インドの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」のお話(ONTOMO連載の補足)

この度、ウェブマガジンONTOMOで、インドの西洋クラシック事情にまつわるあれこれを書かせてもらえることになりました!
2018年に一年間、集英社kotobaでこのテーマの連載(第1回第2回第3回、第4回)をさせていただきましたが、今度の連載では、そこで書ききれなかったこと、その後追加で取材した話題を紹介していきたいと思います。

というわけで、書く場所を見失っていたいろいろなネタを嬉々として披露していくつもりなのですが、さすがに長くなりすぎて書ききれないことは、こちらのサイトにアップすることにいたしました。インドのクラシックにまつわる人々の生態に興味があるという奇特な方は、ぜひご覧ください。

さて、ONTOMO連載の第1回では、A.R.ラフマーン氏がチェンナイに作った音楽学校の中に設置されている衝撃的な音楽教室「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の話題を取り上げました(以前、kotobaで掲載した話題の緩やかバージョンです)。
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とくにどこというわけではありませんが、チェンナイの街並み。南インドはまだルンギー(腰巻き)スタイルのおじさん多め

インド生まれインド育ち、「インド人初のモスクワ音楽院卒業生」だというクラスの指導者、スロジート・チャタルジー先生とは、一体どんな人物なのか? どんなポリシーを持って教えていると、生徒がこういうことになるのか?
ちょっと興味を持ってしまった…という方のために、チャタルジー先生との問答のロングバージョンをこちらに掲載します(ONTOMOとの重複箇所もあり。あちらの記事には、クラスの生徒の動画も紹介してあります)。
スタンダードな演奏法を見慣れている身からすると、いろいろ思うところもありますし、ダム決壊寸前レベルでみなぎる自信に圧倒される部分があるとはいえ、そこには、音楽の本質にまつわる核心をついた言葉もあり、日本のピアノ学習者にとって参考になる話もあるように思います。

ONTOMO内の記事に掲載しているクラスの背景、演奏動画などをご覧のうえで、どうぞお読みください!

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スロジート・チャタルジー先生

◇◇◇
━クラスに「ロシアン」とついているのは、ロシアン・ピアニズムと何か関係があるのでしょうか?

このメソッドは、ロシアの奏法にインスパイアされてはいますが、基本的には関係ありません。クラス名に「ロシアン」と入れたのは、私が学んだ場所へのオマージュです。
モスクワ音楽院で学び始めた若き日、いかに自分の奏法に問題があるかを思い知りましたが、音楽院の先生は奏法を一から教えてくれません。そこで私は、そこから長く苦しみに満ちた奏法の変革を行い、自分のメソッドを開発したのです。
インドは貧しく西洋クラシックの伝統がないので、ロシアや日本のように長期間の訓練を続けることは難しい。そこで私は、たった1、2年の訓練で、演奏技術と音楽家としての精神が身につくメソッドを編み出しました。アメリカでピアノを教えていた貧しい子供たちは、すぐに結果があらわれないとドロップアウトしてしまうことが多かったため、どうしたら早く「弾ける」ようになるのか試行錯誤を重ねる中で見つけたメソッドでもあります。世界の他のどこにもこんなことは起きていません。あなたが今日目撃したことは、特別なことなのですよ!
私の人間性は大変インド人的です。生徒のために200%の献身をしています。私は彼らのために生き、呼吸し、与え続けていて、生徒たちは私と深くつながっています。私の生徒たちの演奏が心に触れるのは、私がピアノを教えているのではなく、人生を教えているからなのです。

━ショパンなど、テンポを揺らした独特の解釈でした。テンポルバート、インテンポについてあなたや生徒さんたちはどうとらえているのでしょう。

テンポ感は、自然に感じるもの、自然と教えられるものです。私が細かく指示するということはありません。音楽は感情表現ですから、メトロノームのテンポでは奏でられません。
以前ある人が私に、ピアノ教育のノーベル賞が取れるのではといったことがありましたが、もちろんそんなことは起きません。それは、どんな国や地域にもそれぞれの文化があり、音楽について感じることに世界的なスタンダードはありえないからです。ラフマニノフやショパンについて、例えばロンドンの人が私と同じように感じるとは限りません。誰もが、自分の心にもっとも近いものをすばらしいと認め、受け入れるのですから、そこには違いが生じて当然です。

━とはいえ、クラシックのピアニスを目指すアジア人の中には、その音楽が生まれた土地の文化を知るため、ヨーロッパなどに留学する人も多いですね。そのことについてはどうお考えですか?

