第5回「エアピアノの効果」


ドレミ先生に教わった、エアピアノ練習を繰り返し、毎晩のようにピアノに向かったが、どうにもうまく弾けない。誰もが知っている勇ましいパートだから気合いが入っているというのもあるが、これまでのパートのように、「弾けた!」という感覚がない。
レッスン当日は、あまりに不安だったため、出勤前に弾いてみたが、やはり難しい。う~ん、エアピアノの効果はあるはずなんだが……。

夜、教室に入るとドレミ先生の姿はなかった。不在の間に、もう少し練習しようかとも思ったが、それではあまりに往生際が悪すぎるので、ぐっと我慢する。
すぐにドレミ先生が戻ってきてレッスンが始まるが、「まったく自信がないです」と早くも弱気な言葉が口をつく。
「まあ、弾いてみましょう」
ドレミ先生の言葉に促され、最初から弾き始めたが、問題のパートが近づくにつれ不安がよぎり、何でもないところを間違えたりする。こんなに精神的に弱かったろうか? 何とか弾き終えたときには、すでに心なし疲れていた。
「う~ん、全体的に力が入りすぎですね~。そんなに思い切り鍵盤叩かなくても、大きい音はでますよ」
そう言って、ドレミ先生が弾いてくれたが、確かに軽やかだ。
「大げさに真似してみると、こんな風な弾き方になってますよ」
と僕の弾き方を真似してみせるドレミ先生。これはかなり恥ずかしい。ただ、本当にそうやって弾いているんだと自分でもわかるところがすごい。

「この弾き方だと疲れるでしょ?」
そうなのだ。家で弾いているときは、そのパートを繰り返しただけで、すでに右腕は痛いし、肩が凝って仕方なかった。弾き終わるたびに、横になってストレッチしてたもんなあ。
「どちらかというと、このパートは力を抜いて弾くんですよ。それよりも、この前のパートの方が繊細だから、神経を使って大変です。繊細に弾くパートだと、例えば……」
ドレミ先生は、静かに、しかし、繊細に弾かなければならない曲を思い出しつつ、弾いてくれた。そのあとに、あまり気を使わずに、リラックスして弾くパートの紹介。
どちらも難しい曲に変わりはないが、弾き方の差はとてもよく分かる。
「今の場合は、ラシド~のドの部分で、少し力が抜けますよ」
教えられるがままに弾いてみると、確かにそんなに力を入れずに進めることができる気がした。
「電子ピアノだと、しっかり弾かないと普通のピアノの音が出ない感じがするから、その差があるのかもしれませんね~」
それはそうだが、電子ピアノなら、ヘッドフォンをしているのだから、音を大きくすれば、それほど力を入れて弾かないでいいわけで……。さっきまでの力の入れ方は、やっぱり異常だな。

しばらく、練習を続けた後、ドレミ先生から、
「じゃあ、せっかくだから、次のパートを少しやりませんか?」
と提案される。
しかし、僕は知っている。次のパートの方が難しいのだ。
「ここはじっくり時間をかけてやりましょうね」
そうだよね。ここから先は、そんな簡単にはいかないよなあ。
「ここも、いきなり鍵盤は触りません」
出た! エアピアノだな。その効果は充分知っているので、僕に否はない。でも、ここからは、♯がかなり増えるから、エアピアノも難しい。
「違います。エアピアノじゃなくて、ここはまず、口で音程を言えるようにすることから始めます」
何? 歌うってことか。エアピアノの次は、歌できましたか。ドレミ先生、練習方法が多彩だ。でも、エアピアノの時と同様、この練習方法も、僕が実験台になっている可能性は高い。弾けるようになれば、どうでもいいんだけど……。
「いいですか~。ここは口で言えなければ、絶対に弾けません。逆に言えば、口で言えるようになると、必ず弾けるってことですよ」
よしっ。ドレミ先生、歌おうじゃないか!
「こんな感じです。ドレドシラシラソファラソファミファソミドレミド……」
早いっ! 指より早いぞ。
「途中まで、一緒に言いましょう。はいっ」
歌ってみるが、これが難しい。途中で区切ったところまで歌うが、次の音程が出て来なくて詰まってしまう。
「今日の宿題は、このパートを一息で最後まで歌うことです。慣れれば口をついて出てきますから」
いつも通り、ドレミ先生は自信満々だ。
早速、家に帰る間に口ずさむが、変人だと思われると嫌なので、その日は、マスクをして電車に乗ったのだった。

(つづく)

◇レポート執筆者◇
今東昌之
めがねがトレードマークの会社員。
小学校3年から中学2年、インターバルを挟んで、高1から高2までピアノを習うも、
現在はさっぱり弾けなくなってしまったという。
40歳を過ぎたある日、再びピアノを始めようと一念発起。さあ、どうなる!