するものだと思っていたのですが、実際は、ひょいひょいひょーいっと次のステージに行ってしまった感じでした。モスクワには何もないって聞いていたから、日本からカレーとかうどんとかを持っていったのに、レストランもいろいろあったから、コンクール中は普通に楽しかったですね。有意義な2週間を過ごして、帰ってきたらなんだかみんなが騒いでるっていう感じでした(笑)。

ーひょいひょい行ってたの、藤田さんくらいだったんじゃないかという気もしますが…他のコンテスタントはそれなりに大変そうでしたけどね。とはいえ、コンクール中、集中力を保つのは大変だったのでは?

うーん、でも結局、本当に集中しなくてはいけないのは演奏している1時間ですからね。24時間気を張っていなくてはいけないという環境でもなかったので、いつも通り音楽を楽しんでいました。その場のインスピレーションもありますし、音楽のすばらしさを伝えるといういつも大切にしていることを、同じようにやっていました。

ー今思い返して、コンクール中で一番印象に残っていることは?

一次の時ですね。もともとバッハを弾くのがこわくてたまらなくて、当日は1日中練習していたんです。毎回違う所をミスしてしまったり、フーガがうまく弾けなかったりして。でも本番でそれをしっかり弾き終えられた瞬間、心配がなんにもなくなりました。それで、あのモーツァルトの演奏ができたのだと思います。すごく楽しく弾けたんです。全ての流れがあそこで作られたと思います。

ー2位という結果についてはどう感じていますか?

帰ってから野島稔先生にも、2位で良かったね、まだ勉強できるからと言われました。「クララ・ハスキルで優勝してからの2年でも、またこのコンクールの期間でも上達したから、君にはまだ伸びしろがある、もっといろいろな解釈を広げられるように勉強しないといけない、2位でも忙しくはなるけれど、まだ勉強する猶予があるから」って。

ーところでそもそも、チャイコフスキーコンクールに挑戦することにした理由は?

やっぱりロシアのピアニストが好きだからです。ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス……こういう方たちが弾いた場所で弾きたいというのが1番です。あと、チャイコフスキーコンクールのウィキペディアにのりたいっていうのもあったかな、きゃはははは!!(←藤田氏、ものすごく笑う)

ーその動機、初めて聞きました…でも確かに、半永久的に載るってことですもんね。

確認したら、載ってました! うれしかったー(笑)。

ーところで、実際に3週間ロシアで過ごし、ロシアで弾くという経験をしてみて、ロシアやロシア音楽についてのイメージで変化したことはありますか。

ロシアの年齢層の高い方達の顔から時々見える、冷たさみたいなものというか、作られた表情みたいなものに触れて、自分にはないものだなと思いましたね。

ーなるほど…社会主義の時代を経験している世代の雰囲気でしょうか。もう今の若い人たちは、普通にフレンドリーですもんね。

はい。例えば練習室の部屋の鍵をくれる警備員の人が、絶対笑わなかったりとか。でも1回だけ、練習室の番号の45番というのを私がロシア語でいったら、笑ってくれたんですよね。それから、柔道をやっていたという話を向こうからしてくれたりして。少し仲良くなりました。

ーところで、今一番好きなピアニストは?

最近はルプーが好きだったりしました。でも、この頃ピアニストをあんまり聴かなくて。ヌヴーとかデュプレをよく聴いています。あとは、テバルディが好きです。あの時代には、カラスとテバルディが大スターでバチバチに対抗していたんですよね。オペラや歌はとても好きです。オーケストラ作品も聴きます。

ー歌が好きなんですね。では、ピアノを弾く上での歌うような表現についてはどう考えていますか?

音楽の起源は歌ですから、本当に大切ですよね。私、こういうふうにくねくねして弾くから、それで歌っている表現になっていると思います(笑)。

ー藤田さんにとって、ピアノ、音楽とはなんなのでしょうか?

