グリゴリー・ソコロフを聴いた

 今回の旅で特に楽しみだったイベントの一つは、モナコでグリゴリー・ソコロフのリサイタルを聴くということでした。日本に来てくれないソコロフ…ヨーロッパにいるときにうまくタイミングが合って聴けないものかと、いつもその機会をうかがっておりました。

モナコのモンテ・カルロへは、ニースから電車で30分ほど。そんなわけで滞在はニースです。

ニースには良い美術館がたくさんありましたが、中でもシャガール美術館は特別な空間でした。そして土曜日の昼なのに、すいている。
シャガール自ら生前に建造にかかわっていて、聖書の物語を描いた連作が展示されています。シャガールはユダヤ系ロシア人なので、いわゆる旧約聖書の物語が描かれています。自身の独創的な観点で物語が紐解かれていて、それは優しい光を放っていました。
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シャガールは神様と対話していた…音楽でも美術でも、心身を削ってこういう本質的なものを掴んで見せてくれるアーティストは尊いですね。改めてシャガールの宗教作品に囲まれてみると、本当に優しい人だったんだろうなと感じました。自分としては、この美術館に来て、なんとなくシャガール好きだなと思っていた理由がやっとわかった感じ。

 

さて、ソコロフのリサイタルです。モナコ公国、もしかしてビザが必要だったりするのかと思ったら、そのようなものは必要なく。さらにはフランスからするっと国境をこえて、いつの間にか入国できます。
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景色がとにかくすごい。光の感じ、色の感じがずばり違う。

会場は、モンテ・カルロのカジノに併設されたホール。
モナコは海と山が隣り合って勾配がすごく、ホールも、屋根は見えているのにどうしたらたどり着けるかしばし悩みました(このカラフルな部分が、ホールの屋根)。

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ホールの横から振り返るとこんな景色。
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会場はこのような感じです。
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ロビーには錚々たる顔ぶれの指揮者の写真が飾られていましたが、その中にヤマカズさんのいつもの写真発見。そういえば、モンテカルロ・フィルの芸術監督なんですよね。
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普段は音のことを考えて後ろのほうの席をとりますが、初ソコロフだし前の方でよくタッチを見たいなと、前から2列目のかなり左端のほうの席をとっていました。
すると開演直前に隣同士で座りたいカップルが、席をかわってくれないかと。彼女の持っていたのが、なんと一列目のど真ん中の鼻血シート。初ソコロフをすごい場所で聴くことに。この席で聴くことは滅多にないけど、たまに座ると、何もかも見えて楽しいものです。

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ソコロフのリサイタル、演目はベートーヴェンのソナタ3番とバガテルOp.119、ブラームスのOp.118と119。最高かよ…というプログラム。

ベートーヴェンは、初期のOp.2と後期のOp.119で全くタッチが変わって、そうですよね、そういうことですよね、と思う。正統的。なのに最初から最後まで、次は何が来るのかワクワクしっぱなし。1950年生まれということで今年69歳になるソコロフですが、全く枯れないタイプなんですね。こんなにいい意味でギラギラとしたブラームスのOp.118、119は初めて…でもそれがまたいい。逆立った毛をブラシで梳かして撫でてくれるような、そんな演奏(変な例えですみません)。

大歓声の客席を前にしても、ひとっつもニコリともせず、それなのに6曲もアンコールを弾いてくれる。ツンデレおじさんっぷりにまたシビれてしまいます。ロシア系のピアニストって、わりとときどきそういう人いますよね。プレトニョフとか、コブリンとか、なんかそういう美学があるんだろうなって思ってカーテンコールを眺めていると、逆にかわいらしく(?)思えてきます。このアンコールがまた、ラモーからラフマニノフ、ドビュッシーなどと、本当にいろいろなものを弾いてくれて、いろんなタッチと音を聴くことができました。

強音も弱音も、お腹の底から、脳の内側から揺さぶってくる。単に美しい音という表現では似合わない。ところどころで、強烈に含蓄のある音が鳴る。ソコロフの音は特別だというのはこういうことか…と思いました。生で聴くことができてよかったです。

時差や長距離のフライトがいやだという理由で、ずっと演奏活動はヨーロッパのみに限っているということですが、たくさんのピアノファンがいる日本にも来てくれたらいいのに。
誰かちょっとずつ移動させながらリサイタルをセッティングして、はっ、気づいたらウラジオストック!もう日本すぐそこだから行っちゃいなよ、みたいな感じで、だましだまし連れて来てくれたらいいのに。

一度聴けて満足したかと思いきや、次もヨーロッパにきたらチャンスを狙って行くと思います。

インドのオーケストラ、イギリスへ行く

シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディアが、イギリスデビューする!
ということで、そのロンドン公演を聴いてきました。

