チョ君のすべらない話

引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。

自分で書いたもののことではありますが、
本の中で何ヵ所か、なんとなく気に入っているくだりというのがあります。
その一つが、チョ・ソンジンさんにお聞きした、
中村紘子さんとの思い出についてのコメントなんですよね。

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(1月30日のオペラシティ公演後、本を抱えて写真におさまっていただきました)

昨年5月の来日時、中村紘子さんについての思い出を聞かせてもらいました。
チョ君はしっかり一つ一つの話に、
わかるかわからないかくらいの微妙なジョークを交えながら、
いろいろな思い出を語ってくれました。
それをキャッチすることを楽しみとする自分としては、
まさに「すべらない話」を聞いているかのようなおもしろみ。
(誇張することなくそのまま書いたので、
多分本の中ではほとんど伝わってないと思いますが)

その話の中には意外なエピソードも多く、支援すると決めた相手に対して、
中村紘子さんが貫いた姿勢のようなものを垣間見ることになったのでした。
中村紘子さんと若手ピアニストというテーマを語れば、
感謝して頭が上がらないという人もいれば、その逆(!)もいるのが正直なところ。
これは、パワーをもって何かを動かせる人だったからこそのことかもしれません。

チョ君の話を聞いていておもしろかったのは、
公ではめちゃくちゃ褒めてくれるけど、一対一になると厳しいという話。
逆ツンデレかよ! と思わずつっこみたくなりましたが、
そんな中で教わったこと、気づいたことについても、チョ君は語ってくれています。

あと、もう一つ印象的だったのが、
「紘子先生は商業主義的なピアニストを嫌っていたから…」という話。
その教えもあってか、チョ君はショパンコンクール優勝後、
韓国でアイドル的人気となったにもかかわらず、活動としては、
クラシックの演奏家としての正統的なものを注意深く選んでいるようです。

そんな話を聞きながらふと思ったのは、
若いチョ君(それにもちろん育った国も違う)は、
中村紘子さんが若き日にアイドル的人気を集めていたことを知らないんだよな、
…ということ。
30代の紘子さんの新婚生活やデートした場所がメディアで取り上げられた記事、
ピアノを弾きながら目玉焼きを焼いているテレビの映像を見たら、
びっくりするかもしれません。

カンのいい方なら察してくれるかなーと思って、
本書の中で、そのあたりのことは皆まで語っていませんが、
実はそんなことも、書きながら私は考えていたのでありました。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売

中村紘子さんと調律師さん

引き続き、「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」のご紹介です。

今回この評伝を書く中、最初に節全体の文章がまとまったのは、
長年、中村紘子さんを担当していた調律師さんのお話のところでした。

わたくし、調律師さんにお話を聞くのが昔から好きなので、
インタビューをしたそばからすぐ文章をまとめたくなったという、そんな理由。
今回主にお話を聞いたのは、スタインウェイを担当していた外山洋司さんと、
ヤマハを担当していた鈴木俊郎さんです。
外山さんは当時他に、外国人ならブレンデルさん、ペライアさんや、エマールさん、
日本人なら横山幸雄さんや仲道郁代さんをご担当していた調律師さん。
鈴木さんも、人気ピアニストの公演のインターミッションで作業をしているのを
それはもう本当によくお見掛けします。

コンサートの日、彼らは朝から先にホールに入って作業をしているわけですが、
その後、お昼過ぎに紘子さんが会場入りしてからの緊張感。
……話を聞いているだけで胃が痛くなります。

海外のコンクールで調律師さんの取材をしていると、
欧米の調律師さんには「本番が始まればどうにもならないし、別に緊張しないけど」
とか言う方も多いんですが、日本の調律師さんは仕事も気遣いも繊細で、
すごく親身になって緊張して本番を聴いている方が多いんですよね。
そのうえ相手が中村紘子さんとなったら、その緊張度は相当でしょう。

とくに、戦後、コンサートグランドピアノの製造を本格的に始めて世界を目指し、
それこそ日本のピアノ界の発展を牽引したヤマハの調律師さんの話など、
「プロジェクトX」みたいなノリです。
『男は当初、このピアニストに名前すら呼んでもらえなかった』
…的なナレーションが入りそうな出会い。

ヤマハの鈴木俊郎さんが最初に中村紘子さんを担当することになったのは、
紘子さんが40代半ばと最もノリノリだった頃のことなので
相当、こわかったらしいです。
(メディア関係で、取材現場でドキドキ体験をしたという話は、
だいたいこの頃くらいまでの紘子さんのエピソードですよね…
もちろん、愛情のある厳しさゆえだと思いますけどね、という補足)

中村紘子さんが調律師さんにどんな音をリクエストしていたのか。
その話からは、特有の高い椅子で弾くスタイルが確立された理由も見え隠れします。
(けっこう、ほー、そういう見方もあるのね、と私もびっくりしました)
そして、調律師さんの視点だからこそ感じる紘子さんの音や音楽の魅力も
たっぷり語ってもらっています。

2015年ショパンコンクールのドキュメンタリー「もう一つのショパンコンクール」で
調律師さんのお仕事に関心を持たれた方にも、
けっこう楽しく読んでいただけるのではないかなと思います。

で、何より今回私が嬉しかったのは、これはこのページに限らないことなのですが、
証言者のみなさん、
「インタビューのときはつい言ってしまったけど、それ書かないでー」
というようなことをあまりおっしゃらず、
けっこういろいろ、そのまま載せさせてくださったこと。
みなさんが本の主旨を理解して、
楽しんでいろいろなエピソードを披露してくださったおかげで、
中村紘子さんの姿を、
生き生きとスリリングに描くことができるようになったのではないかなと。
ありがたいことです。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売

「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」発売

「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社)が発売となりました。
彼女がいかにして国民的ピアニストとなったのか、時代背景も考慮し、
関係者の証言や昔の記事を掘り起こしてまとめた評伝です。
書いていて、自分で本当に楽しかった!