うーん、ピアノは単に、楽器ですよね。ホールによって別のピアノがあって、それにすぐに順応して良い響きを作ることが、ピアニストの難しさです。音楽は、一瞬一瞬変わっていくので、その瞬間の素晴らしさを感じ取っていただきたいという気持ちがあります。つまり、その時ダメでも次はいいかもしれないから、何回も聴きに来てほしいです(笑)。

ー今後、ピアニストとしてどんなことを目指していきたいですか?

クララ・ハスキル、チャイコフスキーとコンクールで賞をいただいたので、その名を背負っていかなくてはいけないという使命感はあります。でも、気負いすぎず、自分のペースで黙々と演奏をしていきたい。そうやって生きて行くつもりです。

◇◇◇

…というわけで以上、ところどころ、ゆるい口調ゆえに冗談なのか本気なのか非常に判別しにくい、独特のユーモアセンスの炸裂した藤田さんのお話でした。

ご本人が言っているとおり、コンクール中現地で見かける藤田さんはいつもほわんとして楽しそうでしたし、今日のお昼はこれを食べたーという報告を、まあまあ詳細にわたってしてくれたのが印象的でした。多分、本当に毎食楽しみにして暮らしていたんだと思います。
とはいえ、なんだかんだでプレッシャーも当然あったはず…それでも日々の時間を楽しもうとしている。藤田さんの場合、そういうエネルギーの差し向け方が、音楽にも反映されているような気がします。
実際、これはコンクールとか音楽家とかそういうことにかかわらず言えることだと思いますが、同じ時間でも楽しもうとして過ごすかどうかで、その時間の位置付けは変わってくるものですもんね。(もちろん、悩まなくてはいけない時間にも価値がありますし、むしろ怒ったりフラストレーションを感じることを原動力に生きている人もいるわけで、それは個人の価値観の問題かもしれません)

それから、中村紘子さんのエピソードにも驚きました。今回の藤田さんのロシアでの活躍で、改めて紘子さんの先見の明に驚かずにいられなかったわけですが、そのうえ、弾く曲や場所まで予見してアドバイスを手紙にしたためていたとは…。そして写真を拝まれている。もはや守り神的存在ですね。
ちなみにそのお手紙を藤田さんが紹介していらっしゃいます。

 

私が書いた中村紘子さんの評伝でも、紘子さんが期待した若手として、藤田真央さんのお名前が登場します。
紘子さんはとにかく、たくさんの聴衆から愛されるようになるピアニストを、まだみんなが気づく前の萌芽的な段階で発見して支える力がすごかった。ただ同時に、みんなに優しいわけでもなかったというのもポイントなんですね。
拙著では、紘子さんは自身の若き日の経験と苦労からああいう感じになったんだなということ、またピアノ界に紘子さんがのこしたことについても分析していますので、気が向いたらどうぞ読んでみてください。(宣伝してすみません)

 

さらに中村紘子さんといえば、ご自身がチャイコフスキーコンクールで審査員を務めた経験からお書きになった名著「チャイコフスキー・コンクール」があります。あの時代の審査員の間でどんなやりとりがとりおこなわれていたのか、そしてピアニストとしてトップを目指すことの厳しさなどを知ることができる貴重な1冊です。


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ところで、写真はこちらの帰国後に撮ったものもあったのですが、最初の画像には、やっぱりあの結果発表直後のダブルピース(2位ポーズ)の写真が喜びにあふれていていいかなと思って使いました。普段はしないポーズなんだけど今回だけ…と藤田くんは言っていました。自分も写真でピースしないほうなんで、気持ちわかる。チャーチルやヒッピーが頭をよぎるんですよね。(※戦前生まれではありません、念のため)
ただ、藤田くんが普段ピースをしない理由は、聞かなかったのでよくわかりません。

チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話

続いては、チャイコフスキー国際コンクール第2位、ドミトリ・シシキンさんのお話です。

シシキンさんは、ロシア生まれの27歳。ピアノの先生のお母様の手ほどきでピアノをはじめ、グネーシンからモスクワ音楽院に入って、名教師でピアニストのヴィルサラーゼ教授に師事。2015年のショパンコンクール入賞あたりから日本でもファンが増えていると思いますが、その後、2017年にはノルウェーのトップ・オブ・ザ・ワールド国際ピアノコンクール、2018年にジュネーブ国際音楽コンクールで優勝しています。

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Dmitri Shishkinさん
結果発表の前にお話を聞きました

◇◇◇
ーチャイコフスキーコンクールのファイナルで演奏してみて、気分はいかがですか?

