続いては、今回のルービンシュタインコンクールで
ファツィオリの調律を担当している越智晃さん。
越智さんはこれまでにも、ファツィオリが参入するようになって以降のショパンコンクール、チャイコフスキーコンクールなどの舞台で調律を担当しています。パオロ・ファツィオリ社長がその腕を信頼している才能と技術の持ち主であり、大きな現場を任されているお方。
当初スタインウェイで10年以上調律師として仕事をし、その後ファツィオリに移るという経歴をお持ちなので、両楽器のことをよくご存知です。
というわけで、さっそくインタビューをご紹介しましょう。
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─今回のファツィオリは、前回優勝したトリフォノフさんが昨年12月に選定し、会場に入れてからもアドバイスを受けつつ調整した楽器ということですね。オープニングコンサートではトリフォノフさん自身この楽器を弾いていて、やはりファツィオリを見事に弾きこなしているなという感じがしましたが。
彼は、ファツィオリからピアニシモをすごくきれいに出してくれますからね。加えて新しい楽器では、フォルテも充分に出るようになっていますし。ファツィオリの魅力を最もよく引き出してくれるピアニストだと思います。弾き慣れていますから、それも大きいと思います。
コンクールのピアノについて彼が最初に言ったのは、今回のスタインウェイは鍵盤が深く、ファツィオリのほうはどうしても浅く感じるということでした。多くの人はスタンウェイに慣れているから、ファツィオリも深めにしたほうがいいだろうということで、スタインウェイと同じほど深くはしませんでしたが、いつも仕上げるより0.5ミリくらい深く仕上げました。
─今回のピアノのキャラクターはどのようなものでしょうか?
やはりこれまでのファツィオリと一番違うのは、パワーがついたということ。そしてそのおかげでソロからコンチェルトまで、オールマイティに対応できる楽器になったということです。以前はコンチェルトになるとちょっと弱いかもしれないと思うところがあり、いつも問題意識として念頭に置いていたのですが、大きく改善されています。
今回、ボリュームの必要な作品がレパートリーにあるからファツィオリを弾きたいというコンテスタントがいるところを見ると、実際にだいぶ印象も変わったのだろうと思っています。
─ファツィオリのピアノには、何か特別なコントロール方法というのがあるのでしょうか。
社長のパオロが「ピアニストがピアノと格闘しているところは見たくない」と考えて新しいピアノを創ることにしたのが、ファツィオリの始まりです。それだけに、このピアノは力まなくても音が出るのですが、普段一生懸命弾かないと音量、音質とも出しにくいピアノに慣れていると、どうしてもファツィオリを前にしても力んで弾こうとする方が多いようには思います。ファツィオリをあまり弾いたことがない方だと戸惑ってしまうようなところは、あるかもしれません。そのあたりは、この楽器を弾いてもらえる機会をどんどん増やしていく他に解消する方法はないかなと思います。
とはいえ調律師の使命は、これまでファツィオリを弾いたことがないというピアニストにも気持ち良く弾いてもらえるようにすることだとは思っていますが。
─自らファツィオリを選んだピアニストでも、完璧にコントロールできているピアニストと、いまいち扱いきれていないように見えるピアニストがいると感じることがあります。実際話を聞いて、扱いにはコツがあって自分はしっくりきたと言う人と、扱いに特別な違いは感じないと即答する人とに分かれて、興味深いと思いました。
その感想の違いは、初めて弾いたファツィオリの個体にもよるかもしれません。ファツィオリのピアノはどんどん新しくなっていて、特にフルコンに関してはすごく良くなってきていますから。最近のピアノだと、扱いに大きな違いは感じないのかもしれません。僕が調整するときも、例えばスタインウェイを扱うときと同じ感覚でやっています。
─パオロ社長からは、何か調律についてアドバイスがあったりするのですか?
