ファツィオリ調律師さんインタビュー(ショパンコンクールのピアノ)

最後にご紹介するのは、ファツィオリのお話。

ファツィオリは1981年創業のイタリアのピアノメーカー。今回の4社の中ではもっとも若く、ショパンコンクールの舞台に初めてピアノを出したのは、2010年のことでした。しかしこのときいきなり、ファツィオリを弾いたダニール・トリフォノフが第3位に入賞、ピアノ好きの間ではけっこうな話題となりました。

今回は、1次予選で87人中8人がファツィオリを選択。そのうち3人がファイナルに進出、しかも、アルメリーニさんが5位、ガルシア・ガルシアさんが3位、そしてブルースさんが優勝するという、輝かしい結果となりました。
本番のピアノでリハーサルができないコンクールという場では、みんな、できるだけ弾き慣れたメーカーのピアノを選びがちです。その意味で、イタリア人のアルメリーニさん、ファツィオリには慣れていたというガルシアさんは、ファツィオリを選択したのもわかります。
しかし優勝したブルースさんは、「コンクールでファツィオリを弾くのは初めてだったからリスキーだった」というではありませんか。でも結果的に、ご本人のキャラクターとピアノのキャラクターがマッチして、美点を際立たせていたように思います。
ブルースさんご本人は、「完全に心地いいものばかりじゃなく、新しいものを受け入れていくということが好きなのかも。そのほうがおもしろいでしょ」とおっしゃっていたのも印象的でしたけれど。さわやかー。(そのコメントは、こちらの記事に)

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さて、今回そんなピアノの音作りを担当したのは、ベルギー人調律師のオルトウィン・モローさん。
他のメーカーはチームで来ていたり、アシスタントがいたりしましたが、彼は基本、たった一人で調律の作業をしていました。そしてアーティストのケアは、イタリアからのスタッフや、途中からはファツィオリ・ジャパンのアレック・ワイル社長が担っていた形です。
全ての結果が出たあと、ワルシャワでのガラコンサートの期間中にお話を伺いました。

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(しずかーな声色でお話しするモローさん。でもすごく嬉しそうでした)

***

—すばらしい結果、おめでとうございます。

ありがとうございます。これが初めてのコンクール調律の経験だったので…。

—えっ、そうなんですか?

そう、それが世界で一番大きいコンクールだったんですよ。はは。

—では作業をしながら、コンサートとは違う特別な状況でどうしたらいいかを探っていった感じなのですね。

そうなんですよ。しかも私がこのピアノを初めて触ったのは、セレクションが始まる3日前でした。ステージ上で与えられる時間は1日6、7時間ということで、すぐに作業を始め、この音響の中でどうしていったらいいかを確かめていきました。できるだけイーヴンで、色彩感があって、ダイナミックでボリュームがあり、耐久性のあるピアノを目指しながら、細かい部分を整えていきました。
コンテスタントによるピアノのセレクションを見るのは、とても興味深かったです。他のメーカーのピアノを聴いて、状況をまた理解して、毎日ピアノを改善していきました。
はじめにアクションができるだけスムーズに動くようにレギュレーションの作業をして、それからとても重要なヴォイシングの作業をしていきました。コンチェルトの時には、オーケストラの中でコントラストが出て際立つように、少しトーンとヴォイシングを変えましたが、これはうまくいったと思います。

—それは、ピアニストからリクエストされたとかではなく?

それは私の20年の経験から判断したことです。これまでたくさんのコンサートホールで調律をし、ピアニストと話をしてきた経験を総括した形です。もちろんピアニストから何かリクエストがあれば調整をしましたが、みなさんピアノを気に入ってくださっていたので特別なことは言われませんでしたね。
あと、YouTubeのライヴチャットの意見も参考にしましたよ。

—えっ、本当ですか!

もちろんですよ、ファツィオリの音についての一般的な意見がどういうものなのか知りたかったから。なんでそんなに驚くの(笑)。

—いやぁ(笑)、インターネットの音は、ホールの響きとは別ものなのではいかなと思って…。

もちろんインターネットで聴く音は全く違います。ホールで聴くほうが、色彩がたくさん感じられますし。でも、聴いた人の一般的な印象がどんなものかというのは、一つの大切な情報だと思って。例えば、低音の音量が大きすぎるというコメントがものすごくたくさんあったら、それは何かを意味していると思うのです。

—全ての情報を得ようとしていたんですね。

その通りです、それって重要でしょ(笑)。ピアノの音については、今、このホールに合うべストな状態です。この会場の、特に審査員席での響きを考えて音を作っていきました。コンテスタントの演奏を聴く時は、必ず審査員席の近くに座るようにしました。
でも昨日はガラコンサートのため、ピアノがオペラハウスにもっていかれてしまったから、とても心配していました。あちらの会場のために準備したピアノではありませんから…昨日の音は、私としては全然納得していないから、あんまりハッピーじゃないけど、まあ予想の範囲内ですね。

 —他のメーカーの調律師さんはみんな早い段階から使用ピアノの準備にかかわっていたなか、あなただけ突然ここに連れてこられて、さあこのピアノでどうぞって言われていた状況だったんですね。ある意味、一番不利な状況で臨み、それを弾いた方が優勝したんだから、すごいですね。

そうそう、その通りですよ(笑)。最初は不安でした。そもそもコンクールの調律を依頼されたのも2、3ヶ月前で。コンクールの前にイタリアの工房でピアノを準備したかったけれど、私、この夏は忙しかったからそれすらできなくて。でも、なんとかなりましたね。
しかも、これってファツィオリにとっては歴史的な快挙だよなぁと思って。

—そうですよ!

ねえ。だから、よかったなと思いました。

—そもそもモローさんは、ファツィオリの調律師さんなのですか?

私は独立した調律師です。今回はファツィオリ社から頼まれたんですよ。
4年ほど前、ベルギーに新しくファツィオリのディーラーができて、はじめは彼らからピアノのメンテナンスを依頼されました。それで1週間、イタリアのファツイォリの工房にトレーニングにいったところ、現地の技術者ととても仲良くなって、ファツィオリのピアノもすごく気に入ったので、1年間はイタリアとベルギーを行き来しながら、ハーフタイムでファツィオリの工房で仕事をしたんです。ファツィオリのピアノの扱いは、このときに勉強しました。それ以来の付き合いで、今回も依頼された形です。

—今回のファツィオリのピアノのキャラクターは?

もともといい楽器でした。すごくパワーがあるわけではないけれど、色彩感が豊かで、磨かれた音がしました。そのため、それを保ちながら、このホールに対応できるパワーを持たせるよう、ピアノにエネルギーを与えていきました。

—ショパンを演奏するための楽器だということで意識したことはありますか?

磨かれた色を持ち、ダイナミクスが十分で、透き通っていること。クリアでブライトだけれど、過剰にそちらに持って行きすぎてはいけないということも心に留めていました。暗い音や閉じた音はショパンにはあまり合わないと思い、オープンでワイドな音を求めていきました。

—ショパンを演奏するには、ピアニシモの音の質、歌うニュアンスがとても重要だと思いますが、どうやってそれを作っていきましたか?

そうですね、あと色彩も必要ですね。そのために注意深く聴いていたのは、ピアニストたちが左ペダルを使ったときの音です。これについては、直接ピアニストたちにも使った感想を聞いていきました。みなさんそれぞれの意見がありましたが、気に入ってくださっていました。ソフト過ぎず、明るすぎず、踏んだ時の効果も十分にあり、ちょうど、いわゆるスウィートスポットに入っていたようで、よかったです。

—では最後に。良い調律師に求められるポテンシャルとは、なんだと思いますか?

色彩とダイナミクスに対しての、高い感受性が求められると思います。チューニングとレギュレーションができても、ヴォイシングがうまくできなければ、良いピアノにはなりません。
あとは経験ですね。これは確実に言えることだと思います。

カワイ調律師さんインタビュー(ショパンコンクールのピアノ)

続いては、カワイのお話です。
ショパンコンクールで使用されたのは、コンサートグランドのシゲルカワイSK-EX
実は今回、ピアノは事前に選考会があったそうで、前回、前々回で優勝しているスタインウェイとヤマハは選考会免除、他のメーカーはこれをパスしないとピアノを出すことができないということだったらしい。これに3社が名乗りをあげ、結果的に、ファツィオリ、カワイの2社が、コンクールにピアノを出せることになったそうです。
(このお話を聞き、もし自分がカワイの人だったら、急にそんなこと言われても1985年から出し続けてきたのになんで!?ってびっくりするわ…と思いましたけど)

1次予選でカワイを選んだのは、87人中6人でしたが、その半数の3人がファイナルに進出。そしてブイさん第6位、ガジェヴさん第2位という結果となりました。
カワイさんは、それぞれすばらしい腕を持つ調律師さんがチームでいらしていて、コンクールのピアノ調律へのサポート、練習室のピアノの調律はもちろん、アーティストサービスのようなピアニストへのケアも皆さんで手分けして担当されている形でした。

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(左から、名ピアニストのマブダチとして知られる山本さん、ベテラン村上さん、大久保さん、そして若手のホープ蔵田さん)

今回は中でも、メインチューナーを務めていた大久保英質さんにお話を伺いました。
実は大久保さんは、2019年のチャイコフスキーコンクールで、優勝したカントロフさんが予選のときに選んでいたシゲルカワイの調律を担当されていました(その時の大久保さんのインタビューはこちら)。
カントロフさん曰く、普段ぜんぜん弾いたことがなかったというのに、直感でシゲルカワイを選び、結果的にソロのステージではこの楽器がすごく助けてくれた、とのこと。ファイナルではスタインウェイにチェンジしていましたが、それでもやっぱり私にとってのカントロフさんとのファーストコンタクトはシゲルカワイで鳴らすあの魔性サウンドだったもので、いつかまたシゲル弾いてくれないかなぁと思ったり。

というわけでショパンコンクールにお話を戻しまして、コンクール期間中に行なった大久保さんのインタビューです。

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(ファイナル結果発表直後の大久保さん。うれしそう!)

***

—今回のシゲルカワイのピアノの特徴はどのようなものですか?どんなことを意識して音作りをされたのでしょう?

日々ピアノの状態が変わり、毎日それをアジャストしているので、とらえ方はみなさんそれぞれだと思いますが、こちらの意図としては、まずはこのホールに合う柔らかい音、同時に、ショパンに合うであろうキラキラする高音を意識していました。あとは、美しい弱音、伸びやかな歌う音ですね。ゆらぎというか、歌う抑揚というか。…と、いろいろ言いましたが(笑)、目指しているのがそういう音ということです。今回は、ある程度そこに近づけたかなと。もちろん100%満足できることは、基本的にはありませんけれど。
ただ、ショパンを弾くうえで求める音というのは人によって違うところもあるので、どちらかというと、このホールになるべく合う音を目指しました。

—ワルシャワフィルハーモニーホールの響きの難しさや、音作りのポイントは?

これまで先輩たちと一緒にコンクールのピアノの準備をしてきた経験から、ここのホールは、濁った音、汚い音がすごく目立つので、そこにはすごく気を遣ってピアノを仕上げました。
ホールによっては残響に包まれてわかりにくくなるところもあるのですが、このホールのとくに審査員席のあたりには、屋根の角度的にも直接音が届き、それに加えて跳ね返ってくる音が届く状態なので、良いところも悪いところも全部がクリアに聴こえます。

—うっかりピアニストが汚い音を出してしまわずにすむように、ピアノでサポートする、みたいな。

そうですね。もちろん、音楽としてジャリっとした音を求めるときもあるかもしれませんが、これはショパンを弾くコンクールなので、なるべくショパンに合う美しい音を心がけました。
ワルシャワフィルハーモニーホールは、ステージへの音の返しが少なくて、弾いている本人からするとフワッと柔らかく聴こえがちです。でも実際、審査員席には音がまっすぐ飛んでいきます。会場に届いている音をどれだけ把握しているかは、演奏者もですが、技術者にとってもとても大事で、そこを間違えると大変なことになります。

—今回のシゲルカワイについてはよく、あたたかい音が魅力だという声を聞き、個性的な良いピアニストが選んでいましたね。ただ特徴のあるピアノだと、ある傾向の人からは選ばれるけれど、そうでない人からは選ばれにくくなるのではないかとも思います。コンクールだと、まずはセレクションで出場者から選ばれないといけない問題があると思いますが、そこはある程度割り切るしかないのでしょうか?