もちろんとても光栄でした。美しいホールと優れた聴衆の前で、レジェンドのようなプログラムであるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏できたのですから、とてもエキサイティングでした。

ーチャイコフスキーコンクールには、2015年にも挑戦されているんですよね。

はい、でも残念ながら2次に進めなかったので、4年経ってまた挑戦しました。今回はうまくいって嬉しいです。

ーロシアのピアニストにとって、チャイコフスキーコンクールは特別なものなのでしょうか。

もちろんです。全ての演奏家にとって特別だと思いますが、ロシア人にとっては特に重要です。ここで成功することは一つの目標ですし、人生の中で一度経験してみたい舞台だと思いますよ。

ーシシキンさんはいつから憧れていたのですか?

子供の頃からです。9歳から毎回、つまり続けて3回はチャイコフスキーコンクールを聴きにきていました。母と一緒に、予選からいろいろなコンテスタントを注意深く聴くんです。とても楽しかったですし、大きな経験になったと思います。

ー記憶に残っている回はありますか?

最初の2002年のことは子供だったのでよく覚えていませんが、聴く側として一番最近のトリフォノフさんが優勝した回(2011年)のことは記憶に残っています。すばらしいピアニストがたくさん参加していました。今は自分がその舞台に立ち、夢が叶ったという感じです。

ーファイナルでは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を選びました。シシキンさんの音とキャラクターに合ったとても良い演奏だと感じましたが、選曲の理由は?

まずこの作品がとても好きだということ、技術的、音楽的な面で自分に合っていると思うこと。それから、ジュネーヴ国際音楽コンクールでこれを弾いたということもあります。ちょうどロシアの作品ですから、このコンクールで演奏したいと思いました。

ーシシキンさんは、重く美しい音をお持ちです。このコンクール、パワーのあるロシアのピアニストはわりと2次でヘビーなロシアの作品を選んでいた印象ですが、シシキンさんはショパンから始めていましたね。そこにピアニストとしての心意気のようなものを見た気がしたのですが。

そうですね、自分のいろいろな側面を見せたいと思って。ピュアなロシア作品の奏法だけでなく、リリカルだったり、ロマンティックだったり、旋律美を見せるような作品も演奏しようと、ショパンに加えて、メトネルのセレナーデも選びました。これによって、あらゆる側面での解釈や哲学を見せることができたと思います。

ーファイナルではロシアの作品を2曲お弾きになりました。ロシア音楽の精神ってどんなところにあると感じますか?

2曲はそれぞれ、とてもワイルドで懐の大きな魂を持っていると思います。とてもロマンティックで心が開かれていて、表情豊かです。幅広い感情や思考を感じて弾くことが大切です。加えて、巨大なサウンドスペースを作ることも求められます。こういう豊かさが、ロシア音楽の魅力だと思います。

ーモスクワ音楽院大ホールの音響でそういうロシア音楽を演奏することに、特別なところはありますか?

ロシア音楽のために作られたホールではありませんけれど、確かにロシア音楽がたくさん演奏されてきたホールです。例えばラフマニノフのソナタを演奏するうえでは、このホールの音響が助けになりました。自分が創る全ての音やダイナミクスを聴いてもらうことができるホールです。
ここで弾いていると、自由な感じがします。音響が助けてくれて、自分がやりたいことに100%集中することができました。

ー今回は5台のピアノのなかからスタインウェイを選びました。

ヤマハ、カワイ、スタインウェイで迷って、最終的にスタインウェイを選びました。ポイントとなったのはメカニックの部分と、ブライトな音です。特にオーケストラとの共演でもしっかりピアノが聴こえるようであるためには、音がブライトであることが重要です。ファイナルのことを念頭に、スタインウェイを選びました。
このピアノは特にベースの部分が調律師さんによってとても良く整えられていていました。スムーズな音がとても心地よく、鍵盤とつながることができ、楽に音を変えることができると感じました。

ー一番大変だったステージは?