特にないですね(笑)。ですがとにかく、2010年のショパンコンクールからたった4年間で、いろいろな改良を加え、この状態にまでもってきてくれたことにすごく感謝しています。これまでのファツィオリ特有の良さは保ちながら、コンチェルトのときなどにグワッと押し出す底力が必要だということで、フレームの形をはじめいろいろなことが変わっています。いろいろな角度からよく見てみると、以前の楽器と比べて驚くほど変わっていますよ。
とはいえこのピアノはまだ新しい楽器なので、あと1、2年もするとますます良くなっているでしょう。3年後のルービンシュタインコンクールあたりではすごく良い状態になっていると思うんですが。
─それじゃあこのピアノを所有している地元のディーラーさんがこのままとっておいてくれれば……。
まあ、売るでしょうね(笑)。
とはいえ、今後の大きなコンクールに向けて、すでに良いなと思う楽器の候補はあります。今回の経験をもとに、またいろいろ調整をしていこうと思います。
─今回は、1次で36人中5人のコンテスタントがファツィオリを選びました。それぞれのリクエストに対応されたりするのでしょうか。
なぜか終盤に固まってしまったので、うまく対応できるか心配していましたが、幸い好みに大きな違いがあるピアニストが連続して登場することはなかったのでよかったです。たとえばキム・ジヨンさんは軽い鍵盤を好みましたが、ホ・ジェウォンさんは重いほうがいいということでした。ジェウォンさんの演奏の前には、鍵盤のハンマー側にひとつひとつ重りをつけて対応しました。ショパンコンクールの時のフランソワ・デュモンさんにした対応と同様です。デュモンさんの時ほど重くはしませんでしたが、今回は1グラムほど重くして対応しました。彼はずいぶん満足してくれていたようです。
─その作業にはどのくらい時間がかかるのですか?
1台に貼り付けるのにだいたい20分くらいですから、時間的にはたいしたことはないんです。それに、今回、スタインウェイの調律師さんが朝に作業をするというのでこちらは夜に作業をしていたため、睡眠時間さえけずればいくらでも時間をとることができ、じっくり作業できました。
─音に対してはみなさんからどんなリクエストがありましたか?
高音をブライトにしてほしいというリクエストが多かったです。会場が全然響かない空間だったので、少し調整を加えました。
─ファツィオリ最初の演奏者の後に会場でお会いしたら、のどから心臓が飛び出しそうとおっしゃっていましたが、やはり演奏中は緊張されるのですか?
そうですね、だんだん慣れてきましたが(笑)、さすがに一人目は緊張しました。ピアノが原因で失敗などにつながれば、自分の任務が果たせていないことになりますから、トラブルが起こらないようにと祈るような気持ちです。最初の演奏が始まるまでは、あのホールで楽器がどう鳴るのかもわかりません。何度かステージが続くうちに、これなら大丈夫かなと自分を納得させる要素が増えていくので、だんだん緊張もやわらいでいきます。
─どんなふうに弾いてもらえると嬉しいですか?
そうですねぇ……もちろんあまり汚い音は出してほしくないですが。でもファツィオリを選ぶピアニストには、あんまりガッツリ弾いて汚い音を出すというような人がいないので、助かります(笑)。
─調律とは、越智さんにとってどういう仕事なのでしょうか?
調律することによって、そのピアノを自分の音にするということは、したくないんです。楽器がこの音になりたいという方向に持って行くというか。楽器と自分との対話という感じですね。“こうしてやろう”という気持ちを起こすと、楽器って絶対に背中を向けてしまいます。僕が理想としているイメージは、ダンパーペダルを踏んで止音されていないときに、風が吹いたらフワ~っと弦が鳴り出すくらいの、ストレスのかかっていない状態です。楽器が鳴りたいように鳴ることができるようにしてあげるのが調律師の務めだといつも考えています。
─そこにピアニストがやって来て、思い思いに弾くわけですよね。
そうですね。ですから、ピアノをできるだけ無垢の状態でわたしてあげることが必要です。その後は、ピアニストが自分で色をつけていくわけです。まっさらな状態のピアノを提供できたときには、一番ちゃんと仕事をできたなという感じがします。
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越智さんは現代作品にご立腹の様子ではありませんでしたが、それには、コンクールの舞台でファツィオリを選ぶピアニストのタイプに一定の特徴があったからなのかもしれません。もちろん、弾いた人数にも違いがありましたけど。どうなんでしょうか…。
ちなみに越智さん、調律師になりたいと思ったのは小5のときのことで、小6のときには初めてのマイチューニングハンマーを持ち、家のピアノをいじるようになっていたのだということ。チューニングハンマーを握るべくして生まれてきた人物なのでしょう。
全然関係ありませんが、越智さんと雑談をしていると、たびたび「〇〇さんって〇〇にソックリじゃない?」という発言があり、この例えがとても秀逸です。
いつか許可を得て、「Mr.オチの例え語録」を公開したいところであります。