それはまさにものすごく考えてきた問題です。
今回カワイを選んでくれたピアニストに共通していたのは、ピアニシモを大切に弾いている方だということです。パワーで鳴らすよりは、弱音の中に何かを求めている、というか。
もちろんダイナミックレンジは広い方が良いので、フォルティシモも出るようにしていますが、実際このピアノは、特に弱音にこだわるピアニストを念頭に作り込んでいったところがあります。
コンクールでは鳴りや音量を求めるほうに向かいがちですが、それはやりたくなかったというか…自分が本当にいいと感じるピアノを出したいと思いました。その意味ではチャレンジでしたね。実際にこのピアノの特徴を理解したピアニストが選んでくれるかどうかは、わかりませんから。

—結果的には、二人のピアニストが入賞されました。お気持ちはいかがでしょう?

表現するのが難しいです。コンクールはメーカーのためのものではないとはいえ、良い結果がでることは嬉しいのですが、一方で、イ・ヒョクさんなど、あれほどすばらしい演奏をしたのに入賞を果たせなかったピアニストの気持ちを思うと、全面的に喜ぶことはできません。
コンクールの仕事をしていると、それは毎ステージ起きるわけですが、やっぱりどうしても通れなかった方のほうのことを考えてしまって。本当に不思議なんだけれど、メーカーとして良い結果でも、心の底から喜べないのです。

—このコンクールを経験して、調律師として改めて気づいたこと、得たものはありますか?

やはり難しいと思ったのは、ピアノって生き物のようで、毎日本当に状態が変わるということです。
世界有数のコンクールの場で、極限までピアノを調整していますけれど、ちょっとした湿度や誰かが演奏した影響で、すぐに状態が変わってしまいます。そんな中でもべストな状態を保つことは、やっぱり本当に難しかったです。とくにコンクール中のピアニストは神経が張り詰めているので、少しの変化にも気がつきます。
ピアノの状態が日に日に変わっていくことを、調律師が敏感に感じ取っていないと、あるとき、取り返しがつかないほど大きな変化になっていて、場合によっては、ピアニストが楽器を変えたいということになってしまいます。そう言われてしまったときには、もう手遅れですから…。

—初めてショパンコンクールのメインチューナーを担当されて、いかがでしたか?

やっぱりプレッシャーはものすごかったです。もちろんピアニストのほうが孤独だし、ずっと大変なんですけれど…。セレクションで選ばれるかどうか、結果がどうなるかというプレッシャーもありますし、ピアニストを満足させられなくてはという気持ちもあります。また世界中に配信されるので、聴いている方にとってもいいピアノでないといけません。
でも、ショパンコンクールのメインチューナーを務めるということは夢だったので、本当に光栄でした。

ヤマハさんインタビュー(ショパンコンクールのピアノ)

今回ご紹介するのは、ヤマハの調律師&アーティストサービス担当のみなさん。
今回ヤマハCFXは、最初の段階で2番目に多い9名が選択。なかでも牛田智大さんやゲオルギス・オソキンスさんなど、コンクール前から人気だった面々が選んだということで、注目されていたかと思います。

チーム・ヤマハのみなさんには、ワルシャワでファイナルの期間中にお話を伺いました。

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(メインチューナーの前田さん、アーティストサービスの田所さん、松下さん)

***

—今回は、9名のピアニストがヤマハを選んでいました。

田所さん コンクールというとメーカーの戦いに見えてしまうかもしれませんが、始まってしまえばそこは関係なく、とにかく最高の状態のピアノを用意できるよう目指すだけです。今回、ファイナルまでサポートができなかったのは残念ですが、私たちなどが想像できないほどに一番残念に思っていらっしゃるのはピアニストたちご自身ですから…。

—今回のピアノは、どんなピアノですか?

田所さん ヤマハはより良いコンサートピアノづくりを目指し、常に試作、開発を続けていますが、今回のショパンコンクールに持ってきたピアノもその中のひとつです。このホールとショパンに合いそうな楽器を選定しました。現地の空気になじませるため、ポーランドに持ち込んだのは半年前で、ポーランドのスタッフに調整してもらいつつ、7月からは、現在イギリスに駐在している前田が通い、準備を進めました。

—この楽器を選んだポイントは?

前田さん 音質の良さ、特に低音にあたたかみのある響きを持っていることです。クリアな音で、音色、音量のバランスが良く、弾きやすいアクションを持っています。

—コンクールの場合、最後にコンチェルトを弾くことになります。特にここの会場は、舞台上で自分の音が聴こえにくく、前回もリハーサルで焦って叩いてしまったとおっしゃっていたコンテスタントがいましたが、そういうところまで見越して楽器を準備されるのでしょうか。

前田さん あまりにも音量がないと、終盤で大きく変えなくてはなりませんが、今回のピアノはもともと音量やパワーの面は申し分なく、コンチェルトまで対応できるピアノでした。そのあたりはコンクールの流れの中で自然に仕上げていくイメージでした。

—一方、特にショパンを弾くには小さな音の表現も大事だと思います。そちらの音作りで心がけたことはありますか?

前田さん ピアニシモでもクリアにホールの後ろまで響いて、ニュアンスがでる音を目指しました。ピアニストたちからも、深みのある音が欲しいというリクエストがありました。少しずつ調整を重ねて、クリアなだけでなく、あたたかい音が出ていたと思います。

—今回は牛田さんもヤマハを選んでいらっしゃいましたが、彼は早くからコンクールへの出場が決まっていましたから、事前にいろいろ率直なご意見も聞くことができたのでは?

田所さん そうですね、以前からお付き合いがあったので、イメージをお伺いすることはできました。的確なご意見をたくさんいただけました。

前田さん 結果的に、セレクションを経てヤマハのピアノを選んでいただいてからも、弾きやすさには問題がないということ、ピアニシモについての希望など、具体的におっしゃってくださるのでとても参考になりました。とくに音色の面では、1次はまずエチュードがあるので弾きやすさが大切だけれど、ステージが進んでいくと曲が大きくなるので、フォルテで音が開くようだと良いというご希望がありましたね。

田所さん 当然、みなさんがそういうレパートリーになるのですから、指摘していただいてありがたかったです。

—オソキンスさんもかなりいろいろリクエストされているところを見かけましたが!

田所さん 前回もヤマハを弾いていただいているので、今回もサポートできて個人的にも嬉しかったです。そういう信頼関係があるからこそ、気がねなくいろいろなリクエストを言ってくださいました。彼からもやっぱり、音が開いていると良いというリクエストがありましたね。

—ホールの中で聴いていらっしゃるとき、調律師さんというのは何を聴いているんですか? …耳のどんな神経を使って聴いていらっしゃるのかなと。

田所さん 私も知りたい(笑)。

前田さん そうですね…全体のバランスと、舞台上で調律している時の印象とのすり合わせをしている感じですね。会場で聴いた後にピアニストのコメントを確認して、またそれとすり合わせることになるのですが。

—ではシンプルに聴いて音の情報を収集するというよりは、組み合わせるための情報のパーツの一つをあそこでキャッチしている感じでしょうかね?

前田さん そうですね、あとは音量的なものとか。音の開き方については、早く開くのか、開き切らないのか、そもそも音がオープンになっているのか、閉じてしまっているのか。もちろんピアニストの弾き方によっても変わりますが、自分がこうしようと思って調整したものに対して、どんな音が鳴っているのかを聴いています。

田所さん 今回は選定の段階でピアノが5台あり、かなり角度を傾けないとステージにのらなかったので、本番であまりに聴こえ方が違うとみなさん困っているようでした。とくに一番上手に置いてある時に弾くと、音の跳ね返りがすごくて全然わからないと。

—先日の調律の風景では、ベテラン調律師の花岡さん(前回のショパンコンクールのメインチューナー)が見ている横で、前田さんが一生懸命作業されている姿が印象的でした。ああいった形で技術が受け継がれているのでしょうか?

前田さん 花岡さんは、何かを教えてくれるというよりは、一緒に作業して感覚を共有してくれる感じですね。アイデアを言い合って、試して、最終的には私がこれにしましょうといって実際にやってみる。大先輩ですが、いろいろな意見を出してくれて、最大限サポートしてくれました。

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(花岡さんに1次の時にお話を伺ったところ、今回のピアノについては、
「前回の経験を踏まえ、ここはもう少し足りないというところを6年で改善してきた。低音に深みがあり、楽器自体の鳴りが良い、プレゼンスがあるピアノを目指してきた。このホールの響きはもともとあたたかいけれど、ピアノの音色に色彩感がないとそこが伝わらない。ダイナミックレンジが広いだけでなく、いろいろな音色が含まれていてこそ、ピアニストもさまざまな表現ができる。その表現に協力できるような楽器を目指した」とのことでした。)

—夜中も作業があり、体力的にきついなか、耳と頭はいつもクリアでないといけないお仕事ですね。

前田さん そうですね、耳が疲れてくると、感覚が変わってきているとふと気づくときがあります。とにかく、空いた時間にしっかり寝ることが大事ですね。私自身は、隙間の時間に寝るのは得意です。

—才能ですね! それと、おそらくすでに次のショパンコンクールも視野に入れていらっしゃると思いますが、今回の経験からどんなことを生かしたいと思いますか?

田所さん 基本を忘れないということですね。技術を磨き、いいピアノを作り、アーティストに寄り添っていきたいと思います。今回は松下が練習室のスケジューリングをはじめとするアーティストの対応をしていました。

松下さん 例えばオソキンスさんは、日中2時間、夜2時間練習するというスタイル。他にも、朝方が好きという方、演奏順が午前だからそれに合わせて練習をしたいという方など、それぞれのライフスタイルにあわせてスケジュールを組み、サポートしました。
2次予選に進んだ4人のピアニストが次に進めないという結果となり、我々もどうお声がけをしたらいいだろうと迷っていたら、ピアニストたちのほうから、先にメッセージをいただいてしまって…。

田所さん ご本人たちが一番辛い時にそんなメッセージをくださるなんて、でもそのくらいの関係を築くことができていたと思うと、ありがたかったです。私たちはショパンコンクールのパートナー企業なので、ホテルの部屋にクラビノーバを入れるなど、コンクール全体の成功をサポートしています。それをベースに、良いピアノを出してピアニストに喜んでいただけることを目指しています。

—ピアニストに精神的な平和を与えるのも重要なお仕事でしょうね。

田所さん 前日にピアニストが言っていたことだとか、本番まで何日かということを考えながら、朝会った時にかける言葉を変えたり、ひとりひとりをサポートしていきました。

—最後に、ショパンにふさわしい音とは、どういう音だと思いますか?

前田さん 2年前にチャイコフスキーコンクールを担当したときは、外にどんどん出していくようなイメージで音作りをしていきましたが、ショパンコンクールのときはどちらかというと、内に込めつつ、出したい時には外に出せる、発散したい時には発散できるという、そんなイメージを目指しました。実際にできていたかは、わかりませんが…。

—ではそれを今後もまた極めていくという?

前田さん そうですね、今回の参加で、他のメーカーの楽器も聴き、新しい観点をたくさん見つけることができました。今後の自分の技術の糧にしたいと思います。

田所さん 念頭にあるのは4年後のコンクールだけでなく、やはり将来一番弾いてもらえる楽器ですから、コンクールを一つの節目として学んでいけたらと思います。こういう場では、各社から本当にすばらしい楽器が集まりますので。
なにより、ここで出会ったピアニストたちは将来世界で活躍するようになるわけで、そういう方たちと接することができることも、とても貴重です。今回も新しい出会いもありました。今まで知っていたピアニストたちとも、より深いお付き合いができるようになりました。コンクールはもちろん結果が出る場ではあるけれど、ここでの経験は、それ自体がメーカーにとってとても有意義なものだと思います。

ショパンコンクールのスタインウェイのお話

大変おまたせいたしました。みなさん興味津々と思われる、ショパンコンクールのピアノについてのお話です。ショパンコンクールからもう2ヶ月近くたってしまいましたが、テレビなどでこれからも番組が放送されるようですので、まだご覧いただけると願いつつ!