どれも大変ではありませんでしたね。驚くことに、毎ステージとても心地よく、自由な感じがしました。少し前にこのモスクワ音楽院大ホールで同じような曲目のリサイタルをしたのですが、ホールが何年かぶりだったこともあって、その時はストレスを感じ、音響もユニークだから慣れるまで大変だったのです。でもコンクールの時は、逆にいい雰囲気のリサイタルのような気持ちで楽しむことができました。本当に不思議なんですが、審査員が聴いていることも忘れていましたし、まったく怖さも感じませんでした。

ーそうですか、なにか降臨してたんですかね、チャイコフスキーの魂的なものとか。

かもしれませんねぇ。すぐ横にチャイコフスキーの大きなポートレイトがあったし。心配しなくていいよと言いながら見てくれているみたいな感じで。

ー審査員もあんなに前に座っていたというのに。

普通のコンクールではあまりありませんよね。でも、審査員の先生方のリアクションが見えておもしろかったですよ。

ー見ていたんですか?

もちろん見ましたよー。

ーヴィルサラーゼ先生と話しましたか?

はい、喜んでくれていますよ! あと、ファイナルからは、今イタリアで師事しているエピファニオ・コミス先生もいらして支えてくださいました。コミス先生は、すばらしい音楽家です。先生からは、演奏法、音楽の理解、音楽の構造、音やタッチのことなど多くのことを学びました。コンクールの準備でもたくさん助けてくださいました。

ー数年前から、アリエ・ヴァルディ先生にも見てもらっているとおっしゃっていましたよね? ロシア音楽についてはもうわかっているだろうから、ドイツものを勉強しようと言われたって。

ふふふ、そうそう。今もハノーファーでレッスンを受けています。ドイツ音楽を中心に、先生から多くのことを学んでいます。

ーロシアン・ピアニズムについてはどういう考えがありますか? まず、そういうものがあると思うかどうかというところから。ピアニストによって意見が違うみたいなので。

もちろん、私たちにはスクールがあります。でも、最近はみんなが外国で勉強するようになっているから、すべてのスクールがミックスされていて、ロシアン・スクールの奏法にはっきりとした特徴があるとは言えなくなっているでしょう。でも、強いスピリッツのようなものはあるといえます。僕が思うに、ロシアン・スクールの中にいるピアニストは、みんなフィジカルな意味でとてもよく鍛えられていて、力強く、音楽にソウルを込めて演奏することができると思います。
とはいえ、一言で音楽の特徴を挙げることはできませんね。それぞれの学生がさまざまなスクールから学び、経験を重ねて、最終的に自分だけのユニークさを手に入れるのですから。

ーところでフィジカルっていう話で思い出したのですが、今もトレーニングをして鍛えているんですか?

最近は泳いでます。ピアニストとして生き延びるためには、演奏で痛みが出るようでない体づくりが必要なので。

ー弾き姿を見てるととても自然だから、痛みなんてなさそうですけれどね。

そんなことないですよ、ピアニストによくある痛みは、みんなあります。見せないようにしているだけです(笑)。音楽を楽しむためには、すぐにリカバーし、健康で良い気分でいられるようでないといけませんね。

ーあと、見ていてシシキンさんの美意識みたいなものがすごいなと思ったんですけど…もちろん音楽的な話もそうなんですが、いつもジャケットを着ていて毎回立ち上がるたびにスッとボタンを閉めていましたよね。