演目はふたつ。先日私がムンバイで聴いた、ザキール・フセインのタブラ協奏曲を含むプログラムと、純西洋クラシックのプログラム(組み合わせを変えて数種類)。今回は、タブラ協奏曲なしの下記の演目を聴いてきました。場所はCadogan Hallです。

Weber: Overture to Oberon
Bruch: Violin Concerto No. 1 in G minor, Op. 26
Rachmaninoff: Symphony No. 2 in E minor, Op. 27

そもそもこのシンフォニー・オーケストラ・オブ・インディア(SOI)というオーケストラ、ナショナル・センター・フォー・パフォーミング・アーツ(NCPA)のディレクターであるサントゥクさんがロンドンであるオーケストラの公演を聴き、「我がムンバイのNCPAにもオーケストラを!と思い立って始めたものだということです。
そのロンドンでのコンサートでソリストをしていたカザフスタン人ヴァイオリニストのマラト・ビゼンガリエフさんを音楽監督に招き、SOIはスタートしました。
そのため、オーケストラの団員には、臨時でシーズンにやってくるカザフスタン人がとても多い!あとはロシア人。インド人団員は15人ほど。

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こちらのカザフスタンの大木凡人さん的な方が、ビゼンガリエフさん。この日のロンドン公演では、ヴァイオリン協奏曲のソリストをつとめました。

カザフスタン人は東アジア人と似た見た目の人も多いです。
ビゼンガリエフさん、日本では日本人に間違えられて普通に日本語で話しかけられるよ!とおっしゃっていました。
(たしかに、この色メガネとアーティスティックなヘアスタイルを除けば日本人ぽいかな…ちょっと個性的な風貌の日本人として話しかけられているんでしょうね)

私もバックステージでうろうろしていたら、カザフスタン人?と話しかけられました。さらにビゼンガリエフさんには、KOSAKAって、コサックじゃないか!私もコサックだよ!!と言われました。カザフスタンの人にとって、私の名前はコサックになるみたいです。

私がロンドンで聴いた演目は、ザキールさんのタブラ協奏曲がない、いわばごまかしのきかない演目なわけでしたが、指揮者がイギリス人のマーティン・ブラビンズさんということで、ムンバイで聴いた時よりもまとまりのある印象。とはいえ、弦の人々が思い思いの弓使いで演奏しているのは相変わらずです。

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お客さんの入りは6、7割。後半のラフマニノフの交響曲第2番のあとは、客席から大歓声があがっていたので、イギリスのお客さんからは好意的に受け入れられたようです。楽章ごとにためらいがちな拍手が出ていたので、この日の客層がどんな方々だったのかはよくわかりませんが。

今回、開演前のプレトークやビゼンガリエフさんのお話を聞いて、そもそも、自分(や周りの人達)が抱いていた、インド人が15人ほどしかいなくてインドのオーケストラといっていいのか?という疑問の答えというか、そもそもこの疑問を勝手に抱くこと自体が、彼らの考えていることからするとズレているのかもということを思いました。

彼らは、単に、ムンバイをベースにしたまともなオーケストラを持ちたかった。もちろんインド人の奏者が育って増えればいいと考えて、教育プログラムも行なっているけれど、インド人団員は結果的に増えればいいというだけで、第一の目的ではない。
むしろ、日本のオーケストはには外国人が少なく、そのことはある意味不自然なのではないかという議論が最近あることを思い出しました。
ビゼンガリエフさんともこの辺りの話をしましたが、「私たちはなに人だろうが、より優れた人の方をオーケストラに入れているだけだ」と言われてしまいました。さらには、日本オーケストラは、「例えば日本人と外国人の演奏家カップルが日本に住むことにして、演奏レベルが低くても日本人の方がすぐオーケストラに就職できて、外国人のほうはなかなか仕事が見つからないという例を聞いたけど」とも言われてしまいました…。
とはいえ、この外国人たちがシーズンごとに外国から呼ばれてやって来るわけで、めちゃくちゃにお金がかかるということ、そのお金があるならローカルな音楽家の育成やサポートに力を入れるべきでは?という疑問があるのも確かです。

さて。いくつかのロンドン公演の批評に目を通すと、アンサンブルの面や、とくにインド系イギリス育ちのダダルさん指揮の公演について、安全運転重視の演奏に厳しい評価が下された印象。

1960年にN響が世界ツアーをしたとき、ときどき酷評はあったものの概ね好評だったことを、ソリストだった中村紘子さんや堤剛さんが回想していたことと、ふと重ねました(16歳の紘子さんが振袖で弾いたことで有名な、あのツアー)。
中村紘子さん曰く、「黄色い顔をした発展途上国の蛮族が、自分たちの文化をこれだけ真似をして、いい子ちゃん、いい子ちゃんみたいな、非常に見下して寛大に迎えるというような形(中略)冒頭にはいつも、戦争で戦った敵国日本という表現が必ず入っていました」。
もう今は時代が違うということですね。他にも、団員がその国の人でないなど、いろいろ違うことはありますが…。