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昭和という時代の熱量を受け止めながらスターの座にのぼりつめ、
生涯にわたって華やかな演奏活動を行い、
クラシック音楽界の“女帝”ともいうべき、圧倒的な輝きを放ち続けた人。
彼女なくして今の日本のピアノ界の発展はありえないと誰もが言います。

ざっくりと本書の内容の一部をご紹介すると、
このような感じになっています。

<本書のコンテンツより一部抜粋>
●リーダーシップの強さは子供の頃から
●あの斎藤秀雄にケンカを売る
●振袖を着た天才少女~NHK交響楽団の世界一周ツアー
●ジュリアードでの苦労とショパンコンクールでの成功
●大衆人気と玄人筋の評価のはざま
●共演者から見た中村紘子
●中村紘子が求めた音
●審査員席の中村紘子が語ったこと
●変化するコンクール審査員界の潮流
●中村紘子の覚悟

評伝の紹介としていきなりこんなことを書くのは少し変かもしれませんが、
中村紘子さんのファンの方はもちろん、むしろそうでなかった方にも、
さらに言えば、ちょっと苦手だった…という方にも、ぜひ読んでいただきたい。

というのも、彼女が音楽界のために行ったことはとても大きかったと同時に、
あまりにパワーのある女性だったので、
恐れられたり、言動が批判的にとらえられることもあったと思うから。
そんな中でも、中村紘子さんは、ピアニストとして、女性として
覚悟を持って力強く歩んできた方でした。

今回この評伝を書いていく中で、彼女がまだ少女時代の頃の記事を調べていくと、
あの強そうに見える中村紘子さんが人知れず辛い思いをしていたときもあったこと、
それを乗り越えさせたのは、10代の頃に持ったピアニストとしての覚悟だったのだと
改めて知ることになりました。

…実は私自身、自分が中村紘子さんの評伝を書くことになるだなんて、
思ってもいませんでした。
最初にお話をいただいたとき、イヤイヤ…もっと個人的に親しかったとか、
同じ時代を知っている書き手の方はたくさんいるだろうに、
私で書けるのだろうか、さらに言えば、
私はコンクールの取材をしすぎて、いろいろなことを見聞きしているだけに、
ちょっと気が進まないぞ…というところがあったのです。

でも今回、高度経済成長とバブルという特殊な時代背景、空前のピアノブーム、
時代とともにさまがわりしていった女性を取り巻く社会環境、
そしてなにより戦後のピアノ界の変遷というものと、
中村紘子さんの生きた時代を重ねて考えるという主旨だったことで、
それなら、ぜひ挑戦してみたいと思ったのでした。
それにやっぱり、中村紘子さんという方は唯一無二の存在だったと思うから。

評伝の中では、そういう社会的な事象への考察もしていますが、
もちろんネタの宝庫ともいうべき「中村紘子親分」の伝説の数々を紹介しています。

本の中では、「キャリアの確立」「憧れの存在となる過程」「音楽への考え」
「審査員として業界を牽引した時代」「日本の未来への提言」にテーマをわけて、
その生涯と音楽をたどっています。

その中で、長年ので共演者である堤剛さん、指揮者の秋山和慶さんや大友直人さん、
中村紘子さんが見出した才能であるチョ・ソンジンさん、
コンクール界の重鎮ドレンスキーさん、マネージャーさんや、
ヤマハ、スタインウェイの調律を長年担当した調律師さんなどに、
いろいろなお話をお聞きしました。
中には、あんまり親しくなかったであろう方にもお話を聞いて、
紘子さん、なんでこんなことおっしゃってたんでしょうねぇ?というテーマについてご意見をいただいています。

結果的に、中村紘子さんには編集者時代に大変お世話にはなったけれど、
ものすごーく親しかったというわけではない立場だからこそ書けたこと、
見えたことがあったのではないかと思いました。
(もちろんその逆があったことも、わかってはおりますが…)

私が中村紘子さんに直接お会いしたのは、
だいたい国際コンクールの取材で講評をお聞きするときでした。
今こうして中村紘子さんが歩んできた道を知ったうえで、改めて、
もっとつっこんでいろいろなお話を聞いてみたかった…と思います。

2018年1月26日、いよいよ発売、ということで、
何回かにわけて、本の内容や執筆裏話をご紹介していこうかなーと思います。

 

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『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
高坂はる香 著/集英社
1,700円+税/四六版/320ページ
2018年1月26日発売