まずは今回、1次予選87名中、64名という最も多くのピアニストが選んだ、スタインウェイからご紹介します。
配信をご覧になっていた方は、演奏前のアナウンスでお気づきになっていたかもしれませんが、今回、スタインウェイからは2台のピアノが出されていました(いずれもハンブルク・スタインウェイ)。

1台は、「スタインウェイ479」とアナウンスされていたもの。こちらを選んだピアニストが圧倒的に多く、半数近くである43名が選択。ワルシャワ・フィルハーモニーホール所有の楽器です。ファイナリストでスタインウェイを選んでいた面々…反田さん、小林さん、クシリックさん、エヴァさん、ハオラオさん、パホレッツさんは、みなさんこちらを選んでいました。

ぶらあぼONLINEに掲載のインタビューで、審査員のヤブウォンスキさんが、自ら選んだ楽器だとおっしゃっていたものですね。「これまでで最高というくらいすばらしい。自分で選んだのだから、いわば私のベイビーのようなもの。だからこそ、楽器を叩かれると悲しくて、そんなときはピアノの前からその人をどかしたくなった」とおっしゃっていましたが。

もう1台は「スタインウェイ300」とアナウンスされていたもの。ショパン研究所が所有、7月の予備予選でも使われた楽器です。1次で21名が選択。セミファイナリストだと、角野隼斗さん、ガリアーノさんなどはこちらを選んでいました。

ピアノについて、スタインウェイのベテランアーティスト担当のゲリット・グラナーさんに、コンクールが始まってすぐの頃にお話を伺っていますのでご紹介します。

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—今回の2台のハンブルク・スタインウェイには、それぞれどんな特徴がありますか?

479のほうは、クリアに鳴って、どちらかというとブリリアントでオープンな楽器です。もうひとつの「300」のほうは、よりリリカルで、決して弱くはないけれど親密で豊かな音質を持つ楽器といえると思います。オーケストラの楽器でいうなら、前者はトランペット、後者はチェロという感じですかね。
あるコンテスタントが、とてもおもしろいアイデアを話していました。2台はとってもタイプの違う楽器だけれど、自分はもともとブリリアントな音を持っているから、別の要素を補うために、300のほうを選ぶと。そういう選び方もあるんだなと興味深かったです。

—それでも479のほうを選ぶピアニストが圧倒的に多かったのは、トレンドですかね? もしくは、はやりコンクールのような場ではブリリアントな楽器のほうが選ばれやすいとか。

どちらがいいとか悪いとかではなく、趣味やフィーリングの問題でしょうね。タイプは違うけれど、どちらもとても広いレンジの音を出すことができる、良い楽器です。
当初はショパン研究所が持っているピアノ(300)だけを使う予定だったのですが、ホールになじんだピアノも使ったほうがピアニストにとっていいだろうということで、急遽、両方使用することになりました。
調律師は、前回のショパンコンクールでも調律を担当した、ポーランド人のヤレク・ペトナルスキです。彼はピアニストでもあり、ショパンのレパートリーが演奏できます。このホールを知り尽くし、楽器、そしてピアニストの気持ちも理解している、優れた調律師です。一人で2台のピアノを調律しなくてはならないので、彼も大変そうですけれど。

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途中からはポーランド人の女性調律師さんがアシスタントで入っていましたが、そうはいってもとにかく大変そうでした。確か、幕間のライヴ配信の「ショパントーク」で調律師さんが登場した回、ヤレクさんだけ欠席だったのではないかと思いますが、誰かが今日ヤレクどこいっちゃったの?とグラナーさんに聞いたら「体調が悪いといって帰った。もう体力が限界だったみたい」とのこと。
過労…。幸い翌日には復活されていましたが。
単に体力がきついだけでなく、プレッシャーも相当でしょうから、本当に大変なお仕事です。

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(まだお元気だった1次予選のときの姿)

ちなみにヤレクさんについては、前述のショパンのスタイルにとても厳しいヤブウォンスキさんも、すばらしい腕の調律師だと大絶賛していましたね。
以前ヤレクさんに、ショパンコンクールの調律で最も大切にしていることを尋ねたら、こうおっしゃっていました。

「目指しているのは、とにかく、ショパンのスタイルにふさわしい音。ショパンの演奏に合った、柔らかく歌うことのできる音を作ろうとしている」

ポーランド人の調律師ならではというべきか、とにかく確信に満ちた口調でした。
ピアノの「音」という、いわば音楽における元素のようなものについてもまた、ショパンのスタイルの重要性が求められるのか…。
どこまでも深い世界です。

 

ショパンコンクール入賞者とおまけ話(1)

ショパンコンクール 、紙媒体むけのちょっと大きめの原稿を全部出し終えたところで、ようやくこちらに余計な話を書く心の余裕が出てまいりました。
ぶらあぼONLINEに、出したい&出さないといけない原稿はまだまだあるんですけどね。

とうわけで、今回は、あちこちに書いてしまった入賞者のインタビューリンクをまとめて紹介がてら、彼らにまつわるゆるい思い出をご紹介します。
このあと審査員関連のハードめの記事がいろいろ出てくると思うので、一旦息抜きに…。

(ちなみに以前から私の書くものを読んでくださっている方は慣れっこだと思いますが、まあまあくだらない話題も多いので、そのつもりでお読みください。でも普段がネタの宝庫の人ほど、音楽もいろんなことが起きておもしろいのよね)

まずは、優勝したブルース・リウさんから。

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先日、さっそく来日リサイタルが行われたので、生の演奏を体感された方も多いかもしれません。
コンクール中にはやっぱり少しおさえていたのね、という、また一層自由自在、次の瞬間に何が起きるかわからない、エキサイティングな演奏でした。

リサイタルの前日にはオンラインで記者会見があったのですが、ここで印象的だったのが、今後ショパンコンクール優勝者としてどう活動していきたい?と聞かれたときのこと。
ブルースさん一言、「ショパンコンクールの優勝者だということを忘れてほしいかな、それだけです、ははは!」(I want people to forget that I’m the 1st prize of Chopin)って答えたんですよ。
で、何せオンライン会見だから当然つっこむひともいなくて、そのままスルー。で、これ、もしかしたら、そのままの意味(優勝者だなんて肩書きどうでもいいとか、騒がれすぎて疲れたとか)で受け取った人もいたんじゃないかって勝手に心配したんですよね。
私としては、ショパン以外の自身が本来得意とするレパートリーにも取り組んでますます認められて、優勝者だからではなく、自分だから聴きにきてもらえるようになりたい、という意味だろう、と勝手に解釈したんですけど。どうかな。(そして考えているうち、結構いろんな含みをもたせたコメントのような気もしてくる)

でもいずれにしても、コンクールからまだ半月のタイミングでこの発言が出るっていうのは、やっぱりすごいし、これまでの優勝者と違う。たくさん受けてきたコンクールのひとつという割り切りというか、変な思い入れのなさというか、よくも悪くもそういうものを感じました。でもそういうほうが強くいきていけるんだろうなー今の時代。

ぶらあぼONLINEインタビューはこちら
ジャパン・アーツインタビューはこちら

ひとつめの記事に、歩きながらインタビューしたってありますけど、ちょっとここでどうでもいい思い出が。

夜遅く、ホテルのロビーについたとき、我々(ブルースくん、私、ジャパンアーツの女性)のほうに、向こうから大柄のポーランド人男性が近寄ってきたんですよ。何か大きな声で話しかけてきて、酔っ払ってるな…そう思った瞬間、何かされそうになったらブルースを背にまわして一歩前に出ようとしている自分がいましたね。あんた何様よって自分でつっこみましたけど、こんなところでとっさに出た、わたくしのクラヴマガ精神(自分、イスラエルの護身術習ってるんですよ。ご想像の通り、いつまでたってもめちゃくちゃ弱いんですけどね)。

しかしここでもしも襲いかかられて、私がショパンコンクールの優勝者を守ったとなったら、けっこう語り継がれますよね。
しかも優勝者の名前は、ブルース・リウ。ブルース・リーを守った女。いいな。

続いては、第2位のアレクサンダー・ガジェヴさん。

ぶらあぼONLINEインタビュー

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落ち着いた男的な雰囲気を出していますが、ときどき隠しきれないワチャワチャが出る青年。ちなみにコンクール後半からは、プロフィールなどにも出てくる「モスクワ音楽院で教えていたロシア人ピアニストの父」が付き添っていました。

はじめて横に立っていらっしゃるのを見たときは、おお、これが前々から話に聞いていたパパガジェヴ!と感動しましたね。やっぱりこう、むだにニコニコせず、むっすりと立っていて、そこはイタリア人じゃなくてやっぱりロシア人なんだなという感じ。でも打ち解けるとニコニコらしいです。仲良くなった人が言ってた。

ところでガジェヴくん、インタビューの最後、ところでそのヒゲはこのままいくの?と聞いたら、「コンクールで良い結果が出たら剃れってベルリンの先生に言われてるんだ。チェ・ゲバラみたいだからやめろっていうんだよ」って言ってました。
ずいぶんエレガントなチェ・ゲバラだこと。って言ったら、僕もそう思う、って言ってた。

そして同じく2位になった反田恭平さん。

ONTOMO YouTubeチャンネル

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(2次のあとの満足げな表情(左)と、ご本人涙が止まらぬとツイートしていた3次のあと(右)の表情の違いよ)

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(こちらは審査結果を待っていたとき、審査員が降りてくるのと反対の階段からひょっこり降りてきたと反田さん。この15分後、彼はショパンコンクール の2位になります)

ぶらあぼONLINEインタビュー

反田さんはよく会場に演奏を聴きに来たりしていたので、わりとときどきお目にかかれる機会があって。なんだか本当にアニメのキャラクターみたいな方だなと思いました。
上記のインタビューでも戦略の話をしていますが、これだけ戦略を立てられると、いろんな場面でそういう感じが気になりそうなものですが、なんか演奏がそれを上回るグイグイのパワーを持っている感じですね。

反田さんとは雑談もいろいろしましたけど、私的ハイライトは格闘技の話ができたことかな。いや、私もさほどくわしくないんですけど、ピアニストとこんな話をする日がくると思わなかったですよ。
ちなみにワジェンキ公園でスパーリングしようって申し込んだけど(もちろん当てないやつですよ)、さりげなくはぐらかされました。

…なんかこうして書いていたらどんどん長くなってしまったので、今日はとりあえずここまで。

他の入賞者のおまけの話は、また後日。

ショパンコンクール2次予選、ピアノのこと、選曲のこと

2次予選が終わりました。
振り返りレポートは、こちらのぶらあぼONLINEに。

セミファイナリスト、個性的な顔ぶれが多いですね。それもなんとなく、やはり個性派ぞろいだった2010年の時とは、また少し違った感じで。
何が違うのか、うまく説明できないんですが、なんか2010年の個性派たちは、やったるぜ感(?)と、妙な自信満々ぶりが全員すごかった。今回はもうちょっと全体的に飄々とした雰囲気があるというか、ナチュラルにがんばって、ここまでたどり着いたという感じの人が多いような。
もちろん個々に相当な努力をしているのは確かで、ステージにかける思いもプレッシャーも、それぞれに大きいと思います。
たった11年でも時代が変わったということでしょうね! すでに変わり始めていたとはいえ、まだあの頃は、コンクールの一発にかける感が切迫していた。今はコンクールの意味合いも変わり、さらに活動の方法も一層いろいろ増えたということでありましょう。そのほうがいいのかもしれない。人々が求める音楽も、変わってきているのかもしれない。

そして結果については、もういろいろなところでいろいろな意見が出ていると思うのですが、ぶらあぼの記事の中に書いたことが、今の時点で私が思うことであります。

さて、今回も恒例、お時間のある方向け、2次予選期間中にお話を聞くことのできたコンテスタントのコメントです。選曲、ピアノ選びについてのお話中心にご紹介します。

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初日に演奏した、ゲオルギス・オソキンスさん(ラトヴィア)。前回もかなり個性的な演奏で注目を集めていたファイナリスト、再挑戦です。

—ワルシャワフィルハーモニーホールのステージに戻って、どんな気分でしたか?