ああ、そうでしたね(笑)。服装については、みなさんへのリスペクトというか、お客様は単に音楽を聴いているだけじゃなくて、喜ばしいものを受け取ろうとして来てくれているわけだからと思ってそうしています。ボタンは、何も考えていなくても自動的に閉めてしまう(笑)。でもみなさん、今回はステージが暑かったからシャツなどで演奏していたんだと思いますよ。頭がクリアでないと、難しい曲を弾くのは大変ですから、気持ちはわかります。

ーところで、お母さんはすごく喜んでるでしょうね。

それはもう。舞い上がってる感じ(笑)。

ー結果が出たらどうなってしまうんでしょうね。

本当ですねえ。母はこれまで、いつも僕のことを守ってくれたし、支えてくれました。とてもあたたかい母です。本当に感謝しています。

◇◇◇

シシキンさん、最終的に2位になって、お母さんはもう嬉しくて「空を飛んでいるみたいな感じだよー」と言っていました。「側で支えてくれた優しいお母さん」と今回のインタビューでは話していますが、以前のインタビューでは、音楽についてはとても厳しくて、その厳しさは「ヴィルサラーゼ先生以上」と言ってましたね。
シシキンさんはお兄さんもミュージシャンでパーカッショニスト。お友達が二人のために曲を作ってくれることになっていて、近いうちにデュオで演奏会をする予定らしいです。
ちなみにお兄さんがお母さん似で、あのシシキンさんの濃厚でシュッとしたお顔立ちは、どちらかというとお父さん似だそうです。見たい。

日本で応援してくれたファンの皆さんへのメッセージはこちらです。

 

チャイコフスキー国際コンクール第3位、アレクセイ・メリニコフさんのお話

チャイコフスキー国際コンクール入賞者のコメント。続いては、第3位のアレクセイ・メリニコフさんです。
彼はグネーシンからモスクワ音楽院で学んで、やはりエメリャーノフさん同様、ドレンスキー先生とその門下の先生方(ピサレフ、ネルセシヤン、ルガンスキー)のもと学んだピアニスト。2015年の浜松コンクール入賞者です(そういえば、このときも3位3人だったな…)。

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Alexey Melnikovさん
◇◇◇
—チャイコフスキーのファイナルのステージで演奏してみて、いかがでしたか?

すばらしい気分でしたが、同時にとてもハードでした。こんなに連続してコンサートを演奏するのは肉体的にもチャレンジングなことですし。

—一番楽しかったステージは?

2次が一番楽しかったですね。

—それはよかったです。浜松コンクールの時同じ質問をしたら、頭が痛かったり風邪ひいたりしていて全部辛かったっていってたから。

そうそう、あのときは全部調子悪かった(笑)。今回のほうが緊張感も軽かったし、心地よく演奏できました。あれから何年か経って、少し成長できたということかもしれません。

—今回は会場でドレンスキー先生もお見かけしましたが、お元気そうで安心しました。

ドレンスキー先生は体調もよく、毎週練習して生徒にも教えていらっしゃいます。僕もこのコンクールの準備ではドレンスキー先生に見ていただきました。それからもちろん、ルガンスキー先生にも。そういった影響が自分の演奏に見えるのは確かだと思います。

—先生方から学び受け継いだ最も大きなことはなんでしょうか。

音でしょうね。あとは音楽のテイストの質です。

—今回は、5台のピアノからスタインウェイを選びましたが、選んだポイントは?

キャラクターの違うピアノが並んでいて、30分で選ばなくてはいけませんでしたから、とても苦労しました。でもとにかく音質を重視して選ぶことにしました。弾き心地という意味では一番でなかったかもしれないけれど、あのスタインウェイのピアノは、一番美しい音を持っていました。普通でない、あたかく深い音を持っているところが気に入りました。
カワイもとてもいいピアノで本当に迷ったので……多くの人が選ばなかったことに驚きました。特にピアニシモで多くの自由を与えてくれて、いろいろなことを試すことができる、広い可能性を持つピアノでした。

—浜松コンクールのときから、メリニコフさんの柔らかくて少し暗めの特別な音が印象的で、忘れられませんでしたが。

ああ、あの時はすばらしいカワイのピアノを弾きました。あのピアノが今回もここにあったらいいのにと思いましたね。

—ところで思ったんですが、メリニコフさんの声って独特ですよね、深い響きというか。

……え、喋ってる声の話してます?

