第1回「僕は、曲が弾けない」


幼稚園に通う娘がピアノを習うことになり、わが家の間取りの都合上、電子ピアノを買ったのが1年前。娘は練習に励んでいるが、ある日、上手く楽譜が読めなかったり、弾けなかったりして、イライラしている姿を目にした。そこで、
「ここは、こう弾くんじゃない?」
と幼児用の楽譜を見ながら弾いてみた。
「ほんとだ! 先生がお手本で弾いてたのと同じ感じ。パパ、ピアノ弾けるんだね、すごーい!」
なめてもらっちゃ、困る。
「同じ感じ」という言葉がひっかかるが、これでも小学校3年から中学2年、受験によるインターバルを挟んで、高1から高2まで習っていたのだ。幼児用の楽譜なんて、軽い軽い。
「じゃあ、何か弾いてみて!」
無邪気な言葉の裏に、僕を傷つける針が潜んでいるとは、娘に分かるはずもない。だが、この言葉は、僕の心を深く傷つけた。
そう、僕に弾ける曲はないのだ。
確かに5年以上習ってはいた。でもそれは、誰もが通る「バイエル」から「ブルクミュラー」そして「ソナチネ」……。僕のピアノの歴史は基礎だけなのだ。おぼろげに覚えているのは、「アラベスク」くらいか。これは、あまりに悲しすぎないか?

そんな時に、ある小説を読んで目が覚めた。それは、靴のバイヤーの女性が主人公の物語で、彼女は仕入れにイタリアに行くのだが、ある男性とレストランで食事をしているときに、停電に襲われる。レストランは大騒ぎになるのだが、その時、聞こえてきたのがピアノである。何と、一緒にいた男性が、レストランに置かれていたグランドピアノの上に一本の蝋燭を立て、優しいメロディを奏でるのである。彼女の心は一気に彼に傾くわ、お客さんは大喝采するわ、彼の株は急上昇である。

これだ! 僕が求めていたのは、これなんだ! と言っても、40歳を越えた今、そんなことをしたら、彼女からはお店側とグルなのではないかと疑われかねない。頼れる人と思われたいがために、チンピラ風の男たちにお金を渡して、彼女を襲ってもらうというような、昔のチープなドラマのようなものだ。そうではなく、何か1曲でいいから、誰もが知っている名曲を弾きたいのだ。誰に聴かせるわけでもなく、自己満足で構わない。娘に「何か弾いて」と言われて、「アラベスク」じゃダメなのだ。

そんな話を、元音楽雑誌の編集者で、今はフリーとなっているKさんと飲んだ時に笑い話として話した。しかし、彼女は表情を改めた。
「そういう人って多いんじゃないかな。昔、ピアノ習ってたけど、今は弾く機会もない。でも、タイミングが合えば弾いてみたい人」
確かに、小学校時代を思い返してみれば、ピアノを習っている友達は結構いた。彼らは今、何をしているのだろうか? 今でも弾き続けているとは、とても思えない。それどころか、自宅にピアノがないことだって充分にあり得る。かといって、彼らが、もう一度ピアノを始めるきっかけは、なかなか転がっていない。そもそも、どこで習っていいのかすらわからないだろう。
「ピアノ、始める気ある?」
Kさんが、真面目な顔で聞いてきた。もはや、ワインを飲んでいる場合ではないのか?
「基礎しか習っていない40代の人が、クラッシックの曲を一曲弾けるようになるまでを体験談として書いてみたら共感されるんじゃないかな。ううん、絶対、みんな弾きたいと思ってるよ」
口調が熱を帯びてきている。今ここにいるのは、Ms.Kではなく、Editor.Kなのだろうか。
「でも、仕事柄、時間も不規則だし、短い期間で誰もが知ってる曲を弾けるようになる教室なんて、そうはないよね」
Kさんの勢いに押され、なぜか僕は引き気味だ。
「大丈夫、あてはあるから」
あるのか!
「あのね、日本コロムビアってレコード会社知ってるでしょ? そこが最近、音楽教室を始めたんだけど、どうやって生徒を集めるか考えているから、今の話してみようかな」
なぜに、コロムビア? ピアノ教室といったら、テレビCMでやっている、♪ドレミファソラファ ミ・レ・ド ではないのか?
「とりあえず、担当者に話してみるから、準備だけしといてね」
何の準備か分からないが、彼女はそう言い残して帰って行った。お酒の席での話だし、まあ、そんなことになったら面白いなあ、などと思いつつ、僕も年末の渋谷を後にした。翌年早々、Kさんの行動力に驚かされるとも知らずに……。

(つづく)

◇レポート執筆者◇
今東昌之
めがねがトレードマークの会社員。
小学校3年から中学2年、インターバルを挟んで、高1から高2までピアノを習うも、
現在はさっぱり弾けなくなってしまったという。
40歳を過ぎたある日、再びピアノを始めようと一念発起。さあ、どうなる!