このホールの雰囲気が個人的にとても好きで、それが演奏のインスピレーションになりました。1次は音響を確認しながらの演奏ですから緊張しましたが、今日の方がよりリラックスして、自由になることができました。

—曲目、リサイタルみたいでしたね。調性もすごく気にされているようでしたし。

それを感じてもらえたなら嬉しいです。ショパンはとても調性を気にした作曲家でしたから、それを考慮して組んだプログラムです。コンクールだからといって、それに合わせてプログラムを組むなんて僕にはできない。演奏は、いつだってアートでなくてはいけません。

—今回はヤマハのピアノを選びましたね。

5台ですから、選ぶのに2時間くらいほしかったけど。でもこの特別なコンクールという環境で、最初のタッチで感じたものから選びました。それから音のはり、品のある音も気に入っています。素晴らしいピアノです。ただ今日は湿度が低かったので、少し苦労したところがありました。

—あなたの演奏には、聴く人を覚醒させるようなところがありますよね。

グレン・グールドの言葉で、伝統的なやり方に従って全く同じように演奏する理由がどこにあるのか、私たちは常に発見しなくてはいけない、というものがあります。作品の構成の中に新たな発見をすること。それによってしか生きた音楽は生まれないと思います。音楽は、その場で生まれる魔法のようなものでないといけないのです。

—ときどき、ショパンすらそういう音楽が生まれると気づいていないんじゃないかという音を聴かせてくれていましたもんね。

ショパンの時代とはピアノが違いますからね。彼は今のピアノを聴いたらどれだけショックをうけることか。それに、モダンなアプローチを嫌う可能性もなくはない。でも、僕はオーセンティックという言葉が好きじゃないんです。200年前のように演奏するということは、研究者のすることであって、アーティストのすることではないんじゃないかと。現代の環境の音楽を見つけないといけません。

***

相変わらずというか、なんとなくパワーアップしていましたね。
腕につけた紐も、おしゃれデザインのシャツも、6年前と同じ!と思い、あーそのシャツ、といったら、「胸元の開きかたは前のより狭い!」とすごく主張してきました。誰も開けすぎだなんて指摘してないのに。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、彼はゲオルク・フリードリヒ・シェンク先生門下。そう、2010年の入賞者で個性的な演奏が持ち味のボジャノフさんの弟弟子です。低い椅子もあの門下ならではでありました。
個性的なので評価が分かれるのもわかるのですが、ちょっと次も聴いてみたかった…また日本に来てね。

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3日目に演奏した、カイ・ミン・チェンさん(台湾)。

—とてもエレガントな音を鳴らされますね。

他の作曲家の作品を弾く上で美しい音を鳴らすには、普通に弾けばいいんですけれど、ショパンの場合はそこにエレガンスが必要なので、特別なタッチが求められます。ペダルもやさしくつかいながら、指先で、クリアで正確に鍵盤に触れなくてはいけません。

—プログラミングも、3つのエチュードが入るなど少し変わっていました。

師匠であるダン・タイ・ソン先生が提案してくれたことです。他の人が弾かないユニークな作品をいれることで、印象を残せるのではないかといわれて。僕も演奏を楽しみました。

—ピアノはスタインウェイ300を選びましたが、どこが気に入りましたか?

まずはコントロールです。どんなにピアノの音が美しくても、自分がうまくコントロールができなければ仕方ないので、コントロールのしやすさを重視して選んでいます。
音質についても、あたたかく、僕自身がブライトな音は楽に出せるほうなので、ショパンを弾くにはこちらのほうがいいと思いました。479のほうで弾いたら、明るい音がしすぎてしまうと思って。

***
某所から手の大きさを聞けとの指令があり、そんな話になったところ、ご本人、手は小さい!とのこと。でも、指すごい長い感じですよね?
手が大きいというのは掌が大きいという意味だと思っているのか、なんだか話がかみあわなかったのですが、とにかくご本人は、手は開かないし小さい!と主張していました。なんかみんないろいろ主張してくる。
そしてプログラミング、ソン先生ナイスアイデア! フレッシュな選曲が生きてましたね。ちなみにソン先生につくようになったのはこの2年で、それまでは台湾国内で勉強していたそうです。

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そして、アレクサンダー・ガジェヴさん(イタリア/スロベニア)。

—今日もガジェヴさんならではの、よく計画されているけどその場で生まれてる感すごい演奏を聞くのがとても楽しかったです。今日のステージでのインスピレーションは、何でした?

たっぷりの水ですね。とくにはじめのところ。

—水?

はい、ウォータリーな音を聴こうとしていました。それから、土、地面。
ダンスの瞬間には、ライトが輝く舞踏会、そこから伝説のバラードにむかいました。いろいろなエレメントをつないでいきました。

—今回はシゲルカワイを選びましたね。どんなところが気に入っていますか?

音はどうだった? 中で聴いてたの?? 大きな音、良く聴こえてた?

—とても豊かによく聴こえていましたよ!

そう、よかった。僕は、カワイのあの空間に溶けるような音が出せる能力がとても気に入っているんです。今回のピアノも、夢のようなクオリティですね。

***
9月に日本に来てくれたばかりです。あの、計算づくと無計画のはざま、みたいな演奏(褒めてます!)がおもしろいんですよね。ショパンコンクールのステージでもそれは健在。
そして、マジで時間がない中でピアノについてのコメント聞いてるのに、聞き返してくるのやめてほしい(笑)。私の話はいいから!でも、気になるんでしょうね。
我らが浜コン優勝者。なんか、がんばってほしい。

 

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2010年ファイナリスト、ニコライ・ホジャイノフさんです。
遺作のフーガを入れ、絶筆のマズルカを繊細の極みみたいな音で奏でるという、かなり攻めたプログラミングでした。

—今日は、繊細な音で私たちを泣かせようとしましたね。

それはごめんなさいね(笑)。

—「英雄ポロネーズ」もとてもジェントルな音で始めましたけれど。

そう、お気づきだったと思いますが、それは僕がショパンの自筆譜を勉強していくなかで、ショパンがフォルテや大きな音を最初に書くことはなかったということを改めて知ったからでした。その意志には敬意が払われるべきだと思い、ああいう表現をしたのです。
それと、この曲を最初に置いたのは、ポロネーズというものがもともと舞踏会で最初に踊られるものだから。もちろんコンサートは舞踏会ではないからいつ弾いても自由ですが、僕は最後に弾くことはなんとなくしっくりこなくって。

—他のプログラムもユニークでしたね。

選曲に自由があったので、とても好きな曲から選びました。
まずバラードは第2番。マズルカはOp.41-1。どちらもマヨルカのヴァルデモッサで書かれたものです。彼は大好きな地にいながら、とても苦しんでいた。フーガはマヨルカから戻ってすぐに書かれたものですが、彼はマヨルカに大好きなJ.S.バッハのプレリュードとフーガを持っていき、いつも弾いていました。ショパンは常にポリフォニーの実験をし、作品にポリフォニックな要素やポリメロディックをたくさん取り入れていましたね。
それから最後の作品といわれるOp.68-4のマズルカ。以前、これが書かれたのではないかと思われるパリのショパン最後のアパートだった場所で演奏したことがありますが、特別な経験でした。ワルシャワで自筆譜を見ましたが、それはもう見ていて心が苦しくなるような筆跡で。偉大な作曲家が、歩くことはもちろんピアノにも触れられない状態で書いた作品です。
舟歌も晩年の苦しみと痛みに満ちた曲です。彼はヴェネツィアに行ったことはありませんから、船頭の歌とは別世界の舟歌。人生、もしくは人生の後にあるものの描写といえると思います。

—なるほど、それでこのプログラムは全体にああいう音で、ああいう風に弾かれたわけですね。

そう、考えてのことですよ(笑)。

—ところでピアノ選びは難しかったですか? 1次のスタインウェイ300から、2次では479に変更されましたが。

難しかったのは、セレクションの時はピアノが舞台の後方にあったことです。1次でピアノに触った瞬間、選んだピアノだとは思えないくらい違って聴こえました。素晴らしい楽器だけれど、音がメロウで、もう少し狭い会場に最適な調整なのかもしれない。調律師さんは素晴らしい能力の持ち主なので、そこには問題がないのですけれど。今日演奏したほうは、より音が鳴らしやすくて、音色の違いを生み出しやすかったです。

***
1次の大喝采にくらべると2次は客席の反応がおとなしめだったので、これは意図が伝わらないとお客さんも反応できなかったんじゃないかなと思い、ちらっとそんなことをいったら、「そうかもしれないけど、全部きれいな曲だからいいんじゃないですか? 僕は全部好き」と言われてしまいました。
そのとおりですニコライさん。
この感じは18歳の時から何もかわらない。そして通過おめでとうございます。

 

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最終日に演奏した、小林愛実さん。

—前回は椅子トラブルがありましたが、今回は事前に調整したのですか?

いえ、もう今回は低いままでいいかなって。今日もマックスにあげてもまだ低かったんですけど、技術的な曲もないし、もうこのまま弾こうと。

—すごい。1次のほうが緊張していたのかなと思いましたが?

どっちも緊張しました! すごく変な感覚だったんですよね。普段のコンサートは全然緊張しないのに。なんでこわいんだろう。歳とったからかな。

—6年前の、出るときに背中を叩いてもらうのは?

やってもらいました、撮影の方に(笑)。

—幻想ポロネーズの冒頭には引き込まれました。あれでいい雰囲気が作られたように思います。

最初のところはよかったんですけどねー(笑)。最初に後期作品を置いたので、地獄に突き落とされたみたいな始まり方の音楽を、そういう気持ちで弾きました。
「アンダンテスピアナートと華麗なるポロネーズ」は、一番頑張って練習したんだけど…。全部の音を聴いて、速い部分もアレグロだから、そこまでテンポをあげる必要もないと思って、一音ずつ、丁寧に弾くことを考えていました。

—ピアノはスタインウェイの479でしたね。どんなところが気に入りましたか?

コントロールがしやすいと思いました。それと、右手のメロディラインが綺麗に響くピアノだと思います。小さな音でもすごくよく響く。
ステージ上で自分で聞いていると、全然響いていないように、ドライに感じるんですが、ホールでの聴こえ方は違うと気づいたので、それを想像しながら弾きました。他の方の演奏を聴いて、舞台上で弾いている時に聴こえる感じと音の通りが違ったんです。参考になりました。

***

2次では、6年という時間の大きさが感じられました。愛実ちゃん、立派になって…(と思って見ていた方は多いはず)。
今回は、前回とレパートリーを総とっかえしているということで、セミファイナルではプレリュードを弾きます。
ちなみに、ピアノを選ぶときは、結局最初にいいなと思ったものを選んだようです。でも、ヤマハを選んで弾く夢を見たっていってました。夢に見るほどだなんて、大変よ!

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最終日に演奏した、イ・ヒョクさん。

—みんなソナタのあとに拍手せずにいられなかったみたいですね。

すごいびっくりしてしまって、ポロネーズの1小節目でミスしちゃった(笑)。集中を失ってしまった!

—あなたのその明るくていつもハッピーそうなキャラクターを思うと、ショパンのような難しい性格の人についてどう感じているのかなと思ってしまうんですけど…。

そうなんですよ、彼を理解するということは今回、僕の大きなミッションでした。でもパンデミックの期間中、たくさんの本を読み、手紙を彼の母語であるポーランド語で読んで、彼をもっと理解しようと心がけました。
ご存知の通り、僕はいつもハッピーな感じの人間だけど(笑)、ショパンは違うから、本当に挑戦だった。今も100パーセント理解できたとは言えないけど。

カワイのピアノは、いかがでした?