—そうそう。それが、メリニコフさんのピアノの音と近いんじゃないかなと思ったんですけど。言われたことありませんか?

ないない、初めてですよ。でも、それはそうかもしれません。

—管楽器奏者の方がそういう話をしていたのを、ふと思い出したんです。自分はこういう音域の声だからこの楽器が好きだ、みたいな。

なるほど、確かに僕は暗めの音の方が好きです。ピアノだけでなく、他の楽器でも。それが自分の声と関係している可能性はあるかもしれない。

—あの特別な音を鳴らすための秘密はあるのでしょうか?

うーん、やっぱり耳でしょうかね。耳が全てです。聴く経験を豊かにすることは、新しい感覚を見つけることの助けになります。とくに歌を聴くといいと思います。あと、ほかの楽器と一緒に演奏することもいいですね。自分でも他の楽器を演奏できたらいいなと思うくらいです。将来的に挑戦してみたいです。

—2次では、リストのソナタを演奏されました。聴きながら深呼吸したくなる演奏で、大変楽しませていただきました。でも、コンクールでこの曲を選ぶのは勇気がいりませんでしたか?

もちろん、とてもリスキーな行動だったと思っています(笑)。でも、僕はこの曲には特別な感情というか、何かケミストリーのようなものを感じていたんです。もちろん、自分では、ということですが。その感覚を大切にしました。

—メリニコフさんが受けた次の回の浜コンで、たまたまセミファイナルで12人中4人、それもティーンエイジャーの子たちがわりとリストのロ短調ソナタを選んでいたもので、この曲をコンクールで弾くことについて、審査員の先生方がいろいろおっしゃっていたんです。そのことを思い出してしまって。[参考:一番イラだっていたイラーチェク先生のインタビューはこちら

それはそうでしょう。これはリスト後期のとてもパーソナルな作品です。ファウストと関連しているといわれますが、僕自身は、リストはこの作品にファウストのアイデアをとても個人的な視点から持ち込んだと思っています。まず、冒頭の部分では二つの異なるスケールが聞こえますね。一つは教会音楽で使われるスケール、もう一つはジプシーのスケールです。これは、彼の署名だと僕は思います。彼はかつてジプシーであり、のちに修道僧になった。そんな自分の経験と人生を投影していると思います。少し歳を重ねてからでないと演奏できない作品でしょう。40歳か50歳くらいになってから演奏できると一番いいと思います。僕も今20代の終わりに弾いて、10年くらいおいてからまた演奏したいと思っています。

—それは楽しみですね……歳をとってほしいです。

オッケー、約束する、必ず歳をとるよ(笑)。

—ロ短調ソナタでも、ああいった柔らかく小さな音をこの大きなホールで迷わず鳴らそうとできることがすごいと思ったのですが、どうするとああいう勇気が持てるのですか? こわくないですか?

このホールで弾くときに重要なのは、語りかけるような音を鳴らすことです。もし、良いフレージングで語る音を出せれば、みんなに聴きとってもらえます。理由はわかりませんが、それはこのモスクワ音楽院大ホールの魔法のようなものでしょうね。

—浜松コンクールの時のインタビューでは、映画も好きだというお話をしてくださいましたね。最近は何か観ましたか?