ザキールさんのタブラ協奏曲については、「パウダーのついた指と手のひらで、複雑なリズムを叩き、カデンツァはまるで催眠術のようだった!」なんて書かれていました。
ただ、厳しめの記事には、一握りのインド人しかいないこのオーケストラが、その名前にという名前にそったものになる日は来るのかだろうかということ、またザキールさんの曲自体について、西洋と東洋をつなぐという意味では月並みな結果だったし、もっとザキールさんが二本の手と二つの太鼓でオーケストラみたいな表現をするところを聴ける曲であって欲しかった、というようなことも書かれていました。

演奏を聴くというよりは、ロンドンでの反応が気になって見守りに行ったという感じのこの公演。聴衆は盛り上がっても、やはり批評は思った通り少し厳しいところもありました。

パペットショーどうでしょう

デリーでは今年も、学生時代にフィールドワークをしていたパフォーマーカーストのコロニーに顔を出してきました。相変わらずみんな元気そうでした。
(彼らについて紹介した過去の記事は、こちら

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こちらの中央のどっしりした男性が、コロニーの中で最も成功しているパフォーマー一座の長である、プーランさん。孫を両脇に抱えながら。

ピアノ雑誌の編集部時代、無謀にもインド特集を組んだとき、ピアニストの青柳晋さんを連れてこのスラムでパフォーマーと音楽的交流をしてもらったのですが、青柳さんが「京唄子師匠に似てるねぇ…」と言い出したので、プーランさんと話していると、ときどき唄子師匠のことが頭にちらつきます。
(そして、今改めてグーグルして見比べると、とくに似てないっていう…)

一家にリクエストされていたおみやげに加えて、子供が多いから日本のお菓子をと思って、この三角の小袋がたくさん入った柿の種のファミリーパック的なものを持っていったんです。
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すると彼ら、サモサだサモサだ!日本のサモサだ!とひとしきり盛り上がっていました。サモサっていうのは、こういう形の餃子風の皮にじゃがいものスパイス炒めが詰まった揚げ物です。形以外はまったく別物です。この人たち、三角紙パックの牛乳見ても、サモサだっていうのかな。

ところで彼らは数年前、デリーの政策で、もう60年も彼らが(勝手に占拠して)住んでいたスラムを立ち退くことを命じられ、700世帯ほど集まって住んでいたパフォーマーのカーストの家族たちは、何箇所かのキャンプにわかれて住むようになりました。キャンプといわれてどんな住環境なのか心配していましたが、むしろ衛生状態もよくなっていたし、警察署も隣にあって安全そう。本人たちも、クールな場所だぜと気に入っているようでした。

とはいえ、世界で一番有名なスラムと呼ばれた場所には、自然と世界のフェスティバルのオーガナイザーがスカウトに来ていて、それで仕事がなりたっていたのに、急に移動を余儀なくされたことでコンタクトが減り、一年ほどは仕事がなくて大変だったそうです。予期せぬいろんな問題が起こるもんだ。

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こちらは去年の写真から。結婚式開催ウィークだったので、みんな踊ってます。そのセンターで黙々とチャパティを焼く若奥さん。

 

彼らの伝統的なパフォーマンスは、この木製パペットでのショーなのですが、最近は仕掛けのある手の込んだ人形や、テレビからの仕事の依頼でセサミストリートのぬいぐるみを操ったりもします。

 

 

最近のホットな演目は、このビッグパペットによるショー。3メートルくらいあるでしょうか。ステージの横にスタンバっているだけで、子供はもちろん大人も集まってきてはしゃいでいました。

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(もし日本人の友達が一緒にいたら、じゃんがじゃんが的な…と言うところでしたが、残念ながらこのくだらない感想を分かち合える人は近くにいませんでした)

さて、わたくしが近年なんとか実現させようと思っている、このスラムでヴァイオリンなどの楽器を教えるプロジェクト(もともとパフォーマーなので、プラスワンのの技として取り入れて収入アップを狙う&天才発掘の企み)、実はヴァイオリンの先生を失って立ち往生中だったのですが、また新しいツテができて再スタートできそうです。

ちなみに先生が行かなかった期間、唄子師匠、一度子供達を集めて自分たちで弾いてみようと、私が置いてきたヴァイオリンを開けてチャレンジしてみたそうです。
「ギターとかは独学で弾く子も多いけど、やっぱりヴァイオリンは先生がいないとだめだね、3日で断念しちゃったー」
とのこと。むしろ3日も自分たちでやろうとしたことがすごい。

去年楽器を持っていった時も、いきなり見よう見まねで楽器を持って弾いてました。完全に初めて手にしたわりには、なんだかいい感じです。さすが。

さてこれからどんな展開になるか…新しい道を切り拓くために。がんばろう。