今週は、体調も悪く、時間も取れずということで、なかなか練習が出来なかった。それでも不思議なことに、想像以上に簡単に暗譜できるようになっていた。間違えるところは大体同じだ。不安を残しつつ渋谷に着くと、激しい雷雨のため、駅は雨宿りの人で溢れかえっている。一瞬、このまま帰ろうかという思いがよぎる。どんだけ不安なんだ……。
渋谷駅からバスで教室に着くと、ホールのおじさんのレッスンが、ちょうど終わったところ。
「今週、あんまり練習できなくて、『北の国から』まで行かなかったんですよ……」
「おっ、良かった!」
良かった? 何で?
「私も時間がなくて、『北の国から』の譜面作りが進まなかったんですよ」
そういう意味か。ふふふ、ドレミ先生、サボったな。
そう言うと、早速、楽譜を取り上げられたが、最初から最後まで何とか弾き切る。
「最後まで覚えてきましたね。もう一度やってみましょうか。楽譜は置いておくけど、なるべく見ないようにね」
せっかく覚えたのに見てしまうと、元に戻ってしまいそうで、ひたすら鍵盤を見つめて弾く。すると、10本の指の中で、右手の小指だけが常に宙に浮いている。何かを飲むときに、小指だけ伸びているあれだ。うぅっ、恥ずかしい。ドレミ先生気づいてるかな? でもちょっと向こうに立ってるから分からないか。この癖はなぜか直らない。無理に鍵盤に触れたら、間違えてしまいそうだ。
曲とはまったく関係のない、そんな葛藤を抱えているとは知らず、ドレミ先生はリズムを取ってくれる。途中から楽譜を手に、何やら書き込んでいる。それを横目に、小指を意識しつつ弾き終わった。
「さっきより良くなりましたよ。間違えるところは同じですね。ここです」
ドレミ先生は間違えやすいパートを、青ペンで囲み、「あ」と書いてくれる。
「ここは、楽譜をじっくり眺めて覚える。間違えて暗譜すると直らないから、ここだけ重点的に練習してくださいね」
了解です。でも、時々不思議なことが……。
「ここなんですけど、鍵盤を意識しないでいると、指が覚えているみたいで簡単に弾けるんですよ」
「それは、脊髄が覚えているんですよ。でも、脳が覚えてないのね。だから、そこで一度つっかえると、すぐに弾き直せなくなるでしょ」
その通り。間違えると、その前のパートから弾き始めないと分からないんだよなあ。
「だから、しっかり楽譜を見て暗譜してください。本当は『北の国から』を先にやりたかったはずなのに、『トルコ行進曲』を優先して、ここまで弾けるようになったから、『北の国から』解禁! 来週お休みなので、二週間でしっかり覚えてきてください」
解禁って、いい言葉だなあ。
「でも、40を越えて、初めて楽譜見ないで弾いだんだけど、これ、すごい楽しいですね。前よりも曲を弾いてる感が強い」
「暗譜して弾いて初めて、曲と向き合えますからね。楽譜見ているうちは、まだ曲について分かってない状態なんですよ」
そうか。確かに鍵盤だけ見ていると、ここは強く弾こうとか、左手の少し強調しようとか、色々考えて弾けるもんなあ。曲にのめり込んでいる感じで、今度は体も揺らしてみようかなどと、気分はもうピアニストだ。
「でも、その〈楽しい〉って気持ちは、すごい大事ですよ」
楽しすぎて、もう基礎なんか二度とやりたくない。まあ、基礎があるから弾けたんだけど……。
その後、少し『北の国から』を練習。ドレミ先生が先週に続いて全体を弾いてくれたが、この曲はやっぱり格好いいなあ。
「この曲は、女性よりも男性が弾く方が格好いいですね。これ、停電の時に弾かなきゃ。最初の目的だしね」
「バーで、ちょっとバーボンのグラスかなんか持って立ち上がって、ピアノの上にグラスを置いたりして。で、さりげなく『北の国から』弾き始めたら完璧だね」
もはや妄想も解禁だ。ピアノのあるバーで停電になるなんて、万が一にもない状況だが、上達のためには妄想は必要だろうと自分に言い聞かせる。ま、楽しんでいるだけか……。
外に出ると、さっきまでが嘘のように雨が上がっている。次のレッスンまで二週間あるから、ゆっくり練習しよう。あ~、本当に弾けるようになるとは思ってもみなかったなあ。もう一度、ピアノ始めてよかった。ピアノ、楽しいなあ。
この企画を実現し、今は、ルーマニアだか、スロバキアだかに行っているKさんに、「ありがとう」と心で呟く……何てことはまったくなく、気分よく家路に着いたのだった。
(つづく)
◇レポート執筆者◇
今東昌之
めがねがトレードマークの会社員。
小学校3年から中学2年、インターバルを挟んで、高1から高2までピアノを習うも、
現在はさっぱり弾けなくなってしまったという。
40歳を過ぎたある日、再びピアノを始めようと一念発起。さあ、どうなる!
◇通ってみた音楽教室◇
コロムビア音楽教室
2013年にオープンしたばかり。ご存知のレコード会社日本コロムビアが運営する音楽教室。代々木公園駅近く、白寿ホールのある建物のなかで火曜日から土曜日まで開校。初心者から音大受験生まで、演奏家としても活動する講師たちにマン・ツー・マンで習うことができる。ピアノのほか、ヴァイオリン、チェロ、フルートのクラスがある。