映画はあまり観ていないのですが、今年はナボコフの本をたくさん読んでいました。最近のお気に入りです。

—そういえばこの前の浜コン、日本人作曲家の課題曲は「SACRIFICE」(佐々木冬彦作曲)だったんですよ。

ああ、僕も聴きました。あれはいい作品でしたね。

—タイトルの通り、タルコフスキーの映画からも影響を受けているという作品だったのですが、インタビューしたコンテスタントの中で一人しか映画を観てみたといっていなくて驚いちゃって。

それは僕たちのジェネレーションの問題でしょうね。教室に閉じ込められて、ショパンのエチュードを誰よりも速く弾けるようになればいいと思ってひたすら練習をしている。そんなふうに閉ざされた生活をしていたら、プロとして音楽の道で生きていくにあたって、未来はありません。人間として成長することで、音楽家としても成長できるというのに。

—メリニコフさんは、これからピアニストとして何を目指していきたいですか。

音楽の本質に集中し続けたいです。これまでも、キャリアのことを考えてどうということはなく、単に成長したいと思いながらピアノを続けてきただけですから。コンクールに出るのは、有名になりたいからとかそういうことではないんですよね。大切なのは音楽の喜びで、ほかのことは周辺の事情にすぎません。

—では、あなたの音楽にとって最も大切だと思うことは?

良い人間でいることでしょうね。可能な限り。自分がどんな人間であるか、それこそが、聴き手のみなさんが自分から感じ取るものだと思うからです。

◇◇◇

以前の浜松コンクールの時に行ったインタビューによると、メリニコフさんもまた、「両親は音楽家ではなく、子供の頃の練習時間は1時間半から2時間で、それ以上練習したことはない」というパターンだそうです。
この浜コンでのインタビュー、結構面白くて、アーカイブが残っていないのが残念なのですが、その中で、ロシアン・ピアニズムについて語っていることが興味深いので、ちょっと再掲載。

「そもそも、ロシアの伝統とは何かを説明すること自体が難しい。実際、ロシアの教授たちは演奏も教え方もみんな違います。ただ、ロシアン・スクールにおいては、演奏にあたって作品の形を組み立てることを大切にするというのはあると思います。ラフマニノフはこれについて、作品にはいわば建築でいう “ゴールデンポイント”のようなものがあるので、それを見つけないといけないと言っています」(第9回浜コン入賞者インタビューより)

そのほかにも、映画はタルコフスキー、キューブリック、ベルイマン監督作品も好きだけど、隣のトトロも好きだとか、ステージや演奏後はクールな感じにしているわりに楽しそうに映画の話をしてくれて、この時以来、メリニコフさんはツンデレ的チャームポイントをお持ちのピアニストだと私の中で認定されました。

ところで彼、前にもちらっと記事で触れましたが、髪型おしゃれですよね。実は私がそこについひっかかってしまうのには理由がありまして。
浜松コンクールの時、プログラム用に提出してあったメリニコフさんの写真の髪型がなんともいえないマッシュルームヘアで、実物を見て、写真より今の髪型のほうが断然いいじゃないの、似合うヘアスタイルって大事ねとしみじみ思った(しかも口に出して本人に言った)のでした。それで今回はまたさらに、アシンメトリーなおしゃれヘアになっていたもので、いいねと言わずにいられなかったわけです。

写真撮影のとき、そんなおぐしが少し乱れていたので、「髪型それでいいの?」「整えたら?」「でもそのヘア・スタイルいいよね」「今までで一番似合ってる」などと一方的に語りかけていたところ、メリニコフさん突如、「ぬぅ、これはヘア・スタイルではない。ただのヘアなのだ!」と哲学みたいなことを言い出し、横で撮影を見ていたお友達に、爆笑されていました。

チャイコフスキー国際コンクール第3位、コンスタンチン・エメリャーノフさんのお話

チャイコフスキー国際コンクール入賞者のコメント。続いては、第3位のコンスタンチン・エメリャーノフさんです。
モスクワ音楽院で、ドレンスキー先生とその門下の先生方(ピサレフ、ネルセシヤン、ルガンスキー)のもと学んで、2018年から音楽院のアシスタントを務めているようです。王道ルートという感じ。

エメリャーノフさんはまだ25歳ですが、演奏も佇まいもとても落ち着いた雰囲気です。私の中では、演奏はわりとサラリとしているけれど、音にインパクトのあるタイプという印象。

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Konstantin Yemelyanovさん
結果発表直前に、薄暗い通用口のドアの前で佇んでいるところを発見
さすがに背景がもの寂しすぎたので、場所を移動して撮影しました。ニッコリ

◇◇◇

—チャイコフスキーコンクールのファイナルという舞台で演奏してみて、どんなお気持ちですか。

とても幸せですし、光栄です。でも、同時にすごく疲れました。もっともストレスの大きい経験だったと思います…。

—やっぱりロシアのピアニストには、昔からチャイコフスキーコンクールの舞台への憧れみたいなものがあるのですか?