私の学生たちについては、留学は必要ないと思います。すでに美しいものを持っているというのに、どうしてそれを変える必要があるのでしょうか。ヨーロッパの教育にもまた美しいものがあるとは思いますが、まずは自分が何を求めているのか、何が好きなのかをはっきりさせなくてはいけません。
いずれにしても、私は優れた「アクター」ですから、ある瞬間はロシア人に、ある瞬間はポーランド人、フランス人になって、この教室を、世界のあらゆる場所にすることができます。私の生徒は、チェンナイのこの教室にいながらにして、あらゆる経験をすることができるのです。

━普段生徒さんたちは電子ピアノで練習されているそうですね。

はい、それについてはインドという環境の限界です。今この教室にある2つのグランドピアノは、支援者に寄付していただいたこの音楽院で一番いい楽器ですが、普段から私のパワフルな生徒たちが弾き続けていたらすぐにだめになってしまいます。もちろん調律師はいますからある程度の手入れは可能ですが、ピアノが古くなってしまった場合の修理は、ここインドでは簡単ではないのです。
私の生徒たちは、もちろんそれが最高の環境ではないけれど、喜んで日本のデジタルピアノで練習しています。でも、デジタルピアノであれば録音もできますし、メトロノームも入っていますからね。楽器も修理も安くすみます。
普段からアコースティックピアノで練習できていれば、みんなもっと良いピアニストになっていると思いますが、これについては限界です。
今日は日本からあなたが来てくれるということだったので、調律も入れて、特別にアコースティックのグランドピアノで演奏を披露しました。みんな久しぶりにこのピアノに触れたので緊張していましたよ。

━もともと、チャタルジー先生はどのようにしてピアノを始めたのですか?

私の父が若き日、1930年代にダージリンを旅していたとき、ある家から聞こえてきたピアノの音に魅了されて、結婚したらピアノを持とうと思ったそうです。そして、父が29歳、母が16歳のときに結婚すると、すぐにピアノを買いました。母は近所のカトリックの教会で、ドイツ人のシスターからピアノを習ったそうです。やがて生まれた私は、母の真似をしてピアノを弾くようになりました。熱心に練習する私をみて、両親はとても心配したようです。…というのも、私がピアノを演奏することは喜びましたが、生業とすることは歓迎していなかったから。子供には音楽家ではなく医者や弁護士を目指させたいという考えは、インドでは昔ほどでないにしても、今もあまり変わっていません。
ですが私は自立した人間だったので、状況を自分で切り開き、奨学金を得てモスクワに留学することができました。

━ロシアで得た最も大きなことは?

奏でる全ての音に魂がなくてはいけないという感覚です。一番重要なのは、楽器とのコネクションです。そんなコネクションをつくるためには、まずピアノにアプローチしなくてはならない。
例えば電車で美しい女性を見つけて、気になるけれどどうしたらいいのかわからないとき。彼女は自分を見ている。そういえば自分はオレンジを持っている…このオレンジをむいてそっと手渡せば、彼女は拒むこともなくオレンジを受け取ってくれるでしょう。そうして、どこにいくのと尋ねてみることで、コネクションをつくるのです。でもまずはアプローチしないといけない。オレンジを持っていて、それを渡そうとすることが、重要なのです。そこには多くの哲学があります。メカニカルでロボットのような感覚では、良い演奏ははじまらないのです。

━生徒さんたちは、指の動かし方も独特ですね。そこには何か意味があるのでしょうか?

ピアノは打弦楽器ですが、私のメソッドでは、ピアノは歌うことができます。骨なしの手が大切なのは、そのためです。そのために、たくさんの手のトレーニングを課します。もし手が固まっていれば、歌うことはできません。

━生徒さんには、小指を横向きに倒して使っている人もいますね。

そう、よく気づきましたね! これこそ私の特別なメソッドの一つです。小指は一番弱い指なので、そこにパワーを与えるためにあのように指を使うのです。
水の入ったバケツを、両手を正面に伸ばした状態で上に持ち上げようとしても、うまく力が入らないけれど、左右に肘を開いて持ち上げたらどうでしょう。力が入って持ち上がるでしょう? 私はサイエンティストなんです。