とてもあたたかい音がして、広いダイナミクスが表現できて、高音部分はブライトな音が鳴ります。英雄ポロネーズなんかは、序奏のつぎの、タータターンのところをこのピアノの音で演奏するのがとても好きでした。品格のある明るい音が気に入っています。

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こういう明るいタイプの子って、ピアニストには本当に珍しいような気がします。そのうえ、とても賢い(言語の話もそうですが、チェスがすごく強いということでも知られています)。浜松コンクールのとき、共演した指揮者の高関さんが「天才タイプ」といっていましたが、なんか本当に、底の見えない若者です。
ソナタ大好き人間、次のソナタもたのしみです。

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結果的に最後の奏者となった、ブルース・(シャオユー)・リューさん。

—舞曲の作品を楽しそうに弾いていたのでお聞きしてみたいのですが、ショパンの音楽にはハーモニーとかポリフォニーとか歌とかいろんな魅力があると思うけど、リズムの魅力って感じますか?

ダンスのリズムの重要性はショパンに限ったことではないけれど、一番大切なのは、プロコフィエフやストラヴィンスキーみたいなリズムの魅力とはもちろん全くちがって、とにかくどんなときもよい趣味を保ち、エレガントに弾かないといけないということです。

—今回はファツィオリのピアノを選びましたが、どこが気に入りましたか?

コンクールでファツィオリを弾くのは初めてですし、普段から弾く機会はなかったのですが、セレクションで試してみて、すぐに音色が気に入ったので選びました。アクションやタッチに慣れるための時間のないコンクールという場で、弾き慣れていないピアノを選ぶということは、何が起きるかわからないから少しリスキーで攻めた選択だとは思ったんだけど。でもうまく行ったかなと思っています。
ノーブルでチャーミング、響の感じが気に入っています。絶対に嫌な音がしないし、とても明るいキャラクターを感じます。

—少し冒険でも選ぼうと思うくらい、音が魅力だったという。

そう。完全に心地いいものばかりじゃなく、新しいものを受け入れていくということが好きなのかも。そのほうがおもしろいときもあるから。

***

心地いいものだけを選ぶのではなく、冒険したほうが、おもしろいことが起きる。
なんだかかっこいいじゃないの…。

彼は2016年仙台コンクールの第4位入賞者。当時19歳。おしゃれなハットをかぶっていたのが印象的だったのでその話をすると、わー、それものすごく昔のことだよねーと言われてしまいました。5年はすごく昔か。まあ。若者にとってはそうでしょうね。
ちなみにあのときはまだブルース表記はなかった記憶。それと、お父さんは画家っていう情報を思い出しました。
シャオユーくん、次のステージでは、ソナタとマズルカに加えて、Op.2の「ドン・ジョヴァンニの《お手をどうぞ》の主題による変奏曲」を弾きます。あのノリで弾いてくれたらたのしそう!

 

セミファイナルも個性豊かな人々が揃っています。まだつかまえたくてもチャンスがない人もたくさん。そのユニークな音楽の背景にある人物像とは、的な感じで、これからもご紹介していきたいと思います。
さて、どこまで長い原稿を書くための気力体力がもつか!

ショパンコンクール1次予選、ピアノとステージ

あっという間に2次予選が始まってしまいました。1次の総括的なものコンテスタントの演奏後の様子はぶらあぼONLINEでご紹介しましたが、こちらではそこで書ききれなかったことを書き連ねたいと思います。

まず1次の結果については、もちろん、あぁ次も聴いてみたかったのにという方もいましたし、逆に個人的に、通ったの!と思った方もいなくはなかった。
でも、過去のファイナリストを中心とした有力候補といわれる人たちは(ポーランド勢含め)残った印象。こんなに目立った番狂わせなしでスタートする展開ってあるのね、と思いました(地元ポーランド勢で、なぜ落ちた!と騒ぎになっている件もなくはないようですが)。

嫌なことをいうようですが、審査に政治的な感覚が働く場合、勝たせたい人の有力なライバル、危ないヤツは、みんなが見る前の早い段階で消しておく、みたいなことがあると言われたりするんですけれど、今回はあまりそういう力は働かなかったということかもしれません。単に、そういう力同士が拮抗しただけかもしれませんし、この後どうなるかもわかりませんが。
(…あぁ私、過去のコンクールのいろんな話を聞きすぎて、えらい疑い深くなってる。でもそれが現実なのです)

また、すでに人気だったり演奏活動をしている日本勢も、多くが残りましたね。仲よさそうにしている子たちがみんなで通って、リアル「蜜蜂と遠雷」みたい、なんてツイートしましたが、実際にはこれって、あの小説に出てくる「優勝者がその後頂点に輝くというジンクスがある、国際的なSコンクール」に舞台を移した、続編、という感じですよねー。

さて、かなり限られた数ではありますが、1次予選期間中にお話を聞くことのできたコンテスタントのコメントです。ピアノ選びについてのお話中心にご紹介します。

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初日に演奏した沢田蒼梧さん。2次に通過しました!

—コンクールに向けて準備するなか、ショパンとの距離感は変わりましたか?

もともと好きな作曲家でよく弾いていましたが、とくに関本昌平先生(2005年の入賞者)に師事してからは、何かしらショパンの曲は勉強していました。ただ、ショパンコンクールをずっと目指していたというわけではないんです。
でも予備予選を通過し、コロナの影響でコンクールが延期になった時、改めてもっと勉強しようと、例えば自筆譜を入手して勉強したりすることで、いろいろな角度からショパンを見られるようになったと思います。

—関本センパイからのアドバイスはありましたか?

とにかく自信を持てといわれました。今自分が100%完璧だと思えなかったとしても、今の段階の自分のショパン像を確信をもって提示してきなさいと。

—沢田さんもよく客席で他のコンテスタントを聴いていらっしゃいますが、関本さんも2005年当時そうだったんですよね…それで、僕は他人の影響は受けないからいくら聴いても大丈夫ですと言ってたのが印象的で。

先生はハートが強いですよね(笑)。僕の場合は、ホールの響きを確認すること、純粋に友達を応援することのために来ている感じです。

—ところで、ステージに出てきて弾くまでにけっこう時間をとりますよね?
そうですか? 確かに、会場が少し落ち着いてから弾き始めようとは思っていますが。ステージに出ると、時間の感覚がわからなくなるんですよね。

—そういうものなんですね…知らないうちに3年経ってたみたいな。
気づいたら石になってるかもしれない。

—ところで今回はカワイのピアノを選びましたね。
もともとシゲルカワイが好きなのと、弾き慣れているからというのが大きな理由です。とくにタッチが好きなんです。鍵盤の感覚で弾いているところが大きいので、その意味で、感覚がすごく掴みやすいです。

—感覚。
はい、鍵盤の深さとか、指先のタッチとか、しっくりくることが多いんです。1台目に弾いたピアノは少し軽く、次がシゲルカワイで、弾きやすいと思いました。そのあと、スタインウェイと最後の最後まで迷ったのですが、最終的には録音していた音を聴いて決めました。

—音の特徴はどう感じていますか?
迷ったスタインウェイは、強音で弾いた時にブリリアントに鳴るピアノで、僕の弾き方だとすこしビンビンしてしまうかもしれないと録音を聴いて思いました。
それに対してカワイは、派手さはないけれどまろやかで深い音がすると感じて。音の芯のまわりにボワッとなにか広がるような。やわらかい雰囲気の音がします。

—今は医学部の5年生ということですが、医学と音楽の共通するところはどこにありますか?
ピアノを弾くことで嬉しいのは、演奏を聴いて癒されたと言ってもらえること。医者の仕事も、暗い顔だった患者さんが帰るときには明るくなっていることもあります。音楽で心を癒すこと、治療で体はもちろん心も治すこと。これが自分の生きる道なのかなと感じています。

—まったく正統的な回答でした…というのは、昔アンデルシェフスキさんにお話をうかがったとき、自分はピアニストじゃなかったら外科医になりたかった、ピアノと同様、人間の中が見えるからって言っていて、うわーとと思ったんですよね。
えー、本当ですか!?
でも人間の中なんて、単なる肉の集合体ですからね。音楽で人間の内面を見るのとは全然違うと思いますよ(笑)。さんざん見てきたので、麻痺してきているのかもしれませんが。

***

肉の集合体…確かに。
会場でお会いすると立ち話をしたりするのですが、ある日ふと、あれ、なんかけっこうサラっと変なこと言う子なんじゃないか?と気づきました。

そして、さすがお医者さんの卵、聞き上手なのよ。
気づいたら私、「湯船につかれないのが辛い」とか悩みを相談していました。今コンクール中で頑張ってる若者に一体何を話して聞かせてるんだ、っていう。
しかし沢田さんはやさしげに、「1泊だけ〇〇ホテル(湯船がある)に泊まったらどうですか?」とか、アドバイスまでくれたという。さすがプロ。

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2日目に演奏した反田恭平さんです。反田さんも2次に通過。

—1次のステージはどうでしたか?
実はストレスがすごくありました。衣装も何種類か用意していたのですが、胸元の開けられるものでないと苦しくなってしまうくらいで。
イタリアで初めて国際コンクールに参加した時は、イタリアン食べたいという呑気な理由で行って優勝してしまいましたが、今回は全く違います。ご飯を食べることで気を紛らわせています。

—ご飯が食べられているならいいですね。
それは大丈夫です。むしろストレスで食べすぎちゃう(笑)。あと、日頃から仲のいい小林とか角野とかがいてくれるので、本当に気が楽です。
メンタルは良好で、頭もクリアなんですが、体が緊張してついてこない感じですね。コンクールの本番でも、1音目を出した瞬間から、ホールや楽器を使いこなすにはどうしたらいいかを頭で整理しはじめました。だけど、背負っているものの重圧から勝手に体が硬くなってしまったみたいです。
でもこれだけ緊張したので、2次からはもう大丈夫だと思います!このあとのほうがプログラムも好みなので。1次で演奏したスケルツォ2番なんて、僕には正直よく理解できない。でも好きな3番や4番は、レパートリーや他の演目との兼ね合いで選べませんでした。
やれるだけはやったので後悔はありません。初めての大舞台でここまでできて、ちょっとだけ満足しています。

—今回は審査員席に師匠のパレチニ先生がいますね。
コンクール前の最後のレッスンは、4年勉強してきてこれが最後になるかもしれない、という状況だったのですが、最後にかけてくれた言葉と熱いハグに涙が出そうになって。その後、あのフィルハーモニーホールでピアノ選定をしていたら、先生のことを思い出してしまって泣きそうになりました。情緒がやばいです(笑)。先生には恩返しをしたいという気持ちがあります。

—そんなこと言われたらパレチニ先生泣いちゃいますね。
先生が入賞してから、半世紀ですもんね。ちなみに、先生がコンクールを受けたときの登録番号も、今回の僕と同じ、64だったんですって!

***
すごい偶然。パレチニ先生泣いちゃう(ちなみに、審査員は自分の弟子に投票できません!)。

反田さんは1次でスタインウェイの479を演奏しました。ホールを出るまでに決めて申請しないといけないといわれ、でもなかなか決められず、迷いに迷って、4時間くらいうろうろホールの中にいたそうです。いすぎだろ!!とつっこみたくなるのは私だけでしょうか。
でもまあ、迷う気持ちはわかる。安心して演奏に集中できるか否かの重要な決断ですからね。

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4日目の最後に演奏した、伊藤順一さん。

—ステージに出た時のご気分は?
緊張は階段を上っていったらなくなったのですが、今日は雨が少し降り、客席に人も入って湿気があがり、ピアノの感触も変わっていたことと、あと練習しすぎて右手が思うように動かなかったのとで、ミスが出てしまったなぁと。

—当日にならないとわからないこともありますね…15分でピアノを選ぶのは大変でしたか?
そうでもないですね、最終的に選んだファツィオリと、ヤマハで迷ったのですが。ファツィオリは豊洲のシビックホールにある楽器をよく弾いたことがあって慣れていたのと、先生からも勧められたのとで、選びました。

—ピアノの気に入った点、こういうところが助けてくれたと思うことはありますか?
やっぱりあの芳醇なうるおい、みずみずしい音と響きですね。それがもっと完全に引き出せたらよかったのですが。単純に音だけ聴いていて、ピアノっていいなと感じられるピアノ、うるっとくるようなピアノが好きです。

—真ん中あたりのあたたかめの音と、高音のキラキラを生かして、いい感じに立体的な音楽が聞こえていましたよ。
ありがとうございます。今回のピアノは非常に整っていたので。
僕自身の音楽が、パリッ、キラッとしたものではないので、今回はコンクールという場ですし、自分にないものを補ってくれる、ヤマハ、ファツィオリ、スタインウェイを選んだらバランスが良さそうだなと思いました。自分の性格通りなら、カワイなんですけどね!