子供の頃っていうことですか? とくにそういう夢とか憧れはなかったですねぇ。僕は神童みたいなタイプではなかったし、練習もあまりしなかったし。家族には音楽家もいないし、両親も、僕を音楽家にしようなんて考えていなかったと思います。
僕が音楽の道に進んだのは、ほとんどアクシデントのような感じなんですよね。子供の頃は練習だって4、50分くらいしか続かなかったですし……。

—でも、ご両親は今この結果を喜んでいるでしょう。

それはもちろん(笑)。

—全然体を動かさないで、すごくどっしりした音を鳴らしていらっしゃいましたね。これがロシアン・ピアニズムを受け継ぐ人の音なのかなと思いましたが、エメリャーノフさんとしては、そういうロシアのスクールのようなものについてどう考えていますか?

僕自身が、もしかしたらその中にいるのかもしれませんけれど……ロシアン・ピアニズムの演奏家は、みんな違う音、音の色を持っています。一番重要視されるのは、音楽のアイデア、コンセプトでしょう。テクニックの問題だけが重要なのではありません。ステージで演奏する作品についてのコンセプトを常に深く掘り下げ、そのキャラクターを真に捉えていなくてはいけません。

—モスクワ音楽院の大ホールは音響をコントロールするのが難しいとみなさん言っていましたが、いかがでしたか?

そうですね、とても広いし、物理的に簡単ではありません。この会場は、ステージに座って聴く音と、客席で聴く音が大体同じだと感じます。自分が十分でないと感じるときは客席でも十分でないし、クリアに聴こえると思うときはクリアに響いている。おもしろいなと思いました。

—今回は5台のピアノからヤマハのCFXを選びました。その理由は?

関心を持ったそれぞれのピアノを試してみましたが、このホールの音響にはヤマハが合うと思いました。一番音がクリアで、混ざり合っても音がごちゃごちゃになってしまうこともなく、すべての声部を聞くことができて、音楽を作るのにとても良いピアノだと思いました。
僕にとって、鍵盤の弾き心地の良し悪しはあまり大きな問題ではありません。最も重要視しているのは、このホールの中でどう響くかという音のことです。

—エメリャーノフさんが音楽家として最も大切にしていることはなんでしょうか。

常に真摯で正直でいること。自分自身でいること、そして作曲家に正直でいることです。自分が人に届けたいと感じる偉大な作曲家たちの作品を弾いているのですから、そんなすばらしい音楽に対して、いつも正直でいないといけないと思っています。

◇◇◇

この“家族に音楽家はいないし、子供の頃あんまり長い時間練習しなかった”っていうパターン、ロシアのピアニストに結構いますね。(それで、それじゃあ何して遊んでたのと聞くと、だいたい「サッカー」っていう。エメリャーノフさんには聞きませんでしたけど)
ゴリゴリ練習漬けにはしないけれど、才能のある子は早期教育の学校に入れてしまって、自然とすごい先生と仲間に囲まれて淡々と音楽をやっていて、気づくと技術と考え方が身についている。そういう芸術家育成システムが、ロシアにはあるんでしょうね。

エメリャーノフさん、演奏の雰囲気からもっとクールな感じなのかと思っていたんですが、話しかけてみたら非常に優しい感じで、しかもにっこりポーズの撮影にまで付き合ってくださり、そんなところも、いかにもロシアのピアニストって感じでした(イメージ)。