━身体の動きや表情もとても大きいですね。

演奏する際の見た目はとても大切です。演奏中、その顔の表情からは、痛み、喜び、勝利が伝わらなくてはいけません。すべての身体の動きも表現にとって意味があるのです。

━日本ではときどき、「顔で演奏するな」と言われることもありますが……。

間違って捉えてほしくないのですが、彼らにわざと顔の表情をつけろといっているわけではないのです。私のメソッドでは、あなたがご覧になった通り、演奏していると音楽への愛情や思いが表情に出てきてしまうのです。
まだ人類が言語を使っていなかった頃、彼らはボディ・ランゲージで意思を通わせ、子孫を残しました。ボディ・ランゲージの力は大変なもので、言語はそのずっとあとからできた……むしろ嘘をつくためにできたものと言っていいかもしれません。身体の表現は、嘘をつきません。私のクラスでは、生徒たちは教室に来たら必ず私にハグをするという決まりがあります。それによって、私からの愛情が伝わり、彼らの愛も伝わってくるからです。そこに嘘は通用しません。
顔の表情はボディランゲージの一部ですから、音楽から感じた作曲家の感情を顔で表せばいいのです。私のメソッドは、音だけに関することではなく、ヴィジュアルとサウンドによるトータル・エクスペリエンスを生み出すものなのです。
音楽には魂があります。演奏者はあなたの前でその魂を見せる。これは教会での祈りのように、ほとんど宗教的な営みです。だからこそ、私の生徒たちの音はパワフルなのです。

━こうした特別なメソッドについて、インドの他のピアノの先生方へのレクチャーは行わないのですか?

しません。多くのインドのピアノ教師たちは、100年前のブリティッシュ・スタイルで今も教えています。そういう方々と、私は戦っています。
以前、ヨーロッパやアメリカから来た先生たちがいましたが、もちろん私とはメソッドが違い、彼らも私のやり方を批判しました。おそらくそこにはジェラシーもあったのでしょう。ですが、音楽院の創設者、A.R.ラフマーン氏は私のメソッドのすばらしさを信じ、このクラスを救ってくれました。
誰もそう簡単に私のやり方を殺すことはできません。私は強いですからね。たくさんの生徒たちもいます。私が年老いたあとも、私の兵士たちが戦ってくれるはずです。私は彼らを強く育て上げましたから。

━インドには優れた伝統音楽の文化がありますが、西洋クラシック音楽にも親しむ必要があると思いますか?

先ほども話したように、私はとてもインド人的な人間です。西洋クラシックを勉強したからといって、西洋人のメンタルになるわけではありません。しかし他の国の音楽を勉強することで、より大きな人間になれるということは確信しています。
このクラスの最もすばらしいところは、それぞれが学ぶことによって人間として大きく成長できるという点です。私は歴史や地理についても多くのことを知っていますので、生徒にはロシアや中国、イギリスについて教えることもできます。私が教えていることは音楽のことだけではなく、総体的なことなのです。むしろ、音楽やピアノは口実といってもいいでしょう。
あなたは私の生徒たちが単にピアノを演奏しているのではないと感じたと思いますが、実際、彼らはピアノを通して人生を奏でているのです。
インドではまだ、西洋クラシックの文化は生まれたての子供のようなものですが、いつかロシアや日本のように豊かな伝統を持つようになるかもしれません。

◇◇◇

どうでしょう。チェンナイの教室をヨーロッパにしてしまう話とか、電車でオレンジをむいて渡しちゃう例え話とか、ショパンのリズムについての話とか、えええ、と思うところもたくさんあると思います。
わたくし自身、なにせギャラリーが多かったので、オブラート何重にも包みながら質問をするという場面も多くなってしまいましたが、一瞬驚くような発言も、よく考えるとごもっともな話でむしろこちらの先入観を指摘されているような気持ちになり、うなってしまいました。
まとめの言葉はONTOMOの記事に譲りますが、何曲か弾けるようになりたい大人のピアノ学習などで活かせるところがあるのではないかと私は思いました。
このインタビュー(というより、ほとんど公開トークショー)の終盤、嬉しそうに話を聞いていた親御さんの一人が、「こんな話が聞けるなんて、なんてプレシャスな時間なのだ……」としみじみつぶやいていたのが印象的でした。

ちなみに「私もチャタルジー先生に習ったらめちゃくちゃ上達しますか?」と聞いたら、「教えてもいいけど、今まで勉強してきたピアノの演奏を一度全部捨てないといけないよ。新しい誰かと結婚したいなら、前のパートナーとは離婚しないといけないでしょう?」と、わかるようなわからないような例えで、チャタルジーメソッドへの一途な愛を誓うよう求められました。
おそるべし、チャタルジーメソッド。ONTOMOの記事でもコメントを紹介した脳神経科学の古屋晋一さんをいつかチェンナイにお連れして、このクラスで一体何がおきているのか分析していただきたいという密かな野望を抱いています。