—渋めで落ち着いた感じですか?
そういうピアノも大好きなんです。でもコンクールだとそれだけが良くても十分でないので、キラッとかパリッとかいう、自分に足りないものを補いたいと思いました。

***
この、「ピアノに自分にないものを補ってもらう」っていう感覚。いわゆる人間のパートナーについての話を聞いているみたいでおもしろいし、なんかいいなぁと思いました。そして楽器も生き物だから、その時によってご機嫌が変わってしまう。奥が深い。
渋く素敵な演奏、次も聴きたかった…また日本でリサイタルに行こう。

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5日目の朝一番で演奏した、岩井亜咲さん。

—ステージを終えて、いかがでしたか?
もっとピアノを鳴らせたんじゃないかという反省もありますが、自分がやりたいと思ったことは、その枠はもしかしたら小さかったかもしれないけど、なんとか全部できたと思います。課題として自分の中に残るものもたくさんありました。

—今回はスタインウェイで、選んだ人の少ない300のほうを演奏されましたね。
正直、300と479がどちらなのかというのはよくわからなかったのですが、シゲルカワイとスタインウェイで悩んでいました。シゲルカワイもとても好きなピアノだったのですが、いい音を出せる人とそうでもない人がいる気がして。男性でパワーのある人が繊細に演奏するといい音が出るのではないかと思ったのですが、私は打鍵も強くないので、スタインウェイにしました。最終的には、自分の性格に合うかなと感じるほうを、人との付き合い同様、合う合わないの感覚のようなもので選びましたね。

—スタインウェイのどんなところが気に入りましたか?
今回選んだスタインウェイは、小さな音が繊細によく鳴ってくれるところが気に入りました。そういう音が鳴らしにくいピアノもあったので。
きらびやかでキラキラした音が鳴るので、それをいかしながら、繊細なところをどれだけ美しく弾けるかを目指しました。私はfであまり強い音は出せないので、pでどれだけ会場の雰囲気を作ることができるかを考えていましたね。

***
この舞台に立てたこと自体が大きな経験だったと、とても爽やかで前向きな口調で語ってくださいました。実は彼女、私の地元の隣町である埼玉県の三芳町在住で、三芳町の星としてこのポーランドへ!個人的に注目しておりました。三芳町にワルシャワの経験を持ち帰り、さらに素敵なピアニストになってほしい!

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同じく5日目に演奏したニコライ・ホジャイノフさん。
演奏後の一瞬をつかまえて撮った写真で、演奏についてのお話はちゃんと聞けていないのですが。
ショパンコンクールには11年ごしの再チャレンジ。確信に満ちた演奏、明るくて憂いのある魅力はあの頃から変わりませんが、一段と独創性と安定感が増したような気がします。

その演奏、そして客席から上がるブラボーの声を聴きながら、まだ英語もうまく通じなかったホジャイノフ18歳の頃のことを思い出し、感慨深いものがありました。
今や日本語も話すことはファンの皆さんには知られたこと。狭い部屋のことを「方丈」と言ってきて(鴨長明の方丈記が好きみたい)、いまコンテスタントの泊まっている部屋も方丈だ、といっていました。そんな表現する人、日本人でもみたことない。
普段英語で話すのはもちろん、地元ポーランドの媒体のインタビューにはポーランド語で答え、他にもイタリア語、スペイン語、フランス語など、普通にいろいろしゃべっていました。脳みそどうなってるんだろう。少しその機能分けて欲しい。

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同じく5日目、小林愛実さん。
お写真は、演奏よりも前、お友達の演奏を聴きにきたときに撮った写真です。
「緊張する!」「やばい!」とふわっと明るく言うので、うっかり本気ととらえずに聞き流してしまいそうですが、前回のファイナリスト、そしてすでにキャリアのある人気ピアニスト。プレッシャーは半端でないと思います。
本番の舞台では、2015年に続き椅子問題が発生し、英語が通じない会場係のおじさんが椅子を持って右往左往する場面などがありましたが、一度演奏が始まればパリッと集中。堂々とした音楽を聞かせてくれました。
ちなみに終演後、裏のカフェテリアに行ったら反田くんがいて、愛実ちゃんの演奏中、緊張したーーと言っていました。ものすごく硬直した表情から、本当に緊張していたらしいことがわかりました。そう、それはちょうど、よく演奏中のコンテスタントのお母さんが客席で見せる表情そっくり。

…お母さんか!!(お父さんですらない)

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そして、最終日の最後に演奏することになった、中国のチャオ・ワンさんです。
アルファベット順でWであればもう少し前の日程ですが、中国で演奏活動があったため、最終日にまわったそうです。

—最後に演奏するというのは、いかがでしたか?
とてもエキサイティングでした!でも数日前に中国からこちらに着いたばかりなので、体がまだ時差で疲れていますね。

—第一回高松コンクールで3位に入賞されてるんですよね。大きくなっていて、プロフィールをよく見るまで気づきませんでしたよ。
そう、あの頃は16歳でした。もう歳をとったからね(笑)。高松コンクールでの入賞は、僕のピアニストとしてのキャリアの始まりでした。そのときヤマハのピアノを選んで弾いたんです。コンクールへの挑戦は今回が最後になると思いますが、またヤマハを選びました。

—コンクールの始まりと終わりをヤマハで!
そういうことです。普段の練習でもCF3をつかっています。去年は新しいピアノを選びに掛川に行く予定でしたが、コロナの影響で叶いませんでした。今回は実際に触れてピアノを選ぶことができない中だったので、慣れているヤマハを選びました。今この舞台が初めてこのピアノに触れた瞬間です。

—それは普通のコンサートではありえない状況ですね。弾いてみて、楽器はいかがでしたか?
さまざまな異なる音を作り出すことができました。自分が出したいと思う音を自在に作れて、とても良かったです!

—曲順がちょっとおもしろかったですよね、最後にエチュードのOp.10-1を演奏するって!
はは(笑)。そう、あのショパンコンクールのスポット映像あるじゃないですか。あれはとても感動的でしたけれど、この曲がコンセプトでしたよね。それを見て、この曲で1次を終えるのはいいのではないかと思ったんです。

—あれを見て演奏する曲順を変えたってこと?
そう(笑)。もちろんほかに、バラード1番を最後に弾くのは合わないような気がしたという理由もあるのですが。

***
コンクール人生の始まり終わりとヤマハの話といい、エチュードOp.10-1の話といい、階段と廊下を移動しながら慌ただしく聞いた話だったのに、なんというネタの宝庫なんだ、ワンさん。
高松がキャリアのはじまりだというのもいい。応援したい。また日本にリサイタルに来て欲しいですね。

…と、それぞれのピアノの選び方、ステージに立った心境など、ご紹介してまいりました。
雑談や余談中心ではありますが、全てのコンテスタントが色々な想いを抱えて舞台に立っていることがわかります。そして、性格って演奏に出るよね。

 

ショパンコンクールがはじまった…

はじまってしまいました、第18回ショパン国際ピアノコンクール。
6年ぶりに、ワルシャワに取材に来ております。

今回、最新の現地レポートはぶらあぼONLINEに書きます。
そして、ここまでショパンコンクールに向けての記事を連載してきたONTOMO webには、少し別の角度からコンクールの魅力を紹介する記事を寄稿する予定です。
そしてこれらに書ききれないようなピアノ好きのみなさんのための情報は、こちら、「ピアノの惑星」に書いていこうと思います。

他にも帰国後に紙媒体ほかでいくつか情報発信する予定がありますので、また順次お知らせいたします!

さて、ショパンコンクールは、10月2日、オープニング・ガラコンサートで開幕しました。
そして本日から、コンクール1次予選。モーニングセッションは午前10時から、15時から2時間休憩で、17時から22時ごろまでイブニングセッション。「10時間演奏聴いてることになる」と誰かが言っているのを聞いて、知りたくなかった…と思ってしまいましたね。
ちなみにわたくしごとで恐縮ですが、朝食を食べて出てきて、途中30分弱の休憩があって15時までですから、昼の部の終盤は、お腹がすいて演奏聴くどころではない、ということに初日に気がつきました。
どうしてこういうスケジュール?と思いますが、ポーランドでは、朝食べて出て、昼前にちょっと軽くなにかつまんで、15時ごろに「ディナー」といってがっつりご飯を食べるらしいので、ポーランドの人たち的には、ノーストレスなのかもしれません。

気になる初日のお客さんの入りですが、昼は大体5割くらい、夜で7割くらいでしょうか。日曜日だったというのに、思ったより少なかった印象です。

また、審査員の変更があったのはぶらあぼの記事に書いた通りですが、今日はさりげなく、サ・チェンさんの姿が見られませんでした。つまりは、審査員は当初の予定からマイナス二人の人数でスタートしたということになりますね? …まあ、そんなもんなんでしょうか。
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(審査員のみなさま。ハラシェヴィチさんがなにかっていうとマスクはずしたそうにしているのが印象的でした)

それから今回は、バックステージへのアクセスが厳しく管理されているので、これまでのように、終演後に裏に走っていってコンテスタントとお話をするということが基本的にできません(事前に申請して通った特別なパスを持った人たち、しかもPCR検査済みの人たちしか入れてもらえない)。
そんなわけで、いつものような取材はしにくいところだったりするのですが、まあなんとかうまいこと、ゆるやかにホットな情報をお届けしたいと思います。どうぞお楽しみに。

最後にちょっと、どうでもいい余談を。
私のコンクール取材の旅の必需品をご紹介したいと思います。

まずは、耳栓。
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飛行機の中はもちろん、宿の場所によっては騒音が気になる時、ホテルの廊下でお掃除レディが早朝から大声でわーわーする時なんかに使えます。難点は、目覚ましのアラームが聞こえにくいこと。
ちなみに今回、アパートの上の階で老夫婦が真夜中に壮絶なバトルを繰り広げており、思いがけず役にたってしまいました。まあ、なくても疲れ果てて寝ちゃいますが。

づづいて、ノート。
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コンクール取材中はいっぱいメモをとるので、そしてなんとなくたびの記憶になるので、現地調達することが多いです。今回は何を血迷ったか、スーパーで見かけたハリネズミ柄をチョイスしてしまいました。アウチ!アウチ!って書いてある。

そして、日本から必ず持参する、胃薬。
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コンテスタントの緊張感にずっと触れて、一緒に心配したりハラハラしていたりすると、ごくまれに、気が小さいもんで、こっちが胃をやられることがありまして。これは、食べ過ぎとか飲み過ぎとかじゃなくそういうストレスの何かから胃を守る薬ということで、長らく旅の常備薬としています。
最近は図太くなってきたので、それほど胃が痛くなることもなくなりましたが。

と、完全にどうでもいい話になりましたが、今回もどんな演奏に出会えるのか、たのしみですね!

