カワイ調律師さんインタビュー(ショパンコンクールのピアノ)

続いては、カワイのお話です。
ショパンコンクールで使用されたのは、コンサートグランドのシゲルカワイSK-EX
実は今回、ピアノは事前に選考会があったそうで、前回、前々回で優勝しているスタインウェイとヤマハは選考会免除、他のメーカーはこれをパスしないとピアノを出すことができないということだったらしい。これに3社が名乗りをあげ、結果的に、ファツィオリ、カワイの2社が、コンクールにピアノを出せることになったそうです。
(このお話を聞き、もし自分がカワイの人だったら、急にそんなこと言われても1985年から出し続けてきたのになんで!?ってびっくりするわ…と思いましたけど)

1次予選でカワイを選んだのは、87人中6人でしたが、その半数の3人がファイナルに進出。そしてブイさん第6位、ガジェヴさん第2位という結果となりました。
カワイさんは、それぞれすばらしい腕を持つ調律師さんがチームでいらしていて、コンクールのピアノ調律へのサポート、練習室のピアノの調律はもちろん、アーティストサービスのようなピアニストへのケアも皆さんで手分けして担当されている形でした。

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(左から、名ピアニストのマブダチとして知られる山本さん、ベテラン村上さん、大久保さん、そして若手のホープ蔵田さん)

今回は中でも、メインチューナーを務めていた大久保英質さんにお話を伺いました。
実は大久保さんは、2019年のチャイコフスキーコンクールで、優勝したカントロフさんが予選のときに選んでいたシゲルカワイの調律を担当されていました(その時の大久保さんのインタビューはこちら)。
カントロフさん曰く、普段ぜんぜん弾いたことがなかったというのに、直感でシゲルカワイを選び、結果的にソロのステージではこの楽器がすごく助けてくれた、とのこと。ファイナルではスタインウェイにチェンジしていましたが、それでもやっぱり私にとってのカントロフさんとのファーストコンタクトはシゲルカワイで鳴らすあの魔性サウンドだったもので、いつかまたシゲル弾いてくれないかなぁと思ったり。

というわけでショパンコンクールにお話を戻しまして、コンクール期間中に行なった大久保さんのインタビューです。

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(ファイナル結果発表直後の大久保さん。うれしそう!)

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—今回のシゲルカワイのピアノの特徴はどのようなものですか?どんなことを意識して音作りをされたのでしょう?

日々ピアノの状態が変わり、毎日それをアジャストしているので、とらえ方はみなさんそれぞれだと思いますが、こちらの意図としては、まずはこのホールに合う柔らかい音、同時に、ショパンに合うであろうキラキラする高音を意識していました。あとは、美しい弱音、伸びやかな歌う音ですね。ゆらぎというか、歌う抑揚というか。…と、いろいろ言いましたが(笑)、目指しているのがそういう音ということです。今回は、ある程度そこに近づけたかなと。もちろん100%満足できることは、基本的にはありませんけれど。
ただ、ショパンを弾くうえで求める音というのは人によって違うところもあるので、どちらかというと、このホールになるべく合う音を目指しました。

—ワルシャワフィルハーモニーホールの響きの難しさや、音作りのポイントは?

これまで先輩たちと一緒にコンクールのピアノの準備をしてきた経験から、ここのホールは、濁った音、汚い音がすごく目立つので、そこにはすごく気を遣ってピアノを仕上げました。
ホールによっては残響に包まれてわかりにくくなるところもあるのですが、このホールのとくに審査員席のあたりには、屋根の角度的にも直接音が届き、それに加えて跳ね返ってくる音が届く状態なので、良いところも悪いところも全部がクリアに聴こえます。

—うっかりピアニストが汚い音を出してしまわずにすむように、ピアノでサポートする、みたいな。

そうですね。もちろん、音楽としてジャリっとした音を求めるときもあるかもしれませんが、これはショパンを弾くコンクールなので、なるべくショパンに合う美しい音を心がけました。
ワルシャワフィルハーモニーホールは、ステージへの音の返しが少なくて、弾いている本人からするとフワッと柔らかく聴こえがちです。でも実際、審査員席には音がまっすぐ飛んでいきます。会場に届いている音をどれだけ把握しているかは、演奏者もですが、技術者にとってもとても大事で、そこを間違えると大変なことになります。

—今回のシゲルカワイについてはよく、あたたかい音が魅力だという声を聞き、個性的な良いピアニストが選んでいましたね。ただ特徴のあるピアノだと、ある傾向の人からは選ばれるけれど、そうでない人からは選ばれにくくなるのではないかとも思います。コンクールだと、まずはセレクションで出場者から選ばれないといけない問題があると思いますが、そこはある程度割り切るしかないのでしょうか?

それはまさにものすごく考えてきた問題です。
今回カワイを選んでくれたピアニストに共通していたのは、ピアニシモを大切に弾いている方だということです。パワーで鳴らすよりは、弱音の中に何かを求めている、というか。
もちろんダイナミックレンジは広い方が良いので、フォルティシモも出るようにしていますが、実際このピアノは、特に弱音にこだわるピアニストを念頭に作り込んでいったところがあります。
コンクールでは鳴りや音量を求めるほうに向かいがちですが、それはやりたくなかったというか…自分が本当にいいと感じるピアノを出したいと思いました。その意味ではチャレンジでしたね。実際にこのピアノの特徴を理解したピアニストが選んでくれるかどうかは、わかりませんから。

—結果的には、二人のピアニストが入賞されました。お気持ちはいかがでしょう?

表現するのが難しいです。コンクールはメーカーのためのものではないとはいえ、良い結果がでることは嬉しいのですが、一方で、イ・ヒョクさんなど、あれほどすばらしい演奏をしたのに入賞を果たせなかったピアニストの気持ちを思うと、全面的に喜ぶことはできません。
コンクールの仕事をしていると、それは毎ステージ起きるわけですが、やっぱりどうしても通れなかった方のほうのことを考えてしまって。本当に不思議なんだけれど、メーカーとして良い結果でも、心の底から喜べないのです。

—このコンクールを経験して、調律師として改めて気づいたこと、得たものはありますか?

やはり難しいと思ったのは、ピアノって生き物のようで、毎日本当に状態が変わるということです。
世界有数のコンクールの場で、極限までピアノを調整していますけれど、ちょっとした湿度や誰かが演奏した影響で、すぐに状態が変わってしまいます。そんな中でもべストな状態を保つことは、やっぱり本当に難しかったです。とくにコンクール中のピアニストは神経が張り詰めているので、少しの変化にも気がつきます。
ピアノの状態が日に日に変わっていくことを、調律師が敏感に感じ取っていないと、あるとき、取り返しがつかないほど大きな変化になっていて、場合によっては、ピアニストが楽器を変えたいということになってしまいます。そう言われてしまったときには、もう手遅れですから…。

—初めてショパンコンクールのメインチューナーを担当されて、いかがでしたか?

やっぱりプレッシャーはものすごかったです。もちろんピアニストのほうが孤独だし、ずっと大変なんですけれど…。セレクションで選ばれるかどうか、結果がどうなるかというプレッシャーもありますし、ピアニストを満足させられなくてはという気持ちもあります。また世界中に配信されるので、聴いている方にとってもいいピアノでないといけません。
でも、ショパンコンクールのメインチューナーを務めるということは夢だったので、本当に光栄でした。