鋼のメンタル、インドヤマハの社長さんのお話(ONTOMO連載の補足)

ウェブマガジンONTOMOで連載中の、インドの西洋クラシック音楽事情のお話。
第2回では、「日本の楽器メーカーは、人口13億人超のインド市場にどう挑んでいるのか」というテーマで、インドでのキーボードの広がり、子供たちが楽器を習う動機の現状、そして昨年、インド、チェンナイでの現地生産をスタートしたヤマハ・ミュージック・インディアの社長、芳賀崇司さんのお話をご紹介しました。

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記事の中でも触れましたが、子供が西洋の楽器を習う大きな理由の一つとなっている、受験に有利だから、ということについて。
インドの受験戦争は本当に厳しく、社会問題化しています。以前、日本でもわりと人気がでたインド映画「きっとうまくいく」でも、受験や成績のプレッシャーを苦に命を絶ってしまう若者の存在が、ひとつの重いテーマとして扱われていました。
富裕層は富裕層で必死。さらに、カースト制度の職業の縛りから外れたIT産業が盛んとなったことで、低カースト層は、貧困の連鎖から脱却する一発逆転に賭けています。

ちなみに、こちらが件の集団カンニングで親が壁をよじ登る様子を報じたニュース映像。
その後、カンニング予防のために屋外で試験を受けさせられる青空テストのことや、マイクや受信機が縫いこまれているカンニング肌着が紹介されているのを見たことがありますが、最近はこのダンボールかぶってテスト、が、絵的には刺激的ですね。

人道的にどうかという否定はもっともですが、それはともかく、
厳罰をつくって守らせるという「ルールをつくり、一旦相手を信用してものごとをおこない、それでも守らない人は超絶ひどいやつだから、厳しく罰する」という思考回路ではないことが窺える例ですね…
つまり、抜け道があれば誰もがそれを利用する前提で、それができない環境を、まあまあの力技でつくっていく、しかも材料は手近な段ボール、っていうあたりが、インドらしい。たとえばインドでは、何かを並んで買う時、絶対に割り込みされたくないから、前の人に密着して立つっていうカルチャーもありました(最近は減ってるのかな?)。おじさんが体をぴったり密着させて長蛇の列を作っている光景、かつてはよく見かけ、絶対参加したくない、と思ったものです。手近なものと発想でなんとかしようとするメンタリティ、すごいなと思います(これはヤマハインドの社長さんのお話にも通じるところ)。

そして余談ですが、記事の中で出てくる、真ん中だけ調律するインドの調律師さんの話…先日、夫が調律師だという某ピアニストさんが、「家でモーツァルトを練習している時期は、夫は真ん中しか調律してくれない」と話しているのを聞いて、インド人の感覚!と思いました(モーツァルトの時代の鍵盤楽器は、今のピアノよりも鍵盤数が少ないですね)。

さて、そんなインドで奮闘している、ヤマハ・ミュージック・インディアの芳賀さん。
2017年7月に着工したヤマハチェンナイ工場の責任者として、またデリー近郊のグルガオンに拠点を置き営業面の中枢となっているヤマハ・ミュージック・インディアの社長として、2018年の春からインドに赴任されています。
自分、初代の社長から、代々のインド社長におおむねお目にかかってきているのですが、やっぱり今回の芳賀社長も、かなりメンタル強そうです。なんとかなるさ気質がすごい。

今回も例によって、こちらでインタビューのロングバージョンを掲載したいと思います。まさかのスキーが作りたくて入ったという体育会系スタートのヤマハ人生についても、少し振り返ってくださっています。

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芳賀崇司社長@チェンナイ工場の食堂

━いくつもあった候補地の中から、最終的にインドが選ばれた理由はなんでしょうか?

昨今、中国も人件費が上がっている中、これから生産のキャパシティを増やすならどこを拠点とするかという話が出たのが、2015年ごろです。これには、生産拠点の立ち上げを経験した人材が抜けてしまう前に、次の世代にノウハウを伝えておこうという考えもありました。
既存の工場がない国で、立地条件、労務費などを検討した結果、人件費が抑えられることに加え、やはりこの13億人という市場の大きさという条件が備わったインドを選ぶことになりました。将来的に中近東やアフリカでの製造の可能性を視野に入れるなか、インドで立ち上げを経験しておくのは良いステップになるだろうという思惑もあります。

━チェンナイのこの工業地帯には、日本の車メーカーの工場もたくさんありますね。

チェンナイはインドで4番目の大都市で、港があり、また、この地域には日本の銀行の資本が入っていることもあって、日本企業が入りやすいのです。大きな自動車メーカーや部品メーカーなどに、日本からの投資がかなり入っています。……主な投資先は二輪、四輪なので、私たちのような楽器製造というのは、ちょっと異様ですけれどね。

━異様(笑)。以前からインドではカシオのキーボードが広く販売されてきましたが、全て輸入ですもんね。キーボード市場のライバルとして意識するところはありますか?

キーボードをカシオと呼ぶというくらいがんばっていらっしゃるので、戦っていかないといけない部分もあるのでしょう。ただ私としては、そのために現地生産を始めたというより、全体の市場を大きくするためという意識が強いですね。お互い市場を取り合うより、カシオさんとも協力して、音楽人口を大きくしていく方向に進めたらいいなと思いっています。そうでなくては、将来がありません。

━インドの従業員の仕事ぶりはいかがですか?

スタッフ、工場のオペレーターとも、水準が高く向上心もあります。ただ、これは国民性なのかもしれませんが、本当にこちらが言ったことを理解してもらえているのかどうか、ちょっと不安になるときはありますね。自分たちに良いように解釈して進めて、我々の望んでいることとギャップが出てくることが時々あるかな。その辺は気をつけて見ていかないといけません。
インドの方が返事をするときの頭の振り方って、日本人からするとイエスかノーかわかりにくいですけれど(注:彼らはイエスの意味で小首をかしげます)、それに象徴されているというか…わからなくてもそうはっきり言ってくれないことが多いかもしれません。

━メーカーの製品ですから、各自で臨機応変に解決されては困るでしょうね。インドっぽいといえばインドっぽいですが。

そうそう、それが良い結果につながることもあるのかもしれませんが、品質確保の意味では勝手な判断をされると困るのです。とはいえ、市場に出て行く製品にはテストが行われますから、ヤマハ品質の確保という意味では問題ないでしょう。

━「それがいい結果につながるかもしれないけど」とおっしゃるあたりに、芳賀さんはインドで仕事をするのに向いていらっしゃるんだろうなと思ってしまいました(笑)。

ははは(笑)。まぁ確かに、何もかも押さえつけるのは良くないとは思ってます。実際、そいういうところにヒントが転がっていることもありますからね。固定概念があると、そこから外れたくなくなってしまいがちですが、これは、大きな間違いかもしれませんからね。外からの視点や、ひらめきは大事にしないといけません。

━インド向けの商品開発も、現地生産をはじめることで、日本の本社を通していたときより効率がよくなりそうだと伺いました。

そうですね、今後は現地の情報をどんどん物作りに反映したいと思っています。
他の会社では珍しくないのかもしれませんが、実はヤマハとしては、製造と販売が一体の会社というのは、このインドが初めてなんです。営業・販売と製造がツーカーの関係であることが、良い方向に作用したらいいなと期待しています。

━日本の本社からの期待感はどうでしょう? インドのビジネスはどういう位置付けにあるのでしょうか。

マーケットとしてはアメリカ、ヨーロッパ、日本が中心で、そこに中国が伸びてきている現状の中、次にくる場所として、インドは注目されています。
日本でもかつて、ヤマハ音楽教室が大きな役割を果たしました。すぐ売り上げにつながるわけでなくても、先行投資をして、インドでの音楽教育の推進、学校への働きかけを広げていかなくてはいけません。
いずれにしてもこのチェンナイ工場は、オール・ヤマハの支援のもと、現在に至っています。特に、既存の海外の工場の協力が大きな助けになりました。
例えば私が以前いたマレーシアの工場には、マレー人の他に、中国系、インド系のスタッフがいるのですが、実はこのインド系がタミルからの移民で、家ではタミル語を話しているんです。そこでこのチェンナイ工場では、そのインド系マレーシア人スタッフを駐在員として招き、通訳などとして活躍してもらいました。彼らはすでにヤマハのやりかたを理解していますから、助かりましたね。
日本人だけでなく、世界各地のローカル人材を活用する、良い事例になったと思います。

━日本企業にとって、インドはビジネスをしやすい環境だと思いますか?

それはちょっとどうかなぁ。やっぱりお役所関係のことが簡単ではないですよね。選挙のたび、州政府がどうなるかに大きく左右されたりするので。

━これまで海外での工場の立ち上げに携わり、いろいろな国の人と触れ合いながら楽器をつくってきて、今どんなことを感じていますか?

うーん、それは、私個人的にということですよね…。実は私、最初はスポーツ部門でスキーを作りたいという気持ちでヤマハに入ったので、まさか海外に行くことになるだなんて全く考えていなかったんですよ。
結果的にサラリーマン人生の半分以上を海外で過ごすことになりましたが、自分にとってはよかったと思います。日本の良いろころ、悪いところが改めてわかりますし。
あと、日本は少子化で平均年齢が上がっていますけれど、海外の生産拠点で仕事をしていると、若い人と仕事をする機会が多いのです。工場では自分の子供より若いスタッフもたくさんいます。伸び盛りの人と一緒に仕事ができることは、ありがたいです。
そしてやっぱり、毎日いろんなことがおきますね…。それはもちろん大変なんですけど、なんか、よかったなと思いますねぇ。

━大変な時は、どうやって乗り越えたのですか?

若い頃はただがむしゃらにやっていましたけど、経験を積むなかでうまく立ち回れるようになるというか。いいかげん…ってことでもないんですけれど、ポジティブに考えるようにすることで、乗り越えられるようになりましたね。明日は明日があるさみたいな気持ちでやっていますよね。

━そうじゃないと、やってられない?

やってられないですねぇ。なにごとも、ツボを押さえることが大切です。それは難しいことですが、経験やカンで、だんだんできるようになって行くのだと思います。本来押さえないといけないところをほったらかしていると、違う方向にいってしまったり、または全然進まないということになってしまう。そうならないよう、そこだけは冷静に見るように心がけてきたかな。

━インドの仕事に携わっているうえでの抱負はありますか?

まず工場の責任者としては、良いものをしっかり作っていくこと。ヤマハ・ミュージック・インディアの社長という立場としては、市場の開拓を進めいくこと。この両輪で軌道に乗せていきたいです。
あと、これはどこの国でも同じですが、インドに工場をつくった以上、やっぱりインドのためになることをやりたいですね。大げさなことはできないけど、例えば雇用の促進などで地元に貢献する。そうして、地域に根の張った工場であり、ヤマハ・ミュージック・インディアにしていきたいです。私たちの商品は、人を幸せに、豊かにするものですから。…会社からは、早く儲かるようにしろと言われると思いますけれど(笑)。
そして、縁があって私たちの会社に入ってくれた人が成長し、生活が豊かに、家族が幸せになってくれることが、私の一番の夢です。

***

以上、芳賀さんのお話でした。
個人的には、マレーシア工場のインド系スタッフがタミル人だったというミラクルに助けられた話にしびれました。
あと「大切なツボを押さえていないと、違う方向にいったり、または全然進まなかったりということが起きる。そこだけは冷静に見ている」というお話も、いろんな山を越えてきた芳賀社長ならではの言葉だと思いました。自分のやっていることに当てはめて、反省してしまいましたよ…。

【ONTOMO】
♣インドのモノ差し 第2回

日本の楽器メーカーは、人口13億人超のインド市場にどう挑んでいるのか

♣インドのモノ差し 第1回
インドの衝撃—1、2年でヴィルトゥオーゾに!?「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の指導法

インドの「ロシアン・ピアノ・スタジオ」のお話(ONTOMO連載の補足)

この度、ウェブマガジンONTOMOで、インドの西洋クラシック事情にまつわるあれこれを書かせてもらえることになりました!
2018年に一年間、集英社kotobaでこのテーマの連載(第1回第2回第3回、第4回)をさせていただきましたが、今度の連載では、そこで書ききれなかったこと、その後追加で取材した話題を紹介していきたいと思います。

というわけで、書く場所を見失っていたいろいろなネタを嬉々として披露していくつもりなのですが、さすがに長くなりすぎて書ききれないことは、こちらのサイトにアップすることにいたしました。インドのクラシックにまつわる人々の生態に興味があるという奇特な方は、ぜひご覧ください。

さて、ONTOMO連載の第1回では、A.R.ラフマーン氏がチェンナイに作った音楽学校の中に設置されている衝撃的な音楽教室「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の話題を取り上げました(以前、kotobaで掲載した話題の緩やかバージョンです)。
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とくにどこというわけではありませんが、チェンナイの街並み。南インドはまだルンギー(腰巻き)スタイルのおじさん多め

インド生まれインド育ち、「インド人初のモスクワ音楽院卒業生」だというクラスの指導者、スロジート・チャタルジー先生とは、一体どんな人物なのか? どんなポリシーを持って教えていると、生徒がこういうことになるのか?
ちょっと興味を持ってしまった…という方のために、チャタルジー先生との問答のロングバージョンをこちらに掲載します(ONTOMOとの重複箇所もあり。あちらの記事には、クラスの生徒の動画も紹介してあります)。
スタンダードな演奏法を見慣れている身からすると、いろいろ思うところもありますし、ダム決壊寸前レベルでみなぎる自信に圧倒される部分があるとはいえ、そこには、音楽の本質にまつわる核心をついた言葉もあり、日本のピアノ学習者にとって参考になる話もあるように思います。

ONTOMO内の記事に掲載しているクラスの背景、演奏動画などをご覧のうえで、どうぞお読みください!

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スロジート・チャタルジー先生

◇◇◇
━クラスに「ロシアン」とついているのは、ロシアン・ピアニズムと何か関係があるのでしょうか?

このメソッドは、ロシアの奏法にインスパイアされてはいますが、基本的には関係ありません。クラス名に「ロシアン」と入れたのは、私が学んだ場所へのオマージュです。
モスクワ音楽院で学び始めた若き日、いかに自分の奏法に問題があるかを思い知りましたが、音楽院の先生は奏法を一から教えてくれません。そこで私は、そこから長く苦しみに満ちた奏法の変革を行い、自分のメソッドを開発したのです。
インドは貧しく西洋クラシックの伝統がないので、ロシアや日本のように長期間の訓練を続けることは難しい。そこで私は、たった1、2年の訓練で、演奏技術と音楽家としての精神が身につくメソッドを編み出しました。アメリカでピアノを教えていた貧しい子供たちは、すぐに結果があらわれないとドロップアウトしてしまうことが多かったため、どうしたら早く「弾ける」ようになるのか試行錯誤を重ねる中で見つけたメソッドでもあります。世界の他のどこにもこんなことは起きていません。あなたが今日目撃したことは、特別なことなのですよ!
私の人間性は大変インド人的です。生徒のために200%の献身をしています。私は彼らのために生き、呼吸し、与え続けていて、生徒たちは私と深くつながっています。私の生徒たちの演奏が心に触れるのは、私がピアノを教えているのではなく、人生を教えているからなのです。

━ショパンなど、テンポを揺らした独特の解釈でした。テンポルバート、インテンポについてあなたや生徒さんたちはどうとらえているのでしょう。

テンポ感は、自然に感じるもの、自然と教えられるものです。私が細かく指示するということはありません。音楽は感情表現ですから、メトロノームのテンポでは奏でられません。
以前ある人が私に、ピアノ教育のノーベル賞が取れるのではといったことがありましたが、もちろんそんなことは起きません。それは、どんな国や地域にもそれぞれの文化があり、音楽について感じることに世界的なスタンダードはありえないからです。ラフマニノフやショパンについて、例えばロンドンの人が私と同じように感じるとは限りません。誰もが、自分の心にもっとも近いものをすばらしいと認め、受け入れるのですから、そこには違いが生じて当然です。

━とはいえ、クラシックのピアニスを目指すアジア人の中には、その音楽が生まれた土地の文化を知るため、ヨーロッパなどに留学する人も多いですね。そのことについてはどうお考えですか?

私の学生たちについては、留学は必要ないと思います。すでに美しいものを持っているというのに、どうしてそれを変える必要があるのでしょうか。ヨーロッパの教育にもまた美しいものがあるとは思いますが、まずは自分が何を求めているのか、何が好きなのかをはっきりさせなくてはいけません。
いずれにしても、私は優れた「アクター」ですから、ある瞬間はロシア人に、ある瞬間はポーランド人、フランス人になって、この教室を、世界のあらゆる場所にすることができます。私の生徒は、チェンナイのこの教室にいながらにして、あらゆる経験をすることができるのです。

━普段生徒さんたちは電子ピアノで練習されているそうですね。

はい、それについてはインドという環境の限界です。今この教室にある2つのグランドピアノは、支援者に寄付していただいたこの音楽院で一番いい楽器ですが、普段から私のパワフルな生徒たちが弾き続けていたらすぐにだめになってしまいます。もちろん調律師はいますからある程度の手入れは可能ですが、ピアノが古くなってしまった場合の修理は、ここインドでは簡単ではないのです。
私の生徒たちは、もちろんそれが最高の環境ではないけれど、喜んで日本のデジタルピアノで練習しています。でも、デジタルピアノであれば録音もできますし、メトロノームも入っていますからね。楽器も修理も安くすみます。
普段からアコースティックピアノで練習できていれば、みんなもっと良いピアニストになっていると思いますが、これについては限界です。
今日は日本からあなたが来てくれるということだったので、調律も入れて、特別にアコースティックのグランドピアノで演奏を披露しました。みんな久しぶりにこのピアノに触れたので緊張していましたよ。

━もともと、チャタルジー先生はどのようにしてピアノを始めたのですか?

私の父が若き日、1930年代にダージリンを旅していたとき、ある家から聞こえてきたピアノの音に魅了されて、結婚したらピアノを持とうと思ったそうです。そして、父が29歳、母が16歳のときに結婚すると、すぐにピアノを買いました。母は近所のカトリックの教会で、ドイツ人のシスターからピアノを習ったそうです。やがて生まれた私は、母の真似をしてピアノを弾くようになりました。熱心に練習する私をみて、両親はとても心配したようです。…というのも、私がピアノを演奏することは喜びましたが、生業とすることは歓迎していなかったから。子供には音楽家ではなく医者や弁護士を目指させたいという考えは、インドでは昔ほどでないにしても、今もあまり変わっていません。
ですが私は自立した人間だったので、状況を自分で切り開き、奨学金を得てモスクワに留学することができました。

━ロシアで得た最も大きなことは?

奏でる全ての音に魂がなくてはいけないという感覚です。一番重要なのは、楽器とのコネクションです。そんなコネクションをつくるためには、まずピアノにアプローチしなくてはならない。
例えば電車で美しい女性を見つけて、気になるけれどどうしたらいいのかわからないとき。彼女は自分を見ている。そういえば自分はオレンジを持っている…このオレンジをむいてそっと手渡せば、彼女は拒むこともなくオレンジを受け取ってくれるでしょう。そうして、どこにいくのと尋ねてみることで、コネクションをつくるのです。でもまずはアプローチしないといけない。オレンジを持っていて、それを渡そうとすることが、重要なのです。そこには多くの哲学があります。メカニカルでロボットのような感覚では、良い演奏ははじまらないのです。

━生徒さんたちは、指の動かし方も独特ですね。そこには何か意味があるのでしょうか?

ピアノは打弦楽器ですが、私のメソッドでは、ピアノは歌うことができます。骨なしの手が大切なのは、そのためです。そのために、たくさんの手のトレーニングを課します。もし手が固まっていれば、歌うことはできません。

━生徒さんには、小指を横向きに倒して使っている人もいますね。

そう、よく気づきましたね! これこそ私の特別なメソッドの一つです。小指は一番弱い指なので、そこにパワーを与えるためにあのように指を使うのです。
水の入ったバケツを、両手を正面に伸ばした状態で上に持ち上げようとしても、うまく力が入らないけれど、左右に肘を開いて持ち上げたらどうでしょう。力が入って持ち上がるでしょう? 私はサイエンティストなんです。

━身体の動きや表情もとても大きいですね。

演奏する際の見た目はとても大切です。演奏中、その顔の表情からは、痛み、喜び、勝利が伝わらなくてはいけません。すべての身体の動きも表現にとって意味があるのです。

━日本ではときどき、「顔で演奏するな」と言われることもありますが……。

間違って捉えてほしくないのですが、彼らにわざと顔の表情をつけろといっているわけではないのです。私のメソッドでは、あなたがご覧になった通り、演奏していると音楽への愛情や思いが表情に出てきてしまうのです。
まだ人類が言語を使っていなかった頃、彼らはボディ・ランゲージで意思を通わせ、子孫を残しました。ボディ・ランゲージの力は大変なもので、言語はそのずっとあとからできた……むしろ嘘をつくためにできたものと言っていいかもしれません。身体の表現は、嘘をつきません。私のクラスでは、生徒たちは教室に来たら必ず私にハグをするという決まりがあります。それによって、私からの愛情が伝わり、彼らの愛も伝わってくるからです。そこに嘘は通用しません。
顔の表情はボディランゲージの一部ですから、音楽から感じた作曲家の感情を顔で表せばいいのです。私のメソッドは、音だけに関することではなく、ヴィジュアルとサウンドによるトータル・エクスペリエンスを生み出すものなのです。
音楽には魂があります。演奏者はあなたの前でその魂を見せる。これは教会での祈りのように、ほとんど宗教的な営みです。だからこそ、私の生徒たちの音はパワフルなのです。

━こうした特別なメソッドについて、インドの他のピアノの先生方へのレクチャーは行わないのですか?

しません。多くのインドのピアノ教師たちは、100年前のブリティッシュ・スタイルで今も教えています。そういう方々と、私は戦っています。
以前、ヨーロッパやアメリカから来た先生たちがいましたが、もちろん私とはメソッドが違い、彼らも私のやり方を批判しました。おそらくそこにはジェラシーもあったのでしょう。ですが、音楽院の創設者、A.R.ラフマーン氏は私のメソッドのすばらしさを信じ、このクラスを救ってくれました。
誰もそう簡単に私のやり方を殺すことはできません。私は強いですからね。たくさんの生徒たちもいます。私が年老いたあとも、私の兵士たちが戦ってくれるはずです。私は彼らを強く育て上げましたから。

━インドには優れた伝統音楽の文化がありますが、西洋クラシック音楽にも親しむ必要があると思いますか?

先ほども話したように、私はとてもインド人的な人間です。西洋クラシックを勉強したからといって、西洋人のメンタルになるわけではありません。しかし他の国の音楽を勉強することで、より大きな人間になれるということは確信しています。
このクラスの最もすばらしいところは、それぞれが学ぶことによって人間として大きく成長できるという点です。私は歴史や地理についても多くのことを知っていますので、生徒にはロシアや中国、イギリスについて教えることもできます。私が教えていることは音楽のことだけではなく、総体的なことなのです。むしろ、音楽やピアノは口実といってもいいでしょう。
あなたは私の生徒たちが単にピアノを演奏しているのではないと感じたと思いますが、実際、彼らはピアノを通して人生を奏でているのです。
インドではまだ、西洋クラシックの文化は生まれたての子供のようなものですが、いつかロシアや日本のように豊かな伝統を持つようになるかもしれません。

◇◇◇

どうでしょう。チェンナイの教室をヨーロッパにしてしまう話とか、電車でオレンジをむいて渡しちゃう例え話とか、ショパンのリズムについての話とか、えええ、と思うところもたくさんあると思います。
わたくし自身、なにせギャラリーが多かったので、オブラート何重にも包みながら質問をするという場面も多くなってしまいましたが、一瞬驚くような発言も、よく考えるとごもっともな話でむしろこちらの先入観を指摘されているような気持ちになり、うなってしまいました。
まとめの言葉はONTOMOの記事に譲りますが、何曲か弾けるようになりたい大人のピアノ学習などで活かせるところがあるのではないかと私は思いました。
このインタビュー(というより、ほとんど公開トークショー)の終盤、嬉しそうに話を聞いていた親御さんの一人が、「こんな話が聞けるなんて、なんてプレシャスな時間なのだ……」としみじみつぶやいていたのが印象的でした。

ちなみに「私もチャタルジー先生に習ったらめちゃくちゃ上達しますか?」と聞いたら、「教えてもいいけど、今まで勉強してきたピアノの演奏を一度全部捨てないといけないよ。新しい誰かと結婚したいなら、前のパートナーとは離婚しないといけないでしょう?」と、わかるようなわからないような例えで、チャタルジーメソッドへの一途な愛を誓うよう求められました。
おそるべし、チャタルジーメソッド。ONTOMOの記事でもコメントを紹介した脳神経科学の古屋晋一さんをいつかチェンナイにお連れして、このクラスで一体何がおきているのか分析していただきたいという密かな野望を抱いています。